説明

多層構造体

【課題】カーボンナノチューブのような特殊な材料を必要とせずに、アルカリ金属の潮解性の発現を抑止することにより、従来の限界を超えて仕事関数を低減した電子放出用の多層構造体を提供する。
【解決手段】多層構造体1は、金属酸化物基板2の表面に、該表面の金属原子をアルカリ金属原子が置換して成るか、または該表面にアルカリ金属原子が担持されて成る、少なくとも1原子層のアルカリ金属層3を備えている。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、仕事関数を低減して電子放出能力を高めた多層構造体に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、種々の分野において電子放出現象を利用した装置(素子)の開発が進められている。例えば、熱電子発電装置(Thermionic Energy Converter: TEC)は、金属中の自由電子が仕事関数以上の熱エネルギーを付与されると熱電子として金属の外部へ放出される現象を利用して、熱エネルギーを電気エネルギーに変換する発電装置である。その際、一次エネルギー(熱エネルギー)を二次エネルギー(電気エネルギー)へ直接変換するため高い発電効率が得られる上、可動部が不要なので静粛性が高くかつ機械的な損耗が発生せず、また小型・軽量で種々の形状を取り得る等の種々の利点がある。
【0003】
また電子放出現象を利用した装置のもう1つの代表例として、電界放出ディスプレー(Field Emission Display: FED)が注目されている。これは、固体表面に強い電界が印加されたときに、固体表面に閉じ込められていた電子が表面のポテンシャル障壁の低下によりトンネル効果で真空中に飛び出しやすくなる現象を利用したディスプレー装置である。この現象を生ずるためには固体表面に非常に大きな電圧をかけなくてはならないが、例えば先端を針のように尖らせた電極を用いて電圧印加面積を極小化することによりこれを可能としている。固体表面の極小領域から放出された電子を蛍光体の微小領域毎に衝突させて個々の画素(ピクセル)を発光させ、発光面全体として画像表示する。この点で原理的には電子銃(熱電子放出)を用いた従来のCRTと共通するため、液晶ディスプレーに比べて広視野で発色や応答速度が優れており、同時に、液晶ディスプレーと同等の薄型化が可能である。このようにFEDはCRTと液晶の長所を併せ持つ優れたディスプレーとして注目されている。
【0004】
現在、電子放出現象を利用した装置は実用化に向けて種々開発が進められているが、最も基本的な要件としては、高い電子放出効率を確保することであり、そのためには電子放出素子の仕事関数を低くすることが必要である。
【0005】
例えば、特許文献1には、窒化AlGaよりなるコンタクト層上にMo等の高融点金属層から成る電極を積層した半導体装置が開示されている。しかし、Mo等の高融点金属は概して仕事関数が大きいため(Moはφ=4.12eV)、高い電子放出効率を得ることができない。
【0006】
これまで知られている低仕事関数の材料としては、アルカリ金属やアルカリ土類金属のような単一元素から成る材料があるが(最小でφ≒2eV)、外囲雰囲気と反応し易く潮解性を示すため、安定した電子放出素子用の材料として用いることができなかった。
【0007】
更に、材質による仕事関数の低減の限界を材料の針状化により解決しようとすると、カーボンナノチューブのような特殊な材料を用いる必要がある。
【0008】
【特許文献1】特開平10−303407号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
本発明は、カーボンナノチューブのような特殊な材料を必要とせずに、アルカリ金属の潮解性の発現を抑止することにより、従来の限界を超えて仕事関数を低減した電子放出用の多層構造体を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0010】
上記の目的を達成するために、図1に示すように、本発明の多層構造体1は、金属酸化物基板2の表面に、該表面の金属原子をアルカリ金属原子が置換して成るか、または該表面にアルカリ金属原子が担持されて成る、少なくとも1原子層のアルカリ金属層3を備えている。
【0011】
すなわち、本発明の多層構造体1は、基板2/アルカリ金属層3の組成構成が、典型的には、置換の場合はM/Aとなり担持の場合はM/Aとなる。ここで、基板の金属酸化物Mの構成成分Mは1種または複数種の金属である。Aはアルカリ金属であり、単体または合金であってよい。
【発明の効果】
【0012】
本発明の多層構造体1は、金属酸化物Mから成る基板2の表面に、該表面の金属原子Mをアルカリ金属Aが置換して成るか、または該表面にアルカリ金属原子Aが担持されて成る、少なくとも1原子層のアルカリ金属Aから成る層3を備えている。アルカリ金属原子Aは本来の高い反応性による潮解性の発現が回避される。アルカリ金属原子Aの潮解性の発現が回避される理由として、アルカリ金属原子Aが基板の金属酸化物の酸素原子Oと結合していることが考えられる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0013】
本発明においては、上記作用効果を得るために、基板の金属酸化物はMgOまたはその複酸化物であることが望ましく、アルカリ金属はRbであることが望ましい。
【0014】
金属酸化物基板の表面に、アルカリ金属を少なくとも1原子層付与する方法として、イオン転写法、イオン注入法を用いることができる。
【0015】
〔実施形態1〕
図3に、本発明の望ましい形態により、金属酸化物基板としてのMgO基板の表面に、該表面1原子層の金属Mgをアルカリ金属としてのRbで置換した多層構造体の原子配列構造を模式的に示す。Rb原子は酸素Oと結合して固定される。
【0016】
〔実施形態2〕
図3に、本発明の望ましい形態により、金属酸化物基板としてのMgO基板の表面に、アルカリ金属としてのRbを1原子層担持させた多層構造体の原子配列構造を模式的に示す。基板表面ではMg原子とO原子の結合手のうち表面に露出した不安定な結合手があり、特にO原子の不安定結合手にRb原子が結合されて固定される。
【実施例】
【0017】
本発明による多層構造体のサンプルを下記の手順により作成した。
【0018】
<サンプル作成手順>
MgO単結晶(主面:100面。寸法10×10×1mm)の研磨面上に、炭酸ルビジウムRbCOの粒子を有機溶剤中に分散させた懸濁液を滴下し、乾燥後にArイオン照射を5kV、20分の条件で行なった。
【0019】
得られたサンプルについて、下記の方法により仕事関数φを求めた。
【0020】
<仕事関数φの求め方>
仕事関数の絶対値を計算できる方法として、第一原理バンド計算法がある。第一原理計算とは、物質の電子状態を、実験値を用いずに、基本的には原子番号のみを基にして求める方法である。実際にはシュレディンガー方程式を解いて波導関数を求める。このうちバンド計算とは、主に周期性のあるバルク結晶の電子状態を計算する方法である。周期境界条件のもとに結晶の対象性によって必要となる最小限の計算単位に対して、その電子状態(波導関数)を、数多くの異なる波長を持つ平面波の重ね合わせで表わす。計算単位に複数の原子層と、更に真空層を含めることによって表面の電子状態の計算を行なえるため、仕事関数の計算が可能となる。
【0021】
ここでは、第一原理バンド計算法の実行ソフトウェアとして、後述するABINITコードを用いた。このコードは、擬ポンテンシャルと局所密度近時を用いた平面波法を採用した密度汎関数法計算を実行する。計算セルのサイズは、基板層4層、吸着層1層、真空層10層(基板層の構成層間距離の10倍)に設定した。バンド計算の精度を決めるパラメータとして重要なものに平面波のカットオフエネルギーがある。これは平面波の波長をどれだけ短いものまで考慮するかを設定する。ここでは、代表的な金属の格子定数の実験値を再現する最低のカットオフエネルギーとして30Hartreeを選んだ。原子位置を固定して電子状態を求め、得られた真空準位とフェルミ準位との差を仕事関数φとし、φ=1.45eVを得た。MgO系の計算条件をまとめると下記のとおりであった。
【0022】
<MgO系の計算条件>
平面波カットオフエネルギー:30Hartree
格子定数:4.211Å
MgO層:4層
吸着層:1層(表層に1層吸着)
真空層:10層(MgO層間距離の10倍)
(MgとRbを置換する場合は真空層:12層)
<ABINITが採用している計算方法>
下記のシュレディンガー方程式を、電子の相関交換の表現に局所密度近似を用いる密度汎関数法で解く。
【0023】
〔(−1/2)▽+V(r)+Exc(r)〕Ψ=EΨ
ここで、各項は下記のとおりである。
【0024】
Ψ:波動関数(平面波:適当なカットオフエネルギーを設定(ここでは30Ha)
E:系のエネルギー
(−1/2)▽:運動エネルギー項
(Mgの元素の質量から電子の運動エネルギーを計算した)
V(r):ポテンシャルエネルギー項
(擬ポテンシャル法:外殻電子のみを考慮した1原子の電子ポテンシャル、ここではTroullier-Martins型擬ポテンシャルを使用(下記[2]による)、
xc(r):相関交換ポテンシャル項
(局所密度近似:一様な電子系として適切と考えられる関係式を局所的に適用して、電子密度の汎関数で種々の電子状態を表わす近似(下記[3]による)、
r:電子の座標、
なお、下記[1][2][3]のデータベースを用いている。
【0025】
[1] Computational Materials Science 25 (2002), 478-492
"First-principles computation of material properties: the ABINIT software project"
X. Gonze et al.
[2] Phys. Rev. B 58 (1998), 3641-3662
"Relativistic separable dual-space Gaussian pseudopotentials from H to Rn"
C. Hartwigsen, S. Goedecker, and J. Hutter
[3] Phys. Rev. B 23 (1981), 5048-5079
"Self-interaction correction to density-functional approximations for many-electron systems"
J. P. Perdew and A. Zunger
上記の方法により求めた仕事関数φ=1.45eVは、従来知られているアルカリ金属単体の仕事関数φの値である約2eVよりも更に低い値である。
【0026】
すなわち本発明によれば、仕事関数が最も低い材料とされてきた単体のアルカリ金属よりも更に低い低仕事関数が達成できる。
【産業上の利用可能性】
【0027】
本発明は、従来その潮解性のために用いることのできなかったアルカリ金属を金属酸化物基板表面に固定することにより潮解性の発現を抑止して、アルカリ金属単体と同等あるいはそれより更に低い低仕事関数を実現できる電子放出素子用の多層構造体を提供する。
【図面の簡単な説明】
【0028】
【図1】図1は、本発明の多層構造体を模式的に示す断面図である。
【図2】図2は、本発明の一実施形態により、金属酸化物基板の表面に、基板金属をアルカリ金属が置換して成るアルカリ金属層を備えた多層構造体の原子配列を示す模式図である。
【図3】図3は、本発明の他の実施形態により、金属酸化物基板の表面に、アルカリ金属が担持されて成るアルカリ金属層を備えた多層構造体の原子配列を示す模式図である。
【符号の説明】
【0029】
1 多層構造体
2 金属酸化物基板
3 アルカリ金属層

【特許請求の範囲】
【請求項1】
金属酸化物基板の表面に、該表面の金属原子をアルカリ金属原子が置換して成るか、または該表面にアルカリ金属原子が担持されて成る、少なくとも1原子層のアルカリ金属層を備えたことを特徴とする多層構造体。
【請求項2】
請求項1において、上記金属酸化物がMgOまたはその複酸化物であることを特徴とする多層構造体。
【請求項3】
請求項1または2において、上記アルカリ金属がRbであることを特徴とする多層構造体。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【公開番号】特開2007−260867(P2007−260867A)
【公開日】平成19年10月11日(2007.10.11)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−91393(P2006−91393)
【出願日】平成18年3月29日(2006.3.29)
【出願人】(000003207)トヨタ自動車株式会社 (59,920)
【出願人】(304021277)国立大学法人 名古屋工業大学 (784)
【出願人】(000003609)株式会社豊田中央研究所 (4,200)
【Fターム(参考)】