説明

ホエーパウダーを含むパン類の製造方法と本法によって得られるパン類

【課題】従来のパン酵母Saccharomyces cerevisiaeはラクトースを発酵できないため、砂糖を添加せずホエーパウダーを含むパン生地を十分に膨張させることはできない。一方、ラクトース発酵性酵母Kluyveromyces marxianusは一般にパン生地発酵力が低く、パン生地中に生成するマルトースを発酵できない。
【解決手段】パン生地発酵力の高いラクトース発酵性酵母Kluyveromyces
marxianusと通常のパン酵母Saccharomyces cerevisiaeの培養菌体を混合することにより、ホエーパウダーを含む高品質のパン類を製造することができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、栄養豊富なホエーパウダーを含み優れた風味を備えたパン類の製造方法とそれによって得られるパン類に関するものである。
【背景技術】
【0002】
パンには多くの種類があり、食パン、菓子パンやその他のパンを含めてパン類と総称されている。その製法は小麦粉、水、砂糖、食塩、乳製品、油脂、酵母などを混捏してパン生地をつくり、発酵後に焼成して出来上がる。原料のひとつである乳製品として広く利用されているのは脱脂粉乳で、栄養価を高め、焼成したパンの風味を増すとともに、表面の焼き色を鮮やかな茶褐色にするとされている。脱脂粉乳以外で同様の効果のある乳製品として知られているのが、ホエーパウダーやホエータンパク質濃縮物である。ホエーパウダーとは、生乳を凝固させてチーズを製造する際に副生する液体(チーズホエー)を噴霧乾燥したものであり、その主成分はラクトース 78%、ホエータンパク質 12%、無機塩類 6%である。ホエータンパク質濃縮物は、チーズホエーから膜処理によってラクトースを除去してタンパク質を30〜60%にまで濃縮した粉末である。チーズホエーは原料乳の約90%に相当する量が発生し、廃液として処理するには大きな環境負荷がかかる。そのため、チーズホエーの大部分は乾燥粉末化して加工食品などに利用されているが、世界的なチーズの増産による供給過剰で価格は脱脂粉乳より低く、ホエーパウダーはホエータンパク濃縮物よりもさらに安い。しかし、ホエータンパク質の成分であるβ-ラクトグロブリンやα-ラクトアルブミンは腸管におけるカルシウムの吸収を促進するとともに血圧降下に関与するアンジオテンシン変換酵素阻害活性を示し、またラクトフェリンは肝炎の発生や進行を抑制するなどの効果があるとされている。このようにホエーパウダーは安価でありながら機能性成分を豊富に含む優れた食品素材であり、パンの原料として使用することにより幅広い効果が期待できる。
【0003】
ホエーパウダーを含むパンに関連する先行技術としては、小麦デンプンとホエーパウダーを含有する製パン改良剤(特許文献1)、ラクチュロースを一定量以上含むホエーパウダーを有効成分とする製パン品質改良剤(特許文献2)に関するものがある。ホエーパウダーの関連製品であるホエーパーミエート(チーズホエーからタンパク質を分離したものでラクトースを主成分として含有)については、甘味料としてパン製造に利用する方法がある(特許文献3)。また、ラクトース発酵性酵母Kluyveromyces marxianus菌株によって脱脂粉乳を含むパン生地を膨張させてパンの製造に適用した報告がある(非特許文献1)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【特許文献1】特開2006−325536号公報
【0005】
【特許文献2】特開2008−161073号公報
【0006】
【特許文献3】特開H5−68467号公報
【非特許文献】
【0007】
【非特許文献1】R. Calallero, P. Olguin,A. Cruz-Guerrero, F. Gallardo, M. Garcia-Garibay, L.Gomez-Ruiz, Evaluation of Kluyveromyces marxianus as baker’s yeast, Food Research International, 28, 37-41, 1995
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
最近の消費者には、油脂などを豊富に含む濃厚なパン類に人気がある一方で、シンプルなパン類も好まれる傾向がある。そのため、砂糖を添加せずにホエーパウダーを多く含むようなカロリーが控えめで栄養・機能性のあるパン類に注目が集まると予想される。このパン生地中で、通常のパン酵母Saccharomyces cerevisiaeは生地中にわずかに存在する単糖類を細胞内に取り込んで1時間以内に消費し、その後の2〜3時間は小麦粉に含まれるβ-アミラーゼなどの作用によってデンプンから生成するマルトースを取り込む。酵母はエムデン・マイヤーホフ経路で取り込んだ糖を代謝し、発生する炭酸ガスでパン生地を膨張させると同時に、発酵させたパン特有の好ましい風味を与えている。しかし、酵母Saccharomyces cerevisiaeはホエーパウダー中の主要成分であるラクトースを発酵できない。一方、Kluyveromyces marxianusなどのラクトース発酵性酵母は糖の発酵速度がSaccharomyces
cerevisiaeよりも劣り、マルトースも発酵することができないので、製パンには不適と考えられている。
【0009】
これまでにKluyveromyces marxianus NRRL-Y-1109およびNRRL-Y-2415と市販パン酵母から分離したSaccharomyces
cerevisiae菌株のパン生地発酵力を比較した報告がある(非特許文献1)。この文献では、いずれの菌株も糖無添加およびスクロースを添加したパン生地の発酵力は同等であり、ホエーまたはラクトースを含むパン生地の発酵力はKluyveromyces marxianus NRRL-Y-1109およびNRRL-Y-2415のほうが高いと記載されている。しかし、後述するように本発明者がKluyveromyces marxianus NRRL-Y-2415と同一菌株であるNBRC
1735のスクロースを添加したパン生地の発酵力を調べてみたところ市販パン酵母分離菌株の1/3以下ときわめて低い水準であり、実際の製パンに使用するのは困難であった。このように砂糖を添加せずにホエーパウダーを多く含むパン生地中の糖を十分に発酵することにより、パン生地を大きく膨張させて優れた風味を与えるような酵母に関する従来技術はないのが現状である。
【課題を解決するための手段】
【0010】
上記の目的を達成するためには、パン生地発酵力の高いラクトース発酵性酵母Kluyveromyces
marxianusと通常のパン酵母Saccharomyces cerevisiaeの培養菌体を混合して利用すれば良い。すなわち、前者の酵母によってホエーパウダー中のラクトースを、後者の酵母によってパン生地中に生成するマルトースを発酵させることにより、砂糖を添加せずにホエーパウダーを多く含むパン生地を十分に膨張させることができるのである。本発明者は鋭意研究した結果、このように混合した酵母の培養菌体によって高品質かつ特徴的で良好な風味を備えているパン類を製造できることを発見し、本発明を完成させた。
【発明の効果】
【0011】
本発明のパン類の製造方法によって、栄養豊富なホエーパウダーを含み優れた風味を備えたパン類をつくることが可能となり、チーズ製造の副産物であるホエーパウダーの有効活用に大きく役立つことになる。
【発明を実施するための形態】
【0012】
本発明でいうラクトース発酵性酵母とはパン生地発酵力の高いKluyveromyces
marxianus であれば特に限定せず、好ましくはKluyveromyces marxianus NITE
P-799である。通常のパン酵母とはパン生地発酵力の高いSaccharomyces cerevisiae菌株であれば特に限定せず、好ましくは市販されている製パン用の圧搾酵母や乾燥酵母から単コロニー分離された菌株である。これら二つの酵母の培養菌体を混合する比率は、ホエーパウダーを含むパン生地の発酵力が最大となるのであれば特に限定しないが、好ましくは1:1である。本発明でいうホエーパウダーとはチーズホエーを噴霧乾燥させた粉末であるが、ラクトースを多く含むような乳製品も使用することができる。ホエーパウダーの添加量はパン生地発酵力が著しく低下しない程度であれば特に限定しないが、好ましくは小麦粉重量当たり5〜10%である。いずれにしろ、パン類を製造する条件は使用する酵母および原料を勘案し、適当に決定すればよい。
【0013】
本発明で使用する上記のKluyveromyces marxianus NITE
P-799は発酵乳より分離した菌株で、次のような性質を有する。
【0014】
(1)形態学的性質
YM寒天培地で25℃、3日間培養したときの細胞は球形または楕円形で、大きさは2〜5 μm × 4〜7μmで、多極出芽する。コロニーは淡褐色で、光沢がある。
【0015】
(2)生理的性質
温度22〜37℃で生育する。

【0016】
(3)糖の発酵性
グルコース
+
ラクトース
+
ガラクトース
+
ラフィノース
+
スクロース
+
トレハロース
-
マルトース
-
イヌリン
+
【0017】
(4)炭素源の資化性
グルコース +
D-アラビノース
-
ガラクトース
+

D-リボース +

L-ソルボース -

L-ラムノース
-

スクロース
+

エリスリトール -

マルトース
-

アドニトール
+

セロビオース
+

ズルシトール
-

トレハロース
-

D-マンニトール +

ラクトース
+

D-ソルビトール +

メリビオース
-

α-メチルグルコシド -

ラフィノース
+

サリシン
+

メレジトース
-

グルコン酸
-

イヌリン
+

乳酸
+

可溶性デンプン -

コハク酸
+

D-キシロース
+

クエン酸
+

L-アラビノース +
イノシトール
-
【0018】
(5)その他の資化性および生育の特徴
硝酸カリウム
-
ゼラチンの液化
-
カダベリン
+
アルブチンの分解
+
L-リジン
+
尿素の分解
-
エチルアミン塩酸塩
+
有機酸生成 -
50%グルコース -
シクロヘキシイミド耐性 100mg/l +
【0019】
(6)26SリボソームDNA
D1/D2領域の塩基配列
培養菌体から常法によりDNAを抽出し、NL-1(5'-GCATATCAATAAGCGGAGGAAAAG-3')およびNL-4 (5'-GGTCCGTGTTTCAAGACGG-3')
の両プライマーによって26SリボソームD1/D2領域を増幅させる。増幅断片は両プライマーでサイクルシーケンシングを行い、ABI PRISM 310 Genetic Analyzer (アプライドバイオシステムズジャパン株式会社)にて塩基配列を決定する。得られた545塩基の配列情報をインターネット上のBLASTプログラムに入力してホモロジー検索を行うと、Kluyveromyces marxianusの相当する塩基配列と完全に一致する。
【実施例1】
【0020】
独立行政法人製品評価技術基盤機構生物遺伝資源部門(NBRC)保存の微生物菌株のうち、ラクトース発酵性を有するKluyveromyces marxianus 5株、その無性世代であるCandida kefyr 9株、発酵乳より分離したKluyveromyces
marxianus NITE P-799および市販パン酵母から分離したSaccharomyces
cerevisiae HP 216のスクロース添加パン生地発酵力を比較した。
【0021】
各菌株を試験管中のYPD培地(バクト酵母エキス1.0%、バクトペプトン2.0%、グルコース2.0%)3mlで30℃、24時間往復振盪培養(120rpm)し、そのうちの0.6mlを300mlバッフル付き三角フラスコ中のYPS培地(バクト酵母エキス2.0%、バクトペプトン4.0%、KH2PO4
0.2%、MgSO4・7H2O 0.1%、アデカノールLG-294 0.05%、スクロース 2.0%)60mlに接種して30℃、24時間旋回振盪培養(150rpm)した。YPS培地は、酵母菌体のパン生地発酵力を高めるための培地であり、スクロースおよびその他の成分は別々に滅菌しておき、使用直前に混合した。培養後の菌体は遠心分離で回収し、蒸留水で2回洗浄してから乾燥させた吸収板の上に数分間置いて培養湿菌体を得た。培養菌体の固形分は約30%になるが、一部を乾燥させて正確な数値を算出し、以下の実験では固形分33%に換算した重量とした。

【0022】
小麦粉(強力)10g、0.5gのスクロースを含む水溶液5.5mおよび酵母菌体0.2gを含む懸濁液1.0mlを1分間混捏した。調製したパン生地は2.4cm×20cmの試験管に入れ、発生する炭酸ガス量を飽和食塩水中のメスシリンダーに導いて30℃、2時間当たりに発生する炭酸ガス発生量をパン生地発酵力として測定した。
【0023】
【表1】

【0024】
表1に示したように、NBRC保存のKluyveromyces marxianus 5株のパン生地発酵力はいずれもSaccharomyces
cerevisiae HP 216の1/3以下であった。このうちのNBRC 1735(=NRRL-Y-2415)は、パン生地発酵力が市販パン酵母分離株と同程度と報告されている(非特許文献1)。この論文の実験で使用した培地中には酵母エキス0.2%しか含まれておらず、市販パン酵母分離株のパン生地発酵力が十分に発現されていなかったためにKluyveromyces marxianusと同程度の低水準になったと推察される。Candida
kefyrの中にはNBRC保存のKluyveromyces marxianusよりもパン生地発酵力の高い菌株があったが、もっとも優れていたのは本発明のKluyveromyces marxianus NITE P-799であった。しかし、この菌株でもパン生地発酵力はSaccharomyces cerevisiae HP 216の約60%であった。
【実施例2】
【0025】
Kluyveromyces marxianus NITE P-799、Saccharomyces cerevisiae HP 216を実施例1と同様の方法で培養菌体を調製し、菌体濃度が0.2g/mlになるようにそれぞれ懸濁した。小麦粉(強力)10g、0.5gのホエーパウダーを含む水溶液4.5mおよび酵母菌体0.4gを含む懸濁液2.0mlを1分間混捏し、発生する炭酸ガス量をパン生地発酵力として1時間毎に5時間目まで測定した。
【0026】
【表2】

【0027】
表2に示したように、Kluyveromyces
marxianus NITE P-799のパン生地発酵力は、いずれの測定時間でもSaccharomyces
cerevisiae HP 216を下回っていた。Saccharomyces cerevisiae HP
216はパン生地中の発酵性糖を消費して4時間で炭酸ガスの発生が停止した。パン生地発酵力はKluyveromyces marxianus NITE P-799の菌体にSaccharomyces
cerevisiae HP 216の菌体を加えると4時間目以降で顕著に増加し、小麦粉10g当たり各菌体0.2gの計0.4g添加したときに最高となった。
【実施例3】
【0028】
Kluyveromyces marxianus NITE P-799、Saccharomyces cerevisiae HP 216を実施例1と同様の方法で培養菌体を調製し、それぞれの菌体濃度が0.2g/mlになるように懸濁した。小麦粉(強力)10g、各菌体0.2gの計0.4gを含む懸濁液2.0ml、蒸留水4.5mlまたは0.5g、1.0g、1.5gまたは,2.0gのホエーパウダーを含む水溶液4.5mを1分間混捏し、発生する炭酸ガス量をパン生地発酵力として1時間毎に5時間目まで測定した。
【0029】
【表3】

【0030】
表3に示すように小麦粉10g当たり0.5gおよび1.0gのホエーパウダーを添加することによってパン生地の発酵力は上昇したが、これ以上では低下する場合もあった。ホエーパウダーが増えると、パン生地中の浸透圧が高くなって酵母による発酵が阻害されるものと推察される。
【実施例4】
【0031】
Kluyveromyces marxianus NITE P-799およびSaccharomyces cerevisiae HP 216を実施例1のような方法で培養し、培養菌体およびこれらの混合菌体を使用してストレート法でパンをつくった。小麦粉(強力粉)200g、ホエーパウダー10.0g、油脂10.0g、培養菌体8.0g(各菌体および等量混合菌体)、アスコルビン酸溶液1.0ml(6mg/ml)および蒸留水133mlをピンミキサーで約3分間混捏した。30℃、80分のフロアタイム後、パン生地を100gづつ分割して丸めて30℃、15分のベンチタイムをとった。これをモルダーとシーターで成型し、38℃、湿度85%のホイロ発酵を55分行ってから200℃、25分焼成した。これを室温で放冷後、重量と容積を測定して比容積を算出した。さらに、これらのパンはポリ袋に入れて室温で一日保存し、5名のパネラーによって色、香り、味、外観を4段階(非常に良好、良好、やや劣る、劣る)で評価した。その結果を表4に示す。
【0032】
【表4】

【産業上の利用可能性】
【0033】
上述のようにパン生地発酵力の高いラクトース発酵性酵母Kluyveromyces
marxianusと通常のパン酵母Saccharomyces cerevisiaeの培養菌体を混合することにより、ホエーパウダーを含む高品質のパン類を製造することが可能となる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
パン生地発酵力の高いラクトース発酵性酵母Kluyveromyces
marxianusと通常のパン酵母Saccharomyces cerevisiaeの培養菌体を混合してホエーパウダーを含むパン生地を膨張させることを特徴とするパン類の製造方法。
【請求項2】
パン生地発酵力の高いラクトース発酵性酵母がKluyveromyces
marxianus NITE P-799である請求項1記載のパン類の製造方法。
【請求項3】
パン生地発酵力の高いラクトース発酵性酵母Kluyveromyces
marxianusと通常のパン酵母Saccharomyces cerevisiaeの培養菌体を混合してホエーパウダーを含むパン生地を膨張させることを特徴とするパン類の製造方法によって製造されたパン類。
【請求項4】
パン生地発酵力の高いラクトース発酵性酵母がまたはKluyveromyces
marxianus NITE P-799である請求項3記載のパン類。