説明

膵液成分保存用試料の調製方法

【課題】採取された膵液を、膵液由来の生体成分の分解が抑制された状態で保存可能な試料を調製する方法、当該試料を調製するための容器、及び当該試料を用いて膵液成分を測定する方法の提供。
【解決手段】膵液又は十二指腸液を保存するための膵液成分保存用試料の調製方法であって、膵液又は十二指腸液とpH調整液とを混合することにより、pHが2〜5である膵液成分保存用試料を調製する膵液成分保存用試料の調製方法、膵液又は十二指腸液のための採取用容器であって、採取された膵液又は十二指腸液のpHを2〜5に調整するためのpH調整液が予め含まれている膵液又は十二指腸液のための採取用容器、前記記載の膵液成分保存用試料の調製方法により調製された膵液成分保存用試料、並びに、前記記載の膵液成分保存用試料のpHを6〜8に調整することを特徴とする、膵液成分測定用試料の調製方法。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、膵液又は膵液が含まれる十二指腸液を保存するための試料を調製するための方法、当該試料を調製するための容器、及び当該試料を用いて膵液成分を測定する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
体液は臓器の状態を知るための重要な生体試料である。膵液も膵臓の状態を知るための重要な生体試料であり、細胞診ならびに各種生体分子の測定などの検査や研究に用いられている。その採取方法は、一般的に、内視鏡を十二指腸まで挿入し、十二指腸乳頭部を確認した後、当該内視鏡の開口部から膵臓の膵管へカテーテルを挿入することにより、膵管に貯まった膵液を採取する方法である。また、膵管を通じて乳頭部から排出された膵液を十二指腸で採取する方法が提案されている(例えば、非特許文献1参照。)。なお、十二指腸で採取した液中には、膵液だけではなく、同じく乳頭部より排出された胆汁や元々十二指腸に存在している液も含まれている。
【0003】
膵液は消化液であるため、様々な消化酵素を含む。これらの消化酵素は、膵臓内においては不活性の状態で存在しているが、十二指腸に排出された後に活性化することが知られている。膵液中の消化酵素は、十二指腸上皮細胞から分泌される小腸エンテロキナーゼによって分解のカスケード反応が進む。小腸エンテロキナーゼによって膵液中に含まれるトリプシノーゲンが活性化されてトリプシンになり、さらにこのトリプシンが引き金となり、キモトリプシノーゲン、プロエステラーゼなど種々の消化酵素(プロテアーゼ)が活性化されることが知られている。なお、トリプシノーゲンは膵液総タンパク量のほぼ12%前後を占めると言われている(例えば、非特許文献2参照。)。これら種々のプロテアーゼの活性化により、膵液中に含まれるタンパク質、核酸、脂質、細胞等の各種生体分子は、十二指腸に排出後に分解、変性されてしまう。このため、十二指腸へ排出された膵液を細胞診や生体分子の測定をはじめとした検査や研究に役立てる場合、膵液中の目的とする細胞やタンパク質などがプロテアーゼの影響を受け、正確に測定できないことが懸念される。このため、十二指腸に排出された膵液中におけるプロテアーゼの活性をいかに阻害するかが重要となる。
【0004】
また、弱アルカリ性(pH8.5程度)である膵液は、十二指腸に排出されて胃酸と混ざることによって中性になる。このため、pH7〜7.5に至適pHを持つヌクレアーゼは、十二指腸に排出されることにより、より活性が進むことが予想される。このため、特に膵液中の核酸を解析対象として診断等を行う場合、膵液中に含まれているヌクレアーゼをいかに阻害するかが重要となる。
【0005】
十二指腸から採取された膵液中の各種分解酵素の活性を低減させるための従来法の1つとして、採取した膵液を冷やした状態で保存し、酵素活性の至適温度を外すことによって活性を抑える方法がある。しかしながら、当該方法では、採取された膵液を常に低温に保つ必要があり、取り扱いが煩雑であるという問題がある。また、タンパク質の種類によっては、低温であっても分解が進むことがあるため、単に低温で保存するだけでは、膵液由来の成分の分解・変性等を抑制するためには不十分である。
【0006】
その他、非特許文献1では、十二指腸に排出された膵液にプロテアーゼ阻害剤を加えることにより、酵素活性を抑えている。しかしながら、膵液中に含まれる酵素、特にプロテアーゼは、セリンプロテアーゼ、メタロプロテアーゼ、カルボキシペプチターゼなど多種多様であり、1又は数種の阻害剤を添加しただけでは全ての酵素の活性を完全に抑制することは非常に困難である。さらに、多くの阻害剤は低温での保存が必要であり、コストも高いため、ルーチンな検査に適しているとは言えない、という問題があった。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0007】
【非特許文献1】ノウ(Noh)、他4名、クリニカル・ガステロエンテロロジー・アンド・へパトロジー(CLINICAL GASTROENTEROLOGY AND HEPATOLOGY)、2006年、第4巻、第782〜789ページ。
【非特許文献2】洲脇 謹一郎、日本消化器病学会雑誌、1981年、第78巻、第6号、第1275〜1281ページ。
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
本発明は、採取された膵液、特に十二指腸に排出された後に採取された膵液を、膵液由来の生体成分の分解が抑制された状態で保存可能な試料を調製する方法、当該試料を調製するための容器、及び当該試料を用いて膵液成分を測定する方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明者らは、上記課題を解決すべく鋭意研究した結果、採取された膵液をpH2〜5で保存することにより、当該膵液中に含まれている酵素の活性を効果的に抑制し、生体成分を安定して保存し得ることを見出し、本発明を完成させた。
【0010】
すなわち、本発明は、
(1) 膵液又は十二指腸液を保存するための膵液成分保存用試料の調製方法であって、
膵液又は十二指腸液とpH調整液とを混合することにより、pHが2〜5である膵液成分保存用試料を調製することを特徴とする膵液成分保存用試料の調製方法、
(2) 前記膵液成分保存用試料のpHが3.5〜5であることを特徴とする前記(1)に記載の膵液成分保存用試料の調製方法、
(3) 前記膵液成分保存用試料のpHが4〜4.5であることを特徴とする前記(1)に記載の膵液成分保存用試料の調製方法、
(4) 前記pH調整液が緩衝作用を有していることを特徴とする前記(1)〜(3)のいずれか一つに記載の膵液成分保存用試料の調製方法、
(5) 前記膵液成分保存用試料の容量は、前記膵液又は十二指腸液の容量の3倍以上であることを特徴とする前記(1)〜(4)のいずれか一つに記載の膵液成分保存用試料の調製方法、
(6) 膵液又は十二指腸液のための採取用容器であって、
採取された膵液又は十二指腸液のpHを2〜5に調整するためのpH調整液が予め含まれていることを特徴とする膵液又は十二指腸液のための採取用容器、
(7) 前記pH調整液の容量が、採取予定の膵液又は十二指腸液の容量の2倍以上であることを特徴とする前記(6)に記載の採取用容器、
(8) 前記pH調整液が、緩衝作用を有することを特徴とする前記(6)又は(7)に記載の採取用容器、
(9) 前記pH調整液が、pH指示薬を含むことを特徴とする前記(6)〜(8)のいずれか一つに記載の採取用容器、
(10) 前記(1)〜(5)のいずれか一つに記載の膵液成分保存用試料の調製方法により調製された膵液成分保存用試料、
(11) 前記(1)〜(5)のいずれか一つに記載の膵液成分保存用試料の調製方法により調製された膵液成分保存用試料のpHを6〜8に調整することを特徴とする、膵液成分測定用試料の調製方法、
を、提供するものである。
【発明の効果】
【0011】
本発明の膵液成分保存用試料の調製方法により、採取された膵液を、当該液中に含まれている各種酵素の活性を効果的に抑制し、生体成分の分解・変性等をより安定して保存することが可能な膵液成分保存用試料を調製することができる。当該調製方法により得られた膵液成分保存用試料は、生体成分の分解・変性等が顕著に抑制されているため、当該膵液成分保存用試料を用いて測定することにより、より精度よく膵液中の生体成分を解析することができる。
【図面の簡単な説明】
【0012】
【図1】参考例1において、各十二指腸液試料から測定された蛍光量を示した図である。
【図2】参考例2において、各パンクレアチン溶液から測定された蛍光量を示した図である。
【図3】実施例1において、十二指腸液の各希釈液から測定された蛍光量を示した図である。
【図4】実施例2において、各試料溶液中のS100Pの測定結果を示した図である。
【図5】実施例3において、各試料溶液中のS100Pの測定結果を示した図である。
【発明を実施するための形態】
【0013】
膵液は十二指腸に排出されると、十二指腸上皮細胞から分泌される小腸エンテロキナーゼによって膵液中に含まれるトリプシノーゲンが活性化されトリプシンになり、表1に示すような種々の消化酵素が活性化される。小腸エンテロキナーゼは、pH8に至適pHを持つ。また、表1に示すような各種プロテアーゼの至適pHは5〜9程度と比較的幅広い。
【0014】
【表1】

【0015】
本発明の膵液成分保存用試料の調製方法は、膵液又は十二指腸液を保存するための膵液成分保存用試料の調製方法であって、膵液又は十二指腸液とpH調整液とを混合することにより、pHが2〜5である膵液成分保存用試料を調製することを特徴とする。pHが2〜5の状態では、膵液由来の消化酵素の大部分の至適pHから外れるため、これらの消化酵素の活性を簡便かつ有意に抑制することができる。よって、膵液又は十二指腸液のpHを2〜5に調整することによって、膵液等中の膵液由来の生体成分の消化酵素による分解等を抑制し、生体成分を解析可能な状態で保存することができる。
【0016】
本発明及び本願明細書において、十二指腸液とは、十二指腸で採取される体液であり、膵液に加えて、胆汁や元々十二指腸に存在している液も含まれている。
【0017】
本発明の膵液成分保存用試料の調製方法に供される膵液由来の成分を含む体液は、膵臓から直接カテーテルから採取された膵液であってもよく、十二指腸液であってもよい。膵液や十二指腸液は、常法により採取することができる。本発明に供される体液は、膵液と十二指腸液のいずれであってもよいが、十二指腸液のほうがより本発明の効果を奏することができる。
【0018】
本発明の膵液成分保存用試料の調製方法において調製される膵液成分保存用試料のpHは、2〜5の範囲内であればよいが、2.4〜5.1であることが好ましく、3.0〜5であることがより好ましく、3.5〜5であることがさらに好ましく、4〜4.5であることがよりさらに好ましい。
【0019】
本発明の膵液成分保存用試料の調製方法に供される膵液等は、採取された後常法により保存されたものであってもよいが、採取直後のものであることが好ましい。採取後速やかにpHを2〜5に調整することによって、生体成分の分解等をより効果的に抑制することができる。
【0020】
具体的には、膵液等とpH調整液とを混合する。本発明において用いられるpH調整液は、膵液等のpHを2〜5に調整可能なものであれば特に限定されるものではなく、一般的に中性又はアルカリ性の溶液を酸性に調整する際に用いられる酸の中から、膵液等の量、粘度、得られた膵液成分保存用試料の使用方法等を考慮して、適宜調整することができる。
【0021】
pH調整液の有効成分として用いられる酸としては、鉱酸であってもよく、有機酸であってもよい。具体的には、塩酸、硝酸、硫酸、酢酸、過酸化水素、クエン酸、酒石酸、リンゴ酸、乳酸、アジピン酸、コハク酸、リン酸などの酸、又はその塩を、1種又は2種以上を混合して用いる。中でも、食品添加物として用いられ、より安全性が高いと考えられるクエン酸、酒石酸、リンゴ酸、乳酸、アジピン酸、コハク酸、リン酸等を用いることが好ましい。
【0022】
本発明において用いられるpH調整液は、膵液等と混合した際に得られた混合液(膵液成分保存用試料)のpHをほぼ一定に保つために、緩衝作用のある緩衝液であることが好ましい。緩衝液としては、クエン酸緩衝液(クエン酸とクエン酸ナトリウム)や酢酸緩衝液(酢酸と酢酸ナトリウム)、グリシン−塩酸緩衝液(グリシンと塩酸)等が挙げられる。例えば、0.1Mクエン酸(C・HO、21.01g/L)33mlにクエン酸3ナトリウム(CNa・2HO、29.41g/L)22mlを加え、100mlに希釈することにより、クエン酸とクエン酸ナトリウムを用いてpH4の緩衝液を調製することができる。
【0023】
より安定して確実にpHを所望の範囲内に調整するために、本発明においては、得られた膵液成分保存用試料では、膵液等が充分に希釈されていることが好ましい。また、膵液等は粘性が高い場合があるため、ほとんどの場合、均一化の意味も含め、アッセイ時には希釈する必要がある。そこで、本発明においては、膵液等に対して等量以上のpH調整剤を混合することが好ましい。膵液等に対して十分な容量のpH調整剤を添加することにより、適度な希釈とpH調整とを同時に達成することができる。本発明においては、調製された膵液成分保存用試料の容量は、前記膵液又は十二指腸液の容量の3倍以上であることが好ましく、4倍以上であることがより好ましく、5倍以上であることがさらに好ましく、6倍以上であることがよりさらに好ましい。特に、膵液等の体液は粘性やpHの個体差が大きいため、より確実にpHを調整するためには、さらに希釈倍率を上げて調製することが望ましい。
【0024】
本発明においては、膵液等に少量のpH調整剤を添加した後、緩衝液等を添加して希釈してもよく、予め緩衝液等で希釈したpH調整剤を膵液等に添加してもよい。少量の膵液等に対して濃い酸を少量添加した場合には、凝固する場合がある。このため、本発明においては、予め緩衝液等で膵液等の2倍以上の容量に希釈したpH調整剤と膵液等を混合することが好ましい。
【0025】
本発明において、得られた膵液成分保存用試料のpHの確認や、用いられるpH調整剤や希釈に用いられる緩衝液のpHの確認は、溶液の一部を採取し、得られた溶液のpHをpH試験紙やpH計測器を用いて測定することができる。また、pH調整剤や希釈用の緩衝液に予めpH指示薬を添加しておき、溶液の色の変化を目視で確認することによって、膵液成分保存用試料等の溶液のpHを確認してもよい。pH指示薬としては、当該技術分野で公知の指示薬の中から適宜選択して用いることができる。具体的なpH指示薬を表2に示す。
【0026】
【表2】

【0027】
本発明の膵液成分保存用試料の調製方法においては、一旦採取容器に回収された膵液等にpH調整液を混合することによって調製してもよいが、生体から採取された膵液を直接、pH調整液が予め含まれている採取容器(以下、本発明の採取容器、ということがある。)に回収することが好ましい。また、本発明の採取容器に含有されているpH調整液は、採取予定の膵液又は十二指腸液のpHを調整するために十分な量であればよいが、採取予定の膵液等の容量の2倍以上の容量であることが好ましく、3倍以上の容量であることがより好ましく、4倍以上の容量であることがさらに好ましく、5倍以上の容量であることがよりさらに好ましい。また、採取された膵液等のpHを所望の範囲内により安定して調整することができるため、本発明の採取容器に含有されているpH調整液は、緩衝作用を有していてもよい。さらに、pHの評価を簡便に行うことができるため、本発明の採取容器に含有されているpH調整液は、適当なpH指示薬を有していることも好ましい。
【0028】
本発明の採取容器は、例えば、膵液又は十二指腸液の採取する際に用いられるカテーテルの末端に接続され、当該カテーテルを通って生体外へ採取された体液を回収可能な容器に、前記のpH調整液を予め収容させておくことにより作製することができる。その他、通常膵液又は十二指腸液の採取に用いられる採取用具中の、採取された体液が一次的に貯留される部位に、予め前記のpH調整液を収容させたものも、本発明の採取容器とすることができる。
【0029】
本発明の膵液成分保存用試料の調製方法により調製された膵液成分保存用試料は、多種多様な消化酵素を含有しているにもかかわらず、これらの消化酵素による影響が有意に抑制されており、タンパク質や核酸等の生体成分を安定して保存することができる。つまり、本発明の膵液成分保存用試料は、膵液等に含まれている生体成分を、診断、検査、研究を実施するまでの間、非常に効果的に保存することができるため、膵液等に含まれている生体成分の解析に好適に用いることができる。特に、本発明の膵液成分保存用試料は、pHを所望の範囲内に維持されている限り安定して消化酵素の活性を抑制することができるため、冷蔵・冷凍保存等を必ずしも必要とせず、取り扱いが容易である。なお、本発明の膵液成分保存用試料の保存温度は、常温以下であればよく、冷蔵保存や冷凍保存をしてもよい。
【0030】
本発明の膵液成分保存用試料は、その他の生体試料と同様に、各種検査のための測定試料として用いることができる。本発明の膵液成分保存用試料中の測定対象物質は、膵液又は十二指腸液に含まれていることが期待される生体成分であれば特に限定されるものではなく、タンパク質であってもよく、DNAやRNA等の核酸であってもよく、細胞であってもよい。例えば、本発明の膵液成分保存用試料は、ELISA、イムノクロマト、二次元電気泳動、ウエスタンブロット、質量分析法などを用いた種々のタンパク質解析や、PCR、RT−PCR、プローブを用いたハイブリダイゼーションなどを用いた種々の核酸解析、細胞数カウントや細胞診のような細胞解析等に用いることができる。
【0031】
本発明の膵液成分保存用試料は、pHが2〜5であるため、測定方法によっては、pHを中性付近、例えばpHを6〜8に調整した後に、測定に供することが好ましい。例えば、測定対象物質がタンパク質であり、測定方法がELISA等の抗原抗体反応を利用した方法である場合には、反応溶液に添加する前に本発明の膵液成分保存用試料のpHを中性付近にすることにより、抗原抗体反応や、抗原抗体複合体を検出するための酵素反応に対する影響を抑制することができる。特に、測定対象物質が核酸である場合には、通常、本発明の膵液成分保存用試料から核酸抽出工程を経て得られた核酸に対して測定が行われるが、本発明の膵液成分保存用試料のpHを6〜7に調整した後に核酸抽出が行われることによって、核酸抽出工程において汎用されているプロテアーゼK(至適pHは7.5〜10付近。)の働きに対する影響を極力減らすことができる。
【0032】
本発明の膵液成分保存用試料を膵液由来のS100P(カルシウム結合タンパク質)の測定に用いる場合には、本発明の膵液成分保存用試料のpHは3.5〜5に調整されていることが好ましく、4〜4.5に調整されていることがより好ましい。当該範囲内にあることにより、膵液成分保存用試料中のS100Pをより効果的に安定して保存することができる。
【実施例】
【0033】
次に実施例等を示して本発明をさらに詳細に説明するが、本発明は以下の実施例に限定されるものではない。
【0034】
[参考例1]
7人から採取された十二指腸液(十二指腸排出後膵液)検体のプロテアーゼ活性、及びプロテアーゼ活性に対する阻害剤の影響を調べた。
まず、7人から常法により採取された十二指腸液を3等分し、1つはそのままの状態で、1つは市販の阻害剤(商品名:Complete Protease Inhibitor Cocktail、Roche社製)を最終濃度が推奨濃度(1×)になるように添加し、残る1つは当該阻害剤を最終濃度が推奨濃度の5倍濃度(5×)になるように添加して十二指腸液試料を調製し、それぞれのプロテアーゼ活性を測定した。プロテアーゼ活は、EnzCheck Protease Assay Kits(Molecular Probes社製)を用いて測定した。具体的には、調製した各十二指腸液試料に、当該キットに添付されている蛍光標識されたカゼインを添加し、37℃で2時間インキュベーションした後、Ex/Em=485/535nmの蛍光波長で蛍光量を測定した。蛍光量はカゼインを分解した量を表すため、当該蛍光量をプロテアーゼ活性の値として概算した。
【0035】
各十二指腸液試料から測定された蛍光量を図1に示す。図1中、「(−)」が阻害剤を添加しなかった十二指腸液試料の結果を、「Inhibitor 1×」は前記阻害剤を推奨濃度(1×)になるように添加した十二指腸液試料の結果を、「Inhibitor 5×」は前記阻害剤を推奨濃度の5倍濃度(5×)になるように添加した十二指腸液試料の結果を、それぞれ示す。この結果、十二指腸液中のプロテアーゼ活性には個人差が大きいことが示された。また、阻害剤によってプロテアーゼ活性は阻害されるものの、活性を完全に抑えることは難しいことが明らかになった。
【0036】
[参考例2]
膵酵素が活性化した状態で存在するブタの膵臓から製した消化酵素剤である“パンクレアチン”を擬似人工膵液として用い、膵酵素の活性に対するpHの影響を調べた。
まず、1mg/ml(終濃度)のパンクレアチン溶液に対し、塩酸及び水酸化ナトリウムを用いてpHを2.5〜11.9に調整した。pHの確認は、塩酸等を添加した後に、パンクレアチン溶液の一部を分取し、pH測定器を用いて測定することにより行った。次に、各パンクレアチン溶液のプロテアーゼ活性を参考例1と同様にして測定した。
【0037】
各パンクレアチン溶液から測定された蛍光量を図2に示す。この結果、pH7.9〜10.5のパンクレアチン溶液の蛍光量(プロテアーゼ活性)は、pH調整を行わなかったパンクレアチン溶液と同等又はそれ以上であった。これに対して、pH2.5〜4.5のパンクレアチン溶液の蛍光量は、pH調整を行わなかったパンクレアチン溶液よりも顕著に小さくなっていた。また、pH6.3及び11.9のパンクレアチン溶液の蛍光量は、pH調整を行わなかったパンクレアチン溶液よりも小さいものの、大部分のパンクレアチン・プロテアーゼ活性はまだ残存していた。これらの結果から、アルカリ側のpHでは、ほとんど膵酵素のプロテアーゼ活性は阻害されないが、pH2〜5付近ではパンクレアチンのプロテアーゼ活性が有意に阻害されることが明らかになった。
【0038】
[実施例1]
4人から採取された十二指腸液検体のプロテアーゼ活性、及びプロテアーゼ活性に対するpHの影響を調べた。
EnzCheck Protease Assay Kits(Molecular Probes社製)に付属の緩衝液(pH7.5)をそれぞれpH2.4〜11.2に調整し、様々なpHの緩衝液を調製した。これらの緩衝液を用いて、十二指腸液をそれぞれ2500倍希釈し、各pHに調整された十二指腸液希釈液を調整した。各十二指腸液希釈液のプロテアーゼ活性を参考例1と同様にして測定した。対照として、付属の緩衝液(pH7.5)で2500倍に希釈した希釈液(pH調整なし)、付属の緩衝液(pH7.5)で2500倍に希釈し、かつ参考例1で用いた市販の阻害剤を最終濃度が推奨濃度(1×)になるように添加した希釈液をそれぞれ調製し、これらのプロテアーゼ活性を参考例1と同様にして測定した。
【0039】
各希釈液から測定された蛍光量を図3に示す。図3に示すように、4種類の十二指腸液全てにおいて、酸性pH、特にpH2.4〜5.1に調整された希釈液ではプロテアーゼ活性が、阻害剤を添加した希釈液よりも明らかに抑制されていた。これらの結果から、酸性pHに調整することが、従来の阻害剤よりもプロテアーゼの活性に対する阻害効果が高いことが確認された。つまり、酸性pH環境下では、十二指腸液に含まれる多種多様のプロテアーゼの活性を全体的に抑制可能であることが示唆された。
【0040】
[実施例2]
十二指腸液検体にS100Pの標品を加え、当該検体中のS100Pを測定し、当該測定に対するpHの影響を調べた。
まず、CircuLex S100P ELISA Kit(CircuLex社製、カタログ番号:#CY−8060)に付属の緩衝液(pH7.3)のpHを2.0〜11.4に調整し、様々なpHの緩衝液を調製した。これらの緩衝液を用いて、各pHのS100P標品溶液を調製した。次いで、4μlの十二指腸液検体と、32μlの前記緩衝液と、4μlのS100P標品溶液(当該緩衝液と同じpHに調製されたもの)を混合し、試料溶液を調製した。対照として、緩衝液として、付属の緩衝液(pH7.3)を用いて調製された試料溶液と、緩衝液として、参考例1で用いた市販の阻害剤を最終濃度が推奨濃度の5倍濃度(5×)になるように前記付属の緩衝液(pH7.3)で調製した阻害剤溶液を用いて調製された試料溶液とを、それぞれ調製した。
これらの試料溶液を25℃、16時間インキュベートして反応させた後、一旦凍結保存した。その後、各試料溶液を解凍後、前記付属の緩衝液(pH7.3)で10倍希釈することによってpHを中性付近に戻した後、CircuLex S100P ELISA Kitを用いて各試料溶液中のS100Pの検出を行った。また、対照として、緩衝液に代えて前記付属の緩衝液(pH7.3)を用いて調製された試料溶液について、25℃、16時間の反応を行わずに直接S100Pの検出を行った。
【0041】
各試料溶液中のS100Pの測定結果を図4に示す。図4中、「FT(1)」は緩衝液に代えて前記付属の緩衝液(pH7.3)を用いて調製され、かつ25℃、16時間の反応を行わなかった試料溶液の結果であり、「Control」は緩衝液に代えて前記付属の緩衝液(pH7.3)を用いて調製された試料溶液の結果であり、「Inhibitor 5×」は阻害剤を添加した試料溶液の結果である。「Control」は「FT(1)」よりも明らかにS100Pの含有量が少なく、25℃、16時間の反応により、S100Pが分解していることが確認された。また、阻害剤を添加した試料溶液では、前記付属の緩衝液(pH7.3)を用いて調製された試料溶液よりも若干S100Pの含有量は多いものの、やはり大部分のS100Pが分解されてしまっていた。これに対して、pH3.0〜4.9の緩衝液で調製された試料溶液では、阻害剤を添加した試料溶液よりもS100Pの含有量が高く、阻害剤よりも効果的にS100Pの分解を抑制できたことがわかった。特にpH3.5〜4.9の緩衝液で調製された試料溶液では、非常に高い濃度のS100Pを検出できた。これらの結果から、本発明の膵液成分保存用試料の調製方法により調製された膵液成分保存用試料では、S100Pをはじめとする膵液由来の生体成分を安定して保存可能であることが明らかとなった。
【0042】
[実施例3]
ヒトから採取された十二指腸液検体中のS100Pの含有量を測定し、及び当該測定に対するpHの影響を調べた。
まず、CircuLex S100P ELISA Kit(CircuLex社製、カタログ番号:#CY−8060)に付属の緩衝液(pH7.3)のpHを2.0、4.0、又は11.5に調整した緩衝液を調製した。なお、pHは、それぞれのpHに該当するpH指示薬を用いて目視で確認しながら調整した後、さらにpH測定器を用いて精査した。
25μlの十二指腸液検体と75μlの緩衝液とを混合し、試料溶液を調製した。また、対照として、緩衝液として、参考例1で用いた市販の阻害剤を最終濃度が推奨濃度の5倍濃度(5×)になるように前記付属の緩衝液(pH7.3)で調製した阻害剤溶液を用いて調製された試料溶液を調製した。
各試料溶液を、37℃、4時間インキュベートして反応させた。反応後の各試料溶液のpHを測定したところ、pH2.0の緩衝液を用いた試料溶液のpHは2.5であり、pH4.0の緩衝液を用いた試料溶液のpHは4.7であり、pH7.3の緩衝液を用いた試料溶液のpHは7.5であり、pH11.5の緩衝液を用いた試料溶液のpHは11.2であり、pHはあまり変動していなかった。
その後、各試料溶液を一旦凍結保存した。さらに解凍した後、前記付属の緩衝液(pH7.3)で10倍希釈することによってpHを中性付近に戻した後、CircuLex S100P ELISA Kitを用いて各試料溶液中のS100Pの検出を行った。また、対照として、緩衝液として、付属の緩衝液(pH7.3)を用いて調製された試料溶液に対して、インキュベートせずに直ちにS100Pの検出を行った。
【0043】
各試料溶液中のS100Pの測定結果を図5に示す。この結果、十二指腸液中に含まれていたS100Pは、37℃、4時間のインキュベーションにより分解されることが確認された。また、阻害剤を添加した試料溶液とpH11.2の試料溶液ではS100Pが検出されなかった。また、pH7.5の試料溶液では、阻害剤を添加した試料溶液よりは多くのS100Pが検出されたものの、インキュベーション前の試料溶液(対照)の10%程度にすぎなかった。これに対して、pH2.5の試料溶液では、インキュベーション前の試料溶液(対照)の20%程度のS100Pが検出され、pH4.7の試料溶液では、インキュベーション前の試料溶液(対照)の80%近くものS100Pが検出できた。これらの結果から、膵酵素によるタンパク質分解はpH2〜5付近で有意に阻害されること、及び膵液や十二指腸液をpH3.5〜5で保存することにより、目的のタンパク質の変性や分解を特に効果的に抑制できることが明らかとなった
【0044】
[実施例4]
ヒトから採取された膵液又は十二指腸液のpH調整時における希釈倍率が、調整後の溶液のpH安定性に与える影響を調べた。
2名から採取された膵液と、別の2名から採取された十二指腸液に、それぞれ酢酸緩衝液(pH4.5)を添加して希釈し、得られた希釈液のpHをpH試験紙(測定pH範囲:pH4〜10)にて測定した。
測定結果を表3に示す。表3中、「×1」は酢酸緩衝液を添加していないことを意味し、「−」は測定していないことを意味する。
【0045】
【表3】

【0046】
膵液はpH8.5〜9.0と弱アルカリであり、十二指腸液はpH7.0〜8.0と膵液よりもややpHは低かった。これらに対して表3に示す希釈倍率となるように酢酸緩衝液(pH4.5)を混合したところ、安定的にpH4.5に調整するには5倍以上、好ましくは6倍以上の希釈倍率が望ましいことが示された。つまり、これらの結果から、膵液等は、ある程度希釈されたほうが、より安定してpHを酸性に調整できること、中でも5倍以上であって、検出対象の分子の検出限界以下にならない程度の希釈倍率が好ましいことが示唆された。
【0047】
また、5倍希釈した各希釈液中のS100Pの含有量を実施例2と同様にして測定した。このとき、各希釈液を2等分し、一方は当該希釈液のpHを中性付近に戻した後にS100Pを測定し、残る一方は当該希釈液のpHを中性付近に戻さず、そのまま測定した。この結果、中性付近に戻した後に測定した場合にはS100Pが検出されたが、中性付近に戻さずそのまま測定した場合には、S100Pを検出することはできなかった。このことから、S100Pを検出するためには、測定前に試料溶液のpHを中性付近に戻すことにより、安定的にS100Pを検出できることが示唆された。
【産業上の利用可能性】
【0048】
本発明の膵液成分保存用試料の調製方法は、採取された膵液から、生体成分をより安定して保存することが可能な膵液成分保存用試料を調製し得るため、生体試料を解析する分野、特に臨床検査等の分野において利用が可能である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
膵液又は十二指腸液を保存するための膵液成分保存用試料の調製方法であって、
膵液又は十二指腸液とpH調整液とを混合することにより、pHが2〜5である膵液成分保存用試料を調製することを特徴とする膵液成分保存用試料の調製方法。
【請求項2】
前記膵液成分保存用試料のpHが3.5〜5であることを特徴とする請求項1に記載の膵液成分保存用試料の調製方法。
【請求項3】
前記膵液成分保存用試料のpHが4〜4.5であることを特徴とする請求項1に記載の膵液成分保存用試料の調製方法。
【請求項4】
前記pH調整液が緩衝作用を有していることを特徴とする請求項1〜3のいずれか一項に記載の膵液成分保存用試料の調製方法。
【請求項5】
前記膵液成分保存用試料の容量は、前記膵液又は十二指腸液の容量の3倍以上であることを特徴とする請求項1〜4のいずれか一項に記載の膵液成分保存用試料の調製方法。
【請求項6】
膵液又は十二指腸液のための採取用容器であって、
採取された膵液又は十二指腸液のpHを2〜5に調整するためのpH調整液が予め含まれていることを特徴とする膵液又は十二指腸液のための採取用容器。
【請求項7】
前記pH調整液の容量が、採取予定の膵液又は十二指腸液の容量の2倍以上であることを特徴とする請求項6に記載の採取用容器。
【請求項8】
前記pH調整液が、緩衝作用を有することを特徴とする請求項6又は7に記載の採取用容器。
【請求項9】
前記pH調整液が、pH指示薬を含むことを特徴とする請求項6〜8のいずれか一項に記載の採取用容器。
【請求項10】
請求項1〜5のいずれか一項に記載の膵液成分保存用試料の調製方法により調製された膵液成分保存用試料。
【請求項11】
請求項1〜5のいずれか一項に記載の膵液成分保存用試料の調製方法により調製された膵液成分保存用試料のpHを6〜8に調整することを特徴とする、膵液成分測定用試料の調製方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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