説明

硫化鉄皮膜の製造方法

【課題】安価にかつ環境負荷が小さく、さらに簡便な設備で無電解で鉄系材料表面上に摺動性を付与する硫化鉄皮膜を大面積で製造する工業的に有利な方法を提供する。
【解決手段】亜硫酸イオンの濃度が0.005〜1mol/L、チオ硫酸イオンの濃度が0.005〜0.5mol/Lであり、pHが2.0〜6.5である処理液と鉄系材料とを接触させ、前記鉄系材料表面上に膜厚が0.01〜10μmである硫化鉄皮膜を無電解で製造する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、鉄系材料の表面に摺動性に優れた硫化鉄皮膜を無電解で製造する硫化鉄皮膜の製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
ギヤ類、ベアリング類などの摺動部材の耐摩耗性を向上させるために、硫化鉄皮膜を摺動面に形成させる浸硫方法が知られている。その方法としては、塩浴浸硫窒化処理法(スル・スルフ)、低温浸硫処理法(コーベット法)、ガス浸硫窒化処理法など様々な処理法が開発されており、特に低温浸硫処理法が各自動車・二輪車メーカーなどで広く使用されている。この処理法は、チオシアン酸塩を含有する180〜190℃の溶融塩中で被処理材を陽極として電解処理し、硫化鉄皮膜を製造する方法である。しかし、溶融塩処理の際に、事前に熱処理にて硬化した部品表面の硬度が低下する、また、処理後の表面が非常に荒れるなどの問題があった。さらに、チオシアン酸の分解により生じる遊離シアンを含む廃水の処理や、190℃という高温の塩浴が必要であり作業環境面からも好ましい方法とはいえなかった。
【0003】
近年、より低温で実施できる硫化鉄皮膜の製造方法として、水溶液中での電極を用いた電解処理法が提案されている。例えば、特許文献1及び特許文献2では、チオシアン酸塩及びチオ硫酸塩の溶解した水溶液を電解液として用い、陽極電解により硫化鉄皮膜を鉄合金表面上に形成させる方法が開示されている。また、特許文献3では、3価鉄イオン、キレート剤及び硫黄化合物を含有するアルカリ性の水溶液中で陰極電解することにより、硫化鉄皮膜を陰極表面上に形成させる方法が開示されている。特許文献4では、特許文献3と同様の水溶液中で鉄系材料を陽極電解することにより、鉄系材料の表面に硫化鉄系皮膜を形成させる方法が開示されている。
【0004】
【特許文献1】特開平11−302897号公報
【特許文献2】特開2001−115177号公報
【特許文献3】特開2002−235193号公報
【特許文献4】特開平11−50297号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
しかしながら、上記電解法には以下のような問題点があり、必ずしも工業的な応用には好ましいとはいえなかった。
(1)被処理材を陽極または陰極に用いるため、各被処理材ごとに対極のレイアウトをする必要があり、冶具セッティングが煩雑で生産性を低下させる原因となっていた。
(2)被処理材と対極との配置・距離によって皮膜析出にムラが生じやすく、特に複雑な形状の部品においては顕著であった。また、各被処理材間で皮膜厚みに差が出やすく製品品質を維持することが難しかった。
(3)被処理材容量以外に対極容量をも加味した大きな処理浴や、電極、電源などの専用設備が必要であり、設備コスト及びエネルギーコストの観点から好ましくなかった。
(4)チオシアン酸から生じる遊離シアンを含む廃水処理など環境負荷が大きい。
【0006】
本発明は、上記のような問題点に鑑みて、安価にかつ環境負荷が小さく、さらに簡便な設備で鉄系材料表面上に摺動性を付与する硫化鉄皮膜を製造する工業的に有利な方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明者らは、上記課題を解決すべく鋭意検討を行った結果、亜硫酸イオンとチオ硫酸イオンとを含み、pHが2.0〜6.5である処理液と鉄系材料とを接触させることにより、無電解で効率よく鉄系材料表面上に硫化鉄皮膜を製造できることを見出し、本発明を完成するに至った。
【0008】
すなわち、本発明は以下の(1)〜(7)を提供する。
(1)亜硫酸イオンとチオ硫酸イオンとを含み、pHが2.0〜6.5である処理液と鉄系材料とを接触させ、前記鉄系材料表面上に硫化鉄皮膜を無電解で製造する硫化鉄皮膜の製造方法。
(2)前記亜硫酸イオンの濃度が0.005〜1mol/Lである(1)に記載の硫化鉄皮膜の製造方法。
(3)前記チオ硫酸イオンの濃度が0.005〜0.5mol/Lである(1)または(2)に記載の硫化鉄皮膜の製造方法。
(4)前記処理液に金属イオン封鎖剤を含むことを特徴とする(1)〜(3)のいずれかに記載の硫化鉄皮膜の製造方法。
(5)前記処理液に鉄イオンを含むことを特徴とする(1)〜(4)のいずれかに記載の硫化鉄皮膜の製造方法。
(6)前記(1)〜(5)のいずれかに記載の硫化鉄皮膜の製造方法において、10〜70℃の処理液に鉄系材料を1〜1800秒間接触させることを特徴とする硫化鉄皮膜の製造方法。
(7)前記(1)〜(6)のいずれかに記載の硫化鉄皮膜の製造方法において、鉄系材料と処理液との接触後に洗浄工程を有する硫化鉄皮膜の製造方法。
(8)前記硫化鉄皮膜の膜厚が0.01〜10μmである(1)〜(7)のいずれかに記載の硫化鉄皮膜の製造方法。
(9)(1)〜(8)のいずれかの硫化鉄皮膜の製造方法により得られる硫化鉄皮膜を有する鉄系材料。
(10)0.005〜1mol/Lの亜硫酸イオンと0.005〜0.5mol/Lのチオ硫酸イオンとを含み、pHが2.0〜6.5である処理液であり、鉄系材料と接触させ、前記鉄系材料表面上に硫化鉄皮膜を無電解で製造するための処理液。
(11)0.001〜0.5mol/Lの金属イオン封鎖剤を含むことを特徴とする(10)の処理液。
(12)0.005〜1mol/Lの鉄イオンを含むことを特徴とする(10)または(11)に記載の処理液。
【発明の効果】
【0009】
本発明は、安価にかつ環境負荷が小さく、さらに無電解で鉄系材料表面上に摺動性を付与する硫化鉄皮膜を製造する工業的に有利な方法を提供する。本発明より、省エネルギー及びプロセスの簡略化を大きく進展させ、様々な形状の部品に連続的に大面積で均一膜を付与することが可能となる。従って、本発明の工業的価値は大きい。また、得られた硫化鉄皮膜の鉄系材料への密着性が電解法よりも極めてよい。さらに、本発明により得られる硫化鉄皮膜を有する鉄系材料は、良好な摺動特性を示す。
また、本発明において、被処理材である鉄系材料の表面形状とその表面に形成される硫化鉄皮膜の表面形状との間の表面粗さの差の絶対値は、10点平均粗さパラメーターで1μm以下である。そのため、被処理材である鉄系材料の基板形状を保持したまま皮膜形成が可能であり、精密加工された寸法形状をもつ部品などの特性を変化させることなく、その表面を改質することが可能となる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0010】
次に、好ましい実施の態様を挙げて本発明をさらに詳しく説明する。
本発明では、硫化鉄皮膜の製造方法を以下の3つの工程で行う。
(1)鉄系材料の前処理工程。
(2)前記前処理工程で得られた鉄系材料と処理液とを接触させる接触工程。
(3)前記接触工程で得られた鉄系材料を洗浄する洗浄工程。
以下各工程について詳しく説明する。
【0011】
(1)前処理工程
第一工程は、鉄系材料の表面上に付着しているほこりや油脂類、指紋、酸化膜などを除去する工程である。本工程により、清浄な表面が提供され、皮膜のむらや密着不良などが抑えられる。
【0012】
本発明で使用する被処理材である鉄系材料とは、鉄または鉄合金の被処理表面を有する材料であれば特に限定されない。例えば、機械構造用炭素鋼、合金鋼、特殊鋼、鋳鍛造品、及びこれらに浸炭、窒化、高周波焼入れなどの熱処理を施したものが挙げられる。鉄系材料の形状は、特に限定されず、例えば摺動面(かみ合わせ面を含む)をもつ各種の機械部品、ギア、シャフト、ハブ、ピストン、シリンダーなどが挙げられる。また、鉄系材料の表面形状は、特に限定されず、平滑面、エンボス面などが挙げられる。
【0013】
第一工程の方法としては、特に限定されず、溶媒脱脂、アルカリ脱脂、界面活性剤による洗浄脱脂、電解研磨などの化学的方法や、ブラスト・ショット、機械研磨などの物理的な方法などが挙げられる。
【0014】
第一工程では、表面を活性化させるための塩酸、硫酸、スルファミン酸、フッ素化水素酸などを用いた酸洗工程を有していてもよい。また、第一工程では、本工程で使用する洗浄液を洗い流すために、水洗工程を有していてもよい。
【0015】
(2)接触工程
次に、第二工程について説明する。第二工程は、前記前処理工程で得られた鉄系材料と亜硫酸イオンとチオ硫酸イオンとを含み、pHが2.0〜6.5の処理液とを接触させ、無電解で鉄系材料表面上に硫化鉄皮膜を製造する工程である。無電解とは、電極や外部電源を用いずに、電気化学的な酸化還元作用に基づいて被処理材上に皮膜を形成する化成処理を意味する。本工程において、亜硫酸イオンが硫黄成分の供給源として作用すると推測される。また、鉄系材料から鉄イオンが水溶液中に供給される。よって、水溶液中に存在する亜硫酸イオンの還元反応により生じる2価の陰イオンの硫黄イオンと鉄イオンとが結合し、硫化鉄になると推測される。例えば、亜硫酸を使用した場合は、おもに以下の反応により硫化鉄が生じていると推測される(反応A)。
3Fe+HSO+HO→FeS+2Fe(OH) (反応A)
亜硫酸イオンの還元及び鉄の酸化により、硫化鉄と水酸化鉄が生成する。酸性条件下では、水酸化鉄は溶解し、硫化鉄のみが不溶物として析出し鉄系材料表面上に皮膜を作る。なお、亜硫酸イオンの一部は0価の価数の硫黄となり、不溶性の硫黄の高分子体が硫化鉄皮膜中に取り込まれる。
【0016】
処理液にチオ硫酸イオンが含まれていると、硫化鉄皮膜の形成が促進される。前記の亜硫酸イオンの還元により、その一部はチオ硫酸イオンへと変換される。チオ硫酸イオンは2価の陰イオンである硫黄イオンの供給源として作用しないため、鉄イオンとの間では、目的物である硫化鉄を生成せず皮膜形成に寄与しない。そこで、予め溶液中にチオ硫酸イオンを存在させると、亜硫酸イオンからチオ硫酸イオンへの還元が抑制され、効率的に硫黄イオンが生成し硫化鉄皮膜形成が促進されると推測する。
【0017】
本工程で使用する処理液には、亜硫酸イオンとチオ硫酸イオンとが含まれる水溶液が使用される。亜硫酸イオンは、硫黄成分の供給源として作用する。水溶液中の亜硫酸イオンのモル濃度は、通常0.005mol/L以上、好ましくは0.01mol/L以上、より好ましくは0.05mol/L以上、通常1mol/L以下、好ましくは0.5mol/L以下、より好ましくは0.3mol/L以下である。0.005mol/L未満の場合は、皮膜を工業的に実用可能な速度で製造することが困難となる。1mol/Lを超える場合は、硫化鉄の析出速度が速くなり膜厚の制御が困難となり、かつ処理液コストの面からも好ましくない。亜硫酸イオンの供給源は、亜硫酸イオンを含む化合物であれば特に限定されないが、亜硫酸水、亜硫酸ナトリウム、亜硫酸カリウム、亜硫酸水素ナトリウム、亜硫酸水素カリウム、亜硫酸アンモニウム、亜硫酸水素アンモニウム及びそれらの水和物などが挙げられる。いずれも使用可能であるが、水溶性原料は空気酸化を受け変質しやすいため、粉末で空気酸化されにくい亜硫酸ナトリウム、亜硫酸カリウムが工業的に好適である。なお、これらは単独でも、二種以上を併用して使用しても構わない。
【0018】
前記水溶液中のチオ硫酸イオンのモル濃度は、通常0.005mol/L以上、好ましくは0.01mol/L以上、より好ましくは0.02mol/L以上、通常0.5mol/L以下、好ましくは0.2mol/L以下、より好ましくは0.1mol/L以下である。0.005mol/L未満の場合は、上述のチオ硫酸イオンによる皮膜形成の促進効果が小さい。0.5mol/Lを超える場合は、その効果は飽和するため、コスト的に好ましくない。チオ硫酸イオンの供給源は、チオ硫酸イオンを含む化合物であれば特に限定されないが、チオ硫酸水、チオ硫酸ナトリウム、チオ硫酸カリウム、チオ硫酸水素ナトリウム、チオ硫酸水素カリウム、チオ硫酸アンモニウム、チオ硫酸水素アンモニウム、及びそれらの水和物が挙げられる。いずれも使用可能であるが、水溶性原料は空気酸化を受け変質しやすいため、粉末で空気酸化されにくいチオ硫酸ナトリウムやチオ硫酸カリウムが工業的に好適である。なお、これらは単独でも、二種以上を併用して使用しても構わない。
【0019】
亜硫酸イオンとチオ硫酸イオンのモル比(チオ硫酸イオン/亜硫酸イオン)は、本発明の効果を奏する範囲であれば、特に限定されない。
【0020】
亜硫酸イオン及びチオ硫酸イオンの水溶液中の濃度測定は、イオンクロマトグラフィーによって計測される。
【0021】
本工程で使用する処理液のpHは、通常2.0以上、好ましくは3.0以上、より好ましくは4.0以上、通常6.5以下、好ましくは6.0以下、さらに好ましくは5.5以下である。pHが2.0未満の場合、硫化鉄が溶解し皮膜が形成されにくくなる。また、被処理材である鉄系材料へのエッチング作用が過大となり、均一な皮膜の析出が困難となる。さらには、静置時にチオ硫酸イオンが自己分解を生じやすく好ましくない(反応B)。
Na+HSO→NaSO+SO+S+HO (反応B)
pHが6.5を超える場合、エッチングされた金属イオンが水酸化物として液中に沈殿析出しやすくなり処理液の寿命が短くなると共に、安定した性能を持つ皮膜の形成が困難になる。
【0022】
処理液のpHは、酸成分とアルカリ成分によって調整される。使用する酸性分としては、特に限定されないが、フッ化水素酸、硝酸、塩酸、硫酸などの無機酸や、蟻酸、酢酸、酒石酸などの有機カルボン酸や、前述の亜硫酸イオンを含む化合物、チオ硫酸イオンを含む化合物などが挙げられる。特に、亜硫酸イオンを含む化合物、チオ硫酸イオンを含む化合物、硫酸が好適である。なお、これらは単独でも、二種以上を併用して使用しても構わない。使用するアルカリ成分としては、特に限定されないが、水酸化ナトリウム、水酸化カリウムなどの水酸化物や、アンモニア水、炭酸ナトリウム、炭酸カリウムなどの無機アルカリや、ジエタノールアミン、トリエチルアミンなどの有機アミン類が挙げられる。特に、水酸化ナトリウム、水酸化カリウムが好適である。なお、これらは単独でも、二種以上を併用して使用しても構わない。pHの測定法は、市販のガラス電極法によるpHメーターによって計測される。
【0023】
本工程で使用する処理液は、必要に応じて、金属イオン封鎖剤を含んでいてもよい。金属イオン封鎖剤とは、金属イオンに対して錯体化能、またはキレート能を有する化合物を意味する。金属イオン封鎖剤は処理液中で金属イオンに作用し、金属水酸化物による沈殿などのスラッジの形成を抑制すると共に、皮膜厚みの制御に寄与する。また、処理液にpH緩衝作用を与える効果も期待でき、処理液にpH保持性を付与する。金属イオン封鎖剤としては、特に限定されないが、フッ化水素酸、グルコン酸、シュウ酸、酒石酸、リンゴ酸、クエン酸、アジピン酸などの脂肪族カルボン酸や、エチレンジアミン4酢酸、グリコールエーテルジアミン4酢酸、トリエチレンテトラミン6酢酸、ジエチレントリアミン5酢酸などのアミン化合物などが挙げられる。脂肪族カルボン酸が好ましく、特にシュウ酸、酒石酸、クエン酸が好適である。これらは単独でも、二種以上を併用しても構わない。処理液中における金属イオン封鎖剤の含有モル濃度は、通常0.001mol/L以上、好ましくは0.002mol/L以上、さらに好ましくは0.005mol/L以上、通常0.5mol/L以下、好ましくは0.1mol/L以下、さらに好ましくは0.05mol/L以下である。0.001mol/L未満の場合は、金属イオン封鎖剤の効果が小さい。0.5mol/L以下を超える場合は、効果が飽和しておりコスト的に好ましくない上、鉄イオンが安定化されすぎて硫化鉄として沈殿を生じにくくなり皮膜析出効率が悪くなる。
【0024】
本工程で使用する処理液は、必要に応じて、鉄イオンを含んでいてもよい。鉄イオンを予め処理液に添加しておくと、各被処理材間の皮膜の膜厚、形態、外観などが変動しにくくなるメリットがあり、一定品質の皮膜を長期にわたり製造することが可能となる。処理液中における鉄イオンのモル濃度は、通常0.005mol/L以上、好ましくは0.02mol/L以上、さらに好ましくは0.05mol/L以上、通常1.0mol/L以下、好ましくは0.6mol/L以下、さらに好ましくは0.3mol/L以下である。0.005mol/L未満では、鉄イオンによる付与効果が小さい。1.0mol/Lを超える場合は、効果が飽和しておりコスト的に好ましくない上、水酸化物など沈殿物が析出しやすい。鉄イオンの供給源としては、例えば、第一硫酸鉄、第二硫酸鉄及びその水和物などが挙げられる。また、鉄イオンの価数は2価または3価のいずれとも使用可能である。特に、還元性雰囲気である本処理液中で鉄イオンはほとんど2価に還元されると推測されるため、2価の鉄イオンを使用するのが好ましい。なお、鉄イオンよりもイオン化傾向の低い金属、例えば、ニッケルイオンやコバルトイオンなどの使用は好ましくないが、本発明の効果を損なわない範囲で使用することができる。
【0025】
本工程で使用する処理液は、必要に応じて、水溶性樹脂やエマルジョン樹脂を含んでいてもよい。これらの樹脂を皮膜中に取り込ませることで、より柔軟な皮膜を得ることが可能となる。使用する樹脂としては、特に限定されないが、アクリル系樹脂、アルキッド系樹脂、エポキシ系樹脂、ウレタン系樹脂、ポリエステル系樹脂、エポキシポリエステル樹脂、酢酸ビニル樹脂、スチレンブタジエン樹脂などが挙げられる。これら樹脂の水溶液中での含有濃度は、処理液組成や処理操作によって適宜選択される。
【0026】
本工程で使用する処理液は、本発明の目的を損なわない範囲で消泡剤を含んでいてもよい。消泡剤により処理液の発泡が抑えられる。処理液中における消泡剤の含有量は、特に限定されない。
【0027】
本工程で使用する処理液は、通常水溶液であるが、必要に応じて他の溶媒と混合して使用することができる。他の溶媒としてはメタノール、エタノール、アセトン、酢酸メチル、酢酸エチルなどが挙げられる。他の溶媒の混合量は、通常10wt%以下、好ましくは1wt%以下である。
【0028】
本工程での鉄系材料と処理液との接触方法は、特に限定されないが、浸漬法やスプレー法などが挙げられる。浸漬法とは、被処理材を処理液に漬けて処理する方法を意味する。浸漬の方法は、限定されず、被処理材を処理液に漬けて引き上げる方法、被処理材を固定し処理液を上下させて行う方法などが挙げられる。スプレー法は、処理液を被処理材に噴霧して処理する方法を意味する。なお、浸漬法においては、必要に応じて処理液を攪拌してもよい。
【0029】
本工程での処理液の温度は、通常10℃以上、好ましくは25℃以上、通常80℃以下、好ましくは50℃以下である。10℃未満の場合は、硫化鉄皮膜の形成速度が遅く好ましくない。80℃を超える場合は、処理液成分の変質が生じやすい。
【0030】
本工程での鉄系材料と処理液との接触時間は、処理液組成や処理液温度により適宜選択されるが、通常1秒以上、好ましくは30秒以上、より好ましくは60秒以上、通常3600秒以下、好ましくは1800秒以下、より好ましくは600秒以下である。1秒未満の場合、得られる皮膜が薄くなり摺動特性が劣る上、ラインでの管理が困難となる。3600秒を超える場合は、皮膜の性能向上は見られず、かつラインにおける操業効率の点からも好ましくない。スプレー法の場合は、一定間隔ごとに複数回処理液を噴霧してもよい。特に、0.2〜10秒間隔で複数回噴霧することが好ましい。
【0031】
本工程の雰囲気は、特に限定されないが、通常空気雰囲気下である。必要に応じて、窒素、炭酸ガス、アルゴン、ヘリウムなどの不活性ガス雰囲気又は減圧下とすることもできる。
【0032】
(3)洗浄工程
次に、第三工程について説明する。第三工程は、前記接触工程で得られた鉄系材料から、可溶性成分や処理液を洗い流す工程である。前記接触工程で未反応である処理液は本工程で洗い流されてしまうが、化成皮膜である硫化鉄皮膜は本工程では溶解せず鉄系材料表面上にそのまま残る。洗浄剤は、特に限定されず、溶剤系洗浄剤、水系洗浄剤、エマルジョン洗浄剤など挙げられるが、水系洗浄剤が特に好ましい。洗浄方法は、特に限定されず、浸漬洗浄、電解、超音波、スプレーなどが挙げられる。洗浄液の温度は、適宜選択される。なお、得られた鉄系材料表面の腐食が問題となる場合には、本工程による洗浄前に鉄系材料を水酸化ナトリウム水溶液などのアルカリ溶液中に浸漬させる工程を有していてもよい。
【0033】
本発明では、必要に応じて、第三工程後に鉄系材料の乾燥、防錆油を塗布する工程を有していてもよい。
【0034】
本発明において得られる硫化鉄皮膜の膜厚は、特に限定されないが、通常0.01μm以上、好ましくは0.05μm以上、さらに好ましくは0.1μm以上、通常10μm以下、好ましくは5.0μm以上、さらに好ましくは2.0μm以上である。0.01μm未満の場合は、摺動特性の改善効果が小さい。10μmを超える場合は、皮膜の特性向上が飽和し、コスト的に好ましくない。なお、皮膜の膜厚と処理液との接触時間との間には相関があり、接触時間が長くなるにつれて膜厚も厚くなる。よって、接触時間及び処理液の温度などを所定範囲で変化させることにより、膜厚を容易に制御することが可能となる。膜厚は、例えば、皮膜の断面試料を作製して膜厚方向から透過電子顕微鏡で観察する方法により求めることができる。また、膜厚は、任意の20箇所以上の場所で測定を行い、最大及び最小の各2〜6箇所を除いた14箇所以上の膜厚の平均値を意味する。
【0035】
本発明で得られる硫化鉄皮膜中に含まれる硫化鉄の種類は、特に限定されず、硫化第一鉄(FeS)、硫化第二鉄(Fe)、二硫化鉄(FeS)などが挙げられる。また、得られる硫化鉄皮膜中には硫黄が含まれていてもよく、その含有量は本発明の効果を奏する範囲であれば特に限定されない。なお、硫黄の種類は特に限定されず、例えば斜方硫黄、単斜硫黄や無定型硫黄などが挙げられる。得られた硫化鉄皮膜の分析は、公知の蛍光X線分析などにより行うことができる。
【0036】
従来の電極を使用した電解法では、通電量が多くなると皮膜の表面粗さが大きくなることが知られている(特許文献2参照)。一方、本発明で得られる硫化鉄皮膜の形状は、基板である鉄系材料の初期の表面形状を反映したものになる。つまり、硫化鉄処理した前後での鉄系材料の表面粗さ(10点平均粗さ)の差の絶対値は、通常1μm以下、好ましくは0.6μm以下、さらに好ましくは0.3μm以下である。従って、本発明により基板である鉄系材料の表面形状を予め平滑面、エンボス面、マット面などにすることにより、平滑面、エンボス面、マット面など所望の表面形状を有する硫化鉄皮膜を形成させることができる。また、処理後の表面形状の修正が不要であり、精密加工された寸法形状をもつ部品などの特性を変化させることなく、その表面を改質することが可能となる。なお、表面粗さは例えば、触針式表面粗さ計によって計測することができる。
【0037】
上記効果の詳細なメカニズムは不明だが、硫化鉄皮膜の形成時に多数の反応核が生成されているためと推測される。つまり、被処理材である鉄系材料表面上に多数の硫化鉄の反応核が密にかつ均一に生成されるため、それらを起点に反応が進行する。よって、従来の電解法とは異なり、局部的な皮膜の形成が抑制され、均一な膜が形成されることにより基材の初期表面形状を保持するものと考えられる。なお、本発明は前記メカニズムに制約されるものではない。
【0038】
本発明で得られる硫化鉄被膜は、鉄系材料への良好な密着性を示す。本発明で得られた硫化鉄被膜に対してJIS K 5400準拠による碁盤目密着性試験を実施すると、通常、テープ剥離後に剥がれずに残存する硫化鉄被膜のマス目の数は全体の90%以上、好ましくは95%以上、さらに好ましくは99%以上となる。一方、特許文献4の手法により硫化鉄被膜を鉄系材料表面上に形成させ、同様の条件下で試験を実施すると、通常、残存する硫化鉄被膜のマス目の数は全体の50%以下となる。従って、本発明で得られる硫化鉄被膜は、従来から使用されている電解法よりも被処理材に対して優れた密着性を示す。
【0039】
本発明で得られる硫化鉄皮膜を有する鉄系材料は、いずれの使用条件下おいても高い摺動特性を有する。
【実施例】
【0040】
以下の実施例により本発明を具体的に説明するが、本発明の範囲はこれらの実施例により何ら限定されるものではない。
【0041】
1.供試材及びその前処理
材質SUJ2(Optimol社製)からなるDISK試験片(円板形状;φ24mm×7.9mm)を供試材とした。試験片に対する硫化物処理前の共通の前処理工程として、まずDISK試験片に付着した油分及びゴミを60℃のアルカリ性の脱脂剤(日本パーカライジング(株)製 ファインクリーナー4360)中で20分間揺動浸漬することによりその除去を行った。その後水洗し、次に最表面の酸化膜除去として1重量%の塩酸中で10秒間の酸洗を実施しその後水洗して得たDISK試験片に対し、各条件にて硫化物処理を行った。
【0042】
2.硫化物処理法
上記1に記載の方法によって得た共通条件のDISK試験片に対し、下記の表1に示す各処理液、及び表2の処理条件にて硫化物処理を行った。その後、市水にて水洗し水溶性成分の除去を行い、100℃で5分間の乾燥を行った。
【0043】
表1:処理液組成


<表1の付記事項>
処理液1〜5:本発明範囲内
処理液6:チオ硫酸イオンが無く本発明範囲外
処理液7:亜硫酸イオンが無く本発明範囲外
処理液8:pHがアルカリ側であり本発明範囲外
【0044】
表2:硫化処理条件

【0045】
1.その他化成処理
比較例4として、上記1処理後のDISK試験片に対し、硫酸第二鉄を用いて鉄(III)イオンを30g/L、キレート剤としてヘプトグルコン酸ナトリウムを80g/L、及び2−アミノ−6−ニトロフェノール−4−スルフォン酸ナトリウムを30g/L、そして硫化カリウムを6.7g/LとしたpH10の40℃の浴中において、5A/dmで1分間の陽極電解し、1.2μmの硫化鉄皮膜を形成させた。
比較例5として、上記1処理後のDISK試験片に対し、りん酸マンガン処理(日本パーカライジング(株)製 、製品名パルフォス-M1A使用)を95℃にて10分間行った。その際、りん酸マンガン処理に対する前処理として、表面調整(日本パーカライジング(株)製、製品名プレパレン-VM使用)を行った。析出したりん酸マンガンの皮膜量は10g/mであった。また、上記1による脱脂、洗浄及び酸洗いをした前処理のみの試験片を、比較例6の化成処理無し品とした。
【0046】
4.評価方法
上記1〜3によって得られたDISK試験片に対して、その摺動性能(動摩擦係数)をSRV試験機によって調査した。SRV試験とは、円柱材の側面とDISK試験片の平面部との往復接触運動による摺動試験である。その際の試験条件は、下記の通りである。
・ 負荷荷重 :100N
・ 振動数 :30Hz
・ 摺動距離 :2mm
・ 相手材 :S45C(円柱形状:φ15mm×22mm)(Optimol社製)
・ 使用油 :市販エンジン用オイル(10W−30)
【0047】
5.評価結果
上記2及び3により化成処理されたDISK試験片に対し、上記4の方法にて摺動性能を評価した結果を表3に示す。表中、上記3による比較材に対する評価結果も併せて示した。皮膜厚さは、処理後の試験片に対する断面観察によって計測した。
【0048】
表3:SRV試験による摺動性能結果


表3中の「表面粗さの差」とは、硫化鉄皮膜を形成させた前後での鉄系材料の表面粗さの差の絶対値を意味する。なお、表面粗さは10点平均粗さ(μm)である。
【0049】
本発明の範囲内である実施例1〜7においては鉄系材料表面上に硫化鉄皮膜が形成された。これらは従来法による陽極電解による硫化鉄処理品(比較例4)、りん酸マンガン処理(比較例5)や無処理品(比較例6)と比較して、0.2未満という低い動摩擦係数を示し摺動性能の向上が確認された。また、摺動部では特に目立ったキズは無く、耐摩耗性は良好であった。一方、比較例6の無処理品は、摺動部に深いキズが見られ耐摩耗性が悪かった。
【0050】
処理液組成が本発明の範囲外である比較例1では、薄い皮膜は得られたが動摩擦係数は0.23と大きく、所望の摺動特性を示さなかった。また、比較例2及び3においては、皮膜は得られず、動摩擦係数も0.24と大きかった。
【産業上の利用可能性】
【0051】
本発明は、設備導入のイニシャルコストが低く、また環境負荷の小さい処理液を使用した無電解での硫化鉄皮膜の有利な製造方法を提供する。本発明により、摺動特性に優れた硫化鉄皮膜を有する鉄系材料を安価で提供することが可能となる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
亜硫酸イオンとチオ硫酸イオンとを含み、pHが2.0〜6.5である処理液と鉄系材料とを接触させ、前記鉄系材料表面上に硫化鉄皮膜を無電解で製造する硫化鉄皮膜の製造方法。
【請求項2】
前記亜硫酸イオンの濃度が0.005〜1mol/Lである請求項1記載の硫化鉄皮膜の製造方法。
【請求項3】
前記チオ硫酸イオンの濃度が0.005〜0.5mol/Lである請求項1または2に記載の硫化鉄皮膜の製造方法。
【請求項4】
前記処理液に金属イオン封鎖剤を含むことを特徴とする請求項1〜3のいずれかに記載の硫化鉄皮膜の製造方法。
【請求項5】
前記処理液に鉄イオンを含むことを特徴とする請求項1〜4のいずれかに記載の硫化鉄皮膜の製造方法。
【請求項6】
前記硫化鉄皮膜の膜厚が0.01〜10μmである請求項1〜5のいずれかに記載の硫化鉄皮膜の製造方法。
【請求項7】
請求項1〜6のいずれかの硫化鉄皮膜の製造方法により得られる硫化鉄皮膜を有する鉄系材料。