説明

濃度に依存しない吸光度スペクトル測定法

【課題】濃度に依存しない吸光度スペクトル測定法を提供する。
【解決手段】本発明においては、分光学的に吸光度が等しくなる位置を探索することで試料濃度が不明なままでも吸光度分析を行う手法を提供する。反射率スペクトルにおいて反射率は試料の濃度や光路長による変動を受けるが、波長方向のスペクトルでは同一試料に対して依存性が無い。この性質を利用して、基準位置と被測定位置の両者に対する反射率を波長方向に測定することで、両者が等しい反射率になる波長点を求め、吸光度測定を行うことができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、分光分析手法を用いて吸光測定を行う際に、ある既知の吸光スペクトルを基準として、その変化または未知試料の吸光スペクトルを定量測定する手法に関するものである。
【0002】
本発明は、例えば、血管内に存在するヘモグロビンの光吸収を測定することによる、酸素飽和度推定に利用することができ、未知試料の光学濃度および光路長に依存することなく血中酸素飽和度量を決定することに適用できる。
【背景技術】
【0003】
吸光係数εの測定では、被測定試料に対して測定された光の透過率Tあるいは反射率Rを元にして、ランベルト・ベール則に基づく計算式εCL=−log10TまたはεCL=−log10Rで吸光度が求められる。ただし、被測定試料の光路長をL、濃度をCで表す。このように、吸光度A=εCLは被測定試料の光路長Lと濃度Cとに比例するため、被測定試料の濃度と光路長とをあらかじめ決定しておく必要がある。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【特許文献1】特開2006−239267号公報
【特許文献2】特表2005−521499号公報
【特許文献3】特開2007−83021号公報
【非特許文献】
【0005】
【非特許文献1】J.M.Bearch et al., “Oximetry of retinal vessels by dual-wavelength imaging: calibration and influence of pigmentation,” J. Appl. Physiol., 86, 748-758 (1999).
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
例えば、ヘモグロビンの反射率スペクトルを図1に示す。ヘモグロビンの吸光係数は各波長に対して一定の値であることが知られているが、例えば血管の太さによって異なった反射率を取る。図1には、血管の太さが50μm、100μm、200μmのときの反射率スペクトルが示されており、曲線1が血管太さ50μmのときの光反射率スペクトル、曲線2が血管太さ100μmのときの光反射率スペクトル、曲線3が血管太さ200μmのときの光反射率スペクトルである。このため、光路長(血管の太さ)を考慮しなければ、吸光係数を求めることはできないという問題があったが、画像内すべての点において血管径を求めることは難しい。また、眼底カメラにおいては血管とは認識できない毛細血管部分における計測を行うことも困難である。
【課題を解決するための手段】
【0007】
酸素飽和度の光学的計測法においては、血管径や血液濃度について様々な仮定を元にして、酸素飽和度を推定していたが、それぞれの誤差が大きいことや、別の手法(主として観血的手法)によって求めた酸素飽和度による校正が必要などの問題があるため、様々な太さの血管を有する組織全体へ適用できないことや、多様な被験者に対応することができないという問題があったが、本発明の手法では、被測定点と同じ条件下にある基準点を元にするため、簡便で高精度な推定を行うことを可能にする。このように、非侵襲的に酸素飽和度分布を絶対推定することを特徴とする装置は、これまでには開発されておらず、本発明の手法は、生体測定のように濃度調整のできない場合に特に有効となる。
【0008】
本発明のヘモグロビンの酸素飽和度推定法は、ヘモグロビンの反射率スペクトルを測定してヘモグロビンの酸素飽和度を求める酸素飽和度推定法であって、酸素飽和度の判明している動脈の基準位置における波長λでの反射率スペクトルの値Rを測定し、測定位置における反射率スペクトルの値がRと等しくなる波長λを測定により求め、既知である酸素飽和度のヘモグロビンの吸収度スペクトル理論値と酸素飽和度0%の吸収度スペクトル理論値とから、予め、計算により求めた一方の軸をλ、他方の軸をλとした酸素飽和度計算を用いて、λとλの交点の値を酸素飽和度として推定することを特徴とする。
さらに、上記既知の酸素飽和度は、例えば、光学濃度から求めるものであるが、この操作は1回あるいは数回の統計値から判定されるものである。基準位置の酸素飽和度が求められれば、上記測定位置は任意の血管あるいは毛細血管であることを特徴とする。
さらに、本発明は、上記動脈及び上記静脈は生体の網膜血管であることを特徴とする。
さらに、本発明は、上記静脈におけるヘモグロビンの酸素飽和度を、位置情報と共に画像化し、2次元分布を求めることを特徴とする。
さらに、本発明は、上記ヘモグロビンの酸素飽和度推定法において、反射率スペクトルの測定は眼底カメラを用いて行うことを特徴とする。
【発明の効果】
【0009】
従来の吸光度計測においては、測定反射率の変化(吸光度変化)が大きい試料に対して、反射率の両端が、検出器のダイナミックレンジの及ぶ範囲にある必要があったために、高価な広いダイナミックレンジの検出器やカメラが必要となったり、試料の吸光度を調整してダイナミックレンジ内に収める必要があった。しかしながら、上記の本発明の手法を適用すると、必要な反射率は基本的には1点だけであるため、たとえダイナミックレンジ最低の(ある輝度の閾値で、明と暗との2値を判別できるだけの)検出器であっても、本手法を適用することができ、安価な装置構成を取ることが可能である。
【0010】
これは、検出器のダイナミックレンジが、試料の吸光度検出範囲に制限を加えないために、これまで測定の難しいとされている測定反射率の変化(吸光度変化)が大きい試料に対しても適用可能となることを示す。
【図面の簡単な説明】
【0011】
【図1】本発明の解決する課題である血管太さに応じて計測される反射率スペクトルを説明する図である。
【図2】本発明の原理となる反射率スペクトルの波長方向分布を説明する図である。
【図3】本発明の原理となる反射率スペクトル推定手法を説明する図である。
【図4】本発明の一実施例にかかる網膜血管への適用例を説明する図である。
【図5】本発明の一実施例にかかる網膜画像スペクトルからの酸素飽和度換算表を説明する図である。
【発明を実施するための形態】
【0012】
本発明においては、分光学的に吸光度が等しくなる位置を探索するものであり、図2、図3を用いて以下に説明する。
図2はヘモグロビンの反射率スペクトルを示した図であり、図2の下段の図は血管の太さが50μmにおける反射率スペクトルを示しており、曲線10が酸素飽和度100%のときの光反射スペクトル、曲線11が酸素飽和度50%のときの光反射スペクトル、曲線12が酸素飽和度0%のときの光反射スペクトルである。図2の中段の図は血管の太さが100μmにおける反射率スペクトルを示しており、曲線7が酸素飽和度100%のときの光反射スペクトル、曲線8が酸素飽和度50%のときの光反射スペクトル、曲線9が酸素飽和度0%のときの光反射スペクトルである。図2の上段の図は血管の太さが200μmにおける反射率スペクトルを示しており、曲線4が酸素飽和度100%のときの光反射スペクトル、曲線5が酸素飽和度50%のときの光反射スペクトル、曲線6が酸素飽和度0%のときの光反射スペクトルである。
【0013】
図2に示すように、反射率スペクトルにおいて反射率は血管径などによる変動を受けるが、波長方向のスペクトルでは依存性が無いことが分かる。すなわち、図2の下段、中段、上段の各図において、例えば、光の波長600nmに対する酸素飽和度100%の光反射スペクトルの反射率に着目すれば、当該反射率(下段約0.9、中段約0.8、上段約0.6)と同じ反射率となる酸素飽和度50%の光反射スペクトル曲線おける光の波長は下段、中段、上段の各図で同じであり(約620nm)、また、当該反射率と同じ反射率となる酸素飽和度0%の光反射スペクトル曲線おける光の波長は下段、中段、上段の各図で同じである(約650nm)。上記説明では、光の波長600nmに着目して説明したが、他の波長に着目しても同じことがいえる。
この性質を利用すれば、基準位置と被測定位置の両者に対する反射率を、波長を変えて測定することで、両者が等しい反射率になる波長点を求めることができる。
【0014】
図3に示すように、基準波長λにおける酸素飽和度100%の反射スペクトルの値Rを測定する。基準位置における基準波長λは任意で良い。被測定位置において、この基準波長での反射率Rと等しい反射率となる波長λを測定することでヘモグロビンの吸光スペクトルが一意に決定できる。
【0015】
すなわち、ヘモグロビンの酸素飽和度100%の吸光度スペクトルと、酸素飽和度0%の吸光度スペクトルは実測値として既知であり、酸素飽和度100x%の吸光度スペクトルの波長λにおける値A(λ)は、波長λにおける酸素飽和度100%の吸光度スペクトルの値A(λ)と酸素飽和度0%の吸光度スペクトルの値Aとすると、
(λ)=xA(λ)+(1−x)A(λ)
の関係があることが知られている。したがって、この式を用いて、波長λにおける酸素飽和度100x%の吸光度を計算で求めることができる。
一方、段落0003に記載した、反射率Rに関するランベルト・ベール則に基づく計算式εCL=−log10Rと吸光度A=εCLの式から、A=−log10Rの関係、言い換えれば、R=10−Aの関係が成り立つので、この関係を用いて、上記で求めた、波長λにおける酸素飽和度100x%の吸光度から、さらに、波長λにおける酸素飽和度100x%の反射率を計算で求めることができる。
このようにして得られた反射率(酸素飽和度とのペア)の値は、一方の軸を波長、他方の軸を反射率(酸素飽和度とのペア)とした2次元に配置でき、その他方の軸方向の位置をずらして、波長方向に反射率の値が等しいものが並ぶように修正して、さらに反射率の値をペアである酸素飽和度の値に置き換えれば、一方の軸を波長λ、他方の軸を波長λとした、図5に示すような酸素飽和度換算表が得られる。この換算表を用いれば、波長λと波長λとの2つの値から、その交差する部分の値が酸素飽和度として求められる。
【0016】
なお、反射率Rと等しい反射率となる波長λの測定においては、スペクトルカーブの測定による直接的な方法でも良いし、反射率がRをまたぐと考えられる2波長または数波長だけを選び出し、フィッティングなどの補間法を適用しても良い。
【0017】
なお、図3においては酸素飽和度100%を基準にして簡単な例を示したが、基準は判別できるならば任意の値を基準としても良い。100%以外の点を基準とする場合には、その点の酸素飽和度を別の手段で知っておく必要がある。これには、パルスオキシメータや、非特許文献1に挙げるような毛細血管を基準とした酸素飽和度を求めるのに便利な光学濃度などを用いることができる。
【実施例】
【0018】
そこで、網膜血管に本手法を適用した例を図4に示す。
白く輝度の高い線が酸素飽和度100%の動脈であり、黒く輝度の低い線が酸素飽和度56%の静脈を示している。その間にある中間調はそれぞれ輝度に対応した酸素飽和度となり、2次元分布を得ることができる。
【0019】
動脈血の酸素飽和度は通常100%であると仮定できるが、喫煙時や呼吸困難時など動脈血が100%を仮定できない時には、過去データとして同一人の健常時のスペクトルを基準位置として、動脈血を含めたすべての画像内血液の酸素飽和度を推定することができる。
また、パルスオキシメータや毛細血管を基準とした光学濃度から推定する手法と併用しても良い。
【0020】
また、酸素飽和度100%を基準とする場合には、反射率が一定となる基準波長λと被測定位置の推定波長λとの2つの値で、酸素飽和度が求められるため、図5に示すような換算表を作製することができる。換算表は、各波長の画像スペクトルのみから酸素飽和度の概算値を知ることに有用となる。
例えば、図5の換算表は、酸素飽和度100x%、波長λにおける吸光度f(λ)とすると、以下の関係がある。
(λ)=xf(λ)+(1−x)f(λ)
(λ)およびf(λ)は、酸素飽和度100%および0%のときの値であるが、これには理論曲線の値が用いられる。(基準波長λの値)=f(λ)を満たすときのλがλである。
例えば、測定により得られた反射率スペクトルにおいて、λが595nmで、λが606nmであったとすれば、図5の換算表から酸素飽和度51%であることが推定できる。
【0021】
また、本発明には分光分析装置が含まれるため、ヘモグロビンスペクトルに限らず、分光分析の対象となる化学物質も同様に分析することが可能である。
【0022】
本発明では利用する反射率が1点あるいはその近傍のみと非常にダイナミックレンジが狭く、原理的に1ビット以上の検出器であれば良いため、安価な検出器を利用することができる。これは、ヘモグロビンスペクトルなどのように吸光度の変化が非常に激しい試料に対しても有効な方法である。
【0023】
この理論は、閉じられた空間における分光計測に適用することが出来る。ここで例示した吸収スペクトルでは次の仮定が成り立つと仮定している。人体の血液は閉じられた血管中を流れているため、十分な計測時間において、濃度はほぼ一様(値は未知であって良い)と考えることができ、光路長は円筒形状を仮定すれば直径に等しい(値は未知であって良い)と考えることができる。このため、酸素飽和度が時間的に変化しても、空間的に別の場所であっても、濃度が一定であれば(その濃度を測定しなくても)、酸素飽和度を知ることができる。
同様な仮定が成り立つ場合であれば、事前の試料調整を行うことなく、任意の化学物質濃度を推定する手法として適用可能である。
【産業上の利用可能性】
【0024】
なお、従来、類似技術として、パルスオキシメータの技術が公知であったが、パルスオキシメータは、動脈の拍動を利用しているため、測定位置全体の動脈血の酸素飽和度のみしか推定できない。これに対して、本発明では静脈血の測定が可能である。
さらに、検出器として撮像カメラを用いることで、部位全体ではなく各組織・部位ごとに酸素飽和度を測定することができるため、酸素飽和度を面で測定することができる。
【符号の説明】
【0025】
1 血管太さ50μmのときの光反射率スペクトルの例
2 血管太さ100μmのときの光反射率スペクトルの例
3 血管太さ200μmのときの光反射率スペクトルの例
4 血管太さ200μm、酸素飽和度100%のときの光反射率スペクトルの例
5 血管太さ200μm、酸素飽和度50%のときの光反射率スペクトルの例
6 血管太さ200μm、酸素飽和度0%のときの光反射率スペクトルの例
7 血管太さ100μm、酸素飽和度100%のときの光反射率スペクトルの例
8 血管太さ100μm、酸素飽和度50%のときの光反射率スペクトルの例
9 血管太さ100μm、酸素飽和度0%のときの光反射率スペクトルの例
10 血管太さ50μm、酸素飽和度100%のときの光反射率スペクトルの例
11 血管太さ50μm、酸素飽和度50%のときの光反射率スペクトルの例
12 血管太さ50μm、酸素飽和度0%のときの光反射率スペクトルの例
13 任意の反射率R
14 反射率Rとなるときの動脈反射光の波長
15 反射率Rとなるときの被測定位置における反射光の波長
16 本発明により推定された動脈の酸素飽和度(100%)
17 本発明により推定された静脈の酸素飽和度(56%)

【特許請求の範囲】
【請求項1】
ヘモグロビンの反射率スペクトルを測定してヘモグロビンの酸素飽和度を求める酸素飽和度推定法であって、
酸素飽和度100%の基準位置における波長λでの反射率スペクトルの値Rを測定し、
測定位置における反射率スペクトルの値がRと等しくなる波長λを測定により求め、
既知である酸素飽和度100%のヘモグロビンの吸収度スペクトルと酸素飽和度0%の吸収度スペクトルとから、予め、計算により求めた一方の軸をλ、他方の軸をλとした酸素飽和度換算表を用いて、λとλの交点の値を酸素飽和度として推定するヘモグロビンの酸素飽和度推定法。
【請求項2】
前記酸素飽和度100%の基準位置は動脈であり、前記測定位置は静脈であることを特徴とする請求項1記載のヘモグロビンの酸素飽和度推定法。
【請求項3】
前記動脈及び前記静脈は生体の網膜血管であることを特徴とする請求項2記載のヘモグロビンの酸素飽和度推定法。
【請求項4】
前記静脈におけるヘモグロビンの酸素飽和度を、位置情報と共に画像化し、2次元分布を求めることを特徴とする請求項2又は3記載のヘモグロビンの酸素飽和度推定法。
【請求項5】
請求項3又は4記載のヘモグロビンの酸素飽和度推定法において、反射率スペクトルの測定は眼底カメラを用いて行うことを特徴とするヘモグロビンの酸素飽和度推定法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【公開番号】特開2011−179994(P2011−179994A)
【公開日】平成23年9月15日(2011.9.15)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−45013(P2010−45013)
【出願日】平成22年3月2日(2010.3.2)
【出願人】(301021533)独立行政法人産業技術総合研究所 (6,529)
【Fターム(参考)】