説明

攪拌方法および攪拌装置

【課題】 少ないエネルギーで大域的に容器全体の物質を効率良く均一に攪拌すること。
【解決手段】 容器内に二つの攪拌機A、Bを固定し、この二つの攪拌機A、Bを交互にある一定の時間ずつ互いに異なる方向に回転操作させる。このとき、ある一定の時間は、二つの攪拌機A、Bの距離をd、混合物質の粘性に関する正則化パラメータをδとして、次の式、
【数1】


で与えられる時間Tの整数倍である。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、攪拌方法および攪拌装置に関する。
【背景技術】
【0002】
容器に入った複数の物質を攪拌機で混ぜる場合、その撹拌効率を良くするために、通常、撹拌機が引き起こす回転運動に加えて、その撹拌機能が容器全体に及ぶように撹拌機自体を容器の中で動かすことが行われている。しかしながら、このような方法においては、撹拌機の回転だけでなく攪拌機を容器全体に動かすのにもエネルギーが必要であり、また、撹拌機の動かし方によっては攪拌したい物質が容器の中で均一に混ざらないことがある。
【0003】
そこで、少ないエネルギーで効率的な攪拌を行う方法が、近時、盛んに研究されている(例えば、非特許文献1、非特許文献2参照)。
【0004】
非特許文献1には、渦を交互に発生させて粒子の混合を実現するという考えが示されている。すなわち、非特許文献1には、非粘性・非圧縮流体中で渦糸を交互に明滅させたとき、その流れによって粒子が複雑に拡散する様子が実験や数値計算などによって示されている。本文献において、この複雑な粒子輸送は「カオス的輸送」と呼ばれている。
【0005】
非特許文献2には、組紐力学を混合に応用するという考えが示され、「位相的カオス」と呼ばれる粒子混合メカニズムが提案されている。すなわち、非特許文献2には、粘性流体が満された円形容器の中に3本のかき混ぜ棒を挿入し、それをある特定の方法で動かすとカオス的混合(カオス的な複雑な挙動/運動による混合)が起こることが実験的に示されており、この現象を説明するためにThurston-Nielsen理論(以下「T−N理論」という)が援用されている。T−N理論の詳細は後述するが、本文献では、T−N理論における「擬アノソフ的(pseudo-Anosov)」写像によって強制されるカオス的振舞いを「位相的カオス」と呼んでいる。
【非特許文献1】H. Aref, "Stirring by chaotic advection", J. Fluid Mech. 143, (1984) 1-21
【非特許文献2】P. Boyland, H. Aref and M. Stremler, "Topological fluid mechanics of stirring", J. Fluid Mech. 403, (2000) 277-304
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
ところで、現実的な粒子混合において、その重要な性質は、粒子がいかに一様にかつ迅速に混合されるかということである。すなわち、複数の物質を「攪拌」するということは日常的によく行われることであるが、このような攪拌においては、より早く物質を混ぜる「迅速性」と、よりムラなく容器全体の物質を混ぜる「均一性(広義)」とが要求される。当然のことながら、この二つの要求をより少ない手間で簡単に実現することが強く望まれる。なお、広義の「均一性」には、大域的に容器全体の物質を混ぜうる「大域性」も含まれている。この「大域性」は、広い汎用性を持つために必要な性質である。
【0007】
しかしながら、非特許文献1および非特許文献2に記載の方法においては、大なり小なりカオス的混合は確かに発生するが、その混合が起こる領域がいつも一様でありかつ容器全体に及ぶとは限らない。具体的には、非特許文献1記載の方法においては、T−N理論における「周期的(periodic)」な写像による攪拌しか考えていないため、この混ぜ方は粒子の混合に寄与せず、別のメカニズムで複雑に混ざるが、その結果として粒子の混合は不均一になる。したがって、大域的で均一な混合を実現することはできない。一方、非特許文献2記載の方法においては、実験的に示されているように粒子は非常に一様に混ざるが、それはかき混ぜ棒の周囲に滞っており、遠くの粒子にまで影響は及んでいない。したがって、汎用性を持つために必要な大域的な混合を実現することはできない。
【0008】
本発明は、かかる点に鑑みてなされたものであり、少ないエネルギーで大域的に容器全体の物質を効率良く均一に攪拌することができる攪拌方法および攪拌装置を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明は、混合する物質が入った容器内に複数の攪拌機を固定し、前記容器内の物質に対して位相的カオス混合を生起させるように、または、前記複数の攪拌機の各操作に対応する組紐写像が擬アノソフに分類されるように、前記複数の攪拌機をあらかじめ決められた順番に従っておのおの所定の時間ずつ前記複数の攪拌機のうち他の少なくとも一つと異なる方向に回転操作させるようにした。例えば、本発明の一態様によれば、容器内に二つの攪拌機を固定し、前記二つの攪拌機を交互にある一定の時間ずつ互いに異なる方向に回転操作させるようにした。また、本発明の他の態様によれば、容器内に複数の攪拌機を同一直線上に並べて固定し、前記複数の攪拌機を並びの順におのおの所定の時間ずつ交互に異なる方向に回転操作させるようにした。
【発明の効果】
【0010】
本発明によれば、少ないエネルギーで大域的に容器全体の物質を効率良く均一に攪拌することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0011】
以下、本発明の実施の形態について、図面を参照して詳細に説明する。
【0012】
本発明は、現代数学の一分野である組紐力学の分類理論に基づいた均一かつ大域的で効率的な攪拌を実現する方法に関する。
【0013】
本発明者は、均一かつ大域的で効率的な攪拌を実現するためには、複数の攪拌機を回転させるタイミングと時間と方向とを制御する必要があることを見出した。また、複数の攪拌機を回転させるタイミングと時間と方向とを制御するためには、T−N理論に基づいた組紐力学の分類を最大限利用する必要があることを見出した。さらに、そのためには、位相的カオスを最大限利用する必要があることを見出したのである。
【0014】
本発明は、一態様として、例えば、容器内に二つの攪拌機を固定し、この二つの攪拌機を交互にある一定の時間(回転時間Tの整数倍)ずつ互いに異なる方向に回転操作させるものである。ここで、回転時間Tは、二つの攪拌機の距離をd、混合物質の粘性に関する正則化パラメータをδとして、次の(式1)で与えられる。
【0015】
【数1】

【0016】
まず、本発明の原理を説明する。ここでは、簡単化のため、二次元空間における仮想的な混合装置を考える。
【0017】
本発明の攪拌方法では、一つの撹絆機の1回の操作で、攪拌機からの距離がd/2の点にある粒子が攪拌機を中心にして180度回転するように構成する。そのため、回転時間Tは、次のように決定することができる。
【0018】
まず、位置(p,q)にある攪拌機が点(x,y)に作る流れ(u,v)は、次の(式2)および(式3)で与えられる。
【0019】
【数2】

【0020】
このとき、攪拌機が原点(0,0)にあるとすれば、距離d/2にある粒子が回転方向に流される速さVは、上記(式2)および(式3)により、次の(式4)で与えられる。
【0021】
【数3】

【0022】
したがって、距離d/2にある粒子が角度にして180度だけ回る、つまり、距離にして(d/2)πだけ進むのに必要な時間Tは、T=(d/2)π÷Vにより、上記(式1)で与えられる。これが1回の操作で攪拌機を回す時間である。
【0023】
次に、本発明の攪拌方法が従来技術よりも効果的な理論的理由を説明する。
【0024】
まず、説明の便宜上、次の記号を導入する。二つの攪拌機のうち、1番目の攪拌機(以下「攪拌機1」と表記する)を上記時間Tだけ反時計回りに回転させる操作をp(1)、時計回りに回転させる操作をn(1)でそれぞれ表す。また、同様に、2番目の攪拌機(以下「攪拌機2」と表記する)を時間Tだけ反時計回りに回転させる操作をp(2)、時計回りに回転させる操作をn(2)でそれぞれ表す。
【0025】
このとき、従来の方法(非特許文献1参照)は、p(1)p(2)という操作を繰り返すことに相当する。一方、本発明の方法は、p(1)n(2)という操作を繰り返すことに相当する。この二つの操作はともに攪拌機を時間2Tだけ操作するだけであるため、それに必要なエネルギーは同じである。ところが、後述の数値シミュレーションで示すように、最終的に得られる攪拌効率(撹絆の均一性および攪拌領域が容器全体に広がるかどうか)については大きな違いが生じる。この理論的理由は、次の通りである。
【0026】
それぞれの攪拌機の操作によって、攪拌機の回りにある粒子は、ある位置からある位置へと移動する。特に二つの攪拌機を一直線に並べた場合、その直線上で攪拌機からの距離がd/2の位置にある粒子は3点ある。この3点の運動に注目すると、時刻t=0の位置と時刻t=T(攪拌機を1回操作した後)の位置を結べば、それは組紐を編むような軌道を構成する。これを「組紐写像」と呼ぶ。図1は、粒子の移動と組紐の対応関係を示し、同図(A)は、攪拌機1を反時計回りに回転させた場合であり、同図(B)は、攪拌機2を反時計回りに回転させた場合である。このようにして一つの攪拌機の操作に対して一つの組紐写像を対応付けることができる。
【0027】
数学の一般的理論(T−N理論)によれば、この組紐写像は主に「周期的(periodic)」と呼ばれる写像と「擬アノソフ的(pseudo-Anosov)」と呼ばれる写像の二種類に分類できることが知られている。そして、周期的な組紐写像による攪拌では複雑な混合は起こらないが、擬アノソフ的な組紐写像による攪拌では非常に複雑な混合が起こることが知られている。そこで、この擬アノソフ的な写像による粒子混合のことを「位相的カオス混合」と呼ぶ。
【0028】
従来の攪拌操作p(1)p(2)に対応する組紐写像は周期的であり、したがって、それによる混合は位相的カオスにはならない。これに対し、本発明の攪拌操作p(1)n(2)に対応する組紐写像は擬アノソフ的であり、したがって、その混合は位相的カオス混合となっている。これが、同じエネルギーを使っているにもかかわらず違った混合が現れる原因である。
【0029】
すなわち、攪拌の均一性について言えば、従来型のp(1)p(2)でも粒子の混合は実現されるが、これは操作によって決まる組紐写像による位相的カオス混合によるものではないために攪拌の均一性に問題が残る。これに対し、本発明のp(1)n(2)においては、極めて均一性の高い混合が実現される。この均一性の実現は擬アノソフ的な組紐写像による位相的カオス混合の特徴でもある。
【0030】
また、攪拌領域の広さについて言えば、従来型のp(1)p(2)では、攪拌機による混合の影響が及ぶ粒子の領域が攪拌機の近くに限定されているのに対して、本発明の攪拌方法p(1)n(2)では、攪拌機が作る流れは攪拌機の遠方にある粒子を混合領域に引き寄せる役割をも有するため、結果として攪拌機自体は固定されているにもかかわらず攪拌の影響が及ぶ領域は広範囲に及ぶことになる。この点も本発明の攪拌方法の攪拌効率が高いことを示している。
【0031】
したがって、攪拌機操作に割り当られる組紐力学と位相的カオスの関係について、攪拌機の操作に割り当られた組紐が擬アノソフ的であれば、位相的カオスによる一様で大域的なカオス的混合が実現され、一方で、攪拌機の操作に割り当られた組紐が周期的であれば、その運動は粒子混合に寄与せず、大域的なカオス的混合は実現されないということができる。この考えに基づいて、擬アノソフ的な組紐を構成する操作方法により、均一的で大域的な粒子混合を実現するというのが、本発明の基本原理である。
【0032】
なお、上記の説明は攪拌機が二つの場合についてであるが、三つ以上の攪拌機がある場合の効率的攪拌についても同様に論じることができる。例えば、三つ以上の攪拌機が同一直線上に並んでいる場合にも、同じような効率的攪拌を実現することができる。
【0033】
すなわち、上記のように一つの攪拌機の操作に対して一つの組紐写像が対応するため、効率的な混合を実現するためには、対応する組紐写像が擬アノソフに分類されるような操作を行えばよいことになる。具体的には、例えば、一例として、三つの攪拌機が同一直線上にある場合、p(1)n(2)p(3)という操作(攪拌機1を反時計回り、攪拌機2を時計回り、攪拌機3を反時計回りにそれぞれ時間Tずつこの順序で回転させるという操作)を行うことが考えられる。また、一般的にN個の攪拌機が同一直線上に並んでいる場合は、1番目の攪拌機から順に、攪拌機1を反時計回り→攪拌機2を時計回り→攪拌機3を反時計回り→…といった具合に、反時計回りと時計回りを交互に時間Tずつ回転させることにより、効率の良い混合を実現することができる。
【0034】
本発明者は、本発明の効果を実証するために数値シミュレーションを行った。
【0035】
ここでも、簡単化のため、二次元空間における仮想的な混合装置を考える。まず、流体を満した容器を用意し、そこにプロペラなどを持つ二つの攪拌機P、Pを据え付ける。この装置において、二つの攪拌機の回転時間および回転方向は正確に制御できるものとする。また、各攪拌機が回転を始めると直ちに「渦糸」と呼ばれる渦が生じて回りの粒子を攪拌し、停止すると渦は消えて即座に粒子も止まると仮定する。
【0036】
数値シミュレーションで用いる攪拌装置の詳細な仕様は、次の通りである。二つの攪拌機P、Pは、それぞれ(−1/2,0)と(1/2,0)に設置する。すなわち、二つの攪拌機P、Pの距離dは、d=1である。また、攪拌機Pが一且回転を始めれば、それは点(一1,0)と(0,0)にある粒子を互いに入れ替えるまで回転を続けるものとする。すなわち、攪拌機Pの回転時間Tは具体的に次の(式5)で与えられる。なお、(式5)は、(式1)でd=1とすることによって得られる。
【0037】
【数4】

【0038】
攪拌機Pも同様に(0,0)と(1,0)の粒子を入れ替えるように同じ時間Tだけ回転する。加えて、この二つの攪拌機P、Pは排他的に動かすものとする。すなわち、攪拌機Pが動いている間は攪拌機Pは停止しているものとする(その逆も同じ)。
【0039】
本発明者は、このような攪拌機P、Pを周期的に操作した時に粒子がどのように攪拌されるのかを数値的に観測した。このときの数値計算方法は、次の通りである。N点の粒子がある場合、それらの粒子の運動は、次の(式6)および(式7)の常微分方程式に従う。
【0040】
【数5】

【0041】
ただし、1≦p≦Nであり、関数χ(t)は、Pが動いているときは「1」、Pが止まっているときは「0」である。
【0042】
(式6)および(式7)の常微分方程式の数値計算には4次のルンゲクッタ法を用いる。その時間刻み幅は、△t=0.001×Tである。また、初期時刻において粒子は線分[−2,2]上に一様に分布させる、つまり、次の(式8)で与える。
【0043】
【数6】

【0044】
今回計算する粒子の数は、N=20000点である。
【0045】
まず、攪拌機の操作を本発明のp(1)n(2)のようにした場合の粒子混合のシミュレーション結果について説明する。
【0046】
図2は、本発明のp(1)n(2)の操作を2回繰り返す毎、つまり、時刻t=kT(k=4,8,…,32)における粒子混合の様子を示す図である。なお、用いた正則化パラメータδの値は0.6である。また、図中の記号○、□、△は、それぞれ、(一1,0)、(0,0)、(1,0)の場所を表している。二つの攪拌機は、それぞれ、この記号の丁度真中あたりに設置されている。
【0047】
初期時刻において、粒子は線分[−2,2]の上に一様に分布している。操作p(1)n(2)を2回実行すると、□の上を通って○と△を結ぶような「筋」が出来る。4回目の操作では、この「筋」の数は増える一方で、その一番外側にある筋の右端が△の右側を抜けて□に近づく。6回目になると今度は□から○へ△の右側と□の上を抜けて至る別の「筋」が生成される。この操作を何度も繰り返すと、この二つの筋が互い違いに重なって、最終的に粒子は一様に領域全体に広がる。
【0048】
ここで、この混合過程において起こっている粒子の力学について詳しく調べてみる。
【0049】
図3は、10個の粒子(x,y)(i=0,2000,4000,…,18000)のp(1)n(2)の操作による長時間軌道を示す図である。図3によれば、攪拌機付近(つまり、○、□、△の付近)の領域で粒子軌道は不規則に乱れ、この不規則領域の上部と下部を滑らかな軌道群が結んでいることがわかる。この軌道を「再帰軌道」と呼ぶことにする。
【0050】
この不規則領域で粒子が具体的にどのように動いているかを見るために、初期時刻において互いに距離が近い2点のサンプル粒子(x,y)(i=406,407,10104,10105,19896,19897)をとって、そのx座標が最初の30ステップでどのように動くかを図4に示す。まず、初期時刻では、二つの隣り合う粒子(ペア粒子)の距離は極めて小さく、(式8)によれば、1/N=5.0×10−5で与えられる。これらのペア粒子の距離は最初の10ステップまでは非常に近い距離にあるが、それ以上に攪拌操作を続けると、ペア粒子群は不規則領域に侵入するため、それらの軌道は互いに離れ始め不規則に運動し始める。このことから、この混合過程における不規則領域では、初期値に鋭敏な依存性があるという意味でカオス的に運動していることが示唆される。よって、以下、この不規則領域を「カオス的混合領域」と呼ぶ。さらに20ステップを超えると、ある粒子は再帰軌道に沿ってカオス的混合領域を飛び出し、一方で、他の粒子はそのまま不規則領域に残っている。しかし、いずれにしても、カオス的混合領域に残った粒子は操作を何度も繰り返すうちに再帰軌道に乗って外へ出て行くことになる。
【0051】
次に、この混合過程の特徴を考えると、カオス的混合領域に入り込んだ粒子は何回かの操作で再帰軌道に沿ってその領域から外へ飛び出すが、また何回か操作を行うとこの再帰軌道に沿ってまたカオス的混合域に戻ってくる。こうした再帰的な混合過程があるために攪拌機から遠く離れた全領域の粒子も実は再帰軌道に沿っていずれはカオス的混合領域に入り込んでカオス的に攪拌されるという性質が保証される。これは容器全体の物質攪拌を意味しており、従来の物質攪拌が攪拌機回りの局所的な領域で起こるという性質(非特許文献2参照)とは異なるものである。
【0052】
ここで、このカオス的混合領域で粒子がどのように動いているかを、特に図2で示された筋構造との関連で力学系理論の視点から見直す(図5の概略図参照)。
【0053】
(1)1回のp(1)n(2)の攪拌操作で、粒子が分布する線分は引き伸ばされて半時計回りに折り畳まれ、その結果、□の上を○から△へ至りまた○へ戻る筋が構成される。以下、これを「○−ストリーク(streak)」と呼ぶ。そして、もう一度攪拌操作を行うと、前の操作で出来た○−ストリークは外側へ移され、その内側に新しい○−ストリークが生成される。すなわち、攪拌操作を繰り返す度に○−ストリークは内側に新しい○−ストリークを生成しつつ外側へ広がっていくことがわかる。実際、図2の第2回操作と第4回操作の後の粒子の分布は、その状況をよく表している。
【0054】
(2)その一方で、○−ストリークの右端点が□ヘ△の右側を通って近づいていく。それから再び粒子は引き伸ばされて今度は時計回りに折り畳まれて、□をスタートし△の右を抜けて□の上を抜けてから○に至り、また同じルートを戻ってくるような新しい筋構造が生成される。以下、この筋構造を「□−ストリーク」と呼ぶことにする。この□−ストリークもまた○−ストリークと同様に攪拌操作を繰り返す度に内側に新しい筋を作りながら外側へ広がっていく。
【0055】
(3)操作を何度も繰り返すと□−ストリークと○−ストリークが互い違いに喰い込み始め、さらに両方のストリークの左端は○に近づき、最も内側にある○−ストリークの中に再び入り込み(図2の10回目と12回目の操作後の様子を参照)、その一方で、右端の点は□に集中する。こうして攪拌過程を数多く繰り返すとストライプ状の筋構造が現れることになるが、これはカオス力学系の例として知られている馬蹄型写像(horseshoe写像)が実現する力学構造と酷似している。
【0056】
次に、正則化パラメータδに対するこの混合の依存性について説明する。
【0057】
図6は、正則化パラメータδの値を変えた場合における攪拌操作p(1)n(2)による粒子混合の様子を示す図であり、同図(A)は、δ=0.2の場合であり、同図(B)は、δ=0.4の場合である。このとき、図2の場合よりもδの値は小さくなっているが、これは流れに加えた人工粘性の効果が小さくなることを意味するため、より粘性が小さい流体を混ぜることに相当する。しかし、図6(A)および図6(B)に示すように、δの値の変化とは関係なく、ストライプ状の縞構造を持つ馬蹄型写像様のカオス的混合領域が出現している。
【0058】
次に、本発明の攪拌操作p(1)n(2)と比較するため、従来の攪拌操作p(1)p(2)による粒子混合のシミュレーション結果について説明する。
【0059】
図7は、従来の攪拌操作p(1)p(2)による粒子混合の様子を示す図である。用いた正則化パラメータδの値は、図2の場合と同じく0.6である。この場合、図7に示すように、初期分布は同じであるが、攪拌操作を繰り返すと攪拌機の回りに不規則な混合領域が実現されるものの、攪拌機から離れた所では単純な回転する流れとなっている。このことから、本発明の攪拌操作で観察したような意味でのカオス的混合領域はここには存在していないことがわかる。
【0060】
図8は、攪拌操作p(1)p(2)を繰り返したときの10個のサンプル点(x,y)(i=0,2000,4000,…,18000)の軌道の様子を示す図である。図8によれば、確かに攪拌機の回りには不規則な混合領域が見られるが、この混合領域内には粒子が入り込めない島(island)構造があるため、一様な混合は実現できていない。加えて、この混合領域の外側の粒子は単純な回転軌道を描くため混合領域に入り込むことはなく、結局、容器全体の攪拌は実現できない。
【0061】
このことは、従来の攪拌操作p(1)p(2)と本発明の攪拌操作p(1)n(2)の二つの攪拌操作による粒子混合の著しい違いを表している。この二つの操作は、攪拌機の回転方向が違うだけで回転時間などは同じであるため、必要なエネルギーは同じである。にもかかわらず、結果として得られる混合過程の効率や均一性には非常な違いが発生し、本発明のp(1)n(2)の攪拌操作の方が、効率が良いことがわかる。
【0062】
次いで、本発明を裏付ける他のいくつかの数値データを示す。
【0063】
まず、本発明が具体的な攪拌方法p(1)n(2)に限定されないことを見る意味でも別の擬アノソフ的および周期的な操作方法による攪拌について数値計算を行った。図9(A)は、攪拌操作p(1)p(1)n(2)n(2)による粒子混合の様子を示す図であり、図9(B)は、p(1)p(1)p(2)による粒子混合の様子を示す図である。用いた正則化パラメータδの値は、図2および図7の場合と同じく0.6である。前者の操作は擬アノソフ的組紐に、後者の操作は周期的組紐にそれぞれ割り当てられる。前者では、図9(A)に示すように、p(1)n(2)と同様の馬蹄型写像様の縞構造が出現しているのに対し、後者では、図9(B)に示すように、局所的な不規則領域が出現しているのみである。この結果は、本発明の基本原理を裏付けるものである。
【0064】
また、上記の数値的な攪拌装置モデルでは、攪拌機が回転すると即座に渦が出来ること、および、攪拌機が停止すると粒子もまたすぐに停止すること、という二つの仮定をしている。しかし、実際には、攪拌機が渦を生成するには多少の時間がかかり、一方で、渦がなくなっても粒子には慣性があるため直ちに停止するわけではない。そこで、この位相的カオスによるカオス的混合がより現実的な状況でも起こりうることを検証するために、攪拌機を混ぜ過ぎた場合(過度の攪拌がある場合:T>T)と、十分に混ぜなかった場合(不十分な攪拌がある場合:T<T)の粒子攪拌について数値計算を行った。図10(A)は、過度(T/T=1.2)に操作p(1)n(2)を行った場合の粒子混合の様子を示す図であり、図10(B)は、不十分(T/T=0.8)に操作p(1)n(2)を行った場合の粒子混合の様子を示す図である。両者の場合とも、図10(A)および図10(B)に示すように、図2の場合と同様の馬蹄型写像様のカオス的混合領域が生成していることがわかる。このことは、攪拌の精度に多少のずれがあっても、同じような攪拌が実現されうることを意味している。理論的にも、擬アノソフ的な写像は本質的には構造安定なアノソフ(Anosov)微分同相写像と同じであるため、攪拌精度の多少のずれに対してカオス的混合領域におけるストライプ状の縞構造が保存されるということが理解される。
【0065】
図11は、本発明の一実施の形態に係る攪拌装置の構成を示す図である。
【0066】
この攪拌装置10は、容器12と、容器12の下部に取り付けられた駆動部14とを有する。駆動部14には、二つのモータ16a、16bが内蔵されている。モータ16a、16bは、例えば、パルス入力によって動作するパルスモータ(ステップモータ)である。各モータ16a、16bの駆動軸には、攪拌用のプロペラ18a、18bがそれぞれ容器12内に配置される形で取り付けられている。攪拌機は、モータ16a、16bとプロペラ18a、18bで構成されている。
【0067】
図12は、本実施の形態における攪拌機の駆動システムの一例を示すブロック図である。なお、図11と共通する部分には同一の符号を付している。ここでは、モータ16a、16bとしてパルスモータを例にとって説明する。
【0068】
この駆動システム20は、例えば、本発明の原理に基づく攪拌操作p(1)p(1)n(2)n(2)を攪拌機に付与するためのシステムであって、電源22、電力回路24、シーケンサ26、および素材調節器28を有する。電源22は、直流電源でも交流電源でもよい。電力回路24は、シーケンサ26からの出力信号に基づいて、電源22によって供給される電力を極性のある電力情報としてパルス化し、各パルスモータ16a、16bに送る。各パルスモータ16a、16bは、電力回路24からの電力パルスによって一定の回転力を発生し、取り付けられた攪拌用プロペラ18a、18bを回転させる。攪拌用プロペラ18a、18bは、本発明の攪拌方法に基づいた回転を容器12内の混合すべき素材に与え、擬アノソフ的な組紐写像に対応する非常に効率的な攪拌動作を現出する。
【0069】
そのため、シーケンサ26には、一連のシーケンス動作として攪拌操作p(1)p(1)n(2)n(2)を攪拌機に実行させるためのあらかじめ決められた手順が記憶されている。図13は、その手順の一例を示すシーケンスチャートである。図13のシーケンスチャートには、動作させるパルスモータのオンオフならびにオン時の回転方向および回転時間(1回は時間Tに相当する)が、時間軸(ここでは、シーケンサ26の基準信号を単位とする)に沿って、つまり、時系列に記憶されている。シーケンサ26は、このシーケンスチャートに従って制御用の出力信号(動作させるパルスモータのオンオフ、回転方向、および回転時間2Tの情報)を電力回路24に送る。なお、図13において、パルスモータAはパルスモータ16aに、パルスモータBはパルスモータ16bにそれぞれ対応している。また、シーケンサ26は、論理回路で構成されていてもプログラム制御タイプのものであってもよい。
【0070】
素材調節器28は、混合する素材(例えば、ミルクとココア、水と小麦粉、卵と酢と油など)の粘性に応じた最適な回転時間Tを記憶しており、ユーザの選択に応じて、対応する回転時間Tをシーケンサ26に伝達する。シーケンサ26は、この情報を受け取って、動作させるパルスモータの回転時間を決定する。なお、混合する素材に対するユーザの好みによる選択を可能にするため、素材調節器28には指示用のダイヤル30が設けられている。
【0071】
したがって、本実施の形態によれば、攪拌機自体を固定し、かつ、本発明の原理に基づく攪拌操作を行うため、少ないエネルギーで大域的に容器全体の物質を効率良く均一に攪拌することができる。
【0072】
なお、当然のことながら、本発明の攪拌装置の構成は図11〜図13に示す例に限定されない。攪拌装置の具体的な構成は、適用する対象に応じて最適な構成となるよう適宜変更可能である。
【産業上の利用可能性】
【0073】
本発明に係る攪拌方法および攪拌装置は、少ないエネルギーで大域的に容器全体の物質を効率良く均一に攪拌することができる攪拌方法および攪拌装置として有用であり、現実の様々な場面において利用可能である。例えば、家庭用ミキサや業務用ミキサなどはその直接的な適用例である。また、物を混ぜることによって作る食品加工のための機械や、水族館における水の攪拌装置、コンクリートミキサ、基礎科学実験における精密攪拌装置、大規模に物を混ぜる産業用攪拌機などにも適用可能である。さらには、攪拌によってその効果を発揮する洗濯機や扇風機などの家電製品への転用も可能である。
【図面の簡単な説明】
【0074】
【図1】(A)攪拌機1を反時計回りに回転させた場合における粒子の移動と組紐の対応関係を示す図、(B)攪拌機2を反時計回りに回転させた場合における粒子の移動と組紐の対応関係を示す図
【図2】本発明に係る攪拌操作p(1)n(2)を繰り返したときに見える粒子の攪拌の様子を示す図(正則化パラメータδ=0.6)
【図3】本発明に係る攪拌操作p(1)n(2)を繰り返したときの10個の粒子の軌道の様子を示す図
【図4】初期時刻において互いの距離が非常に近いペア粒子のx座標の軌道の様子を示す図
【図5】カオス的混合領域に埋め込まれた馬蹄型写像様の構造を示す図
【図6】(A)正則化パラメータδ=0.2の場合における攪拌操作p(1)n(2)による粒子混合の様子を示す図、(B)正則化パラメータδ=0.4の場合における攪拌操作p(1)n(2)による粒子混合の様子を示す図
【図7】従来の攪拌操作p(1)p(2)による粒子混合の様子を示す図(正則化パラメータδ=0.6)
【図8】従来の攪拌操作p(1)p(2)による10個のサンプル粒子の軌道の様子を示す図
【図9】(A)攪拌操作p(1)p(1)n(2)n(2)による粒子混合の様子を示す図(正則化パラメータδ=0.6)、(B)攪拌操作p(1)p(1)p(2)による粒子混合の様子を示す図(正則化パラメータδ=0.6)
【図10】(A)少し長くp(1)n(2)で混ぜ過ぎた場合の粒子混合の様子を示す図、(B)少し短くp(1)n(2)で混ぜた場合の粒子混合の様子を示す図
【図11】本発明の一実施の形態に係る攪拌装置の構成を示す図
【図12】本実施の形態における攪拌機の駆動システムの一例を示すブロック図
【図13】本実施の形態における攪拌装置の動作手順の一例を示すシーケンスチャート
【符号の説明】
【0075】
10 攪拌装置
12 容器
14 駆動部
16a、16b パルスモータ
18a、18b プロペラ
20 駆動システム
22 電源
24 電力回路
26 シーケンサ
28 素材調節器
30 指示ダイヤル


【特許請求の範囲】
【請求項1】
混合する物質が入った容器内に複数の攪拌機を固定し、前記容器内の物質に対して位相的カオス混合を生起させるように、前記複数の攪拌機をあらかじめ決められた順番に従っておのおの所定の時間ずつ前記複数の攪拌機のうち他の少なくとも一つと異なる方向に回転操作させることを特徴とする攪拌方法。
【請求項2】
容器内に複数の攪拌機を固定し、前記複数の攪拌機の各操作に対応する組紐写像が擬アノソフに分類されるように、前記複数の攪拌機をあらかじめ決められた順番に従っておのおの所定の時間ずつ前記複数の攪拌機のうち他の少なくとも一つと異なる方向に回転操作させることを特徴とする攪拌方法。
【請求項3】
前記時間は、組紐力学の分類理論に基づいて導かれることを特徴とする請求項1または請求項2記載の攪拌方法。
【請求項4】
容器内に二つの攪拌機を固定し、前記二つの攪拌機を交互にある一定の時間ずつ互いに異なる方向に回転操作させることを特徴とする攪拌方法。
【請求項5】
前記ある一定の時間は、前記二つの攪拌機の距離をd、混合物質の粘性に関する正則化パラメータをδとして、次の式、
【数1】

で与えられる時間Tの整数倍であることを特徴とする請求項3記載の攪拌方法。
【請求項6】
容器内に複数の攪拌機を同一直線上に並べて固定し、前記複数の攪拌機を並びの順におのおの所定の時間ずつ交互に異なる方向に回転操作させることを特徴とする攪拌方法。
【請求項7】
前記所定の時間は、前記複数の攪拌機が等間隔で配置されている場合、隣り合う攪拌機の距離をd、混合物質の粘性に関する正則化パラメータをδとして、次の式、
【数2】

で与えられる時間Tの整数倍であることを特徴とする請求項6記載の攪拌方法。
【請求項8】
混合する物質を収容する容器と、
前記容器内に固定された一対の攪拌機と、
前記一対の攪拌機を駆動する駆動手段と、
前記一対の攪拌機を交互にある一定の時間ずつ互いに異なる方向に回転操作させるように前記駆動手段を制御する制御手段と、
を有することを特徴とする攪拌装置。
【請求項9】
前記ある一定の時間は、前記一対の攪拌機の距離をd、混合物質の粘性に関する正則化パラメータをδとして、次の式、
【数3】

で与えられる時間Tの整数倍であることを特徴とする請求項8記載の攪拌装置。
【請求項10】
混合する物質を収容する容器と、
前記容器内に同一直線上に並べて固定された複数の攪拌機と、
前記複数の攪拌機を駆動する駆動手段と、
前記複数の攪拌機を並びの順におのおの所定の時間ずつ交互に異なる方向に回転操作させるように前記駆動手段を制御する制御手段と、
を有することを特徴とする攪拌装置。
【請求項11】
前記所定の時間は、前記複数の攪拌機が等間隔で配置されている場合、隣り合う攪拌機の距離をd、混合物質の粘性に関する正則化パラメータをδとして、次の式、
【数4】

で与えられる時間Tの整数倍であることを特徴とする請求項10記載の攪拌装置。
【請求項12】
混合する物質の種類に応じて前記ある一定の時間を調節する調節手段、をさらに有し、
前記制御手段は、
前記調節手段の調節結果に基づいて、前記駆動手段の制御を行う、
ことを特徴とする請求項8または請求項10記載の攪拌装置。


【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【図10】
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【図11】
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【図12】
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【図13】
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【公開番号】特開2006−82003(P2006−82003A)
【公開日】平成18年3月30日(2006.3.30)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2004−268934(P2004−268934)
【出願日】平成16年9月15日(2004.9.15)
【出願人】(504173471)国立大学法人 北海道大学 (971)
【出願人】(504132272)国立大学法人京都大学 (1,269)
【Fターム(参考)】