説明

スペクトルデータ解析装置、生体内物質検出システム及び生体内物質検出方法

【課題】生体組織中の物質を非侵襲的に検出するための技術の提供。
【解決手段】生体組織に存在する物質に対応するラマンスペクトルのC−Hバンドのスペクトル強度とアミドIバンドのスペクトル強度との比率を算出し、該比率に基づいて前記物質中のアミロイドベータの有無を自動判定するスペクトルデータ解析装置と、生体組織に存在する物質に対応するラマンスペクトルを取得する測定装置を前記スペクトルデータ解析装置に連設した生体内物質検出システムと、を提供する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、スペクトルデータ解析装置、生体内物質検出システム及び生体内物質検出方法に関する。より詳しくは、生体組織に蓄積するアミロイドベータをラマン分光法により検出するためのスペクトルデータ解析装置等に関する。
【背景技術】
【0002】
アミロイドベータ(アミロイドβ)は、アルツハイマー病患者の脳に特徴的な病変として観察される老人斑の主要な構成成分の一つである。アミロイドベータは、約40個のアミノ酸からなるポリペプチドであり、アミロイド前駆体蛋白質(Amyloid Precursor Protein:APP)の細胞膜貫通領域の近傍から2種類のセクレターゼによって切り出される。家族性アルツハイマー病患者のなかにAPPの点突然変異を有する家系が報告されており、アミロイドベータがアルツハイマー病の原因物質の一つである可能性が指摘されている。
【0003】
近年、アミロイドベータが加齢黄斑変性(Age-related macular degeneration)患者の網膜に特徴的な病変であるドルーゼン中に蓄積していることが報告され、アミロイドベータが加齢黄斑変性の病態にも関与していることが明らかにされた(非特許文献1参照)。加齢黄斑変性は、網膜の黄斑部に生じた萎縮や新生血管によって失明を引き起こす疾患である。加齢黄斑変性は、欧米先進国では成人失明原因の第1位となっており、我国でも糖尿病網膜と並んで緑内障に次ぐ失明原因となっている。このため、加齢黄斑変性の早期診断方法の確立が強く望まれている。
【0004】
従来、アミロイドベータを検出する測定系は、サンドイッチ酵素免疫測定法を用いた測定系が用いられてきている(非特許文献2参照)。
【0005】
また、アミロイドベータを検出するための技術として、非特許文献3には、ラマン分光を利用した検出方法が記載されている。当該文献では、脳海馬CA1領域にアミロイドベータを注入して作出したアルツハイマー病のラットから海馬を摘出し、海馬組織の凍結切片をラマン分光分析することによってアルツハイマー病の診断を行う試みがなされている。当該文献には、疾患組織で取得されるラマンスペクトルでは、アミドI振動帯に波数1670cm−1の特徴的なピークが出現することが記載されている。また、アミドI振動帯のスペクトルをカーブフィッティングにより複数の波形成分に分解すると、正常組織では異なるピーク波数の複数の波形成分に分解されるのに対して、疾患組織ではピーク波数1670cm−1の一つ波形成分が主となることが報告されている。これらの知見から、非特許文献3は、波数1670cm−1のラマンピークを検出することで疾患組織中に凝集するアミロイドベータを検出可能であるとしている。
【0006】
本発明に関連して、眼内物質をラマン分光により測定あるいは検出する装置を挙げることができる。例えば、特許文献1には、「励起光学系から眼球に可視から近赤外領域の単色化された又は単一波長の励起光ビームを照射し、眼球から発生する散乱光と蛍光の少なくとも一方を含む測定光を受光光学系で検出して眼内物質を測定する装置」が開示されている。
【0007】
また、特許文献2には、黄斑カロチノイドのラマン画像を作成する装置が開示されている。この装置は、カロチノイドに関する波長変化を伴うラマン応答を与える波長にある光を発生する光源と、光を組織上に向けかつ前記組織からの散乱光を回収するための、前記光源と光学的に連通する光の送出および回収手段と、回収された散乱光からラマンシフト光を選択する波長選択手段と、カロチノイドに固有の振動数にある前記ラマンシフト光の強度を測定する検出手段等を備え、カロチノイドの空間分布と濃度を画像表示するものである。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0008】
【特許文献1】特開平10−272100号公報
【特許文献2】特表2005−514137号公報
【非特許文献】
【0009】
【非特許文献1】"Drusen associated with aging and age-related macular degeneration contain proteins common to extracellular deposits associated with atherosclerosis, elastosis, amyloidosis, and dense deposit disease." FASEB J. 2000 May;14(7):835-46.
【非特許文献2】"Isolation and quantification of soluble Alzheimer's beta-peptide from biological fluids." Nature. 1992 Sep 24;359(6393):325-7.
【非特許文献3】" Raman signature from brain hippocampus could aid Alzheimer's disease diagnosis." Appl Opt. 2009 Aug 20;48(24):4743-8.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
アミロイドベータはアルツハイマー病や加齢黄斑変性の病態に関与するため、生体組織中に蓄積するアミロイドベータを非侵襲的に検出する技術は、これらの疾患を早期に発見、治療するために有用と考えられる。そこで、本発明は、生体組織中の物質を非侵襲的に検出するための技術を提供することを主な目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0011】
本発明者らは、ラマン分光を用いて生体組織に存在する物質に対応するスペクトルを取得し、このスペクトルデータを所定の方法で処理することによって、生体組織中に存在するアミロイドベータを精度良く検出できることを見出した。
この知見に基づき、本発明は、生体組織に存在する物質に対応するラマンスペクトルのC−Hバンドのスペクトル強度とアミドIバンドのスペクトル強度との比率を算出し、該比率に基づいて前記物質中のアミロイドベータの有無を自動判定するスペクトルデータ解析装置を提供する。このスペクトルデータ解析装置において、前記比率は、前記ラマンスペクトルの波数1463cm−1におけるスペクトル強度と波数1658cm−1におけるスペクトル強度の比率とできる。このスペクトルデータ解析装置は、前記ラマンスペクトルをカーブフィッティングにより複数の波形成分に分解し、前記比率を算出するものとできる。
また、本発明は、生体組織に存在する物質に対応するラマンスペクトルのアミドIバンドをカーブフィッティングにより複数の波形成分に分解し、1635〜1700cm−1の波数域にピーク波数を有する波形成分のスペクトル強度と1635〜1655cm−1の波数域にピーク波数を有する波形成分のスペクトル強度との比率を算出し、該比率に基づいて前記物質中のアミロイドベータの有無を自動判定するスペクトルデータ解析装置をも提供する。
さらに、本発明は、生体組織に存在する物質に対応するラマンスペクトルを取得する測定装置と、これらのスペクトルデータ解析装置と、を含む生体内物質検出システムをも提供する。
これらの生体内物質検出装置によれば、前記比率に基づいて生体組織中に存在するアミロイドベータを非侵襲的に、かつ高精度に検出できる。
【0012】
加えて、本発明は、体組織に存在する物質に対応するラマンスペクトルのC−Hバンドのスペクトル強度とアミドIバンドのスペクトル強度との比率を算出し、該比率に基づいて前記物質中のアミロイドベータの有無を判定する生体内物質検出方法を提供する。
また、本発明は、生体組織に存在する物質に対応するラマンスペクトルのアミドIバンドをカーブフィッティングにより複数の波形成分に分解し、1635〜1700cm−1の波数域にピーク波数を有する波形成分のスペクトル強度と1635〜1655cm−1の波数域にピーク波数を有する波形成分のスペクトル強度との比率を算出し、該比率に基づいて前記物質中のアミロイドベータの有無を判定する生体内物質検出方法を提供する。
【0013】
本発明において、生体組織には、網膜および脳が含まれ、さらに神経、血管、皮膚、胃、小腸、腎臓、体液などが包含され得る。
【発明の効果】
【0014】
本発明により、生体組織中の物質を非侵襲的に検出するための技術が提供される。
【図面の簡単な説明】
【0015】
【図1】アミロイドベータが存在する生体組織(A)およびアミロイドベータが存在しない生体組織(B)から得られるラマンスペクトルの例を説明する図面代用グラフである。
【図2】アミロイドベータが存在する生体組織から得られるラマンスペクトルの波形成分の例を説明する図面代用グラフである。
【図3】アミロイドベータが存在しない生体組織から得られるラマンスペクトルの波形成分の例を説明する図面代用グラフである。
【図4】試験例1で取得されたラマンスペクトルを示すスペクトログラムである。
【図5】実験眼のラマンスペクトルのアミドI振動帯を分解した波形成分を示すスペクトログラムである。
【図6】対照眼のラマンスペクトルのアミドI振動帯を分解した波形成分を示すスペクトログラムである。
【図7】実験眼のラマン分光イメージング画像である。
【図8】実験眼のラマン分光イメージング画像中の各領域内における1463cm−1/1658cm−1比を示すマトリックスである。
【図9】対照眼のラマン分光イメージング画像である。
【図10】対照眼のラマン分光イメージング画像中の各領域内における1463cm−1/1658cm−1比を示すマトリックスである。
【発明を実施するための形態】
【0016】
以下、本発明を実施するための好適な形態について説明する。なお、以下に説明する実施形態は、本発明の代表的な実施形態の一例を示したものであり、これにより本発明の範囲が狭く解釈されることはない。なお、説明は以下の順序で行う。

1.スペクトルデータ解析装置および生体内物質検出システム
(1)第一実施形態
(2)第二実施形態
2.生体内物質検出方法

【0017】
1.スペクトルデータ解析装置および生体内物質検出システム
(1)第一実施形態
本発明の第一実施形態に係る生体内物質検出システムは、生体組織に存在する物質に対応するラマンスペクトルを取得する測定装置と、取得されたラマンスペクトルのアミドIバンド(振動帯)をカーブフィッティングにより複数の波形成分に分解し、1635〜1700cm−1の波数域にピーク波数を有する波形成分のスペクトル強度と1635〜1655cm−1の波数域にピーク波数を有する波形成分のスペクトル強度との比率を算出し、該比率に基づいて前記物質中のアミロイドベータの有無を自動判定するスペクトルデータ解析装置とを含んで構成される。本実施形態に係るスペクトルデータ解析装置は、より具体的には、1635〜1700cm−1の波数域にピーク波数を有する波形成分のスペクトル強度に対する1635〜1655cm−1の波数域にピーク波数を有する波形成分のスペクトル強度の比率を算出し、算出された比率が所定値以上である場合に、前記物質にアミロイドベータが含まれるとの判定を出力する。
【0018】
生体内物質検出システムは、ディスプレイやマウス、キーボード等のユーザインタフェース、中央演算装置(CPU)、メモリ、記録装置(ハードディスク)などを備えた汎用のコンピュータに以下の手順を実行するプログラムを搭載したスペクトルデータ解析装置と、従来公知のラマン分光イメージング装置(測定装置)とから構成できる。
【0019】
ラマン分光イメージング装置は、光源と、光源からの光を生体組織に導光して照射する照射系と、光の照射によって生体組織に存在する物質から発生する散乱光からラマンシフト光を選択して検出する検出系などによって構成される。照射系及び検出系は、集光レンズや光ファイバ、ダイクロイックミラー、バンドパスフィルター、PMT(photo multiplier tube)などからなる。
【0020】
スペクトルデータ解析装置のCPUとメモリ、ハードディスクとこれに格納されたプログラムは、共動して以下のステップを実行する。
【0021】
まず、ラマン分光イメージング装置から出力されるラマンスペクトルデータをカーブフィッティングアルゴリズムによって処理し、ラマンスペクトルのアミドI振動帯(1600−1700cm-1)を複数の波形成分に分解する。分解される波形成分には、1635〜1700cm−1の波数域にピーク波数を有する複数の波形成分と、1635〜1655cm−1の波数域にピーク波数を有する2つの波形成分と、が含まれ得る。
【0022】
次に、1635〜1700cm−1の波数域にピーク波数を有する波形成分のスペクトル強度と、1635〜1655cm−1の波数域にピーク波数を有する波形成分のスペクトル強度を算出する。ここで、スペクトル強度とは、ピーク強度あるいはピーク面積のいずれかを意味する。
【0023】
より具体的には、1635〜1700cm−1の波数域にピーク波数を有する複数の波形成分のスペクトル強度和と、1635〜1655cm−1の波数域にピーク波数を有する波形成分のスペクトル強度和を算出する。さらに具体的には、1635〜1645cm−1の波数域にピーク波数を有する波形成分(I)と、1645〜1655cm−1の波数域にピーク波数を有する波形成分(II)と、1655〜1667.5cm−1の波数域にピーク波数を有する波形成分(III)と、1667.5〜1677.5cm−1の波数域にピーク波数を有する波形成分(IV)と、1677.5〜1700cm−1の波数域にピーク波数を有する波形成分(V)のスペクトル強度和をそれぞれ算出する。
【0024】
そして、算出されたスペクトル強度から、1635〜1700cm−1の波数域にピーク波数を有する波形成分のスペクトル強度に対する1635〜1655cm−1の波数域にピーク波数を有する波形成分のスペクトル強度の比率を算出する。より具体的には、波形成分(I)〜(V)のスペクトル強度和に対する波形成分(I),(II)のスペクトル強度和の比率((I)+(II)/(I)+(II)+(III)+(IV)+(V))を算出する。
【0025】
最後に、算出された上記比率が所定値以上である場合に、生体組織に存在する物質にアミロイドベータが含まれるとの判定を出力し、ディスプレイに表示してユーザに提示する。判定結果の出力は、算出された比率の数値、この数値が所定値以上であるか以下であるかについての情報、あるいはアミロイドベータの含有の有無についての情報などとされる。
【0026】
(2)第二実施形態
本発明の第二実施形態に係る生体内物質検出システムは、生体組織に存在する物質に対応するラマンスペクトルを取得する測定装置と、生体組織に存在する物質に対応するラマンスペクトルのC−Hバンドのスペクトル強度とアミドIバンドのスペクトル強度との比率を算出し、該比率に基づいて前記物質中のアミロイドベータの有無を自動判定するスペクトルデータ解析装置とを含んで構成される。本実施形態に係るスペクトルデータ解析装置は、より具体的には、前記ラマンスペクトルの波数1658cm−1におけるスペクトル強度に対する波数1463cm−1におけるスペクトル強度の比率を算出し、算出された比率が所定値未満である場合に、前記物質にアミロイドベータが含まれるとの判定を出力する。
【0027】
本実施形態に係る生体内物質検出システムの測定装置は、第一実施形態で説明した通りとできる。一方、スペクトルデータ解析装置のCPUとメモリ、ハードディスクとこれに格納されたプログラムは、共動して以下のステップを実行する。
【0028】
まず、ラマン分光イメージング装置から出力されるラマンスペクトルデータから、C−Hバンドのスペクトル強度とアミドIバンドのスペクトル強度を抽出する。図1に、ラマンスペクトルデータを例示する。(A)はアミロイドベータが存在する生体組織から得られるラマンスペクトル、(B)はアミロイドベータが存在しない生体組織から得られるラマンスペクトルを例示している。
【0029】
C−Hバンドのスペクトル強度とアミドIバンドのスペクトル強度としては、それぞれの代表値として特に波数1658cm−1におけるスペクトル強度と波数1463cm−1におけるスペクトル強度を抽出することができる。また、この際、ラマンスペクトルをカーブフィッティングにより複数の波形成分に分解し、波数1658cm−1および1463cm−1にピーク波数を有する波形成分のスペクトル強度を抽出してもよい。図2および図3に、カーブフィッティングによる分離される波形成分を例示する。図2はアミロイドベータが存在する生体組織から得られるラマンスペクトルの波形成分、図3はアミロイドベータが存在しない生体組織から得られるラマンスペクトルの波形成分を例示している。
【0030】
次に、算出されたスペクトル強度から、波数1658cm−1におけるスペクトル強度に対する波数1463cm−1におけるスペクトル強度の比率(1463cm−1/1658cm−1)を算出する。
【0031】
そして、算出された上記比率が所定値未満である場合に、生体組織に存在する物質にアミロイドベータが含まれるとの判定を出力し、ディスプレイへの表示などによってユーザに提示する。判定結果の出力は、算出された比率の数値、この数値が所定値未満であるか以上であるかについての情報、あるいはアミロイドベータの含有の有無についての情報などとされる。
【0032】
以上に説明した本発明に係る生体内物質検出システムによれば、前記比率に基づいて生体組織中に存在するアミロイドベータを非侵襲的に、かつ高精度に検出できる。
【0033】
2.生体内物質検出方法
本発明に係る生体内物質検出方法は、上記の生体内物質検出システムによって実行されるステップに対応する手順を含む。すなわち、生体内物質検出方法は、生体組織に存在する物質に対応するラマンスペクトルのC−Hバンドのスペクトル強度とアミドIバンドのスペクトル強度との比率を算出する手順、あるいはラマンスペクトルのアミドIバンドをカーブフィッティングにより複数の波形成分に分解し、1635〜1700cm−1の波数域にピーク波数を有する波形成分のスペクトル強度と1635〜1655cm−1の波数域にピーク波数を有する波形成分のスペクトル強度との比率を算出する手順と、該比率に基づいて前記物質中のアミロイドベータの有無を判定する手順とを含む。
【0034】
生体内物質検出方法は、さらに、生体組織の目的とする部分以外の部分に存在する物質に対応するラマンスペクトルをバックグランドデータとして取得する手順を含むことができる。生体組織の目的とする部分から得られたスペクトルデータから、目的としない部分から得られたスペクトルデータ(バックグランドデータ)を減算することで、前記比率をより高精度に算出してアミロイドベータの含有の有無をより正確に判定できる。
【0035】
波形成分のスペクトル強度は、各波形成分のピーク波数におけるピーク強度又はピーク波数帯のピーク面積として算出することができる。ピーク波数におけるピーク強度又はピーク波数帯のピーク面積は、ラマン分光イメージング装置の分解能が高い場合には等価に扱うことができる。
【実施例】
【0036】
<試験例1:網膜黄斑部アミロイドベータの検出1>
1.ラマンスペクトルの取得
眼底に存在する物質に対応するラマンスペクトルを以下の方法に従って取得した。
(1)装置:顕微レーザーラマン分光装置(inVia、レニショー株式会社)。
(2)測定条件:レーザー波長532 nm、レーザー強度50 mW、スペクトル取得波数域1500〜1800 cm-1
(3)測定サンプル:顕微鏡下で、ICR系マウス(8 週齢、雄)又はC57B6J系マウス(8 週齢、雄)の眼球内に極細ガラスピペットを挿入し、アミロイドベータ溶液を網膜直下に注入した。アミロイドベータ溶液には、ヒト1-40 Amyloide-beta peptide(ペプチド研究所)又はヒト1-42Amyloide-beta peptide(GL Lab)を、終濃度100μMでリン酸バッファー(pH 7.4)に溶解し、37℃で3日間以上振盪したものを用いた。アミロイドベータペプチドはアミロイドベータ溶液中に凝集体として分散している。2時間〜1日後、マウスを安楽殺して眼球を摘出し、測定サンプルとした。
【0037】
取得されたラマンスペクトルを図4に示す。図中、縦軸はスペクトル強度、横軸はラマンシフトを示す。また、符号(A)はアミロイドベータ溶液を注入した実験眼で得られたスペクトルを、符号(B)はアミロイドベータ溶液を注入していない対照眼で得られたスペクトルを示す。
【0038】
2.カーブフィッティング
取得されたラマンスペクトルのアミドI振動帯(1600−1700cm-1)を、カーブフィッティングにより複数の波形成分に分解した。カーブフィッティングは、市販のソフトウェアを用いて行った。
【0039】
図5に、実験眼のラマンスペクトルのアミドI振動帯を分解した波形成分を示す。また、図6に、対照眼のラマンスペクトルのアミドI振動帯を分解した波形成分を示す。実験眼では、対照眼と異なり、複数の波形成分に分解された。
【0040】
3.アミロイドベータの存在判定
分解された波形成分を、そのピーク波数の波数域によって5つの波形成分(I)〜(V)に区分し、各波形成分のピーク波数におけるスペクトル強度を抽出した。
波数域(I):1635〜1645cm−1:波形成分(I)
波数域(II):1645〜1655cm−1:波形成分(II)
波数域(III):1655〜1667.5cm−1:波形成分(III)
波数域(IV):1667.5〜1677.5cm−1:波形成分(IV)
波数域(V):1677.5〜1700cm−1:波形成分(V)
【0041】
実験眼及び対照眼について、波形成分(I)〜(V)のスペクトル強度和に対する波形成分(I),(II)のスペクトル強度和の比率を算出した。実験眼及び対照眼それぞれ10眼の平均値を「表1」に示す。
【0042】
【表1】

【0043】
表に示されるように、実験眼では、波形成分(I),(II)のスペクトル強度和の比率が対照眼に比べて高いことが確認される。波形成分(I),(II)のスペクトル強度和が全体に占める比率は、対照眼では0であるのに対して、実験眼では0.3以上であり有意に高かった。
【0044】
この結果から、波形成分(I),(II)のスペクトル強度の全体に占める比率が所定値以上(ここでは、例えば0.1以上、好ましくは0.2以上、さらに好ましくは0.3以上)である場合には、網膜内にアミロイドベータが存在すると判定できることが分かる。
【0045】
<試験例2:網膜黄斑部アミロイドベータの検出2>
1.ラマンスペクトルの取得
眼底に存在する物質に対応するラマンスペクトルを以下の方法に従って取得した。
(1)装置:顕微レーザーラマン分光装置(inVia、レニショー株式会社)。
(2)測定条件:レーザー波長785 nm、レーザー強度1 mW、スペクトル取得波数域1000〜2000 cm-1
(3)測定サンプル:顕微鏡下で、ICR系マウス(8 週齢、雄)の眼球内に極細ガラスピペットを挿入し、アミロイドベータ溶液を網膜直下に注入した。アミロイドベータ溶液には、ヒト1-40 Amyloide-beta peptide(ペプチド研究所)又はヒト1-42 Amyloide-beta peptide(GL Lab)を、終濃度100μMでリン酸バッファー(pH 7.4)に溶解したものを用いた。アミロイドベータペプチドはアミロイドベータ溶液中に凝集することなく分散している。2時間〜1日後、マウスを安楽殺して眼球を摘出し、測定サンプルとした。
【0046】
2.カーブフィッティング
取得されたラマンスペクトルをカーブフィッティングにより複数の波形成分に分解し、C−Hバンド(波数1658cm−1)およびアミドIバンド(波数1463cm−1)のスペクトル強度と、その比率(1463cm−1/1658cm−1)を算出した。
【0047】
3.アミロイドベータの存在判定
得られた比率をイメージ化して得た画像と、該画像中の各領域内における1463cm−1/1658cm−1比の平均値を示すマトリックスを図7〜図10に示す。図7および図8は、アミロイドベータ溶液を注入した実験眼のラマン分光イメージング画像とマトリックスを示す。図9および図10は、アミロイドベータ溶液をしていない対照眼のラマン分光イメージング画像とマトリックスを示す。
【0048】
図8および図10のマトリクスに示されるように、実験眼では1463cm−1/1658cm−1比が1.0未満である領域が大部分を占めたのに対して、対照眼では全領域で1.0以上であった。
【0049】
この結果から、C−Hバンドのスペクトル強度とアミドIバンドのスペクトル強度との比率が所定値未満(1463cm−1/1658cm−1比が、例えば1.0未満、好ましくは0.5未満、さらに好ましくは0.1未満)である場合には、網膜内にアミロイドベータが存在すると判定できることが分かる。なお、カーブフィッティングを行うことなく、ラマンスペクトルから直接に波数1658cm−1および波数1463cm−1におけるスペクトル強度を抽出し比率を求めた場合にも同様の結果が得られた。
【0050】
<試験例3:大脳アミロイドベータの検出>
大脳組織に存在する物質に対応するラマンスペクトルを以下の方法に従って取得した。
(1)装置:顕微レーザーラマン分光装置(inVia、レニショー株式会社)。水浸レンズ60倍(NA1.0)(OLYMPUS LUMPlanFIN 60xW)。
(2)測定条件:レーザー波長785 nm、レーザー強度3 mW、スペクトル取得波数域400〜1900 cm-1
(3)測定サンプル:APPを過剰発現するトランスジェニックマウス("Correlative memory deficits, Abeta elevation, and amyloid plaques in transgenic mice." Science. 1996, 4, 274(5284), 99-102)から大脳を摘出し、液体窒素中で凍結した。正中線と平行に10μmの厚さで凍結切片を作成し、金蒸着基板に配した。
【0051】
アミロイドベータに特異的な抗体(6E10)を用いて凍結切片を免疫蛍光染色し、大脳皮質および海馬にアミロイドベータプラークを多数確認した。またアミロイドベータに特異的な色素(チオフラビンT)を用いた染色によってもアミロイドベータプラークを確認した。
【0052】
チオフラビンT染色後の試料を金蒸着基板に配し、ラマン散乱スペクトルを測定した。測定は、3μm間隔の各点で行った。任意の散乱ピークを選択し、そのラマンシフトまたは強度の空間分布を用いてラマン散乱画像を構成した。その結果、チオフラビンTの2級アミンに由来するバンドとアミドIバンドとが画像中の同一領域に特定され、アミロイドベータプラークをラマン散乱画像により可視化することができた。
【産業上の利用可能性】
【0053】
本発明に係るスペクトルデータ解析装置および生体内物質検出システムによれば、生体組織中の物質を非侵襲的に検出することができる。そのため、本発明に係るスペクトルデータ解析装置等は、特定の物質が病態に関与する疾患の早期発見や治療のために用いられ得る。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
生体組織に存在する物質に対応するラマンスペクトルのC−Hバンドのスペクトル強度とアミドIバンドのスペクトル強度との比率を算出し、
該比率に基づいて前記物質中のアミロイドベータの有無を自動判定するスペクトルデータ解析装置。
【請求項2】
前記比率は、前記ラマンスペクトルの波数1463cm−1におけるスペクトル強度と波数1658cm−1におけるスペクトル強度の比率である請求項1記載のスペクトルデータ解析装置。
【請求項3】
前記ラマンスペクトルをカーブフィッティングにより複数の波形成分に分解し、前記比率を算出する請求項2記載のスペクトルデータ解析装置。
【請求項4】
生体組織に存在する物質に対応するラマンスペクトルのアミドIバンドをカーブフィッティングにより複数の波形成分に分解し、1635〜1700cm−1の波数域にピーク波数を有する波形成分のスペクトル強度と1635〜1655cm−1の波数域にピーク波数を有する波形成分のスペクトル強度との比率を算出し、
該比率に基づいて前記物質中のアミロイドベータの有無を自動判定するスペクトルデータ解析装置。
【請求項5】
生体組織に存在する物質に対応するラマンスペクトルを取得する測定装置と、請求項3または4記載のスペクトルデータ解析装置と、を含む生体内物質検出システム。
【請求項6】
生体組織に存在する物質に対応するラマンスペクトルのC−Hバンドのスペクトル強度とアミドIバンドのスペクトル強度との比率を算出し、
該比率に基づいて前記物質中のアミロイドベータの有無を判定する生体内物質検出方法。
【請求項7】
生体組織に存在する物質に対応するラマンスペクトルのアミドIバンドをカーブフィッティングにより複数の波形成分に分解し、1635〜1700cm−1の波数域にピーク波数を有する波形成分のスペクトル強度と1635〜1655cm−1の波数域にピーク波数を有する波形成分のスペクトル強度との比率を算出し、
該比率に基づいて前記物質中のアミロイドベータの有無を判定する生体内物質検出方法。

【図10】
image rotate

【図1】
image rotate

【図2】
image rotate

【図3】
image rotate

【図4】
image rotate

【図5】
image rotate

【図6】
image rotate

【図7】
image rotate

【図8】
image rotate

【図9】
image rotate


【公開番号】特開2012−32368(P2012−32368A)
【公開日】平成24年2月16日(2012.2.16)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−37790(P2011−37790)
【出願日】平成23年2月24日(2011.2.24)
【出願人】(000002185)ソニー株式会社 (34,172)
【Fターム(参考)】