説明

制約による高速・高精度な糖鎖配列決定法

【課題】質量スペクトル上の多数のピークから高速・高精度に糖鎖の配列を決定する。
【解決手段】分析対象となる糖鎖および開裂施行によって得た複数の糖鎖断片に開裂施行を含む質量分析を行い、得られた複数の質量データとあらかじめ求められている各種糖鎖の構造または配列データとを照合し糖鎖配列を決定すること、もしくは質量スペクトル中の質量ピーク自身の組合せにより、糖鎖配列を直接的に決定することにおいて発生する膨大な配列決定演算を糖鎖の生合成における配列・構造特性ならびに開裂前の分析質量における制約を用いて減少させることで、実測の質量スペクトルが示す糖鎖配列を決定する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、質量分析を用いた糖鎖配列解析の方法に関する。
【背景技術】
【0002】
現在、生命現象の解明にはゲノムやタンパク質だけでなく、糖鎖まで含めた研究が必要であるとの認識が高まってきている。例えば、タンパク質が生体内で機能する上では糖鎖が介在してタンパク質の機能を調整していることが知られており(非特許文献1)、生体内におけるタンパク質の約50%に糖鎖が修飾された状態で存在していると推測されている(非特許文献2)。
【0003】
糖鎖が生体内で重要かつ多岐に渡る機能を果たす理由として、糖鎖の構造多様性が挙げられる。例えば、核酸は4種類、アミノ酸は20種類あるがその結合様式は1種類しかないので、核酸2塩基の配列は4×4=16通り、ジペプチドの配列は20×20=400通りである。それに対し糖鎖は、ヘキソース(Hex)ではグルコース(Glc)、ガラクトース(Gal)、マンノース(Man)の3種しか生体内には存在しないが、α型、β型のアノマーが存在し、かつ各々が結合可能な水酸基を5つ有する。Hexのみを検討しても考えられる結合様式も含めた糖鎖配列は多様であり、また、実際に糖鎖を構成する単糖はHexに限らない。更に、核酸、タンパク質は直鎖分子であるが、糖鎖は分岐構造を有するものも存在する為、糖鎖分析は核酸やタンパク質の研究と比べて難しく、解析に多くの時間が費やされている。
【0004】
糖鎖を開裂施行を伴う質量分析により測定する場合、質量分析器内においての開裂は不均一に起こるわけでなく、単糖間のグリコシル結合、もしくはピラノース環の特定位置において開裂が起き易いことが知られている(図1)。また、開裂位置と開裂が起こる確率がある程度均一であれば、質量分析器内で開裂を繰り返すことで、糖鎖を構成する単糖全てのフラグメント質量が検出される。例えば、図2に示したアスパラギン(Asn)結合型糖鎖(N‐結合型糖タンパク質糖鎖)の開裂を含む質量分析(MS)の分析結果においては、初めの開裂(MS)により糖鎖の各末端を含む糖鎖フラグメント、つまり、還元末端側のN‐アセチルグルコサミン(GlcNAc)を含んだ糖鎖配列とそれ以外の非還元末端側の糖鎖配列が検出され、更なる開裂(MS)により糖鎖フラグメント自身の開裂を起こす。したがって、開裂により検出されるフラグメント質量に対応する単糖の組合せを求めること、または既知の糖鎖データベースと比較検討することで糖鎖配列の推定が可能となる。
【0005】
配列決定において糖鎖データベースと比較するべく、質量分析ではあらゆるピークに対してMS分析を行うが、測定者による開裂対象ピークの選定に掛かる時間や無秩序に行われる多数の開裂を伴う質量分析が分析時間を増大させるばかりでなく、生成される分析データをも増大させ、配列解析における計算量が増大している。
【0006】
フラグメント質量に対応する糖鎖配列を単糖の組合せより求める方法ならびに、糖鎖データベースと比較する方法は、タンパク質の質量分析による同定ならびに配列決定法(特許文献1、2)におけるタンパク質を糖鎖として、アミノ酸を単糖として考えることで、同等の手法により比較評価が可能である。糖鎖を構成する単糖が3種類のHexからなる2糖の配列組合せであると考えるだけでも、2つのアノマーと5つの結合可能な部位(水酸基)より、(3(単糖)×2(アノマー)×5(結合部位))=900通りもの結合様式も含めた糖鎖配列が想定され、実際の糖鎖配列において考えられる配列長と分岐構造を含めると、莫大な数の組合せが発生し、データベースとの比較検討が難解になる。
【0007】
【非特許文献1】Varki A,et al.,Glycobiology,3,97‐130(1993)
【非特許文献2】Apweiler R,et al.,Biochim Biophy sActa,1473,4‐8(1999)
【特許文献1】特開2006−162556
【特許文献2】特開平11−237383
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
本発明が解決しようとする課題は、質量スペクトル用いた糖鎖配列決定において必要とする質量分析を限定し、かつ開裂試行を含む単糖の質量データもしくは糖鎖のデータベースとの比較検討の上で発生する莫大な糖鎖配列の組合せ計算を制限することで、高速・高精度に糖鎖配列を決定する方法を提供することである。
【課題を解決する為の手段】
【0009】
上記課題を克服するため、本発明の糖鎖配列決定法では、糖鎖および開裂施行によって得た複数の糖鎖断片に複数回の開裂施行を含む質量分析を行い、得られた複数の質量スペクトルをあらかじめ求められている各種糖鎖配列データベースと照合し、対応する配列データを有する糖鎖に各質量スペクトル中の質量ピークを割り当てる。それとともに、割り当てられた各質量ピークの開裂施行によって得た質量スペクトル中の質量ピークと配列データとの一致状態を求める。複数の糖鎖配列データに同様の質量データの割当てを行い、開裂による質量データと配列データとの一致状態が高い糖鎖を選出する。
【0010】
また本発明は、得られた複数の質量スペクトルを糖鎖配列データベースではなく、糖鎖を構成する単糖の質量の組合せと照合し、割り当てられた各質量ピークの開裂によるフラグメント質量のデータと配列データとの一致状態を求め、複数の単糖の質量の組合せに同様の質量データの割り当てを行い、開裂によるフラグメント質量のデータと配列データとの一致状態が高い糖鎖を選出することも含む。
【0011】
得られた複数の質量スペクトルに対して、糖鎖配列データベースとの照合、または糖鎖を構成する単糖の質量の組合せと照合を問わず、質量スペクトルを導出したプレカーサーイオンから糖鎖配列を構成する単糖の組合せを予測する。
【0012】
配列解析における質量分析ではあらゆるピークに対して開裂を含む質量分析を行うが、測定者による開裂対象ピーク選定に掛かる時間や無秩序に行われる開裂を伴う多数の質量分析が分析時間を増大させるばかりでなく、分析データを増大させ、配列解析における計算量を増大させている。その為、この単糖組合せによる配列予測を質量分析に反映させることで、開裂試行を用いて測定するべきピークを選択し、解析時間を増大させる質量分析を減少させる。
【0013】
糖鎖および糖鎖断片の開裂による質量スペクトルの開裂前のプレカーサー質量は、糖鎖を構成するいくつかの単糖の組合せによって算出される質量もしくはそれにアグリコン(糖鎖成分以外の部分)の質量を加えたと一致する必要がある。単糖を組合せて、開裂前の質量を超える、もしくは不足する質量と組合せは予測する組合せに該当しない。この単糖の組合せを予測する具体的な手法は、ナップサック問題を代表とする制限付き組合せ問題の解法に該当する。
【0014】
単糖の組合せの予測においては、糖鎖の生合成における制約を同時に用いる。コア構造は複合糖質の種類によって異なるが生体内での糖鎖のコア構造に用いられる糖鎖配列は、解析対象の糖鎖に含まれるという前提で予測する単糖の組合せを計算する。
【0015】
生体内における糖鎖のコア構造に対し、決められた分岐もしくは決められた単糖の決められた結合が許されることを糖鎖の生合成における制限として単糖の組合せを予測する。制限によって単純に質量スペクトルを導いたプレカーサーイオンの質量を満たす単糖の組合せを網羅的に列挙する必要がなくなり、高速に予測する単糖の組合せが計算できる。
【0016】
〔0011〕から〔0015〕によって予測された単糖の組合せより、糖鎖配列データベースから該当する糖鎖配列を選択すること、もしくは予測された単糖の組合せと質量スペクトルとを直接的に比較することで、膨大な照合における計算を削減し糖鎖配列を決定する。
【発明の効果】
【0017】
開裂試行を含んだ糖鎖の質量分析により導出される膨大な数の質量ピークと糖鎖データベースとの比較(照合)または質量データより単糖の質量の組合せを行う上で障害となる膨大な計算量を、本発明による糖鎖の生合成特性と質量による制約を用いることで大幅に削減し、糖鎖の配列決定を可能にする。
【0018】
また、生合成特性と質量による制約による配列予測を測定にフィードバックすることにより、開裂試行を実施する必要のある質量ピークの選択的な制限を行い、配列決定において必要最小限となる質量スペクトルの測定ならびに計算を可能にし、糖鎖配列決定の高速化を実現する。
【発明を実施するための最良の形態】
【0019】
以下、本発明を更に詳細に説明するが、以下の構成要件の説明は本発明の実施態様の代表例であり、本発明はこれらの内容のみに特定されるものではない。
本発明を実施する上で必要となる測定糖鎖は、あらかじめ還元末端に特定の修飾を行うことで、質量分析前に測定サンプル中のアグリコンの分子量を明確にする。Asn結合型糖鎖(N‐結合型糖タンパク質糖鎖)を例に挙げると、還元末端側のGlcNAcのアノマー位にピリジルアミノ基等を導入する形で修飾を行い、測定サンプル中の糖鎖部分の質量とアグリコンの質量が把握できる状態で質量分析を実施。
【0020】
測定サンプルに対しては、ラベル修飾を行ったサンプル全体の質量電荷比、つまりプレカーサーイオンを測定すると共に、その測定サンプルに対して質量分析装置により定義されるエネルギーを加えることで測定サンプルを開裂させた質量スペクトル、またその開裂スペクトルを更に開裂させて得られる質量スペクトルといった他段階の開裂試行を含む質量分析の実施。
【実施例】
【0021】
以下、実施例を挙げて本発明を詳細に説明するが、本発明の範囲はこれらの実施例により限定されるものではない。
図1に示されたAsn結合型糖鎖を例として、配列解析の方法を説明する。糖鎖を質量分析する場合、あらかじめ還元末端側のGlcNAcのアノマー位に対してピリジルアミノ基等の修飾によるラベル化を実施することが一般的であり、糖鎖と測定者があらかじめ知ることの出来るラベルが結合したサンプルを測定することとなる。本例においては、そのラベルを省略し、末端がAsnである糖鎖を測定した場合の解析を示している。開裂を伴わない質量分析(MS)実施では、図1に示される分子全体の質量にナトリウムイオンが付加した質量電荷比(m/z)=1777.7が得られ、その質量電荷比を質量に換算し、Asnの分子量を差し引くことで糖鎖全体の分子量が1640Daであると決定できる。
【0022】
図2では、Asn結合型糖鎖の糖鎖生合成のルールを制約として纏めている。この制約2により与えられる還元末端側の5つの単糖からなる糖鎖がAsn結合型糖鎖のコア構造(910.5Da)であり、その構造以外に図1に含まれる単糖の集合全体は1640.0Da−910.5Da=730.4Daの計算結果により、2つのHexと2つのN‐アセチルヘキソサミン(HexNAc)が基本構造に付加された図3の配列が測定された糖鎖配列の候補であると判断できる。
【0023】
また、得られた図1の全体のm/zを示すピークに対して開裂を含む質量分析を行った(MS)の結果である図4中のm/z=1442.7のピークは、制約2による基本構造から、図5に示す還元末端側に存在する2つのGlcNAc間のグリコシル結合が開裂により、Asnとそれに結合するGlcNAcが欠如した非還元末端側のピークと考えられる。このピークは配列を求める上で明らかになっていない2つのHexと2つのHexNAcが含まれる糖鎖断片であるため、この質量電荷比をもつピークを選択的に次の開裂試行を用いた質量分析(MS)の対象として質量分析を実施する。
【0024】
図6はMSの分析結果を示している。m/z=1442.7のピーク(S11)は、前述のAsnと還元末端側のGlcNAcが一つ欠失した図5の糖鎖を示すピークであり本開裂においてフラグメント化できなかったと考えられるため、開裂前の構造と同等である。S1はHex2つ分を示しており、2つのMan、2つのGal、もしくはManとGalの組合せであると考えられる。S3のピークはHex3つ分を示しており、制約2のコア構造内にある3つのManの分岐構造、またS1はそのManのうちの連続する2つに由来するピークである可能性が示唆される。S3のピークからさらにHex分を加えたピーク、つまりHex4つ分の648Daがイオン化したピークおよびHex5つ分810Daに相当するピークが存在しないため、コア構造のManの分岐に繋がる単糖はHexではなく、また、図2の制約3よりGlcNAcが繋がる複合型のAsn結合型糖鎖と考えられる。よって、図3cおよびeは想定できなくなる。
【0025】
ここで、図3aのManの分岐後に結合した、2つのHexと2つのHexNAcを考える。HexNAcが連続した配列と連続しない配列が考えられるが、2つのHexNAcに相当するフラグメントピークが得られないことから前者が、また、2つのHexと2つのHexNAcに相当するフラグメントピークが無いことより後者の配列が想定できなくなる。さらに、図3dのManの分岐後に結合した、2つのHexと1つのHexNAcに関しては、コア構造内の3つのManと2つのHex、1つのHexNAcを含んだピークが存在しない為、図3dの配列を想定することも難しい。
【0026】
よって図3cが配列解析候補として、単糖の配列としての順序を考える。前述の通り4つのHexによるピークが存在しない為、コア構造中の3つのMan以降はHexNAcであり、制約3iiよりGlcNAcと決定できる。GlcNAcに続くHexは制約3i,iiiよりManではなく、Galであると考えられる。
【0027】
上記により予想される配列は、図7のようになる。データベースを参照することなく予想配列を一つに絞り込めたが、図7をデータベースと照らし合わせることで予想される配列の確定が行える。また配列の候補が複数ある場合は、候補配列のみをデータを検索することで配列決定は実施可能である。
【0028】
以上の一連の解析の流れを図8のフローチャートとして示す。
【図面の簡単な説明】
【0029】
【図1】実施例において配列決定を行ったAsn結合型糖鎖を示した図である。
【図2】Asn結合型糖鎖における生合成を用いた制約を示した図である。
【図3】制約の検討により考えられる配列の組合せを示した図である。
【図4】開裂を伴う質量分析(MS)の結果を示した図である。
【図5】実施例において配列決定を行った糖鎖の単糖を用いた構成を示した図である。
【図6】更なる開裂を伴う質量分析(MS)の結果を示した図である。
【図7】配列解析後に絞り込まれた糖鎖配列の候補を示した図である。
【図8】実施例で示した解析のフローを示した図である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
分析対象となる糖鎖および開裂施行により得た複数の糖鎖断片に対して開裂試行を含む質量分析を行い、得られた複数の質量スペクトルをあらかじめ求められている各種糖鎖の構造または配列データと照合し糖鎖配列を決定すること、もしくは糖鎖を構成する単糖の質量と質量スペクトル中の質量ピーク自身の組合せにより糖鎖配列を直接的に決定することにおいて発生する膨大な配列決定演算を糖鎖の生合成特性による制約を用いて減少させることを特徴とする実測の質量スペクトルが示す糖鎖配列を決定する方法。
【請求項2】
請求項1の膨大な配列決定演算を質量分析における開裂前の分析質量による制約を用いて減少させることを特徴とする実測の質量スペクトルが示す糖鎖配列を決定する方法。
【請求項3】
上記の制約の適用により、開裂スペクトルを測定するピークを限定する方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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