説明

伸びおよび伸びフランジ性に優れる高強度冷延鋼板ならびにその製造方法

【課題】引張強度:1180MPa以上で、伸びおよび伸びフランジ性に優れる高強度冷延鋼板を提供する。
【解決手段】質量%で、C:0.16〜0.26%、Si:0.8〜1.8%、Mn:1.6〜2.6%、P:0.020%以下、S:0.0030%以下、Al:0.005〜0.08%、N:0.008%以下、Ti:0.001〜0.040%およびB:0.0001〜0.0020%を含有し、残部はFeおよび不可避的不純物からなる成分組成とし、かつ体積分率で、ベイナイト相および自己焼戻しマルテンサイト相の合計:70〜90%、マルテンサイト相:2〜10%および残留オーステナイト相:4〜20%を満足する組織とする。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、複雑な形状にプレス成形されることが要求される自動車部品などに供して好適な高強度冷延鋼板およびその製造方法に関し、特にNbやV,Cu,Ni,Cr,Moなどの高価な元素を積極的に添加することなしに、金属組織として、残留オーステナイトを活用し、またベイナイト相と自己焼戻しマルテンサイト相を主体としたポリゴナルフェライト相を含まない組織で、しかも焼戻しされていない硬質なマルテンサイト相の体積分率の少ない均一な組織とすることにより、伸び(El)および伸びフランジ性(通常、穴拡げ率(λ)で評価される)の向上を図ると同時に、引張強度(TS):1180MPa以上という高強度を併せて実現しようとするものである。
【背景技術】
【0002】
近年、自動車車体の軽量化による燃費向上や衝突安全性の向上を目的として引張強度(TS)が590MPa以上の鋼板の自動車車体への適用が積極的に進められているが、最近ではさらに高強度の鋼板の適用が検討されている。
従来、TS:1180MPa級以上の高強度鋼板は軽加工部品に適用されることが多かったが、最近では、より一層の衝突安全性かつ車体軽量化による燃費向上を両立させるべく、複雑形状のプレス部品への適用が検討されており、加工性に優れる鋼板に対するニーズは高い。
【0003】
しかしながら、鋼板は、一般に、高強度化に伴い加工性が低下する傾向にあることから、プレス成形時における割れの回避が高強度鋼板の適用を拡大する上で大きな課題となっている。また、特にTS:1180MPa級以上に高強度化する場合、強度確保の観点からNb,V,Cu,Ni,CrおよびMoなどの極めて高価な希少元素の積極的な添加が必要とされることが多い。
【0004】
成形性に優れた高強度冷延鋼板に関する従来技術として、例えば特許文献1〜4に、伸びフランジ性に優れる高強度冷延鋼板を得る技術が開示されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【特許文献1】特開2004−332100号公報
【特許文献2】特開2005−298964号公報
【特許文献3】特開2005−179703号公報
【特許文献4】特開2011−157583号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
しかしながら、特許文献1に記載の技術は、Cu、Ni、Cr、Mo、Nbなどの高価な元素を必須としているため、高コストである。また、残留オーステナイトを含まない単相組織であるため、高い穴拡げ率は得られているが、高伸び(El)化に関する知見はない。
特許文献2は、高価なMoを必須とし、フェライト相を主相とした伸びフランジ性に優れる鋼板について開示されている。しかしながら、伸び(El)のレベルが不十分なだけでなく、TS:1180MPa以上では十分な伸びフランジ性は得られてなく、また伸び−伸びフランジ性バランスの向上に関する知見はない。
特許文献3は、オーステナイト安定化元素として高価なNiやCu等を必須とする不利がある。また、残留オーステナイト相を活用してTS:780〜980MPaレベルで高いElを達成する知見は開示されているが、C量の多いTS:1180MPa以上で十分な伸びフランジ性は得られてなく、さらに曲げ性の向上に関する知見はない。
特許文献4は、高温域生成ベイナイト相、低温域生成ベイナイト相および焼戻しマルテンサイト相を主相とした伸びフランジ性に優れる鋼板について開示されている。また、残留オーステナイト相を活用してTS:980〜1270MPaレベルで高いElを達成する知見が開示されている。しかしながら、特許文献4の技術は、組織の均一化を指向するものではなく、強度レベルの異なる複数の組織を必須とするものである。従って、加熱、冷却後の保持工程で、ステップ時間が必要な2段階冷却、または広い温度域にわたる徐冷処理が必要であるため、複数の温度保持設備を必要とするなど高コスト化が懸念される。また、ヒートパターンの高精度制御を必要とするのであるが、実際にはズレが生じ易く、かようなズレが生じた場合には、目標とする複数組織からのバラツキ、ひいてはこれに起因した材質のバラツキが懸念される。
【0007】
本発明は、上記の問題を有利に解決するもので、高価な合金元素であるNbやV,Cu,Ni,Cr,Moを含有させることなく、金属組織の調整によって伸びおよび伸びフランジ性を向上させた高強度冷延鋼板を、その有利な製造方法と共に提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
さて、発明者らは、上記の課題を解決すべく鋭意研究した結果、加工性、溶接性の観点から高価な希少金属を含有させなくても、金属組織中、特にオーステナイトから変態生成するベイナイト相の体積分率および自己焼鈍により軟質化した自己焼戻しマルテンサイト相の体積分率、さらには残留オーステナイト相および自己焼戻しされていないマルテンサイト相の体積分率を厳密に制御することにより、伸びおよび伸びフランジ性の向上と共に、引張強度(TS):1180MPa以上の高強度化が達成できることの知見を得た。
本発明は、上記の知見に立脚するものである。
【0009】
すなわち、本発明の要旨構成は次のとおりである。
1.質量%で、
C:0.16〜0.26%、
Si:0.8〜1.8%、
Mn:1.6〜2.6%、
P:0.020%以下、
S:0.0030%以下、
Al:0.005〜0.08%、
N:0.008%以下、
Ti:0.001〜0.040%および
B:0.0001〜0.0020%
を含有し、残部はFeおよび不可避的不純物からなる成分組成を有し、体積分率で、
ベイナイト相および自己焼戻しマルテンサイト相の合計:70〜90%、
マルテンサイト相:2〜10%および
残留オーステナイト相:4〜20%
を含む組織からなることを特徴とする、伸びおよび伸びフランジ性に優れる高強度冷延鋼板。
【0010】
2.前記鋼板が、質量%でさらに、
Sb:0.0001〜0.1%
を含有することを特徴とする、前記1に記載の伸びおよび伸びフランジ性に優れる高強度冷延鋼板。
【0011】
3.前記1又は2に記載の成分組成からなる鋼スラブを、熱間圧延後、冷間圧延を行ったのち、T1およびT2を下記式(1),(2)で示される温度とするとき、焼鈍温度:(T1+40℃)〜(T1+140℃)で焼鈍後、冷却速度:20〜120℃/秒の速度で冷却停止温度:(T2−50℃)〜450℃まで冷却し、ついでこの温度域に100〜1000秒保持することを特徴とする、伸びおよび伸びフランジ性に優れる高強度冷延鋼板の製造方法。

1=910−203([%C])1/2+44.7[%Si]−30[%Mn]+700[%P] --- (1)
2=561−474[%C]−33[%Mn] --- (2)
ここで、[%M]はM元素の含有量(質量%)
【発明の効果】
【0012】
本発明によれば、高価な合金元素を含有させることなしに、伸びおよび伸びフランジ性に優れ、しかも引張強度が1180MPa以上の高強度冷延鋼板を得ることができる。そして、本発明により得られる高強度冷延鋼板は、特に厳しい形状にプレス成形される自動車部品として好適である。
【図面の簡単な説明】
【0013】
【図1】本発明に従う、焼鈍・冷却後の保持工程におけるヒートパターンを例示した模式図である。
【発明を実施するための形態】
【0014】
以下、本発明を具体的に説明する。
さて、発明者らは、高強度冷延鋼板の加工性とくに伸びおよび伸びフランジ性の向上に関し、鋭意検討を重ねた結果、Nb,V,Cu,Ni,Cr,Moを含有しない成分系においても、ベイナイト相および自己焼戻しマルテンサイト相の合計の体積分率が70〜90%、自己焼戻しされていないマルテンサイト相の体積分率が2〜10%および残留オーステナイト相の体積分率が4〜20%を満たすように組織調整することにより、所期した目的が有利に達成されることを見出し、本発明を完成させたのである。
以下、本発明の成分組成および組織の限定理由について具体的に説明する。なお、鋼板中の元素の含有量の単位は何れも「質量%」であるが、以下、特に断らない限り単に「%」で示す。
【0015】
まず、本発明における鋼の成分組成の適正範囲およびその限定理由は以下のとおりである。
C:0.16〜0.26%
オーステナイトから低温で変態するベイナイト相およびマルテンサイト相(以下、単に低温変態相という。)の強度はC量に比例する傾向にあり、Cは低温変態相を利用して鋼を強化するために必要不可欠な元素である。ここに、C量が0.16%未満では必要な体積分率の低温変態相を得るのが難しく、一方0.26%を超えるとスポット溶接性が著しく劣化するだけでなく、低温変態相が過度に硬質化して成形性、特に伸びフランジ性の低下を招く。従って、C量は0.16〜0.26%の範囲とする。
【0016】
Si:0.8〜1.8%
Siは、固溶強化により強度向上に寄与するだけでなく、オーステナイト中へのC濃化を促進させ、残留オーステナイトを安定化するのに重要な元素である。上記作用を得るには0.8%以上含有させる必要があるが、1.8%を超えて添加するとその効果が飽和するばかりでなく、鋼板が脆くなって割れが生じ、成形性が低下する。また、過度に含有させると、熱延時に難剥離性のスケールが生成して鋼板の表面性状が劣化し、加えて鋼板表面や結晶粒界などに偏析、濃化することにより材質の劣化を招く。従って、Si量は0.8〜1.8%の範囲とする。好ましくは1.0〜1.6%の範囲である。
【0017】
Mn:1.6〜2.6%
Mnは、焼入れ性を向上させる元素であり、強度に寄与する低温変態相の確保を容易にする作用がある。上記作用を得るには1.6%以上含有させる必要がある。一方、2.6%を超えて含有させると過度に硬質化し、熱間での延性が不足し、スラブ割れが生じるおそれがある。また、Mnの偏析などに起因して部分的に変態点が異なる組織となり、結果としてフェライト相とマルテンサイト相がバンド状で存在する不均一化な組織となり、加工性の低下を招く。さらに、鋼板表面や結晶粒界などに偏析、濃化することにより材質を劣化させる。そのため、Mn量は1.6〜2.6%の範囲とする。
また、Siが鋼板表面や結晶粒界などに偏析、濃化することを低減し、材質の劣化を抑制するには、Si/Mn比を0.75以下とすることが好ましい。
【0018】
P:0.020%以下
Pは、強度に寄与する元素であるが、一方でスポット溶接性に悪影響を及ぼすため、極力低減することが好ましいが、0.020%までは許容できる。このためP量は0.020%以下とする。なお、P量を過度に低減することは製鋼工程での生産能率が低下し、高コストとなるため、P量の下限は0.001%程度とすることが好ましい。
【0019】
S:0.0030%以下
S量が増加すると熱間赤熱脆性の原因となって製造工程上不具合を生じるだけでなく、MnSなどの硫化物系介在物を形成し、このMnSが冷間圧延により展伸し、板状の介在物として存在することにより、変形時の割れの起点となり、特に材料の極限変形能を低下させるため、Sは極力低減することが望ましいが、0.0030%までは許容できる。このためS量は0.0030%以下とする。なお、S量の過度の低減は工業的に困難であり、製鋼工程における脱硫コストの増加を招くので、S量の下限は0.0001%程度とすることが好ましい。
【0020】
Al:0.005〜0.08%
Alは、製鋼工程において脱酸剤として有効であり、局部延性を低下させる非金属介在物をスラグ中に分離する点でも有用である。また、炭化物の生成を抑制し、残留オーステナイト相を生成させるのに有効であり、さらに強度−伸びバランスを向上させる上でも有用な元素である。上記の目的を達成するには0.005%以上の添加が必要であるが、0.08%を超えて含有されると、アルミナなどの介在物増加による加工性の劣化という問題が生じる。従って、Al量は0.005〜0.08%の範囲とする。好ましくは0.02〜0.06%の範囲である。
【0021】
N:0.008%以下
組織強化鋼において材料特性に及ぼすNの影響はあまり大きくはないが、0.008%以下であれば本発明の効果を損なわず、しかもフェライトの清浄化による加工性向上の観点からもN量は少ないほうが好ましい。また、Nは、耐時効性を劣化させる元素であり、N量が0.008%を超えると耐時効性の劣化が顕著になる。さらに、Bを含有する場合、Bと結合しBNを形成してBを消費し、固溶Bによる焼入れ性を低下させ、所定の体積分率の低温変態相を確保することが困難となる。従って、N量は低いほうが好ましいが、0.008%までは許容できる。このためN量は0.008%以下とする。なお、N量の過度の低減は製鋼工程における脱窒コストの増加を招くので、N量の下限は0.0001%程度とすることが好ましい。
【0022】
Ti:0.001〜0.040%
Tiは、鋼中で炭窒化物や硫化物を形成することにより、熱延板組織ならびに焼鈍後の鋼板組織の細粒化および析出強化による強度向上に有効に寄与する。また、Bを添加する場合、NをTiNとして固定することによりBNの形成を抑制し、Bによる焼入れ性を発現させる上でも有効な元素である。これらの効果を得るには0.001%以上含有させる必要があるが、Ti量が0.040%を超えると、フェライト相中に過度に析出物が生成し、過度の析出強化により、伸びの低下を招く。従って、Ti量は0.001〜0.040%の範囲とする。好ましくは0.010〜0.030%の範囲である。
【0023】
B:0.0001〜0.0020%
Bは、焼入れ性を高めて焼鈍冷却過程で起こるフェライトの生成を抑制し、所望のベイナイト相、自己焼戻しマルテンサイト相、マルテンサイト相および残留オーステナイト相を確保するのに有効に寄与し、優れた強度−伸びバランスを得るために有用な元素である。この効果を得るためには、Bを0.0001%以上含有させる必要があるが、B量が0.0020%を超えると、上記の効果は飽和する。従って、B量は0.0001〜0.0020%の範囲とする。
【0024】
以上、基本成分について説明したが、本発明では、さらにSbを以下に述べる範囲で含有させることもできる。
Sb:0.0001〜0.1%
Sbは、昇温加熱、均熱焼鈍など熱処理中の鋼板内部からの脱炭を抑制する効果がある。かような脱炭が生じると表層が粗大フェライトとなり、成形後の肌荒れや表面性状の不良の原因となり、また過度に脱炭されると強度(TS)が不足する原因となる。特にSbは、本発明のようにC含有量が0.15%を超える場合、および焼鈍温度が(T1+40℃)〜(T1+140℃)と極めて高温の場合に脱炭抑制効果が顕著となる(Tの定義については、後に述べる)。これら効果を得るためには、Sb量は0.0001%以上の添加を必要とするが、Sb量が0.1%を超えると、上記効果は飽和する。従って、Sb量は0.0001〜0.1%の範囲とする。
【0025】
なお、本発明の鋼板において、上記以外の成分はFeおよび不可避的不純物である。ただし、本発明の効果を損なわない範囲内であれば、上記以外の成分の含有を拒むものではない。
【0026】
次に、本発明にとって重要な要件の一つである鋼組織の適正範囲およびその限定理由について説明する。
本発明では、オーステナイト単相域から急冷し、転位密度の低いポリゴナルフェライトの生成を極力抑制し、好ましくはマルテンサイト変態開始温度(Ms点)以下まで冷却してマルテンサイト相を生成させ、引き続きMs点以下で保持することによりマルテンサイトの一部を自己焼戻しマルテンサイト相にすると共に、オーステナイト相からベイナイト変態を進行させ、オーステナイト相へのC濃化を促進させ、引き続き保持後に室温まで冷却して、最終的に残留オーステナイト相を所定量確保する。加えて、保持後の冷却過程において生成する硬質なマルテンサイト量を調整することにより、ベイナイト相および自己焼戻しマルテンサイト相が主体でありながら、高い伸び、さらには高い伸びフランジ性を達成している。
【0027】
ベイナイト相および自己焼戻しマルテンサイト相の合計体積分率:70〜90%
ベイナイト相は、同じくオーステナイトからの低温変態相であるマルテンサイト相よりも高温で変態し、マルテンサイト相より軟質である。従って、強度を確保しつつ伸びフランジ性および曲げ性を確保することができ、またベイナイト変態を進行させることによりオーステナイト相中へのC濃化が促進され、最終的に伸びに寄与する残留オーステナイト相を所定量確保することが可能となる。
また、硬質なマルテンサイト相を自己焼戻しして得られる自己焼戻しマルテンサイト相は強度の向上に寄与する。所望のTSを確保するには、ベイナイト相と自己焼戻しマルテンサイト相の合計体積分率を70%以上とする必要がある。しかしながら、ベイナイト相と自己焼戻しマルテンサイト相の合計体積分率が過度に多い場合には過度に高強度化するだけでなく、所定量の残留オーステナイトを確保することが困難となって伸びが低下するため、ベイナイト相と自己焼戻しマルテンサイト相の合計体積分率は90%以下にする必要がある。なお、自己焼戻しマルテンサイト相は、相内に炭化物が析出しているので、焼戻しされていないマルテンサイト相と識別することができる。
ベイナイト相と自己焼戻しマルテンサイト相の両者を、合計体積分率:70〜90%の範囲で含有する組織とすることで、強度、伸びおよび伸びフランジ性が良好な材質バランスを得ることができる。
なお、ベイナイト変態の進行に伴うオーステナイト中へのC濃化を通じ、所望量の残留オーステナイト相を得ることにより達成される高伸び化には、組織の均一化も寄与しており、この均一な組織を得るには、冷却後の保持温度および保持時間を制御する必要がある。
また、複数の構成相の存在や組織の不均一化に起因する破断位置の不安定化(JIS Z 2241で規定する破断伸びの測定におけるB部又はC部での破断)を回避し、安定的に高い伸びを得るには、ベイナイト変態温度域で等温保持して均一な組織とし、複数の構成相を生成させないことが好ましい。
【0028】
マルテンサイト相の体積分率:2〜10%
冷却後の保持工程を経たのち、室温まで冷却する過程で生成するマルテンサイト相は焼戻しされてなく極めて硬質化しているので、TSの向上に寄与する。かかる効果を得るためには2%以上のマルテンサイト相を必要とするが、一方で10%を超えて存在すると硬質なマルテンサイト相と他の相の界面が成形時にボイド発生や割れの起点となるため、伸びフランジ性に悪影響を及ぼす。従って、マルテンサイト相の体積分率は2〜10%の範囲とする。
【0029】
残留オーステナイト相の体積分率:4〜20%
残留オーステナイト相は、歪誘起変態すなわち材料が変形する場合に歪を受けた部分がマルテンサイト相に変態することで、変形部が硬質化し、歪の集中を防ぐことにより延性を向上させる効果があり、高延性化のためには4%以上の残留オーステナイト相を含有させる必要がある。しかしながら、残留オーステナイト相はC濃度が高く硬質なため、鋼板中に20%を超えて過度に存在すると、局所的に硬質な部分が存在するようになり、伸びフランジ成形時の材料の均一な変形を阻害する要因となることから、優れた伸びおよび伸びフランジ性を確保することが困難となる。特に伸びフランジ性の観点からは、残留オーステナイトは少ないほうが好ましい。よって、残留オーステナイト相の体積分率は4〜20%の範囲とする。
上記した相以外の残部として、不可避的に生成されるフェライト相などが認められることがあるが、このような不可避的に生成される相の合計が体積分率で3%未満であれば、本発明の効果に影響はない。
【0030】
次に、本発明の高強度冷延鋼板の製造条件およびその限定理由について説明する。
本発明において、熱間仕上げ圧延前の工程に関しては常法に従って行えばよく、例えば、上記の成分組成範囲に調製した鋼を溶製、鋳造して得られた鋼スラブを用いることができる。また、本発明においては、連続鋳造スラブ、造塊−分塊スラブは勿論のこと、厚み:50〜100mm程度の薄スラブを用いることができ、特に薄スラブの場合は、再加熱なしに直接熱間圧延工程に供することができる。
【0031】
熱間圧延についても特に制限はなく、従来公知の方法に従って行えばよい。好適条件を述べると次のとおりである。
熱間圧延時の加熱温度は1100℃以上にすることが好ましい。スケール生成を軽減、燃料原単位の低減の観点から上限は1300℃とすることが好ましい。熱間圧延における仕上げ温度は、フェライト相とパーライト相の層状組織を回避すべく、850℃以上とするのが好ましい。また、スケール生成の軽減、結晶粒径粗大化の抑制による組織の微細均一化の観点から上限は950℃とするのが好ましい。
熱間圧延終了後の巻取り温度は、冷間圧延性、表面性状の観点から450〜600℃とするのが好ましく、巻取り後の鋼板は、常法に従い酸洗後、冷間圧延工程を経て次の工程に供される。
【0032】
ついで、焼鈍を施すが、本発明では、この焼鈍工程以降が重要である。
焼鈍温度:(T1+40℃)〜(T1+140℃)
但し、T1は、次式(1)
1=910−203([%C])1/2+44.7[%Si]−30[%Mn]+700[%P] --- (1)
ここで、[%M]はM元素の含有量(質量%)
で示される値であり、「レスリー鉄鋼材料学」(丸善株式会社、1985年、p.273)にて示されるAc3点(℃)を求める式に基づき、本発明において影響が大きい元素について求めたオーステナイト単相となる温度である。
低転位密度のポリゴナルフェライトの生成を抑制するためには、オーステナイト単相の高温焼鈍によりオーステナイト粒径を粗大化し、フェライトの生成サイトを減らしておくことが重要であり、焼鈍温度が(T1+40℃)以上であれば、ガスジェット冷却で得られる冷却速度レベルにおいてもフェライトの生成が抑制される。また、焼鈍温度が(T1+40℃)より低い場合、冷却中にフェライト相が生成し、最終的に得られる組織におけるフェライト相の体積分率が多くなって、TS:1180MPaの確保が困難となる。さらに、冷却中にオーステナイト相へのC濃化が促進され、ベイナイト相、自己焼戻しマルテンサイト相およびマルテンサイト相が過度に硬質化して、伸びフランジ性が低下する。一方、焼鈍温度の上限はとくに限定されるものではないが、高コスト、加熱炉の損傷などの観点から(T1+140℃)とした。
【0033】
冷却速度:20〜120℃/秒
焼鈍後の冷却速度は所望量のベイナイト相、自己焼戻しマルテンサイト相およびマルテンサイト相を得るために重要である。この冷却速度が平均で20℃/秒未満の場合、ポリゴナルフェライト相が生成し、所定のベイナイト相、焼戻しマルテンサイト相およびマルテンサイト相の確保が困難となり、軟質化するため、強度の確保が困難となる。一方、冷却速度が平均で120℃/秒を超えても材質上は問題ないが、冷却停止温度域での過冷却などの制御性の観点から、上限を120℃/秒とした。
なお、この場合の冷却は、ガス冷却とすることが好ましいが、その他、炉冷、ミスト冷却、ロール冷却および水冷などの方法を用いることができ、またはそれらを組み合わせて使用することも可能である。
【0034】
冷却停止温度:(T2−50℃)〜450℃
但し、T2は、次式(2)
2=561−474[%C]−33[%Mn] --- (2)
ここで、[%M]はM元素の含有量(質量%)
で示される値であり、「レスリー鉄鋼材料学」(丸善株式会社、1985年、p.231)にて示されるMs点(℃)を求める式に基づき、本発明において影響が大きい元素について求めたマルテンサイト変態開始温度を示す値である。
冷却停止温度が(T2−50℃)を下回る場合、マルテンサイト変態開始温度に対し過度に低温まで冷却することになるため、冷却停止時に過度のマルテンサイト相すなわち保持後の自己焼戻しマルテンサイト相の体積分率が過剰に生成するだけでなく、未変態のオーステナイト相の体積分率が減少するため、保持中のベイナイト変態の進行に伴う残留オーステナイト相の体積分率を所望量確保することが困難となり、伸びの確保が困難となる。一方、冷却停止温度が450℃超の場合、ベイナイト変態の開始、終了が長時間側となり、ベイナイト変態進行に伴う残留オーステナイトの生成が遅延し、所望の体積分率確保が困難となり、優れた延性を得ることが困難となる。また、未変態のオーステナイト相が保持後の冷却過程においてマルテンサイト相へ変態するため過度に高強度化し、伸び、伸びフランジ性が低下する。焼戻しマルテンサイト相とベイナイト相を主体とし、マルテンサイト相および残留オーステナイト相の存在比率を制御し、TS:1180MPa級以上の強度を確保すると共に、伸びおよび伸びフランジ性をバランス良く得るためには、冷却停止温度は(T2−50℃)〜450℃の範囲とする必要がある。
なお、冷却停止温度が高い場合、ベイナイト変態の開始、終了温度が長時間側となり、また冷却停止直後はオーステナイト相が未変態のままであることから、より一層ベイナイト変態を促進させ、残留オーステナイト相を安定して確保することにより、良好な伸びを得るには、冷却停止温度は400℃以下とすることが好ましい。
また、冷却停止温度が低くなりすぎた場合には、硬質なマルテンサイト相の体積分率が増加し、所望のベイナイト相、残留オーステナイト相が得られず、良好な伸びを得ることが困難となるので、冷却停止温度は(T2−30℃)以上とすることが好ましい。
【0035】
保持時間:100〜1000秒
上記の冷却後、上記した冷却停止温度域(保持温度域でもある)で保持するが、この温度域での保持時間が100秒に満たない場合、保持中のベイナイト変態の進行に伴うオーステナイト相へのC濃化が進行する時間が不十分となり、最終的に所望の残留オーステナイト体積分率を得ることが難しく、また保持終了後の冷却過程において未変態のオーステナイトから過度にマルテンサイト相が生成して高強度化し、伸びおよび伸びフランジ性が低下する。一方、1000秒を超えて保持しても残留オーステナイト量は増加せず、伸びの顕著な向上は認められない。従って、保持時間は100〜1000秒の範囲とする。特に、より一層ベイナイト変態を促進させ、残留オーステナイト相を安定して確保することにより、良好な伸びを得るには、保持時間は長いほうが好ましく、保持時間は150〜1000秒の範囲とすることが好ましい。
ここに、保持温度が(T2−50℃)〜450℃の温度範囲であれば、図1(a)、(b)にそれぞれ示すように、冷却停止温度と同じであっても、冷却停止温度より低くても構わないが、冷却停止温度よりも低い温度で保持する場合には、冷却停止温度と保持温度との温度差は40℃未満とすることが好ましい。
なお、ベイナイト変態を促進させ、残留オーステナイト相を安定して確保し、良好な伸びを得る観点からは、保持温度を変化させるステップ冷却ではなく、図1(a)、(b)に示したような、保持温度を一定に制御する等温保持とすることが好ましい。
また、冷却停止後の鋼板を上記保持温度域に保持する手段としては、例えば、焼鈍後の冷却設備の下流工程に保温装置等を設けて、鋼板の温度を上記保持温度に調整する手段等が挙げられる。さらに、保持後の鋼板は、従来公知の任意の方法により所望の温度に冷却される。
【0036】
上記のようにして得られた冷延鋼板に、形状矯正や表面粗度調整の目的から調質圧延(スキンパス圧延)を行ってもかまわないが、過度にスキンパス圧延をすると鋼板に歪が導入されるため、結晶粒が展伸されて圧延加工組織となり、延性が低下するおそれがある。そのため、スキンパス圧延の圧下率は0.05%以上0.5%以下程度とすることが好ましい。
【実施例1】
【0037】
表1に示す成分組成になる鋼を溶製してスラブとし、1250℃に加熱後、仕上げ圧延機出側温度:910℃で熱間圧延を施し、圧延終了後、80℃/秒の速度で冷却して、450℃で巻取り、ついで塩酸酸洗後、冷間圧延を施して板厚:1.6mmの冷延鋼板に仕上げたのち、表2に示す条件で焼鈍処理を施した。
得られた冷延鋼板について、以下に示す材料試験により材料特性を調査した。
得られた結果を表3に示す。
【0038】
(1)鋼板の組織
圧延方向断面で、板厚の1/4位置の面を走査型電子顕微鏡(SEM)で観察することにより調査した。観察はN=5(観察視野5箇所)で実施した。炭化物が生成しているベイナイト相および自己焼戻して炭化物が生成している自己焼戻しマルテンサイト相の合計体積分率とマルテンサイト相の体積分率は、倍率:2000倍の断面組織写真を用い、画像解析により、任意に設定した50μm×50μm四方の正方形領域内に存在する各相の占有面積を求め、これを各相の体積分率とした。
残留オーステナイト相の量は、MoのKα線を用いてX線回折法により求めた。すなわち、鋼板の板厚1/4付近の面を測定面とする試験片を使用し、オーステナイト相の(211)面および(220)面とフェライト相の(200)面および(220)面のピーク強度から残留オーステナイト相の体積率を算出した。
マルテンサイト相の判定はSEM観察により行い、比較的平滑な表面を有し塊状な形状として観察された組織が残留オーステナイト相を含むマルテンサイト相となると見做して判定した。ベイナイト相と自己焼戻しマルテンサイト相はどちらもフェライト中の炭化物が生成した組織となっており、特性上区別する必要はないが、組織上の特徴としては、炭化物が微細な点状または球状に観察される組織を自己焼戻しマルテンサイト相とし、その他をベイナイト相とした。
各相の体積分率は、最初にベイナイト相と自己焼戻しマルテンサイト相の合計と残留オーステナイト相を含むマルテンサイト相の2つに区別し、次にX線により残留オーステナイトの体積分率を決定し、ついで残留オーステナイト相を含むマルテンサイト相から残留オーステナイト相の体積分率の差分をマルテンサイトと判断した。
【0039】
(2)引張特性
圧延方向と90°の方向を長手方向(引張方向)とするJIS Z 2201に記載の5号試験片を用い、JIS Z 2241に準拠した引張試験を行って評価した。なお、引張特性の評価基準はTS×El≧20000MPa・%以上(TS:引張強度(MPa)、El:全伸び(%))を良好とした。
【0040】
(3)穴拡げ率
日本鉄鋼連盟規格JFST1001に基づき実施した。初期直径d0=10mmの穴を打抜き、頂角:60°の円錐ポンチを上昇させて穴を拡げた際に、亀裂が板厚を貫通したところでポンチの上昇を停止して、亀裂貫通後の打抜き穴径dを測定し、次式
穴拡げ率(%)=((d−d0)/d0)× 100
で算出した。同一番号の鋼板について3回試験を実施し、穴拡げ率の平均値(λ)を求めた。なお、伸びフランジ性(TS×λ)の評価基準はTS×λ≧36000MPa・%以上を良好とした。
【0041】
【表1】

【0042】
【表2】

【0043】
【表3】

【0044】
表3から明らかなように、No.1〜5の発明例はいずれも、TS≧1180MPaで、かつTS×El≧20000MPa・%以上、TS×λ≧40000MPa・%を満足する伸びおよび伸びフランジ性に優れた高強度冷延鋼板が得られている。
これに対し、鋼成分が本発明の適正範囲外であるNo.6は、マルテンサイト相の体積分率が多く、伸びフランジ性に劣り、溶接性も良好ではなかった。
焼鈍温度が低いNo.7および冷却速度が遅いNo.8はいずれも、ベイナイト相および自己焼き戻しマルテンサイト相の合計量が少なく、またフェライト相が生成し、いずれもTS:1180MPaを満足していない。
冷却停止温度が低いNo.9および保持温度が低いNo.11はいずれも、ベイナイト相および自己焼戻しマルテンサイト相の合計量が多く、また残留オーステナイト量が少ないため、伸びひいてはTS×Elバランスに劣る。
冷却停止温度が高いNo.10、保持温度が高いNo.12および保持時間が短いNo.13はいずれも、硬質なマルテンサイト相の体積分率が多すぎるため、強度が過度に高く、伸びおよび伸びフランジ性に劣る。
【産業上の利用可能性】
【0045】
本発明に従い、鋼板中にNbやV,Cu,Ni,Cr,Moなどの高価な元素を積極的に含有させずとも、ベイナイト相、マルテンサイト相および残留オーステナイト相各々の体積分率を適正に制御することにより、安価でかつ優れた伸びおよび伸びフランジ性を有し、しかも引張強度(TS)が1180MPa以上の高強度冷延鋼板を得ることができる。また、本発明の高強度冷延鋼板は、自動車部品として好適であり、それ以外にも、建築および家電分野など厳しい寸法精度、加工性が必要とされる用途にも有用である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
質量%で、
C:0.16〜0.26%、
Si:0.8〜1.8%、
Mn:1.6〜2.6%、
P:0.020%以下、
S:0.0030%以下、
Al:0.005〜0.08%、
N:0.008%以下、
Ti:0.001〜0.040%および
B:0.0001〜0.0020%
を含有し、残部はFeおよび不可避的不純物からなる成分組成を有し、体積分率で、
ベイナイト相および自己焼戻しマルテンサイト相の合計:70〜90%、
マルテンサイト相:2〜10%および
残留オーステナイト相:4〜20%
を含む組織からなることを特徴とする、伸びおよび伸びフランジ性に優れる高強度冷延鋼板。
【請求項2】
前記鋼板が、質量%でさらに、
Sb:0.0001〜0.1%
を含有することを特徴とする、請求項1に記載の伸びおよび伸びフランジ性に優れる高強度冷延鋼板。
【請求項3】
請求項1又は2に記載の成分組成からなる鋼スラブを、熱間圧延後、冷間圧延を行ったのち、T1およびT2を下記式(1),(2)で示される温度とするとき、焼鈍温度:(T1+40℃)〜(T1+140℃)で焼鈍後、冷却速度:20〜120℃/秒の速度で冷却停止温度:(T2−50℃)〜450℃まで冷却し、ついでこの温度域に100〜1000秒保持することを特徴とする、伸びおよび伸びフランジ性に優れる高強度冷延鋼板の製造方法。

1=910−203([%C])1/2+44.7[%Si]−30[%Mn]+700[%P] --- (1)
2=561−474[%C]−33[%Mn] --- (2)
ここで、[%M]はM元素の含有量(質量%)

【図1】
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【公開番号】特開2013−60657(P2013−60657A)
【公開日】平成25年4月4日(2013.4.4)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2012−168386(P2012−168386)
【出願日】平成24年7月30日(2012.7.30)
【出願人】(000001258)JFEスチール株式会社 (8,589)
【Fターム(参考)】