説明

D−乳酸製造法

【課題】 不純物有機酸として従来より微生物によりD−乳酸を生成蓄積させた培地中からの除去が容易ではなかったピルビン酸の蓄積量を低減化させたD-乳酸生産法を提供すること、更には、光学純度の高いD−乳酸を効率的に生産するD−乳酸の生産方法を提供すること。
【解決手段】 D−乳酸デヒドロゲナーゼをコードする遺伝子(但し、大腸菌(Escherichia coli)由来のD−乳酸デヒドロゲナーゼをコードする遺伝子は除く)を導入した大腸菌であって、通気条件下で培養するとD−乳酸を生産する大腸菌を培養して乳酸を製造する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は大腸菌を培養して、培地にD−乳酸を生成蓄積させることを特徴とするD−乳酸の製造法に関し、詳しくは純度が高い、特にピルビン酸の生成蓄積量が少ないD−乳酸の効率的な製造法に関わる。更に詳しくは本発明はD−乳酸デヒドロゲナーゼ(以下、ldhと略することがある)をコードする遺伝子(但し、大腸菌由来のD−乳酸デヒドロゲナーゼ(以下、ldhAと略することがある)をコードする遺伝子は除く。)を挿入した大腸菌であって、通気条件下で培養するとD−乳酸を生産することを特徴とする大腸菌、及び該大腸菌を培養することによりD−乳酸を製造する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
生分解性ポリマーであるポリ乳酸は、CO2問題・エネルギー問題の顕在化とともにサスティナビリティー(持続可能性)、LCA(ライフサイクルアセスメント)対応型製品として強い注目を浴びており、その原料である乳酸には効率的で安価な製造法が求められている。
【0003】
ちなみに現在生産されているポリ乳酸はL−乳酸ポリマーであるが、乳酸にはL−乳酸(以下、L体と略することがある)とD−乳酸(以下、D体と略することがある)の2種類の光学異性体があり、D体についてもポリマー原料や農薬、医薬の中間体として近年注目が集まりつつある。但しいずれの用途においても、原料たるL体、D体には高い純度要求されるのが事実である。
【0004】
自然界には乳酸菌などの乳酸を効率良く生産する細菌が存在し、それらを用いた乳酸製造法の中には既に実用化されているものもある。例えば、L体を効率良く生産させる細菌としてLactbacillus delbrueckiiなどがあり、D体を効率良く生産させる細菌としてSporolactobacillus属の微生物などが知られている。いずれの場合も嫌気培養で乳酸の蓄積量は高いレベルに達しているが、培養液中に含まれる乳酸以外の副生物、例えば酢酸、エタノール、アセトイン、ピルビン酸といった化合物が精製過程で除けずに、最終産物である乳酸の品質低下につながることがある。
【0005】
そのような乳酸の純度低下を回避するには、細菌によって生産される副生物の量を低減化させることが最も効果的である。近年発展してきた遺伝子組換え技術を利用して微生物の特定遺伝子を破壊すれば、狙った副生物の生産を特異的に阻害することが可能となってきた。ただ現状的には、遺伝子破壊法がどのような細菌にでも容易に適応できる訳ではなく、乳酸菌など元来乳酸を高生産できる細菌での適応は困難である。なぜなら乳酸菌はゲノム情報が必ずしも十分とは言えず、遺伝子組換えの宿主としても汎用されていないからである。
【0006】
それに対しゲノム情報が豊富で、遺伝子組換え宿主としての実績が十分にある細菌として大腸菌が挙げられる。
【0007】
ゾウら〔Zhou,S., Appl Environ Microbiol (2003) 69 399-407〕の報告によれば、ピルベートホルメートリアーゼ(pflB)、フマル酸レダクターゼ(frdABCD)(以下frdと略すことがある)、アルコール/アルデヒドデヒドロゲナーゼ(以下adhEと略すことがある)、およびアセテートキナーゼ(以下ackAと略すことがある)の4重破壊大腸菌を5%のグルコースを含む無機塩培地で嫌気条件下にて168時間培養することによって、48.5g/LのD体が生産され、培地中のコハク酸、蟻酸、酢酸、エタノールといった副生物量が顕著に低減化されている。しかしながら、ピルビン酸については言及がなく、ピルビン酸生産能の低減化効果については不明である。ピルビン酸はD体の代謝反応前駆体であるため、例えばホスホエノールピルビン酸からピルビン酸への反応を触媒する酵素を破壊すると、ピルビン酸蓄積量は低下するであろうが同時にD体蓄積量も低下するといった好ましからざる結果を招くことが予想される。一般にピルビン酸が乳酸モノマー原料に不純物として含まれた場合には、ポリマー重合率が低下する等の好ましからざる問題が生じることは当業者には良く知られた事実であり、その意味からもピルビン酸はぜひとも低減化すべき副生物の一つである。にも拘わらずD体蓄積量を低下させることなく、ピルビン酸蓄積量を低下させることに成功したという報告は過去になされていない。
【0008】
コンタグら〔Contag, PR., Appl Environ Microbiol (1990) 56 3760-3765〕はクロストリジウム・アセトブチリカム由来のD−乳酸デヒドロゲナーゼの遺伝子をクローニングするため、嫌気条件下では増殖できないFMJ39という大腸菌株を宿主とした発現実験を行っている。FMJ39にクロストリジウム・アセトブチリカム由来ldh遺伝子を導入して発現させた株は、嫌気条件下でも増殖できるようになるため、この性質を利用してldh遺伝子をクローニングしている訳である。彼らはこの実験で、クロストリジウム・アセトブチリカム由来のldh遺伝子断片が組み込まれた2種類の発現プラスミドpPC37とpPC58を、それぞれFMJ39に導入した株の乳酸生産濃度とldh活性を開示している。その結果はldh活性はFMJ39(pPC37)がFMJ39(pPC58)よりも高いにもかかわらず、乳酸生産量はFMJ39(pPC37)の方が低くなっていた。すなわち 、コンタグらはクロストリジウム・アセトブチリカム由来のldh遺伝子を大腸菌で発現させてはいるものの、そのことにより乳酸の生産性が向上したことを示してはおらず、またそのことには全く言及もしていない。また、副生物であるピルビン酸についても全く言及していない。
【0009】
またコンタグらとは別の細菌由来ldhを大腸菌に過剰発現させた例としては、Lactobacillus helveticus由来ldhの発現例としてはコッカーら〔Kochhar,S., Eur. J. Biochem., (1992) 208, 799-805〕やLactobacillus bulgaricus由来ldhの発現例としてコッカーら〔Kochhar,S., Biochem. Biophys. Res. Commun., (1992) 185, 705-712〕が挙げられるが、いずれの例も発現させた酵素の物理化学的性質を調べたものであって、D体やピルビン酸の蓄積量についての言及は皆無である。
【0010】
つまるところ、過去において大腸菌以外の乳酸デヒドロゲナーゼを大腸菌に過剰発現させた例はあるものの、乳酸の生産時に通気条件下で発現させ、乳酸の高生産と同時にピルビン酸蓄積量を有意に低下させることに成功したものは無かった。
【0011】
トランスポゾンを用いたピルベートデヒドロゲナーゼ(以下pdhと略することがある)の変異及び/または変異剤を用いたピルベートホルメートリアーゼに関する変異を有する変異株については1983年にチャンら〔Chang,YY., J. Bacteriol., (1983) 154,756-762〕により取得されており、公知である。またこれらの株を利用したD体の生産例は報告されていない。
【0012】
大腸菌を用いて乳酸発酵させる場合、一般には酸素の存在は好ましくないと考えられている。なぜなら酸素のような電子受容体が存在すると、大腸菌は発酵ではなく呼吸を行うからである。酸素のような電子受容体が無い場合に限り、大腸菌は基質レベルのリン酸化のみによりエネルギー(ATP)を得、解糖系で得られた還元力(NADH)を用いて乳酸などの還元性有機酸を生産する。そのような理由から、従来の大腸菌によるD体発酵は殆ど嫌気培養で行われている。まれに培養の前半を通気し、後半を嫌気培養するという二相培養が行われる場合もあるが、これは前半の通気培養によって十分な菌体量を確保するのが目的であり、最終的な乳酸発酵はやはり嫌気で行っている訳である。しかし実際の工業生産を想定した場合、培地に添加する安価なアミノ酸源であるコーンスティープリカー(以下CSLと略すことがある)等の中には不純物となる有機酸だけでなく、D体、L体両方の乳酸が含まれるが、嫌気培養だとL体が資化されず、培地中に残存したままとなる。L体からピルビン酸を生成する反応の触媒酵素であるL-乳酸デヒドロゲナーゼは通気条件下で発現することが知られているので、もし通気条件下でも効率良くD−乳酸発酵させる方法があれば、その方法を用いることで培地中に含まれるL体を菌体に資化させ、光学的にも高い純度のD体を生産させることが可能となるものと期待されるが、これまでそれを実現する技術は存在しなかった。
【非特許文献1】ゾウら、アプライド アンド エンバイロンメンタル マイクロバイオロジー、アメリカ合衆国、(2003) 69 399−407〔Zhou,S., Appl Environ Microbiol, United States (2003) 69 399-407〕
【非特許文献2】コンタグら、アプライド アンド エンバイロンメンタル マイクロバイオロジー、アメリカ合衆国、(1990) 56 3760−3765〔Contag, PR., Appl Environ Microbiol, United States (1990) 56 3760-3765〕
【非特許文献3】コッカーら、ヨーロピアン ジャーナル オブ バイオケミストリー、ドイツ (1992) 208, 799−805〔Kochhar,S., Eur. J. Biochem., Germany (1992) 208, 799-805〕
【非特許文献4】コッカーら、バイオケミカル アンド バイオフィジカル リサーチ コミュニケーションズ、アメリカ合衆国 (1992) 185, 705−712〔Kochhar,S., Biochem. Biophys. Res. Commun., (1992) 185, 705-712〕
【非特許文献5】チャンら、ジャーナル オブ バイオテクノロジー、アメリカ合衆国、(1983) 154 756−762〔Chang,YY., J. Bacteriol. (1983) 154 756-762〕
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0013】
本発明の第1の目的は、不純物有機酸として従来より微生物によりD−乳酸を生成蓄積させた培地中からの除去が容易ではなかったピルビン酸の蓄積量を低減化させたD-乳酸生産法を提供することにある。そして本発明の第2の目的は光学純度の高いD−乳酸を効率的に生産するD−乳酸の生産方法を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0014】
発明者らは、これら上記の課題を解決すべく鋭意検討を行った結果、D−乳酸デヒドロゲナーゼ遺伝子(但し、大腸菌由来のものは除く)を導入した大腸菌であって、グルコースが存在する培地で通気培養下でも野生型よりD−乳酸デヒドロゲナーゼ遺伝子が有意に多く発現する様に工夫された大腸菌、さらに好ましくは上記に加えてピルベートホルメートリアーゼ(pfl)、または/及びピルベートデヒドロゲナーゼ(pdh)の活性が低下若しくは消失した大腸菌を培地で培養してD−乳酸を生成蓄積すると、D−乳酸の生成に同伴して培地中に生成蓄積する不純物であるピルビン酸の濃度が顕著に低下し、従来より短時間に高濃度にD−乳酸を生産し、培地中に光学異性体のL−乳酸が含まれていても光学純度99.9%ee以上のD−乳酸を生産することを見出だし本発明に到達した。
【0015】
すなわち本発明は以下のとおりである。
[1] D−乳酸デヒドロゲナーゼをコードする遺伝子(但し、大腸菌(Escherichia coli)由来のD−乳酸デヒドロゲナーゼをコードする遺伝子は除く)を導入した大腸菌であって、通気条件下で培養するとD−乳酸を生産することを特徴とする大腸菌。
[2] (嫌気性条件下で培養した場合に)ピルビン酸を(培地中に)蓄積する性質を有する大腸菌にD−乳酸デヒドロゲナーゼをコードする遺伝子(但し、大腸菌(Escherichia coli)由来のものは除く)を導入して得られることを特徴とする[1]に記載の大腸菌。
[3] リポ酸要求性を有することを特徴とした[1]又は[2]に記載の大腸菌。
[4] ピルベートホルメートリアーゼの機能を欠失したことを特徴とする[1]〜[3]のいずれか一項に記載の大腸菌。
[5] D−乳酸デヒドロゲナーゼをコードする遺伝子が解糖系、核酸生合成系又はアミノ酸生合成系に関わる蛋白質の発現を司る遺伝子のプロモーターと連結されていることを特徴とする[1]〜[4]のいずれか一項に記載の大腸菌。
[6] D−乳酸デヒドロゲナーゼをコードする遺伝子が乳酸菌由来であることを特徴とする[1]〜[5]のいずれか一項に記載の大腸菌。
[7] D−乳酸デヒドロゲナーゼをコードする遺伝子がラクトバチルス・プランタラム(Lactobacillus plantarum)、および/またはペディオコッカス・アシディラクティシ(Pediococcus acidilactici)、由来であることを特徴とする請求項[1]〜[5]のいずれかに記載の大腸菌。
[8] [1]〜[7]のいずれか一項に記載の大腸菌を、培地を用いて通気条件下で培養し、該培地中にD−乳酸を生成蓄積せしめることを特徴とするD−乳酸製造法。
[9] 培養の際の培地のpHを4〜8とすることを特徴とする[8]に記載のD−乳酸製造法。
[10] 培養の際の培地のpHを6〜7とすることを特徴とする[9]に記載のD−乳酸製造法。
[11] 培養を培養槽を用いて行い、その際の通気条件が酸素移動容量係数kLaが1h-1以上400h-1以下となるような運転条件で温度30℃の水に空気を常圧下の培養槽に供給したときに達成し得る酸素供給量と同等の条件であることを特徴とする[8]〜[10]の何れか一項に記載のD−乳酸製造方法。
【発明の効果】
【0016】
本発明により、ピルビン酸の生成量が少ないD−乳酸を生成する大腸菌が提供される。そして、本発明により作成された菌体を培養し、D−乳酸を生産することにより既存の方法に比較してより経済的に化学的純度及び光学純度の高いD−乳酸を生産することが可能となる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0017】
以下、本発明を詳細に説明する。まずはじめに本発明の大腸菌に関して以下に説明する。
【0018】
本発明におけるD−乳酸デヒドロゲナーゼをコードする遺伝子(ldh)とは、ピルビン酸およびNADHより乳酸およびNADを生成する酵素をコードする大腸菌由来以外の遺伝子であり、大腸菌に由来するもの以外の遺伝子であればその由来に特に制限はない。そのようなものとして具体的にはタグチ ら〔Taguchi, H.,J Biol Chem 5;266(19):12588-94(1991)〕が取得したラクトバチルス・プランタラム(Lactobacillus plantarum)、および/またはジャミンら〔Garmyn D., J Bacteriol 177(12):3427-37(1995)〕が取得したペディオコッカス・アシディラクティシ(Pediococcus acidilactici)、その他乳酸菌由来のD−乳酸デヒドロゲナーゼ遺伝子を例示することができる。
【0019】
また、また、このような遺伝子組み換えに用いるD−乳酸デヒドロゲナーゼをコードする遺伝子には、D−乳酸デヒドロゲナーゼをコードする遺伝子を大腸菌以外の菌株から単離した後に変異を施し、変異前の遺伝子がコードするD−乳酸デヒドロゲナーゼに対して1個若しくは数個のアミノ酸が欠失、置換、付加若しくは挿入された変異体で、D−乳酸デヒドロゲナーゼ活性を有するものをコードする遺伝子のようなものも含む。該変異体は、たとえば、1個もしくは数個の塩基の付加、欠失もしくは他の塩基への置換を行うことにより作ることができる。1個もしくは数個の塩基の付加、欠失もしくは他の塩基への置換の手段は自体は公知であり、例えば、ランダム変異導入法、部位特異的変異導入法、遺伝子相同組換え法、またはポリメラーゼ連鎖増幅法(PCR)を単独または適宜組み合わせて行うことができる。例えば亜硫酸水素ナトリウムを用いた化学的な処理によりシトシン塩基をウラシル塩基に置換する方法や、マンガンを含む反応液中でPCRを行い、DNA合成時のヌクレオチドの取り込みの正確性を低くする方法、部位特異的変異導入のための市販されている各種キットを用いることもできる。例えばサムブルック等編[モレキュラークローニング、ア ラボラトリーマニュアル 第2版]コールドスプリングハーバーラボラトリー、1989、村松正實編[ラボマニュアル遺伝子工学]丸善株式会社、1988、エールリッヒ、HE.編[PCRテクノロジー、DNA増幅の原理と応用]ストックトンプレス、1989等の成書に記載の方法に準じて、あるいはそれらの方法を改変して実施することができる。
【0020】
本発明の大腸菌は、ヘテロ乳酸醗酵により乳酸を生産し得る大腸菌に、上記のD−乳酸デヒドロゲナーゼをコードする遺伝子を導入して得ることができる大腸菌であり、通気条件下で培養するとD−乳酸を生産することを特徴とする。ここにおいて、D−乳酸デヒドロゲナーゼをコードする遺伝子(但し、大腸菌(Escherichia coli)由来のものは除く)を導入したとは、大腸菌の染色体上および/または自己複製するベクター上にD−乳酸デヒドロゲナーゼをコードする遺伝子が挿入され、大腸菌内に大腸菌由来以外のD−乳酸デヒドロゲナーゼをコードする遺伝子が発現可能に存在することを示す。
【0021】
また、通気条件下で培養するとD−乳酸を生産するとは、導入したD−乳酸デヒドロゲナーゼをコードする遺伝子が通気培養条件下で発現し、該遺伝子を導入する前と比較して大腸菌のD−乳酸生産時のD−乳酸の蓄積量が向上する能力を有することを示す。
【0022】
本発明の大腸菌は、D−乳酸の生産に伴って培地にピルビン酸を蓄積することがあるが、その場合には従来知られているような微生物を用いた乳酸生産において培地中に生成するピルビン酸の量に比べて遥かに少ない。
【0023】
本発明におけるピルビン酸を蓄積することを特徴とするとは、通気条件でグルコースを含む培地で培養を行った際、大腸菌野生株MG1655株(ATCC47076)もしくはW3110株(ATCC39936)と比較し有意に多くピルビン酸を蓄積する大腸菌を意味し、具体的には例えば大腸菌W1485lip2(ATCC25645)株、大腸菌MT−10934株、任意の大腸菌野生株のピルベートデヒドロゲナーゼをコードする遺伝子を破壊した菌株が例示できる。
【0024】
ピルベートデヒドロゲナーゼ(pdh)とはピルビン酸からアセチルCoAを生成する酵素を指す。ピルベートデヒドロゲナーゼは、その活性を発現するためにリポ酸を要求する。したがってリポ酸の生合成能力を失ったリポ酸要求性株は培地より供給されるリポ酸により、その活性をコントロールすることが可能である。本発明におけるリポ酸要求性とは、リポ酸を含まない培地では生育できないが、リポ酸を培地に加えることで生育が可能となることで、そのような大腸菌は、具体的にはW1485lip2株(ATCC25645)が例示できる。以上のような理由から、本発明の大腸菌は、リポ酸要求性を有することがある。
【0025】
本発明の大腸菌は、更にピルベートホルメートリアーゼの機能を欠失したものであってもよい。ピルベートホルメートリアーゼはピルビン酸からギ酸を生成する酵素を指す。なお、ピルベートホルメートリアーゼは、pflA遺伝子とpflB遺伝子の2つの遺伝子の産物により構成されている。両者を区別する必要がない場合は単にpflと記載し、pflB遺伝子のみを指す場合はpflBと記載する。
【0026】
本発明においてピルベートホルメートリアーゼの機能を欠失したとは、大腸菌野生株MG1655株もしくはW3110株と比較し有意にピルベートホルメートリアーゼ活性が低下した菌株であり、活性がまったく消失したものも含む。具体的には大腸菌MT−10934株および任意の大腸菌野生株のピルベートホルメートリアーゼ(pflB)をコードする遺伝子を破壊した菌株が例示できる。
【0027】
MT−10934はすでにピルベートデヒドロゲナーゼがトランスポゾンを用いた変異で完全破壊され、ピルベートホルメートリアーゼは変異剤によりその活性が低下しているため、これを用いて容易に本発明を実施することが可能である。本菌株は、FERM P−19092の寄託番号で、茨城県つくば市東1丁目1番1号中央第6の、独立行政法人産業技術総合研究所 特許生物寄託センターに平成14年11月8日より寄託されている。
【0028】
本発明の大腸菌は、D−乳酸デヒドロゲナーゼをコードする遺伝子が解糖系、核酸生合成系又はアミノ酸生合成系に関わる蛋白質の発現を司る遺伝子のプロモーターと連結されていることもできる。
【0029】
本発明における解糖系、核酸生合成系又はアミノ酸生合成系に関わる蛋白質の発現を司る遺伝子のプロモーターとは、恒常的に大腸菌内で機能する強力なプロモーターで且つグルコース存在下でも発現の抑制を受けにくいプロモーターで、具体的にはグリセルアルデヒド3リン酸デヒドロゲナーゼのプロモーター(GPA)やセリンヒドロキシメチルトランスフェラーゼ(glyA)プロモーターが例示できる。
【0030】
本発明における乳酸菌とは糖を発酵的に分解して生産される有機酸の50%以上が乳酸に変換される微生物で具体的にはラクトバチルス・プランタラム(Lactobacillus plantarum)、ペディオコッカス・アシディラクティシ(Pediococcus acidilactici)が例示できる。
【0031】
本発明の大腸菌は、50g/L以上のグルコース存在下で発現するように設計されており、50g/L以上のD−乳酸を生産するときに導入する前と比較して10%以上D−乳酸の蓄積量が向上し、同時に生産されるピルビン酸が有意に減少する能力を持つように設計され導入されていることが好ましい。具体的にはラクトバチルス・プランタラムの乳酸デヒドロゲナーゼを導入したMT−10934/pGLPldh株、ペディオコッカス・アシディラクティシの乳酸デヒドロゲナーゼを導入したMT−10934/pGPAldh株が例示できる。
【0032】
次に、本発明に係る大腸菌の培養方法並びにD−乳酸の製造法に関して説明する。
【0033】
本発明における乳酸生産のための培養とは、培地を用いて本発明に係る大腸菌を培養することである。その際、使用される培地としては作成された菌体がD−乳酸を生産するために必要な栄養源を含むものであれば特に制限されない。このような栄養源としては、炭素源、窒素源、無機イオン、菌体が要求する有機微量元素、核酸及びビタミン類等が挙げられ、これらから適宜選択したものを利用して培地を調製することができる。
【0034】
より好ましい結果を得るためには、2種以上のアミノ酸を含む培地が好ましい。このようなアミノ酸の添加の形態としては、天然のアミノ酸の2種以上の組合わせや、酵母エキス、カザミノ酸、ペプトン、ホエー、廃糖蜜、コーンスティープリカー等の複数のアミノ酸を混合物として含有する天然物や天然物抽出物の加水分解物を挙げることができる。酵母エキス、ペプトン、ホエー、廃糖蜜、コーンスティープリカー等より選ばれる少なくとも1種類、もしくはそれらの混合物の総量が0.5質量%から20質量%含む培地がより好ましく、1質量%から10質量%ではさらに好ましい。特にコーンスティープリカーや酵母エキス添加はペプトン、カザミノ酸添加よりもさらに大きな効果が得られ、このとき硫酸アンモニウムなどの塩は添加しないほうがむしろよい結果となる。培地は通常液体培地である。
【0035】
培養はフラスコ等を用いて、その中に液体培地を入れてしんとう培養してもよいが、通常は液体培地を培養槽に入れて、温度調節及び攪拌しながら行う。
【0036】
培養条件としては作成された大腸菌菌体の種類や、培養装置により適宜変更可能であるが、大腸菌の培養に適した条件であり、10〜40℃、好ましくは20〜40℃で、pH4〜8、好ましくは6〜7である。
【0037】
例えばピルベートホルメートリアーゼ活性が低下しているMT−10934を使用する場合は培養温度は20℃から40℃、より好ましくは25℃から35℃で培養することが好ましく、pHはNaOH、NH3等で4.0から8.0、より好ましくは6から7で調整し、培養することが好ましい。
【0038】
本発明の通気条件下とは必ずしも培養液中を空気が通過する必要はなく、培養槽の形状によっては適度に培養液を撹拌しながら培養液上の空気層が換気されるような上面通気も含み、培養槽の内部に酸素を含む気体を流入させた状態を意味する。
【0039】
本発明の培養時の通気条件は、通気を全く行わなくともD−乳酸を生産することは可能であるが、不純物の低減、光学純度の向上などより好ましい結果を得るために通気を行った方がよい。
【0040】
培養槽内の培養液中に通気する場合は培養槽の内圧、撹拌羽根位置、撹拌羽根形状、撹拌速度の組み合わせにより溶存酸素濃度が変化するためにD−乳酸の生産性およびD−乳酸以外の有機酸量を指標に次のように最適条件を求めることができる。 例えば上記大腸菌をABLE社製培養装置BMJ−01等の比較的小型の培養槽で培養する場合は、500gの培養液を使用した際、空気を常圧で0.01vvm〜1vvm、撹拌速度50rpm〜500rpm、より好ましくは、常圧で0.1vvm〜0.5vvm、撹拌速度100rpm〜400rpmで達成し得る通気条件で好ましい結果を得ることができる。
【0041】
以上のような通気条件は通気撹拌条件が温度30℃の水を対象とした場合常圧で酸素移動速度係数kLaが1h-1以上400 h-1以下より好ましくは1h-1以上200 h-1以下となる条件で達成し得る酸素供給を可能とする条件である。また、最適な通気条件の別の指標としてはMT−10934が嫌気培養で通常生産するギ酸、酢酸、コハク酸、グリセロール、エタノール等が5.0g/L以下、さらに好ましくは1.0g/L以下になり且つ、D−乳酸が生産されるような通気量、撹拌速度により達成される通気条件である。また、最適な通気条件の別の指標としてはMT−10934によるD−乳酸の生産時に0.3%の光学異性体であるL−乳酸を含む培養液で培養した際に10〜100時間以内にL−乳酸の濃度が0.02質量%以下に低下するような通気量、攪拌速度である。
【0042】
上述した通気条件は培養初期から終了まで一貫して行う必要はなく、培養工程の一部で行うことでも好ましい結果を得ることができる。
【0043】
本発明における培養物とは、上述した方法により生産された菌体、菌体を含む培養液、菌体が除去されている培養液、及びそれらの処理物を指す。
【0044】
以上のようにして得られた培養液等の培養物からD−乳酸を回収する方法は、通常知られた方法が利用でき、例えば、培養物を酸性化した後直接蒸留する方法、乳酸のラクチドを形成させて蒸留する方法、アルコールと触媒を加え乳酸をエステル化した後蒸留する方法、有機溶媒中に乳酸を抽出する方法、イオン交換カラムで乳酸を分離する方法、電気透析により乳酸を濃縮分離する方法などやそれらを組み合わせた方法が採用できる。
【実施例】
【0045】
以下に実施例により本発明の一例を示すが、これらは本発明を何ら制限するものではない。なお、特に記載しない限りは「%」は質量基準である。
実施例1(D−乳酸デヒドロゲナーゼ発現ベクターおよびD−乳酸生産菌の構築)
セリンヒドロキシメチルトランスフェラーゼ(serine hydroxymethyltransferase)(glyA)プロモーターを取得するため大腸菌ゲノムDNAをテンプレートに用いて配列番号1、及び配列番号2によりPCR法で増幅し、得られたDNAフラグメントを制限酵素EcoRIで消化することで約850bpのglyAプロモーターをコードするフラグメントを得た。さらにD−乳酸デヒドロゲナーゼ構造遺伝子(ldhA)を取得するために大腸菌ゲノムDNA(ATCC47076株から定法により抽出して取得した)をテンプレートに用いて配列番号3、及び配列番号4によりPCR法で増幅し、得られたDNAフラグメントを制限酵素EcoRI及びHindIIIで消化することで約1.0kbpのD−乳酸デヒドロゲナーゼ構造遺伝子(ldhA)フラグメントを得た。
【0046】
上記の2つのDNAフラグメントとプラスミドpUC18を制限酵素EcoRI及びHindIIIで消化することで得られるフラグメントを混合し、リガーゼを用いて結合した後、大腸菌(DH5α株)に形質転換することによりプラスミドpGlyldhAを得た。
【0047】
同様にLactobacillus plantarum(ATCC8041)より得たゲノムDNAを鋳型とし、配列番号5および配列番号6を用いてLactobacillus plantarum由来D−乳酸デヒドロゲナーゼ遺伝子をコードするDNAフラグメントを増幅し、発現プラスミドpGLPldhを得た。さらに大腸菌ゲノムDNAを鋳型とし、配列番号1および配列番号9を用いてPCR法により得られたDNAフラグメントのEcoRI、SacI切断フラグメントおよびPediococcus acidilactici(ATCC)より得たゲノムDNAを鋳型とし、配列番号7、配列番号8を用いてPCR法により得られたDNAフラグメントのSacI、HindIII切断フラグメント及びプラスミドpUC18を制限酵素EcoRI及びHindIIIで消化することで得られるフラグメントを連結し、Pediococcus acidilactici由来D−乳酸デヒドロゲナーゼ発現プラスミドpGPAldhを得た。
【0048】
以上のようにして得られた3種のプラスミドpGlyldhA、pGLPldh,pGPAldhを大腸菌W1485lip2(ATCC25645)および大腸菌MT−10934に形質転換することによりD−乳酸生産菌としてW1485lip2/pGlyldhA、W1485lip2/pGLPldh、W1485lip2/pGPAldh、MT−10934/pGlyldhA, MT−10934/pGLPldh, MT−10934/pGPAldhの6株の形質転換体を得た。
【0049】
尚、W1485lip2株はアメリカンタイプカルチャーコレクションよりATCC25645として入手できる。ベクタープラスミドpUC18はアメリカンタイプカルチャーコレクションより入手できるATCC37253から定法により抽出することにより得られる。また、MT−10934株は、先に記載したとおり、独立行政法人産業技術総合研究所 特許生物寄託センターに寄託されている。
【0050】
実施例2(D−乳酸生産菌W1485lip2/pGlyldhA株、W1485lip2/pGLPldh株、W1485lip2/pGPAldh株によるD−乳酸生産)
【0051】
【表1】



【0052】
LB Broth, Miller培養液(Difco244620)25mlを100mlのバッフル付き三角フラスコに入れたものを複数個用意し、D−乳酸生産菌W1485lip2、およびW1485lip2/pGlyldhA、W1485lip2/pGLPldh、W1485lip2/pGPAldhをそれぞれ別々に植菌し、一晩120rpmで撹拌培養を行って前培養液を調製した。
【0053】
ABLE社製培養装置BMJ−01の培養槽に(表1)に記載の組成の培地475gを入れたもの4基に別々に前培養液全量を植菌した。培養は大気圧下、通気量0.5vvm、撹拌速度600rpm、培養温度37℃、pH7.3(NaOHで調整)で24時間行った。培養終了後、培養液中のD−乳酸の定量および光学純度の測定はHPLCで定法に従って行った。結果を表2に示す。尚、それぞれの培養液中の蟻酸、酢酸、コハク酸の濃度は何れも0.3g/L以下であった。
【0054】
【表2】



【0055】
実施例3(D−乳酸生産菌MT−10934/pGlyldhA株、MT−10934/pGLPldh株、MT−10934/pGPAldh株によるD−乳酸生産(カザミノ酸の添加効果))
前培養として三角フラスコにLB Broth, Miller培養液(Difco244620)25gを入れたものを複数用意した。これにD−乳酸生産菌MT−10934株、MT−10934/pGlyldhA株、MT−10934/pGLPldh株、MT−10934/pGPAldh株の3種類の菌株を別々に植菌し、一晩、30℃、120rpmで撹拌培養を行って前培養液とした。
【0056】
1L容の培養槽(ABLE社製培養装置BMJ−01)4基に(表3)に示す培地475gを入れたものに先に調製した前培養液をそれぞれ全量植菌した。本培養は大気圧下、通気量0.5vvm、撹拌速度200rpm、培養温度31℃、pH6.8(NaOHで調整)で120時間行った。培養終了後、得られた本培養液中のD−乳酸の定量はHPLCで定法に従って測定した結果を表4に示す。
【0057】
【表3】



【0058】
【表4】



【0059】
実施例4(D−乳酸生産菌MT−10934/pGlyldhA, MT−10934/pGLPldh, MT−10934/pGPAldhによるD−乳酸生産(コーンスティープリカーの添加効果))
本培養の培地組成中、カザミノ酸5.0g/Lに代えてコーンスティープリカー50.0g/Lを添加し、本培養の培養時間を50時間とする以外は実施例3と同様に行った。結果を表5に示す。尚、本培養の培地にはコーンスティープリカー由来の酸加水分解後の還元糖0.34%、D−乳酸0.31%、L−乳酸0.31%、遊離アミノ酸0.33%及び微量の各種有機酸が含まれる。
【0060】
【表5】


【特許請求の範囲】
【請求項1】
D−乳酸デヒドロゲナーゼをコードする遺伝子(但し、大腸菌(Escherichia coli)由来のD−乳酸デヒドロゲナーゼをコードする遺伝子は除く)を導入した大腸菌であって、通気条件下で培養するとD−乳酸を生産することを特徴とする大腸菌。
【請求項2】
ピルビン酸を培地中に蓄積する性質を有する大腸菌にD−乳酸デヒドロゲナーゼをコードする遺伝子(但し、大腸菌(Escherichia coli)由来のものは除く)を導入して得られることを特徴とする請求項1に記載の大腸菌。
【請求項3】
リポ酸要求性を有することを特徴とした請求項1又は請求項2に記載の大腸菌。
【請求項4】
ピルベートホルメートリアーゼの機能を欠失したことを特徴とする請求項1〜3のいずれか一項に記載の大腸菌。
【請求項5】
D−乳酸デヒドロゲナーゼをコードする遺伝子が解糖系、核酸生合成系又はアミノ酸生合成系に関わる蛋白質の発現を司る遺伝子のプロモーターと連結されていることを特徴とする請求項1〜4のいずれか一項に記載の大腸菌。
【請求項6】
D−乳酸デヒドロゲナーゼをコードする遺伝子が乳酸菌由来であることを特徴とする請求項1〜5のいずれか一項に記載の大腸菌。
【請求項7】
D−乳酸デヒドロゲナーゼをコードする遺伝子がラクトバチルス・プランタラム(Lactobacillus plantarum)、および/またはペディオコッカス・アシディラクティシ(Pediococcus acidilactici)、由来であることを特徴とする請求項1〜5のいずれかに記載の大腸菌。
【請求項8】
請求項1〜7のいずれか一項に記載の大腸菌を、培地を用いて通気条件下で培養し、該培地中にD−乳酸を生成蓄積せしめることを特徴とするD−乳酸製造法。
【請求項9】
培養の際の培地のpHを4〜8とすることを特徴とする請求項8に記載のD−乳酸製造法。
【請求項10】
培養の際の培地のpHを6〜7とすることを特徴とする請求項9に記載のD−乳酸製造法。
【請求項11】
培養を培養槽を用いて行い、その際の通気条件が酸素移動容量係数kLaが1h-1以上400h-1以下となるような運転条件で温度30℃の水に空気を常圧下の培養槽に供給したときに達成し得る酸素供給量と同等の条件であることを特徴とする請求項8〜10の何れか一項に記載の乳酸製造方法。

【公開番号】特開2005−102625(P2005−102625A)
【公開日】平成17年4月21日(2005.4.21)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2003−342234(P2003−342234)
【出願日】平成15年9月30日(2003.9.30)
【出願人】(000005887)三井化学株式会社 (2,318)
【出願人】(000003159)東レ株式会社 (7,677)
【Fターム(参考)】