説明

質量分析データ解析方法及び装置

【課題】マススペクトルに出現する多数のピークの中で目的化合物の分子量関連イオンを高い精度で見つける。
【解決手段】高い質量精度で以て分析が可能な質量分析装置により実質的に同時に測定された正イオンのマススペクトルと負イオンのマススペクトルとを利用し、両マススペクトル上のそれぞれ1本のピークの質量の質量差を算出し、その質量差がプロトン2個分の理論質量(2.0146Da)を中心とする所定の範囲に入るようなピークのペアを探索する。概要するペアは同一化合物のプロトン付加イオン(M+H)+とプロトン脱離イオン(M−H)-であると推定できるから、これらを分子量関連イオンとして抽出し、マススペクトルの該当ピークにラベル表示するとともに、目的化合物の分子量を推定して該化合物の同定を実行する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、質量分析により収集されたマススペクトルデータを解析処理する質量分析データ解析方法及び装置に関し、さらに詳しくは、液体クロマトグラフと組み合わせて利用されることが多い大気圧イオン化質量分析装置により収集されたデータを解析するのに好適な質量分析データ解析方法及び装置に関する。
【背景技術】
【0002】
液体クロマトグラフ質量分析装置(LC/MS)では、液体クロマトグラフのカラムで成分分離された液体試料をイオン化するために、エレクトロスプレイイオン化法(ESI)や大気圧化学イオン化法(APCI)などの大気圧イオン化法が利用されている。このような大気圧イオン源を用いた液体クロマトグラフ質量分析装置では、従来より、正イオン測定と負イオン測定とを選択的に行えるような構成を備えている(例えば特許文献1など参照)。
【0003】
例えば正イオン測定モードでは、目的化合物に1個のプロトン(H+)が付加したプロトン付加イオン(質量:化合物の分子量+1)のほかに、液体クロマトグラフで使用される移動相中に存在するイオンやその配管の金属によるイオンが目的化合物に付加したイオンが検出される。例えば、ナトリウム(Na)付加であれば目的化合物の分子量M+23、アンモニア(NH4)付加であれば目的化合物の分子量M+18、プロトンとメタノールとの両方の付加であれば目的化合物の分子量M+33の質量を持つ付加イオンが検出される。一方、負イオン測定モードでは、目的化合物から1個のプロトンが脱離したプロトン脱離イオン(質量:化合物の分子量−1)のほか、移動相中の酢酸(CH3COOH)、蟻酸(HCOOH)などが付加した付加イオンが検出される。
【0004】
こうしたイオンの付加や脱離の反応は目的化合物の性質などによってその傾向が異なり、試料に含まれる化合物が未知である場合には、どのような種類の付加(或いは脱離)イオンが検出されるのかを事前に予測することは困難である。また、そうしたイオンの付加・脱離の反応をコントロールすることも難しい。そのため、得られたマススペクトルから目的化合物由来のイオン(一般に総称して分子量関連イオンという)のピークを抽出したり目的化合物の分子量を算出したりする作業は、分析担当者の判断や知見に基づいた手動作業により行われることが多かった。しかしながら、こうした作業には分析担当者の豊富な知識や経験が必要であるため、知識や経験が不足している者では精度の高い解析が行えないという問題があった。また、経験を積んだ分析担当者が解析作業を行う場合であっても、手動作業では時間が掛かるためスループットが低いという問題もあった。
【0005】
一方、例えば特許文献2には、上記のような手動作業に依らず、コンピュータを利用してマススペクトルデータを解析処理する装置が開示されている。この装置では、大気圧イオン化の際に化合物に付加される各種成分を予測してデータベースに登録しておき、未知試料の質量分析により得られたマススペクトルに現れている複数のピーク間の質量差を算出して、上記データベースと照合することにより付加イオンを同定するようにしている。また、特許文献3には、マススペクトル上で検出された複数の付加イオンの質量からそれぞれ付加イオンの組成式の候補を推定し、複数の組成式候補からそれぞれ付加物を除いた残りの部分を比較して目的化合物の組成式を推定する装置が開示されている。ここでも、付加イオンの検出にはピークの質量差が利用されている。
【0006】
上記のような従来の付加イオン同定手法では、液体クロマトグラフで試料中の成分が良好に分離され、1つのマススペクトル中に1つ又はごく少数の目的化合物由来のイオンによるピークしか出現していない場合には、比較的高い精度で付加イオンを同定することができる。ところが、例えば液体クロマトグラフでの成分分離が良好でない場合や或いはもともと保持時間の近い複数の成分が混在しているような場合には、マススペクトルに多数の化合物由来のイオンのピークが出現し、付加イオンの同定精度が低下するという問題がある。マススペクトル上で付加イオンを正確に検出できないと、目的化合物自体の分子量の推定や同定にも支障をきたすことになる。
【0007】
【特許文献1】特開2001−099821号公報
【特許文献2】特開2004−271185号公報
【特許文献3】特開2005−221250号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
本発明は上記課題を解決するために成されたものであり、その目的とするところは、分析者の知識や経験に頼ることなく、迅速に且つ高い精度でマススペクトルデータから目的化合物由来のイオンのピークを見い出し、これにより目的化合物の分子量を高い精度で求めることができる質量分析データ解析方法及び装置を提供することにある。また、本発明の他の目的は、複数の化合物由来のイオンのピークがマススペクトルに現れている場合でも、高い精度で目的化合物由来イオン、つまり分子量関連イオンを見つけることができる質量分析データ解析方法及び装置を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0009】
上記課題を解決するために成された第1発明は、同一試料由来の正イオンと負イオンとを同時に又は別々に測定可能な質量分析装置により取得されるマススペクトルデータを解析処理する質量分析データ解析方法であって、
a)正イオンについてのマススペクトルに現れる1つのピークと負イオンについてのマススペクトルに現れる1つのピークとの質量差を算出し、該質量差が所定の値に合致する又はその値を含む所定範囲に入るか否かを判定する質量差調査ステップと、
b)質量差の調査に合格した2つのピークを目的化合物の分子量関連イオンとして抽出する分子量関連イオン抽出ステップと、
を有し、分子量関連イオンの情報に基づいて目的化合物の分子量を推定する及び/又は該目的化合物を同定することを特徴としている。
【0010】
また第1発明に係る質量分析データ解析方法を具現化した第2発明は、同一試料由来の正イオンと負イオンとを同時に又は別々に測定可能な質量分析装置により取得されるマススペクトルデータを解析処理する質量分析データ解析装置であって、
a)正イオンについてのマススペクトルに現れる1つのピークと負イオンについてのマススペクトルに現れる1つのピークとの質量差を算出し、該質量差が所定の値に合致する又はその値を含む所定範囲に入るか否かを判定する質量差調査手段と、
b)質量差の調査に合格した2つのピークを目的化合物の分子量関連イオンとして抽出する分子量関連イオン抽出手段と、
を備え、分子量関連イオンの情報に基づいて目的化合物の分子量を推定する及び/又は該目的化合物を同定することを特徴としている。
【0011】
ここで利用される上記質量分析装置は質量分解能や質量精度が高いものである必要があり、例えば質量誤差が数mDa程度以内に収まるものであることが望ましい。そうしたことから、一般的には、質量分離器として飛行時間型質量分離器(TOF−MS)を用いるとよい。また、質量分析装置のイオン源は、イオン化に際して化合物を開裂させず、化合物に特定の物質を付加させたり或いは化合物から特定の物質を脱離させたりする、ソフトなイオン化を行うものであることが望ましい。こうしたイオン化を行うイオン源として、エレクトロスプレイイオン化、大気圧化学イオン化などの大気圧イオン化を行うものが挙げられる。
【0012】
正イオン測定と負イオン測定とは同時に行えるものであることが好ましいが、例えば或る試料についてまず正イオン測定を実行し、引き続いて同試料について負イオン測定を実行するというように時分割で両測定を行うものであってもよい。
【0013】
なお、第1発明に係る質量分析データ解析方法、及び第2発明に係る質量分析データ解析装置の機能は、所定のプログラムをコンピュータ上で動作させることで達成することが可能である。
【0014】
第1発明に係る質量分析データ解析方法及び第2発明に係る質量分析データ解析装置では、同一試料に対する正イオン測定により得られるマススペクトルと負イオン測定により得られるマススペクトルとの間で、ピークの質量差の判定を行うことにより、そのピークが分子量関連イオンのピークであるか否かを判断する。
【0015】
例えばイオン化の際に目的化合物に1個のプロトンが付加して正イオンになると、化合物の質量よりもプロトン1個分の1.0073だけ質量が大きくなる。一方、目的化合物から1個のプロトンが脱離して負イオンになると、化合物の質量よりもプロトン1個分の1.0073だけ質量が小さくなる。従って、この化合物由来のプロトン付加イオンとプロトン脱離イオンとの質量差は、プロトンの質量の2倍に相当する値となる筈である。そこで、質量差がプロトンの理論質量の2倍に相当する、2.0146Daに合致するような2つのピークを探索すればよいが、実際には装置の質量誤差などは避けられないので、質量差が2.0146Daに対する所定の許容範囲に入るような2つのピークを探索する。
【0016】
上述のように測定の質量精度が高ければ、質量差が上記許容範囲に入る2つのピークは同一化合物由来のプロトン付加イオン、プロトン脱離イオンのペアであると高い確度で推定できる。そこで、これらを目的化合物の分子量関連イオンであるとみなして抽出し、例えば画面に表示しているマススペクトル上の該当ピークにラベル表示を行う。また、この情報に基づいて目的化合物の分子量を推定し、さらにその分子量を予め登録してあるデータベースに照合することで目的化合物の同定を行うこともできる。
【0017】
但し、場合によっては同一化合物由来でない2つのピークが誤って抽出されてしまうおそれもあるから、より信頼性を上げるために、同一化合物由来の別の、つまりプロトン以外の物質が化合物に付加した付加イオンのピークの存在を利用することが有用である。即ち、正イオンについてのマススペクトル又は負イオンについてのマススペクトルにおいて、プロトン付加イオン又はプロトン脱離イオンと付加イオンとの質量差に相当する2つのピークを探索し、これを利用して上述のように正負イオン測定によるマススペクトルで得られたペアのピークの確認を行うことができる。また、プロトン付加イオン又はプロトン脱離イオンと付加イオンとの質量差に相当する2つのピークを目的化合物の分子量関連イオンとして抽出することもできる。
【0018】
さらにまた、プロトン付加イオンとプロトン脱離イオンとのいずれか一方しか観察できない場合もあり得るが、そうした場合に、正イオンについてのマススペクトルに現れる1つのピークと負イオンについてのマススペクトルに現れる1つのピークとの質量差が、特定の付加物と別の付加物との質量の和に相当する値に合致する又はその値を含む所定範囲に入るか否かを判定して、分子量関連イオンのピークを見つけるようにしてもよい。例えば、或る化合物にアンモニアやナトリウムが付加した正イオンと同じ化合物からプロトンが脱離した負イオンとの質量差に相当する質量差を有する2つのピークが存在するか否かを調べるようにすることができる。
【発明の効果】
【0019】
第1発明に係る質量分析データ解析方法及び第2発明に係る質量分析データ解析装置によれば、同一化合物由来の正イオンと負イオンの情報を利用して分子量関連イオンを抽出しているので、従来よりも高い精度で以て分子量関連イオンを抽出することができる。それによって、目的化合物の分子量を精度良く求めることができ、同定精度を向上させることもでき、さらに同定漏れも軽減することができる。
【0020】
また、第1発明に係る質量分析データ解析方法及び第2発明に係る質量分析データ解析装置によれば、分析担当者が手動作業で分子量関連イオンを見い出す必要がなくコンピュータ上で自動的に且つ高精度で分子量関連イオンが抽出されるので、解析結果が分析担当者の知識や経験に左右されることなく、解析のスループットを向上させることも容易である。
【発明を実施するための最良の形態】
【0021】
以下、本発明に係る質量分析データ解析装置の一実施例を図面を参照して説明する。図1は本実施例によるデータ解析装置を備えた質量分析装置の全体構成図である。
【0022】
図示しないが、この質量分析装置の前段には液体クロマトグラフが設けられ、該液体クロマトグラフのカラムで時間的に成分分離された液体試料がこの質量分析装置に導入される。液体試料はエレクトロスプレイノズル1から略大気圧雰囲気であるイオン化室2内に噴霧され、それによって液体試料中の成分分子はイオン化され、生成されたイオンは加熱パイプ3を通って低真空雰囲気である第1中間真空室4へと送り込まれる。イオン化室2内ではエレクトロスプレイイオン化のほかに、大気圧化学イオン化などの別の大気圧イオン化法を採用してもよく、それらを併用してもよい。いずれにしてもイオンは第1中間真空室4内に配置された第1イオンレンズ5により収束されつつ、中真空雰囲気である第2中間真空室6に送り込まれ、第2中間真空室6内に配置された第2イオンレンズ7により収束されつつ高真空雰囲気である分析室8に送り込まれる。
【0023】
分析室8において、イオンは一旦、イオントラップ9内に蓄積され、所定のタイミングで一斉にイオントラップ9から排出されて飛行時間型質量分離器10に導入される。飛行時間型質量分離器10は静電場によりイオンを反射させるリフレクトロン11を備えるリフレクトロン型であり、折返し飛行する間にイオンは質量(厳密には質量電荷比m/z)に応じて分離され、質量が小さなイオンほど早くイオン検出器12に到達する。イオン検出器12は例えばイオンを電子に変換するコンバージョンダイノードと2次電子増倍管との組み合わせから成り、到達したイオン量に応じた電気信号を出力する。検出信号はA/D変換器13によりデジタル値に変換されてデータ処理部14へと入力される。また、上記のような質量分析動作を実行するために各部を制御する制御部15にはキーボードやマウスなどの操作部16、LCDディスプレイなどの表示部17が接続されている。データ処理部14や制御部15の実体はコンピュータであって、コンピュータにインストールされた専用の制御・処理プログラムをコンピュータで実行することにより、データ処理部14や制御部15としての機能が発揮される。
【0024】
上記質量分析装置では、所定期間中に生成されたイオンがイオントラップ9に蓄積され、その蓄積されたイオンに対する所定質量範囲に亘る質量分析が飛行時間型質量分離器10で実行される。この動作が所定の周期で繰り返され、各周期毎にマススペクトルを構成するマススペクトルデータがデータ処理部14に与えられる。また、この質量分析装置では、正イオン測定モードと負イオン測定モードとを高速に切り替え可能であって、実質的に正負イオンの同時測定を実現しており、或る時点における正イオンのマススペクトルと負イオンのマススペクトルとを並行的に取得することができる。
【0025】
なお、上記質量分析装置として具体的には、例えば島津製作所製の液体クロマトグラフ質量分析計LCMS−IT−TOF(インターネット<http://www.an.shimadzu.co.jp/products/lcms/it-tof.htm>参照)などを利用することができる。
【0026】
上記質量分析装置において、大気圧イオン化法は比較的ソフトなイオン化方法であって、液体試料中の目的とする化合物に移動相(溶媒)中の物質が付加されたり他の金属などが付加されたりした付加イオンが比較的多く発生する。そのため、マススペクトルには目的化合物に由来する各種の付加イオンのピークが出現する。
【0027】
図3は一般的によく観察される分子量関連イオンのピークを示すマススペクトルの概略図であり、(a)は正イオンのマススペクトル、(b)は負イオンのマススペクトルである。図中の数値は目的化合物に対するおおよその質量の増減である。正イオンでは主として1個のプロトンが付加したプロトン付加イオン(M+H)+ が、負イオンでは主として1個のプロトンが脱離したプロトン脱離イオン(M−H)-が観察される。また、それ以外に、正イオンでは、アンモニア付加イオン(M+NH4+、ナトリウム付加イオン(M+Na)+などが観察され、負イオンでは、塩素付加イオン(M+35Cl)-、(M+37Cl)-、酢酸付加イオン(M+CH3COO)-、蟻酸付加イオン(M+HCOO)- などが観察される。なお、ここでは一価のイオンしか示していないが、二価イオン((M+2H)2+ など)や二量体イオン((2M+H)+ など)が発生する場合もある。但し、これら付加イオン(プロトン脱離イオンも付加イオンに含むものとする)のうちいずれが出現するかは、化合物の性質、移動相の種類、或いはそれ以外の分析条件などに依存する。
【0028】
続いて、主としてデータ処理部14で実行される特徴的なデータ解析処理動作について、図2のフローチャート、図4〜図6のマススペクトルを参照しつつ説明する。
【0029】
まず、制御部15による制御の下で上述のような液体クロマトグラフ質量分析動作が行われ、データ処理部14はマススペクトルデータを収集し、これを図示しない記憶部に格納する(ステップS1)。次にデータ処理部14では、解析処理対象マススペクトルを限定するか否かが判定される(ステップS2)。解析処理対象マススペクトルを限定するか否か、及び限定する場合にその操作を手動又は自動のいずれで行うのかは、解析処理条件の1つとして予め操作部16から入力しておくものとする。
【0030】
解析処理対象マススペクトルを限定しない場合にはステップS2からステップS13へと進み、記憶部に格納されている全ての(つまりマススペクトルを採取した時間を限定しない)マススペクトルデータを読み込んで、各マススペクトル毎にピーク検出を行う。そして、ピークに対応したイオンの質量を求め、正イオンマススペクトル、負イオンマススペクトル毎に検出されたイオンの質量のリストを作成する(ステップS14)。なお、この際の詳しい処理は後述のステップS7と同じであるので、ここでは説明を省略する。
【0031】
ステップS2で解析処理対象マススペクトルを限定すると判定された場合には、次にマススペクトルの指定を手動で行うか否かが判定される(ステップS3)。手動指定の場合には、分析担当者が例えばトータルイオンクロマトグラムを表示部17の画面上に表示させ、その上で解析したいクロマトグラムピークを指定したり、或いは保持時間を指定したりすることにより、正イオンマススペクトルと負イオンマススペクトルとを指定する(ステップS4)。一方、ステップS3において手動指定でない場合には、自動的に適切なマススペクトルを選択するべくトータルイオンクロマトグラム(又は特定の質量を対象とするマスクロマトグラム)上でピーク検出を行い、そのピーク検出結果に基づいて正イオンマススペクトルと負イオンマススペクトルとを設定する(ステップS15)。
【0032】
手動、自動いずれによっても、解析処理対象のマススペクトルが正イオン、負イオンのペアとして決定されると(ステップS5)、該当するマススペクトルデータが記憶部から読み込まれて処理のために準備される(ステップS6)。そして、ステップS14と同様に、各マススペクトル毎にピーク検出を行い、ピークに対応したイオンの質量を求め、正イオンマススペクトル、負イオンマススペクトル毎にイオンの質量のリストを作成する(ステップS7)。ここで、ピーク検出を行った後、そのピークトップの信号強度が所定の閾値以上であるか否かを判定し、信号強度が閾値よりも小さいピークはノイズであるとみなしてリストから除外するとよい。
【0033】
また、ここで、価数の判定や同位体比の特異性を利用したモノアイソトピックの判定を行うこともできる。例えば図3(b)に示すように、通常のCl(35Cl)が付加された付加イオン(M+35Cl)-と同位体である37Clが付加した(M+37Cl)-とでは約2Daの質量差がある。また、両者のピークの強度比はClの同位体の存在比とほぼ一致する筈である。そのため、これを利用してその2つの付加イオンのピークを推定することができる。また、価数が2であるイオンであれば、同位体は1Da毎ではなく0.5Da毎にピークが現れるから、これを利用してそのピークのイオンの価数を推定できる。こうして単にイオン質量をリストアップするだけでなく、補足的に価数やモノアイソトピック(或いは同位体)などの情報を付加しておくことにより、後で行う付加イオンの同定が容易になり、また信頼性も向上する。
【0034】
次に、正イオン、負イオン毎のイオン質量リストを比較し、1対1で(つまり正イオンのマススペクトルの1個のピークと負イオンのマススペクトルの1個のピークとで)質量差を求め、その質量差がプロトン2個分の理論質量差2.0146Daを中心として所定の許容誤差を見込んだ質量範囲に入るようなペアを探索する。この許容誤差は質量分析装置自体の質量精度などを考慮して決めればよいが、狭過ぎると同一化合物由来のプロトン付加イオンとプロトン脱離イオンとのペアが検出できない(検出見逃し)が起こる可能性が高くなり、逆に広過ぎると同一化合物由来でないイオンをペアとして誤検出する可能性が高くなるので注意を要する。例えば数mDa程度の質量誤差を見込んで許容誤差を決めるとよい。
【0035】
いま、ここでは許容誤差を5mDaであるとする。図4に示すような正負イオンのマススペクトルの場合、質量差が2.0146Daを中心に0.005Daの許容誤差で決まる質量範囲に入るペアを探索すると、図中に示す3組のペアが確認できる。そこで、ペアとなるイオンを同一化合物由来のプロトン付加イオン及びプロトン脱離イオンであると推定して分子量関連イオンとして抽出する(ステップS8)。なお、図中には(M+H)+、(M−H)- とラベル表示されているが、これは後述のステップS11の処理の結果、表示されるものであり、ステップS8までの段階では表示されていない。
【0036】
次いで、正イオンのイオン質量リスト、負イオンのイオン質量リストそれぞれについて、2つのイオンの質量差を求め、その質量差が既知の(データベースに登録されている)付加物の理論質量を中心として所定の許容誤差を見込んだ質量範囲に入るようなペアを探索する。そして、これに入るようなペアとなるイオンをプロトン付加イオン又はプロトン脱離イオンとそれ以外の付加イオンであると推定して分子量関連イオンとして抽出する(ステップS9)。ここで言う付加物は、例えばアンモニア、ナトリウム、カリウム、酢酸、蟻酸などの成分(物質)であって、これらは予めデータベース化しておくとよい。
【0037】
例を挙げると、図5に示すような正負イオンのマススペクトルの場合、上記ステップS8の処理において、質量差が2.0146Daを中心に0.005Daの許容誤差で決まる質量範囲に入るペアを探索すると、図中に示すm/z=466.0329、464.0163の1組のペアのみが確認できる。一方、m/z=483.0590、488.0141の正イオンは、これに対応する負イオンが存在しないことから、プロトン付加イオンであるとは推定されない。次いで上記ステップS9の処理において付加イオンの判定が行われると、正イオンマススペクトルにおいて、m/z=466.0329とm/z=483.0590との質量差17.0261Daはアンモニア付加であり、同じm/z=466.0329とm/z=488.0141との質量差21.9812Daはナトリウム付加であると推定される。m/z=466.0329のイオンはプロトン付加イオンであると既に判定されているから、上記2つのイオンはこの化合物に対するアンモニア付加イオン、ナトリウム付加イオンであるとして分子量関連イオンとして抽出される。
【0038】
さらに、正イオン、負イオン毎のイオン質量リストを比較し、正イオンのマススペクトルの1個のピークと負イオンのマススペクトルの1個のピークとで質量差を求め、その質量差がプロトンの質量と別の付加物の質量との加算値又は付加物の理論質量からプロトンの理論質量を減算した値を中心として所定の許容誤差を見込んだ質量範囲に入るようなペアを探索し、これに入るようなペアとなるイオンの一方を、プロトン付加イオン又はプロトン脱離イオン、他方を付加イオンであると推定して分子量関連イオンとして抽出する(ステップS10)。なお、実際上、このステップS10の処理はステップS8、S9で分子量関連イオンが抽出できなかった場合にのみ行うようにしてもよい。
【0039】
例を挙げると、図6に示すような正負イオンのマススペクトルの場合、上記ステップS8の処理を行ってもペアが存在しない。即ち、プロトン付加イオン及びプロトン脱離イオンを見つけることができない。次に、上記ステップS9の処理を行ってもペアが存在しない。即ち、プロトン付加イオン又はプロトン脱離イオンと付加イオンとを見つけることができない。そこで、ステップS10の処理を実行すると、負イオンマススペクトルにおけるm/z=489.0142と正イオンマススペクトルにおけるm/z=508.0536との質量差19.0394Daはアンモニアとプロトンとの質量の加算値に相当すると推定できることが分かる。また同様に負イオンマススペクトルにおけるm/z=489.0142と正イオンマススペクトルにおけるm/z=513.0088との質量差23.9946Daはナトリウムとプロトンとの質量の加算値に相当すると推定できることが分かる。これにより、負イオンマススペクトルにおけるm/z=489.0142のイオンをプロトン脱離イオン、正イオンマススペクトルにおけるm/z=508.0536、513.0088のイオンをそれぞれ同一化合物由来のアンモニア付加イオン、ナトリウム付加イオンであるとして分子量関連イオンとして抽出する。
【0040】
以上のようにして分子量関連イオンを抽出したならば、図4〜図6に描出したように、表示部17の画面上に表示するマススペクトル上で、同定した付加イオンの帰属を示すべく各イオンの種別を示すラベル表示を該当するピークに対して行う(ステップS11)。上記のようなピークの、分子量関連イオンの帰属の判定処理は自動で行われるので、分析担当者自らが質量差などを計算する必要はない。
【0041】
さらに或る化合物の分子量関連イオンが求まったならば、その化合物の分子量を高い精度で推定することができるから、この分子量をデータベースと照合することで化合物を同定することができる(ステップS12)。また、例えば島津製作所製の液体クロマトグラフ質量分析計用組成推定ソフトウエア(インターネット<http://www.an.shimadzu.co.jp/products/lcms/it-tof5.htm>参照)などを利用すれば、分子量関連イオン及び付加物情報(アダクトイオンの種類)からその化合物の組成を推定することができる。同一の化合物についての分子量関連イオンが多いほど、その化合物の分子量推定や同定の信頼性を高めることができる。
【0042】
なお、上記実施例は一例であって、本発明の趣旨の範囲で適宜修正や変更、追加を行っても本願特許請求の範囲に包含されることは明らかである。
【図面の簡単な説明】
【0043】
【図1】本発明の一実施例によるデータ解析装置を備えた質量分析装置の全体構成図。
【図2】本実施例のデータ解析装置における特徴的なデータ解析処理動作の手順を示すフローチャート。
【図3】一般的によく観察される分子量関連イオンのピークを示すマススペクトルの概略図であり、(a)は正イオンのマススペクトル、(b)は負イオンのマススペクトル。
【図4】本実施例によるデータ解析処理動作の一例を説明するためのマススペクトルを示す図。
【図5】本実施例によるデータ解析処理動作の一例を説明するためのマススペクトルを示す図。
【図6】本実施例によるデータ解析処理動作の一例を説明するためのマススペクトルを示す図。
【符号の説明】
【0044】
1…エレクトロスプレイノズル
2…イオン化室
3…加熱パイプ
4…第1中間真空室
5…第1イオンレンズ
6…第2中間真空室
7…第2イオンレンズ
8…分析室
9…イオントラップ
10…飛行時間型質量分離器
11…リフレクトロン
12…イオン検出器
13…A/D変換器
14…データ処理部
15…制御部
16…操作部
17…表示部

【特許請求の範囲】
【請求項1】
同一試料由来の正イオンと負イオンとを同時に又は別々に測定可能な質量分析装置により取得されるマススペクトルデータを解析処理する質量分析データ解析方法であって、
a)正イオンについてのマススペクトルに現れる1つのピークと負イオンについてのマススペクトルに現れる1つのピークとの質量差を算出し、該質量差が所定の値に合致する又はその値を含む所定範囲に入るか否かを判定する質量差調査ステップと、
b)質量差の調査に合格した2つのピークを目的化合物の分子量関連イオンとして抽出する分子量関連イオン抽出ステップと、
を有し、分子量関連イオンの情報に基づいて目的化合物の分子量を推定する及び/又は該目的化合物を同定することを特徴とする質量分析データ解析方法。
【請求項2】
前記所定の値は所定の物質の質量の2倍に相当する値であることを特徴とする請求項1に記載の質量分析データ解析方法。
【請求項3】
前記所定の物質はプロトンであることを特徴とする請求項2に記載の質量分析データ解析方法。
【請求項4】
前記質量差調査ステップではさらに、正イオンについてのマススペクトル又は負イオンについてのマススペクトルにおいて、プロトン付加イオン又はプロトン脱離イオンとプロトン以外の物質が付加した付加イオンとの質量差に相当する2つのピークを探索し、前記分子量関連イオン抽出ステップでは、その2つのピークを目的化合物の分子量関連イオンとして抽出することを特徴とする請求項1〜3のいずれかに記載の質量分析データ解析方法
【請求項5】
同一試料由来の正イオンと負イオンとを同時に又は別々に測定可能な質量分析装置により取得されるマススペクトルデータを解析処理する質量分析データ解析装置であって、
a)正イオンについてのマススペクトルに現れる1つのピークと負イオンについてのマススペクトルに現れる1つのピークとの質量差を算出し、該質量差が所定の値に合致する又はその値を含む所定範囲に入るか否かを判定する質量差調査手段と、
b)質量差の調査に合格した2つのピークを目的化合物の分子量関連イオンとして抽出する分子量関連イオン抽出手段と、
を備え、分子量関連イオンの情報に基づいて目的化合物の分子量を推定する及び/又は該目的化合物を同定することを特徴とする質量分析データ解析装置。
【請求項6】
前記所定の値は所定の物質の質量の2倍に相当する値であることを特徴とする請求項5に記載の質量分析データ解析装置。
【請求項7】
前記所定の物質はプロトンであることを特徴とする請求項6に記載の質量分析データ解析装置。
【請求項8】
前記質量差調査手段はさらに、正イオンについてのマススペクトル又は負イオンについてのマススペクトルにおいて、プロトン付加イオン又はプロトン脱離イオンとプロトン以外の物質が付加した付加イオンとの質量差に相当する2つのピークを探索し、前記分子量関連イオン抽出手段は、その2つのピークを目的化合物の分子量関連イオンとして抽出することを特徴とする請求項5〜7のいずれかに記載の質量分析データ解析装置。

【図1】
image rotate

【図2】
image rotate

【図3】
image rotate

【図4】
image rotate

【図5】
image rotate

【図6】
image rotate


【公開番号】特開2008−298517(P2008−298517A)
【公開日】平成20年12月11日(2008.12.11)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−143368(P2007−143368)
【出願日】平成19年5月30日(2007.5.30)
【出願人】(000001993)株式会社島津製作所 (3,708)
【Fターム(参考)】