説明

オレフィン化合物幾何異性体組成物の調製方法

【課題】従来の異性化法では達し得ないトランス体の含有比率まで高めることが可能であり、また、事実上、比較的不安定な脂肪族不飽和オレフィン化合物にも対応でき、処理量に限界のない、かつ回収率の極めて高い効率的な幾何異性体組成比を調製する方法を提供する。
【解決手段】脂肪族直鎖状不飽和オレフィン化合物のトランス/シスの混合体を一部結晶化させ、非晶出液体をデカンテーションして除去することを特徴とするオレフィン化合物幾何異性体組成の調製方法を提供する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、昆虫性フェロモン等生理活性を有する脂肪族直鎖状不飽和オレフィン化合物の幾何異性体組成物の調製方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
近年、多くの蛾類で性フェロモンの化学構造が明らかにされ、これを化学合成した合成性フェロモンを誘引剤として用いて害虫の発生消長調査が効率的に行われるようになった。性フェロモンとは、一般に、雌成虫が分泌する化学物質で同種の雄成虫に対して種特異的に誘引作用を示す。このような性フェロモンの化学構造を明らかにして、いわゆる性誘引物質として用いることにより、効率的な発生消長を調査することが可能となる。さらに、この性誘引物質を用いて、雌雄の交尾行動を撹乱する、いわゆる交信撹乱法により、成虫期を対象とした害虫の防除を行うことも可能となりつつある。
【0003】
このような蛾類(鱗翅目)の性フェロモン化合物は一般に分子内に二重結合を有する脂肪族直鎖状不飽和オレフィン化合物であることが多い。そのシス/トランス比は一般に誘引活性及び交信撹乱活性に極めて重要であり、そのシス/トランス幾何異性体組成(組成比)を制御して調製することがきわめて重要である。
【0004】
例えば、トランス体を主成分としてもつ昆虫性フェロモンとしては、チャノホソガ(ホソガ科 Caloptilia theivora Walsingham)はE−11−ヘキサデセナル(E-11-hexadecenal)とZ−11−ヘキサデセナルの質量比90/10で誘引性があるとされている(非特許文献1)。また、モモノゴマダラノメイガ(Canogethes punctiferalis Guenee)はE−10−ヘキサデセナルとZ−10−ヘキサデセナルの質量比90/10で誘引性があるとされている(非特許文献2)。このようなケースにおいてはシス/トランス幾何異性体組成は厳しく管理して調製しなければ、誘引活性もしくは交信撹乱活性に大きく影響を与える恐れがある。
【0005】
ところが、これを化学合成によって調製する場合、トランス体とシス体を別々の合成し、所望の質量比90/10の幾何異性体組成比に調合しなければならない場合が普通であり、かつその合成法の特徴から各々個別の合成経路を経過する場合も多く、極めて煩雑にあることが多い。
また、あらかじめシス体を合成し、これを異性化反応によってトランス体へ変換する方法もあるが、残念なことに異性化反応では一般的には、トランス/シス質量比はおおよそ80/20付近で停止してしまい、これ以上は異性化反応が進行し得ないため、簡便に一工程のみで質量比90/10の幾何異性体比に調製することはできない。
更には、トランス体を分離するために硝酸銀カラムクロマトグラフィ操作によりトランス体を単離する方法はあるが、そのクロマト処理の処理量は限界があり、量産化には適用できず、経済的でない上、化合物自身が不安定な場合には、処理時間が長いため硝酸銀カラムクロマトグラフィ操作中にサンプルが変性したり、サンプル回収率が低下する等実用上適用が困難な場合も少なくない。
このように簡便な操作によってシス体を20質量%以下にして幾何異性体組成比を調製する方法が求められていた。
【非特許文献1】Agric. Biol. Chem., 49, 233-234(1985)
【非特許文献2】Appl. Entomol. Zool. Vol. 17 1982
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
本発明の目的は、簡便な操作によってシス体を好ましくは20質量%以下にして幾何異性体組成比を調製する方法を提供しようとするものである。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明者は、上記課題の解決のため、まずシス体化合物を合成して、好ましくは、そのシス体化合物を異性化反応での最大値であるトランス/シス質量比を80/20付近まで異性化した後、最後に物理的な手段によってトランス/シス体を分離することに関する研究を進めた。
その結果、トランス/シス質量比が好ましくは約80/20付近(好ましくは70/30以上で90/10未満、更に好ましくは75/25以上で85/15未満)の不飽和脂肪族化合物混合体を−5〜10℃にて徐々に冷却すると、一部が結晶化し始め、化合物全体が均一にその温度に達したとき、物理的にデカンテーション操作によって、結晶体部分と非晶出液体部分に容易に分離できることを見出した。その後、得られた結晶体部分と非晶出液体部分を分析したところ、結晶体部分はトランス体が優位に濃縮され、例えば、シス比率がおよそ6〜10質量%(トランス/シス質量比:90/10以上で94/6以下)となり、一方、非晶質液体部分のシス比率はおよそ26〜30質量%となることを見出した。更には、上記の性フェロモンで示されるようなアルデヒド体のように比較的空気中で酸化されやすい不安定な化合物でも、安定して分離操作が可能であると同時に、物理的デカンテーション法であれば、カラムクロマト法と比較して、極めて短時間に大量の処理が可能であることを見出した。特に冷却さえできれば、処理量は事実上制限がない。つまり、結果としてこのようにして分離した結晶体部分と非晶質部分を所望のトランス/シス質量比で90/10に調合すればよく、シス体、トランス体を別々の方法で合成する煩雑さから開放され、かつ量産することが可能であることを見出し、本発明を完成した。
本発明は、脂肪族直鎖状不飽和オレフィン化合物のトランス/シスの混合体を−5〜10℃まで冷却して一部結晶化させ、非晶出液体をデカンテーションして除去するオレフィン化合物幾何異性体組成物の調製方法を提供する。
【発明の効果】
【0008】
このように本発明では、好ましくはシス体化合物を異性化反応での最大値であるトランス/シス質量比で80/20付近まで異性化した後、徐々に冷却して一部を結晶化させ、その後、デカンテーション法という簡便な操作でトランス/シス体を分離することに成功した。本方法によれば、従来の異性化法では達し得ないトランス体の含有比率まで高めることが可能であり、また、事実上、比較的不安定な脂肪族不飽和オレフィン化合物にも対応でき、処理量に限界のない、かつ回収率の極めて高い効率的な精製方法を提供するものである。
【発明を実施するための最良の形態】
【0009】
本発明の化合物は、蛾類(鱗翅目)の性フェロモン化合物のような一般に分子内に二重結合を有する脂肪族直鎖状不飽和オレフィン化合物であり、そのトランス/シス比が、通常の異性化反応では反応率がそれ以上進まない領域であるシス体20質量%以下のオレフィン化合物の調製を目的とする。
具体的には、チャノホソガ性フェロモンであるE/Z−11−ヘキサデセナル、モモノゴマダラノメイガの性フェロモンであるE/Z−10−ヘキサデセナル、ほか、リンゴモンハマキの性フェロモンであるE/Z−11−テトラデセニルアセテート(E/Z-11-tetradecenyl acetate)等を挙げることができるが、それに限定されるものではなく、一般式
CH(CHCH=CH(CH
(上式中、nは0から16の整数であり、mは2から16の整数であり、Rは、炭素原子数1〜15の炭化水素基、水酸基、炭素原子数1〜15のアルコキシ基を有するアルコキシカルボニル基、炭素原子数1〜15のアシルオキシ基、炭素原子数1〜15のアセタール類、カルボキシル基、ホルミル基(アルデヒド基)、ハロゲン基等を示す。)
で、示される化合物を挙げることができる。
Rの炭素原子数1〜15の炭化水素基として、メチル基、エチル基、オクチル基等が挙げられる。また、Rの炭素原子数1〜15のアルコキシ基を有するアルコキシカルボニル基として−COOCH等のメトキシカルボニル基が挙げられ、炭素原子数1〜15のアシルオキシ基として−OCOCH等のアセチルオキシ基が挙げられ、アセタール類として、ジメトキシメチル基、ジエトキシメチル基等が挙げられる。
【0010】
まず、この化合物のシス体を調製し、これを公知の異性化反応(例えば、日本国特許第3340517号、または日本化学会誌、38(7)、643−646(1987)等)によってトランス/シスの混合体を調製する。このときのトランス/シス比はできる限り質量比80/20付近まで異性化させることが望ましい。異性化反応後は、蒸留精製して化学純度をできるだけ高く、少なくとも95質量%以上とし、不純物、とりわけ溶剤等の低沸点の不純物をできる限り取り除くことが重要である。
【0011】
こうして得られたトランス/シス質量比が好ましくは約80/20付近(好ましくは70/30以上で90/10未満、更に好ましくは75/25以上で85/15未満)の化合物をメスフラスコ等のような口の小さな容器に封入して、冷蔵庫等で徐々に冷却する。冷蔵庫等で冷却する前の温度は、常温(加熱も冷却もしない平常の温度、例えば20℃程度)である。冷却温度は、好ましくは−5〜+10℃、特に好ましくは0〜5℃であるが、化合物の結晶の生成し易さにより異なる。また、冷却温度に達するまでの冷却速度は、好ましくは1〜10℃/時、更に好ましくは1〜5℃/時、特に好ましくは1〜3℃/時である。このとき、ドライアイス等を用いて急冷却することは結晶体の生成にとって望ましくない。急冷却した場合、結晶体と非結晶体が分離できず、全て結晶体になりやすい傾向にある。また、仮に結晶体と非結晶体が分離できたとしても、結晶体量の比率が高く、結果としてトランス体比率が低くなってしまうことになり、冷却条件として適当でない。
なお、容器全体が所定の温度に達し、その温度で結晶が生成するまでの合計の冷却時間は、約10〜20時間が望ましい。その間は、例えば所定の温度に設定された冷蔵庫等に放置しておけばよく、窒素やアルゴン等の不活性ガスで容器を置換しておくことが望ましい。
【0012】
その後、デカンテーション操作により、メスフラスコの口から結晶体を内部に残すようにして非晶出液体を分離する。次いで、メスフラスコを温浴にて暖め、結晶体を溶解して単離する。
これをGC分析すると、例えば、シス体化合物は20質量%以下に減少し、一方で、デカンテーション法によって除かれた非晶出液体はシス体が26質量%以上に上昇する。
【0013】
このようにして、トランス体を濃縮することが可能となり、特にシス体の異性化反応では達成し得ない比率まで、シス体化合物を減少させることができる。
【実施例】
【0014】
以下、本発明の具体的態様を実施例及び比較例によって説明するが、本発明は実施例に限定されるものではない。
実施例1
<E−10−ペンタデセニルクロリド(E-10-pentadecenyl chloride)の合成>
容器2Lの反応器の200g(0.818モル)のZ−10−ペンタデセニルクロリドと2.7gの硝酸(濃度100%換算、65%濃度品で4.1g)を添加し、80〜86℃にて3時間撹拌した。その後、300gの5質量%水酸化ナトリウム水溶液で2回洗浄し、次いで300gの純水で洗浄した。得られた反応液を減圧蒸留して、177gの油状液体(沸点140−148℃/260Pa)を得た。ガスクロマトグラフィーによりその純度を検定したところ、E/Z−10−ペンタデセニルクロリドの化学純度が97.2%、幾何異性体比であるE/Z質量比が79/21であった。
次に得られたこの幾何異性体混合体の100gを200ml容メスフラスコに取り、内温0〜5℃の冷蔵室に16時間放置した。16時間後、メスフラスコ内は一部結晶体が析出し、これをデカンテーション操作のよって結晶体部分と非晶出液体に分離した。その各々をガスクロマトグラフィで純度検定したところ、E/Z−10−ペンタデセニルクロリドの分析結果は表1のような結果となった。全回収率は100%であった。
【0015】
【表1】

【0016】
実施例2
E−11−ヘキサデセナルの合成(チャノホソガの性フェロモン)
実施例1において得られたE/Z−10−ペンタデセニルクロリド70g(0.286モル)を無水THF100gと金属マグネシウム7.1g(0.294モル)で68〜75℃で反応し、グリニヤール試薬を調製した。次いでそこへオルト蟻酸トリエチル59g(0.4モル)を滴下し、80〜90℃で還流下7時間反応させた。反応後、飽和の塩化アンモニウム水溶液250gを50℃を超えないように冷却しながら滴下し、反応を停止させた。反応液を分液して有機相を取り出した。次いで、その有機相を反応器にいれ、20質量%塩酸水を100ml加えて、30℃で1時間撹拌させ、反応後、反応液の水相を分離除去し、有機相には再度20%塩酸水100mlを加え、30℃で更に1時間撹拌した。反応後、反応液を分液ロートで分液し、有機相は純水300ml、2質量%水酸化ナトリウム溶液300ml、純水300mlで順次洗浄した。有機相を取り出し、溶媒THFを減圧下除去して、減圧蒸留したところ、E/Z−11−ヘキサデセナル46gが得られた。ガスクロマトグラフィーにて分析したところ、化学純度が95.0%であり、幾何異性体比であるE/Z比が78/22であった。
次に得られたこの幾何異性体混合体のうち、40gを100ml容メスフラスコに取り、窒素封入して内温0〜5℃の冷蔵室に16時間放置した。16時間後、メスフラスコ内は一部結晶体が析出し、これをデカンテーション操作のよって結晶体部分と非晶出液体に分離した。その各々をガスクロマトグラフィで純度検定したところ、E/Z−11−ヘキサデセナルの分析結果は表2のような結果となった。全回収率は100%であり、E体90質量%以上部分回収率は50%であり、精製所要時間は正味17時間(冷蔵室放置含め)であった。
【0017】
【表2】

【0018】
比較例1
硝酸銀カラムクロマト法によるE/Z−11−ヘキサデセナルの調製
内径3.0cm高さ30cmのガラスクロマト管に、暗所下で市販の10%硝酸銀シリカゲル(70/200メッシュ:ジーエルサイエンス社製)100gをn−へキサンを用いて充填した。その後、実施例2で減圧蒸留して得られたE/Z−11−ヘキサデセナル6g(化学純度が95.0質量%であり、幾何異性体比であるE/Z質量比が78/22である)をかけ、n−ヘキサンを展開溶媒として展開し、3ml/分の速度で展開した。
得られた留分を順次濃縮してヘキサンを回収した。n−ヘキサンは展開溶媒として合計2000mlを流した後、最後は30質量%ジエチルエーテルを含んだn−ヘキサン200mlを使用し、クロマト操作を終了した。その結果、下記のようにE/Z−11−ヘキサデセナルを回収した。E/Z−11−ヘキサデセナルの分析結果を表3に示す。全回収率は65.65%であり、E体90質量%以上部分回収率は18.3%であり、精製所要時間は正味28時間(硝酸銀カラムクロマトグラフィ、溶媒回収)であった。
【0019】
【表3】


【特許請求の範囲】
【請求項1】
脂肪族直鎖状不飽和オレフィン化合物のトランス/シスの混合体を−5〜+10℃まで冷却して一部結晶化させ、非晶出液体をデカンテーションして除去するオレフィン化合物幾何異性体組成物の調製方法。
【請求項2】
上記−5〜+10℃に達するまでの冷却速度が1〜10℃/時である請求項1に記載のオレフィン化合物幾何異性体組成物の調製方法。
【請求項3】
上記脂肪族直鎖状不飽和オレフィン化合物のトランス/シスの混合体のトランス/シス質量比が70/30以上で90/10未満であり、上記非晶出液体をデカンテーションして除去後のトランス/シス質量比が90/10以上で94/6以下である請求項1又は2記載のオレフィン化合物幾何異性体組成物の調製方法。

【公開番号】特開2009−143846(P2009−143846A)
【公開日】平成21年7月2日(2009.7.2)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−322900(P2007−322900)
【出願日】平成19年12月14日(2007.12.14)
【出願人】(000002060)信越化学工業株式会社 (3,361)
【Fターム(参考)】