説明

菌体内のピリドキサールリン酸量を増加させた微生物およびその培養方法

【課題】ピリドキサールリン酸を補酵素とする酵素反応において、反応液にピリドキサールリン酸を添加することなく酵素反応の活性を向上させる方法を提供する。
【解決手段】本発明は、ピリドキシンを添加した培地で微生物の培養を行い、菌体内のピリドキサールリン酸量を増加させることを特徴とする微生物培養方法、該方法によって培養された微生物、ならびに該微生物を用いて酵素反応を実施する方法に関する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、菌体内のピリドキサールリン酸量を増加させた微生物、その培養方法、および該微生物を用いてピリドキサールリン酸を補酵素とする酵素反応を実施する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
γ−アミノ酪酸は、生物界に微量ながら広く存在する非タンパク質構成アミノ酸であり、生理的に重要な働きをする物質である。γ−アミノ酪酸は高等動物の神経の抑制性伝達物質であり、血圧上昇の抑制、中性脂肪増加抑制、更年期障害症状緩和、脳機能改善、精神安定作用、記憶能促進、潰瘍等臓器炎症の治癒の促進、利尿作用等、種々の生理作用を有することが知られている。その為、このような多くの生理作用を有するγ−アミノ酪酸を富化した医薬品や食材の開発が、各研究機関で行われている。
【0003】
近年、これらのγ−アミノ酪酸の機能性の付与を目的として、紅麹や味噌、茶、胚芽米やチーズ、乳製品等の飲食品中のγ−アミノ酪酸を強化する方法が開発されているとともに、健康食品素材としてのγ−アミノ酪酸の生産も試みられている。γ−アミノ酪酸は、グルタミン酸を脱炭酸することにより得られ、グルタミン酸脱炭酸酵素(グルタミン酸デカルボキシラーゼとも称される)を用いることにより脱炭酸反応を効率よく行わせることが可能である。
【0004】
γ−アミノ酪酸を製造するには、グルタミン酸脱炭酸酵素を有する植物や微生物を利用する方法がある。例えば、グルタミン酸またはグルタミン酸ナトリウムに酵母またはクロレラを作用させる方法(特許文献1)、脱気、加温した水に米糠を浸漬し、米糠に含まれるγ−アミノ酪酸を抽出する方法(特許文献2)、米胚芽、胚芽を含む米糠若しくは胚芽米をグルタミン酸脱炭酸酵素を含む溶液に添加し、米胚芽に含まれているグルタミン酸をγ−アミノ酪酸に転換する方法(特許文献3)などがある。しかし、いずれも生産効率が低く、実用性に乏しいものであった。
【0005】
これに対し、グルタミン酸脱炭酸酵素の活性を向上させるために、グルタミン酸脱炭酸酵素の補酵素であるピリドキサールリン酸の存在下でグルタミン酸を処理することを特徴とするγ−アミノ酪酸の生産方法が報告されている(特許文献4)。
【0006】
しかし、ピリドキサールリン酸は食品添加物として認められておらず、ピリドキサールリン酸の存在下でグルタミン酸を処理することにより得られるγ−アミノ酪酸を食品に使用することには問題があった。
【0007】
【特許文献1】特開平9−238650号公報
【特許文献2】特開平11−155508号公報
【特許文献3】特許第3299726号公報
【特許文献4】特開2004−159612号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
本発明は、ピリドキサールリン酸を補酵素とする酵素反応において、反応液にピリドキサールリン酸を添加することなく酵素反応の活性を向上させることを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明者らは、鋭意検討を行った結果、ピリドキサールリン酸を補酵素とする酵素反応において、ピリドキシンを添加した培地で培養した微生物を用いることにより、酵素反応を効率的に実施できることを見出し、本発明を完成するに至った。
【0010】
すなわち、本発明は、以下の発明を包含する。
(1)ピリドキサールリン酸を補酵素とする酵素の産生量を増加させた微生物を、ピリドキシンを添加した培地で培養し、菌体内のピリドキサールリン酸量を増加させることを特徴とする、微生物培養方法。
(2)ピリドキサールリン酸を補酵素とする酵素反応を実施する方法であって、ピリドキサールリン酸を補酵素とする酵素の産生量を増加させた微生物を、ピリドキシンを添加した培地で培養し、該微生物を用いて該酵素反応を実施することを特徴とする前記方法。
(3)ピリドキサールリン酸を補酵素とする酵素が脱炭酸酵素であり、酵素反応が脱炭酸反応である、(2)記載の方法。
(4)脱炭酸酵素がグルタミン酸脱炭酸酵素であり、脱炭酸反応がグルタミン酸を基質としてγ−アミノ酪酸を生成する反応である、(3)記載の方法。
(5)(1)記載の微生物培養方法によって得られる、菌体内のピリドキサールリン酸量を増加させた微生物。
(6)グルタミン酸脱炭酸酵素の産生量を増加させた微生物を、ピリドキシンを添加した培地で培養し、得られた微生物をグルタミン酸と反応させることを含む、γ−アミノ酪酸の製造方法。
【発明の効果】
【0011】
本発明により、ピリドキサールリン酸を補酵素とする酵素反応において、反応液にピリドキサールリン酸を添加することなく酵素反応の活性を向上させる方法が提供される。
【発明を実施するための最良の形態】
【0012】
ピリドキサールリン酸は、特にピリドキサール5−リン酸をさし、活性型ビタミンB6または補酵素型ビタミンBと呼ばれているビタミンB群の一種であり、グルタミン酸脱炭酸酵素の補酵素として知られている。ピリドキサールリン酸はグルタミン酸脱炭酸酵素とホロ酵素を形成し、該ホロ酵素が脱炭酸反応を触媒する。ピリドキシンは、ビタミンBまたはアデルミンとも称され、生体内で容易にピリドキサールリン酸に変換される。ピリドキシンは安定な物質で、食品添加物として一般的に販売されており容易に入手可能である。
【0013】
ピリドキシンを添加した培地とは、目的の微生物を培養するのに通常用いられる培地にピリドキシンを添加したものをさす。ピリドキシンの添加には、ピリドキシンの塩を添加することも包含される。ピリドキシンの塩としては、例えば、ピリドキシンの酸付加塩、好ましくはピリドキシンと無機酸との塩が用いられる。ピリドキシンと無機酸との塩の好適な例としては、塩酸、臭化水素酸、硝酸、硫酸、リン酸などとの塩が挙げられる。好ましくはピリドキシン塩酸塩が用いられる。
【0014】
本発明において、ピリドキシンを添加した培地で培養する微生物は、好ましくはピリドキサールリン酸を補酵素とする酵素を産生する微生物である。ピリドキサールリン酸を補酵素とする酵素としては、例えば、グルタミン酸脱炭酸酵素、スレオニンアルドラーゼ、チロシン脱炭酸酵素、アスパラギン酸α−脱炭酸酵素、アスパラギン酸β−脱炭酸酵素、2−アミノ−3−ケト酪酸CoAリガーゼ、グルカンホスホリラーゼ、システインシンターゼ、アスパラギン酸トランスアミナーゼ、システイニル−tRNASec−セレニウムトランスフェラーゼ、1−アミノシクロプロパン−1−カルボキシレートデアミナーゼ、キヌレニナーゼ、チロシンフェノールリアーゼ、シスタチオニンβ−シンターゼ、スレオニンシンターゼ、グルコサミネートアンモニアリアーゼ、シスタチオニンγ−リアーゼ、3−クロロ−D−アラニンデヒドロクロリナーゼ、アラニンラセマーゼ、リシン2,3−アミノムターゼなどが挙げられる。本発明においては、好ましくはグルタミン酸脱炭酸酵素を産生する微生物を用いる。
【0015】
該微生物は、天然の微生物でもよいし、組み換え微生物、すなわち遺伝子組み換えにより目的の酵素(すなわち、ピリドキサールリン酸を補酵素とする酵素)の産生能を付与したまたは増加させた微生物のいずれも使用できる。本発明において利用可能な微生物として、具体的には、エシェリヒア(Escherichia)属菌、例えば、大腸菌(Escherichia coli)、アスペルギルス(Aspergillus)属菌、例えば、アスペルギルス・オリゼ(Aspergillus oryzae)、アスペルギルス・ソーヤ(Aspergillus sojae)、アスペルギルス・カワチ(Aspergillus kawachii)、アスペルギルス・アワモリ(Aspergillus awamori)、モナスカス(Monascus)属菌、例えば、モナスカス・プルプレウス(Monascus purpureus)、モナスカス・ピロサス(Monascus pilosus)、ムコール(Mucor)属菌、リゾプス(Phizopus)属菌、サッカロマイセス(Saccharomyces)属菌、例えば、サッカロマイセス・セレビシエ(Saccharomyces cerevisie)、ラクトバチルス(Lactobacillus)属菌、例えば、ラクトバチルス・プランタラム(Lactobacillus plantarum)、ラクトバチルス・ブレビス(Lactobatillus brevis)、ラクトバチルス・カゼイ(Lactobacillus casei)、バチルス(Bacillus)属菌、例えば、枯草菌(Bacillus subtilis)、納豆菌(Bacillus natto)、ラクトコッカス(Lactococcus)属菌、例えば、乳酸連鎖球菌(Lactococcus lactis)、シゾサッカロミセス(Schizosaccharomyces)属菌、例えば、シゾサッカロミセス・ポンベ(Schizosaccharomyces pombe)、コリネバクテリウム(Corynebacterium)属菌、例えば、コリネバクテリウム・グルタミカム(Corynebacterium glutamicum)、ブレビバクテリウム(Brevibacterium)属菌、例えば、ブレビバクテリウム・アンモニアゲネス(Brevibacterium ammoniagenes)等が挙げられる。
【0016】
本発明においては、好ましくはピリドキサールリン酸を補酵素とする酵素、好ましくはグルタミン酸脱炭酸酵素の産生量を増加させた微生物を用いる。酵素の産生量を増加させた微生物とは、換言すれば、該酵素をコードする遺伝子の発現量が、非改変株、例えば野生株の発現量よりも高い微生物を意味する。当該酵素の産生能を有しない野生株に産生能を付与することもまた、産生量の増加に包含される。かかる改変の例としては、細胞当たりに発現される遺伝子の数を増加させること、遺伝子の発現レベルを増加させること等が挙げられる。発現される遺伝子のコピー数の量は、例えば、染色体DNAの制限酵素処理を行い、続いて遺伝子配列に基づくプローブを用いたサザンブロッティングを行う方法、蛍光in situハイブリダイゼーション(FISH)等により測定される。遺伝子発現のレベルは、ノーザンブロッティング、定量的RT−PCR等を含む各種方法により測定することができる。対照として作用することができる野生株としては、例えばエシェリヒア属菌、特に大腸菌が挙げられる。
【0017】
遺伝子発現を高める方法としては、遺伝子コピー数を増加させることが挙げられる。例えば、宿主において機能することが可能であるベクターへ目的の酵素をコードするDNAを挿入し、宿主を形質転換することにより、遺伝子のコピー数を増加させることができる。かかる目的では、マルチコピーベクターが好ましく使用され得る。好ましくは、高コピーベクターが使用される。高コピーベクターとしては、pBR系、pUC系のベクター、例えばpETベクター等が例示される。ベクターにDNAを挿入するには、まず、精製されたDNAを適当な制限酵素で切断し、適当なベクターの制限酵素部位またはマルチクローニングサイトに挿入してベクターに連結する方法などが採用される。目的の酵素をコードするDNAは、通常知られている方法により合成することができ、ベクターに組み込むため、適当な制限酵素の切断部位を両末端に含むようにプライマーを用いてPCR法により増幅してもよい。PCR反応の条件は、当業者が適宜決定することができるが、例えば98℃で30秒→98℃で10秒→72℃で90秒→72℃で60秒を1サイクルとして30サイクル反応させ、増幅されたDNAを得ることができる。ベクターには、プロモーターおよび目的の酵素をコードするDNAに加えて、所望によりエンハンサーなどのシスエレメント、スプライシングシグナル、ポリA付加シグナル、選択マーカー、リボソーム結合配列(SD配列)などが連結されていてもよい。DNA断片とベクター断片とを連結させるには、公知のDNAリガーゼを用いる。そして、DNA断片とベクター断片とをアニーリングさせた後連結させ、組換えベクターを作成する。好ましくは市販のライゲーションキット、例えばライゲーションhigh(東洋紡株式会社製)を用いて、規定の条件にてライゲーション反応を行うことにより組換えベクターを得ることができる。形質転換方法には、当業者に既知の任意の方法が含まれる。例えばカルシウムイオンを用いる方法、エレクトロポレーション法、リポフェクション法等が挙げられる。形質転換体は、その組換えベクターが有するマーカー遺伝子により、例えば、アンピシリン、カナマイシンなどの抗生物質を含むLB培地寒天プレート上でコロニーを形成することにより選抜することができるが、クローニングされた宿主細胞が組換えベクターにより形質転換されたものかどうかを確認するため、一部を用いて、PCR法によるインサートの増幅確認、またはシーケンサーを用いたダイデオキシ法による配列解析をしてもよい。
【0018】
ピリドキサールリン酸を補酵素とする酵素をコードするDNAの塩基配列は、公開されたデータベース(GenBank、EMBL、DDBJ)において登録されている公知の配列を使用できる。公開されたデータベースにおいて、例えば、グルタミン酸脱炭酸酵素をコードするDNAの塩基配列は、アクセションNo.M84024として登録されている。また、スレオニンアルドラーゼをコードするDNAの塩基配列は、アクセションNo.AL939116として、アラニンラセマーゼをコードするDNAの塩基配列は、アクセションNo.AF081283として、チロシン脱炭酸酵素をコードするDNAの塩基配列は、アクセションNo.AF354231として、アスパラギン酸α−脱炭酸酵素をコードするDNAの塩基配列は、アクセションNo.L17086として、アスパラギン酸β−脱炭酸酵素をコードするDNAの塩基配列は、アクセションNo.AE168368として登録されている。
【0019】
遺伝子発現の増強はまた、例えば、相同組換え方法、Mu組込み方法等による、微生物染色体への遺伝子の多コピーの導入により実施することもできる。例えば、1ラウンドのMu組込みにより、最大3コピーの遺伝子の微生物染色体への導入が可能となる。
【0020】
他方で、遺伝子発現の増強は、自身のプロモーターの代わりに、より強力なプロモーターの制御下に目的の酵素をコードするDNAを置くことにより達成することができる。プロモーター強度は、RNA合成開始反応の頻度で定義される。プロモーター強度の評価方法および強力なプロモーターの例は、例えば、Deuschle,U.,Kammerer,W.,Gentz,R.,Bujard,H.により記載されている(EMBO J.1986,5,2987−2994)。例えば、Pプロモーターは、強力な構成的プロモーターとして既知である。他の既知の強力なプロモーターとしては、λファージ等のPプロモーター、lacプロモーター、trpプロモーター、trcプロモーターが挙げられる。
【0021】
遺伝子発現の増強は、翻訳の増強により達成することもできる。翻訳の増強は、目的の酵素をコードするDNAへ、より効率的なシャイン・ダルガーノ配列(SD配列)を、自身のSD配列の代わりに導入することにより達成することができる。SD配列は、リボソームの16S RNAと相互作用する、mRNAの開始コドンの上流にある領域である(Shine J.and Dalgarno L.,Proc.Natl.Acad.Sci.USA,1974,71,4,1342−6)。より強力なプロモーターの使用は、遺伝子コピー数を増加させる方法と組み合わせてもよい。
【0022】
プロモーターは、例えば、プロモーターに突然変異を導入して、プロモーターの下流に位置する遺伝子の転写レベルを増加させてもよい。さらに、リボソーム結合部位(RBS)と開始コドンとの間のスペーサーにおける幾つかのヌクレオチド、特に開始コドンのすぐ上流にある配列の置換がmRNAの翻訳効率に大いに影響を及ぼすことが知られている。例えば、開始コドンに先立つ3つのヌクレオチドの種類によって、発現レベルが20倍の範囲で変化することが見出された(Gold et al.,Annu.Rev.Microbiol.,35,365−403,1981;Hui et al.,EMBOJ.,3,623−629,1984)。
【0023】
染色体DNAの調製、ハイブリダイゼーション、PCR、プラスミドDNAの調製、DNAの消化および連結、形質転換、プライマーとしてのオリゴヌクレオチドの選択等に関する方法は、当業者に既知の慣例の方法である。これらの方法は、Sambrook,J.,and Russell D.,「Molecular Cloning A Laboratory Manual,Third Edition」,Cold Spring Harbor Laboratory Press(2001)等に記載されている。
【0024】
本発明の微生物培養方法は、上記のような微生物を、ピリドキシンを添加した培地で培養し、菌体内のピリドキサールリン酸量を増加させることを特徴とする。ピリドキシンを添加する培地としては、対照の微生物が増殖可能な培地であればいかなる培地であってもよい。通常、培地としては、微生物が資化し得る炭素源、窒素源、無機塩類等を含有し、培養を効率的に行うことができる培地であれば、天然培地、合成培地のいずれを用いてもよい。炭素源としては資化可能な炭素化合物であればよく、例えば、グリセリンなどのポリオール類、またはピルビン酸、コハク酸もしくはクエン酸等の有機酸類を使用することができる。また、窒素源としては利用可能な窒素化合物であればよく、例えば、ペプトン、肉エキス、酵母エキス、カゼイン加水分解物、大豆粕アルカリ抽出物、またはアンモニアもしくはその塩などを使用することができる。その他、リン酸塩、炭酸塩、硫酸塩、マグネシウム、カルシウム、カリウム、鉄、マンガン、亜鉛などの塩類、特定のアミノ酸、特定のビタミン、消泡剤なども必要に応じて使用してもよい。具体的には、YPD培地、LB培地、MS培地、2×YT培地、M9最小培地等を使用できる。これらの培地以外にも、酵母エキスの量を増やした栄養源が豊富な培地を用いてもよい。ピリドキシンは、通常5μM〜2mM、好ましくは7μM〜1mM、より好ましくは10μM以上、さらに好ましくは20μM以上の濃度となるように培地に添加する。
【0025】
なお、本発明との比較のために、従来の一般的な培地におけるピリドキシン濃度を以下の表1に記載する。ピリドキシン濃度は、酵母エキスに含まれるビタミンB6量を36.8μg/gとして算出した(微生物実験マニュアル、協和醗酵東京研究所編、講談社サイエンティフィック)。
【0026】
【表1】

【0027】
また、培地には、イソプロピル−β−チオガラクトピラノシド(IPTG)を添加することが好ましく、終濃度で、通常0.01mM〜10mM、好ましくは0.1mM〜1mMとなるように添加する。
【0028】
培養は、固体培養、液体培養のいずれであってもよく、また、静置培養、振盪培養、通気攪拌培養等のいずれであってもよい。培養温度およびpH、並びに培養日数は、使用する微生物の培養に適する条件で実施することが可能であるが、培養温度は、通常10〜40℃、好ましくは15〜38℃、pHは、通常pH5.5〜8.5、好ましくはpH6.0〜7.5、培養時間は、通常7〜96時間、好ましくは10〜72時間である。
【0029】
ピリドキシンを添加した培地で微生物を培養することにより、菌体内のピリドキサールリン酸量を増加させることができることから、当該方法によって培養された微生物を用いて、ピリドキサールリン酸を補酵素とする酵素反応を効率的に実施することができる。本発明の培養方法により培養された微生物の菌体内におけるピリドキサールリン酸量は、ピリドキシンを添加しない培地(すなわち、ピリドキシン濃度が3μM未満の培地)で培養した場合と比較して、少なくとも6倍以上増加している。従って、本発明はまた、ピリドキサールリン酸を補酵素とする酵素反応を実施する方法であって、ピリドキシンを添加した培地で、ピリドキサールリン酸を補酵素とする酵素を産生する微生物の培養を行い、該微生物を用いて酵素反応を実施することを特徴とする方法に関する。
【0030】
本発明においては、微生物を培養する工程と該微生物を用いて酵素反応を実施する工程とは区別される。すなわち、本発明において微生物を培養する工程は、ピリドキサールリン酸を補酵素とする酵素反応により基質を変換する反応を実質的に含まない。例えば、該酵素としてグルタミン酸脱炭酸酵素を産生する微生物を培養する場合、培養工程は、グルタミン酸を基質としてγ−アミノ酪酸を生成する酵素反応を実質的に含まないものとする。本発明は、ピリドキサールリン酸を補酵素とする酵素反応を実施する前に予め、ピリドキシンを添加した培地で微生物を培養するものである。従って、ピリドキサールリン酸を補酵素とする酵素反応を、微生物および培地を含む培養物を用いて実施する場合であっても、この段階で培地にピリドキシンを添加することは、ピリドキシンを添加した培地で微生物を培養することにはならない。すなわち、少なくとも酵素反応を実施しない培養段階で培地にピリドキシンを添加することが必要である。
【0031】
ピリドキサールリン酸を補酵素とする酵素反応としては、例えば、グルタミン酸脱炭酸酵素によりグルタミン酸を基質としてγ−アミノ酪酸を生成する反応、チロシン脱炭酸酵素によりチロシンを基質としてチラミンを生成する反応、アスパラギン酸α−脱炭酸酵素によりL−アスパラギン酸を基質としてβ−アラニンを生成する反応、アスパラギン酸β−脱炭酸酵素によりL−アスパラギン酸を基質としてL−アラニンを生成する反応、スレオニンアルドラーゼによりグリシンとアセトアルデヒドからスレオニンを生成する反応、アラニンラセマーゼによりL−アラニンを基質としてD−アラニンを生成する反応などが挙げられる。
【0032】
微生物を用いて酵素反応を実施することには、微生物の処理物を利用することも包含される。ここで処理物とは、微生物の摩砕物、熱処理物、菌死体、粗酵素または精製酵素等の抽出物、培養物、凍結乾燥物、固定化菌体等の微生物に種々の処理を施したものを意味する。
【0033】
一実施形態においては、培養して増殖した菌体を集菌し、熱処理後、酵素反応の基質を含有する溶液が含まれた容器に投入し、通常10〜40℃、好ましくは25〜38℃で1分以上、好ましくは5以上反応させる。好熱性細菌由来の酵素を用いる場合は、95℃程度で反応させることも可能である。なお、本発明の方法においては、好ましくは酵素反応の反応液にピリドキサールリン酸を添加しない。
【0034】
酵素反応における微生物の使用量としては、目的の酵素反応を実施できる量であれば特に限定されないが、例えば、培養した菌体を用いる場合、反応液250mlに対して、菌体(1g乾燥重量)で酵素反応を実施することができる。
【0035】
酵素反応は、静置においても可能であるが、反応液の撹拌により基質濃度を均一にするのが好ましい。なお、撹拌は通気を目的としていないので、高速でなくてもよい。また、反応中、pHが変動する場合には、反応槽液をペリスタポンプでpH調整槽に循環させ、pHコントローラを用いてpH調整可能な試薬によりpHを酵素の至適pHに調整するのが好ましい。グルタミン酸脱炭酸酵素による反応を実施する場合、通常pH2〜7、好ましくはpH3〜6、特に大腸菌のグルタミン酸脱炭酸酵素を利用する場合はpH4〜5に調整する。
【0036】
グルタミン酸脱炭酸酵素によりグルタミン酸を基質としてγ−アミノ酪酸を生成する場合、基質として用いるグルタミン酸は、その塩の形態で供給してもよい。グルタミン酸塩としては、例えば、グルタミン酸ナトリウム、グルタミン酸カリウム、グルタミン酸塩酸塩等が挙げられる。グルタミン酸および/またはその塩は、水、リン酸緩衝液等に溶解した溶液として利用することができる。また、グルタミン酸および/またはその塩として、グルタミン酸および/またはその塩が比較的多く含有される飲食品を利用することもできる。そのような飲食品としては、醤油や味噌、豆乳などのダイズ製品、ヨーグルトなどの乳製品、野菜ジュース等が挙げられる。グルタミン酸またはその塩は、反応液中、通常10mM重量%以上であるのが好ましく、さらに好ましくは50mM重量%以上である。
【0037】
上記のような方法において得られた酵素反応の生成物、例えば、グルタミン酸脱炭酸酵素反応によりグルタミン酸を基質として生成するγ−アミノ酪酸は、公知の分離・精製法、例えば、濾過、抽出、蒸留、カラムクロマトグラフィー、通電透析等の手段、あるいはこれらの組み合わせによって、回収、精製することができる。例えば、通電透析によるグルタミン酸および/またはその塩とγ−アミノ酪酸の分離は、旭化成株式会社製、MICRO ACILYZER G3等の通電透析装置にγ−アミノ酪酸を含む反応液を通し、低電圧で透析することによって行うことができる。
【0038】
本発明の酵素反応方法では、菌体内のピリドキサールリン酸量が増加した菌体を用いることから、ピリドキサールリン酸を補酵素とする酵素反応を効率的に実施することができる。例えば、本発明の方法によって、グルタミン酸脱炭酸酵素を産生する微生物をピリドキシンを添加した培地で培養し、該微生物を用いてグルタミン酸を基質としてγ−アミノ酪酸を生成する酵素反応を実施すると、ピリドキシンを添加しない培地で培養した微生物を用いて酵素反応を実施した場合と比較して、γ−アミノ酪酸の生成速度は約6倍向上する。
【0039】
さらに、本発明の方法では、酵素反応においてピリドキサールリン酸を添加することなく酵素反応を効率的に実施できることから、酵素反応で得られた生成物、例えばγ−アミノ酪酸を食品に問題なく添加することができる。
【実施例】
【0040】
実施例1 Escherichia coli W3110からのゲノムDNA抽出
E.coli W3110からゲノムDNAの抽出を行った。ゲノムDNAの抽出はWizard genome DNA purification kit(Promega社)を使用して行った。E.coli W3110のグルタミン酸脱炭酸酵素遺伝子(gadA遺伝子)の配列をGenBankから取得した(配列番号1)。抽出したE.coli W3110のゲノムDNAをテンプレートとして、以下のプライマーおよびPCR反応条件でE.coli W3110のgadA遺伝子のPCR増幅をPhusion high−fidelity DNA polymerase(Finnzymes社)を用いて行った。なお、使用したプライマーであるGadA_FにはNdeIサイト、GadA_RにはBamHIサイトを付加した。
【0041】
GadA_F:CATATGGACCAGAAGCTGTTAACGGATTTCC(配列番号2)
GadA_R:GGATCCTCAGGTGTGTTTAAAGCTGTTCTGCTGG(配列番号3)
【0042】
【表2】

【0043】
PCR反応液をWizard SV PCR & gel clean−up system(Promega社)を用いて精製後、NdeI、BamHI処理を行った。制限酵素処理液をアガロースゲルにアプライし、目的の断片のみをゲルから切り出し、Wizard SV PCR & gel clean−up system(Promega社)を用いて精製を行った。また、pET21−a(Novagen社)をNdeI、BamHI処理後、1%アガロースゲルにアプライし、目的の断片のみをゲルから切り出し、Wizard SV PCR & gel clean−up system(Promega社)を用いて精製を行った。NdeI、BamHI処理したgadA遺伝子PCR増幅断片およびpET21−aを、Ligation−convenience kit(ニッポンジーン社)を用いてライゲーション反応に付し、E.coli DH5α competent cell(タカラバイオ社)をホストとして形質転換を行い、アンピシリン100ppm含有LB寒天培地に植菌し、gadA/pET21−a導入E.coli DH5αを構築した。なお、gadA/pET21−aのgadA遺伝子領域は別途シークエンスを行い、gadA遺伝子内に変異・欠損・挿入等が起こっていないことを確認した。
【0044】
Wizard plus SV minipreps DNA purification kit(Promega社)を用いて、gadA/pET21−a導入E.coli DH5αからgadA/pET21−aを抽出し、E.coli BL21(DE3) competent cell(Novagen社)をホストとして形質転換を行い、アンピシリン100ppm含有LB寒天培地に植菌し、gadA/pET21−a導入E.coli BL21(DE3)を構築した。
【0045】
実施例2 Gad導入大腸菌(BL21 DE3)のGad活性確認
gadA/pET21−a導入E.coli BL21(DE3)のGad(グルタミン酸脱炭酸酵素)活性の確認を行った。アンピシリン100ppm添加LB寒天培地に植菌したgadA/pET21−a導入E.coli BL21(DE3)の1コロニーを、アンピシリン100ppm添加LB液体培地5mlに植菌し、30℃で終夜培養を行った。終夜培養を行った培養液1mlを、アンピシリン100ppm添加LB液体培地50mlに植菌し、30℃で振盪培養を行った。菌体濁度OD600=0.7〜0.8程度に達したらIPTG(イソプロピル−β−チオガラクトピラノシド)を終濃度1mMとなるように添加し、30℃で5時間振盪培養を行った。得られた培養液を遠心分離に供し、培地を除去した後、菌体ペレットを生理食塩水でOD600=20となるように懸濁し、53℃で1時間熱処理を行った。熱処理後、遠心分離により菌体ペレットとし、これをGad活性測定に用いた。
【0046】
得られた菌体ペレットを滅菌水でOD600=20、10mlとなるように懸濁し、1Mグルタミン酸/1mMピリドキサールリン酸(PLP)溶液90ml(pH4.6)と混合し、37℃で反応を行った。なお、反応中は10%塩酸を用いてpH4.6となるようにpHコントロールを行った。各時間でサンプリングした反応液0.5mlを、0.1N硫酸0.5mlと混合し反応を停止させた。反応を停止させた反応液を以下の条件でLC分析に供し、グルタミン酸およびGABA(γ−アミノ酪酸)の定量を行った。
【0047】
カラム:Capcell pak 4.6mm×250mm(資生堂)
カラム温度:45℃
溶離液:10mMヘキサンスルホン酸ナトリウム含有20mMリン酸ナトリウム緩衝液(pH2.5)/アセトニトリル(95/5)
流速:0.8ml/min
検出:210nm
【0048】
反応110分で添加したグルタミン酸がすべてGABAに変換されていたことから、構築したgadA/pET21−a導入E.coli BL21(DE3)においてGadAが高発現していることを確認した。また別途、菌体破砕液をSDS−PAGEに供することで、GadAタンパク質が可溶性画分に発現していることも確認した。
【0049】
実施例3 ピリドキシンを添加して培養した菌体を用いたGABA生成
菌体培養時にPLPの前駆体であるピリドキシンを添加して培養を行った。培養はLB培地を使用し、0.5Mピリドキシン溶液を培地1Lに対して4mL添加して使用した(培地中のピリドキシン濃度:2mM)。培養は30℃、IPTG終濃度0.1mMで行い、培養した菌体は熱処理後、滅菌水でOD600=18、10mlとなるように懸濁し反応に用いた。反応液にはPLPは添加せずに、10%HClでpH4.6にコントロールして行った。また基質であるグルタミン酸は1Mで反応を実施した。各時間でサンプリングした反応液0.5mlを、0.1N硫酸 0.5mlと混合し反応を停止させ、前述のLC分析条件でグルタミン酸およびGABAの定量を行った。グルタミン酸1Mの場合のGABA生成最大速度(mmol/min/OD)を表3に示した。
【0050】
【表3】

【0051】
ピリドキシンを添加して培養した菌体を用いることで、GABA生成最大速度約6倍向上した。したがって、培養時にピリドキシンを添加して培養したことにより、ピリドキシンを添加しない培地で培養した菌体と比較して、少なくとも6倍以上は菌体内のピリドキサールリン酸量が増加したと考えられる。
【0052】
実施例4 ピリドキシン添加量がGABA生成速度に及ぼす影響
培養時に添加するピリドキシン添加量によって、GABA生成速度が変化するか検討を行った。
培養はLB培地を使用し、0.5Mピリドキシン溶液を培地1Lに対して40μL添加して使用した(培地中のピリドキシン濃度:21.1μM)。培養は30℃、IPTG終濃度0.1mMで行った。培養した菌体は熱処理後、滅菌水でOD600=18、10mlとなるように懸濁し反応に用いた。反応液にはPLPは添加せずに、グルタミン酸1Mで反応を行い、10%HClでpH4.6にコントロールして行った。各時間でサンプリングした反応液0.5mlを、0.1N硫酸 0.5mlと混合し反応を停止させ、前述のLC分析条件でグルタミン酸およびGABAの定量を行った。GABA生成最大速度(mmol/min/OD)を表4に示した。
【0053】
【表4】

【0054】
培地中のピリドキシン濃度が2mMの場合と21.1μMの場合ではGABA生成最大速度は同様であり、培地中のピリドキシン濃度を20μM以上としても20μMの場合と比較してGABA生成最大速度は変化しないことが確認できた。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
ピリドキサールリン酸を補酵素とする酵素の産生量を増加させた微生物を、ピリドキシンを添加した培地で培養し、菌体内のピリドキサールリン酸量を増加させることを特徴とする、微生物培養方法。
【請求項2】
ピリドキサールリン酸を補酵素とする酵素反応を実施する方法であって、ピリドキサールリン酸を補酵素とする酵素の産生量を増加させた微生物を、ピリドキシンを添加した培地で培養し、該微生物を用いて該酵素反応を実施することを特徴とする前記方法。
【請求項3】
ピリドキサールリン酸を補酵素とする酵素が脱炭酸酵素であり、酵素反応が脱炭酸反応である、請求項2記載の方法。
【請求項4】
脱炭酸酵素がグルタミン酸脱炭酸酵素であり、脱炭酸反応がグルタミン酸を基質としてγ−アミノ酪酸を生成する反応である、請求項3記載の方法。
【請求項5】
請求項1記載の微生物培養方法によって得られる、菌体内のピリドキサールリン酸量を増加させた微生物。
【請求項6】
グルタミン酸脱炭酸酵素の産生量を増加させた微生物を、ピリドキシンを添加した培地で培養し、得られた微生物をグルタミン酸と反応させることを含む、γ−アミノ酪酸の製造方法。

【公開番号】特開2009−153412(P2009−153412A)
【公開日】平成21年7月16日(2009.7.16)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−332928(P2007−332928)
【出願日】平成19年12月25日(2007.12.25)
【出願人】(000004628)株式会社日本触媒 (2,292)
【Fターム(参考)】