説明

低表面エネルギー化合物でコーティングしたエレクトロスプレーエミッタ

【課題】 蒸留水など大きな表面張力を持つ溶液でも安定したエレクトロスプレーを可能にする。
【解決手段】本発明は、本体が入口孔、出口孔、それらをつなぐチャンネルからなり、少なくとも出口先端外壁の溶液と接しうる部分が低表面エネルギー化合物でコーティングされているエレクトロスプレーエミッタであり、スプレーを補助するガスを一切使用せずに毎分マイクロリットルからナノリットルの低流速域で安定なエレクトロスプレーである。本エミッタは電気非伝導性であるので、陰イオン測定で起こりやすい放電の危険性がなく陽イオン・陰イオンどちらの測定でも安定したエレクトロスプレーが可能である。エミッタと液体クロマトグラフィーなどの分析機器とを接続するラインの内壁を低表面エネルギー化合物でコーティングすることにより分析対象化合物の吸着による損失を防ぐ。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、エレクトロスプレーエミッタ、その製造法、分析装置とエレクトロスプレーエミッタをつなぐ管状コネクタ、それらの使用法に関する。
【背景技術】
【0002】
現在、エレクトロスプレーイオン化(ESI)質量分析法(MS)は、生体分子、薬剤、合成高分子などの分析に広く用いられている(N. Ceck, et al., Mass Spectrom. Rev. 2001, 20, 362-387)。特にプロテオミクスやメタボロミクスの分野においては、ESI-MSの高感度化とキャピラリー高速液体クロマトグラフィー(HPLC)との良好な接続性が必要なことから、1μl/min以下の低流速での安定したESIが要求される。このような流速でのスプレーには先端を細く引き先端径が非常に小さいエミッタが用いられている。エミッタは、通常、ガラス、溶融シリカ、ステンレス製でステンレス製以外のものは金属や伝導性ポリマーで被覆したものと被覆されていないものがある(D. Gale, et al., Rapid Commun. Mass Spectrom. 1993, 7, 1017-1021; M. Emmett, et al., J. Am. Soc. Mass Spectrom. 1994, 5, 605-613; G. Valaskovic, et al., Anal. Chem. 1995, 67, 3802-3805; M. Wilm, et al., Anal. Chem. 1996, 68, 1-8; E. Maziarz III, et al., J. Am. Soc. Mass Spectrom. 2000, 11, 659-663; and Y. Ishihama, et al., Rapid Commun. Mass Spectrom. 2002, 16, 913-918)。
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0003】
これら既存エミッタを使用した多くの経験から、先端ですぐに詰まってしまい使用不能になる、逆相HPLCにおいてグラジェント溶出の初期に水を多く含む溶出液のスプレーが不安定で自動分析の途中でスプレーが停止してしまう等の問題点が指摘されてきた。その結果、プロテオミクスやメタボロミクスに要求されるハイスループット分析を容易に達成できない状況が発生していた。
【0004】
これらの問題の原因は相互に関連しており、おもにエミッタ出口先端の外側壁表面(γS)と水溶液(γL)の大きな表面エネルギーに起因する。エレクトロスプレーは、次のような過程で起こる。まずエミッタ内を流れる溶液と対極の間に高電圧を印加することにより分極が起こり、エミッタ出口先端から溶出する液滴表面に対極と反対符号の電荷が発生する。このため液滴は静電力により対極に引っ張られて先端の丸い円錐状を呈する。対極方向への静電力と液滴表面の同符号電荷間のクーロン反発力が溶液の表面張力より大きくなると液滴先端から分子のイオン化のもとになる表面荷電した微小液滴が多数射出する。この状態の液滴は先端が鋭く飛び出したコーン状を呈しTayler コーンと呼ばれる(後述する文献1の総説とそれに引用されている文献)。エミッタ素材の表面エネルギーが大きいと(ガラスではγS〜100mN/m)エミッタ先端外壁と接する液滴基部の直径が大きくなるので大きな液滴が形成される。エミッタ内の溶液との接電部位で分極により発生する電荷量は一定であるので、液滴が大きくなるとその表面電荷密度が下がる。このため、水溶液など大きな表面張力(γL=73mN/m)を持つ溶液のスプレーが困難になる。小さい液滴を形成しやすくするために、従来の技術では、非常に小さい先端径のエミッタが必要であった。
【課題を解決するための手段及び効果】
【0005】
本発明者は、前述の問題点を解析した結果、エミッタの少なくとも出口先端部分を低表面エネルギー化合物で被覆することによりこれらの問題を回避できることを見出した。
【0006】
したがって、本発明は、エミッタ本体が入口孔、出口孔、それらをつなぐチャンネルからなり、少なくとも出口先端外壁の一部が低表面エネルギー化合物でコーティングされているエレクトロスプレーエミッタを提供する。この目的に使用できる低表面エネルギー化合物は、たとえばパーフルオロポリオキセタン(PFPO)などのフッ素化ポリマーがある。エミッタ本体は、溶融シリカ、ガラスセラミックス、アルミノシリケートガラス、ポリプロピレンあるいはステンレス鋼で作製できる。エミッタ本体は、出口孔のほうに先細りであることが望ましい。先端外側壁だけでなくエミッタ本体チャンネル内壁も低表面エネルギー化合物で被覆できる。
【0007】
本発明は、エミッタ本体が入口孔、出口孔、それらをつなぐチャネル、出口先端の少なくとも外壁の一部の低表面エネルギー化合物でのコーティングを有するエレクトロスプレーエミッタの製造法にも関する。
【0008】
本発明により、スプレーを補助するガスを一切使用せずに毎分マイクロリットルからナノリットルの低流速域で、エミッタは蒸留水を含め大きな表面張力を持つ溶液でも安定したエレクトロスプレーを可能にする。エミッタ先端が非電気伝導性であるため電気的な放電の危険性を回避でき、従来から放電を起しやすい事が知られている陰イオン測定でも安定なエレクトロスプレーを可能にする。さらに、本発明のエレクトロスプレーエミッタは、以下の特長により長寿命を実現できた。(1)スプレー効率が著しく改善されたため、従来エミッタのようにエミッタ先端内腔を細く引く必要がなくなった。(2)エミッタ本体チャンネルをコーティングすることにより非特異的吸着を低減した。その結果、本発明のエレクトロスプレーエミッタは、少なくとも500時間以上という従来エミッタでは不可能な長寿命を達成した。
【0009】
エミッタと分析機器(たとえば、液体クロマトグラフィー、キャピラリー電気泳動、超臨界クロマトグラフィー、ミクロ流体装置など)とを接続するチャンネル内での分析物質の損失を防ぐため、接続流路内壁を低表面エネルギー化合物でコーティングすることが可能である。
【0010】
したがって、本発明は、さらにエレクトロスプレーエミッタと分析機器をつなぐ管状流路に関する。管状流路本体は、入口孔、出口孔、それらをつなぐチャンネル、チャンネル内壁の少なくとも一部に低表面エネルギー化合物コーティングを有する。この用途に適した低表面エネルギー化合物は前述と同様である。本発明の管状流路を用いることにより、疎水性化合物の回収率が改善される。
【発明を実施するための最良の形態】
【0011】
最適な実施形態を示すことにより本発明を詳細に説明する。ただし、これらの実施形態はあくまで本発明の実施例であり、本発明の内容をこれら実施例に含まれるものに限定するものではない。
【0012】
<エレクトロスプレーエミッタ>
図1(b)は本発明のエレクトロスプレーエミッタの望ましい一実施例を示す。エレクトロスプレーエミッタは入口孔2、出口孔3と入口孔2と出口孔3とをつなぐチャンネル4(導管)からなる。本発明において、エミッタ出口先端外壁部分の低表面エネルギー化合物でのコーティングは効率よいエレクトロスプレーに必須である。したがって、図1(b)のエミッタの出口外壁1b、さらに望ましくは1aにコーティングされている。
【0013】
本発明において、エミッタ先端外壁に加えて他の部位を低表面エネルギー化合物でコーティングしてもよい。エミッタ出口先端でのコーティングに加えて、チャンネル4の内壁4aの少なくとも出口先端内壁あるいは内壁前面を低表面エネルギー化合物でコーティングできる。望ましい実施例においては、チャンネル4の内壁4a全面がコーティングされている。たとえば、図1(d)と図1(e)のエミッタにおいて、出口先端外壁1bに加えチャンネル4の内壁4a全面がコーティングされている。図1(f)のエミッタでは、内壁のコーティングは出口先端の一部に限られている。PFPOコーティングは無色透明で見ることができない。
【0014】
ここで用いる用語「低表面エネルギー」は、たとえば、20mN/m以下、好ましくは5〜20mN/m、さらに好ましくは6〜12mN/mの範囲の固体表面の単位表面積あたりのエネルギー(液体表面の表面張力に対応する)と定義する。本特許で用いる低表面エネルギー物質は、それが適当な低表面エネルギーを有し、かつエレクトロスプレーの効率を損なわずにエミッタ本体をコーティング可能な物質であるならば、特定の物質に限定されるものではない。このような低表面エネルギー物質として適当なものは、たとえば、フルオロポリマーやフッ素化化合物がある。好ましいフルオロポリマーやフッ素化化合物として、パーフルオロポリオキセタン、パーフルオロウレタン、フルオロポリマーエラストーマ、ポリテトラフルオロエチレン、フルオロアルキルモノシラン、ポリメリックパーフルオロエーテルジシラン、ポリメリックパーフルオロエーテルポリシラン、またはエポキシ、水酸基、アクリレート、イソシアネートなどの官能基を有するパーフルオロオクタールやパーフルオロポリエーテルなどがある。これらのうちもっとも好ましい物質は、パーフルオロポリオキセタン(PFPO)である。PFPOは、通常室温で12mN/mの臨界表面張力を有する。
【0015】
エミッタ本体は溶融シリカキャピラリーで作製できる。しかし、エレクトロスプレーエミッタとして利用しうる材質であるならば、いかなる制限もなく使用できる。たとえば、ガラス、ガラスセラミックス、アルミノシリケートガラス、ポリプロピレン、あるいはステンレススチールなどが挙げられる。先端部分のポリイミド被覆を剥いで先細り加工していないキャピラリーでもPFPOコーティングすることにより、蒸留水をエレクトロスプレーすることが可能になる。
【0016】
より安定したスプレーとMSの測定感度を上げるためには、先端先細り加工することが望ましい(たとえば、以下の文献を参照 D. Gale, et al., Rapid Commun. Mass Spectrom. 1993, 7, 1017-1021; M. Emmett, et al., J. Am. Soc. Mass Spectrom. 1994, 5, 605-613; G. Valaskovic, et al., Anal. Chem. 1995, 67, 3802-3805; M. Wilm, et al, Anal. Chem. 1996, 68, 1-8)。したがって、図1(b)に示すように、エミッタ本体1の外壁は出口孔3に向かって先細りになっている。先細りの形状は、徐々に先端に向かって細くなるのではなく、図1(b)の先端1bのように先端から適当な長さ(2〜5mmが望ましい)だけ均一に細い外壁の先端形が望ましく、スプレーの安定性において優れている。従来からキャピラリーHPLCに用いられている〜0.1μl/min以上の流速では、内腔をそのままで外壁のみ先細りにするこのエミッタの形態は目詰まりを避けるために実用的である。ナノスプレーのようにさらに低流速でのESIでは、エミッタ本体の外側及び内側が、出口孔に向かって次第に細くなっていることが望ましい。この場合は、先細り加工のないエミッタではあるものに比べスプレー効率が悪い。
【0017】
市販されているレーザーキャピラリープラーを用いれば、外壁と内腔ともに先細りのキャピラリーを作製できる(M. Wilm, et al., Anal. Chem. 1996, 68, 1-8)。このような先端先細りキャピラリーは、たとえばNew Objective (Cambridge, MT)から購入可能である。一方、エミッタの先細り加工は、フッ素酸(HF)処理で行うことができる(D. Gale, et al., Rapid Commun. Mass Spectrom. 1993, 7, 1017-1021)。一般に市販の溶融シリカキャピラリーは強度を高めるためポリイミド被覆されているので、適当な長さ(本実施例では3〜5cm)に切断後、一端のポリイミドを適当な長さ例えば7mmを焼いて剥す。この端をHF溶液(以下の例では46%)に浸し緩徐に攪拌しながら適当な時間エッチングする。必要時間は、キャピラリーの内径、外径に依存するが、外径150μm/内径20μmのキャピラリーでは、室温で約20分が適当である。エッチングのあいだにポリイミド被覆と露出したシリカとの境界にHF溶液滴ができてその部分のエッチングだけが速く進行するので、液滴が発生すると可及的に空気や窒素ガスなどで除去する必要がある。キャピラリーをプラーで引く方法と比べるとHFによるエッチングでは、内腔をそのままにして外壁を先細り加工できる。これは、目詰まり防止に重要であるが、特にハイスループット分析では目詰まり防止によるエミッタの長寿命化は必須である。キャピラリーにその内腔の大きさに適した流速で液体(水が好ましく、内径20μmのキャピラリーでは200nl/minが適当である)を流し内腔壁とHFの接触を妨げると内壁のエッチングを回避できる。空気や不活性ガス(窒素ガスが望ましい)もこの用途に利用可能である。エッチング後、キャピラリー内腔を水で洗浄して窒素ガスを流して乾燥させ40°Cで静置してさらに乾燥させる。
【0018】
エミッタの長さ、内径、外径などの規格に、特に制限はない。エミッタを使用する用途によって熟練者により種々の規格のエミッタを作製できる。典型的なエミッタの規格は、長さ30〜100mm位で、外径と内径はそれぞれ150〜375μmと10〜50μm位である。
【0019】
<エレクトロスプレーエミッタの作成法>
本発明は、上述したエミッタの製造法を提供する。この方法により、入口孔、出口孔とそれらをつなぐチャンネルからなり、少なくとも出口先端外壁部分が低表面エネルギー物質でコーティングされたエレクトロスプレーエミッタを作製することができる。たとえば一実施例においては、適当な溶媒に溶解した低表面エネルギー化合物にエミッタの一部分を浸し、その後溶媒を乾燥させて、コーティング剤をエミッタ壁に付着させる。
【0020】
さらに具体的に述べれば、本発明のエレクトロスプレーエミッタは次の方法で作製することができる。前記の方法でエッチングにより先端外壁を先細り加工したキャピラリー(エミッタ)あるいはNew Objectives社から購入したプラーにより引いて先細り加工したキャピラリー(エミッタ)の加工した部分をパーフルオロヘキサンに溶解した適当な濃度(たとえば0.001〜0.1% w/v)のPFPOに、〜1分から10分浸した。いずれの規格のキャピラリーもコーティング可能であるが、キャピラリーHPLCとの接続の用途にはスプレー効率と目詰まりを避けるという観点から10〜50μmの内径のものが望ましい。エッチングにより先端外壁を先細り加工した長さ5cm、内径10〜50μmのキャピラリーでは、単にPFPO溶液に浸すだけで内壁前面と先端の浸した外壁部分がコーティングされた。一方、プラーにより引いて先細り加工したキャピラリーでは本体部分が同じ内径のキャピラリーでも内壁のコーティングは先端の一部に限られた。もし必要ならば、ポンプあるいは手動でシリンジからPFPO溶液をキャピラリーに通すことにより内壁全面をコーティングできる。たとえば0.1%など比較的高濃度のPFPOに浸した場合は、先端部分がコーティング剤で閉塞されないように空気や窒素ガスなどの不活性ガスをチャネルにながす必要があるが、さらに低濃度のPFPO溶液を使用したときは必ずしもこの処理が必要とは限らない。PFPO処理したキャピラリーは60℃で60分間以上静置してコーティングを安定化させた後にESI/MSに使用可能である。以下の実施例においては、一晩静置したエミッタを用いた。0.1%PFPOでコーティングした場合のコーティングの厚さは約10nmである。本発明のエレクトロスプレーエミッタの実施例を図1(b)〜(f)に示す。PFPOコーティングは無色透明であるので、ポリイミド被覆をはがしてコーティングした部分の内腔を流れる気泡などを目視できる。
【0021】
図2(a)と図2(b)とは、種々の濃度のPFPOコーティングしたエミッタ外壁表面の水に対する接触角の変化を示す。PFPOコーティングしたときとしていないときの接触角の比は、PFPO濃度の上昇ともに増加し、0.01%付近で頭打ちして約2.08の最大値(接触角122°に対応)に達する。乾燥過程でのコーティング剤による先端閉塞を避けるためコーティングに用いるPFPO濃度は、0.1%以下が望ましい。エミッタの内径と外径に依存するが、エレクトロスプレーの効率が最適になるようなPFPO濃度を用いなければならない。
【0022】
<エミッタと分析装置を接続する管状配管(管状コネクタ)>
本発明はまた非特異的吸着などによるサンプルの損失を防ぐのために有効な、エミッタと分析機器を接続する管状配管(キャピラリー、チュービング、接続ラインなど)を提供する。そのような管状配管は、入口孔、出口孔とそれらをつなぐチャンネルからなり、チャンネル内壁の少なくとも一部が低表面エネルギー物質でコーティングされている。内壁全体がコーティングされているほうが望ましい。良好な低表面エネルギーコーティング剤は、たとえばフルオロポリマーやフッ素化化合物である。望ましいフルオロポリマーやフッ素化化合物は上述した。もっとも好ましいコーティング剤は、パーフルオロポリオキセタンである。管状配管の材質は、従来からの溶融シリカが望ましい。
【0023】
管状配管内壁のコーティング法は、前述した方法に準拠する。すなわち、管状配管のチャンネルを通して低表面エネルギー化合物溶液を送液する。熟練者であればこの分野の専門知識を用い、いかなるサイズの管状配管でもコーティング処理することができる。このような管状配管使用することによりエミッタと液体クロマトグラフなどの分析装置の間での疎水性サンプルの損失を防ぐことができる。
【0024】
以下に、本発明の主旨を実施例を用いてさらに詳細に説明するが、本発明の用途を実施例の範囲に制限するものではない。
【実施例】
【0025】
(実施例1:PFPOでキャピラリーのチャネル内壁をコーティングする方法)
ポリイミド被覆溶融シリカキャピラリーは、キャピラリーHPLCの接続のための標準的な配管系として繁用されている。その内壁は、イオン性や疎水性化合物を非特異的に吸着する性質をもつことが以前から知られているので、配管を通過している間にこれらの分析対象化合物が損失する可能性がある。溶融シリカキャピラリーチャンネル内壁をPFPOコーティングすることにより、このようなサンプルの損失を減少させうる。適当な濃度(0.1〜0.001%、さらに望ましくは0.005〜0.02%)のPFPO/パーフルオロヘキサン溶液をポンプあるいは手動でミクロシリンジからチャネル内に流し、窒素ガスでフラッシュした。その後に60℃、60分間静置して、さらに40℃で一晩乾燥させた。
【0026】
(実施例2:蒸留水あるいは水含量が高い溶媒を用いた時のエミッタの性能)
ハイスループット・プロテオミクスやメタボロミクスで繁用されるグラジェント溶出逆相HPLCにおいて、グラジェント初期には水を多く含有する溶媒(たとえば、2%アセトニトリル、0.1%蟻酸を含む水溶液)で平衡化されたカラムから試料が溶出される。このような条件でも高電圧印加後すぐにイオン化効率の良い安定なコーンジェットモード(Cloupeau, M.; Prunet-Foch, B., J. Electrostat. 1989, 22, 135-159)でのエレクトロスプレーが始まらなければならない。本発明のエレクトロスプレーエミッタがこのような条件を満たす性能を有するかどうか調べた。エッチングによる先端先細り加工して内腔に先細りがないPFPOコーティングエミッタを用いて、目視によるスプレー状態の観察とイオントラップ質量分析計LCQ(ThermoFinnigan, CA)で質量電荷比(m/z)が150〜2000の全イオン電流(TIC)の安定性を記録することにより、蒸留水のスプレー効率を調べた。本実施例と以下の実施例においては、HPLCとの接続性のよいLCQを用いたが、他の質量分析計を用いることもできる。ただし、エミッタの規格や、MSの測定パラメータ、など細かい実験条件を使用するMSの特性により最適化する必要がある。エッチングによる先端先細り加工した内径20μm/外径150μmのPFPOコーティングエミッタにシリンジポンプから、内径0.1〜0.2mmのカラムを用いるキャピラリーHPLCで通常使用される〜0.8μl/minの流速で、蒸留水を送液し実験した。印加電圧は1.8kVで20分間TICをLCQで記録した。印加電圧は、エミッタのサイズやスプレーする溶液の表面張力によっても異なるが、1.2〜2.0kVが典型的な最適電圧である。エミッタはxyz方向に位置を微調整できるxyzステージ(AMR,Tokyo)に装着して、エミッタ先端と対極の距離はイオン化の状態をみて3mmを目安に適宜増減した。このようにして、図3(a)に示すようにPFPOコーティングされたエミッタは蒸留水を効率良く安定にスプレーすることが示された。
【0027】
質量分析計の汚染を防ぐため、分析ごとのカラム洗浄時やサンプル注入後の素通り画分など不要な溶出液を導入しないように、これらの操作時にESI印加電圧を切りスプレーを停止しておくことが肝要である。電圧を切っている間にエミッタ出口先端にはいろいろな大きさの液滴ができて、従来型のエミッタでは、次の分析のために電圧を印加してもスプレーが始まらないことがしばしばある。このような状況を模倣するため、シリンジポンプをスタートさせ蒸留水を送り始め、種々の大きさの液滴が先端にできるのを待って一定時間おくれて(0分,0.5分,1分,1.5分,2分,2.5分)電圧を印加する実験を行った。エッチングによる先端先細り加工した内径20μm/外径150μmのPFPOコーティングエミッタを用いた。待ち時間にできる液滴の大きさにかかわらず迅速に安定したスプレーが開始されることが明らかになった(図3(c))。これらの結果、本発明のPFPOコーティングエミッタは、高含水量溶媒をよく用いるハイスループットHPLC/MSやフローインジェクション分析に対応できることが証明された。
【0028】
図4(a)は、0.1pmolの還元アルキル化牛血清アルブミンのトリプシン消化物を逆相Magic C18 カラム(0.2×50mm,Michrom BioResources,Inc.)で分離してオンラインでLCQに導入して得た陽イオンベースピーククロマトグラム(各溶出時間に対して溶出される最強度のシグナルをプロットしたイオンクロマトグラム)を示す。カラムは、溶媒A(2%アセトニトリルと0.1%蟻酸を含む水溶液)で平衡化し、溶媒B(90%アセトニトリル、10%蒸留水、0.1%蟻酸)2〜60%、20分間の直線濃度勾配で展開した。流速は1μl/minである。Magic2002ポンプ(Michrom BioResources,Inc.)の流速は50μl/minに設定して、キャピラリーカラムへの流速はMagic可変スプリッタ(Michrom BioResources,Inc.)で制御した。エッチングによる先端先細り加工した内径20μm/外径150μmのPFPOコーティングエミッタをカラム出口のステンレスフィティングに直接接続して、流路内での拡散によるピーク幅の広がりを防ぎ分離能の向上に努めた。1.7kVのESI電圧をカラム出口ステンレスフィッティングを介して印加した。その直後から水が主体の溶媒Aから安定したスプレーが始まり、グラジエントの最後まで続いた(図4(a))。図4(b)は、図4(a)に星印で示した11.3分にベースピークとして溶出されるm/z 653イオンを含むフルスキャンスペクトル、図4(c)はそのタンデムマススペクトル(MS/MS)スペクトルを示す。記録した全溶出時間にわたりPFPO由来のシグナルは検出されなかった。検出感度は、従来型のプラーにより引き金属コートしたエミッタと同程度であるが、遅れて溶出される疎水性ペプチドの強度が強い傾向が見られた。PFPOコーティングエミッタは頑丈で、臨床組織検体などの組織から粗抽出して二次元電気泳動やHPLCで分離した蛋白質のトリプシン消化物の逆相HPLC/MS分析において少なくとも500時間の耐用性が認められた。
【0029】
図4(a)と同様の分析をインジェクタとカラムを接続するキャピラリー内壁がPFPOコーティングされた時(図4(d))とされない時(図4(e))で比較した。PFPOコーティングキャピラリーを使用したときのほうが、遅れて溶出される疎水性ペプチドの強度が強い傾向が見られた。
【0030】
次に、本発明のエレクトロスプレーエミッタを用いて、蛋白質のESIマススペクトルに対する有機溶媒の影響について調べた。牛心臓シトクロムc(1μM)溶液はESIにより一群の多価陽イオンとしてイオン化される。蛋白質に対する変性作用が次のように強くなるほど(10mM蟻酸アンモニウム水溶液(pH4.2)<0.1%蟻酸水溶液(pH2.73)<0.1%蟻酸を含む46%アセトニトリル/水)、最大強度を示すピークのm/z値が1766.3,1374.2,883.8(これらはそれぞれ+7,+9,+14価イオンに対応する)と小さい値へシフトする。すでに報告されているように、この様な変化は蛋白質の構造変化によりアミノ酸のイオン化可能な側鎖が溶媒に露出する程度を反映している(S. Chowdhury, et al., J. Am. Chem. Soc. 1990, 112, 9012-9013.)。すなわち、変性作用が強く構造変化が大きいほどイオン化可能な側鎖が溶媒に露出する確率が大きくなり、高次の多価イオンを生成しやすい。水溶液から安定したスプレーが可能な本発明のエレクトロスプレーエミッタを用いることにより、水溶液中に存在する自然なコンフォメーションの蛋白質を直接気相にイオン化できるので、溶液中の蛋白質のコンフォメーションや変性―フォールディング平衡の研究にESI/MSを応用しやすくなる。さらに、最近、蛋白質を酵素消化せずに直接断片化して超高分解能フーリエ変換イオンサイクロトロン質量分析計で測定して構造決定をする方法が注目されている。従来型エミッタでは、安定なエレクトロスプレーを補助するために蛋白質水溶液に有機溶媒を添加することが多かった。多くの蛋白質は有機溶媒の変性作用により沈殿するので、水溶液を安定してスプレーできる本発明のエレクトロスプレーエミッタは、蛋白質をそのまま用いるESI/MSにも有効に利用できる。
【0031】
(実施例3:陰イオン測定における本発明のエレクトロスプレーエミッタの特性)
陽イオン測定と比べると、陰イオン測定ではコロナ放電やアーク放電が起こりやすいことが知られている(Ceck, N. B.; Enke, C. G., Mass Spectrom. Rev. 2001, 20, 362-387)。特に、従来型の先端を金属コーティングしたエミッタでは、その危険性が高い。放電により陰イオンのスプレーが不安定になると、長時間安定なスプレーが要求されるHPLCや他の分離手段との接続が困難になる。ごく最近になって、伝導性ポリマーであるポリアニリンで先端をコーティングしたナノエレクトロスプレーエミッタは、放電しにくく陰イオン測定で少なくとも1時間の連続測定に耐えることが報告されている(P. Bigwarfe, et al., Rapid Commun. Mass Spectrom. 2002, 16, 2266-2272)。PFPOコーティングエミッタの先端は非電気伝導性であるので、放電の可能性が著しく低い。したがって、陽イオン測定と同様に陰イオン測定でも安定なエレクトロスプレーを提供する。陰イオン測定での本発明のエレクトロスプレーエミッタの有用性を以下にペプチド、セラミド、リン脂質、プロスタグランディン(PG)の測定結果をしめして例証する。
【0032】
溶媒A7容と溶媒B3容の混合液に0.1μMのアンギオテンシンIIを溶解して、エッチングにより先細り加工してPFPOコーティングした内径20μm/外径150μmのエミッタにシリンジポンプをもちいて流速0.4μl/minで送液した。ESIは1.8kVの電圧を印加して開始した。陰イオンと陽イオン測定それぞれでチューニングをして、別個にデータを採取した。アンギオテンシンIIには1個の酸性アミノ酸残基と2個の塩基性アミノ酸残基があり、計算上の等電点は7.81である。したがって測定に用いた0.1%蟻酸溶液中(pH2.73)ではほとんど陽イオンとして存在するので陰イオンを生成しにくい条件であるが、負電圧をアンギオテンシンII溶液に印加してESIで陰イオンを生成させるとm/z 1044.6の豊富な1価[M-H]-イオンが検出された。一方、陽イオン測定では、m/z 524の2価[M+2H]2+イオンが主に検出された(図6(a)と図6(b))。ベースピークの強度は陽イオン測定のほうが陰イオン測定より8.4倍大きいが、シグナル/ノイズ(S/N)比は両者で差は無かった。これは、陰イオン測定では化学的ノイズや夾雑物ピークが少ないことと一致している。これらの結果は、陰イオン測定が有用な燐酸化ペプチド解析を目指したプロテオミックスに、PFPOコーティングエミッタを応用できることを示唆している。
【0033】
次にペプチド分析よりは低極性の溶媒を用いた、脂質の一種であるセラミドの3種類の分子種混合物の分析例を示す。陽・陰イオン測定を交互に切替ながら連続して測定し、それぞれを積算して一度の測定で両イオン測定データを得る方法(alternate polarity switching)を用いた(M. Ito, et al., J. Biol. Chem. 2002, 277, 43674-43681; Tojo, H. Japan Patent Publication 2003-028849). N-Lignoceroyl-4-sphingenine (S), N-lignoceroyl-sphinganine (Sa), and N-stearoyl-4-hydroxy-sphinganine (P)(それぞれ0.1μM)を5mM蟻酸アンモニウムを含むヘキサン/2−プロパノール/エタノール;5:4:1(v/v/v)に溶解して、シリンジポンプで内径50μm/外径150μmエッチングにより先細り加工したPFPOコーティングエミッタへ流速〜2μl/minで流して測定した。ESIの印加電圧は、1.4kVである。陽陰イオン切替測定で両イオン測定とも良好なスプレーが得られた。ベースピークの強度は陽イオン測定のほうが陰イオン測定より20倍大きいが、シグナル/ノイズ(S/N)比は陰イオン測定のほうが若干良い。m/z 652.5,650.3,584.4であるSa,S,Pの[M+H]+イオンと、それらより2質量単位だけ小さい対応する[M-H]-イオンが検出された(図6(c)と図6(d))。陽イオン測定のm/z 632.4のピークはSから水分子が解離したものに由来し、4−スフィンゲニンを骨格とするセラミドに特徴的である。この測定の溶媒にはセラミドのイオン化効率を促進するため5mM蟻酸アンモニウムを含むので陰イオン測定では蟻酸付加体が主に検出されるが、イオントラップに入る前のイオン光学系で約20V程度の電圧をかけると蟻酸付加体形成が抑制されて図6(d)のようにMS/MSで構造情報が得やすいセラミドの[M-H]-が生成する。
【0034】
プロテオミクスにおける質量分析では、化学的性質の比較的似かよったペプチドを対象にするが、メタボロミクスでは、疎水性度やプロトン親和性などの化学的性質が多岐にわたる非常に多くの中間代謝産物を分析する必要がある。このため、クロマトグラフィーで分離された個々の化合物それぞれに対して最適なESI条件で分析が行われれば理想的である。しかし、現状ではそれは難しく、最初の試みとして一回のクロマトグラフィーで陰陽両イオン測定ができれば、構造解析の効率化をすることができる。そのような試みの例として、マウス気管支洗浄液から抽出した主要な肺サーファクタント・ジパルミトイルsn−グリセロ−3−ホスホコリン(DPPC)の陽陰イオン交互切替測定による順相HPLC/ ESI−MS分析結果を示す。肺胞DPPC濃度は肺胞蛋白症で増加する (G. Hook, et al., Toxicol. Pathol. 1991, 19, 482-513), 逆に重症ショック時の成人呼吸窮迫症候群(W. Seeger, et al., Lung 1990, 168, 891-902 (Suppl))や肺移植後の拒絶反応(J. Hohlfeld, et al., Am. J. Respir. Crit. Care Med. 1998, 158, 706-712)などの重症肺疾患で減少する。したがって、その分析は、集中治療医学など臨床的に重要である。順相LichroSphere Si−100(1×150mm)カラムを図6(c)、(d)のセラミド分析と同様のPFPOコーティングエミッタに接続して分析した。右気管支洗浄液から既報(M. Ito, et al., J. Biol. Chem. 2002, 277, 43674-43681)にしたがって抽出した脂質の一部を、溶媒C(ヘキサン/2−プロパノール/エタノール(4:5:1 v/v))で平衡化したカラムに注入した。カラムは、溶媒D(溶媒C/1M蟻酸アンモニウム水溶液/蒸留水(100:2.24:9.76 v/v/v)の直線グラジエント(2 分間に0から100%、その後30分間100%で維持)で展開した。流速50μl/minのカラム溶出液をティーで2方向に分岐して、エミッタには〜1.5μl/minを流してイオン化し、LCQにより陽陰イオン交互切替測定フルスキャンスペクトルとどちらかの極性のデータ依存的MS/MSスペクトルを一回のクロマトグラフィーで得た。DPPCは、4級アンモニウムイオンを持つのでESIにより豊富な[M+H]+イオンを生じるが、[M-H]-イオンはほとんど生成しない。代わりに溶媒に含まれる蟻酸付加体がおもなDPPCの陰イオンとして生成される(図7(b)、(c))。DPPCの[M+H]+(m/z 734)あるいは[M+HCOO]-(m/z 778)のイオンクロマトグラムは保持時間46.8分に単一ピークとして溶出された(図7(a))。両イオンのフルスキャンスペクトルのS/N比はほぼ同様であった。マウス気管支洗浄液は、2つの飽和アシル基を持つDPPCが主成分であるが,次のような不飽和アシル基を持つ分子種も存在する:C16:0/C18:1(m/z 760),C16:0/C18:2(m/z 758),C16:0/C22:6(m/z 806),C16:0:C16:1(m/z 732),C16:0/C20:4(m/z 782)。ここで、括弧内のm/z値は陽イオン測定の値を示し、この順にピーク強度が低くなる。Cn:mはジアシルホスファチジルコリンの一つのアシル基が炭素数nと二重結合数mを持つことを示す。陰イオン測定のm/z値は、蟻酸付加体であるため陽イオン測定の値より44大きかった。
【0035】
(実施例4)
つぎに本発明のエレクトロスプレーチップを水系溶媒のキャピラリー逆相HPLCに接続してイオントラップ型質量分析計で陰イオン測定した例を示す。従来の金属コーティングエミッタを用いると、放電による障害が起こりやすい実験条件である。生理活性脂質プロスタグランディンD2(PGD2)とその生理活性代謝産物PGJ2、15−デオキシ−Δ12,14−PGJ2をそれぞれ0.5pmolづつ含有した混合物を分析した。後二者は、PGD2からそれぞれ水1分子と2分子が脱離して生じる。15%アセトニトリルを含有する溶媒でカラムを平衡化した後、1.7kVの電圧を印加直後からスプレーが始まり45%アセトニトリルで終わる濃度勾配溶出中一貫して安定したイオン化が得られた(図8(a))。コーティングしたポリマーに由来するピークは見られなかった。PGD2とPGJ2の[M-H]-イオンのMS2プロダクトイオンスペクトルでは、脱水により生じるm/z 333と315イオンとC14−C15間の結合の開裂後脱水が起こり生じるm/z 233イオンが主なピークである。これらの結果は、高速原子衝撃MSで得られた結果と一致していた(Zirrolli, J. A., et.al., J. Am. Soc. Mass Spectrom. 1990, 1, 325-335.)。15−デオキシ−Δ12,14−PGJ2の[M-H]-イオンのMS2プロダクトイオンスペクトルではCO2が脱離して生じるm/z 271イオンピーク以外に構造決定に有用なイオンは見られない(Hankin, J. A., et al., Arch. Biochem. Biophys. 1997, 340, 317-330.)。しかし、このイオンをもう一度衝突解離させるMS3スキャンを行うとm/z 271イオンは、charge remote fragmentationを起しC−C結合で開裂した多数のピークが認められる。同様に、PGD2の[M-H]-イオン(m/z 351)をから始めm/z 333、m/z 271の順で3回衝突解離させるMS4スキャンを行うと15−デオキシ−Δ12,14−PGJ2のMS3スキャンで得られるものと同様のスペクトルが得られ、PGD2の解離の道筋が明らかとなった。
【産業上の利用可能性】
【0036】
本発明によりエミッタは、スプレーを補助するガスを一切使用せずに毎分マイクロリットルからナノリットルの低流速域で、蒸留水を含め大きな表面張力を持つ溶液でも安定したエレクトロスプレーを可能にする。エミッタ先端が非電気伝導性であるため電気的な放電の危険性を回避でき、従来から放電を起こしやすい事が知られている陰イオン測定でも安定なエレクトロスプレーを可能にする。これらのエミッタの特長により、ハイスループット・プロテオミックスやメタボロミックスで繁用される逆相HPLCにおいて水を多く含有する初期平衡化溶媒使用時でも安定エレクトロスプレーが補償される。また、水溶液中の蛋白質の性質(たとえば、蛋白質間相互作用、蛋白質―リガンド相互作用、蛋白質のコンフォメーション変化、蛋白質のフォルディング-アンフォルディング平衡など)をESI/MSで調べる実験でも安定したスプレーを提供できる。さらに、本発明のエレクトロスプレーエミッタは、測定中に蛋白質が沈殿せずに安定して存在できる水溶液中に溶解した蛋白質を直接分解してESI/超高分解能フーリエ変換イオンサイクロトロンMSで測定する実験にも安定したスプレーを提供できる。陰イオン測定でも安定したスプレーを提供できる本発明のエミッタは、メタボロミックス(S. Takagi, et al., J. Clin. Invest 2003, 112, 1372-1382) や薬物動態プロファイリングなどESIの応用分野を広げうる。
【0037】
本発明は、また非特異的吸着などによるサンプルの損失を減少させるために有効な、エミッタと分析機器を接続する管状配管(キャピラリー、チュービング、接続ラインなど)を提供する。本発明による低表面エネルギー化合物によるチャンネルのコーティングは、分析機器の接続のためのチャンネルやミクロ流体装置のミクロチャンネルのコーティングにも応用できる。
【0038】
本発明は、以上に記載した事項に基づいて実施可能であるが、参考のため以下に参考文献を列記する。
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2.Gale, D. C.; Smith, R. D. Small volume and low flow-rate electrospray ioniza tion mass spectrometry of aqueous samples. Rapid Commun. Mass Spectrom. 1993, 7, 10171021.
3.Emmett, M. R.; Caprioli, R. M.Micro-electrospray mass spectrometry: ultra-high -sensitivity analysis of peptides and proteins. J. Am. Soc. Mass Spectrom. 199 4, 5, 605613.
4.Valaskovic, G. A.; Kelleher, N. L.; Little, D. P.; Aaserud, D. J. McLafferty, F. W. Attomole-sensitivity electrospray source for large-molecule mass spectro metry. Anal. Chem. 1995, 67, 38023805.
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13.Tojo, H.; Japan Patent 2003028849, July, 2001
14.Hook, G. E. Alveolar proteinosis and phospholipidoses of the lungs. Toxicol. Pathol. 1991, 19, 482513.
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Takagi, S., Tojo, H., Tomita, S., Sano, S., Itami, S., Hara, M., Inoue, S., Horie, K., Kondoh, G., Hosokawa, K., Gonzalez, F. J., Takeda, J. Alteration of the 4-sphingenine scaffolds of ceramides in keratinocyte-specific Arnt-deficient mice affects skin barrier function. J. Clin. Invest. 2003, 112, 1372-1382.
【図面の簡単な説明】
【0039】
【図1(a)(b)(c)】(a)はエミッタの表面張力がエミッタ先端出口で形成される液滴の大きさに与える影響を示す図であって、γは表面張力、下添え文字S,L,SLはそれぞれ溶融シリカと空気、溶液と空気、溶融シリカと溶液との界面をあらわす。(b)は本発明のエミッタの一実施例における、エミッタ長軸方向の断面図、(c)は(b)のC−C線で切断したエミッタ本体の断面図を示す。
【図1(d)(e)(f)】先端先細り加工した後、PFPOでコーティングした溶融シリカキャピラリーエミッタの実施例を示す図であって、(d)は先端外壁をフッ素酸処理(エッチング)した長さ5cm、内径20μm/外径150μmのエミッタと、その出口先端部分の拡大図、(e)は先端外壁をフッ素酸処理した長さ5cm、内径20μm/外径360μmのエミッタ、(f)は New Objective, MT, USA.から購入したもので、プラーで引いて先細り加工処理した長さ5.2cm、内径50μm/外径360μmで、出口先端内径が15μmのエミッタを示す。(f)の内壁のコーティングは出口先端の一部のみ可能であるが、長さ5cm、内径15μmの溶融シリカキャピラリー素管は内壁全面を容易にコーティングできる。
【図2】(a)は種々の濃度のPFPOでコーティングした溶融シリカキャピラリー外表面の接触角を示すグラフであって、縦軸はPFPOでコーティングしたものとしないものの接触角の比を示す。(b)は無処理および0.001%、0.01%PFPOでコーティングした溶融シリカキャピラリーに載せた1μlの水滴の形状を示す写真である。
【図3】蒸留水をエレクトロスプレーする時のPFPOコーティングエミッタの性能を示すグラフであって、(a)はPFPOコーティングエミッタから蒸留水をスプレーしたときの安定性を示すグラフであり、(b)は大きな表面張力を持つ蒸留水のエレクトロスプレーの迅速な開始。m/z=150〜2000のイオンから発生する全イオン電流(TIC)と電圧印加からの時間の関係を示すグラフである。エミッタ先端に形成される種々の大きさの液滴からスプレーが始まった時の効率を比較するために、水を送液するシリンジポンプの運転開始から0.5分おきに順次2.5分まで遅れて電圧を印加してエレトロスプレーを開始が可能なことを示す。
【図4(a)(b)(c)】エッチング後PFPOコーティングした内径20μm/外径150μmのエミッタを使用し、S−S結合を還元・アルキル化した牛血清アルブミン(0.1pmol)のトリプシン消化物のMS解析をした際の結果を示すグラフであって、(a)が陽イオン測定で得られた全イオン電流(TIC)クロマトグラム、(b)が(a)の星印で示された保持時間11.3分に溶出されるペプチド(m/z653.5)のフルスキャンMSスペクトル、(c)がm/z653.5、衝突エネルギー35%の[M+2H]2+イオンのフルスキャンタンデムマス(MS/MS)スペクトル、をそれぞれ示すグラフである。
【図4(d)(e)】エッチング後PFPOコーティングした内径20μm/外径150μmのエミッタを使用し、S−S結合を還元・アルキル化した牛血清アルブミン(0.1pmol)のトリプシン消化物のMS解析をした際の結果を示すグラフであって、(d)と(e)とはインジェクタからカラム入口までを接続する配管に使用する溶融シリカの内壁をPFPOでコートしたときとしないときとのベースピーククロマトグラムの比較、をそれぞれ示すグラフである。
【図5】エッチング後PFPOコートした内径20μm/外径150μmのエミッタを使用し、表示された添加物を含む蒸留水に溶解したシトクロムc(1μM)の陽イオンフルスキャンマススペクトル(20回積算)を示すグラフである。
【図6】アンギオテンシンII(0.1μM)の陽イオン(a)と陰イオン(b)マススペクトルおよびセラミドの陽イオン(c)と陰イオン(d)のマススペクトルを示すグラフであって、セラミドはN-Lignoceroyl-4-sphingenine, N-lignoceroyl-sphinganine, N-stearoyl-4-hydroxy-sphinganineの混合物(それぞれ0.1μM)であり、陽イオン・陰イオン交互に切り替えて測定した場合のグラフである。
【図7】マウス気管支洗浄液中ホスファチジルコリンの陽・陰イオン測定交互切替法を用いたHPLC/ESI-MSによる分析結果を示すグラフであって、(a)がジパルミトイルホスファチジルコリン(DPPC)の[M+H]+(m/z 734.4)と[M+HCOO]-(m/z 778.5)イオンのイオンクロマトグラム、(b)及び(c)が、保持時間46.8分付近に溶出される気管支洗浄液中ホスファチジルコリンの陽イオン及び陰イオンのマススペクトルを示すグラフである。この条件の陰イオン測定では、脱プロトン型イオン[M-H]-より46質量単位大きい蟻酸付加体が主に検出される。
【図8】水/アセトニトリルを溶媒としたキャピラリーHPLC/イオントラップMSによるプロスタグランディンの陰イオンを測定した際の結果を示すグラフであって、(a)がベースピーククロマトグラム(m/z 200〜450)、(b)、(c)、(d)が、それぞれPGD2、PGJ2、15−deoxy−Δ12,14−PGJ2のフルスキャンMSスペクトルを示すグラフである。なお、エッチング後PFPOコートした内径20μm/外径150μmのエミッタを使用し、ESI電圧は1.7kVとし、使用したHPLC装置は図4と同一である。また、インジェクタとカラムをつなぐキャピラリーの内壁はPFPOでコーティングしている。さらに、あらかじめ溶媒A10μlを吸引したミクロシリンジにPGD2,PGJ2,15−deoxy−Δ12,14−PGJ2それぞれ0.5pmolを含む混合溶液1μlをとり、Valco製10ポートバルブに接続したC−18トラップカラム(0.3×5mm)に注入した。分離用カラムは、流速〜1.5μl/minとして、15%溶媒Bで平衡化後、1分間は溶媒B15〜30%続いて20分間溶媒B30〜45%の直線濃度勾配で展開した。
【図9(a)(b)(c)】(a)、(b)、(c)はそれぞれPGD2,PGJ2,15−deoxy−Δ12,14−PGJ2のオンラインMS2プロダクトイオンスペクトルを示すグラフである。なお、MS2のスキャンには、32−40%の衝突エネルギーを使用。
【図9(d)】15−deoxy−Δ12,14−PGJ2及びPGD2のオンラインMS3とMS4プロダクトイオンスペクトルとを示すグラフであって、m/z 315→271イオンのMS3スキャンで開裂(上図)、PGD2アニオンをm/z 351→315→217のMS4スキャンで順次開裂(下図)した際の結果を示すグラフである。なお、MS3、MS4のスキャンには、32−40%の衝突エネルギーを使用。
【符号の説明】
【0040】
1 エミッタ本体(キャピラリー)
1a ポリイミドを剥し露出させた溶融シリカをPFPOでコーティングした部位
1b エミッタ出口先端外壁の先細り部分
2 入口孔
3 出口孔
4 チャンネル
4a 壁
5 Taylerコーンを形成する前のエミッタ出口先端の液滴
6 対極


【特許請求の範囲】
【請求項1】
入口孔と、出口孔と、前記入口孔と前記出口孔とを連通している導管とを有したエミッタ本体と、
前記エミッタ本体の少なくとも出口先端の外側表面に低表面エネルギー化合物で形成された被覆物とを備えていることを特徴とするエレクトロスプレーエミッタ。
【請求項2】
前記低表面エネルギー化合物が、フルオロポリマー又はフッ化化合物であることを特徴とする請求項1記載のエレクトロスプレーエミッタ。
【請求項3】
前記フルオロポリマー又は前記フッ化化合物が、パーフルオロポリオキセタン、パーフルオロウレタン、フルオロポリマーエラストーマ、ポリテトラフルオロエチレン、フルオロアルキルモノシラン、ポリメリックパーフルオロエーテルジシラン、ポリメリックパーフルオロエーテルポリシラン、又は、エポキシ、水酸基、アクリレート、若しくはイソシアネートの官能基を有するパーフルオロオクタール若しくはパーフルオロポリエーテルであることを特徴とする請求項2記載のエレクトロスプレーエミッタ。
【請求項4】
前記低表面エネルギー化合物がパーフルオロポリオキセタンであることを特徴とする請求項1記載のエレクトロスプレーエミッタ。
【請求項5】
前記被覆物が透明又は半透明であることを特徴とする請求項1記載のエレクトロスプレーエミッタ。
【請求項6】
前記エミッタ本体が、溶融シリカ、ガラスセラミックス、アルミノシリケートガラス、ポリプロピレン又はステンレス鋼であることを特徴とする請求項1記載のエレクトロスプレーエミッタ。
【請求項7】
前記エミッタ本体が、出口孔に向かって次第に細くなっていることを特徴とする請求項1記載のエレクトロスプレーエミッタ。
【請求項8】
前記エミッタ本体の外側及び内側が、出口孔に向かって次第に細くなっていることを特徴とする請求項4記載のエレクトロスプレーエミッタ。
【請求項9】
前記エミッタ本体の内側が、さらに請求項2に記載の前記低表面エネルギー化合物で被覆されていることを特徴とする請求項1記載のエレクトロスプレーエミッタ。
【請求項10】
前記出口孔の内径が10〜50μmであることを特徴とする請求項1記載のエレクトロスプレーエミッタ。
【請求項11】
エレクトロスプレーエミッタの製造方法であって、
前記エレクトロスプレーエミッタが、入口孔と、出口孔と、前記入口孔と前記出口孔とを連通している経路とを有したエミッタ本体とを備えたものであり、
前記エミッタ本体の少なくとも出口先端の外側表面に低表面エネルギー化合物の被覆物を形成することを特徴とするエレクトロスプレーエミッタの製造方法。
【請求項12】
入口孔と、出口孔と、前記入口孔と前記出口孔との間を連通している導管とを有した管状コネクタ本体と、
前記エミッタ本体の少なくとも出口先端の内側表面に低表面エネルギー化合物で形成された被覆物とを備え、
エレクトロスプレーエミッタと分析装置とを接続する管状コネクタ。
【請求項13】
前記低表面エネルギー化合物が、フルオロポリマー又はフッ化化合物であることを特徴とする請求項12記載の管状コネクタ。
【請求項14】
前記フルオロポリマー又は前記フッ化化合物が、パーフルオロポリオキセタン、パーフルオロウレタン、フルオロポリマーエラストーマ、ポリテトラフルオロエチレン、フルオロアルキルモノシラン、ポリメリックパーフルオロエーテルジシラン、ポリメリックパーフルオロエーテルポリシラン、又は、エポキシ、水酸基、アクリレート、若しくはイソシアネートの官能基を有するパーフルオロオクタール若しくはパーフルオロポリエーテルであることを特徴とする請求項13記載の管状コネクタ。
【請求項15】
前記低表面エネルギー化合物がパーフルオロポリオキセタンであることを特徴とする請求項12記載の管状コネクタ。

【図1(a)(b)(c)】
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【図1(d)(e)(f)】
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【図2】
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【図3】
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【図4(a)(b)(c)】
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【図4(d)(e)】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9(a)(b)(c)】
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【図9(d)】
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【公表番号】特表2006−524418(P2006−524418A)
【公表日】平成18年10月26日(2006.10.26)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−507654(P2006−507654)
【出願日】平成16年3月3日(2004.3.3)
【国際出願番号】PCT/JP2004/002683
【国際公開番号】WO2004/079364
【国際公開日】平成16年9月16日(2004.9.16)
【出願人】(596048411)
【Fターム(参考)】