説明

生体リズム予測方法

【課題】被検個体からの生体試料の採取回数を最小限にして、高い精度で生体リズムを予測できる方法の提供。
【解決手段】被検個体から24時間以内に3回採取した生体試料について、発現量変化の概日周期の位相が異なる2つの時計遺伝子の発現量を測定し、得られた時系列発現量データに基づいて、被検個体の生体リズムを予測する方法を提供する。この生体リズム予測方法では、被検個体から24時間以内に8時間間隔で3回生体試料を採取することにより、特に高精度に生体リズムの予測を行うことができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、被検個体の生体リズムを予測する方法に関する。より詳しくは、被検個体からの生体試料の採取を24時間以内に3回のみ行うことで生体リズムを予測する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
生物個体の様々な生体現象は、自立的に振動する「周期的なリズム」を示すことが知られている。この周期的なリズムは「生体リズム」と呼ばれている。特に、約一日を周期とする「概日リズム(サーカディアンリズム)」は、睡眠覚醒サイクルや体温、血圧、ホルモン分泌量の日内変動などの生体現象を広く支配していることが知られている。また、概日リズムは、心身の活動度や運動能力、薬剤感受性などにも関与している。
【0003】
生体リズムは、「時計遺伝子(クロックジーン)」と呼ばれる遺伝子群によって制御されている。時計遺伝子は、その発現や活性、局在等を自律的に周期変動(振動)させることにより「体内時計」として機能している。
【0004】
時計遺伝子の遺伝子多型や遺伝子変異は、癌や糖尿病、血管系疾患、神経変性疾患などの発症要因となることが明らかにされている。さらに、近年、双極性障害や鬱病のような精神疾患についても、時計遺伝子の遺伝子多型や変異が発症に関与していることが指摘されている。
【0005】
一方、生体リズムは、体内時計による自律的な制御だけでなく、社会生活による制約も受けている。例えば、睡眠覚醒サイクルでは、日々の就寝時刻や起床時刻の変化によって、「実生活の就寝起床サイクル」と「体内時計による睡眠覚醒サイクル」との間にリズムのずれ(位相のずれ)が生じる場合がある。
【0006】
このような生体リズムのずれは、いわゆる「時差ぼけ」や睡眠障害を引き起こし、さらには上述のような精神疾患の原因ともなると考えられている。これらの疾患を治療するため、変調した体内時計を光照射によってリセットする試みもなされ始めている。
【0007】
また、生体リズムを利用して、薬剤治療効果の最大化を図る試みも始まっている。薬剤の標的となる分子(薬剤標的分子)の発現量や薬剤を代謝する酵素(薬物代謝酵素)の活性の概日リズムに起因して、薬剤による治療効果も日内変動することが考えられる。そこで、薬剤ごとに最適な投薬時刻を定めて、治療効果を最大化しようとする「時間医療」という考え方が提唱されてきている。
【0008】
さらに、より身近には、心身の活動度や運動能力の概日リズムを利用して、学習やトレーニングにおいて自己の能力を最大限に引き出すための活動時刻や、太りにくい(又は、太りやすい)摂食時刻が検討され始めている。
【0009】
以上のことから、生体リズムを正確に評価することは、時差ぼけなどの体調不良の改善、種々の疾患の予防、時間医療の実現、自己能力の発揮、ダイエットなどに非常に有益と考えられる。
【0010】
特許文献1には、生物個体から採取した標準検体の遺伝子発現産物量測定データに基づき体内時刻を推定する方法などが開示されている。この体内時刻推定方法では、遺伝子発現産物量(すなわち、mRNA)の発現量に基づいて、体内時刻を推定するための分子時計表を作成するものである。
【特許文献1】国際公開第2004/012128号
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0011】
上記特許文献1には、具体的な測定対象遺伝子は記載されていないが、従来、時計遺伝子を測定対象として、その経時的な発現量変化に基づいて生体リズムを推定することが行われている。
【0012】
しかし、時計遺伝子の経時的な発現量変化を測定するためには、被検個体から継続的に生体試料を採取することが必要とされていた。すなわち、精度良く生体リズムの推定を行うためには、24時間にわたって数時間おきに被検個体から生体試料を採取し、時計遺伝子発現量の時系列データを得る必要があった。
【0013】
このように一日に何回も生体試料の採取を行うことは、被検者(被検個体)にとって大きな負担となる。また、夜中に被検者を起こして生体試料の採取を行うこともあり、これによって被検者の睡眠覚醒サイクルが影響を受け、生体リズムそのものが変化してしまうおそれもあった。
【0014】
生体試料の採取のための被検者の負担を軽減することは、時差ぼけなどの体調不良の改善や種々の疾患の予防等を目的とした生体リズムの評価を広く普及させるための重要な課題と考えられる。
【0015】
そこで、本発明は、被検個体からの生体試料の採取回数を最小限にして、高い精度で生体リズムを予測できる方法を提供することを主な目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0016】
上記課題解決のため、本発明は、被検個体から24時間以内に3回採取した生体試料について、発現量変化の概日周期の位相が異なる2つの時計遺伝子の発現量を測定し、得られた時系列発現量データに基づいて、被検個体の生体リズムを予測する方法を提供する。
この生体リズム予測方法は、より具体的には、以下の手順を含む。
(1)被検個体から生体試料を24時間以内に3回採取する手順、
(2)発現量変化の概日周期の位相が異なる2つの時計遺伝子について、生体試料中の発現量を測定する手順、
(3)前記(1)及び(2)の手順で得られた時系列発現量データから、前記概日周期を算出する手順。
発現量変化の概日周期の位相が異なる2つの時計遺伝子を測定対象とすることにより、被検個体からの生体試料の採取回数を24時間以内に3回のみとできる。
この生体リズム予測方法では、前記(3)の手順において、前記時系列発現量データから下記式(I)及び式(II)によって前記概日周期の算出を行う。
【数3】

【数4】

(式(I)中、Ea(t)、Aa、ω、C aは、一の時計遺伝子の時刻tにおける発現量、振幅、初期位相、オフセット値を示す。また、式(II)中、Eb(t)、Ab、C bは、他の時計遺伝子の時刻tにおける発現量、振幅、オフセット値を示す。さらに、θは両時計遺伝子の位相差を示す。)
この生体リズム予測方法では、時系列発現量データをコサインフィッティングして得たコサインカーブから、1時間毎の発現量変化を示すモデルデータを算出し、このモデルデータから抽出された任意の3点の時刻と該時刻における発現量と、上記式(I)及び式(II)とから、3点サンプリングデータを算出し、前記モデルデータと3点サンプリングデータとの間で、発現量の最大値を与える時刻の時間差を算出し、該時間差の平均値が0.6未満であり、標準誤差が0.4未満である3点の時刻を算出し、この3点の時刻を採取時刻として24時間以内に3回生体試料の採取を行うことが好適となる。特に、被検個体から24時間以内に8時間間隔で3回生体試料を採取することにより、高精度に生体リズムの予測を行うことができる。
この生体リズム予測方法において、前記時計遺伝子は、Per3遺伝子及びNr1d2遺伝子とすることができる。
【0017】
一般に「位相」とは、周期的な変動における山や谷といった点の位置・状態をひとつの周期の中に特徴付ける量をいう。時計遺伝子の発現量変化の概日周期は、おおむね下記式(III)で示される余弦波関数として観測することができる。ここで、式中、E(t)は時刻tにおける時計遺伝子の発現量、Aは発現量の振幅、Cはオフセット値を表している。
【0018】
【数5】

【0019】
本発明において「位相」とは、この式(III)のコサインの中を意味するものとし、具体的には式(III)の「2π(t+ω)/24」を指すものとする。また「初期位相」とは、時刻t=0における位相を決定する「ω」を指すものとする。さらに「位相差」とは、時計遺伝子間での初期位相ωの差を指す。
【発明の効果】
【0020】
本発明により、被検個体からの生体試料の採取回数を最小限にして、高い精度で生体リズムを予測可能な方法が提供される。
【発明を実施するための最良の形態】
【0021】
1.生体リズム予測方法
本発明者らは、複数の時計遺伝子間での発現量変化周期のずれを利用して生体リズムの予測を行うことで、被検個体からの生体試料の採取回数を少なくできるのではないかと考え、検討を行った。そして、発現量変化の概日周期の位相が異なる2つの時計遺伝子を測定対象とすることにより、被検個体からの生体試料の採取を24時間以内に3回行うのみで、高い精度で生体リズムを予測できることを見出した。すなわち、本発明に係る生体リズム予測方法は、被検個体から24時間以内に3回採取した生体試料について、発現量変化の概日周期の位相が異なる2つの時計遺伝子の発現量を測定し、得られた時系列発現量データに基づいて、被検個体の生体リズムを予測するものである。
【0022】
2つの時計遺伝子a, bが、異なる発現量変化の概日周期の位相を有する場合、その位相差を「θ」とすると、各時計遺伝子の発現量変化の概日周期はそれぞれ下記コサインカーブ式(I)及び(II)によってモデル化することができる。
【0023】
【数6】

【0024】
【数7】

【0025】
ここで、式(I)中、Ea(t)、Aa、ω、Caは、時計遺伝子aの時刻tにおける発現量、振幅、初期位相、オフセット値を示す。また、式(II)中、Ea(t)、Ab、Cbは、時計遺伝子bの時刻tにおける発現量、振幅、オフセット値を示している。
【0026】
時計遺伝子a, bの位相差θが既知である場合、上記コサインカーブ式(I)及び(II)は、5つの未知の定数(ω、Aa、Ab、Ca、Cb)を含む式となる。被検個体から時刻tに採取した生体試料中について、時計遺伝子a, bの発現量Ea(t), Ea(t)を測定することにより、コサインカーブ式(I)及び(II)から2つの等式を得ることができる。従って、このモデルを用いることにより、異なる3つの時刻tに生体試料の採取(サンプリング)を行って、コサインカーブ式(I)及び(II)から6つの等式を得れば、時計遺伝子a, bの発現量変化の概日周期を算出することが可能となる。
【0027】
数学的には5つの未知数を明らかにするには5つの等式があれば足りる。ここでは、位相差θが既知である時計遺伝子a, bを用いて、発現量変化の概日周期を上記コサインカーブ式(I)及び(II)によりモデル化したことによって、6つの等式に基づき5つの未知数を算出する。すなわち、時計遺伝子a, bの位相差θを制約条件とすることで、未知数ω、Aa、Ab、Ca、Cbをより正確に求めることを可能にしている。これにより、一般に正確な評価を行うことが難しい生体現象である時計遺伝子発現量の概日周期を高精度に算出することが可能となる。
【0028】
この生体リズム予測方法は、より具体的には、(1)被検個体から生体試料を24時間以内に3回採取する手順と、(2)発現量変化の概日周期の位相が異なる2つの時計遺伝子について、生体試料中の発現量を測定する手順と、(3)これらの手順で得られた時系列発現量データから、各時計遺伝子の発現量変化の概日周期を算出する手順と、を含む。
【0029】
本発明に係る生体リズム予測方法において、対象とする被検個体には、ヒトの他、マウス・ラット・サル等の実験動物などが広く含まれる。
【0030】
2.生体試料の採取
被検個体から採取する生体試料は、時計遺伝子の遺伝子発現産物(mRNA)が含まれる生体組織であれば特に限定されない。採取作業の簡便さの観点からは、毛髪や口腔粘膜、皮膚等の体表面からの採取が可能な生体組織とすることが好ましい。
【0031】
毛髪のサンプリングは抜去により行うことができる。抜去された毛髪の毛根部には、毛包細胞が付着しており、この細胞中の時計遺伝子mRNAを測定できる。ここで、「毛包細胞」とは、抜去された体毛の毛根部に付着する内毛根鞘(inner root sheath)、外毛根鞘(outer root sheath)及び毛乳頭(papilla)を形成する細胞群がいうものとする。
【0032】
毛髪のサンプリング部位は、例えばヒトを対象とする場合、頭髪や髭、腕や足の毛などを用いることができ、特に限定されない。測定のばらつきを抑えるため、各回の採取は近傍の部位で行なうことが望ましい。
【0033】
一回にサンプリングする毛髪の本数は、ヒトの場合、頭髪では5〜10本、髭では3〜5本、腕毛では10〜20本程度である。この本数以上を使用することで、時計遺伝子の発現定量のために十分な量のmRNAを抽出することができる。
【0034】
口腔粘膜のサンプリングは、例えば、ブラシやスパーテル等で口腔粘膜表面から掻き取ることによって行うことができる。これにより、掻き取られた口腔粘膜細胞中の時計遺伝子mRNAを測定できる。
【0035】
口腔粘膜のサンプリング部位は、頬の裏側の粘膜が好適であり、測定のばらつきを抑えるため左右両側の粘膜から採取することが望ましい。
【0036】
本発明者らは、高精度の生体リズムの予測を可能にするため、3回のサンプリング時刻の時間間隔について検討を行った。その結果、被検個体から24時間以内に8時間間隔で3回生体試料を採取することにより、高い精度でできることを見出した(実施例2参照)。
【0037】
すなわち、本発明に係る生体リズム予測方法では、第1回目と第2回目のサンプリング時刻との時間間隔と、第2回目と第3回目のサンプリング時刻との時間間隔と、がともに8時間となるように3回のサンプリングを行うことで、最も高精度に生体リズムを予測することができる。
【0038】
3.発現量の測定
生体試料中の時計遺伝子の発現量は、従来公知の方法によって測定することができる。例えば、市販のRNA抽出キットを使用して生体試料からRNAを抽出し、抽出したRNAを鋳型とした逆転写反応によってcDNAを合成する。そして、このcDNAを用いてDNAマイクロアレイ(DNAチップ)のような網羅的解析手法や、リアルタイムPCRのような個別的解析手法によって、発現量の定量を行う。
【0039】
測定を行う時計遺伝子は、現在までに同定されている一群の時計遺伝子であってよい。代表的な時計遺伝子としては、Per3遺伝子(NCBI Accession No. NM_016831)、Per2遺伝子(NM_022817)、Bmal1遺伝子(NM_001030272)、Npas2遺伝子(NM_002518)、Nr1d2遺伝子(NM_021724)、Nr1d2遺伝子(NM_005126)、Dbp遺伝子(NM_001352)、Cry1遺伝子(NM_004075)等がある。
【0040】
本発明に係る生体リズム予測方法では、これらの時計遺伝子のうち、発現量変化の日内変動の位相が異なる2つの遺伝子について発現量を測定し、時系列発現量データを得る。なお、ヒト以外を対象生物とする場合には、上記ヒト時計遺伝子の対象生物におけるホモログ(相同遺伝子)について発現量の測定を行う。
【0041】
選択される2つの時計遺伝子は、発現量変化の日内変動の位相が異なれば、任意の組合せとできる。選択された任意の2つの時計遺伝子の発現量変化の日内変動の位相は、例えば実施例1において後述する方法によって決定することができる。
【0042】
好適な2つの時計遺伝子の組合せには、Per3遺伝子とNr1d2遺伝子を用いることができる。Per3遺伝子とNr1d2遺伝子は、生体試料中に安定して発現し、発現量の日内変動(振幅)が大きい。そのため、これらの時系列発現量データから、Per3遺伝子とNr1d2遺伝子の発現量変化の概日周期を算出することで、生体リズムを正確に予測することができる。
【0043】
4.概日周期の算出
時計遺伝子の発現量変化の概日周期の算出は、遺伝子発現量の経時的変化を示す時系列発現量データから、下記式(I)及び式(II)によって算出する。
【数8】

【数9】

【0044】
ここで、式(I)中、Ea(t)、Aa、ω、Caは、時計遺伝子aの時刻tにおける発現量、振幅、初期位相、オフセット値を示す。また、式(II)中、Ea(t)、Ab、Cbは、時計遺伝子bの時刻tにおける発現量、振幅、オフセット値を示している。さらに、θは両時計遺伝子の位相差を示す。
【0045】
3回のサンプリングで得られた2つの時計遺伝子の時系列発現量データから、上記式(I)及び(II)により6つの等式を得ることができる。この6つの等式から、共役勾配法等によって5つの未知数ω、Aa、Ab、C a、Cbを求める。これにより、被検個体の生体リズムを反映した、時計遺伝子の発現量変化の概日周期を算出することができる。
【0046】
以上のように、本発明に係る生体リズム予測方法では、発現量変化の概日周期の位相が異なる2つの時計遺伝子について、3点サンプリングによって発現量の測定を行うことによって、発現量変化の概日周期を高精度に算出して、被検個体の生体リズムを予測することが可能である。
【0047】
被検個体からの生体試料の採取を24時間以内に3回のみとすることで、生体試料の採取のための被検者の負担を軽減することができる。さらに、3点サンプリングを8時間間隔で行うことで、被検者が起きている時間帯のみに生体試料を採取することができるため、被検者の睡眠覚醒サイクルに影響を与えず、正確な生体リズムの予測を行うことが可能となる。
【実施例1】
【0048】
1.Per3遺伝子とNr1d2遺伝子の位相差の決定
本実施例では、発現量変化の概日周期の位相が異なる2つの時計遺伝子として、Per3遺伝子(以下、単に「Per3」という)とNr1d2遺伝子(以下、「Nr1d2」という)を選択し、両遺伝子の発現量変化の概日周期の位相差を決定した。
【0049】
20〜50歳までの男女15人から頭髪を採取した。毛包細胞が付着した毛根部を素早く細胞溶解バッファー(RNeasy Microkit: QIAGEN)に浸すことにより、細胞溶解液を調製した。毛髪の採取は3〜4時間間隔で行い、各採取時刻において5〜20本を採取した。
【0050】
細胞溶解バッファーに添付のプロトコールに従って、-70℃で保存しておいた細胞溶解液からトータルRNAを抽出し、逆転写反応を行なった。逆転写産物の1/20量を用いてリアルタイムPCRを行い、Per3及びNr1d2の発現量を定量した。リアルタイムPCRは、SYBR Green(ABI)又はTaqMan MGB probe(ABI)を用いて、PRISM7300(ABI)により行った。Per3及びNr1d2の発現量は、内部標準とした18S-rRNAの発現量によって補正を行い、時系列発現量データとした。
【0051】
得られた時系列発現量データに、24時間周期の下記コサインカーブ式(IV)を、非線形最小二乗法によりコサインフィッティングして、Per3とNr1d2の発現量変化の概日周期の位相差を求めた。
【0052】
【数10】

(式中、E(t)は時刻tにおける発現量、Aは発現量の振幅、ωは初期位相、Cはオフセット値を示す)。
【0053】
結果を図1に示す。図は、コサインフィッティングを行った後のコサインカーブ式(IV)において、最大の発現量E(t)を与える時刻tをプロットしたものである。Per3の発現量E(t)が最大値となる時刻tをX軸に、Nr1d2の発現量E(t)が最大値となる時刻tをY軸にプロットしている。
【0054】
図1に示されるように、15名の被検者について、Per3の発現量E(t)が最大値となる時刻tは、0時〜12時まで広く散らばっていた。同様に、Nr1d2についても最大の発現量E(t)を与える時刻tは、0時〜12時まで広く散らばっていた。
【0055】
しかし、Per3の発現量E(t)が最大値となる時刻tと、Nr1d2の発現量E(t)が最大値となる時刻tとの時間差(位相差)は、各被検者において2時間に近い値を示した。図1中、Per3とNr1d2の位相差が2時間である場合のプロット位置を点線で示す。
【0056】
15名の被検者について得られたPer3とNr1d2との位相差の平均値と標準偏差は、それぞれ2.3、0.8であった。この位相差(以下、「位相差θ」という)を用いて、Per3とNr1d2の発現量変化の概日周期を、それぞれ下記コサインカーブ式(V)及び式(VI)でモデル化した。
【0057】
【数11】

(式中、Eper3(t)は時刻tにおけるPer3発現量、Aper3は発現量の振幅、ω はPer3の初期位相、Cper3はオフセット値を示す)
【0058】
【数12】

(式中、Enr1d2(t)は時刻tにおけるNr1d2発現量、Anr1d2は発現量の振幅、θはPer3とNr1d2の発現量変化の概日周期の位相差、Cnr1d2はオフセット値を示す)
【実施例2】
【0059】
2.サンプリング時間間隔の検討
上記コサインカーブ式(V)及び式(VI)を用いれば、最少で3回のサンプリングでPer3又はNr1d2の発現量変化の概日周期を算出して、被検者の生体リズムを推定することが可能である。そこで、本実施例では、3回のサンプリング時刻の時間間隔について、最も高精度に生体リズムを推定することができる時間間隔を決定した。3回のサンプリングは24時間以内に行うものとし、想定される全てのサンプリング時間間隔(276通り)について検討を行った。
【0060】
まず、実施例1において、Per3及びNr1d2の時系列発現量データに対し、コサインフィッティングを行って得られたコサインカーブ式(IV)から、両遺伝子の1時間毎の発現量変化を算出した。そして、算出された1時間毎の発現量変化を示すモデルデータから、任意の3点の時刻tとその時刻における発現量V(t)を3点サンプリングデータとして抽出した。
【0061】
この任意の3点の時刻tとその時刻における発現量v(t)を、式(V)及び式(VI)に代入し、発現量の振幅Aper3・Anr1d2、Per3の初期位相ω、オフセット値Cper3・Cnr1d2を共役勾配法によって求めた。
【0062】
共役勾配法は、以下の手順により行った。すなわち、まず、式(V)及び式(VI)に代入された発現量v(t)と、1時間毎の発現量変化を示すモデルデータの発現量E(t)と、の平方和dを、3点サンプリングデータとモデルデータとの距離として下記式(VII)により定義した。
【0063】
【数13】

【0064】
そして、この距離dが最小になるような振幅Aper3・Anr1d2、初期位相ω、オフセット値Cper3・Cnr1dを共役勾配法により求めた。なお、これらの未知定数は、非線形最小二乗法によって求めようとした場合、距離dが最小値に収束せず、求めることができなかった。
【0065】
ここで、共役勾配法を適用する際、未知定数の初期値は求まる定数に大きく影響する。従って、適切な初期値を設定しないと、距離dが局所的な極値に落ちてしまい、本来の概日周期を得ることができない。
【0066】
そこで、ここでは、振幅Aper3・Anr1d2の適切な初期値として、1時間毎の発現量変化を示すモデルデータの振幅Aの平均値を設定した。また、オフセット値Cper3・Cnr1d2には、3点サンプリングデータの平均値を初期値として設定した。なお、モデルデータの振幅Aは、Per3の振幅Aper3が0.8014513、Nr1d2の振幅Anr1d2が0.6402411であった。
【0067】
さらに、Per3の初期位相ωは、演算解析を容易にするため、0から23までの整数に限定した。そして、0から23までの整数をひとつずつ初期値として与えて共役勾配法を適用し、最小の距離dを与え得る初期位相ωを求めた。
【0068】
以上のようにして、発現量の振幅Aper3、Per3の初期位相ω、オフセット値Cper3を求めた式(V)において発現量v(t)の最大値を与える時刻tと、モデルデータにおいて発現量v(t)の最大値を与える時刻との時刻差を求めた。そして、この時刻差が最小となるようなサンプリング時刻の時間間隔を検討した。
【0069】
0時から23時までの1時間おきのすべての時刻を第1回目のサンプリング時刻として設定した。そして、この第1回目のサンプリングから、24時間以内に第2回目及び第3回目のサンプリングが終了するような3回のサンプリング時刻の時間間隔の組み合せ(276通り)について検討を行った。全ての時間間隔の組み合わせについて、上記時刻差の平均値と標準誤差を求めた。標準誤差は、そのサンプリング時間間隔で算出される概日周期が、どの程度第1回目のサンプリング時刻に依存するかを示す。また、平均値は、算出された概日周期の精度を示す。従って、標準誤差及び平均値が小さい程、算出された概日周期が正確であると評価できる。
【0070】
全ての時間間隔の組み合わせについて得られた平均値と標準誤差を、「表1」〜「表5」に示す。時間間隔の組み合わせは、標準誤差及び平均値が小さかったものから順に「表1」から「表5」に挙げた。時間間隔は、第1回目と第2回目のサンプリング時刻との時間間隔と、第2回目と第3回目のサンプリング時刻との時間間隔と、を組み合わせて表示した。例えば、図中「13:06」は、第1回目と第2回目のサンプリング時刻との時間間隔が13時間、第2回目と第3回目のサンプリング時刻との時間間隔が6時間であることを示している。
【0071】
【表1】

【0072】
【表2】

【0073】
【表3】

【0074】
【表4】

【0075】
【表5】

【0076】
また、図2には、各時間間隔の組み合わせを、X軸を標準誤差、Y軸を平均値としてプロットした図を示す。
【0077】
「表1」〜「表5」及び図2に示されるように、「8:08」の時間間隔が、最も標準誤差及び平均値が小さかった。このことから、第1回目と第2回目のサンプリング時刻との時間間隔と、第2回目と第3回目のサンプリング時刻との時間間隔と、がともに8時間となるような3回サンプリングが、最も高精度に概日周期を算出できることが明らかとなった。
【0078】
この他、「表1」〜「表4」に示す時間間隔の組み合わせでは、標準誤差及び平均値が十分に小さく、これらのサンプリン時間間隔を採用することで、正確な概日周期の算出が可能になると考えられた。一方、「表5」に示す時間間隔の組み合わせでは、標準誤差及び平均値が大きくなり、サンプリン時間間隔として不適当であることが明らかになった。
【0079】
図3には、モデルデータから「8:08」の時間間隔(A)又は「9:15」の時間間隔(B)となる全ての3点サンプリングを行って算出したPer3発現量変化の概日周期を示す。図中、符号1はモデルデータのPer3、符号2はモデルデータのNr1d2の概日周期を示す。また、符号3は3点サンプリングデータのPer3、符号4は3点サンプリングデータのNr1d2の概日周期を示す。
【0080】
図3(A)に示す、第1回目と第2回目のサンプリングと、第2回目と第3回目のサンプリングをともに8時間間隔で行った場合では、モデルデータと3点サンプリングデータのPer3及びNr1d2の概日周期が良く一致し、精度良く概日周期が算出されている。
【0081】
一方、図3(B)に示す、第1回目と第2回目のサンプリングを9時間間隔で、第2回目と第3回目のサンプリングを15時間間隔で行った場合には、モデルデータと3点サンプリングデータのPer3及びNr1d2の概日周期が一致せず、概日周期を算出できないことが分かる。
【実施例3】
【0082】
3.3点サンプリングによる生体リズムの推定
実施例2の結果から、3回のサンプリングを8時間間隔で行うことにより、最も高精度に概日周期を算出できることが明らかとなった。そこで、実際に8時間間隔の3点サンプリングによる生体リズムの予測を試みた。3点サンプリングは、以下の「表6」に示す3パターンを行った。
【0083】
【表6】

【0084】
3点サンプリングa〜cについて、実施例1で説明した方法に従って、各時刻におけるPer3及びNr1d2の発現量を定量した。そして、実施例2で説明した方法と同様にして、3点の時刻tとその時刻における発現量E(t)を、式(V)及び式(VI)に代入し、発現量の振幅Aper3・Anr1d2、Per3の初期位相ω、オフセット値Cper3・Cnr1d2を共役勾配法によって求め、Per3及びNr1d2の発現量変化の概日周期を算出した。
【0085】
結果を図4に示す。図中、符号a1, b1, c1はそれぞれ3点サンプリングパターンa, b, cのPer3遺伝子の概日周期、符号a2, b2, c2はそれぞれ3点サンプリングパターンa, b, cのNr1d2遺伝子の概日周期を示す。また、符号d1及びd2は、12:00〜36:00までの7回のサンプリングで得られた時系列発現量データに、上記コサインカーブ式(IV)を非線形最小二乗法によりコサインフィッティングして求めた概日周期である。符号d1はPer3、符号d2はNr1d2の概日周期を示す。
【0086】
図4に示されるように、3点サンプリングa〜cにおいて、Per3及びNr1d2の発現量変化の概日周期が再現性良く算出できた。これらの3点サンプリングa〜cで得られたPer3及びNr1d2の発現量変化の概日周期と、7回のサンプリングで得られた概日周期(図中、符号d1及びd2参照)との位相の誤差は、平均で0.75時間であった。
【0087】
この結果から、発現量変化の概日周期の位相が異なるPer3とNr1d2の発現量の3点サンプリングによって、発現量変化の概日周期を算出することによって、被検者の生体リズムを高精度に予測できることが示された。
【産業上の利用可能性】
【0088】
本発明に係る生体リズム予測方法は、時間医療の実現や、自己能力の発揮、ダイエットに役立てることができる。また、生体リズムのずれを原因とする種々の疾患の予防や、時差ぼけなどの体調不良の改善に役立てることができる。
【図面の簡単な説明】
【0089】
【図1】Per3遺伝子とNr1d2遺伝子の発現量変化の概日周期において、発現量の最大値を与える時刻をプロットした図である(実施例1)。X軸(横軸)はPer3遺伝子の発現量が最大値となる時刻を、Y軸(縦軸)はNr1d2遺伝子の発現量が最大値となる時刻を示す。図中、点線は、両時刻の時間差(位相差)が2時間となるプロット位置を示す。
【図2】3回のサンプリング時刻の時間間隔について、そのサンプリング時間間隔で算出される概日周期とモデルデータとの間における発現量の最大値を与える時刻の時刻差をプロットした図である(実施例2)。図中、X軸(横軸)は、そのサンプリング時間間隔における時刻差の標準誤差を、Y軸(縦軸)は、平均値を示す。
【図3】モデルデータから「8:08」の時間間隔(A)又は「9:15」の時間間隔(B)となる全ての3点サンプリングを行って算出したPer3発現量変化の概日周期を示す図である(実施例2)。図中、符号1はモデルデータのPer3、符号2はモデルデータのNr1d2の概日周期を示す。また、符号3は3点サンプリングデータのPer3、符号4は3点サンプリングデータのNr1d2の概日周期を示す。
【図4】8時間間隔の3点サンプリングによって算出したPer3遺伝子及びNr1d2遺伝子の発現量変化の概日周期を示す図である(実施例3)。図中、符号a1, b1, c1はそれぞれ3点サンプリングパターンa, b, cのPer3遺伝子の概日周期、符号a2, b2, c2はそれぞれ3点サンプリングパターンa, b, cのNr1d2遺伝子の概日周期を示す。また、符号d1及びd2は、7点サンプリングで得られたPer3遺伝子及びNr1d2の概日周期を示す。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
被検個体から24時間以内に3回採取した生体試料について、発現量変化の概日周期の位相が異なる2つの時計遺伝子の発現量を測定し、得られた時系列発現量データに基づいて、被検個体の生体リズムを予測する方法。
【請求項2】
以下の手順を含む、請求項1記載の方法。
(1)被検個体から生体試料を24時間以内に3回採取する手順、
(2)発現量変化の概日周期の位相が異なる2つの時計遺伝子について、生体試料中の発現量を測定する手順、
(3)前記(1)及び(2)の手順で得られた時系列発現量データから、前記概日周期を算出する手順。
【請求項3】
前記(3)の手順において、前記時系列発現量データから下記式(I)及び式(II)によって前記概日周期を算出する請求項2記載の方法。
【数1】

【数2】

(式(I)中、Ea(t)、Aa、ω、Caは、一の時計遺伝子の時刻tにおける発現量、振幅、初期位相、オフセット値を示す。また、式(II)中、Eb(t)、Ab、Cbは、他の一の時計遺伝子の時刻tにおける発現量、振幅、オフセット値を示す。さらに、θは両時計遺伝子の位相差を示す。)
【請求項4】
時系列発現量データをコサインフィッティングして得たコサインカーブから、1時間毎の発現量変化を示すモデルデータを算出し、
このモデルデータから抽出された任意の3点の時刻と該時刻における発現量と、上記式(I)及び式(II)とから、3点サンプリングデータを算出し、
前記モデルデータと3点サンプリングデータとの間で、発現量の最大値を与える時刻の時間差を算出し、
該時間差の平均値が0.6未満であり、標準誤差が0.4未満である3点の時刻を算出し、
この3点の時刻を採取時刻として24時間以内に3回生体試料の採取を行う請求項3記載の方法。
【請求項5】
被検個体から24時間以内に8時間間隔で3回生体試料を採取する請求項4記載の方法。
【請求項6】
前記時計遺伝子として、Per3遺伝子及びNr1d2遺伝子を用いる請求項5記載の方法。


【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【公開番号】特開2010−94072(P2010−94072A)
【公開日】平成22年4月30日(2010.4.30)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−267464(P2008−267464)
【出願日】平成20年10月16日(2008.10.16)
【出願人】(000002185)ソニー株式会社 (34,172)
【Fターム(参考)】