説明

生体物質含有試料の解析方法

【課題】タンパク質の解析の効率性と精度とを向上させることができる方法を提供する。
【解決手段】(i)生体物質含有試料I、及び生体物質含有試料IIを用意する工程、(ii-A)試料Iを重い試薬によって修飾し、試料IIを軽い試薬によって修飾する工程、(ii-B)試料Iを軽い試薬によって修飾し、試料IIを重い試薬によって修飾する工程、(iii-A)前記(ii-A)で得られた、修飾された試料同士を混合する工程、(iii-B)前記(ii-B)で得られた、修飾された試料同士を混合する工程、及び、(iv)前記(iii-A)で得られた混合試料A及び(iii-B)で得られた混合試料Bのそれぞれについて質量分析を行い、両マススペクトルを比較する工程とを行うことによって、生体物質含有試料を解析する方法。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、定量的プロテオミクスに関する。特に本発明は、安定同位体ラベル化法と質量分析法とを組み合わせたタンパク質定量解析に関する。
【背景技術】
【0002】
生体試料中や細胞中におけるタンパク質の存在量がどのように変化するかを総体的に調べる手法として、試料から調製した全mRNAを元にしてDNAアレイを用いて解析する「トランスクリプトーム解析」が広く行われている。しかし、細胞内のタンパク質の存在量はmRNAの量に依存する一方で、タンパク質合成後の輸送や分解といった別次元の制御も受ける。このため、mRNAではなくタンパク質そのものの総体的解析、すなわち「プロテオーム解析」も広く行われつつあり、かつその重要性が指摘されている。
【0003】
プロテオーム解析技術としては、二次元電気泳動法を用いて、試料に含まれる各タンパク質を二次元ゲル上に分離し、各スポットをペプチドマスフィンガープリンティング(Peptide Mass Fingerprinting; PMF)法を用いて同定するという手法が古くから行われてきた。この手法において、複数試料の定量解析を行う場合、上記二次元ゲルのタンパク質染色像を画像データとして取り込み、画面上で像の修正・比較を行って解析する、といった技術が用いられている。
【0004】
一方で、安定同位体試薬と質量分析装置とを組み合わせた定量的プロテオーム解析技術の開発も進められてきた。定量的プロテオーム解析において用いられる安定同位体ラベル化法の例としては、in vitroでタンパク質のトリプトファン残基に対してラベル化を行うNBS(2-nitrobenzenesulfenyl)法(例えば、Rapid Communications in Mass Spectrometry, 2003,vol.17, p.1642-1650、及び、国際公開第2004/002950号パンフレット参照)や、タンパク質のシステイン残基に対してラベル化を行うICAT法やcleavable ICAT法などが知られている。上記3つの安定同位体ラベル化法では、それぞれのラベル化法によって得られたラベル化ペプチドが、濃縮された後に質量分析装置によって測定される(例えば、Rapid Communications in Mass Spectrometry, 2003,vol.17, p.1642-1650、Nature Biotechnology, 1999, vol.17, p.994-999、及び、Molecular & Cellular PROTEOMICS, 2003, vol.2, p.299-314参照)。
一方、安定同位体ラベル化法のうち、ラベル化ペプチドの濃縮を伴わない手法も多数報告されている(例えば、Journal of Proteome Research, 2004, vol.3, p.350-363参照)。
【0005】
NBS法では、NBSCl(2-nitrobenzenesulfenyl chloride)試薬(ラベル化試薬と記載することがある)の持つ、トリプトファンに対する特異的な修飾能を利用する。具体的には、定量解析すべき2種類のタンパク質試料のうち、一方のタンパク質試料に対して、炭素の安定同位体である13C6個で標識されたNBSCl(heavy-NBSCl)試薬で修飾し、他方のタンパク質試料に対して、非標識のNBSCl(light-NBSCl)試薬で修飾する。双方の修飾タンパク質(ラベル化タンパク質と記載することがある)を混合し、脱塩、乾燥、還元アルキル化、トリプシン消化、修飾ペプチドの濃縮を経て、得られたペプチド混合物を質量分析で解析する。得られるマススペクトルにおいては、同じタンパク質由来のペプチドが、heavy, light両試薬の質量差に相当する6Da(より正しくは、6Daの整数倍)の差をもったペアピークとして検出される。そのペアピークを構成する2本のピークそれぞれの強度の比から、元のタンパク質の存在比が求められる。
【0006】
上記定量的プロテオーム解析技術(NBS法)の他の例として、ICAT/cleavable ICAT試薬によるラベル化法やその他の安定同位体ラベル化法を用いた技術があるが、これらの場合も同様に、heavy, light両試薬の質量差に相当する質量差(より正しくは、その質量差の整数倍)をもったペアピークに着目し、そのペアピークを構成する2本のピークそれぞれの強度の比から、元のタンパク質の存在比が求められる。
【0007】
NBS法を用いる場合、NBS修飾されたペプチド(ラベル化ペプチドと記載することがある。一方、NBSCl非修飾ペプチドを非ラベル化ペプチドと記載する場合がある。)を分離・濃縮し、その後、質量分析装置により解析する。トリプトファン残基を含むペプチドは、Sephadex系のカラムで分離すると、他のトリプトファン残基を含まないペプチドよりも溶出位置が遅れる傾向にあることが知られているが、トリプトファンがNBS試薬で修飾されていると、この傾向はさらに強くなる。NBS法では、このような性質を利用して、Sephadex系のLH-20カラムを用いた濃縮を行っていた。その後、NBS基やトリプトファン残基の持つ環状構造に着目して、フェニルカラムを用いた濃縮を検討した結果、フェニルカラムを用いることでラベル化ペプチドの濃縮効率が向上することがわかった(例えば、特開2005−189104号公報参照)。すなわち、ラベル化ペプチド溶出画分への非ラベル化ペプチドの混入が抑えられ、且つラベル化ペプチドの回収率も上昇した。
【0008】
ICAT/cleavable ICAT法の場合、ラベル化ペプチド(ラベル化試薬ICAT/cleavable ICATで修飾されたペプチド)の分離濃縮は、ビオチン・アビジンの特異的相互作用を利用して行われる。ビオチン・アビジンの結合は特異性が高く、広く生化学実験に応用されているが、それでも非特異的な吸着は免れない(例えば、Molecular & Cellular PROTEOMICS, 2003, vol.2, p.299-314参照)。
【0009】
一方、NBS試薬を用いた相対定量プロテオーム解析法を用い、比較したい2種類のサンプル(サンプルA及びサンプルB)を用いた3タイプの組み合わせ(すなわち(サンプルA+サンプルA)、(サンプルB+サンプルB)、及び(サンプルA+サンプルB)の組み合わせ)のそれぞれについて、一方を非標識の軽い試薬でラベル化し、他方を安定同位体標識された重い試薬でラベル化した後、両者を混合して質量分析計で分析する技術がある(例えば、特開2005−300430号公報参照)。これにより、ラベル化されたペプチドと、ラベル化されていないペプチドとを区別している。
【0010】
【非特許文献1】九山浩樹(Hiroki Kuyama)、渡辺真(Makoto Watanabe)、戸田千香子(Chikako Toda)、安藤英治(Eiji Ando)、田中耕一(Koichi Tanaka)及び西村紀(Osamu Nishimura)著、トリプトファン残基のラベル化による定量的プロテオーム解析法(An Approach to Quantitative Proteome Analysis by Labeling Tryptophan Residues)「ラピッド・コミュニケーションズ・イン・マス・スペクトロメトリー(Rapid Communications in Mass Spectrometry)」、2003年、第17巻、p.1642−1650
【非特許文献2】スティーブン・P・ギジ(Steven P. Gygi)、ビート・リスト(Beate Rist)、スコット・A・ゲーバー(Scott A. Gerber)、フランチシェク・タレチェク(Frantisek Turecek)、ミヒャエル・H・ゲルブ(Michael H. Gelb)、及びルディー・エバーソルド(Ruedi Aebersold)著、同位体コードしたアフィニティータグを用いた複雑なタンパク質混合物の定量解析(Quantitative analysis of complex protein mixtures using isotope-coded affinity tags)、「ネイチャー・バイオテクノロジー(Nature Biotechnology)」、1999年、第17巻、p.994−999
【非特許文献3】カーク・C・ハンセン(Kirk C. Hansen)、ジェロルド・シュミット−ウルムス(Gerold Schmitt-Ulms)、ロバート・J・チョークレー(Robert J. Chalkley)、ヤン・ヒルシュ(Jan Hirsch)、ミヒャエル・A・ボールドウィン(Michael A. Baldwin)、及びA・L・バーリンガム(A. L. Burlingame)著、開裂可能な13C同位体コードされたアフィニティータグと多次元クロマトグラフィーとを用いた質量分析による低レベルタンパク質混合物の解析(Mass Spectrometric Analysis of Protein Mixtures at Low Levels Using Cleavable 13C-Isotope-coded Affinity Tag and Multidimensional Chromatography)、「モレキュラー・アンド・セルラー・プロテオミクス(Molecular & Cellular PROTEOMICS)」、2003年、第2巻、p.299−314
【非特許文献4】ジュリカ・S(Julka, S.)及びレグニール・F(Regnier, F.)著、「ジャーナル・オブ・プロテオーム・リサーチ(Journal of Proteome Research)」、2004年 第3巻、p.350−363
【特許文献1】国際公開第2004/002950号パンフレット
【特許文献2】特開2005−189104号公報
【特許文献3】特開2005−300430号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0011】
従来の方法においては、ペアピークをラベル化ペプチドのものと帰属し、それを構成する2本のピークの強度比に基づいてタンパク質の定量が行われてきた。しかしながら、生体試料を用いた場合など実践的な解析においては、解析の作業性と精度とに問題があるため、解析を困難にしている場合がある。これは、生体試料を用いた場合などは、非常に多種類のタンパク質が含まれることが多く、さらに、トリプシン消化後にはさらに多くのペプチド断片が生じ、一回のマススペクトル測定で検出されるピークの数が非常に多くなるためである。そこで、このような場合には、サンプルをさらに逆相カラムとHPLCとを用いたシステム等で分画し、得られた各画分を質量分析装置によって解析することもある。こうすることで、1つの画分に含まれるトリプシン消化ペプチドの数はかなり減少するが、それでも1回のマススペクトル測定で検出されるピークの数はかなり多い。
【0012】
また、上に述べたように、NBS法においては、種々の改良を経て、ラベル化ペプチドの検出が優先的に行われるような工夫がなされてきたが、それでも除くことができない非ラベル化ペプチドが、ある程度、ラベル化ペプチド溶出画分に存在する。ICAT/cleavable ICAT法においても同様のことがいえる。また、ラベル化ペプチドの濃縮を行わないその他の安定同位体ラベル化法に至っては、そもそも非ラベル化ペプチドを除くステップが存在しないので、当然、測定すべきサンプル中に非ラベル化ペプチドが大量に存在することになる。このため、一回のマススペクトル測定で検出されるピーク数が多くなることは免れない。
【0013】
マススペクトルにおいて、ペアピーク以外のシングルピークについては、非ラベル化ペプチドのものである場合と、解析すべき一対の試料のうちの片方のみに含まれるタンパク質(all or none タンパク質)に由来するラベル化ペプチドのものである場合との、2通りの帰属候補が考えられる。当然ながら、シングルピーク全てについてタンデムマス(MS/MS)スペクトルを測定し、データベースサーチやde novoシークエンス等を行うことによって、そのアミノ酸配列を決定することができるならば、これらシングルピークが上記2通りの帰属候補のうちいずれのものかを区別することはできると考えられる。しかしながら、質量分析によって検出したすべてのピークをMS/MS解析することは、実際には大変時間のかかる作業であり、またそのアミノ酸配列を全て決定することは、現状では難しい。
【0014】
しかしながら、all or noneタンパク質は、解析すべき一対の試料間で最も顕著に発現量の差がみられるタンパク質であり、all or noneタンパク質に由来するペプチドのピークと非ラベル化ペプチドのピークとを区別することは、大変重要な課題である。したがって、シングルピークについて逐一配列を決定しなくても、それらの由来について区別が可能となる方法が望まれる。
【0015】
さらに、一見してペアピークに見えるピークが、解析に適さないものである場合もある。例えば、一見してペアピークに見えるものが、実際にはラベル化ペプチドのものではなく、近接した位置において検出された、互いに関係のない2本のシングルピークである場合がある。さらに、ラベル化ペプチドのペアピークと他のペプチドのシングルピークが重なって、ペアピークを構成する2本のピークの強度比が試料中のタンパク質の量比を反映していない場合もある。これらの偽ペアピークは、正しい帰属を行うか、或いは解析の対象から除外しなければ、解析の精度が大きく落ちることとなる。したがって、ペアピークと偽ペアピークとの区別が可能となる方法が望まれる。
【課題を解決するための手段】
【0016】
本発明は、以下の発明を含む。
(1) (i)生体物質含有試料I、及び前記試料Iの対照となる生体物質含有試料IIを用意する工程と、
(ii)互いに同じ分子構造を有し且つ互いに質量数の異なる同位体を含むことによって異なる分子量を有する2種の化合物を用意し、
(ii-A)前記生体物質含有試料Iを、前記2種の化合物のうち分子量の大きい化合物(重い試薬)を用いて修飾し、修飾された生体物質含有試料I-heavyを得る一方、前記生体物質含有試料IIを、前記2種の化合物のうち分子量の小さい化合物(軽い試薬)を用いて修飾し、修飾された生体物質含有試料II-lightを得る工程と、
(ii-B)前記生体物質含有試料Iを、前記軽い試薬を用いて修飾し、修飾された生体物質含有試料I-lightを得る一方、前記生体物質含有試料IIを、前記重い試薬を用いて修飾し、修飾された生体物質含有試料II-heavyを得る工程と、
(iii-A)前記修飾された生体物質含有試料I-heavyと前記修飾された生体物質含有試料II-lightとを混合し、混合試料Aを得る工程と、
(iii-B)前記修飾された生体物質含有試料I-lightと前記修飾された生体物質含有試料II-heavyとを混合し、混合試料Bを得る工程と、
(iv)前記混合試料A及び前記混合試料Bそれぞれについて、質量分析装置を用いて測定を行い、前記混合試料AについてのマススペクトルA及び前記混合試料BについてのマススペクトルBを得て、前記マススペクトルAと前記マススペクトルBとを比較する工程を行うことによって、生体物質含有試料を解析する方法。
【0017】
上記重い試薬及び軽い試薬は、上記生体物質が有する特定の構造に対する修飾能を有する化合物である。
本発明では、マススペクトル上に現れるさまざまなピークを効率よく取捨選択する。中でも特に重要な情報は、修飾された上記特定構造が関わるものである。修飾された特定構造が関わるピークは、ペアピークで現れる場合(ある特定構造が生体物質含有試料の両方に含まれる場合)と、シングルピークで現れる場合(ある特定構造が生体物質含有試料の片方のみに含まれる場合)がある。本発明では、マススペクトルAとマススペクトルBとを比較し、両マススペクトルの間で対応するピーク同士のm/z値や相対強度に基づいて、多数のピークの中から、解析対象として信頼できる当該ペアピーク及び当該シングルピークを認定する。具体的には、当該シングルピークは、修飾された特定構造に関係ないシングルピークと区別され、当該ペアピークは、修飾された特定構造に関係ないシングルピークが関与することによって偶然ペアピークのように見える2本のピーク(偽ペアピーク)と区別される。
【0018】
質量分析工程に供される混合試料A及びBは、試料の種類によって必要に応じた処理が適宜行われたものであっても良い。例えば解析すべき生体物質がタンパク質である場合は、脱塩処理、乾燥処理、再可溶化処理、還元アルキル化処理、断片化処理、濃縮分離処理、及び分画処理などから選ばれる処理が適宜行われる。
【0019】
(2) 前記生体物質含有試料が、タンパク質含有試料である、(1)に記載の生体物質含有試料の解析方法。
(3) 前記重い試薬が同位体で標識された2−ニトロベンゼンスルフェニルクロリドであり、前記軽い試薬が前記同位体で標識されていない2−ニトロベンゼンスルフェニルクロリドである、(2)に記載の生体物質含有試料の解析方法。
(4) 前記重い試薬が2−ニトロ[136]ベンゼンスルフェニルクロリドであり、前記軽い試薬が2−ニトロ[126]ベンゼンスルフェニルクロリドである、(2)又は(3)に記載の生体物質含有試料の解析方法。
【発明の効果】
【0020】
本発明により、マススペクトル上のシングルピークからall or noneタンパク質由来のシングルピークを容易にかつ正確に識別することが可能な方法を提供することができる。また、本発明により、マススペクトル上のペアピーク候補から偽ペアピークを容易にかつ正確に識別することが可能な方法を提供することができる。これらにより、タンパク質の解析の効率性と精度とを向上させることができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0021】
本発明は、以下の工程(i)〜(iv):
(i)生体物質含有試料I、及び生体物質含有試料IIを用意する工程、
(ii-A)前記生体物質含有試料Iを重い試薬によって修飾し、
前記生体物質含有試料IIを軽い試薬によって修飾する工程、
(ii-B)前記生体物質含有試料Iを軽い試薬によって修飾し、
前記生体物質含有試料IIを重い試薬によって修飾する工程、
(iii-A)前記(ii-A)で得られた、修飾された生体物質含有試料同士を混合する工程、
(iii-B)前記(ii-B)で得られた、修飾された生体物質含有試料同士を混合する工程、
(iv)前記(iii-A)で得られた混合試料A及び(iii-B)で得られた混合試料Bのそれぞれについて質量分析を行う工程を含む。
【0022】
本発明において解析すべき生体物質含有試料としては特に限定されない。例えば、タンパク質、ペプチド、糖質、脂質などを含む試料が挙げられる。
以下、解析すべき生体物質含有試料としてタンパク質含有試料(以下、単にタンパク質試料と記載する)を用いる場合を例に挙げて、本発明を説明する。以下の説明は、タンパク質試料以外の生体物質含有試料にも適宜当てはめることができる。
【0023】
(i:試料の準備)
まず、2種類の異なる状態のタンパク質試料I、IIを用意する。例えば、タンパク質試料Iを解析すべきタンパク質試料とする場合、タンパク質試料IIを、試料Iに含まれるタンパク質に対する対照タンパク質を含む試料とすることができる。より具体的には、解析すべきタンパク質試料Iを病態サンプルから抽出したタンパク質試料、対照タンパク質試料IIを正常サンプルから抽出したタンパク質試料とすることができる。本発明においては、これらタンパク質試料I及びタンパク質試料IIの間での発現プロテオームの定量的な解析を行う。
【0024】
タンパク質試料は、可溶化処理が行われたものであっても良い。可溶化の方法としては、特に限定されない。例えば、変性剤として、ドデシル硫酸ナトリウム(SDS)などの界面活性剤、尿素、グアニジン塩酸塩などを用いてタンパク質を可溶化することができる。変性剤の濃度は特に限定されず、タンパク質試料の可溶化及び変性が起こるように、タンパク質試料の種類やその他の条件等を考慮して当業者が適宜決定すればよい。反応条件についても、常温変性及び熱変性を問わず、使用する変性剤を考慮して当業者が適宜決定すればよい。
【0025】
(ii:タンパク質試料の修飾)
タンパク質試料I及びIIは、修飾試薬により修飾される。
修飾試薬としては、タンパク質中の特定の構造を特異的に修飾することができる化合物が用いられる。なおかつ、修飾試薬としては、互いに分子構造は同じであるが、互いに質量数の異なる同位体を含むことによって分子量が異なる2種の化合物を組み合わせて用いる。このうち、分子量が大きい化合物を重い試薬とし、分子量が小さい試薬を軽い試薬とする。より具体的にいうと、修飾試薬分子を構成する少なくとも1種類の元素が安定同位体で標識された化合物と、それとは同一構造であるが、前述の元素が前記安定同位体とは別の安定同位体で標識された化合物とを組み合わせて用いる。そして、質量数の大きい安定同位体で標識された化合物の方を重い試薬として、他方の化合物を軽い試薬として用いる。
なお、安定同位体で標識される元素は複数であっても良い。
【0026】
具体的には、(ii-A)タンパク質試料Iを重い試薬で修飾して修飾タンパク質試料I-heavyを得て、タンパク質試料IIを軽い試薬で修飾して修飾タンパク質試料II-lightを得る工程と、(ii-B)タンパク質試料Iを軽い試薬で修飾して修飾タンパク質試料I-lightを得て、タンパク質試料IIを重い試薬で修飾して修飾タンパク質試料II-heavyを得る工程とを行う。
【0027】
修飾試薬の具体例としては、例えば、タンパク質・ペプチド中のトリプトファン残基に対する特異的修飾能を有するスルフェニル化合物の1つである、2−ニトロベンゼンスルフェニルクロリド(2-nitrobenzenesulfenyl chloride;NBSCl)が挙げられる。この場合、重い試薬として2−ニトロ[136]ベンゼンスルフェニルクロリド(NBSCl heavy)と、軽い試薬として2−ニトロ[126]ベンゼンスルフェニルクロリド(NBSCl light)とを組み合わせて用いることが好ましい。
なお、タンパク質・ペプチド中のトリプトファンに対する特異的修飾能を有するスルフェニル化合物については、国際公報第2004/002950パンフレットなどに詳述されている。
【0028】
修飾試薬としてNBSCl heavy試薬及びNBSCl light試薬を組み合わせて用いる場合、修飾方法としては特に限定されない。好ましい例としては、以下の方法が挙げられる。
NBSCl試薬は、酢酸溶液として用いることが好ましい。例えば、酢酸25μlに2−ニトロベンゼンスルフェニルクロリドを0.17mg溶解させた溶液として用いることができる。このようなNBSCl試薬はタンパク質試料の20倍当量程度の大過剰を用いることができる。例えば、タンパク質試料100μgに対し、溶液中の2−ニトロベンゼンスルフェニルクロリドが0.17mgとなるように用いると良い。
修飾反応は、タンパク質試料にNBSCl試薬を加え、インキュベートすることによって行うことができる。反応時間は4時間程度で十分である。すなわち、反応開始直後〜4時間以内に反応を終了させて良い。標準プロトコルとしては、反応時間は1時間とすると良い。
NBSCl heavy試薬及びNBSCl light試薬は、ともに島津製作所製13C NBS(R)Stable Isotope Labeling Kit-Nに収容されて販売されている。
【0029】
修飾試薬としては、上記のNBSCl試薬の他、システイン残基に対する特異的修飾能を有するICAT/cleavable ICAT試薬、及び、タンパク質中の特定の構造を特異的に修飾することができる化合物であって重い試薬と軽い試薬との組み合わせて用いるその他の修飾試薬を特に限定することなく用いることができる。これらの修飾試薬を用いた場合も、タンパク質試料の修飾反応は、従来の方法に従って行うことができる。
【0030】
(iii:修飾タンパク質の混合)
【0031】
上記の修飾工程によって得られた修飾タンパク質試料のうち、(iii-A)修飾タンパク質試料I-heavyと修飾タンパク質試料II-lightとを混合し、混合試料Aを得て、その一方で、(iii-B)修飾タンパク質試料I-lightと修飾タンパク質試料II-heavyとを混合し、混合試料Bを得る。
【0032】
上記混合試料Aにおいては、修飾タンパク質試料I-heavyと修飾タンパク質試料II-lightとが、脱塩処理、乾燥処理、再可溶化処理、還元アルキル化処理、断片化処理、及び/又は濃縮分離処理されたものであっても良い。同様に、上記混合試料Bにおいては、修飾タンパク質試料I-lightと修飾タンパク質試料II-heavyとが、脱塩処理、乾燥処理、再可溶化処理、還元アルキル化処理、断片化処理、及び/又は濃縮分離処理されたものであっても良い。
これらの処理を行う段階は、修飾タンパク質試料同士の混合段階の前後を問わず、当業者が適宜決定することができる。
【0033】
これら処理を行うための方法は、いずれも限定されない。例えば脱塩工程は、セファデックスカラムなど、通常用いられる脱塩カラムを用いることによって行うことができる。再可溶化処理は、上述の可溶化処理と同様に行うことができる。還元アルキル化処理も、通常の方法によって行うことができる。断片化処理も特に限定されず、通常行われるトリプシンなどの酵素による消化や化学的断片化を行うことができる。
濃縮分離処理も特に限定されない。例えば、セファデックスカラムや、フェニル基を有する担体を充填したカラムを用いることができる。フェニル基を有する担体を充填したカラムは、上記(ii)工程における修飾試薬として、π電子性化合物(NBSCl試薬を含む)が用いられる場合などに有用に用いられる。このような担体としては、Hi-Trap phenyl FF、Hi-Trap phenyl HP、Phenyl Sepharose 6 Fast Flow、Phenyl Sepharose High Performance、(以上、アマシャムバイオサイエンス社製)、YMC*GEL Ph(ワイエムシィ社製)などが挙げられる。
【0034】
さらに、混合試料A及びBは、分画処理が行われたものであっても良い。分画処理を行うための方法としては、逆相カラムとHPLCとを用いたシステムを用いる方法などが挙げられる。分画処理を行われた場合の混合試料A及びBは、それぞれ、複数の画分を含むことになる。
【0035】
(iv:質量分析)
上記混合試料A及びBそれぞれについて、質量分析を行う。本発明における測定にはMALDI型質量分析装置を用いることができる。この場合、MALDI-TOF型質量分析装置(例えば島津製作所/クレイトス製AXIMA-CFR plus)等や、MAIDI-IT-TOF型質量分析装置(例えば島津製作所/クレイトス製AXIMA-QIT)等が用いられる。
【0036】
MALDI質量分析装置を用いる場合、マトリックスとしては特に限定されない。例えば、DHB(2,5−ジヒドロ安息香酸;2,5-dihydrobenzoic acid)、4-CHCA(α−シアノ−4−ヒドロキシ桂皮酸;α-cyano-4-hydroxycinnamic acid)、3-CHCA(α−シアノ−3−ヒドロキシ桂皮酸;α-cyano-3-hydroxycinnamic acid)、3H4NBA(3−ヒドロキシ−4−ニトロ安息香酸;3-hydroxy-4-nitrobenzoic acid)などをマトリックスとして用いることができる。MALDI-TOF型質量分析装置を用いる場合は、4-CHCAをマトリックスとして用いると良い。一方、MAIDI-IT-TOF型質量分析装置を用いる場合は、3-CHCA、3H4NBA、3H4NBAと4-CHCAとの混合物をマトリックスとして用いると良い。
【0037】
マススペクトルは、混合試料Aについてものと、混合試料Bについてのものが得られる。前記分画処理を行った場合は、混合試料Aについてのマススペクトルとして、複数の画分にそれぞれ対応する複数のマススペクトルを、混合試料Bについてのマススペクトルとして、複数の画分にそれぞれ対応する複数のマススペクトルを得ても良い。
【0038】
得られるマススペクトルでは、以下の1)〜4)を含むペプチド種が検出されうる。
1)修飾試薬である標識化合物による修飾ペプチド
(例:heavy NBSCl修飾トリプトファンを含有するペプチド)
2)修飾試薬である非標識化合物による修飾ペプチド
(例:light NBSCl修飾トリプトファンを含有するペプチド)
3)修飾試薬のターゲットとなる特定構造を含有しないペプチド
(例:トリプトファンを含有しないペプチド)
4)修飾試薬のターゲットとなる特定構造を含有するが修飾試薬による反応が未反応であったことによる非修飾ペプチド
(例:NBSCl非修飾トリプトファンを含有するペプチド)
なお、NBSClを修飾試薬として適切な条件下で用いた方法では、ほとんどのトリプトファン残基が修飾されるため、上記4)タイプのペプチドはほとんど検出されない。より反応性の低いその他の修飾試薬を用いた場合は、上記4)系列のペプチドが検出されうる。
【0039】
同一混合試料中に上記1)のペプチド及び上記2)のペプチドが混在する場合、上記1)のペプチド及び上記2)のペプチドは、マススペクトルにおいて、ペアピークとして検出される。このペアピークは、修飾試薬として用いられた標識化合物と非標識化合物との質量差の整数倍に相当する質量差を有する。前記整数倍が何倍かは、当該ペアピークとして検出されたペプチドに含まれる、修飾された特定構造の数に対応する。
このようなペアピークを形成する2本のピークの強度比(強度の積分比である場合も含む)は、一対のタンパク質試料間における個々のタンパク質の量比を示すものであるため、定量解析において大変重要な情報である。しかしながら、マススペクトル中には、一見、上記1)のペプチド及び上記2)のペプチドによるペアピークのように見えても、実際は別のペプチド種が関連している偽ペアピークである場合がある。したがって、このような偽ペアピークと、信頼できるペアピーク(上記1)のペプチド及び上記2)のペプチドによるペアピーク)とを区別することは、大変重要である。本発明では、偽ペアピークと信頼できるペアピークとの区別を行う。
【0040】
一方、上記3)のペプチド及び上記4)のペプチドは、それぞれがシングルピークとして検出される。
そして、一つの混合試料中に、上記1)のペプチド及び上記2)のペプチドのいずれか一方のみが含まれる場合にも、上記1)のペプチド又は上記2)のペプチドは、修飾ペプチドであるにもかかわらず、ペアピークでなくシングルピークとして検出される。このようなシングルピークとして検出される修飾ペプチドは、タンパク質試料I及びIIのうち、片方のタンパク質試料のみに存在するタンパク質(all or noneタンパク質)に由来するものである。all or noneタンパク質は、一対のタンパク質試料間で最も顕著に発現量の差が見られるものであるため、定量解析に最も重要なターゲット分子の一つとなる。したがって、上記3)のペプチドや上記4)のペプチドに由来するシングルピークと、all or noneタンパク質に由来するシングルピークとを区別することは、大変重要である。本発明では、由来が複数考えられるシングルピークから、all or noneタンパク質に由来するシングルピークを認定する。さらに、そのシングルピークが、タンパク質試料Iとタンパク質試料IIとのうち、いずれに由来するものかを判別する。
【0041】
以下、2−ニトロ[136]ベンゼンスルフェニルクロリド(heavy NBSCl)及び2−ニトロ[126]ベンゼンスルフェニルクロリド(light NBSCl)を組み合わせて用いたNBS法による例を挙げて、本発明をさらに詳しく説明する。
【0042】
[混合試料Aのマススペクトルの取得]
タンパク質試料Iをheavy NBSCl試薬で修飾し、修飾タンパク質試料I-heavyを得る。
タンパク質試料IIをlight NBSCl試薬で修飾し、修飾タンパク質試料II-lightを得る。
修飾タンパク質試料I-heavyと修飾タンパク質試料II-lightとを混合し、脱塩、乾燥、再可溶化、還元アルキル化、トリプシン消化、及び、ラベル化ペプチドの濃縮を行い、混合試料Aを得る。場合によっては、逆相カラムとHPLCとを用いたシステム等によって、サンプルを分画しても構わない。
混合試料Aを質量分析装置により測定する。得られるマススペクトルは、図1Aに模式的に示される(横軸は質量/電荷、縦軸は相対強度を表す)。図1Aのマススペクトルを、マススペクトルAと記載する。
[混合試料Bのマススペクトルの取得]
タンパク質試料Iをlight NBSCl試薬で修飾し、修飾タンパク質試料I-lightを得る。
タンパク質試料IIをheavy NBSCl試薬で修飾し、修飾タンパク質試料II-heavyを得る。
修飾タンパク質試料I-lightと修飾タンパク質試料II-heavyとを混合し、脱塩、乾燥、再可溶化、還元アルキル化、トリプシン消化、及び、ラベル化ペプチドの濃縮を行い、混合試料Bを得る。場合によっては、逆相カラムとHPLCとを用いたシステム等によって、サンプルを分画しても構わない。
混合試料Bを質量分析装置により測定する。得られるマススペクトルは、図1Bに模式的に示される(横軸は質量/電荷、縦軸は相対強度を表す)。図1Bのマススペクトルを、マススペクトルBと記載する。
【0043】
それぞれの混合試料には、以下に示すペプチド種が含まれうる。
[混合試料Aに含まれうるペプチド種]
タンパク質試料I由来:
1-A-I) heavy NBSCl修飾トリプトファンを含有するペプチド種
3-A-I) トリプトファンを含有しないペプチド種
4-A-I) NBSCl非修飾トリプトファンを含有するペプチド種
タンパク質試料II由来:
2-A-II) light NBSCl修飾トリプトファンを含有するペプチド種
3-A-II) トリプトファンを含有しないペプチド種
4-A-II) NBSCl非修飾トリプトファンを含有するペプチド種
[混合試料Bに含まれうるペプチド種]
タンパク質試料I由来:
2-B-I) light NBSCl修飾トリプトファンを含有するペプチド種
3-B-I) トリプトファンを含有しないペプチド種
4-B-I) NBSCl非修飾トリプトファンを含有するペプチド種
タンパク質試料II由来:
1-B-II) heavy NBSCl修飾トリプトファンを含有するペプチド種
3-B-II) トリプトファンを含有しないペプチド種
4-B-II) NBSCl非修飾トリプトファンを含有するペプチド種
【0044】
なお、上述したように、NBSClを修飾試薬として適切な条件下で用いた方法では、上記4)系列のペプチド種はほとんど検出されないと考えられる。しかしながら、NBSClを修飾試薬として用いたこの例を、他の修飾試薬を用いた例に当てはめた場合の理解のために、4)系列のペプチド種をあえて記載している。
【0045】
以下、上記ペプチド種が含まれる割合による、マススペクトル上のピークの出現の仕方について説明する。なお、混合試料中に含まれるペプチド種を分類するための上記カテゴリー(1-A-I)〜4-B-II))においては、その範疇に1種又は複数種のペプチド種が属しているものとし、そのうちの特定のペプチド種を表現する場合に、カテゴリー名の後に「〜型ペプチド」を付して記載するものとする。
【0046】
[スペクトル例1:図1のa及びbとして示される形状のピークが検出される場合]
図1のa及びbとして示される形状のピークは、マススペクトルA及びマススペクトルB双方の同じ位置(m/z値)において検出されているペアピークであり、当該ペアピークは6Daの整数倍に相当する質量差を有する2本のピークからなり且つ当該2本のピークが同じ強度を有している。
上記例のタンパク質試料I及びIIの両方において、ある特定のトリプトファン含有タンパク質が同じ量で含まれている場合、理想的なピークとしてこのようなペアピークが検出される。
【0047】
混合試料Aには、1-A-I)型ペプチド、及びそのペプチドに対応する2-A-II)型ペプチドの両方が含まれるため、それらは、図1A中のa又はbのように、強度の等しいペアピークとして検出される。同様に、混合試料Bには、2-B-I)型ペプチド、及びそのペプチドに対応する1-B-II)型ペプチドが含まれるため、図1B中のaやbのように、強度の等しいペアピークとして検出される。これらペアピークは、NBSCl heavyとNBSCl lightとの質量差である6Daの整数倍に相当する質量差を有する。
【0048】
[スペクトル例2:図1のd及びfとして示される形状のピークが検出される場合]
図1のd及びfとして示される形状のピークは、マススペクトルA及びマススペクトルB双方の類似した位置(m/z値)において検出されているシングルピークであり、マススペクトルAにおけるシングルピークdとマススペクトルBにおけるシングルピークfとの間には、6Daの整数倍に相当する質量差がある。
上記例のタンパク質試料I及びIIにおいて、ある種のトリプトファン含有タンパク質がall or noneタンパク質である場合、理想的なピークとしてこのようなシングルピークが検出される。図1のdの方がm/z値が小さいことから、より詳しくは、当該all or noneタンパク質は、タンパク質試料IIの方のみに含まれている。
【0049】
混合試料Aには、上記のall or noneタンパク質に関係する2-A-II)型ペプチドが存在し、一方、当該2-A-II)型ペプチドに対応する1-A-I)型ペプチドが存在しないので、図1Aのdのように、シングルピークとして検出される。さらに、混合試料Bには、上記のall or noneタンパク質に関係する上記1-B-II)型ペプチドが存在し、一方、当該1-B-II)型ペプチドに対応する2-B-I)型ペプチドが存在しないので、図1Bのfのように、シングルピークとして検出される。ピークdとピークfとは互いに、NBSCl heavyとNBSCl lightとの質量差である6Daの整数倍に相当する質量差を有する関係である。
【0050】
[スペクトル例3:図1のeとして示される形状のピークが検出される場合]
図1のeとして示される形状のピークは、マススペクトルA及びBにおいてシングルピークとして検出されており、それらは両マススペクトルにおいてm/z値が同じである。
上記の3)系列のペプチド種(トリプトファンを含有しないペプチド種)や、4)系列のペプチド種(NBSCl非修飾トリプトファンを含有するペプチド種)の場合、理想的なピークとしてこのようなピークが検出される。
【0051】
[スペクトル例4:図1のc、h、i及びkとして示される形状のピークが検出される場合]
図1のc、h、i及びkとして示される形状のピークは、マススペクトルA及びマススペクトルB双方の同じ位置(m/z値)において検出されているペアピークであり、当該ペアピークは6Daの整数倍に相当する質量差を有する2本のピークからなり且つ当該2本のピークが異なる強度を有している。さらに、マススペクトルAとマススペクトルBとで、当該2本のピーク強度がそっくり入れ替わっているという特徴がある。
上記例のタンパク質試料I及びIIの両方において、ある特定のトリプトファン含有タンパク質が異なる量で含まれている場合、理想的なピークとしてこのようなペアピークが検出される。
【0052】
当該特定のトリプトファン含有タンパク質が、タンパク質試料Iの方により多く含まれている場合、混合試料Aには、1-A-I)型ペプチド、及びそのペプチドに対応する2-A-II)型ペプチドの両方が含まれ、且つ1-A-I)型ペプチドのほうがより多く含まれるため、図1Aのc、i及びkのように、m/z値が大きいパートナーピークの方が大きい強度を有するペアピークとして検出される。さらにこの場合、混合試料Bには、2-B-I)型ペプチド、及びそのペプチドに対応する1-B-II)型ペプチドの両方が含まれ、且つ2-B-I)型ペプチドのほうがより多く含まれるため、図1Bのc、i及びkのように、m/z値が小さいパートナーピークの方が大きい強度を有するペアピークとして検出される。
当該特定のトリプトファン含有タンパク質が、タンパク質試料IIの方により多く含まれている場合に、図1のhのようなペアピークが検出されることも、上述と同様に説明できる。
これらペアピークは、NBSCl heavyとNBSCl lightとの質量差である6Daの整数倍に相当する質量差を有する。
【0053】
[スペクトル例5:図1のjとして示される形状のピーク(偽ペアピーク)が検出される場合]
図1のjとして示される形状のピークは、6Daの整数倍に相当する質量差を有する2本のピークであり、一見、上記スペクトル例4で挙げたタイプのペアピークと同種の、NBS修飾トリプトファン含有ペプチドのペアピークに見える。しかしながら、マススペクトルAとマススペクトルBとにおけるjのピークの形状を比較すると、上記スペクトル例4のような、両スペクトルで互いのピークの強度の入れ替わりがみられず、両スペクトルで、互いのピークが同じm/z値及び同じ強度で検出されているという特徴がある。
したがって、このような形状のピークは、上記スペクトル例4で挙げたタイプの理想的なペアピーク(真のペアピーク)ではないと判断でき、可能性として、上記スペクトル例3で挙げたタイプのシングルピークと同種のピークが2本近接して検出されたもの、すなわち、NBS修飾トリプトファン含有ペプチドのものではなく、上記3)系列や4)系列のペプチド種のうち質量数が近い2つのペプチドが検出されたものであると推定することができる。
【0054】
[スペクトル例6:図1のlとして示される形状のピーク(偽ペアピーク)が検出される場合]
図1のlとして示される形状のピークは、6Daの整数倍に相当する質量差を有する2本のピークであり、一見、上記スペクトル例4で挙げたタイプのペアピークと同種の、NBS修飾トリプトファン含有ペプチドのペアピークに見える。しかしながら、マススペクトルAとマススペクトルBとにおけるlのピークの形状を比較すると、上記スペクトル例4のように、両スペクトルで互いのピークの強度は入れ替わるケースにも該当せず、上記スペクトル例5のように、両スペクトルで、互いのピークが同じm/z値及び同じ強度で検出されているケースにも該当しないような強度の変化が見られるという特徴がある。
したがって、このような形状のピークは、上記スペクトル例4で挙げたタイプの理想的なペアピークではないと判断でき、可能性の一つとして、上記スペクトル例1や上記スペクトル例4で挙げたタイプの理想的なペアピークを構成する2本のピークのいずれか一方に、上記スペクトル例3で挙げたタイプのシングルピークと同種のピークが重なったために、試料中に存在するラベル化ペプチドの比率を反映しないペアピークとして検出されたものであることが推定できる。このようなペアピークは、解析の対象から除外しても良いし、さらに緻密な解析を行うことによって詳細な判別を行っても良い。
【0055】
以上のように、修飾試薬としてNBSCl heavyとNBSCl lightとを組み合わせたNBS法による例を用いて本発明の説明を行ったが、本発明は、上記の例に限定されることなく、その他の修飾試薬を用いた方法、例えばICAT/cleavable ICAT法やその他の修飾試薬を用いても同様に実施することができる。
【図面の簡単な説明】
【0056】
【図1】(A)定量解析を行うべき試料Iと試料IIがあった場合に、試料Iを安定同位体試薬のうちlight試薬で、試料IIをもう一方のheavy試薬でラベル化後に測定した結果の(モデル)スペクトル図、及び、(B)試料Iをheavy試薬で、試料IIをlight試薬でラベル化後に測定した結果の(モデル)スペクトル図を表す。(A)におけるピークdの最近傍の点線は、(B)におけるピークfの位置を示す。(B)におけるピークfの最近傍の点線は、(A)におけるピークdの位置を示す。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
(i)生体物質含有試料I、及び前記試料Iの対照となる生体物質含有試料IIを用意する工程と、
(ii)互いに同じ分子構造を有し、且つ互いに質量数の異なる同位体を含むことによって異なる分子量を有する2種の化合物を用意し、
(ii-A)前記生体物質含有試料Iを、前記2種の化合物のうち分子量の大きい化合物(重い試薬)を用いて修飾し、修飾された生体物質含有試料I-heavyを得る一方、前記生体物質含有試料IIを、前記2種の化合物のうち分子量の小さい化合物(軽い試薬)を用いて修飾し、修飾された生体物質含有試料II-lightを得る工程と、
(ii-B)前記生体物質含有試料Iを、前記軽い試薬を用いて修飾し、修飾された生体物質含有試料I-lightを得る一方、前記生体物質含有試料IIを、前記重い試薬を用いて修飾し、修飾された生体物質含有試料II-heavyを得る工程と、
(iii-A)前記修飾された生体物質含有試料I-heavyと前記修飾された生体物質含有試料II-lightとを混合し、混合試料Aを得る工程と、
(iii-B)前記修飾された生体物質含有試料I-lightと前記修飾された生体物質含有試料II-heavyとを混合し、混合試料Bを得る工程と、
(iv)前記混合試料A及び前記混合試料Bそれぞれについて、質量分析装置を用いて測定を行い、前記混合試料AについてのマススペクトルA及び前記混合試料BについてのマススペクトルBを得て、前記マススペクトルAと前記マススペクトルBとを比較する工程を行うことによって、生体物質含有試料を解析する方法。
【請求項2】
前記生体物質含有試料が、タンパク質含有試料である、請求項1に記載の生体物質含有試料の解析方法。
【請求項3】
前記重い試薬が同位体で標識された2−ニトロベンゼンスルフェニルクロリドであり、前記軽い試薬が前記同位体で標識されていない2−ニトロベンゼンスルフェニルクロリドである、請求項2に記載の生体物質含有試料の解析方法。
【請求項4】
前記重い試薬が2−ニトロ[136]ベンゼンスルフェニルクロリドであり、前記軽い試薬が2−ニトロ[126]ベンゼンスルフェニルクロリドである、請求項2又は3に記載の生体物質含有試料の解析方法。

【図1】
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【公開番号】特開2007−183134(P2007−183134A)
【公開日】平成19年7月19日(2007.7.19)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−731(P2006−731)
【出願日】平成18年1月5日(2006.1.5)
【出願人】(000001993)株式会社島津製作所 (3,708)
【Fターム(参考)】