説明

NMR用キラルシフト剤、および、それを用いた光学純度または絶対配置を決定する方法

【課題】 プロトン核磁気共鳴分光法においてキラルな物質を認識するNMR用キラルシフト剤、および、それを用いてキラルな物質の光学純度または絶対配置を決定する方法を提供すること。
【解決手段】 本発明のNMR用キラルシフト剤は、アキラルなポルフィリンからなる。アキラルなポルフィリンは、ジプロトン化されキラルな物質と結合し、錯体となる。それにより、キラルな物質に関するキラルな情報(光学純度または絶対配置)がポルフィリンに転送され得、転送されたキラルな情報は、プロトン核磁気共鳴分光法によって容易に読み出すことができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、プロトン核磁気共鳴分光法(以降では単にプロトンNMRと称する)においてキラルな物質を認識するためのNMR用キラルシフト剤、および、それを用いてキラルな物質の光学純度または絶対配置を決定する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
キラルな物質は、香料、調味料、食品添加物、医薬品、農薬等で利用されている。キラルな物質は、その光学異性体によって生体に対する活性が著しく異なる場合がある。例えば、サリマイドのR体は優れた薬効を示すが、サリマイドのS対は重篤な薬害を引き起こすことが知られている。このように、キラルな物質を認識すること、すなわち、光学純度および絶対配置を求めることが重要である。
【0003】
最近、キラルな物質を認識するためのNMR用キラルシフト剤として、オキソポルフィリノーゲンが開発されている(例えば、非特許文献1を参照。)。非特許文献1によれば、オキソポルフィリノーゲンは、オキソポルフィリノーゲンが有するピロールのNH基において、キラルな物質と錯体化する。このオキソポルフィリノーゲンとキラルな物質との錯体にプロトンNMRを行えば、キラルな物質の光学純度に応じて、NMRスペクトルのピークが分裂する、および/または、ピークがシフトする。したがって、ピーク分裂の幅および/またはピークシフトに基づいて、キラルな物質の光学純度を求めることができる。
【0004】
しかしながら、非特許文献1に記載のNMR用キラルシフト剤としてオキソポルフィリノーゲンは、入手が困難あるいは高価である。したがって、入手が容易であり、安価なオキソポルフィリノーゲンに代替するNMR用キラルシフト剤の開発が望まれる。
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
以上より、本発明の課題は、プロトン核磁気共鳴分光法においてキラルな物質を認識するNMR用キラルシフト剤、および、それを用いてキラルな物質の光学純度または絶対配置を決定する方法を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0006】
本発明によるNMR用キラルシフト剤は、アキラルなポルフィリンからなり、これにより上記課題を達成する。
前記ポルフィリンは、式(1)で表され、
【化1】


ここで、X1〜X8およびR1〜R4は、互いに同一または別異のアキラルな原子団およびアキラルな官能基からなる群から選択され得る。
前記アキラルな原子団は、水素原子およびハロゲン原子であり得る。
前記アキラルな官能基は、直鎖状または分岐状のアルキル基、直鎖状または分岐状のハロゲン化アルキル基、エチレングリコール鎖、エチレングリコールのオリゴマー、ポリマー鎖、芳香族基、複素芳香族基、複素環基、エステル基、エーテル基、環状エーテル基、アミド基、アルケン、アルキン、ケトン基、アミン基、環状アミン基、アルコキシ基、ビニル基、チオエーテル基、スルホン基、シアノ基、ニトロ基およびそれらの誘導体であり得る。
前記X1〜X8は、水素原子であり、前記R1〜R4は、フェニル基、tert−ブチル基、4−ジメチルアミノフェニル基、2,6−ジ−tert−4−ヒドロキシフェニル基および4−ピリジル基からなる群から選択され得る。
本発明による酸性官能基を有するキラルな物質の光学純度を決定する方法は、上記NMR用キラルシフト剤と前記キラルな物質との混合物を錯体化するステップと、前記錯体化された混合物の核磁気共鳴スペクトルを測定するステップと、前記錯体化された混合物の核磁気共鳴スペクトルにおけるピーク分裂の幅を測定するステップと、前記ピーク分裂の幅に基づいて前記キラルな物質の光学純度を決定するステップとを包含し、これにより上記課題を達成する。
前記光学純度を決定するステップに先立って、エナンチオピュアな前記キラルな物質を用いて、ピーク分裂の幅と前記キラルな物質の光学純度との間の関係式Δδ=(Δδmax×%ee)/100(ここで、Δδはピーク分裂の幅(ppm)であり、Δδmaxは、前記NMR用キラルシフト剤と前記エナンチオピュアな前記キラルな物質との錯体の核磁気共鳴スペクトルにおけるピーク分裂の幅(ppm)であり、%eeは前記キラルな物質の光学純度(0%〜100%)である)を求めるステップをさらに包含してもよい。
前記錯体化するステップは、0℃以下の温度下で行ってもよい。
前記錯体化するステップは、前記NMR用キラルシフト剤に対して前記キラルな物質を少なくとも2モル当量混合し得る。
前記錯体化するステップは、前記NMR用キラルシフト剤に対して前記キラルな物質を4モル当量以上混合し得る。
前記決定するステップは、関係式Δδ=(Δδmax×%ee)/100(ここで、Δδは前記ピーク分裂の幅(ppm)であり、Δδmaxは、前記NMR用キラルシフト剤とエナンチオピュアな前記キラルな物質との錯体の核磁気共鳴スペクトルにおけるピーク分裂の幅(ppm)であり、%eeは前記キラルな物質の光学純度(0%〜100%)である)を用い得る。
前記酸性官能基は、カルボキシル基、リン酸基、スルホン基および水酸基からなる群から選択され得る。
本発明による酸性官能基を有するキラルな物質の絶対配置を決定する方法は、上記NMR用キラルシフト剤と前記キラルな物質との第1の混合物を錯体化するステップと、前記第1の混合物にエナンチオピュアな前記キラルな物質を添加した第2の混合物を錯体化するステップと、前記錯体化された第1および第2の混合物の核磁気共鳴スペクトルを測定するステップと、前記錯体化された第1の混合物の核磁気共鳴スペクトルにおけるピーク分裂の幅(Δδ/ppm)と、前記錯体化された第2の混合物の核磁気共鳴スペクトルにおけるピーク分裂の幅(Δδ/ppm)とを比較するステップとを包含し、これにより上記課題を達成する。
前記第2の混合物を錯体化するステップに先立って、前記錯体化された第1の混合物の核磁気共鳴スペクトルにおけるピーク分裂の幅に基づいて、前記キラルな物質の光学純度を決定するステップをさらに包含してもよい。
前記第2の混合物を錯体化するステップは、前記エナンチオピュアな前記キラルな物質を、%ee/100当量(%eeは、前記キラルな物質の光学純度である)以下添加し得る。
前記第2の混合物を錯体化するステップにおいて、前記エナンチオピュアな前記キラルな物質がR体であり、かつ、前記比較するステップにおいて、前記ピーク分裂の幅の関係がΔδ<Δδ、Δδ=ΔδまたはΔδ>Δδを満たす場合、前記キラルな物質は、それぞれ、R体リッチなエナンチオマー、R体のエナンチオピュア、または、S体リッチなエナンチオマーあるいはS体のエナンチオピュアであると決定され、前記第2の混合物を錯体化するステップにおいて、前記エナンチオピュアな前記キラルな物質がS体であり、かつ、前記比較するステップにおいて、前記ピーク分裂の幅の関係がΔδ<Δδ、Δδ=ΔδまたはΔδ>Δδを満たす場合、前記キラルな物質は、それぞれ、S体リッチなエナンチオマー、S体のエナンチオピュア、または、R体リッチなエナンチオマーあるいはR体のエナンチオピュアであると決定され得る。
前記第2の混合物を錯体化するステップにおいて、前記エナンチオピュアな前記キラルな物質がR体であり、かつ、前記比較するステップにおいて、前記ピーク分裂の幅の関係がΔδ>Δδを満たす場合、前記第1の混合物に前記エナンチオピュアな前記キラルな物質としてS体を添加した第3の混合物を錯体化するステップと、前記錯体化された第3の混合物の核磁気共鳴スペクトルを測定するステップと、前記錯体化された第1の混合物の核磁気共鳴スペクトルのピーク分裂の幅(Δδ/ppm)と、前記錯体化された第3の混合物の核磁気共鳴スペクトルにおけるピーク分裂の幅(Δδ/ppm)とをさらに比較するステップとをさらに包含し得る。
前記さらに比較するステップにおいて、前記ピーク分裂の幅の関係がΔδ<ΔδまたはΔδ=Δδを満たす場合、それぞれ、前記キラルな物質は、S体リッチなエナンチオマーまたはS体のエナンチオピュアであると決定され得る。
前記第2の混合物を錯体化するステップにおいて、前記エナンチオピュアな前記キラルな物質がS体であり、かつ、前記比較するステップにおいて、前記ピーク分裂の幅の関係がΔδ>Δδを満たす場合、前記第1の混合物に前記エナンチオピュアな前記キラルな物質としてR体を添加した第3の混合物を錯体化するステップと、前記錯体化された第3の混合物の核磁気共鳴スペクトルを測定するステップと、前記錯体化された第1の混合物の核磁気共鳴スペクトルにおけるピーク分裂の幅(Δδ/ppm)と、前記錯体化された第3の混合物の核磁気共鳴スペクトルにおけるピーク分裂の幅(Δδ/ppm)とをさらに比較するステップとをさらに包含し得る。
前記さらに比較するステップにおいて、前記ピーク分裂の幅の関係がΔδ<ΔδまたはΔδ=Δδを満たす場合、それぞれ、前記キラルな物質は、R体リッチなエナンチオマーまたはR体のエナンチオピュアであると決定され得る。
【発明の効果】
【0007】
本発明によるNMR用キラルシフト剤は、アキラルなポルフィリンからなる。アキラルなポルフィリンは、ジプロトン化されキラルな物質と結合し、錯体となる。それにより、キラルな物質に関するキラルな情報(光学純度または絶対配置)がポルフィリンに転送され得、転送されたキラルな情報は、プロトン核磁気共鳴分光法によって容易に読み出すことができる。
【0008】
本発明による酸性官能基を有するキラルな物質の光学純度を決定する方法は、上記NMR用キラルシフト剤とキラルな物質との混合物を錯体化するステップを包含する。これにより、キラルな物質に関するキラルな情報がNMR用キラルシフト剤に転送される。本発明による光学純度を決定する方法は、上記錯体化された混合物のプロトン核磁気共鳴スペクトルを測定するステップと、ピーク分裂を測定するステップとをさらに包含する。本発明によれば、プロトン核磁気共鳴スペクトルを測定することによって、上記キラルな情報をピーク分裂の幅として容易に読み出すことができる。さらに、本発明による光学純度を決定する方法は、ピーク分裂の幅に基づいてキラルな物質の光学純度を決定するステップを包含する。本発明によれば、上記ピーク分裂の幅と上記キラルな情報の光学純度とは所定の関係にあるので、上記ピーク分裂の幅に基づいて光学純度を容易に決定できる。
【0009】
本発明による酸性官能基を有するキラルな物質の絶対配置を決定する方法は、上記NMR用キラルシフト剤とキラルな物質との第1の混合物を錯体化するステップを包含する。これにより、キラルな物質に関するキラルな情報がNMR用キラルシフト剤に転送される。本発明による絶対配置を決定する方法は、第1の混合物にエナンチオピュアなキラルな物質を添加した第2の混合物を錯体化するステップをさらに包含する。これにより、キラルな物質に関するキラル情報に加えて、エナンチオピュアなキラルな物質に関するキラルな情報がNMR用キラルシフト剤に転送される。次いで、本発明による絶対配置を決定する方法は、錯体化された第1および第2の混合物のプロトン核磁気共鳴スペクトルを測定するステップを包含する。本発明によれば、プロトン核磁気共鳴スペクトルを測定することによって、上記キラルな情報を容易に読み出すことができる。さらに、本発明による絶対配置を決定する方法は、錯体化された第1の混合物のプロトン核磁気共鳴スペクトルにおけるピーク分裂の幅(Δδ/ppm)と、錯体化された第2の混合物のプロトン核磁気共鳴スペクトルにおけるピーク分裂の幅(Δδ/ppm)とを比較するステップを包含する。本発明によれば、ピーク分裂の幅のシフトと、キラルな情報の絶対配置とは所定の関係にあるので、上記ピーク分裂の幅の比較により絶対配置を容易に決定できる。
【図面の簡単な説明】
【0010】
【図1】アキラルなポルフィリンとキラルな物質との関係を示す図
【図2】プロトン化ポルフィリンが受ける遮蔽効果とプロトンNMRにおけるピークとの関係を示す図
【図3】キラルな物質の光学純度とプロトン化ポルフィリンのNMRスペクトルのプロトンのピークとの例示的な関係を示す図
【図4】キラルな物質の光学純度とプロトン化ポルフィリンのNMRスペクトルのプロトンのピーク分裂の幅との例示的な関係を示す図
【図5】本発明による光学純度を決定するステップを示すフローチャート
【図6】本発明による絶対配置を決定するステップを示すフローチャート
【図7】第1の混合物および第2の混合物の例示的なNMRスペクトルを示す図
【図8】本発明による絶対配置を決定するさらなるステップを示すフローチャート
【図9】第1の混合物および第3の混合物の例示的なNMRスペクトルを示す図
【図10】TPPおよび2−フェノキシプロピオン酸を示す図
【図11】実施例1によるTPPと2−フェノキシプロピオン酸との混合物のNMRスペクトルの温度依存性を示す図
【図12】実施例1によるTPPと2−フェノキシプロピオン酸との混合物の電子吸収スペクトルの温度依存性を示す図
【図13】実施例1によるTPPと2−フェノキシプロピオン酸との混合物のCDスペクトルの温度依存性を示す図
【図14】実施例1によるTPPと2−フェノキシプロピオン酸との混合物のNMRスペクトルの2−フェノキシプロピオン酸の添加量依存性を示す図
【図15】実施例1の図14による飽和度sとモル比との関係を示す結合等温線を示す図
【図16】実施例1によるTPPと2−フェノキシプロピオン酸との混合物のNMRスペクトルの光学純度依存性を示す図
【図17】実施例1による光学純度(%ee)とピーク分裂の幅(Δδ/ppm)との関係をプロットした図
【図18】実施例1によるTPPと2−フェノキシプロピオン酸との混合物のNMRスペクトルにおける2−フェノキシプロピオン酸の絶対配置依存性を示す図
【図19】TtBuPおよびイブプロフェンを示す図
【図20】実施例2によるTtBuPとイブプロフェンとの混合物のNMRスペクトルの光学純度依存性を示す図
【図21】実施例2による光学純度(%ee)とピーク分裂の幅(Δδ/ppm)との関係をプロットした図
【図22】T(ジ−メチル−アミノ)Pおよびマンデル酸を示す図
【図23】実施例3によるT(ジ−メチル−アミノ)Pとマンデル酸との混合物のNMRスペクトルの温度依存性を示す図
【図24】TDtBHPPを示す図
【図25】実施例4によるTDtBHPPと2−フェノキシプロピオン酸との混合物のNMRスペクトルの温度依存性を示す図
【図26】T(4−Py)Pを示す図
【図27】実施例5によるT(4−Py)Pと2−フェノキシプロピオン酸との混合物のNMRスペクトルの温度依存性を示す図
【発明を実施するための形態】
【0011】
以下、図面を参照して、本発明の実施の形態を詳細に説明する。なお、同様の構成要素には同様の参照番号を付し、その説明を省略する。
【0012】
(実施の形態1)
実施の形態1では、本発明によるNMR用キラルシフト剤について説明する。
【0013】
本発明によるNMR用キラルシフト剤は、アキラルなポルフィリンからなる。アキラルなポルフィリンであれば、任意であり制限はない。アキラルなポルフィリンは、具体的には、式(1)で示される。
【0014】
【化2】

【0015】
ここで、X1〜X8およびR1〜R4は、互いに同一または別異のアキラルな原子団およびアキラルな官能基からなる群から選択される。
【0016】
例示的なアキラルな原子団は、水素原子およびハロゲン原子である。
【0017】
例示的なアキラルな官能基は、直鎖状または分岐状のアルキル基、直鎖状または分岐状のハロゲン化アルキル基、エチレングリコール鎖、エチレングリコールのオリゴマー、ポリマー鎖、芳香族基、複素芳香族基、複素環基、エステル基、エーテル基、環状エーテル基、アミド基、アルケン、アルキン、ケトン基、アミン基、環状アミン基、アルコキシ基、ビニル基、チオエーテル基、スルホン基、シアノ基、ニトロ基およびそれらの誘導体である。
【0018】
本明細書において、直鎖状のアルキル基はメチル基またはエチル基を含むものとする。直鎖状または分岐状のアルキル基の誘導体は、末端が任意の置換基で置換された直鎖状または分岐状のアルキル基を含む。例示的な直鎖状または分岐状のハロゲン化アルキル基は、フッ素化アルキル基、塩素化アルキル基、臭化アルキル基、ヨウ化アルキル基である。芳香族基の誘導体は、任意の置換基で置換された芳香族基を含む。複素芳香族基の誘導体は、任意の置換基で置換された複素芳香族基を含む。複素環基の誘導体は、任意の置換基で置換された複素環基を含む。
【0019】
上記アキラルな原子団およびアキラルな官能基の中でも、X1〜X8は水素原子であり、かつ、R1〜R4は芳香族基としてフェニル基である、テトラフェニルポルフィリン(TPP)は、製造および入手が容易であり、後述するピークのダブレットが明瞭であるため好ましい。
【0020】
上記アキラルな原子団およびアキラルな官能基の中でも、X1〜X8は水素原子であり、かつ、R1〜R4はアルキル基としてtert−ブチル基であるmeso−テトラ−tert−ブチルポルフィリン(TtBuP)は、製造および入手が容易であり、NMRスペクトルがシンプルであるため好ましい。
【0021】
上記アキラルな原子団およびアキラルな官能基の中でも、X1〜X8は水素原子であり、かつ、R1〜R4は複素環基としてピリジル基である、5,10,15,20−テトラキス(4−ピリジル)ポルフィリン(T(4−Py)P)は、製造および入手が容易であり、後述するピークのダブレットが明瞭であるため好ましい。
【0022】
上記アキラルな原子団およびアキラルな官能基の中でも、X1〜X8は水素原子であり、かつ、R1〜R4は置換された芳香族基として4−ジメチルアミノフェニル基である、5,10,15,20−テトラキス(4−ジメチルアミノフェニル)ポルフィリン(T(ジ−メチル−アミノ)P)は、製造および入手が容易であり、室温に近い温度でキラルな物質の光学純度および絶対配置を決定できるため好ましい。
【0023】
上記アキラルな原子団およびアキラルな官能基の中でも、X1〜X8は水素原子であり、かつ、R1〜R4は置換された芳香族基として2,6−ジ−tert−ブチル−4−ヒドロキシフェニル基である、5,10,15,20−テトラキス(2,6−ジ−tert−ブチル−4−ヒドロキシフェニル)ポルフィリン(TDtBHPP)は、製造および入手が容易であり、後述するピークのダブレットが明瞭であるため好ましい。
【0024】
なお、本発明によるNMR用キラルシフト剤として具体的なアキラルなポルフィリンを示したが、これらは好適なアキラルなポルフィリンの例示に過ぎず、当業者であれば、X1〜X8およびR1〜R4を適宜選択し、設計可能であることに留意されたい。ただし、実施の形態2で詳述するように、プロトン核磁気共鳴分光法(プロトンNMR)によるスペクトルを解析する際のスペクトルが複雑にならないように、X1〜X8およびR1〜R4を選択するのが好ましい。
【0025】
アキラルなポルフィリンは、商業的に製造されており、容易に入手可能であり、安価である。また、AdlerらによるJournal of Organic Chemistry,32,476(1967)等を参照して、製造することもできる。
【0026】
次に、アキラルなポルフィリンがNMR用キラルシフト剤として機能し得る原理について説明する。
【0027】
図1は、アキラルなポルフィリンとキラルな物質との関係を示す図である。
【0028】
式(1)に示すアキラルなポルフィリンは、式(2)に示すようにジプロトン化され(図1の100)、酸性官能基を有するキラルな物質110、120と錯体化する。すなわち、1つのジプロトン化したアキラルなポルフィリン(以降では単にプロトン化ポルフィリンと称する)100は、2つのキラルな物質110および120と結合し得る。なお、酸性官能基とは、カルボキシル基、リン酸基、スルホン基および水酸基からなる群から選択される官能基である。
【0029】
【化3】

【0030】
プロトン化ポルフィリン100に結合したキラルな物質110および120は、それぞれの結合位置において高速交換し得る。例えば、キラルな物質110がR体である場合、R体からS体のキラルな物質へと高速交換し得る。キラルな物質120においても同様である。一方、プロトン化ポルフィリン100はジプロトン化された状態が維持される。結合位置は、基本的に、常にキラルな物質110および120で占有される。R体またはS体のキラルな物質が結合する確率は統計に基づく。ここで、結合位置がR体またはS体のキラルな物質によって占有される確率は、光学純度(%ee:0〜100)の関数として式(i)および(ii)で与えられる。
【0031】
(ee)=[R]t/([R]t+[S]t)=(1+ee)/2 (i)
(ee)=[S]t/([R]t+[S]t)=(1−ee)/2 (ii)
【0032】
ここで、eeは、%ee/100であり、[R]tおよび[S]tは、それぞれ、R体およびS体のキラルな物質の合計濃度である。
【0033】
さらに、プロトン化ポルフィリン100のマクロサイクルは、そのジプロトン化によって平面形状からサドル形状に変形する。その結果、結合した2つのキラルな物質110および120の等方回転運動は、その結合位置において抑制され得る。このようなキラルな物質110および120が結合したことによって生じる化学的な環境によって、プロトン化ポルフィリン100の隣接するプロトン、例えば、β位のピロールプロトンは、非対称な遮蔽効果を受ける。この非対称な遮蔽効果は、プロトンNMRにおいて特異な共鳴周波数を生じるため、共鳴周波数の違いによりキラルな物質を認識できる。また、結合したキラルな物質110および120は、サドル形状のマクロサイクルに対して、それぞれ、独立して機能し得るので、結合したキラルな物質110および120による化学的な環境による遮蔽効果それぞれもまた、独立している。
【0034】
次に、化学的な環境によってプロトン化ポルフィリン100が受ける遮蔽効果とプロトンNMRにおけるピークとの関係について説明する。
【0035】
図2は、プロトン化ポルフィリンが受ける遮蔽効果とプロトンNMRにおけるピークとの関係を示す図である。
【0036】
図では簡単のため、1つのプロトン化ポルフィリンのマクロサイクルに対して一方の面のみを示す。図2(A)〜(B)は、それぞれ、R体のエナンチオピュア、ラセミ体、および、S体のエナンチオピュアなキラルな物質が結合したプロトン化ポルフィリンを示す。図中、RおよびSは、それぞれ、R体およびS体のキラルな物質を示す。
【0037】
図2(A)〜(C)に示すように、結合したR体およびS体のキラルな物質は、プロトン化ポルフィリンのプロトンHaおよびHb(ここではβ位のピロールプロトンを例示するが、これに限らない)をそれぞれ矢印で示される所定の方向に遮蔽する。その結果、β位のピロールプロトンHaおよびHbの共鳴の非等時性が誘起される。
【0038】
より具体的には、図2(A)および(C)の右図のように、キラルな物質がR体およびS体のエナンチオピュア(R−100%eeまたはS−100%ee)である場合、共鳴の非等時性によりβ位のピロールプロトンは、シングレットからダブレットへとスプリットされ、低磁場および高磁場シフト(化学シフト)する。一方、図2(B)の右図のように、キラルな物質がラセミ体である場合、β位のピロールプロトンは、高速交換において同じ平均場を受ける。したがって、プロトン化ポルフィリンがラセミ体のキラルな物質と結合すると、β位のピロールプロトンの化学シフトは、1つ値に収束し、シングレットとなる。
【0039】
HaおよびHbの化学シフトは、式(iii)および(iv)で表される。
δ=δa,R+δa,S (iii)
δ=δb,R+δb,S (iv)
【0040】
ここで、δa,Rおよびδa,Sは、それぞれ、R体およびS体のエナンチオマーとの錯体化によって誘起されたプロトンHaの化学シフトである。δb,Rおよびδb,Sは、それぞれ、R体およびS体のエナンチオマーとの錯体化によって誘起されたプロトンHbの化学シフトである。対称性、ならびに、R体のみ(またはS体のみ)との錯体間での化学シフトの等価性により、δa,R=δb,Sおよびδa,S=δb,Rである。したがって、式(iii)および(iv)から化学シフト差Δδは式(v)となる。
【0041】
Δδ=δa−δb=(δa,R−δb,R)(p−p) (v)
ここで、δa,R−δb,R=Δδ’max(定数)である。式(i)および(ii)よりp−p=eeである。したがって、化学シフト差Δδは、光学純度の線形関数として式(vi)で表される。
【0042】
Δδ=Δδ’max×ee (vi)
ここで、光学純度の百分率表記%eeを用いれば、Δδ’maxは、Δδ’max=Δδmax×100(%)となり、式(vi)は式(vii)となる。
【0043】
Δδ=(Δδmax×%ee)/100 (vii)
ここで、Δδmaxは、プロトン化ポルフィリンとエナンチオピュアなキラルな物質との錯体における特性値(プロトンの最大化学シフト差)である。このように、キラルな物質の光学純度に応じた遮蔽効果を化学シフト差として定量化できるので、本発明によるアキラルなポルフィリンはNMR用キラルシフト剤として機能できる。
【0044】
なお、β位のピロールプロトンが受ける遮蔽効果について説明してきたが、アキラルなポルフィリンのプロトンは、β位のピロールプロトンに限定されない。遮蔽効果を受ける任意のプロトンについても同様であり、NMR用キラルシフト剤として機能し得る。
【0045】
また、上述したアキラルな原子団およびアキラルな官能基を有するアキラルなポルフィリンであれば、遮蔽効果を受けるプロトンを有する。
【0046】
図1および図2を参照して説明したように、酸性官能基を有するキラルな物質は、アキラルなポルフィリンと錯体化して、そのアキラルなポルフィリンの化学的な環境を変化させる。その変化した化学的な環境は、キラルな物質の光学純度に応じた遮蔽効果をアキラルなポルフィリンに生じさせる。このような遮蔽効果は、アキラルなポルフィリンのプロトンのピーク(シングレットまたはダブレット)によって確認できる。したがって、アキラルなポルフィリンは、酸性官能基を有するキラルな物質に対してNMR用キラルシフト剤として機能し得る。なお、アキラルなポルフィリンは、非特許文献1に示されるオキソポルフィリノーゲンとは異なる物質であり、本発明者らが初めて上述の機能を見出したことに留意されたい。
【0047】
なお、キラルな物質によって生じる化学的な環境が、アキラルなポルフィリンに遮蔽効果を及ぼすこと、ならびに、遮蔽効果の程度を認識することを、本明細書では、それぞれ、「キラルな物質に関するキラルな情報のアキラルなポルフィリンへの転送」、ならびに、「アキラルなポルフィリンからキラルな物質に関するキラルな情報の読出」ということもある。
【0048】
(実施の形態2)
実施の形態2では、実施の形態1で説明したNMR用キラルシフト剤を用いて、キラルな物質の光学純度を決定する方法について説明する。
【0049】
実施の形態1で説明したように、アキラルなポルフィリンからなるNMR用キラルシフト剤に酸性官能基を有するキラルな物質を反応させると、アキラルなポルフィリンはプロトン化ポルフィリンとなり、キラルな物質と錯体化する。その結果、キラルな物質は、アキラルなポルフィリンに遮蔽効果を及ぼし、キラルな物質に関するキラルな情報(光学純度)がアキラルなポルフィリンに転送される。このような錯体のプロトンのピークは、錯体化したキラルな物質の光学純度に応じて、シングレットまたはダブレットとなり得る。さらにそのダブレットの幅(すなわち、ピーク分裂の幅)もまた、キラルな物質の光学純度に依存している。したがって、このような錯体のプロトン核磁気共鳴スペクトル(以降では単にNMRスペクトルと称する)を測定することによって、アキラルなポルフィリンに転送されたキラルな物質に関するキラルな情報(光学純度)を読み出すことができる。
【0050】
図3は、キラルな物質の光学純度とプロトン化ポルフィリンのNMRスペクトルのプロトンのピークとの例示的な関係を示す図である。
【0051】
図4は、キラルな物質の光学純度とプロトン化ポルフィリンのNMRスペクトルのプロトンのピーク分裂の幅との例示的な関係を示す図である。
【0052】
図3に示すように、キラルな物質の光学純度に応じて、プロトン化ポルフィリンのプロトンは、シングレットからダブレットまで変化し得る。図3では、光学純度をR体0%(すなわちラセミ体)、20%、40%、60%、80%および100%まで変化させたキラルな物質と錯体化したプロトン化ポルフィリンのプロトンの例示的なダブレットを示す。なお、R体20%、40%、60%、80%および100%のプロトンのダブレットは、図2を参照して説明したように、それぞれ、S体20%、40%、60%、80%および100%のプロトンのダブレットと同一となる。
【0053】
図3に例示的に示すピークから得られるピーク分裂の幅(Δδ/ppm)と、光学純度(%ee)とをプロットすると、図4に示すように、ピーク分裂の幅と光学純度とは直線関係にあり、式(vii)を満たす。このような関係を検量線として用いることで、ピーク分裂の幅から光学純度を求めることができる。
【0054】
図5は、本発明による光学純度を決定するステップを示すフローチャートである。
【0055】
ステップS510:本発明のNMR用キラルシフト剤とキラルな物質(被検物質)との混合物を錯体化する。
【0056】
ここで、NMR用キラルシフト剤は、実施の形態1で詳述したため説明を省略する。被検物質であるキラルな物質は、酸性官能基を有するキラルな物質である。酸性官能基とは、カルボキシル基、リン酸基、スルホン基および水酸基からなる群から選択される官能基である。
【0057】
混合により、NMR用キラルシフト剤のプロトン化ポルフィリンと被検物質とが錯体化し、被検物質に関するキラルな情報がNMR用キラルシフト剤に転送される。この混合は、アキラルなポルフィリンが、プロトン化ポルフィリンとなり被検物質と錯体化する限り、特に制限はないが、好ましくは、0℃以下の温度で行われる。これにより、アキラルなポルフィリンと被検物質との間の錯体化が促進され、被検物質が結合したプロトン化ポルフィリンである錯体を確実に生成することができる。
【0058】
具体的には、アキラルなポルフィリンとして実施の形態1で例示したTTPまたはTtBuPを用いた場合には、−10℃以下で混合することが好ましい。アキラルなポルフィリンとして実施の形態1で例示したT(4−Py)Pを用いた場合には、−60℃以下で混合することが好ましい。アキラルなポルフィリンとして実施の形態1で例示したT(ジ−メチル−アミノ)Pを用いた場合には、0℃以下で混合することが好ましい。アキラルなポルフィリンとして実施の形態1で例示したTDtBHPPを用いた場合には、−20℃以下で混合することが好ましい。いずれも、錯体を確実に生成できるので、精度よく光学純度を決定できる。
【0059】
また、好ましくは、被検物質をNMR用キラルシフト剤に対して少なくとも2モル当量混合する。これにより、光学純度の決定に十分な量の錯体が得られるので、精度よく光学純度を決定できる。より好ましくは、被検物質をNMR用キラルシフト剤に対して4モル当量以上混合する。これにより、光学純度の決定に十分な量の錯体が確実に得られるので、さらに精度よく光学純度を決定できる。さらに好ましくは、被検物質をNMR用キラルシフト剤に対して8モル当量以上混合する。これにより、より十分な量の錯体が確実に得られるので、さらに精度よく光学純度を決定できる。なお、上限は特に設けないが、被検物質が多すぎると、錯体に対して被検物質が多くなりすぎるので、測定精度が低下し得る。
【0060】
ステップS520:ステップS510で得られた錯体化した混合物のプロトン核磁気共鳴スペクトル(NMRスペクトル)を測定する。
【0061】
ステップS530:ステップS520で得られたNMRスペクトルのピーク分裂の幅を測定する。これらステップS520およびS530により、単にNMRスペクトルを測定するだけで、キラルな情報をピーク分裂の幅として容易に読み出すことができる。
【0062】
ステップS540:ステップS530で得られたピーク分裂の幅に基づいて被検物質であるキラルな物質の光学純度を決定する。光学純度の決定は、図3または図4に示すような、被検物質と同じキラルな物質の光学純度とピーク分裂の幅との関係を予めメモリ等に有する場合には、その関係を読出し、ステップS530で得られたピーク分裂の幅に基づいて算出すればよい。
【0063】
ステップS540において、被検物質と同じキラルな物質の光学純度とピーク分裂の幅との関係を有さない場合には、ステップS540に先立って、被検物質と同じキラルな物質のうちエナンチオピュアなキラルな物質を用いて、ピーク分裂の幅と被検物質であるキラルな物質の光学純度との関係式を求めてもよい。
【0064】
具体的には、NMR用キラルシフト剤と、R体またはS体のエナンチオピュアなキラルな物質との混合物を錯体化する。次いで、錯体化された混合物のNMRスペクトルを測定し、ピーク分裂の幅を測定する。これらのステップは、上述のステップS510〜530と同様である。測定されたピーク分裂の幅がΔδmax/ppmに相当するため、式(vii)が得られる。
Δδ(ppm)=(Δδmax×%ee)/100・・・・・・・・(vii)
ここで、%eeは光学純度であり、0〜100の値であり、Δδ(ppm)は、特定の光学純度(%ee)におけるピーク分裂の幅である。
【0065】
式(vii)に、ステップS530で得られたピーク分裂の幅(Δδ/ppm)を代入すれば、光学純度(%ee)を容易に決定できる。
【0066】
以上説明してきたように、実施の形態2による光学純度を決定する方法は、NMR用キラルシフト剤と被検物質であるキラルな物質との混合物を錯体化するステップと、混合物のNMRスペクトルを測定するステップと、ピーク分裂を測定するステップと、ピーク分裂の幅に基づいてキラルな物質の光学純度を決定するステップとを包含する。錯体化により、被検物質に関するキラルな情報がNMR用キラルシフト剤に転送される。転送されたキラルな情報は、プロトンNMRにおけるピーク分裂の幅として容易に読み出され、上記ピーク分裂の幅に基づいて光学純度を容易に決定できる。
【0067】
(実施の形態3)
実施の形態3では、実施の形態1で説明したNMR用キラルシフト剤を用いて、キラルな物質の絶対配置を決定する方法について説明する。
【0068】
図6は、本発明による絶対配置を決定するステップを示すフローチャートである。
【0069】
ステップS610:本発明のNMR用キラルシフト剤とキラルな物質(被検物質)との第1の混合物を錯体化する。
【0070】
ここで、NMR用キラルシフト剤は、実施の形態1で詳述したため説明を省略する。キラルな物質は、実施の形態1および2で詳述した酸性官能基を有するキラルな物質である。混合により、NMR用キラルシフト剤のプロトン化ポルフィリンと被検物質とが錯体化し、被検物質に関するキラルな情報がNMR用キラルシフト剤に転送される。ステップS610は、実施の形態2で詳述したステップS510(図5)と同様であるため、説明を省略する。
【0071】
ステップS620:第1の混合物に、S体またはR体のエナンチオピュアなキラルな物質を添加した第2の混合物を錯体化する。S体またはR体のエナンチオピュアなキラルな物質は、被検物質と同じキラルな物質のうちS体またはR体のエナンチオピュアな物質である。ここでもやはり、添加および錯体化の手順は、ステップS510(図5)と同様である。ステップS620により、被検物質と、エナンチオピュアなキラルな物質とを合わせたキラルな情報がNMR用キラルシフト剤に転送されることになる。
【0072】
ステップS620は、被検物質に、エナンチオピュアなキラルな物質が添加されることによって、意図的に絶対配置を変化させることを目的としている。またエナンチオピュアなキラルな物質の添加量は、意図的な絶対配置の変化量を制御するため少量がよい。添加量が多すぎると、絶対配置の変化量が大きくなりすぎ、NMRスペクトルから変化量を正しく読み取れない場合がある。具体的には、図3を参照して説明したように、ピーク分裂の幅は、キラルな物質の絶対配置に係わらず光学純度が同じであれば、同じ値となる。したがって、添加量が多すぎると、本来S体(またはR体)のキラルな物質のピーク分裂として読みとるべき情報が、R体(またはS体)のキラルな物質のピーク分裂として誤って読み取ってしまう、逆転現象を引き起こす。
【0073】
被検物質の光学純度が既知である場合、エナンチオピュアなキラルな物質の添加量は、好ましくは、%ee/100モル当量(%eeは、ステップS610で用いる被検物質であるキラルな物質の光学純度である)以下である。これにより、逆転現象を確実に防ぐことができる。添加量の下限は特に設けない。なお、被検物質の光学純度が不明である場合、ステップS620に先立って、第1の混合物のプロトン核磁気共鳴スペクトル(NMRスペクトル)を測定し、そのピーク分裂の幅に基づいて、被検物質の光学純度を決定してもよい。このようなキラルな物質(被検物質)の光学純度の決定は、実施の形態2に詳述したとおりである。
【0074】
ステップS630:錯体化された第1の混合物および第2の混合物のNMRスペクトルを測定する。錯体化された第1の混合物(以降では、単に第1の混合物と称する)のNMRスペクトルの測定と、錯体化された第2の混合物(以降では、単に第2の混合物と称する)のNMRスペクトルの測定とを、同時に行ってもよいし、上述したように、光学純度を決定するために、第1の混合物のNMRスペクトルをステップS620に先立って測定してもよい。ステップS630により、第1の混合物および第2の混合物におけるキラルな情報を読み出すことができる。
【0075】
図7は、第1の混合物および第2の混合物の例示的なNMRスペクトルを示す図である。
【0076】
NMRスペクトル710および720は、それぞれ、第1の混合物および第2の混合物のNMRスペクトルである。図7は、ステップS630で得られる例示的なパターンを示し、本発明の方法を採用すればいずれかのパターンが得られる。図7(A)は、NMRスペクトル710のピーク分裂の幅(Δδ)が、NMRスペクトル720のそれ(Δδ)よりも狭い(Δδ<Δδ)パターンである。図7(B)は、NMRスペクトル710のピーク分裂の幅(Δδ)が、NMRスペクトル720のそれ(Δδ)よりも広い(Δδ>Δδ)パターンである。図7(C)は、NMRスペクトル710のピーク分裂の幅(Δδ)とNMRスペクトル720のそれ(Δδ)とが一致する(Δδ=Δδ)パターンである。
【0077】
図7(A)および図7(B)の場合、第1の混合物におけるキラルな物質(被検物質)の光学純度と、第2の混合物におけるそれとが異なることが分かる。一方、図7(C)の場合、第1の混合物におけるキラルな物質の光学純度と、第2の混合物におけるそれとが同一であることが分かる。
【0078】
ステップS640:第1の混合物のNMRスペクトルにおけるピーク分裂の幅(Δδ/ppm)と、第2の混合物のNMRスペクトルにおけるピーク分裂の幅(Δδ/ppm)とを比較する。本発明によれば、ピーク分裂の幅の変化と、キラルな情報の絶対配置とは所定の関係にあるので、上記ピーク分裂の幅の比較により被検物質の絶対配置を容易に決定できる。
【0079】
したがって、図7のパターンおよびステップS620で用いたエナンチオピュアなキラルな物質の絶対配置を考慮すれば、ステップS640において、ピーク分裂の幅の比較によって被検物質の絶対配置を決定する場合分けは(1)〜(6)の6通りと導ける。
【0080】
(1)ステップS620においてエナンチオピュアなキラルな物質がR体であり、かつ、ステップS640においてピーク分裂の幅の関係がΔδ<Δδ(図7(A))である場合、被検物質は、R体リッチなエナンチオマーであると決定される。
【0081】
(2)ステップS620においてエナンチオピュアなキラルな物質がR体であり、かつ、ステップS640においてピーク分裂の幅の関係がΔδ=Δδ(図7(C))である場合、被検物質は、R体のエナンチオピュアであると決定される。
【0082】
(3)ステップS620においてエナンチオピュアなキラルな物質がR体であり、かつ、ステップS640においてピーク分裂の幅の関係がΔδ>Δδ(図7(B))である場合、被検物質は、S体リッチなエナンチオマーまたはS体のエナンチオピュアであると決定される。
【0083】
(4)ステップS620においてエナンチオピュアなキラルな物質がS体であり、かつ、ステップS640においてピーク分裂の幅の関係がΔδ<Δδ(図7(A))である場合、被検物質は、S体リッチなエナンチオマーであると決定される。
【0084】
(5)ステップS620においてエナンチオピュアなキラルな物質がS体であり、かつ、ステップS640においてピーク分裂の幅の関係がΔδ=Δδ(図7(C))である場合、被検物質は、S体のエナンチオピュアであると決定される。
【0085】
(6)ステップS620においてエナンチオピュアなキラルな物質がS体であり、かつ、ステップS640においてピーク分裂の幅の関係がΔδ>Δδ(図7(B))である場合、被検物質は、R体リッチなエナンチオマーまたはR体のエナンチオピュアであると決定される。
【0086】
以上の(1)〜(6)を表1にまとめる。
【表1】

【0087】
(3)および(6)の場合において、被検物質の光学純度が不明であれば、被検物質が、S体(R体)リッチなエナンチオマーであるか、または、S体(R体)のエナンチオピュアであるかを判別できない。(3)および(6)の場合、絶対配置を決定するさらなるステップを行う。
【0088】
図8は、本発明による絶対配置を決定するさらなるステップを示すフローチャートである。
【0089】
ステップS810:ステップS810は、ステップS640(図6)に続いて行われる。ステップS620においてエナンチオピュアなキラルな物質がR体である場合、第1の混合物にS体のエナンチオピュアなキラルな物質を添加した第3の混合物を錯体化する。ステップS810により、被検物質と、S体のエナンチオピュアなキラルな物質とを合わせたキラルな情報がNMR用キラルシフト剤に転送されることになる。
【0090】
ここでもやはり、添加および錯体化の手順は、実施の形態2で詳述したステップS510(図5)と同様である。なお、ステップS620においてエナンチオピュアなキラルな物質がS体である場合、ステップS810ではR体のエナンチオピュアなキラルな物質が添加されることに留意されたい。
【0091】
ステップS820:錯体化された第3の混合物(以降では、単に第3の混合物と称する)のNMRスペクトルを測定する。これにより第3の混合物におけるキラルな情報を読み出すことができる。
【0092】
図9は、第1の混合物および第3の混合物の例示的なNMRスペクトルを示す図である。
【0093】
NMRスペクトル910および920は、それぞれ、第1の混合物および第3の混合物のNMRスペクトルである。なお、NMRスペクトル910は、図7に示すNMRスペクトル710と同一である。図9は、ステップS820で得られる例示的なパターンを示し、本発明の方法を採用すればいずれかのパターンが得られる。図9(A)は、NMRスペクトル910のピーク分裂の幅(Δδ)が、NMRスペクトル920のそれ(Δδ)よりも狭い(Δδ<Δδ)パターンである。なお、逆は起こり得ない。図9(B)は、NMRスペクトル910のピーク分裂の幅(Δδ)とNMRスペクトル920のそれ(Δδ)とが一致する(Δδ=Δδ)パターンである。
【0094】
図9(A)の場合、第1の混合物におけるキラルな物質(被検物質)の光学純度と、第3の混合物におけるそれとが異なることが分かる。一方、図9(B)の場合、第1の混合物における被検物質の光学純度と、第3の混合物におけるそれとが同一であることが分かる。
【0095】
ステップS830:第1の混合物のNMRスペクトルにおけるピーク分裂の幅(Δδ/ppm)と、第3の混合物のNMRスペクトルにおけるピーク分裂の幅(Δδ/ppm)とを比較する。
【0096】
したがって、図9のパターン、および、ステップS620およびS810で用いたエナンチオピュアなキラルな物質の絶対配置の組み合わせを考慮すれば、ステップS830において、ピーク分裂の幅の比較によって被検物質の絶対配置を決定する場合分けは(7)〜(10)の4通りである。
【0097】
(7)ステップS620においてエナンチオピュアなキラルな物質がR体であり、かつ、ステップS640においてピーク分裂の幅の関係がΔδ>Δδ(図7(B))であり、ならびに、ステップS810においてエナンチオピュアなキラルな物質がS体であり、かつ、ステップS830においてピーク分裂の幅の関係がΔδ<Δδ(図9(A))である場合、被検物質は、S体リッチなエナンチオマーであると決定される。
【0098】
(8)ステップS620においてエナンチオピュアなキラルな物質がR体であり、かつ、ステップS640においてピーク分裂の幅の関係がΔδ>Δδ(図7(B))であり、ならびに、ステップS810においてエナンチオピュアなキラルな物質がS体であり、かつ、ステップS830においてピーク分裂の幅の関係がΔδ=Δδ(図9(B))である場合、被検物質は、S体のエナンチオピュアであると決定される。
【0099】
(9)ステップS620においてエナンチオピュアなキラルな物質がS体であり、かつ、ステップS640においてピーク分裂の幅の関係がΔδ>Δδ(図7(B))であり、ならびに、ステップS810においてエナンチオピュアなキラルな物質がR体であり、かつ、ステップS830においてピーク分裂の幅の関係がΔδ<Δδ(図9(A))である場合、被検物質は、R体リッチなエナンチオマーであると決定される。
【0100】
(10)ステップS620においてエナンチオピュアなキラルな物質がS体であり、かつ、ステップS640においてピーク分裂の幅の関係がΔδ>Δδ(図7(B))であり、ならびに、ステップS810においてエナンチオピュアなキラルな物質がR体であり、かつ、ステップS830においてピーク分裂の幅の関係がΔδ=Δδ(図9(B))である場合、被検物質は、R体のエナンチオピュアであると決定される。
【0101】
以上の(7)〜(10)を表2にまとめる。
【表2】

【0102】
以上説明してきたように、実施の形態3による絶対配置を決定する方法は、NMR用キラルシフト剤と被検物質であるキラルな物質との第1の混合物を錯体化するステップと、第1の混合物にエナンチオピュアなキラルな物質を添加した第2の混合物を錯体化するステップと、第1および第2の混合物のNMRスペクトルを測定するステップと、第1の混合物のNMRスペクトルにおけるピーク分裂の幅(Δδ/ppm)と、錯体化された第2の混合物のNMRスペクトルにおけるピーク分裂の幅(Δδ/ppm)とを比較するステップとを包含する。錯体化によって、被検物質およびエナンチオピュアなキラルな物質に関するキラルな情報がNMR用キラルシフト剤に転送される。NMRスペクトルを測定することによって、上記キラルな情報を容易に読み出すことができる。ピーク分裂の幅のシフトと、キラルな情報の絶対配置とは所定の関係にあるので、上記ピーク分裂の幅の比較により、被検物質の絶対配置を容易に決定できる。
【0103】
次に具体的な実施例を用いて本発明を詳述するが、本発明がこれら実施例に限定されないことに留意されたい。
【実施例1】
【0104】
実施例1では、NMR用キラルシフト剤としてメソ−テトラフェニルポルフィリン(TPP)を、酸性官能基を有するキラルな物質(被検物質)として2−フェノキシプロピオン酸を用いて、TPPのNMR用キラルシフト剤としての有効性、ならびに、それを用いた光学純度/絶対配置を決定する方法の有効性を調べた。
【0105】
図10は、TPPおよび2−フェノキシプロピオン酸を示す図である。
【0106】
図10(A)のTPPは、式(1)においてX1〜X8が水素原子であり、R1〜R4がフェニル基である。また、TPPは、β位のピロールプロトン1010、オルト−フェニルプロトン1020およびメタおよびパラ−フェニルプロトン1030を有する。図10(B)の2−フェノキシプロピオン酸は、酸性官能基としてカルボン酸を有する。
【0107】
TPPおよび2−フェノキシプロピオン酸(R体およびS体)は、それぞれ、東京化成工業株式会社および和光純薬工業株式会社から入手した。TPPをRousseauらによるTetrahedron Lett.15,4251−4254(1974)に記載の手順にしたがって精製した。また、プロトン核磁気共鳴分光法のための重溶媒として重クロロホルムをCambridge Isotope Laboratory Inc.から入手した。
【0108】
R体およびS体の2−フェノキシプロピオン酸を用いて、所定の光学純度を有するキラルな物質を調製した。所定の光学純度は、rac−0%ee(ラセミ体)、R−20%ee、R−40%ee、R−60%ee、R−80%ee、R−100%eeおよびS−100%eeである。
【0109】
図5のステップS510(あるいは図6のステップS610)における混合する温度を最適化するために、TPP(重溶媒CDCl:14.7mM)と、2−フェノキシプロピオン酸(R−100%ee、8モル当量)とを、25℃、6℃、−13℃および−32.5℃でそれぞれ混合した。得られた混合物についてNMRスペクトルを測定した。NMRスペクトルは、AL300BX(JEOL)を用いて測定した。測定結果を図11に示す。図11には、比較のために、−32.5℃に冷却したTPP単体のNMRスペクトルも併せて示す。なお、NMRスペクトルの測定における温度較正は、標準サンプルとして100%メタノールおよび較正式T=−23.832×Δ−29.46×Δ+403.0(Tは温度であり、Δは100%メタノールのNMRスペクトルにおけるCHとOHとの化学シフト差(ppm)である)を用いた。
【0110】
図11は、実施例1によるTPPと2−フェノキシプロピオン酸との混合物のNMRスペクトルの温度依存性を示す図である。
【0111】
図11に示すピーク1110a〜e、1120a〜eおよび1130a〜eは、それぞれ、図10(A)の各プロトン1010、1020および1030のピークに相当する。TPPと2−フェノキシプロピオン酸とを混合した場合の25℃および6℃のNMRスペクトルには、TPPと2−フェノキシプロピオン酸との間に相互作用を示すピークの変化は見られなかった。このことから、TPPは、室温ではキラルな物質と錯体化しないことが分かった。
【0112】
TPPと2−フェノキシプロピオン酸とを混合した場合の−13℃および−32.5℃のNMRスペクトルは、TPP単独の−32.5℃のNMRスペクトルと全く異なることを確認した。これにより、TPPと2−フェノキシプロピオン酸との間に相互作用が生じ、錯体が生成したことが示唆される。
【0113】
詳細には、TPPと2−フェノキシプロピオン酸とを混合した場合の−13℃のNMRスペクトルは、ダブレットのピーク1110cおよび1120cを示し、−32.5℃のNMRスペクトルはより顕著なダブレットのピーク1110dおよび1120dを示した。なお、ピーク1130cおよびピーク1130dは、ダブレットを示さず、ピーク分裂の幅の測定には使えなかった。以上より、2−フェノキシプロピオン酸のキラルな情報は、TPPのプロトン1010および1020に転送されたことが分かった。
【0114】
図11より、NMR用キラルシフト剤としてTPPを採用した場合、混合する温度は、好ましくは、−10℃以下であり、より好ましくは−30℃以下であることが分かった。これにより、TPPとキラルな物質とが反応し、混合物中に錯体が生成する。
【0115】
次に、TPPと2−フェノキシプロピオン酸との混合物(混合溶液)におけるTPPの状態を調べた。TPP(重溶媒CDCl:0.025mM)と過剰の2−フェノキシプロピオン酸(S−100%ee:500モル当量)との混合物の電子吸収スペクトルを、0℃、−20℃および−40℃でそれぞれ測定した。測定には、1mmセルを使用した。電子吸収スペクトルは、JASCO J−810 CD旋光分散計(JASCO Ltd.)を用いて測定した。測定結果を図12に示す。
【0116】
図12は、実施例1によるTPPと2−フェノキシプロピオン酸との混合物の電子吸収スペクトルの温度依存性を示す図である。
【0117】
ポルフィリンジカチオンを示す445nmにおける吸収ピークの強度は、混合および測定の温度が低温になるにしたがって、増大した。図11および図12の結果から、低温(−10℃以下)において、TPPはジプロトン化され、キラルな物質と結合し、錯体が生成することが確認された。図11によれば、例えば、ピーク1110dのβ位ピロールプロトンの共鳴は、ルーフ効果を有しており、これらプロトン間におけるスカラーJカップリングを示す。すなわち、これらの共鳴は、同じピロール間のプロトンに起因していることが分かった。
【0118】
次に、TPPのマクロサイクルが図11のNMRスペクトルのダブレットに及ぼす影響を調べた。TPP(重溶媒CDCl:0.025mM)と過剰の2−フェノキシプロピオン酸(S−100%ee、R−100%ee、rac:500モル当量)との混合物(混合溶液)の円偏光二色性スペクトル(CDスペクトル)を、0℃、−20℃および−40℃でそれぞれ測定した。測定には、1mmセルを使用した。CDスペクトルは、試料冷却装置を搭載したJASCO J−810 CD旋光分散計(JASCO Ltd.)を用いて測定した。測定結果を図13に示す。
【0119】
図13は、実施例1によるTPPと2−フェノキシプロピオン酸との混合物のCDスペクトルの温度依存性を示す図である。
【0120】
図13において、実線で示すCDスペクトルは、30データ(3nmに相当)ごとに移動平均を行いスムージングした結果である。なお、CDスペクトルは、分かりやすさのために、垂直方向に移動させて示している(図中の点線はオンセットを示す)。
【0121】
0℃におけるTPPと2−フェノキシプロピオン酸との混合物のCDスペクトルは、何らピークを示さなかった。一方、−20℃および−40℃に冷却した、TPPと2−フェノキシプロピオン酸との混合物のCDスペクトルは、わずかながらモノシグネート(mono−signate)なコットン効果を示した。このことは、TPPと2−フェノキシプロピオン酸とが結合(錯体化)することによって、TPPのマクロサイクルに微小な歪みが生じていることを示す。しかしながら、ここで見られるコットン効果は極めて微小であるため、図11に見られたダブレットは、マクロサイクルの歪みによるものでないといえる。
【0122】
次に、図5のステップS510(あるいは図6のステップS610)におけるキラルな物質(被検物質)を混合する量を最適化するために、TPPに添加される2−フェノキシプロピオン酸の添加量の影響を調べた。TPP(重溶媒CDCl:2.05mM)に2−フェノキシプロピオン酸(R−100%ee)を、0.0、1.1、2.2、4.1、5.4および9.0モル当量滴定し、NMRスペクトルをそれぞれ測定した。測定は−32.5℃で行った。測定結果を図14に示す。
【0123】
図14は、実施例1によるTPPと2−フェノキシプロピオン酸との混合物のNMRスペクトルの2−フェノキシプロピオン酸の添加量依存性を示す図である。
【0124】
図14に示すピーク1410a〜f、1420a〜fおよび1430a〜fは、それぞれ、図10(A)の各プロトン1010、1020および1030のピークに相当する。
【0125】
図14の2−フェノキシプロピオン酸の添加量が0.0モル当量であるNMRスペクトル(a)は、TTP単独のNMRスペクトルである。このNMRスペクトル(a)は、図11のTPP単独の−32.5℃のNMRスペクトルと同一であり、NMRスペクトル(a)のピーク1410a、1420aおよび1430aは、それぞれ、ピーク1110e、1120eおよび1130eと同一である。これらのピークは、何ら遮蔽効果を受けていないプロトンのピークであり、シングレットであった。
【0126】
一方、2−フェノキシプロピオン酸の添加量が増大するにつれて、TPPと2−フェノキシプロピオン酸との混合物のNMRスペクトルのピークは変化した。具体的には、NMRスペクトル(b)は、プロトン1010によるピーク1410b1および1410b2、プロトン1020によるピーク1420b1および1420b2、および、プロトン1030によるピーク1430b1および1430b2を示す。さらに、ピーク1410b2、1430b2および1430b2は、NMRスペクトル(a)のピーク1410a、1420aおよび1430aに相当し、ピーク1410b2、1430b2および1430b2の強度は、1410b1、1430b1および1430b1の強度よりも高い。しかしながら、ピーク1410b1および1420b2は、その強度が低く不明瞭であるもののダブレットとなり、TTPと2−フェノキシプロピオン酸との錯体が形成されたことが示唆される。しかしながら、このことは、2−フェノキシプロピオン酸が少ないため、光学純度を正確に測定するに十分な錯体が形成されていないことを示す。
【0127】
NMRスペクトル(c)は、NMRスペクトル(b)に比べて強度が高く明瞭なダブレットのピーク1410c1および1420c1を示した。ピーク1410c1および1420c2であれば、ピーク分裂の幅Δδを正確に読み取ることができる。したがって、NMR用キラルシフト剤に対してキラルな物質を少なくとも2モル当量混合することが好ましいことが分かった。
【0128】
NMRスペクトル(d)は、より明瞭なダブレットのピーク1410d1および1420d1を示した。さらに、NMRスペクトル(d)において、ピーク1410aおよび1420aに相当するピーク1410d2および1420d2の強度は、顕著に減少した。このことから、NMR用キラルシフト剤に対してキラルな物質を4モル当量混合することが好ましいことが分かった。
【0129】
NMRスペクトル(e)は、さらに明瞭なダブレットのピーク1410e1および1420e1を示した。さらに、NMRスペクトル(e)において、ピーク1410aおよび1420aに相当するピーク1410e2および1420e2は、ほぼ消失した。
【0130】
NMRスペクトル(f)は、ピーク1410aおよび1420aに相当するピークは完全に消失し、明瞭なダブレットのピーク1410fおよび1420fを示した。NMRスペクトル(e)および(f)から、NMR用キラルシフト剤に対してキラルな物質を8モル当量以上混合すれば、NMR用キラルシフト剤の影響を完全になくすことができるので、より精度よく光学純度を測定できることが分かった。
【0131】
また、NMRスペクトル(a)〜(f)において、TPP単独のNMRスペクトルに見られたピーク1410a、1420aおよび1430aは段階的に消失した。このことは、ジプロトン化されていないTPPと、ジプロトン化されたTPP(以降ではジプロトン化TPPと称する)との間の交換の速度は、NMR化学シフトスケールでは遅いことを示す。
【0132】
次に、図14から結合等温線を求めた。結果を図15に示し、詳述する。
【0133】
図15は、実施例1の図14による飽和度sとモル比との関係を示す結合等温線を示す図である。
【0134】
図15において、「H」tおよび[G]tは、それぞれ、TPPおよび2−フェノキシプロピオン酸の濃度である。飽和度sは、滴定ごとに図14のNMRスペクトルを積分することによって求めた。図15には、後述する式(xiii)を用いてフィッティングした理論結合等温線を併せて示す。挿入図は、−32.5℃、合計濃度14.5mMにおける、TPPと2−フェノキシプロピオン酸とが結合した錯体のJobプロットである。ここで、モル分率TPP=XTPP=[G]t/([TPP]t+[G]t)である。
【0135】
Jobプロット(図15の挿入図)によれば、TPPと2−フェノキシプロピオン酸との間の結合は、1:2であることが分かる。この結合比と、図11または図14に示されるNMRスペクトルにプロトン1010および1020によるピーク分裂が観察されるのみであることから、図5のステップS510(あるいは図6のステップS610)におけるプロセスの均衡式は、式(viii)で表される。
【0136】
【化4】

【0137】
結合定数KおよびK、ならびに、物質量保存は式(ix)〜(xii)で表される。
【0138】
=[HG]/([H][G]) (ix)
=[HG]/([HG][G]) (x)
[H]t=[H]+[HG]+[HG] (xi)
[G]t=[G]+[HG]+2[HG] (xii)
【0139】
ここでもやはり、「H」tおよび[G]tは、それぞれ、TPPおよび2−フェノキシプロピオン酸の濃度である。飽和度sは、TPPの濃度([H]t)の関数として式(xiii)で表される。
【0140】
s=([HG]+[HG])/[H]t (xiii)
【0141】
なお、同様の様態にして、2−フェノキシプロピオン酸の濃度([G]t)の関数として飽和度sを求めることもできる。したがって、TPPと2−フェノキシプロピオン酸とが結合した錯体を表す、「HG」および[HG]は、式(ix)〜(xii)を組み合わせた[G]に依存する関数として式(xiv)および(xv)に表される。
【0142】
【化5】

【0143】
式(xiv)および(xv)を式(xii)に代入すると、[G]の三次方程式が得られる。簡便のため、式(xvi)と表す。
【0144】
A[G]+B[G]+C[G]+D=0 (xvi)
ここで、
A=K
B=K+2K[H]t−K[G]t
C=1+K[H]t−K[G]t
D=−[G]t
である。
【0145】
式(xvi)における[G]は、既知のパラメータ[G]tおよび[H]tにのみ依存しており、結合定数KおよびK(なお、これらも既知である)でフィッティングされる。2分法を用いて式(xvi)を解き、この解を式(xiv)および(xv)に代入すれば、式(xiii)から理論的な等温線を構築できる。結合定数KおよびKを、図15の理論等温線の非線形最小二乗フィッティングから求めた。このアプローチを用いて、全体の結合定数βおよびKの上限を、それぞれ、β=K=9.3×10−2および50M−1であると求めた。これらの値は、比較的高い相互作用パラメータα=(2K)/(K/2)>130(αは、結合共同性の尺度である)を示す。このαの値は、ポルフィリンのモノカチオンの安定性が低いことに良好に一致する。
【0146】
次に、TPPと2−フェノキシプロピオン酸との混合物における2−フェノキシプロピオン酸の光学純度がNMRスペクトルに及ぼす効果を調べた。TPP(重溶媒CDCl:約1.65mM)と種々の光学純度(ラセミ体、R−20%、R−40%、R−60%、R−80%、R−100%およびS−100%)の2−フェノキシプロピオン酸(約8.4モル当量)とを−32.5℃で混合し、混合物(混合溶液)のNMRスペクトルをそれぞれ測定した。測定には、1mmセルを使用した。測定結果を図16に示す。
【0147】
図16は、実施例1によるTPPと2−フェノキシプロピオン酸との混合物のNMRスペクトルの光学純度依存性を示す図である。
【0148】
図16に示すピーク1610a〜gおよび1620a〜gは、それぞれ、図10(A)のプロトン1010および1020のピークに相当する。図16によれば、ピーク1610a〜gおよび1620a〜gは、それぞれ、2−フェノキシプロピオン酸の光学純度が増大するにつれて、明瞭なダブレットとなった。さらに、そのダブレットの幅Δδ(ピーク分裂の幅)もまた、2−フェノキシプロピオン酸の光学純度が増大するにつれて、増大した。
【0149】
また、図16の各スペクトルには、フィッティングしたスペクトルを併せて示している。フィッティングにおいて、図10(A)のβ位ピロールプロトン1010の共鳴は、近隣のプロトン−プロトン結合定数(a)J=4.7Hzおよび(b)J=5.0Hzを有するAB second−order strongly coupled spin system(これはルーフ効果を示す)とみなし、かつ、図10(A)のオルト−フェニルプロトン1020の共鳴は、J=6.9Hzを有するAX first−order weak coupling spin systemとみなした。この結果、フィッティングしたスペクトルは、実験値に対してほぼ一致することを確認した。
【0150】
図17は、実施例1による光学純度(%ee)とピーク分裂の幅(Δδ/ppm)との関係をプロットした図である。
【0151】
図17は、図16に示されるピーク1610a〜fについて、各光学純度におけるピーク分裂の幅をプロットした図である。図17によれば、ピーク分裂の幅と光学純度との間に線形関係があることが分かる。この線形関係は、Δδ=(Δδmax×%ee)/100を満たすことが分かった。ここで、Δδmaxは、光学純度100%eeである2−フェノキシプロピオン酸が結合した際のβ位ピロールプロトン1010の特性値である。図16より得たピーク1610fのΔδmax(=0.218×10−2ppm)を用いて、R乗値を求めたところ、R=0.9996であり、限りなく1に近かった。このことは、Δδ=(Δδmax×%ee)/100を検量線として用いて、未知の光学純度(%ee)を求めることができることを示す。なお、光学純度(%ee)を高精度(±3%ee)に求めるためには、NMRスペクトルをフィッティングし、次いで、ピーク分裂の幅(Δδ/ppm)を測定することが望ましい。
【0152】
なお、ピーク1610gのピーク分裂の幅を測定したところ、0.218×10−2ppmであり、ピーク1610fのそれに完全に一致した。このことから、キラルな物質とNMR用キラルシフト剤との錯体から得られるピーク分裂の幅は、キラルな物質の絶対配置にかかわらず、光学純度に応じて決まることが確認された。
【0153】
また、ピーク1620a〜gを用いても同様に検量線を求めることができる。この場合、光学純度100%eeである2−フェノキシプロピオン酸が結合した際のオルト−フェニルプロトン1620fおよびgの特性値は、いずれも、0.216×10−2ppmとなり、R乗値もまた限りなく1となった。
【0154】
例えば、図17に示される2−フェノキシプロピオン酸とTTPとのβ位のピロールプロトンについて検量線が得られており、かつ、光学純度が未知である2−フェノキシプロピオン酸の光学純度を求める場合を想定する。
【0155】
TTP(例えば、重溶媒CDCl:1.65mM)と、光学純度が未知である2−フェノキシプロピオン酸(例えば、8.4モル当量)との混合物を−32.5℃で錯体化する(図5のステップS510)。次いで、錯体化された混合物のプロトン核磁気共鳴NMRスペクトル(NMRスペクトル)を測定する(図5のステップS520)。得られたNMRスペクトルのβ位のピロールプロトンのピーク分裂の幅Δδ(ppm)を測定する(図5のステップS530)。図17の検量線において、得られたΔδを適用し、光学純度(%ee)を決定する(ステップS540)。このようにして、2−フェノキシプロピオン酸の光学純度を決定できる。
【0156】
以上より、TTPのNMR用キラルシフト剤として有効性、ならびに、TTPを用いた光学純度を決定する方法の有効性が確認された。
【0157】
次に、図6に示す絶対配置を決定する方法の有効性を確認するために、キラルな物質の絶対配置がNMRスペクトルに及ぼす変化を調べた。ここでは、予め絶対配置および光学純度が既知であるキラルな物質として2−フェノキシプロピオン酸を用いて、図6に示す方法の有効性を確認した。
【0158】
TPP(重溶媒CDCl:2.0mM)と2−フェノキシプロピオン酸(R−60%ee、9.9モル当量)との第1の混合物(混合溶液)を−32.5℃で錯体化した(図6のステップS610)。第1の混合物にS体およびR体のエナンチオピュアな2−フェノキシプロピオン酸をそれぞれ5.2モル当量および5.4モル当量添加した、第2の混合物を錯体化した(図6のステップS620)。次いで、第1の混合物および第2の混合物のNMRスペクトルを測定した(図6のステップS630)。これらのNMRスペクトルを図18に示す。
【0159】
図18は、実施例1によるTPPと2−フェノキシプロピオン酸との混合物のNMRスペクトルにおける2−フェノキシプロピオン酸の絶対配置依存性を示す図である。
【0160】
図18(A)および(B)におけるNMRスペクトル1810は、第1の混合物である、TPPと2−フェノキシプロピオン酸(R−60%ee)との混合物のNMRスペクトルであり、ピーク分裂の幅Δδを有する。図18(A)におけるNMRスペクトル1820は、第2の混合物である、TPPと、2−フェノキシプロピオン酸(R−60%ee)と、2−フェノキシプロピオン酸(S−100%ee)との混合物のNMRスペクトルであり、ピーク分裂の幅Δδ2(S)を有する。図18(B)におけるNMRスペクトル1830は、第2の混合物である、TPPと、2−フェノキシプロピオン酸(R−60%ee)と、2−フェノキシプロピオン酸(R−100%ee)との混合物のNMRスペクトルであり、ピーク分裂の幅Δδ2(R)を有する。ここで、ピーク分裂の幅は、いずれも、β位のピロールプロトン1010に相当するピークに関する。
【0161】
図18(A)を参照して、NMRスペクトル1810と1820とのピーク分裂を比較した(図6のステップS640)。NMRスペクトル1810で見られたダブレットは、NMRスペクトル1820においてピーク分裂が減少し、シングレットへと変化した。すなわち、ピーク分裂の幅の関係はΔδ>Δδ2(S)であった。これは、表1の場合(6)に相当し、図6のステップS610で用いたキラルな物質の絶対配置は、R体リッチなエナンチオマーであるか、または、R体のエナンチオピュアと判定される。この判定結果は、図6のステップS610で用いるキラルな物質として絶対配置が既知である2−フェノキシプロピオン酸(R−60%ee)に一致した。
【0162】
図6のステップS610で用いたキラルな物質の光学純度が不明な場合には、さらに図8の方法を行えば、R体リッチなエナンチオマーまたはR体のエナンチオピュアのいずれかを判定できることは言うまでもない。
【0163】
図18(B)を参照して、NMRスペクトル1810と1830とのピーク分裂を比較した(図6のステップS640)。NMRスペクトル1810のダブレットは、NMRスペクトル1830においてさらに明確なダブレットへと変化した。すなわち、ピーク分裂の幅の関係は、Δδ<Δδ2(R)であった。これは、表1の場合(1)に相当し、図6のステップS610で用いたキラルな物質の絶対配置は、R体リッチなエナンチオマーであると判定される。この判定結果は、図6のステップS610で用いるキラルな物質として絶対配置が既知である2−フェノキシプロピオン酸(R−60%ee)に一致した。
【0164】
図18の実験で用いたキラルな物質の光学純度(理論値および実験値)を表3に示す。
【表3】

【0165】
以上より、TTPを用いた絶対配置を決定する方法の有効性が確認された。
【実施例2】
【0166】
実施例2では、NMR用キラルシフト剤としてメソ−テトラ−tert−ブチルポルフィリン(TtBuP)を、酸性官能基を有するキラルな物質としてイブプロフェンを用いて、TPPのNMR用キラルシフト剤としての有効性を調べた。
【0167】
図19は、TtBuPおよびイブプロフェンを示す図である。
【0168】
図19(A)のTtBuPは、式(1)においてX1〜X8が水素原子であり、R1〜R4がtert−ブチル基である。また、TtBuPは、β位のピロールプロトン1910を有する。図19(B)のイブプロフェンは、酸性官能基としてカルボン酸を有する。また、イブプロフェンは、医薬品に使用される。
【0169】
TtBuPは、Sengeら,J.Porphyrins Phthalocyanines 3,99−116(1999)にしたがって調製した。R体のイブプロフェン、および、S体ならびにラセミ体のイブプロフェンは、それぞれ、Nacalai Tesque、および、TCI Co.Ltd.から入手した。実施例1と同様に、TtBuPをRousseauらによるTetrahedron Lett.15,4251−4254(1974)に記載の手順にしたがって精製した。また、NMR測定用の重溶媒として重クロロホルムをCambridge Isotope Laboratory Inc.から入手した。
【0170】
R体、S体およびラセミ体のイブプロフェンを用いて、所定の光学純度を有するキラルな物質を調製した。所定の光学純度は、rac−0%ee(ラセミ体)、S−20%ee、S−40%ee、S−60%ee、S−80%ee、S−100%eeおよびR−100%eeである。
【0171】
実施例1と同様に、TtBuPとイブプロフェンとの混合物におけるイブプロフェンの光学純度がNMRスペクトルに及ぼす効果を調べた。TtBuP(重溶媒CDCl:約3.77mM)と種々の光学純度(ラセミ体、S−20%、S−40%、S−60%、S−80%、S−100%およびR−100%)のイブプロフェン(約10モル当量)とを−32.5℃で混合し、混合物(混合溶液)のNMRスペクトルをそれぞれ測定した。測定には、1mmセルを使用した。測定結果を図20に示す。
【0172】
図20は、実施例2によるTtBuPとイブプロフェンとの混合物のNMRスペクトルの光学純度依存性を示す図である。
【0173】
図20に示すピーク2010a〜gは、図19(A)のプロトン1910に相当する。図20によれば、ピーク2010a〜gは、イブプロフェンの光学純度が増大するにつれて、明瞭なダブレットとなった。さらに、そのダブレットの幅Δδ(ピーク分裂の幅)もまた、イブプロフェンの光学純度が増大するにつれて、増大した。イブプロフェンのキラルな情報は、TtBuPのβ位のピロールプロトン1910に転送され、読み出すことができることを確認した。
【0174】
図21は、実施例2による光学純度(%ee)とピーク分裂の幅(Δδ/ppm)との関係をプロットした図である。
【0175】
図21は、図20に示されるピーク2010a〜fについて、各光学純度におけるピーク分裂の幅をプロットした図である。図21によれば、ピーク分裂の幅と光学純度との間に線形関係があることが分かる。この線形関係は、Δδ=(Δδmax×%ee)/100を満たすことが分かった。ここで、Δδmaxは、光学純度100%eeであるイブプロフェンが結合した際のβ位ピロールプロトン1910の特性値である。図20より得たピーク2010fのΔδmax(=0.046×10−2ppm)を用いて、R乗値を求めたところ、R=0.9991であり、限りなく1に近かった。このことは、Δδ=(Δδmax×%ee)/100を検量線として用いて、未知の光学純度(%ee)を求めることができることを示す。
【0176】
なお、ピーク2010gのピーク分裂の幅を測定したところ、0.046×10−2ppmであり、ピーク2010fのそれに完全に一致した。このことからも、キラルな物質とNMR用キラルシフト剤との錯体から得られるピーク分裂の幅は、キラルな物質の絶対配置にかかわらず、光学純度に応じて決まることが確認された。
【0177】
以上より、TtBuPのNMR用キラルシフト剤として有効性が確認された。TtBuPがNMR用キラルシフト剤として有効であるので、これを用いた、図5、図6および図8に示す光学純度/絶対配置を決定する方法もまた当然有効である。さらに、本発明のNMR用キラルシフト剤は、医薬品のキラルな物質についても適用できることが示された。
【実施例3】
【0178】
実施例3では、NMR用キラルシフト剤として5,10,15,20−テトラキス(4−ジメチルアミノフェニル)ポルフィリン(T(ジ−メチル−アミノ)P)を、酸性官能基を有するキラルな物質としてマンデル酸を用いて、T(ジ−メチル−アミノ)PのNMR用キラルシフト剤としての有効性を調べた。
【0179】
図22は、T(ジ−メチル−アミノ)Pおよびマンデル酸を示す図である。
【0180】
図22(A)のT(ジ−メチル−アミノ)Pは、式(1)においてX1〜X8が水素原子であり、R1〜R4が4−ジメチルアミノフェニル基である。また、T(ジ−メチル−アミノ)Pは、β位のピロールプロトン2210およびオルト−フェニルプロトン2220を有する。図22(B)のマンデル酸は、酸性官能基としてカルボン酸を有する。
【0181】
T(ジ−メチル−アミノ)Pは、Journal of Organic Chemistry,32,476(1967)にしたがって調製した。R体(100%ee)のマンデル酸は、和光純薬工業株式会社から入手した。また、NMR測定用の重溶媒として重クロロホルムをCambridge Isotope Laboratory Inc.から入手した。
【0182】
実施例1と同様に、T(ジ−メチル−アミノ)P(重溶媒CDCl:1mM)と、R体のマンデル酸(R−100%ee、10モル当量)とを、25℃、0℃、−20℃および−40℃でそれぞれ混合した。得られた混合物についてNMRスペクトルを測定した。測定結果を図23に示す。
【0183】
図23は、実施例3によるT(ジ−メチル−アミノ)Pとマンデル酸との混合物のNMRスペクトルの温度依存性を示す図である。
【0184】
図23に示すピーク2310a〜dおよび2320a〜dは、それぞれ、図22(A)のβ位のピロールプロトン2210およびオルト−フェニルプロトン2220のピークに相当する。T(ジ−メチル−アミノ)Pとマンデル酸とを混合した場合の25℃のNMRスペクトルには、T(ジ−メチル−アミノ)Pとマンデル酸との間に相互作用を示すピークの変化は見られなかった。このことから、T(ジ−メチル−アミノ)Pは、室温ではキラルな物質と錯体化しないことが分かった。
【0185】
T(ジ−メチル−アミノ)Pとマンデル酸とを混合した場合の0℃以下のNMRスペクトルは、25℃のそれとはまったく異なることが分かった。これにより、T(ジ−メチル−アミノ)Pとマンデル酸との間に相互作用が生じ、錯体が生成したことが示唆される。
【0186】
詳細には、T(ジ−メチル−アミノ)Pとマンデル酸とを混合した場合の0℃以下のNMRスペクトルは、いずれも、ダブレットのピーク2310b〜dおよび2320b〜dを示した。なお、混合における温度が低温になるほど、ダブレットのピークは明確になった。以上より、マンデル酸のキラルな情報は、T(ジ−メチル−アミノ)Pのβ位のピロールプロトン2210およびオルト−フェニルプロトン2220に転送されたことが分かった。
【0187】
図23より、NMR用キラルシフト剤としてT(ジ−メチル−アミノ)Pを採用した場合、混合する温度は、好ましくは、0℃以下であり、より好ましくは−20℃以下であることが分かった。これにより、T(ジ−メチル−アミノ)Pとキラルな物質とが反応し、混合物中に錯体が生成する。
【0188】
以上より、T(ジ−メチル−アミノ)PはNMR用キラルシフト剤として有効であることが示された。T(ジ−メチル−アミノ)PのNMR用キラルシフト剤として有効性から、これを用いた、図5、図6および図8に示す光学純度/絶対配置を決定する方法もまた当然有効である。
【実施例4】
【0189】
実施例4では、NMR用キラルシフト剤として5,10,15,20−テトラキス(2,6−ジ−tert−ブチル−4−ヒドロキシフェニル)ポルフィリン(TDtBHPP)を、酸性官能基を有するキラルな物質として2−フェノキシプロピオン酸を用いて、TDtBHPPのNMR用キラルシフト剤としての有効性を調べた。
【0190】
図24は、TDtBHPPを示す図である。
【0191】
図24のTDtBHPPは、式(1)においてX1〜X8が水素原子であり、R1〜R4が2,6−ジ−tert−4−ヒドロキシフェニル基である。また、TDtBHPPは、β位のピロールプロトン2410およびオルト−フェニルプロトン2420を有する。
【0192】
TDtBHPPは、Journal of Organic Chemistry,32,476(1967)にしたがって調製した。R体(100%ee)の2−フェノキシプロピオン酸は、実施例1と同一の試料を用いた。また、NMR測定用の重溶媒として重クロロホルムをCambridge Isotope Laboratory Inc.から入手した。
【0193】
実施例1と同様に、TDtBHPP(重溶媒CDCl:1mM)と、R体の2−フェノキシプロピオン酸(R−100%ee、10モル当量)とを、25℃、15℃、0℃、−20℃、−40℃、および−60℃でそれぞれ混合した。得られた混合物についてNMRスペクトルを測定した。測定結果を図25に示す。
【0194】
図25は、実施例4によるTDtBHPPと2−フェノキシプロピオン酸との混合物のNMRスペクトルの温度依存性を示す図である。
【0195】
図25によれば、TDtBHPPと2−フェノキシプロピオン酸とを混合した場合の−20℃以下のNMRスペクトルは、ダブレットであるピーク2510a〜cおよび2520a〜cを示した。ピーク2510a〜cおよび2520a〜cは、それぞれ、図24に示すTDtBHPPのβ位のピロールプロトン2410およびオルト−フェニルプロトン2420のピークに相当する。TDtBHPPと2−フェノキシプロピオン酸とを混合した場合の0℃以上のNMRスペクトルは、ダブレットを示すピークを示さなかった。2−フェノキシプロピオン酸のキラルな情報は、TDtBHPPのβ位のピロールプロトン2410およびオルト−フェニルプロトン2420に転送されたことが分かった。また、図25より、NMR用キラルシフト剤としてTDtBHPPを採用した場合、混合する温度は、好ましくは、−20℃以下であることが分かった。
【0196】
以上より、TDtBHPPはNMR用キラルシフト剤として有効であることが示された。TDtBHPPのNMR用キラルシフト剤として有効性から、これを用いた、図5、図6および図8に示す光学純度/絶対配置を決定する方法もまた当然有効である。
【実施例5】
【0197】
実施例5では、NMR用キラルシフト剤として5,10,15,20−テトラキス(4−ピリジル)ポルフィリン(T(4−Py)P)を、酸性官能基を有するキラルな物質として2−フェノキシプロピオン酸を用いて、T(4−Py)PのNMR用キラルシフト剤としての有効性を調べた。
【0198】
図26は、T(4−Py)Pを示す図である。
【0199】
図26のT(4−Py)Pは、式(1)においてX1〜X8が水素原子であり、R1〜R4が4−ピリジル基である。また、T(4−Py)Pは、β位のピロールプロトン2610を有する。
【0200】
T(4−Py)Pは、Journal of Organic Chemistry,32,476(1967)にしたがって調製した。R体(100%ee)の2−フェノキシプロピオン酸は、実施例1と同一の試料を用いた。また、NMR測定用の重溶媒として重クロロホルムをCambridge Isotope Laboratory Inc.から入手した。
【0201】
実施例1と同様に、T(4−Py)P(重溶媒CDCl:1mM)と、R体の2−フェノキシプロピオン酸(R−100%ee、10モル当量)とを、25℃、0℃、−40℃、−60℃および−80℃でそれぞれ混合した。得られた混合物についてNMRスペクトルを測定した。測定結果を図27に示す。
【0202】
図27は、実施例5によるT(4−Py)Pと2−フェノキシプロピオン酸との混合物のNMRスペクトルの温度依存性を示す図である。
【0203】
図27によれば、T(4−Py)Pと2−フェノキシプロピオン酸とを混合した場合の−60℃以下のNMRスペクトルは、ダブレットであるピーク2710a〜bを示した。ピーク2710a〜bは、図26に示すT(4−Py)Pのβ位のピロールプロトン2610のピークに相当する。T(4−Py)Pと2−フェノキシプロピオン酸とを混合した場合の−40℃以上のNMRスペクトルは、ダブレットを示すピークを示さなかった。2−フェノキシプロピオン酸のキラルな情報は、T(4−Py)Pのβ位のピロールプロトン2610に転送されたことが分かった。また、図27より、NMR用キラルシフト剤としてT(4−Py)Pを採用した場合、混合する温度は、好ましくは、−60℃以下であることが分かった。
【0204】
以上より、T(4−Py)PはNMR用キラルシフト剤として有効であることが示された。T(4−Py)PのNMR用キラルシフト剤として有効性から、これを用いた、図5、図6および図8に示す光学純度/絶対配置を決定する方法もまた当然有効である。
【産業上の利用可能性】
【0205】
本発明によるNMR用キラルシフト剤は、アキラルなポルフィリンからなる。アキラルなポルフィリンは、入手あるいは製造が容易であり、安価である。本発明によるNMR用キラルシフト剤を用いれば、キラルな物質の光学純度および絶対配置をプロトン核磁気共鳴スペクトルのピーク分裂から容易に判定できる。
【符号の説明】
【0206】
100 アキラルなポルフィリン
110、120 キラルな物質
1010、1910、2210、2410、2610 β位のピロールプロトン
1020、2220、2420 オルト−フェニルプロトン
1030 メタおよびパラ−フェニルプロトン
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0207】
【非特許文献1】Shundoら,J.Am.Chem.Soc.,2009,131,9494−9495

【特許請求の範囲】
【請求項1】
アキラルなポルフィリンからなる、NMR用キラルシフト剤。
【請求項2】
前記ポルフィリンは、式(1)で表され、
【化1】


ここで、X1〜X8およびR1〜R4は、互いに同一または別異のアキラルな原子団およびアキラルな官能基からなる群から選択される、請求項1に記載のNMR用キラルシフト剤。
【請求項3】
前記アキラルな原子団は、水素原子およびハロゲン原子である、請求項2に記載のNMR用キラルシフト剤。
【請求項4】
前記アキラルな官能基は、直鎖状または分岐状のアルキル基、直鎖状または分岐状のハロゲン化アルキル基、エチレングリコール鎖、エチレングリコールのオリゴマー、ポリマー鎖、芳香族基、複素芳香族基、複素環基、エステル基、エーテル基、環状エーテル基、アミド基、アルケン、アルキン、ケトン基、アミン基、環状アミン基、アルコキシ基、ビニル基、チオエーテル基、スルホン基、シアノ基、ニトロ基およびそれらの誘導体である、請求項2に記載のNMR用キラルシフト剤。
【請求項5】
前記X1〜X8は、水素原子であり、
前記R1〜R4は、フェニル基、tert−ブチル基、4−ジメチルアミノフェニル基、2,6−ジ−tert−4−ヒドロキシフェニル基および4−ピリジル基からなる群から選択される、請求項2に記載のキラルシフト剤。
【請求項6】
酸性官能基を有するキラルな物質の光学純度を決定する方法であって、
請求項1〜5のいずれかに記載のNMR用キラルシフト剤と前記キラルな物質との混合物を錯体化するステップと、
前記錯体化された混合物の核磁気共鳴スペクトルを測定するステップと、
前記錯体化された混合物の核磁気共鳴スペクトルにおけるピーク分裂の幅を測定するステップと、
前記ピーク分裂の幅に基づいて前記キラルな物質の光学純度を決定するステップと
を包含する、方法。
【請求項7】
前記光学純度を決定するステップに先立って、エナンチオピュアな前記キラルな物質を用いて、ピーク分裂の幅と前記キラルな物質の光学純度との間の関係式Δδ=(Δδmax×%ee)/100(ここで、Δδはピーク分裂の幅(ppm)であり、Δδmaxは、前記NMR用キラルシフト剤と前記エナンチオピュアな前記キラルな物質との錯体の核磁気共鳴スペクトルにおけるピーク分裂の幅(ppm)であり、%eeは前記キラルな物質の光学純度(0%〜100%)である)を求めるステップをさらに包含する、請求項6に記載の方法。
【請求項8】
前記錯体化するステップは、0℃以下の温度下で行う、請求項6に記載の方法。
【請求項9】
前記錯体化するステップは、前記NMR用キラルシフト剤に対して前記キラルな物質を少なくとも2モル当量混合する、請求項6に記載の方法。
【請求項10】
前記錯体化するステップは、前記NMR用キラルシフト剤に対して前記キラルな物質を4モル当量以上混合する、請求項9に記載の方法。
【請求項11】
前記決定するステップは、関係式Δδ=(Δδmax×%ee)/100(ここで、Δδは前記ピーク分裂の幅(ppm)であり、Δδmaxは、前記NMR用キラルシフト剤とエナンチオピュアな前記キラルな物質との錯体の核磁気共鳴スペクトルにおけるピーク分裂の幅(ppm)であり、%eeは前記キラルな物質の光学純度(0%〜100%)である)を用いる、請求項6に記載の方法。
【請求項12】
前記酸性官能基は、カルボキシル基、リン酸基、スルホン基および水酸基からなる群から選択される、請求項6に記載の方法。
【請求項13】
酸性官能基を有するキラルな物質の絶対配置を決定する方法であって、
請求項1〜5のいずれかに記載のNMR用キラルシフト剤と前記キラルな物質との第1の混合物を錯体化するステップと、
前記第1の混合物にエナンチオピュアな前記キラルな物質を添加した第2の混合物を錯体化するステップと、
前記錯体化された第1および第2の混合物の核磁気共鳴スペクトルを測定するステップと、
前記錯体化された第1の混合物の核磁気共鳴スペクトルにおけるピーク分裂の幅(Δδ/ppm)と、前記錯体化された第2の混合物の核磁気共鳴スペクトルにおけるピーク分裂の幅(Δδ/ppm)とを比較するステップと
を包含する、方法。
【請求項14】
前記第2の混合物を錯体化するステップに先立って、前記錯体化された第1の混合物の核磁気共鳴スペクトルにおけるピーク分裂の幅に基づいて、前記キラルな物質の光学純度を決定するステップをさらに包含する、請求項13に記載の方法。
【請求項15】
前記第2の混合物を錯体化するステップは、前記エナンチオピュアな前記キラルな物質を、%ee/100当量(%eeは、前記キラルな物質の光学純度である)以下添加する、請求項14に記載の方法。
【請求項16】
前記第2の混合物を錯体化するステップにおいて、前記エナンチオピュアな前記キラルな物質がR体であり、かつ、前記比較するステップにおいて、前記ピーク分裂の幅の関係がΔδ<Δδ、Δδ=ΔδまたはΔδ>Δδを満たす場合、前記キラルな物質は、それぞれ、R体リッチなエナンチオマー、R体のエナンチオピュア、または、S体リッチなエナンチオマーあるいはS体のエナンチオピュアであると決定され、
前記第2の混合物を錯体化するステップにおいて、前記エナンチオピュアな前記キラルな物質がS体であり、かつ、前記比較するステップにおいて、前記ピーク分裂の幅の関係がΔδ<Δδ、Δδ=ΔδまたはΔδ>Δδを満たす場合、前記キラルな物質は、それぞれ、S体リッチなエナンチオマー、S体のエナンチオピュア、または、R体リッチなエナンチオマーあるいはR体のエナンチオピュアであると決定される、請求項13に記載の方法。
【請求項17】
前記第2の混合物を錯体化するステップにおいて、前記エナンチオピュアな前記キラルな物質がR体であり、かつ、前記比較するステップにおいて、前記ピーク分裂の幅の関係がΔδ>Δδを満たす場合、
前記第1の混合物に前記エナンチオピュアな前記キラルな物質としてS体を添加した第3の混合物を錯体化するステップと、
前記錯体化された第3の混合物の核磁気共鳴スペクトルを測定するステップと、
前記錯体化された第1の混合物の核磁気共鳴スペクトルのピーク分裂の幅(Δδ/ppm)と、前記錯体化された第3の混合物の核磁気共鳴スペクトルにおけるピーク分裂の幅(Δδ/ppm)とをさらに比較するステップと
をさらに包含する、請求項16に記載の方法。
【請求項18】
前記さらに比較するステップにおいて、前記ピーク分裂の幅の関係がΔδ<ΔδまたはΔδ=Δδを満たす場合、それぞれ、前記キラルな物質は、S体リッチなエナンチオマーまたはS体のエナンチオピュアであると決定される、請求項17に記載の方法。
【請求項19】
前記第2の混合物を錯体化するステップにおいて、前記エナンチオピュアな前記キラルな物質がS体であり、かつ、前記比較するステップにおいて、前記ピーク分裂の幅の関係がΔδ>Δδを満たす場合、
前記第1の混合物に前記エナンチオピュアな前記キラルな物質としてR体を添加した第3の混合物を錯体化するステップと、
前記錯体化された第3の混合物の核磁気共鳴スペクトルを測定するステップと、
前記錯体化された第1の混合物の核磁気共鳴スペクトルにおけるピーク分裂の幅(Δδ/ppm)と、前記錯体化された第3の混合物の核磁気共鳴スペクトルにおけるピーク分裂の幅(Δδ/ppm)とをさらに比較するステップと
をさらに包含する、請求項16に記載の方法。
【請求項20】
前記さらに比較するステップにおいて、前記ピーク分裂の幅の関係がΔδ<ΔδまたはΔδ=Δδを満たす場合、それぞれ、前記キラルな物質は、R体リッチなエナンチオマーまたはR体のエナンチオピュアであると決定される、請求項19に記載の方法。


【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【図10】
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【図11】
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【図12】
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【図13】
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【図14】
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【図15】
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【図16】
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【図17】
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【図18】
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【図19】
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【図20】
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【図21】
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【図22】
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【図23】
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【図24】
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【図25】
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【図26】
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【図27】
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【公開番号】特開2012−73044(P2012−73044A)
【公開日】平成24年4月12日(2012.4.12)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−216279(P2010−216279)
【出願日】平成22年9月28日(2010.9.28)
【出願人】(301023238)独立行政法人物質・材料研究機構 (1,333)
【Fターム(参考)】