説明

静的強度から高サイクル疲労強度までの全領域の強度に優れた肌焼部品

【課題】静的強度から高サイクル疲労強度までの全領域において強度向上を図ることができる肌焼部品を提供すること。
【解決手段】肌焼部品1は、質量%で、C:0.10〜0.30%、Si:0.50〜1.50%、Mn:0.30〜1.00%、P:0.035%以下、S:0.035%以下、Cr:0.15〜1.25%以下、Mo:0.30〜0.80%、Al:0.020〜0.150%、N:0.0030〜0.0200%、B:0.0005〜0.0050%、Ti:0.005〜0.200%を含有し、Si(%)+Mo(%)+30B(%)≧1.10を満たし、残部がFe及び不可避的不純物からなる鉄鋼材料に対して、浸炭処理を施すことによって形成されてなる。浸炭層11の表面における浸炭異常層12の最大深さdが15μm以下であって、その最大深さ位置Dから表面100までの断面における浸炭異常層12の占める面積率が70%以上である。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、鉄鋼材料に対して浸炭処理を施すことによって形成される、静的強度から高サイクル疲労強度までの全領域の強度に優れた肌焼部品に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、自動車等に用いられる駆動系部品には、高出力化・小型軽量化に伴って、高負荷又は連続的な負荷に十分に耐え得るだけの強度が要求されている。そのため、このような高度な強度要求に応えるべく、静的強度から高サイクル疲労強度までの全領域において強度向上を図ることが望まれている。
【0003】
従来、疲労強度を向上させる技術としては、様々なものが提案されている。例えば、繰り返し数が105回を超えるような領域(高サイクル領域)における疲労強度を向上させる技術として、特許文献1には、Mo含有量を増大させることによって、表面硬化層の不完全焼入層の低減を図ることが提案されている。
【0004】
一方、繰り返し数が103回以下のような領域(低サイクル領域)における疲労強度を向上させる技術として、特許文献2には、P及びSを低減し、Mo及びVを添加することによって、衝撃特性向上を図ることが提案されている。また、特許文献3には、P及びCrを低減し、Bを添加することによって、粒界強度向上を図ることが提案されている。また、特許文献4には、Mo添加量を増大すると共に、合金元素に基づく塑性変形抵抗値と粒界強度との関係を規定することによって、疲労強度の向上を図ることが提案されている。
【0005】
【特許文献1】特開昭61−253346号公報
【特許文献2】特開平1−247561号公報
【特許文献3】特公平8−9754号公報
【特許文献4】特開平10−259450号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
しかしながら、これまで提案されている技術は、高サイクル領域、低サイクル領域等の一部の領域における疲労強度を向上させるものである。そのため、静的強度から高サイクル疲労強度までの全領域において強度向上を図ることのできる条件については、明確になっておらず、従来の技術では困難であった。また、特に、繰り返し数が104回周辺の領域(中サイクル領域)においては、疲労強度を向上させるための技術が未だ確立されていなかった。
【0007】
本発明は、かかる従来の問題点に鑑みてなされたもので、静的強度から高サイクル疲労強度までの全領域において強度向上を図ることができる肌焼部品を提供しようとするものである。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明は、質量%で、C:0.10〜0.30%、Si:0.50〜1.50%、Mn:0.30〜1.00%、P:0.035%以下、S:0.035%以下、Cr:0.15〜1.25%以下、Mo:0.30〜0.80%、Al:0.020〜0.150%、N:0.0030〜0.0200%、B:0.0005〜0.0050%、Ti:0.005〜0.200%を含有し、かつ、Si(%)+Mo(%)+30B(%)≧1.10を満たし、かつ、残部がFe及び不可避的不純物からなる鉄鋼材料に対して、浸炭処理を施すことによって形成されてなり、
該浸炭処理によって形成された浸炭層の表面に浸炭異常層が存在しない、又は浸炭異常層が存在すると共に該浸炭異常層の最大深さが15μm以下であって、その最大深さ位置から表面までの断面における上記浸炭異常層の占める面積率が70%以上であることを特徴とする、静的強度から高サイクル疲労強度までの全領域の強度に優れた肌焼部品(請求項1)。
【0009】
本発明の肌焼部品は、上記特定の組成の鉄鋼材料を用いて浸炭処理を施して形成されるものである。そして、浸炭処理後の浸炭層の表面に浸炭異常層が存在しない、又は浸炭異常層が存在すると共にその最大深さ及びその占める面積率(以下、適宜、占有面積率という)を上記特定の範囲としている。これにより、静的強度から高サイクル疲労強度までの全領域において強度向上を図ることができる。
【0010】
すなわち、本発明では、上記鉄鋼材料における各元素の含有量が上記特定の範囲となり、さらにSi、Mo及びBの成分がSi(%)+Mo(%)+30B(%)≧1.10の関係式を満たすように、各元素、特にSi、Mo及びB成分の含有量を適正化することにより、浸炭処理後の浸炭層の粒界強度を向上させることができる。
また、浸炭異常層を存在させないように、又は浸炭異常層を存在させてその最大深さ及び占有面積率が上記特定の範囲となるように、浸炭層における浸炭異常層を制御・適正化することにより、疲労亀裂の発生を抑制することができる。
【0011】
そして、静的〜103回の低サイクル領域においては、Si、Mo及びB成分の適正化による浸炭層の粒界強度向上効果が寄与することにより、静的強度及び疲労強度の向上を図ることができる。
また、105回〜107回の高サイクル領域においては、浸炭異常層の制御・適正化による疲労亀裂抑制効果が寄与することにより、疲労強度の向上を図ることができる。
【0012】
そして、本発明では、従来の技術では疲労強度の向上が困難であった104回周辺(103回〜105回)の中サイクル領域においては、Si、Mo及びB成分の適正化による浸炭層の粒界強度向上効果と浸炭異常層の制御・適正化による疲労亀裂抑制効果とが相まって、その複合効果により、疲労強度の向上を図ることができる。
【0013】
このように、本発明によれば、静的強度から高サイクル疲労強度までの全領域の強度に優れた肌焼部品を提供することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0014】
本発明において、上記浸炭異常層とは、不完全焼入れ組織よりなる層である。不完全焼入組織とは、一連の浸炭処理における焼入れ時に発生したトルースタイトあるいはベイナイトよりなる組織である。この浸炭異常層は、処理品の断面を鏡面仕上げした後、ナイタール等の腐食液で腐食すると、黒く腐食されることで、その形態を容易に観察することが可能である。また、この浸炭異常層は、次のように生成する。
【0015】
すなわち、例えばガス浸炭処理の場合、浸炭雰囲気中にはある程度の酸素が含まれている。この酸素が鋼の表面から侵入すると、結晶粒界近傍の素地に含まれている(固溶している)Si、Cr、Mn、Ni、Mo等のうち、Si、Cr及びMnは、結晶粒界を拡散してきた酸素と結びついて酸化物を形成する。そのため、酸化物が形成された付近では、焼入れ性が低下する。これにより、焼入れ時にマルテンサイトが生成されず、トルースタイトあるいはベイナイトが生成する。このトルースタイトあるいはベイナイトよりなる不完全焼入れ組織の層が浸炭異常層である。
【0016】
また、本発明において、浸炭異常層が浸炭層の表面に存在する場合、その最大深さは、15μm以下とする。また、浸炭異常層の最大深さ位置から表面までの断面における浸炭異常層の占める面積率は、70%以上とする。
この浸炭異常層は、通常、深さにばらつきを持って形成される。そのため、本発明においては、浸炭異常層の厚みを最大深さによって定義すると共に、深さの凹凸の度合いを浸炭異常層の占める面積率(占有面積率)によって定義した。
【0017】
浸炭異常層の最大深さが15μmを超える場合には、肌焼部品の強度を十分に向上させることができないおそれがある。
また、浸炭異常層の占有面積率が70%未満の場合には、浸炭異常層の深さのばらつきが大きくなり、亀裂等が発生し易くなるおそれがある。一方、浸炭異常層の占有面積率は、理想的には100%であることが好ましい。すなわち、占有面積率が高ければ高いほど、深さの凹凸が小さくなり、均一な層となる。そのため、肌焼部品の表面の強度を向上させることができる。
【0018】
次に、本発明の肌焼部品の素材としては、上記特定の組成からなる鉄鋼材料を用いる。
以下に、各化学成分範囲の限定理由を説明する。
【0019】
C:0.10〜0.30%
浸炭処理を行った肌焼部品に要求される強度を十分に満たすため、すなわち肌焼部品の内部硬さを十分に確保するためには、0.10%以上、好ましくは0.13%以上のCを含有する必要がある。しかし、0.30%を超えて含有させると、内部の靭性が劣化し、肌焼部品の強度を低下させ、さらには被削性の低下や冷間鍛造性を悪化させるため、上限を0.30%とした。好ましくは、0.27%以下とするのが良い。
【0020】
Si:0.50〜1.50%
浸炭処理時、浸炭層のSiは、浸炭雰囲気中の酸素と反応して酸化物を形成する。このため、被処理品の表層付近は焼入性が低下し、いわゆる浸炭異常層を形成する。すなわち、Siは、浸炭異常層の形成に重要な影響を及ぼす元素であるが、その一方でマルテンサイト組織の焼き戻し軟化抵抗性を高める元素でもある。
本発明においては、Moが有する浸炭異常層の抑制効果と併用することにより、浸炭異常層の形態(すなわち、浸炭異常層を存在させない、又は存在してもその最大深さが15μm以下であり、占有面積率が70%以上)を制御するため、また浸炭層の粒界強度を向上させるため、及び焼戻し軟化抵抗性を高めるために、Siを0.50%以上、好ましくは0.58%以上含有させる必要がある。しかし、1.50%を超えて含有させると、ガス浸炭性、冷間鍛造性、被削性、靭性を低下させるため、上限を1.50%とした。好ましくは、上限を1.20%以下とするのが良い。
【0021】
Mn:0.30〜1.00%
Mnは、焼入性向上に顕著な効果を有する元素であり、肌焼部品の内部硬さを十分に確保するためには、0.30%以上のMnを含有する必要がある。また、Mnも浸炭異常層を生成する元素であるため、その添加量は浸炭異常層の形態を左右するための最適な範囲内にする必要がある。多量に含有させると、浸炭異常層の深さが増大したり、残留オーステナイトが増加して、浸炭後の狙いとする組織が得られず、高い浸炭硬さが得られ難くなったりするため、上限を1.00%とした。
【0022】
P:0.035%以下
Pは、製造時に少量の混入が避けられない不純物であるが、粒界強度を低下させ、疲労特性を悪化させる原因となる元素であるので、その上限を0.035%とした。
【0023】
S:0.035%以下
Sは、Pと同様に、製造時に少量の混入が避けられない不純物であり、例えばMnS等のような硫化物系介在物となって存在している。しかし、この介在物は、疲労破壊の起点となるので、極力低減することが好ましく、上限を0.035%とした。
【0024】
Cr:0.15〜1.25%以下
Crは、焼入性を向上させる元素であり、浸炭焼入れ後、十分な内部硬さを得るためには、0.15%以上含有させる必要がある。また、Crも浸炭異常層を生成する元素であるため、その添加量は浸炭異常層の形態を左右するための最適な範囲内にする必要がある。多量に含有させると、浸炭異常層の深さが増大したり、残留オーステナイトが増加して、浸炭後の狙いとする組織が得られず、高い浸炭硬さが得られ難くなったりするため、上限を1.25%とした。
【0025】
Mo:0.30〜0.80%
Moは、焼入性及び靭性を向上させると共に、浸炭異常層を抑制する効果があり、Siが有する浸炭異常層の生成効果と併用することにより、浸炭異常層の形態(すなわち、浸炭異常層を存在させない、又は存在してもその最大深さが15μm以下であり、占有面積率が70%以上)を制御することができる。また、Cr添加量の上限の規制とMoの適量の添加によって高Si鋼の浸炭性を改善する効果があり、この効果を十分に得るため、また浸炭層の粒界強度を向上させるために、下限を0.30%とした。しかしながら、多量に添加すると、所望の形態からなる浸炭異常層が得られないだけでなく、コストを上昇させ、さらには冷間鍛造性、被削性を悪化させるため、0.80%を上限とした。
【0026】
Al:0.020〜0.150%
Alは、鋼中のNと化合し、AlNとして浸炭焼入後の結晶粒を微細化し、靭性を向上させる効果を有する。この効果を得るためには、0.020%以上のAlを含有させる必要がある。しかし、0.150%を超えて含有させると、鋼中において過度のAl23が生成され、これを起点として強度が低下するため、上限を0.150%とした。
【0027】
N:0.0030〜0.0200%
Nは、上述のとおり、Alと化合し、AlNとして結晶粒を微細化させる。このような効果を得るためには、0.030%以上のNを含有する必要がある。一方、0.0200%を超えて含有させても、上記の効果が飽和すると共に、製鋼時にNがガス化し、鋼の製造を困難にするおそれがあるため、上限を0.0200%とした。
【0028】
B:0.0005〜0.0050%
Bは、焼入性向上に効果のある元素であり、本発明でもそのために少量添加するものである。但し、焼入性の向上のみであれば、MnやCrの増量でも効果が得られるが、Bは粒界強度の向上という効果があり、この効果によって静的強度から低サイクル領域の疲労強度までを改善する効果がある。従って、本発明の目的達成のためには、0.0005%以上含有させる必要がある。しかし、Bはきわめて少量の含有で効果を得られる元素であり、多量に含有させてもその効果が飽和し、また粗大な化合物を形成して疲労強度低下の原因となるため、上限を0.0050%とした。
【0029】
Ti:0.005〜0.200%
BはNと非常に結合しやすい元素であり、不純物として含有するNと結合し、BNとなって存在した場合には、Bの焼入性向上効果、粒界強化効果が得られなくなる。そこで、Tiを添加し、TiNを形成して、BNの生成を防止する必要がある。また、TiNが形成されれば、結晶粒を微細化させるという効果が得られる。これらの効果を得るためには、最低でもTiを0.005%以上含有させる必要がある。しかし、Tiを多量に添加すると粗大なTiNが生成しやすくなり、疲労強度低下の原因となるため、上限を0.200%とした。
【0030】
次に、上記鉄鋼材料の化学成分を規定する関係式について説明する。
本発明において、上記鉄鋼材料の化学成分は、Si(%)+Mo(%)+30B(%)≧1.10を満たす。すなわち、Si、Mo及びBの各成分を上述した範囲内に添加することを前提に、上記関係式を満足する範囲に調整することにより、浸炭処理後の浸炭層の粒界強度を向上させることが可能となる。
上記関係式において、その値が1.10未満の場合には、浸炭層の粒界強度を十分に確保することができないおそれがある。そのため、静的〜105回の低サイクル及び中サイクル領域における強度を十分に向上させることができないおそれがある。
【0031】
また、上記鉄鋼材料は、質量%で、さらにNb:0.20%以下を含有することが好ましい(請求項2)。
この場合には、上記肌焼部品の強度をさらに向上させることができる。
以下に、その成分範囲の限定理由を説明する。
【0032】
Nb:0.20%以下
Nbは、浸炭後の結晶粒を微細化するなど、靭性を向上させると共に、疲労強度を向上させる。しかし、多量に添加しても、これらの効果が飽和するだけでなく、粗大な析出物を形成し、強度を低下させるため、上限を0.20%とした。なお、上記効果を十分に発揮させるため、最低でも0.01%以上含有させることが好ましい。
【実施例】
【0033】
本発明の実施例にかかる肌焼部品について説明する。
本例では、表1に示すごとく、14種類の鉄鋼材料(鋼a〜n)を用意し、表2に示すごとく、本発明の実施例としての肌焼部品(歯車)(実施例A1〜A8)を作製し、強度試験を行って評価した。また、比較例としての肌焼部品(比較例B1〜B8)、従来例としての肌焼部品(従来例C1)も作製し、同様の強度試験・評価を行った。
【0034】
本例の肌焼部品(実施例A1〜A8)は、質量%で、C:0.10〜0.30%、Si:0.50〜1.50%、Mn:0.30〜1.00%、P:0.035%以下、S:0.035%以下、Cr:0.15〜1.25%以下、Mo:0.30〜0.80%、Al:0.020〜0.150%、N:0.0030〜0.0200%、B:0.0005〜0.0050%、Ti:0.005〜0.200%を含有し(これを条件1とする)、かつ、Si(%)+Mo(%)+30B(%)≧1.10を満たし(これを条件2とする)、かつ、残部がFe及び不可避的不純物からなる鉄鋼材料(鋼a〜g)に対して、浸炭処理を施すことによって形成されたものである。
【0035】
また、本例の肌焼部品1(実施例A1〜A8)は、図1に示すごとく、浸炭処理によって形成された浸炭層11の表面に浸炭異常層12が存在しない、又は浸炭異常層12が存在すると共に浸炭異常層12の最大深さdが15μm以下であって最大深さ位置Dから表面100までの断面における浸炭異常層12の占める面積率(占有面積率)が70%以上である(これを条件3とする)。
【0036】
なお、図1は、浸炭異常層12が存在する例を示したものである。具体的には、母相10の上に浸炭層11が形成され、さらにその上に浸炭異常層12が形成されている。
浸炭異常層12の深さは、最大深さdを表し、表面100から最大深さ位置Dまでの距離である。また、占有面積率は、表面100から最大深さ位置Dまでの面積に対して浸炭異常層12が占める面積の割合である。
【0037】
以下、この発明の具体的な実施例を比較例及び従来例と共に説明する。
まず、表1に示す組成を有する14種類の鉄鋼材料(鋼a〜n)を用意した。そして、これらの鉄鋼材料を切削加工することにより、モジュール2、圧力角18°、ねじれ角27°の仕様からなる歯車に成形し、この歯車を浸炭処理することにより、表2に示す17種類の肌焼部品(実施例A1〜A8、比較例B1〜B8、従来例C1)を作製した。
【0038】
本例では、浸炭処理としては、ガス浸炭法又は真空浸炭法を用いた。
浸炭処理の条件は、浸炭条件:950℃×3時間、浸炭後の焼戻し条件:150℃×1時間を基本条件とし、鋼種ごとに温度、時間、CP(カーボンポテンシャル)等の条件を調整した。
【0039】
例えば、浸炭異常層は、鉄鋼材料の化学成分(特にSi、Cr、Mo)の添加量に応じ、浸炭条件を調整することによって得られる。浸炭異常層の生成を抑制し、占有面積率を70%以上とするには、浸炭温度を低く、処理時間を短くし、さらにCPを適切に調整する必要がある。すなわち、単純に浸炭温度を低くするだけでは、処理時間を短くすることが困難であるため、CPを高めに調整することも含めて諸条件を調整することにより、浸炭異常層の最大深さ、占有面積率が所望の範囲となるように調整することが可能となる。
【0040】
また、焼入れ時において、酸化した粒界の近傍にのみ浸炭異常層が発生すると、浸炭異常層の占有面積率が低下する。これを抑制するためには、焼入油温、撹拌速度の調整等により、部品に必要な硬度を確保できる範囲で焼入温度を低めに調整することが好ましい。また、表面硬度は、実施例(本発明)、比較例及び従来例について公平な評価結果となるようにするため、すべてHV800程度、硬化深さ(HRC50以上となる深さ)が0.7mm程度となるように調整した。
【0041】
【表1】

【0042】
【表2】

【0043】
次に、表2に示すごとく、作製した肌焼部品(実施例A1〜A8、比較例B1〜B8、従来例C1)について説明する。
実施例A1〜A8は、条件1(化学成分範囲)及び条件2(関係式)を満たす鉄鋼材料(鋼a〜g)に対して浸炭処理を施すことによって形成したものである。また、浸炭処理後においては、条件3(浸炭異常層の形態)を満たしている。
【0044】
なお、実施例A2は、浸炭処理として真空浸炭法を用いており、浸炭処理後において、浸炭層の表面に浸炭異常層が存在していない。それ以外の実施例A1、A3〜A8は、浸炭処理としてガス浸炭法を用いており、浸炭処理後において、浸炭層の表面に浸炭異常層が存在している。
【0045】
また、比較例B1、B2は、条件1(化学成分範囲)及び条件2(関係式)を満たす鉄鋼材料(鋼a、f)に対して浸炭処理を施すことによって形成したものである。ただし、浸炭処理後においては、条件3(浸炭異常層の形態)を満たしていない。
【0046】
また、比較例B3〜B5は、条件1(化学成分範囲(Si、Mo、B成分))を満たさず、条件2(関係式)を満たす鉄鋼材料(鋼h〜j)に対して浸炭処理を施すことによって形成したものである。浸炭処理後においては、条件3(浸炭異常層の形態)を満たしている。
【0047】
また、比較例B6、B7は、条件1(化学成分範囲)を満たし、条件2(関係式)を満たさない鉄鋼材料(鋼k、l)に対して浸炭処理を施すことによって形成したものである。浸炭処理後においては、条件3(浸炭異常層の形態)を満たしている。
【0048】
また、比較例B8は、条件1(化学成分範囲(Si、Mo成分))及び条件2(関係式)のいずれも満たさない鉄鋼材料(鋼m)に対して浸炭処理を施すことによって形成したものである。浸炭処理後においては、条件3(浸炭異常層の形態)を満たしている。
【0049】
また、従来例C1は、条件1(化学成分範囲)及び条件2(関係式)のいずれも満たさない、浸炭用の鉄鋼材料として用いられているSCM420(鋼n)に対して浸炭処理を施すことによって形成したものである。また、浸炭処理後においても、条件3(浸炭異常層の形態)を満たしていない。
【0050】
なお、比較例B1〜B8、従来例C1は、浸炭処理としてガス浸炭法を用いており、浸炭処理後において、浸炭層の表面に浸炭異常層が存在している。
【0051】
次に、表2に示す17種類の肌焼部品(実施例A1〜A8、比較例B1〜B8、従来例C1)について、強度試験を行った。
具体的には、モジュール2、圧力角18°、ねじれ角27°の仕様からなる歯車(肌焼部品)を一対準備し、動力循環式歯車試験機において、回転数:2000rpm、油温:80℃の条件で所望の回数まで繰り返し回転させた。その後、各歯車について歯元曲げ強度を測定し、これを疲労強度として評価した。また、回転前の状態の歯元曲げ強度も測定し、これを静的強度として評価した。
【0052】
なお、本例では、従来例C1に対して、静的〜104回の低サイクル及び中サイクル領域では20%以上の強度向上、耐久限度(107回)では10%以上の強度向上を図ることを目標とした。
【0053】
上記の結果を表2に示す。
表2に示す結果からわかるように、本発明の実施例A1〜A8は、静的〜104回の低サイクル及び中サイクル領域における静的強度及び疲労強度が、従来例C1に比べて20%以上向上している。また、107回の高サイクル領域における疲労強度も、従来例C1に比べて10%以上向上している。
その一例として、実施例A6と従来例C1とを比較したものを図2に示す。同図からもわかるように、本発明である実施例A6は、従来例C1に比べて、静的から高サイクルまでの全領域において、強度が向上している。
【0054】
次に、本発明の肌焼部品(実施例A1〜A8)における作用効果について、比較例としての肌焼部品(比較例B1〜B8)と比較して説明する。
本発明の実施例である肌焼部品(実施例A1〜A8)は、素材となる鉄鋼材料における各元素の含有量が上記特定の範囲であり、さらにSi、Mo及びBの成分がSi(%)+Mo(%)+30B(%)≧1.10の関係式を満たすように、すなわち上記条件1及び条件2を満たすように、各元素、特にSi、Mo及びB成分の含有量を適正化することにより、浸炭処理後の浸炭層の粒界強度を向上させることができる。
また、浸炭異常層を存在させないように、又は浸炭異常層を存在させてその最大深さ及び占有面積率が上記特定の範囲となるように、すなわち上記条件3を満たすように、浸炭層における浸炭異常層を制御・適正化することにより、疲労亀裂の発生を抑制することができる。
【0055】
そして、静的〜103回の低サイクル領域においては、Si、Mo及びB成分の適正化(条件1及び条件2)による浸炭層の粒界強度向上効果が寄与することにより、静的強度及び疲労強度の向上を図ることができる。
また、105回〜107回の高サイクル領域においては、浸炭異常層の制御・適正化(条件3)による疲労亀裂抑制効果が寄与することにより、疲労強度の向上を図ることができる。
【0056】
そして、従来の技術では疲労強度の向上が困難であった104回周辺(103回〜105回)の中サイクル領域においては、Si、Mo及びB成分の適正化による浸炭層の粒界強度向上効果と浸炭異常層の制御・適正化による疲労亀裂抑制効果とが相まって、その複合効果により、疲労強度の向上を図ることができる。
【0057】
よって、本発明の実施例である肌焼部品(実施例A1〜A8)は、上記条件1〜3をすべて満たすことにより、静的から高サイクルまでの全領域において、効果的に強度向上を図ることができる。
【0058】
一方、表2に示す結果からわかるように、本発明の上記条件1〜3の少なくともいずれかを満たしていない比較例としての肌焼部品(比較例B1〜B8)は、静的から高サイクルまでの全領域において、強度を十分に向上させることができない。
【0059】
例えば、比較例B1、B2は、条件3(浸炭異常層の形態)を満たしていないことにより、浸炭異常層の制御・適正化による疲労亀裂抑制効果が十分に得られず、107回の高サイクル領域における疲労強度を十分に向上させることができない。
また、比較例B3〜B8は、条件1(化学成分範囲)及び条件2(関係式)の少なくとも一方を満たしていないことにより、Si、Mo及びB成分の適正化による浸炭層の粒界強度向上効果が十分に得られず、静的・102回の低サイクル領域における静的強度及び疲労強度を十分に向上させることができない。
【0060】
さらに、比較例B1〜B8は、条件1(化学成分範囲)、条件2(関係式)及び条件3(浸炭異常層の形態)のいずれかを満たしていないことにより、Si、Mo及びB成分の含有量の適正化による浸炭層の粒界強度向上効果、及び浸炭異常層の制御・適正化による疲労亀裂抑制効果の両方の効果を十分に得ることができず、104回の中サイクル領域における疲労強度を十分に向上させることができない。
【0061】
次に、本発明の最も特徴的な効果である104回周辺の中サイクル領域における疲労強度を向上させる効果について評価する。
まず、上記と同様に、動力循環式歯車試験機を用いて、回転数:2000rpm、油温:80℃の条件で104回繰り返し回転させた肌焼部品(実施例A1〜A8、比較例B1〜B8、従来例C1)について、粒界破面率を測定した。粒界破面率は、破壊起点部について走査型電子顕微鏡を用いて観察し、粒界破壊部を画像解析処理することにより測定した。
【0062】
そして、上記表2の結果と上記粒界破面率の測定結果とから、図3、図4を作成した。
図3は、条件2の関係式の値と104回における破壊面の粒界破面率(%)との関係を示したものである。
図4は、104回における破壊面の粒界破面率(%)と104回の疲労強度(MPa)との関係を示したものである。
【0063】
図3から、条件2の関係式の値が大きいほど、粒界破面率が小さくなる(粒界強度が高くなる)傾向がわかる。
例えば、条件2の関係式の値(1.10以上)を満たし、さらに条件1(化学成分範囲(特に、Si、Mo、B成分))を満たす実施例A1〜A8(図中の○印)、比較例B1、B2(図中の+印)は、上記の効果が顕著に表れている。そして、本発明の実施例A1〜A8はすべて粒界破面率が50%以下となっている。
一方、条件1又は条件2のいずれか又は両方満たさない比較例B3〜B5(図中の△印)、比較例B6〜B8及び従来例C1(図中の×印)は、粒界破面率が高くなっている。
【0064】
また、図4から、粒界破面率が小さいほど(粒界強度が高いほど)、強度が高くなる傾向がわかる。すなわち、粒界破面率が小さいほど、粒界強度が上昇し、104回の疲労強度が向上することを示している。
例えば、条件1及び条件2を満たし、さらに条件3を満たす実施例A1〜A8(図中の○印)は、強度が非常に高くなっている。
一方、条件1及び条件2を満たすが、条件3を満たさない実施例B1、B2(図中の+印)は、実施例A1〜A8に比べて強度が低くなっている。もちろん、それ以外の比較例B3〜B5(図中の△印)、比較例B6〜B8、従来例C1(図中の×印)も、強度が低くなっている。
【0065】
このことから、本発明の実施例A1〜A8は、Si、Mo及びB成分の含有量の適正化による浸炭層の粒界強度向上効果だけでなく、浸炭異常層の制御・適正化による疲労亀裂抑制効果と相まって、その複合効果により、初めて104回周辺の中サイクル領域の強度を向上させることができるということがわかった。
【0066】
以上により、本発明の実施例A1〜A8の肌焼部品は、静的強度から高サイクル疲労強度までの全領域における強度向上を図ることができることが確認された。
そして、本発明は、従来明確になっていなかった全領域で強度向上を図ることができる条件を明確にした点で、その効果は極めて大きく、産業の発展に大きく貢献できるものである。
【図面の簡単な説明】
【0067】
【図1】実施例における、肌焼部品の表面状態を示す説明図。
【図2】実施例における、繰り返し数と曲げ応力との関係を示す説明図。
【図3】実施例における、関係式の値と粒界破面率との関係を示す説明図。
【図4】実施例における、粒界破面率と強度との関係を示す説明図。
【符号の説明】
【0068】
1 肌焼部品
10 母相
100 表面
11 浸炭層
12 浸炭異常層
d 最大深さ
D 最大深さ位置

【特許請求の範囲】
【請求項1】
質量%で、C:0.10〜0.30%、Si:0.50〜1.50%、Mn:0.30〜1.00%、P:0.035%以下、S:0.035%以下、Cr:0.15〜1.25%以下、Mo:0.30〜0.80%、Al:0.020〜0.150%、N:0.0030〜0.0200%、B:0.0005〜0.0050%、Ti:0.005〜0.200%を含有し、かつ、Si(%)+Mo(%)+30B(%)≧1.10を満たし、かつ、残部がFe及び不可避的不純物からなる鉄鋼材料に対して、浸炭処理を施すことによって形成されてなり、
該浸炭処理によって形成された浸炭層の表面に浸炭異常層が存在しない、又は浸炭異常層が存在すると共に該浸炭異常層の最大深さが15μm以下であって、その最大深さ位置から表面までの断面における上記浸炭異常層の占める面積率が70%以上であることを特徴とする、静的強度から高サイクル疲労強度までの全領域の強度に優れた肌焼部品。
【請求項2】
請求項1において、上記鉄鋼材料は、質量%で、さらに、Nb:0.20%以下を含有することを特徴とする、静的強度から高サイクル疲労強度までの全領域の強度に優れた肌焼部品。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【公開番号】特開2010−150592(P2010−150592A)
【公開日】平成22年7月8日(2010.7.8)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−329190(P2008−329190)
【出願日】平成20年12月25日(2008.12.25)
【出願人】(000116655)愛知製鋼株式会社 (141)
【Fターム(参考)】