説明

上顎洞粘膜剥離装置

【課題】洞粘膜に達する刃物を使用することなく、洞粘膜を上顎骨(洞底骨)から安全に広範囲に剥離することを可能とする上顎洞粘膜剥離装置を提供する。
【解決手段】上顎骨Bに液体22を圧入して、上顎骨Bから上顎洞粘膜Aを剥離する装置であって、上顎骨Bに対して水密状態を形成可能な先端中空部材20と、先端中空部材20から液体22を所定圧力で注出するための注出手段16と、一端が先端中空部材20に連結されると共に他端が注出手段16に連結される柔軟性を有するチューブ18とを備えた上顎洞粘膜剥離装置10である。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、生理的食塩水等の水を上顎骨に圧入して、上顎骨から上顎洞粘膜を剥離する上顎洞粘膜剥離装置に関する。
【背景技術】
【0002】
歯を喪失した上顎骨、その中でも特に上顎骨の臼歯部に人工歯根を適用しようとする場合、当該部分の骨の上下方向の厚さが薄い症例、すなわち上顎骨の顎堤側から上顎洞までの距離が短い症例においては、人工歯根が上顎洞に突出し、上顎洞炎を発症させる危険性があり、また仮に上顎洞炎を発症させず人工歯根が骨と結合できたとしても、その人工歯根の咬合・咀嚼負担能力は十分でない。人工歯根を適用する場合、通常、上顎骨の厚さは少なくとも6mmは必要とされているが、その厚さのない上顎骨の症例は非常に多い。
【0003】
臼歯部上顎骨は、通常、抜歯後に上顎洞の成長・拡大と顎提側からの骨吸収によりその厚さが減少する。極端には1mm以下の状態に至る場合もある。このような症例に対して人工歯根を適用する場合、事前に又は人工歯根の適用と同時に、骨の厚さを増大する骨増殖手術を施さなければならない。顎堤の上方移動が強い症例では顎堤側での骨増殖が必要で、本発明者は、顎提側に骨増殖する新たな術式を提案した(特許文献1参照)。しかしながら、顎堤の上方移動が少なく上顎洞の拡大により上顎骨が薄くなっている症例では、上顎洞側での骨増殖手術(いわゆるサイナスリフト)が必要となる。
【0004】
上顎洞側のサイナスリフトは、上顎洞底を構成する上顎の骨、すなわち洞底骨とそれに付着している非常に薄い洞粘膜との間に骨増殖物を補填する術式であるが、この骨増殖物の補填に際しては、事前に洞粘膜を無傷な状態で骨から剥離し、挙上する必要がある。この洞粘膜剥離がこの手術で最も困難な手技であり、洞粘膜剥離が安全にできれば、その後の骨増殖物の補填は比較的容易に行うことができる。
【0005】
かかるサイナスリフトは、狭義のサイナスリフトとソケットリフトとに分けることができる。狭義のサイナスリフトは、上顎骨の厚さが広範囲にわたり薄くなっていると共に、複数本の人工歯根を適用しようとする症例に対して用いられる。このサイナスリフトにおける洞粘膜剥離はラテラルアプローチとも称され、従来は、顎提の頬側上方、すなわち上顎洞の頬側の壁をなす骨を電気エンジンに取り付けたラウンドバーで粘膜に傷をつけないように削除して骨に穴を開け(開窓)、この開窓後、曲がったヘラ様の道具で洞粘膜を洞底骨から手探りで拡大剥離する術式が採られてきた。骨に穴を開けるこの技術は、卵の殻に内側の薄い膜を傷つけることなく穴を開けるに等しい高度な技術とされ、骨に穴を開けると同時に洞粘膜に損傷を与えてしまうリスクが高かった。また、仮に洞粘膜に損傷を及ぼさずに骨に穴を開け得たとしても、洞粘膜の剥離部を拡大していく過程で洞粘膜を破ってしまうリスクもあり、上顎洞底の形状が複雑な症例ではこのリスクはさらに高いものとなっていた。
【0006】
このようなリスクを低減するため、最近様々な形態の金属ツール(端子、チップ、切削器具)に微細振動を加え、骨を切削するピエゾサージェリーなる術式が導入された(例えば、特許文献2参照)。しかしながら、この高額な特殊器具を用いても、骨切削の最終段階でチップの一部が局部的に洞粘膜と接触することから、粘膜への損傷のリスクがあると共に、骨を切削した途端にチップが粘膜を圧迫し破ってしまうリスクが依然として残っている。また、粘膜を広範囲に手探りで剥離する過程での粘膜損傷のリスクは相変わらず存在する。
【0007】
他方、ソケットリフトは、通常、上顎の歯の欠損が1〜2本でかつ上顎骨の厚さが4〜5mm程度残っている症例に対して用いられる。このような小範囲の欠損部位に前述のようなサイナスリフト術を適用することは、部位が狭いことや、上顎洞底が局部的に下がってきており洞底骨の形態が複雑になっていることが多いことや、上顎洞側壁の骨が未だ厚い場合が多いことや、このような欠損形態の多くは大臼歯部であり手術部位が口腔内の奥の方であることなどの理由から、歯の欠損範囲が広い場合に比べより困難である。歯の欠損部位が狭く上顎骨の厚さが4〜5mm程度残っている症例では、従来、相当部の骨を顎提側から通常の切削器具で洞底骨近傍まで穴を開け(クレスタルアプローチとも称される)、残った骨(洞底骨)を追打して、骨折した骨片と共に洞粘膜を剥離してしまおうとする術式が多く採用されてきた。しかしながら、この術式も洞粘膜を破ってしまうのみならず、骨片を上顎洞に迷入させてしまうリスクが高い。
【0008】
そこで、最近では、追打して骨折させる代わりに、最後の骨を特殊なバーで切削し、切削骨片を刃物の先端に送り込み、骨を切削しきった際に切削片が刃物の先端と粘膜との間に介在することで粘膜を傷つけることなく粘膜を押し上げて剥離しようとする切削器具が製品化されている。しかしながら、このような特殊なバーも、その先端には鋭利な刃を有しており、骨切削片がうまく両者の間に介在せず粘膜を破るリスクがある。
【0009】
また、このようなクレスタルアプローチに際しても、前述のピエゾサージェリーが応用されるようになったが、ラテラルアプローチと同様に必ずしも安全ではない。さらに、抜歯直後の即時人工歯根埋入に際し、抜歯窩を上顎洞に向かってエアタービンにダイアモンドバーを取り付けて骨を切り進み、穴を開けた際に孔から吹き出る水と空気で洞粘膜を剥離する方法も紹介されている。いずれにしても何らかのツールで洞粘膜に隣接する洞低骨を切削開窓することに変わりはなく、その際の洞粘膜損傷のリスクはなくなっていない。また、これらの方法で粘膜を傷つけることなく洞粘膜を押し上げたとしても、穴周囲の粘膜を広範囲に剥離しなければ十分な骨補填材を補填することはできないことから、その剥離時の粘膜損傷のリスクは依然として残っている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0010】
【特許文献1】特許第3965204号公報
【特許文献2】特開2001−204735公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0011】
以上のように、上顎洞粘膜の剥離に関しては、様々な術式やツールが開発されているが、それにもかかわらず洞粘膜損傷のリスクは依然として残されている。
【0012】
本発明の課題は、洞粘膜に達する刃物を使用することなく、洞粘膜を上顎骨(洞底骨)から安全に広範囲に剥離することを可能とする上顎洞粘膜剥離装置を提供することにある。本発明は、上記のような刃物又は金属ツールで洞粘膜に達する穴を骨に開け、その後に粘膜を広範囲に剥離しようとする概念とは根本的に異なるものである。
【課題を解決するための手段】
【0013】
上述したように、洞粘膜剥離の最初のステップは、卵の殻に中の薄い膜を破ることなく穴を開けるに等しいと考えられてきた。確かに、卵の殻の内側の膜は洞粘膜と同様に薄く、また、殻と膜の結合は、洞底骨と洞粘膜の結合関係と同様に緩く、いったん剥離するとその後の剥離面の拡大は比較的容易であり、類似点が多いといえる。
【0014】
しかしながら、本発明者は、そのような一般的概念にとらわれることなく研究を進めた結果、上顎の骨を卵の殻と同視してきたことに大変な間違いがあるとの見解に至った。すなわち、上顎の骨、特に顎堤の骨は、緻密な構造をしている卵の殻とは異なり、全体として疎な構造をしており、また、比較的緻密な洞底骨でも、薄く、洞粘膜への栄養補給するための血管通路などの小孔が多数開いていることに着目した(図13参照)。
【0015】
本発明者は、上顎骨に生理的食塩水などの液体を所定の圧力で注入することにより、はじめに上顎骨から骨髄組織(主に脂肪細胞)が流出し、これにより洞粘膜が持ち上げられ、さらにその後に、注入した液体が上顎骨から流出するにより洞粘膜が持ち上げられ、これらの作用により、上顎洞粘膜が上顎骨から傷つけることなく剥離され、広範囲にもち上げられることを見い出し、本発明を完成するに至った。
【0016】
すなわち、本発明は、(1)上顎骨に液体を圧入して、上顎骨から上顎洞粘膜を剥離する装置であって、上顎骨に対して水密状態を形成可能な先端中空部材と、該先端中空部材から液体を所定圧力で注出するための注出手段と、一端が前記先端中空部材に連結されると共に他端が前記注出手段に連結される柔軟性を有するチューブと、を備えたことを特徴とする上顎洞粘膜剥離装置や、(2)先端中空部材が、上顎骨に形成した開口部に水密状態で挿入可能な中空部材、又は上顎骨と密着させるための密着材を保持する保持部材を備えた中空部材であることを特徴とする上記(1)記載の上顎洞粘膜剥離装置に関する。
【0017】
また、本発明は、(3)注出手段が、シリンジを備えた手段であることを特徴とする上記(1)又は(2)記載の上顎洞粘膜剥離装置や、(4)先端中空部材が、剛性を有する材料からなる部材であることを特徴とする上記(1)〜(3)のいずれか記載の上顎洞粘膜剥離装置や、(5)先端中空部材が、先端側から徐々に拡径するテーパー部を有していることを特徴とする上記(1)〜(4)のいずれか記載の上顎洞粘膜剥離装置や、(6)先端中空部材の外周面に、雄ねじが形成されていることを特徴とする上記(1)〜(5)のいずれか記載の上顎洞粘膜剥離装置や、(7)保持部材が、先端中空部材の周囲に設けられた板状部材であることを特徴とする上記(2)〜(6)のいずれか記載の上顎洞粘膜剥離装置や、(8)収容ケースに収容されていることを特徴とする上記(1)〜(7)のいずれか記載の上顎洞粘膜剥離装置や、(9)上記(1)記載の上顎洞粘膜剥離装置に用いられることを特徴とする先端中空部材や、(10)上顎骨に形成した開口部に水密状態で挿入可能な中空部材、又は上顎骨と密着させるための密着材を保持する保持部材を備えた中空部材であることを特徴とする上記(9)記載の先端中空部材に関する。
【発明の効果】
【0018】
本発明の上顎洞粘膜剥離装置によれば、洞粘膜を、上顎骨(洞底骨)から安全に広範囲に剥離し挙上することができる。
【図面の簡単な説明】
【0019】
【図1】本発明の一実施形態に係る上顎洞粘膜剥離装置を用いた上顎洞粘膜剥離方法をソケットリフトに適用した場合の説明図である。
【図2】本発明の一実施形態に係る上顎洞粘膜剥離装置を用いた上顎洞粘膜剥離方法をサイナスリフトに適用した場合の説明図である。
【図3】本発明の他の実施形態に係る上顎洞粘膜剥離装置を用いた上顎洞粘膜剥離方法をサイナスリフトに適用した場合の説明図である。
【図4】本発明の他の実施形態に係る上顎洞粘膜剥離装置を用いた上顎洞粘膜剥離方法をソケットリフトに適用した場合の説明図である。
【図5】上顎左側第一大臼歯の欠損症の患者の初診時のX線写真を示す。
【図6】実施例1に係る骨増幅手術(ソケットリフト)後のX線写真である。
【図7】人工歯根埋入後のX線写真である。
【図8】実施例2に係る骨増幅手術後(狭義のサイナスリフト)のX写真である。
【図9】人工歯根を埋入し、さらに1年経過したX写真である。
【図10】本発明の保持部材を備えた上顎洞粘膜剥離装置の一例を示す写真である。
【図11】図10に示す装置を切除直後の犬の上顎骨の頬側面にあてがい、水密状態を形成した状態を示す図である。
【図12】生理的食塩水を圧入することにより犬の鼻腔粘膜が剥離・挙上された状態を示す写真である。
【図13】ヒトの上顎大臼歯部の脱灰切片のH−E染色写真(撮影倍率:2×3.3)である。上顎臼歯部の海面骨はかなり疎な構造であり、また比較的密な洞底骨には海面骨域から洞粘膜に貫通する小孔が各所に存在することが示されている。
【発明を実施するための形態】
【0020】
本発明の上顎洞粘膜剥離装置としては、上顎骨に液体を圧入して、上顎骨から上顎洞粘膜を剥離する装置であって、上顎骨に対して水密状態を形成可能な先端中空部材と、該先端中空部材から液体を所定圧力で注出するための注出手段と、一端が前記先端中空部材に連結されると共に他端が前記注出手段に連結される柔軟性を有するチューブとを備えた装置であれば特に制限されるものではなく、各手段(部材)は別々に販売等されてもよく、すべての手段が袋、箱等の収容ケースに収容された状態で販売等されてもよい。なお、収容ケースに収容する場合には、各手段は連結されていてもよいし、連結されていなくてもよい。
【0021】
前記注出手段としては、ポンプを備えた手段や、シリンジを備えた手段を例示することができる。シリンジを備えた注出手段としては、手動注出方式のものであってもよく、アクチュエータを備えた自動注出方式であってもよい。シリンジとしては、ピストンの後端部を押圧して筒内部の液体を注出する一般的な構成のものや、ピストン端にネジ構造が付与されピストン端を回転させることでピストンを前進させて徐々に液体を注出する構成のものや、側部に設けられた押圧部を押圧して筒内部の液体を注出する構成のもの(例えば、特開昭58−86175号公報参照)等、いかなる構成のものも用いることができる。
【0022】
前記先端中空部材は、上顎骨に対して水密状態を形成可能な部材であり、例えば、上顎骨に形成した開口部に水密状態で挿入可能な中空部材や、上顎骨と密着させるための密着材を保持する保持部材を備えた中空部材を例示することができる。
【0023】
上顎骨に形成した開口部に水密状態で挿入可能な先端中空部材としては、上顎骨に形成した開口と略同一径の円筒状(円柱形状)の部材であってもよいが、先端側から徐々に拡径するテーパー部を有している部材であることが好ましく、具体的には、上顎骨に形成された開口の径より小さい径から大きい径のテーパー部を先部に有していることが、確実な水密状態を確保できることから好ましい。先端中空部材の後部には、把持しやすいように大径部が設けられていることが好ましく、かかる大径部には滑り止めが設けられていることがより好ましい。なお、水密状態で挿入可能とは、先端中空部材の外周面及び上顎骨の開口部の内周面の間から液体が積極的に排出されない状態で挿入可能であることを意味する。かかる先端中空部材の骨内挿入部分は、例えば、その外径が1.0〜8.0mmであることが好ましく、2.0〜6.0mm程度であることがより好ましく、内径が0.5〜7.5mmであることが好ましく、1.5〜5.5mm程度であることがより好ましい。また、先端中空部材の外周面には、水圧により先端中空部材が開口から外れることを防止すると共に、より高い水密性を実現できることから、雄ねじが形成されていることが好ましい。このような骨の開口部に挿入するタイプの先端中空部材を備えた装置は、上顎骨が比較的厚く残存している症例のソケットリフトやサイナスリフトに適している。
【0024】
上顎骨と密着させるための密着材を保持する保持部材を備えた先端中空部材は、上顎骨に開口を形成することなく上顎洞粘膜の剥離を行うことが可能な部材であり、保持部材としては、上顎骨と密着するように密着材を保持することができるものであれば、どのような形状のものであってもよく、例えば、先端中空部材の周囲に設けられた板状部材や、先端中空部材の周囲に設けられた上方に向かって湾曲する樋状部材等を例示することができる。保持部材上に密着材を載置、充填等し、上顎骨と密着して、先端中空部材から注出される液が側方から漏れないように構成することにより、先端中空部材から注出された液体が上顎骨を通って、まず骨髄組織を押し出し、続いて液体が上顎洞粘膜まで到達して、洞粘膜を上顎骨から安全に剥離することができる。顎堤の骨が非常に薄くなっている症例では刃物で骨に開口すること自体が洞粘膜への損傷をおよぼす恐れがあるが、本発明によればその危険性を回避することができる。なお、上顎骨の顎堤側表面には多数の小孔が開いており、顎堤骨が薄い場合、顎堤側表面から上顎洞粘膜までの水圧抵抗は低く、液体は容易に上顎洞粘膜まで到達する。かかる先端中空部材の先端径は、開口部に挿入する必要がないので、開口に挿入するタイプに比べて大きいことが好ましく、例えば、内径が3.0mm以上であることが好ましく、4.0〜10.0mmであることがより好ましい。
【0025】
かかる先端中空部材の材質としては、金属、セラミックス、樹脂等を例示することができ、上顎骨に形成した開口部に挿入した際に、手で押さえて或いはねじ込むことで水密性の保持が確実にできるよう、剛性を有する材料であることが好ましい。ここで、剛性を有する材料とは、人間の手で圧力をかけても変形しない程度の剛性を有する材料をいう。また、先端中空部材は、湾曲していてもよく、その角度としては、軸方向に対して、70〜110°であることが好ましく、80〜100°であることがより好ましく、90°であることがさらに好ましい。上顎骨頬側壁骨で使用する場合等には特に有用である。
【0026】
前記柔軟性を有するチューブは、一端が前記先端中空部材に連結され、他端が前記注出手段に連結されるが、直接的に連結される場合のみならず、他の部材を介して間接的に連結される場合も含む。チューブの長さとしては、50mm以上であることが好ましく、100〜1000mmであることがより好ましく、300〜600mmであることがさらに好ましい。なお、先端中空部材、注出手段、柔軟性を有するチューブ等の構成部材は、一体のものであってもよいし、それぞれの部材を術時に連結させるものであってもよい。それぞれの部材を連結させる場合には、ねじ構造等により確実に連結させることが好ましい。
【0027】
本発明の上顎洞粘膜剥離装置を用いることにより、まず洞底骨の各所から排出される骨髄組織により洞粘膜が持ち上げられ、続いて、注入した液体により洞粘膜が持ち上げられるという、一連の処理により洞粘膜の剥離が行われるので、洞粘膜に局所的な外圧を加えることなく、洞粘膜を均一に持ち上げることが可能となる。特に洞底骨から最初に染み出す骨髄組織による洞粘膜の剥離が、安全かつ確実な洞粘膜の剥離に大きく寄与していると考えられる。また、歯が欠如している上顎骨内の体積の大半は脂肪細胞で占められ活性が非常に低い状態にあるが、注入した液体によりこの脂肪細胞が骨内から排除され、術後に血液で満たされ組織分化が始まることから、上顎骨内は非常に活性化されて新生骨が大量に形成される。この骨形成活性は、骨増殖物の補填による挙上域の骨形成にも貢献すると考えられる。このような剥離方式であると、複雑な形状の上顎洞底の場合もリスクが少なく、安全に手術を行うことができる。
【0028】
また、本発明の上顎洞粘膜剥離方法としては、上顎骨に対して先端中空部材を水密状態で接続し、該先端中空部材から液体を所定圧力で注出する方法であれば特に制限されるものではなく、上顎骨に、好ましくは直径が1.0〜8.0mm、より好ましくは直径が2.0〜6.0mmの開口(穴)を、上顎洞側に少なくとも1mm程度の厚さの骨を残して、上顎骨の厚さに応じて好ましくは1.0〜5.0mm、より好ましくは3.0〜5.0mmの深さで形成した後、該開口に先端中空部材を挿入し、該先端中空部材から液体を所定圧力で注出する方法や、上顎骨に、密着材で保持部材を介して先端中空部材を密着させ、該中空部材から液体を所定圧力で注出する方法を例示することができ、上記本発明の上顎洞粘膜剥離装置を用いることが好ましい。前者の開口を形成する方法を、外周面に雄ねじが形成された先端中空部材を用いて行う場合には、かかる先端中空部材を固定すべく、上顎骨の開口の内周面に雄ねじに対応する雌ねじを形成してもよい。後者の密着材を用いる方法を、顎堤骨が比較的厚い症例や上顎骨頬側面で適用する場合には、骨密度の高い骨表面を削除することが好ましく、これにより、水圧抵抗を低減することができる。
【0029】
用いる液体としては、生理的食塩水、患者の血漿等、薬学的に許容される液体を用いることができ、その使用量としては、顎堤側表面から流出する量にもよるが、例えば、1〜20cc程度であり、3〜15cc程度であることが好ましい。所定圧力としては、洞粘膜が剥離できる程度に術者が適宜調節することができ、例えば、1.2〜7気圧であり、1.5〜5気圧であることが好ましく、さほど大きな圧力は必要ない。
【0030】
上記各方法によって洞粘膜を剥離した後、ソケットリフトの場合には、上顎骨の開口を上顎洞まで貫通させ、その後、骨増殖物を導入しやすくするために、予定する人工歯根の太さに近い径まで開口を拡大し、骨増殖物を洞底骨と剥離された洞粘膜との間に補填することが好ましい。なお、骨増殖物を補填する前に、洞粘膜に穴が開いていないことをミラ−を用いて目視で確認すると共に、患者の鼻をつまんだ状態で息を排出させて空気が漏れてこないことを確認することが好ましい。また、洞粘膜の剥離状態を、洞粘膜を識別できるX線特性のCTや剥離部に造影剤を注入して通常のパノラマX線写真で確認することもできる。他方、狭義のサイナスリフトの場合には、上顎骨の開口を上顎洞まで貫通させた後、洞粘膜の剥離範囲を広げるために開口部からの液体の注入・排出を繰り返した後、骨増殖物の補填量が多いため、上顎洞頬側の骨に大きめの穴を開け、その穴から補填状態を確認しながら充分に補填することが好ましい。
【0031】
以下、図面を参照しつつ、本発明の上顎洞粘膜剥離装置を用いた上顎洞粘膜剥離方法について説明する。図1は、本発明の一実施形態に係る上顎洞粘膜剥離装置を用いた上顎洞粘膜剥離方法をソケットリフトに適用した場合の説明図であり、図2は、本発明の一実施形態に係る上顎洞粘膜剥離装置を用いた上顎洞粘膜剥離方法をサイナスリフトに適用した場合の説明図である。図3は、本発明の他の実施形態に係る上顎洞粘膜剥離装置を用いた上顎洞粘膜剥離方法をサイナスリフトに適用した場合の説明図であり、図4は、本発明の他の実施形態に係る上顎洞粘膜剥離装置を用いた上顎洞粘膜剥離方法をソケットリフトに適用した場合の説明図である。
【0032】
図1(A)及び図2(B)に示すように、本発明の第1の上顎洞粘膜剥離装置10は、外筒12及びピストン14を有するシリンジ16と、シリンジ16の先端に取り付けられた柔軟性を有するチューブ18と、チューブ18の他端に取り付けられた先端中空部材20とを備えている。先端中空部材20は、先端部から徐々に拡径するテーパー形状をしており、その後端部には、把持しやすいように大径部21が設けられている。また、シリンジ16内には、生理的食塩水22が収容されている。
【0033】
かかる上顎洞粘膜剥離装置10を用いて洞粘膜Aを剥離するには、まず、先端中空部の大径部21を把持して、上顎骨Bに形成した円柱状の開口Cに先端中空部材20を挿入する。先端中空部材20を、必要に応じて手で固定しつつ、シリンジ16のピストン14を押圧し、シリンジ16内の生理的食塩水22を先端中空部材20から圧入する。これにより、生理的食塩水22が上顎骨B内に連続的に導入され、まず、上顎骨内の骨髄組織が口腔側及び洞粘膜側の骨表面から流出し、続いて、生理的食塩水22が口腔側及び洞粘膜側の骨表面から流出する。これら骨髄組織及び生理的食塩水22によって、洞粘膜Aが上顎骨(洞底骨)から剥離して広範囲に持ち上げられる。このように、本発明の上顎洞粘膜剥離装置10を用いた上顎洞粘膜剥離方法では、洞粘膜Aを傷つける恐れがなく、非常に安全に手術を行うことができる。なお、注入圧は、シリンジ内の空気の体積変化から把握することができる。
【0034】
そして、ソケットリフトの場合、図1(B)に示すように、上顎骨Bの開口Cを上顎洞まで貫通させ、予定する人工歯根の太さに近い径まで開口Cを拡大し、洞底骨Bと剥離された洞粘膜Aとの間に骨増殖物24を補填する。他方、サイナスリフトの場合、骨増殖物24の補填量が多いため、図2(C)に示すように、剥離のために開けた開口Cとは別の大きめの開口Dを上顎洞頬側の骨に開け、開口C及び開口Dから骨増殖物24を補填する。
【0035】
図3に示すように、本発明の他の実施形態に係る上顎洞粘膜剥離装置は、先端中空部材26の周囲に円盤状の保持板28が設けられており、先端中空部材26から注出される液体が周囲に漏れないよう、密着材30によって上顎骨Bと密着させて用いる。通常は、図3(B)に示すように上顎骨の下面に密着するが、図3(C)に示すように上顎骨の頬側側面に密着させてもよい。上記一実施形態に係る上顎洞粘膜剥離装置を用いた場合と同様、シリンジ16内の生理的食塩水22を先端中空部材20から圧入することにより、生理的食塩水22が上顎骨B内に連続的に導入され、まず、上顎骨内の骨髄組織が洞粘膜側の骨表面から流出し、続いて、生理的食塩水22が洞粘膜側の骨表面から流出する。これら骨髄組織及び生理的食塩水22によって、洞粘膜Aが上顎骨(洞底骨)から剥離して広範囲に持ち上げられる。この他の実施形態に係る上顎洞粘膜剥離装置は、上顎骨Bが非常に薄い場合に特に有利であり、上顎骨Bに開口を形成することなく、洞粘膜Aの剥離を行うことができる。その後の骨増殖物の補填は、図2(C)に示される方式もしくは頬側の骨に開けた開口部から行われる。
【0036】
また、図4に示すように、本発明の他の実施形態に係る上顎洞粘膜剥離装置は、顎骨が比較的厚い症例のソケットリフトに対しても適用可能であり、この場合、骨密度の高い骨表面を若干削除して、生理的食塩水22を上顎骨B内に導入する。その後の骨増殖物の補填は、図1(B)に示される方式で行われる。
【実施例1】
【0037】
上顎左側第一大臼歯の欠損症の患者に対して、本発明の上顎洞粘膜剥離装置(図1(A)に示される装置)を用いて骨増幅手術(ソケットリフト)を上顎洞側で行った。図5に、患者の初診時のX線写真を示す。第一大臼歯部では、上顎洞の下方への拡大が見られると共に顎堤の上方への移動はほとんど見られず、顎堤骨の上下幅は近遠心的中央部で約4mmである。
【0038】
まず、相当部顎堤粘膜を切開剥離し、露出した骨面の近遠心的中央部に、直径約4mm、深さ2mm強の穴(開口)を開けた。その開口部に、長さ約500mmの柔軟性チューブを備えた先端の外径が約4mmの先端中空部材を圧入した後、柔軟性チューブの他端に10ccのシリンジを取り付けた。シリンジには、7ccの生理的食塩水と3ccの空気を収容した。注入圧を確認しながらシリンジを徐々に加圧すると、2〜3気圧で注入が始まり、その後は注入開始時より低い圧で容易に注入され、最終的に5cc程度の生理的食塩水を注入した。
【0039】
生理的食塩水を注入した後、骨の穴をさらに深くして洞底骨も含め除去した。この際、洞粘膜は洞底骨から剥離されているので、洞粘膜を傷つけることはない。念のため相当部洞粘膜が損傷していないことを確認した後、開口部からの生理的食塩水の注入・排出を数回繰り返した。再度洞粘膜が破れていないことを確認した後、0.5cc程度の骨増殖物を開口部から洞粘膜と洞底骨との間に充填し、さらに骨の開口部にも充填した。
【0040】
図6は、骨増幅手術後のX線写真である。図6に示されるように、骨増殖物は両隣接歯の歯根先端の高さまで充填されている。
【0041】
4ヵ月後、相当部に最大径5.0mm、長さ10mmの人工歯根を埋入した。術中、顎堤表面から10mmの深さより上方まで骨が形成されていることを確認した。人工歯根埋入に先立つ上顎洞側での骨増殖手術後の経過が順調に推移したことがわかる。なお、患者からは、骨増殖手術及び人工歯根埋入手術後の鼻からの出血はなかったとの報告があった。図7は、人工歯根埋入後のX線写真である。
【実施例2】
【0042】
上顎臼歯部の歯が広範囲に欠損している症例の患者に対して、本発明の上顎洞粘膜剥離装置(図2に示される装置及び術式)を用い、左側の欠損部位について骨増幅手術(狭義のサイナスリフト)を上顎洞側で行った。
本症例では、顎堤側から洞粘膜剥離を行うと共に上顎洞頬側の骨を開窓し、開窓部から約2ccの骨増殖物を洞底骨と洞粘膜の間に補填した。なお、顎底側からの洞粘膜の剥離は上記実施例1と同様の方法で行った。
【0043】
図8は、骨増幅手術後のX写真である。図7に示されるように、比較的薄い上顎骨の上方に大量の骨増殖物が補填されていることがわかる。また、図9は、サイナスリフトの半年後に人工歯根を埋入し、さらに1年経過したX写真である。図9に示されるように、咬合・咀嚼機能を負担する人工歯根に異常所見は見られない。
【実施例3】
【0044】
図10に示す本発明の保持部材を備えた上顎洞粘膜剥離装置を用いて、図11に示すように、切除直後の犬の上顎骨に穴を開けることなくその頬側面に生理的食塩水を圧入し、鼻腔粘膜を頬側壁骨から剥離・挙上する実験を行った。その結果を図12に示す。図12に示すように、生理的食塩水を圧入することで生理的食塩水が上顎頬側壁骨を貫通し、鼻腔粘膜が剥離・挙上されることが明らかとなった。
なお、犬の場合、頬側骨の内側に上顎洞はほとんどなく鼻腔が存在しているため鼻腔粘膜の剥離・挙上を行ったが、頬側壁骨の構造及び鼻腔粘膜の性状は、ヒトの頬側壁骨及び洞粘膜とほぼ同一であることから、本発明の装置は、ヒトの洞粘膜の剥離・挙上にも当然適用することができる。
【符号の説明】
【0045】
10 上顎洞粘膜剥離装置
12 外筒
14 ピストン
16 シリンジ
18 チューブ
20 先端中空部材
21 大径部
22 生理的食塩水
24 骨増殖物
26 先端中空部材
28 保持板
30 密着材
A 洞粘膜
B 上顎骨(洞底骨)
C 開口
D 開口

【特許請求の範囲】
【請求項1】
上顎骨に液体を圧入して、上顎骨から上顎洞粘膜を剥離する装置であって、
上顎骨に対して水密状態を形成可能な先端中空部材と、
該先端中空部材から液体を所定圧力で注出するための注出手段と、
一端が前記先端中空部材に連結されると共に他端が前記注出手段に連結される柔軟性を有するチューブと、
を備えたことを特徴とする上顎洞粘膜剥離装置。
【請求項2】
先端中空部材が、上顎骨に形成した開口部に水密状態で挿入可能な中空部材、又は上顎骨と密着させるための密着材を保持する保持部材を備えた中空部材であることを特徴とする請求項1記載の上顎洞粘膜剥離装置。
【請求項3】
注出手段が、シリンジを備えた手段であることを特徴とする請求項1又は2記載の上顎洞粘膜剥離装置。
【請求項4】
先端中空部材が、剛性を有する材料からなる部材であることを特徴とする請求項1〜3のいずれか記載の上顎洞粘膜剥離装置。
【請求項5】
先端中空部材が、先端側から徐々に拡径するテーパー部を有していることを特徴とする請求項1〜4のいずれか記載の上顎洞粘膜剥離装置。
【請求項6】
先端中空部材の外周面に、雄ねじが形成されていることを特徴とする請求項1〜5のいずれか記載の上顎洞粘膜剥離装置。
【請求項7】
保持部材が、先端中空部材の周囲に設けられた板状部材であることを特徴とする請求項2〜6のいずれか記載の上顎洞粘膜剥離装置。
【請求項8】
収容ケースに収容されていることを特徴とする請求項1〜7のいずれか記載の上顎洞粘膜剥離装置。
【請求項9】
請求項1記載の上顎洞粘膜剥離装置に用いられることを特徴とする先端中空部材。
【請求項10】
上顎骨に形成した開口部に水密状態で挿入可能な中空部材、又は上顎骨と密着させるための密着材を保持する保持部材を備えた中空部材であることを特徴とする請求項9記載の先端中空部材。

【図1】
image rotate

【図2】
image rotate

【図3】
image rotate

【図4】
image rotate

【図5】
image rotate

【図6】
image rotate

【図7】
image rotate

【図8】
image rotate

【図9】
image rotate

【図10】
image rotate

【図11】
image rotate

【図12】
image rotate

【図13】
image rotate


【公開番号】特開2011−218054(P2011−218054A)
【公開日】平成23年11月4日(2011.11.4)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−92612(P2010−92612)
【出願日】平成22年4月13日(2010.4.13)
【出願人】(510103484)医療法人社団進盛会 (1)
【Fターム(参考)】