説明

微生物変異体の新規利用方法

【課題】 本発明の目的は、培養特性の変化を伴わずにS−アデノシルメチオニン(S-adenosylmethionine:以下、SAMという)を大量生産し得る微生物変異体及びその微生物変異体を培養し、SAMを効率的に生産する方法を提供することにある。
【解決手段】 ホスファチジルコリン合成系酵素の機能が消失もしくは低下した微生物を培養し、そこに蓄積したS−アデノシルメチオニンを回収することからなるS−アデノシルメチオニンを生産する方法。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、S−アデノシルメチオニン(S−adenosylmethionine:以下、SAMという)を大量に生産し得る微生物変異体およびその利用方法に関する。
【背景技術】
【0002】
SAMは、生体組織全体に存在し、ホルモン、神経伝達物質、リン脂質及びタンパク質の合成および代謝における様々なメチル化反応のメチル基供与体として機能する生理活性物質である。臨床的には、肝臓機能を高め、有害物質を体内から排出するのを助ける作用があり、従来から肝血症、高脂血症、動脈硬化症などに対する治療効果があることが知られている。また、神経伝達物質の生成にも関与し、近年ではうつ病、老人性痴呆症、関節炎の治療薬やサプリメントとしても使われている。
【0003】
現在、SAMの工業的生産は微生物培養によって行われており、主に酵母が使用されている。生産に使用される酵母は、過去の経験や研究からSAMを高蓄積することが知られている既存の菌株が使用されており、培地組成などの培養条件を検討することによりその生産性の向上が図られてきた。
【0004】
近年、SAMの有用性が明らかになるに従って需要が拡大し、さらに生産性の高いSAM蓄積株が求められている。しかし、効率的にSAM蓄積株を選抜する方法が無いため、既存のSAM生産株の中からさらに生産性が向上した変異株を取得することは非常に困難である。又、従来型の選抜育種法では飛躍的なSAMの高蓄積株を得る事には限界がある。
【0005】
一方、近年のバイオテクノロジーの進歩により、微生物の代謝経路や遺伝子の情報などが整備され、SAMの代謝、蓄積に関与する遺伝子を推定し、直接特定遺伝子を加工する事が可能となり、新たなアプローチで変異株を作製することが可能となった。
【0006】
上記アプローチでSAM高蓄積変異株の作製を行った例として、SAMの代謝経路の一部に関与する酵素であるシスタチオニンβ合成酵素をコードする遺伝子を変異させたCYS4遺伝子酵母変異体(特許文献1)やS−アデノシルホモシステイン分解酵素をコードする遺伝子を変異させたSAH1遺伝子酵母変異体がある(特許文献2)。しかしながら、これら変異体は変異による生育速度の低下が課題となっている。SAH1遺伝子変異体に限らず変異体全般において、変異により培養特性が変化し、結果的に培養時間の延長や特定の栄養成分を添加しなくてはならないケースは数多く見受けられる。
【特許文献1】特開2001−112474
【特許文献2】特開2005−261361
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
本発明の目的は、培養特性の変化を伴わずにSAMを大量生産し得る微生物変異体及びその利用方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明者らは、数多くあるSAMの関連酵素について鋭意研究した結果、SAMを消費する酵素の一つであるホスファチジルコリン生合成系酵素の機能を分子生物学的手法を用いて抑制する事で、細胞内外にSAMを高蓄積する変異体が作製できる事を見出し、本発明を完成した。
【0009】
すなわち、本発明は、
(1)ホスファチジルコリン合成系酵素の機能が消失もしくは低下した微生物を培養し、そこに蓄積したS−アデノシルメチオニンを回収することからなるS−アデノシルメチオニンを生産する方法、
(2)ホスファチジルコリン合成系酵素がホスファチジルエタノールアミンメチル基転移酵素および/またはN-メチルホスファチジルエタノールアミンメチル基転移酵素である前記(1)の方法、
(3)ホスファチジルコリン合成系酵素がホスファチジルエタノールアミンメチル基転移酵素である前記(1)の方法、
(4)微生物が酵母である前記(1)の方法、
(5)酵母がSaccharomyces cerevisiaeである前記(4)の方法、
(6)微生物がホスファチジルコリン合成系酵素をコードする遺伝子において、1個またはそれ以上の塩基が置換、欠失、挿入および/または付加した配列を有する変異体である前記(1)の方法、
(7)ホスファチジルコリン合成系酵素がホスファチジルエタノールアミンメチル基転移酵素である前記(6)の方法、
(8)変異体が、さらにシスタチオニンβ合成酵素および/またはエルゴステロール生合成系酵素をコードする遺伝子において、1個またはそれ以上の塩基が置換、欠失、挿入および/または付加した配列を有する変異体である前記(6)の方法、
(9)ホスファチジルコリン合成系酵素をコードする遺伝子において、1個またはそれ以上の塩基が置換、欠失、挿入および/または付加した配列を有し、該酵素機能が消失もしくは低下した微生物変異体、
(10)ホスファチジルコリン合成系酵素がホスファチジルエタノールアミンメチル基転移酵素である前記(9)の微生物変異体、並びに
(11)前記(10)の変異体であって、さらにシスタチオニンβ合成酵素および/またはエルゴステロール生合成系酵素をコードする遺伝子において、1個またはそれ以上の塩基が置換、欠失、挿入および/または付加した配列を有し、該酵素機能が消失もしくは低下した微生物変異体に関する。
【発明の効果】
【0010】
本発明の微生物変異体は、細胞内外にSAMを高濃度で蓄積するので、従来よりも効率的かつ大量にSAMを生産する事が可能となる。また、本変異体は、親株と比べ培養特性に違いが認められず、従来の培養条件を変更することなく効率的に生産を行うことが可能である。
【発明を実施するための最良の形態】
【0011】
本発明の一形態について説明するが、本発明はこれに限定されるものではない。
本発明の微生物変異体は、細胞内外でSAMを蓄積しうる微生物であって、ホスファチジルコリン生合成系酵素機能に関与する遺伝子に変異を有している微生物変異体である。
【0012】
ホスファチジルコリンは細胞膜を形成するリン脂質の一種であり、真核生物に普遍的に存在する重要な生体構成成分である。さらに、その生合成経路は真核生物全般に普遍的に保存されており、SAMの製造法で使用されている酵母においても同様の生合成経路を有していることが知られている。
【0013】
その生合成経路に関与する酵素としてホスファチジルコリン生合成系酵素がある。本酵素は、ホスファチジルエタノールアミンからホスファチジルコリンを合成する一連の反応を触媒する酵素で、具体的にはホスファチジルエタノールアミンのアミノ基をメチル化するホスファチジルエタノールアミンメチル基転移酵素、およびN-メチルホスファチジルエタノールアミンをホスファチジルコリンとなるように更にN-メチル化するN-メチルホスファチジルエタノールアミンメチル基転移酵素を指す。このメチル化反応においてSAMはメチル基供与体として関与する事が知られている(図1)。
【0014】
上記の生合成経路において、ホスファチジルコリン生合成系酵素をコードする遺伝子を変異させてその酵素機能を消失させれば、ホスファチジルエタノールアミンからホスファチジルコリンの生合成経路におけるSAMの消費が抑えられ、結果として菌体内外にSAMを蓄積する事できるとの仮説を立て、ホスファチジルコリン生合成系酵素をコードする遺伝子を変異させた酵母を作成した結果、該酵母が高濃度でSAMを蓄積することを見出した。即ち、本発明のホスファチジルコリン生合成系酵素に関する遺伝子の微生物変異体はSAMを高蓄積する。
【0015】
ホスファチジルコリン生合成系酵素をコードする遺伝子としては、ホスファチジルエタノールアミンメチル基転移酵素やN-メチルホスファチジルエタノールアミンメチル基転移酵素をコードする遺伝子が挙げられ、例えば、Saccharomyces cerevisiaeのホスファチジルエタノールアミンメチル基転移酵素遺伝子(Saccharomyces genome database登録番号:YGR157W)やN-メチルホスファチジルエタノールアミンメチル基転移酵素遺伝子(YJR073C)などが挙げられる
【0016】
ここでいう「変異体」とは、野生株もしくは親株と比較して、該酵素機能が消失もしくは低下した株のことを言う。具体的には、該当する酵素をコードする遺伝子において、1個またはそれ以上の塩基が置換、欠失、挿入および/または付加した配列へ変化する事により、正常な酵素タンパク質が形成できなくなった微生物が挙げられる。また、これと同等なものとして、該当する酵素をコードする遺伝子の発現が著しく低下したものが挙げられる。例を挙げると、発現制御領域の破壊や発現抑制領域の導入、または転写後発現制御(例えばRNAiなど)が導入され、結果として当該酵素機能が大幅に抑制されているものも、本発明における変異体に含まれる。
【0017】
さらに、本発明の微生物変異体のSAM蓄積能力を高めるために、ホスファチジルコリン生合成系酵素に加えてそれ以外のSAMに関連する酵素に変異を持った多重変異体にする事もできる。ホスファチジルコリン生合成系酵素以外のSAMに関連する酵素として、例えば、シスタチオニンβ合成酵素、S−アデノシルホモシステイン分解酵素、エルゴステロール生合成系酵素群などが挙げられる。
【0018】
シスタチオニンβ合成酵素とは、ホモシステインとセリンからシスタチオニンを合成する反応を触媒する酵素をいい、S−アデノシルホモシステイン分解酵素とは、S−アデノシルホモシステインからホモシステインを合成する反応を触媒する酵素をいう。図1で示されているように、これら酵素(CYS4及びSAH1)はSAMの代謝に関与しており、本酵素遺伝子の変異体ではSAMが蓄積する事が知られている。(特許文献1及び2)
【0019】
エルゴステロール生合成系酵素とは、エルゴステロールの生合成経路に関与している一連の酵素をいう。このエルゴステロール生合成系が欠損した変異株はSAMが蓄積する事が知られている。SAMはこの生合成経路のうちデモステロールからエルゴスタ-5,7,22,24(28) -テトラエン-3β-オールを合成する際のメチル基供与体として関与する(図1)。
【0020】
ここでいう「多重変異体」とは、一つの細胞において異なる複数の酵素機能が消失もしくは低下した株の事を意味する。しかし、SAMのような主要な生理活性物質の代謝系を完全に遮断すると通常生育に影響が生じる。例えば、実験室酵母においてSAM合成酵素であるSAM1及びSAM2の多重変異体は致死する事が知られている。この様に、多重変異体を作製する上で特定の代謝系を完全に遮断してしまわない事が生育(培養特性)への影響を最小限に抑えるために重要であり、異なる代謝系に由来する変異体を組み合わせる事が望ましい。よって、ホスファチジルコリン生合成系変異体における多重変異体作製の相手としては、シスタチオニンβ合成酵素のようなSAM代謝系やエルゴステロール系など異なる代謝系に関する変異体が望ましい。この事で生育への影響即ち培養特性の変化を最小限に抑える事ができる。
【0021】
目的の変異体を取得する方法は特に限定されないが、例えば、相同組換えを利用した方法がある。つまり、形質転換操作において、標的遺伝子と相同な配列を持ち、相同組換えを起こした後に各種変異を生じて酵素機能が欠損するようにデザインされたDNA配列を使用する事で、標的配列のみに変異を導入する方法である。これ以外にも、変異導入法は通常用いられる方法が利用可能であり、例えば、物理的方法としては、紫外線照射、放射線(例えばγ線)照射などがあり、化学的方法としては、例えば、亜硝酸、ナイトロジェンマスタード、アクリジン系色素、エチルメタンスルホン酸(EMS)、N−メチル−N’−ニトロ−N−ニトロソグアニジン(NTG)などの変異剤の溶液に菌体を懸濁させる方法などがあり、これらを適宜組み合わせて実施する事も可能である。
【0022】
目的の変異体を選抜する方法は特に限定されないが、効率のよい方法としては、上述の相同組換えを行なう際に用いるベクターに選抜マーカーを組み込む方法が挙げられる。選抜マーカーは既知のものを用いれば良く、例えば色素合成遺伝子、薬剤耐性遺伝子、致死遺伝子などを適した選抜条件下に置く事で、ベクター挿入された個体を選び出す事が可能となる。これ以外にも、遺伝子を直接調べる方法が挙げられる。具体的には、該酵素をコードする遺伝子配列における変異、欠失および/または挿入などによる変化をPCRやシークエンス解析などの方法で解析する事によって実施できる。又、これを具体的な形質として解析する事も可能であり、当該遺伝子のmRNAやタンパク質の発現を解析する方法、当該酵素機能活性を検定する方法、さらに当該酵素代謝産物量の変化を解析する方法なども用いる事が可能であり、これらは適宜組み合わせて実施する事も可能である。
【0023】
親株として用いる事のできる生物種としては、ホスファチジルコリン生合成能力を有する生物全般であるが、培養の容易さから微生物を用いる事が好ましい。具体的に例を挙げれば、酵母、糸状菌、担子菌などが挙げられる。中でも過去の研究からSAM蓄積能力が高いことが知られている酵母を用いる事が望ましい。
酵母とは、単細胞の真菌を示し、有胞子酵母、担子菌酵母、不完全酵母などが挙げられる。この中でも例えば、Saccharomyces属、Picha属、Hansenula属、Zygosaccharomyces属など有胞子酵母が望ましく、より望ましくはSaccharomyces cerevisiaeである。具体的には、実験室酵母、清酒酵母、焼酎酵母、ワイン酵母、ビール酵母、パン酵母などが含まれる。
【0024】
SAM生産については、本発明の微生物変異体を適切な培地で培養し、SAMを菌体内外に生産蓄積せしめ、適切な精製工程を経ることによって、高収率で生産することができる。
【0025】
本微生物変異体の培養については特に限定されることはない。培養条件としては親株に対して好適な条件を用いることが可能である。例えば、培養温度を25℃〜45℃、培養中のpHを5〜8に制御した好気的条件下で16〜120時間培養することができる。尚、pH調整には無機あるいは有機の酸性あるいはアルカリ性物質、更にアンモニアガス等を使用することができる。
【0026】
培地としては特に限定されることはないが、親株に対して好適な培地を用いる事が望ましい。培地は、微生物又は微生物変異体の生育に必要な炭素源、窒素源、無機イオンなどを含有することが望ましい。ここで、炭素源としては、例えば、グルコース、フルクトースなどの単糖、ショ糖や乳糖などの二糖、セルロースやスターチなどの多糖、エタノールや乳酸などの有機化合物、廃糖蜜などの粗精製原料なども用いることができる。窒素源としては、例えば、アンモニウム塩や硝酸塩などの無機塩類、アミノ酸やグルコサミンなどの含窒素有機化合物、酵母抽出物やペプトンなどの有機原料などを用いることができる。これらの基本成分に加え、培養工学の知見から好適な無機イオン塩、ビタミン、ミネラル、有機化合物、緩衝成分、消泡剤などを添加することができる。さらに望ましくは、メチオニン添加培地を使用することによって、更なるSAMの大量取得が可能となる。メチオニンの添加量としては0.01%以上であり、好ましくは0.05%以上、更に好ましくは0.1〜0.3%の範囲内である。
【0027】
培養後の培地からのSAMの抽出及び精製については、特に限定されることは無い。例えば、培養物からの菌体の回収については、遠心、沈殿、ろ過といった方法で実施することができる。例えば、酵母では遠心後にろ過することにより容易に回収が可能である。又、得られた菌体からのSAMの回収は、物理的破壊法(ホモジナイザー、カラズビーズ破砕、凍結融解など)や化学的破壊法(溶剤処理、酸、塩基処理、浸透圧処理、酵素処理など)によって行なうことができる。例えば、酵母では酸処理により容易にSAMは溶出し、回収できる。さらに、抽出したSAMの精製については、既存の精製方法(溶媒抽出、カラムクロマトグラフィー、塩沈降など)によって実施することができる。例えば、SAMは酸性のイオン交換クロマトグラフィーを用いる事で精製が可能であり、アセトン等の添加による塩沈降によっても精製することが可能である。これらの方法は、必要に応じて適宜組み合わせて実施することが可能である。
以下、本発明の具体的な実施例について述べるが、本発明はこれに限定されるものではない。
【0028】
実施例1 CHO2変異体によるSAMの生産
実験室酵母(Saccharomyces cerevisiae BY20592)を親株とし、そのホスファチジルエタノールアミンメチル基転移酵素遺伝子(以下、CHO2という)の破壊を行なった。なお、本試験で用いた実験室酵母株は全て酵母遺伝資源センターより入手した。
【0029】
(1)遺伝子破壊用ベクターの調製
標的遺伝子破壊用のベクターはタカラバイオ社製 pAUR135ベクターを利用して作製した。具体的には、pAUR135ベクターのEcoR I−Sma I制限酵素切断処理物と、CHO2の一部のPCR増幅物(実験室酵母BY2041のゲノムDNAを鋳型に、プライマーA、B(表1、配列番号1及び2)を用いたPCR反応によって増幅された配列)のEcoR I制限酵素切断処理物を混合し、T4DNAリガーゼでライゲーションして、CHO2破壊用ベクターを作製した。さらに、このベクターをクローニングするために大腸菌DH5αへ導入し、この大腸菌培養物から常法に従いプラスミド精製を行うことで、必要量の遺伝子破壊用ベクターを調製した。
【0030】
(2)酵母遺伝子の破壊
上記のベクターを用いて酵母遺伝子の破壊を行った。具体的には、親株として実験室酵母(Saccharomyces cerevisiae BY20592)を用い、酢酸リチウム法によって上記ベクターを導入し、形質転換を行った。次に、この形質転換酵母をYPD液体培地で一晩培養した後、0.5 μg/mlのオーレオバシジンA含有YPD固体培地に塗布し、生育してきたコロニーを得た。
上記コロニーよりかき取った少量の菌体をテンプレートとして、標的のゲノム配列にベクター配列が挿入されていることを確認するため、PCR反応を行った。つまり、ベクター挿入部位近傍のゲノム配列とpAUR135ベクター由来配列にアニールするプライマーを用いてPCR反応を行い、アガロースゲル電気泳動とエチジウムブロマイド染色によって目的の配列(1kbp)の増幅物が検出されるかを観察した。なお使用したプライマーは、CHO2変異体の確認にはプライマーC,D(表1、配列番号3及び4)を用いた。その結果、CHO2変異体では、約1Kbp付近にバンドを認め、ベクター配列が目的の遺伝子機能を破壊する位置に挿入されている事を確認した(図2)。
【0031】
(3)変異株によるSAMの生産
(2)で得たCHO2変異体を下記の条件で培養し、培養物を得た。すなわち、50mlの遠沈管に5mlのSAM発酵用培地(5%グルコース、1%ペプトン、0.5%イーストエキス、0.4%KH2PO4、0.2%K2HPO4、0.05%Mg2SO4・H2O、0.15%L-メチオニン、PH6.0)を加え、親株と変異株をそれぞれ接種し、28℃、72時間浸とう培養を行い、十分量の培養物を得た。
次に、これら培養物に蓄積されるSAMを以下のような方法で抽出し、定量した。すなわち、菌体を遠心にて沈降させ、上清を除いた後、10%過塩素酸を添加してSAMを抽出(室温、1時間)し、その上清をペーパークロマトグラフィー(展開溶媒 EtOH:n-BuOH:水:AcOH:1%NaP2O7=30:35:40:1:2)にて分離し、SAMスポットを切り出して抽出したものを分析用サンプルとした。
定量はHPLCを用いて260nmのUV吸収を指標に標準品との比較で行った。分析条件としては、使用装置:Waters 2690 Separation Module Waters 2487 Dual Absorbance Detectorシステム、使用カラム:Cosmosil packed column 5C18-MS(4.6i.d.×250mm)、溶出溶媒:5%メタノール-95%0.2M KH2PO4溶液、流速:1 ml/min、カラム温度:25℃であった。
その結果、培地当たりのSAM含量が親株に比べ、CHO2変異株は2.8倍菌体内に蓄積している事が明らかになった(図3)。
【0032】
実施例2 酵素機能消失、低下の確認
(1)遺伝子の変異による酵素機能消失の確認
実施例1で取得したCHO2変異体について、該酵素機能が消失もしくは低下しているかを確かめるため、リン脂質組成、特にホスファチジルコリン含量を測定し、親株と比較した。
各変異体をYPD培地(2%ペプトン、1%イーストエキス、2%グルコース)を用いて28℃で24時間振とう培養し、得られた菌体から総リン脂質を抽出し、シリカゲルの薄層クロマトグラフィー(以下、TLCという)にて組成を分析した。
具体的には、遠心操作で回収した菌体を、培地と等量の有機溶媒{CHCl3−MeOH(2:1)}を加えて1時間抽出し、有機溶媒の1/5量の水で2回洗浄した後、有機層を回収、乾固した。これをクロロホルムで再溶解したものを分析用サンプルとした。
次に、このサンプルをシリカゲルのTLC板上にスポットし、TLC法(展開溶媒:CHCl3−MeOH−AcOH (20:10:3))により分離を行い、5%リンモリブデン酸エタノール溶液に浸漬、加熱する事で出現する有機物スポットの組成変化を指標に、遺伝子破壊による酵素機能の消失を確認した。
その結果、変異による総リン脂質中のホスファチジルコリン量の低下と脂質組成の変化が観察され、ホスファチジルエタノールアミンからホスファチジルコリンに至る生合成経路に障害が生じている事が確認された(図4)。しかしながら、これら変異体のホスファチジルコリンは完全に消失せず、含量低下に留まっている。これは、今回用いた変異体のCHO2が触媒する経路以外にも、ホスファチジルコリン生合成経路が存在することが知られている事からも、説明できる。ただ、本変異体に微生物が恒常性を維持する上で不可欠なホスファチジルコリンの残存が認められたことは、変異体の正常な生育(培養特性)にとって有効である。
【0033】
(2)培養特性の確認
変異による培養特性の変化を確認する目的で、50mlの遠沈管に5mlの培地(SAM発酵培地とYPD培地)を加え、植菌後、28℃で48時間振とう培養を行い、OD600値を指標に培養特性を評価した。その結果、CHO2変異体は、親株と同じ培養特性を保持していることがわかった(図5)。
【0034】
実施例3 CHO2 CYS4二重変異体によるSAMの生産性向上
CHO2変異体はSAMを高蓄積して、かつ培養特性も変化しないと言う優れた形質を兼ね備えている。そこで、この様な優れた形質を維持したまま、更にCHO2変異体のSAM蓄積能力を向上させ得る変異体を開発するため、シスタチオニンβ合成酵素遺伝子(以下、CYS4という)の破壊を試みた。
【0035】
実施例1で作製したCHO2破壊用ベクターに挿入されているCHO2遺伝子の部分配列に対して、CDSに相当する配列でストップコドンが発生するように点突然変異を設計したプライマーE、F(表1、配列番号5及び6)を用いてCHO2破壊用ベクターの全長を増幅した。このPCR反応物をそのまま大腸菌DH5αへ形質転換し、目的の点突然変異が導入されたCHO2破壊用ベクターを保持した大腸菌を得た。この大腸菌培養物から常法に従いプラスミド精製を行い、必要量の点突然変異が導入されたCHO2破壊用ベクター(以下、CHO2変異導入ベクターという)を作製した。
上記のCHO2変異導入ベクターを用いて酵母ゲノムのCHO2遺伝子への変異導入を行った。具体的には、親株として実験室酵母(Saccharomyces cerevisiae BY20592)を用い、酢酸リチウム法によって上記ベクターを導入し、形質転換を行った。この形質転換酵母をYPD液体培地で一晩培養した後、0.5 μg/mlのオーレオバシジンA含有YPD固体培地に塗布し、生育してきたコロニーについて、導入ベクターがCHO2部位に挿入されている事をPCR法により確認した。
次に、そのコロニーをYP-Galactose固体培地(2%ペプトン、1%イーストエキス、2%ガラクトース、2%精製寒天)に塗布し、28℃で3日間培養した。ここで、pAUR135ベクターにはガラクトース誘導致死性があるため、生育してくるコロニーはベクター配列が脱落した復帰変異体であり、その中にはCHO2変異導入ベクターに導入したストップコドンがゲノムに導入された株が含まれる。そこで、CHO2にストップコドンが導入されたコロニー(以後、この株はベクター脱離型CHO2変異体という)のゲノムをシークエンスする事により選抜した。この株はベクター配列を含まないため、再度の形質転換が可能となり、以後の試験に供試した。
【0036】
次にCYS4破壊用のベクターを作製した。具体的には、pAUR135ベクターのKpn I−Sma I制限酵素切断処理物と、CYS4の一部のPCR増幅物(実験室酵母BY2041のゲノムDNAを鋳型に、プライマーG、H(表1、配列番号7及び8)を用いたPCR反応によって増幅された配列)のKpn I制限酵素切断処理物を混合し、T4DNAリガーゼでライゲーションして、CYS4破壊用ベクターを作製した。さらに、このベクターをクローニングするために大腸菌DH5αへ導入し、この大腸菌培養物から常法に従いプラスミド精製を行うことで、必要量の遺伝子破壊用ベクターを調製した。
上述のCYS4破壊用ベクターを用いて各遺伝子の破壊を行った。具体的には、親株としてベクター脱離型CHO2変異体を用い、酢酸リチウム法によって上記ベクターを各々導入し、形質転換を行った。この形質転換酵母をYPD液体培地で一晩培養した後、0.5μg/mlのオーレオバシジンA含有YPD固体培地に塗布し、生育してきたコロニーについて、標的のゲノム配列にベクター配列が挿入されていることを確認するためPCR反応を行なった。つまり、ベクター挿入部位近傍のゲノム配列とpAUR135ベクター由来配列にアニールするプライマーを用いてPCR反応を行った。同時にCHO2遺伝子の変異についても維持されている事を確認するために、変異箇所に特異的なプライマーを用いてPCR反応を行い、アガロースゲル電気泳動とエチジウムブロマイド染色によって、それぞれ目的の配列(約1kbp)の増幅物が検出されるかを観察した。尚、使用したプライマーは、CYS4遺伝子へのベクター挿入の確認にはプライマーC、I(表1、配列番号3及び9)を、CHO2変異の確認にはプライマーJ、K(表1、配列番号10及び11)を用いた。その結果、約1kbpにバンドを認め、ベクター配列が目的の遺伝子機能を破壊する位置に挿入されている事、およびCHO2遺伝子への変異が維持されている事を確認した(図6)。以下、この株をCHO2 CYS4二重変異体という。
【0037】
この様にして得られたCHO2 CYS4二重変異体について、前述の方法にてSAM含量の定量並びに培養特性を評価した結果、前記CHO2変異体に比べて1.2倍のSAMの収量向上が観察された(図7)。この事よりCHO2 CYS4二重変異体とする事によって、SAMの収量をさらに向上させる事が可能となった。
【0038】
実施例で使用するプライマーの配列を第1表に示す。
【0039】
【表1】

【図面の簡単な説明】
【0040】
【図1】酵母(Saccharomyces cerevisiae)におけるSAM関連代謝系と遺伝子の相関図
【図2】PCR反応により、標的ゲノム部位へのベクター配列の挿入を明らかにしたアガロースゲル電気泳動の写真
【図3】親株とCHO2変異体の培養物について、培地あたりのSAM含量に関するグラフ
【図4】親株とCHO2変異体の24時間培養物より抽出した総リン脂質の組成を分析したTLCプレートの写真
【図5】親株とCHO2変異体をそれぞれYPDとSAM発酵培地で72時間培養した時の生育曲線
【図6】PCR反応により、標的ゲノム部位へのベクター配列の挿入およびCHO2遺伝子の変異維持を明らかにしたアガロースゲル電気泳動の写真
【図7】親株とCHO2 CYS4二重変異体の培養物について、培地あたりのSAM含量に関するグラフ
【配列表フリーテキスト】
【0041】
SEQ ID NO: 1, Primer for amplification of CHO2 gene
SEQ ID NO: 2, Primer for amplification of CHO2 gene
SEQ ID NO: 3, Primer for amplification of pAUR135 vector
SEQ ID NO: 4, Primer for amplification of CHO2 gene
SEQ ID NO: 5, Mutagenic primer containing mutations for amplification of CHO2 gene
SEQ ID NO: 6, Mutagenic primer containing mutations for amplification of CHO2 gene
SEQ ID NO: 7, Primer for amplification of CYS4 gene
SEQ ID NO: 8, Primer for amplification of CYS4 gene
SEQ ID NO: 9, Primer for amplification of CYS4 gene
SEQ ID NO: 10, Primer for amplification of CHO2 gene mutations
SEQ ID NO: 11, Primer for amplification of CHO2 gene

【特許請求の範囲】
【請求項1】
ホスファチジルコリン合成系酵素の機能が消失もしくは低下した微生物を培養し、そこに蓄積したS−アデノシルメチオニンを回収することからなるS−アデノシルメチオニンを生産する方法。
【請求項2】
ホスファチジルコリン合成系酵素がホスファチジルエタノールアミンメチル基転移酵素および/またはN-メチルホスファチジルエタノールアミンメチル基転移酵素である請求項1に記載の方法。
【請求項3】
ホスファチジルコリン合成系酵素がホスファチジルエタノールアミンメチル基転移酵素である請求項1に記載の方法。
【請求項4】
微生物が酵母である請求項1に記載の方法。
【請求項5】
酵母がSaccharomyces cerevisiaeである請求項4に記載の方法。
【請求項6】
微生物がホスファチジルコリン合成系酵素をコードする遺伝子において、1個またはそれ以上の塩基が置換、欠失、挿入および/または付加した配列を有する変異体である請求項1に記載の方法。
【請求項7】
ホスファチジルコリン合成系酵素がホスファチジルエタノールアミンメチル基転移酵素である請求項6に記載の方法。
【請求項8】
変異体が、さらにシスタチオニンβ合成酵素および/またはエルゴステロール生合成系酵素をコードする遺伝子において、1個またはそれ以上の塩基が置換、欠失、挿入および/または付加した配列を有する変異体である請求項6に記載の方法。
【請求項9】
ホスファチジルコリン合成系酵素をコードする遺伝子において、1個またはそれ以上の塩基が置換、欠失、挿入および/または付加した配列を有し、該酵素機能が消失もしくは低下した微生物変異体。
【請求項10】
ホスファチジルコリン合成系酵素がホスファチジルエタノールアミンメチル基転移酵素である請求項9に記載の微生物変異体。
【請求項11】
請求項10に記載の変異体であって、さらにシスタチオニンβ合成酵素および/またはエルゴステロール生合成系酵素をコードする遺伝子において、1個またはそれ以上の塩基が置換、欠失、挿入および/または付加した配列を有し、該酵素機能が消失もしくは低下した微生物変異体。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【公開番号】特開2008−67693(P2008−67693A)
【公開日】平成20年3月27日(2008.3.27)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−201561(P2007−201561)
【出願日】平成19年8月2日(2007.8.2)
【出願人】(000000354)石原産業株式会社 (289)
【Fターム(参考)】