説明

Drp1欠損非ヒト哺乳動物

【課題】薬剤スクリーニングに有効なモデル系の提供。
【解決手段】Drp1遺伝子の機能が組織特異的に欠損しているノックアウト非ヒト哺乳動物。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、Drp1欠損非ヒト哺乳動物及びその利用に関する。
【背景技術】
【0002】
ミトコンドリアは、酸素呼吸を行う二重膜で囲まれたオルガネラ(細胞内小器官)であり、エネルギー産生、ひいては生命活動維持に不可欠な機能を果たしている。一方で、ミトコンドリアにおける酸素呼吸の二次産物である酸化ストレスは、生体に様々な障害を与えることが知られており、様々な病態や疾病への関与が強く示唆されている。ミトコンドリアは核ゲノムとは別に自身のDNAを持っており、その障害や変異蓄積がミトコンドリア病の原因となることや、それが老化の主要な原因である可能性も報告されている。またミトコンドリアは、シトクロムCを含む様々なアポトーシス関連タンパク質を細胞質に放出し、その膜透過性を遷移させ、細胞の死を決定するアポトーシス誘導過程において中心的役割を演じていることも知られている。
【0003】
ミトコンドリアは、生体内ではダイナミックにその構造を変化させながらその機能を維持しており、組織分化によってその構造を大きく変化させることが知られている。また培養細胞でも、ミトコンドリアが融合と分裂を繰り返しながらダイナミックに構造を変化させていることが知られている。しかしながら、そのようなミトコンドリアダイナミクスの生理的意義はまだ十分明らかにされていない。
【0004】
ダイナミン様GTPaseであるDrp1(Dynamin-related protein 1)は、ミトコンドリア分裂の制御に関与するタンパク質である。Drp1は主に細胞質に局在するが、ミトコンドリアの分裂点にも頻繁に観察される。Drp1の機能を抑制するとミトコンドリアの分裂が阻害され、きわめて長いミトコンドリアが形成される(非特許文献1及び2)。また、ミトコンドリアの形態が、Mitofusinタンパク質依存性の融合とDrp1依存性の分裂との間のバランスによって制御されていることも報告されている(非特許文献3)。すなわち、ミトコンドリアの融合を阻害すると分裂のみが進行して短く断片化したミトコンドリアが形成され、逆に分裂を阻害すると長くつながったミトコンドリアが形成される(非特許文献2)。しかしDrp1の変異がミトコンドリア機能に対して個体レベル又は組織レベルでどのような影響をもたらすかについてはほとんど解明されていない。
【0005】
ところで、現在では様々な疾患のモデル動物が作製されており、新薬の開発等に有効に利用されている。しかし発症原因が複雑な疾患の場合、その病態を忠実に模倣するモデル動物を作製するのはかなり困難である。多くのモデル動物では、実際の患者と比較すると示す病態がより極端又は特異であったり、ごく一部の症状を示すのみであったりする。
【0006】
例えば、各種の糖尿病のモデル動物が作製されている。糖尿病は、急増する生活習慣病の中核をなしており、健全な高齢化社会の実現のためにはその予防・治療法の開発が急務となっている。糖尿病の発症はインスリン分泌不全(インスリン不足)とインスリン抵抗性(インスリン作用障害)の2つの病態にて説明がなされる。インスリンは、血液中の糖を細胞に吸収させ、血糖値を下げる作用を持つホルモンであり、その作用が減ると、血糖値は上昇する一方、細胞中の糖は不足する。この状態が続くと、細胞は生命活動を維持できなくなり、失明や腎不全など、さまざまな臓器障害がもたらされることになる。
【0007】
1型糖尿病は自己免疫疾患のひとつであり、膵β細胞の破壊からインスリンが枯渇するためインスリンの絶対的欠乏を特徴とする。したがって、その治療はインスリン注射による補充が不可欠である。1型糖尿病のモデルマウスは公知であり、そのモデルマウスを用いて1型糖尿病の治療に関する研究も進んでいる(非特許文献4)。
【0008】
一方、糖尿病患者の大部分を占め、生活習慣病として急増している2型糖尿病は、臨床的視点からインスリン非依存型糖尿病とも呼ばれるが、膵β細胞におけるインスリン分泌不全に加え、インスリン抵抗性が増悪因子となる。インスリン分泌不全とインスリン抵抗性のどちらが強く関わっているかは個々の症例や経過によって異なっているが、欧米人に比べると、日本人ではインスリン分泌不全が原因の大きな部分を占める。正常な場合は、食事後にブドウ糖が吸収され血糖値が上がり始めるとそれに対応して瞬時にインスリンが分泌される(グルコース応答性インスリン分泌)が、インスリン分泌不全の場合には、この反応が欠如し、血糖の上昇に遅れてインスリンが分泌されるため、食後の高血糖が特徴的に現れる。さらにこの状態が長く続けば、インスリン分泌の負荷から膵β細胞の疲弊が生じ、1型糖尿病と同様にインスリン分泌の絶対的欠乏を招くことは臨床的によく経験されることである。しかしながら膵β細胞の疲弊の分子機構は明らかではない。そして、1型糖尿病とは異なり、2型糖尿病に関しては、成因が複雑であるためヒトの病態を十分に模倣するモデル動物の開発は進んでいない。2型糖尿病モデル動物の作製も報告されている(例えば、特許文献1)が、これまでに報告された2型糖尿病モデル動物は、極度の肥満、過食、過剰なレプチン濃度あるいはレプチンの欠如、高インスリン血症などの極端な症状を呈している。
【0009】
他方、神経変性疾患のモデル動物も新薬開発上の期待が大きい。老年痴呆、脳血管性痴呆、アルツハイマー病、筋萎縮性側索硬化症、パーキンソン病などの神経変性疾患は、それぞれ病因(血管性、代謝性、感染性など)は異なるが、共通の病態として神経細胞や神経回路網の破綻による記憶・認知障害を呈する。これまでに多くの神経変性疾患モデルマウスの報告があるが、特異な病態あるいはその一部を反映するモデルの作製にとどまっており、神経変性疾患に広く共通する病態である神経回路網の破綻を模倣するモデル動物の作製には至っていない(例えば、特許文献2)。
【0010】
【特許文献1】特開2005−295867号公報
【特許文献2】特表2003−504015号公報
【非特許文献1】Smirnova E, et al., J Cell Biol. (1998) Oct 19;143(2):351-8.
【非特許文献2】石原直忠、三原勝芳、「ミトコンドリアの分裂・融合の制御メカニズム」、細胞工学 Vol.24, No.8 (2005)、秀潤社、p.799-803
【非特許文献3】Ishihara N. et al., Biochem. Biophys. Res. Comm. 301 (2003) p.891-898
【非特許文献4】Kodama et al., Science (2003) Nov. 14; 302(5648):1223-1227
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0011】
本発明は薬剤スクリーニングに有効なモデル系を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0012】
本発明者らは、上記課題を解決するため鋭意検討を重ねた結果、組織特異的にDrp1遺伝子の機能を欠損させたノックアウト非ヒト哺乳動物が、各種疾患の良好なモデル動物となりうることを見出し、本発明を完成するに至った。
【0013】
すなわち、本発明は以下を包含する。
[1] Drp1遺伝子の機能が組織特異的に欠損しているノックアウト非ヒト哺乳動物。
このノックアウト非ヒト哺乳動物において、Drp1遺伝子の機能は、Drp1遺伝子又はその発現制御領域上における少なくとも一部の塩基配列の欠失、置換及び/又は挿入によって欠損していることが好ましい。
上記ノックアウト非ヒト哺乳動物は、より好ましくは、げっ歯動物である。
上記ノックアウト非ヒト哺乳動物は、Drp1遺伝子の機能が膵β細胞特異的に欠損している場合には、グルコース応答性インスリン分泌不全モデル動物として使用できる。
また上記ノックアウト非ヒト哺乳動物は、Drp1遺伝子の機能が神経細胞特異的に欠損している場合には、シナプス形成不全モデル動物として使用できる。
【0014】
[2] Drp1遺伝子の機能が膵β細胞特異的に欠損している上記ノックアウト非ヒト哺乳動物又はそれから得られるDrp1遺伝子の機能が欠損している膵β細胞に、被験物質を投与することを特徴とする、グルコース応答性インスリン分泌改善剤のスクリーニング方法。
【0015】
[3] Drp1遺伝子の機能が神経細胞特異的に欠損している上記ノックアウト非ヒト哺乳動物又はそれから得られるDrp1遺伝子の機能が欠損している神経細胞に、被験物質を投与することを特徴とする、シナプス形成促進剤のスクリーニング方法。
【発明の効果】
【0016】
本発明に係るDrp1遺伝子の機能が組織特異的に欠損しているノックアウト非ヒト哺乳動物は、ミトコンドリア分裂不全と関連する各種の疾患状態、例えばグルコース応答性インスリン分泌不全やシナプス形成不全の表現型を示す。従ってこのノックアウト非ヒト哺乳動物又はそれから得られるDrp1遺伝子の機能が欠損している細胞を用いた薬剤スクリーニング方法は、これまでミトコンドリア分裂不全との関連が知られていなかったグルコース応答性インスリン分泌不全を伴う2型糖尿病やその合併症、あるいはシナプス形成不全を伴う神経変性疾患の改善に有効な薬剤を探索する上で有用である。
【発明を実施するための最良の形態】
【0017】
以下、本発明を詳細に説明する。
1.Drp1遺伝子欠損(ノックアウト)非ヒト哺乳動物
本発明は、染色体上のDrp1遺伝子の機能が組織特異的に欠損しているノックアウト非ヒト哺乳動物に関する。
本発明に係る「Drp1遺伝子」は、哺乳動物のダイナミン様GTPaseであるDrp1(Dynamin-related protein 1)タンパク質をコードする遺伝子を意味する。Drp1は、主に細胞質に局在するタンパク質として知られ、哺乳動物においてDynamin-1 like (DNM1L)、Dnm1、Dlp1、DVLP、dympleなどの別名でも呼ばれている。Drp1の酵母ホモログDnm1(Dnm1p)についてはかなり研究が進んでいる。なおDrp1の線虫ホモログはDRP-1と呼ばれ、植物では種によって異なるが、シロイヌナズナのDrp1ホモログはADL2bなどと呼ばれている。本発明において言及する「Drp1遺伝子」には、Drp1タンパク質をコードするゲノムDNAの他、そのmRNA、cDNAも包含しうる。
【0018】
Drp1遺伝子の塩基配列及びアミノ酸配列は、ショウジョウバエ、酵母、線虫、シロイヌナズナ、マウス、ラット、ヒト等の様々な動物において公知である。Drp1遺伝子の塩基配列(cDNA配列やゲノム配列)は、例えばDDBJ、EMBL、GenBank等の公共データベース(国際塩基配列データベースを含む)や各種の商用データベースを通じて容易に入手することができる。例えばDrp1遺伝子の配列としては、マウス:GenBankアクセッション番号NM_152816, NM_001025947、ヒト:GenBankアクセッション番号NM_012062, NM_012063, NM_005690、ラット;NM_053655等が報告されている。公共データベース又は商用データベースにDrp1遺伝子の配列が登録されていない非ヒト哺乳動物については、既知のDrp1遺伝子との相同性に基づいて、その非ヒト哺乳動物の内在性Drp1遺伝子をクローニングし、塩基配列を決定することができる。例えば、当該動物のゲノムDNAライブラリー又はcDNAライブラリーを作製し、遺伝的に近い種に由来する既知のDrp1遺伝子又はその一部、あるいはDrp1遺伝子中の生物種間で高度に保存された領域をプローブとして用いて、該ライブラリーをスクリーニングすることにより、目的の動物のDrp1遺伝子を同定し、配列を決定することができる。
【0019】
例えばマウスDrp1遺伝子は、マウス第16染色体上にマッピングされている。マウスDrp1遺伝子の詳細な遺伝子情報は、例えばNCBI(National Center for Biotechnology Information; http://www.ncbi.nlm.nih.gov/からアクセス可能)のデータベースからGene ID: 74006に基づいて、あるいはMGI(Mouse Genome Informatics; http://www.informatics.jax.org/からアクセス可能)のデータベースから「dynamin-1 like」の名称に基づいて、入手できる。
【0020】
本発明において、「Drp1遺伝子の機能が組織特異的に欠損している」とは、特定の組織特異的に、染色体上のDrp1遺伝子が正常に発現されない状態となるように遺伝的に改変されていることを意味する。Drp1遺伝子産物が全く発現されない場合だけでなく、当該遺伝子産物が発現されてもそれが正常な機能を有しないか又は十分な発現量を達成できなければ、「Drp1遺伝子の機能が欠損している」ことになる。このようにDrp1遺伝子が正常に発現されない状態は、ゲノム上のDrp1遺伝子の少なくとも一部の塩基配列の改変、又は該Drp1遺伝子の転写調節領域やプロモーター領域等の発現制御領域上の少なくとも一部の塩基配列の改変、例えば欠失、置換、及び/又は挿入(すなわち他の塩基配列の挿入)等によって生じさせることができる。Drp1遺伝子の機能が欠損している動物の典型例は、Drp1遺伝子のコード(エキソン)領域の全体又は一部が欠損している動物である。
【0021】
なお、前記欠失、置換、又は挿入を行う部位や、欠失、置換、又は挿入される塩基配列は、Drp1遺伝子の正常な機能を欠損させる限り、特に限定されない。しかしながら、Drp1遺伝子のコード領域の少なくとも一部(例えば1つ以上のエキソンを含む領域)を欠失させるような変異は、より確実にDrp1遺伝子の機能を欠損させることができる。通常は、Drp1遺伝子の少なくとも1つのエキソンを含む領域、例えばエキソン2を含む領域を欠失させればよい。このDrp1遺伝子の機能を欠損させる手法については次項で説明する。
【0022】
本発明において「組織特異的に欠損している」とは、特定の組織のみで、又は主としてその特定の組織において、特異的に当該欠損を生じていることを意味する。例えば、膵β細胞特異的欠損に加えて視床下部での欠損も副次的に認められる場合も、「膵β細胞特異的に欠損している」に含まれる。なお本発明において「組織特異的」の用語『組織』には、組織学的分類に基づく組織(例えば、結合組織、上皮組織、神経組織、筋肉組織など)だけでなく、器官(臓器)、細胞種、細胞集団等の任意の生体中の部分をも含む。本発明のDrp1遺伝子欠損非ヒト哺乳動物において、Drp1遺伝子の機能を特異的に欠損させるそのような組織(例えば、器官や細胞)の種類は特に限定されず、生体内の任意の器官や細胞種などであってよいが、好ましい例としては例えば膵β細胞や神経細胞が挙げられる。Drp1遺伝子の機能が組織特異的に欠損している非ヒト哺乳動物は各種疾患のモデル動物として有用であり、例えばDrp1遺伝子の機能が膵β細胞又は神経細胞特異的に欠損している非ヒト哺乳動物は、それぞれグルコース応答性インスリン分泌不全、シナプス形成不全の疾患モデルとして、とりわけ有用である。
【0023】
本発明のDrp1遺伝子欠損非ヒト哺乳動物は、Drp1遺伝子の機能が、細胞中の一方の染色体上のアレルについて欠損しているもの(ヘテロ接合体)であっても、両方の染色体上のアレルについて欠損しているもの(ホモ接合体)であってもよく、さらにそれが細胞により異なっていてもよい。
【0024】
本発明において「ノックアウト非ヒト哺乳動物」とは、遺伝的改変により染色体上の当該遺伝子の機能が欠損した組織(例えば、特定の器官又は細胞種)を少なくとも一つ有する非ヒト哺乳動物を言う。本発明にかかる「非ヒト哺乳動物」は、ヒト以外の哺乳動物であれば特に限定されないが、マウス、ラット、モルモット、ウサギ等のげっ歯動物が好ましく、特にES細胞が確立し、遺伝子組換えが容易に実施できるマウスは最も好ましい。
【0025】
2.Drp1遺伝子欠損非ヒト哺乳動物の作製方法
本発明のDrp1遺伝子欠損非ヒト哺乳動物は、公知の遺伝子工学的手法により、Drp1遺伝子の機能を標的組織(例えば、標的細胞種)において特異的に欠損させることによって、作製することができる。そのような組織特異的な遺伝子改変手法としては、限定するものではないが、通常、Cre-loxPシステム(例えばGu, H., et al., Science, (1994) 265: 103-106、Kuhn R. et al., Science, 269, 1427-1429, 1995)若しくはFLP-frtシステム(例えばDymecki, S.M., Proc. Natl. Acad. Sci. USA, (1996) 93: p.6191-6196、Rodriguez, C.I., et al., Nat. Genet., (2000) 25:139-140)又はそれらの組み合わせ(例えばMeyers, E.N. et al., Nat. Genet., (1998) 18:136-141)等のコンディショナルターゲッティング法を好適に使用することができる。コンディショナルターゲッティング法に関する実験の詳細については、村松ら編、「実験医学別冊 改訂第4版 新 遺伝子工学ハンドブック」(羊土社)の第7章、特に274〜277頁を参照することができる。コンディショナルターゲッティング法で使用する、標的遺伝子の組織特異的欠損を生じるコンディショナルノックアウト非ヒト動物の作製も、「実験医学別冊 改訂第4版 新 遺伝子工学ハンドブック」(羊土社)等の一般的な実験書に従って常法により行うことができるが、そのようなコンディショナルノックアウト非ヒト動物はすでに現在までに多数の種類の作製が報告がされており、The Jackson laboratory等から購入することもできる。既存の標的遺伝子の組織特異的欠損を生じるコンディショナルノックアウト非ヒト動物についての詳細情報は、例えばhttp://www.mshri.on.ca/nagy/やhttp://www.jax.org/などから入手することもできる。
【0026】
loxP(locus of X-ing-over)配列は34塩基対からなるDNA配列(5'-ATAACTTCGTATAGCATACATTATACGAAGTTAT-3')でありCre(Causes recombination)組換え酵素の認識配列である。遺伝子上の2つのloxP配列はCreタンパク質の存在下で特異的組換えを起こし、loxP配列の間に挟まれた領域を欠失させるか又はその逆位を引き起こす。欠失させたいゲノム領域を同方向のloxP配列で挟んだものに置換し、さらにその細胞内で細胞(組織)特異的プロモーターの制御下にCre遺伝子を配置すれば、そのプロモーターが発現する細胞(組織)のみでCreタンパク質が発現することにより、loxP配列で挟まれたゲノム領域を欠失させることができる。
【0027】
以下ではこのCre-loxPシステムを例にとって説明する。
【0028】
1)ターゲッティングベクターの構築
まず、Drp1遺伝子の機能を欠損させるために用いるターゲッティングベクターを構築する。ターゲッティングベクターの構築に先立って、一般的には、使用する動物のゲノムDNAライブラリーを入手又は調製する。このゲノムDNAライブラリーは、多型等による組換え頻度の低下が起こらないよう、使用するES細胞が由来する動物系統から作製したゲノムDNAライブラリーを用いることが好ましい。用意したゲノムライブラリーについて、Drp1 cDNA又はその部分配列をプローブとしてスクリーニングを行って、Drp1遺伝子のゲノムDNA配列を含むクローンを得る。さらに、得られたゲノムDNAクローンについて、配列決定、サザンブロット解析、制限酵素消化等を利用して、各エキソンの位置と制限酵素部位を示した制限酵素地図を作成する。制限酵素地図等の情報が既に公表されているゲノムDNAクローンを使用する場合には、その公知の情報を直接利用してもよい。そしてこの制限酵素地図をもとに、Drp1遺伝子に対し欠失させたい領域を決定し、ターゲッティングベクターを設計する。欠失させる領域は、限定するものではないが、少なくとも1つのエキソンを含有する領域が好ましい。一般的には、その欠失領域の5'側に隣接するゲノム領域、及び3'側に隣接するゲノム領域を相同領域として選択し、それらの領域に相当するDNA断片を調製する。次いで、適当なベクター又は遺伝子カセット中に、欠失させる領域の5'側に隣接するゲノム領域、loxP配列、欠失させる領域、loxP配列、マーカー遺伝子又はレポーター遺伝子(プロモーター等を含んでもよい)、loxP配列、欠失させる領域の3'側に隣接するゲノム領域を5'→3'の方向にこの順で挿入することにより、ターゲッティングベクターを作製することができる。loxP配列はいずれも同方向に配置する必要がある。
【0029】
マーカー遺伝子としては、例えば、ネオマイシン耐性遺伝子(pGKneo、pMC1neo等の遺伝子カセット)、ハイグロマイシンBホスホトランスフェラーゼ遺伝子等の陽性選択マーカー、単純ヘルペスウイルスチミジンキナーゼ遺伝子(HSV-TK)、ジフテリア毒素Aフラグメント(DT-A)等の陰性選択マーカー遺伝子が挙げられるが、これらに限定されない。またレポーター遺伝子としては、緑色蛍光遺伝子(GFP)、β-ガラクトシダーゼ遺伝子(LacZ)、ルシフェラーゼ遺伝子(luc)などが挙げられる。ベクターの構築は、当業者に周知のPCR法やライゲーション法などの遺伝子工学的技術を用いて行うことができる。
【0030】
2)ES細胞へのターゲッティングベクターの導入
次に、構築されたターゲッティングベクターを胚性幹細胞(ES細胞)等の全能性を有する細胞に導入する。ES細胞は、マウス、ハムスター、ブタ等では細胞株が樹立されており、特にマウスでは、129系マウス由来のK14株、E14株、D3株、AB-1株、J1株や、R1株、TT2株等、各種細胞株が入手可能である。また、マウスではES細胞に代えて胚性ガン腫細胞(EC細胞)を利用することもできる。
【0031】
ES細胞は、ターゲッティングベクターの導入に先立って、適当な培地で培養しておく。例えば、マウスES細胞であれば、マウス繊維芽細胞等をフィーダー細胞として、これにES細胞用の液体培地(例えば、GIBCO製)を加えて共培養してもよい。
【0032】
ES細胞へのターゲッティングベクターの導入は、エレクトロポレーション、マイクロインジェクション、リン酸カルシウム法等、公知の遺伝子導入法により実施することができる。ターゲッティングベクターが導入されたES細胞は、ベクター中に挿入されたマーカー遺伝子やレポーター遺伝子を発現させることにより容易に選択することができる。例えば、ネオマイシン耐性遺伝子をマーカー遺伝子として導入した細胞であれば、G418を加えたES細胞用培地で培養することにより、一次選択を行うことができる。
【0033】
ターゲッティングベクターが導入されたES細胞では、相同組換えによって、染色体上のDrp1遺伝子の一部が該ベクターで置換され、内因性のDrp1遺伝子又はその調節領域内の欠失させる部位の両側にloxP配列が導入され、さらにその下流に、好ましくはマーカー遺伝子又はレポーター遺伝子とloxP配列が導入される。この時点では、Drp1遺伝子に欠失は生じていない。所望の相同組換えがなされたか否かは、サザンブロッティングやPCR法等を利用した遺伝子型解析によって判定できる。PCR法による遺伝子型解析は、それぞれ野性型と変異型Drp1遺伝子の特異的増幅産物を検出することにより実施できる。こうしてターゲッティングベクターが適切に導入されたES細胞は、さらに次の段階に備えて培養しておく。
【0034】
3)キメラ動物の作製
ターゲッティングベクターが導入されたES細胞(組換えES細胞)は、ES細胞が由来する系統とは外見上明らかな相違を有する別な系統由来の初期胚に導入し、キメラ動物として発生させることが好ましい。例えば、マウスであれば、アルビノ毛色を有する129系由来のES細胞に対しては、黒色の毛色を有し、マーカーとして利用できる各種遺伝子座が129系マウスとは異なっているC57BL/6マウス等の初期胚を用いることが望ましい。これにより、キメラマウスはその毛色によって、キメラ率を判断することができる。
【0035】
ES細胞の初期胚への導入は、アグリゲーション法(Andra, N. et al. Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 90, 8424-8428, 1993, Stephen, A.W. et al. Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 90, 4582-4585, 1993)、マイクロインジェクション法(Hogan, B. et al. ”Manipulating the Mouse Embryo” Cold Spring Habor Laboratory Press, 1988)などにより行うことができる。
【0036】
アグリゲーション法では、透明帯を除去した2個の8細胞期胚又は桑実胚の間に、ES細胞塊を挟み込むように挿入して培養し、凝集させてキメラ胚を得る。このキメラ胚を、仮親(偽妊娠動物)の子宮に移植し、発生させれば、キメラ動物を得ることができる。
【0037】
マイクロインジェクション法は、ES細胞を胚盤胞(ブラストシスト)に直接注入する方法である。すなわち、動物より採取した胚盤胞に、マイクロマニピュレーター等を用いて組換えES細胞を顕微鏡下で直接注入してキメラ胚を作製する。このキメラ胚を、仮親(偽妊娠動物)の子宮に移植し、発生させれば、所望のキメラ動物を得ることができる。
【0038】
4)Drp1遺伝子欠損非ヒト哺乳動物の作製
仮親から得られたキメラ動物を、さらに野性型動物(マウスであれば例えばC57BL/6マウス等)に戻し交配する。得られる動物の中に、ターゲッティングベクターとの相同組換えにより、loxP配列が挿入されたDrp1遺伝子をヘテロ接合で有する個体がいるはずである。各個体の遺伝子型は、毛色等の外見上の特徴で一次判定できるほか、前述したサザンブロッティングやPCR法を利用した遺伝子型解析によって決定することができる。次に、こうして得られたヘテロ接合性組換え非ヒト哺乳動物同士を交配して、loxP配列が挿入されたDrp1遺伝子をホモ接合で有する動物を得ることができる。
【0039】
組織特異的にDrp1遺伝子を破壊した非ヒト哺乳動物(例えば、マウス)を得るため、上記で得られた、loxP配列が挿入されたDrp1遺伝子をホモ接合で有する動物に、組織特異的にCreタンパク質を発現するトランスジェニック非ヒト動物を交配することにより、loxP配列が挿入されたDrp1遺伝子をヘテロ接合で有しかつCreトランスジーン(Creタンパク質をコードする外来遺伝子)を有するトランスジェニック非ヒト動物を得ることができる。さらにこの動物にloxP配列が挿入されたDrp1遺伝子をホモ接合で有する動物を交配して得られる仔動物の約半分は、Drp1遺伝子が目的の組織特異的に破壊されたコンディショナルノックアウト動物である。こうして作製した動物が、本発明の組織特異的なコンディショナルDrp1遺伝子欠損非ヒト哺乳動物である。
【0040】
3.Drp1遺伝子欠損非ヒト哺乳動物のモデル動物としての使用
本発明のDrp1遺伝子欠損非ヒト哺乳動物においては、Drp1遺伝子の機能を欠損させた組織特異的に、その細胞内のミトコンドリア分裂が阻害され、その形態に特有の変化が生じる。このような組織特異的Drp1遺伝子欠損非ヒト哺乳動物は、ミトコンドリアの分裂阻害と関連した様々な疾患の良好なモデル動物として使用することができる。以下に、膵β細胞又は神経細胞特異的にDrp1遺伝子を欠損した非ヒト哺乳動物について例示する。
【0041】
1)グルコース応答性インスリン分泌不全モデル動物
膵β細胞特異的Drp1遺伝子欠損非ヒト哺乳動物の膵β細胞においては、ミトコンドリア分裂が抑制され、ミトコンドリアが長くなり、さらにミトコンドリアが細胞内で核周辺に集積する傾向が観察される。この膵β細胞特異的Drp1遺伝子欠損非ヒト哺乳動物では、膵臓のランゲルハンス島は正常に構築され、膵β細胞でのインスリン合成も行われるが、2型糖尿病に特徴的な病態であるグルコース応答性インスリン分泌不全を呈し、耐糖能が急激に低下する。この膵β細胞特異的Drp1遺伝子欠損非ヒト哺乳動物は、グルコース応答性インスリン分泌不全の典型的症状として食後(糖負荷後)高血糖を示す。一方、膵β細胞特異的Drp1遺伝子欠損非ヒト哺乳動物では、好ましくは、空腹時血糖は野性型と比較しても上昇せず、体重の顕著な増加も認めない。
【0042】
耐糖能及びインスリン分泌能は、例えば以下のようにして測定することができる。まず、被験動物(例えば8週齢のマウス)を絶食(例えば16時間)させた後、静脈血を採血し(マウスやラットであれば尾静脈から)、その血糖値及び血清インスリン値を予め測定しておく。続いて、グルコース(例えば、2g/kg体重)を絶食させた被験動物の腹腔内に投与し、グルコース投与後所定の時点で(好ましくは経時的に)採血し、血糖値及び血中インスリン値を測定する。採血は任意の時点で行えばよいが、例えばグルコース投与のおよそ0分後〜3時間後までの間に最初は15分間隔、後半は30分間隔で行うことができる。対照被験動物(野性型)において血糖値低下が始まる時点(マウスでは約30分後)以降も血糖値が急激に上昇し、さらにその後、例えばマウスでは120分経過後でもなお高い血糖値が維持される場合には、血糖処理能力が低下しているものと判断され、すなわち耐糖能が低下していると判断される。そのような糖負荷後高血糖に加えて、マウスでは約15分後付近での血中インスリン値(初期分泌量)が顕著に低い場合には、その被験動物は、グルコース応答性インスリン分泌不全を示すものと判断される。
【0043】
さらに、膵β細胞特異的Drp1遺伝子欠損非ヒト哺乳動物については、膵臓切片標本を作製し、例えば抗インスリン抗体を用いて免疫組織染色し、また膵臓ランゲルハンス島の面積を測定して、対照マウス(野生型表現型)の膵臓切片と比較することにより、被験動物の膵臓におけるインスリン合成が正常か否かを調べることができる。
【0044】
膵β細胞特異的Drp1遺伝子欠損非ヒト哺乳動物は、グルコース応答性インスリン分泌不全のモデル動物として用いることができるが、2型糖尿病の病態を非常に良く模倣していることから、特に2型糖尿病のモデル動物として利用することができる。さらに膵β細胞特異的Drp1遺伝子欠損非ヒト哺乳動物は、グルコース応答性インスリン分泌不全を伴う2型糖尿病合併症のモデル動物としても利用することができる。
【0045】
従って、本発明の膵β細胞特異的Drp1遺伝子欠損非ヒト哺乳動物、又は該動物から得られるDrp1遺伝子の機能が欠損した膵β細胞は、それぞれグルコース応答性インスリン分泌不全モデル動物又はモデル細胞として、グルコース応答性インスリン分泌不全を緩和するためのインスリン分泌を促進する薬剤(グルコース応答性インスリン分泌改善剤)のスクリーニングに用いることができる。従って本発明は、かかる膵β細胞特異的Drp1遺伝子欠損非ヒト哺乳動物、又はそれから得られるDrp1遺伝子の機能が欠損した膵β細胞に、被験物質を投与することを特徴とする、グルコース応答性インスリン分泌改善剤のスクリーニング方法も提供する。より具体的には、その膵β細胞特異的Drp1遺伝子欠損非ヒト哺乳動物又はその膵β細胞に被験物質を投与した結果、インスリン分泌を促進する被験物質を、グルコース応答性インスリン分泌改善剤として選択することができる。被験物質の動物への投与は、用いる被験物質で意図する投与経路に合わせ、経口投与であってもよいし、非経口投与(静脈注射、皮下注射、腹腔内注射、経直腸投与等)であってもよい。被験物質の細胞への投与は、膵β細胞の培養培地に被験物質を添加することにより行えばよい。
【0046】
この被験物質は任意の物質であってよい。被験物質としては、例えば、DNAやRNAなどを含む核酸、酵素、抗体、ペプチドなどを含むタンパク質、小分子有機又は無機化合物などが挙げられる。
【0047】
こうして得られたグルコース応答性インスリン分泌改善剤は、2型糖尿病又はその合併症の候補治療薬となりうる。
【0048】
2)シナプス形成不全モデル動物
神経細胞特異的Drp1遺伝子欠損非ヒト哺乳動物の神経細胞においては、巨大化したミトコンドリアが観察され、またアポトーシスの亢進が認められる。神経細胞特異的Drp1遺伝子欠損非ヒト哺乳動物では、脳内で神経細胞のシナプス形成不全が認められる。本発明において「シナプス形成不全」とは、シナプスが十分に形成されていない状態をいう。「シナプス形成不全」は、以下に限定するものではないが、シナプス形成プロセスが開始されないか若しくは途中で停止すること、シナプス形成プロセスが正常に進行しないこと、又は形成されたシナプスが死滅若しくは脱落により減少すること等によって引き起こされうる。本発明における「シナプス形成不全」は、典型的には、神経細胞特異的Drp1遺伝子欠損非ヒト哺乳動物において、対照となる正常動物と比較して検出されるシナプス数が減少することによって示される。
【0049】
Drp1遺伝子欠損神経細胞のシナプス形成不全は、例えば、以下のようにして調べることができる。まず、Drp1遺伝子欠損非ヒト哺乳動物ES細胞を、培地(例えばLIF(-))を用いて浮遊培養ディッシュ上で培養し(2日間程度)、胚様体を作製し、その胚様体を神経細胞分化誘導用培地で培養する。そのような培地としては、インスリン、トランスフェリン、塩化セレン、ヒト血漿フィブロネクチンを添加したDMEM/F12培地が挙げられる。さらにトリプシン等で培養容器から細胞塊を剥がし、培養ディッシュ中、例えば、N2サプリメント、B27サプリメント、及びヒト塩基性FGFを添加したDMEM/F12培地等の適切な培地にて培養(例えば、6日間)することにより、野性型ES細胞であれば軸索を有する神経細胞を分化誘導することができる。そこで次に、神経細胞特異的抗体やミトコンドリア特異的抗体を用いて神経細胞やミトコンドリアを染色し、観察すればよい。その結果、神経細胞様の細胞の存在が検出され、かつそれらの細胞が中枢神経系様のネットワークを形成することが示される場合には、誘導された神経細胞はシナプス形成能を有すると判断される。一方、神経細胞様の細胞は検出されるが、神経細胞体からの十分な軸索突起形成や、中枢神経系様のネットワーク形成が観察されない場合には、その神経細胞は十分なシナプス形成能を有さず、すなわちシナプス形成不全を示すものと判断される。このような神経細胞特異的Drp1遺伝子欠損非ヒト哺乳動物は、シナプス形成不全のモデル動物として用いることができるが、シナプス形成不全は神経細胞回路の破断を引き起こし、一般的な神経変性の病態を誘導すると考えられることから、神経変性疾患や認知症などの神経疾患のモデル動物として利用することもできる。
【0050】
なお、シナプス形成不全と神経変性疾患や認知症などの神経疾患との関連については、多くの報告がある。例えば、アルツハイマー症候群や中等度の認知症の患者の海馬において、シナプスの減少が顕著に認められたとの報告もある(Scheff S.W. et al., Neurology, 2007 May 1;68(18):1501-1508)。また近年では、神経細胞よりもむしろシナプスを保持することによる神経疾患の治療が有望視されている。例えば、神経細胞の変性をきたし進行性の神経症状を示すニーマンピック病C型のモデルマウスへ骨髄由来の間葉肝細胞を移植することにより、シナプス形成を促進し、機能的なシナプス伝達を行う神経ネットワークの形成を促進できたことが報告されている(Bae J.S. et al., Stem Cells., 2007 May;25(5):1307-1316)。
【0051】
従って、本発明の神経細胞特異的Drp1遺伝子欠損非ヒト哺乳動物は、シナプス形成不全モデル動物として、シナプス形成を促進する薬剤(シナプス形成促進剤)のスクリーニングに用いることができる。従って本発明は、かかる神経細胞特異的Drp1遺伝子欠損非ヒト哺乳動物、又はそれから得られるDrp1遺伝子の機能が欠損した神経細胞に被験物質を投与することを特徴とする、シナプス形成促進剤のスクリーニング方法も提供する。より具体的には、その神経細胞特異的Drp1遺伝子欠損非ヒト哺乳動物又はその神経細胞(例えば、胎児脳由来の未分化神経細胞)に被験物質を投与して、神経分化誘導(例えば軸索の伸長)を促進するものを、シナプス形成促進剤として選択することができる。被験物質の動物への投与は、用いる被験物質で意図する投与経路に合わせ、経口投与であってもよいし、非経口投与(静脈注射、皮下注射、腹腔内注射、経直腸投与等)であってもよい。被験物質の細胞への投与は、神経細胞の培養培地に被験物質を添加することにより行えばよい。
【0052】
この被験物質は任意の物質であってよい。被験物質としては、例えば、DNAやRNAなどを含む核酸、酵素、抗体、ペプチドなどを含むタンパク質、小分子有機又は無機化合物などが挙げられる。
【0053】
こうして得られたシナプス形成促進剤は、神経変性疾患や認知症等の神経疾患の候補治療薬となりうる。
【実施例】
【0054】
以下、実施例を用いて本発明をさらに具体的に説明する。但し、本発明の技術的範囲はこれら実施例に限定されるものではない。
【0055】
[実施例1]Drp1遺伝子をノックアウトしたマウス及び細胞の作製
以下の手順に従い、Cre-loxPシステムを用いたDrp1遺伝子コンディショナルノックアウトマウスを作製した(図1A及びB)。
まず、ターゲティングベクターを作製するため、マウス129/SVゲノムライブラリー(STRATAGENE)を、プローブとしてマウスDrp1の549bpのcDNA断片(以下のプライマー:5’-TCGAGTCCCCATTCATTGCAG-3’および5’-GGTCATTCCCGGTAAATCCAC-3’にて増幅したもの)を用いてスクリーニングし、マウスDrp1遺伝子を含むゲノムDNAクローンを同定した。得られたクローンについて制限酵素地図を作製し、それに基づいてゲノムDNAクローンからDrp1遺伝子のエキソン2の上流配列を含むHindIII-XbaI断片(約3.6kb)、Drp1遺伝子のエキソン2を含むXbaI-SpeI断片(約1.8kb)、Drp1遺伝子のエキソン2の下流にあるエキソン3及び4を含むSpeI-EcoRV断片(約5.6kb)を切り出した。次いで、pfloxプラスミド(ネオマイシン耐性遺伝子(neo)とその両側に隣接した2つのloxP配列を含むプラスミドである)中に、そのHindIII-XbaI断片(約3.6kb)、loxP配列(5'-ATAACTTCGTATAGCATACATTATACGAAGTTAT-3')、XbaI-SpeI断片(約1.8kb)、loxP配列、ネオマイシン耐性遺伝子(neo)、loxP配列、SpeI-EcoRV断片(約5.6kb)を5'→3'の方向で順に挿入することにより、ターゲティングベクターを作製した。loxP配列はいずれも同方向に配置した。
【0056】
このターゲティングベクターを、エレクトロポレーション法を用いて、マウスES細胞(J1細胞株;Li E. et al. Cell 69, 915-926, 1992)に導入し、その後、200μg/mlのG418を含む培地における細胞選択により、相同組換え体であるES細胞を得た。この相同組換え体ES細胞(Drp1lox/+ES細胞)は、ゲノム上のDrp1遺伝子のエキソン2が、両側をloxP配列に挟まれたエキソン2に置換され、さらにその下流にネオマイシン耐性遺伝子とloxP配列が導入されているDrp1遺伝子変異体を有する(図1A、中段)。
【0057】
次に、この相同組換え体ES細胞を、C57BL6系統のマウスから採取した胚盤胞にインジェクションし、常法に従い、それを偽妊娠マウスの子宮に移植し、仔マウスを誕生させることによりキメラマウスを得た。このキメラマウスをC57BL6系統のマウスと戻し交配して仔マウスを得ることにより、loxP配列が挿入されたDrp1遺伝子をヘテロ接合で有するマウス(loxヘテロマウス又はDrp1lox/+マウスと呼ぶ)を作製した。さらにこのヘテロマウス同士の交配により、loxP配列が挿入されたDrp1遺伝子をホモ接合で有するマウス(loxホモマウス又はDrp1lox/loxマウスと呼ぶ)を作製した。
【0058】
Drp1全身欠損マウスの作製のため、配偶子でCreタンパク質を発現するEIIa-Creトランスジェニックマウス(Lakso M et al, PNAS 93, 5860-5865, 1996)を用いた。EIIa-Creトランスジェニックマウスでは、そのゲノム上においてアデノウイルスEIIaプロモーターによりCreタンパク質(Creリコンビナーゼ)の発現が制御されており、特にその配偶子や初期胚においてCreタンパク質の発現が広く認められる。ここではEIIa Creトランスジェニックマウスを、The Jackson laboratory(Bar Harbor, ME)から購入して用いた(Stock Number: 003724)。まず、上記で得られたDrp1lox/+マウスをこのElla-Creトランスジェニックマウスと交配することにより、エキソン2の欠失により破壊されたDrp1遺伝子をヘテロ接合で有するヘテロノックアウトマウス(Drp1+/-マウス)を得た。さらにこのDrp1+/-マウス同士の交配により、破壊されたDrp1遺伝子をホモ接合で有するホモノックアウトマウス(Drp1-/-マウス)を作製した。
【0059】
さらに、組織特異的にDrp1遺伝子を破壊したマウスを得るため、神経特異的にCreタンパク質を発現するnestin-Creトランスジェニックマウス、及び膵β細胞特異的にCreタンパク質を発現するRIP-Creトランスジェニックマウスをそれぞれ用いた。nestin-Creトランスジェニックマウスは、Klein R.らにより作製され、Nat Genet 23: 99-103, 1999に報告されたものであり、そのゲノム上でラットネスチン遺伝子プロモーターとエンハンサーによりCreタンパク質の発現が神経細胞特異的に制御されている。本実施例ではnestin-Creトランスジェニックマウスを、The Jackson laboratory(Bar Harbor, ME)から購入して用いた(Stock Number: 003771)。一方、RIP-Creトランスジェニックマウスは、Magnuson M.らにより作製され、J Biol Chem 274: 305-315, 1999に報告されたものであり、ラットインスリンII プロモーターにより制御されたCreタンパク質の発現がほぼ膵β細胞特異的に見られるが、極少量の発現は視床下部にも見られる。本実施例ではRIP-Creトランスジェニックマウスを、The Jackson laboratory(Bar Harbor, ME)から購入して用いた(Stock Number: 003573)。上記で得られたDrp1lox/loxマウスを、nestin-Creトランスジェニックマウス又はRIP-Creトランスジェニックマウスと交配して、神経細胞特異的又は膵β細胞特異的に発現するCreトランスジーン(すなわち、Creタンパク質をコードする外来遺伝子)を持つDrp1lox/+マウスを仔マウスとして取得し、そのDrp1lox/+マウスをさらにDrp1lox/loxマウスと掛け合わせることにより、Drp1遺伝子がそれぞれ神経特異的又は膵β細胞特異的に破壊されるノックアウト(KO)マウスを作製することができた(それぞれ、Drp1lox/lox;nestin-Creマウス、Drp1lox/lox;RIP-Creマウス)。
【0060】
さらに、Drp1lox/loxマウス胎児から繊維芽細胞を採取し、loxP配列が挿入されたDrp1遺伝子をホモ接合で有するマウス胎児繊維芽細胞株(Drp1lox/loxMEF細胞)を作製した。一方、Drp1lox/+ES細胞を高濃度(4mg/ml)のG418を含有する選択培地で培養することにより、loxP配列が挿入されたDrp1遺伝子をホモ接合で有するES細胞(Drp1lox/loxES細胞)を作製した。次いでDrp1lox/loxMEF細胞又はDrp1lox/loxES細胞に、アデノウイルスを用いたCre遺伝子の外来導入を行い、Creタンパク質を発現させることにより、破壊(ノックアウト)されたDrp1遺伝子をホモ接合で有するDrp1-/-MEF細胞又はDrp1-/-ES細胞を作製した。
【0061】
以上の通り作製したDrp1ノックアウトマウス及びノックアウト細胞については、常法によりそれぞれ抽出したゲノムDNAを鋳型とし、図1A中に示すプライマー1Fと2Rのセット及びプライマー1Fと3Rのセットを用いたPCR増幅を行い、その増幅断片のサイズから、loxP配列、及びloxP配列とneo遺伝子の挿入の有無を確認した。用いたプライマーの配列及び増幅断片のサイズは以下の通りである。
・プライマー1F: 5'- CAGCTGCACTGGCTTCATGACTC -3'
・プライマー2R: 5'- GTCAACTTGCCATAAACCAGAG -3'
・プライマー3R: 5'- CCATAGCACACGCATACCAT -3'
プライマー1Fと2Rによる増幅断片:野性型では約0.2kb、loxP配列を含む場合は約0.3kb
プライマー1Fと3Rによる増幅断片:野性型では約3.5kb、loxP配列及びneo遺伝子を含む場合は約5.4kb、エキソン2が欠失した場合は約1.7kb。
【0062】
この結果を図2Aに示す。図2A中、(i)はES細胞の結果を示す。各レーンは左から順に、Cre発現前の野性型細胞(ES Drp1+/+)、Cre発現前のDrp1lox/lox細胞、対照遺伝子(LacZ)を発現したDrp1lox/lox細胞、Cre発現後のDrp1lox/+細胞、Cre発現後のDrp1lox/lox細胞である。ES細胞において、Creタンパク質の発現により、loxP配列を両隣に挿入したDrp1遺伝子を欠損させることができたことが確認された。(ii)はMEF細胞の結果を示す。各レーンは左から順にCre発現前のDrp1lox/lox細胞、Cre発現により得られたDrp1-/-細胞である。Drp1-/-MEF細胞において、loxP配列を両隣に挿入したDrp1遺伝子を欠損させることができたことが確認された。(iii)はDrp1欠損マウスの尾部の結果を示す。各レーンは左から順にDrp1+/+、Drp1+/-、Drp1-/-マウスである。(iv)はDrp1lox/lox;nestin-Creマウスの脳の結果を示す。各レーンは左から順にDrp1lox/+マウス、Drp1lox/lox;nestin-Creマウス#1、Drp1lox/lox;nestin-Creマウス#2(2匹の同じ遺伝子型のマウスを確認)である。
【0063】
さらにDrp1ノックアウトマウス及びノックアウト細胞から常法により得たタンパク質抽出物について、ウェスタンブロッティングにより、Drp1タンパク質の発現を確認した(図2B)。また対照として、Tom40、Fis1、PDIの各タンパク質の発現も調べた。図2B中、(i)はES細胞の結果を示す。各レーンは左から順に、Cre発現前の野性型細胞(Drp1+/+ES)、Cre発現前のDrp1lox/lox細胞、Cre発現後の野性型細胞(Cre Drp1+/+ ES)、Cre発現後のDrp1lox/+細胞、Cre発現後のDrp1lox/lox細胞である。(ii)はMEF細胞の結果を示す。各レーンは左から順にCre発現前のDrp1lox/lox細胞、Cre発現により得られたDrp1-/-細胞である。(iv)はDrp1lox/lox;nestin-Creマウスの脳の結果を示す。各レーンは左から順にDrp1lox/+マウス、Drp1lox/lox;nestin-Creマウス#1、Drp1lox/lox;nestin-Creマウス#2(2匹の同じ遺伝子型のマウスを確認)である。Drp1ノックアウトマウス及びノックアウト細胞において、Drp1遺伝子産物が確かに欠失していることが確認された。なお図2B中、αDrp1、αTom40、αFis1、及びαPDIは、Drp1、Tom40、Fis1、及びPDIのそれぞれに対する検出用抗体である。
【0064】
[実施例2]Drp1欠損細胞の解析
実施例1に従って作製したそれぞれDrp1lox/lox及びDrp1-/-のES細胞及びMEF細胞について、細胞内のミトコンドリアの形態及び分布を観察した。ミトコンドリアの観察は、蛍光顕微鏡、及び電子顕微鏡をそれぞれ用いて行った。蛍光顕微鏡観察は、それぞれの細胞についてミトコンドリア(mit)をミトコンドリア局在化赤色蛍光蛋白質(su9-RFP: Euraら、 J Biochem (Tokyo). 2003 Sep;134(3):333-344に報告されている)により染色し、ペルオキシソーム(per)をペルオキシソーム局在化緑色蛍光蛋白質(GFP-SKL: GFPのC末端にペルオキシソーム局在化シグナルSer-Lys-Leuを融合した蛋白質)により染色することにより行った(図3A〜C)。それぞれの細胞はさらに常法により電子顕微鏡観察を行った(図3D)。観察の結果、図3にも示される通り、Drp1-/-ES細胞とDrp1-/-MEF細胞では、ミトコンドリア分裂が抑制されてミトコンドリアが長くなっていること、及びミトコンドリアが細胞内で核周辺に集積しやすくなっていることが明らかとなった。さらに、Drp1-/-ES細胞に外来Drp1遺伝子を導入し発現させたところ、ミトコンドリアの形態及び局在性はDrp1lox/lox細胞のものに近づき、相補されたことが示された(図3B)。
【0065】
図4Aには、Drp1lox/lox及びDrp1-/-のES細胞の観察において、管状形態(tubular;黒のバー)、断片化形態(fragment;白のバー)、及びその中間の形態(中間形態;intermediate;灰色のバー)のミトコンドリアが観察された細胞の割合を示した。loxP配列が挿入されているがDrp1遺伝子を保持している細胞では断片化形態のミトコンドリアが多く認められたが、Drp1遺伝子のホモノックアウト細胞では管状形態のミトコンドリアが増大していた。一方、図4Bには、Drp1lox/lox及びDrp1-/-のMEF細胞の観察において、高度に連結した形態(高度連結形態;highly connected;黒のバー)、管状形態(tubular;灰色のバー)、及び断片化形態(fragment;白のバー)のミトコンドリアが観察された細胞の数の割合を示した。loxP配列が挿入されているがDrp1遺伝子を保持している細胞では管状形態のミトコンドリアが多く認められたが、Drp1遺伝子のホモノックアウト細胞では高度連結形態のミトコンドリアが増大していた。このようにDrp1遺伝子のホモノックアウト細胞では、より体積の大きなミトコンドリアの増加が認められた。
【0066】
さらに、これらの細胞について、細胞増殖(図5)、ミトコンドリア膜電位(図6A)及び相対ミトコンドリアDNA(mtDNA)含量(図6B)を調べた。細胞増殖は、細胞数計測によって測定した。ミトコンドリア膜電位はミトコンドリア膜電位依存的蛍光色素の定量化によって測定した。それぞれの細胞から全DNAを常法により抽出し、得られたDNAサンプルを連続希釈したものを鋳型として、COXI遺伝子(mtDNA)及びDrp1遺伝子(ゲノムDNA)をPCR増幅し、それを電気泳動し、分画したDNAを可視化して、Drp1lox/loxとDrp1-/-のサンプル間でそれぞれの増幅量を比較し、それによりmtDNA含量とゲノムDNA含量の変化を相対的に比較した。その結果、loxP配列が挿入されているが正常なDrp1遺伝子を保持している細胞(Drp1lox/lox)とDrp1遺伝子のホモノックアウト細胞(Drp1-/-)との間で、上記の点では明確な差異は認められなかった。従来、ミトコンドリアはミトコンドリアの分裂に伴って増殖すると考えられていたため、Drp1のノックアウトはミトコンドリアの増殖及び機能を阻害する可能性が考えられてきた。しかし上記の結果はその予想と異なり、Drp1の機能は、細胞増殖及びミトコンドリア増殖、並びにミトコンドリアの機能性維持には必須ではないことを示していた。
【0067】
[実施例3]Drp1全身欠損マウス胎児の解析
実施例1で作製したDrp1-/-マウスは、全身の細胞においてDrp1遺伝子がホモ接合性で破壊されているDrp1全身欠損マウスである。Drp1-/-マウスの発生を観察し、胎児を妊娠マウスより摘出して実体顕微鏡下で観察し、さらにその胎児のパラフィン封埋後切片を顕微鏡下で観察した。
【0068】
その結果、Drp1-/-マウスは、胎生12.5日(E12.5)以前に胎生致死となり、胎生15.5日(E15.5)以降に親マウスの身体に吸収された。またDrp1-/-マウスには、胎生9.5日(E9.5)〜胎生11.5日(E11.5)で発生遅延が認められた(図7A〜Dの写真の-/-)。Drp1-/-マウス胎児では、脳、心臓、肝臓などの組織の形成は認められた(図7E)。図7Eに示される通り、E11.5のDrp1-/-マウス胎児では細胞増殖は停止していなかった。さらにE11.5のDrp1-/-マウス胎児では、神経細胞におけるアポトーシスの亢進が認められた(図7F)。このように、Drp1遺伝子の機能は、マウス胎児期の発生に必須であることが示された。
【0069】
[実施例4]神経細胞特異的Drp1欠損マウスの解析
実施例1に従ってDrp1遺伝子を神経特異的に破壊したノックアウトマウス(神経細胞特異的Drp1欠損マウス)の発生を観察した。胎児については実施例3と同様にして観察を行った。対照マウスとしては、Drp1lox/+;nestin-Creを用いた。
【0070】
神経細胞特異的Drp1欠損マウス(Drp1lox/lox;nestin-Cre)は、誕生直後(P0)に、授乳を受けることもなく死亡した(図8A、lox/lox;nestin-Cre)。胎生18.5日(E18.5)の神経細胞特異的Drp1欠損マウス胎児においては、パラフィン封埋後、脳切片を観察したところ、脳の退縮による脳室及びくも膜下領域の拡大、皮質下白質の脱落が認められた(図8B及び図8C)。
【0071】
E18.5の神経細胞特異的Drp1欠損マウス胎児については、脳のパラフィン切片を用いて、TUNEL染色によりアポトーシス細胞の検出を行った。皮質下白質領域を中心としてTUNEL陽性細胞が多く観察され、アポトーシスの亢進が示された(図8D)。
【0072】
さらに、E18.5の神経細胞特異的Drp1欠損マウスの脳では、ミトコンドリアの大きな形態変化が観察された。すなわちその脳には、巨大化したミトコンドリアが細胞質の一部に限局して存在していることが認められた(図9A及びB)。このことから、Drp1遺伝子産物が、ミトコンドリアの分裂を誘導し、神経細胞におけるミトコンドリアの正常な分布、並びに神経細胞の機能発現や生存能に寄与することが示された。実施例2の結果とは異なり、マウスES細胞ではDrp1欠損によりアポトーシス亢進が観察されたことから、Drp1遺伝子は神経細胞のアポトーシス(細胞死)を抑制することが示された。
【0073】
[実施例5]Drp1欠損細胞由来神経細胞のシナプス形成不全
Drp1欠損細胞由来神経細胞においてシナプス形成不全を生じることは、Drp1-/-ES細胞からの神経細胞の分化誘導を通じて以下のようにして確認された。
【0074】
まず、Drp1-/-ES細胞を、LIF(-)の培地を用いて浮遊培養ディッシュ上で2日間培養し、胚様体(EB; embryoid body)を作製した。次いで胚様体を、DMEM/F12培地中にインスリン、トランスフェリン、塩化セレン、ヒト血漿フィブロネクチンを含む培養液にて6日間培養した。その後、トリプシン(TrypLE Select, GIBCO;微生物発酵物由来、非動物性代替製品)で細胞塊を剥がし、ポリ-L-(オルニチン)/ヒトフィブロネクチンでコーティングした培養ディッシュを用い、DMEM/F12培地にN2サプリメント、B27サプリメント、及びヒト塩基性FGFを含む培地にて6日間培養した。このような操作により、野性型ES細胞であれば軸索を有する神経細胞を分化誘導することができる。そこで、神経細胞特異的抗体である抗リン酸化ニューロフィラメント抗体(SMI34:abcam)及びβ-チューブリンIII抗体(sigma)をそれぞれ用いて神経細胞を、ミトコンドリア特異的抗体であるミトフィリン(mitofillin)抗体を用いてミトコンドリアを検出し、観察した。対照として、野生型と同様に正常Drp1遺伝子をホモ接合で有するがそのDrp1遺伝子の両側にloxP配列が挿入されているDrp1lox/loxES細胞を用いて、同様の神経細胞分化誘導実験及び抗体検出を行った。
【0075】
その結果、Drp1lox/loxES細胞から神経細胞が誘導され、中枢神経系様のネットワークを形成することが観察された(図10A、Drp1 lox/lox)。一方、Drp1-/-ES細胞の場合には、誘導された神経細胞は検出されたが、シナプスを介した中枢神経系様のネットワーク形成は観察されなかった(図10A、Drp1-/-)。また、培養ディッシュ当たりの検出されたβチューブリンIII陽性細胞の数は、Drp1-/-ES細胞由来のものでは、Drp1lox/loxES細胞由来のものと比較して、有意に少なかった(図10B)。
【0076】
以上の観察から、Drp1欠損神経細胞においてはシナプス形成不全が生じ、中枢神経様ネットワークの形成ができないことが示された。神経細胞特異的Drp1欠損マウスにおいては、神経細胞のシナプス形成不全により、神経細胞間のネットワークが断ち切られ、神経細胞のアポトーシスが亢進した結果、様々な神経変性病態を呈するようになる。従って本発明の神経細胞特異的Drp1欠損マウスは、神経変性疾患が示す一般的な病態によく似た表現型を有する神経変性疾患モデルマウスとして使用可能であることが示された。
【0077】
[実施例6]膵β細胞特異的Drp1欠損マウスの解析
実施例1に従ってDrp1遺伝子を膵β細胞特異的に破壊したノックアウトマウス(膵β細胞特異的Drp1欠損マウス)の発生を観察した。対照マウスとしては、Drp1lox/+;RIP-Creを用いた。
【0078】
膵β細胞特異的Drp1欠損マウスは、誕生後、順調に生育することができた。6週齢の膵β細胞特異的Drp1欠損マウスの膵臓を単離し、パラフィン切片を作製後に組織学的検討を行った。HE染色による組織学的検討では膵臓ランゲルハンス島に明らかな形態異常は見られず、抗インスリン抗体ならびに抗グルカゴン抗体による免疫染色でも膵β細胞と膵α細胞はいずれも正常に認められた。
【0079】
次に上記パラフィン切片について抗ミトコンドリア抗体染色(赤)及びDAPIによる核染色(青)を行い、ミトコンドリアの細胞内局在を確認した。図11Aに示すように、対照マウス(Drp1lox/loxマウス)ではミトコンドリアがほぼ全ての膵β細胞に均一に見られたのに対し、膵β細胞特異的Drp1欠損マウスでは膵β細胞における染色性が不均一であり、すなわちミトコンドリアの細胞内局在が大きく変化したことが示された。図11Bには図11Aの写真の拡大写真を示すが、対照マウス(野性型表現型)の膵β細胞では細胞質がほぼ均一に染まったのに対して、膵β細胞特異的Drp1欠損マウスの膵β細胞では細胞質内の一部に局在しており、同一切片上ではミトコンドリア染色が見られない細胞も多く見られた。このように、膵β細胞特異的Drp1欠損マウスの膵臓では、膵臓ランゲルハンス島細胞は正常に構築されていたが、膵β細胞内のミトコンドリアの分布には大きな変化が生じることが観察された。
【0080】
さらに、膵β細胞特異的Drp1欠損マウス(Drp1lox/lox;RIP-Creマウス)及び対照マウス(Drp1lox/loxマウス)を用いて以下の通り糖負荷試験を行った。この糖負荷試験により、膵β細胞特異的Drp1欠損マウスでは、著しい耐糖能異常が観察された。
【0081】
まず各マウス(8週齢)を16時間絶食させた後、その尾静脈から採血し、その尾静脈血について血糖値及び血清インスリン値を予め測定した。続いて、2g/kg体重のグルコースをマウス腹腔内に投与した。グルコース投与から15分後、及び30分後に、それぞれ尾静脈から採血し、血糖値及びインスリン値を測定した。さらに引き続きグルコース投与の60分後、90分後、120分後にも尾静脈から採血し、血糖値を測定した。
【0082】
その結果の一例を図12Aに示す。図12Aに示される通り、対照マウスでは15分値と30分値の間で有意差はなく通常は30分前後にピーク値が認められるが、膵β細胞特異的Drp1欠損マウスでは、30分後以降も血糖値が急激に上昇し、120分経過後でもなお高い値で維持されていた(図12A、lox/lox RIP)。また、図12Bにその際の血中インスリン値を示したが、膵β細胞特異的Drp1欠損マウスでは、対照マウスで認められるような糖負荷15分後のインスリン値の急上昇が見られず、対照マウスと比較してインスリン初期分泌の低下が見られた。図12Aに示されるような糖負荷後に特異的に生じる高血糖及びインスリン初期分泌の低下は、2型糖尿病に典型的なグルコース応答性インスリン分泌不全の症状と一致した。なお図12Aの0分値に示すように、空腹時血糖はDrp欠損マウスと対照マウスの間で有意差は見られなかった。
【0083】
膵β細胞特異的Drp1欠損マウス及び対照マウスについては上記試験と並行して体重の測定も行った。膵β細胞特異的Drp1欠損マウスは、8週齢で既に耐糖能異常を示したが、8週齢の時点では対照マウスと比較して体重に有意差は認められなかった(図13A)。
【0084】
また、膵β細胞特異的Drp1欠損マウスの膵β細胞においてインスリン合成が確認された。具体的には、膵臓のパラフィン封埋切片をインスリン抗体を用いて染色したところ、膵β細胞特異的Drp1欠損マウスの膵臓についても、対照マウス(野生型表現型)の膵臓とよく似た染色像が観察された。さらに、膵β細胞特異的Drp1欠損マウスの膵臓の全切片を連続して観察し、膵臓ランゲルハンス島の面積を測定し、対照マウスと比較したところ両者間に有意差は見られなかった。以上のことから、膵β細胞特異的Drp1欠損マウスにおいてもインスリン合成自体は正常に行われていることが分かった。さらに、対照マウスと膵β細胞特異的Drp1欠損マウス(KOマウス)の上記膵臓パラフィン封埋切片について、グルカゴン抗体を用いてインスリン抗体との二重染色を行うと、グルカゴン陽性α細胞はβ細胞を取り囲むように辺縁に存在し、これよりラ氏島の構築も正常にみられることが分かった(図13B)。
【0085】
このように、膵β細胞特異的Drp1欠損マウスでは、膵β細胞自体は正常に形成されて膵臓のランゲルハンス島を構成しており、かつその膵β細胞においてインスリンが合成されていたにもかかわらず、耐糖能異常が認められた。従ってDrp1遺伝子は、膵β細胞でのミトコンドリアの形態形成、特にミトコンドリアの分裂の制御を介して、インスリン分泌機能に関与していることが示された。
【産業上の利用可能性】
【0086】
本発明に係るDrp1遺伝子の機能が組織特異的に欠損しているノックアウト非ヒト哺乳動物は、ミトコンドリア分裂不全と関連する各種の疾患状態、例えばグルコース応答性インスリン分泌不全、シナプス形成不全、又はそれらを伴う疾患のモデル動物として有利に使用することができる。このノックアウト非ヒト哺乳動物又はそれに由来するDrp1遺伝子の機能が組織特異的に欠損している細胞を用いた薬剤スクリーニング方法は、これまでミトコンドリア分裂不全との関連が知られていなかった疾患、例えば2型糖尿病や神経変性疾患に対し、従来とは全く異なる機構で作用する新規な治療薬を探索するために使用することができる。
【図面の簡単な説明】
【0087】
【図1】図1は、Drp1ノックアウトマウスの作製方法を示す図である。Aはコンディショナルノックアウトマウス作製におけるゲノム上のDrp1遺伝子改変を示す。Bは、Drp1を組織特異的に欠損したノックアウトマウス又はその細胞の作製の流れを示す。
【図2】図2は、作製したノックアウトマウスにおけるDrp1遺伝子改変を、PCR増幅(図2A)又はウェスタンブロッティング(図2B)により確認した結果を示す写真である。図2中の(i)〜(iv)は、図1B中の(i)〜(iv)に対応している。
【図3】図3は、Drp1欠損細胞におけるミトコンドリア形態の観察結果を示す写真である。AはDrp1lox/lox及びDrp1-/-のES細胞の蛍光顕微鏡写真である。BはDrp1-/-ES細胞に外来的にDrp1を発現させた細胞を示す写真であり、Aと比較すると、相補されていることがわかる。CはDrp1lox/lox及びDrp1-/-のMEF細胞の蛍光顕微鏡写真、DはDrp1lox/lox及びDrp1-/-のMEF細胞の電子顕微鏡写真である。
【図4】図4は、Drp1lox/lox及びDrp1-/-のES細胞(A)及びMEF細胞(B)について各形態のミトコンドリアを有する細胞の割合を示したグラフである。
【図5】図5は、Drp1lox/lox及びDrp1-/-のES細胞(A)及びMEF細胞(B)における細胞増殖の結果を示すグラフである。
【図6】図6Aは、Drp1lox/lox及びDrp1-/-のMEF細胞におけるミトコンドリア膜電位の測定結果を示すグラフである。図6Bは、Drp1lox/lox及びDrp1-/-のES細胞におけるミトコンドリアDNA含量の相対的比較を示す写真である。
【図7】図7は、Drp1全身欠損マウス胎児及びその各組織の発生状態を示す写真である。
【図8】図8は、神経細胞特異的Drp1欠損マウス及びその脳組織の活性状態を示す写真である。
【図9】図9は、神経細胞特異的Drp1欠損マウスにおける脳組織中のミトコンドリアを示す写真である。Aは蛍光顕微鏡写真、Bは電子顕微鏡写真である。
【図10】図10は、神経細胞特異的Drp1欠損マウスの脳におけるシナプス形成不全の様子を示す写真である。
【図11】図11は、膵β細胞特異的Drp1欠損マウスにおける膵β細胞中のミトコンドリアを示す写真である。
【図12】図12は、膵β細胞特異的Drp1欠損マウス及び対照マウスにおける血糖値(A)、血中インスリン値(B)を示す図である。
【図13】図13は、膵β細胞特異的Drp1欠損マウスの膵β細胞における体重変化(A)及び膵臓ランゲルハンス島の切片の写真(B)を示す図である。図13A中、黒のバーはホモ接合の膵β細胞特異的Drp1欠損マウス、灰色のバーはヘテロ接合の膵β細胞特異的Drp1欠損マウス、白のバーは対照マウス(Drp1lox/loxマウス)である。図13Bの各写真において右が膵β細胞特異的Drp1欠損マウス(Drp1lox/lox;RIP-Creマウス)、左が対照マウス(Drp1lox/loxマウス)である。上段、下段がそれぞれ5週齢、24週齢マウスである。また図13B中、赤はインスリンの免疫組織染色、緑はグルカゴンの免疫組織染色を示す。
【配列表フリーテキスト】
【0088】
配列番号1はloxP配列である。
【0089】
配列番号2〜4はプライマーである。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
Drp1遺伝子の機能が組織特異的に欠損しているノックアウト非ヒト哺乳動物。
【請求項2】
Drp1遺伝子の機能が、Drp1遺伝子又はその発現制御領域上における少なくとも一部の塩基配列の欠失、置換及び/又は挿入によって欠損している、請求項1に記載のノックアウト非ヒト哺乳動物。
【請求項3】
げっ歯動物である、請求項1又は2に記載の非ヒト哺乳動物。
【請求項4】
グルコース応答性インスリン分泌不全モデル動物である、Drp1遺伝子の機能が膵β細胞特異的に欠損している、請求項1〜3のいずれか1項に記載のノックアウト非ヒト哺乳動物。
【請求項5】
シナプス形成不全モデル動物である、Drp1遺伝子の機能が神経細胞特異的に欠損している、請求項1〜3のいずれか1項に記載のノックアウト非ヒト哺乳動物。
【請求項6】
請求項4に記載のノックアウト非ヒト哺乳動物又はそれから得られるDrp1遺伝子の機能が欠損している膵β細胞に被験物質を投与することを特徴とする、グルコース応答性インスリン分泌改善剤のスクリーニング方法。
【請求項7】
請求項5に記載のノックアウト非ヒト哺乳動物又はそれから得られるDrp1遺伝子の機能が欠損している神経細胞に被験物質を投与することを特徴とする、シナプス形成促進剤のスクリーニング方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【図10】
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【図11】
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【図12】
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【図13】
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【公開番号】特開2009−118807(P2009−118807A)
【公開日】平成21年6月4日(2009.6.4)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−298224(P2007−298224)
【出願日】平成19年11月16日(2007.11.16)
【出願人】(507380698)株式会社 ジェンテック (1)
【Fターム(参考)】