説明

ハナサナギタケ(P.tenuipes)粉末の熱水抽出物を含有する脳機能改善剤

【課題】コスト面、安定供給の面で優れ、アルツハイマー病などの脳疾患、脳機能の低下を効果的に改善することができる脳機能改善剤の提供。
【解決手段】冬虫夏草の1種であり、子嚢菌類のバッカク菌科のCordyceps属に属し、カイコの幼虫に寄生する菌であるハナサナギタケ(P.tenuipes)粉末、好ましくは、子実体および宿主(例えば、カイコ)を粉末化したものの熱水抽出物を含有する、比較的少ない投与量でも優れた脳機能改善効果を発揮する脳機能改善剤。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、ハナサナギタケ(Paecilomyces tenuipes,以下P.tenuipes)粉末の熱水抽出物を含有する脳機能改善剤に関するものである。
【背景技術】
【0002】
冬虫夏草は、昆虫にとりつく昆虫病原菌類の一つであり、狭義の解釈では、昆虫網(Insecta)、チョウ目(Lepidoptera)、コウモリガ上科(Hepialoidea)、コウモリガ科(Hepialidiae)に属するコウモリガを宿主とした中国のチベット自治区、青海省、四川省、貴州省、甘粛省、雲南省をはじめ、ネパールやブータンの標高3,000から4,000メートルの高山地帯に棲息するCordyceps inennsisをいう。宿主昆虫の種類も多種多様で,カメムシ目(Hemiptera),チョウ目(Lepidoptera),コウチュウ目(Coleoptera),ハチ目(Hymenoptera),バッタ目(Orthoptera),トンボ目(Odonata),ハエ目(Diptera)など多岐にわたる.
一方、広義の解釈では、このような昆虫の成虫や幼虫に寄生する菌全体を冬虫夏草と呼ばれてもいる。
【0003】
そして、冬虫夏草について、漢方薬の材料や健康補助食品素材としての科学的知見はまだ少ない段階であるが、これまでの冬虫夏草の生理活性に関する研究例として、Cordycepsとその生産物が糖尿病、心血管疾患や癌や代謝病を防ぎ、または、それらの疾病の進行を遅延させるのに有効な栄養剤として広く利用されている(非特許文献1)。このほかにも、サナギタケCordyceps militarisの水抽出物による抗酸化作用(非特許文献2)、免疫調節作用(非特許文献3)、in vivoでのインシュリン抵抗性の減少とインシュリン分泌物の増加作用(非特許文献4)、チベット産の冬虫夏草であるCordyceps Sinensis(以下C. sinensis)の熱水抽出による抗高脂血症効果(非特許文献5),抗腫瘍活性(非特許文献6)、抗炎症作用(非特許文献7)のほか,メシマコブ(Phellinus linteus)のプロテオグリカン複合物による抗腫瘍活性(非特許文献8)などが報告されている。そして、このような虫夏草の知名度の高まりによる急激な需要増加による乱獲などによって、チベット産の冬虫夏草であるC. sinensisは高価で入手が困難になっている。
【0004】
また、広義の解釈としての冬虫夏草の1種であるハナサナギタケ(P. tenuipes)は、子嚢菌類のバッカク菌科のCordyceps属に属し、カイコの幼虫に寄生する菌であることから、カイコ蛹との組み合わせによる冬虫夏草の人工栽培が近年日本で商業化されている。しかしながら、市販されているCordyceps属やPaecilomyces属の冬虫夏草の多くの商品は無性種の菌糸培養から調製されたものが多く、さらには、P. tenuipesの薬理効果に関する研究報告はCordycepsに比べ圧倒的に少ない。
【0005】
これまで、P. tenuipesの生理活性成分としては、宿主(カイコ蛹)と子実体の混合粉末の酢酸エチル抽出物中から単離された環状ヘキサデプシペプチドBeauvericinがラット肝癌細胞増殖抑制効果を有すること(非特許文献9)や、宿主(カイコ蛹)から分離した子実体を材料とし、60%エタノール抽出、5%メタノール抽出、熱水抽出の過程を経て得られたハナサナギン(3,4-ジグアニジノブタノイル-DOPA)が、フリーラジカル(DPPH)消去活性やスーパーオキシドアニオン消去能を有すること(非特許文献10、11)などが知られている。
【0006】
そして、これらの冬虫夏草の人工栽培方法も提案されている(特許文献1、2)。
【0007】
一方、現在の我が国では、少子化による若年層人口の減少から、人口構成は高齢化が顕著になっている。
【0008】
WHOによると、現在、世界の認知症患者数は2,400万人、国内では約200万人いるといわれており、その約50%がアルツハイマー病(AD)、他の30%が血管性認知症であり、残りの20%がレビー小体を伴う認知症や前頭側頭型認知症などの種々の認知症疾患が含まれている。脳血管性認知症の有病率や罹患率は治療法や予防法などの進歩に伴い年々減少傾向にあるが、ADは確実に増加傾向にある。ADは一度発症すると持続的に進行し、3〜8年のうちに半数の患者が死亡する予後不良の疾患であるが、このADの発症を5年遅らせることが可能であればADの有病率を50%減少でき、10年遅らせられれば発症率を75%減少させることができる。そのため、寿命延長に伴い生きている間に精力的に活動できる健康寿命の延長や生活の質(Quality of life;QOL)の低下をいかに抑制するかが社会の重要な課題となっている。
【0009】
なお、米国精神医学会の認知症に関する診断基準であるDSM−IIIR(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders. 3rd Ed. Revised Ed., 1987)では、認知症とは、A:記憶(短期・長期)の障害、B:次の内少なくとも1項目以降{(1:抽象的試行の障害、2:判断の障害、3:高次皮質機能の障害(失語・失行・失認・構成障害)、4:性格変化}、C:前記A又はBの障害により仕事・社会活動・人間関係が損なわれる、D:意識障害の時には診断しない(せん妄の除外)、E:病歴や検査から脳器質因子の存在が推定できる場合、としている。
【0010】
さらには、世界保健機関の認知症に関する研究用診断基準であるICD−10(International Classification of Disease 10th revision, 1994)では、認知症とは、A:次の2項が存在する場合(1:日常生活に支障をきたす記憶障害、2:認知機能障害)、B:前記A項の症状を明らかに確認できる十分な期間が存在し周囲の状況を認識する能力は保たれている(認識混濁を認めない場合)、C:次の1項以上を認めるとき(1:情緒的不安定性、2:易刺激性、3:無関心、4:社会行動における粗雑さ)、D:前記A項の症状が明かに6ヶ月以上存在して確定診断される場合、としている。ここでは、これらの症状を呈している場合を認知機能障害とする。
【0011】
アルツハイマー病患者の脳内において、神経伝達物質であるアセチルコリン(Ach)等が低下し、側頭葉を中心とする大脳皮質、海馬、扁桃核のAch合成酵素であるコリンアセチルトランスフェラーゼ(ChAT)の活性が低下することが知られている(非特許文献16)。そのため、正常な脳とアルツハイマーを発症している脳の組織からそれぞれmRNAを抽出し、ChATの遺伝子発現の差異を比較することにより、認知機能障害の差異を判断することが可能である。
【0012】
さらに、中枢神経の主要なグリア細胞は、アストロサイト(星状膠細胞)、オリゴデンドロサイト(希突起膠細胞)、ミクログリア(小膠細胞)の3種類である。ニューロンや他のグリア細胞が虚血時の低酸素や低グルコースに対して脆弱であるのに対し、アストロサイトは虚血に耐性があるとともに、脳の損傷や脳組織への激しい作用や中枢神経組織傷害に対して敏感に反応を示すのも特徴である。この障害が発生するとアストロサイトは膨張したり、グリオーシス(神経膠症またはグリア瘢痕)を起こすことが知られている。この反応では、神経膠線維性酸性蛋白(GFAP: glia fibrillary acidic protein)やある種のタンパク質(接着分子、細胞骨格タンパク、酸化的代謝系酵素、サイトカイン、成長因子、主要組織適合性遺伝子複合体タイプI及びII)を産生する細胞の大きさと数が増加することを特徴とする。そのため、グリオーシスは総称神経の再生を阻害する病理的所見ともなっている。また、病理学的検査法からみたADの病理組織像は、アミロイドβの脳組織への沈着状況の判断以外にも、ニューロンの消失とグリオーシスによる置換が行われているか否かにより診断されている。
【0013】
そして、冬虫夏草の効能として、C. sinensis熱水抽出物がD-galactoseの皮下注射により脳老化を誘導したマウスの学習・記憶能力を向上させる可能性があることが報告されている(非特許文献12)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0014】
【特許文献1】特許第2676502号
【特許文献2】特許第3865735号
【非特許文献】
【0015】
【非特許文献1】Paterson, R.R.M. (2008) Cordyceps - A traditional Chinese medicine and another fungal therapeutic biofactory. Phytochemistry, 69, 1469-1495.
【非特許文献2】Yamaguchi, Y., Kagota, S., Nakamura, K., Shinozuka, K. and Kunimoto, M. (2000) Antioxidant activity of the extracts from fruiting bodies of cultured Cordyceps sinensis. Phytother. Res., 14, 647-649.
【非特許文献3】Kuo, Y. C., Tsai, W. J., Wang, J. Y., Chang, S. C., Lin, C. Y. and Shiao, M. S. (2001) Regulation of bronchoalveolar lavage fluids cell function by the immunomodulatory agents from Cordyceps sinensis. Life Sciences, 68, 1067-1082.
【非特許文献4】Choi, S. B., Park, C. H., Choi, M. K., Jun, D. W. and Park, S. (2004) Improvement of insulin resistance and insulin secretion by water extracts of Cordyceps militaris, Phellinus linteus, and Paecilomyces tenuipes in 90% pancreatectomized rats. Biosci. Biotechnol. Biochem. 68, 2257-2264.
【非特許文献5】Koh, J.- H., Kim, J. -M., Chang, U.- J. and Suh, H.- J. (2003) Hypocholesterolemic effect of hot-water extract from mycelia of Cordyceps sinensis. Biol. Pharm. Bull. 26, 84-87.
【非特許文献6】Bok, J. W., Lermer, L., Chilton, J., Klingeman, H. G. and Neil Towers, G. H., (1999) Antitumor sterols from the mycelia of Cordyceps sinensis. Phytochemistry, 51, 891-898.
【非特許文献7】Rao, Y. K., Fang, S. H. and Tzeng, Y. M. (2007) Evaluation of the anti-inflammatory and anti-proliferation tumoral cells activities of Antrodia camphorate, Cordyceps sinensis, and Cinnamomum osmophloeum bark extracts. J. Ethnopharmacology, 114, 78-85.
【非特許文献8】Nakamura, T., Matsugo, S., Uzuka, Y., Matsuo, S. and Kawagishi, H. (2004) Fractionation and anti-tumor activity of the mycelia of liquid-cultured Phellinus linteus. Biosci. Biotechnol. Biochem. 68, 868-872.
【非特許文献9】藤田純平 (2008) カイコ冬虫夏草からの生理活性物質の機能と構造解析. pp. 2-5, 岩手大学大学院農学研究科修士課程農業生命科学専攻修士論文.
【非特許文献10】Sakakura, A., Suzuki, K., Katsuzaki, H., Komiya, T. Imamura, T., Aizono, Y. and Imai, K. (2005) Hanasanagin: a new antioxidative pseudo-di-peptide, 3,4-diguanidinobutanoyl-DOPA, from the mushroom, Isaria japonica. Tetrahedron Letters, 46, 9057-9059.
【非特許文献11】Sakakura, A., Shioya, K., Katsuzaki, H., Komiya, T., Imamura, T., Aizono, Y. and Imai, K. (2009) Isolation, structural elucidation and synthesis of a novel antioxidative pseudo-di-peptide, Hanasanagin, and its biogenetic precursor from the Isaria japonica mushroom. Tetrahedron, 65, 6822-6827.
【非特許文献12】Ji, D.-B., Ye, J., Li, C. L., Wang, Y. H., Zhao, J. and Cai, S. Q. (2009) Antiaging effect of Cordyceps sinensis extract. Phytother. Res. 23, 116-122.
【非特許文献13】Gong, G. and Xu, F. (1991) Study of aging model in mice. J. China pharm. Univ., 24, 101-103.
【非特許文献14】Droge, W. (2003) Oxidative stress and aging. Advances in experimental medicine and biology, 543, 191-200.
【非特許文献15】Miller, D. B. and O’Callaghan, J. P. (2005) Aging stress and the hippocampus. Ageing Res. Rev. 4, 123-140.
【非特許文献16】Wang, F., Chen, H. and Sun, X. (2009) Age-related spatial cognitive impairment is correlated woth a decrease in ChAT in the cerebral cortex, hippocampus and forebrain of SAMP8 mice. Neuroscience letters, 454, 212-217.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0016】
しかしながら、C. sinensisは、上記の通り、入手が困難であるという事情に加え、非特許文献12に記載されたC. sinensis熱水抽出物は、所定の効果を実現するためには、体重あたりの経口摂取量は2〜4g(kg-day)と多量に投与する必要があることから、コスト面、安定供給の面で問題があり、実用化は難しいのが現状である。
【0017】
本発明は、以上のような事情に鑑みてなされたものであり、コスト面、安定供給の面で優れ、アルツハイマー病などの脳疾患、脳機能の低下を効果的に改善することができる脳機能改善剤を提供することを課題としている。
【課題を解決するための手段】
【0018】
上記の課題を解決するため、本発明の脳機能改善剤は、ハナサナギタケ(P.tenuipes)粉末の熱水抽出物を含有することを特徴としている。
【0019】
この発明の脳機能改善剤では、改善される脳機能が、加齢または加齢に伴う脳疾患に起因して低下した認知機能であることが好ましい。
【0020】
この発明の脳機能改善剤では、加齢に伴う脳疾患は、アルツハイマー病および/またはパーキンソン病であることが好ましい。
【0021】
この発明の脳機能改善剤では、改善される脳機能が、記憶能力および学習能力であることが好ましい。
【0022】
この発明の脳機能改善剤では、経口用であることが好ましい。
【0023】
この発明の脳機能改善剤では、脳機能改善は、脳海馬領域に生じたグリオーシスの修復によるものであることが好ましい。
【0024】
この発明の脳機能改善剤では、ハナサナギタケ(P.tenuipes)は、微生物識別表示名Paecilomyces tenuipes, IU070255(受領番号:FERM AP−22011)であることが好ましい。
【0025】
この発明の脳機能改善剤では、ヒトへの有効量が、ハナサナギタケ(P.tenuipes)粉末の熱水抽出物固形分換算で0.3g〜1.75g/日であることが好ましい。
【発明の効果】
【0026】
本発明の脳機能改善剤によれば、経口摂取によって、アルツハイマー病などの脳疾患、脳機能の低下を効果的に改善することができる。また、入手しやすいハナサナギタケ(P.tenuipes)を原料としており、また、比較的少ない投与量でも優れた脳機能改善効果を発揮することから、コスト面、安定供給の面で優れている。
【図面の簡単な説明】
【0027】
【図1】ステップスルー型受動的回避実験の結果を示す図である。
【図2】モリス水迷路実験において、各群のプラットフォームへの退避の反応潜時間を示す図である。
【図3】モリス水迷路実験において、各群のクロッシング回数を示す図である。
【図4】モリス水迷路実験において、各群の平均水泳速度を示す図である。
【図5】モリス水迷路実験において、各群のターゲットクワドラントと他のクワドラントでの滞在時間を示す図である。
【図6】RT-PCRによるChATの発現量を示す図である。
【図7】マウスの海馬切片の組織(左:HE染色、右:ホルツァ染色)を示す図である。図中矢印は、グリオーシスを示している。
【発明を実施するための形態】
【0028】
本発明の脳機能改善剤は、ハナサナギタケ(P.tenuipes)粉末の熱水抽出物を含有する。
【0029】
ハナサナギタケ(P.tenuipes)は、日本、台湾、中国、ネパール等に広く分布し、ガの蛹、幼虫、カイコ蛹、幼虫などに寄生して、養分を摂取して増殖して、虫の死骸より淡黄色の子実体を発生する。本発明の脳機能改善剤の材料として使用されるハナサナギタケ(P.tenuipes)は、自生するものであってもよいが、好ましくは、宿主をカイコとして人工栽培されたものである。ハナサナギタケは、C. sinensisと比較して入手が容易であるため、コストを抑えることができるとともに、安定に供給することができる。
【0030】
冬虫夏草の人工栽培方法は種々の方法が提案されているが、例えば、特許文献2の方法、すなわち、繭を形成する前のカイコの幼虫を煮沸してから乾燥させ、このカイコ乾燥粉末50〜90重量パーセント、残部が豆類、穀類、海藻類またはキノコ類の乾燥粉末の1種または2種以上からなる食物乾燥粉末を混合して、これに培養液を加えて混練し、これを育成箱の底部に敷き詰めて培地を作成し、この培地を、植菌袋に封入して加熱滅菌処理した後、培地に冬虫夏草の菌を接種して、育成する方法を例示することができる。
【0031】
そして、例えば上記の方法で栽培されたハナサナギタケ(P.tenuipes)を凍結乾燥させた後、粉砕することでハナサナギタケ粉末を得ることができる。ここで、本発明に使用されるハナサナギタケ粉末は、ハナサナギタケの子実体のみを粉末化したものであってもよいが、好ましくは、子実体および宿主(例えば、カイコ)を粉末化したものである。
【0032】
このハナサナギタケ粉末に水を加え、オートクレーブで加熱することで、熱水抽出することができる。
【0033】
加熱条件は、適宜設計することができるが、例えば、80〜120℃で、およそ60分程度加熱することで、ハナサナギタケ粉末の抽出液を得ることができる。さらに、この抽出液を、遠心分離し、上清を濾過し回収し、前記の抽出工程を繰り返し行うことで、より高い収量でハナサナギタケ粉末からの熱水抽出液を得ることができる。そしてこのハナサナギタケ粉末の熱水抽出液の上清を回収し、凍結乾燥することでハナサナギタケ粉末の熱水抽出物(PTE)を得ることができる。
【0034】
なお、n-ヘキサン、酢酸エチル、アセトンなどの有機溶媒系を用いた逐次抽出を採用した場合には、抽出物の経口摂取が難しくなるため、本発明では、熱水抽出を採用している。
【0035】
そして、本発明の脳機能改善剤は、このハナサナギタケ粉末の熱水抽出物(PTE)を有効成分としており、例えば、加齢または加齢に伴う脳疾患に起因する脳機能障害、特に認知機能障害を改善することができる。認知機能障害を引き起こす脳疾患としては、例えば、アルツハイマー病、パーキンソン病などを例示することができる。
【0036】
さらに、本発明の脳機能改善剤は、脳海馬、特にはCA3領域に生じたグリオーシスを修復することができる。脳海馬のCA3領域は、空間パターン関連及び情報の補充、新しい状況の検知、並びに短期記憶を司っていることが知られている。したがって、本発明の脳機能改善剤は、このような記憶能力および学習能力に関する脳機能低下を改善することもできる。また、日常的に本発明の脳機能改善剤を摂取することで、脳機能低下の予防効果も有すると考えられる。
【0037】
また、本発明の脳機能改善剤は、経口投与によって上記の効果を発揮することができる。したがって、本発明の脳機能改善剤は、医薬品、健康補助食品などとして利用することができる。
【0038】
この場合、例えば、錠剤、丸剤、粉剤、トローチ剤、分包包装、オブラート剤、エリキシル剤、懸濁剤、乳剤、液剤、シロップ、エアロゾル剤、および無菌包装粉剤などの形をとることができる。この場合、添加剤として、慣用の賦形剤、湿潤剤、乳化剤、分散剤、保存剤、甘味剤、芳香剤なども適宜加えることができる。例えば、乳糖、デキストロース、ショ糖、ソルビトール、マンニトール澱粉、アラビアゴム、リン酸カルシウム、アルギン酸塩、トラガカント、ゼラチン、ケイ酸カルシウム、微晶セルロース、ポリビニルピロリドン、セルロース、水、シロップ、およびメチルセルロースなどが例示される。
【0039】
経口投与する場合、投与量は、製剤化方法、投与方式、投与対象者の年齢、体重などを考慮して適宜決定することができる。この場合、脳機能改善剤としての有効量は、成人(体重70kgの場合)に対して、ハナサナギタケ(P.tenuipes)粉末の熱水抽出物固形分換算で0.3g〜1.75g/日であることが好ましい。本発明の脳機能改善剤は、C. sinensis熱水抽出物と比較して少ない投与量で脳機能改善効果を発揮するため、コスト面、安定供給性の面で優れている。
【0040】
また、非経口投与の場合は、静脈内投与、皮下投与、経皮吸収等が可能である。
【実施例】
【0041】
以下、実施例により本発明をさらに詳しく説明するが、本発明はこれらの実施例に何ら限定されるものではない。
【0042】
<実施例1>
<1>材料と方法
1.供試試料
供試試料である冬虫夏草として、東白農産企業組合(福島県棚倉町)より提供されたハナサナギタケP. tenuipes粉末を実験に用いた。具体的には、ハナサナギタケは福島県の山中で採集し、特許文献2に記載された人工栽培方法に沿って培養した。なお、この菌株は、微生物識別表示名Paecilomyces tenuipes, IU070255、受領番号FERM AP−22011として独立行政法人産業技術総合研究所特許生物寄託センターに寄託されている。
【0043】
これを、乾繭の工程で得られる乾燥したカイコ実用品種(錦秋×鐘和)の蛹に感染させ、65日間、25℃の暗室で培養した。得られた子実体ならびに宿主の蛹を凍結乾燥させた後、粉砕した。この実施例に用いたP. tenuipes粉末のロットの100 g中に含まれる各種成分を表1および表2に示した。
【0044】
【表1】

【0045】
【表2】

【0046】
表1に示すように、P. tenuipes粉末には、各アミノ酸成分がバランスよく含有されていることがわかる。さらには、脳機能改善に効果があるといわれるアラニン、フェニルアラニン、チロシン、イソロイシン、グルタミン酸、セリン、トリプトファン等が含まれている。
【0047】
さらに、表2に示すように、多様なビタミン類やβ-グルカンの含有量の多さが注目される。なお、これらの成分の分析データは宿主のカイコ蛹のロットが異なるサンプルであっても各成分の含有比率はほぼ変化がみられなかった。
【0048】
さらには、電子スピン共鳴(ESR)法による分析では、スーパーオキシド消去活性が4.8×103unit/g あることから、抗酸化活性も確認された。
【0049】
2.P. tenuipes 熱水抽出物(PTE)の調製
P. tenuipes 粉体 (63 g) に 8 倍量(W/V)(500 mL)のMQを加え、105℃、60分間オートクレーブ(BS-245, トミー精工)することで抽出液を得た。抽出液を10,000 × g 4℃,10分間遠心分離し、上清を定性濾紙(No.2 ADVANTEC)で濾過し回収した。残渣に再び 8 倍量のMQを添加し、同条件で 2 回目の抽出をおこなった。上清を回収し、 1 回目の抽出で得られた上清と混合し、吸引濾過でろ液を回収した。これを凍結乾燥機(EYELA A3S, 東京理化機器)で凍結乾燥することで得られた粉末を、P. tenuipes 熱水抽出物 (PTE) とし、使用するまで-80℃の超低温槽(ULT-790-5A, REVCO)で保存した。
【0050】
なお、P. tenuipes粉末からのPTE抽出の収量は、65.7%と高率であった。熱水抽出後のP. tenuipes 熱水抽出物(PTE)のアミノ酸組成をアミノ酸アナライザーで行ったところ、以下の結果が得られた(表3)。表3では、熱水抽出前のP. tenuipes粉体のアミノ酸組成との比較を示している。
【0051】
【表3】

【0052】
なお、計測方法が、アミノ酸アナライザーのみであったため、表3に示すP. tenuipes 熱水抽出物(PTE)の結果は、HPLCで検出されるトリプトファンなどのデータを欠いている。
【0053】
3.実験動物
(1)マウス
生後5週齢のC57BL/6J 雄マウス (体重21.24 ± 0.94 g) を日本SLCより購入し、Normal Control(NC)、Aging Control(AC)、PTE x 5 mg/(kg-day)、PTE x 25 mg/(kg-day) の 4 群に分け、 1 ケージあたり5 〜 6 頭を環境制御された部屋{室温:23〜25 °C,明暗周期:照明12時間(照明点灯時間:07:00〜19:00),消灯12時間}で集団飼育した。実験は飼育室で19:00 から23:00の時間帯に実施した。10日間の馴化期間の後、全試験期間中、全てのマウスは標準食(MEQ,オリエンタル酵母社)が与えられ、毎日体重を記録した。行動実験時以外は食餌と水は自由摂取により与えられ、それらの水と餌は隔日計測し、排泄量(床敷の重量)を週に2 回計測した。マウスの個体識別は、ケージ番号と耳穿孔器によるマーキングの組み合わせによりおこなった。
【0054】
(2)薬物の調製
20 ml容のバイアルに70%エタノールを吹きかけ、60℃の乾熱乾燥機の中にアルミホイルを敷き、その上で滅菌した。その後、秤量したD-galactose (Sigma社)をバイアルに入れ、生理食塩水(扶桑薬品工業社)で100 mg/kgになるように調整した。以下、D-galactoseを単にD-galと記載する。
【0055】
(3)D-gal 誘導老化マウスモデルの作製およびカイコ冬虫夏草熱水抽出物(PTE)の投与
D-gal の投与は、脳やアンチエイジング薬研究のための老化モデルとして使われている。老化の原理は解明されていないが、マロンジアルデヒドの増加、グルタチオンペルオキシダーゼとスーパーオキシドジスムターゼの減少による脳内の酸化ストレスが示唆されており (非特許文献13)、これらの酸化ストレスは脳老化の重要なファクターの1つと考えられている (非特許文献14)。
【0056】
この実施例では、マウスを以下の4群に分けた。
<1>NC群:注射期間中は、滅菌水と固形飼料を自由摂取により与えた。その後、引き続き滅菌水を与えた。
<2>AC群:濃度100 mg/kg のD-gal を8週間、皮下注射し、脳の老化を誘導した。
注射期間中は、NC群と同一の滅菌水と固形飼料を経口自由摂取により与えた。その後、引き続き滅菌水を与えた。
<3>PTE x 5 mg/(kg-day)群:濃度100 mg/kg のD-gal を8週間、皮下注射し、脳の老化を誘導した。注射期間中は、NC群と同一の滅菌水と固形飼料を経口自由摂取により与えた。その後、行動実験終了時まで濃度が、5 mg/(kg-day)になるように、PTEを蒸留水に溶解させたものを経口自由摂取させた。この濃度は、毎日測定した体重を元に正確に算出した。
<4>PTE x 25 mg/(kg-day)群:濃度100 mg/kg のD-gal を8週間、皮下注射し、脳の老化を誘導した。注射期間中は、NC群と同一の滅菌水と固形飼料を経口自由摂取により与えた。その後、行動実験終了時まで濃度が、25 mg /(kg-day)になるように、PTEを蒸留水に溶解させたものを経口自由摂取させた。この濃度は、毎日測定した体重を元に正確に算出した。
【0057】
4.ステップスルー型受動的回避実験
(1)装置
装置(小原医科産業)は、逆台形型の明室と暗室(明室:上面 100 × 130 mm, 底面 42 × 130 mm, 高さ 90 mm,暗室:上面 100 × 160 mm, 底面 42 × 160 mm, 高さ 90 mm)から構成されている。両室の床は、ともに直径 2.0 mm のステンレス棒が 6.0 mm間隔で並べられており、暗室の床だけが通電される。それらの部屋は、実験者が自由に開閉できる仕切りドア(ギロチンドアー)で接続されている。獲得試行は、マウスを白色蛍光灯(15 W)で照らされた明室に入れ、ギロチンドアーを開いて開始した。また、暗室内の入り口には入室を検知するための赤外線センサーがあり、入室時間の計測や電気刺激発生トリガーに用いた。
【0058】
(2)手順
本実験の前にマウスの異常個体を選別するために、前獲得試行をおこなった。ステップスルー型受動的回避実験は、暗い場所に進むというマウスの負の走行習性を利用したものであるため、明室におかれたマウスが 60 秒以上明室に留まるようであれば、異常個体と判断し、実験に使用しなかった。この前獲得試行では、仕切りドアを開けたままマウスを明室に入れ、暗室に入るまでの時間を測定した。
【0059】
実験 1 日目に前獲得試行をおこない、その後獲得試行をおこなった。獲得試行は、仕切りドアを閉めた状態でマウスを明室に入れ、30 秒後に仕切りドアを開け、マウスが暗室に入るまでの時間(反応潜時)を測定した。マウスの後ろ足が暗室に入った、または暗室の中の赤外線センサーに反応した時点で、仕切りドアを閉め、0.3 mAの電気刺激を 4 秒間与えた。
【0060】
実験 2 日目 (獲得試行から 24 時間後) に再生試行をおこなった。再生試行は獲得試行と異なり、電気刺激は与えない。それ以外の操作は、獲得試行と同様におこなった。 反応潜時は最大 180 秒として計測した。
【0061】
(3)結果
結果を図1に示す。獲得試行では、マウスが暗室に入るまでの時間に3つの群で有意な差は認められなかった(図1左)。
【0062】
一方、24時間後の記憶の保持を示す再生試行による反応潜時は、AC群に比べてNC群 とPTE x 25 mg/(kg-day) 群で有意に高かった (P < 0.05)。すなわち、AC群では、D-galによって老化が誘導され脳機能が低下していることが確認される。そして、PTE x 25 mg/(kg-day) 群では、脳老化マウスの空間学習・記憶障害に関する脳機能が改善したことが確認された。
【0063】
すなわち、我が国でも採取可能なP. tenuipesの粉末の熱水抽出物(PTE)が、比較的少ない経口投与量(C. sinensisの400分の1)で、老化誘導マウスの脳機能を有意に改善できることが示された。したがって、PTEは、入手が困難でトレーサビリティーなど食品としての安全性の面で課題を有するC. sinensisと比較して、効能、コスト、安定供給性の面で優れている。
【0064】
5.モリス水迷路実験
(1)装置
装置は、円筒形プール (直径100 cm,深さ 30 cm) を床上80 cmにセットした。このプールに深さ 20 cm まで水 (25 ± 1℃) を入れ、 透明なプラットフォーム (直径 10 cm,高さ 19 cm) が水面下1 cmに沈むようにセットした。プラットフォームが水泳中のマウスに見えないように、市販の白色ポスターカラーでプールの水を白濁させ、プール水面の真上100 cmの位置に設置し,全てのクワドラントをカバーする写真を白黒 CCD カメラで自動記録した。コンピュータとカメラは連動しており、マウスの水泳軌跡を 0.5 秒間隔で保存した。水泳軌跡の記録と画像解析は、NIH (The U.S. National Institute of Healyh)により開発され公開されているNIH Imageを元にしたソフトウェアImage WMH 2.08とImage WM 2.12 (小原医科産業) を使用した。
【0065】
(2)手順
モリス水迷路実験は9 日間、毎日夜間の同じ時間から開始した。1 日目にマウスをプールに馴れさせるため、各々 1 回ずつ 1 分間泳がせた。その際、プラットフォームに高さ 10 cm の目印をセットし、マウスにプラットフォームの存在を認識させた。また、マウスをプールに入れる際、コンピュータに指示されたマウス投入地点からプールの壁向きに入水させ、実験者は速やかにマウスから見えない位置に退避した。マウスが 60 秒以内にプラットフォームに到達したとき、その場で 15 秒間安置した後救出した。60 秒間の水泳でプラットフォームに到達できなかった場合、実験者の手でマウスをプラットフォーム上に移動させ、その時点から 15 秒間安置した後救出した。
【0066】
2 〜 8 日目は、マウスにプラットフォームの位置を記憶させるトレーニングをおこなった。トレーニングはマウス 1 頭につき連続して1 日に 4 回おこなった。トレーニングの方法は、1 日目の操作と同様におこない、プラットフォームに到達した時間を記録した。なお、60 秒で到達できなかった場合は、到達時間を 60 秒と記録した。
【0067】
9 日目にプローブテストをおこなった。プローブテストは、プールからプラットフォームを取り除き、マウスを 60 秒間泳がせ、本来プラットフォームがあった場所を横切った回数 (Crossing)、平均水泳速度、そして、各クワドラント(円形のプールの 4 分円) の各ドメイン内での滞在率(滞在時間)を測定した。また、プローブテストは 1 頭につき、1 回ずつおこなった。
【0068】
(3)結果
結果を図2に示す。各群の訓練1日目を基準にプラットフォームへの退避の反応潜時間が短縮されるか検定したところ、いずれの群においても有意な短縮が見られた。また、各訓練日における4群間での平均到達時間の比較をおこなったところ、7日目のPTE x 5 mg/(kg-day)が有意に到達時間が短いことが示された (P<0.001)。
【0069】
8日目にプラットフォームを撤去し、プローブテストを実施した。PTE x 5 mg/(kg-day)群は、(プラットフォームがあった地点での)クロッシング回数がAC群に比較して顕著に増加した(P = 0.0535) (図3)。
【0070】
なお、 4 つの群の平均水泳速度に差異は認められなかった (図4)。したがって、D-gal 100 mg/(kg-day)以上の投与で発生する神経筋の機能不全を伴うことなく学習・記憶障害を発生させることができたことが確認された。
【0071】
さらに、ターゲットクワドラントと他のクワドラントでの滞在時間を比較した。結果を図5に示す。PTE x 5 mg/(kg-day)群のマウスは、クワドラント 2 (P < 0.05)及びクワドラント 4 (P < 0.001)と比較し、ターゲットクワドラント 1 の滞在時間が有意に長かった.PTE x 25 mg/(kg-day)群のマウスも、クワドラント 2 (P < 0.01) 及びクワドラント 4 (P < 0.01)と比較し、ターゲットクワドラント 1 の滞在時間が有意に長かった。しかしながら、NC及びAC群のマウスは、ターゲットクワドラント 1 での滞在時間が顕著に長くはなく、特にAC群ではクワドラント 3 での滞在時間が最長となった。
【0072】
モリス水迷路実験においても同様に、PTE x 5 mg/(kg-day)群、PTE x 25 mg/(kg-day) 群では、脳老化マウスの空間学習・記憶障害に関する脳機能が改善したことが確認された。 すなわち、P. tenuipesの粉末の熱水抽出物(PTE)は、比較的少ない経口投与量(C. sinensisのおよそ400分の1)で、老化誘導マウスの脳機能を有意に改善でき、C. sinensisと比較して、効能、コスト、安定供給性の面で優れている。
【0073】
6.その他
実験動物の体重、飲水量、摂食量および排泄量において4群間の有意な差は認められなかった。
【0074】
また、ステップスルー型受動的回避実験、モリス水迷路実験における統計解析は、JMP8 (SAS Institue Inc.) を用いて、分散分析 (ANOVA) をおこなった。事後検定にはTukey-Kramer testを用い、その他の行動実験スコアはDunnett’s testを用いて検定をおこなった。なお,P < 0.05の場合,統計的に有意差があるとした。
【0075】
<実施例2>
実施例1において、P. tenuipes粉末の熱水抽出物(PTE)の経口摂取によって複数の行動実験において有意な脳機能の改善が認められたことから、PTEが脳神経系に影響を及ぼすメカニズム、PTEが脳組織へ及ぼす作用について解析した。
1.RT-PCRによる記憶関連遺伝子の発現解析
(1)マウス脳からのTotal RNAの抽出
実施例1で用いたマウス(NC群、AC群、PTE×5群、PTE×25群)脳内におけるAch合成酵素コリンアセチルトランスフェラーゼ(ChAT)の遺伝子発現の差異を比較するため、エーテル吸入深麻酔下のマウスを素早く断頭した後、脳を摘出し、50 mM (pH 7.4)の冷PBSで洗浄した。その後、カミソリで脳を左脳と右脳に分断し、一方をRNAlater(R) Solution(Applied Biosystems Inc.)に一晩浸漬した後、-80℃で保管保存した。
【0076】
この脳サンプルを用い、TRIzol Reagent (Invitrogen Co., California, USA)を加え、取扱説明書のプロトコルに従ってTotal RNAを抽出した。すなわち、凍結した半分の脳の半分の重量250 mgに対しTRIzol Reagent 4 mlを添加し、ホモジナイズした後、氷中に5 分間放置した。続いて、0.8 mlのクロロホルムを添加、振とうし、25℃ 3 分間放置静置した。次に12,000 ×g、 4℃ 25 分間遠心分離をおこなった。これによりRNAを含む水相、DNAを含む中間相、タンパクを含む有機相の 3 層に分離された。RNA沈殿のために、上清を別のコニカルチューブに回収し、2 mlのイソプロパノールを添加後、軽く振とうし、25℃ 10 分間放置静置することでRNAを沈殿させた。
【0077】
12,600 ×g、4℃ 10 分間遠心分離をおこなった後、上清を捨て,4 mlの70%エタノールを添加してRNAを洗浄した。さらに、12,600 ×g、 4℃ 10 分間遠心分離をおこなった後、上清を捨て、乾燥後、100 μlのピロ炭酸ジエチル(DEPC)処理水を添加し、60℃ 10 分間インキュベートすることで溶解した。抽出したTotal RNAは、分光光度計Nano Drop 1000(Thermo Fisher Scientific Inc., USA)を用いてOD260測定により定量をおこなった。また、Total RNAは使用するまで -80℃で保存した。
【0078】
(2)逆転写反応
前記(1)で調製したTotal RNAをRNA LA PCR Kit (AMV) Ver. 1.1 (Takara Bio Inc., Tokyo, Japan)を用い、次のプロトコルに従って逆転写反応をおこなった。前記(1)で調製した500 ng Total RNAを 2 μl、5 mM MgCl2 を 1μl、10×PCR Buffer を1μl、RNase Free dH2O を 2.75μl、10 mM dNTP Mixture を 1μl、RNase Inhibitor (1 U/ml)を 0.25μl、AMV Reverse Transcriptase XL (0.25 U/μl)を0.5μl、0.125μl Oligo dT-Adaptor Primer を 0.5μl 加えた各PCR溶液 25μlを、サーマルサイクラーを用い、以下の条件でPCR反応をおこなった。42℃で 30 分間反応させた後、99℃で 5 分間ヒートショックを与え、5℃で 5 分間反応させ、逆転写反応液を得た。
【0079】
(3)PCR反応
上記の方法により合成した逆転写反応液2.5 μl、2.5 mM MgCl2 を1.5 μl、10×LA PCR Buffer IIを 2μl、RNase Free dH2O を 18.38μl、TaKaRa LA Taq (12.5 U/50μl)を 0.125 μl、設計したそれぞれのプライマー0.2μMを 0.25μl加えたPCR溶液 25μlを、サーマルサイクラーを用い、以下の条件でPCR反応をおこなった。94℃で 2 分間の熱処理後、熱変性を94℃で30 秒間、アニーリングを50℃で30 秒間、伸長を72℃で 1 分 30 秒間の条件で 27 サイクルおこなった。なお、ハウスキーピング遺伝子にはβ‐actinを用いた。
【0080】
プライマー配列は次の通りである(配列番号1〜4)(作製:(株)日本遺伝子研究所,宮城県仙台市)。
ChAT:forward primer(5'-GGTGGCCCAGAAGAGCAGTATC -3')(配列番号1)
reverse primer(5'-ATTGGAGGCAGGCGTTCATC -3')(配列番号2)
β-actin:forward primer(5'-CCTGTACGCCAACACAGTGC -3')(配列番号3)
reverse primer(5'-ATACTCCTGCTTGCTGATCC -3')(配列番号4)
【0081】
(4)アガロースゲル電気泳動
PCR産物の確認のために、アガロースゲル電気泳動をおこなった。PCRで得られた各反応物 10μlあたりに、6×ローディングバッファーを2μl 加えたものを試料とした。電気泳動アガロースは、1×TAEバッファー(40 mM Tris, 40 mM 氷酢酸,1 mM EDTA)に最終濃度2%になるように溶解した。そのゲル溶液にエチジウムブロマイドを添加した後、コームをセットしたゲル型トレイに流し込み、室温に放置し固化させた。固化したゲルを 1 ×TAEバッファーで満たしたサブマリン電気泳動装置にセットし,PCR産物と6 ×ローディングバッファーを混合したDNA試料を各ウェルに添加し、100Vを通電した。ブロモフェノールブルーが 7 割程度移動したところで泳動を終了した。泳動後、UV撮影装置を用い、 312 nmの波長泳動パターンを確認した。
【0082】
(5)結果
正常マウスであるNCマウスでChATの発現が最も強く、PTE x 25 mg/(kg-day)、PTE x 5 mg/(kg-day)、ACの順にシグナル強度が低下していることが確認できた(図6)。
【0083】
アルツハイマー病(AD)では、アセチルコリン(Ach)系の低下が顕著であること、側頭葉を中心とする大脳皮質、海馬、扁桃核などでのAchの合成酵素であるコリンアセチルトランスフェラーゼ(ChAT)の活性が低下することが知られている。
【0084】
したがって、PTEは加齢による脳機能の低下のみならず、ADの予防、進行抑制、治療効果を有する医薬、食品等として利用することができる。
【0085】
2.脳老化誘導マウスの海馬切片の組織化学的観察
(1)マウス脳の切片の作製
組織化学的解析のために、前記1.(1)で摘出・分割した脳の一方を、すみやかに4%PFA/PBS (pH 7.4) 溶液中で 4℃、overnight固定し、脳スライス作製用の試料とした。
【0086】
NC群、AC群並びにPTEの各群の全ての脳サンプルは、一般的な方法によりパラフィンワックスにより包埋し、切片化した後、ヘマトキシリンエオジン(HE)染色法並びにホルツァ染色法により染色した。なお、HE染色法は、細胞核内のクロマチン評価のための一般染色方法であり、ホルツァ染色法は、損傷神経再生を阻止するグリオーシス(神経膠症)を肉眼で観察できる染色法である。
【0087】
海馬領域の撮影は、光学式倒立顕微鏡(OLYMPUS, BH-2,対物レンズ倍率: × 4,× 20)を用い、デジタルカメラで撮影した。
【0088】
(2)結果
HE染色の結果、マウス海馬の錐体細胞を始めとする神経細胞がよく保存されていることがわかる:NC群 (図7A)、AC群 (図7C)、PTE x 5 mg/(kg-day)群 (図7E)、PTE x 25 mg /(kg-day)群 (図7G)。
【0089】
ホルツァ染色により脳老化マウスの海馬の神経細胞を観察したところ、NC群では、グリオーシスが確認されなかった。
【0090】
一方、AC群では、老化誘導によって、非常に顕著な反応性グリオーシスが海馬CA3領域に発生していることが確認された(図7D)。
【0091】
これに対し、PTE x 5 mg/(kg-day)を投与されたマウスでは、CA3領域のグリオーシスの発生は非常に少ないことが観察された(図7F)。さらに、PTE x 25 mg/(kg-day)を投与されたマウスでは、NC群のマウス(図7B)と同様に、CA3領域のグリオーシスがほとんど発生していないことが観察された(図7H)。
【0092】
これらの結果は、空間パターン認識を司るCA3領域において、反応性グリオーシスがD-gal 誘導性脳老化マウス群の海馬で発生し、その後、PTEを摂取したマウス群ではグリオーシスが修復されたことを示している。
【0093】
グリオーシスは総称神経の再生を阻害する病理的所見と考えることができ、また、病理学的検査法からみたADの病理組織像は、ニューロンの消失とグリオーシスによる置換が行われているか否かにより診断される。したがって、AC群では、脳がADの状態にあると判定することができ、PTE x 5 mg/(kg-day)群、および、PTE x 25 mg /(kg-day)群の結果から、PTEの摂取は、ADの改善効果があると考えることができる。
【0094】
また、グリオーシスが観察されたCA3領域は、空間パターン関連及び情報の補充、新しい状況の検知、並びに短期記憶などの記憶能力、学習能力を司っていることが知られている(非特許文献15)。したがって、PTEの摂取は、これらの脳機能の改善効果に寄与する。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
ハナサナギタケ(P.tenuipes)粉末の熱水抽出物を含有することを特徴とする脳機能改善剤。
【請求項2】
改善される脳機能が、加齢または加齢に伴う脳疾患に起因して低下した認知機能であることを特徴とする請求項1の脳機能改善剤。
【請求項3】
加齢に伴う脳疾患は、アルツハイマー病および/またはパーキンソン病であることを特徴とする請求項2の脳機能改善剤。
【請求項4】
改善される脳機能が、記憶能力および学習能力であることを特徴とする請求項1の脳機能改善剤。
【請求項5】
経口用であることを特徴とする請求項1から4のいずれかの脳機能改善剤。
【請求項6】
脳機能改善は、脳海馬領域に生じたグリオーシスの修復によるものであることを特徴とする請求項1から5のいずれかの脳機能改善剤。
【請求項7】
ハナサナギタケ(P.tenuipes)は、微生物識別表示名Paecilomyces tenuipes, IU070255(受領番号:FERM AP−22011)であることを特徴とする請求項1の脳機能改善剤。
【請求項8】
ヒトへの有効量が、ハナサナギタケ(P.tenuipes)粉末の熱水抽出物固形分換算で0.3g〜1.75g/日であることを特徴とする請求項1の脳機能改善剤。

【図1】
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【図3】
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【図4】
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【図2】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【公開番号】特開2012−56867(P2012−56867A)
【公開日】平成24年3月22日(2012.3.22)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−200352(P2010−200352)
【出願日】平成22年9月7日(2010.9.7)
【出願人】(504165591)国立大学法人岩手大学 (222)
【出願人】(501474081)東白農産企業組合 (1)
【Fターム(参考)】