説明

体重調節作用を有する物質の検出方法および不安行動に影響を及ぼす物質の検出方法ならびにそれらに使用する動物

【課題】 体重調節作用を有する物質の検出方法および不安行動に影響を及ぼす物質の検出方法ならびにそれらに使用する動物の提供。
【解決手段】 背側ゾーン除去動物を使用した、体重調節作用を有する物質の検出方法および不安行動に影響を及ぼす物質の検出方法ならびにそれらに使用する動物。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、背側ゾーン除去動物を使用した、体重調節作用を有する物質の検出方法および不安行動に影響を及ぼす物質の検出方法ならびにそれらに使用する動物に関するものである。
【背景技術】
【0002】
匂い分子は、嗅上皮に局在する嗅細胞によって感知される。嗅細胞には匂い分子を感知するセンサーとして機能する嗅覚受容体タンパク質が存在する。マウスには約1000種類の、ヒトには約400種類の嗅覚受容体遺伝子が存在しており、一つの嗅細胞には一種類のみの嗅覚受容体が発現している。匂い分子と嗅覚受容体タンパク質が結合すると、嗅細胞が電気パルスを発生し、これは軸索を介して糸球へ伝達される。同じ種類の嗅覚受容体が発現している嗅細胞は鼻腔に多数存在しているが、嗅球へ接続する際には特定の位置に存在する糸球へと集中して接続している。従って、嗅球の表面に存在する一つ一つの糸球は一種類の嗅覚受容体に対応している。
【0003】
一種類の匂い分子は複数種類の嗅覚受容体に結合し、一種類の嗅覚受容体は複数種類の匂い分子と結合することが知られている。このような多対多の対応関係によって、数十万種類存在する匂い分子を限られた数の嗅覚受容体によって識別できると考えられている。一種類の匂い分子は複数の嗅覚受容体を同時に活性化させるので、嗅球においては複数の糸球が同時に活性化される。糸球の配列は動物個体間で保存されているので、特定の匂い分子を感知した際に活性化する糸球は匂い地図と呼ばれる一定のパターンを示す。脳が匂い地図を読み解いて、匂い分子の化学構造や質感の情報を抽出し、それに対応した情動や行動を引き起こすメカニズムは長らく不明であった。
【0004】
本発明者らは、天敵や腐敗物が発生する匂いに対してげっ歯類が忌避(恐怖、嫌悪)行動を引き起こすメカニズムの解明を目的とした研究を行った。天敵の匂いや腐敗物の匂いによって活性化される糸球をマッピングしたところ、背側ドメインと腹側ドメインの糸球クラスターが同時に活性化された。従来、忌避行動を引き起こす匂い分子が活性化する糸球の全てが忌避行動と結びついていると考えられていた。これに対して、本発明者らは、忌避行動を引き起こす匂い分子によって活性化される糸球がドメイン毎に別々の機能を持っているという可能性を示そうとした。この目的で、以下のように特定のドメインの糸球を特異的に除去した神経回路の改変マウスを作製し、その匂い認識能力を解析した。
【0005】
まず、本発明者らは、嗅上皮の背側ゾーンに特異的に発現し、脳や体のほかの組織では全く発現していないという発現特異性の高いo−macs遺伝子を見出した(非特許文献1)。
【0006】
この遺伝子のプロモーターを用いてCre組み換え酵素(リコンビナーゼ)を背側ゾーン特異的に発現させるノックインマウス(O−MACS−Creノックインマウス)を作製し、神経細胞特異的にかつCre組み換え酵素が存在する条件でのみジフテリア毒素が機能するノックインマウスを掛け合わせた。このようにして得られた嗅上皮の背側ゾーンに存在する嗅細胞のみが選択的に除去されたマウス(背側ゾーン除去マウス)では、O−MACSプロモーターの高い発現特異性のために、嗅上皮の背側ゾーン以外の脳や体の他の組織には直接的な影響が全く及ばないと考えられた。背側ゾーン除去マウスの嗅球では、背側ゾーンの嗅細胞が接続する背側ドメインには糸球が形成されないことが判明した。既に述べたように、天敵や腐敗物から発生する匂いは背側ドメインと腹側ドメインの糸球を同時に活性化させる。これと一致して、背側ゾーン除去マウスであっても野生型マウスと同じように、これらの匂い分子を感知することができた。従って、背側ゾーン除去マウスであっても、野生型マウスと同じように、天敵や腐敗物が発生する匂いに対して恐怖反応や嫌悪反応を示すのではないかと想像された。しかし、先天的な匂いに対する嗜好性テストを行ったところ、背側ゾーン除去マウスは、天敵や腐敗物が発生する匂いに対して野生型マウスに見られるような忌避行動を全く示さなかった。ここで、背側ゾーン除去マウスであっても、天敵や腐敗物が発生する匂いと、痛みの刺激や、報酬の砂糖とを後天的に関連学習する能力は正常であった。つまり、背側ゾーン除去マウスは、天敵や腐敗物の匂いそのものを正常に感知することができるのにもかかわらず、これらの匂いの持っている質感を認識して行動を引き起こすことができないことが判明した(非特許文献2)。
【0007】
このように、本発明者らは、天敵や腐敗物の匂いが発生する匂い分子は、嗅上皮において背側ゾーンと腹側ゾーンの嗅細胞を同時に活性化させ、嗅球においては背側ドメインと腹側ドメインの糸球を同時に活性化させるが、このうち背側ドメインの糸球のみが、これらの匂いに対する恐怖反応や嫌悪反応に関与していることを明らかにした。匂いに対する行動は生育環境や学習などの後天的な条件に大きく影響を受けるので、特定の匂い分子が野生型マウスに対して忌避行動を引き起こしたとしても、忌避行動が生じた原因が後天的な学習によるのか、先天的に指定された遺伝的プログラムによるのかを区別することができない。一方、上記の背側ゾーン除去マウスは、後天的な学習能力を持っているが、天敵や腐敗物が発生する匂い分子に対する先天的な忌避行動を失っているので、背側ゾーン除去マウスを使用して先天的な恐怖反応や嫌悪反応を引き起こす匂い分子を同定できる可能性がある。
【0008】
匂い分子が関連し得る作用としては、上記のような恐怖反応や嫌悪反応以外に、食べ物に対する食欲反応を挙げることができる。例えば、哺乳類は高脂肪食への嗜好性を示すことが知られており、高脂肪食を摂取することで体重が増加し、高血圧、高脂血症や糖尿病などの生活習慣病を引き起こす可能性があると考えられている。これらの行動を人為的に制御することができれば、食欲を制御し、体重を減少させることなどができる可能性がある。
【0009】
匂いは情動に大きな影響を与えるという特徴があるされている。匂いを嗅ぐことで、爽快な気分になったり、吐き気がするほど気持ちが悪くなったりするという経験に基づいて、嗅覚は視覚や聴覚に比較して、情動に及ぼす影響が大きいと考えられている。情動の異常は、ストレスの過度の蓄積、不安障害、心身症の発症などの多種多様な精神の問題とも密接に関連している。匂いが情動に深く関与するのならば、匂いによって情動を制御することで、これらの精神の問題を改善することができる可能性がある。匂いによって改善できる可能性のある行動の一つとして、不安行動があげられる。
【0010】
しかし、食欲反応や不安行動は、上記のように既にそのメカニズムが明らかとなっている嫌悪反応や恐怖反応とは異なり、どのようなメカニズムで制御されているのかはこれまで全く不明であった。食べ物の好みには個人差があるので、これまで哺乳類の匂いなどに対する好みは生育環境や学習の影響を受けて後天的に決まると考えられてきた。このような従来の考え方に基づけば、哺乳類の食欲反応や不安行動を引き起こす物質(例えば、匂い分子)は個体ごとに異なることになるので、大多数の動物個体に対して食欲反応や不安行動が、遺伝的なプログラムに従って、特定の物質によって先天的に引き起こされるのであれば、同じ遺伝子を持つ大多数の個体の食欲反応や不安行動を制御する物質を同定し、評価することができる可能性がある。しかし、このような研究はこれまでに行われていなかった。従って、哺乳類に先天的な食欲反応や不安行動を引き起こす物質を同定する方法や、その物質の効果を科学的に定量する方法は存在しなかった。
【非特許文献1】Oka, Y. et al., Eur. J. Biochem. 270:1995-2004 (2003)
【非特許文献2】Kobayakawa, K. et al., Nature 450:503-508 (2007)
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0011】
本発明の目的は、体重調節作用を有する物質の検出方法および不安行動に影響を及ぼす物質の検出方法ならびにそれらに使用する動物を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0012】
本発明者らは、背側ゾーン除去マウスを用いて、食欲反応や不安行動などの反応や行動が、遺伝的なプログラムに従って嗅球の特定の領域から開始される神経回路によって先天的に制御されているという、これまで予想されていなかった事実を証明した。マウスと同様に、ヒトの匂いに関連する様々な反応も、嗅球の背側ドメインを介する神経回路によって先天的に決められていると考えられるので、本発明に従って、ヒトを含む動物の食欲反応や不安行動を先天的に制御する物質を同定して、その効果を評価する方法を開発することができる。さらに、背側ドメインを効率的に活性化または不活化させることで、先天的な情動や行動を呼び起こし、感情に影響を与えたり、食欲を制御したり、無理なく体重を減量することが可能になる。
【0013】
本発明は、
[1]試験物質を背側ゾーン除去動物および野生型動物に与えて飼育し、背側ゾーン除去動物および野生型動物の飼育の前後の体重変化に差異を生じる物質を決定する工程を含む、体重調節作用を有する物質の検出方法;
[2]体重調節作用が体重減少作用である、[1]の方法;
[3]体重調節作用が体重増加作用である、[1]の方法;
[4]試験物質を背側ゾーン除去動物および野生型動物に与え、背側ゾーン除去動物および野生型動物について観察される不安行動に差異を生じる物質を決定する工程を含む、不安行動に影響を及ぼす物質の検出方法;
[5]試験物質を背側ゾーン除去動物および野生型動物に与えて飼育し、背側ゾーン除去動物および野生型動物の飼育の前後の体重変化に差異を生じる物質を決定することにより、体重調節作用を有する物質を検出するための背側ゾーン除去動物であって、背側ゾーン除去動物において嗅上皮の背側ゾーンに存在する嗅細胞が選択的に除去されている、動物;
[6]試験物質を背側ゾーン除去動物および野生型動物に与え、背側ゾーン除去動物および野生型動物について観察される不安行動に差異を生じる物質を決定することにより、不安行動に影響を及ぼす物質を検出するための背側ゾーン除去動物であって、背側ゾーン除去動物において嗅上皮の背側ゾーンに存在する嗅細胞が選択的に除去されている、動物;
[7]試験物質を背側ゾーン除去動物に与えて飼育し、飼育の前後の体重変化を生じる物質を決定する工程を含む、体重調節作用を有する物質の検出方法;
[8]試験物質を背側ゾーン除去動物に与え、不安行動に差異を生じる物質を決定する工程を含む、不安行動に影響を及ぼす物質の検出方法;
[9]試験物質を背側ゾーン除去動物に与えて飼育し、飼育の前後の体重変化を生じる物質を決定することにより、体重調節作用を有する物質を検出するための背側ゾーン除去動物であって、背側ゾーン除去動物において嗅上皮の背側ゾーンに存在する嗅細胞が選択的に除去されている、動物;
[10]試験物質を背側ゾーン除去動物に与え、不安行動の変化を生じる物質を決定することにより、不安行動に影響を及ぼす物質を検出するための背側ゾーン除去動物であって、背側ゾーン除去動物において嗅上皮の背側ゾーンに存在する嗅細胞が選択的に除去されている、動物、
に関する。
【発明の効果】
【0014】
本発明により、背側ゾーン除去動物を使用した、体重調節作用を有する物質の検出方法および不安行動に影響を及ぼす物質の検出方法ならびにそれらに使用する動物が提供される。
【発明を実施するための最良の形態】
【0015】
試験物質に限定はなく、体重調節作用を有する可能性のある任意の物質を選択することができる。
【0016】
本明細書において使用する用語「背側ゾーン除去動物」は、嗅上皮の背側ゾーンに存在する嗅細胞を選択的に除去した動物を指す。嗅上皮は、鼻腔の奥に存在し嗅細胞が局在している組織であり、物理的な局在位置や遺伝子マーカーを指標にして背側ゾーンおよび腹側ゾーンの2つの領域に分割されることが知られている。匂い分子とそれを感知するセンサーとして機能する嗅細胞上の嗅覚受容体タンパク質との結合によって発生されるパルスは、軸索と呼ばれる神経線維を介して嗅球表面に存在する糸球に伝達される。本発明者らは、嗅上皮の背側ゾーンに存在する嗅細胞を選択的に除去すると、それらが接続する嗅球の背側ドメイン(嗅球の2つのドメイン(背側ドメインおよび腹側ドメイン)の一方)における糸球が形成されないことを見出している。従って、嗅上皮の背側ゾーンに存在する嗅細胞を選択的に除去することによって、嗅球の背側ドメインにおける糸球が欠損した動物を得ることができる。動物がマウスである場合、背側ゾーン除去動物は「背側ゾーン除去マウス」と称する。
【0017】
背側ゾーン除去動物は、例えば、嗅上皮の背側ゾーンに存在する嗅細胞に特異的な活性を有するプロモーターを利用して毒素遺伝子を発現させた遺伝子組換え動物を作製することによって得ることができる。嗅上皮の背側ゾーンに存在する嗅細胞に特異的な活性を有するプロモーターとしてはo−macs遺伝子のプロモーターが例示される。毒素遺伝子としては、ジフテリア毒素遺伝子などのタンパク質性毒素をコードする遺伝子が好適に使用される。また、このような遺伝子組換え動物の作製には、目的の遺伝子を導入するノックイン技術を利用することができる。
【0018】
本発明に用いる動物には限定はなく、任意の非ヒト動物が使用され得る。例としては、マウス、ラット、ウサギ、ネコ、イヌ、ブタ、ヤギ、ウマ、ヒツジ、ウシ、サルなどが挙げられる。
【0019】
本明細書において使用する用語「野生型動物」は、背側ゾーンが除去されていない動物であって、背側ゾーンの除去以外背側ゾーン除去動物と実質的に同一の動物を指す。
【0020】
体重変化の差異は、例えば、当該分野において公知の統計学的手法を使用して有意性を検定することによって決定することができる。
【0021】
体重調節作用は、体重減少作用であってもよく、または体重増加作用であってもよい。本発明者らは、野生型マウスと背側ゾーン除去マウスに低脂肪の餌または高脂肪の餌を食べさせると、野生型マウスでは高脂肪の餌の摂取によって、低脂肪の餌の場合と比較して体重が増加するのに対して、背側ゾーン除去マウスではこのような体重の増加がほとんど見られないことを明らかにした。このことは、高脂肪の餌に含まれる物質(例えば、匂い分子)が体重増加を引き起こすことを示唆する。従って、本発明の方法によって、このような体重増加作用を有する物質を検出することができれば、その作用を抑制することによって体重増加を防止できる可能性がある。また、本発明の方法によって検出された体重減少作用を有する物質を使用して、体重を減少させることができる可能性がある。
【0022】
本発明の方法によって検出された体重調節作用を有する物質を使用して体重を調節(増加、減少)することができる。従って、この物質を、例えば一般的な香料と同様にして、食品、補助栄養食品、芳香剤または医薬品などの成分として、体重を調節するために使用することができる。
【0023】
本発明の不安行動に影響を及ぼす物質の検出方法における試験物質、動物などは、本発明の体重調節作用を有する物質の検出方法について上記したとおりである。
【0024】
不安行動は、例えば、高架式十字迷路でのopen fieldにおける滞在時間を測定することによって評価することができる。このような評価方法は当該分野において公知である。
【0025】
本発明者らは、野生型マウスに比較して背側ゾーン除去マウスでは不安行動が減少していることを発見した。このことは、不安行動に影響を及ぼす物質(例えば、匂い物質)の存在を示唆する。従って、本発明の方法によって、不安行動に影響を及ぼす物質を検出することができれば、その作用を利用して、不安行動を制御できる可能性がある。
【0026】
本発明の方法によって検出された不安行動に影響を及ぼす物質を、例えば一般的な香料と同様にして、食品、補助栄養食品、芳香剤または医薬品などの成分として、不安行動を(抑制、促進)するために用いることができる。
【0027】
本発明の方法は、不安行動のみではなく、例えば、うつなどの情動の異常と密接に関連する精神症状に影響を及ぼす物質の検出にも使用することができる。
【0028】
上記のように、背側ゾーン除去動物は行動を先天的に制御する物質に対する応答を欠損している。従って、試験物質を背側ゾーン除去動物に与えれば、先天的行動制御の可能性を排除した上で、体重、不安行動などを後天的に制御する物質を検出することができる。例えば、試験物質を含む餌および試験物質を含まない餌をそれぞれ背側ゾーン除去動物に与えた際に観察される体重変化の差異に基づいて後天的な体重調節作用を有する物質を検出することができる。あるいは、試験物質を含む飲料水および試験物質を含まない飲料水をそれぞれ背側ゾーン除去動物に与えた際に観察される不安行動の変化に基づいて後天的に不安行動に影響を及ぼす物質を検出することができる。
【0029】
本発明によれば、上記のような本発明の方法に使用するための背側ゾーン除去動物も提供される。背側ゾーン除去動物が体重や不安行動に影響を及ぼす物質の検出に使用できることはこれまでに知られていなかった。
【0030】
以下、実施例により本発明を詳細に説明するが、本発明はこれらの実施例に限定されるものではない。
【実施例】
【0031】
実施例1:背側ゾーン除去マウスの作製
嗅上皮の背側ゾーン特異的に発現するo−macs遺伝子のプロモーター(非特許文献1)を、ジフテリア毒素遺伝子の標的化発現によってマウスにおける背側ゾーンの嗅覚細胞を除去するために使用した。まず、O−MACSのコード配列がCre組み換え酵素遺伝子のコード配列で置換されたノックインマウスを作製した。129Svjの遺伝的バックグラウンドを有する得られたマウスをC57BL6と数代かけ合わせたものをO−MACS−Creマウスとして以下の実験に使用した。
【0032】
次に、O−MACS−CreマウスをCre誘導性ジフテリア毒素A遺伝子(DTA)が神経細胞特異的エノラーゼ遺伝子(Eno2)の遺伝子座に導入されたノックインマウス(Eno2−STOP−DTA)と掛け合わせた。ここで、ジフテリア毒素遺伝子(DTA)の上流にはloxP配列ではさまれた転写終結配列(STOP)が配置されており、通常はEno2プロモーターからの転写によるジフテリア毒素遺伝子の発現は起こらないが、Cre組み換え酵素のloxP配列に対する作用によって転写終結配列(STOP)が切除されるとジフテリア毒素遺伝子(DTA)が発現される。Cre組み換え酵素の発現は嗅上皮の背側ゾーン特異的なO−MACSプロモーターによって制御されるので、ジフテリア毒素は嗅上皮の背側ゾーンにおいて特異的に産生され、その結果この領域の神経細胞のみが死滅すると考えられた。
【0033】
嗅上皮における嗅細胞の背側ゾーン特異的除去を、種々の嗅覚受容体についてのin situハイブリダイゼーションによって確認した。すなわち、嗅覚受容体および鍬鼻受容体遺伝子の発現を、嗅上皮および鋤鼻上皮切片のin situハイブリダイゼーションによって分析し、背側ゾーン除去マウスの嗅上皮および鋤鼻上皮の単位体積当たりの所定の受容体を発現する嗅細胞および鋤鼻細胞の数を、野生型コントロールと比較したところ、背側ゾーン除去マウスにおいて、背側ゾーン特異的嗅覚受容体遺伝子(クラスIおよびクラスIIの両方)を発現する嗅細胞が除去されていた。
【0034】
免疫組織化学によって背側ゾーン除去マウスにおける糸球の形成および配置を分析した。背側ゾーン除去マウスにおいて、糸球は嗅球の腹側ドメインのみにおいて見出され、背側ドメインは空であった。このことは、嗅球における内因性シグナルの画像化によっても確認された。野生型マウスとは対照的に、匂いに誘起された活性は背側ゾーン除去マウスの嗅球の背側表面では検出されなかった。糸球が完全に存在しないにもかかわらず、背側ゾーン除去マウス嗅球の背側ドメインは、それ以外は正常な、明確な層を有する細胞構築を示した。背側ゾーン除去マウス嗅球の背側ドメインにおける個々の僧帽細胞は、外部網状層へいくつかの樹状突起を出していたが、樹状末端房を形成しなかった。このことは、これらの僧帽細胞が嗅細胞軸索からのシナプス入力を欠いていたことを示唆する。腹側ゾーン嗅細胞軸索は、嗅球中の背側ドメインの僧帽細胞と異所性結合を形成しなかった。胚発生の過程の間、背側ドメインにおいて糸球は見出されなかった。これらの結果は、僧帽細胞が、嗅細胞軸索の投射が起こる前に背側ドメインサブセットと腹側ドメインサブセットとして特定されていることを示す。背側ドメイン僧帽細胞は、もっぱら背側ゾーン嗅細胞から嗅覚入力を受け取るようである。
【0035】
実施例2:背側ゾーン除去の嗜好性および体重増加に対する影響
食べ物の発生する匂いに対する食欲反応が先天的に制御されているかどうかを調べた。初めて接する食べ物の匂いを発する物質としてピーナッツバターを選択した。水またはピーナッツバターをしみ込ませたろ紙をテストケージに入れて、野生型マウスまたは背側ゾーン除去マウスが鼻を接近させて、ろ紙を探索する時間を計測した。結果を図1に示す。背側ゾーン除去マウスは、野生型マウスに比較して、ピーナッツバターの匂いを探索する時間が有意に減少していた。背側にある糸球の機能的欠損を含むげっ歯類動物であっても、野生型のげっ歯類動物と同様に食べ物の匂いを感知できたので、食べ物の匂いに対する嗜好性は、背側ゾーンに存在する一部の嗅細胞によって先天的に決められていると言える。
【0036】
背側ゾーン除去マウスの餌の消費量と体重の関係を調べた。野生型マウスまたは背側ゾーン除去マウスに通常の餌(実験動物用固形飼料、MF、オリエンタル酵母)を与え、24時間の間の餌の消費量と体重の増加を計測し、平均値およびSEMを求めた。結果を図2に示す。正常マウスと比べ、背側ゾーン除去マウスの餌の消費量が20%程度減少しており(図2中左の「餌の消費量」参照)、体重が20%程度減少していることが分かった(図2中右の「体重」参照;背側ゾーン除去マウスについての結果(白の四角)が野生型マウスについての結果(黒の菱形)の下方に見られる)。従って、餌の消費量や、体重は背側ゾーンに存在する嗅細胞を活性化させる匂い分子によって制御されていると言える。
【0037】
通常の量の脂肪を含む餌を食べさせて飼育した、野生型と嗅球の背側にある糸球の機能的欠損を含むげっ歯類動物に対して、これまで食べ慣れた通常の餌と、初めて提示される高脂肪の餌とのどちらを選別して食べるのかを調べる実験を行った。通常の餌(実験動物用固形飼料、MF、オリエンタル酵母)で飼育した12週以上の野生型マウスまたは背側ゾーン除去マウスを、まず1日のうち2〜3時間だけ餌が食べられるという条件で1週間以上飼育し、次いで新しい床敷の入ったケージ(テストケージ)に移して10分間以上慣らした後、ほぼ同量の通常の餌および高脂肪の餌(実験動物用固形飼料、D12492、リサーチダイエット社)を与え、餌を与え始めてから10分間の間に餌を食べる時間をマウスの行動をビデオで記録することによって測定した。結果を図3に示す。野生型のげっ歯類動物は、高脂肪の餌を好んで食べるのに対して、嗅球の背側にある糸球の機能的欠損を含むげっ歯類動物(背側ゾーン除去マウス)はこれまでに食べ慣れた通常の餌を好んで食べた。従って、高脂肪の食べ物から発生する匂い分子が、背側ゾーンの嗅細胞を活性化させることで高脂肪の食べ物に対する嗜好性が決定されていることが判明した。
【0038】
高脂肪食を摂取させることで野生型げっ歯類動物の体重が増加することが知られている。しかし、高脂肪食の中のどのような条件が、どのようなメカニズムで体重の増加を引き起こしているのかは解明されていない。高脂肪食に含まれる特有の匂い分子が、高脂肪食の摂取や、体重増加を制御している可能性を検討するために、野生型と嗅球の背側にある糸球の機能的欠損を含むげっ歯類動物に対して高脂肪食を与える実験を行った。野生型マウスと背側ゾーン除去マウスを通常の餌(実験動物用固形飼料、MF、オリエンタル酵母)を与えて飼育した。その後、それぞれに5週間に渡って通常の低脂肪の餌(低脂肪食)(実験動物用固形飼料、D12450B、リサーチダイエット社)または高脂肪の餌(高脂肪食)(実験動物用固形飼料、D12492、リサーチダイエット社)を自由に食べさせ、それぞれのグループの体重の増加を計測した。結果を図4に示す。5週間後に野生型マウスでは高脂肪の餌の摂取によって体重が42.9%程度も増加したのに対して、背側ゾーン除去マウスでは体重の増加が3.7%程度しか見られなかった。この実験結果によって、高脂肪食に含まれる匂い物質が、高脂肪食を摂取したときに体重の増加を引き起こしていることが初めて明らかになった。
【0039】
実施例3:背側ゾーン除去の不安行動に対する影響
図5の模式図に示す高架式十字迷路は、床面より高い位置に設置した、壁に囲まれた走路と壁のない走路とで構成される高架式の十字迷路であり、不安行動の評価に使用される装置である。抗不安薬の投与などによって、不安行動が減少したげっ歯類動物は、壁に囲まれた走路から出て、壁のない走路に滞在する時間が増加することが知られている。野生型マウス、または、背側ゾーン除去マウスを高架式十字迷路の中央部に置き、実験開始後0秒から300秒と、300秒から600秒の間における、壁のない走路に滞在する時間を計測した。実験結果を図5のグラフに示した。壁のない走路での滞在時間(秒)を野生型マウス(n=7)に関しては灰色のグラフで、背側ゾーン除去マウス(n=7)に関しては白色で示した。何れの実験時間においても、背側ゾーン除去マウスでは、野生型マウスに比較して、壁のない走路での滞在時間が有意に増加していることが明らかになった(Student’s t−testの値<0.01。図中では**で示した。)。従って、背側ゾーン除去マウスでは、野生型マウスに比較して、不安行動が減少していると考えられる。この実験結果から、背側ゾーンの神経回路によって、不安行動が制御されていることが初めて明らかになった。
【産業上の利用可能性】
【0040】
本発明により、背側ゾーン除去動物を使用した、体重調節作用を有する物質の検出方法および不安行動に影響を及ぼす物質ならびにそれらに使用する動物の検出方法が提供される。
【図面の簡単な説明】
【0041】
【図1】食べ物の匂いに対する嗜好性のテストの結果を示す図である。
【図2】野生型マウスと背側ゾーン除去マウスに通常の餌を自由に食べさせた際の餌の消費量と体重を示す図である。
【図3】高脂肪食への先天的な嗜好性を示す図である。
【図4】高脂肪食の摂取による体重の増加を示す図である。
【図5】野生型マウスと背側ゾーン除去マウスに対して高架式十字迷路を用いて、不安行動を計測した結果を示す図である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
試験物質を背側ゾーン除去動物および野生型動物に与えて飼育し、背側ゾーン除去動物および野生型動物の飼育の前後の体重変化に差異を生じる物質を決定する工程を含む、体重調節作用を有する物質の検出方法。
【請求項2】
体重調節作用が体重減少作用である、請求項1に記載の方法。
【請求項3】
体重調節作用が体重増加作用である、請求項1に記載の方法。
【請求項4】
試験物質を背側ゾーン除去動物および野生型動物に与え、背側ゾーン除去動物および野生型動物について観察される不安行動に差異を生じる物質を決定する工程を含む、不安行動に影響を及ぼす物質の検出方法。
【請求項5】
試験物質を背側ゾーン除去動物および野生型動物に与えて飼育し、背側ゾーン除去動物および野生型動物の飼育の前後の体重変化に差異を生じる物質を決定することにより、体重調節作用を有する物質を検出するための背側ゾーン除去動物であって、背側ゾーン除去動物において嗅上皮の背側ゾーンに存在する嗅細胞が選択的に除去されている、動物。
【請求項6】
試験物質を背側ゾーン除去動物および野生型動物に与え、背側ゾーン除去動物および野生型動物について観察される不安行動に差異を生じる物質を決定することにより、不安行動に影響を及ぼす物質を検出するための背側ゾーン除去動物であって、背側ゾーン除去動物において嗅上皮の背側ゾーンに存在する嗅細胞が選択的に除去されている、動物。
【請求項7】
試験物質を背側ゾーン除去動物に与えて飼育し、飼育の前後の体重変化を生じる物質を決定する工程を含む、体重調節作用を有する物質の検出方法。
【請求項8】
試験物質を背側ゾーン除去動物に与え、不安行動の変化を生じる物質を決定する工程を含む、不安行動に影響を及ぼす物質の検出方法。
【請求項9】
試験物質を背側ゾーン除去動物に与えて飼育し、飼育の前後の体重変化を生じる物質を決定することにより、体重調節作用を有する物質を検出するための背側ゾーン除去動物であって、背側ゾーン除去動物において嗅上皮の背側ゾーンに存在する嗅細胞が選択的に除去されている、動物。
【請求項10】
試験物質を背側ゾーン除去動物に与え、不安行動の変化を生じる物質を決定することにより、不安行動に影響を及ぼす物質を検出するための背側ゾーン除去動物であって、背側ゾーン除去動物において嗅上皮の背側ゾーンに存在する嗅細胞が選択的に除去されている、動物。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【公開番号】特開2010−19614(P2010−19614A)
【公開日】平成22年1月28日(2010.1.28)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−178643(P2008−178643)
【出願日】平成20年7月9日(2008.7.9)
【出願人】(503360115)独立行政法人科学技術振興機構 (1,734)
【Fターム(参考)】