説明

ステンレス鋼薄板およびその製法

【課題】表面を硬化するとともに圧縮応力を発生させて耐摩耗性および疲労特性等を改善したステンレス鋼薄板を提供する。
【解決手段】Cr濃度が3質量%以上10質量%以下、Ni濃度が5質量%以上10質量%以下で、かつ(Cr+Ni)濃度が10.0質量%以上15.0質量%以下の鋼材中に加工誘起マルテンサイト相が析出し、さらに表層部に窒化処理層が形成されている。これにより、靭性が高く均一な高N濃度の表面硬化層である窒化層を有し、疲労特性に優れ、高価なマルエージング鋼の代替材料として使用可能な高強度のステンレス鋼薄板となる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、耐摩耗性および疲労特性等を改善することを目的に、鋼材に窒化処理を行ない、その表面を硬化するとともに圧縮応力を発生させて高強度が得られるステンレス鋼薄板およびその製法に関する。
【背景技術】
【0002】
ステンレス鋼の表面には、通常強固な酸化皮膜が形成されており、窒化処理を行ってその表面部に窒化層を形成させて硬化させるためには、上記酸化皮膜を破壊もしくは取り除く必要がある。このため、酸洗やショットブラストなどの方法で処理前に酸化皮膜を除去する方法や、処理炉の中で同様の効果を発揮させて均一な窒化層を形成させるための技術として、塩浴法・イオン窒化法など、現在までに多くの技術が開発されてきている。例えば、特許文献1に開示されているように、ガス窒化処理の前にフッ化処理を行なうことで容易に均一かつ高硬度の窒化層が得られる窒化処理方法もその一つである。
【0003】
しかしながら、従来の窒化方法でステンレス鋼を窒化した場合には、ステンレス鋼がクロムを多量に含むため、表面に形成されたCr主体の酸化皮膜が窒化を阻害する。酸化皮膜を破壊もしくは除去できたとしても、表面に形成させた窒化層中に多量のCrNが生成して硬度が上昇し過ぎるため脆化しやすい。特に、繰り返し曲げが負荷される無段変速機用スチールベルトのような過酷な環境で使用されるものでは、表面部の耐摩耗性が向上しても延性が著しく低下して表面にクラックを発生しやすく、最も重要な疲労強度を向上させることが困難である。したがって、無段変速機用スチールベルト用材料としては、非常に高価な材料ではあるものの、マルエージング鋼が利用されているのが実情である。マルエージング鋼は、引張強度が高く、表面に脆い窒化物層を形成させずに窒素拡散層のみを形成させ、表面部に圧縮応力を付加することで疲労強度を向上させることができる材料である。このようなマルエージング鋼に対する表面処理方法として、例えば、特許文献2、3、4に開示された方法が提案され、一部は既に実用化されている。
【0004】
変速比を無段階で変更できる無段変速機は、変速比や駆動力伝達の最適化が図れ、燃費向上に効果的であることから、今後も積極的に自動車への搭載が図られていくと考えられる。しかしながら、上述したマルエージング鋼は、時効処理によってNiTi、NiAl等の金属間化合物を微細析出させて高強度を出す材料であるため、鋼材中にTiやAlを含有させる必要がある。これらの元素は、疲労強度低下の原因となる介在物を形成しやすく、このような介在物の形成を抑制するために高真空溶解を行なう必要がある。したがって、一般鋼に比べて生産性も低く非常に高価な材料となっている。このため、マルエージング鋼に替わる新材料の開発を目的とした報告も多くなされており、例えば特許文献5、6、7、8に開示されている。
【特許文献1】特許第2138825号公報
【特許文献2】特許第3439132号公報
【特許文献3】特許第3630299号公報
【特許文献4】特開2004一43962号公報
【特許文献5】特開平11−200010号公報
【特許文献6】特許第3421265号公報
【特許文献7】特開2006−57136号公報
【特許文献8】特開2007−70696号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
上記特許文献5は、ステンレス鋼にフッ化処理と窒化処理を行なうことにより表面層を硬化させるものである。この特許文献5は、窒化ガス雰囲気にRXガスを添加することによって窒化硬化層に靭性を付与しようとするものであるが(段落0015)、表面硬度が極めて高いことから(図3)、表面の延性が低下していることは明らかで、曲げ応力が加わった際に早期にクラックが発生することが予想され実用性に乏しい。また、上記特許文献5は、時効処理により強度を出すものであるため、疲労強度低下の原因となる介在物を形成しやすい等の問題の解決には至っていない。
【0006】
上記特許文献6は、無段変速機ベルト用鋼板に係るもので、材料成分の(Cr+Ni)濃度が16.0質量%以上であり、特にCr濃度が12.0質量%以上と高い材料に係るものである。このようにCr濃度が高いと、単に窒化の阻害となる酸化皮膜を形成するだけでなく、窒化層中に高硬度のCrNが析出して硬度が高くなり過ぎて脆化しやすいうえ、鋼材中へのNの拡散速度も低下させる。一方、Niは窒化物を形成しないため、表面層の脆化には直接的には影響しないものの、Crと同様に窒化を阻害する酸化皮膜を形成しやすいうえ、Nの拡散速度を低下させる。このため、(Cr+Ni)濃度が16.0質量%以上である本材料は、表面部にNが濃化しやすく、疲労強度を上昇させるだけに十分な厚みの窒化層を得るのが困難で、窒化層を厚くしようとすれば、表面の過度な硬度上昇が避けられない。このように、特許文献6の材料では、窒化処理によって曲げ疲労強度を上昇させることが極めて困難である。
【0007】
上記特許文献7は、無段変速機ベルト用帯板の素材に関するものであり、Cr濃度が0.30〜2.50質量%とCr量を低く抑えることで窒化をしやすくし、窒化層深さも深いものが得られている。しかしながら、表3にもみられるように、比較合金2F(マルエージング鋼)のT/2(中心)硬度と比較して、当該特許文献7に係る合金の中心硬度はかなり低い値となっていることから、実用上必要な強度が十分に得られる材料であるとは考えられない。
【0008】
上記特許文献8は、無段変速機ベルト用ステンレス鋼板に係るものであり、表4の結果から、母材の高強度化に不可欠と考えられる圧延等によって加工誘起マルテンサイト組織を多く得るための準安定オーステナイト状態が得られていると考えられること、さらに窒化層厚さが不明ではあるが、適合例のほとんどの材料中のCr濃度が10%以上でありながら表面硬度の過度な上昇が見られていないこと、また中心硬度もHv500以上と比較的高い値が得られていることから判断して、実用化を目指す上で可能性の高い材料であると推察される。
【0009】
しかしながら、上記特許文献8では、表面のC+N濃度が1.5質量%未満と低く、十分な疲労強度が得られないと考えられる。すなわち、疲労強度向上にとって重要な因子である表面部の圧縮残留応力を高くするためには、侵入型元素であるCやNの濃度を極力高くすることが望ましいが、上記の値は実用上十分なものであるとは考えられない。また、適合例として開示されているものは、いずれも(Cr+Ni)濃度が15質量%を超えていることから、窒化処理の際のNの拡散速度が遅いことから、Nの濃度を実用強度になるまで十分高くすることも困難である。
【0010】
以上のように、現行のマルエージング鋼に匹敵する強度、摩耗特性、疲労特性を有する代替材料及び表面硬化処理方法は現在のところ実用化できるレベルにはないというのが実情であり、金属製薄板(ベルト)を用いた無段変速機は環境問題等を背景とし、今後更なる適用の拡大が見込まれることからも、無段変速機用高強度材料およびその安定的な表面硬化方法の確立が強く望まれている。
【0011】
本発明は、このような課題を解決するためになされたものであり、ステンレス鋼材に窒化処理を行なうことにより、その表面を硬化するとともに圧縮応力を発生させて耐摩耗性および疲労特性等を改善したステンレス鋼薄板およびその製法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0012】
上述したような問題を解決するためには、材料中のCr濃度を高くし過ぎないことによって、表面に高濃度のCおよびもしくはN、特にCよりも材料中への固溶量を多くできるNを拡散させても表面硬化層の過度な硬度上昇および脆化を起こしづらくすることが重要であり、窒化深度を抑制するためNi量もできる限り低く設定することが望ましい。ただし、無段変速機に使用できるレベルの母材硬度および強度を得るためには、他の添加元素を調整し、および冷間圧延によって加工誘起マルテンサイトが少なくとも50%以上形成できるような準安定オーステナイト状態とし、さらに窒化処理後の中心硬度をマイクロビッカース硬度でHv500以上、好ましくはHv520以上とすることが必要と考えられる。さらに、窒化処理を行なうことを考慮すると、材料強度の面から時効硬化材料であることが望ましく、その場合窒化処理温度はできるだけ低い方が望ましいと考えられることから、そのような低温窒化処理でも均一かつ高いN濃度の窒化層を安定的に形成させるための前処理を行なうことが望ましい。このような観点から上記問題を解決すべく鋭意研究を進めた結果、本発明者は下記の発明を見出したのである。
【0013】
上記目的を達成するため、本発明のステンレス鋼薄板は、Cr濃度が3質量%以上10質量%以下、Ni濃度が5質量%以上10質量%以下で、かつ(Cr+Ni)濃度が10.0質量%以上15.0質量%以下の鋼材中に加工誘起マルテンサイト相が析出し、さらに表層部に窒化処理層が形成されたことを要旨とする。
【0014】
上記目的を達成するため、本発明のステンレス鋼薄板の製法は、Cr濃度が3質量%以上10質量%以下、Ni濃度が5質量%以上10質量%以下で、かつ(Cr+Ni)濃度が10.0質量%以上15.0質量%以下の鋼材を、加工することにより上記鋼材中に加工誘起マルテンサイト相を析出させ、さらに窒化処理することにより表層部に窒化処理層を形成させることを要旨とする。
【発明の効果】
【0015】
本発明のステンレス鋼薄板は、Cr濃度を3質量%以上10質量%以下とすることにより、窒化処理を行なった際の窒化層の硬度上昇を大きくし、十分な疲労特性が得られ、窒化処理層中のCrNの生成を抑え、表面硬度の過度な上昇を避けて曲げ応力が加わったときにクラックの発生を防止する。また、Ni濃度が5質量%以上10質量%以下とし、さらに、かつ(Cr+Ni)濃度が10.0質量%以上15.0質量%以下とすることにより、加工誘起マルテンサイト相を有効に析出して十分な母材強度が得られるとともに、表面部だけに窒素が濃化してしまうのを防止し、表面部の靭性低下を防止し、表面硬化層の剥離やクラックの発生を防止する。さらに加工誘起マルテンサイト相を析出させて表層部に窒化処理層を形成することにより、靭性が高く均一な高N濃度の表面硬化層である窒化層を有し、疲労特性に優れ、高価なマルエージング鋼の代替材料として使用可能な高強度のステンレス鋼薄板となる。
【0016】
本発明のステンレス鋼薄板において、上記加工誘起マルテンサイト相の析出量が50体積%以上である場合には、母材の強度上昇が図れるだけでなく、窒化処理時にオーステナイト単相の場合より、低温処理でも比較的深い窒化層を形成させることが可能となる。
【0017】
本発明のステンレス鋼薄板において、上記窒化処理層の表面N濃度が2〜5質量%である場合には、十分な圧縮応力が得られるとともに、延性のない窒化物層の形成や硬度が高くなり過ぎることによる靭性の低下が防止され、十分な疲労強度が得られる。
【0018】
本発明のステンレス鋼薄板において、上記窒化処理層の表面硬度がマイクロビッカース硬度でHv800以上Hv1100以下である場合には、十分な疲労強度および耐摩耗性が得られ、延性の低下によるクラックが発生しにくくなり、十分な耐久性が得られる。
【0019】
本発明のステンレス鋼薄板において、上記鋼材は、準安定オーステナイト相中に加工誘起マルテンサイト相が析出している場合には、母材の強度上昇が図れるだけでなく、窒化処理時にオーステナイト単相の場合より、低温処理でも比較的深い窒化層を形成させることが可能となる。
【0020】
本発明のステンレス鋼薄板において、上記ステンレス鋼薄板は、厚さ0.1〜0.3mmのリング形状の無段変速機用スチールベルトである場合には、高価なマルエージング鋼の代替材料として使用可能な、靭性が高く均一な高N濃度の表面硬化層を有し、表面部の窒化層が靭性を有し、疲労特性に優れた高強度の無段変速機用スチールベルトとなる。
【0021】
本発明のステンレス鋼薄板の製法は、Cr濃度が3質量%以上10質量%以下とすることにより、窒化処理を行なった際の窒化層の硬度上昇を大きくし、十分な疲労特性が得られ、窒化処理層中のCrNの生成を抑え、表面硬度の過度な上昇を避けて曲げ応力が加わったときにクラックの発生を防止する。また、Ni濃度が5質量%以上10質量%以下とし、さらに、かつ(Cr+Ni)濃度が10.0質量%以上15.0質量%以下とすることにより、加工誘起マルテンサイト相を有効に析出して十分な母材強度が得られるとともに、表面部だけに窒素が濃化してしまうのを防止し、表面部の靭性低下を防止し、表面硬化層の剥離やクラックの発生を防止する。さらに加工誘起マルテンサイト相を析出させて表層部に窒化処理層を形成することにより、靭性が高く均一な高N濃度の表面硬化層である窒化層を有し、疲労特性に優れ、高価なマルエージング鋼の代替材料として使用可能な高強度のステンレス鋼薄板となる。
【0022】
本発明のステンレス鋼薄板の製法において、上記窒化処理は、前処理としてのフッ化処理を伴い、少なくともNHガスとHガスを含むガス雰囲気中において、NH/Hガス比率を0.1〜0.5として行なう場合には、炉内のNHガスの分解率を制御して窒化処理層の表面N濃度および表面硬度を上述した範囲に適正化し、十分な圧縮応力が得られるとともに、延性のない窒化物層の形成や硬度が高くなり過ぎることによる靭性の低下が防止され、十分な疲労強度が得られる。また、十分な疲労強度および耐摩耗性が得られ、延性の低下によるクラックが発生しにくくなり、十分な耐久性が得られる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0023】
つぎに、本発明を実施するための最良の形態を説明する。この実施形態は、本発明のステンレス鋼薄板およびその製法を、無段変速機用スチールベルトおよびその製法に適用した例を示している。
【0024】
まず、本発明が対象とするステンレス鋼材は、その鋼材中のCr濃度を3質量%以上10質量%以下とする。Cr濃度が3質量%未満では、窒化処理を行なった際の窒化層の硬度上昇が小さく、疲労特性を十分に上昇させることが難しいからである。逆に、Cr濃度が10質量%を超えると、表面のN濃度が高くならないように雰囲気中のNHの分解率を制御したとしても、形成された窒化層中に硬度の高いCrNが多く生成し、表面硬度の過度な上昇を避けることが難しく、特に曲げ応力が加わったときにクラックの発生が非常に起きやすくなるからである。より望ましくは、Cr濃度の上限値は8質量%以下である。
【0025】
また、上記鋼材中のNi濃度は5質量%以上10質量%以下とする。Ni濃度が5質量%未満では、材料を準安定オーステナイト状態にするのが難しくなり、その後に加工誘起マルテンサイト相を析出できなくなるからである。逆に、Ni濃度が10質量%を超えると、窒素の拡散深さが浅くなり、極表面部に窒素が濃化しやすくなるとともに、窒化による表面硬化層と母材との間に硬度傾斜層がほとんど得られなくなり、表面硬化層の剥離やクラックの発生が起きやすくなるからである。
【0026】
また、Cr、Niとも材料表面に窒化を阻害する酸化膜を形成しやすいだけではなく、Cr+Ni濃度が高い材料では、材料中のNの拡散速度が低下するため、極表面部にNが濃化し硬度が過度に上昇しやすくなることによって表面部の靭性が低下しやすくなるうえ、硬度傾斜層も形成しづらい。このため、本発明では、Cr+Ni濃度の上限値を15質量%とする。逆に、Cr+Ni濃度が低すぎる場合には、加工誘起マルテンサイトを十分に発生させることが難しく、十分な母材強度が得られなくなることから、その下限値を10質量%とする。
【0027】
他の添加成分については、上述したように準安定オーステナイトが得られ、圧延加工、時効処理もしくは時効処理を兼ねた窒化処理を経た後でも母材硬度がHv500以上、より好ましくはHv520以上得られるよう諸元素を添加して調整することが好ましい。したがって、例えばNi含有量を低く抑えているため準安定オーステナイト状態を安定的に得るためにオーステナイト安定化元素であるMnを3質量%以上添加することが望ましい。ただしMn添加量が多すぎると、オーステナイトが安定状態となるため、その添加量は8質量%以下とするのが望ましい。
【0028】
また、時効処理もしくは時効処理を兼ねた窒化処理の際に微細な硬質析出物を分散析出することによって母材の硬度および強度を上昇させる元素が添加されていることが望ましい。本実施形態の場合、Moを1質量%以上添加することが望ましい。ただし、過度な添加は粗大な金属間化合物の形成を引き起こすため、3質量%以下とするのが望ましく、2.5質量%以下とすることがより望ましい。
【0029】
このように所定の元素を添加し、残部をFeおよび不可避的不純物として成分調整を行なった鋼材による準安定オーステナイト系ステンレス鋼薄板は、例えば無段変速機用スチールベルトとすることができる。
【0030】
その場合、上記ステンレス鋼薄板を所定の幅の帯状に加工した後、その両端を溶接する等してリング状とし、1000℃以上で均質化処理を行なった後、圧延機により所定の板圧および直径とするとともに、冷間加工による調質圧延を実施し、準安定オーステナイト相中に加工誘起マルテンサイトを析出させ、その析出量が50体積%以上となるようにする。このように、加工誘起マルテンサイト相を50体積%以上とすることによって、母材の強度上昇が図れるだけでなく、窒化処理時にオーステナイト単相の場合より、低温処理でも比較的深い窒化層を形成させることが可能となる。上述した加工により、例えば、厚さ0.1〜0.3mmのリング形状とすることが行なわれる。
【0031】
上記鋼材を用い、本発明の製法では、まず、表面部に均一な窒化層を形成させるため、その表面に形成している酸化皮膜を除去するためのフッ化処理を実施する。
【0032】
特に、本発明の場合は、材料表面のN濃度、すなわちNHの分解率を適正に制御、抑制する必要があり、還元力の弱い条件で窒化処理を実施する必要がある。このため、窒化処理前に材料表面に存在し、窒化処理の阻害要素となる酸化皮膜の除去を実施しなければ均一な窒化層を形成させることが難しい。そのために実施するのが上記フッ化処理であり、例えば、他のハロゲンガスを用いた方法や他の除去方法でもよいが、実施の容易さからフッ化処理を用いることが最も好ましい。
【0033】
上記フッ化処理は、フッ素およびもしくはフッ素化合物を含むガスが好適に用いられ、特に常温安定性等の取り扱い性に優れるNFガスを含有するガス、より具体的には、NガスにNFガスを1000ppm〜100000ppm含有させた混合ガスがより好適に用いられ、200〜500℃で1分〜180分加熱保持することで実施することができる。
【0034】
上記のフッ化処理を実施した後、その表面から窒素を侵入、拡散させ均一な窒化層を形成させるために窒化処理を実施する。
【0035】
上記窒化処理によって形成する窒化処理層の厚さは、例えば、無段変速機用スチールベルトとする場合には、その板厚中心までの距離の10%以上形成させれば十分であり、30%より厚い場合には薄板材自体の靭性が低下するためその上限は30%とすることが望ましい。
【0036】
また、上記窒化処理層の表面N濃度が2〜5質量%となるようにガス組成、処理温度、処理時間等の窒化処理条件を調整する。上記表面N濃度が2質量%未満では、十分な圧縮応力が得られず疲労強度が十分で得られず、逆に5質量%を超えると、圧縮応力は十分であっても延性のないFeNを主体とする窒化物層が形成されたり、硬度が高くなり過ぎたりすることによって靭性が低下し、曲げが加わった場合にクラックを発生しやすく、結果的に疲労強度が低下するためである。
【0037】
さらに、上記窒化処理層の表面硬度は、マイクロビッカース硬度でHv800〜1100となるように窒化処理条件を調整する。表面硬度がHv800未満では疲労強度および耐摩耗性が十分でないからである。また、表面硬度がHv1100を超えると、たとえその表面にFeNを主体とする窒化物層が形成していなくても、延性が低下するために曲げ応力が加わった際にクラックを発生しやすく、結果的に十分な耐久性が得られないためである。
【0038】
窒化処理層の表面N濃度および表面硬度を適正化するため、窒化処理時には炉内のNHガスの分解率を制御する必要がある。すなわち、炉内のNHガスが分解しすぎてNポテンシャルがあがりすぎ、Nが鋼材表面から浸透しすぎると靭性が低下するので、それを防止する必要がある。
【0039】
その方法として、NHおよびHを含有するガス雰囲気中で窒化処理を行うことが好ましい。より具体的には、窒化処理雰囲気のNH/Hガス比率を0.1〜0.5とすることで目的とする表面N濃度や表面硬度を得ることができる。このようにすることにより、炉内のNHガスの分解率を制御して窒化処理層の表面N濃度および表面硬度を上述した範囲に適正化し、十分な圧縮応力が得られるとともに、延性のない窒化物層の形成や硬度が高くなり過ぎることによる靭性の低下が防止され、十分な疲労強度が得られる。また、十分な疲労強度および耐摩耗性が得られ、延性の低下によるクラックが発生しにくくなり、十分な耐久性が得られる。
【0040】
上記雰囲気中において、350℃以上500℃以下で20分〜300分加熱保持することによって窒化処理を実施することができる。窒化処理温度が350℃未満では、NHの分解が不安定になるからである。逆に、500℃を超えると、過時効等の理由により鋼材の母材強度が低下する可能性が高いからである。また、処理時間が20分未満では、安定した窒化処理が難しくなり、300分を超えると、量産性に支障をきたすためである。より好適には20分〜180分とすることが望ましい。
【0041】
このとき、母材硬度が時効硬化によってHv500以上、より好ましくはHv520以上となるようにする。上記フッ化処理および窒化処理を行っても時効が十分でない場合には、時効処理を追加することもできるが、フッ化処理の温度と時間ならびに窒化処理の温度と時間を調整することにより、フッ化および窒化と、時効とを兼ねた処理となるようにすることがより望ましい。
【0042】
このようにして得られた無段変速機用スチールベルトは、靭性が高く均一な高N濃度の表面硬化層を有するとともに疲労特性に優れ、高価なマルエージング鋼の代替材料として使用可能である。
【0043】
以下、本発明の実施例について説明する。
【実施例1】
【0044】
下記の表1に示す化学成分値となるように溶製した小型鋳塊を熱間圧延の後に焼鈍し、さらに圧下率50%で冷間圧延し、約0.4mmの板厚とした後、溶体化処理、冷間圧延することによって約0.2mmの薄板とした。これを0.2mm×10mm×60mmの寸法とした後、300℃で60分フツ化処理した後、410℃で80分、NH/Hガス比率が0.3となる雰囲気中で窒化処理を実施した。なおこのとき本発明例および比較例の試験片の表面N濃度は全て3.5±1.0質量%の範囲に入っていた。
【0045】
【表1】

【0046】
これらの試験片各5枚を両振り式曲げ疲労試験機を用い、曲げ応力を1000N/mmとして繰り返し曲げを行い、10回繰り返し曲げ実施後の破断の有無を調査し、5枚全てが破断しなかったものを○、破断しなかったものが1枚以上あったものを△、5枚全てが破断したものを×として評価した結果を下記の表2に示す。またマイクロビッカース硬度計を用いて荷重100gおよび50gで各試験片の表面硬度を測定した結果と荷重50gで板厚中心部の硬度を測定した結果及び窒化層深さを調査した結果についても併せて表2に示す。またそれらの表面部の断面硬度を荷重25gで測定した結果を図1に示す(ただし表面硬度(0μm)の値は試験片の表面を荷重50gで測定した値とした)。
【0047】
【表2】

【0048】
表2の結果から、本発明例では全てが破断しなかったのに対し、比較例では10回をクリアしたものは1枚も無かった。比較例Bでは窒化層厚さが薄く、100g荷重で測定した値はHv1000以下となっているが、さらに低荷重である50g荷重で測定した表面硬度はHv1100を大きく超えている。つまり高荷重での測定では窒化層が10μm未満であるような場合には、硬化層の下部層の影響を受け、その本来の表面硬度が測定できていないためである。
【0049】
したがって、比較例Bの窒化層の表面硬度はHv1100を超えており、靭性を十分に有していない。さらに、図1の断面硬度から分かるように硬度傾斜層をほぼ有しておらず、ある程度の深さで急激に硬度低下を示していることから、比較的早期に表面にクラックが発生するとともに窒化層の剥離も発生し、全てが10回未満で破断した。この結果より、特にCr濃度が高い材料では表面のN濃度を高くすることができないことから疲労強度の高い材料とすることは極めて難しいことが分かる。また、Crの含有量の多さに加え、Niの含有量もある程度多い鋼材では、Nの内部への拡散速度が遅いことから、その表面をさらに低いN濃度に抑制しつつある程度の深さを有する窒化層を形成させることも非常に困難であるといえる。このため、材料中のCr+Niの含有量は15.0%以下とすることが望ましいことがわかる。
【0050】
一方、比較例Cでは表2および図1の結果から、表面硬度も適度で深くなだらかな硬度傾斜を持った窒化層が形成しているにもかかわらず、10回に到達できたものは無かった。これは比較例Cの材料が準安定オーステナイト鋼ではなく、マルテンサイト鋼であるため、結晶粒内のNの固溶度が低く、結晶粒界にNが集まりやすい上、粒界に窒化物を形成することで粒界が脆化しやすいこと、さらに母材のマルテンサイト組織が準安定オーステナイトから生成した加工誘起マルテンサイトよりも強度が低いためであると考えられる。したがって材料は加工誘起マルテンサイトを多く有する必要があるといえ、その含有量は少なくとも50体積%以上となるようにすることが望ましいことがわかる。
【実施例2】
【0051】
本発明例Aの試験片を用いて、300℃で60分フッ化処理を実施し、さらに窒化処理を380℃で120分、NH/Hガス比率が0.07、0.2、0.6となる雰囲気中で窒化処理を実施した。これらの試験片について実施例1と同じ疲労試験を実施した。5枚全てが破断しなかったものを○、破断しなかったものが1枚以上あったものを△、5枚全てが破断したものを×として下記の表3に示す。また、硬度及び窒化層厚さの測定を実施した結果についても表3に併せて示す。また、このときの表面部の深さ方向のN濃度分布を図2に示す。このときの板厚中心部の硬度は全てHv540〜560の範囲であった。
【0052】
【表3】

【0053】
表3から、比較例A2の結果に示すようにNH/Hガス比率が過度に小さい、すなわち雰囲気中のNH分解率を極度に抑制した場合には、窒化層厚さが十分な場合であっても耐久性が十分でないことが分かる。すなわち図2の分析結果が示すように、その表面のN濃度が2%未満である場合には表面に発生する圧縮応力が十分でなく、疲労強度が低くなっていることが分かる。逆にNH/Hガス比率が過度に高い場合には、その表面のN濃度および圧縮応力が高いために、108回の曲げ試験をクリアするものもあるが、その表面硬度がやや高いために、表面の小さな傷等に対する感受性が高くなっているものと考えられ、表面のN濃度が5%を越える場合には信頼性が低くなることが分かる。
【0054】
一方、適正なNH/Hガス比率で処理を行い、その表面のN濃度および硬度を適正範囲になるように窒化処理を行った本発明例A1では、試験を行った全ての試験片が良好な耐久性を示していることから、例えば無段変速機用スチールベルトのような過酷な環境で使用される場合においても、信頼性の高い部品として利用することができるものであるといえる。
【0055】
以上のように、本実施形態のステンレス鋼薄板は、Cr濃度が3質量%以上10質量%以下とすることにより、窒化処理を行なった際の窒化層の硬度上昇を大きくし、十分な疲労特性が得られ、窒化処理層中のCrNの生成を抑え、表面硬度の過度な上昇を避けて曲げ応力が加わったときにクラックの発生を防止する。また、Ni濃度が5質量%以上10質量%以下とし、さらに、かつ(Cr+Ni)濃度が10.0質量%以上15.0質量%以下とすることにより、加工誘起マルテンサイト相を有効に析出して十分な母材強度が得られるとともに、表面部だけに窒素が濃化してしまうのを防止し、表面部の靭性低下を防止し、表面硬化層の剥離やクラックの発生を防止する。さらに加工誘起マルテンサイト相を析出させて表層部に窒化処理層を形成することにより、高価なマルエージング鋼の代替材料として使用可能な、靭性が高く均一な高N濃度の表面硬化層を有し、表面部の窒化層が靭性を有し、疲労特性に優れた高強度のステンレス鋼薄板となる。
【0056】
上記ステンレス鋼薄板において、上記加工誘起マルテンサイト相の析出量が50体積%以上である場合には、母材の強度上昇が図れるだけでなく、窒化処理時にオーステナイト単相の場合より、低温処理でも比較的深い窒化層を形成させることが可能となる。
【0057】
上記ステンレス鋼薄板において、上記窒化処理層の表面N濃度が2〜5質量%である場合には、十分な圧縮応力が得られるとともに、延性のない窒化物層の形成や硬度が高くなり過ぎることによる靭性の低下が防止され、十分な疲労強度が得られる。
【0058】
上記ステンレス鋼薄板において、上記窒化処理層の表面硬度がマイクロビッカース硬度でHv800以上Hv1100以下である場合には、十分な疲労強度および耐摩耗性が得られ、延性の低下によるクラックが発生しにくくなり、十分な耐久性が得られる。
【0059】
上記ステンレス鋼薄板において、上記鋼材は、準安定オーステナイト相中に加工誘起マルテンサイト相が析出している場合には、母材の強度上昇が図れるだけでなく、窒化処理時にオーステナイト単相の場合より、低温処理でも比較的深い窒化層を形成させることが可能となる。
【0060】
上記ステンレス鋼薄板において、上記ステンレス鋼薄板は、厚さ0.1〜0.3mmのリング形状の無段変速機用スチールベルトである場合には、高価なマルエージング鋼の代替材料として使用可能な、靭性が高く均一な高N濃度の表面硬化層を有し、表面部の窒化層が靭性を有し、疲労特性に優れた高強度の無段変速機用スチールベルトとなる。
【0061】
本実施形態のステンレス鋼薄板の製法は、Cr濃度が3質量%以上10質量%以下とすることにより、窒化処理を行なった際の窒化層の硬度上昇を大きくし、十分な疲労特性が得られ、窒化処理層中のCrNの生成を抑え、表面硬度の過度な上昇を避けて曲げ応力が加わったときにクラックの発生を防止する。また、Ni濃度が5質量%以上10質量%以下とし、さらに、かつ(Cr+Ni)濃度が10.0質量%以上15.0質量%以下とすることにより、加工誘起マルテンサイト相を有効に析出して十分な母材強度が得られるとともに、表面部だけに窒素が濃化してしまうのを防止し、表面部の靭性低下を防止し、表面硬化層の剥離やクラックの発生を防止する。さらに加工誘起マルテンサイト相を析出させて表層部に窒化処理層を形成することにより、高価なマルエージング鋼の代替材料として使用可能な、靭性が高く均一な高N濃度の表面硬化層を有し、表面部の窒化層が靭性を有し、疲労特性に優れた高強度のステンレス鋼薄板となる。
【0062】
上記ステンレス鋼薄板の製法において、上記窒化処理は、前処理としてのフッ化処理を伴い、少なくともNHガスとHガスを含むガス雰囲気中において、NH/Hガス比率を0.1〜0.5として行なう場合には、炉内のNHガスの分解率を制御して窒化処理層の表面N濃度および表面硬度を上述した範囲に適正化し、十分な圧縮応力が得られるとともに、延性のない窒化物層の形成や硬度が高くなり過ぎることによる靭性の低下が防止され、十分な疲労強度が得られる。また、十分な疲労強度および耐摩耗性が得られ、延性の低下によるクラックが発生しにくくなり、十分な耐久性が得られる。
【産業上の利用可能性】
【0063】
本発明のステンレス鋼薄板は、高い疲労特性を有していることから、例えば無段変速機用スチールベルトのような過酷な環境で使用される部品に対して好適に利用することができる。
【図面の簡単な説明】
【0064】
【図1】実施例1の表面部の断面硬度を荷重25gで測定した結果を示す図である。
【図2】実施例2の表面部の深さ方向のN濃度分布を示す図である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
Cr濃度が3質量%以上10質量%以下、Ni濃度が5質量%以上10質量%以下で、かつ(Cr+Ni)濃度が10.0質量%以上15.0質量%以下の鋼材中に加工誘起マルテンサイト相が析出し、さらに表層部に窒化処理層が形成されたことを特徴とするステンレス鋼薄板。
【請求項2】
上記加工誘起マルテンサイト相の析出量が50体積%以上である請求項1記載のステンレス鋼薄板。
【請求項3】
上記窒化処理層の表面N濃度が2〜5質量%である請求項1または2記載のステンレス鋼薄板。
【請求項4】
上記窒化処理層の表面硬度がマイクロビッカース硬度でHv800以上Hv1100以下である請求項1〜3のいずれか一項に記載のステンレス鋼薄板。
【請求項5】
上記鋼材は、準安定オーステナイト相中に加工誘起マルテンサイト相が析出している請求項1〜4のいずれか一項に記載のステンレス鋼薄板。
【請求項6】
上記ステンレス鋼薄板は、厚さ0.1〜0.3mmのリング形状の無段変速機用スチールベルトである請求項1〜5のいずれか一項に記載のステンレス鋼薄板。
【請求項7】
Cr濃度が3質量%以上10質量%以下、Ni濃度が5質量%以上10質量%以下で、かつ(Cr+Ni)濃度が10.0質量%以上15.0質量%以下の鋼材を、加工することにより上記鋼材中に加工誘起マルテンサイト相を析出させ、さらに窒化処理することにより表層部に窒化処理層を形成させることを特徴とするステンレス鋼薄板の製法。
【請求項8】
上記窒化処理は、前処理としてのフッ化処理を伴い、少なくともNHガスとHガスを含むガス雰囲気中において、NH/Hガス比率を0.1〜0.5として行なう請求項7記載のステンレス鋼薄板の製法。

【図1】
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【図2】
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【公開番号】特開2010−37587(P2010−37587A)
【公開日】平成22年2月18日(2010.2.18)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−200533(P2008−200533)
【出願日】平成20年8月4日(2008.8.4)
【出願人】(000126115)エア・ウォーター株式会社 (254)
【Fターム(参考)】