温度・光応答性組成物及びこれから製造された細胞培養基材
【課題】細胞を播種する前及び/又は後に光照射することにより、特定の領域においてその細胞接着性を高いコントラストと可逆性を持って局所的に亢進または減少させることが可能な温度・光応答性表面を有する細胞培養基材及びこれを構成する温度・光応答性組成物を提供する。これによって、培養細胞から細胞機能を損傷することなく、所望の細胞又は細胞群のみを選択的に分別回収する、あるいは所望のパターンに沿って培養するための煩雑な操作を要しない手段を提供する。
【解決手段】温度応答性ポリマーを構成するアクリルアミド系モノマー成分と、光応答性を有するスピロベンゾピラン及び/又はスピロオキサジン残基を有するモノマー成分から構成され、光照射及び/又は温度変化に応答してその細胞接着性が変化する温度・光応答性コポリマーを少なくとも一つの成分として含む温度・光応答性組成物。
【解決手段】温度応答性ポリマーを構成するアクリルアミド系モノマー成分と、光応答性を有するスピロベンゾピラン及び/又はスピロオキサジン残基を有するモノマー成分から構成され、光照射及び/又は温度変化に応答してその細胞接着性が変化する温度・光応答性コポリマーを少なくとも一つの成分として含む温度・光応答性組成物。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、温度・光応答性組成物及びこれをコーティングして形成された温度・光応答性表面を有する細胞分別用培養基材、その細胞分別用培養基材を含んだ細胞分別培養回収装置、及び該装置を使用した細胞の分別回収方法に関するものである。より詳しくは、温度変化及び光照射によりその特性が変化する温度・光応答性表面を有する細胞培養基材、並びにこの培養基材を用いて細胞を播種する前及び/又は後に、所望の領域に光照射し所定の温度に所定の時間保持することによって、所望の細胞又は細胞群のみを培養基材上に選択的に保持して分別回収する、あるいは所望のパターンで細胞を培養する方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
近年、体を構成する細胞や組織がもつ潜在力を利用する新たな医療としての再生医学が期待されている。その再生医学分野において最も重要なのは、体外で培養された細胞や組織が生体内で正常に機能できるようにすることである。従って、その生体内での正常的な機能を発現するためには、培養細胞を培養床からその構造と機能を損なうことなく、細胞を分別回収する技術が強く要望されてきた。
【0003】
従来の細胞分別技術としては、フローサイトメトリー(FACS;蛍光表示式細胞分離システム)や磁気細胞分離システム(MACS)があり、これらは既に実用化されている。しかしながら、これらのフローサイトメトリーあるいは磁気細胞分離システムは、白血球あるいはリンパ球等の浮遊細胞を分別回収するためによく用いられてきたものの、浮遊細胞や足場依存性細胞の分別回収に適用する場合は、基質に接着した足場依存性細胞を浮遊状態にさせなければならず、そのとき、トリプシン等の酵素処理によって細胞接着因子や細胞外マトリックスが破壊される問題が生じる。特に、フローサイトメトリーでは、超音波ノズルによる細胞の物理的分離の過程において、細胞に与える損傷が相当大きい。
特許文献1には、培養細胞の分離回収に酵素を用いない方法として、温度応答性の高分子化合物を培養基材として用いる方法が開示されている。また、温度応答性支持体を用いた細胞培養法により、細胞接着物質や膜タンパクを分解せず、その器官特異的機能を維持したまま細胞をシート状態で剥離・回収する手法が報告されている(例えば、非特許文献1参照。)。これらの方法では、温度変化によって培養基材の接着制御を行うため、培養容器中の種々の細胞あるいは細胞群から、特定の細胞あるいは細胞群(コロニー)のみを回収しようとする場合において、個々の細胞あるいは細胞群毎にその脱着を制御することは極めて困難であった。
【0004】
一方、足場依存性細胞の機能を、目的用途に応じて培養基材上で発現させるために、任意のパターンに沿う形で培養する技術が研究されている。これについては、マイクロスタンプやインクジェット、電子線描画などを応用したものの他、短波長(300nm)の紫外光を照射することによって不可逆的に構造変化する色素材料を細胞培養基材に用いて、細胞のパターニングを光照射によって行った例も報告されている(例えば、非特許文献2参照。)。しかしこの研究はあくまで、培養基板の細胞親和性を細胞播種前に予めパターン化する手段の提供を目的としたものであり、このような短波長の紫外光の照射を要する培養基材を、細胞播種後の細胞選別に適用することは不可能である。
【0005】
そこで細胞を播種した後に光照射することによって、細胞接着性及び/又は細胞増殖性を局所的に制御することを可能にし、細胞の分別回収や培養細胞のパターニングの新たな手段を与える方法として、光応答性組成物とポリアルキレングリコールを培養基材として用いる方法が特許出願されている(例えば、特許文献2参照。)。しかし、この培養基材を用いて、光照射によって細胞接着性を減少させることができない。また、光照射によって細胞接着性を亢進した部位の非照射部位に対する細胞接着性の比(コントラスト)は2程度であり、分別回収やパターニングなどの細胞操作を行う上で、十分とは言えない場合がある。さらに、光照射を一度行うことにより、基材表面のポリアルキレングリコールが培養培地中に溶け出してしまう上、繰り返し操作を行うことができない問題がある。
従って、細胞播種後の光照射により、高い自由度、コントラスト及び可逆性を持って細胞接着性及び/又は細胞増殖性を局所的に制御することを従来技術で実現することは不可能である。
【特許文献1】特開平11−349643号公報
【特許文献2】特願2004−019742号明細書
【非特許文献1】エー.キクチ,エム.オクハラ,エフ.カリクサ,ワイ.サクライ及びティー.オカノ,“ジェー.バイオマテル.サイ.,ポリム.イ一ディーエヌ.”(A.Kikuchi, M.Okuhara, F.Karikusa, Y.Sakurai and T.Okano, J.Biomater.Sci., Polym. Edn.) 9, 1331 (1998)
【非特許文献2】ワイ.ナカヤマ,エー.フルモト,エス.キドアキ,ティー.マツダ,“フォトケム.フォトバイオロ.”(Y.Nakayama,A.Furumoto, S.Kidoaki, T.Matsuda, Photochem.Photobiol.)77(5), 480 (2003)
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
そこで本発明は、上記事情に鑑み、細胞を播種する前及び/又は後に光照射することにより、特定の領域においてその細胞接着性を高いコントラストと可逆性を持って局所的に亢進または減少させることが可能な温度・光応答性表面を有する細胞培養基材及びこれを構成する温度・光応答性組成物を提供することを目的とする。これによって、培養細胞から細胞機能を損傷することなく、所望の細胞又は細胞群のみを選択的に分別回収する、あるいは所望のパターンに沿って培養するための煩雑な操作を要しない手段が提供される。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明者らは、上記課題を達成するために鋭意検討を行った結果、光照射に応答して物性の変化が行われる光応答性材料を、細胞の培養基材表面として用いることにより、特定の領域に自由自在にパターニングし、培養細胞から細胞に何らのダメージをも与えることなく、細胞の器官特異的機能を維持したまま、所望の細胞あるいは細胞群のみを選択的に分別回収可能であることを見出し、本発明を完成するに至った。
すなわち、本発明は
(1) 温度応答性ポリマーを構成するアクリルアミド系モノマー成分と、光応答性を有するスピロベンゾピラン及び/又はスピロオキサジン残基を有するモノマー成分から構成され、光照射及び/又は温度変化に応答してその細胞接着性が変化する温度・光応答性コポリマーを少なくとも一つの成分として含む温度・光応答性組成物。
(2) 前記温度応答性ポリマーを構成するアクリルアミド系モノマー成分がN−アルキルアクリルアミドである(1)に記載の温度・光応答性組成物。
(3) 前記コポリマーを構成するスピロベンゾピラン残基が6−ニトロスピロベンゾピラン残基である(1)又は(2)に記載の温度・光応答性組成物。
(4) 前記コポリマーの他に水に不溶なポリマーを少なくとも一つの成分として含む(1)〜(3)のいずれか1項に記載の温度・光応答性組成物。
(5) 前記水に不溶なポリマーを構成するモノマー成分が、メタクリル酸又はアクリル酸の炭素原子数1〜8のアルキルエステル、アクリロニトリル、酢酸ビニル、スチレン、α−メチルスチレン、ビニルトルエン、テレフタル酸、およびアルキレングリコールからなる群から選択されることを特徴とする(4)に記載の温度・光応答性組成物。
(6) 前記水に不溶なポリマーがポリメチルメタクリレートであることを特徴とする(5)に記載の温度・光応答性組成物。
(7) (1)〜(6)のいずれか1項に記載の温度・光応答性組成物をコーティングして形成された温度・光応答性表面を有することを特徴とする細胞培養基材。
(8) 水に不溶なポリマーをコーティングした基板の上に(1)〜(3)の温度・光応答性組成物をコーティングして形成された温度・光応答性表面を有することを特徴とする細胞培養基材。
(9) 前記水に不溶なポリマーを構成するモノマー成分が、メタクリル酸又はアクリル酸の炭素原子数1〜8のアルキルエステル、アクリロニトリル、酢酸ビニル、スチレン、α−メチルスチレン、ビニルトルエン、テレフタル酸、およびアルキレングリコールからなる群から選択されることを特徴とする(8)に記載の細胞培養基材。
(10) 前記水に不溶なポリマーがポリメチルメタクリレートであることを特徴とする(9)に記載の細胞培養基材。
(11) 前記水に不溶なポリマーをアセトン、アルコール、エステル類、ハロアルカン類、ジメチルスルホキシド、N,N−ジメチルホルムアミド、およびエーテル類(環状分子を含む)からなる群から選択される溶媒に溶解してコーティングすることを特徴とする(8)〜(10)のいずれか1項に記載の細胞培養基材。
(12) 前記温度・光応答性組成物をアルコール、アセトン、エステル類、ハロアルカン類、水、ジメチルスルホキシド、N,N−ジメチルホルムアミド、およびエーテル類(環状分子を含む)からなる群から選択される溶媒、またはその混合溶媒に溶解してコーティングすることを特徴とする(8)〜(11)のいずれか1項に記載の細胞培養基材。
(13) (7)〜(12)のいずれか1項に記載の細胞培養基材に細胞を播種する前及び/又は播種した後に、所期の目的に応じて前記培養基材の温度・光応答性表面の全部または一部の所望領域を光照射し、光照射領域における細胞接着性及び/又は細胞増殖性を亢進または減少させることによって、所望の細胞又は細胞群以外の細胞を該表面に分別保持させ、所望の細胞又は細胞群を回収することを特徴とする、細胞の分別回収方法。
(14) 細胞接着性及び/又は細胞増殖性を亢進させる波長範囲の光と、それを減少させる波長範囲の光の両方を用いて、所望領域の細胞接着性及び/又は細胞増殖性を任意に変化させることによって、所望の細胞又は細胞群を回収することを特徴とする、(13)に記載の細胞の分別回収方法。
(15) 光を照射する前及び/又は照射中及び/又は照射した後に温度を変化させることによって、所望の細胞又は細胞群を回収することを特徴とする、(13)又は(14)に記載の細胞の分別回収方法。
(16) (7)〜(12)に記載の細胞培養基材に細胞を播種する前及び/又は播種した後に、所期の目的に応じて前記培養基材の温度・光応答性表面の一部の所望領域を光照射し、光照射領域における細胞接着性及び/又は細胞増殖性を亢進または減少させることによって、所望の細胞又は細胞群のみを該表面に分別保持させ、引き続きこれらの細胞又は細胞群のみを培養することを特徴とする、細胞の分別培養又は2次元パターン培養の方法。
(17) 細胞接着性及び/又は細胞増殖性を亢進させる波長範囲の光と、それを減少させる波長範囲の光の両方を用いて、所望領域の細胞接着性及び/又は細胞増殖性を任意に変化させることによって、所望の細胞又は細胞群のみを引き続き培養することを特徴とする、(16)に記載の細胞の分別培養又は2次元パターン培養の方法。
(18) 光を照射する前及び/又は照射中及び/又は照射した後に温度を変化させることによって、所望の細胞又は細胞群のみを引き続き培養することを特徴とする、(16)又は(17)に記載の細胞の分別培養又は2次元パターン培養の方法。
【発明の効果】
【0008】
本発明の温度・光応答性組成物は、基板にコーティングすることにより、温度・光応答性細胞培養基材とすることができる。
この細胞培養基材は、細胞を播種した後の光照射に応答して、培養基材表面の特定の領域に対して、数百ナノメートルの分解能で局所選択的に細胞接着性及び/又は細胞増殖性を、それ以外の領域に比べて著しく亢進あるいは減少させることができる。
そのため、本発明の細胞分別回収方法によれば、従来技術では両立できなかった細胞の精密分離に加え、該分離において細胞外マトリックスや膜タンパク質を損なわず細胞の器官特異的機能の維持を同時に実現することが可能となる。
また、従来の細胞のパターニングでは、細胞播種前の処理によって予め培養パターンが決まってしまうのに対し、本発明の細胞分別培養又は2次元パターン培養方法によれば、細胞播種後に細胞を接着・増殖させる領域を、細胞接着性及び/又は細胞増殖'性を亢進あるいは減少させる2種類の光を用いて、任意の2次元パターンで決めることができるため、従来にない自由度と利便性を有する細胞操作手段が提供できる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0009】
本発明の温度・光応答性組成物は、温度応答性ポリマーを構成するアクリルアミド系モノマー成分と、光照射されることによって分子構造が変化し、その特性、特に、水和状態、分極率、溶媒親和性等が大きく変化するスピロベンゾピラン及び/又はスピロオキサジン残基を有するモノマー成分から構成され、光照射及び/又は温度変化に応答してその細胞接着性が変化する温度・光応答性コポリマーを少なくとも一つの成分として含む。
本発明において、細胞接着性の変化とは、変化前に剥離に至った細胞が、培地や緩衝液等による洗浄、遠心操作、振動印加等の一定の物理的刺激によっても剥離しなくなることである。また、細胞接着性の変化には、変化前に剥離に至ることのない細胞が、培地や緩衝液等による洗浄、遠心操作、振動印加等の一定の物理的刺激によって剥離するようになることも含まれる。例えば、上記物理刺激の目安として、変化前には剥離に至った加速度の大きさ(1×g〜10×g)の遠心操作によって変化後は剥離しなくなることが挙げられる。
本発明において、上記細胞接着性の変化により、細胞の増殖性も制御することができる。すなわち、ヒト等の接着性細胞(足場依存性細胞)は何らかの表面に接着しないと増殖できないため、本発明の細胞培養基材表面の上記細胞接着性が向上することにより、細胞増殖の進展が促進するためである。
光照射によって細胞接着性が変化するメカニズムは定かではないが、細胞表面脂質との相互作用で、スピロベンゾピラン及び/又はスピロオキサジン残基の光照射による開環体と細胞が接着していると推定される。一方、温度変化によって細胞接着性が変化するメカニズムも定かではないが、本発明の温度・光応答性組成物が、低温処理に誘起されて水和状態(すなわち、水素結合を介して付着した水分子の付着・脱着)が変化し、膨潤し、水和したポリマーが細胞を剥離すると推定される。
また、前記温度・光応答性コポリマーを構成するアクリルアミド系モノマー成分は、N−アルキルアクリルアミド、N,N−ジアルキルアクリルアミド、N−アルキルメタクリルアミド、N,N一ジアルキルメタクリルアミド、ビニルエーテルが好ましく、N−アルキルアクリルアミドがより好ましい。前記アルキル基としては炭素数1〜5のものが好ましく、例えば、メチル、エチル、プロピル、イソプロピル基等を挙げることができる。N−ジアルキルの場合、炭素数1〜3のものが好ましく、例えば、メチル、エチル、プロピル基を挙げることができる。N−イソプロピルアミドまたはジメチルアクリルアミドが特に好ましい。
【0010】
さらに、前記温度・光応答性コポリマーを構成するスピロベンゾピラン及び/又はスピロオキサジン残基は任意の位置に任意の置換基(例えば、スピロベンゾピランの場合、6−ニトロ、6−メチル等)を有してよく、なかでも、スピロベンゾピラン残基が好ましく、6−二トロスピロベンゾピラン残基がより好ましい。
本発明において、光応答性を示すスピロベンゾピラン及び/又はスピロオキサジン残基を有するモノマー成分は、重合性を有する任意の単量体でよく、アクリルアミド、メタクリルアミド、アクリルエステル、メタクリルエステル、ビニルアミド、ビニルエステル、ビニルエーテル等を挙げることができる。
前記温度・光応答性コポリマーにおいて、これに含まれる前記スピロベンゾピラン及び/又はスピロオキサジン残基を有するモノマー成分の数の、コポリマーを構成する全アクリルアミド系モノマーユニット数に対する割合は、0.1〜100mol%、好ましくは1〜10mol%程度であればよく、より好ましくは3mol%程度である。
【0011】
本発明の細胞培養基材は、温度・光応答性コポリマーとともに水に不溶なポリマーがコーティングされていることが好ましい。このとき、温度・光応答性ポリマーと水に不溶なポリマーとをともに含有させた1つの組成物として基板上にコーティングしてもよく、基板上に水に不溶なポリマーをコーティングしておき、その上に温度・光応答性組成物をコーティングしてもよい。例えば、温度・光応答性ポリマーと水に不溶なポリマーを1つの組成物としてコーティングしたとき、その乾燥プロセスで両ポリマーの分布にばらつきが生じやすい場合などは、別々にコーティングすることが好ましい。また、別々にコーティングする場合、温度・光応答性組成物をポリマーに相溶させ固定化するよう、水に不溶なポリマーをコーティングした後、素早く温度・光応答性組成物またはその溶液をコーティングすることが好ましい。
コーティングされる組成物は、所望の細胞接着性の変化を妨げなければ、温度・光応答性ポリマーおよび水に不溶なポリマー以外に追加の成分を含有させてもよい。また、必要に応じて、温度・光応答性組成物または水に不溶なポリマーによるコーティングの前または後に、異なる成分のコーティングを追加してもよい。
水に不溶なポリマーをコーティングした後、温度・光応答性組成物をコーティングする場合、該温度・光応答性組成物を溶剤に溶解した溶液としてコーティングすることが好ましい。溶媒としては、温度・光応答性組成物を溶解するものであればどのようなものでもよいが、水に不要なポリマーまたはその溶液と相溶性を有することが好ましく、適度に水に不溶なポリマーを膨潤させるようなものがより好ましい。例えば、アルコール、アセトン、エステル類、ハロアルカン類、水、ジメチルスルホキシド、N,N−ジメチルホルムアミド、エーテル類(環状分子を含む)などが好ましく、これらの混合溶媒も好ましく用いられ、イソプロパノールがより好ましい。
【0012】
この水に不溶なポリマーを構成するモノマー成分は、メタクリル酸又はアクリル酸の炭素原子数1〜8のアルキルエステル、アクリロニトリル、酢酸ビニル、スチレン、α−メチルスチレン、ビニルトルエン、テレフタル酸、アルキレングリコールからなる群から選択されることが好ましく、ポリメチルメタクリレートがより好ましい。
本発明の温度・光応答性組成物中の水に不溶なポリマーの配合量は、特に制限されることではなく、総合量の1〜50質量%、好ましくは5〜30質量%程度であればよく、より好ましくは20質量%程度である。
本発明において、温度・光応答性コポリマーの平均分子量(質量平均)は、成膜性があれば特に限定されるものではないが、通常2,000〜500,000、好ましくは5,000〜100,000である。2,000未満では成膜性が劣る恐れがあり、一方500,000を超えると、合成が困難である場合がある。
本発明の温度・光応答性組成物をコーティングなどの目的のため溶液とする場合、その溶剤は使用する温度・光応答性組成物を溶解できるものであればよく、例えば、1,2−ジクロロエタン、テトラヒドロフラン、クロロフォルム、メチルエチルケトン、酢酸エチル等が挙げられるが、これらに限定されるものではない。
【0013】
また、水に不溶なポリマーもコーティングなどの目的のために溶液とすることができる。溶剤は水に不溶なポリマーを溶解させるものであればどのようなものでもよく、例えば、アセトン、アルコール、エステル類、ハロアルカン類、ジメチルスルホキシド、N,N−ジメチルホルムアミド、エーテル類(環状分子を含む)などが挙げられ、好ましくはアセトン、酢酸エチル、またはテトラヒドロフランである。また、これらの混合溶媒であってもよい。溶液の濃度はコーティングに適していれば特に制約はないが、水に不溶なポリマーが0.1質量%〜50質量%であることが好ましく、3質量%〜10質量%であることがより好ましい。
本発明の細胞培養基材を作製するために、前記光応答性組成物の溶液、または水に不溶なポリマー溶液をガラス、改質ガラス、プラスチック、金属等の基板上にスピンコートまたはキャスト法にて成膜することができる。基板はシランカップリング剤などにより疎水化処理してもよい。成膜後に熱処理を行うこともできるが、熱処理を行う場合は、室温〜200℃、より好ましくは60〜140℃の温度で、2、3時間の熱処理が望ましい。
【0014】
本発明の全体に渡って使用される用語「温度・光応答性表面」とは、前記温度・光応答性組成物からなり、上記足場依存性細胞や浮遊細胞など細胞が接着する表面を意味する。該表面は、温度変化及び/又は光照射された領域の細胞接着性及び/又は細胞増殖性が亢進及び/又は減少することを特徴とする。
本発明の温度・光応答性組成物を化学結合を介して基材表面に導入する場合、グラフト表面重合でモノマーから温度・光応答性コポリマーを表面で重合してもよいし、反応性を有する温度・光応答性コポリマーを化学的に後付けしてもよく、コーティングなどにより物理的に付着させてもよい。
さらに、本発明の細胞培養デバイスとしては、細胞培養が可能であれば特に制限されるものではなく、培養ディッシュ、細胞培養キュベット等が挙げられるが、定点観測が可能な形態がより好ましい。
本発明における細胞培養基材表面の特性を変化させるための照射光としては、紫外光、可視光などが挙げられる。波長域は、300〜1000nm、好ましくは330〜800nm、より好ましくは波長350〜600nmである。また、光照射エネルギーは、光応答性表面の特性を変化させることができ、かつ細胞に損傷を与えない範囲内であり、0.1〜10,000J/cm2、好ましくは1〜1,000J/cm2、より好ましくは10〜100J/cm2である。
特に、細胞接着性を亢進及び/又は減少させる光の波長範囲は350〜400nmが好ましく、強度は5〜15mW/cm2がこのましく、10mW/cm2前後がより好ましい。照射時間は3〜8分が好ましく、5分前後がより好ましい。
【0015】
本発明における細胞培養基材を用いて、細胞の選択的回収または2次元パターン培養を行うにあたっては、光を照射する前及び/又は照射中及び/又は照射した後に全体の温度を変化させてもよい。例えば、細胞接着性を減少させる場合、数分間(例えば5〜40分間)低温処理してよく、好ましくは、0〜30℃の低温処理してよく、より好ましくは、0〜25℃の低温処理してよい。
本発明で用いられる細胞は、ヒトまたは動物由来の足場依存性細胞や浮遊細胞などのが挙げられるが、これらに限定されるものではない。これらの細胞は必要に応じて単独で使用するか、又は複数組合せて使用することも可能である。
【0016】
本発明における細胞培養基材を用いた細胞の分別回収方法を図1を用いて説明する。まず、該細胞培養基材表面1に、細胞2を播種3する。この細胞の種類や活性を判定するための標識4を行い、所望する細胞2Aの位置情報を取り込み5、これに基づく照射パターン6Aに沿って、基材表面1細胞接着性を減少させる光で2次元パターン光照射7Aを行うことで、所望する細胞2Aが存在する領域のみで細胞接着性が減少し、所望する細胞2Aのみが基材表面1から選択的に回収8される。また、回収する細胞に光を照射しない別の分別回収方法を説明する。所望しない細胞2Bの位置情報に基づく照射パターン6Bに沿って、基材表面1の細胞接着性を亢進させる光で2次元パターン光照射7Bを行うことで、所望しない細胞2Bが存在する領域での細胞接着性が亢進し、所望しない細胞2Bのみが基材表面1に接着する。所望の細胞2Aが基材表面1に接着していないこの状態で培地ごと細胞を回収8すれば、所望の細胞2Aのみが、一度も光照射されることなく選択的に分別回収される。
【0017】
次に、本発明における細胞培養基材を用いた細胞のパターニングの方法を図2を用いて説明する。まず、該細胞培養基材の培養某材表面9に、予め2次元パターン光照射10を行うことで、照射パターン11に沿った領域のみで細胞接着性及び/又は細胞増殖性を亢進させる。この細胞培養基材表面9に細胞12を播種13する。その後洗浄・培養14することで、照射パターン11に沿って領域の細胞12を増殖させる。さらに、パターンに沿って複数種の細胞を共培養する場合には、別の照射パターン15で2次元パターン光照射16を行い、他の種類の細胞17を播種したい領域の細胞接着性及び/又は細胞増殖性を亢進させ、他の種類の細胞17を播種18すると、既に先に播種した細胞12が増殖している領域を避け、照射パターン15に沿う領域に細胞17が接着し増殖する。また、この操作を繰り返せば、2種類を越える細胞を、それぞれ任意のパターンに沿って共培養することができる。
【0018】
また、本発明によれば、特に、トリプシン等の酵素を全く、あるいは十分量使用しないため、細胞接着物質であり、細胞機能の発現や保持に重要な働きをするECM(細胞外マトリックス)や膜タンパク質を伴ったまま剥離可能である点が極めて重要な利点である。さらに、本発明においては、上記のように蛍光標識抗体を用いる手法のみでなく、種々の蛍光標識法を採用できる。これには、例えば、ルシフェラーゼ等の発光系を構成する酵素の遺伝子を細胞に導入する方法等が挙げられる。さらに、例えば、形態の違う細胞の分別においては、特に蛍光標識を行わなくとも顕微鏡観察下、光照射して、目的とする細胞のみを分別して回収することができる。
【0019】
本発明の光応答性組成物から形成された細胞培養基材は、細胞を播種した後の光照射により、培養基材の温度・光応答性表面の特定の領域に対して、数百ナノメートルの分解能で局所選択的に細胞接着性及び/又は細胞増殖性を亢進又は減少させることができるため、従来技術では両立できなかった細胞の精密分離に加え、該分離において細胞外マトリックスや膜タンパク質を損なわず細胞の器官特異的機能の維持を同時に実現することが可能となる。また、従来の細胞のパターニングでは、細胞播種前の処理によって予め培養パターンが決まってしまうのに対し、本発明の細胞の分別回収又はパターン培養の方法は、細胞接着性及び/又は細胞増殖性を亢進あるいは減少させる2種類の光を用いて、任意の2次元パターンで決めることができるため、従来にない自由度と利便性を有する細胞操作手段が提供できる。したがって、本発明の光応答性組成物から形成された細胞培養基材及び、それを用いた所望細胞の選択的分別回収又はパターン培養の方法は、細胞工学分野、再生医療分野、バイオ関連工業分野、組織工学分野などにおいて極めて有用である。
【実施例】
【0020】
以下に実施例に基づき本発明を更に詳しく説明するが、本発明はこれらの実施例によって何ら限定されるものではない。
(実施例1)
6−ニトロスピロベンゾピラン修飾ポリN−イソプロピルアクリルアミドの製造
凍結脱気可能で密栓できる100m1フラスコ中、精製したN−イソプロピルアクリルアミド 950mg (9.5mmol;和光純薬製)をテトラヒドロフラン(THF)蒸留液 1mlに溶解したあと、N−[3−{3',3'−ジメチル−6−ニトロスピロ(2H−1−ベンゾピラン−2,2'−インドリン)−1−イル−プロピオニル}−プロピル]−メタクリルアミド 253.3mg (0.5mmol;文献Heterocycles, 51, 2639〜2651(1999) 記載の製造方法により合成)とTHF 1mlを入れて撹拌しながら完全に溶解した。また、開始剤AIBN(2、2−アゾビス(イソブチロ二トリル)、和光特級) 16.4mg (0.1mmol) を入れてTHF 1mlにて溶解して、密封した状態で凍結脱気を5回行った。その後、オイルバス中、65℃で24時間加熱した。CHCl3を少量加えて薄めて、メタノール 400mlに点滴ろ過した後、減圧ろ過して乾燥させることによって6−ニトロスピロベンゾピラン修飾ポリN−イソプロピルアクリルアミドを得た(収量 770mg,収率 64%)。
【0021】
(実施例2)
疎水化ガラス基板の作製
ガラス基板(直径 2.5cm, 厚さ 2mm, 並ガラス製)を、n−ヘキサン、酢酸エチル、イソプロパノール中で順次10分間ずつ超音波洗浄を行い、ガラス表面の汚れを除去した。次いで5N塩酸中、50℃で10分間処理してガラス表面の水酸基を露出させた。これにジクロロジメチルシラン 1 v/v%トルエン溶液に90秒浸漬してシランカップリングによる疎水化処理を行った。処理後トルエンで洗浄、120℃で1時間熱処理を行い、疎水化ガラス基板を作製した。
細胞培養基材の作製
実施例1で得た6−ニトロスピロベンゾピラン修飾ポリN−イソプロピルアクリルアミド 0.04質量%とポリメチルメタクリレート 0.16質量%を含有する1,2−ジクロロエタン溶液 500mgを疎水化ガラス基板上にキャストし、暗所、大気中で24時間静置して乾燥させた。その後120℃で2時間熱処理を行い、細胞培養基材を作製した。
【0022】
(実施例3)
細胞接着後の光照射による細胞の接着性評価
上記実施例2から得られた培養基材を細胞培養キュベットに装着した。培地にはMINIMUM ESSENTIAL MEDIUM EAGLE α-MIODIFICATION(商品名、シグマ社製)を用いた。以下ではこれにFBS(牛胎児血清、GIBCO社製)10v/v%を添加したものをFBS(+)培地、添加しないものをFBS(−)培地とする。CHO-K1細胞を1.0x106セル/ディッシュの細胞濃度で播種し、FBS(+)培地中で24時間培養した。その後、FBS(−)培地 1mlで2回培養表面を洗浄後、FBS(−)培地 1mlを培養キュベットに注ぎ、細胞接着性を倒立顕微鏡にて肉眼観察した(倍率100倍)。その撮影結果を図3に示した。次いで培養キュベットを5分間氷冷し、その後直ちに培養基材の半分の領域をアルミ製の遮光板でマスクした状態で、光照射装置(モデル名:LC6、浜松ホトニクス社製)からの放射光のうち石英製干渉フィルター(型番:A7028−05、浜松フォトニクス社製)、及び色ガラスフィルタ(型番:U360ケンコー社製)を介して得られる紫外光(輝線365nm、強度20mW/cm2)を5分間照射した。照射後の培養表面に対して氷冷したPBS(1ml、リン酸緩衝溶液;0.20g/L KCl, 0.20g/L KH2PO4, 8.00g/L NaCl, 2.16g/L Na2HPO4・7H20)で2回洗浄後、同じく氷冷したPBS 1mlを注ぎ、暗所、氷温下で20分間静置した。さらに氷冷したPBS 1mlで2回洗浄後、紫外光の照射部と非照射部での細胞接着性を倒立顕微鏡にて肉眼観察した(倍率100倍)。その撮影結果を図4に示した。
図3から明らかなように、紫外光照射前は撮影視野全体に細胞が接着していることが分かるが、図4ではアルミ製遮光板で遮光した領域(図の下半分の領域)は細胞の接着が著しく減少しているのが分かる。
図5は、図3及び4において、CCDカメラ撮影視野内の細胞数を数え、細胞密度を求めた結果のグラフである。図5から明らかなように、照射領域は、照射前後の細胞密度の差は小さいが、遮光した領域は照射後にほとんど細胞が接着していない。
図6は、その後細胞のエステラーゼ活性によって発色し、生細胞のみを選択的に蛍光染色する色素(製品名:CMFDA, MOLECULAR PROBE社製)にて染色し、細胞の選択的剥離を明確に示すと共に、剥離操作後の細胞の生存を倒立顕微鏡(倍率40倍)にて確認した結果を示す。
図6から明らかなように、図4で接着している細胞は生存していることが分かった。
【0023】
(実施例4)
細胞播種後の光照射による細胞パターニング
アルミ製の遮光板によって培養表面の半分を遮光する代わりに、縮小光学系及びフォトマスクを用いて所定の2次元パターン(「?」)にて紫外光照射を行った。それ以外は上記実施例3の方法と同様の過程で細胞培養基材の作製、細胞の播種、照射後の洗浄操作、生細胞の選択的蛍光染色を行い、倒立顕微鏡(倍率40倍)にて観察した。その結果を図7に示した。図7から明らかなように、フォトマスクを用いて紫外光照射した、150°回転した「?」の形状に生細胞が接着していることが分かった。
【0024】
(実施例5)
別の細胞培養基材による試験
実施例2に記載の方法で疎水化ガラス基板を作製した。この基板上に、ポリメチルメタクリレートを5質量%の濃度でアセトンに溶解した溶液 0.2mlを、3000rpmでスピンコートし、120℃で2時間熱処理を行った。
これとは別に、実施例1と同様にして得た6−ニトロスピロベンゾピラン修飾ポリN−イソプロピルアクリルアミド(色素導入率約 5mol%、質量平均重合度約100)を2質量%の濃度でイソプロパノールに溶解した溶液を調製した。この6−ニトロスピロベンゾピラン修飾ポリN−イソプロピルアクリルアミド溶液 0.2mlを、先に準備したポリメチルメタクリレートでコーティングした基板上に、3000rpmでスピンコートしたのち、120℃で2時間熱処理を行い、細胞培養基材を作製した。
実施例4と同様の手法で所定の2次元パターン(「S」)にて紫外光照射を行った。それ以外は上記実施例3の方法と同様の過程で細胞の播種および培養、照射前後の洗浄操作、生細胞の選択的蛍光染色を行い、倒立顕微鏡(倍率40倍)にて観察した。その結果を図9に示した。図9から明らかなように、フォトマスクを用いて紫外光照射した、「S」の形状に生細胞が接着していることが分かった。
【0025】
(実施例6)
別の細胞培養基材および別の条件の光照射による細胞の接着性評価(可逆性の確認)
上記実施例5に記載した方法で作製した細胞培養基材を細胞培養キュベットに装着した。その後上記実施例3に記載した方法で、細胞の播種および培養、培養後の洗浄操作を行い、FBS(−)培地 1mlを培養キュベットに注いでから、倒立顕微鏡(倍率40倍)にて観察し、細胞培養基材全面に一様に細胞が接着したことを確認した。その撮影結果を図10に示した。次いで上記実施例3に記載した条件で紫外光を部分的に照射し、暗所、15℃で20分間静置した。さらに15℃のPBS 1mlで3回洗浄後、生細胞のみを選択的に蛍光染色する色素(製品名:CMTPX, MOLECULAR PROBE社製)にて染色し、紫外光の照射部と非照射部での細胞接着性を倒立顕微鏡にて肉眼観察したところ(倍率40倍)、紫外光照射部に多くの細胞が残存しているのに対し、非照射部から多くの細胞(目視確認では9割程度)が除去されたことを確認した。その撮影結果を図11に示した。
以上の操作によって、部分的に(図11の左半分)に細胞が接着している培養基材の全面に、光照射装置(モデル名:LC6、浜松ホトニクス社製)から得られる可視光(波長436nm、強度30mW/cm2)を5分間照射し、その後インキュベータ内において37℃で2時間静置した。この培養基材を20分間15℃で静置し、さらに15℃のPBS 1mlで4回洗浄した。これにより、最初の紫外光照射により亢進した細胞接着性が未照射領域と同程度にまで減少し、培養表面上に接着していたほとんど全ての細胞を除去できることを確認した。この状態を、倍率40倍の倒立顕微鏡にて撮影した結果を図12に示した。
次いで、生細胞のみを選択的に蛍光染色する色素(製品名:CMFDA)にて予め染色したCHO-K1細胞を1.0x106セル/ディッシュの細胞濃度で播種し、FBS(+)培地中で12時間培養した。この状態を、倍率40倍の倒立顕微鏡にて肉眼観察し、細胞培養基材全面に一様に細胞が接着したことを確認した。その撮影結果を図13に示した。この状態の培養基材に対して、最初に紫外光照射した領域(図11の左半分)アルミ製の遮光板でマスクし、それ以外の領域(図11の右半分)に上記実施例3に記載した条件で紫外光を照射し、暗所、15℃で20分間静置した。さらに15℃のPBS 1mlで3回洗浄後、紫外光の照射部と非照射部での細胞接着性を倒立顕微鏡にて肉眼観察したところ(倍率40倍)、2度目の紫外光照射における照射部に多くの細胞が残存した一方、非照射部から多くの細胞(目視確認では9割以上)が除去されたことを確認した。このことは、可視光の全面照射およびそれに続く37℃での静置によって、細胞培養基材が調製直後の状態に初期化されたことを示している。その撮影結果を図14に示した。
【0026】
(比較例)
細胞接着性の光制御性における従来技術(特願2004−019742号明細書)との比較
細胞播種後に行う光照射の有無による細胞接着性のコントラスト(洗浄後、光照射域における残存細胞数の、非照射域における残存細胞数に対する比)を、本発明の温度・光応答性培養基材と、比較例として特願2004−019742号明細書(特許文献2)に記載の光応答性培養基材とで比較した。結果を図8に示した。
図8から明らかなように、比較例の特願2004−019742号明細書に記載の方法では、光照射によって、2倍のコントラストしか得られなかった。一方、本発明の温度・光応答性培養基材を用いれば、16倍以上のコントラストを得ることができることが分かった。
【図面の簡単な説明】
【0027】
【図1】図1は、本発明の細胞培養基材を用いた細胞分別操作を示す概略図である。
【図2】図2は、本発明の細胞培養基材を用いた細胞のパターニング操作を示す概略図である。
【図3】図3は、キャスト法で作製した本発明の細胞培養基材上における紫外光を部分的に照射する前に洗浄して残存した細胞を表す図面代用顕微鏡写真である。
【図4】図4は、キャスト法で作製した本発明の細胞培養基材上における紫外光を部分的に照射した後に洗浄して残存した細胞を表す図面代用顕微鏡写真である。
【図5】図5は、キャスト法で作製した本発明の細胞培養基材上において、紫外光照射部位及び非照射部位における残存細胞密度を、光照射前に洗浄した直後と部分的に光照射した後に洗浄した直後で比較したグラフである。
【図6】図6は、キャスト法で作製した本発明の細胞培養基材上における紫外光を部分的に照射した後に洗浄して残存した細胞を、生細胞のみを選択的に蛍光染色する色素で染色した後を表す図面代用蛍光顕微鏡写真である。
【図7】図7は、キャスト法で作製した本発明の細胞培養基材上に、生細胞を一様に播種した後に所定の2次元パターン(「?」)で光照射して得られた生細胞のパターニング像を表す図面代用蛍光顕微鏡写真である。
【図8】図8は、細胞播種後に行う光照射の有無による細胞接着性のコントラストに関する従来技術(特願2004−019742号明細書)と本発明との比較を示すグラフである。
【図9】図9は、スピンコート法で作製した本発明の細胞培養基材上に、生細胞を一様に播種した後に所定の2次元パターン(「S」)で光照射して得られた生細胞のパターニング像を表す図面代用蛍光顕微鏡写真である。
【図10】図10は、スピンコート法で作製した本発明の細胞培養基材上において、一様に細胞を播種した後培養し、さらに洗浄した後の様子を表す図面代用顕微鏡写真である。
【図11】図11は、上記図10に示した状態にある本発明の細胞培養基材上において、紫外光の部分的照射およびそれに続く冷却処理後に洗浄して残存した細胞を、生細胞のみを選択的に蛍光染色する色素で染色した後の様子を表す図面代用蛍光顕微鏡写真である。
【図12】図12は、上記図11に示した状態にある本発明の細胞培養基材上において、可視光の全面照射および37℃で静置した後に、冷却および洗浄操作によって細胞を除去した後の様子を表す図面代用蛍光顕微鏡写真である。
【図13】図13は、上記図12に示した状態にある本発明の細胞培養基材上において、一様に細胞を播種した後培養し、さらに洗浄した後の様子を表す図面代用蛍光顕微鏡写真である。
【図14】図14は、上記図13に示した状態にある本発明の細胞培養基材上において、紫外光の部分的照射およびそれに続く冷却処理後に洗浄して残存した細胞を、生細胞のみを選択的に蛍光染色する色素で染色した後の様子を表す図面代用蛍光顕微鏡写真である。
【符号の説明】
【0028】
1,9 温度・光応答性表面
2,2A,2B,12,17 細胞
3,13,18 播種操作
4 細胞の標識操作
5 位置情報の取り込み操作
6A,6B,11,15 照射パターン
7A,7B,10,16 2次元パターン照射操作
8 細胞回収操作
14 洗浄・培養操作
【技術分野】
【0001】
本発明は、温度・光応答性組成物及びこれをコーティングして形成された温度・光応答性表面を有する細胞分別用培養基材、その細胞分別用培養基材を含んだ細胞分別培養回収装置、及び該装置を使用した細胞の分別回収方法に関するものである。より詳しくは、温度変化及び光照射によりその特性が変化する温度・光応答性表面を有する細胞培養基材、並びにこの培養基材を用いて細胞を播種する前及び/又は後に、所望の領域に光照射し所定の温度に所定の時間保持することによって、所望の細胞又は細胞群のみを培養基材上に選択的に保持して分別回収する、あるいは所望のパターンで細胞を培養する方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
近年、体を構成する細胞や組織がもつ潜在力を利用する新たな医療としての再生医学が期待されている。その再生医学分野において最も重要なのは、体外で培養された細胞や組織が生体内で正常に機能できるようにすることである。従って、その生体内での正常的な機能を発現するためには、培養細胞を培養床からその構造と機能を損なうことなく、細胞を分別回収する技術が強く要望されてきた。
【0003】
従来の細胞分別技術としては、フローサイトメトリー(FACS;蛍光表示式細胞分離システム)や磁気細胞分離システム(MACS)があり、これらは既に実用化されている。しかしながら、これらのフローサイトメトリーあるいは磁気細胞分離システムは、白血球あるいはリンパ球等の浮遊細胞を分別回収するためによく用いられてきたものの、浮遊細胞や足場依存性細胞の分別回収に適用する場合は、基質に接着した足場依存性細胞を浮遊状態にさせなければならず、そのとき、トリプシン等の酵素処理によって細胞接着因子や細胞外マトリックスが破壊される問題が生じる。特に、フローサイトメトリーでは、超音波ノズルによる細胞の物理的分離の過程において、細胞に与える損傷が相当大きい。
特許文献1には、培養細胞の分離回収に酵素を用いない方法として、温度応答性の高分子化合物を培養基材として用いる方法が開示されている。また、温度応答性支持体を用いた細胞培養法により、細胞接着物質や膜タンパクを分解せず、その器官特異的機能を維持したまま細胞をシート状態で剥離・回収する手法が報告されている(例えば、非特許文献1参照。)。これらの方法では、温度変化によって培養基材の接着制御を行うため、培養容器中の種々の細胞あるいは細胞群から、特定の細胞あるいは細胞群(コロニー)のみを回収しようとする場合において、個々の細胞あるいは細胞群毎にその脱着を制御することは極めて困難であった。
【0004】
一方、足場依存性細胞の機能を、目的用途に応じて培養基材上で発現させるために、任意のパターンに沿う形で培養する技術が研究されている。これについては、マイクロスタンプやインクジェット、電子線描画などを応用したものの他、短波長(300nm)の紫外光を照射することによって不可逆的に構造変化する色素材料を細胞培養基材に用いて、細胞のパターニングを光照射によって行った例も報告されている(例えば、非特許文献2参照。)。しかしこの研究はあくまで、培養基板の細胞親和性を細胞播種前に予めパターン化する手段の提供を目的としたものであり、このような短波長の紫外光の照射を要する培養基材を、細胞播種後の細胞選別に適用することは不可能である。
【0005】
そこで細胞を播種した後に光照射することによって、細胞接着性及び/又は細胞増殖性を局所的に制御することを可能にし、細胞の分別回収や培養細胞のパターニングの新たな手段を与える方法として、光応答性組成物とポリアルキレングリコールを培養基材として用いる方法が特許出願されている(例えば、特許文献2参照。)。しかし、この培養基材を用いて、光照射によって細胞接着性を減少させることができない。また、光照射によって細胞接着性を亢進した部位の非照射部位に対する細胞接着性の比(コントラスト)は2程度であり、分別回収やパターニングなどの細胞操作を行う上で、十分とは言えない場合がある。さらに、光照射を一度行うことにより、基材表面のポリアルキレングリコールが培養培地中に溶け出してしまう上、繰り返し操作を行うことができない問題がある。
従って、細胞播種後の光照射により、高い自由度、コントラスト及び可逆性を持って細胞接着性及び/又は細胞増殖性を局所的に制御することを従来技術で実現することは不可能である。
【特許文献1】特開平11−349643号公報
【特許文献2】特願2004−019742号明細書
【非特許文献1】エー.キクチ,エム.オクハラ,エフ.カリクサ,ワイ.サクライ及びティー.オカノ,“ジェー.バイオマテル.サイ.,ポリム.イ一ディーエヌ.”(A.Kikuchi, M.Okuhara, F.Karikusa, Y.Sakurai and T.Okano, J.Biomater.Sci., Polym. Edn.) 9, 1331 (1998)
【非特許文献2】ワイ.ナカヤマ,エー.フルモト,エス.キドアキ,ティー.マツダ,“フォトケム.フォトバイオロ.”(Y.Nakayama,A.Furumoto, S.Kidoaki, T.Matsuda, Photochem.Photobiol.)77(5), 480 (2003)
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
そこで本発明は、上記事情に鑑み、細胞を播種する前及び/又は後に光照射することにより、特定の領域においてその細胞接着性を高いコントラストと可逆性を持って局所的に亢進または減少させることが可能な温度・光応答性表面を有する細胞培養基材及びこれを構成する温度・光応答性組成物を提供することを目的とする。これによって、培養細胞から細胞機能を損傷することなく、所望の細胞又は細胞群のみを選択的に分別回収する、あるいは所望のパターンに沿って培養するための煩雑な操作を要しない手段が提供される。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明者らは、上記課題を達成するために鋭意検討を行った結果、光照射に応答して物性の変化が行われる光応答性材料を、細胞の培養基材表面として用いることにより、特定の領域に自由自在にパターニングし、培養細胞から細胞に何らのダメージをも与えることなく、細胞の器官特異的機能を維持したまま、所望の細胞あるいは細胞群のみを選択的に分別回収可能であることを見出し、本発明を完成するに至った。
すなわち、本発明は
(1) 温度応答性ポリマーを構成するアクリルアミド系モノマー成分と、光応答性を有するスピロベンゾピラン及び/又はスピロオキサジン残基を有するモノマー成分から構成され、光照射及び/又は温度変化に応答してその細胞接着性が変化する温度・光応答性コポリマーを少なくとも一つの成分として含む温度・光応答性組成物。
(2) 前記温度応答性ポリマーを構成するアクリルアミド系モノマー成分がN−アルキルアクリルアミドである(1)に記載の温度・光応答性組成物。
(3) 前記コポリマーを構成するスピロベンゾピラン残基が6−ニトロスピロベンゾピラン残基である(1)又は(2)に記載の温度・光応答性組成物。
(4) 前記コポリマーの他に水に不溶なポリマーを少なくとも一つの成分として含む(1)〜(3)のいずれか1項に記載の温度・光応答性組成物。
(5) 前記水に不溶なポリマーを構成するモノマー成分が、メタクリル酸又はアクリル酸の炭素原子数1〜8のアルキルエステル、アクリロニトリル、酢酸ビニル、スチレン、α−メチルスチレン、ビニルトルエン、テレフタル酸、およびアルキレングリコールからなる群から選択されることを特徴とする(4)に記載の温度・光応答性組成物。
(6) 前記水に不溶なポリマーがポリメチルメタクリレートであることを特徴とする(5)に記載の温度・光応答性組成物。
(7) (1)〜(6)のいずれか1項に記載の温度・光応答性組成物をコーティングして形成された温度・光応答性表面を有することを特徴とする細胞培養基材。
(8) 水に不溶なポリマーをコーティングした基板の上に(1)〜(3)の温度・光応答性組成物をコーティングして形成された温度・光応答性表面を有することを特徴とする細胞培養基材。
(9) 前記水に不溶なポリマーを構成するモノマー成分が、メタクリル酸又はアクリル酸の炭素原子数1〜8のアルキルエステル、アクリロニトリル、酢酸ビニル、スチレン、α−メチルスチレン、ビニルトルエン、テレフタル酸、およびアルキレングリコールからなる群から選択されることを特徴とする(8)に記載の細胞培養基材。
(10) 前記水に不溶なポリマーがポリメチルメタクリレートであることを特徴とする(9)に記載の細胞培養基材。
(11) 前記水に不溶なポリマーをアセトン、アルコール、エステル類、ハロアルカン類、ジメチルスルホキシド、N,N−ジメチルホルムアミド、およびエーテル類(環状分子を含む)からなる群から選択される溶媒に溶解してコーティングすることを特徴とする(8)〜(10)のいずれか1項に記載の細胞培養基材。
(12) 前記温度・光応答性組成物をアルコール、アセトン、エステル類、ハロアルカン類、水、ジメチルスルホキシド、N,N−ジメチルホルムアミド、およびエーテル類(環状分子を含む)からなる群から選択される溶媒、またはその混合溶媒に溶解してコーティングすることを特徴とする(8)〜(11)のいずれか1項に記載の細胞培養基材。
(13) (7)〜(12)のいずれか1項に記載の細胞培養基材に細胞を播種する前及び/又は播種した後に、所期の目的に応じて前記培養基材の温度・光応答性表面の全部または一部の所望領域を光照射し、光照射領域における細胞接着性及び/又は細胞増殖性を亢進または減少させることによって、所望の細胞又は細胞群以外の細胞を該表面に分別保持させ、所望の細胞又は細胞群を回収することを特徴とする、細胞の分別回収方法。
(14) 細胞接着性及び/又は細胞増殖性を亢進させる波長範囲の光と、それを減少させる波長範囲の光の両方を用いて、所望領域の細胞接着性及び/又は細胞増殖性を任意に変化させることによって、所望の細胞又は細胞群を回収することを特徴とする、(13)に記載の細胞の分別回収方法。
(15) 光を照射する前及び/又は照射中及び/又は照射した後に温度を変化させることによって、所望の細胞又は細胞群を回収することを特徴とする、(13)又は(14)に記載の細胞の分別回収方法。
(16) (7)〜(12)に記載の細胞培養基材に細胞を播種する前及び/又は播種した後に、所期の目的に応じて前記培養基材の温度・光応答性表面の一部の所望領域を光照射し、光照射領域における細胞接着性及び/又は細胞増殖性を亢進または減少させることによって、所望の細胞又は細胞群のみを該表面に分別保持させ、引き続きこれらの細胞又は細胞群のみを培養することを特徴とする、細胞の分別培養又は2次元パターン培養の方法。
(17) 細胞接着性及び/又は細胞増殖性を亢進させる波長範囲の光と、それを減少させる波長範囲の光の両方を用いて、所望領域の細胞接着性及び/又は細胞増殖性を任意に変化させることによって、所望の細胞又は細胞群のみを引き続き培養することを特徴とする、(16)に記載の細胞の分別培養又は2次元パターン培養の方法。
(18) 光を照射する前及び/又は照射中及び/又は照射した後に温度を変化させることによって、所望の細胞又は細胞群のみを引き続き培養することを特徴とする、(16)又は(17)に記載の細胞の分別培養又は2次元パターン培養の方法。
【発明の効果】
【0008】
本発明の温度・光応答性組成物は、基板にコーティングすることにより、温度・光応答性細胞培養基材とすることができる。
この細胞培養基材は、細胞を播種した後の光照射に応答して、培養基材表面の特定の領域に対して、数百ナノメートルの分解能で局所選択的に細胞接着性及び/又は細胞増殖性を、それ以外の領域に比べて著しく亢進あるいは減少させることができる。
そのため、本発明の細胞分別回収方法によれば、従来技術では両立できなかった細胞の精密分離に加え、該分離において細胞外マトリックスや膜タンパク質を損なわず細胞の器官特異的機能の維持を同時に実現することが可能となる。
また、従来の細胞のパターニングでは、細胞播種前の処理によって予め培養パターンが決まってしまうのに対し、本発明の細胞分別培養又は2次元パターン培養方法によれば、細胞播種後に細胞を接着・増殖させる領域を、細胞接着性及び/又は細胞増殖'性を亢進あるいは減少させる2種類の光を用いて、任意の2次元パターンで決めることができるため、従来にない自由度と利便性を有する細胞操作手段が提供できる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0009】
本発明の温度・光応答性組成物は、温度応答性ポリマーを構成するアクリルアミド系モノマー成分と、光照射されることによって分子構造が変化し、その特性、特に、水和状態、分極率、溶媒親和性等が大きく変化するスピロベンゾピラン及び/又はスピロオキサジン残基を有するモノマー成分から構成され、光照射及び/又は温度変化に応答してその細胞接着性が変化する温度・光応答性コポリマーを少なくとも一つの成分として含む。
本発明において、細胞接着性の変化とは、変化前に剥離に至った細胞が、培地や緩衝液等による洗浄、遠心操作、振動印加等の一定の物理的刺激によっても剥離しなくなることである。また、細胞接着性の変化には、変化前に剥離に至ることのない細胞が、培地や緩衝液等による洗浄、遠心操作、振動印加等の一定の物理的刺激によって剥離するようになることも含まれる。例えば、上記物理刺激の目安として、変化前には剥離に至った加速度の大きさ(1×g〜10×g)の遠心操作によって変化後は剥離しなくなることが挙げられる。
本発明において、上記細胞接着性の変化により、細胞の増殖性も制御することができる。すなわち、ヒト等の接着性細胞(足場依存性細胞)は何らかの表面に接着しないと増殖できないため、本発明の細胞培養基材表面の上記細胞接着性が向上することにより、細胞増殖の進展が促進するためである。
光照射によって細胞接着性が変化するメカニズムは定かではないが、細胞表面脂質との相互作用で、スピロベンゾピラン及び/又はスピロオキサジン残基の光照射による開環体と細胞が接着していると推定される。一方、温度変化によって細胞接着性が変化するメカニズムも定かではないが、本発明の温度・光応答性組成物が、低温処理に誘起されて水和状態(すなわち、水素結合を介して付着した水分子の付着・脱着)が変化し、膨潤し、水和したポリマーが細胞を剥離すると推定される。
また、前記温度・光応答性コポリマーを構成するアクリルアミド系モノマー成分は、N−アルキルアクリルアミド、N,N−ジアルキルアクリルアミド、N−アルキルメタクリルアミド、N,N一ジアルキルメタクリルアミド、ビニルエーテルが好ましく、N−アルキルアクリルアミドがより好ましい。前記アルキル基としては炭素数1〜5のものが好ましく、例えば、メチル、エチル、プロピル、イソプロピル基等を挙げることができる。N−ジアルキルの場合、炭素数1〜3のものが好ましく、例えば、メチル、エチル、プロピル基を挙げることができる。N−イソプロピルアミドまたはジメチルアクリルアミドが特に好ましい。
【0010】
さらに、前記温度・光応答性コポリマーを構成するスピロベンゾピラン及び/又はスピロオキサジン残基は任意の位置に任意の置換基(例えば、スピロベンゾピランの場合、6−ニトロ、6−メチル等)を有してよく、なかでも、スピロベンゾピラン残基が好ましく、6−二トロスピロベンゾピラン残基がより好ましい。
本発明において、光応答性を示すスピロベンゾピラン及び/又はスピロオキサジン残基を有するモノマー成分は、重合性を有する任意の単量体でよく、アクリルアミド、メタクリルアミド、アクリルエステル、メタクリルエステル、ビニルアミド、ビニルエステル、ビニルエーテル等を挙げることができる。
前記温度・光応答性コポリマーにおいて、これに含まれる前記スピロベンゾピラン及び/又はスピロオキサジン残基を有するモノマー成分の数の、コポリマーを構成する全アクリルアミド系モノマーユニット数に対する割合は、0.1〜100mol%、好ましくは1〜10mol%程度であればよく、より好ましくは3mol%程度である。
【0011】
本発明の細胞培養基材は、温度・光応答性コポリマーとともに水に不溶なポリマーがコーティングされていることが好ましい。このとき、温度・光応答性ポリマーと水に不溶なポリマーとをともに含有させた1つの組成物として基板上にコーティングしてもよく、基板上に水に不溶なポリマーをコーティングしておき、その上に温度・光応答性組成物をコーティングしてもよい。例えば、温度・光応答性ポリマーと水に不溶なポリマーを1つの組成物としてコーティングしたとき、その乾燥プロセスで両ポリマーの分布にばらつきが生じやすい場合などは、別々にコーティングすることが好ましい。また、別々にコーティングする場合、温度・光応答性組成物をポリマーに相溶させ固定化するよう、水に不溶なポリマーをコーティングした後、素早く温度・光応答性組成物またはその溶液をコーティングすることが好ましい。
コーティングされる組成物は、所望の細胞接着性の変化を妨げなければ、温度・光応答性ポリマーおよび水に不溶なポリマー以外に追加の成分を含有させてもよい。また、必要に応じて、温度・光応答性組成物または水に不溶なポリマーによるコーティングの前または後に、異なる成分のコーティングを追加してもよい。
水に不溶なポリマーをコーティングした後、温度・光応答性組成物をコーティングする場合、該温度・光応答性組成物を溶剤に溶解した溶液としてコーティングすることが好ましい。溶媒としては、温度・光応答性組成物を溶解するものであればどのようなものでもよいが、水に不要なポリマーまたはその溶液と相溶性を有することが好ましく、適度に水に不溶なポリマーを膨潤させるようなものがより好ましい。例えば、アルコール、アセトン、エステル類、ハロアルカン類、水、ジメチルスルホキシド、N,N−ジメチルホルムアミド、エーテル類(環状分子を含む)などが好ましく、これらの混合溶媒も好ましく用いられ、イソプロパノールがより好ましい。
【0012】
この水に不溶なポリマーを構成するモノマー成分は、メタクリル酸又はアクリル酸の炭素原子数1〜8のアルキルエステル、アクリロニトリル、酢酸ビニル、スチレン、α−メチルスチレン、ビニルトルエン、テレフタル酸、アルキレングリコールからなる群から選択されることが好ましく、ポリメチルメタクリレートがより好ましい。
本発明の温度・光応答性組成物中の水に不溶なポリマーの配合量は、特に制限されることではなく、総合量の1〜50質量%、好ましくは5〜30質量%程度であればよく、より好ましくは20質量%程度である。
本発明において、温度・光応答性コポリマーの平均分子量(質量平均)は、成膜性があれば特に限定されるものではないが、通常2,000〜500,000、好ましくは5,000〜100,000である。2,000未満では成膜性が劣る恐れがあり、一方500,000を超えると、合成が困難である場合がある。
本発明の温度・光応答性組成物をコーティングなどの目的のため溶液とする場合、その溶剤は使用する温度・光応答性組成物を溶解できるものであればよく、例えば、1,2−ジクロロエタン、テトラヒドロフラン、クロロフォルム、メチルエチルケトン、酢酸エチル等が挙げられるが、これらに限定されるものではない。
【0013】
また、水に不溶なポリマーもコーティングなどの目的のために溶液とすることができる。溶剤は水に不溶なポリマーを溶解させるものであればどのようなものでもよく、例えば、アセトン、アルコール、エステル類、ハロアルカン類、ジメチルスルホキシド、N,N−ジメチルホルムアミド、エーテル類(環状分子を含む)などが挙げられ、好ましくはアセトン、酢酸エチル、またはテトラヒドロフランである。また、これらの混合溶媒であってもよい。溶液の濃度はコーティングに適していれば特に制約はないが、水に不溶なポリマーが0.1質量%〜50質量%であることが好ましく、3質量%〜10質量%であることがより好ましい。
本発明の細胞培養基材を作製するために、前記光応答性組成物の溶液、または水に不溶なポリマー溶液をガラス、改質ガラス、プラスチック、金属等の基板上にスピンコートまたはキャスト法にて成膜することができる。基板はシランカップリング剤などにより疎水化処理してもよい。成膜後に熱処理を行うこともできるが、熱処理を行う場合は、室温〜200℃、より好ましくは60〜140℃の温度で、2、3時間の熱処理が望ましい。
【0014】
本発明の全体に渡って使用される用語「温度・光応答性表面」とは、前記温度・光応答性組成物からなり、上記足場依存性細胞や浮遊細胞など細胞が接着する表面を意味する。該表面は、温度変化及び/又は光照射された領域の細胞接着性及び/又は細胞増殖性が亢進及び/又は減少することを特徴とする。
本発明の温度・光応答性組成物を化学結合を介して基材表面に導入する場合、グラフト表面重合でモノマーから温度・光応答性コポリマーを表面で重合してもよいし、反応性を有する温度・光応答性コポリマーを化学的に後付けしてもよく、コーティングなどにより物理的に付着させてもよい。
さらに、本発明の細胞培養デバイスとしては、細胞培養が可能であれば特に制限されるものではなく、培養ディッシュ、細胞培養キュベット等が挙げられるが、定点観測が可能な形態がより好ましい。
本発明における細胞培養基材表面の特性を変化させるための照射光としては、紫外光、可視光などが挙げられる。波長域は、300〜1000nm、好ましくは330〜800nm、より好ましくは波長350〜600nmである。また、光照射エネルギーは、光応答性表面の特性を変化させることができ、かつ細胞に損傷を与えない範囲内であり、0.1〜10,000J/cm2、好ましくは1〜1,000J/cm2、より好ましくは10〜100J/cm2である。
特に、細胞接着性を亢進及び/又は減少させる光の波長範囲は350〜400nmが好ましく、強度は5〜15mW/cm2がこのましく、10mW/cm2前後がより好ましい。照射時間は3〜8分が好ましく、5分前後がより好ましい。
【0015】
本発明における細胞培養基材を用いて、細胞の選択的回収または2次元パターン培養を行うにあたっては、光を照射する前及び/又は照射中及び/又は照射した後に全体の温度を変化させてもよい。例えば、細胞接着性を減少させる場合、数分間(例えば5〜40分間)低温処理してよく、好ましくは、0〜30℃の低温処理してよく、より好ましくは、0〜25℃の低温処理してよい。
本発明で用いられる細胞は、ヒトまたは動物由来の足場依存性細胞や浮遊細胞などのが挙げられるが、これらに限定されるものではない。これらの細胞は必要に応じて単独で使用するか、又は複数組合せて使用することも可能である。
【0016】
本発明における細胞培養基材を用いた細胞の分別回収方法を図1を用いて説明する。まず、該細胞培養基材表面1に、細胞2を播種3する。この細胞の種類や活性を判定するための標識4を行い、所望する細胞2Aの位置情報を取り込み5、これに基づく照射パターン6Aに沿って、基材表面1細胞接着性を減少させる光で2次元パターン光照射7Aを行うことで、所望する細胞2Aが存在する領域のみで細胞接着性が減少し、所望する細胞2Aのみが基材表面1から選択的に回収8される。また、回収する細胞に光を照射しない別の分別回収方法を説明する。所望しない細胞2Bの位置情報に基づく照射パターン6Bに沿って、基材表面1の細胞接着性を亢進させる光で2次元パターン光照射7Bを行うことで、所望しない細胞2Bが存在する領域での細胞接着性が亢進し、所望しない細胞2Bのみが基材表面1に接着する。所望の細胞2Aが基材表面1に接着していないこの状態で培地ごと細胞を回収8すれば、所望の細胞2Aのみが、一度も光照射されることなく選択的に分別回収される。
【0017】
次に、本発明における細胞培養基材を用いた細胞のパターニングの方法を図2を用いて説明する。まず、該細胞培養基材の培養某材表面9に、予め2次元パターン光照射10を行うことで、照射パターン11に沿った領域のみで細胞接着性及び/又は細胞増殖性を亢進させる。この細胞培養基材表面9に細胞12を播種13する。その後洗浄・培養14することで、照射パターン11に沿って領域の細胞12を増殖させる。さらに、パターンに沿って複数種の細胞を共培養する場合には、別の照射パターン15で2次元パターン光照射16を行い、他の種類の細胞17を播種したい領域の細胞接着性及び/又は細胞増殖性を亢進させ、他の種類の細胞17を播種18すると、既に先に播種した細胞12が増殖している領域を避け、照射パターン15に沿う領域に細胞17が接着し増殖する。また、この操作を繰り返せば、2種類を越える細胞を、それぞれ任意のパターンに沿って共培養することができる。
【0018】
また、本発明によれば、特に、トリプシン等の酵素を全く、あるいは十分量使用しないため、細胞接着物質であり、細胞機能の発現や保持に重要な働きをするECM(細胞外マトリックス)や膜タンパク質を伴ったまま剥離可能である点が極めて重要な利点である。さらに、本発明においては、上記のように蛍光標識抗体を用いる手法のみでなく、種々の蛍光標識法を採用できる。これには、例えば、ルシフェラーゼ等の発光系を構成する酵素の遺伝子を細胞に導入する方法等が挙げられる。さらに、例えば、形態の違う細胞の分別においては、特に蛍光標識を行わなくとも顕微鏡観察下、光照射して、目的とする細胞のみを分別して回収することができる。
【0019】
本発明の光応答性組成物から形成された細胞培養基材は、細胞を播種した後の光照射により、培養基材の温度・光応答性表面の特定の領域に対して、数百ナノメートルの分解能で局所選択的に細胞接着性及び/又は細胞増殖性を亢進又は減少させることができるため、従来技術では両立できなかった細胞の精密分離に加え、該分離において細胞外マトリックスや膜タンパク質を損なわず細胞の器官特異的機能の維持を同時に実現することが可能となる。また、従来の細胞のパターニングでは、細胞播種前の処理によって予め培養パターンが決まってしまうのに対し、本発明の細胞の分別回収又はパターン培養の方法は、細胞接着性及び/又は細胞増殖性を亢進あるいは減少させる2種類の光を用いて、任意の2次元パターンで決めることができるため、従来にない自由度と利便性を有する細胞操作手段が提供できる。したがって、本発明の光応答性組成物から形成された細胞培養基材及び、それを用いた所望細胞の選択的分別回収又はパターン培養の方法は、細胞工学分野、再生医療分野、バイオ関連工業分野、組織工学分野などにおいて極めて有用である。
【実施例】
【0020】
以下に実施例に基づき本発明を更に詳しく説明するが、本発明はこれらの実施例によって何ら限定されるものではない。
(実施例1)
6−ニトロスピロベンゾピラン修飾ポリN−イソプロピルアクリルアミドの製造
凍結脱気可能で密栓できる100m1フラスコ中、精製したN−イソプロピルアクリルアミド 950mg (9.5mmol;和光純薬製)をテトラヒドロフラン(THF)蒸留液 1mlに溶解したあと、N−[3−{3',3'−ジメチル−6−ニトロスピロ(2H−1−ベンゾピラン−2,2'−インドリン)−1−イル−プロピオニル}−プロピル]−メタクリルアミド 253.3mg (0.5mmol;文献Heterocycles, 51, 2639〜2651(1999) 記載の製造方法により合成)とTHF 1mlを入れて撹拌しながら完全に溶解した。また、開始剤AIBN(2、2−アゾビス(イソブチロ二トリル)、和光特級) 16.4mg (0.1mmol) を入れてTHF 1mlにて溶解して、密封した状態で凍結脱気を5回行った。その後、オイルバス中、65℃で24時間加熱した。CHCl3を少量加えて薄めて、メタノール 400mlに点滴ろ過した後、減圧ろ過して乾燥させることによって6−ニトロスピロベンゾピラン修飾ポリN−イソプロピルアクリルアミドを得た(収量 770mg,収率 64%)。
【0021】
(実施例2)
疎水化ガラス基板の作製
ガラス基板(直径 2.5cm, 厚さ 2mm, 並ガラス製)を、n−ヘキサン、酢酸エチル、イソプロパノール中で順次10分間ずつ超音波洗浄を行い、ガラス表面の汚れを除去した。次いで5N塩酸中、50℃で10分間処理してガラス表面の水酸基を露出させた。これにジクロロジメチルシラン 1 v/v%トルエン溶液に90秒浸漬してシランカップリングによる疎水化処理を行った。処理後トルエンで洗浄、120℃で1時間熱処理を行い、疎水化ガラス基板を作製した。
細胞培養基材の作製
実施例1で得た6−ニトロスピロベンゾピラン修飾ポリN−イソプロピルアクリルアミド 0.04質量%とポリメチルメタクリレート 0.16質量%を含有する1,2−ジクロロエタン溶液 500mgを疎水化ガラス基板上にキャストし、暗所、大気中で24時間静置して乾燥させた。その後120℃で2時間熱処理を行い、細胞培養基材を作製した。
【0022】
(実施例3)
細胞接着後の光照射による細胞の接着性評価
上記実施例2から得られた培養基材を細胞培養キュベットに装着した。培地にはMINIMUM ESSENTIAL MEDIUM EAGLE α-MIODIFICATION(商品名、シグマ社製)を用いた。以下ではこれにFBS(牛胎児血清、GIBCO社製)10v/v%を添加したものをFBS(+)培地、添加しないものをFBS(−)培地とする。CHO-K1細胞を1.0x106セル/ディッシュの細胞濃度で播種し、FBS(+)培地中で24時間培養した。その後、FBS(−)培地 1mlで2回培養表面を洗浄後、FBS(−)培地 1mlを培養キュベットに注ぎ、細胞接着性を倒立顕微鏡にて肉眼観察した(倍率100倍)。その撮影結果を図3に示した。次いで培養キュベットを5分間氷冷し、その後直ちに培養基材の半分の領域をアルミ製の遮光板でマスクした状態で、光照射装置(モデル名:LC6、浜松ホトニクス社製)からの放射光のうち石英製干渉フィルター(型番:A7028−05、浜松フォトニクス社製)、及び色ガラスフィルタ(型番:U360ケンコー社製)を介して得られる紫外光(輝線365nm、強度20mW/cm2)を5分間照射した。照射後の培養表面に対して氷冷したPBS(1ml、リン酸緩衝溶液;0.20g/L KCl, 0.20g/L KH2PO4, 8.00g/L NaCl, 2.16g/L Na2HPO4・7H20)で2回洗浄後、同じく氷冷したPBS 1mlを注ぎ、暗所、氷温下で20分間静置した。さらに氷冷したPBS 1mlで2回洗浄後、紫外光の照射部と非照射部での細胞接着性を倒立顕微鏡にて肉眼観察した(倍率100倍)。その撮影結果を図4に示した。
図3から明らかなように、紫外光照射前は撮影視野全体に細胞が接着していることが分かるが、図4ではアルミ製遮光板で遮光した領域(図の下半分の領域)は細胞の接着が著しく減少しているのが分かる。
図5は、図3及び4において、CCDカメラ撮影視野内の細胞数を数え、細胞密度を求めた結果のグラフである。図5から明らかなように、照射領域は、照射前後の細胞密度の差は小さいが、遮光した領域は照射後にほとんど細胞が接着していない。
図6は、その後細胞のエステラーゼ活性によって発色し、生細胞のみを選択的に蛍光染色する色素(製品名:CMFDA, MOLECULAR PROBE社製)にて染色し、細胞の選択的剥離を明確に示すと共に、剥離操作後の細胞の生存を倒立顕微鏡(倍率40倍)にて確認した結果を示す。
図6から明らかなように、図4で接着している細胞は生存していることが分かった。
【0023】
(実施例4)
細胞播種後の光照射による細胞パターニング
アルミ製の遮光板によって培養表面の半分を遮光する代わりに、縮小光学系及びフォトマスクを用いて所定の2次元パターン(「?」)にて紫外光照射を行った。それ以外は上記実施例3の方法と同様の過程で細胞培養基材の作製、細胞の播種、照射後の洗浄操作、生細胞の選択的蛍光染色を行い、倒立顕微鏡(倍率40倍)にて観察した。その結果を図7に示した。図7から明らかなように、フォトマスクを用いて紫外光照射した、150°回転した「?」の形状に生細胞が接着していることが分かった。
【0024】
(実施例5)
別の細胞培養基材による試験
実施例2に記載の方法で疎水化ガラス基板を作製した。この基板上に、ポリメチルメタクリレートを5質量%の濃度でアセトンに溶解した溶液 0.2mlを、3000rpmでスピンコートし、120℃で2時間熱処理を行った。
これとは別に、実施例1と同様にして得た6−ニトロスピロベンゾピラン修飾ポリN−イソプロピルアクリルアミド(色素導入率約 5mol%、質量平均重合度約100)を2質量%の濃度でイソプロパノールに溶解した溶液を調製した。この6−ニトロスピロベンゾピラン修飾ポリN−イソプロピルアクリルアミド溶液 0.2mlを、先に準備したポリメチルメタクリレートでコーティングした基板上に、3000rpmでスピンコートしたのち、120℃で2時間熱処理を行い、細胞培養基材を作製した。
実施例4と同様の手法で所定の2次元パターン(「S」)にて紫外光照射を行った。それ以外は上記実施例3の方法と同様の過程で細胞の播種および培養、照射前後の洗浄操作、生細胞の選択的蛍光染色を行い、倒立顕微鏡(倍率40倍)にて観察した。その結果を図9に示した。図9から明らかなように、フォトマスクを用いて紫外光照射した、「S」の形状に生細胞が接着していることが分かった。
【0025】
(実施例6)
別の細胞培養基材および別の条件の光照射による細胞の接着性評価(可逆性の確認)
上記実施例5に記載した方法で作製した細胞培養基材を細胞培養キュベットに装着した。その後上記実施例3に記載した方法で、細胞の播種および培養、培養後の洗浄操作を行い、FBS(−)培地 1mlを培養キュベットに注いでから、倒立顕微鏡(倍率40倍)にて観察し、細胞培養基材全面に一様に細胞が接着したことを確認した。その撮影結果を図10に示した。次いで上記実施例3に記載した条件で紫外光を部分的に照射し、暗所、15℃で20分間静置した。さらに15℃のPBS 1mlで3回洗浄後、生細胞のみを選択的に蛍光染色する色素(製品名:CMTPX, MOLECULAR PROBE社製)にて染色し、紫外光の照射部と非照射部での細胞接着性を倒立顕微鏡にて肉眼観察したところ(倍率40倍)、紫外光照射部に多くの細胞が残存しているのに対し、非照射部から多くの細胞(目視確認では9割程度)が除去されたことを確認した。その撮影結果を図11に示した。
以上の操作によって、部分的に(図11の左半分)に細胞が接着している培養基材の全面に、光照射装置(モデル名:LC6、浜松ホトニクス社製)から得られる可視光(波長436nm、強度30mW/cm2)を5分間照射し、その後インキュベータ内において37℃で2時間静置した。この培養基材を20分間15℃で静置し、さらに15℃のPBS 1mlで4回洗浄した。これにより、最初の紫外光照射により亢進した細胞接着性が未照射領域と同程度にまで減少し、培養表面上に接着していたほとんど全ての細胞を除去できることを確認した。この状態を、倍率40倍の倒立顕微鏡にて撮影した結果を図12に示した。
次いで、生細胞のみを選択的に蛍光染色する色素(製品名:CMFDA)にて予め染色したCHO-K1細胞を1.0x106セル/ディッシュの細胞濃度で播種し、FBS(+)培地中で12時間培養した。この状態を、倍率40倍の倒立顕微鏡にて肉眼観察し、細胞培養基材全面に一様に細胞が接着したことを確認した。その撮影結果を図13に示した。この状態の培養基材に対して、最初に紫外光照射した領域(図11の左半分)アルミ製の遮光板でマスクし、それ以外の領域(図11の右半分)に上記実施例3に記載した条件で紫外光を照射し、暗所、15℃で20分間静置した。さらに15℃のPBS 1mlで3回洗浄後、紫外光の照射部と非照射部での細胞接着性を倒立顕微鏡にて肉眼観察したところ(倍率40倍)、2度目の紫外光照射における照射部に多くの細胞が残存した一方、非照射部から多くの細胞(目視確認では9割以上)が除去されたことを確認した。このことは、可視光の全面照射およびそれに続く37℃での静置によって、細胞培養基材が調製直後の状態に初期化されたことを示している。その撮影結果を図14に示した。
【0026】
(比較例)
細胞接着性の光制御性における従来技術(特願2004−019742号明細書)との比較
細胞播種後に行う光照射の有無による細胞接着性のコントラスト(洗浄後、光照射域における残存細胞数の、非照射域における残存細胞数に対する比)を、本発明の温度・光応答性培養基材と、比較例として特願2004−019742号明細書(特許文献2)に記載の光応答性培養基材とで比較した。結果を図8に示した。
図8から明らかなように、比較例の特願2004−019742号明細書に記載の方法では、光照射によって、2倍のコントラストしか得られなかった。一方、本発明の温度・光応答性培養基材を用いれば、16倍以上のコントラストを得ることができることが分かった。
【図面の簡単な説明】
【0027】
【図1】図1は、本発明の細胞培養基材を用いた細胞分別操作を示す概略図である。
【図2】図2は、本発明の細胞培養基材を用いた細胞のパターニング操作を示す概略図である。
【図3】図3は、キャスト法で作製した本発明の細胞培養基材上における紫外光を部分的に照射する前に洗浄して残存した細胞を表す図面代用顕微鏡写真である。
【図4】図4は、キャスト法で作製した本発明の細胞培養基材上における紫外光を部分的に照射した後に洗浄して残存した細胞を表す図面代用顕微鏡写真である。
【図5】図5は、キャスト法で作製した本発明の細胞培養基材上において、紫外光照射部位及び非照射部位における残存細胞密度を、光照射前に洗浄した直後と部分的に光照射した後に洗浄した直後で比較したグラフである。
【図6】図6は、キャスト法で作製した本発明の細胞培養基材上における紫外光を部分的に照射した後に洗浄して残存した細胞を、生細胞のみを選択的に蛍光染色する色素で染色した後を表す図面代用蛍光顕微鏡写真である。
【図7】図7は、キャスト法で作製した本発明の細胞培養基材上に、生細胞を一様に播種した後に所定の2次元パターン(「?」)で光照射して得られた生細胞のパターニング像を表す図面代用蛍光顕微鏡写真である。
【図8】図8は、細胞播種後に行う光照射の有無による細胞接着性のコントラストに関する従来技術(特願2004−019742号明細書)と本発明との比較を示すグラフである。
【図9】図9は、スピンコート法で作製した本発明の細胞培養基材上に、生細胞を一様に播種した後に所定の2次元パターン(「S」)で光照射して得られた生細胞のパターニング像を表す図面代用蛍光顕微鏡写真である。
【図10】図10は、スピンコート法で作製した本発明の細胞培養基材上において、一様に細胞を播種した後培養し、さらに洗浄した後の様子を表す図面代用顕微鏡写真である。
【図11】図11は、上記図10に示した状態にある本発明の細胞培養基材上において、紫外光の部分的照射およびそれに続く冷却処理後に洗浄して残存した細胞を、生細胞のみを選択的に蛍光染色する色素で染色した後の様子を表す図面代用蛍光顕微鏡写真である。
【図12】図12は、上記図11に示した状態にある本発明の細胞培養基材上において、可視光の全面照射および37℃で静置した後に、冷却および洗浄操作によって細胞を除去した後の様子を表す図面代用蛍光顕微鏡写真である。
【図13】図13は、上記図12に示した状態にある本発明の細胞培養基材上において、一様に細胞を播種した後培養し、さらに洗浄した後の様子を表す図面代用蛍光顕微鏡写真である。
【図14】図14は、上記図13に示した状態にある本発明の細胞培養基材上において、紫外光の部分的照射およびそれに続く冷却処理後に洗浄して残存した細胞を、生細胞のみを選択的に蛍光染色する色素で染色した後の様子を表す図面代用蛍光顕微鏡写真である。
【符号の説明】
【0028】
1,9 温度・光応答性表面
2,2A,2B,12,17 細胞
3,13,18 播種操作
4 細胞の標識操作
5 位置情報の取り込み操作
6A,6B,11,15 照射パターン
7A,7B,10,16 2次元パターン照射操作
8 細胞回収操作
14 洗浄・培養操作
【特許請求の範囲】
【請求項1】
温度応答性ポリマーを構成するアクリルアミド系モノマー成分と、光応答性を有するスピロベンゾピラン及び/又はスピロオキサジン残基を有するモノマー成分から構成され、光照射及び/又は温度変化に応答してその細胞接着性が変化する温度・光応答性コポリマーを少なくとも一つの成分として含む温度・光応答性組成物。
【請求項2】
前記温度応答性ポリマーを構成するアクリルアミド系モノマー成分がN−アルキルアクリルアミドである請求項1に記載の温度・光応答性組成物。
【請求項3】
前記コポリマーを構成するスピロベンゾピラン残基が6−ニトロスピロベンゾピラン残基である請求項1又は2に記載の温度・光応答性組成物。
【請求項4】
前記コポリマーの他に水に不溶なポリマーを少なくとも一つの成分として含む請求項1〜3のいずれか1項に記載の温度・光応答性組成物。
【請求項5】
前記水に不溶なポリマーを構成するモノマー成分が、メタクリル酸又はアクリル酸の炭素原子数1〜8のアルキルエステル、アクリロニトリル、酢酸ビニル、スチレン、α−メチルスチレン、ビニルトルエン、テレフタル酸、およびアルキレングリコールからなる群から選択されることを特徴とする請求項4に記載の温度・光応答性組成物。
【請求項6】
前記水に不溶なポリマーがポリメチルメタクリレートであることを特徴とする請求項5に記載の温度・光応答性組成物。
【請求項7】
請求項1〜6のいずれか1項に記載の温度・光応答性組成物をコーティングして形成された温度・光応答性表面を有することを特徴とする細胞培養基材。
【請求項8】
水に不溶なポリマーをコーティングした基板の上に請求項1〜3の温度・光応答性組成物をコーティングして形成された温度・光応答性表面を有することを特徴とする細胞培養基材。
【請求項9】
前記水に不溶なポリマーを構成するモノマー成分が、メタクリル酸又はアクリル酸の炭素原子数1〜8のアルキルエステル、アクリロニトリル、酢酸ビニル、スチレン、α−メチルスチレン、ビニルトルエン、テレフタル酸、およびアルキレングリコールからなる群から選択されることを特徴とする請求項8に記載の細胞培養基材。
【請求項10】
前記水に不溶なポリマーがポリメチルメタクリレートであることを特徴とする請求項9に記載の細胞培養基材。
【請求項11】
前記水に不溶なポリマーをアセトン、アルコール、エステル類、ハロアルカン類、ジメチルスルホキシド、N,N−ジメチルホルムアミド、およびエーテル類(環状分子を含む)からなる群から選択される溶媒に溶解してコーティングすることを特徴とする請求項8〜10のいずれか1項に記載の細胞培養基材。
【請求項12】
前記温度・光応答性組成物をアルコール、アセトン、エステル類、ハロアルカン類、水、ジメチルスルホキシド、N,N−ジメチルホルムアミド、およびエーテル類(環状分子を含む)からなる群から選択される溶媒、またはその混合溶媒に溶解してコーティングすることを特徴とする請求項8〜11のいずれか1項に記載の細胞培養基材。
【請求項13】
請求項7〜12のいずれか1項に記載の細胞培養基材に細胞を播種する前及び/又は播種した後に、所期の目的に応じて前記培養基材の温度・光応答性表面の全部または一部の所望領域を光照射し、光照射領域における細胞接着性及び/又は細胞増殖性を亢進または減少させることによって、所望の細胞又は細胞群以外の細胞を該表面に分別保持させ、所望の細胞又は細胞群を回収することを特徴とする、細胞の分別回収方法。
【請求項14】
細胞接着性及び/又は細胞増殖性を亢進させる波長範囲の光と、それを減少させる波長範囲の光の両方を用いて、所望領域の細胞接着性及び/又は細胞増殖性を任意に変化させることによって、所望の細胞又は細胞群を回収することを特徴とする、請求項13に記載の細胞の分別回収方法。
【請求項15】
光を照射する前及び/又は照射中及び/又は照射した後に温度を変化させることによって、所望の細胞又は細胞群を回収することを特徴とする、請求項13又は14に記載の細胞の分別回収方法。
【請求項16】
請求項7〜12に記載の細胞培養基材に細胞を播種する前及び/又は播種した後に、所期の目的に応じて前記培養基材の温度・光応答性表面の一部の所望領域を光照射し、光照射領域における細胞接着性及び/又は細胞増殖性を亢進または減少させることによって、所望の細胞又は細胞群のみを該表面に分別保持させ、引き続きこれらの細胞又は細胞群のみを培養することを特徴とする、細胞の分別培養又は2次元パターン培養の方法。
【請求項17】
細胞接着性及び/又は細胞増殖性を亢進させる波長範囲の光と、それを減少させる波長範囲の光の両方を用いて、所望領域の細胞接着性及び/又は細胞増殖性を任意に変化させることによって、所望の細胞又は細胞群のみを引き続き培養することを特徴とする、請求項16に記載の細胞の分別培養又は2次元パターン培養の方法。
【請求項18】
光を照射する前及び/又は照射中及び/又は照射した後に温度を変化させることによって、所望の細胞又は細胞群のみを引き続き培養することを特徴とする、請求項16又は17に記載の細胞の分別培養又は2次元パターン培養の方法。
【請求項1】
温度応答性ポリマーを構成するアクリルアミド系モノマー成分と、光応答性を有するスピロベンゾピラン及び/又はスピロオキサジン残基を有するモノマー成分から構成され、光照射及び/又は温度変化に応答してその細胞接着性が変化する温度・光応答性コポリマーを少なくとも一つの成分として含む温度・光応答性組成物。
【請求項2】
前記温度応答性ポリマーを構成するアクリルアミド系モノマー成分がN−アルキルアクリルアミドである請求項1に記載の温度・光応答性組成物。
【請求項3】
前記コポリマーを構成するスピロベンゾピラン残基が6−ニトロスピロベンゾピラン残基である請求項1又は2に記載の温度・光応答性組成物。
【請求項4】
前記コポリマーの他に水に不溶なポリマーを少なくとも一つの成分として含む請求項1〜3のいずれか1項に記載の温度・光応答性組成物。
【請求項5】
前記水に不溶なポリマーを構成するモノマー成分が、メタクリル酸又はアクリル酸の炭素原子数1〜8のアルキルエステル、アクリロニトリル、酢酸ビニル、スチレン、α−メチルスチレン、ビニルトルエン、テレフタル酸、およびアルキレングリコールからなる群から選択されることを特徴とする請求項4に記載の温度・光応答性組成物。
【請求項6】
前記水に不溶なポリマーがポリメチルメタクリレートであることを特徴とする請求項5に記載の温度・光応答性組成物。
【請求項7】
請求項1〜6のいずれか1項に記載の温度・光応答性組成物をコーティングして形成された温度・光応答性表面を有することを特徴とする細胞培養基材。
【請求項8】
水に不溶なポリマーをコーティングした基板の上に請求項1〜3の温度・光応答性組成物をコーティングして形成された温度・光応答性表面を有することを特徴とする細胞培養基材。
【請求項9】
前記水に不溶なポリマーを構成するモノマー成分が、メタクリル酸又はアクリル酸の炭素原子数1〜8のアルキルエステル、アクリロニトリル、酢酸ビニル、スチレン、α−メチルスチレン、ビニルトルエン、テレフタル酸、およびアルキレングリコールからなる群から選択されることを特徴とする請求項8に記載の細胞培養基材。
【請求項10】
前記水に不溶なポリマーがポリメチルメタクリレートであることを特徴とする請求項9に記載の細胞培養基材。
【請求項11】
前記水に不溶なポリマーをアセトン、アルコール、エステル類、ハロアルカン類、ジメチルスルホキシド、N,N−ジメチルホルムアミド、およびエーテル類(環状分子を含む)からなる群から選択される溶媒に溶解してコーティングすることを特徴とする請求項8〜10のいずれか1項に記載の細胞培養基材。
【請求項12】
前記温度・光応答性組成物をアルコール、アセトン、エステル類、ハロアルカン類、水、ジメチルスルホキシド、N,N−ジメチルホルムアミド、およびエーテル類(環状分子を含む)からなる群から選択される溶媒、またはその混合溶媒に溶解してコーティングすることを特徴とする請求項8〜11のいずれか1項に記載の細胞培養基材。
【請求項13】
請求項7〜12のいずれか1項に記載の細胞培養基材に細胞を播種する前及び/又は播種した後に、所期の目的に応じて前記培養基材の温度・光応答性表面の全部または一部の所望領域を光照射し、光照射領域における細胞接着性及び/又は細胞増殖性を亢進または減少させることによって、所望の細胞又は細胞群以外の細胞を該表面に分別保持させ、所望の細胞又は細胞群を回収することを特徴とする、細胞の分別回収方法。
【請求項14】
細胞接着性及び/又は細胞増殖性を亢進させる波長範囲の光と、それを減少させる波長範囲の光の両方を用いて、所望領域の細胞接着性及び/又は細胞増殖性を任意に変化させることによって、所望の細胞又は細胞群を回収することを特徴とする、請求項13に記載の細胞の分別回収方法。
【請求項15】
光を照射する前及び/又は照射中及び/又は照射した後に温度を変化させることによって、所望の細胞又は細胞群を回収することを特徴とする、請求項13又は14に記載の細胞の分別回収方法。
【請求項16】
請求項7〜12に記載の細胞培養基材に細胞を播種する前及び/又は播種した後に、所期の目的に応じて前記培養基材の温度・光応答性表面の一部の所望領域を光照射し、光照射領域における細胞接着性及び/又は細胞増殖性を亢進または減少させることによって、所望の細胞又は細胞群のみを該表面に分別保持させ、引き続きこれらの細胞又は細胞群のみを培養することを特徴とする、細胞の分別培養又は2次元パターン培養の方法。
【請求項17】
細胞接着性及び/又は細胞増殖性を亢進させる波長範囲の光と、それを減少させる波長範囲の光の両方を用いて、所望領域の細胞接着性及び/又は細胞増殖性を任意に変化させることによって、所望の細胞又は細胞群のみを引き続き培養することを特徴とする、請求項16に記載の細胞の分別培養又は2次元パターン培養の方法。
【請求項18】
光を照射する前及び/又は照射中及び/又は照射した後に温度を変化させることによって、所望の細胞又は細胞群のみを引き続き培養することを特徴とする、請求項16又は17に記載の細胞の分別培養又は2次元パターン培養の方法。
【図1】
【図2】
【図5】
【図8】
【図3】
【図4】
【図6】
【図7】
【図9】
【図10】
【図11】
【図12】
【図13】
【図14】
【図2】
【図5】
【図8】
【図3】
【図4】
【図6】
【図7】
【図9】
【図10】
【図11】
【図12】
【図13】
【図14】
【公開番号】特開2006−8975(P2006−8975A)
【公開日】平成18年1月12日(2006.1.12)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2004−365576(P2004−365576)
【出願日】平成16年12月17日(2004.12.17)
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成14年度新エネルギー・産業技術総合開発機構 産業技術研究助成事業「光応答性表面を用いたセルマニピュレーションシステムの開発」、産業活力再生特別措置法第30条の適用を受けるもの
【出願人】(301021533)独立行政法人産業技術総合研究所 (6,529)
【Fターム(参考)】
【公開日】平成18年1月12日(2006.1.12)
【国際特許分類】
【出願日】平成16年12月17日(2004.12.17)
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成14年度新エネルギー・産業技術総合開発機構 産業技術研究助成事業「光応答性表面を用いたセルマニピュレーションシステムの開発」、産業活力再生特別措置法第30条の適用を受けるもの
【出願人】(301021533)独立行政法人産業技術総合研究所 (6,529)
【Fターム(参考)】
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