説明

ステンレス鋼板の表面改質方法

【課題】窒化物を生成せずに、短時間で高濃度の窒素を固溶させて、高耐食性を付与することができるステンレス鋼板の表面改質方法を提供する。
【解決手段】窒素の分圧が0.25〜0.7気圧であり残部が還元性ガスからなる雰囲気の炉内で、1079〜1210℃の温度範囲において、板厚が0.5〜2.0mmの鋼板をオーステナイト単相と平衡する温度で30〜90秒間保持し、鋼板の表面にオーステナイト単相を形成させながら窒素を0.3mass%以上固溶させ、ガス雰囲気を保ちながら炉内にて鋼板を冷却し、鋼板の表面を窒素が固溶したオーステナイト単相に維持する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明はステンレス鋼板の表面を迅速に改質する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
ステンレス鋼の耐食性を向上させるには、窒素の添加が極めて有効である。窒素の添加方法として、主に、精錬の段階で窒素を添加する加圧溶解法や、ステンレス鋼が高温の固相状態において雰囲気ガスから窒素を吸収させる固相窒素吸収法等(特許文献1参照)が挙げられる。加圧溶解法においては、窒素が強い固溶強化効果をもつため、窒素添加後の難加工性が問題となる。一方、固相窒素吸収法は鋼材の加工または成形後に窒素を添加するため、難加工性の問題を回避できる。また、加圧溶解法より固相窒素吸収法の方がステンレス鋼の窒素吸収量が多くなるため、ステンレス鋼の大幅な耐食性向上が期待できる。
【0003】
固相窒素吸収法では、ステンレス鋼を高温に曝しながら雰囲気ガスから窒素を吸収させる。このため、鋼材の組成や表面酸化皮膜などの材料自体の性質だけでなく、熱処理温度や雰囲気ガスなどの環境因子や熱処理時間が、材料表面の窒素吸収量と窒素の材料内部への拡散深さに大きく影響を与える。たとえば、熱処理前にすでに存在する表面酸化皮膜は窒素の材料内部への拡散を妨げる。この場合、製造コストを考慮し、酸化皮膜を除去するための特別な前処理を行わずに、そのまま鋼板の窒素吸収処理を行うためには、熱処理中の初期段階において酸化皮膜を還元して除去することが考えられる。また、適切な温度と窒素分圧で熱処理を行うことにより、窒化物や酸化物を形成せずに高濃度の窒素を鋼板に固溶させることができる。窒化物や酸化物が生成すると、窒素の材料内部への拡散が妨げられ、鋼板の耐食性が損なわれる。
【0004】
従来の一般的な固相窒素吸収法において高濃度の窒素を吸収させるには、熱処理に数十分以上かかる。このため、ステンレス鋼を長時間高温に曝すことになり、結晶粒が粗大化したり、製造コストが増加する等の問題がある。また、結晶粒の粗大化を防ぐために熱処理温度を下げ過ぎると、窒化物が形成されたり、熱処理時間を短縮し過ぎると窒素の拡散深さが不十分となるなどの問題も発生する。
【0005】
一方、光輝焼鈍(BA)処理のような連続生産ライン上で窒素吸収処理を行う場合には、熱処理の時間は数十秒しかない。したがって、このような短時間で十分に窒素を吸収させ、かつ材料内部へ十分な深さまで拡散させるためには、対象となるステンレス鋼を適切な温度と雰囲気ガス条件において熱処理することが重要である。具体的には、フェライト系ステンレス鋼、オーステナイト・フェライト系ステンレス鋼およびオーステナイト系ステンレス鋼は、それぞれ成分が異なるため、適切な温度と雰囲気ガス中の窒素分圧が異なる。たとえば、特許文献2では、オーステナイト・フェライト系ステンレス鋼(二相ステンレス鋼)を対象としており、この鋼板に光輝熱処理を施すことによって、表面に所定量の窒素を吸収させたオーステナイト富化層を形成している。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【特許文献1】特開2006−316338
【特許文献2】特開2004−353041
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
上述のように、従来の固相窒素吸収法では、熱処理中の初期段階において酸化皮膜を除去し、短時間の熱処理で高濃度の窒素を十分な深さまで拡散させ、結晶粒の粗大化を抑制することはできない。また、特許文献2においては、窒素を吸収させたオーステナイト富化層が薄いため、耐食性向上の効果が十分ではない。そこで、本発明は、窒化物を生成せずに、短時間で高濃度の窒素を固溶させて、高耐食性を付与することができるステンレス鋼板の表面改質方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
上記目的を達成するため、本発明者らは鋭意研究を重ねた結果、熱処理温度と雰囲気ガスを制御することで各種ステンレス鋼板に高濃度の窒素を迅速に固溶させる方法を見出し、本発明を完成するに至った。すなわち、窒素ガスと還元性ガスを含む高温の雰囲気ガス中にステンレス鋼板を通過させ、ステンレス鋼板表面に高濃度の窒素を迅速に固溶させて、優れた耐食性を付与できる、ステンレス鋼板表面の改質方法を見出した。本発明は、この知見に基づいて実験を重ね、最も望ましい条件を見出してなされたものである。
【0009】
特に、本発明のステンレス鋼板の表面改質方法の骨子は、ステンレス鋼がオーステナイト単相となる温度域で、かつ、窒素ガスと平衡する領域において処理を行うことにある。オーステナイト相は、窒素の溶解度が高く、窒素吸収に有利である。さらに、窒素分圧を的確に設定し、窒化物が形成されない温度域を使用することによって、ステンレス鋼表面の窒素原子を固溶状態に維持することが可能である。この領域は、本発明者らが鋭意研究を重ねて見出したものであり、この条件を満たすように熱処理を行うことにより、高濃度の窒素を迅速に固溶させることができ、かつ表面から十分に深くまで拡散させることができる。
【0010】
すなわち、本発明のステンレス鋼板の表面改質方法は、窒素の分圧が0.25〜0.7気圧であり残部が還元性ガスからなる雰囲気の炉内で、1079〜1210℃の温度範囲において、板厚が0.5〜2.0mmの鋼板をオーステナイト単相と平衡する温度で30〜90秒間保持し、鋼板の表面にオーステナイト単相を形成させながら窒素を0.3mass%以上固溶させ、上記ガス雰囲気を保ちながら炉内にて鋼板を冷却し、鋼板の表面を窒素が固溶したオーステナイト単相に維持することを特徴する。
【0011】
本発明によれば、雰囲気ガスおよび熱処理温度を制御して鋼板の表面にオーステナイト単相を形成することによって、効率良く十分な深さまで高濃度の窒素を固溶させることができる。このステンレス鋼板表面のオーステナイト単相は、鋼板の板厚の中心よりも高い濃度の窒素を含有し、0.3mass%以上の窒素を含有しており、その厚みは10μm以上となる(以下、窒素富化層と表す)。また、オーステナイト単相となる温度域で、かつ、窒素ガスと平衡する領域において処理を行うため、ステンレス鋼表面の窒素原子を固溶状態に維持することができ、窒化物の生成を防ぐことができる。したがって、ステンレス鋼板表面の耐食性を効果的に向上させることができる。
【0012】
以下、本発明のステンレス鋼板の表面改質方法における数値限定理由を説明する。
窒素分圧:0.25〜0.7気圧
鋼板表面に窒素原子を固溶させるため、窒素ガスは必要不可欠なガスである。窒素分圧が0.25気圧未満では、窒素富化層を得難い。すなわち、鋼板表面からの窒素の拡散深さが10μm未満となったり、窒素濃度が0.3mass%未満となってしまう。一方、窒素分圧が0.7気圧を超えると、窒素の固溶状態を維持することができず、窒化物が形成され易くなる。このため、窒素分圧は0.25〜0.7気圧とする。また、雰囲気ガスの残部は、鋼板の酸化を防ぐために還元性ガスとする必要がある。なお、通常の処理では、全圧1気圧で構わないが、窒素の分圧を0.25〜0.7気圧とすればよいため、全圧はこれに限定する必要はない。
【0013】
熱処理温度:1079〜1210℃
上記窒素雰囲気下において、ステンレス鋼板表面にオーステナイト単相を形成する。熱処理温度が1079℃未満では、窒素の固溶および拡散が不十分となって窒素富化層が得難く、あるいは、鋼種によってはオーステナイト単相とならず、窒素原子の固溶状態を維持することができないため、窒化物が形成され易くなる。一方、熱処理温度が1210℃を超えると、結晶粒が粗大化して靭性が低下するか、鋼種によってはフェライト相が形成されて窒素の溶解度が低減するため、高濃度の窒化富化層を得難い。したがって、熱処理温度は1079〜1210℃とする。
【0014】
板厚:0.5〜2.0mm
製造工程の熱処理時間中に迅速に窒素を鋼板に吸収させるため、鋼板を迅速に目的とする温度、すなわち、1079〜1210℃に到達させる必要がある。板厚が厚すぎると鋼板の昇温に時間が掛かってしまい、製造工程中の限られた熱処理時間内では鋼板の窒素吸収時間が実質的に短くなるため、窒素富化層を得難い。一方、板厚が薄すぎると、高温での処理時に鋼板が変形し易くなり、品質に問題が生じる。このため、板厚は0.5〜2.0mmとする。
【0015】
保持時間:30〜90s
各鋼種における窒素の固溶可能量は、熱処理の温度と窒素分圧によって決まる。適切な温度と窒素分圧の環境におけば、鋼板の表面に窒素が平衡濃度まで吸収され、鋼板内部へ拡散していく。たとえば、保持時間が十分長ければ、窒素を鋼板中心部まで拡散させ、板厚方向に均一に分布させることも可能である。しかしながら、BAラインのような連続雰囲気熱処理を考えた場合、熱処理の時間は数十秒しかない。本発明においては、製造コストを考慮し、このような短い時間内で窒素を鋼板表面から所定の深さまで拡散させる。このため、上記温度での保持時間を30〜90sに設定する。
【0016】
窒素濃度:0.3mass%以上
十分な耐食性を得るため、鋼板の表面に固溶させる窒素の濃度は0.3mass%以上とする。上述のような条件で熱処理を行うことにより、このような高窒素濃度で、かつ表面から10μm以上の窒素富化層が得られる。
【0017】
なお、本発明においては、十分な耐食性を付与するために、また傷など機械的な損傷に耐えるために、窒素富化層の厚みを10μm以上とするが、必要な耐食性が得られれば良いため、目的に応じた厚さとすればよく、10μm未満でも良い。
【0018】
本発明においては、具体的には、たとえば、フェライト系ステンレス鋼、オーステナイト・フェライト系ステンレス鋼およびオーステナイト系ステンレス鋼等を用いることができる。鋼種によって熱処理の温度範囲を適切に変えることにより、窒化物を形成せずに、効率良く高濃度の窒素を十分な深さまで拡散させることができる。
【0019】
以下、フェライト系ステンレス鋼、オーステナイト・フェライト系ステンレス鋼およびオーステナイト系ステンレス鋼を用いた場合の好適な組成成分範囲および熱処理温度範囲を説明する。
【0020】
1 フェライト系ステンレス鋼
1−1組成成分範囲
(Cr:24.0〜26.0mass%)
Crは、耐食性を向上させる元素であると共にフェライト形成元素でもあるので、必須元素である。母材の耐食性を十分に確保するためには24mass%以上が必要であるが、26mass%を超えて添加するとσ相などの金属間化合物が形成され、または窒素吸収処理の際にCr窒化物が形成されやすいため、鋼材の耐食性を低下させる。このため、Cr含有量を24.0〜26.0mass%とする。
【0021】
1−2熱処理温度範囲(1079〜1140℃)
オーステナイト単相が得られる温度領域は1079〜1140℃であり、この温度領域では窒化物(Cr窒化物)が生成しないため、効率的に窒素を固溶させることができる。熱処理温度が1079℃未満であると、Cr窒化物が形成される。また、熱処理温度が1140℃を超えると、フェライト相が形成されるため窒素を高濃度に固溶させ難く、窒化富化層を得難い。このため、熱処理温度範囲を1079〜1140℃とする。
【0022】
2 オーステナイト・フェライト系ステンレス鋼
2−1組成成分範囲
(Cr:24.0〜26.0mass%)
Crは、上記と同様の理由から添加する。母材の耐食性を確保するためには24mass%以上が必要であるが、26mass%を超えて添加するとσ相などの金属間化合物が形成され、または窒素吸収処理の際にCr窒化物が形成されやすいため、鋼材の耐食性を低下させる。一方、Cr含有量が24mass%を下回ると、窒素吸収処理の際に十分な量の窒素を固溶出来ないため、耐食性の向上効果が小さい。このため、Cr含有量を24.0〜26.0mass%とする。
【0023】
(Ni:5.0〜8.0mass%)
Niは、オーステナイト形成元素であり、CrやMoを多量に含有するステンレス鋼のオーステナイト・フェライト二相組織を維持するために、5.0mass%以上の添加が必要である。一方、8.0mass%を超えて添加すると、フェライト相が減少し、オーステナイト・フェライト二相組織を維持し難くなるため、Ni含有量を5.0〜8.0mass%とする。
【0024】
(Mo:3.0〜4.0mass%)
Moは、フェライト形成元素であると共に耐食性を向上させる元素である。Mo含有量が3.0mass%未満では、母材の耐食性を確保し難い。一方、 4.0mass%を超えて添加すると、σ相などの金属間化合物や、窒素吸収時にCrと反応して窒化物を生成するため、耐食性を低下させる。このため、Mo含有量を3.0〜4.0mass%とする。
【0025】
2−2熱処理温度(1193〜1208℃)
オーステナイト・フェライト系ステンレス鋼においては、その二相組織をオーステナイト単相組織に変えるためには、1193〜1208℃の温度領域で熱処理する必要がある。本鋼種では、熱処理温度が1193℃未満では、窒素の溶解速度が極端に遅くなり、10μm以上の窒素富化層を得難い。また、熱処理温度が1208℃を超えると、フェライト相が形成されるため、窒素の溶解度が低下してしまう。
【0026】
3 オーステナイト系ステンレス鋼(1)
3−1組成成分範囲
(Cr:18.0〜20.0mass%)
Crは前述のように、耐食性を向上させる元素である。母材の耐食性を確保するため、18.0mass%以上のCrが必要である。ただし、20.0mass%を超えるとσ相などの金属間化合物が形成されるため、耐食性が低下する。このため、Cr含有量を18.0〜20.0mass%とする。
【0027】
(Ni:9.0 〜13.0mass%)
Niは、オーステナイト形成元素であり、ステンレス鋼のオーステナイト単相組織を維持するため、9.0mass%以上が必要である。ただし、13.0mass%を超えるとコストが上昇するだけではなく、窒素の固溶限を下げてしまうため、窒素固溶可能量が低下する。このため、Ni含有量を9.0 〜13.0mass%とする。
【0028】
3−2熱処理温度(1140〜1210℃)
オーステナイト系ステンレス鋼(1)においては、1140〜1210℃の温度範囲で窒素吸収処理を行う。熱処理温度が1140℃未満では、窒素の溶解速度が極端に遅くなり、10μm以上の窒素富化層を得難い。一方、1210℃を超えると、結晶粒が粗大化しやすい。
【0029】
4 オーステナイト系ステンレス鋼(2)
4−1組成成分範囲
(Cr:16.0〜18.0mass%)
Crは前述のように、耐食性を向上させる元素である。母材の耐食性を確保するため、Mo同時添加の場合、Cr含有量は16mass%以上が必要である。しかしながら、18.0mass%を超えると、σ相などの金属間化合物が形成されるため、耐食性が低下する。このため、Cr含有量を16.0〜18.0mass%とする。
【0030】
(Ni:12.0〜15.0mass%)
Niは、オーステナイト形成元素であり、フェライト形成元素であるMoやCrを多量に含有するステンレス鋼においては、オーステナイト単相組織を維持するためにその含有量をより多くする必要がある。Ni含有量が12.0mass%未満では、オーステナイト単相組織を維持し難い。一方、15.0mass%を超えるとコストが上昇するだけではなく、窒素の固溶限を下げてしまうため、窒素固溶可能量が低下する。このため、Ni含有量を12.0〜15.0mass%とした。
【0031】
(Mo:2.0〜3.0mass%)
Moは、フェライト形成元素であると共に耐食性を向上させる元素である。その効果を得るため、Mo含有量を2.0〜3.0mass%とする。Mo含有量が2.0mass%未満では、母材の耐食性を確保し難い。一方、3.0mass%を超えると、オーステナイト単相組織を維持できなくなり、さらに、σ相などの金属間化合物や、窒素吸収時にCrと反応して窒化物を生成するため、耐食性を低下させる。
【0032】
4−2熱処理温度(1139〜1210℃)
オーステナイト系ステンレス鋼(2)では、熱処理温度を1139〜1210℃とする。この温度範囲では、窒化物を生成することなくオーステナイト単相組織を形成できるため、効率的に窒素を固溶させることができる。熱処理温度が1139℃未満であると、Cr窒化物が形成される。また、熱処理温度が1210℃を超えると、フェライト相が形成されるため窒素を高濃度に固溶させ難く、窒化富化層を得難い。
【発明の効果】
【0033】
本発明によれば、ステンレス鋼板に対して、窒化物を生成せずに、短時間で高濃度の窒素を固溶させて、高耐食性を付与することができる。
【図面の簡単な説明】
【0034】
【図1】Fe−25Crフェライト系ステンレス鋼において、窒素分圧が0.25気圧におけるオーステナイト単相が形成される温度域と鋼中に固溶する窒素濃度との関係を示す図である。
【図2】窒素分圧が0.25気圧において、1130℃で60s処理したFe−25Crフェライト系ステンレス鋼の断面組織を示す図である。
【図3】窒素吸収処理前後のFe−25Crフェライト系ステンレス鋼のアノード分極曲線を示すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0035】
次に、本発明をさらに詳細に説明する。まず、フェライト系ステンレス鋼について図1を参照して述べる。フェライト系ステンレス鋼はCr:24.0〜26.0mass%、残部Feおよび不可避的不純物からなり、たとえば、Fe−25Cr鋼等が挙げられる。図1は、Fe−25Crフェライト系ステンレス鋼において、窒素分圧が0.25気圧のときに、オーステナイト単相が形成される温度域と鋼中に固溶する窒素濃度(即ち固溶限)との関係を示す図である。オーステナイト単相が得られる温度領域は1079〜1140℃であり、0.25気圧の窒素雰囲気で処理した時のオーステナイト相に固溶する窒素濃度は式(1)で表される。この温度領域では、Cr窒化物が生成されないため、効率的に窒素を固溶させることができる。1079℃未満の温度では、Cr窒化物が形成される。また、1140℃を超えると、フェライト相が形成されるため、窒素の溶解度が低下し、窒素富化層を得難い。
mass%N = −0.00496×T(℃)+ 6.672 (1)
【0036】
オーステナイト・フェライト系ステンレス鋼は、Cr:24.0〜26.0mass%、Ni:5.0〜8.0mass%、Mo:3.0〜4.0mass%、残部Feおよび不可避的不純物からなり、たとえば、SUS329J4L二相系ステンレス鋼等が挙げられる。SUS329J4Lにおいては、その二相組織をオーステナイト単相組織に変えるためには、0.25〜0.7気圧の窒素ガスを含む雰囲気ガス中で1193〜1208℃の温度領域で熱処理する必要がある。たとえば、Cr:25mass%、Ni:6.0mass%、Mo:3.25mass%、残部Feおよび不可避的不純物からなるステンレス鋼を0.5気圧の窒素雰囲気で処理した時の固溶窒素の濃度は式(2)で表される。本鋼種では、熱処理温度が1193℃未満では、窒素の溶解速度が極端に遅くなり、10μm以上の窒素富化層を得難い。また、1208℃を超えると、フェライト相が形成され、窒素の溶解度が低下してしまう。
mass%N=−0.00367×T(℃)+5.277 (2)
【0037】
オーステナイト系ステンレス鋼は、Cr:18.0〜20.0mass%、Ni:9.0〜13.0mass%、残部Feおよび不可避的不純物からなり、たとえば、SUS304L等が挙げられる。具体的には、Cr:19.0mass%、Ni:11.0mass%、残部Feおよび不可避的不純物からなるSUS304Lでは、窒素分圧を0.5気圧にした場合、オーステナイト相に固溶する窒素の濃度は式(3)で表される。本鋼種では、熱処理温度が1140℃未満では、窒素の溶解速度が極端に遅くなり、10μm以上の窒素富化層を得難い。一方、1210℃を超えると、結晶粒が粗大化する。このため、熱処理温度は1140〜1210℃とする。
mass%N=−0.00110×T(℃)+1.715 (3)
【0038】
また、他のオーステナイト系ステンレス鋼として、Cr:16.0〜18.0mass%、Ni:12.0〜15.0mass%、Mo:2.0〜3.0mass%、残部Feおよび不可避的不純物からなる鋼が挙げられ、たとえば、SUS316L等がある。具体的には、Cr:17.0mass%、Ni:13.0mass%、Mo:2.5mass%、残部Feおよび不可避的不純物からなるSUS316Lオーステナイト系ステンレス鋼では、窒素分圧を0.5気圧にした場合、1139〜1210℃の温度範囲では窒化物を生成することなくオーステナイト単相組織が維持される。0.5気圧の窒素雰囲気で処理した時のオーステナイト相に固溶する窒素の濃度は式(4)で表される。
mass%N=−0.00087×T(℃)+1.4005 (4)
【0039】
以上説明したように、各鋼種において固溶可能な窒素量は熱処理の温度と窒素分圧によって決まる。適切な温度と窒素分圧の環境におけば、鋼板の表面に窒素が平衡濃度まで吸収され、鋼板内部へ拡散していくことになる。十分長い処理時間であれば、窒素が鋼板中心部まで到達するため、板厚方向に均一に分布させることが可能になる。しかしながら、製造コストの面から、熱処理の時間は数十秒しかない。このため、本発明においては、熱処理の保持時間を30〜90sとし、十分な耐食性を付与するために、また傷など機械的な損傷に耐えるために、窒素富化層の厚みを10μm以上とする。ただし、必要な耐食性が得られれば良いため、目的に応じた厚さとすればよく、10μm未満でも良い。
【0040】
なお、窒素を速く拡散させる方法として、熱処理温度を上げることは最も効果的である。このため、上記温度範囲内でも、結晶粒の粗大化を抑えながらできるだけ高い温度で処理することが好ましい。また、窒素を速く拡散させる他の方法は、鋼板表面の不動態皮膜などの酸化皮膜を除去することである。表面酸化皮膜は窒素の吸収を妨げ、拡散を遅らせるからである。たとえば、雰囲気ガス中に還元性の水素ガスを混入して、熱処理時に水素で酸化皮膜を還元させながら窒素を吸収させることにより、鋼板内部への窒素の拡散を促進させることができる。この場合、水素ガスの分圧は0.30気圧以上、0.75気圧以下が好ましい。また、露点を低くする必要があり、−30℃以下が好ましい。−30℃を超えると酸化の傾向が強くなり水素の還元能力が下がってしまう。
【実施例】
【0041】
以下、本発明の一例を述べる。通常の製造方法により、表1に示す組成成分を有するFe−25Cr(フェライト系)、SUS329J4L(オーステナイト・フェライト二相系)およびSUS304LとSUS316L(オーステナイト系)のステンレス冷間圧延鋼板を作製した。この冷延鋼板から20mm×30mm×厚さ(0.5〜2.0)mmの試験片を採取して、エミリー紙2000番まで湿式研磨を行い、脱脂後、表2に示す条件で窒素吸収処理(熱処理)を施した。
【0042】
窒素吸収処理の条件は、表2に示す通りである。まず、加熱室と冷却室を有する雰囲気炉を10−3Paまで真空引きをし、表2に示す雰囲気ガスを雰囲気炉に導入した。雰囲気ガスの流量を1リットル/minと一定にし、露点を−45℃以下に制御した。そして、表2に示す温度になってから試験片を投入し、表2に示す時間で保持した後、試験片を加熱室から同じ雰囲気ガスを有する冷却室中に移動させて、オーステナイト単相が維持されるように急速冷却を行った。
【0043】
【表1】

【0044】
【表2】

【0045】
上記のようにして得た各試験片について、組織観察を行った。組織観察は、光学顕微鏡、走査型電子顕微鏡(SEM)および電子線後方散乱回折法(EBSD)を用いて表面および断面組織について行った。なお、断面組織観察用の試料の一部は断面イオン加工装置(CP)により作製した。この組織観察により、オーステナイト相形成の確認を行った。その一例を図2に示す。図2は、雰囲気ガス中の窒素ガスが0.25気圧において、1130℃で60s処理したFe−25Crフェライト系ステンレス鋼の断面組織である。図2より、熱処理前の表面がフェライト単相組織だったFe−25Cr鋼は、熱処理後に表面にオーステナイト単相組織が形成されたことを確認できた。同様に、オーステナイト・フェライト二相組織だったSUS329J4L鋼も、熱処理後にオーステナイト単相組織が形成されたことを確認した。
【0046】
また、組織観察により、結晶粒径の大きさ、窒化物生成の有無について評価を行った。結晶粒径は、本発明においては、50μm未満を○とし、50μm以上を×と判断した。また、窒化物は耐食性を低下させるため、窒化物を生成しなかったものを○、生成したものを×とした。さらに、高周波グロー発光分析装置(GD−OES)により、試験片の表面から深さ方向の窒素濃度分布を測定し、窒素富化層の特定を行った。ここで、窒化富化層とは、オーステナイト単相からなり、窒素濃度が0.3mass%以上の層のことで、表面からの厚さが10μm以上を○、10μm未満を×とした。これらの結果を表3に示す。
【0047】
【表3】

【0048】
表3より、熱処理温度が各鋼種の評価項目に及ぼす影響がわかる。各鋼板において、熱処理温度が低すぎると(1060℃)、窒素富化層の厚さが不十分となったり、窒化物が生成した。一方、熱処理温度が高すぎると(1230℃または1220℃)、オーステナイト単相は形成されずフェライト相が形成されるため、効率的に窒素を固溶させることができず、厚さ10μm以上の窒素富化層が得られなかった。また、熱処理温度が高いため、結晶粒が粗大化した。このことから、オーステナイト単相が得られる温度領域で熱処理を行う必要があることが判った。すなわち、フェライト系ステンレス鋼(Fe−25Cr)では1079〜1140℃、オーステナイト・フェライト系ステンレス鋼(SUS329J4L)では1193〜1208℃、オーステナイト系ステンレス鋼(SUS304L)では1140〜1210℃、他のオーステナイト系ステンレス鋼(SUS316L)では1139〜1210℃の温度範囲が適している。
【0049】
また、表3より、熱処理時間が各鋼種の評価項目に及ぼす影響がわかる。各鋼板において、熱処理温度がそれぞれ適した温度のとき(1130℃、1150℃または1200℃)、熱処理時間が30s未満であると、十分な厚さの窒素富化層が得られなかった。一方、熱処理時間が90sを超えると、結晶粒が粗大化した。このことから、熱処理時間は30〜90sの間が適していることが判った。
【0050】
表4に、一例として、各試験片の窒素富化層の厚さおよびその窒素濃度を示す。試料番号1の試料は、窒素分圧0.25atm、1130℃において60s間窒素吸収処理を施したFe−25Cr(フェライト系)、試料番号2の試料は、窒素分圧0.5atm、1200℃において60s間窒素吸収処理を施したSUS329J4L(二相系)である。また、試料番号3の試料は、窒素分圧0.7atm、1150℃において60s間窒素吸収処理を施したSUS304L、試料番号4の試料は、窒素分圧0.5atm、1150℃において60s間窒素吸収処理を施したSUS316L(オーステナイト系)である。表4より、全ての鋼種において、窒素富化層が非常に厚く、窒素富化層中に母材より多くの窒素が含まれていることが分かる。
【0051】
【表4】

【0052】
次に、鋼板の厚さの影響について検討を行った。上記と同様のステンレス冷間圧延鋼板を作製し、10mm×120mm×厚さ(0.2〜3.0)mmの試験片を採取して、エミリー紙2000番まで湿式研磨を行い、脱脂後、窒素吸収処理(熱処理)を施した。窒素吸収処理は、支点間隔100mmの置き台の上に試験片を水平に載せて行い、雰囲気ガス中の窒素分圧は0.50atm、熱処理時間は60sとした。熱処理後、各鋼板の変形を観察し、窒素富化層の測定を行った。このとき、歪みのないものを○とし、歪みのあるものを×とした。また、窒化富化層の厚さが10μm以上を○、10μm未満を×とした。これらの結果を表5に示す。
【0053】
【表5】

【0054】
表5より、板厚の影響がわかる。各鋼板において、板厚が0.5mm未満では、熱処理による板の歪みが観察された。一方、板厚が2.0mmを超えると、形成した窒素富化層の厚さが不十分となった。これは、板厚が大きいと昇温速度が遅くなり、所定の温度での均熱時間が短くなったためと考えられる。このことから、各鋼板の板厚は、0.3〜2.0mmが適していることが判った。
【0055】
さらに、各鋼板の耐食性を評価するため、腐食試験を行った。腐食試験では、上記の試料番号1〜4の試料を用い、20wt%NaCl水溶液中でアノード分極を行い、各試験片の孔食電位を測定することにより、臨界孔食発生温度(CPT)を求めた。この結果を表6に示す。なお、一例として窒素吸収処理前後のFe−25Crフェライト系ステンレス鋼のアノード分極曲線を図3に示す。
【0056】
【表6】

【0057】
表6および図3より、窒素吸収処理の耐食性への影響がわかる。表6および図3より、Fe−25Cr鋼では、窒素吸収前の臨界孔食発生温度(CPT)は5℃であり、この温度で孔食が発生したが、窒素吸収処理後にはCPTは85℃まで向上した。また、他の種類の試験片においても、CPTの向上が見られた。表6において、特に、Fe−25Cr鋼とSUS329J4L鋼はSUS304LとSUS316Lより多く窒素を吸収したために耐食性の向上は最も顕著であった。これらのことから、窒素吸収処理により、鋼板の耐食性を向上させることができることを確認できた。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
窒素の分圧が0.25〜0.7気圧であり残部が還元性ガスからなる雰囲気の炉内で、1079〜1210℃の温度範囲において、板厚が0.5〜2.0mmの鋼板をオーステナイト単相と平衡する温度で30〜90秒間保持し、
前記鋼板の表面にオーステナイト単相を形成させながら窒素を0.3mass%以上固溶させ、
前記ガス雰囲気を保ちながら炉内にて前記鋼板を冷却し、
前記鋼板の表面を窒素が固溶したオーステナイト単相に維持することを特徴するステンレス鋼板の表面改質方法。
【請求項2】
前記鋼板は、Cr:24.0〜26.0mass%、残部Feおよび不可避的不純物からなり、前記温度範囲が1079〜1140℃であることを特徴とする請求項1に記載のステンレス鋼板の表面改質方法。
【請求項3】
前記鋼板は、Cr:24.0〜26.0mass%、Ni:5.0〜8.0mass%、Mo:3.0〜4.0mass%、残部Feおよび不可避的不純物からなり、前記温度範囲が1193〜1208℃であることを特徴とする請求項1に記載のステンレス鋼板の表面改質方法。
【請求項4】
前記鋼板は、Cr:18.0〜20.0mass%、Ni:9.0〜13.0mass%、残部Feおよび不可避的不純物からなり、前記温度範囲が1140〜1210℃であることを特徴とする請求項1に記載のステンレス鋼板の表面改質方法。
【請求項5】
前記鋼板は、Cr:16.0〜18.0mass%、Ni:12.0〜15.0mass%、Mo:2.0〜3.0mass%、残部Feおよび不可避的不純物からなり、前記温度範囲が1139〜1210℃であることを特徴とする請求項1に記載のステンレス鋼板の表面改質方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【公開番号】特開2012−172157(P2012−172157A)
【公開日】平成24年9月10日(2012.9.10)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−32288(P2011−32288)
【出願日】平成23年2月17日(2011.2.17)
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第1項適用申請有り 平成22年9月1日 社団法人日本鉄鋼協会発行の「材料とプロセス CAMP−ISIJ 第160回秋季講演大会」に発表
【出願人】(000232793)日本冶金工業株式会社 (84)
【Fターム(参考)】