説明

印刷用紙又は印刷物の分析方法

【課題】 各種印刷用紙又は印刷物の内部構造や形成材料の分布状態、印刷物におけるインクの浸透状態等を、簡便且つ正確に解析し得る印刷用紙又は印刷物の分析方法を提供すること。
【解決手段】 印刷用紙又は印刷物の内部構造や形成材の分布状態、印刷物におけるインクの浸透状態等を解析するための印刷用紙又は印刷物の分析方法であって、印刷用紙及び/又は印刷物の作製に用いられるインクの形成材の構成原子の少なくとも1種を安定同位体に置換する工程、及び上記安定同位体が導入された印刷用紙又は上記安定同位体が導入されたインクを用いて作製された印刷物をその厚さ方向に沿って研削し、所定の研削深度における該安定同位体の濃度を測定する工程を備えることを特徴とする。上記研削は、SIMS又はGDMSにより行なうことが好ましい。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、印刷用紙又は印刷物における特定の有機物の分布状態、例えば、印刷用紙におけるバインダー成分の分布状態や印刷物におけるインクの浸透状態等を解析するための印刷用紙又は印刷物の分析方法に関する。
【背景技術】
【0002】
非塗工紙又は塗工紙等の各種印刷用紙及び該印刷用紙を用いて作製された印刷物の内部構造、これら印刷用紙や印刷物における添加薬品の厚さ方向の分布状態、塗工層の顔料やバインダーの分布状態、印刷物に浸透したインクの分布状態等に関する情報、特に有機系材料に関する情報は、印刷用紙やインクの印刷適性を解析する上で欠かせないものである。従来、このような情報の取得は、印刷用紙又は印刷物を厚さ方向に沿って物理的に切断して断面試料を作製し、その断面を光学顕微鏡や走査型電子顕微鏡(SEM:Scanning Electron Microscope)等を用いて観察する方法によってなされていた。断面試料の作製法としては、印刷用紙等をカミソリなどの刃物で直接切断する方法が簡便であるが、この方法は、切り出した断面の微細部分での構造破壊が著しく、高倍率の観察には不向きなため、試料を樹脂で包埋してから切断する方法(樹脂包埋法)が一般に用いられている。しかし、樹脂包埋法は、例えば写真用基材等に使用される樹脂被覆紙のように包埋樹脂の浸透性が低い試料に対しては適用することができず、また、印刷物に対して適用すると、インク成分の溶出若しくは移動又は変質、あるいは塗工材料の溶出等が起こるおそれがある。
【0003】
上記のような問題を解決するために、集束イオンビーム(FIB:Focused Ion Beam)装置を用いて印刷用紙等の断面試料を作製し、その断面を上記SEM、エネルギー分散型X線分析装置(EDX:Energy Dispersive X-ray Spectroscopy)又は波長分散型X線分析装置(EPMA:Electron Probe Micro Analyzer)を用いて観察する方法が開示されている(例えば、特許文献1及び2参照)。この観察方法によれば、紙層、塗工層及び用紙に転移した印刷インキ層などを破壊することなく、従来技術とは比較にならない程の高い精度で印刷用紙等の断面を切り出すことができるため、断面作製作業や断面観察に要していた時間や労力を大幅に軽減させることが可能となり、印刷用紙の内部構造や印刷物におけるインクの浸透状態等を正確に解析することができるとされている。
【0004】
しかしながら、上記観察方法を適用するためには、SEM、EDX又はEPMAによる観察対象物質(例えば、印刷物に浸透したインクの分布状態を解析する場合における該インク)中に、該観察対象物質の周囲(例えば、印刷物に浸透したインクの分布状態を解析する場合における該印刷物自体を構成するパルプや各種添加剤)にはほとんど存在しない元素(金属等)が含まれていなければならず、該観察方法が適用可能な分析対象は、実質的に限定されていた。このような問題を解決するため、観察対象物質をオスミウム金属(染色剤)により予め染色しておき、該染色剤をSEM等で検出する方法が提案されているが、該染色剤により染色可能な物質は、二重結合を有する有機物に限定されており、このような染色法を利用しても、上記観察方法が抱える問題は依然として解決できない。
【0005】
また、印刷用紙等の分析方法に関しては、上述した断面試料の観察方法とは別の方法も種々提案されている。例えば、非特許文献1には、印刷物に浸透したインクの分布状態の解析に二次イオン質量分析法(SIMS:Secondary Ion Mass Spectrometry)を用い、その際、ターゲット物質であるインク中に含まれるCa元素を標識元素として厚さ方向の分析を行う方法が提案されている。SIMSは、試料表面に1次イオンを照射し、試料表面からスパッタリングされた2次イオンを検出して、質量分析することにより固体の試料中の元素情報を取得する分析法であり、断面試料の作製が不要という特長を有する。しかし、この分析方法は、分析が可能な物質がCa元素のような標識金属元素を含む有機物に限られるため、適用範囲が限定的で汎用性に欠けるという問題がある。
【0006】
また、非特許文献2には、印刷用紙等の表面を定量的に切削し、該切削により発生した紙粉や切削された用紙をクロマトグラフィーによって分析する方法が開示されている。この方法は、非特許文献1に記載の方法のように、分析対象物質が標識金属元素を含む有機物に限定されることはないものの、定量的な切削を可能とする特別な装置を必要とする点で問題があり、また、クロマトグラフィー分析による定性定量化が非常に煩雑である。
【0007】
【特許文献1】特許第3044298号公報
【特許文献2】特開2002−310956号公報
【非特許文献1】「Colloids and surfaces」,2002年,第205号,p.199−213
【非特許文献2】「Nordic pulp and paper reserch」,2003年,第18号,p.413−420
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
本発明は、上述した従来の印刷用紙等の分析方法の問題点に鑑みてなされたものであり、各種印刷用紙又は印刷物の内部構造や形成材の分布状態、印刷物におけるインクの浸透状態等を、簡便且つ正確に解析し得る印刷用紙又は印刷物の分析方法の提供を目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明は、印刷用紙又は印刷物の内部構造や形成材の分布状態、印刷物におけるインクの浸透状態等を解析するための印刷用紙又は印刷物の分析方法であって、印刷用紙及び/又は印刷物の作製に用いられるインクの形成材の構成原子の少なくとも1種を安定同位体に置換する工程、及び上記安定同位体が導入された印刷用紙又は上記安定同位体が導入されたインクを用いて作製された印刷物をその厚さ方向に沿って研削し、所定の研削深度における該安定同位体の濃度を測定する工程を備えることを特徴とする印刷用紙又は印刷物の分析方法を提供することにより上記目的を達成したものである。
【0010】
また、本発明は、1種以上の形成材から形成された印刷用紙であって、該形成材の構成原子の少なくとも1種が安定同位体で置換されたことを特徴とする印刷用紙、又は、1種以上の形成材から形成されたインクであって、該形成材の構成原子の少なくとも1種が安定同位体で置換されたことを特徴とするインク、を提供することにより上記目的を達成したものである。
【0011】
本発明の分析方法によれば、印刷用紙又は印刷物の内部構造や、これらの形成材(パルプ、バインダー、インク色材等)の分布状態、印刷物におけるインクの浸透状態等を、簡便且つ正確に分析することができる。また、本発明の分析方法は、従来のこの種の分析方法のように、分析対象物質が、二重結合を有する有機物や標識金属元素を含む有機物などに限定されず、種々の有機物に対して適用可能であるため、印刷用紙又は印刷物に関するより高度な情報を提供し得る。
【0012】
また、本発明の印刷用紙又はインクは、形成材(例えば、印刷用紙におけるバインダー樹脂、インクにおける有機溶剤など)の構成原子の少なくとも1種が安定同位体で置換されているので、SIMSやGDMS等の各種分析方法に用いることができ、印刷用紙や印刷物の解析用サンプル等として好適である。
【発明を実施するための最良の形態】
【0013】
以下、本発明の印刷用紙又は印刷物の分析方法について詳細に説明する。
本発明の分析方法は、印刷用紙及び/又は印刷物の作製に用いられるインクの形成材の構成原子の少なくとも1種を安定同位体に置換する第1工程と、上記安定同位体が導入された印刷用紙又は上記安定同位体が導入されたインクを用いて作製された印刷物をその厚さ方向に沿って研削し、所定の研削深度における該安定同位体の濃度を測定する第2工程とを備える。
【0014】
上記第1工程において、安定同位体による置換(ラベル)の対象となる形成材、即ち、本発明の分析対象物質は、印刷用紙あるいはインクを形成する材料物質であり、具体的には、例えば、印刷用紙中に含まれている填料、バインダー、紙力増強剤等の各種抄紙薬剤、あるいはインク中に含まれている染料や顔料等の色材、各種有機溶剤、界面活性剤等の各種添加剤である。印刷用紙は、塗工紙でも非塗工紙(塗工層を有しない紙)でもよい。本発明の分析対象物(印刷用紙、インクの形成材)は、特定構造を有する有機物や標識金属元素を含む有機物などに限定されず、様々な有機物(一酸化炭素や二酸化炭素のような非生物由来の単純な化合物を除く炭素化合物)を分析対象とすることができる。但し、後述するように、上記第2工程における印刷用紙又は印刷物の研削を好ましくはSIMS又はGDMSにより行うようにする観点から、本発明の分析対象物(印刷用紙、インクの形成材)は、常温、真空度10-9Torrの環境下で揮発しない低揮発性有機物であることが好ましい。
【0015】
本発明は、標識金属元素を含まない有機物の分析が可能であり、水素(H)、炭素(C)、窒素(N)、酸素(O)の4元素以外の元素を含まない純有機物の分析に特に有効である。即ち、上記ラベルの対象となる、印刷用紙あるいはインクの形成材としては、このような純有機物が好ましく、特に、上記の低揮発性を有する純有機物が好ましい。尚、印刷用紙やインクの形成材をラベルしても、そのラベル前後で印刷用紙やインクの物性(例えば、インクについての粘度、沸点、表面張力など)は大きく変化しないので、ラベルによって印字性能、画質、画像保存性等に影響がでることは実質的にはないと言える。
【0016】
また、上記第1工程で用いる安定同位体は、安定な同位体であればよく、特に制限されない。即ち、周知の通り、同位体とは、原子番号(陽子数)が同じで、質量数(陽子と中性子の数の和)が異なる物質をいい、該同位体には、放射線を発して崩壊する放射性同位体と放射線を発しない安定同位体とがあるが、第1工程で用いるものは後者の同位体である。本発明で使用可能な安定同位体としては、例えば、重水素〔2H(D)〕、炭素13(13C)、窒素15(15N)、酸素17(17O)、酸素18(18O)、ケイ素30(30Si)等が挙げられる。印刷用紙及び/又はインクに導入される安定同位体は1種類でも良く、2種類以上を同時に導入してもよい。
【0017】
上記安定同位体としては、天然存在比が低く、検出し易い(SIMS等の分析装置でピークを確認し易い)ものが好ましい。具体的には、酸素17(天然存在比0.00375%)、酸素18(同0.1995%)、重水素(同0.015%)が挙げられる。これらの中でも、特に、重水素は、比較的低廉なコストで入手でき、分析精度とコストとのバランスに優れるため、安定同位体として本発明で好ましく用いられる。コストの点で見れば、安定同位体として炭素13を用いても悪くはないが、炭素13の天然存在比は1.108%と比較的大きいため、分析精度の点では上記3種の安定同位体を用いた場合に劣るおそれがある。
【0018】
上記第1工程では、印刷用紙やインクの形成材の構成原子の少なくとも1種を安定同位体に置換すればよく、当該形成材が2種以上の原子から構成される場合は、構成原子の2種以上を安定同位体に置換しても構わない。また、当該形成材中に、安定同位体で置換する予定の構成原子(例えば、1H)が複数存在する場合は、その複数の構成原子の全てを安定同位体(例えば、D)で置換してもよく、複数のうちの一部を置換してもよい。但し、構造解析や定量に十分な感度を得る観点から、複数の構成原子全てを安定同位体で置換することが好ましい。
【0019】
上記第1工程、即ち、印刷用紙やインクの形成材の構成原子の少なくとも1種を安定同位体に置換する工程は、具体的には、例えば、市販の安定同位体標識化合物を用いて印刷用紙やインクを製造することにより行うことができる。また、このようにして得られた、安定同位体置換された印刷用紙及び/又はインクを用いて、常法通りに印刷を行うことにより、安定同位体置換された印刷物が得られる。
【0020】
上記第2工程では、先ず、上記第1工程で得られた安定同位体置換された印刷用紙又は印刷物をその厚さ方向に沿って研削する。この研削は、二次イオン質量分析法(SIMS:Secondary Ion Mass Spectrometry)又はグロー放電質量分析法(GDMS:Glow Discharge Mass Spectrometry)により行なうことが好ましい。SIMSは、一次イオンビームにより試料表面をスパッタし、そのスパッタ面から放出される二次イオンを質量分離する公知の分析法であり、二次イオンの質量分離法の違いにより、二重収束型(Sector−SIMS)、飛行時間型 (TOF−SIMS )、Qpole−SIMSなどに分類される。本発明では何れのタイプのSIMSでも適用することができる。また、GDMSは、放電室内で試料を陰極とし、周囲の金属を陽極とし、その間の空間に希ガスを流しグロー放電を起こさせ、生じたプラズマにより試料のスパッタ・イオン化を行ない、生成したイオンを質量分析機により分離・検出して元素濃度を測定する公知の分析法である。
【0021】
次に、上記研削によって試料から脱離した上記安定同位体の濃度を測定し、この安定同位体濃度と研削深度との関係を求める。安定同位体濃度の測定は、上記SIMS又は上記GDMSによって測定することができる。また、研削深度は、研削時間から逆算した到達研削深さでSIMS又はGDMSを終了することにより制御可能である。このために、前もってSIMS又はGDMSの研削時間を確認しておくとよい。
【実施例】
【0022】
以下に、実施例を挙げて、本発明をより具体的に説明するが、本発明は斯かる実施例に限定されるものではない。
【0023】
〔実施例〕
下記組成のインクを調製し、市販のインクジェットプリンタ(セイコーエプソン製PM-4000PX)を用いてインクジェットコート紙(コニカミノルタ製Photo like QP)に該インクを付与することにより、安定同位体置換(重水素置換)された印刷物を作製した。尚、該インクジェットコート紙は、塗工層の顔料としてシリカを用いた、いわゆる空隙タイプのインクジェットコート紙であり、塗工層の構成原子はC、H、Si、Oの4種類である。
【0024】
(インクの組成)
・キナクリドン顔料(構成原子C、H、O);5重量%
・グリセリン(安定同位体標識化合物、構成原子C、O、D);15重量%
・界面活性剤(構成原子C、H、O);1重量%
・イオン交換水(構成原子H,O);バランス
【0025】
SIMS測定装置を用いて、上記の安定同位体置換された印刷物に対し、その印刷表面から厚さ方向に沿って研削を行い、該研削により発生する上記安定同位体(重水素D)を含む数種の原子の二次イオンについて質量分離を行った。そして、研削時間を横軸に、当該研削時間における二次イオンの検出強度を縦軸にとって測定値をプロットし、研削時間と二次イオン強度との関係をグラフ化した。本実施例におけるSIMS測定条件は次の通りである。
SIMS測定条件:カメカ社製二重収束型(セクター型)SIMS「ims−4F」を用い、1次イオン種Cs+、14.5keVを100μm□でラスタースキャンし、その中心33μmφから負の2次イオンを検出した。質量分解能M/ΔM>5000の高質量
分解モードで測定することで、D−H230Si−28Si+D、18O−16O+Dを分離して測定した。尚、測定中のチャージアップを防止するために、電荷中和用の電子銃を使用した。また、サンプルの導電性を確保し、適正な深度方向分析を行うために、SIMS測定前に予めサンプル面(印刷表面)にスパッタリングによる金コートを施した。
【0026】
図1は、上記SIMS測定によって得られた分析結果の図である。図1の横軸(研削時間)は、印刷物の印刷表面からの深度を表し、縦軸(検出強度)は、各イオン(13C、D、30Si、18O、H)の濃度を表す。インクの形成材であるグリセリンの構成原子重水素Dに着目することで、印刷物におけるインクの浸透状態を把握することができる。
【図面の簡単な説明】
【0027】
【図1】SIMSを用いた本発明の分析方法による分析結果の図である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
印刷用紙又は印刷物の内部構造や形成材の分布状態、印刷物におけるインクの浸透状態等を解析するための印刷用紙又は印刷物の分析方法であって、
印刷用紙及び/又は印刷物の作製に用いられるインクの形成材の構成原子の少なくとも1種を安定同位体に置換する工程、及び
上記安定同位体が導入された印刷用紙又は上記安定同位体が導入されたインクを用いて作製された印刷物をその厚さ方向に沿って研削し、所定の研削深度における該安定同位体の濃度を測定する工程を備えることを特徴とする印刷用紙又は印刷物の分析方法。
【請求項2】
印刷用紙又は印刷物の上記研削は、二次イオン質量分析法(SIMS:Secondary Ion Mass Spectrometry)又はグロー放電質量分析法(GDMS:Glow Discharge Mass Spectrometry)により行なうことを特徴とする請求項1記載の印刷用紙又は印刷物の分析方法。
【請求項3】
上記安定同位体が重水素であることを特徴とする請求項1又は2記載の印刷用紙又は印刷物の分析方法。
【請求項4】
1種以上の形成材から形成された印刷用紙であって、該形成材の構成原子の少なくとも1種が安定同位体で置換されたことを特徴とする印刷用紙。
【請求項5】
1種以上の形成材から形成されたインクであって、該形成材の構成原子の少なくとも1種が安定同位体で置換されたことを特徴とするインク。


【図1】
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