説明

生体分子計測システム及び生体分子計測方法

【課題】蛍光を用いた生体分子計測において、SB比とスループットを向上したホモジニアスアッセイ法を提供する。
【解決手段】定量対象の生体分子11に電気双極子モーメント30を誘起し、方向が変調された電界E1,E2,E3を印加して蛍光測定を行う。定量対象分子と複合体13を形成した蛍光分子からの蛍光は変調電界と同期して蛍光強度が変化するが、非結合の蛍光分子からの蛍光強度はランダムに変化する。定量対象分子と結合した蛍光分子とそうでない蛍光分子では、蛍光強度変調の振幅あるいは位相が異なることを利用して高いSB比を得る。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、生体分子計測システム及び生体分子計測方法に関し、例えば、遺伝子発現解析、細胞機能解析、免疫分析及び病気の診断、創薬などに適用できる。
【背景技術】
【0002】
遺伝子解析や細胞機能解析、免疫分析においては、蛍光による定量分析が感度と精度の面で有用である。この蛍光による定量分析では、蛍光分子を定量対象分子と結合させて複合体とし、この複合体の量を蛍光量に対応させて定量する。ここで、蛍光分子を定量対象分子と結合させた後、結合しなかった過剰な蛍光分子を定量対象分子が含まれる溶液から取り除く必要のない、一般にホモジニアスアッセイと呼ばれる方法は簡便であり、かつ測定時間が短いという点で有用である。しかし、ホモジニアスアッセイはSB比が低いという問題がある。なぜなら、ホモジニアスアッセイでは、多くの場合、定量対象分子と蛍光分子が結合したときのみ蛍光を発する機構を有するが、実際には非結合の蛍光分子も弱い蛍光を発し、この蛍光がバックグラウンド(=B)となる。このバックグラウンドは、(測定領域内の非結合蛍光分子の数)×(1つの非結合蛍光分子が発する蛍光強度)に比例し、シグナル(=S)は(測定領域内の定量対象分子数)×(1つの結合分子が発する蛍光強度)に比例する。蛍光分子数は未知数である定量対象分子数よりも必ず多い必要があるため、定量対象分子数が少ない場合には、結合した蛍光分子数に比べて非結合蛍光分子数の方が何ケタも多いことが普通である。そのため、非結合の蛍光分子1分子の蛍光強度がかなり低くてもSB比は大幅に低下する。
【0003】
ホモジニアスアッセイにおけるSB比改善の効果的な方法は、励起レーザ光を十分に絞り、計測領域を小さくすることである。実際に、励起レーザ光を回折限界まで絞り、共焦点光学系により狭い領域からの蛍光を測定し時間相関関数を得るというFCS(蛍光相関分光法)は、有効なホモジニアスアッセイ法として知られる(非特許文献1)。これらの方法はnM〜μMオーダー(一分子あたりのSB比によってはmMオーダー)の高い濃度の蛍光分子の存在下でも高いSB比を得ることができる。
【0004】
一方、rFLIM(anisotropic Fluorescent Imaging Microscopy)という技術が知られている(非特許文献2)。この技術は、蛍光分子の回転緩和時間を2次元平面上で同時に計測し、イメージングする技術である。蛍光分子の双極子の方向が溶媒分子によるブラウン運動によってどの程度維持されるかを測定する方法が知られている。この方法は、回転緩和特性が非結合蛍光分子と、定量対象分子と蛍光分子が結合した複合体との間で異なることを利用して計測できるため、ホモジニアスアッセイ法として利用することも可能である。
【0005】
一方、特許文献1〜3には、定量対象分子を捕捉した基板表面に非結合の蛍光分子が非特異に吸着し、洗浄できずに残ってしまうという問題を緩和する方法が記載されている。この方法は、基板とこれに対向する基板の間に変調電界を印加し、定量対象分子と蛍光分子の複合体は電界に応答して基板との距離が変化し、蛍光強度が変化するが、吸着した蛍光分子は蛍光強度が変化しないことを利用する。また、この基板との距離の変化を使って、蛍光ラベルを用いない定量方法のバックグラウンドシグナルを抑制する方法も知られている(特許文献4)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【特許文献1】特開2010−127804号公報
【特許文献2】特開2009−085636号公報
【特許文献3】特開2009−085634号公報
【特許文献4】特開2006−071300号公報
【非特許文献】
【0007】
【非特許文献1】T. Sonehara et al., “Improvement of biomolecule quantification precision and use of a single-element aspheric objective lens in fluorescence correlation spectroscopy.” Anal. Chem. 78, (24), pp. 8395-8405, (2006)
【非特許文献2】H. Andrew etal., ”Dynamic Fluorescence Anisotropy Imaging Microscopy in the Frequency Domain (rFRIM)” Biophys Journal 83, pp. 1631-1649, (2002)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
従来の蛍光分子を用いたホモジニアスアッセイでは、定量対象分子と蛍光分子の結合による蛍光波長又は蛍光強度又は蛍光寿命又は回転緩和時間など、結合による受動的な物理量の変化を計測することによって、非結合の蛍光分子中の結合蛍光分子を定量し、定量対象分子を測定していた。
【0009】
しかし、ホモジニアスアッセイはSB比が低いという問題がある。これを避けるためにレーザを絞りこみ、極狭い領域からの蛍光を計測方法が知られている。しかし、この方法では、レーザ照射領域が小さいため、同時に計測できるサンプルの容積あるいは面積が小さく制限され、スループットが低下するという問題があった。
【0010】
さらに、このスループットの問題を避けるため、平面内あるいは空間内に広がった領域中の蛍光分子を同時に計測しようとするとき、一つの受光デバイス(撮像素子の場合には一つピクセル)に入射する非結合蛍光分子の数が非常に多いためSB比が低下する問題があった。この問題は、撮像素子を使わずに単一又は複数の受光素子を用いる場合にも同様に発生する。
【0011】
rFLIMは、スループットの問題を解決するが、SB比の問題は解決されない。また、強い蛍光を発する蛍光体の場合、回転緩和時間より蛍光寿命が短いため、回転による大きな蛍光変化を定量対象分子で得ることは困難である。逆に、蛍光寿命の長い蛍光分子は本質的に蛍光強度が弱いという欠点を持つ。
【0012】
さらに、基板上に定量対象分子を捕捉し、変調電界を印加して蛍光分子と基板との距離を変化させながら蛍光を計測することによって、基板上に吸着している非結合分子などの蛍光を分離する方法は、分子を固体表面に必ず固定する必要があるため、蛍光分子の固体表面への非特異吸着の問題を内包している。また、固体表面での計測では、定量対象分子と蛍光分子が複合体を形成する反応が溶液中に比べて遅く、効率も低いという問題が生じることが多い。さらに、この方法は本質的に基板が必要であり、溶液中での定量、細胞中での定量に適用できない。
【課題を解決するための手段】
【0013】
以下では、説明に2種類の双極子モーメントが現れるのでこれを定義する。
蛍光分子の光吸収遷移にかかわる電気双極子を遷移双極子(モーメント)と呼び、その方向を、次で定義する。すなわち、蛍光分子の遷移双極子モーメントの方向が励起光の偏光方向と一致したとき最大の励起光吸収が起き、最大の蛍光が生じるが、最大の蛍光が得られた時の偏光方向を遷移双極子モーメントの方向と定義する。なお、パルスレーザを用いて励起したとき、最大吸収の偏光方向と蛍光の偏光方向は一致しないが、これは、分子の回転によって遷移双極子モーメントが回転するために生じる。
【0014】
定量対象分子と蛍光分子及び結合分子の複合体がもつ電気双極子モーメントの方向及び大きさは、この複合体に属するすべての電荷のうちの正の電荷の重心位置と負の電荷の重心位置を求め、後者から前者に至るベクトルを電気双極子モーメントの方向とする。
【0015】
なお、一般に、特定の周波数の変調電界を印加したときに応答する蛍光分子の電気双極子モーメントの方向と前記遷移双極子の方向は一致するとは限らない。
【0016】
本発明の生体分子計測システムは、定量対象となる生体分子、蛍光分子、並びに生体分子及び蛍光分子と複合体を形成するための結合分子を含有する溶液を保持する保持部と、偏光した励起光を溶液に照射する励起光源と、溶液に方向が周期的に変化する変調電界を印加する電界印加部と、励起光照射によって蛍光分子から発生された蛍光を検出する受光部と、受光部による蛍光検出信号を処理する演算部とを有する。複合体は電気双極子モーメントを持ち、変調電界の印加によって複合体中の蛍光分子の遷移双極子モーメントの方が励起光の偏光方向又は偏光面に対して周期的に変化する。演算部は、変調電界の変調周期に同期して変化する成分が最大になるタイミングの蛍光検出信号から最小になるタイミングの蛍光検出信号を減算した値を複数周期にわたって積算する処理を行う。
【0017】
本発明の一態様においては、受光部は撮像素子を有し、蛍光検出信号は蛍光スポット像である。このとき、演算部は、変調電界の変調周期に同期して変化する成分が最大になるタイミングで取得した第1の蛍光スポット像から最小になるタイミングで取得した第2の蛍光スポット像を対応する画素毎に減算した差分画像を複数周期にわたって積算する処理を行い、得られた積算画像をもとに一分子ずつカウンティングによって生体分子を定量する。
【0018】
本発明の生体分子計測方法は、定量対象となる生体分子と、遷移双極子モーメントを有する蛍光分子と、結合分子とを含み電気双極子モーメントを有する複合体を形成する工程と、複合体を含有する溶液に、方向が周期的に変化する変調電界を印加した状態で、偏光した励起光を照射する工程と、励起光照射によって蛍光分子から発生された蛍光信号を検出する検出工程と、変調電界の変調周期に同期して変化する成分が最大になるタイミングの蛍光信号から最小になるタイミングの蛍光信号を減算した値を複数周期にわたって積算する処理工程と、を有する。
【発明の効果】
【0019】
本発明によると、ホモジニアスアッセイにおいて高スループットで高SBの計測が可能になる。このとき、固体表面への固定化が必ずしも必要ない。また、複数種類の蛍光分子を用いて多数の分子の同時定量が可能となる。
【0020】
上記した以外の、課題、構成及び効果は、以下の実施形態の説明により明らかにされる。
【図面の簡単な説明】
【0021】
【図1】本発明による生体分子計測システムの一例を示す概略構成図。
【図2】電極に印加される変調電圧と蛍光強度変化の例を示す模式図。
【図3A】電界方向がE1及びE3の場合の蛍光スポットの模式図。
【図3B】電界方向がE2の場合の蛍光スポットの模式図。
【図4】蛍光カウンティングによるデータ取得方法を示すフローチャート。
【図5】電極に印加される変調電圧と蛍光強度変化の例を示す模式図。
【図6】測定領域の拡大模式図。
【図7】電極に印加される変調電圧と蛍光強度変化の例を示す模式図。
【図8】本発明による生体分子計測システムの他の例を示す概略構成図。
【図9A】電界方向E1のときの基板表面付近の分子の配向の様子を示す模式図。
【図9B】電界方向E2のときの基板表面付近の分子の配向の様子を示す模式図。
【図10】本発明による生体分子計測システムの他の例を示す概略構成図。
【図11】電極に印加される変調電圧と励起光照射、露光のタイミングの例を示す模式図。
【図12】変調電界の周波数に対する蛍光強度変化の振幅の変化を示す模式図。
【図13】変調電界の周波数に対する蛍光強度変化の振幅の変化を示す模式図。
【図14】本発明による生体分子計測システムの他の例を示す概略構成図。
【図15】測定領域内の模式図。
【発明を実施するための形態】
【0022】
本発明では、溶液中に方向が変化する変調電界を印加することによって、蛍光分子と定量対象分子が結合したときのみ有効に蛍光分子の遷移双極子モーメントの方向を振動させる。これによって、定量対象分子と複合体を形成した蛍光分子からの蛍光と定量対象分子に結合していない非結合の蛍光分子からの蛍光を分離して、前者のみを定量できるようにする。すなわち、複合体の蛍光強度のみを振動させるようにし、蛍光の振動成分を抽出することにより、非結合蛍光分子からの蛍光(すなわちバックグラウンド蛍光)を除去し、SB比の向上を図る。
【0023】
また、非結合蛍光分子の遷移双極子モーメントが外部電界によって振動したとしても、複数の周波数変調電界に対する蛍光強度の振動振幅や変調電界に対する位相遅れを計測し、これらから適切に選ばれた線形演算の結果から、複合体と非結合蛍光体とを分離することが可能である。すなわち、変調電界に対する蛍光の応答スペクトルの変化を用いて複合体の蛍光分子からの蛍光と非結合の蛍光分子からの蛍光の分離が可能であり、SB比を向上することができる。
【0024】
また、複数の分子を同時に定量する目的に、変調電界に対する蛍光強度の応答スペクトル及び位相ずれの変化を用いることができる。すなわち、蛍光波長が異なる複数の蛍光分子が同時に1つの定量対象分子に結合するようにし、この定量対象分子に対する蛍光分子の結合位置(正確には電気双極子モーメントが集中し、電界による力が集中する点からの距離)によって、応答スペクトル、位相ずれが異なるようにすると、蛍光位置を区別することができる。これによって、複数色の蛍光分子の順序(配列)を定量対象分子と対応させることができ、多種類の定量対象分子を比較的少数の種類の蛍光分子を使って分離して定量することが可能である。
【0025】
また、蛍光体の励起状態の寿命が回転緩和時間よりも短いという問題に対しては、励起レーザ光が特定の偏光成分のみを持つようにして、蛍光分子を振動させ、蛍光の励起効率を変調することによって蛍光強度を変調するため、蛍光の励起キャリア(電子)の寿命の影響を受けない。もちろん、分子回転緩和を測定して、複合体と非結合蛍光分子を分離する分解能を向上させる目的に用いても構わない。
【0026】
以下、図面を参照して本発明の実施の形態を説明する。
[実施例1]
この実施例は、溶液中に分散したDNA又はRNAのうち特定の配列を持つものを定量対象分子として定量するために、この配列の一部と相補的な配列を持つ蛍光プローブを用いる例である。
【0027】
図1は、本実施例の生体分子計測システムの構成例を示す概略図である。発振波長488nmの半導体レーザ光源1から直線偏光の励起光2を出力する。光学素子3は、蛍光プローブの蛍光双極子の動きに対応して、所望の偏光状態を得るための素子である。本実施例の場合には円偏光と直線偏光の両方が適用可能であるが、ここでは図1の紙面に並行な直線偏光(図1中、矢印33の方向)になるように、直線偏光子を用いた。偏光状態を調整された励起レーザ光を、サンプル中の照射領域を調整するための視野レンズ4、励起光と蛍光を分離するダイクロイックミラー5、対物レンズ6(NA=0.8×40)を通して、サンプル溶液8中の計測領域9に照射する。ここで、サンプル溶液8には、定量対象分子11と蛍光プローブ12が含まれている。蛍光プローブ12は、蛍光分子、及び蛍光分子と定量対象分子11との選択的結合を助ける結合分子が結合した分子である。これらは計測前に、サンプル溶液の保持手段である容器7に導入する。容器7は、XYZ方向に移動できるステージに搭載され、計測領域を任意に変更できる。また、サンプル溶液8の導入及び排出は、容器7に樹脂製チューブを複数接続し、シリンジポンプを用いて行う。容器7は石英ガラスを用いて作製したが、サイクリックポリオレフィン等の非蛍光性樹脂や半導体を用いてもよい。
【0028】
図1には、計測領域9の拡大模式図10をあわせて示した。定量対象分子11であるmRNA(メッセンジャーRNA)は、蛍光プローブ12と結合して複合体13を形成する。複合体13を形成させるために、蛍光プローブ12には結合分子としてmRNAの5’又は3’末端にハイブリダイズするPNA(Peptide Nucleic Acids:ペプチド核酸)オリゴマを用いた。また、蛍光分子としてはGFP(Green Fluorescent Protein)を用いた。PNAとGFPは、複数の結合サイトで化学結合を行って、GFPの遷移双極子モーメントの方向とPNA分子の長手方向の間の角度がブラウン運動によって大きく変化することがないようにした。PNAの鎖長は27ベースとした。蛍光プローブ12と定量対象分子11の複合体13が大きな電気双極子モーメントを持つように、PNAとmRNAのハイブリダイゼーションは配列の末端の一部だけで起こるように配列を決定し、一本鎖の領域に正の電荷を保持できるようにリジンのペプチドを10分子重合させている。PNAは一般に電荷をもたないため、PNAとDNAがハイブリダイズ(mRNAとPNAの結合を意味する)した領域とDNAのみの領域は負の電荷をもち、PNAのみの領域は正の電荷をもつ。このため複合体分子に大きな電気双極子モーメントを出現させることができる。
【0029】
複合体分子に大きな電気双極子モーメントを出現させる方法としては、PNAのすべての塩基に正の電荷をもたせる方法がある。この場合には、PNAは1塩基ごとに正の電荷をもち、mRNAは負の電荷を持っている。PNAの配列をmRNAの末端に合わせ、かつ10ベース程度余らせるようにハイブリダイズさせることによって、ハイブリダイズした17ベースの領域では電荷がほぼキャンセルされ、PNA側には正の電荷がmRNA側には負の電荷が露出する。
【0030】
一方、mRNAと複合体を形成していない蛍光プローブ12は、複合体13に比べるとごく小さな電気双極子モーメントしか持っていない。複合体の電気双極子モーメントをさらに大きくするためには、mRNAとの選択的結合に必要な13〜18ベースのPNAの先端の一本鎖のPNAを長くして、正の電荷量を増やすことが有効であるが、市場で入手可能なPNAの鎖長は現在のところ27ベースに制限されている。本来は数百ベース程度のPNAを結合分子として利用することが望ましいが、その塩基長は測定対象分子の大きさや、目標とする測定時間や精度、同時に測定する物理量に応じて最適な長さを選ぶべきである。
【0031】
最後に、励起光の照射によって得られた蛍光分子像は対物レンズ6と結像レンズ14で撮像素子15である冷却CCD上に結像される。撮像素子15で撮像された画像は演算部27で処理される。
【0032】
計測領域9の拡大模式図10には、電界がE1の方向に印加されている瞬間の状態を示している。図は、蛍光分子GFPの遷移双極子モーメントの方向がPNA鎖の長手方向と一致するようにGFPとPNAが固定できた場合を描いている。図中の矢印16が遷移双極子モーメントの方向を示す。なお、遷移双極子モーメントの方向をすべての蛍光分子について一致させることができなかったとしても、後述するように、撮像素子にて蛍光ポットを計測する場合には、蛍光強度の変化の位相が分子ごとに変わるだけで計測精度には影響がない。
【0033】
このとき、定量対象分子であるmRNAと複合体を形成していない蛍光プローブ12中のGFPの遷移双極子モーメントの方向は電界の方向と関係なくランダムな方向を向いている。一方、PNAの末端に正の電荷を多数持つため、複合体13の電気双極子モーメントと印加電界の積は十分大きく、複合体13の電気双極子モーメントの方向30は、電界E1の方向と一致する。その結果、遷移双極子モーメントの方向も電界E1の方向と一致する。印加電界の方向をE1→E2→E3→E2→E1→E2と周期的に変化させると、この電界印加方向の変化の周波数が複合体の緩和振動周波数よりも小さく、複合体の運動が電界の変化に追随できれば、複合体の動きにあわせて、複合体中の蛍光分子の遷移双極子モーメントの方向もそれぞれの瞬間の電界の方向を向く。励起光の偏光方向33は、ベクトルE2に垂直な平面とベクトルE1とE3が張る平面が交わる直線に平行となるように設定している。
【0034】
上述のように方向が変調される変調電界を発生するために、サンプル混合溶液8中に浸された4つの電極23,24,25,26と、電極に信号を入力する信号発生器20,21及び、2つの信号発生器20,21の間の位相を調整するための位相シフタ22を設けた。なお、所望の電圧振幅を得るために、信号発生器には高出力アンプが接続されている。
【0035】
図2に、信号発生器20から出力され、電極23,24間に印加される電圧と、信号発生器21から電極25,26間に印加される電圧、及び、撮像素子15で得られる複合体13に対応する蛍光スポットの蛍光強度(蛍光スポットの積分値)の変化を模式的に示す。電極への印加電圧を示す上の2つのグラフにおいて、それぞれ電極23,25に正の電圧を印加するときグラフ上で正の値を示すように描いた。実線で示した波形34,35は、正弦波での印加電圧波形を示している。また、破線で示した波形36,37は、より好ましい印加電圧の波形を示している。波形36,37で電圧印加した場合について詳細に説明すると、電界E1を印加するときは、電極23を正に、電極24を負に設定し、電極25,26には電圧を印加しない。電界E2を印加するときは、電極23,25に正の電圧を、電極24,26に負の電圧を同じ電圧値で印加する。電界E3を印加するときは、電極25を正に、電極26を負に設定し、電極23,24には電圧を印加しない。
【0036】
破線の電圧印加波形と実線の電圧印加波形の違いは、実線で示した正弦波の波形34,35で電圧印加した場合には、E2方向に電圧を印加する場合の電圧強度が低下するという問題があり、破線で示した波形36,37で電圧印加した場合にはこの問題がないという点にある。
【0037】
印加電圧はいずれも最大300Vとし、電極23,24間及び電極25,26間の間隔を1mmとした。このとき、複合体13の電気双極子モーメントに加わる静電エネルギーは33meVと室温におけるkT=26meVよりも大きく、複合体の分極方向が安定に維持される。
【0038】
印加電圧の周波数は1kHzとした。周波数は、矩形波を正弦波に変換して考えると明確になる。また、変調電界の周波数は、定量したい分子複合体が電界に応答できる限界の周波数(緩和振動周波数)以下であれば、どのような周波数でもよい。
【0039】
蛍光強度は、図2のように振幅31で周期的に変化するので、各周期ごとに検出した振幅31の信号を積算して、複合体13からの蛍光シグナルとする。具体的には、電界E1が印加されているときの蛍光強度から電界E2が印加されているときの蛍光強度を減算したものを複合体13からの蛍光シグナルとする。また、電界E3が印加されているときの蛍光強度から次に電界E2が印加されているときの蛍光強度を減算したものを複合体13からの蛍光シグナルとする。そして、これら各周期の蛍光シグナルを加算処理する。このような変調電界を印加しても、複合体を形成していない蛍光分子からの蛍光は時間的にランダムに変化するので、この和の操作によって値がほぼ0となり、バックグラウンドが抑圧されSB比が大幅に向上する。
【0040】
実際には、上記のような変調シグナル取得を、複合体1分子に対応する蛍光スポット一つひとつについて実行する。図3A及び図3Bに、蛍光スポットの模式図を示す。図3Aは電界方向がE1及びE3の場合の蛍光スポットの模式図であり、図3Bは電界方向がE2の場合の蛍光スポットの模式図である。
【0041】
まず、電界方向がE1又はE3に設定されている場合の蛍光スポットである図3Aについて説明する。スポット41,43は定量対象分子と蛍光分子が複合体を形成している状態の蛍光スポットを示しており、このスポットの数を数えることによって定量対象分子を定量する。一方、スポット45,47は、定量対象分子と複合体を形成していない非結合の蛍光分子に対応する蛍光スポットである。このスポットは本来カウントしてはいけないが、蛍光強度は無視できない強度を有し、その強度はスポットによっても異なる。この蛍光スポット45,47を定量対象分子に対応するスポットとしてカウントすると、バックグラウンドカウントを増やしてしまい、SB比を低下させる。
【0042】
次に、図3Bを参照して、電界の方向をE2に変えた時の蛍光スポットの状態を説明する。図3Bに示した蛍光スポット42,44,46,48は、図3Aに示した蛍光スポット41,43,45,47に一対一に対応し、それぞれ同じ蛍光分子から発生された蛍光が検出されたものである。複合体を形成している蛍光分子に起因する蛍光スポット42,44は、図3Aのスポット41,43に対して蛍光強度が大きく変化する。すなわち、このとき複合体13電気双極子モーメントの方向30は電界の方向E2を向き、複合体13を形成している蛍光体の遷移双極子モーメントの方向16も励起光の偏光方向33と直交するE2の方向を向くため、蛍光強度は低下する。こうして、複合体13を形成している蛍光分子に起因するスポットの蛍光強度は、電界方向を変化させたとき、その変化に追随して規則的に変化する。一方、複合体を形成していない非結合の蛍光分子に起因するスポット46,48の蛍光強度は、蛍光分子のブラウン運動による回転によって、時間的にランダムに変化する。すなわち、非結合の蛍光分子に起因するスポットは、電界方向の変化の影響を受けず、もっぱら蛍光分子のブラウン運動による回転によって、ランダムに変化する。
【0043】
本実施例では、図3Aと図3Bで同じ位置の対応する蛍光スポットの蛍光強度の差を、それぞれの蛍光スポットからの信号強度として抽出する。そして、印加する電界の方向を周期的に変化させて各周期ごとに抽出した信号強度を積算し、最終的な複合体の蛍光スポットに対応するシグナルとする。ここで、電界方向を周期的に変化させて、図3Aのスポット45と図3Bのスポット46の蛍光強度の差や、図3Aのスポット47と図3Bのスポット48の蛍光強度の差を積算すると、積算信号強度を積算数で割った平均値は0に収束する。こうして、複合体を形成していない非結合の蛍光分子を誤ってカウントする確率が低下し、SB比を大幅に向上させることができる。
【0044】
図3A及び図3Bのように強度変調されたシグナルを得るためには、撮像素子の露光時間を素子に入射する蛍光強度が最大になる時刻と最小になる時刻に合わせる必要がある。図2の時間軸方向の矢印32は、露光のタイミングと露光時間を示したものである。露光開始時刻と露光終了時刻は電界印加方向の変調と同期して決定する必要があり、そのための同期信号が信号発生器20又は21から信号線28を通して撮像素子15に伝えられる。タイミングの位相調整機能は撮像素子15の制御回路内部に設置した。
【0045】
また、露光時間が制限されたことによる受光強度の低下を補うために、イメージインテンシファイアを撮像素子と結像レンズの間に挿入して使用することも可能である。このとき、イメージインテンシファイアのゲート機能が、撮像素子のシャッターの役目を果たす。
【0046】
図4は、このような蛍光カウンティングによるデータ取得方法を示すフローチャートである。演算部27では、図4のフローチャートに従ったデータ処理を行い、定量対象分子の濃度を求める。上記内容と重複する部分も含めて説明すると、次のようになる。
【0047】
蛍光スポット像が、図2に矢印32で示した露光時間に対応して、多数得られる。このような画像の例が図3A及び図3Bである。まず、蛍光スポットの位置を抽出し(S11)、この位置での蛍光強度の振幅が最大となるように位相シフタ22で変調印加電圧の位相を調整する(S12)。その結果、図2に示すように、蛍光強度の最大値とE1,E3方向の電界印加時刻、及び蛍光強度の最小値とE2方向の電界印加方向時刻を合わせることができる。この後、各蛍光スポットについて、E1,E3方向に電界が印加されたときの蛍光強度の積算値からE2方向に電界が印加されたときの蛍光強度の積算値を差し引く。具体的には、それぞれの蛍光スポットごとに、E2のタイミングで取得した蛍光強度に−1を掛けて、E1,E2,E3のタイミングで計測された蛍光強度を積算する。すなわち、Σ(シグナル最大値)−Σ(シグナル最小値)を計算する。これによって各スポットの蛍光強度の変調成分を抽出することができる。この後、ある閾値以下の蛍光スポットを排除して、蛍光スポットを数え上げ(S14)、測定対象溶液の容量の情報と併せて、定量対象分子の濃度を決定することができる(S15)。このときの閾値としては、例えば、バックグラウンドレベルにバックグラウンドの標準偏差の3倍を足した数値とすることができる。
【0048】
このような蛍光検出方法は、一分子ごとに蛍光スポットを識別しない場合に対しても適用可能である。たとえば、撮像素子の撮像面の一部あるいは全面で一括して計測される蛍光強度について、あるいはフォトダイオードのような光検出器で計測される蛍光強度について、蛍光強度の最大値と最小値を繰り返し計測できるように上記と同様に変調電界の位相を調整し、変調成分を上記と同様に抽出することによって、バックグラウンド蛍光の影響を少なくして蛍光強度を計測することが可能である。この場合には、蛍光強度の最大値と最小値の差が、定量対象分子の数、すなわち濃度に対応する。なお、以下の実施例でも同様に蛍光検出器として光検出器を用いることが可能である。
【0049】
一般に、蛍光をカウンティングによって計測する場合には、スポットが存在しない領域(図3A、図3Bの黒い背景領域)に対応するシグナルは、スポット位置を抽出した時点で排除できる。そのため、バックグラウンド発光の影響を少なくすることが可能となる。本実施例では、この効果に加えて、変調電界に対する蛍光強度の変調成分のみを計測することによって非結合蛍光分子からの信号を排除し、さらにSB比を向上させている。
【0050】
また、励起光を連続的に照射すると、蛍光分子が劣化する(退色する)という問題が生じる。この問題を緩和するために、励起レーザ光をパルス状にして、露光時間32と同時刻だけ、計測領域にレーザを照射するように、信号線29を通して同期信号をレーザ光源1に送る。本実施例では半導体レーザを用いているため、レーザ駆動回路に直接この同期信号を入力し、適切な位相調整を行って、パルス状の励起レーザ光を生成している。パルスレーザを発生する方法として、他にCWレーザとAOM(Acoustic Optical Modulator)やEOM(Electro Optic Modulator)を用いる方法も可能である。
【0051】
本実施例では変調周波数が低いことから、電極23〜26の表面をSiO2,Si34や樹脂等の絶縁膜で覆うことはしていない。そのため、電極表面での電子の授受によって電気分解反応が起きて、気泡が発生する。このため、この気泡が計測領域9やレーザの光路に干渉しないように電極を配置している。周波数が十分高い(下限の周波数はイオン強度によって異なる)場合には、電極23〜26の表面を絶縁膜で被覆しても、溶液中に有効に変調電界を印加することが可能である。そうすれば、気泡の発生は抑えることができる。絶縁膜がない場合でも、変調周波数が上がれば気泡の発生は抑圧することができるが、電圧信号のバイアスレベルとデューティー比の調整が必要で、自由なデューティー比の設定ができなくなる。
【0052】
印加電界の波形は、図2に示した波形以外にも様々な波形を用いることができる。図5は、他の印加電圧波形を示す図である。ここでも変調電圧の最も基本となる正弦波を実線で示し、より好ましい矩形波を破線で示した。このとき、定量対象分子と蛍光プローブの複合体は変調電界の印加によって回転することになる。そのため、蛍光分子の遷移双極子モーメントを励起レーザの偏光方向と完全に一致させることが可能となり、受光蛍光強度変化は最大となり、シグナルを最大化することができる。
【0053】
この実施例では定量対象分子としてmRNAを用いたが、mRNAは比較的溶液中に活性が残りやすいRNaseによって分解されやすいため、逆転写酵素によってcDNAに転写してから定量することもできる。また、RNAやDNAなどの核酸の場合には中性に近いpH条件で負の電荷をもつため、この電荷を複合体の電気双極子モーメント形成に利用したが、他の電荷や電気双極子モーメントをもたない分子の場合には、正負2種類の電荷をもった結合分子を使って複合体を形成するようにするか、大きな電気双極子モーメントをもった1つの結合分子を定量対象分子に選択的に結合させることによって、上記計測を実現してもよい。
【0054】
さらに、定量対象分子が最初から大きな電気双極子モーメントを持っている場合には、電荷や電気双極子モーメントを後から複合させる必要がないことはいうまでもない。
【0055】
[実施例2]
次に、蛍光分子と結合分子から形成した蛍光プローブを定量対象分子と結合させて複合体を形成するのではなく、3種類の役割の分子を混合することによって定量対象分子の定量を行う実施例について説明する。
【0056】
本実施例の生体分子計測システムの構成は図1と同じである。また、測定領域にE1,E2,E3のように方向が周期的に変化する変調電界を印加し、図4のフローチャートで説明したように蛍光画像を処理して蛍光スポットの数を計数する方法、あるいは光検出器で検出された蛍光強度を処理して定量対象分子の濃度を求める方法は、実施例1と同様である。
【0057】
図6は、測定領域9の拡大模式図である。蛍光分子51には、2本鎖に特異的にインターカレートするPicogreenを使用した。結合分子52としては、実施例1と同様に27塩基のPNAを使用した。ターゲットであるmRNA11に結合分子52のPNAが結合すると2本鎖領域が生じる。すると、そこに蛍光分子51であるPicogreenが選択的にインターカレートし、複合体53を形成して蛍光を発生する。複合体53の電気双極子モーメントの方向30は、実施例1の場合と同様である。複合体53を構成する蛍光分子51の遷移双極子モーメントの方向は、図1の場合と異なり、mRNA又はPNA鎖の長手方向に対して垂直方向に向いている。
【0058】
一部の蛍光分子51は一本鎖のPNAにも結合し、蛍光を発する。蛍光分子は、どの分子にも結合していない状態よりも一本鎖PNAに結合した方が強い蛍光を発するため、従来の計測方法ではSB比が低下してしまう。本実施例の計測方法では、実施例1と同様に複合体53からの信号を選択的に積算するため、高いSBを保つことができる。検出される蛍光は、複合体53として結合している蛍光分子からの蛍光と、結合分子52と結合した蛍光分子からの蛍光と、他の分子と結合していない蛍光分子からの蛍光の和である。複合体53に結合している蛍光分子の蛍光強度は、変調電界に同期して周期的に変化するが、結合分子52と結合した蛍光分子の蛍光強度と、他の分子と結合していない蛍光分子の蛍光強度は、ブラウン運動による分子の回転のために、変調電界と非同期でランダムに変化する。
【0059】
蛍光分子の遷移双極子モーメントの方向が複合体53の電気双極子モーメントの方向30に対して垂直であるので、変調電界に対する複合体からの蛍光シグナルの関係は実施例1の場合とは異なる。図7に、図2と同様の変調電界を印加した時に検出される蛍光シグナルの波形を示す。本実施例では、電界方向がE2の時、すなわち励起光の偏光方向33に垂直な時に、検出される蛍光強度は最大となり、電界がE1,E3方向のとき最小となる。また、電界方向がE1,E3の時に励起光の偏光方向と蛍光分子の遷移双極子モーメントの方向が一致しないため、蛍光強度は実施例1の場合に比べて最小値が0に近づかない。
【0060】
[実施例3]
基板表面に定量対象分子を捕捉した状態で定量する実施例について説明する。本実施例では、定量対象分子と特異的に結合する結合分子を基板表面に固定し、基板表面上で蛍光分子との複合体を振動させ、蛍光の変調成分のみを計測することによって、SB比を向上させる。本実施例では定量対象分子を基板表面に捕捉するため、定量対象分子に結合していない蛍光分子が基板表面に非特異的に吸着し、これを完全に洗浄することが困難である。そのため、基板表面に吸着した蛍光分子からの蛍光と複合体からの蛍光とを分離して計測することが重要である。
【0061】
図8は、本実施例の生体分子計測システムの構成例を示す概略図である。定量対象分子を捕捉するための石英基板71は、サンプル混合溶液中に浸漬され、容器7に固定されている。基板71の上下に透明電極72,73を設けた。透明電極72,73は、その間に直流電源76から静電圧を印加し、基板に捕捉されて一端が基板に固定された複合体の自由端を基板表面から離し、複合体の運動をスムーズにするために用いた。もちろん、この電極間に変調電圧を印加してもよい。電極74,75が溶液中の電界の方向を変えるための電極であり、信号発生器21に接続されている。4つの電極72〜75を用いて、図示したE1及びE2の2つの方向の間で電界方向を変調する。
【0062】
図9Aに電界方向E1の場合の基板71表面付近の分子の配向の様子を模式的に示し、図9Bに電界方向E2の場合の様子を示す。定量対象分子81は、抗原抗体反応を用いて捕捉できる抗原、例えばAFPなどである。82はこの抗原と特異的に結合する一次抗体である。この一次抗体82を基板表面に補足するための抗抗体抗体83は、一次抗体82が溶液に投入される前に、シランカンプリング剤84を用いて石英基板上に固定されている。85は一次抗体82に補足された抗原に特異的に結合する二次抗体、86はこの2次抗体85に特異的に結合する抗抗体抗体である。1次抗体と2次抗体の間の選択性はない。抗体86は、GFP87及び負電荷をもった2本鎖DNA88とサンプル溶液に投入される前に結合されているものを用いる。GFPは、その遷移双極子モーメントの方向89が抗抗体抗体86の分子の向きに対してほぼ固定されるように化学的に結合している。定量対象分子81を含む複合体90の分子の向きに対応して、GFPの遷移双極子モーメントの向きが固定されることになるため、電界をE1とE2の向きの間で変調すると、図9Aの状態と図9Bの状態との間で遷移することになる。これによって、複合体90を形成した分子のみが変調電界に同期して姿勢を変え、複合体90に起因する蛍光強度が変調されることになる。
【0063】
電界E1の時に最大の蛍光強度を得るために、励起光の偏光状態は円偏光か互いに直交する2種類の直線偏光の均等な混合光とした。このとき、複合体を形成していないGFPからの蛍光は、前述の実施例と同様の演算によってバックグラウンドから取り除くことができる。このような偏光を選んだ理由は、蛍光分子の遷移双極子モーメントがレーザ光照射方向に垂直な面内で回転した場合にも、蛍光強度が変化しないようにするためである。もちろん、蛍光分子の遷移双極子モーメントが特定の方向を向くように、レーザ光照射方向と垂直な方向にも0でない電界を印加して、この方向と平行な方向の偏光方向のレーザで励起を行っても良い。ただし、この場合には励起レーザ光は直線偏光とする必要がある。
【0064】
[実施例4]
受光する蛍光の偏光成分についての情報を得て、複合体と非結合の蛍光体の分離能を向上する本実施例について説明する。
【0065】
図10は、本実施例の生体分子計測システムの構成例を示す模式図である。対物レンズ6で集光された蛍光は、ダイロイックミラー5を通り、キューブ型の偏光ビームスプリッタ91によって2つの偏光成分に分離され、結像レンズ14a,14bによって撮像素子15a,15bに結像され、同時に2つの撮像素子15a,15bにて蛍光像を得るようにする。このシステムによると、2つの撮像素子15a,15bにて同じ蛍光スポットの直交する偏光成分を同時に計測し、蛍光の偏光状態を計測することが可能となる。
【0066】
もちろん、1つの撮像素子を用い、偏光ビームスプリッタ91の代わりに偏光子を用いて偏光状態を選択してもよいが、その場合には、2つの偏光成分とトータルの蛍光強度を独立に計測することはできない。直交する2つの偏光成分を同時に計測することによって、蛍光強度と偏光方向を同時に計測することが可能となり、計測精度を向上させることができる。なぜなら、蛍光強度が何らかの原因で周期的に変化することがあり得るからである。
【0067】
また、この方法によると、分子のサイズによって変調電界に対する応答性の違うことを利用して、特定のサイズの分子からの蛍光を選択的に得ることが可能である。ここでは、電界に対する応答の相違を、印加電界に対する蛍光シグナルの位相のずれによって計測する方法を説明する。
【0068】
図11は、変調された蛍光シグナルの変調電界に対する位相ずれを計測するために、励起レーザ光の照射タイミングと撮像素子による露光タイミングを説明する図である。変調電界は、最も単純な正弦波の場合を実線1004,1005で示し、より好ましい波形を破線1006,1007で示した。期間1001は露光時間を示し、期間1002はレーザ励起時間を示す。レーザ励起時間は変調電界と同じ位相になるように調整する。すなわち、レーザ励起時間と電界の最大値及び最小値が一致するように調整する。この条件で、蛍光強度が最大となるように露光時間の位相を調整し、露光と励起の同一位相の時間遅延として位相シフト量1003を測定する。複合体の緩和時間を計測する。一般に、非結合の分子と複合体では、分子のサイズが異なるため、この位相シフト量が異なる。これにより精密に非結合蛍光分子からの蛍光の影響を排除することができ、SB比を向上することができる。なお、蛍光強度のグラフにはS偏光(紙面に平行な方向の偏光成分)の蛍光強度変化を示している。
【0069】
また、これと同様の原理を使って、周波数の異なる2つの変調電界を交互に印加し、応答振幅31又は位相シフト量1003の変化量を蛍光スポットごとに測定することによってSB比を向上することができる。2つの周波数を決定するには次のような操作を行う。一般に、変調電界に対する複合体の応答は、変調周波数が緩和振動周波数より大きくなると、位相シフト量が急激に大きくなり振幅が急激に低下する。既知の種類の定量対象分子を定量する場合、事前に複合体の緩和振動周波数を調べるために変調電界を本実施例の波形で周波数を低いものから高いものに順次変えていって、位相シフト量1003と応答振幅31が大きく変化する周波数を調べる。その周波数を挟んだ2つの周波数を前記2つの周波数として、周波数応答の変化を測定することによって、より厳密に複合体と非結合蛍光分子を分離して計測することができる。
【0070】
さらに、位相シフトではなく、変調蛍光シグナルの振幅を用いて、複合体のみを定量することも可能である。
【0071】
図12は、変調電界の周波数に対する蛍光強度変化の振幅31の変化を示す模式図である。図の横軸は印加電界の周波数、縦軸は蛍光強度変化の振幅である。実線1401は複合体に対応する曲線であり、破線1402は複合体を形成していない、非結合の蛍光体に対応する曲線である。上記と同様に2種類の周波数F1,F2での蛍光強度変化の振幅31を計測し、その差を測定すると、複合体に対応するシグナル変化は大きいが、蛍光体単独でのシグナル変化は小さい。これは2種類の周波数F1,F2が複合体の緩和振動周波数(蛍光変化が小さくなり始める周波数)を挟むように設定されているからである。この緩和振動周波数は複合体分子構造特有の値を示すため、複数の分子が混合した状況においても正確に定量することが可能である。
【0072】
また、分子によっては、図13の曲線1501に示すように、変調蛍光シグナルが特定の周波数(共鳴周波数)でピークを持つ場合がある。このとき、この分子は振動あるいは回転が共鳴振動しており、2つの周波数F1,F2を図13に示すように設定することによって、より大きなシグナルを得ることが可能となる。
【0073】
[実施例5]
本実施例は、混合溶液中に含まれる複数種類の定量対象分子を同時に計測するために実施例4の方法を応用する例である。
【0074】
図14は、本実施例の生体分子計測システムの構成例を示す概略図である。本システムでは2種類の蛍光波長の蛍光分子を同時に計測するために、ローパスフィルタを1つ用いた。ローパスフィルタ1201として、特定の波長より長い光は通過させ、短い光は反射する誘電体多層膜フィルタを用いた。本実施例では蛍光分子はGFPとR−フィコエリスリンの2種類であり、560nmのローパスフィルタを用いた。蛍光分子の種類の数を増やすためにはこのローパスフィルタを波長の短いものから順次直列に(図14の上の方向に)挿入していけばよい。
【0075】
また、一つの定量対象分子に結合する蛍光プローブの結合位置を計測するために、電荷や電気双極子モーメントをもった電荷プローブを用いる。これを説明するために、図15に、2種類の定量対象分子であるmRNAに2色の蛍光プローブを用いた例を示す。
【0076】
電荷プローブ1103は実施例1と同様に27ベースのPNAである。PNAの15ベースのポリT領域が定量対象分子であるmRNA1(1101)及びmRNA2(1102)のポリA配列とハイブリダイズし、これによって大きな電気双極子モーメントを生成する。これによって、既知配列の既知の位置に電気双極子モーメントによる電気力を集中させることができる。この末端から100ベース程度離れた領域の30ベースの領域にDNA蛍光プローブ1104又は1106をハイブリさせ、さらに300ベース程度離れた領域にDNAプローブ1105又は1107をハイブリするようにさせる。これらの蛍光プローブを構成する蛍光分子1104,1107はGFP、蛍光分子1105,1106はR−フィコエリスリンであり、波長488nmのレーザ励起に対してそれぞれ510nm及び575nmで発光するため、これらの蛍光像を別々に得ることができる。
【0077】
図11と同様の変調電界を印加したとき、位相シフト量が電荷プローブと蛍光プローブの距離で異なるため、電荷プローブを基準としてどのような順序でGFPとR−フィコエリスリンが並んでいるかを判定することが可能である。
【0078】
すなわち、mRNA1の場合には510nm(GFP)の発光の位相シフトは575nm(R−PE)の発光の位相シフトより小さく、mRNA2の場合には位相シフトの大小が逆転するため、同じように2種類の蛍光分子がハイブリダイズによって結合した場合でもその結合位置を位相シフト量で判定し、区別することが可能である。
【0079】
本例では蛍光による発光波長は2種類であったが、励起レーザの波長数も増やして、更に多くの蛍光波長を同時に計測することが可能である。その発光波長の数をnとすると、nの階乗分の組み合わせの蛍光ラベルが得られたことになり、非常に多数の種類の定量対象分子を同時に計測することが可能となる。
【0080】
なお、本発明は上記した実施例に限定されるものではなく、様々な変形例が含まれる。例えば、上記した実施例は本発明を分かりやすく説明するために詳細に説明したものであり、必ずしも説明した全ての構成を備えるものに限定されるものではない。また、ある実施例の構成の一部を他の実施例の構成に置き換えることが可能であり、また、ある実施例の構成に他の実施例の構成を加えることも可能である。また、各実施例の構成の一部について、他の構成の追加・削除・置換をすることが可能である。
【符号の説明】
【0081】
1 レーザ光源
2 励起光
3 光学素子
4 視野レンズ
5 ダイクロイックミラー
6 対物レンズ
7 容器
8 サンプル溶液
9 計測領域
11 定量対象分子
12 蛍光プローブ
13 複合体
14 結像レンズ
15 撮像素子
16 遷移双極子モーメントの方向
20,21 信号発生器
22 位相シフタ
23〜26 電極
27 演算部
51 蛍光分子
52 結合分子
53 複合体
71 石英基板
72〜75 電極
76 直流電源
81 定量対象分子
90 複合体

【特許請求の範囲】
【請求項1】
蛍光を利用して生体分子を定量する生体分子計測システムであって、
定量対象となる生体分子、蛍光分子、並びに前記生体分子及び前記蛍光分子と複合体を形成するための結合分子を含有する溶液を保持する保持部と、
偏光した励起光を前記溶液に照射する励起光源と、
前記溶液に方向が周期的に変化する変調電界を印加する電界印加部と、
前記励起光照射によって前記蛍光分子から発生された蛍光を検出する受光部と、
前記受光部による蛍光検出信号を処理する演算部とを有し、
前記複合体は電気双極子モーメントを持ち、前記変調電界の印加によって前記複合体中の前記蛍光分子の遷移双極子モーメントの方向が前記励起光の偏光方向又は偏光面に対して周期的に変化し、
前記演算部は、前記変調電界の変調周期に同期して変化する成分が最大になるタイミングの蛍光検出信号から最小になるタイミングの蛍光検出信号を減算した値を複数周期にわたって積算する処理を行うことを特徴とする生体分子計測システム。
【請求項2】
請求項1に記載の生体分子計測システムにおいて、
前記受光部は撮像素子を有し、前記蛍光検出信号は蛍光スポット像であり、
前記演算部は、前記変調電界の変調周期に同期して変化する成分が最大になるタイミングで取得した第1の蛍光スポット像から最小になるタイミングで取得した第2の蛍光スポット像を対応する画素毎に減算した差分画像を複数周期にわたって積算する処理を行い、得られた積算画像をもとに生体分子を定量することを特徴とする生体分子計測システム。
【請求項3】
請求項1に記載の生体分子計測システムにおいて、前記受光部は受光素子を有することを特徴とする生体分子計測システム。
【請求項4】
請求項1又は2に記載の生体分子計測システムにおいて、蛍光の特定の偏光成分を前記受光部に入射させる手段、あるいは偏光状態によって蛍光を分離する手段を設けたことを特徴とする生体分子計測システム。
【請求項5】
請求項2に記載の生体分子計測システムにおいて、異なる波長の蛍光スポット像を同時に取得する手段を有することを特徴とする生体分子計測システム。
【請求項6】
請求項2に記載の生体分子計測システムにおいて、前記撮像素子の前に前記蛍光分子からの蛍光を増幅する増幅手段を有し、前記増幅手段は、前記変調電界の変調周期に同期して前記蛍光を増幅することを特徴とする生体分子計測システム。
【請求項7】
請求項1又は2に記載の生体分子計測システムにおいて、前記変調電界の変調周期に同期して前記励起光の強度を変調する手段を有することを特徴とする生体分子計測システム。
【請求項8】
請求項1又は2に記載の生体分子計測システムにおいて、前記溶液中で、前記生体分子の電荷の符号と前記結合分子の電荷の符号又は前記蛍光分子と前記結合分子とからなる蛍光プローブの電荷の符号が異なることを特徴とする生体分子計測システム。
【請求項9】
請求項1又は2に記載の生体分子計測システムにおいて、前記演算部は、前記変調電界の印加から検出された蛍光の強度ピークまでの時間遅延を測定することを特徴とする生体分子計測システム。
【請求項10】
請求項1又は2に記載の生体分子計測システムにおいて、前記電界印加部は、前記複合体の共鳴周波数で前記電界の方向を周期的に変化させることを特徴とする生体分子計測システム。
【請求項11】
請求項1又は2に記載の生体分子計測システムにおいて、前記電界印加部は、電界を変化させる周波数を前記複合体の緩和振動周波数より高い周波数と低い周波数の2種類の周波数とし、前記演算部は、前記2種類の周波数に対する蛍光強度変化の応答の差を測定することを特徴とする生体分子計測システム。
【請求項12】
蛍光を利用して生体分子を定量するための生体分子計測システムであって、
定量対象となる生体分子を捕捉するための分子が固定された基板を備え、前記生体分子、蛍光分子、並びに前記生体分子及び前記蛍光分子と複合体を形成するための結合分子を含有する溶液とを保持する保持部と、
偏光した励起光を前記溶液に照射する励起光源と、
前記溶液に方向が周期的に変化する変調電界を印加する電界印加部と、
前記励起光照射によって前記蛍光分子から発生された蛍光スポット像を検出する撮像素子と、
前記蛍光スポット像を処理する演算部とを有し、
前記生体分子と前記蛍光分子と前記結合分子の複合体が電気双極子モーメントを持ち、
前記変調電界の印加によって、前記複合体中の前記蛍光分子の遷移双極子モーメントの方向が前記励起光の偏光方向又は偏光面に対して周期的に変化し、
前記演算部は、前記変調電界の変調周期に同期して変化する成分が最大になるタイミングで取得した第1の蛍光スポット像から最小になるタイミングで取得した蛍光スポット像を減算した差分画像を複数周期にわたって積算する処理を行い、得られた積算画像をもとに前記生体分子を定量することを特徴とする生体分子計測システム。
【請求項13】
請求項12に記載の生体分子計測システムにおいて、前記積算画像から一分子ずつカウンティングによって前記生体分子を定量することを特徴とする生体分子計測システム。
【請求項14】
請求項12又は13に記載の生体分子計測システムにおいて、前記励起光は複数の偏光成分を含むことを特徴とする生体分子計測システム。
【請求項15】
蛍光を利用して生体分子を定量するための生体分子計測方法であって、
定量対象となる生体分子と、遷移双極子モーメントを有する蛍光分子と、結合分子とを含み電気双極子モーメントを有する複合体を形成する工程と、
前記複合体を含有する溶液に、方向が周期的に変化する変調電界を印加した状態で、偏光した励起光を照射する工程と、
前記励起光照射によって前記蛍光分子から発生された蛍光信号を検出する検出工程と、
前記変調電界の変調周期に同期して変化する成分が最大になるタイミングの蛍光信号から最小になるタイミングの蛍光信号を減算した値を複数周期にわたって積算する処理工程と、
を有することを特徴とする生体分子計測方法。
【請求項16】
請求項15に記載の生体分子計測方法において、
前記検出工程では撮像素子によって蛍光スポット像を検出し、
前記処理工程では、前記変調電界の変調周期に同期して変化する成分が最大になるタイミングで取得した第1の蛍光スポット像から最小になるタイミングで取得した第2の蛍光スポット像を対応する画素毎に減算した差分画像を複数周期にわたって積算する処理を行い、得られた積算画像をもとに生体分子を定量することを特徴とする生体分子計測方法。
【請求項17】
請求項15又は16に記載の生体分子計測方法において、前記結合分子を別の分子として前記生体分子を含む溶液に混合する工程を有することを特徴とする生体分子計測方法。
【請求項18】
請求項15又は16に記載の生体分子計測方法において、
複数種類の生体分子を前記定量対象とし、蛍光分子と結合分子からなる複数種類の蛍光プローブを溶液中に混合する工程と、
前記複数種類の蛍光プローブから発生される複数の蛍光波長の前記変調電界に対する周波数応答の違いを計測して、各蛍光プローブの定量対象分子内での結合位置を測定する工程とを有し、
複数の生体分子を同時に定量することを特徴とする生体分子計測方法。

【図1】
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【図2】
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【図3A】
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【図3B】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9A】
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【図9B】
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【図10】
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【図11】
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【図12】
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【図13】
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【図14】
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【図15】
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【公開番号】特開2012−198058(P2012−198058A)
【公開日】平成24年10月18日(2012.10.18)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−61159(P2011−61159)
【出願日】平成23年3月18日(2011.3.18)
【出願人】(000005108)株式会社日立製作所 (27,607)
【Fターム(参考)】