分子メモリ及び分子論理回路
【課題】 高い特異性・多様性を有する情報インプット様式のみならず、インプット情報の記憶を可能にする分子メモリ及び分子論理回路を提供する。
【解決手段】 分子中に第1のアミノ酸残基と第2のアミノ酸残基とフォトクロミック化合物とを結合してなるペプチド誘導体と、上記第1及び第2のアミノ酸残基に共有結合して電荷の変化をもたらす化合物の供給源となる物質と、静電的相互作用によりペプチド誘導体との複合体を形成すると上記フォトクロミック化合物の異性化を抑制するイオン性物質と、を溶液に含有する。
【解決手段】 分子中に第1のアミノ酸残基と第2のアミノ酸残基とフォトクロミック化合物とを結合してなるペプチド誘導体と、上記第1及び第2のアミノ酸残基に共有結合して電荷の変化をもたらす化合物の供給源となる物質と、静電的相互作用によりペプチド誘導体との複合体を形成すると上記フォトクロミック化合物の異性化を抑制するイオン性物質と、を溶液に含有する。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、高い特異性・多様性を有する情報インプット様式のみならず、インプット情報の記憶を可能にする分子メモリ及び分子論理回路に関する。
【背景技術】
【0002】
20世紀はコンピュータの普及が著しい時代であった。コンピュータが行う様々な計算や判断及び記憶は、「論理回路」によって実行されている。現在汎用されているシリコン型コンピュータの高密度集積化微細加工技術開発(トップダウンアプローチ)の物理的限界はそう遠くないと考えられている。
【0003】
一方、ナノメートルスケールの分子を自己組織化的に基板上に配置することで、従来のものより微小化及び省エネルギ化が可能な分子デバイスの構築(ボトムアップアプローチ)が盛んに行われている。
【0004】
開発対象となる基本的な論理回路には以下の3つが挙げられる。図13の真偽表のように演算を行う、1つ目は、「AかつB」を表す「ANDゲート」、2つ目は、「A又はB」を表す「ORゲート」、3つ目は「Aでない」を表す「NOTゲート」である。これらの組合せによって複雑な演算や判断を行うことができる。
【0005】
これまで、蛍光色素にプロトン(水素イオン)受容体分子やナトリウムイオン、亜鉛イオン、銅イオン、ニッケルイオンなど金属イオン受容体分子を複数種組み合わせて連結することで、それぞれの受容体が特定のリガンドと結合したときのみ強い蛍光シグナルが得られる分子論理回路が報告されている(非特許文献1−9)。
【0006】
図14〜16に従来の化学インプットによるAND型分子論理回路構築例を示す。図14は蛍光基−アクセプタ複合化による基本的な分子論理回路の模式図である。中心のFluorophore(蛍光物質)にはアントラセンが用いられている。receptor(受容体)−1にはベンゾクラウンエーテルが用いられ、ナトリウムイオンなどを選択的に結合する。receptor−2には第三級アミンが用いられ、プロトンを選択的に結合してアンモニウムになる。2つのreceptorにナトリウムイオンとプロトンとが結合していない状態では蛍光強度は弱いかほとんど検出されないことが必須である。
【0007】
図15はナトリウムイオンとプロトンの共存によって蛍光強度が増大するAND型論理回路の模式図である。第三級アミンを例に挙げると、第三級アミンの不対電子が移動してアントラセンの励起状態を解消させるため、第三級アミンとプロトンとが結合することで、不対電子の移動によるアントラセンの消光を解消するようになっている。
【0008】
図16はナトリウムイオン、プロトン及び亜鉛イオンの共存によって蛍光強度が増大するAND型論理回路の模式図である。3つのreceptorにナトリウムイオン、プロトン及び亜鉛イオンが結合することで、アントラセンの消光を解消するようになっている。
【0009】
【非特許文献1】Raymo, F. M. Adv. Mater. 2002, 14, 401.
【非特許文献2】De Silva, A. P.; McClenaghan, N. D. Chem. Eur. J. 2004, 10, 574.
【非特許文献3】Uchiyama, S.; Kawai, N.; de Silva, A. P.; Iwai, K. J. Am. Chem. Soc. 2004, 126, 3032.
【非特許文献4】Okamoto, A.; Tanaka, K.; Saito, I. J. Am. Chem. Soc. 2004, 126, 9458.
【非特許文献5】Margulies, D.; Melman, G.; Felder, C. E.; Arad-Yellin, R.; Shanzer, A. J. Am. Chem. Soc. 2004, 126, 15400.
【非特許文献6】Margulies, D.; Melman, G.; Shanzer, A. Nat. Mater. 2005, 4, 768.
【非特許文献7】Uchiyama, S.; McClean, G. D.; Iwai, K.; de Silva, A. P. J. Am. Chem. Soc. 2005, 127, 8920.
【非特許文献8】Szacilowski, K.; Macyk, W.; Stochel, G. J. Am. Chem. Soc. 2006, 10.1021/ja060694.
【非特許文献9】Magri, D. C.; Brown, G. J.; McClean, G. D.; de Silva, A. P. J. Am. Chem. Soc. 2006, 10.1021/ja058295.
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
しかしながら、これら従来の分子論理回路システムは比較的性質の近い金属イオンを選択的に認識する受容体分子の開発が不可欠であることや、分子論理回路上に書き込まれたインプット情報の記憶が困難であるという問題があった。
【0011】
本発明は、このような従来の実情に鑑みて提案されたものであり、高い特異性・多様性を有する情報インプット様式のみならず、インプット情報の記憶を可能にする分子メモリと、その分子メモリをロジックゲートに発展させた分子論理回路を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0012】
本件発明者らは、上述した目的を達成するために、様々な観点から鋭意研究を重ねてきた。その結果、酵素が生体システム中で高い特異性と多様性を発揮し、円滑な情報伝達を行っていることに着目し、本発明を完成させた。
【0013】
すなわち、本発明に係る分子メモリは、上記の課題を解決するために、溶液からなる分子メモリであって、分子中にアミノ酸残基を結合してなるペプチド誘導体と、上記アミノ酸残基に共有結合して電荷の変化をもたらす化合物の供給源となる物質と、を上記溶液に含有し、上記アミノ酸残基に上記化合物を共有結合させる活性を有する酵素が上記溶液に添加されることにより情報が入力され、上記化合物を上記アミノ酸残基に共有結合させて情報を記録することを特徴とする。
【0014】
また、本発明に係る分子論理回路は、上記の課題を解決するために、溶液からなる分子論理回路であって、分子中に第1のアミノ酸残基と第2のアミノ酸残基とフォトクロミック化合物とを結合してなるペプチド誘導体と、上記第1及び第2のアミノ酸残基に共有結合して電荷の変化をもたらす化合物の供給源となる物質と、静電的相互作用によりペプチド誘導体との複合体を形成すると上記フォトクロミック化合物の異性化を抑制するイオン性物質と、を上記溶液に含有し、上記第1のアミノ酸残基に上記化合物を共有結合させる活性を有する第1の酵素と上記第2のアミノ酸残基に上記化合物を共有結合させる活性を有する第2の酵素とが上記溶液に選択されて添加されることにより情報が入力され、上記化合物を上記アミノ酸残基に共有結合させて情報を記録し、情報として記録した上記ペプチド誘導体の総電荷量を上記ペプチド誘導体と上記イオン性物質との静電的相互作用による複合体の形成量に反映させ、上記複合体の形成量を上記フォトクロミック化合物の異性化を抑制する程度に反映させて、上記第1及び第2の酵素の添加による情報の入力があった場合、上記第1又は第2の酵素の添加による情報の入力あった場合、又は、上記第1又は第2の酵素の無添加による情報の入力がなかった場合の上記フォトクロミック化合物の光学的特性として情報を出力することを特徴とする。
【発明の効果】
【0015】
本発明によれば、高い特異性・多様性を有する情報インプット様式のみならず、インプット情報の記憶を可能にする分子メモリと、その分子メモリをロジックゲートに発展させた分子論理回路を提供することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0016】
以下、本発明を適用した実施の形態について、具体的な実験結果を参照しながら詳細に説明する。
【0017】
本件発明者らは酵素が生体システム中で高い特異性と多様性を発揮し、円滑な情報伝達を行っていることに着目した。特に、図1(A)(B)に示すようなキナーゼやフォスファターゼによる基質のリン酸化・脱リン酸化サイクル及びヒストンアセチルトランスフェラーゼやヒストンデアセチラーゼによるリシン側鎖のアセチル化・脱アセチル化サイクルなどのタンパク質翻訳後修飾酵素群は、高い特異性と多様性を有し、インプット情報として利用可能である。
【0018】
また、酵素基質中のアミノ酸側鎖に付加したリン酸基やアセチル基は、低温にて安定に保存(情報記憶)可能であり、付加した色素分子の蛍光強度変化を用いて自在に側鎖修飾情報を読み出すことができる。
【0019】
さらに、酵素反応は触媒反応なので、基質に対して酵素の化学量論比を抑制することが可能である。
【0020】
以上3点は、酵素を分子論理回路への情報インプットとするシステムが従来のシステムと比較して有利な点である。すなわち、色素分子に複数種の酵素基質を連結することで、標的とする酵素が特定の濃度以上で時空間的に共存するときのみ強いシグナルが観測されるシステム構築が期待される。具体的には、図2に示すように、基質特異性の高いc−Src(SrcN1)基質とプロテインキナーゼA(PKA)基質を直鎖状に連結し、N末端にシグナル発生のためのフォトクロミック色素を結合したフォトクロミックペプチド基質を設計合成することで、2カ所のリン酸化部位を情報インプット部位として利用する図3に示すような「AND」、「OR」及び「NOR(NotOR)」に対応するデータ出力がプログラム可能な分子論理回路の構築が可能である。
【0021】
「フォトクロミズム」とは、「単一の化学種が二つの異なった状態間を吸収スペクトルの大きな変化を伴って可逆的に往復し、少なくとも一方の変換が光照射により引き起こされる現象」をいう。フォトクロミック化合物の代表としては、フルギド類、ジアリルエテン類、スピロピラン類、及びスピロオキサジン類が知られている。これらの異性化反応は分子構造の大幅な再構築を伴うので、異性化速度定数は、フォトクロミック分子周囲の微小環境変化に依存すると考えられる。本発明では、無色と桃色の2状態を有するスピロピラン誘導体を色素分子として用いた。
【0022】
図4に示すように、スピロピラン誘導体には光異性体としてスピロピラン型とメロシアニン型が存在する。メロシアニン体は、可視領域(500−600nm)に吸収を持ち尚かつ600nm付近に蛍光を発する。スピロピラン体は、400nm以下の光を吸収するが蛍光を発しないという特徴をもつ。
【0023】
そこで、キナーゼが触媒するリン酸化反応が無色のスピロピラン型から桃色蛍光性のメロシアニン型への異性化速度に影響を及ぼすと期待される。すなわち、異性化速度の変化をアミノ酸側鎖修飾の結果生じる色素分子周辺環境変化と捉えることができる。
【0024】
スピロピラン誘導体は、中性水溶液中では無色のスピロピラン(SP)型と桃色蛍光性のメロシアニン(MC)型の平衡状態にあり、SP→MCは暗所インキュベーションにより、またMC→SPは可視光照射により誘導できる。また、メロシアニン型からの蛍光の増加を評価するので、みかけの蛍光強度に影響されることなく再現性よく測定できる。
【0025】
そこで、リン酸化反応に伴う無色のスピロピラン型から桃色蛍光性のメロシアニン型へ熱平衡状態へと緩和する過程における着色量をメロシアニン型が発する蛍光強度を指標として追跡することで(文献「Tomizaki, K.-Y.; Mihara, H. J. Mater. Chem. 2005, 15, 2732.」を参照)、SrcN1とPKAをインプットとする、このフォトクロミックタンデムキナーゼ基質ペプチドの分子論理回路としての性能評価を行った。
【0026】
<スピロピラン含有タンデムキナーゼペプチド基質の設計合成>
チロシン側鎖水酸基をリン酸化するSrc kinase(SrcN1)基質配列と、セリン側鎖水酸基をリン酸化するprotein kinase A(PKA)基質を選択・連結し、N末端にフォトクロミック化合物であるスピロピラン誘導体を導入したペプチド基質を設計した(SP−YS、図2を参照)。
【0027】
また、あらかじめチロシン又はセリンが水酸化されたリン酸化ペプチド(SP−YpS,SP−pYS、図2を参照)及び両水酸基がリン酸化された二リン酸化ペプチド(SP−pYpS、図2を参照)も合わせて設計した。
【0028】
ここで、設計合成したスピロピラン含有ペプチドの総電荷は、
SP−YS:+4
SP−YpS:+2
SP−pYS:+2
SP−pYpS:0
である。
【0029】
なお、SP、pTyr、pSer、Ahaは、
SP:1−(2−hydroxyethyl)−3,3−dimethylindolino−6’−nitrobenzopyrylospiran(spiropyran)moiety
pTyr:phospho−tyrosine
pSer:phospho−serine
Aha:6−aminohexanoic acid
を意味する。
【0030】
図5に示すように、ペプチドは、Fmoc固相合成法によりC末端側より伸長し(文献「Chen, W. C.; White, P. D. Fmoc solid phase peptide synthesis: A practical approach, Oxford University Press, New York, 2000.」を参照)、樹脂上でスピロピラン分子を選択的に導入した(文献「Tomizaki, K.-Y.; Mihara, H. J. Mater. Chem. 2005, 15, 2732.」を参照)。
【0031】
保護基の除去及び樹脂からの脱離の後、得られた粗ペプチドを逆相高速液体クロマトグラフィー(HPLC)で精製し、飛行時間型質量分析装置(MALDI-TOFMS)にて同定した。
【0032】
<合成方法の詳細>
ペプチドSP−YSの合成
Rink Amid MBHA樹脂(0.40mmol/g,50μmolスケール)、N末端保護アミノ酸Fmoc−AA−OH(3eq)、カップリング試薬はHBTU(3eq)、HOBt(3eq)、DIEA(6eq)及びSP−ONp(3eq)、DIEA(3eq)を用い、Fmoc固相法の定法に従ってSP−Aha−Ile−Tyr(tBu)−Gly−Glu(OtBu)−Phe−Lys(Boc)−Lys(Boc)−Lys(Boc)−Aha−Leu−Arg(Pbf)−Arg(Pbf)−Ala−Ser(tBu)−Leu−Gly−resinペプチド付き樹脂を調製した。
【0033】
乾燥後m−cresol/ethandithiol/thioanisole/TFA(2.5/7.5/7.5/100)の混合溶液(2.0mL)を加え室温で1時間攪拌し脱保護を行った。
【0034】
濃縮後、エーテル沈殿、デカントを繰り返し、SP−YS粗ペプチドを得た(117mg,99%)。この内、61mgを逆相HPLCで精製後凍結乾燥し、目的物SP−YS(MALDI−TOFMS(obsd:2372[M+H]+;calcd:2371)、12mg,22%)を得た。
【0035】
ペプチドSP−YpSの合成
Rink Amid MBHA樹脂(0.40mmol/g,50μmolスケール)、N末端保護アミノ酸Fmoc−AA−OH(3eq)、カップリング試薬はHBTU(3eq)、HOBt(3eq)、DIEA(6eq)及びSP−ONp(3eq)、DIEA(3eq)を用い、Fmoc固相法の定法に従ってSP−Aha−Ile−Tyr(tBu)−Gly−Glu(OtBu)−Phe−Lys(Boc)−Lys(Boc)−Lys(Boc)−Aha−Leu−Arg(Pbf)−Arg(Pbf)−Ala−Ser(P(O)(OBzl)(OH))−Leu−Gly−resinペプチド付き樹脂を調製した。
【0036】
乾燥後m−cresol/ethandithiol/thioanisole/TFA(2.5/7.5/7.5/100)の混合溶液(2.0mL)を加え室温で1時間攪拌し脱保護を行った。
【0037】
濃縮後、エーテル沈殿、デカントを繰り返し、SP−YpS粗ペプチドを得た(106mg,87%)。この内、44mgを逆相HPLCで精製後凍結乾燥し、目的物SP−YpS(MALDI−TOFMS(obsd:2452[M+H]+;calcd:2450)、20mg,39%)を得た。
【0038】
ペプチドSP−pYSの合成
Rink Amid MBHA樹脂(0.40mmol/g,50μmolスケール)、N末端保護アミノ酸Fmoc−AA−OH(3eq)、カップリング試薬はHBTU(3eq)、HOBt(3eq)、DIEA(6eq)及びSP−ONp(3eq)、DIEA(3eq)を用い、Fmoc固相法の定法に従ってSP−Aha−Ile−Tyr(P(O)(OBzl)(OH))−Gly−Glu(OtBu)−Phe−Lys(Boc)−Lys(Boc)−Lys(Boc)−Aha−Leu−Arg(Pbf)−Arg(Pbf)−Ala−Ser(tBu)−Leu−Gly−resinペプチド付き樹脂を調製した。
【0039】
乾燥後m−cresol/ethandithiol/thioanisole/TFA(2.5/7.5/7.5/100)の混合溶液(2.0mL)を加え室温で1時間攪拌し脱保護を行った。
【0040】
濃縮後、エーテル沈殿、デカントを繰り返し、SP−pYS粗ペプチドを得た(108mg,88%)。この内、55mgを逆相HPLCで精製後凍結乾燥し、目的物SP−pYS(MALDI−TOFMS(obsd:2451[M+H]+;calcd:2450)、7.4mg,12%)を得た。
【0041】
ペプチドSP−pYpSの合成
Rink Amid MBHA樹脂(0.40mmol/g,50μmolスケール)、N末端保護アミノ酸Fmoc−AA−OH(3eq)、カップリング試薬はHBTU(3eq)、HOBt(3eq)、DIEA(6eq)及びSP−ONp(3eq)、DIEA(3eq)を用い、Fmoc固相法の定法に従ってSP−Aha−Ile−Tyr(P(O)(OBzl)(OH))−Gly−Glu(OtBu)−Phe−Lys(Boc)−Lys(Boc)−Lys(Boc)−Aha−Leu−Arg(Pbf)−Arg(Pbf)−Ala−Ser(P(O)(OBzl)(OH))−Leu−Gly−resinペプチド付き樹脂を調製した。
【0042】
乾燥後m−cresol/ethandithiol/thioanisole/TFA(2.5/7.5/7.5/100)の混合溶液(2.0mL)を加え室温で1時間攪拌し脱保護を行った。濃縮後、エーテル沈殿、デカントを繰り返し、SP−pYpS粗ペプチドを得た(85mg,67%)。これを逆相HPLCで精製後凍結乾燥し、目的物SP−pYpS(MALDI−TOFMS(obsd:2532[M+H]+;calcd:2530)、12mg,9.1%)を得た。
【0043】
<ペプチド側鎖のリン酸化状態に依存する着色反応の検討>
まず、ペプチド側鎖のリン酸化状態に依存して無色のスピロピラン型から桃色蛍光性のメロシアニン型への着色反応がどのように変化するかをリン酸化モデルペプチドを用いて調べた。
【0044】
着色反応は、図6に従って行った(文献「Tomizaki, K.-Y.; Xu, J.; Mihara, H. Bioorg. Med. Chem. Lett. 2005, 15, 1731.」、「Tomizaki, K.-Y.; Mihara, H. Mol. BioSyst. submitted.」を参照)。図6に示すように、反応チューブにペプチド基質(50μM)、cAMP(1mM)及びATP(1mM)を溶解した緩衝溶液(100μL,100mMHEPES,pH7.0,5mMMgCl2)を加え、ここに必要量の酵素を添加して、30℃で1時間インキュベーションを行った。
【0045】
反応液を光照射により無色のスピロピラン型に変換し、反応液(10μL)、イオン性ポリマー(2μL、終濃度10μM)と緩衝液(88μL,20mMTris−HCl,pH7.4)を混合し、96穴マイクロプレート上にて無色のスピロピラン型から桃色蛍光性のメロシアニン型へ60分間着色反応を行った。
【0046】
蛍光強度測定はPerkinElmer社製1420Multilabel Counter ARVO MX(Excitation filter=F485,Emission filter=580±0)で行った。ペプチド側鎖のリン酸化状態はイオン性ポリマー(PLX)を添加した反応液の蛍光強度(着色量FPLX)をイオン性ポリマー無添加反応液の蛍光強度(着色量FNone)と比較するFPLX/FNoneを指標として評価した。
【0047】
図7に各ペプチドの着色量のポリアスパラギン酸依存性を、図8にポリリシン依存性の結果を示す。図7において、すべてリン酸化されたSP−pYpSの値は、0.89倍であった。これは、モノリン酸化ペプチド、SP−YpS(0.20倍)、SP−pYS(0.23倍)、及び非リン酸化ペプチドSP−YS(−0.22倍)と比較し強いシグナルであった。
【0048】
一方、図8のポリリシン依存性検討では、非リン酸化ペプチドSP−YS(2.09倍)が最も強いシグナルを与え、モノリン酸化ペプチドSP−YpS(1.44倍)、SP−pYS(1.20倍)、二リン酸化ペプチドSP−pYpS(0.83倍)の順にシグナルが弱くなった。
【0049】
これらのイオン性ポリマー添加効果は、リン酸基付加によるペプチド総電荷の変化を反映していると考えられる。図9に示すように、非リン酸化状態のペプチドSP−YSの総電荷は、+4であるが、どちらか一カ所がリン酸化を受けると+2となり、全てがリン酸化を受けると総電荷は中性となる。
【0050】
これらリン酸化に伴うペプチドの総電荷の変化を、添加したイオン性ポリマーが静電的相互作用により認識して複合体を形成すると、ポリマーマトリックス中のスピロピラン分子の運動性が低下し、結果的に無色のスピロピラン型から桃色蛍光性のメロシアニン型への着色反応が抑制される。
【0051】
つまり、ポリアスパラギン酸を添加することによって、非リン酸化ペプチドの着色は抑制されるが、リン酸化ペプチドの場合は電荷反発のためポリアスパラギン酸との複合体形成が不利となり、着色速度の抑制効果は低下する。よって、AND型論理回路として機能すると考えられる。
【0052】
また、どちらか一方がリン酸化されたペプチドの総電荷は、+2なのでポリアスパラギン酸と弱く結合する。その結果、両キナーゼ存在時と比べると弱いシグナルが確認できることから、シグナル敷居値を下げることで少なくともキナーゼのどちらかが存在するとシグナルが得られるOR型論理回路機能を発現できる。
【0053】
一方、カチオン性ポリマーであるポリリシンを添加すると、非リン酸化ペプチド(総電荷+4)との静電反発によって複合体が不利となり、逆に対イオン効果によりメロシアニン型の安定化に寄与し着色量が増加したと考えられる。どちらか一方がリン酸化されたペプチド(総電荷+2)では着色量微増、また全てリン酸化されたペプチド(総電荷中性)では着色量が若干減少した。よって、非リン酸化状態のみ他と比べて強いシグナルを与えるNOR型論理回路として機能すると考えられる。
【0054】
<フォトクロミックタンデムキナーゼ基質を用いるAND/OR型論理回路性能評価>
SrcN1基質とPKA基質を連結したフォトクロミックペプチド基質(SP−YS)をATP及びcAMP存在下、十分量のSrcN1(6ng/μL)とPKA(10ng/μL)、SrcN1(6ng/μL)のみ、PKA(10ng/μL)のみ、及びキナーゼ無しの4条件にてリン酸化反応による情報インプットを行った(図10を参照)。
【0055】
反応チューブにペプチド基質(50μM)、cAMP(1mM)及びATP(1mM)を溶解した緩衝溶液(100μL,100mMHEPES,pH7.0,5mMMgCl2)を加え、ここに必要量の酵素を添加して、30℃で1時間インキュベーションを行った。
【0056】
反応液を光照射により無色のスピロピラン型に変換し、反応液(10μL)、イオン性ポリマー(2μL、終濃度10μM)と緩衝液(88μL,20mMTris−HCl,pH7.4)を混合し、96穴マイクロプレート上にて無色のスピロピラン型から桃色蛍光性のメロシアニン型へ60分間着色反応を行った。
【0057】
蛍光強度測定は、PerkinElmer社製1420 Multilabel Counter ARVO MX(Excitation filter=F485,Emission filter=580±0)にて行った。AND/OR型論理回路機能発現のために、ここではプログラミングインプットとしてポリアスパラギン酸を用いた。
【0058】
ペプチド側鎖のリン酸化状態はポリアスパラギン酸を添加した反応液の蛍光強度(着色量FPLD)をイオン性ポリマー無添加反応液の蛍光強度(着色量FNone)と比較するFPLD/FNoneを指標として評価した。
【0059】
SrcN1とPKAが共存するときの値は、0.57倍であった。これは他の条件、SrcN1のみ(0.17倍)、PKAのみ(0.23倍)、及びキナーゼ無し(−0.22倍)と比較し明らかに強いシグナルであり、閾値をFPLD/FNone=0.4に設定することでAND論理回路として機能することが示された。また、敷居値をFPLD/FNone=0.1に設定することで少なくともどちらか一方のキナーゼが存在するときシグナルを与えるOR論理回路として機能することも示唆された。
【0060】
<フォトクロミックタンデムキナーゼ基質を用いるNOR型論理回路性能評価>
上記と同様に、リン酸化反応液にプログラミングインプットとしてカチオン性ポリマーであるポリリシンを添加して着色反応を行ったところ、非リン酸化状態のペプチドが2.10倍の強いシグナルを与えた(図11を参照)。
【0061】
一方、SrcN1とPKAの両方あるいはどちらか一方が存在するとき1.1−1.4倍の比較的弱いシグナルを与えた。このことは、ポリリシン添加時における無色のスピロピラン型から桃色蛍光性のメロシアニン型への着色反応の敷居値を1.6に設定することで、NOR論理回路機能が発現可能であることが分かった。
【0062】
図12に真偽表を示す。2種類のキナーゼによるインプット情報をプログラミングインプットによってAND/OR/NORへのデータ変換行うことが可能であった。これらの論理回路は、分子コンピュティングにおける技術基盤の一つであり、分子デバイスなどへの応用が期待される。
【0063】
このように2種の特異的キナーゼ基質を連結したフォトクロミックペプチド基質を合成し、キナーゼリン酸化活性を情報インプットとする分子論理回路は、スピロピラン分子のメロシアニン型が発する蛍光を用いて情報の読み出しが可能であった。
【0064】
また、キナーゼあるいはフォスファターゼにより修飾を受けたペプチドは、それらの反応溶液を低温保存することで、インプット情報をペプチド側鎖に記録したまま保存と情報読み出し(記憶と読み出し)が可能である。
【0065】
本発明に係る分子メモリ及び分子論理回路では、基質総電荷が変化する触媒活性が利用可能である。したがって、キナーゼ活性以外の触媒活性、例えばヒストンアセチルトランスフェラーゼ・ヒストンデアセチラーゼが触媒するリシン側鎖アミノ基のアセチル化・脱アセチル化反応サイクルなどは、本発明において利用することができる。なお、本発明に係る分子論理回路では、基質総電荷に応じた着色を可視的に区別して、「0」「1」と明確に判別するためには、総電荷が正電荷を持った状態(+)から最終的にニュートラル(0)へ変化するようにするのが好ましい。
【0066】
本実施例においては、インプットは二種類のキナーゼのみを示したが、種々のキナーゼやフォスファターゼ及びヒストンアセチルトランスフェラーゼ、ヒストンデアセチラーゼなどの特異的基質を設計・連結することで、さらに複雑で多様な分子論理回路構築が期待できる。例えば、トレオニンはセリンと類似するアミノ酸であり、セリン及びトレオニンのどちらのアミノ酸もプロテインキナーゼC−alphaによりリン酸化される。したがって、キナーゼ基質中のリン酸化を受けるアミノ酸として、セリン、トレオニン及びチロシンを組み合わせてフォトクロミックペプチド基質を設計合成しても、本実施例と同様に分子論理回路を構築することができる。
【0067】
なお、本発明は上述した実施の形態のみに限定されるものではなく、本発明の要旨を逸脱しない範囲において種々の変更が可能であることは勿論である。
【図面の簡単な説明】
【0068】
【図1】タンパク質翻訳後修飾酵素の反応サイクルであって、(A)キナーゼとフォスファターゼによる基質のリン酸化及び脱リン酸化反応サイクルを示す模式図、(B)ヒストンアセチルトランスフェラーゼとヒストンデアセチラーゼによる基質のアセチル化及び脱アセチル化反応サイクルを示す模式図である。
【図2】設計合成したスピロピラン含有ペプチドのアミノ酸配列を示す模式図である。
【図3】本発明の一実施形態における分子論理回路の模式図である。
【図4】スピロピラン誘導体の中性水溶液中における異性化反応を示す模式図である。
【図5】スピロピラン含有ペプチドの合成スキームを示す図である。
【図6】キナーゼによる情報インプットとスピロピラン誘導体のフォトクロミズムを利用した情報読み出し操作概略を示す図である。
【図7】アニオン性ポリマーであるポリアスパラギン酸(PLD)存在下における無色スピロピラン型から桃色メロシアニン型への着色反応のペプチド側鎖リン酸化状態依存性を示す図である。
【図8】カチオン性ポリマーであるポリリシン(PLK)存在下における無色スピロピラン型から桃色メロシアニン型への着色反応のペプチド側鎖リン酸化状態依存性を示す図である。
【図9】リン酸化反応にともなうペプチド基質総電荷の変化と無色スピロピラン型から桃色メロシアニン型への着色反応性の関係を示す図である。
【図10】プログラミングインプットとしてアニオン性ポリマーであるポリアスパラギン酸(PLD)を添加するAND/OR型論理回路機能発現を示す図である。
【図11】プログラミングインプットとしてカチオン性ポリマーであるポリリシン(PLK)を添加するNOR型論理回路機能発現を示す図である。
【図12】2種類のキナーゼを情報インプットとする分子論理回路の真偽表である。
【図13】コンピュティングのために基本となるAND/OR/NOT型論理回路の真偽表である。
【図14】化学インプットによるAND型分子論理回路の模式図である。
【図15】ナトリウムイオンとプロトンの共存によって蛍光強度が増大するAND型論理回路の模式図である。
【図16】ナトリウムイオン、プロトン及び亜鉛イオンの共存によって蛍光強度が増大するAND型論理回路の模式図である。
【技術分野】
【0001】
本発明は、高い特異性・多様性を有する情報インプット様式のみならず、インプット情報の記憶を可能にする分子メモリ及び分子論理回路に関する。
【背景技術】
【0002】
20世紀はコンピュータの普及が著しい時代であった。コンピュータが行う様々な計算や判断及び記憶は、「論理回路」によって実行されている。現在汎用されているシリコン型コンピュータの高密度集積化微細加工技術開発(トップダウンアプローチ)の物理的限界はそう遠くないと考えられている。
【0003】
一方、ナノメートルスケールの分子を自己組織化的に基板上に配置することで、従来のものより微小化及び省エネルギ化が可能な分子デバイスの構築(ボトムアップアプローチ)が盛んに行われている。
【0004】
開発対象となる基本的な論理回路には以下の3つが挙げられる。図13の真偽表のように演算を行う、1つ目は、「AかつB」を表す「ANDゲート」、2つ目は、「A又はB」を表す「ORゲート」、3つ目は「Aでない」を表す「NOTゲート」である。これらの組合せによって複雑な演算や判断を行うことができる。
【0005】
これまで、蛍光色素にプロトン(水素イオン)受容体分子やナトリウムイオン、亜鉛イオン、銅イオン、ニッケルイオンなど金属イオン受容体分子を複数種組み合わせて連結することで、それぞれの受容体が特定のリガンドと結合したときのみ強い蛍光シグナルが得られる分子論理回路が報告されている(非特許文献1−9)。
【0006】
図14〜16に従来の化学インプットによるAND型分子論理回路構築例を示す。図14は蛍光基−アクセプタ複合化による基本的な分子論理回路の模式図である。中心のFluorophore(蛍光物質)にはアントラセンが用いられている。receptor(受容体)−1にはベンゾクラウンエーテルが用いられ、ナトリウムイオンなどを選択的に結合する。receptor−2には第三級アミンが用いられ、プロトンを選択的に結合してアンモニウムになる。2つのreceptorにナトリウムイオンとプロトンとが結合していない状態では蛍光強度は弱いかほとんど検出されないことが必須である。
【0007】
図15はナトリウムイオンとプロトンの共存によって蛍光強度が増大するAND型論理回路の模式図である。第三級アミンを例に挙げると、第三級アミンの不対電子が移動してアントラセンの励起状態を解消させるため、第三級アミンとプロトンとが結合することで、不対電子の移動によるアントラセンの消光を解消するようになっている。
【0008】
図16はナトリウムイオン、プロトン及び亜鉛イオンの共存によって蛍光強度が増大するAND型論理回路の模式図である。3つのreceptorにナトリウムイオン、プロトン及び亜鉛イオンが結合することで、アントラセンの消光を解消するようになっている。
【0009】
【非特許文献1】Raymo, F. M. Adv. Mater. 2002, 14, 401.
【非特許文献2】De Silva, A. P.; McClenaghan, N. D. Chem. Eur. J. 2004, 10, 574.
【非特許文献3】Uchiyama, S.; Kawai, N.; de Silva, A. P.; Iwai, K. J. Am. Chem. Soc. 2004, 126, 3032.
【非特許文献4】Okamoto, A.; Tanaka, K.; Saito, I. J. Am. Chem. Soc. 2004, 126, 9458.
【非特許文献5】Margulies, D.; Melman, G.; Felder, C. E.; Arad-Yellin, R.; Shanzer, A. J. Am. Chem. Soc. 2004, 126, 15400.
【非特許文献6】Margulies, D.; Melman, G.; Shanzer, A. Nat. Mater. 2005, 4, 768.
【非特許文献7】Uchiyama, S.; McClean, G. D.; Iwai, K.; de Silva, A. P. J. Am. Chem. Soc. 2005, 127, 8920.
【非特許文献8】Szacilowski, K.; Macyk, W.; Stochel, G. J. Am. Chem. Soc. 2006, 10.1021/ja060694.
【非特許文献9】Magri, D. C.; Brown, G. J.; McClean, G. D.; de Silva, A. P. J. Am. Chem. Soc. 2006, 10.1021/ja058295.
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
しかしながら、これら従来の分子論理回路システムは比較的性質の近い金属イオンを選択的に認識する受容体分子の開発が不可欠であることや、分子論理回路上に書き込まれたインプット情報の記憶が困難であるという問題があった。
【0011】
本発明は、このような従来の実情に鑑みて提案されたものであり、高い特異性・多様性を有する情報インプット様式のみならず、インプット情報の記憶を可能にする分子メモリと、その分子メモリをロジックゲートに発展させた分子論理回路を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0012】
本件発明者らは、上述した目的を達成するために、様々な観点から鋭意研究を重ねてきた。その結果、酵素が生体システム中で高い特異性と多様性を発揮し、円滑な情報伝達を行っていることに着目し、本発明を完成させた。
【0013】
すなわち、本発明に係る分子メモリは、上記の課題を解決するために、溶液からなる分子メモリであって、分子中にアミノ酸残基を結合してなるペプチド誘導体と、上記アミノ酸残基に共有結合して電荷の変化をもたらす化合物の供給源となる物質と、を上記溶液に含有し、上記アミノ酸残基に上記化合物を共有結合させる活性を有する酵素が上記溶液に添加されることにより情報が入力され、上記化合物を上記アミノ酸残基に共有結合させて情報を記録することを特徴とする。
【0014】
また、本発明に係る分子論理回路は、上記の課題を解決するために、溶液からなる分子論理回路であって、分子中に第1のアミノ酸残基と第2のアミノ酸残基とフォトクロミック化合物とを結合してなるペプチド誘導体と、上記第1及び第2のアミノ酸残基に共有結合して電荷の変化をもたらす化合物の供給源となる物質と、静電的相互作用によりペプチド誘導体との複合体を形成すると上記フォトクロミック化合物の異性化を抑制するイオン性物質と、を上記溶液に含有し、上記第1のアミノ酸残基に上記化合物を共有結合させる活性を有する第1の酵素と上記第2のアミノ酸残基に上記化合物を共有結合させる活性を有する第2の酵素とが上記溶液に選択されて添加されることにより情報が入力され、上記化合物を上記アミノ酸残基に共有結合させて情報を記録し、情報として記録した上記ペプチド誘導体の総電荷量を上記ペプチド誘導体と上記イオン性物質との静電的相互作用による複合体の形成量に反映させ、上記複合体の形成量を上記フォトクロミック化合物の異性化を抑制する程度に反映させて、上記第1及び第2の酵素の添加による情報の入力があった場合、上記第1又は第2の酵素の添加による情報の入力あった場合、又は、上記第1又は第2の酵素の無添加による情報の入力がなかった場合の上記フォトクロミック化合物の光学的特性として情報を出力することを特徴とする。
【発明の効果】
【0015】
本発明によれば、高い特異性・多様性を有する情報インプット様式のみならず、インプット情報の記憶を可能にする分子メモリと、その分子メモリをロジックゲートに発展させた分子論理回路を提供することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0016】
以下、本発明を適用した実施の形態について、具体的な実験結果を参照しながら詳細に説明する。
【0017】
本件発明者らは酵素が生体システム中で高い特異性と多様性を発揮し、円滑な情報伝達を行っていることに着目した。特に、図1(A)(B)に示すようなキナーゼやフォスファターゼによる基質のリン酸化・脱リン酸化サイクル及びヒストンアセチルトランスフェラーゼやヒストンデアセチラーゼによるリシン側鎖のアセチル化・脱アセチル化サイクルなどのタンパク質翻訳後修飾酵素群は、高い特異性と多様性を有し、インプット情報として利用可能である。
【0018】
また、酵素基質中のアミノ酸側鎖に付加したリン酸基やアセチル基は、低温にて安定に保存(情報記憶)可能であり、付加した色素分子の蛍光強度変化を用いて自在に側鎖修飾情報を読み出すことができる。
【0019】
さらに、酵素反応は触媒反応なので、基質に対して酵素の化学量論比を抑制することが可能である。
【0020】
以上3点は、酵素を分子論理回路への情報インプットとするシステムが従来のシステムと比較して有利な点である。すなわち、色素分子に複数種の酵素基質を連結することで、標的とする酵素が特定の濃度以上で時空間的に共存するときのみ強いシグナルが観測されるシステム構築が期待される。具体的には、図2に示すように、基質特異性の高いc−Src(SrcN1)基質とプロテインキナーゼA(PKA)基質を直鎖状に連結し、N末端にシグナル発生のためのフォトクロミック色素を結合したフォトクロミックペプチド基質を設計合成することで、2カ所のリン酸化部位を情報インプット部位として利用する図3に示すような「AND」、「OR」及び「NOR(NotOR)」に対応するデータ出力がプログラム可能な分子論理回路の構築が可能である。
【0021】
「フォトクロミズム」とは、「単一の化学種が二つの異なった状態間を吸収スペクトルの大きな変化を伴って可逆的に往復し、少なくとも一方の変換が光照射により引き起こされる現象」をいう。フォトクロミック化合物の代表としては、フルギド類、ジアリルエテン類、スピロピラン類、及びスピロオキサジン類が知られている。これらの異性化反応は分子構造の大幅な再構築を伴うので、異性化速度定数は、フォトクロミック分子周囲の微小環境変化に依存すると考えられる。本発明では、無色と桃色の2状態を有するスピロピラン誘導体を色素分子として用いた。
【0022】
図4に示すように、スピロピラン誘導体には光異性体としてスピロピラン型とメロシアニン型が存在する。メロシアニン体は、可視領域(500−600nm)に吸収を持ち尚かつ600nm付近に蛍光を発する。スピロピラン体は、400nm以下の光を吸収するが蛍光を発しないという特徴をもつ。
【0023】
そこで、キナーゼが触媒するリン酸化反応が無色のスピロピラン型から桃色蛍光性のメロシアニン型への異性化速度に影響を及ぼすと期待される。すなわち、異性化速度の変化をアミノ酸側鎖修飾の結果生じる色素分子周辺環境変化と捉えることができる。
【0024】
スピロピラン誘導体は、中性水溶液中では無色のスピロピラン(SP)型と桃色蛍光性のメロシアニン(MC)型の平衡状態にあり、SP→MCは暗所インキュベーションにより、またMC→SPは可視光照射により誘導できる。また、メロシアニン型からの蛍光の増加を評価するので、みかけの蛍光強度に影響されることなく再現性よく測定できる。
【0025】
そこで、リン酸化反応に伴う無色のスピロピラン型から桃色蛍光性のメロシアニン型へ熱平衡状態へと緩和する過程における着色量をメロシアニン型が発する蛍光強度を指標として追跡することで(文献「Tomizaki, K.-Y.; Mihara, H. J. Mater. Chem. 2005, 15, 2732.」を参照)、SrcN1とPKAをインプットとする、このフォトクロミックタンデムキナーゼ基質ペプチドの分子論理回路としての性能評価を行った。
【0026】
<スピロピラン含有タンデムキナーゼペプチド基質の設計合成>
チロシン側鎖水酸基をリン酸化するSrc kinase(SrcN1)基質配列と、セリン側鎖水酸基をリン酸化するprotein kinase A(PKA)基質を選択・連結し、N末端にフォトクロミック化合物であるスピロピラン誘導体を導入したペプチド基質を設計した(SP−YS、図2を参照)。
【0027】
また、あらかじめチロシン又はセリンが水酸化されたリン酸化ペプチド(SP−YpS,SP−pYS、図2を参照)及び両水酸基がリン酸化された二リン酸化ペプチド(SP−pYpS、図2を参照)も合わせて設計した。
【0028】
ここで、設計合成したスピロピラン含有ペプチドの総電荷は、
SP−YS:+4
SP−YpS:+2
SP−pYS:+2
SP−pYpS:0
である。
【0029】
なお、SP、pTyr、pSer、Ahaは、
SP:1−(2−hydroxyethyl)−3,3−dimethylindolino−6’−nitrobenzopyrylospiran(spiropyran)moiety
pTyr:phospho−tyrosine
pSer:phospho−serine
Aha:6−aminohexanoic acid
を意味する。
【0030】
図5に示すように、ペプチドは、Fmoc固相合成法によりC末端側より伸長し(文献「Chen, W. C.; White, P. D. Fmoc solid phase peptide synthesis: A practical approach, Oxford University Press, New York, 2000.」を参照)、樹脂上でスピロピラン分子を選択的に導入した(文献「Tomizaki, K.-Y.; Mihara, H. J. Mater. Chem. 2005, 15, 2732.」を参照)。
【0031】
保護基の除去及び樹脂からの脱離の後、得られた粗ペプチドを逆相高速液体クロマトグラフィー(HPLC)で精製し、飛行時間型質量分析装置(MALDI-TOFMS)にて同定した。
【0032】
<合成方法の詳細>
ペプチドSP−YSの合成
Rink Amid MBHA樹脂(0.40mmol/g,50μmolスケール)、N末端保護アミノ酸Fmoc−AA−OH(3eq)、カップリング試薬はHBTU(3eq)、HOBt(3eq)、DIEA(6eq)及びSP−ONp(3eq)、DIEA(3eq)を用い、Fmoc固相法の定法に従ってSP−Aha−Ile−Tyr(tBu)−Gly−Glu(OtBu)−Phe−Lys(Boc)−Lys(Boc)−Lys(Boc)−Aha−Leu−Arg(Pbf)−Arg(Pbf)−Ala−Ser(tBu)−Leu−Gly−resinペプチド付き樹脂を調製した。
【0033】
乾燥後m−cresol/ethandithiol/thioanisole/TFA(2.5/7.5/7.5/100)の混合溶液(2.0mL)を加え室温で1時間攪拌し脱保護を行った。
【0034】
濃縮後、エーテル沈殿、デカントを繰り返し、SP−YS粗ペプチドを得た(117mg,99%)。この内、61mgを逆相HPLCで精製後凍結乾燥し、目的物SP−YS(MALDI−TOFMS(obsd:2372[M+H]+;calcd:2371)、12mg,22%)を得た。
【0035】
ペプチドSP−YpSの合成
Rink Amid MBHA樹脂(0.40mmol/g,50μmolスケール)、N末端保護アミノ酸Fmoc−AA−OH(3eq)、カップリング試薬はHBTU(3eq)、HOBt(3eq)、DIEA(6eq)及びSP−ONp(3eq)、DIEA(3eq)を用い、Fmoc固相法の定法に従ってSP−Aha−Ile−Tyr(tBu)−Gly−Glu(OtBu)−Phe−Lys(Boc)−Lys(Boc)−Lys(Boc)−Aha−Leu−Arg(Pbf)−Arg(Pbf)−Ala−Ser(P(O)(OBzl)(OH))−Leu−Gly−resinペプチド付き樹脂を調製した。
【0036】
乾燥後m−cresol/ethandithiol/thioanisole/TFA(2.5/7.5/7.5/100)の混合溶液(2.0mL)を加え室温で1時間攪拌し脱保護を行った。
【0037】
濃縮後、エーテル沈殿、デカントを繰り返し、SP−YpS粗ペプチドを得た(106mg,87%)。この内、44mgを逆相HPLCで精製後凍結乾燥し、目的物SP−YpS(MALDI−TOFMS(obsd:2452[M+H]+;calcd:2450)、20mg,39%)を得た。
【0038】
ペプチドSP−pYSの合成
Rink Amid MBHA樹脂(0.40mmol/g,50μmolスケール)、N末端保護アミノ酸Fmoc−AA−OH(3eq)、カップリング試薬はHBTU(3eq)、HOBt(3eq)、DIEA(6eq)及びSP−ONp(3eq)、DIEA(3eq)を用い、Fmoc固相法の定法に従ってSP−Aha−Ile−Tyr(P(O)(OBzl)(OH))−Gly−Glu(OtBu)−Phe−Lys(Boc)−Lys(Boc)−Lys(Boc)−Aha−Leu−Arg(Pbf)−Arg(Pbf)−Ala−Ser(tBu)−Leu−Gly−resinペプチド付き樹脂を調製した。
【0039】
乾燥後m−cresol/ethandithiol/thioanisole/TFA(2.5/7.5/7.5/100)の混合溶液(2.0mL)を加え室温で1時間攪拌し脱保護を行った。
【0040】
濃縮後、エーテル沈殿、デカントを繰り返し、SP−pYS粗ペプチドを得た(108mg,88%)。この内、55mgを逆相HPLCで精製後凍結乾燥し、目的物SP−pYS(MALDI−TOFMS(obsd:2451[M+H]+;calcd:2450)、7.4mg,12%)を得た。
【0041】
ペプチドSP−pYpSの合成
Rink Amid MBHA樹脂(0.40mmol/g,50μmolスケール)、N末端保護アミノ酸Fmoc−AA−OH(3eq)、カップリング試薬はHBTU(3eq)、HOBt(3eq)、DIEA(6eq)及びSP−ONp(3eq)、DIEA(3eq)を用い、Fmoc固相法の定法に従ってSP−Aha−Ile−Tyr(P(O)(OBzl)(OH))−Gly−Glu(OtBu)−Phe−Lys(Boc)−Lys(Boc)−Lys(Boc)−Aha−Leu−Arg(Pbf)−Arg(Pbf)−Ala−Ser(P(O)(OBzl)(OH))−Leu−Gly−resinペプチド付き樹脂を調製した。
【0042】
乾燥後m−cresol/ethandithiol/thioanisole/TFA(2.5/7.5/7.5/100)の混合溶液(2.0mL)を加え室温で1時間攪拌し脱保護を行った。濃縮後、エーテル沈殿、デカントを繰り返し、SP−pYpS粗ペプチドを得た(85mg,67%)。これを逆相HPLCで精製後凍結乾燥し、目的物SP−pYpS(MALDI−TOFMS(obsd:2532[M+H]+;calcd:2530)、12mg,9.1%)を得た。
【0043】
<ペプチド側鎖のリン酸化状態に依存する着色反応の検討>
まず、ペプチド側鎖のリン酸化状態に依存して無色のスピロピラン型から桃色蛍光性のメロシアニン型への着色反応がどのように変化するかをリン酸化モデルペプチドを用いて調べた。
【0044】
着色反応は、図6に従って行った(文献「Tomizaki, K.-Y.; Xu, J.; Mihara, H. Bioorg. Med. Chem. Lett. 2005, 15, 1731.」、「Tomizaki, K.-Y.; Mihara, H. Mol. BioSyst. submitted.」を参照)。図6に示すように、反応チューブにペプチド基質(50μM)、cAMP(1mM)及びATP(1mM)を溶解した緩衝溶液(100μL,100mMHEPES,pH7.0,5mMMgCl2)を加え、ここに必要量の酵素を添加して、30℃で1時間インキュベーションを行った。
【0045】
反応液を光照射により無色のスピロピラン型に変換し、反応液(10μL)、イオン性ポリマー(2μL、終濃度10μM)と緩衝液(88μL,20mMTris−HCl,pH7.4)を混合し、96穴マイクロプレート上にて無色のスピロピラン型から桃色蛍光性のメロシアニン型へ60分間着色反応を行った。
【0046】
蛍光強度測定はPerkinElmer社製1420Multilabel Counter ARVO MX(Excitation filter=F485,Emission filter=580±0)で行った。ペプチド側鎖のリン酸化状態はイオン性ポリマー(PLX)を添加した反応液の蛍光強度(着色量FPLX)をイオン性ポリマー無添加反応液の蛍光強度(着色量FNone)と比較するFPLX/FNoneを指標として評価した。
【0047】
図7に各ペプチドの着色量のポリアスパラギン酸依存性を、図8にポリリシン依存性の結果を示す。図7において、すべてリン酸化されたSP−pYpSの値は、0.89倍であった。これは、モノリン酸化ペプチド、SP−YpS(0.20倍)、SP−pYS(0.23倍)、及び非リン酸化ペプチドSP−YS(−0.22倍)と比較し強いシグナルであった。
【0048】
一方、図8のポリリシン依存性検討では、非リン酸化ペプチドSP−YS(2.09倍)が最も強いシグナルを与え、モノリン酸化ペプチドSP−YpS(1.44倍)、SP−pYS(1.20倍)、二リン酸化ペプチドSP−pYpS(0.83倍)の順にシグナルが弱くなった。
【0049】
これらのイオン性ポリマー添加効果は、リン酸基付加によるペプチド総電荷の変化を反映していると考えられる。図9に示すように、非リン酸化状態のペプチドSP−YSの総電荷は、+4であるが、どちらか一カ所がリン酸化を受けると+2となり、全てがリン酸化を受けると総電荷は中性となる。
【0050】
これらリン酸化に伴うペプチドの総電荷の変化を、添加したイオン性ポリマーが静電的相互作用により認識して複合体を形成すると、ポリマーマトリックス中のスピロピラン分子の運動性が低下し、結果的に無色のスピロピラン型から桃色蛍光性のメロシアニン型への着色反応が抑制される。
【0051】
つまり、ポリアスパラギン酸を添加することによって、非リン酸化ペプチドの着色は抑制されるが、リン酸化ペプチドの場合は電荷反発のためポリアスパラギン酸との複合体形成が不利となり、着色速度の抑制効果は低下する。よって、AND型論理回路として機能すると考えられる。
【0052】
また、どちらか一方がリン酸化されたペプチドの総電荷は、+2なのでポリアスパラギン酸と弱く結合する。その結果、両キナーゼ存在時と比べると弱いシグナルが確認できることから、シグナル敷居値を下げることで少なくともキナーゼのどちらかが存在するとシグナルが得られるOR型論理回路機能を発現できる。
【0053】
一方、カチオン性ポリマーであるポリリシンを添加すると、非リン酸化ペプチド(総電荷+4)との静電反発によって複合体が不利となり、逆に対イオン効果によりメロシアニン型の安定化に寄与し着色量が増加したと考えられる。どちらか一方がリン酸化されたペプチド(総電荷+2)では着色量微増、また全てリン酸化されたペプチド(総電荷中性)では着色量が若干減少した。よって、非リン酸化状態のみ他と比べて強いシグナルを与えるNOR型論理回路として機能すると考えられる。
【0054】
<フォトクロミックタンデムキナーゼ基質を用いるAND/OR型論理回路性能評価>
SrcN1基質とPKA基質を連結したフォトクロミックペプチド基質(SP−YS)をATP及びcAMP存在下、十分量のSrcN1(6ng/μL)とPKA(10ng/μL)、SrcN1(6ng/μL)のみ、PKA(10ng/μL)のみ、及びキナーゼ無しの4条件にてリン酸化反応による情報インプットを行った(図10を参照)。
【0055】
反応チューブにペプチド基質(50μM)、cAMP(1mM)及びATP(1mM)を溶解した緩衝溶液(100μL,100mMHEPES,pH7.0,5mMMgCl2)を加え、ここに必要量の酵素を添加して、30℃で1時間インキュベーションを行った。
【0056】
反応液を光照射により無色のスピロピラン型に変換し、反応液(10μL)、イオン性ポリマー(2μL、終濃度10μM)と緩衝液(88μL,20mMTris−HCl,pH7.4)を混合し、96穴マイクロプレート上にて無色のスピロピラン型から桃色蛍光性のメロシアニン型へ60分間着色反応を行った。
【0057】
蛍光強度測定は、PerkinElmer社製1420 Multilabel Counter ARVO MX(Excitation filter=F485,Emission filter=580±0)にて行った。AND/OR型論理回路機能発現のために、ここではプログラミングインプットとしてポリアスパラギン酸を用いた。
【0058】
ペプチド側鎖のリン酸化状態はポリアスパラギン酸を添加した反応液の蛍光強度(着色量FPLD)をイオン性ポリマー無添加反応液の蛍光強度(着色量FNone)と比較するFPLD/FNoneを指標として評価した。
【0059】
SrcN1とPKAが共存するときの値は、0.57倍であった。これは他の条件、SrcN1のみ(0.17倍)、PKAのみ(0.23倍)、及びキナーゼ無し(−0.22倍)と比較し明らかに強いシグナルであり、閾値をFPLD/FNone=0.4に設定することでAND論理回路として機能することが示された。また、敷居値をFPLD/FNone=0.1に設定することで少なくともどちらか一方のキナーゼが存在するときシグナルを与えるOR論理回路として機能することも示唆された。
【0060】
<フォトクロミックタンデムキナーゼ基質を用いるNOR型論理回路性能評価>
上記と同様に、リン酸化反応液にプログラミングインプットとしてカチオン性ポリマーであるポリリシンを添加して着色反応を行ったところ、非リン酸化状態のペプチドが2.10倍の強いシグナルを与えた(図11を参照)。
【0061】
一方、SrcN1とPKAの両方あるいはどちらか一方が存在するとき1.1−1.4倍の比較的弱いシグナルを与えた。このことは、ポリリシン添加時における無色のスピロピラン型から桃色蛍光性のメロシアニン型への着色反応の敷居値を1.6に設定することで、NOR論理回路機能が発現可能であることが分かった。
【0062】
図12に真偽表を示す。2種類のキナーゼによるインプット情報をプログラミングインプットによってAND/OR/NORへのデータ変換行うことが可能であった。これらの論理回路は、分子コンピュティングにおける技術基盤の一つであり、分子デバイスなどへの応用が期待される。
【0063】
このように2種の特異的キナーゼ基質を連結したフォトクロミックペプチド基質を合成し、キナーゼリン酸化活性を情報インプットとする分子論理回路は、スピロピラン分子のメロシアニン型が発する蛍光を用いて情報の読み出しが可能であった。
【0064】
また、キナーゼあるいはフォスファターゼにより修飾を受けたペプチドは、それらの反応溶液を低温保存することで、インプット情報をペプチド側鎖に記録したまま保存と情報読み出し(記憶と読み出し)が可能である。
【0065】
本発明に係る分子メモリ及び分子論理回路では、基質総電荷が変化する触媒活性が利用可能である。したがって、キナーゼ活性以外の触媒活性、例えばヒストンアセチルトランスフェラーゼ・ヒストンデアセチラーゼが触媒するリシン側鎖アミノ基のアセチル化・脱アセチル化反応サイクルなどは、本発明において利用することができる。なお、本発明に係る分子論理回路では、基質総電荷に応じた着色を可視的に区別して、「0」「1」と明確に判別するためには、総電荷が正電荷を持った状態(+)から最終的にニュートラル(0)へ変化するようにするのが好ましい。
【0066】
本実施例においては、インプットは二種類のキナーゼのみを示したが、種々のキナーゼやフォスファターゼ及びヒストンアセチルトランスフェラーゼ、ヒストンデアセチラーゼなどの特異的基質を設計・連結することで、さらに複雑で多様な分子論理回路構築が期待できる。例えば、トレオニンはセリンと類似するアミノ酸であり、セリン及びトレオニンのどちらのアミノ酸もプロテインキナーゼC−alphaによりリン酸化される。したがって、キナーゼ基質中のリン酸化を受けるアミノ酸として、セリン、トレオニン及びチロシンを組み合わせてフォトクロミックペプチド基質を設計合成しても、本実施例と同様に分子論理回路を構築することができる。
【0067】
なお、本発明は上述した実施の形態のみに限定されるものではなく、本発明の要旨を逸脱しない範囲において種々の変更が可能であることは勿論である。
【図面の簡単な説明】
【0068】
【図1】タンパク質翻訳後修飾酵素の反応サイクルであって、(A)キナーゼとフォスファターゼによる基質のリン酸化及び脱リン酸化反応サイクルを示す模式図、(B)ヒストンアセチルトランスフェラーゼとヒストンデアセチラーゼによる基質のアセチル化及び脱アセチル化反応サイクルを示す模式図である。
【図2】設計合成したスピロピラン含有ペプチドのアミノ酸配列を示す模式図である。
【図3】本発明の一実施形態における分子論理回路の模式図である。
【図4】スピロピラン誘導体の中性水溶液中における異性化反応を示す模式図である。
【図5】スピロピラン含有ペプチドの合成スキームを示す図である。
【図6】キナーゼによる情報インプットとスピロピラン誘導体のフォトクロミズムを利用した情報読み出し操作概略を示す図である。
【図7】アニオン性ポリマーであるポリアスパラギン酸(PLD)存在下における無色スピロピラン型から桃色メロシアニン型への着色反応のペプチド側鎖リン酸化状態依存性を示す図である。
【図8】カチオン性ポリマーであるポリリシン(PLK)存在下における無色スピロピラン型から桃色メロシアニン型への着色反応のペプチド側鎖リン酸化状態依存性を示す図である。
【図9】リン酸化反応にともなうペプチド基質総電荷の変化と無色スピロピラン型から桃色メロシアニン型への着色反応性の関係を示す図である。
【図10】プログラミングインプットとしてアニオン性ポリマーであるポリアスパラギン酸(PLD)を添加するAND/OR型論理回路機能発現を示す図である。
【図11】プログラミングインプットとしてカチオン性ポリマーであるポリリシン(PLK)を添加するNOR型論理回路機能発現を示す図である。
【図12】2種類のキナーゼを情報インプットとする分子論理回路の真偽表である。
【図13】コンピュティングのために基本となるAND/OR/NOT型論理回路の真偽表である。
【図14】化学インプットによるAND型分子論理回路の模式図である。
【図15】ナトリウムイオンとプロトンの共存によって蛍光強度が増大するAND型論理回路の模式図である。
【図16】ナトリウムイオン、プロトン及び亜鉛イオンの共存によって蛍光強度が増大するAND型論理回路の模式図である。
【特許請求の範囲】
【請求項1】
溶液からなる分子メモリであって、
分子中にアミノ酸残基を結合してなるペプチド誘導体と、
上記アミノ酸残基に共有結合して電荷の変化をもたらす化合物の供給源となる物質と、を上記溶液に含有し、
上記アミノ酸残基に上記化合物を共有結合させる活性を有する酵素が上記溶液に添加されることにより情報が入力され、上記化合物を上記アミノ酸残基に共有結合させて情報を記録することを特徴とする分子メモリ。
【請求項2】
上記ペプチド誘導体は分子中にアミノ酸残基とフォトクロミック化合物とを結合してなり、
静電的相互作用によりペプチド誘導体との複合体を形成すると上記フォトクロミック化合物の異性化を抑制するイオン性物質を上記溶液に含有し、
情報として記録した上記ペプチド誘導体の総電荷量を上記ペプチド誘導体と上記イオン性物質との静電的相互作用による複合体の形成量に反映させ、上記複合体の形成量を上記フォトクロミック化合物の異性化を抑制する程度に反映させて上記フォトクロミック化合物の光学的特性として情報を出力することを特徴とする請求項1に記載の分子メモリ。
【請求項3】
上記アミノ酸残基はセリン、チロシン、及びトレオニンのうち少なくとも1つを含み、上記化合物の供給源となる物質はアデノシントリフォスフェートであることを特徴とする請求項1に記載の分子メモリ。
【請求項4】
上記アミノ酸残基はセリン、チロシン、及びトレオニンのうち少なくとも1つを含み、上記化合物の供給源となる物質はアデノシントリフォスフェートであり、上記フォトクロミック化合物はスピロピランであり、上記イオン性物質はポリアスパラギン酸又はポリリシンであることを特徴とする請求項2に記載の分子メモリ。
【請求項5】
溶液からなる分子論理回路であって、
分子中に第1のアミノ酸残基と第2のアミノ酸残基とフォトクロミック化合物とを結合してなるペプチド誘導体と、
上記第1及び第2のアミノ酸残基に共有結合して電荷の変化をもたらす化合物の供給源となる物質と、
静電的相互作用によりペプチド誘導体との複合体を形成すると上記フォトクロミック化合物の異性化を抑制するイオン性物質と、を上記溶液に含有し、
上記第1のアミノ酸残基に上記化合物を共有結合させる活性を有する第1の酵素と上記第2のアミノ酸残基に上記化合物を共有結合させる活性を有する第2の酵素とが上記溶液に選択されて添加されることにより情報が入力され、上記化合物を上記アミノ酸残基に共有結合させて情報を記録し、情報として記録した上記ペプチド誘導体の総電荷量を上記ペプチド誘導体と上記イオン性物質との静電的相互作用による複合体の形成量に反映させ、上記複合体の形成量を上記フォトクロミック化合物の異性化を抑制する程度に反映させて、上記第1及び第2の酵素の添加による情報の入力があった場合、上記第1又は第2の酵素の添加による情報の入力あった場合、又は、上記第1又は第2の酵素の無添加による情報の入力がなかった場合の上記フォトクロミック化合物の光学的特性として情報を出力することを特徴とする分子論理回路。
【請求項6】
上記フォトクロミック化合物の光学的特性の変化が第1の閾値により判別され、上記第1及び第2の酵素の添加による情報の入力があった場合、及び、上記第1又は第2の酵素の添加による情報の入力あった場合の上記フォトクロミック化合物の光学的特性として出力した情報は1として読み出され、上記第1又は第2の酵素の無添加による情報の入力がなかった場合の上記フォトクロミック化合物の光学的特性として出力した情報は0として読み出されることを特徴とする請求項5に記載の分子論理回路。
【請求項7】
上記フォトクロミック化合物の光学的特性の変化が第2の閾値により判別され、上記第1及び第2の酵素の添加による情報の入力があった場合の上記フォトクロミック化合物の光学的特性として出力した情報は1として読み出され、上記第1又は第2の酵素の添加による情報の入力あった場合、及び、上記第1又は第2の酵素の無添加による情報の入力がなかった場合の上記フォトクロミック化合物の光学的特性として出力した情報は0として読み出されることを特徴とする請求項5に記載の分子論理回路。
【請求項8】
上記フォトクロミック化合物の光学的特性の変化が第3の閾値により判別され、上記第1及び第2の酵素の添加による情報の入力があった場合、及び、上記第1又は第2の酵素の添加による情報の入力あった場合の上記フォトクロミック化合物の光学的特性として出力した情報は0として読み出され、上記第1又は第2の酵素の無添加による情報の入力がなかった場合の上記フォトクロミック化合物の光学的特性として出力した情報は1として読み出されることを特徴とする請求項5に記載の分子論理回路。
【請求項9】
上記フォトクロミック化合物の光学的特性の変化が第4の閾値により判別され、上記第1及び第2の酵素の添加による情報の入力があった場合の上記フォトクロミック化合物の光学的特性として出力した情報は0として読み出され、上記第1又は第2の酵素の添加による情報の入力あった場合、及び、上記第1又は第2の酵素の無添加による情報の入力がなかった場合の上記フォトクロミック化合物の光学的特性として出力した情報は1として読み出されることを特徴とする請求項5に記載の分子論理回路。
【請求項10】
上記第1及び第2のアミノ酸残基はセリン、チロシン、及びトレオニンのうち何れか2つであり、上記化合物の供給源となる物質はアデノシントリフォスフェートであり、上記フォトクロミック化合物はスピロピランであり、上記イオン性物質はポリアスパラギン酸であることを特徴とする請求項6又は請求項7に記載の分子論理回路。
【請求項11】
上記第1及び第2のアミノ酸残基はセリン、チロシン、及びトレオニンのうち何れか2つであり、上記化合物の供給源となる物質はアデノシントリフォスフェートであり、上記フォトクロミック化合物はスピロピランであり、上記イオン性物質はポリリシンであることを特徴とする請求項8又は請求項9に記載の分子論理回路。
【請求項1】
溶液からなる分子メモリであって、
分子中にアミノ酸残基を結合してなるペプチド誘導体と、
上記アミノ酸残基に共有結合して電荷の変化をもたらす化合物の供給源となる物質と、を上記溶液に含有し、
上記アミノ酸残基に上記化合物を共有結合させる活性を有する酵素が上記溶液に添加されることにより情報が入力され、上記化合物を上記アミノ酸残基に共有結合させて情報を記録することを特徴とする分子メモリ。
【請求項2】
上記ペプチド誘導体は分子中にアミノ酸残基とフォトクロミック化合物とを結合してなり、
静電的相互作用によりペプチド誘導体との複合体を形成すると上記フォトクロミック化合物の異性化を抑制するイオン性物質を上記溶液に含有し、
情報として記録した上記ペプチド誘導体の総電荷量を上記ペプチド誘導体と上記イオン性物質との静電的相互作用による複合体の形成量に反映させ、上記複合体の形成量を上記フォトクロミック化合物の異性化を抑制する程度に反映させて上記フォトクロミック化合物の光学的特性として情報を出力することを特徴とする請求項1に記載の分子メモリ。
【請求項3】
上記アミノ酸残基はセリン、チロシン、及びトレオニンのうち少なくとも1つを含み、上記化合物の供給源となる物質はアデノシントリフォスフェートであることを特徴とする請求項1に記載の分子メモリ。
【請求項4】
上記アミノ酸残基はセリン、チロシン、及びトレオニンのうち少なくとも1つを含み、上記化合物の供給源となる物質はアデノシントリフォスフェートであり、上記フォトクロミック化合物はスピロピランであり、上記イオン性物質はポリアスパラギン酸又はポリリシンであることを特徴とする請求項2に記載の分子メモリ。
【請求項5】
溶液からなる分子論理回路であって、
分子中に第1のアミノ酸残基と第2のアミノ酸残基とフォトクロミック化合物とを結合してなるペプチド誘導体と、
上記第1及び第2のアミノ酸残基に共有結合して電荷の変化をもたらす化合物の供給源となる物質と、
静電的相互作用によりペプチド誘導体との複合体を形成すると上記フォトクロミック化合物の異性化を抑制するイオン性物質と、を上記溶液に含有し、
上記第1のアミノ酸残基に上記化合物を共有結合させる活性を有する第1の酵素と上記第2のアミノ酸残基に上記化合物を共有結合させる活性を有する第2の酵素とが上記溶液に選択されて添加されることにより情報が入力され、上記化合物を上記アミノ酸残基に共有結合させて情報を記録し、情報として記録した上記ペプチド誘導体の総電荷量を上記ペプチド誘導体と上記イオン性物質との静電的相互作用による複合体の形成量に反映させ、上記複合体の形成量を上記フォトクロミック化合物の異性化を抑制する程度に反映させて、上記第1及び第2の酵素の添加による情報の入力があった場合、上記第1又は第2の酵素の添加による情報の入力あった場合、又は、上記第1又は第2の酵素の無添加による情報の入力がなかった場合の上記フォトクロミック化合物の光学的特性として情報を出力することを特徴とする分子論理回路。
【請求項6】
上記フォトクロミック化合物の光学的特性の変化が第1の閾値により判別され、上記第1及び第2の酵素の添加による情報の入力があった場合、及び、上記第1又は第2の酵素の添加による情報の入力あった場合の上記フォトクロミック化合物の光学的特性として出力した情報は1として読み出され、上記第1又は第2の酵素の無添加による情報の入力がなかった場合の上記フォトクロミック化合物の光学的特性として出力した情報は0として読み出されることを特徴とする請求項5に記載の分子論理回路。
【請求項7】
上記フォトクロミック化合物の光学的特性の変化が第2の閾値により判別され、上記第1及び第2の酵素の添加による情報の入力があった場合の上記フォトクロミック化合物の光学的特性として出力した情報は1として読み出され、上記第1又は第2の酵素の添加による情報の入力あった場合、及び、上記第1又は第2の酵素の無添加による情報の入力がなかった場合の上記フォトクロミック化合物の光学的特性として出力した情報は0として読み出されることを特徴とする請求項5に記載の分子論理回路。
【請求項8】
上記フォトクロミック化合物の光学的特性の変化が第3の閾値により判別され、上記第1及び第2の酵素の添加による情報の入力があった場合、及び、上記第1又は第2の酵素の添加による情報の入力あった場合の上記フォトクロミック化合物の光学的特性として出力した情報は0として読み出され、上記第1又は第2の酵素の無添加による情報の入力がなかった場合の上記フォトクロミック化合物の光学的特性として出力した情報は1として読み出されることを特徴とする請求項5に記載の分子論理回路。
【請求項9】
上記フォトクロミック化合物の光学的特性の変化が第4の閾値により判別され、上記第1及び第2の酵素の添加による情報の入力があった場合の上記フォトクロミック化合物の光学的特性として出力した情報は0として読み出され、上記第1又は第2の酵素の添加による情報の入力あった場合、及び、上記第1又は第2の酵素の無添加による情報の入力がなかった場合の上記フォトクロミック化合物の光学的特性として出力した情報は1として読み出されることを特徴とする請求項5に記載の分子論理回路。
【請求項10】
上記第1及び第2のアミノ酸残基はセリン、チロシン、及びトレオニンのうち何れか2つであり、上記化合物の供給源となる物質はアデノシントリフォスフェートであり、上記フォトクロミック化合物はスピロピランであり、上記イオン性物質はポリアスパラギン酸であることを特徴とする請求項6又は請求項7に記載の分子論理回路。
【請求項11】
上記第1及び第2のアミノ酸残基はセリン、チロシン、及びトレオニンのうち何れか2つであり、上記化合物の供給源となる物質はアデノシントリフォスフェートであり、上記フォトクロミック化合物はスピロピランであり、上記イオン性物質はポリリシンであることを特徴とする請求項8又は請求項9に記載の分子論理回路。
【図1】
【図2】
【図3】
【図4】
【図5】
【図6】
【図7】
【図8】
【図9】
【図10】
【図11】
【図12】
【図13】
【図14】
【図15】
【図16】
【図2】
【図3】
【図4】
【図5】
【図6】
【図7】
【図8】
【図9】
【図10】
【図11】
【図12】
【図13】
【図14】
【図15】
【図16】
【公開番号】特開2008−31105(P2008−31105A)
【公開日】平成20年2月14日(2008.2.14)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−207019(P2006−207019)
【出願日】平成18年7月28日(2006.7.28)
【出願人】(304021417)国立大学法人東京工業大学 (1,821)
【Fターム(参考)】
【公開日】平成20年2月14日(2008.2.14)
【国際特許分類】
【出願日】平成18年7月28日(2006.7.28)
【出願人】(304021417)国立大学法人東京工業大学 (1,821)
【Fターム(参考)】
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