説明

ガスクロマトグラフ質量分析法におけるデータ処理方法

【課題】環境中に存在する微量のダイオキシン化合物を、飛行時間型質量分析計を用いてレーザーイオン化法により測定する方法が提案されている。しかし、この方法は従来の二重収束型質量分析計と比較して質量分解能が低いので雑音を低減できず、十分な検出感度が得られないことが多い。
【解決手段】質量スペクトル分析法において、測定された信号から理想的な同位体ピークの強度分布の成分を抽出することによって、信号中の雑音を低減して検出感度を向上させることができる。また、質量スペクトルの類似性を定量的に評価することによって、分析結果の信頼性を評価することができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、ガスクロマトグラフ質量分析法におけるデータ処理に関する。
【背景技術】
【0002】
環境中には、ダイオキシン、ジベンゾフラン、ビフェニルなどの塩素置換体を総称する、いわゆるダイオキシン化合物が存在し、環境汚染を引き起こしている。その対策のため、これらの微量物質の分析手段が必要となっている。現在、日本工業規格では、濃縮・前処理した後、ガスクロマトグラフ高分解能質量分析計を用いて測定する方法が採用されている。
【0003】
塩素原子は、質量数35と37の同位体があり、自然界では約3:1の割合で存在する。したがって、塩素原子を1つ含むダイオキシン化合物は、分子イオンが約3:1の強度分布をもつ2つのピークとして観測される。さらに、塩素原子を2つ含むダイオキシン化合物は、約9:6:1の強度分布をもつ3つのピークとして観測される。このように分子イオンは、塩素原子数より1つ多いピークに分裂するので、ピーク数及び強度分布から塩素原子数を推定することができる。
【0004】
上記ダイオキシン分析用の高分解能質量分析計では、二重収束型が採用されている。この方式では、同位体イオンの全てを測定する場合には、電場あるいは磁場を掃引する必要があるので、測定に時間を要する。したがって、信号の利用効率が悪く、感度が低下する欠点がある。このため通常は二つの同位体イオンの強度比を求めて妨害成分の有無を評価しているが、この方法は精度が劣る欠点がある。
【0005】
最近では、レーザーイオン化法により質量分析する方法が提案されている。この方法では、レーザーパルスにより瞬時にイオン化できるので、飛行時間型質量分析計を用いて、全ての同位体ピークを一度に測定できる利点がある。
【0006】
しかし、飛行時間型質量分析計の分解能(m/Dm = 1000)は、二重収束型質量分析計の分解能(m/Dm = 10000)より悪く、妨害成分の寄与を除くことができない。このため十分な検出感度が得られないことが多い。
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
本発明は、上記状況を鑑みて、ダイオキシン化合物のように多数の同位体からなる化合物に対して、レーザーイオン化飛行時間型質量分析計を用いて同位体ピークの強度分布を一度に測定し、得られた信号から理論強度分布と等しい強度分布の信号を抽出することによって雑音を低減して検出感度を向上させると共に、それらの強度分布の類似性を定量的に評価することにより測定結果の信頼性を評価できるデータ処理方法を提供する。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明は、上記目的を解決するために、
[1]クロマトグラフ質量分析法において、xを質量スペクトルにおける質量数、yをクロマトグラムにおける保持時間、g(x,y)を質量スペクトルにおける同位体ピークの理論強度分布、f(x,y) を質量スペクトルにおける同位体ピークの実測強度分布をとするとき、
P(y) = ∫f(x,y)×g(x,y)dx/∫g(x,y)dx
式により求めた信号強度P(y)によりクロマトグラムを表示する。
【0009】
[2]上記[1]に記載の方法において、
R(y) = ∫f(x,y)×g(x,y)dx/[∫[f(x,y)]2dx]1/2[∫[g(x,y)]2dx]1/2
式により求めた相互相関因子によりクロマトグラフピークの信頼性を評価する。
【0010】
[3]上記[1]から[2]のいずれか1つに記載の方法を、ダイオキシン分析に適用してもよい。
【発明の効果】
【0011】
本発明によれば、以下のような効果を奏することができる。
【0012】
(1)クロマトグラフ質量分析法において、xを質量スペクトルにおける質量数、yをクロマトグラムにおける保持時間、g(x,y)を質量スペクトルにおける同位体ピークの理論強度分布、f(x,y) を質量スペクトルにおける同位体ピークの実測強度分布をとするとき、
P(y) = ∫f(x,y)×g(x,y)dx/∫g(x,y)dx
式により求めた信号強度P(y)によりクロマトグラムを表示することにより、信号中の雑音を低減して検出感度を向上させることができる。
【0013】
(2)上記(1)に加えて、
R(y) = ∫f(x,y)×g(x,y)dx/[∫[f(x,y)]2dx]1/2[∫[g(x,y)]2dx]1/2
式により求めた相互相関因子によりクロマトグラフピークの信頼性を評価することができる。
【0014】
(3)上記(1)から(2)のいずれか1つに記載の方法を、ダイオキシンの分析に適用することにより、環境分析並びに環境保全に資することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0015】
ダイオキシン化合物をガスクロマトグラフ装置で分離しながら、レーザーイオン化飛行時間型質量分析計により次々に質量スペクトルを測定する。得られた測定結果を本法によりデータ処理することにより、信号中の雑音を低減して検出感度を改善すると共に、分析結果の正確さを評価することができる。以下、本発明の実施の形態について詳細に説明する。
【実施例1】
【0016】
図1は、焼却炉排ガス試料の毒性の3分の1以上を決めている5塩素化ダイオキシン同位体の質量スペクトルの理想的な形である。横軸xは、本来質量数を表示すべきであるが、ここでは簡単のため測定値の飛行時間をそのまま表示している(質量数は飛行時間の平方根に比例する)。この形は理論的に求めてもよいが、単に濃度の高い試料を測定することによっても得られる。図2は、高濃度試料に対して得られた測定データである。ガスクロマトグラフの保持時間と飛行時間型質量分析計の飛行時間に対して信号強度を示した、いわゆる等高線表示に基づく3次元データとなっている。
【0017】
通常は、図3のようにA軸上におけるデータを表示して、クロマトグラムを作成する。しかし、A軸上以外のデータは使用しないので、信号の利用効率が低く、試料の検出感度が悪い。
【0018】
図4は、B軸上の質量スペクトルを表示した結果である。信号には雑音が重畳しており、信号を的確に抽出することが難しい。とくに試料濃度が低くなると、相対的に雑音が大きくなり、信号の判別が難しくなる。たとえば、図5は低濃度試料を測定したときの3次元表示データ、図6,7はそれぞれA軸、B軸上のデータを表示したクロマトグラム及び質量スペクトルであるが、必ずしも明瞭な結果が得られていない。そこで、図5の測定データf(x,y)において、本来測定されるべき理想的な強度分布g(x,y)の成分がどの程度含まれるかを、次式により求める。
P(y) = ∫f(x,y)×g(x,y)dx/∫g(x,y)dx
ガスクロマトグラフの各保持時間に対して、信号強度P(y)を表示することにより、測定精度を向上させることができる。図8(下のグラフ)は、本発明の第1実施例を示すデータ処理の結果である。このように、データ処理により雑音を低減し、検出感度を向上させることができる。
【実施例2】
【0019】
質量スペクトルの同位体ピークの測定結果が、理想の形にどの程度類似しているかを、次式により定量的に評価すれば、測定されたピークの信頼性を見積ることができる。
R(y) = ∫f(x,y)×g(x,y)dx/[∫[f(x,y)]2dx]1/2[∫[g(x,y)] 2dx]1/2
もし、測定結果が理想的な分布と完全に一致すれば、f(x,y)=g(x,y)であり、R(y) = 1となる。一方、両者が全く異なる場合には、f(x,y)×g(x,y) = 0であり、R(y) = 0となる。R(y)の値が0.9を超えると、同位体ピークの形状は、ほぼ理想的な形をしており、妨害物質の影響は軽微であると判断される。
【0020】
図8(上のグラフ)は、本発明の第2実施例を示すデータ処理の結果である。R(y)の値は、クロマトグラムのピーク付近ではR(y) = 0.9前後となり、5塩素化ダイオキシンが与える同位体ピークの形をほぼ与えていることを示している。すなわち、測定している物質が目的とする5塩素化ダイオキシンであることが確認できる。
【実施例3】
【0021】
クロマトグラムに含まれる雑音の高調波成分を低減するため、スムージング処理を行うと、さらに検出感度を向上させることができる。たとえば、図8の各データ点に対して
f(x,y) = (1/16)f(x-2,y) + (4/16)f(x-1,y) + (6/16)f(x,y) + (4/16)f(x+1,y) +(1/16) f(x+2,y)
式に従って重みを付けて再計算すると、図9のように鋭い信号成分が低減され、クロマトグラム上のピークがより判別し易くなる。この場合の検出限界濃度を求めると0.1 pgの値が得られ、JISで要求されているダイオキシン分析装置の検出感度(0.1 pg)を達成していることがわかる。
【実施例4】
【0022】
本発明をダイオキシン化合物に適用することにより、環境分析並びに環境保全に資することができる。また、その他の分子、原子に適用した場合にも、同様な効果が得られる。とくに、同位体が多数存在する臭素、ヨウ素、硫黄、珪素などの原子、並びにこれらを含む分子の分析に適用することにより、検出感度の向上並びに分析値の信頼性の評価に用いることができる。
【図面の簡単な説明】
【0023】
【図1】5塩素化ダイオキシン化合物の質量スペクトルにおける同位体ピークの理想的な形
【0024】
【図2】5塩素化ダイオキシン化合物の高濃度試料(10 pg)を測定して得られた3次元表示データ
【0025】
【図3】A軸上のデータから求めたクロマトグラム(高濃度試料)
【0026】
【図4】B軸上のデータから求めた質量スペクトル(高濃度試料)
【0027】
【図5】5塩素化ダイオキシン化合物の低濃度試料(1 pg)を測定して得られた3次元表示データ
【0028】
【図6】A軸上のデータから求めたクロマトグラム(低濃度試料)
【0029】
【図7】B軸上のデータから求めた質量スペクトル(低濃度試料)
【0030】
【図8】下: 本発明の第1実施例を示すデータ処理の結果 上:本発明の第2実施例を示すデータ処理の結果
【0031】
【図9】図8下のクロマトグラムにスムージング処理を施した結果

【特許請求の範囲】
【請求項1】
クロマトグラフ質量分析法において、xを質量スペクトルにおける質量数、yをクロマトグラムにおける保持時間、g(x,y)を質量スペクトルにおける同位体ピークの理論強度分布、f(x,y) を質量スペクトルにおける同位体ピークの実測強度分布をとするとき、
P(y) = ∫f(x,y)×g(x,y)dx/∫g(x,y)dx
式により求めた信号強度P(y)によりクロマトグラムを表示することを特徴とするデータ処理方法。
【請求項2】
前記分析法において、
R(y) = ∫f(x,y)×g(x,y)dx/[∫[f(x,y)]2dx]1/2[∫[g(x,y)]2dx]1/2
式により求めた相互相関因子によりクロマトグラフピークの信頼性を評価することを特徴とする請求項1に記載の方法。
【請求項3】
前記分析法において、ダイオキシン化合物に適用することを特徴とする請求項1から2のいずれか1項に記載の方法

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【公開番号】特開2009−80001(P2009−80001A)
【公開日】平成21年4月16日(2009.4.16)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−249270(P2007−249270)
【出願日】平成19年9月26日(2007.9.26)
【出願人】(000171115)
【Fターム(参考)】