説明

玉軸受及びその製造方法

【課題】内部起点型剥離に対して長寿命な玉軸受を提供する。
【解決手段】転動体3の極表層部の硬さを780HV以上920HV以下とし、炭化物面積率を1%以上5%以下とし、残留オーステナイト量を2vol.%以上10vol.%以下とし、残留圧縮応力を500MPa以上1400MPa以下とすることで、転動体3の表面性状安定性を向上させ、転動体表面性状の悪化を抑制し、外輪1及び内輪2に作用する接線力を小さくして内部せん断応力を低下させることによって、外輪1及び内輪2の内部起点型剥離寿命を延長させることができる。また、このような転動体3を、HRC≧0.2×√areamaxという関係を満足する外輪1及び内輪2に組み込むことで、一段と軸受寿命を向上させることができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、外方部材の内周面の軌道面と内方部材の外周面の軌道面との間に複数の転動体を配設してなる玉軸受及びその製造方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
例えば下記特許文献1や非特許文献1に記載されるように、従来、玉軸受では、転動体の硬さが軌道輪の硬さに比べてHRCで1〜2高い場合に最も長寿命を示すとされており、通常は、この転動体の硬さと軌道輪の硬さの差で軸受が製造されている。下記非特許文献2では、転動体の硬さが軌道輪の硬さよりもHRCで1〜2高い場合、軸受稼働中に軌道輪の最大せん断応力深さに最適な残留圧縮応力が発生し、せん断応力を緩和することで破損を抑制するという理論が唱えられており、実験でも証明されている。この考え方は、軸受が良好な潤滑条件で使用された場合に、最大せん断応力位置近傍の非金属介在物から発生する内部起点型剥離に対するものであり、軸受の転がり疲労寿命は、昔から、この破損形態を基本に考えられている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【特許文献1】特開平4−194415号公報
【非特許文献】
【0004】
【非特許文献1】特殊鋼ガイド 社団法人特殊鋼クラブ P100
【非特許文献2】E.V.Zaretsky et.al, Transaction of ASEM, Journal of Lubrication Technology, January (1967)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
しかしながら、近年、機械の性能向上に伴い、荷重の増大や高速化など、軸受の使用環境がますます過酷になっており、前述したような従来の技術だけでは十分な寿命が得られず、更なる内部起点型剥離に対する長寿命化が望まれている。
本発明は、上記のような問題点に着目してなされたものであり、内部起点型剥離に対して長寿命な玉軸受を提供することを目的とするものである。
【課題を解決するための手段】
【0006】
近年、内部起点型剥離に対して、前述のように転動体の硬さと軌道輪の硬さの差を1〜2HRCとすることで、軌道輪内部の残留圧縮応力を最適にし、せん断応力を緩和するという考え方だけでなく、軌道輪と転動体との間に作用する接線力を低減することで、軌道輪内部の非金属介在物まわりに作用するせん断応力を小さくし、寿命を延長するという考え方がある。接線力に影響を及ぼす因子としては、滑り速度や面圧の他に、粗さや形状などの転動体の表面性状が挙げられ、各因子の値が小さくなるほど接線力は小さくなり、内部のせん断応力も低下する。
【0007】
しかし、滑り速度や面圧は軸受の形式や使用条件によって決定されるものであり、変更は制限される。従って、軌道輪と転動体との間に作用する接線力を小さくし、軌道輪内部のせん断応力を低下させるためには、転動体の表面粗さを向上させることが有効であり、初期の平均粗さをRaで0.01μm以下にすることが好ましい。また、表面粗さを向上させることに加え、軸受稼働中に転動体に生じてしまう線傷、摩耗、圧痕などによる表面性状の悪化を抑制することができれば、更に接線力を低減できると考えられる。
【0008】
そこで、本発明では、軌道輪の内部起点型剥離寿命を延長させるために、転動体の耐傷性、耐摩耗性、耐圧痕性(以下、表面性状安定性と記す)を向上させ、軸受稼働中の表面性状悪化を抑制し、軌道輪と転動体との間に作用する接線力を小さくすることで軌道輪の内部せん断応力を低下させることを目的とした。転動体の表面性状安定性を向上させるためには、転動体表面の降伏強度を向上することが有効であり、そのためには硬さだけでなく、他の材料因子も最適にすることが必要になる。
【0009】
ここで、転動体の表面性状を向上することで、転動体寿命だけではなく、軌道輪寿命が延長できる理由について述べる。一般に、剥離現象は周速の速い駆動側に比べて、周速の遅い従動側で生じやすいことが知られている。即ち、玉軸受の場合、剥離が生じる荷重負荷圏のHertz面圧が高い接触域中央部において、軌道輪が従動側であるため、軌道輪に剥離が生じやすいことになる。従って、転動体の初期表面粗さ、表面性状安定性を向上させることで、軌道輪の内部起点型剥離寿命を延長させることができると考えられる。
【0010】
また一方で、前述したように、内部起点型剥離は最大せん断応力位置近傍の非金属介在物を起点として発生することが知られている。材料中に含まれる介在物径が大きくなると応力集中が生じて介在物縁の応力が大きくなる。その場合、介在物が存在しなければ破損しないような小さな繰り返し応力が生じても、介在物周辺には応力集中によって大きな応力が作用することになり、介在物縁からき裂が発生する。一旦、き裂が発生すると、き裂先端は極めて大きな応力が作用するので、き裂は応力の繰り返しと共に進展し、最終的には剥離に至る。介在物縁に作用する応力の大きさは介在物径に依存するため、介在物径を小さくすると介在物近傍に作用する応力を小さくすることができる。また、軌道輪内部のき裂発生、進展を抑制する方法としては、軌道輪の最大せん断応力位置近傍の強度を高めることも有効である。以上より、軌道輪内部強度の向上及び介在物径の微細化により、玉軸受の内部起点型剥離寿命を延長させることが可能であると考えられる。
【0011】
そこで、本発明者等は転動体の表面性状安定性の向上による軌道輪内部せん断応力の低減と、軌道輪内部の介在物微細化による応力集中の緩和及び強度向上による内部き裂の発生・進展の抑制を組合せることで、軌道輪の内部起点型剥離寿命を飛躍的に延長させる玉軸受を発明した。
まず、前記知見に基づいた軌道輪の内部起点型剥離寿命延長方法として、転動体表面性状安定性を向上させ、軸受稼働中の転動体表面性状の悪化を抑制し、転動体・軌道輪間に作用する接線力を低下させ、軌道輪内部せん断応力低減させることを検討した。その結果、軸受稼働中の転動体表面性状悪化の原因となる線傷、摩耗、圧痕などの形成されやすさは転動体表面の引張強度ではなく、降伏強度が大きく関係しており、それには硬さだけでなく、組織(炭化物面積率、残留オーステナイト量)や残留圧縮応力などの材料因子も関係していることが明らかになった。
【0012】
また、極値統計により推定した推定面積S=30000mm2中の酸化物系最大介在物寸法√areamaxと軌道輪表面のHRC硬さとの関係をHRC≧0.2×√areamax+54とすることにより、材料強度が上がり、且つ材料中に含まれる酸化物系の介在物サイズが規定できるので、介在物起点の剥離寿命を延長することができた。
【0013】
従って、転動体表面の硬さ、組織、残留圧縮応力を最適にし、表面性状安定性を向上させ、軸受稼働中の転動体表面性状の悪化を抑制し、転動体・軌道輪間に作用する接線力を低下させることで、軌道輪の内部せん断応力を低減させ、更に軌道輪に存在する酸化物系介在物を微細化することによる応力集中の低減及び内部強度の向上によるき裂の発生・進展の抑制効果により、軌道輪の内部起点型剥離寿命を飛躍的に延長させた玉軸受を提供することが可能である。
【0014】
而して、本発明の玉軸受は、内周面に転動面を有する外方部材と、外周面に転動面を有する内方部材と、前記外方部材の転動面と内方部材の転動面との間に転動自在に配設された複数の転動体とを備えた玉軸受において、前記転動体が0.8mass%以上1.2mass%以下のCを含有する高炭素軸受鋼からなり、前記転動体の最表面から深さ50μmまでの極表層部の硬さが780HV以上920HV以下であり、前記転動体の極表層部の炭化物面積率が1%以上5%以下であり、前記転動体の極表層部の残留オーステナイト量が2vol.%以上10vol.%以下であり、前記転動体の極表層部の残留圧縮応力が500MPa以上1400MPa以下であることを特徴とするものである。
【0015】
また、前記外方部材及び内方部材のうちの少なくとも一方が0.8mass%以上のCを含有する高炭素軸受鋼から構成され、極値統計により推定した前記外方部材及び内方部材のうちの少なくとも一方の推定面積S=30000mm2中の酸化物系最大介在物寸法√areamaxと前記外方部材及び内方部材のうちの少なくとも一方の表面の硬さHRCとがHRC≧0.2×√areamax+54を満たすことを特徴とするものである。
【0016】
また、本発明の玉軸受の製造方法は、前記玉軸受の製造方法であって、前記転動体をボールピーニングした後、当該転動体の表面から深さ50μm以上70μm以下までの部分を研磨で除去することを特徴とするものである。
【発明の効果】
【0017】
而して、本発明の玉軸受によれば、転動体表面の硬さ、組織、残留圧縮応力を最適にすることで、表面性状安定性を向上させると共に、軸受稼働中の転動体表面性状の悪化を抑制し、転動体・軌道輪間に作用する接線力を低下させることで、軌道輪の内部せん断応力を低減させ、更に軌道輪に存在する酸化物系介在物を微細化して応力集中の低減及び内部強度の向上によるき裂の発生・進展を抑制することにより、軌道輪の内部起点型剥離寿命を飛躍的に延長することができる。
【図面の簡単な説明】
【0018】
【図1】本発明の玉軸受の一実施形態を示す縦断面図である。
【図2】応力−歪み曲線の模式図である。
【図3】転動体硬さと平均粗さの変化の関係を示す説明図である。
【図4】炭化物面積率と平均粗さの関係を示す説明図である。
【図5】残留圧縮応力と平均粗さの関係を示す説明図である。
【図6】酸化物系最大介在物寸法と軌道輪硬さの関係を示す説明図である。
【図7】転動体硬さと寿命比の関係を示す説明図である。
【発明を実施するための形態】
【0019】
次に、本発明の玉軸受の一実施形態について図面を参照しながら説明する。
図1は、本実施形態の玉軸受の縦断面図であり、例えば呼び番号6206で規定される単列ラジアル玉軸受である。図中の符号1は、内周面に軌道面を有する外方部材としての外輪、符号2は、外周面の軌道面を有する内方部材としての内輪、符号3は、外輪1の軌道面と内輪2の軌道面との間に配設された複数の転動体、符号4は、複数の転動体を保持する保持器である。
【0020】
次に、本実施形態で、軸受稼働中の転動体表面性状悪化の抑制に降伏応力が関係している理由について述べる。転動体の表面性状安定性には、転動体表面の降伏強度が大きく関係していると考えられる。線傷、圧痕などが形成されるということは、局部的に降伏点以上の応力が作用し、塑性変形したということである。即ち、降伏強度が上がると、作用する応力が降伏強度以上になる確率が小さくなるため、線傷や圧痕は発生しにくくなり、その大きさや深さも小さくなる。
【0021】
例えば、図2に応力−歪み曲線の模式図を示すが、線傷形成時にσcの応力が発生すると仮定すると、曲線aの場合はσYa>σcなので弾性変形し、線傷は形成されない。これに対し、曲線bの場合はσYb<σcとなるため、歪みεbだけ塑性変形し、線傷が形成されてしまう。即ち、引張応力は同じでも、降伏応力が高い曲線aの方が線傷や圧痕が少なく、表面性状の悪化も抑制されると考えられる。
【0022】
次に、転動体の極表層部硬さを780HV以上920HV以下とする理由について述べる。転動体硬さを内部起点型剥離寿命の関係を調査したところ、極表層部の硬さが寿命に大きく影響することが分かった。その理由は、寿命に関係する接戦力に影響を及ぼす線傷、摩耗、圧痕などは極表層部で生じるためであると考えられる。なお、後述の炭化物面積率、残留オーステナイト量、残留圧縮応力の範囲を極表層部で規定しているのも、前記と同じ理由である。また、極表層部とは、最表面から50μmの深さまでとした。
【0023】
軸受用の鋼球は、熱処理後、ポールピーニング処理が行われるため、極表層部から内部にかけて緩やかな硬さ勾配をもっている。一般に、HRC硬さは、負荷する荷重が大きく(1470N)、材料内部の情報までとるもので、HV硬さは、負荷荷重が小さく(0.098〜9.8N)、最表面の情報のみをとるものであり、鋼球のように表面から内部への硬さ勾配が存在する場合は、HRC硬さとHV硬さではっきりとした相関のないことが知られている。従来、最も長寿命であるとされていた硬さはHRC硬さで論じられているが、極表層部の硬さを出すには、硬さ測定の際、前述したように、ある程度の深さ位置まで情報をとるHRCは好ましくない。そこで、本実施形態では、転動体の最適硬さをHV硬さで整理することとした。一方、軌道輪の硬さの規定については、表面だけでなく内部も含めた強度として硬さを表したいので、ある程度の深さまで情報がとれるHRC硬さで整理した。
【0024】
硬さと降伏応力の関係は一般的に知られており、硬さが高いほど降伏応力は大きくなる。図3に、硬さを変化させた転動体を用い、試験軸受:呼び番号6206、荷重:13818N、回転数:3900min-1、潤滑油:VG68で100時間稼働させた前後の転動体表面粗さの差(ΔRa)を測定することで、硬さと表面性状安定性の関係を調査した結果を示す。図3より、転動体の極表層部の硬さが780HVより低くなると降伏応力が低下し、表面性状安定性が悪くなることが分かる。一方で、転動体の極表層部の硬さが920HVより高くなると、靭性が低下し、転動体が割れやすくなることが問題となる。そのため、転動体の極表層部の硬さは780HV以上920HV以下とする。
【0025】
次に、転動体の極表層部の炭化物面積率を1%以上5%以下とする理由について述べる。高炭素軸受鋼の場合、焼入れ処理によってマトリックスに固溶する炭素量が多いほど、炭素の固溶強化によって降伏応力が高くなる。一般に、マトリックスの固溶炭素量を正確に測定することは困難である。しかし、精錬時の炭素含有量(ベースカーボン量)が既知ならば、炭化物の面積率から固溶炭素量を推定することができると考えられる。即ち、焼入れ後の炭化物面積率が低いほど、マトリックスに固溶している炭素量が多いことを意味し、降伏応力が高く、表面性状安定性が高いことを示している。従って、本実施形態では、炭素の固溶量ではなく、炭化物の面積率を規定した。
【0026】
図4に、炭化物面積率と表面性状安定性の関係を示す。試験条件は、前記図3(硬さと表面性状安定性の関係)の試験と同様である。図4より、極表層部の炭化物面積率が5%を超えると、降伏強度が低下し、表面性状が悪化していることが分かる。一方で、炭化物がマトリックスに固溶しすぎると、靭性が劣化して割れやすくなることや、残留オーステナイトが生成されにくくなることが懸念される。そのため、本実施形態では、転動体の極表層部の炭化物面積率を1%以上5%以下と規定した。
【0027】
次に、転動体の極表層部の残留オーステナイト量(γR)を2vol.%以上10vol.%以下とする理由について述べる。軟らかい残留オーステナイト量が多いと、局所的に降伏応力が低くなるため、軸受稼働中に表面性状が悪化しやすくなる。また、残留オーステナイト量が多いほど、軸受稼働中に生じる残留オーステナイト−マルテンサイト変態による径変化が大きくなり、問題となる。そのため、本実施形態では、残留オーステナイト量を10vol.%以下と規定した。また、残留オーステナイト量を少なくすると、転動体自身の寿命にとって不利になってしまうため、2vol.%以上とした。
【0028】
次に、転動体の極表層部の残留圧縮応力(σR)を500MPa以上1400MPa以下とする理由について述べる。転動体の極表層部の残留圧縮応力が低いと、変形抵抗が小さくなるため、降伏応力は小さくなり、軸受稼働中に表面性状が悪化しやすくなる。図5に、残留圧縮応力と表面性状安定性の関係を示す。試験条件は、前記図3(硬さと表面性状安定性の関係)の試験と同様である。図5より、転動体の極表層部の残留圧縮応力が500MPaより小さくなると塑性変形抵抗が小さくなり、表面性状が悪化していることが分かる。一方、加工によって付与する圧縮残留応力が高すぎると、既に繰返し疲労を受けている状態になり、転がり疲労が進行しやすくなることが知られている。そのため、転動体の極表層部の残留圧縮応力を500MPa以上1400MPa以下とした。
【0029】
次に、0.8mass%以上1.2mass%以下のCを有する高炭素軸受鋼で転動体を構成する理由について述べる。C(炭素)はマトリックスに固溶してマルテンサイトを強化する元素であり、焼入れ焼戻し後の強度確保と疲労寿命を向上させるために不可欠である。一般に、炭素の含有量が0.8mass%未満では、こうした効果が得られにくい。一方で、炭素の含有量が1.2mass%を超えると、鋳造時に巨大炭化物が生成しやすく、加工性が悪くなることや、巨大炭化物が起点となって早期剥離することが懸念されるので、転動体のC含有量を0.8mass%以上1.2mass%以下の範囲で規定した。
【0030】
次に、玉軸受を構成する内外輪のうち、少なくとも一方を、0.8mass%以上のCを含有する高炭素軸受鋼で構成する理由について述べる。例えば、JISG4805に記載されるSUJ2又はSUJ3のように、0.8mass%以上のCを含有する高炭素軸受鋼は、適切な焼入れ・焼戻し処理を行うことにより、高硬度を得ることが可能であり、安定して長寿命化が達成されることから、内外輪のうち、少なくとも一方を、0.8mass%以上のCを含有する高炭素軸受鋼で構成することと規定した。
【0031】
次に、内外輪のうちの少なくとも一方が、極値統計により推定した推定面積S=30000mm2中の酸化物系最大介在物寸法√areamaxと表面の硬さHRCとの関係がHRC≧0.2×√areamax+54を満足する理由について述べる。本実施形態は、軌道輪の硬さを高めて強度を向上させ、内部き裂の発生・進展を抑制させることで内部起点型剥離寿命を延長させることを特徴としている。しかし、いくら軌道輪のHRC硬さを高めて強度を向上させても、材料中に含まれる酸化物系介在物が大きい場合には、顕著な寿命延長効果は得られない。そこで、酸化物系介在物の大きさも規定した。
【0032】
軌道輪の介在物径とHRC硬さの関係を規定するため、スラスト転がり寿命試験を行った。軌道輪を模擬した試験片はフラットワッシャー型とし、アキシャル荷重:Fa=7448N、回転数:n=1000min-1、潤滑油:VG68の条件で試験を行った。試験は、後述する各試験片10個ずつ行い、そのL10寿命を読取り、最も短寿命となったものとの寿命比を夫々算出した。下記表1には使用した試験片の硬さを介在物径、寿命比を示す。また、図6には、軌道輪のHRC硬さと酸化物系の介在物径の関係を示す。
【0033】
【表1】

【0034】
表1、図6より、HRC≧0.2×√areamax+54の範囲内(斜線部)と範囲外で寿命比の値が大きく異なっていることが分かる。即ち、規定値範囲内では、酸化物系介在物の微細化による応力集中の低減及び内部強度の向上によるき裂の発生・進展の抑制効果によって内部起点型剥離寿命が延長できる。このため、極値統計により推定した内外輪のうち少なくとも一方の推定面積S=30000mm2中の酸化物系最大介在物寸法√areamaxと内外輪のうちの少なくとも一方の表面の硬さHRCとの関係がHRC≧0.2×√areamax+54を満足すると規定した。
【0035】
以上より、本実施形態は、転動体の極表層部硬さが780HV以上920HV以下、且つ炭化物面積率が1%以上5%以下、且つ残留オーステナイト量が2vol.%以上10vol.%以下、且つ残留圧縮応力が500MPa以上1400MPa以下であり、軌道輪がHRC≧0.2×√areamax+54という関係を満足することを特徴とする。以下に、夫々の品質を得るための具体的な手法を示す。
【0036】
まず、転動体の極表層部を、硬さ780HV以上920HV以下、炭化物面積率1%以上5%以下、残留オーステナイト量を10vol.%以下にする手法について説明する。
一般に、高炭素鋼の硬さを高める方法として、熱処理を変化させる方法が知られている。熱処理によって硬さを変化させる方法は、焼入れ温度を高くして固溶炭素量を増加させる方法と、焼戻し温度を低くして歪み(転位)の開放の緩和を抑制する方法がある。これらの方法を夫々単独で行うよりも、焼入れ温度の上昇と焼戻し温度の低下を組合せることで、転動体の硬さを大幅に高くすることができる。
【0037】
従って、本実施形態では、この関係を用いて、転動体の焼入れ温度を通常処理温度:800〜850℃より20〜40℃高くし、焼戻し温度を通常処理温度:150〜170℃より20〜40℃低くすることで、転動体硬さを780HV以上920HV以下にすることを可能とした。更に、前記熱処理により、マトリックスへの炭素固溶量を増加させ、炭化物面積率を5%以下にし、残留オーステナイト量も10vol.%以下に制御することができた。また、より高品質を得るために、水焼入れや、焼入れ後にサブゼロ処理を施す方法を用いてもよい。ここで、前記温度範囲としたのは、焼入れ温度を40℃以上高くすると炭化物面積率が1%未満になり、固溶炭素が多くなりすぎることで、靭性が急激に低下する恐れがあり、また焼戻し温度を40℃以上低下させると、残留オーステナイト量が多くなりすぎ、大幅な寸法安定性の悪化が懸念されるためである。
【0038】
次に、転動体の極表層部の圧縮残留応力(σR)を500MPa以上1400MPa以下にする手法について述べる。本実施形態では、転動体表層部の残留圧縮応力を高くする方法として、ボールピーニング処理(以下、BPとも記す)後に表面から50μm以上70μm以下の深さ部分を研磨で除去する工程を有している。
【0039】
鋼球に圧縮残留応力を付与させる方法として、特公平1−12812号公報に記載の空気噴射法ピーニングなどが存在するが、一般的には熱処理後、BPを施す手法が用いられる。付与させる圧縮残留応力を大きくするには、BPの処理時間を長くすることや、重量を少なくすることが効果的である。しかし、鋼球はBPが施されることによって、内部に最大圧縮残留応力が発生する場合が多い。従って、転動体の極表層部は圧縮残留応力が低いため、表面性状安定性を向上させるには効果的でない。つまり、転動体の表面性状安定性を向上させ、軌道輪の内部起点型剥離寿命を延長させるには、転動体の極表層部に最大の残留圧縮応力を作用させればよい。そこで、BPの後に、表面から50μm以上70μm以下の深さ部分を研磨によって除去することとした。即ち、BPで生じた表面付近の圧縮残留応力の低い部分を研磨で除去することにより、転動体表面に高い圧縮残留応力を作用させ、500MPa以上1400MPa以下にすることが可能となった。
【0040】
次に、内外輪のうち、少なくとも一方において、極値統計により推定した推定面積S=30000mm2中の酸化物系最大介在物寸法√areamaxと表面の硬さHRCとの関係がHRC≧0.2×√areamax+54を満足させる手法について述べる。
介在物の種類で最も内部起点型剥離寿命に影響を及ぼすのはアルミナなどの酸化物系介在物であり、その径を小さくするには、鋼中酸素量を少なくすることが有効である。従って、精錬時に鋼中酸素量を少なく(好ましくは10ppm以下)することで、HRC≧0.2×√areamax+54を満足する介在物径を得ることができた。
【0041】
また、本実施形態では、介在物の大きさを評価する方法として極値統計法を用いた。極値統計とは、ある一定の面積中にどれだけ大きい介在物が出現し得るかを精度よく予想できる手法であり、この値が大きいほど巨大な介在物が出現する頻度が高く、清浄度が悪いということを示している。極値統計の具体的な方法を以下に示す。
【0042】
1)軸受を製造するための鋼材より、被検面積S0=10mm×10mm(100mm2)を30個切出し、鏡面に仕上げる。
2)被検面積S0中で最大の面積を占める介在物を選び、その面積の平方根√areamaxを測定する。
3)この測定を30個繰り返し、測定した30個の√areamaxを小さい順に並べ、√areamaxj(j=1〜30)とする。
4)基準化変数:yj=−ln(−ln(j・(n+1)))を計算する。
5)横軸に√areamaxをとり、縦軸にyjをとってプロットし、√areamax=a×y+bのa、bの値を最小二乗法によって求める。
6)本実施形態では、推定面積S=30000mm2あたりの最大介在物寸法を求めるので、再帰期間:T、基準化変数:yを計算する。
再帰期間:T=(S+S0)/S0=301
基準化変数:y=−ln(−ln((T−1)/T))=5.705
7)y=5.705のときの√areamaxを求める。
上記のようにして求めた値が推定面積S=30000mm2に含まれると予想される最大の介在物径となる。
【0043】
本実施形態の効果を確認するため、以下の実験で性能を評価した。
実施例の素材にはSUJ2を用い、転動体の焼入れ温度を通常処理温度:800〜850℃より20〜40℃高くし、焼戻し温度を通常処理温度:150〜170℃より20〜40℃低くした条件で熱処理した後、BPを行い、表面から50〜70μmの深さ部分を研磨で除去して転動体を製造した。また、軌道輪には、下記表2に示すような、鋼中酸素量を低減して、酸化物系介在物径を小さくし、更に硬さを向上させ、HRC≧0.2×√areamax+54を満足するもの(表2:I)、酸化物系介在物径が大きく、硬さも低いHRC≧0.2×√areamax+54を満足しないもの(表2:II)を使用して寿命試験を行った。
【0044】
【表2】

【0045】
試験は、単列ラジアル玉軸受呼び番号6206を用い、ラジアル荷重:Fr=13818N、回転数:n=3900min-1、潤滑油:VG68の条件で行った。試験は、各試験片10個ずつ行い、そのL10寿命を読取り、最も短寿命となったものとの寿命比を夫々算出した。その結果を、下記表3、図7に示す。ここで、図7は、最も短寿命となったものとの寿命比を縦軸として整理した。
【0046】
【表3】

【0047】
表3、図6より、転動体極表層部の炭化物面積率、残留オーステナイト量、残留圧縮応力の全てが本実施形態の規定下限外となる780HV未満では、軌道輪品質I、IIの双方であまり寿命が変化しないが、前記品質全てが規定内となる780HV以上になると著しく内部起点型寿命の延長していることが分かった。この結果は、780HV未満では転動体表面性状安定性が悪く、軸受稼働中に線傷や圧痕などを形成してしまい、軌道輪と転動体との間に大きな接線力を作用させてしまったために短寿命となり、逆に780HV以上では表面性状安定性の向上によって接線力を低下させたことにより長寿命となったと考えられる。
【0048】
一方で、転動体極表層部の炭化物面積率、残留オーステナイト量、残留圧縮応力の全てが本実施形態の規定上限外となる920HV超えでは、短寿命となった。これは、著しい硬さの向上及び炭素含有量の増加による靭性の低下や残留圧縮応力の増加による疲労の増加によって、転動体自身が破損したことが原因であると考えられる。また、表3より、硬さ、組織、残留圧縮応力という因子の少なくとも1つの因子を満足している場合は、全て満足している場合と比較して寿命比は劣るが、全て満足しない場合よりも大幅に寿命延長できることを確認した。
【0049】
更に、図7より、780HV以上920HV以下の領域で、転動体の品質は同じでも、軌道輪がHRC≧0.2×√areamaxを満足しない場合(II)に比べ、満足する場合(I)は飛躍的に長寿命となることが確認できた。これは、軌道輪内部に存在する酸化物系介在物を微細化して応力集中を低減させたことと、内部強度を向上させてき裂の発生/進展を抑制させることができたためであると考えられる。
【0050】
以上の結果から、転動体の極表層部硬さを780HV以上920HV以下、且つ炭化物面積率を1%以上5%以下、且つ残留オーステナイト量を2vol.%以上10vol.%以下、且つ残留圧縮応力を500MPa以上1400MPa以下とすることで、転動体の表面性状安定性を向上させ、転動体表面性状の悪化を抑制し、軌道輪に作用する接線力を小さくして内部せん断応力を低下させることによって、軌道輪の内部起点型剥離寿命を延長させることができた。
【0051】
更に、前記転動体を、HRC≧0.2×√areamaxという関係を満足する軌道輪に組み込むことで、一段と軸受寿命を向上させることができた。
【符号の説明】
【0052】
1は外輪(外方部材)
2は内輪(内方部材)
3は転動体
4は保持器

【特許請求の範囲】
【請求項1】
内周面に転動面を有する外方部材と、外周面に転動面を有する内方部材と、前記外方部材の転動面と内方部材の転動面との間に転動自在に配設された複数の転動体とを備えた玉軸受において、前記転動体が0.8mass%以上1.2mass%以下のCを含有する高炭素軸受鋼からなり、前記転動体の最表面から深さ50μmまでの極表層部の硬さが780HV以上920HV以下であり、前記転動体の極表層部の炭化物面積率が1%以上5%以下であり、前記転動体の極表層部の残留オーステナイト量が2vol.%以上10vol.%以下であり、前記転動体の極表層部の残留圧縮応力が500MPa以上1400MPa以下であることを特徴とする玉軸受。
【請求項2】
前記外方部材及び内方部材のうちの少なくとも一方が0.8mass%以上のCを含有する高炭素軸受鋼から構成され、極値統計により推定した前記外方部材及び内方部材のうちの少なくとも一方の推定面積S=30000mm2中の酸化物系最大介在物寸法√areamaxと前記外方部材及び内方部材のうちの少なくとも一方の表面の硬さHRCとが
HRC≧0.2×√areamax+54
を満たすことを特徴とする請求項1に記載の玉軸受。
【請求項3】
前記請求項1又は2に記載の玉軸受の製造方法であって、前記転動体をボールピーニングした後、当該転動体の表面から深さ50μm以上70μm以下までの部分を研磨で除去することを特徴とする玉軸受の製造方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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