説明

潤滑剤組成物及び機械部材

【課題】水素雰囲気中で使用される機械部品への水素の侵入を防止し、剥離寿命を延長することができる潤滑剤組成物を提供すること。
【解決手段】水素雰囲気中で使用される機械部材に使用される潤滑剤組成物であって、基油及び添加剤を含み、添加剤が、ナフテン酸塩及びコハク酸誘導体からなる群から選ばれる少なくとも1種の錆止め剤を含有する潤滑剤組成物。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、水素雰囲気中で使用される部材の水素脆性剥離の抑制に好適な潤滑剤組成物及びこれを含む機械部材に関する。詳しくは、燃料電池関連機器、石油精製関連機器、例えば重質油の水素化分解装置、水素化脱硫装置及び水素化改質装置、化学品等の水添装置関連機器、原子力発電関連機器、燃料電池車の水素スタンド、水素インフラストラクチャーなどの水素雰囲気中において用いられる部材、例えば転がり軸受、滑り軸受、歯車、ボールネジ、リニアガイド、直動案内軸受、各種ギア、カム又は各種継ぎ手などの水素脆性剥離の抑制に好適な潤滑剤組成物及びこれを含む機械部材に関する。
【背景技術】
【0002】
最近、燃料電池の普及など水素をエネルギー源とする技術の進展が著しい。この分野では水素を高圧で貯蔵する技術など、貯蔵容器や配管など材料そのものの水素対策は以前から検討がなされている。この水素が金属材料に及ぼす悪影響は、腐食の分野で古くから研究されている。例えば、腐食溶液中でのカソード反応によって生じた水素ガスが、応力集中源となる欠陥や、介在物・析出物などの先端に吸着したり,欠陥近傍の材料中に侵入・集積したりして,その部分を脆化させることにより部材に割れが進行し、破壊される。近年、特に水素が鋼等の金属材料中に侵入し、金属材料の延性を失わせること、すなわち、金属材料の水素脆化の問題が指摘されている。水素脆化が進行すると金属材料が割れる等の重大な結果をもたらす。この水素脆化による金属材料の割れは、遅れ破壊現象と言われている。この遅れ破壊は別名、静的疲労とも呼ばれており、静的な引張り応力状態下に置かれた高強度部材が、ある時間経過後に突然脆性的に破壊してしまうことである。これらの高強度部材の遅れ破壊は、製造過程あるいは使用環境から部材中に侵入した水素が原因と考えられている。これは、塑性変形で誘起された原子空孔密度の高い金属部材は水素が侵入し易い状態にあるため、ねじ部や腐食ピットなどの引張り応力集中部近傍に集合して、破壊、いわゆる水素脆化をひき起こす。金属、特に鋼中に吸蔵された水素は、通常その降伏強さや引張り強さにはほとんど影響を与えないが、延性や靭性を劣化させる性質がある。したがって、金属部材を高強度化するほど材料の水素脆化感受性が増大するので、高強度鋼では特に水素に対する注意が必要である。
【0003】
トライボロジー的視野から水素脆化について、研究あるいは検討した例はほとんどない。しかしながら、燃料電池などの水素をエネルギーとする技術では水素の移動が必要であり、移動に関わる機械部材なども当然に必要となる。例えば、コンプレッサはその代表であり、トライボロジー要素には転がり軸受や滑り軸受などが使用されている。従って、これら機械部材、金属材料への水素脆化対策は重要であるが、その対策はほとんどなされていないのが現状である。
【0004】
一方、自動車の電装・補機転がり軸受の分野でも、従来から水素脆化が問題となっており、使用するグリースの性質を改善することにより対処している。例えば、摩耗により生じる新生面の触媒作用を抑制するために、グリース中に不動態化酸化剤を添加し、金属表面を酸化して表面の触媒活性を抑制し、潤滑剤の分解による水素発生を抑制することが提案されている(例えば、特許文献1)。また、潤滑剤の分解による水素発生を抑制するために、グリースの基油としてフェニルエーテル系合成油を使用することが提案されている(例えば、特許文献2)。特定の基油に特定の増ちょう剤、不動態化酸化剤及び有機スルホン酸塩を添加することが提案されている(例えば、特許文献3)。トライボロジー金属材料や各種部材さらに水が侵入しやすい部位に使用される軸受に封入されるグリースとして、水素を吸収するアゾ化合物を添加することが提案されている(例えば、特許文献4)。水の浸入を受けても水素脆性による剥離を起こすことが無く、長寿命の転がり軸受用として、基油にフッ素化ポリマー油、増ちょう剤にポリテトラフルオロエチレン、及び導電性物質を添加したグリース組成物が提案されている(例えば、特許文献5)。しかし、これらはいずれもグリース等の分解によって発生した微量の水素に対するものであり、積極的に水素を導入した水素雰囲気中での剥離、水素脆性割れ、水素脆性剥離を抑制することを開示ないし示唆するものではない。
【0005】
剥離寿命は、金属の転がり疲労による寿命であり、この寿命を全うするためには、潤滑油膜を厚くすることが常套手段とされている。
しかし、水素雰囲気下での剥離は、水素が鋼中に侵入、材料の機械的強度を低下させることが原因とされており(非特許文献1)、単に油膜を厚くするだけでは対策できない。この水素雰囲気下の剥離に対し、特許文献6には、錆止め剤である有機スルホン酸塩、カルボン酸塩、チオカルバミン酸塩等の添加が有効であることが記載されている。これは錆止め剤の被膜が水素の侵入を防ぐためであると考えられている。
【0006】
【特許文献1】特開平3−210394
【特許文献2】特開平3−250094
【特許文献3】特開平5−263091
【特許文献4】特開2002−130301
【特許文献5】特開2002−250351
【特許文献6】特開2007−262300
【非特許文献1】遠藤、董、今井、山本:「水素雰囲気での転がり疲れに関する研究」、トライボロジスト、第49巻、第10号
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
本発明の目的は、水素雰囲気中にある金属部材の水素脆性剥離を抑制する潤滑剤組成物及びこれを含む機械部材を提供することである。詳しくは、高濃度の水素雰囲気中にある部材、例えば、転がり軸受、滑り軸受、歯車、ボールネジ、リニアガイド、直動軸受、カム又は各種継ぎ手などの水素脆性剥離の抑制に優れた潤滑剤組成物及びこれを含む機械部材を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明者らは上記目的を達成するために鋭意研究の結果、特定の添加剤を使用することにより、水素雰囲気中にある転がり軸受、滑り軸受、歯車、ボールネジ、リニアガイド、直動軸受、カム、各種継ぎ手などの水素脆性剥離を抑制することができることを見出し本発明を完成させた。
【0009】
本発明は、以下に示す、水素雰囲気中における水素脆性剥離を抑制する潤滑剤組成物を提供するものである。
1.水素雰囲気中で使用される、機械部材に使用される潤滑剤組成物であって、基油及び添加剤を含み、添加剤が、ナフテン酸塩及びコハク酸誘導体からなる群から選ばれる少なくとも1種の錆止め剤を含有する潤滑剤組成物。
2.前記ナフテン酸塩が、亜鉛、カルシウム、ナトリウム、又はマグネシウムの塩である上記1記載の潤滑剤組成物。
3.前記コハク酸誘導体が、コハク酸、アルキルコハク酸、アルケニルコハク酸、これらの酸のエステル、ハーフエステル、又は無水物である上記1記載の潤滑剤組成物。
4.さらに増ちょう剤を含む、上記1〜3のいずれか1項記載の潤滑剤組成物。
5.上記1〜4のいずれか1項記載の潤滑剤組成物を含む機械部材。
6.機械部材が転がり軸受、滑り軸受、歯車、ボールネジ、リニアガイド、直動軸受、カム又は継ぎ手である上記5記載の機械部材。
【発明の効果】
【0010】
本発明の潤滑剤組成物は、ナフテン酸塩、又はコハク酸誘導体を含有しており、水素雰囲気中でも剥離寿命を長くすることができる。そのため水素雰囲気中で使用される機械部材に適用が可能である。具体的には燃料電池関連機器、石油精製関連機器、例えば重質油の水素化分解装置、水素化脱硫装置及び水素化改質装置、化学品等の水添装置関連機器、原子力発電関連機器、燃料電池車の水素スタンド、水素インフラストラクチャーなどの水素雰囲気中において用いられる部材、例えば転がり軸受、滑り軸受、歯車、ボールネジ、リニアガイド、直動案内軸受、各種ギア、カム又は各種継ぎ手などに好適に使用できる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0011】
本発明の潤滑剤組成物に使用するナフテン酸塩は、ナフテン核を有する飽和カルボン酸塩であればよく、特に制限されない。例えば、飽和単環カルボン酸塩(CnH2n-1COOM)、飽和複環カルボン酸塩(CnH2n-3COOM)、またはこれらの誘導体が挙げられる。誘導体としてはナフテン核の水素原子がアルキル基、アルケニル基、アリール基、アルカリール基、アラルキル基等で置換されたものが挙げられる。Mは金属元素を示し、好ましい具体例としては、亜鉛、カルシウム、ナトリウム、マグネシウムが挙げられる。これらのナフテン酸塩は、単独でも、2種以上を組み合わせても良い。
【0012】
本発明の組成物に使用されるコハク酸誘導体の好ましい具体例としては、コハク酸、アルキルコハク酸、アルケニルコハク酸またはそのエステル、ハーフエステル、無水物等が挙げられる。エステルとしてはアルキルエステルが挙げられる。これらのコハク酸誘導体は、単独でも、2種以上を組み合わせても良い。
また、ナフテン酸塩とコハク酸誘導体を組み合わせて使用しても良い。
【0013】
本発明の組成物に使用されるナフテン酸塩またはコハク酸誘導体は、潤滑剤やグリースの錆止め剤として一般的に使用されているものである。
本発明の組成物において、ナフテン酸塩とコハク酸誘導体の添加量は、組成物中、ナフテン酸塩は好ましくは0.01〜10質量%、より好ましくは0.02〜7質量%であり、コハク酸誘導体は好ましくは0.01〜10質量%、より好ましくは0.02〜7質量%である。両者を併用するときは、上記好ましい添加量を考慮して適宜調整すれば良い。またここでの添加量とは、対象物質の有効成分(ナフテン酸塩、コハク酸誘導体自体)の量を指す。
【0014】
本発明の潤滑剤組成物は増ちょう剤を添加し、グリース組成物としても良い。
本発明のグリース組成物に使用される増ちょう剤は、特に限定されない。好ましい例としては、Li石けんや複合Li石けんに代表される石けん系増ちょう剤、ジウレアに代表されるウレア系増ちょう剤、有機化クレイやシリカに代表される無機系増ちょう剤、PTFEに代表される有機系増ちょう剤等が挙げられる。特に好ましいものは、ウレア系増ちょう剤である。
最近、耐剥離性が要求される用途にはウレア系増ちょう剤を使用したグリース組成物を使用することが多い。これは、ウレア化合物の転動面保護によるものと推察されており、本発明においてウレア系増ちょう剤を使用すると、剥離寿命向上効果がさらに顕著である。また、ウレア系増ちょう剤は、他の増ちょう剤と比較して欠点が少なく、比較的安価であり、実用性も高い。
本発明のグリース組成物中の増ちょう剤の含有量は、増ちょう剤の種類により異なる。本発明のグリース組成物のちょう度は、200〜400が好適であり、増ちょう剤の含有量はこのちょう度を得るのに必要な量となる。本発明のグリース組成物中、増ちょう剤の含有量は、通常3〜30質量%、好ましくは5〜25質量%である。
【0015】
本発明の潤滑剤組成物に使用される基油も、特に限定されない。例えば、鉱油をはじめとする全ての基油が使用できる。鉱油の他、ジエステル、ポリオールエステルに代表されるエステル系合成油、ポリαオレフィン、ポリブテンに代表される合成炭化水素油、アルキルジフェニルエーテル、ポリプロピレングリコールに代表されるエーテル系合成油、シリコーン油、フッ素化油など各種合成油が使用できる。
【0016】
本発明の潤滑剤組成物には必要に応じて種々の添加剤を添加することができる。このような添加剤としては、例えば、酸化防止剤、ナフテン酸塩またはコハク酸誘導体以外の錆止め剤、金属腐食防止剤、油性剤、耐摩耗剤、極圧剤、固体潤滑剤などが挙げられる。
【0017】
本発明の潤滑剤組成物において、ナフテン酸塩またはコハク酸誘導体が水素脆性剥離を防止するメカニズムについては未だ不明の部分が多い。本発明者は次のように推論している。
錆止め剤の主要な働きは、金属表面に緻密な吸着膜を作り、金属が水や酸素と接触して錆びるのを防ぐ役割をする。ナフテン酸塩またはコハク酸誘導体は、錆止め性に有効な極性基(−COO-)を持っており、金属表面に緻密な錆止め皮膜を形成するため、水素の部材への侵入を防止し、水素脆性剥離を抑制することができるものと考えられる。
【0018】
以下、実施例により本発明をさらに詳細に説明する。
実施例1〜9、比較例1〜3
表1及び表2に記載したように、基油に、所定量の添加剤を添加し、潤滑剤組成物を製造した。またここでの添加剤の添加量とは、対象物質の有効成分の量を指す。
基油
PAO400:ポリαオレフィン 40℃の動粘度380〜430mm2/s
添加剤A:ナフテン酸Zn(大日本インキ化学工業(株)製 DAILUBE Z-300)
添加剤B:ナフテン酸Ca(大日本インキ化学工業(株)製 Ca-NAPHTHENATE 3%)
添加剤C:アルケニルコハク酸エステル(三洋化成工業(株)製 サンヒビター150)
添加剤D:アルケニルコハク酸ハーフエステル(チバ・スペシャルティ・ケミカルズ(株)製 IRGACOR L12)
添加剤E:アルケニルコハク酸無水物(星光化学工業(株)製 MSP)
添加剤F:ジノニルナフタレンスルホン酸Ba(KING INDUSTRIES製 NA-SUL BSN)
増ちょう剤:ジフェニルメタンジイソシアネートとp−トルイジンから得られたジウレア化合物
これを含むものはグリースであり、3本ロールミルで混練し、ちょう度350±15に仕上げた。
【0019】
評価試験方法
転がり4球試験
試験方法の概略
φ15mmの軸受用鋼球を3個用意し、底面の内径36.0mm、上端部の内径31.63mm、深さ10.95mmの円筒状容器内に置き、試験潤滑剤を約20g満たす。この3個の鋼球の上にφ5/8インチの軸受用鋼球1個を接触させ、所定の回転数で回転させると、下側の3個の鋼球は自転しながら公転する。これを鋼球面に剥離が生じるまで連続回転させる。
※剥離は、最も面圧の高い球−球間に生じる。
※寿命は、剥離が生じた時点の上鋼球の下鋼球に対する接触回数とする。
試験条件
試験鋼球:φ5/8in軸受用鋼球(回転球)、φ15mm軸受用鋼球(従動球)
試験荷重(W):250kgf(5.6GPa)
回転速度(n):1500rpm
水素導入量:15ml/分
水素純度:99.99%
試験部気圧:0.96気圧(減圧排気のため)
試験繰り返し数:5(平均寿命:n=5の平均)
潤滑剤の組成及び試験結果を表1及び表2に示す。
【0020】
【表1】

【0021】
【表2】

【0022】
添加剤を含まない比較例1の潤滑剤組成物、添加剤として従来の潤滑剤において錆止め剤として公知のジノニルナフタレンスルホン酸Baを使用した比較例2の潤滑剤組成物、及び添加剤を含まない比較例3のグリースでは、剥離寿命はいずれも10×106回未満であった。
これに対して、ナフテン酸塩、またはコハク酸誘導体を含む本発明の実施例1〜9の潤滑剤組成物の剥離寿命はいずれも40×106回以上であった。
このように特定の添加剤を使用した本発明の潤滑剤組成物は、水素雰囲気下で剥離寿命を顕著に向上させること(比較例に対して4倍以上)がわかる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
水素雰囲気中で使用される、機械部材に使用される潤滑剤組成物であって、基油及び添加剤を含み、添加剤が、ナフテン酸塩及びコハク酸誘導体からなる群から選ばれる少なくとも1種の錆止め剤を含有する潤滑剤組成物。
【請求項2】
前記ナフテン酸塩が、亜鉛、カルシウム、ナトリウム、又はマグネシウムの塩である請求項1記載の潤滑剤組成物。
【請求項3】
前記コハク酸誘導体が、コハク酸、アルキルコハク酸、アルケニルコハク酸、これらの酸のエステル、ハーフエステル、又は無水物である請求項1記載の潤滑剤組成物。
【請求項4】
さらに増ちょう剤を含む、請求項1〜3のいずれか1項記載の潤滑剤組成物。
【請求項5】
請求項1〜4のいずれか1項記載の潤滑剤組成物を含む機械部材。
【請求項6】
転がり軸受、滑り軸受、歯車、ボールネジ、リニアガイド、直動軸受、カム又は継ぎ手である請求項5記載の機械部材。

【公開番号】特開2009−173750(P2009−173750A)
【公開日】平成21年8月6日(2009.8.6)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−12775(P2008−12775)
【出願日】平成20年1月23日(2008.1.23)
【出願人】(000162423)協同油脂株式会社 (165)
【Fターム(参考)】