説明

冷間打抜用鋼及びこれを用いたスチールベルト用エレメント

【課題】 耐摩耗性と靭性に優れるベルト式CVTに使用されるスチールベルト用エレメント及びこれを与える冷間打抜用鋼の提供。
【解決手段】 10.8[C]+5.6[Si]+2.7[Mn]+0.3[Cr]+7.8[Mo]+1.4[V]≦13を満たす成分組成の鋼からなる冷間打抜用鋼である。質量%で、必須添加元素として、Cを0.50から0.70%、Siを0.03から0.60%、Mnを0.50から1.00%、Crを0.20から1.00%、Tiを0.01から0.10%、及び、Bを0.0005から0.0050%の範囲内、任意添加元素として、Pを0.025%以下、及び、Sを0.015%以下の範囲内、残部Fe及び不可避的不純物とした成分組成を有し、オーステナイト単相温度域に加熱保持後、所定速度で冷却して、主として、フェライト+パーライト混合組織に微細炭化物を分散させた組織で88HRB以下の硬さを与えたことを特徴とする。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、自動車等のベルト式CVTに使用されるスチールベルト用エレメントに加工される冷間打抜用鋼及びエレメントに関する。
【背景技術】
【0002】
自動車等のベルト式の無段階変速機(Continuously
Variable Transmission:CVT)では、入力側及び出力側の一対のプーリの間にスチールベルトを捲いて動力を伝達している。かかるスチールベルトは、環状ベルトに沿ってチップ状のエレメント(スチール駒)を重ねるようにして複数個組み付けた構造を有する。このスチールベルトを出力側プーリのV字状溝に嵌み込み、溝幅を変化させるとスチールベルトがプーリの半径方向に移動しその回転半径を連続的に調整できて、入力側と出力側のプーリの回転比率を滑らかに変化させ得る。
【0003】
上記したように、スチールベルト用エレメントは、常に、出力側プーリのV字状溝に当接して駆動されるため、耐摩耗性に優れる高い硬さの鋼が使用される。一般的には、JIS SKS95(質量%で、C:0.80〜0.90%、Si:0.50%以下、Mn:0.80〜1.10%、P:0.030%以下、S:0.030%以下、Cr:0.20〜0.60%)のような、比較的炭素量の多い鋼が使用される。球状化処理された炭化物を含む冷間圧延材をエレメントの形状に冷間打ち抜き加工し、平衡状態図上でAcm点以上の温度から焼入れ・焼戻しされて、一定量の未固溶炭化物を分散させた焼戻しマルテンサイト組織を与えられる。
【0004】
エレメントを冷間打ち抜きするには、高い硬さの鋼では生産性が低下してしまう。そこで、軟化熱処理を施した鋼を冷間打ち抜き加工し、その後に硬化熱処理を行う製造方法が考慮される。ここで打ち抜き加工後のエレメントの変形の防止には、硬化熱処理は比較的低い温度で且つ短時間で行われるべきである。これに対して、本発明者は、平衡状態図上でオーステナイト単相安定域温度が最も低い共析組成近傍の鋼に着目し、共析点近傍の温度で硬化熱処理を行って、高い硬さによる高い摩耗性とともに、プーリとの相対的移動による接触にも耐えられる高い靱性をも兼ね備えた鋼を得ることを検討している。
【0005】
例えば、特許文献1では、共析組成近傍の鋼であって、600〜900Hvの硬さを維持しながらも、25J/cm以上の高い衝撃値を有する高炭素鋼部材を開示している。詳細には、質量%で、C:0.60〜1.30%、Si:≦1.0%、Mn:0.2〜1.5%、P:≦0.02%、S:≦0.02%、Mo:≦0.5%、V:≦0.5%、の成分組成を有し、焼入れ・焼戻し後の組織で未固溶炭化物を8.5<15.3×C%−V<10.0の体積率V(体積%)で残存させ、且つ、粒径1.0μm以上の粗大な未固溶炭化物を観察面積100μmあたり2個以下に規制すべきことを開示している。ここで、Moを添加すると、焼入れ性と靭性を高め、Niと特殊な炭化物を形成し耐摩耗性をも高めると述べている。また、Vを添加すると、焼入れの際に、オーステナイト結晶粒を微細化させて耐摩耗性を高め得るとも述べている。
【0006】
また、特許文献2では、共析組成近傍の鋼であって、靭性及び耐疲労性に優れる炭素鋼を開示している。詳細には、質量%で、C:0.50〜0.70%、Si:≦0.5%、Mn:1.0〜2.0%、P:≦0.02%、S:≦0.02%、Al:0.001〜0.10%に加えて、V:0.05〜0.50%、Ti:0.02〜0.20%、Nb:0.01〜0.50%、Mo:≦0.50%の1種又は2種以上を含む成分組成を有し、焼なまし後の組織で未固溶炭化物の球状化率を95%以上とし、粒径2.5μm以上の粗大な未固溶炭化物を生成させないようにすることを開示している。ここで、Moを添加すると焼入れ性を高め、Vを添加すると炭窒化物を形成させて靭性を高めると述べている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【特許文献1】特開2006−63384号公報
【特許文献2】特開2009−24233号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
特許文献1及び2に開示されている鋼のように、MoやV等の希少金属を添加することで、耐摩耗性と靭性に優れる鋼を得られる。しかしながら、コストの点から、これら希少金属の添加量を下げつつも、同等程度若しくはそれ以上の耐摩耗性と靱性を得られることが望まれる。
【0009】
本発明はかかる状況に鑑みてなされたものであって、その目的とするところは、Mo及びV等の希少金属の添加を抑制しつつ、耐摩耗性と靭性に優れる自動車等のベルト式CVTに使用されるスチールベルト用エレメント及びこれを与える冷間打抜用鋼を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0010】
本発明による冷間打抜用鋼は、元素Mの質量%を[M]とすると、10.8[C]+5.6[Si]+2.7[Mn]+0.3[Cr]+7.8[Mo]+1.4[V]≦13を満たす成分組成の鋼からなる冷間打抜用鋼であって、質量%で、必須添加元素として、Cを0.50から0.70%、Siを0.03から0.60%、Mnを0.50から1.00%、Crを0.20から1.00%、Tiを0.01から0.10%、及び、Bを0.0005から0.0050%の範囲内、任意添加元素として、Pを0.025%以下、及び、Sを0.015%以下の範囲内、残部Fe及び不可避的不純物とした成分組成を有し、オーステナイト単相温度域に加熱保持後、所定速度で冷却して、主として、フェライト+パーライト混合組織に微細炭化物を分散させた組織で88HRB以下の硬さを与えたことを特徴とする。
【0011】
かかる発明によれば、冷間打抜用鋼として、ベルト式CVTのスチールベルト用エレメントの形状への冷間打ち抜きが良好にできる。また、主として、フェライト+パーライト混合組織にBを核とした微細炭化物を分散させた組織を有する。所定の焼入れ焼戻し熱処理により、微細炭化物の分散組織によりエレメントとしての高い耐摩耗性を与えつつ、粗大な炭化物を抑制できて、エレメントとしての高い靱性をも与え得るのである。
【0012】
上記した発明において、断面組織において、円相当径で0.5μm以上の粗大炭化物を1mm四方当たり1.2×10個以下に抑制したことを特徴としてもよい。かかる発明によれば、所定の焼入れ焼戻し熱処理により、粗大な炭化物を抑制できて、エレメントとしての高い靱性を与え得る。
【0013】
本発明によるベルト式CVTのスチールベルト用エレメントは、上記した発明のうちのいずれか1つからなる冷間打抜用鋼を所定形状に冷間打ち抜きした後に焼き入れ焼き戻し熱処理を与えて640Hv以上の硬さを与えたことを特徴とする。
【0014】
かかる発明によれば、エレメントとしての高い耐摩耗性を有しつつ、粗大な炭化物を抑制した組織によりエレメントとしての高い靱性をも有するのである。
るのである。
【0015】
上記した発明において、断面組織において、円相当径で0.5μm以上の粗大炭化物を1mm四方当たり1.3×10個以下に抑制したことを特徴としてもよい。かかる発明によれば、エレメントとしての高い耐摩耗性を有しつつ、粗大な炭化物を抑制した組織によりエレメントとしての高い靱性をも有するのである。
【図面の簡単な説明】
【0016】
【図1】本発明によるエレメントの製造工程を示す図である。
【図2】軟化熱処理における断面組織を示す図である。
【図3】実施例及び比較例の成分組成を示す図である。
【図4】衝撃試験の試験片の形状を示す図である。
【図5】摩耗試験の方法を示す図である。
【図6】試験結果をまとめた図である。
【図7】硬化熱処理後の硬さに対する衝撃比を示す図である。
【図8】未固溶炭化物の組成分布を示す図である
【図9】亀裂の進行を示す断面組織の写真である。
【図10】摩耗試験の結果を示すグラフである。
【図11】摩耗試験の結果を示すグラフである。
【図12】軟化熱処理後の未固溶炭化物の大きさ毎の観察個数を示す図である。
【図13】硬化熱処理後の未固溶炭化物の大きさ毎の観察個数を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0017】
本発明による1つの実施例としてのベルト式CVTのスチールベルト用エレメントの製造方法について、図1に沿って説明する。
【0018】
まず、所定量のBとTiを含む共析組成近傍の所定の成分組成を有する薄鋼板を後述する打ち抜き加工をし易くするよう軟化熱処理する(S1)。かかる軟化熱処理では、オーステナイト単相安定温度域であって比較的低い温度、すなわち、A3及びAcm線よりも20〜30℃程度高い温度に薄鋼板を加熱し所定時間だけ保持後、所定速度で冷却する。この軟化熱処理では、成分組成中のBにより未固溶炭化物を微細分散させた冷間打抜用鋼を得ることができる。この冷間打抜用鋼は良好な冷間打ち抜き性を有し、容易にエレメントの形状を加工できる。
【0019】
ここで、図2に示すように、パーライト組織を有する薄鋼板において、Bはパーライト組織中のセメンタイト部分に特に分散している(図2(a)参照)。この薄鋼板をオーステナイト単相安定温度域に加熱し保持すると、オーステナイト単相へと変化していく(図2(b)参照)。完全にオーステナイト単相へと変化する前に再び、フェライト安定温度域まで徐々に降温させると、まず、フェライト中に固溶できない炭素は炭化物として析出するが、一部の炭化物は分散したBを析出核として析出する(図2(c)及び図8を併せて参照)。降温を続けると、粗大なパーライト粒とフェライト粒の混合組織中に炭化物を微細に分散させた組織となっていく(図2(d)参照)。
【0020】
すなわち、Bを凝集させずに、分散を維持させたままフェライト安定温度域まで降温させるには、保持温度をA3線及びAcm線近傍の比較的低い温度で完全にオーステナイト単相に変化する以前に降温を開始させるのである。なお、Bに併せてTiを含むことで、TiがBよりも優先してNと窒化物を生成し、B窒化物の生成を抑制させて、Bの分散を維持させるのである。
【0021】
再び、図1を参照すると、冷間打抜用鋼から所定のエレメントの形状に打ち抜き加工してエレメントを得る(S2)。
【0022】
更に、打ち抜き加工して得られたエレメントに耐摩耗性などを付与するよう硬化熱処理を施す(S3)。すなわち、焼き入れ、焼き戻しを行う。なお、薄鋼板からなるエレメントの変形の防止のためには、比較的低い温度で且つ短時間でこの熱処理を行うことが好ましい。つまり、軟化熱処理(S1)と同様、オーステナイト単相安定温度域であって比較的低い温度に加熱保持し、焼き入れるのである。かかる場合、軟化熱処理によりBを核に分散した微細な炭化物は維持されるのである。以上により、耐摩耗性と靭性に優れる自動車等のベルト式CVTに使用されるスチールベルト用エレメントを得ることができる。
【0023】
次に、スチールベルト用エレメントに冷間打ち抜き加工するために冷間打抜用鋼に必要とされる硬さなどの評価、及び、この冷間打抜用鋼に硬化熱処理を与えたときのスチールベルト用エレメントとして必要とされる機械的特性(靭性及び耐摩耗性)の評価を行った。これについて図3乃至図5を用いて説明する。
【0024】
まず、本発明者は、ここまでJIS SKS95などの成分組成を冷間打ち抜き加工に適した硬さを得られるよう調整するにあたって、成分元素と硬さの関係について、以下の経験式を得ている。
=10.8[C]+5.6[Si]+2.7[Mn]
+0.3[Cr]+7.8[Mo]+1.4[V]+75 (式1)
そこで、式1により後述する所定の硬さを得られるよう、まず成分組成の目標値を選択し、鋼を製造したところ、図3に示す実施例1乃至10及び比較例1乃至11の成分組成の鋼を得られた。ここで、図3の実施例1乃至10及び比較例1乃至11の成分組成において、比較例3ではMoを、比較例4ではVを目標値に従って添加したが、その他の実施例及び比較例において、Mo及びVは目標値としては添加を意図しておらず、いずれも不純物として検出されたものである。
【0025】
評価用の試験片の作製方法について説明する。まず、母合金150kgを真空誘導炉により溶製し、図3に示す成分組成を有するインゴットを得る。
【0026】
次に、インゴットを1200℃で3時間保持後、その一部を切り出して直径25mmの略円柱形状の丸棒に熱間鍛造した。なお、鍛造終了温度は900℃以上であった。続いて、丸棒を840℃で60分間保持し空冷し焼準しを行った。また、切り出したインゴットの残りを3.5mmに熱間圧延し、同様の焼準しを行った後、さらに1.5mmに冷間圧延して圧延材を得た。
【0027】
圧延材については、上記した軟化熱処理(S1)として、760℃で1時間保持し、10℃/hrで650℃まで徐冷し、その後空冷する熱処理を施した。適宜、研磨などを行って組織観察試験片とし、ロックウェル硬さや未固溶炭化物の個数などを測定した。
【0028】
丸棒については、同様の軟化熱処理(S1)を模した熱処理を行った後に、更に、上記した硬化熱処理(S3)として、800℃で30分保持後、70℃の油浴に焼入れ、180℃で120分だけ焼き戻す焼入れ焼戻しを行った。熱処理後の丸棒の一部を切り出し、図4に示すような形状のサブサイズの衝撃試験片1と、後述する摩耗試験用の幅15.75mm、高さ10.16mm、厚さ6.35mmの略直方体ブロック状の摩耗試験片13とに加工した。なお、試験片13は、適宜、研磨などを行って組織観察試験片として、ビッカース硬さ及び未固溶炭化物の個数などを測定した。
【0029】
ロックウェル硬さは、市販のロックウェル硬度試験装置を用い、任意の5点での測定値の平均値を測定値Hとした。なお、経験的に88HRB未満の硬さを基準に冷間打ち抜きのし易さが異なるため、図6において、測定値Hが88HRB未満のときを冷間打ち抜き性を良好(○)、これ以上のときを冷間打ち抜き性を不良(×)と評価した。
【0030】
ビッカース硬度は、市販のビッカース硬度計を用い、摩耗試験片13の断面において表面から約25μmの深さの位置で5点測定し、平均値を測定値Hとした。
【0031】
衝撃試験は、市販のシャルピー衝撃試験装置を用いて行った。なお、図6の衝撃比は、比較例3の試験片での測定値に対する比である。この衝撃比が1以上の場合、靱性において良好(○)、1未満で靱性において不良(×)と評価している。
【0032】
摩耗試験は、図5に示すような摩耗試験装置10でブロック・オン・リング法により行った。詳細には、110℃のオイル12を蓄えた槽14に一部を浸されて回転するリング11に摩耗試験片13を1200Nの荷重で接触させ、相対的に滑った距離3000mにおける摩耗量を測定した。なお、リング11に対する摩耗試験片13の滑り速度は、0.05m/secである。また、リング11は、外径35mm、厚み8.74mmの環状体で、SCM420の浸炭焼入れ焼戻し材を750Hv程度の硬さに調質した鋼からなる。図6の摩耗比は、摩耗試験片13の摩耗部の断面積を測定し、比較例3の摩耗面積に対す比である。この摩耗比が1未満の場合、耐摩耗性において良好(○)、1以上で耐摩耗性において不良(×)と評価した。
【0033】
未固溶炭化物の個数は、断面組織の画像解析により測定した。100μm四方当たりに存在する円相当径で0.50μm以上の未固溶炭化物の個数について、これを1mm四方当たりに存在する個数に換算した。
【0034】
図6に各結果をまとめた。
【0035】
まず、上記した式1を用いて図3の各成分組成から計算されるた硬さの予測値Hと測定値Hとは良く一致していた。このことは、B及びTiを添加した本実施例においても、硬さへの影響は式1で予測でき得ることを示している。
【0036】
実施例1乃至10では、軟化熱処理(S1)後の硬さ(以降、「軟化熱処理後硬さ」と称する。)Hはいずれも88HRBよりも小さく、打ち抜き性に優れる。一方、硬化熱処理(S3)後の硬さ(以降、「硬化熱処理後硬さ」と称する。)Hは比較例3とほぼ同程度又はそれ以下でありながら、衝撃比は1以上、摩耗比は1よりも小さい。つまり、従来材と比較して靭性及び耐摩耗性は同等以上である。
【0037】
参考として、比較例3に対して、Moを添加せず、Cの含有量を増加させた比較例1では、軟化熱処理後硬さHは89.0HRBと高く、打ち抜き性に劣る。また、硬化熱処理後硬さHは高いながら、衝撃比は1よりも小さく、摩耗比は1よりも大きい。つまり、靭性及び耐摩耗性で比較例3よりも劣る。硬化熱処理後の未固溶炭化物の個数が比較例3よりも非常に多く、このため耐摩耗性が低くなったものと考えられる。
【0038】
従来材に対して、Moを添加せず、Cの含有量を減少させた比較例2では、硬化熱処理後硬さHは537Hvと低く、衝撃比は1よりも大きいものの、摩耗比は5.58と非常に大きかった。つまり、耐摩耗性において従来材に対して大きく劣る。
【0039】
従来材に対して、Moの代わりにVを添加した比較例4では、靭性及び耐摩耗性については比較例3とほぼ同程度である。
【0040】
従来材に対して、Moを添加せず、SiやMnの含有量を増加させた比較例5及び7では、軟化熱処理後硬さHは、88HRBを超えており、冷間打抜用鋼として冷間打ち抜き性に劣る傾向にある。
【0041】
一方、従来材に対して、Moを添加せず、Mnの含有量を減じた比較例8では、軟化熱処理後硬さHは低く、冷間打抜用鋼として冷間打ち抜き性は良好である。しかしながら、摩耗比は1よりも非常に大きく、耐摩耗性で従来材に対して大きく劣る。
【0042】
従来材に対して、Moを添加せず、Crの含有量を増加させた比較例9では、冷間打抜用鋼として冷間打ち抜き性は良好である。しかし、衝撃比は1より小さく、摩耗比は1よりも大きく、靭性及び耐摩耗性において従来材より劣る。
【0043】
従来材に対して、Moを添加せず、Crの含有量を減じた比較例10では、摩耗比は1よりも大きく、耐摩耗性において従来材より劣る。
【0044】
一方、従来材に対して、Moの代わりにBとTiを添加した実施例10では、冷間打抜用鋼として良好な冷間打ち抜き性を有し、衝撃比は1.22と大きく、摩耗比は0.65と小さい。つまり、良好な靭性及び耐摩耗性を有している。
【0045】
従来材に対して、Moの代わりにBとTiを添加し、さらにCの含有量を減じつつMnを加えた実施例1でも、冷間打抜用鋼として良好な打ち抜き性を有し、衝撃比は1.40と非常に大きく、特に優れた靭性を有している。
【0046】
従来材に対して、Moの代わりにBとTiを添加し、さらにCrとPの含有量を増加させた実施例2でも、冷間打抜用鋼として良好な打ち抜き性を有する。また、靭性及び耐摩耗性のいずれも従来材に対して同等以上である。
【0047】
従来材に対して、Moの代わりにBとTiを添加し、さらにMnの含有量を減じた実施例3でも、冷間打抜用鋼として良好な打ち抜き性を有するとともに、衝撃比は1.24と大きく、摩耗比は0.68と小さく、良好な靭性及び耐摩耗性を有している。
【0048】
従来材に対して、Moの代わりにB及びTiを添加し、さらにSiの含有量を増加させた実施例4でも、冷間打抜用鋼として良好な打ち抜き性を有するとともに、衝撃比は1.20と大きく、摩耗比は0.65と小さく、良好な靭性及び耐摩耗性を有している。
【0049】
従来材に対して、Moの代わりにB及びTiを添加し、さらにSiの含有量を減じつつCの含有量を増加させた実施例5でも、冷間打抜用鋼として良好な打ち抜き性を有する。また、靭性及び耐摩耗性のいずれも従来材に対して同等以上である。
【0050】
従来材に対して、Moの代わりにB及びTiを添加し、BやCrの含有量を減じた実施例6及び7でも、冷間打抜用鋼として良好な打ち抜き性を有する。また、スチールベルト用エレメントとして有する靭性は従来材に対して同等以上で、耐摩耗性は良好である。
【0051】
従来材に対して、Moの代わりにB及びTiを添加し、さらに、SやTiの含有量を増加させた実施例8及び9でも、冷間打抜用鋼として良好な打ち抜き性を有するとともに、スチールベルト用エレメントとして優れた靭性及び耐摩耗性を有している。
【0052】
ところで、実施例10に対して、B及びTiを添加しなかった比較例6では、冷間打抜用鋼として良好な打ち抜き性を有する。しかし、衝撃比は1より小さく、摩耗比は1より大きく、靭性と耐摩耗性についていずれも従来材より劣る。特に実施例10に対して靭性と耐摩耗性は大きく劣化する。
【0053】
また、実施例10に対して、Tiを添加しなかった比較例11でも、冷間打抜用鋼として良好な打ち抜き性を有する。しかし、衝撃比は1より小さく、摩耗比は1より大きく、スチールベルト用エレメントとして有する靭性と耐摩耗性についていずれも従来材より劣る。特に実施例10に対して靭性と耐摩耗性は大きく劣化する。
【0054】
以上の実施例及び比較例の各結果から得られる傾向について述べる。
【0055】
図7に示すように、硬化熱処理後硬さHに対する衝撃比のグラフにおいて、B及びTiを添加した実施例1乃至10は、Moを加えた比較例3とVを加えた比較例4とほぼ同様の位置にある。少なくとも、B及びTiを添加しなかった比較例1及び2、比較例5乃至10よりも右上の位置にある。すなわち、硬化熱処理後硬さHが高くとも耐衝撃性に優れる傾向にある。これは、Bが粒界強度を高め、破壊の起点となる粗大な未固溶炭化物の析出を抑制したためと考える。上記したように、Bは軟化熱処理時に未固溶炭化物の析出核となって、結果として、破壊の起点となる粗大な未固溶炭化物の析出を抑制すると考えるが、図8に示すように、未固溶炭化物15の中心部ではBの濃度が高くなっている。
【0056】
また、Bを添加しTiを添加しなかった比較例11と比べても、実施例1乃至10は硬化熱処理後硬さHに対して高い衝撃比を有する。実施例1乃至10において、TiはBよりも先にNと結合することで、Bと結合するNを減少させ、上記したBの効果をさらに高めると考える。
【0057】
次に、摩耗の形態であるが、摩耗は表面からの微小亀裂21の発生及び成長と表面の剥離によって進行する。図9に示すように、微小亀裂21は未固溶炭化物22と母相23との界面を優先的に伝播している。すなわち、未固溶炭化物22が大きいほど、未固溶炭化物22と母相23との界面に応力集中が生じやすくなり、微小亀裂21は容易に伝播すると考えられる。そこで、図10に示すように、円相当径0.5μm以上の粗大な未固溶炭化物の個数と摩耗比との関係についてまとめてみると、この個数の減少とともに摩耗比は低下している。つまり、粗大な未固溶炭化物22の個数を減じることで、耐摩耗性を向上させ得ることが判る。
【0058】
一方、粗大な未固溶炭化物の個数は、Cの含有量に依存するが、Cの含有量を減じると、硬さを低下させ耐摩耗性を低下させてしまう。図11に示すように、硬化熱処理後で640Hv以下の硬さの場合、摩耗比は急激に上昇、すなわち耐摩耗性は大きく降下する。つまり、スチールベルト用エレメントとして良好な耐摩耗性を与えるために必要なCの含有量の下限値が存在する。一方、Cの含有量の高い比較例1などは、冷間打抜用鋼としての冷間打ち抜き性が不良となり、Cの含有量の上限値も存在する。
【0059】
スチールベルト用エレメントとしての耐摩耗性と、冷間打抜用鋼としての冷間打ち抜き性の両立を与えるCの含有量の範囲は、質量%で、0.50〜0.70%であり、硬化熱処理後で硬さが640Hv以上、且つ、円相当径0.5μm以上の粗大な未固溶炭化物の個数が100μm四方当たり130個以下、すなわち、1mm四方当たり約1.3×10個以下とされる。
【0060】
次に、Bの添加と粗大な未固溶炭化物についてであるが、図12に示すように、軟化熱処理後において、Bを添加した実施例10は、Bを添加しなかった比較例6に対し、円相当径0.30μm以下の未固溶炭化物がより多く、これよりも大きい未固溶炭化物がより少ない。つまり、Bの添加により、軟化熱処理後の未固溶炭化物を微細化させることが判る。
【0061】
更に、図13に示すように、硬化熱処理後において、Bを添加した実施例10は、Bを添加しなかった比較例6に対し、円相当径0.30μm以下の未固溶炭化物がより多く、これよりも大きい未固溶炭化物がより少ない。すなわち、硬化熱処理後にも、Bの添加による炭化物の微細化の効果は有効である。
【0062】
以上述べてきたように、Mo又はVを添加せずとも、B及びTiを添加した所定の成分組成及び所定の熱処理により、靭性を高めつつ、未固溶炭化物を微細に析出させて耐摩耗性にも優れたスチールベルト用エレメントを与え得る冷間打抜用鋼を得られるのである。
【0063】
上記した実施例及び比較例に基づき、冷間打抜用鋼の組成範囲を以下のような指針で定めた。まず、必須添加元素であるC、Si、Mn、Cr、B、Tiについて説明する。
【0064】
Cは、上記したように、スチールベルト用エレメントとして必要とされる耐摩耗性を確保するために最も重要な元素である。Cの添加量が少なすぎると、硬化熱処理後に硬さが確保できず、耐摩耗性を低下させる。一方、Cの添加量が多すぎると、硬化熱処理後に粗大な未固溶炭化物を残存させ、やはり耐摩耗性を低下させる。また、粒界にFilm状に炭化物を析出させて粒界強度を低下させ、靭性が低下してしまう。そこで、上記したように、質量%で、Cは、0.50〜0.70%の範囲内である。
【0065】
Siは、鋼の脱酸元素として有効な元素である。Siの添加量が少なすぎると、鋼を十分に脱酸をさせることができない。一方、Siの添加量が多すぎると、軟化熱処理後の硬さが上昇し、冷間打抜用鋼として必要とされる冷間打ち抜き性を悪化させる。そこで、質量%で、Siの含有量は0.03〜0.60%の範囲内である。
【0066】
Mnは、鋼の焼入れ性を向上させ、スチールベルト用エレメントとして必要とされる機械的強度の確保に有効である。Mnの添加量が少なすぎると、焼入れ性を確保できず、スチールベルト用エレメントとして必要とされる耐摩耗性を低下させる。一方、Mnの添加量が多すぎると、冷間打抜用鋼として必要とされる冷間打ち抜き性を悪化させる。そこで、質量%で、Mnは0.50〜1.00%の範囲内である。
【0067】
Crは、Mnと同様に、鋼の焼入れ性を向上させ、スチールベルト用エレメントとして必要とされる機械的強度の確保に有効である。しかし、Crの添加量が多すぎると、鉄炭化物中に容易に固溶して未固溶炭化物を安定化させ、粗大な未固溶炭化物を増加させる。つまり、スチールベルト用エレメントとして必要とされる耐摩耗性を低下させる。そこで、質量%で、Crは0.20〜1.00%の範囲内である。
【0068】
Bは、Pなどの不純物の粒界偏析を抑制し、粒界強度を高めるため、スチールベルト用エレメントとして必要とされる靭性の向上に有効である。また、上記したように、パーライト相中の旧セメンタイト部分中に分散しているため、軟化熱処理時に析出する未固溶炭化物の析出核となり、未固溶炭化物を微細に分散析出させる。これにより、スチールベルト用エレメントとして必要とされる耐摩耗性を高める効果を有する。しかし、Bの添加量を多くするとコストを増大させる。そこで、質量%で、Bは0.0005〜0.0050%の範囲内である。
【0069】
Tiは、Bよりも優先的にNと結合し、Ti窒化物となるためB窒化物の形成を抑制し、Bによる粒界強度及び耐摩耗性の向上に寄与する。Tiの添加量が少なすぎると、B窒化物の形成を十分に抑制できず、Bによる粒界強度の向上及び耐摩耗性の向上を得られない。一方、Tiの添加量を多くするとコストを増大させる。そこで、質量%で、Tiは0.01〜0.10%の範囲内である。
【0070】
次に、任意添加元素について説明する。任意添加元素については、上記した必須添加元素によるスチールベルト用エレメントとしての特性を損なわない範囲においてその上限値を定めた。
【0071】
Pは、結晶粒界の強度を低下させるが、一定の含有量以下であれば、この粒界強度の低下は軽微である。また、添加量の抑制は、精錬プロセスを延長させコストの増大原因にもなり得る。そこで、質量%で、Pは0.025%以下の範囲内である。
【0072】
Sは、Mnと結合しMnS介在物を生成するので、過剰に含有させると応力集中の起点となる介在物量を増加させてスチールベルト用エレメントとして必要とされる疲労強度の
低下を招く。しかし、一定の含有量以下であれば、疲労強度の低下は極めて軽微である。そこで、質量%で、Sは0.015%以下の範囲内である。
【0073】
更に、積極的な添加をせず、不可避的不純物として含有し得るMo及びVについて説明する。
【0074】
Moは、結晶粒界へのFilm状セメンタイトの生成を抑制する効果を持ち、添加することで靭性の更なる向上を期待できる。また、Moは焼入れ性を大幅に高める効果もある。しかし、Moの添加は、冷間打抜用鋼として必要とされる打ち抜き性の大幅な劣化とコストの増大を招く。また、上記した実施例により、スチールベルト用エレメントとして必要とされる特性を得るために、Moの添加は必ずしも必要としない。
【0075】
Vは、鋼中に微細なV炭化物を形成し、結晶粒を微細にさせるので、靭性及び耐摩耗性を向上させ得る。しかし、Vの添加は、コストを増大させる。また、上記した実施例により、スチールベルト用エレメントとして必要とされる特性を得るために、Vの添加は必ずしも必要としない。
【0076】
なお、上記した組成範囲における鋼のAc1変態点は714℃〜753℃であることから、軟化熱処理の保持温度は700℃〜780℃であることが好ましい。
【0077】
ここまで本発明による代表的実施例及びこれに基づく変形例について説明したが、本発明は必ずしもこれらに限定されるものではない。当業者であれば、添付した特許請求の範囲を逸脱することなく、種々の代替実施例及び改変例を見出すことができるだろう。
【符号の説明】
【0078】
10 摩耗試験装置
11 リング
13 摩耗試験片
21 微小亀裂
22 未固溶炭化物
23 母相

【特許請求の範囲】
【請求項1】
元素Mの質量%を[M]とすると、
10.8[C]+5.6[Si]+2.7[Mn]
+0.3[Cr]+7.8[Mo]+1.4[V]≦13
を満たす成分組成の鋼からなる冷間打抜用鋼であって、
質量%で、必須添加元素として、
Cを0.50から0.70%、
Siを0.03から0.60%、
Mnを0.50から1.00%、
Crを0.20から1.00%、
Tiを0.01から0.10%、及び、
Bを0.0005から0.0050%の範囲内、
任意添加元素として、
Pを0.025%以下、及び、
Sを0.015%以下の範囲内、
残部Fe及び不可避的不純物とした成分組成を有し、
オーステナイト単相温度域に加熱保持後、所定速度で冷却して、主として、フェライト+パーライト混合組織に微細炭化物を分散させた組織で88HRB以下の硬さを与えたことを特徴とする冷間打抜用鋼。
【請求項2】
断面組織において、円相当径で0.5μm以上の粗大炭化物を1mm四方当たり1.2×10個以下に抑制したことを特徴とする請求項1記載の冷間打抜用鋼。
【請求項3】
請求項1又は2に記載の冷間打抜用鋼を所定形状に冷間打ち抜きした後に焼き入れ焼き戻し熱処理を与えて640Hv以上の硬さを与えたことを特徴とするスチールベルト用エレメント。
【請求項4】
断面組織において、円相当径で0.5μm以上の粗大炭化物を1mm四方当たり1.3×10個以下に抑制したことを特徴とする請求項3記載のスチールベルト用エレメント。

【図1】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図10】
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【図11】
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【図12】
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【図13】
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【図2】
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【図3】
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【図8】
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【図9】
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【公開番号】特開2012−224896(P2012−224896A)
【公開日】平成24年11月15日(2012.11.15)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−92138(P2011−92138)
【出願日】平成23年4月18日(2011.4.18)
【出願人】(000005326)本田技研工業株式会社 (23,863)
【出願人】(000003713)大同特殊鋼株式会社 (916)
【Fターム(参考)】