有機EL素子
【課題】有機ELディスプレイパネルの量産プロセスに耐え、かつ、優れたホール注入効率を実現し、低電圧駆動で高い発光効率を持つ有機EL素子を提供する。
【解決手段】基板10の片面に、陽極2、ホール注入層3、バッファ層4、発光層5、陰極6を順次積層して有機EL素子1を構成する。ホール注入層3の表面に、前記バッファ層4以上の構成を取り囲むようにバンク12を形成する。ホール注入層3は酸化タングステン薄膜をスパッタ成膜して形成する。このとき、酸化タングステンをその電子状態において、価電子帯で最も低い結合エネルギーよりも1.8〜3.6eV低い結合エネルギーの範囲内に占有準位を存在させるように成膜し、前記バッファ層対するホール注入障壁を低減する。
【解決手段】基板10の片面に、陽極2、ホール注入層3、バッファ層4、発光層5、陰極6を順次積層して有機EL素子1を構成する。ホール注入層3の表面に、前記バッファ層4以上の構成を取り囲むようにバンク12を形成する。ホール注入層3は酸化タングステン薄膜をスパッタ成膜して形成する。このとき、酸化タングステンをその電子状態において、価電子帯で最も低い結合エネルギーよりも1.8〜3.6eV低い結合エネルギーの範囲内に占有準位を存在させるように成膜し、前記バッファ層対するホール注入障壁を低減する。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、電気的発光素子である有機電界発光素子(以下「有機EL素子」と称する)に関し、特に、低輝度から光源用途等の高輝度まで幅広い輝度範囲を低電力で駆動するための技術に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、有機半導体を用いた各種機能素子の研究開発が進められている。
代表的な機能素子として、有機EL素子がある。有機EL素子は電流駆動型の発光素子であり、陽極および陰極とからなる一対の電極対の間に、有機材料を含んでなる機能層を設けた構成を有する。機能層には、発光層、バッファ層等が含まれる。機能層と陽極との間には、ホールを注入するためのホール注入層が配設されることがある。駆動には電極対間に電圧を印加し、陽極から機能層に注入されるホールと、陰極から機能層に注入される電子との再結合によって発生する、電界発光現象を利用する。自己発光を行うため視認性が高く、かつ、完全固体素子であるため耐衝撃性に優れるなどの特徴を有することから、各種表示装置における発光素子や光源としての利用が注目されている。
【0003】
有機EL素子は、使用する機能層材料の種類によって大きく2つの型に分類される。第一に、主として低分子材料を機能層材料とし、これを蒸着法などの真空プロセスで成膜してなる蒸着型有機EL素子である。第二に、高分子材料や薄膜形成性の良い低分子材料を機能層材料とし、これをインクジェット法やグラビア印刷法等のウェットプロセスで成膜してなる塗布型有機EL素子である。
【0004】
これまでは、発光材料の発光効率が高いことや駆動寿命が長い等の理由により、蒸着型有機EL素子の開発が先行しており(例えば、特許文献1、2参照)、すでに携帯電話用ディスプレイや小型テレビなどで実用化が始まっている。
蒸着型有機EL素子は、小型の有機ELパネル用途には好適であるが、例えば100インチ級のフルカラー大型有機ELパネルに適用することは非常に困難である。その要因は製造技術にある。蒸着型有機EL素子を用いて有機ELパネルを製造する場合、一般に発光層を色ごと(例えばR、G、B)に分けて成膜する際にはマスク蒸着法が用いられる。しかし、パネルが大面積になると、マスクとガラス基板の熱膨張係数の違い等により、マスクの位置合わせ精度を保つことが困難になるため、正常なディスプレイを作製することができない。これらを克服するために、白色の発光層材料を全面に使用し、RGBのカラーフィルタを設けて塗り分けを回避する方法があるが、この場合は取り出せる光が発光量の1/3になるため、原理的に消費電力が増大するという欠点がある。
【0005】
そこで、この有機ELパネルの大型化については、塗布型有機EL素子を用いて実現しようという試みが始まっている。前述したように、塗布型有機EL素子では、機能層材料をウェットプロセスによって作製する。このプロセスでは機能層を所定位置に塗り分ける際の位置精度が基本的に基板サイズに依存しないため、大型化に対する技術的障壁が低いというメリットがある。
【0006】
一方、有機EL素子の発光効率を向上させる研究開発も盛んに行われている。有機EL素子を効率よく、低消費電力かつ高輝度で発光させるためには、電極から機能層へキャリア(ホールおよび電子)を効率よく注入することが重要である。一般にキャリアを効率よく注入するためには、それぞれの電極と機能層との間に、注入の際のエネルギー障壁を低くするための注入層を設けるのが有効である。このうちホール注入層としては、銅フタロシアニンや酸化モリブデンをはじめとする蒸着膜や、PEDOTなどの塗布膜が用いられている。中でも酸化モリブデンを用いた有機EL素子においては、ホール注入効率の改善や寿命の改善が報告されている(例えば、特許文献3参照)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【特許文献1】特許3369615号公報
【特許文献2】特許3789991号公報
【特許文献3】特開2005−203339公報
【非特許文献】
【0008】
【非特許文献1】Jingze Li et al.、 Synthetic Metals 151、 141 (2005)
【非特許文献2】渡邊寛己 他、有機EL討論会第7回例会予稿集、17 (2008)
【非特許文献3】Hyunbok Lee et al.、 Applied Physics Letters 93、 043308 (2008)
【非特許文献4】小泉健二 他、第56回応用物理学関係連合講演会予稿集、30p−ZA−11(2009)
【非特許文献5】中山泰生 他、有機EL討論会第7回例会予稿集、5 (2008)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
しかしながら、上記した利点を有する塗布型有機EL素子を製造する場合でも、課題が存在する。
塗布型有機EL素子を用いて有機ELパネルを形成する場合、各有機EL素子が構成する所定の画素内に機能性材料の塗布溶液を的確に収めるために、画素間に隔壁(以下、バンクと称する)を配置する。このとき、バンクと塗布溶液との接触角は大きく、塗布面と塗布溶液との接触角は小さい必要がある。そこで、先に(塗布溶液との接触角が小さい)ホール注入層を成膜し、その後に、その形成工程にアルカリ溶液や水、有機溶媒等を必要とする、(塗布溶液との接触角が大きい)バンクを、ホール注入層の上に形成する。
【0010】
具体的にバンク形成工程では、一般的にフォトリソグラフィー法を用いる。例えば、ホール注入層表面に、感光性のレジスト材料からなるバンク材料を塗布し、プリベークした後、パターンマスクを用いて感光させ、未硬化の余分なバンク材料を、アルカリ溶液等で構成される現像液で洗い出し、最後に純水で洗浄する。
このように、バンク形成工程では幾つかの溶液を用いる。そのため、酸化モリブデンのように当該溶液に容易に溶解する材料、あるいは当該溶液により変質、分解を生じるような材料を、ホール注入層に用いることは困難である。ホール注入層の溶解、変質、分解等の問題が発生すれば、ホール注入層が本来有しているホール注入効率に支障を来たし、正常な有機EL素子の駆動が行えない原因となるほか、有機EL素子およびこれを用いた有機ELパネルの量産プロセスに耐えることが難しくなる。
【0011】
本発明は、以上の課題に鑑みてなされたものであって、ホール注入効率と、有機ELパネルの量産プロセスに対する安定性とを両立させるホール注入層を、有機EL素子に用いたものである。
すなわち、ホール注入層と機能層との間のホール注入障壁が低く、優れたホール注入効率を発揮し、これにより良好な低電圧駆動が期待できる有機EL素子であるとともに、当該ホール注入層は、バンク形成工程において溶解、変質、分解等に対する耐性を持ち、有機ELパネルの量産プロセスに耐えることができる有機EL素子を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0012】
上記課題を解決するために、本発明の一態様 は、陽極と、有機材料を含んでなる機能層との間に、当該機能層にホールを注入するためのホール注入層が介設された有機EL素子であって、当該ホール注入層は、酸化タングステンを含んで構成され、かつ、その電子状態において、価電子帯で最も低い(すなわち、価電子帯の上端が示す)結合エネルギーより1.8〜3.6eV低い結合エネルギー領域内に占有準位を有している構成とした。
【発明の効果】
【0013】
本発明の一態様の有機EL素子では、ホール注入層が酸化タングステンを含んで構成されている。さらに、このホール注入層は、その電子状態において、価電子帯で最も低い結合エネルギーより1.8〜3.6eV低い結合エネルギー領域内に占有準位を有するように構成されている。この占有準位が存在することで、ホール注入層と機能層との間のホール注入障壁を小さく抑えることができる。その結果、本発明の一態様の有機EL素子は、ホール注入効率が高く、低電圧で駆動できるとともに、優れた発光効率の発揮を期待することができる。
【0014】
また、本発明の一態様の有機EL素子では、ホール注入層を、化学的に安定な酸化タングステンで構成しているので、バンク形成工程において、アルカリ溶液や水、有機溶媒等によりホール注入層が溶解、変質、分解することが抑制される。したがって、素子完成後も、ホール注入層の形態およびホール注入効率を、良好に保持できる。これにより、有機ELパネルの量産プロセスに耐えることのできる有機EL素子の製造を行うことが可能となる。
【図面の簡単な説明】
【0015】
【図1】実施の形態に係る有機EL素子の構成を示す模式的な断面図である。
【図2】ホールオンリー素子の構成を示す模式的な断面図である。
【図3】ホール注入層の成膜条件に対するホールオンリー素子の駆動電圧の依存性を示すグラフである。
【図4】ホールオンリー素子の印加電圧と電流密度の関係曲線を示すデバイス特性図である。
【図5】作製した有機EL素子の印加電圧と電流密度の関係曲線を示すデバイス特性図である。
【図6】作製した有機EL素子の電流密度と発光強度の関係曲線を示すデバイス特性図である。
【図7】光電子分光測定用のサンプルの構成を示す模式的な断面図である。
【図8】酸化タングステンのUPSスペクトルを示す図である。
【図9】酸化タングステンのUPSスペクトルを示す図である。
【図10】図9のUPSスペクトルの微分曲線を示す図である。
【図11】大気曝露した酸化タングステンのUPSスペクトルを示す図である。
【図12】本発明の酸化タングステンのUPSスペクトルおよびXPSスペクトルを併せて示す図である。
【図13】酸化タングステンとα−NPDの界面エネルギーダイアグラムである。
【図14】ホール注入層と機能層の注入サイトの効果を説明するための図である。
【発明を実施するための形態】
【0016】
本発明の一態様である有機EL素子は、陽極と、有機材料を含んでなる機能層との間に、前記機能層にホールを注入するためのホール注入層が介設された有機EL素子であって、前記ホール注入層は、酸化タングステンを含んで構成され、かつ、その電子状態において、価電子帯で最も低い結合エネルギーより1.8〜3.6eV低い結合エネルギー領域内に占有準位を有している。
【0017】
また、前記占有準位の存在によって、前記ホール注入層と前記機能層との積層界面において、前記機能層の最高被占軌道の結合エネルギーが前記占有準位の結合エネルギーの近傍に位置づけられていてもよい。
また、前記ホール注入層と前記機能層との積層界面において、前記占有準位の結合エネルギーと前記機能層の最高被占軌道の結合エネルギーの差が±0.3eV以内でもよい。
【0018】
また、前記ホール注入層は、結合エネルギーと光電子強度あるいはその規格化強度との関係を表すUPSスペクトルにおいて、価電子帯で最も低い結合エネルギーより1.8〜3.6eV低い結合エネルギー領域内に、隆起した形状を有していてもよい。
また、前記ホール注入層は、結合エネルギーと光電子強度あるいはその規格化強度との関係を表すXPSスペクトルにおいて、価電子帯で最も低い結合エネルギーより1.8〜3.6eV低い結合エネルギー領域内に、隆起した形状を有していてもよい。
【0019】
また、前記ホール注入層は、結合エネルギーと光電子強度あるいはその規格化強度との関係を表すUPSスペクトルの微分スペクトルにおいて、価電子帯で最も低い結合エネルギーより2.0〜3.2eV低い結合エネルギー領域に渡り、指数関数とは異なる関数として表される形状を有していてもよい。
また、前記機能層は、アミン系材料を含んでいてもよい。
【0020】
また、前記機能層は、ホールを輸送するホール輸送層、注入されたホールと電子とが再結合することにより発光する発光層、光学特性の調整または電子ブロックの用途に用いられるバッファ層の少なくともいずれかであってもよい。
また、前記ホール注入層における前記占有準位は、価電子帯で最も低い結合エネルギーより2.0〜3.2eV低い結合エネルギー領域内に存在していてもよい。
【0021】
また、本発明の一態様である表示装置は、上記有機EL素子を備えていてもよい。
また、本発明の一態様である有機EL素子の製造方法は、陽極を準備する第1工程と、前記陽極に対して酸化タングステンを成膜する工程であって、前記酸化タングステン層を、アルゴンガスと酸素ガスにより構成されたガスをスパッタ装置のチャンバー内のガスとして用い、前記ガスの全圧が2.7Pa超7.0Pa以下であり、かつ、酸素ガス分圧の全圧に対する比が50%以上70%以下であって、さらにターゲット単位面積当たりの投入電力(投入電力密度)が1W/cm2以上2.8W/cm2以下となる成膜条件下で成膜する第2工程と、前記成膜された酸化タングステン層に対して、有機材料を含む機能層を形成する第3工程とを有する。
【0022】
また、本発明の一態様である有機EL素子の製造方法は、前記酸化タングステン層を、前記第2工程により、結合エネルギーと光電子強度あるいはその規格化強度との関係を表すUPSスペクトルが、価電子帯で最も低い結合エネルギーより1.8〜3.6eV低い結合エネルギー領域内に、隆起した形状を有するように成膜されていてもよい。
また、本発明の一態様である有機EL素子の製造方法は、前記酸化タングステン層を、前記第2工程により、結合エネルギーと光電子強度あるいはその規格化強度との関係を表すUPSスペクトルの微分スペクトルが、価電子帯で最も低い結合エネルギーより2.0〜3.2eV低い結合エネルギー領域に渡り、指数関数とは異なる関数として表される形状を有するように成膜されていてもよい。
【0023】
以下、本発明の実施の形態の有機EL素子を説明し、続いて本発明の各性能確認実験の結果と考察を述べる。
なお、各図面における部材縮尺は、実際のものとは異なる。
<実施の形態>
(有機EL素子の構成)
図1は、本実施の形態における有機EL素子1の構成を示す模式的な断面図である。
有機EL素子1は、機能層をウェットプロセスにより塗布して製造する塗布型であって、ホール注入層3と、所定の機能を有する有機材料を含んでなる各種機能層(ここではバッファ層4および発光層5)が互いに積層された状態で、陽極2および陰極6からなる電極対の間に介設された構成を有する。
【0024】
具体的には図1に示すように、有機EL素子1は、基板10の片側主面に対し、陽極2、ホール注入層3、バッファ層4、発光層5、陰極6(バリウム層6aおよびアルミニウム層6b)とを同順に積層して構成される。
陽極2は、厚さ50nmのITO薄膜で構成されている。
(ホール注入層)
ホール注入層3は、厚さ30nmの酸化タングステン薄膜(層)からなる。その組成式(WOx)において、xは概ね2<x<3の範囲における実数である。
【0025】
ホール注入層3はできるだけ酸化タングステンのみで構成されることが望ましいが、通常レベルで混入し得る程度に、極微量の不純物が含まれていてもよい。
ここで、当該ホール注入層3は特定の成膜条件で成膜されている。これにより、その電子状態において、価電子帯の上端、すなわち価電子帯で最も低い結合エネルギーよりも、1.8〜3.6eV低い結合エネルギー領域内に占有準位が存在している。以降、この占有準位を「フェルミ面近傍の占有準位」と称する。
【0026】
このフェルミ面近傍の占有準位が存在することで、ホール注入層3と機能層(ここではバッファ層4)との積層界面において、バッファ層4の最高被占軌道の結合エネルギーが、前記フェルミ面近傍の占有準位の結合エネルギーと、ほぼ等しくなる。
なお、ここで言う「ほぼ等しくなる」とは、ホール注入層3とバッファ層4との界面において、前記フェルミ面近傍の占有準位で最も低い結合エネルギーと、前記最高被占軌道で最も低い結合エネルギーとの差が、±0.3eV以内の範囲にあることを意味している。
【0027】
さらに、ここで言う「界面」とは、ホール注入層3の表面と、当該表面から0.3nm以内の距離におけるバッファ層4とを含む領域を指す。
また、前記フェルミ面近傍の占有準位は、ホール注入層3の全体に存在することが望ましいが、少なくともバッファ層4との界面に存在すればよい。
(バンク)
ホール注入層3の表面には、絶縁性の有機材料(例えばアクリル系樹脂、ポリイミド系樹脂、ノボラック型フェノール樹脂等)からなるバンク12が、一定の台形断面を持つストライプ構造または井桁構造をなすように形成される。各々のバンク12に区画されたホール注入層3の表面には、バッファ層4と、RGBのいずれかの色に対応する発光層5からなる機能層が形成されている。図1に示すように、有機EL素子1を有機ELパネルに適用する場合には、基板10上にRGBの各色に対応する一連の3つの素子1を1単位(画素、ピクセル)とし、これが複数単位にわたり並設される。
【0028】
なお、バンク12は本発明に必須の構成ではなく、有機EL素子1を単体で使用する場合等には不要である。
(バッファ層)
バッファ層4は、厚さ20nmのアミン系有機高分子であるTFB(poly(9、9−di−n−octylfluorene−alt−(1、4−phenylene−((4−sec−butylphenyl)imino)−1、4−phenylene))で構成される。
(発光層)
発光層5は、厚さ70nmの有機高分子であるF8BT(poly(9、9−di−n−octylfluorene−alt−benzothiadiazole))で構成される。しかしながら、発光層5はこの材料からなる構成に限定されず、公知の有機材料を含むように構成することが可能である。たとえば特開平5−163488号公報に記載のオキシノイド化合物、ペリレン化合物、クマリン化合物、アザクマリン化合物、オキサゾール化合物、オキサジアゾール化合物、ペリノン化合物、ピロロピロール化合物、ナフタレン化合物、アントラセン化合物、フルオレン化合物、フルオランテン化合物、テトラセン化合物、ピレン化合物、コロネン化合物、キノロン化合物およびアザキノロン化合物、ピラゾリン誘導体およびピラゾロン誘導体、ローダミン化合物、クリセン化合物、フェナントレン化合物、シクロペンタジエン化合物、スチルベン化合物、ジフェニルキノン化合物、スチリル化合物、ブタジエン化合物、ジシアノメチレンピラン化合物、ジシアノメチレンチオピラン化合物、フルオレセイン化合物、ピリリウム化合物、チアピリリウム化合物、セレナピリリウム化合物、テルロピリリウム化合物、芳香族アルダジエン化合物、オリゴフェニレン化合物、チオキサンテン化合物、アンスラセン化合物、シアニン化合物、アクリジン化合物、8−ヒドロキシキノリン化合物の金属鎖体、2−ビピリジン化合物の金属鎖体、シッフ塩とIII族金属との鎖体、オキシン金属鎖体、希土類鎖体等の蛍光物質等を挙げることができる。
(機能層)
本発明における機能層は、ホールを輸送するホール輸送層、注入されたホールと電子とが再結合することで発光する発光層、光学特性の調整または電子ブロックの用途に用いられるバッファ層等のいずれか、もしくはそれら2層以上の組み合わせ、または全ての層を指す。本発明はホール注入層を対象としているが、有機EL素子はホール注入層以外に上記したホール輸送層、発光層等のそれぞれ所要機能を果たす層が存在する。機能層とは、本発明の対象とするホール注入層以外の、有機EL素子に必要な層を指している。
(その他電極、基板等)
陰極6は、厚さ5nmのバリウム層6aと、厚さ100nmのアルミニウム層6bを積層して構成される。
【0029】
陽極2および陰極6には電源11が接続され、外部より有機EL素子1に給電されるようになっている。
基板10は、無アルカリガラス、ソーダガラス、無蛍光ガラス、燐酸系ガラス、硼酸系ガラス、石英、アクリル系樹脂、スチレン系樹脂、ポリカーボネート系樹脂、エポキシ系樹脂、ポリエチレン、ポリエステル、シリコーン系樹脂、またはアルミナ等の絶縁性材料のいずれかで形成することができる。
(有機EL素子の作用および効果)
以上の構成を持つ有機EL素子1では、ホール注入層3に前記フェルミ面近傍の占有準位が存在することにより、バッファ層4との間のホール注入障壁が小さくなっている。このため、駆動時に有機EL素子1に電圧を印加すると、ホール注入層3における前記フェルミ面近傍の占有準位から、バッファ層4の最高被占軌道に対して、低電圧で比較的スムーズにホールが注入され、すなわちホール注入効率が高い。
【0030】
なお、酸化タングステンをホール注入層として用いる例自体は、過去に報告されている(非特許文献1参照)。しかしながら、この報告で得られた最適なホール注入層の膜厚は0.5nm程度であり、電圧電流特性に及ぼす膜厚依存性も大きく、大型有機ELパネルを量産するだけの実用性は示されていない。さらに、ホール注入層に積極的にフェルミ面近傍の占有準位を形成することも示されていない。本発明は、化学的に比較的安定で、大型有機ELパネルの量産プロセスにも耐える酸化タングステンからなるホール注入層において、所定のフェルミ面近傍の占有準位を存在させ、これにより優れたホール注入効率を得、有機EL素子において低電圧駆動を実現した点で、従来技術と大きく異なるものである。
【0031】
次に、有機EL素子1の全体的な製造方法を例示する。
(有機EL素子の製造方法)
まず、基板10をスパッタ成膜装置のチャンバー内に載置する。そしてチャンバー内に所定のスパッタガスを導入し、反応性スパッタ法に基づき、厚さ50nmのITOからなる陽極2を成膜する。
【0032】
次に、ホール注入層3を成膜するが、反応性スパッタ法で成膜することが好適である。特に、大面積の成膜が必要な大型有機ELパネルに本発明を適用する場合には、蒸着法等で成膜すると、膜厚等にムラが生じるおそれがある。反応性スパッタ法で成膜すれば、このような成膜ムラの発生の回避は容易である。
具体的には、ターゲットを金属タングステンに交換し、反応性スパッタ法を実施する。スパッタガスとしてアルゴンガス、反応性ガスとして酸素ガスをチャンバー内に導入する。この状態で高電圧によりアルゴンをイオン化し、ターゲットに衝突させる。このとき、スパッタリング現象により放出された金属タングステンが酸素ガスと反応して酸化タングステンとなり、基板10の陽極2上に成膜される。
【0033】
なお、この成膜条件は後述するように、ガス圧(全圧)が2.7Pa超7.0Pa以下であり、かつ酸素ガス分圧の全圧に対する比が50%以上70%以下であって、さらにターゲット単位面積当たりの投入電力(投入電力密度)が1W/cm2以上2.8W/cm2以下となるように設定することが好適である。この工程を経ることで、価電子帯で最も低い結合エネルギーから1.8〜3.6eV低い結合エネルギー領域内に占有準位を持つホール注入層3が形成される。
【0034】
次に、バンク材料として、例えば感光性のレジスト材料、好ましくはフッ素系材料を含有するフォトレジスト材料を用意する。このバンク材料をホール注入層3上に一様に塗布し、プリベークした後、所定形状の開口部(形成すべきバンクのパターン)を持つマスクを重ねる。そして、マスクの上から感光させた後、未硬化の余分なバンク材料を現像液で洗い出す。最後に純水で洗浄することでバンク12が完成する。
【0035】
ここで、本実施の形態では、ホール注入層3がアルカリ溶液や水、有機溶媒等に対して耐性を持つ酸化タングステンで構成されている。したがって、バンク形成工程において、すでに形成されているホール注入層3が当該溶液や純水等に触れても、溶解、変質、分解等による損傷が抑制される。このようにホール注入層3の形態が維持されることによっても、有機EL素子1が完成した後には、当該ホール注入層3を介し、バッファ層4に効率よくホール注入を行うことができ、低電圧駆動を良好に実現できることとなる。
【0036】
続いて、隣接するバンク12の間に露出しているホール注入層3の表面に、例えばインクジェット法やグラビア印刷法によるウェットプロセスにより、アミン系有機分子材料を含む組成物インクを滴下し、溶媒を揮発除去させる。これによりバッファ層4が形成される。
次に、バッファ層4の表面に、同様の方法で、有機発光材料を含む組成物インクを滴下し、溶媒を揮発除去させる。これにより発光層5が形成される。
【0037】
なお、バッファ層4、発光層5の形成方法はこれに限定されず、インクジェット法やグラビア印刷法以外の方法、例えばディスペンサー法、ノズルコート法、スピンコート法、凹版印刷、凸版印刷等の公知の方法によりインクを滴下・塗布しても良い。
続いて、発光層5の表面に真空蒸着法でバリウム層6a、アルミニウム層6bを成膜する。これにより陰極6が形成される。
【0038】
なお、図1には図示しないが、有機EL素子1が大気に曝されるのを抑制する目的で、陰極6の表面にさらに封止層を設けるか、あるいは素子1全体を空間的に外部から隔離する封止缶を設けることができる。封止層は例えばSiN(窒化シリコン)、SiON(酸窒化シリコン)等の材料で形成でき、素子1を内部封止するように設ける。封止缶を用いる場合は、封止缶は例えば基板10と同様の材料で形成でき、水分などを吸着するゲッターを密閉空間内に設ける。
【0039】
以上の工程を経ることで、有機EL素子1が完成する。
<各種実験と考察>
(酸化タングステンの成膜条件について)
本実施の形態では、ホール注入層3を構成する酸化タングステンを所定の成膜条件で成膜することで、ホール注入層3に前記したフェルミ面近傍の占有準位を存在させ、ホール注入層3とバッファ層4との間のホール注入障壁を低減して、有機EL素子1を低電圧駆動できるようにしている。
【0040】
このような性能を得るための酸化タングステンの成膜方法としては、DCマグネトロンスパッタ装置を用い、ターゲットは金属タングステンとし、基板温度は制御せず、チャンバー内ガスはアルゴンガスと酸素ガスで構成し、ガス圧(全圧)が2.7Pa超7.0Pa以下であり、かつ酸素ガス分圧の全圧に対する比が50%以上70%以下であって、さらにターゲット単位面積当たりの投入電力(投入電力密度)が1W/cm2以上2.8W/cm2以下となる成膜条件に設定して、反応性スパッタ法で成膜することが好適であると考えられる。
【0041】
上記成膜条件の有効性は以下の諸実験で確認された。
まず、ホール注入層3からバッファ層4へのホール注入効率の、成膜条件依存性の評価を確実にするために、評価デバイスとしてホールオンリー素子を作製するものとした。
有機EL素子においては、電流を形成するキャリアはホールと電子の両方であり、したがって有機EL素子の電気特性には、ホール電流以外にも電子電流が反映されている。しかし、ホールオンリー素子では陰極からの電子の注入が阻害されるため、電子電流ほほとんど流れず、全電流はほぼホール電流のみから構成され、すなわちキャリアはほぼホールのみと見なせるため、ホール注入効率の評価に好適である。
【0042】
具体的に作製したホールオンリー素子は、図1の有機EL素子1における陰極6を、図2に示す陰極9のように金に置き換えたのものである。すなわち図2に示すように、基板10上に厚さ50nmのITO薄膜からなる陽極2を形成し、さらに陽極2上に厚さ30nmの酸化タングステンからなるホール注入層3、厚さ20nmのアミン系有機高分子であるTFBからなるバッファ層4、厚さ70nmの有機高分子であるF8BTからなる発光層5、厚さ100nmの金からなる陰極9を順次積層した構成とした。なお、評価デバイスのため、バンク12は省略した。
【0043】
この作製工程において、ホール注入層3は、DCマグネトロンスパッタ装置を用い、反応性スパッタ法で成膜した。チャンバー内ガスは、アルゴンガスおよび酸素ガスの少なくともいずれかから構成し、ターゲットは金属タングステンを用いた。基板温度は制御せず、アルゴンガス分圧、酸素ガス分圧、全圧は各ガスの流量で調節するものとした。成膜条件は以下の表1に示すように、全圧、酸素ガス分圧、および投入電力の各条件を変化させるものとし、これにより各成膜条件で成膜したホール注入層3を備えるホールオンリー素子1B(素子No.1〜14)を得た。なお、以降酸素ガス分圧は、全圧に対する比(%)で表す。
【0044】
【表1】
上記DCマグネトロンスパッタ装置の、投入電力と投入電力密度の関係を表2に示す。
【0045】
【表2】
作製した各ホールオンリー素子1Bを直流電源11に接続し、電圧を印加した。このときの印加電圧を変化させ、電圧値に応じて流れた電流値を素子の単位面積当たりの値(電流密度)に換算した。以降、「駆動電圧」とは、電流密度10mA/cm2のときの印加電圧とする。
【0046】
この駆動電圧が小さいほど、ホール注入層3のホール注入効率は高いと言える。なぜなら、各ホールオンリー素子1Bにおいて、ホール注入層3以外の各部位の作製方法は同一であるから、ホール注入層3を除く、隣接する2つの層の間のホール注入障壁は一定と考えられる。また、当該実験で用いた陰極2とホール注入層3は、オーミック接続をしていることが、別の実験により確認されている。したがって、ホール注入層3の成膜条件による駆動電圧の違いは、ホール注入層3からバッファ層4へのホール注入効率を強く反映したものになる。
【0047】
表3は、当該実験によって得られた、各ホールオンリー素子1Bの、全圧、酸素ガス分圧、投入電力の各成膜条件に対する、駆動電圧の値である。表3中、各ホールオンリー素子1Bの素子No.は囲み数字で示している。
【0048】
【表3】
また、図3の(a)〜(c)は、各ホールオンリー素子1Bの駆動電圧の成膜条件依存性をまとめたグラフである。図3(a)中の各点は、左から右に向かって、素子No.4、10、2の駆動電圧を表す。図3(b)中の各点は、左から右に向かって、素子No.13、10、1の駆動電圧を表す。さらに図3(c)中の各点は、左から右に向かって、素子No.14、2、8の駆動電圧を表す。
【0049】
なお当該実験では、全圧が2.7Paで酸素ガス分圧が100%の場合、全圧が4.8Paで酸素ガス分圧が30%の場合、全圧が4.8Paで酸素ガス分圧が70%の場合、全圧が4.8Paで酸素ガス分圧が100%の場合は、いずれもガス流量などのスパッタ装置の制約で成膜を行えなかった。
まず、駆動電圧の全圧依存性は、図3(a)からわかるように、酸素ガス分圧50%、投入電力500Wの条件下では、少なくとも全圧が2.7Pa超4.8Pa以下の範囲において、駆動電圧の明確な低減が確認できた。この傾向は、少なくとも全圧が7.0Pa以下の範囲まで続くことが別の実験により分かった。したがって、全圧は2.7Pa超7.0Pa以下の範囲に設定することが望ましいと言える。
【0050】
次に、駆動電圧の酸素ガス分圧依存性は、図3(b)からわかるように、全圧2.7Pa、投入電力500Wの条件下では、少なくとも酸素ガス分圧が50%以上70%以下の範囲において、酸素ガス分圧の上昇とともに駆動電圧の低下が確認できた。ただし、これ以上に酸素ガス分圧が上昇すると、別の実験により逆に駆動電圧の上昇が確認された。したがって、酸素ガス分圧は50%以上で上限を70%程度に抑えることが望ましいと言える。
【0051】
次に、駆動電圧の投入電力依存性は、図3(c)からわかるように、全圧4.8Pa、酸素ガス分圧50%の条件下では、投入電力が500W超で、急激に駆動電圧が上昇することが確認された。したがって、投入電力は500W以下に抑えるのが望ましいと考えられる。なお、表3の素子No.1、3を見ると、投入電力が500Wであっても、全圧が2.7Pa以下であれば、駆動電圧が上昇するという結果が確認できる。
【0052】
次に、各ホールオンリー素子1Bのうち、代表して素子No.14、1、7の電流密度―印加電圧曲線を図4に示した。図中縦軸は電流密度(mA/cm2)、横軸は印加電圧(V)である。素子No.14は、上記した全圧、酸素ガス分圧、投入電力の望ましい条件をすべて満たしている。一方、素子No.1、7は、上記望ましい条件を一部満たしていない。
【0053】
ここで、以降の説明のために、ホール注入層3(および後述の酸化タングステン層8)の成膜条件に関しては、素子No.14の成膜条件を成膜条件A、素子No.1の成膜条件を成膜条件B、素子No.7の成膜条件を成膜条件Cと呼ぶことにする。また、それに倣い、図4および表3では、素子No.14をHOD−A、素子No.1をHOD−B、素子No.7をHOD−Cとも記述した。
【0054】
図4に示されるように、HOD−AはHOD−B、HOD−Cと比較して、最も電流密度―印加電圧曲線の立ち上がりが早く、また最も低い印加電圧で高い電流密度が得られている。すなわち、HOD−AはHOD−B、HOD−Cと比較し、ホール注入効率が優れていることが明快である。なお、HOD−Aは、各ホールオンリー素子1Bの中で最も駆動電圧が低い素子である。
【0055】
以上は、ホールオンリー素子1Bにおけるホール注入層3のホール注入効率に関する検証であったが、ホールオンリー素子1Bは、陰極以外はまったく図1の有機EL素子1と同一の構成である。したがって、有機EL素子1においても、ホール注入層3からバッファ層4へのホール注入効率の成膜条件依存性は、本質的にホールオンリー素子1Bと同じである。このことを確認するために、成膜条件A、B、Cのホール注入層3を用いた各有機EL素子1を作製した。
【0056】
具体的に作製した各有機EL素子1は、図1に示すように、基板10上に厚さ50nmのITO薄膜からなる陽極2を形成し、さらに陽極2上に厚さ30nmの酸化タングステンからなるホール注入層3、厚さ20nmのアミン系有機高分子であるTFBからなるバッファ層4、厚さ70nmの有機高分子であるF8BTからなる発光層5、厚さ5nmのバリウムおよび厚さ100nmのアルミニウムからなる陰極6を順次積層した構成とした。なお、評価デバイスのため、バンク12は省略した。
【0057】
作製した成膜条件A、B、Cの各有機EL素子1を直流電源11に接続し、電圧を印加した。このときの印加電圧と、各々の電圧値に応じて流れた電流値について、素子の単位面積当たりの値に換算したときの関係を表す、電流密度―印加電圧曲線を図5に示した。図中縦軸は電流密度(mA/cm2)、横軸は印加電圧(V)である。
なお、以降の説明のために、図5では、成膜条件Aの有機EL素子1をBPD−A、成膜条件Bの有機EL素子1をBPD−B、成膜条件Cの有機EL素子1をBPD−Cと記述した。
【0058】
図5に示されるように、BPD−AはBPD−B、BPD−Cと比較して、最も電流密度―印加電圧曲線の立ち上がりが早く、また最も低い印加電圧で高い電流密度が得られている。これは、それぞれ同じ成膜条件のホールオンリー素子であるHOD−A、HOD−B、HOD−Cと同様の傾向である。
さらに、上記作製した各有機EL素子1について、電流密度の変化に応じた発光強度の関係を表す、発光強度―電流密度曲線を図6に示した。図中、縦軸は発光強度(cd/A)、横軸は電流密度(mA/cm2)である。この図6によれば、少なくとも測定した電流密度の範囲では、BPD−Aが最も発光強度が高いことが確認された。
【0059】
以上の結果により、ホール注入層3のホール注入効率の成膜条件依存性が、有機EL素子1においても、ホールオンリー素子1Bの場合と同様に作用していることが確認された。すなわち、当該実験の有機EL素子1において、ホール注入層3を構成する酸化タングステンを、DCマグネトロンスパッタ装置を用い、ターゲットは金属タングステンとし、基板温度は制御せず、チャンバー内ガスはアルゴンガスと酸素ガスで構成し、全圧が2.7Pa超7.0Pa以下であり、かつ酸素ガス分圧の全圧に対する比が50%以上70%以下であって、さらに投入電力密度が1W/cm2以上2.8W/cm2以下となる成膜条件下で、反応性スパッタ法で成膜すると、ホール注入層3からバッファ層4へのホール注入効率が良く、それにより優れた低電圧駆動と高い発光効率が実現されることが確認された。
【0060】
なお、上記においては、投入電力の条件は、表2をもとに改めて投入電力密度で表した。本実験で用いたDCマグネトロンスパッタ装置とは異なるDCマグネトロンスパッタ装置を用いる場合は、ターゲットのサイズに合わせて、投入電力密度が上記条件になるように投入電力を調節することにより、本実験と同様に、優れたホール注入効率の酸化タングステンからなるホール注入層3を得ることが出来る。なお、全圧、酸素分圧については、装置やターゲットのサイズに依存しない。
【0061】
また、ホール注入層3の反応性スパッタ法による成膜時は、室温環境下に配置されるスパッタ装置において、基板温度を意図的には設定していない。したがって、少なくとも成膜前は基板温度は室温である。ただし、成膜中に基板温度は数10℃程度上昇する可能性がある。
なお、成膜条件Aでホール注入層3を作製した有機EL素子1が、本実施の形態の有機EL素子1であり、前記したフェルミ面近傍の占有準位を持つ。これについては、以降で考察する。
(ホール注入層の電子状態について)
本実施の形態の有機EL素子1のホール注入層3を構成する酸化タングステンには、前記フェルミ面近傍の占有準位が存在している。このフェルミ面近傍の占有準位は、先の実験で示した成膜条件の調整により形成されるものである。詳細を以下に述べる。
【0062】
前述の成膜条件A、B、Cで成膜した酸化タングステンにおける、前記フェルミ面近傍の占有準位の存在を確認する実験を行った。
各成膜条件で、光電子分光測定用のサンプルを作製した。当該サンプルの構成としては、図7に示す1Aのように、導電性シリコン基板7の上に、厚さ10nmの酸化タングステン層8(ホール注入層3に該当する)を、前記の反応性スパッタ法により成膜した。以降、成膜条件Aのサンプル1AをサンプルA、成膜条件Bのサンプル1AをサンプルB、成膜条件Cのサンプル1AをサンプルCと記述する。
【0063】
サンプルA、B、Cは、いずれもスパッタ装置内において酸化タングステン層8を成膜した後、当該スパッタ装置に連結され窒素ガスが充填されたグローブボックス内に移送し、大気曝露しない状態を保った。そして、当該グローブボックス内でトランスファーベッセルに封入し、光電子分光装置に装着した。これにより、酸化タングステン層8を成膜後に大気曝露することなく、紫外光電子分光(UPS)測定を実施した。
【0064】
ここで、一般にUPSスペクトルは、測定対象物の表面から深さ数nmまでにおける、価電子帯などの占有準位の状態を反映したものになる。そこで本実験では、UPSを用いて酸化タングステン層8の表層における占有準位の状態を観察するものとした。
UPS測定条件は以下の通りである。なお、サンプルA、B、Cでは導電性シリコン基板7を用いたため、測定中チャージアップは発生しなかった。測定点間隔は0.05eVとした。
【0065】
光源 :He I線
バイアス:なし
出射角 :基板法線方向
図8に、サンプルAの酸化タングステン層8のUPSスペクトルを示す。横軸の結合エネルギーの原点は基板7のフェルミ面とし、左方向を正の向きとした。
【0066】
以下、図8を用いて、酸化タングステン層8の各占有準位について説明する。
一般に酸化タングステンが示すUPSスペクトルにおいて、最も大きく急峻な立ち上がりは一意に定まる。この立ち上がりの変曲点を通る接線を線(i)、その横軸との交点を点(iii)とする。これにより、酸化タングステンのUPSスペクトルは、点(iii)から高結合エネルギー側に位置する領域(ア)と、低結合エネルギー側(すなわちフェルミ面側)に位置する領域(イ)に分けられる。
【0067】
ここで、以下の表4に示した酸化タングステン層8の組成比によれば、サンプルA、B、Cとも、タングステン原子と酸素原子の数の比率がほぼ1:3である。なお、この組成比は、X線光電子分光(XPS)により求めた。具体的には、当該光電子分光装置を用い、前記UPS測定と同様に、酸化タングステン層8を大気曝露することなくXPS測定し、酸化タングステン層8の表面から深さ数nmまでにおけるタングステンと酸素の組成比を見積もった。なお、表4には、酸化タングステン層8の成膜条件も併記してある。
【0068】
【表4】
この組成比から、サンプルA、B、Cのいずれにおいても、酸化タングステン層8は少なくとも表面から深さ数nm以内の範囲において、三酸化タングステンを基本とする原子配置、つまり酸素原子がタングステン原子に対し8面体配位で結合した、歪んだルチル構造(8面体が互いに頂点の酸素原子を共有する構造)を基本構造に持つと考えられる。したがって、図8における領域(ア)は、三酸化タングステン結晶、あるいはその結晶の秩序が乱れた(ただし結合は切れておらず、上記基本構造が保たれている)非晶質が持つ、上記基本構造に由来する占有準位であり、いわゆる価電子帯に対応する領域である。なお、本願発明者は酸化タングステン層8のX線吸収微細構造(XAFS)測定を行い、サンプルA、B、Cのいずれにおいても、上記基本構造が形成されていることを確認した。
【0069】
したがって、図8における領域(イ)は、価電子帯と伝導帯の間のバンドギャップに対応するが、本UPSスペクトルが示すように、酸化タングステンにはこの領域にも、価電子帯とは別の占有準位が存在することがあることが知られている。これは上記基本構造とは異なる別の構造に由来する準位であり、いわゆるバンドギャップ間準位(in−gap stateあるいはgap state)である。
【0070】
続いて図9に、サンプルA、B、Cにおける各酸化タングステン層8の、領域(イ)におけるUPSスペクトルを示す。図9に示すスペクトルの強度は、図8における点(iii)よりも3〜4eVほど高結合エネルギー側に位置するピーク(ii)のピークトップの値で規格化した。図9にも図8の点(iii)と同じ横軸位置に点(iii)を示している。横軸は点(iii)を基準とした相対値(相対結合エネルギー)として表し、左から右(フェルミ面側)に向かって結合エネルギーが低くなるように示している。
【0071】
図9に示されるように、サンプルAの酸化タングステン層8では、点(iii)からおおよそ3.6eV低い結合エネルギーの位置から、点(iii)からおおよそ1.8eV低い結合エネルギーの位置までの領域に、ピークの存在が確認できる。このピークの明瞭な立ち上がり位置を図中に点(iv)で示した。このようなピークは、サンプルB、Cでは確認できない。
【0072】
本発明はこのように、UPSスペクトルにおいて点(iii)から1.8〜3.6eV程度低い結合エネルギーの領域内に隆起(ピークとは限らない)した構造を持つ酸化タングステンを、ホール注入層として用いることにより、有機EL素子において優れたホール注入効率が発揮できるようになっている。
ここで、当該隆起の程度が急峻であるほど、ホール注入効率が高くなることが分かっている。したがって、図9に示すように、点(iii)から2.0〜3.2eV程度低い結合エネルギーの領域は、比較的当該隆起構造を確認しやすく、かつ、その隆起が比較的急峻である領域として、特に重要であると言える。
【0073】
なお、以降、UPSスペクトルにおける当該隆起構造を、「フェルミ面近傍の隆起構造」と称する。このフェルミ面近傍の隆起構造に対応する占有準位が、前記した「フェルミ面近傍の占有準位」である。
次に、上記フェルミ面近傍の隆起構造をより明確にするために、図9に示したサンプルA、B、CのUPSスペクトルにおける規格化強度の微分を計算した。
【0074】
具体的には、グラフ解析ソフトウェアIGOR Pro 6.0を用い、図9に示すUPSスペクトルについて2項スムージング(スムージングファクターは1とした)を11回行い、その後に中心差分法による微分処理を行った。これはUPS測定時のバックグラウンドノイズなどのばらつき要因を平滑化し、微分曲線をスムーズにし、下記の議論を明快にするためである。
【0075】
この処理により得られた微分曲線を図10に示した。図10中の点(iii)、(iv)は図9と同一の横軸位置である。
図10に示す微分曲線によれば、サンプルB、Cの酸化タングステン層8では、光電子分光装置で測定可能な結合エネルギーから点(iv)に至るまでの領域(v)においては、微分値は0付近をほぼ前後するのみであり、さらに点(iv)から高結合エネルギー側におおよそ1.2eVまでの領域(vi)では、微分値は高結合エネルギー側に向かって、ほぼその増加率を増しながら漸増していくのみである。そして、この領域(v)、(vi)におけるサンプルB、Cの各微分曲線の形状は、当該各微分曲線の元である図9に示したサンプルB、CのUPSスペクトルとほぼ相似である。したがって、サンプルB、Cの領域(v)、(vi)におけるUPSスペクトルとその微分曲線の形状は、指数関数的な形状であると言える。
【0076】
一方、サンプルAの酸化タングステン層8では、点(iv)付近から点(iii)に向かって急な立ち上がりを見せており、領域(v)、(vi)における微分曲線の形状は指数関数的な曲線の形状とは明らかに異なっている。このようなサンプルAについては、図9の微分前のスペクトルにおいても、点(iv)付近から隆起し始め、また指数関数的なスペクトル形状とは異なる、フェルミ面近傍の隆起構造を持つことが確認できる。
このようなサンプルAの特性は、言い換えると、価電子帯で最も低い結合エネルギーよりおおよそ1.8〜3.6eV低い範囲内にフェルミ面近傍の占有準位が存在し、特に、価電子帯で最も低い結合エネルギーよりおおよそ2.0〜3.2eV低い範囲内にて、対応するフェルミ面近傍の隆起構造が、UPSスペクトルで明瞭に確認できるものである。
【0077】
次に、成膜後大気曝露せずに図9のUPSスペクトルを測定したサンプルA、B、Cの酸化タングステン層8に対し、常温にて大気曝露を1時間行った。そして、再びUPS測定を行い、これによるスペクトルの変化を確認した。その前記領域(イ)におけるUPSスペクトルを図11に示す。横軸の取り方は図9と同様であり、図中の点(iii)、(iv)は図9と同一の横軸位置である。
【0078】
図11に示したUPSスペクトルによれば、サンプルB、Cの酸化タングステン層8では、大気曝露前と同様にフェルミ面近傍の隆起構造は存在しない。これに対し、サンプルAの酸化タングステン層8では、大気曝露後には強度やスペクトル形状に変化はみられるものの、依然としてフェルミ面近傍の隆起構造が存在することが確認できる。これにより、サンプルAについては、一定時間大気曝露を行っても、大気曝露前の特性が維持でき、周辺雰囲気に対して一定の安定性を有することがわかる。
【0079】
以上では、サンプルA、B、Cについて測定したUPSスペクトルに対して議論を行ったが、上記フェルミ面近傍の隆起構造は、XPSや硬X線光電子分光測定でも同様に確認することができる。
図12は、サンプルAの酸化タングステン層8の、前記大気曝露後のXPSスペクトルである。なお、比較のため、サンプルAの酸化タングステン層8のUPSスペクトル(図8と同一のもの)を重ね書きした。
【0080】
XPS測定条件は、光源がAl Kα線であること以外は、前述のUPS測定条件と同様である。図12において、図中の点(iii)は図8と同一の横軸位置であり、横軸は図9と同様に、点(iii)を基準とした相対結合エネルギーで示している。また、XPSスペクトルにおける図8の(i)に該当する線を、図12中で(i)’で示した。
図12に示すように、サンプルAの酸化タングステン層8におけるフェルミ面近傍の隆起構造は、XPSスペクトルにおいても、UPSスペクトルの場合と同様に、価電子帯で最も低い結合エネルギーよりもおおよそ1.8〜3.6eV低い範囲内にて、相当の大きさの隆起構造として、存在を明確に確認することができる。なお、別の実験により、硬X線光電子分光でも同様にフェルミ面近傍の隆起構造が確認できた。
【0081】
なお、上記測定においては、光電子分光測定用のサンプルとして、図1に示す有機EL素子1の構造とは別に、導電性シリコン基板7の上に酸化タングステン層8を形成してなるサンプル1A(図7)を用いた。これは単に、測定中のチャージアップを防ぐための措置であり、本発明の有機EL素子の構造を当該構成に限定するものではない。
本願発明者が行った別の実験によれば、図1に示す有機EL素子1の構成(基板10の片面にITOからなる陽極2、および酸化タングステンからなるホール注入層3を、順次形成した構成)を有するサンプルを用い、UPS、XPS測定を行った場合は、測定中にチャージアップが発生した。
【0082】
しかしながら、チャージアップをキャンセルする中和銃を併用すれば、ホール注入層3の各占有準位の示す結合エネルギーの絶対値(例えば、光電子分光装置自体のフェルミ面を原点とするときの結合エネルギーの値)は、サンプル1Aの酸化タングステン層8のものとは異なることがあるものの、少なくともバンドギャップから価電子帯で最も低い結合エネルギーに至る範囲においては、サンプル1Aと同様の形状のスペクトルが得られている。
(ホール注入効率に関する考察)
酸化タングステンからなるホール注入層において、UPSスペクトル等でフェルミ面近傍の隆起構造として確認できるフェルミ面近傍の占有準位が、ホール注入効率に作用する原理は、以下のように考えることができる。
【0083】
酸化タングステンの薄膜や結晶に見られる、前記フェルミ面近傍の占有準位は、酸素欠陥やその類似の構造に由来することが、実験および第一原理計算の結果から多数報告されている。
具体的には、酸素原子の欠乏により形成される隣接したタングステン原子の5d軌道同士の結合軌道や、酸素原子に終端されることなく膜表面や膜内に存在するタングステン原子単体の5d軌道に由来するものと推測されている。これらの5d軌道は、半占あるいは非占状態であれば、有機分子と接触したとき、相互のエネルギー安定化のために、有機分子の最高被占軌道から電子を引き抜くことが可能であると推測される。
【0084】
実際、酸化タングステンと、触媒作用やエレクトロクロミズム、フォトクロミズムなど、多くの共通した物性を持つ酸化モリブデンにおいては、その薄膜上に有機低分子のα−NPDを積層すると、α−NPD分子から酸化モリブデン薄膜に電子が移動するとの報告がある(非特許文献2参照)。
なお、本願発明者は、酸化タングステンにおいては、隣接したタングステン原子の5d軌道同士の結合軌道よりも結合エネルギーが低い、タングステン原子単体の半占5d軌道あるいはそれに類似した構造が、フェルミ面近傍の占有準位に該当するものと考える。
【0085】
図13は、本発明のフェルミ面近傍の占有準位を持つ酸化タングステン層と、α−NPD層との界面における、エネルギーダイアグラムである。
図13中では、まず、当該酸化タングステン層(ホール注入層に該当する)における、価電子帯で最も低い結合エネルギー(図中「価電子帯上端」と表記した)と、フェルミ面近傍の占有準位の立ち上がり位置の結合エネルギー(図中「in−gap state上端」と表記した)を示している。UPSスペクトルにおいては、価電子帯上端は図8の点(iii)に該当し、in−gap state上端は図9の点(iv)に該当する。
【0086】
そして、さらに当該酸化タングステン層の上に、α−NPD(機能層に該当する)を積層したときの、α−NPD層の厚さと、α−NPDの最高被占軌道の結合エネルギー、また真空準位との関係も示している。ここで、α−NPDの最高被占軌道の結合エネルギーとは、UPSスペクトルにおける、当該最高被占軌道によるピークの立ち上がり位置の結合エネルギーである。
【0087】
具体的には、ITO基板上に成膜した当該酸化タングステン層を、光電子分光装置と当該装置に連結された超高真空蒸着装置との間で基板を往復させながら、UPS測定とα−NPDの超高真空蒸着とを繰り返すことで、図13のエネルギーダイアグラムを得た。UPS測定中にチャージアップは確認されなかったので、図13では、縦軸の結合エネルギーをITO基板のフェルミ面を原点とした絶対値表記にしている。
【0088】
図13から、α−NPD層の厚さが少なくとも0〜0.3nmの範囲、つまり当該酸化タングステン層とα−NPD層との界面付近においては、当該酸化タングステン層のin−gap state上端と、α−NPDの最高被占軌道の結合エネルギーは、ほぼ等しくなっていることがわかる(以降、これを界面準位接続と称す)。なお、ここで言う「等しい」とは、実際上多少の差を含んでおり、具体的には±0.3eV以内の範囲を指す。
【0089】
さらに、図13は、前記界面準位接続が、偶然によるものではなく、酸化タングステンとα−NPDとの相互作用により実現しているものであることを示している。
例えば、界面における真空準位の変化(真空準位シフト)は、その変化の向きから、界面に電気二重層が、酸化タングステン層側を負、α−NPD層側を正として形成されていることを示す。また、その真空準位シフトの大きさが2eV近くと非常に大きく、したがって、電気二重層は化学結合に類する作用により形成されたと考えるのが妥当である。すなわち、前記界面準位接続は、酸化タングステンとα−NPDとの相互作用により実現していると考えるべきである。
【0090】
本願発明者は、具体的な相互作用として、以下のメカニズムを推察している。
まず、フェルミ面近傍の占有準位は、上述のとおり、タングステン原子の5d軌道に由来するものである。これを、以下「隆起構造のW5d軌道」と称する。
当該酸化タングステン層の表面において、隆起構造のW5d軌道に、α−NPD分子の最高被占軌道が近づくと、相互のエネルギー安定化のために、α−NPD分子の最高被占軌道から、隆起構造のW5d軌道に電子が移動する。これにより、界面に電気二重層が形成され、真空準位シフト、界面準位接続が起こる。
【0091】
さらに具体的には、α−NPD分子の最高被占軌道は、その確率密度がアミン構造の窒素原子に偏って分布しており、当該窒素原子の非共有電子対を主成分として構成されていることが、第一原理計算による結果として多数報告されている。このことから、当該酸化タングステン層と、アミン系有機分子の層との界面においては、アミン構造の窒素原子の非共有電子対から、隆起構造のW5d軌道に電子が移動すると推察される。
【0092】
上記の推察を支持するものとしては、前述のように酸化タングステンと共通の物性を持つ酸化モリブデンの蒸着膜と、アミン系有機分子であるNPB、α−NPD、F8BTとの各界面において、図13で示した酸化タングステン層とα−NPD層の界面準位接続と同様の界面準位接続の報告がある(非特許文献3、4、5参照)。
本発明の有機EL素子のホール注入層が持つ、優れたホール注入効率は、以上の界面準位接続により説明することができる。すなわち、フェルミ面近傍の占有準位を持つ酸化タングステンからなるホール注入層と、隣接した機能層との間で、界面準位接続が起こり、フェルミ面近傍の占有準位の立ち上がり位置の結合エネルギーと、機能層の最高被占軌道の結合エネルギーがほぼ等しくなる。ホール注入は、この接続された準位間で起こる。したがって、機能層の最高被占軌道にホール注入するときのホール注入障壁は、ほぼ無に等しい。
【0093】
しかしながら、フェルミ面近傍の占有準位を形成する要因である酸素欠陥やその類似の構造がまったく無い酸化タングステンというものが、現実に存在するとは考えにくい。例えば、前述のサンプルB、C等、光電子分光スペクトルにおけるフェルミ面近傍の隆起構造がない酸化タングステンにおいても、酸素欠陥やその類似の構造が、極めてわずかにでも存在はしていると考えるのが妥当である。
【0094】
これに対し、先の実験が示すように、サンプルAの酸化タングステン層8に該当するホール注入層3を持つホールオンリー素子HOD−Aおよび有機EL素子BPD−Aが優れたホール注入効率を示す理由を、図14を用いて説明する。
酸化タングステン層に機能層を積層するとき、機能層を構成する有機分子の最高被占軌道と、酸化タングステン層のフェルミ面近傍の占有準位とが相互作用するには、界面において、有機分子において最高被占軌道の確率密度が高い部位(例えば、アミン系有機分子におけるアミン構造の窒素原子。図中「注入サイト(イ)」で示す)と、酸化タングステン層の酸素欠陥やその類似の構造(図中「注入サイト(ア)」で示す)が、相互作用する距離まで接近(接触)する必要がある。
【0095】
しかし、図14(b)に示すように、前述のサンプルB、C等、フェルミ面近傍の隆起構造が存在しない酸化タングステン層には、注入サイト(ア)が存在するとしても、その数密度は、UPSスペクトルにおいてフェルミ面近傍の隆起構造を発現するまでに至らないほど小さい。したがって、注入サイト(イ)が注入サイト(ア)と接触する可能性が非常に低い。注入サイト(ア)と注入サイト(イ)が接触するところにおいてホールが注入されるのであるから、サンプルB、Cはその効率が極めて悪いことがわかる。
【0096】
これに対し、図14(a)に示すように、前述のサンプルA等、フェルミ面近傍の隆起構造を持つ酸化タングステン層には、注入サイト(イ)が豊富に存在する。したがって、注入サイト(イ)が注入サイト(ア)と接触する可能性が高く、ホール注入効率が高いことがわかる。
以上をまとめると、本発明の有機EL素子が優れたホール注入効率を持つことは、次のように説明できる。
【0097】
まず、酸化タングステンからなるホール注入層が、その光電子分光スペクトルにおいてフェルミ面近傍の隆起構造を持つ。これは、酸素欠陥やその類似の構造が、その表面に少なからず存在することを意味する。
そして、フェルミ面近傍の占有準位自体は、隣接する機能層を構成する有機分子から電子を奪うことで、有機分子の最高被占軌道と界面準位接続する作用を持つ。
【0098】
したがって、ホール注入層の表面に、少なからず酸素欠陥やその類似の構造がすれば、フェルミ面近傍の占有準位と、有機分子の最高被占軌道の確率密度が高い部位とが接触する確率が高く、界面準位接続作用が効率的に起こり、優れたホール注入効率が発現することになる。
(その他の事項)
本明細書において言及する占有準位とは、少なくとも1つの電子によって占められた電子軌道による電子準位、いわゆる半占軌道の準位を内含するものとする。
【0099】
本発明の有機EL素子は、素子単独で用いる構成に限定されない。複数の有機EL素子を画素として基板上に集積することにより有機ELパネルを構成することもできる。このような有機ELディスプレイは、各々の素子における各層の膜厚を適切に設定することにより実施可能である。
上記説明においては、有機EL素子をいわゆるボトムエミッション型として構成する例を示したが、本発明はこれに限定されない。したがって、トップエミッション型の有機EL素子に適用してもよい。
【産業上の利用可能性】
【0100】
本発明の有機EL素子は、携帯電話用のディスプレイやテレビなどの表示素子、各種光源などに利用可能である。いずれの用途においても、低輝度から光源用途等の高輝度まで幅広い輝度範囲で低電圧駆動される有機EL素子として適用できる。このような高性能により、家庭用もしくは公共施設、あるいは業務用の各種ディスプレイ装置、テレビジョン装置、携帯型電子機器用ディスプレイ、照明光源等として、幅広い利用が可能である。
【符号の説明】
【0101】
1 有機EL素子
1A 光電子分光測定用サンプル
1B ホールオンリー素子
2 陽極
3 ホール注入層(酸化タングステン層)
4 バッファ層
5 発光層
6 陰極
6a バリウム層
6b アルミニウム層
7 導電性シリコン基板
8 酸化タングステン層
9 陰極(金層)
10 基板
11 直流電源
12 バンク
【技術分野】
【0001】
本発明は、電気的発光素子である有機電界発光素子(以下「有機EL素子」と称する)に関し、特に、低輝度から光源用途等の高輝度まで幅広い輝度範囲を低電力で駆動するための技術に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、有機半導体を用いた各種機能素子の研究開発が進められている。
代表的な機能素子として、有機EL素子がある。有機EL素子は電流駆動型の発光素子であり、陽極および陰極とからなる一対の電極対の間に、有機材料を含んでなる機能層を設けた構成を有する。機能層には、発光層、バッファ層等が含まれる。機能層と陽極との間には、ホールを注入するためのホール注入層が配設されることがある。駆動には電極対間に電圧を印加し、陽極から機能層に注入されるホールと、陰極から機能層に注入される電子との再結合によって発生する、電界発光現象を利用する。自己発光を行うため視認性が高く、かつ、完全固体素子であるため耐衝撃性に優れるなどの特徴を有することから、各種表示装置における発光素子や光源としての利用が注目されている。
【0003】
有機EL素子は、使用する機能層材料の種類によって大きく2つの型に分類される。第一に、主として低分子材料を機能層材料とし、これを蒸着法などの真空プロセスで成膜してなる蒸着型有機EL素子である。第二に、高分子材料や薄膜形成性の良い低分子材料を機能層材料とし、これをインクジェット法やグラビア印刷法等のウェットプロセスで成膜してなる塗布型有機EL素子である。
【0004】
これまでは、発光材料の発光効率が高いことや駆動寿命が長い等の理由により、蒸着型有機EL素子の開発が先行しており(例えば、特許文献1、2参照)、すでに携帯電話用ディスプレイや小型テレビなどで実用化が始まっている。
蒸着型有機EL素子は、小型の有機ELパネル用途には好適であるが、例えば100インチ級のフルカラー大型有機ELパネルに適用することは非常に困難である。その要因は製造技術にある。蒸着型有機EL素子を用いて有機ELパネルを製造する場合、一般に発光層を色ごと(例えばR、G、B)に分けて成膜する際にはマスク蒸着法が用いられる。しかし、パネルが大面積になると、マスクとガラス基板の熱膨張係数の違い等により、マスクの位置合わせ精度を保つことが困難になるため、正常なディスプレイを作製することができない。これらを克服するために、白色の発光層材料を全面に使用し、RGBのカラーフィルタを設けて塗り分けを回避する方法があるが、この場合は取り出せる光が発光量の1/3になるため、原理的に消費電力が増大するという欠点がある。
【0005】
そこで、この有機ELパネルの大型化については、塗布型有機EL素子を用いて実現しようという試みが始まっている。前述したように、塗布型有機EL素子では、機能層材料をウェットプロセスによって作製する。このプロセスでは機能層を所定位置に塗り分ける際の位置精度が基本的に基板サイズに依存しないため、大型化に対する技術的障壁が低いというメリットがある。
【0006】
一方、有機EL素子の発光効率を向上させる研究開発も盛んに行われている。有機EL素子を効率よく、低消費電力かつ高輝度で発光させるためには、電極から機能層へキャリア(ホールおよび電子)を効率よく注入することが重要である。一般にキャリアを効率よく注入するためには、それぞれの電極と機能層との間に、注入の際のエネルギー障壁を低くするための注入層を設けるのが有効である。このうちホール注入層としては、銅フタロシアニンや酸化モリブデンをはじめとする蒸着膜や、PEDOTなどの塗布膜が用いられている。中でも酸化モリブデンを用いた有機EL素子においては、ホール注入効率の改善や寿命の改善が報告されている(例えば、特許文献3参照)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【特許文献1】特許3369615号公報
【特許文献2】特許3789991号公報
【特許文献3】特開2005−203339公報
【非特許文献】
【0008】
【非特許文献1】Jingze Li et al.、 Synthetic Metals 151、 141 (2005)
【非特許文献2】渡邊寛己 他、有機EL討論会第7回例会予稿集、17 (2008)
【非特許文献3】Hyunbok Lee et al.、 Applied Physics Letters 93、 043308 (2008)
【非特許文献4】小泉健二 他、第56回応用物理学関係連合講演会予稿集、30p−ZA−11(2009)
【非特許文献5】中山泰生 他、有機EL討論会第7回例会予稿集、5 (2008)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
しかしながら、上記した利点を有する塗布型有機EL素子を製造する場合でも、課題が存在する。
塗布型有機EL素子を用いて有機ELパネルを形成する場合、各有機EL素子が構成する所定の画素内に機能性材料の塗布溶液を的確に収めるために、画素間に隔壁(以下、バンクと称する)を配置する。このとき、バンクと塗布溶液との接触角は大きく、塗布面と塗布溶液との接触角は小さい必要がある。そこで、先に(塗布溶液との接触角が小さい)ホール注入層を成膜し、その後に、その形成工程にアルカリ溶液や水、有機溶媒等を必要とする、(塗布溶液との接触角が大きい)バンクを、ホール注入層の上に形成する。
【0010】
具体的にバンク形成工程では、一般的にフォトリソグラフィー法を用いる。例えば、ホール注入層表面に、感光性のレジスト材料からなるバンク材料を塗布し、プリベークした後、パターンマスクを用いて感光させ、未硬化の余分なバンク材料を、アルカリ溶液等で構成される現像液で洗い出し、最後に純水で洗浄する。
このように、バンク形成工程では幾つかの溶液を用いる。そのため、酸化モリブデンのように当該溶液に容易に溶解する材料、あるいは当該溶液により変質、分解を生じるような材料を、ホール注入層に用いることは困難である。ホール注入層の溶解、変質、分解等の問題が発生すれば、ホール注入層が本来有しているホール注入効率に支障を来たし、正常な有機EL素子の駆動が行えない原因となるほか、有機EL素子およびこれを用いた有機ELパネルの量産プロセスに耐えることが難しくなる。
【0011】
本発明は、以上の課題に鑑みてなされたものであって、ホール注入効率と、有機ELパネルの量産プロセスに対する安定性とを両立させるホール注入層を、有機EL素子に用いたものである。
すなわち、ホール注入層と機能層との間のホール注入障壁が低く、優れたホール注入効率を発揮し、これにより良好な低電圧駆動が期待できる有機EL素子であるとともに、当該ホール注入層は、バンク形成工程において溶解、変質、分解等に対する耐性を持ち、有機ELパネルの量産プロセスに耐えることができる有機EL素子を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0012】
上記課題を解決するために、本発明の一態様 は、陽極と、有機材料を含んでなる機能層との間に、当該機能層にホールを注入するためのホール注入層が介設された有機EL素子であって、当該ホール注入層は、酸化タングステンを含んで構成され、かつ、その電子状態において、価電子帯で最も低い(すなわち、価電子帯の上端が示す)結合エネルギーより1.8〜3.6eV低い結合エネルギー領域内に占有準位を有している構成とした。
【発明の効果】
【0013】
本発明の一態様の有機EL素子では、ホール注入層が酸化タングステンを含んで構成されている。さらに、このホール注入層は、その電子状態において、価電子帯で最も低い結合エネルギーより1.8〜3.6eV低い結合エネルギー領域内に占有準位を有するように構成されている。この占有準位が存在することで、ホール注入層と機能層との間のホール注入障壁を小さく抑えることができる。その結果、本発明の一態様の有機EL素子は、ホール注入効率が高く、低電圧で駆動できるとともに、優れた発光効率の発揮を期待することができる。
【0014】
また、本発明の一態様の有機EL素子では、ホール注入層を、化学的に安定な酸化タングステンで構成しているので、バンク形成工程において、アルカリ溶液や水、有機溶媒等によりホール注入層が溶解、変質、分解することが抑制される。したがって、素子完成後も、ホール注入層の形態およびホール注入効率を、良好に保持できる。これにより、有機ELパネルの量産プロセスに耐えることのできる有機EL素子の製造を行うことが可能となる。
【図面の簡単な説明】
【0015】
【図1】実施の形態に係る有機EL素子の構成を示す模式的な断面図である。
【図2】ホールオンリー素子の構成を示す模式的な断面図である。
【図3】ホール注入層の成膜条件に対するホールオンリー素子の駆動電圧の依存性を示すグラフである。
【図4】ホールオンリー素子の印加電圧と電流密度の関係曲線を示すデバイス特性図である。
【図5】作製した有機EL素子の印加電圧と電流密度の関係曲線を示すデバイス特性図である。
【図6】作製した有機EL素子の電流密度と発光強度の関係曲線を示すデバイス特性図である。
【図7】光電子分光測定用のサンプルの構成を示す模式的な断面図である。
【図8】酸化タングステンのUPSスペクトルを示す図である。
【図9】酸化タングステンのUPSスペクトルを示す図である。
【図10】図9のUPSスペクトルの微分曲線を示す図である。
【図11】大気曝露した酸化タングステンのUPSスペクトルを示す図である。
【図12】本発明の酸化タングステンのUPSスペクトルおよびXPSスペクトルを併せて示す図である。
【図13】酸化タングステンとα−NPDの界面エネルギーダイアグラムである。
【図14】ホール注入層と機能層の注入サイトの効果を説明するための図である。
【発明を実施するための形態】
【0016】
本発明の一態様である有機EL素子は、陽極と、有機材料を含んでなる機能層との間に、前記機能層にホールを注入するためのホール注入層が介設された有機EL素子であって、前記ホール注入層は、酸化タングステンを含んで構成され、かつ、その電子状態において、価電子帯で最も低い結合エネルギーより1.8〜3.6eV低い結合エネルギー領域内に占有準位を有している。
【0017】
また、前記占有準位の存在によって、前記ホール注入層と前記機能層との積層界面において、前記機能層の最高被占軌道の結合エネルギーが前記占有準位の結合エネルギーの近傍に位置づけられていてもよい。
また、前記ホール注入層と前記機能層との積層界面において、前記占有準位の結合エネルギーと前記機能層の最高被占軌道の結合エネルギーの差が±0.3eV以内でもよい。
【0018】
また、前記ホール注入層は、結合エネルギーと光電子強度あるいはその規格化強度との関係を表すUPSスペクトルにおいて、価電子帯で最も低い結合エネルギーより1.8〜3.6eV低い結合エネルギー領域内に、隆起した形状を有していてもよい。
また、前記ホール注入層は、結合エネルギーと光電子強度あるいはその規格化強度との関係を表すXPSスペクトルにおいて、価電子帯で最も低い結合エネルギーより1.8〜3.6eV低い結合エネルギー領域内に、隆起した形状を有していてもよい。
【0019】
また、前記ホール注入層は、結合エネルギーと光電子強度あるいはその規格化強度との関係を表すUPSスペクトルの微分スペクトルにおいて、価電子帯で最も低い結合エネルギーより2.0〜3.2eV低い結合エネルギー領域に渡り、指数関数とは異なる関数として表される形状を有していてもよい。
また、前記機能層は、アミン系材料を含んでいてもよい。
【0020】
また、前記機能層は、ホールを輸送するホール輸送層、注入されたホールと電子とが再結合することにより発光する発光層、光学特性の調整または電子ブロックの用途に用いられるバッファ層の少なくともいずれかであってもよい。
また、前記ホール注入層における前記占有準位は、価電子帯で最も低い結合エネルギーより2.0〜3.2eV低い結合エネルギー領域内に存在していてもよい。
【0021】
また、本発明の一態様である表示装置は、上記有機EL素子を備えていてもよい。
また、本発明の一態様である有機EL素子の製造方法は、陽極を準備する第1工程と、前記陽極に対して酸化タングステンを成膜する工程であって、前記酸化タングステン層を、アルゴンガスと酸素ガスにより構成されたガスをスパッタ装置のチャンバー内のガスとして用い、前記ガスの全圧が2.7Pa超7.0Pa以下であり、かつ、酸素ガス分圧の全圧に対する比が50%以上70%以下であって、さらにターゲット単位面積当たりの投入電力(投入電力密度)が1W/cm2以上2.8W/cm2以下となる成膜条件下で成膜する第2工程と、前記成膜された酸化タングステン層に対して、有機材料を含む機能層を形成する第3工程とを有する。
【0022】
また、本発明の一態様である有機EL素子の製造方法は、前記酸化タングステン層を、前記第2工程により、結合エネルギーと光電子強度あるいはその規格化強度との関係を表すUPSスペクトルが、価電子帯で最も低い結合エネルギーより1.8〜3.6eV低い結合エネルギー領域内に、隆起した形状を有するように成膜されていてもよい。
また、本発明の一態様である有機EL素子の製造方法は、前記酸化タングステン層を、前記第2工程により、結合エネルギーと光電子強度あるいはその規格化強度との関係を表すUPSスペクトルの微分スペクトルが、価電子帯で最も低い結合エネルギーより2.0〜3.2eV低い結合エネルギー領域に渡り、指数関数とは異なる関数として表される形状を有するように成膜されていてもよい。
【0023】
以下、本発明の実施の形態の有機EL素子を説明し、続いて本発明の各性能確認実験の結果と考察を述べる。
なお、各図面における部材縮尺は、実際のものとは異なる。
<実施の形態>
(有機EL素子の構成)
図1は、本実施の形態における有機EL素子1の構成を示す模式的な断面図である。
有機EL素子1は、機能層をウェットプロセスにより塗布して製造する塗布型であって、ホール注入層3と、所定の機能を有する有機材料を含んでなる各種機能層(ここではバッファ層4および発光層5)が互いに積層された状態で、陽極2および陰極6からなる電極対の間に介設された構成を有する。
【0024】
具体的には図1に示すように、有機EL素子1は、基板10の片側主面に対し、陽極2、ホール注入層3、バッファ層4、発光層5、陰極6(バリウム層6aおよびアルミニウム層6b)とを同順に積層して構成される。
陽極2は、厚さ50nmのITO薄膜で構成されている。
(ホール注入層)
ホール注入層3は、厚さ30nmの酸化タングステン薄膜(層)からなる。その組成式(WOx)において、xは概ね2<x<3の範囲における実数である。
【0025】
ホール注入層3はできるだけ酸化タングステンのみで構成されることが望ましいが、通常レベルで混入し得る程度に、極微量の不純物が含まれていてもよい。
ここで、当該ホール注入層3は特定の成膜条件で成膜されている。これにより、その電子状態において、価電子帯の上端、すなわち価電子帯で最も低い結合エネルギーよりも、1.8〜3.6eV低い結合エネルギー領域内に占有準位が存在している。以降、この占有準位を「フェルミ面近傍の占有準位」と称する。
【0026】
このフェルミ面近傍の占有準位が存在することで、ホール注入層3と機能層(ここではバッファ層4)との積層界面において、バッファ層4の最高被占軌道の結合エネルギーが、前記フェルミ面近傍の占有準位の結合エネルギーと、ほぼ等しくなる。
なお、ここで言う「ほぼ等しくなる」とは、ホール注入層3とバッファ層4との界面において、前記フェルミ面近傍の占有準位で最も低い結合エネルギーと、前記最高被占軌道で最も低い結合エネルギーとの差が、±0.3eV以内の範囲にあることを意味している。
【0027】
さらに、ここで言う「界面」とは、ホール注入層3の表面と、当該表面から0.3nm以内の距離におけるバッファ層4とを含む領域を指す。
また、前記フェルミ面近傍の占有準位は、ホール注入層3の全体に存在することが望ましいが、少なくともバッファ層4との界面に存在すればよい。
(バンク)
ホール注入層3の表面には、絶縁性の有機材料(例えばアクリル系樹脂、ポリイミド系樹脂、ノボラック型フェノール樹脂等)からなるバンク12が、一定の台形断面を持つストライプ構造または井桁構造をなすように形成される。各々のバンク12に区画されたホール注入層3の表面には、バッファ層4と、RGBのいずれかの色に対応する発光層5からなる機能層が形成されている。図1に示すように、有機EL素子1を有機ELパネルに適用する場合には、基板10上にRGBの各色に対応する一連の3つの素子1を1単位(画素、ピクセル)とし、これが複数単位にわたり並設される。
【0028】
なお、バンク12は本発明に必須の構成ではなく、有機EL素子1を単体で使用する場合等には不要である。
(バッファ層)
バッファ層4は、厚さ20nmのアミン系有機高分子であるTFB(poly(9、9−di−n−octylfluorene−alt−(1、4−phenylene−((4−sec−butylphenyl)imino)−1、4−phenylene))で構成される。
(発光層)
発光層5は、厚さ70nmの有機高分子であるF8BT(poly(9、9−di−n−octylfluorene−alt−benzothiadiazole))で構成される。しかしながら、発光層5はこの材料からなる構成に限定されず、公知の有機材料を含むように構成することが可能である。たとえば特開平5−163488号公報に記載のオキシノイド化合物、ペリレン化合物、クマリン化合物、アザクマリン化合物、オキサゾール化合物、オキサジアゾール化合物、ペリノン化合物、ピロロピロール化合物、ナフタレン化合物、アントラセン化合物、フルオレン化合物、フルオランテン化合物、テトラセン化合物、ピレン化合物、コロネン化合物、キノロン化合物およびアザキノロン化合物、ピラゾリン誘導体およびピラゾロン誘導体、ローダミン化合物、クリセン化合物、フェナントレン化合物、シクロペンタジエン化合物、スチルベン化合物、ジフェニルキノン化合物、スチリル化合物、ブタジエン化合物、ジシアノメチレンピラン化合物、ジシアノメチレンチオピラン化合物、フルオレセイン化合物、ピリリウム化合物、チアピリリウム化合物、セレナピリリウム化合物、テルロピリリウム化合物、芳香族アルダジエン化合物、オリゴフェニレン化合物、チオキサンテン化合物、アンスラセン化合物、シアニン化合物、アクリジン化合物、8−ヒドロキシキノリン化合物の金属鎖体、2−ビピリジン化合物の金属鎖体、シッフ塩とIII族金属との鎖体、オキシン金属鎖体、希土類鎖体等の蛍光物質等を挙げることができる。
(機能層)
本発明における機能層は、ホールを輸送するホール輸送層、注入されたホールと電子とが再結合することで発光する発光層、光学特性の調整または電子ブロックの用途に用いられるバッファ層等のいずれか、もしくはそれら2層以上の組み合わせ、または全ての層を指す。本発明はホール注入層を対象としているが、有機EL素子はホール注入層以外に上記したホール輸送層、発光層等のそれぞれ所要機能を果たす層が存在する。機能層とは、本発明の対象とするホール注入層以外の、有機EL素子に必要な層を指している。
(その他電極、基板等)
陰極6は、厚さ5nmのバリウム層6aと、厚さ100nmのアルミニウム層6bを積層して構成される。
【0029】
陽極2および陰極6には電源11が接続され、外部より有機EL素子1に給電されるようになっている。
基板10は、無アルカリガラス、ソーダガラス、無蛍光ガラス、燐酸系ガラス、硼酸系ガラス、石英、アクリル系樹脂、スチレン系樹脂、ポリカーボネート系樹脂、エポキシ系樹脂、ポリエチレン、ポリエステル、シリコーン系樹脂、またはアルミナ等の絶縁性材料のいずれかで形成することができる。
(有機EL素子の作用および効果)
以上の構成を持つ有機EL素子1では、ホール注入層3に前記フェルミ面近傍の占有準位が存在することにより、バッファ層4との間のホール注入障壁が小さくなっている。このため、駆動時に有機EL素子1に電圧を印加すると、ホール注入層3における前記フェルミ面近傍の占有準位から、バッファ層4の最高被占軌道に対して、低電圧で比較的スムーズにホールが注入され、すなわちホール注入効率が高い。
【0030】
なお、酸化タングステンをホール注入層として用いる例自体は、過去に報告されている(非特許文献1参照)。しかしながら、この報告で得られた最適なホール注入層の膜厚は0.5nm程度であり、電圧電流特性に及ぼす膜厚依存性も大きく、大型有機ELパネルを量産するだけの実用性は示されていない。さらに、ホール注入層に積極的にフェルミ面近傍の占有準位を形成することも示されていない。本発明は、化学的に比較的安定で、大型有機ELパネルの量産プロセスにも耐える酸化タングステンからなるホール注入層において、所定のフェルミ面近傍の占有準位を存在させ、これにより優れたホール注入効率を得、有機EL素子において低電圧駆動を実現した点で、従来技術と大きく異なるものである。
【0031】
次に、有機EL素子1の全体的な製造方法を例示する。
(有機EL素子の製造方法)
まず、基板10をスパッタ成膜装置のチャンバー内に載置する。そしてチャンバー内に所定のスパッタガスを導入し、反応性スパッタ法に基づき、厚さ50nmのITOからなる陽極2を成膜する。
【0032】
次に、ホール注入層3を成膜するが、反応性スパッタ法で成膜することが好適である。特に、大面積の成膜が必要な大型有機ELパネルに本発明を適用する場合には、蒸着法等で成膜すると、膜厚等にムラが生じるおそれがある。反応性スパッタ法で成膜すれば、このような成膜ムラの発生の回避は容易である。
具体的には、ターゲットを金属タングステンに交換し、反応性スパッタ法を実施する。スパッタガスとしてアルゴンガス、反応性ガスとして酸素ガスをチャンバー内に導入する。この状態で高電圧によりアルゴンをイオン化し、ターゲットに衝突させる。このとき、スパッタリング現象により放出された金属タングステンが酸素ガスと反応して酸化タングステンとなり、基板10の陽極2上に成膜される。
【0033】
なお、この成膜条件は後述するように、ガス圧(全圧)が2.7Pa超7.0Pa以下であり、かつ酸素ガス分圧の全圧に対する比が50%以上70%以下であって、さらにターゲット単位面積当たりの投入電力(投入電力密度)が1W/cm2以上2.8W/cm2以下となるように設定することが好適である。この工程を経ることで、価電子帯で最も低い結合エネルギーから1.8〜3.6eV低い結合エネルギー領域内に占有準位を持つホール注入層3が形成される。
【0034】
次に、バンク材料として、例えば感光性のレジスト材料、好ましくはフッ素系材料を含有するフォトレジスト材料を用意する。このバンク材料をホール注入層3上に一様に塗布し、プリベークした後、所定形状の開口部(形成すべきバンクのパターン)を持つマスクを重ねる。そして、マスクの上から感光させた後、未硬化の余分なバンク材料を現像液で洗い出す。最後に純水で洗浄することでバンク12が完成する。
【0035】
ここで、本実施の形態では、ホール注入層3がアルカリ溶液や水、有機溶媒等に対して耐性を持つ酸化タングステンで構成されている。したがって、バンク形成工程において、すでに形成されているホール注入層3が当該溶液や純水等に触れても、溶解、変質、分解等による損傷が抑制される。このようにホール注入層3の形態が維持されることによっても、有機EL素子1が完成した後には、当該ホール注入層3を介し、バッファ層4に効率よくホール注入を行うことができ、低電圧駆動を良好に実現できることとなる。
【0036】
続いて、隣接するバンク12の間に露出しているホール注入層3の表面に、例えばインクジェット法やグラビア印刷法によるウェットプロセスにより、アミン系有機分子材料を含む組成物インクを滴下し、溶媒を揮発除去させる。これによりバッファ層4が形成される。
次に、バッファ層4の表面に、同様の方法で、有機発光材料を含む組成物インクを滴下し、溶媒を揮発除去させる。これにより発光層5が形成される。
【0037】
なお、バッファ層4、発光層5の形成方法はこれに限定されず、インクジェット法やグラビア印刷法以外の方法、例えばディスペンサー法、ノズルコート法、スピンコート法、凹版印刷、凸版印刷等の公知の方法によりインクを滴下・塗布しても良い。
続いて、発光層5の表面に真空蒸着法でバリウム層6a、アルミニウム層6bを成膜する。これにより陰極6が形成される。
【0038】
なお、図1には図示しないが、有機EL素子1が大気に曝されるのを抑制する目的で、陰極6の表面にさらに封止層を設けるか、あるいは素子1全体を空間的に外部から隔離する封止缶を設けることができる。封止層は例えばSiN(窒化シリコン)、SiON(酸窒化シリコン)等の材料で形成でき、素子1を内部封止するように設ける。封止缶を用いる場合は、封止缶は例えば基板10と同様の材料で形成でき、水分などを吸着するゲッターを密閉空間内に設ける。
【0039】
以上の工程を経ることで、有機EL素子1が完成する。
<各種実験と考察>
(酸化タングステンの成膜条件について)
本実施の形態では、ホール注入層3を構成する酸化タングステンを所定の成膜条件で成膜することで、ホール注入層3に前記したフェルミ面近傍の占有準位を存在させ、ホール注入層3とバッファ層4との間のホール注入障壁を低減して、有機EL素子1を低電圧駆動できるようにしている。
【0040】
このような性能を得るための酸化タングステンの成膜方法としては、DCマグネトロンスパッタ装置を用い、ターゲットは金属タングステンとし、基板温度は制御せず、チャンバー内ガスはアルゴンガスと酸素ガスで構成し、ガス圧(全圧)が2.7Pa超7.0Pa以下であり、かつ酸素ガス分圧の全圧に対する比が50%以上70%以下であって、さらにターゲット単位面積当たりの投入電力(投入電力密度)が1W/cm2以上2.8W/cm2以下となる成膜条件に設定して、反応性スパッタ法で成膜することが好適であると考えられる。
【0041】
上記成膜条件の有効性は以下の諸実験で確認された。
まず、ホール注入層3からバッファ層4へのホール注入効率の、成膜条件依存性の評価を確実にするために、評価デバイスとしてホールオンリー素子を作製するものとした。
有機EL素子においては、電流を形成するキャリアはホールと電子の両方であり、したがって有機EL素子の電気特性には、ホール電流以外にも電子電流が反映されている。しかし、ホールオンリー素子では陰極からの電子の注入が阻害されるため、電子電流ほほとんど流れず、全電流はほぼホール電流のみから構成され、すなわちキャリアはほぼホールのみと見なせるため、ホール注入効率の評価に好適である。
【0042】
具体的に作製したホールオンリー素子は、図1の有機EL素子1における陰極6を、図2に示す陰極9のように金に置き換えたのものである。すなわち図2に示すように、基板10上に厚さ50nmのITO薄膜からなる陽極2を形成し、さらに陽極2上に厚さ30nmの酸化タングステンからなるホール注入層3、厚さ20nmのアミン系有機高分子であるTFBからなるバッファ層4、厚さ70nmの有機高分子であるF8BTからなる発光層5、厚さ100nmの金からなる陰極9を順次積層した構成とした。なお、評価デバイスのため、バンク12は省略した。
【0043】
この作製工程において、ホール注入層3は、DCマグネトロンスパッタ装置を用い、反応性スパッタ法で成膜した。チャンバー内ガスは、アルゴンガスおよび酸素ガスの少なくともいずれかから構成し、ターゲットは金属タングステンを用いた。基板温度は制御せず、アルゴンガス分圧、酸素ガス分圧、全圧は各ガスの流量で調節するものとした。成膜条件は以下の表1に示すように、全圧、酸素ガス分圧、および投入電力の各条件を変化させるものとし、これにより各成膜条件で成膜したホール注入層3を備えるホールオンリー素子1B(素子No.1〜14)を得た。なお、以降酸素ガス分圧は、全圧に対する比(%)で表す。
【0044】
【表1】
上記DCマグネトロンスパッタ装置の、投入電力と投入電力密度の関係を表2に示す。
【0045】
【表2】
作製した各ホールオンリー素子1Bを直流電源11に接続し、電圧を印加した。このときの印加電圧を変化させ、電圧値に応じて流れた電流値を素子の単位面積当たりの値(電流密度)に換算した。以降、「駆動電圧」とは、電流密度10mA/cm2のときの印加電圧とする。
【0046】
この駆動電圧が小さいほど、ホール注入層3のホール注入効率は高いと言える。なぜなら、各ホールオンリー素子1Bにおいて、ホール注入層3以外の各部位の作製方法は同一であるから、ホール注入層3を除く、隣接する2つの層の間のホール注入障壁は一定と考えられる。また、当該実験で用いた陰極2とホール注入層3は、オーミック接続をしていることが、別の実験により確認されている。したがって、ホール注入層3の成膜条件による駆動電圧の違いは、ホール注入層3からバッファ層4へのホール注入効率を強く反映したものになる。
【0047】
表3は、当該実験によって得られた、各ホールオンリー素子1Bの、全圧、酸素ガス分圧、投入電力の各成膜条件に対する、駆動電圧の値である。表3中、各ホールオンリー素子1Bの素子No.は囲み数字で示している。
【0048】
【表3】
また、図3の(a)〜(c)は、各ホールオンリー素子1Bの駆動電圧の成膜条件依存性をまとめたグラフである。図3(a)中の各点は、左から右に向かって、素子No.4、10、2の駆動電圧を表す。図3(b)中の各点は、左から右に向かって、素子No.13、10、1の駆動電圧を表す。さらに図3(c)中の各点は、左から右に向かって、素子No.14、2、8の駆動電圧を表す。
【0049】
なお当該実験では、全圧が2.7Paで酸素ガス分圧が100%の場合、全圧が4.8Paで酸素ガス分圧が30%の場合、全圧が4.8Paで酸素ガス分圧が70%の場合、全圧が4.8Paで酸素ガス分圧が100%の場合は、いずれもガス流量などのスパッタ装置の制約で成膜を行えなかった。
まず、駆動電圧の全圧依存性は、図3(a)からわかるように、酸素ガス分圧50%、投入電力500Wの条件下では、少なくとも全圧が2.7Pa超4.8Pa以下の範囲において、駆動電圧の明確な低減が確認できた。この傾向は、少なくとも全圧が7.0Pa以下の範囲まで続くことが別の実験により分かった。したがって、全圧は2.7Pa超7.0Pa以下の範囲に設定することが望ましいと言える。
【0050】
次に、駆動電圧の酸素ガス分圧依存性は、図3(b)からわかるように、全圧2.7Pa、投入電力500Wの条件下では、少なくとも酸素ガス分圧が50%以上70%以下の範囲において、酸素ガス分圧の上昇とともに駆動電圧の低下が確認できた。ただし、これ以上に酸素ガス分圧が上昇すると、別の実験により逆に駆動電圧の上昇が確認された。したがって、酸素ガス分圧は50%以上で上限を70%程度に抑えることが望ましいと言える。
【0051】
次に、駆動電圧の投入電力依存性は、図3(c)からわかるように、全圧4.8Pa、酸素ガス分圧50%の条件下では、投入電力が500W超で、急激に駆動電圧が上昇することが確認された。したがって、投入電力は500W以下に抑えるのが望ましいと考えられる。なお、表3の素子No.1、3を見ると、投入電力が500Wであっても、全圧が2.7Pa以下であれば、駆動電圧が上昇するという結果が確認できる。
【0052】
次に、各ホールオンリー素子1Bのうち、代表して素子No.14、1、7の電流密度―印加電圧曲線を図4に示した。図中縦軸は電流密度(mA/cm2)、横軸は印加電圧(V)である。素子No.14は、上記した全圧、酸素ガス分圧、投入電力の望ましい条件をすべて満たしている。一方、素子No.1、7は、上記望ましい条件を一部満たしていない。
【0053】
ここで、以降の説明のために、ホール注入層3(および後述の酸化タングステン層8)の成膜条件に関しては、素子No.14の成膜条件を成膜条件A、素子No.1の成膜条件を成膜条件B、素子No.7の成膜条件を成膜条件Cと呼ぶことにする。また、それに倣い、図4および表3では、素子No.14をHOD−A、素子No.1をHOD−B、素子No.7をHOD−Cとも記述した。
【0054】
図4に示されるように、HOD−AはHOD−B、HOD−Cと比較して、最も電流密度―印加電圧曲線の立ち上がりが早く、また最も低い印加電圧で高い電流密度が得られている。すなわち、HOD−AはHOD−B、HOD−Cと比較し、ホール注入効率が優れていることが明快である。なお、HOD−Aは、各ホールオンリー素子1Bの中で最も駆動電圧が低い素子である。
【0055】
以上は、ホールオンリー素子1Bにおけるホール注入層3のホール注入効率に関する検証であったが、ホールオンリー素子1Bは、陰極以外はまったく図1の有機EL素子1と同一の構成である。したがって、有機EL素子1においても、ホール注入層3からバッファ層4へのホール注入効率の成膜条件依存性は、本質的にホールオンリー素子1Bと同じである。このことを確認するために、成膜条件A、B、Cのホール注入層3を用いた各有機EL素子1を作製した。
【0056】
具体的に作製した各有機EL素子1は、図1に示すように、基板10上に厚さ50nmのITO薄膜からなる陽極2を形成し、さらに陽極2上に厚さ30nmの酸化タングステンからなるホール注入層3、厚さ20nmのアミン系有機高分子であるTFBからなるバッファ層4、厚さ70nmの有機高分子であるF8BTからなる発光層5、厚さ5nmのバリウムおよび厚さ100nmのアルミニウムからなる陰極6を順次積層した構成とした。なお、評価デバイスのため、バンク12は省略した。
【0057】
作製した成膜条件A、B、Cの各有機EL素子1を直流電源11に接続し、電圧を印加した。このときの印加電圧と、各々の電圧値に応じて流れた電流値について、素子の単位面積当たりの値に換算したときの関係を表す、電流密度―印加電圧曲線を図5に示した。図中縦軸は電流密度(mA/cm2)、横軸は印加電圧(V)である。
なお、以降の説明のために、図5では、成膜条件Aの有機EL素子1をBPD−A、成膜条件Bの有機EL素子1をBPD−B、成膜条件Cの有機EL素子1をBPD−Cと記述した。
【0058】
図5に示されるように、BPD−AはBPD−B、BPD−Cと比較して、最も電流密度―印加電圧曲線の立ち上がりが早く、また最も低い印加電圧で高い電流密度が得られている。これは、それぞれ同じ成膜条件のホールオンリー素子であるHOD−A、HOD−B、HOD−Cと同様の傾向である。
さらに、上記作製した各有機EL素子1について、電流密度の変化に応じた発光強度の関係を表す、発光強度―電流密度曲線を図6に示した。図中、縦軸は発光強度(cd/A)、横軸は電流密度(mA/cm2)である。この図6によれば、少なくとも測定した電流密度の範囲では、BPD−Aが最も発光強度が高いことが確認された。
【0059】
以上の結果により、ホール注入層3のホール注入効率の成膜条件依存性が、有機EL素子1においても、ホールオンリー素子1Bの場合と同様に作用していることが確認された。すなわち、当該実験の有機EL素子1において、ホール注入層3を構成する酸化タングステンを、DCマグネトロンスパッタ装置を用い、ターゲットは金属タングステンとし、基板温度は制御せず、チャンバー内ガスはアルゴンガスと酸素ガスで構成し、全圧が2.7Pa超7.0Pa以下であり、かつ酸素ガス分圧の全圧に対する比が50%以上70%以下であって、さらに投入電力密度が1W/cm2以上2.8W/cm2以下となる成膜条件下で、反応性スパッタ法で成膜すると、ホール注入層3からバッファ層4へのホール注入効率が良く、それにより優れた低電圧駆動と高い発光効率が実現されることが確認された。
【0060】
なお、上記においては、投入電力の条件は、表2をもとに改めて投入電力密度で表した。本実験で用いたDCマグネトロンスパッタ装置とは異なるDCマグネトロンスパッタ装置を用いる場合は、ターゲットのサイズに合わせて、投入電力密度が上記条件になるように投入電力を調節することにより、本実験と同様に、優れたホール注入効率の酸化タングステンからなるホール注入層3を得ることが出来る。なお、全圧、酸素分圧については、装置やターゲットのサイズに依存しない。
【0061】
また、ホール注入層3の反応性スパッタ法による成膜時は、室温環境下に配置されるスパッタ装置において、基板温度を意図的には設定していない。したがって、少なくとも成膜前は基板温度は室温である。ただし、成膜中に基板温度は数10℃程度上昇する可能性がある。
なお、成膜条件Aでホール注入層3を作製した有機EL素子1が、本実施の形態の有機EL素子1であり、前記したフェルミ面近傍の占有準位を持つ。これについては、以降で考察する。
(ホール注入層の電子状態について)
本実施の形態の有機EL素子1のホール注入層3を構成する酸化タングステンには、前記フェルミ面近傍の占有準位が存在している。このフェルミ面近傍の占有準位は、先の実験で示した成膜条件の調整により形成されるものである。詳細を以下に述べる。
【0062】
前述の成膜条件A、B、Cで成膜した酸化タングステンにおける、前記フェルミ面近傍の占有準位の存在を確認する実験を行った。
各成膜条件で、光電子分光測定用のサンプルを作製した。当該サンプルの構成としては、図7に示す1Aのように、導電性シリコン基板7の上に、厚さ10nmの酸化タングステン層8(ホール注入層3に該当する)を、前記の反応性スパッタ法により成膜した。以降、成膜条件Aのサンプル1AをサンプルA、成膜条件Bのサンプル1AをサンプルB、成膜条件Cのサンプル1AをサンプルCと記述する。
【0063】
サンプルA、B、Cは、いずれもスパッタ装置内において酸化タングステン層8を成膜した後、当該スパッタ装置に連結され窒素ガスが充填されたグローブボックス内に移送し、大気曝露しない状態を保った。そして、当該グローブボックス内でトランスファーベッセルに封入し、光電子分光装置に装着した。これにより、酸化タングステン層8を成膜後に大気曝露することなく、紫外光電子分光(UPS)測定を実施した。
【0064】
ここで、一般にUPSスペクトルは、測定対象物の表面から深さ数nmまでにおける、価電子帯などの占有準位の状態を反映したものになる。そこで本実験では、UPSを用いて酸化タングステン層8の表層における占有準位の状態を観察するものとした。
UPS測定条件は以下の通りである。なお、サンプルA、B、Cでは導電性シリコン基板7を用いたため、測定中チャージアップは発生しなかった。測定点間隔は0.05eVとした。
【0065】
光源 :He I線
バイアス:なし
出射角 :基板法線方向
図8に、サンプルAの酸化タングステン層8のUPSスペクトルを示す。横軸の結合エネルギーの原点は基板7のフェルミ面とし、左方向を正の向きとした。
【0066】
以下、図8を用いて、酸化タングステン層8の各占有準位について説明する。
一般に酸化タングステンが示すUPSスペクトルにおいて、最も大きく急峻な立ち上がりは一意に定まる。この立ち上がりの変曲点を通る接線を線(i)、その横軸との交点を点(iii)とする。これにより、酸化タングステンのUPSスペクトルは、点(iii)から高結合エネルギー側に位置する領域(ア)と、低結合エネルギー側(すなわちフェルミ面側)に位置する領域(イ)に分けられる。
【0067】
ここで、以下の表4に示した酸化タングステン層8の組成比によれば、サンプルA、B、Cとも、タングステン原子と酸素原子の数の比率がほぼ1:3である。なお、この組成比は、X線光電子分光(XPS)により求めた。具体的には、当該光電子分光装置を用い、前記UPS測定と同様に、酸化タングステン層8を大気曝露することなくXPS測定し、酸化タングステン層8の表面から深さ数nmまでにおけるタングステンと酸素の組成比を見積もった。なお、表4には、酸化タングステン層8の成膜条件も併記してある。
【0068】
【表4】
この組成比から、サンプルA、B、Cのいずれにおいても、酸化タングステン層8は少なくとも表面から深さ数nm以内の範囲において、三酸化タングステンを基本とする原子配置、つまり酸素原子がタングステン原子に対し8面体配位で結合した、歪んだルチル構造(8面体が互いに頂点の酸素原子を共有する構造)を基本構造に持つと考えられる。したがって、図8における領域(ア)は、三酸化タングステン結晶、あるいはその結晶の秩序が乱れた(ただし結合は切れておらず、上記基本構造が保たれている)非晶質が持つ、上記基本構造に由来する占有準位であり、いわゆる価電子帯に対応する領域である。なお、本願発明者は酸化タングステン層8のX線吸収微細構造(XAFS)測定を行い、サンプルA、B、Cのいずれにおいても、上記基本構造が形成されていることを確認した。
【0069】
したがって、図8における領域(イ)は、価電子帯と伝導帯の間のバンドギャップに対応するが、本UPSスペクトルが示すように、酸化タングステンにはこの領域にも、価電子帯とは別の占有準位が存在することがあることが知られている。これは上記基本構造とは異なる別の構造に由来する準位であり、いわゆるバンドギャップ間準位(in−gap stateあるいはgap state)である。
【0070】
続いて図9に、サンプルA、B、Cにおける各酸化タングステン層8の、領域(イ)におけるUPSスペクトルを示す。図9に示すスペクトルの強度は、図8における点(iii)よりも3〜4eVほど高結合エネルギー側に位置するピーク(ii)のピークトップの値で規格化した。図9にも図8の点(iii)と同じ横軸位置に点(iii)を示している。横軸は点(iii)を基準とした相対値(相対結合エネルギー)として表し、左から右(フェルミ面側)に向かって結合エネルギーが低くなるように示している。
【0071】
図9に示されるように、サンプルAの酸化タングステン層8では、点(iii)からおおよそ3.6eV低い結合エネルギーの位置から、点(iii)からおおよそ1.8eV低い結合エネルギーの位置までの領域に、ピークの存在が確認できる。このピークの明瞭な立ち上がり位置を図中に点(iv)で示した。このようなピークは、サンプルB、Cでは確認できない。
【0072】
本発明はこのように、UPSスペクトルにおいて点(iii)から1.8〜3.6eV程度低い結合エネルギーの領域内に隆起(ピークとは限らない)した構造を持つ酸化タングステンを、ホール注入層として用いることにより、有機EL素子において優れたホール注入効率が発揮できるようになっている。
ここで、当該隆起の程度が急峻であるほど、ホール注入効率が高くなることが分かっている。したがって、図9に示すように、点(iii)から2.0〜3.2eV程度低い結合エネルギーの領域は、比較的当該隆起構造を確認しやすく、かつ、その隆起が比較的急峻である領域として、特に重要であると言える。
【0073】
なお、以降、UPSスペクトルにおける当該隆起構造を、「フェルミ面近傍の隆起構造」と称する。このフェルミ面近傍の隆起構造に対応する占有準位が、前記した「フェルミ面近傍の占有準位」である。
次に、上記フェルミ面近傍の隆起構造をより明確にするために、図9に示したサンプルA、B、CのUPSスペクトルにおける規格化強度の微分を計算した。
【0074】
具体的には、グラフ解析ソフトウェアIGOR Pro 6.0を用い、図9に示すUPSスペクトルについて2項スムージング(スムージングファクターは1とした)を11回行い、その後に中心差分法による微分処理を行った。これはUPS測定時のバックグラウンドノイズなどのばらつき要因を平滑化し、微分曲線をスムーズにし、下記の議論を明快にするためである。
【0075】
この処理により得られた微分曲線を図10に示した。図10中の点(iii)、(iv)は図9と同一の横軸位置である。
図10に示す微分曲線によれば、サンプルB、Cの酸化タングステン層8では、光電子分光装置で測定可能な結合エネルギーから点(iv)に至るまでの領域(v)においては、微分値は0付近をほぼ前後するのみであり、さらに点(iv)から高結合エネルギー側におおよそ1.2eVまでの領域(vi)では、微分値は高結合エネルギー側に向かって、ほぼその増加率を増しながら漸増していくのみである。そして、この領域(v)、(vi)におけるサンプルB、Cの各微分曲線の形状は、当該各微分曲線の元である図9に示したサンプルB、CのUPSスペクトルとほぼ相似である。したがって、サンプルB、Cの領域(v)、(vi)におけるUPSスペクトルとその微分曲線の形状は、指数関数的な形状であると言える。
【0076】
一方、サンプルAの酸化タングステン層8では、点(iv)付近から点(iii)に向かって急な立ち上がりを見せており、領域(v)、(vi)における微分曲線の形状は指数関数的な曲線の形状とは明らかに異なっている。このようなサンプルAについては、図9の微分前のスペクトルにおいても、点(iv)付近から隆起し始め、また指数関数的なスペクトル形状とは異なる、フェルミ面近傍の隆起構造を持つことが確認できる。
このようなサンプルAの特性は、言い換えると、価電子帯で最も低い結合エネルギーよりおおよそ1.8〜3.6eV低い範囲内にフェルミ面近傍の占有準位が存在し、特に、価電子帯で最も低い結合エネルギーよりおおよそ2.0〜3.2eV低い範囲内にて、対応するフェルミ面近傍の隆起構造が、UPSスペクトルで明瞭に確認できるものである。
【0077】
次に、成膜後大気曝露せずに図9のUPSスペクトルを測定したサンプルA、B、Cの酸化タングステン層8に対し、常温にて大気曝露を1時間行った。そして、再びUPS測定を行い、これによるスペクトルの変化を確認した。その前記領域(イ)におけるUPSスペクトルを図11に示す。横軸の取り方は図9と同様であり、図中の点(iii)、(iv)は図9と同一の横軸位置である。
【0078】
図11に示したUPSスペクトルによれば、サンプルB、Cの酸化タングステン層8では、大気曝露前と同様にフェルミ面近傍の隆起構造は存在しない。これに対し、サンプルAの酸化タングステン層8では、大気曝露後には強度やスペクトル形状に変化はみられるものの、依然としてフェルミ面近傍の隆起構造が存在することが確認できる。これにより、サンプルAについては、一定時間大気曝露を行っても、大気曝露前の特性が維持でき、周辺雰囲気に対して一定の安定性を有することがわかる。
【0079】
以上では、サンプルA、B、Cについて測定したUPSスペクトルに対して議論を行ったが、上記フェルミ面近傍の隆起構造は、XPSや硬X線光電子分光測定でも同様に確認することができる。
図12は、サンプルAの酸化タングステン層8の、前記大気曝露後のXPSスペクトルである。なお、比較のため、サンプルAの酸化タングステン層8のUPSスペクトル(図8と同一のもの)を重ね書きした。
【0080】
XPS測定条件は、光源がAl Kα線であること以外は、前述のUPS測定条件と同様である。図12において、図中の点(iii)は図8と同一の横軸位置であり、横軸は図9と同様に、点(iii)を基準とした相対結合エネルギーで示している。また、XPSスペクトルにおける図8の(i)に該当する線を、図12中で(i)’で示した。
図12に示すように、サンプルAの酸化タングステン層8におけるフェルミ面近傍の隆起構造は、XPSスペクトルにおいても、UPSスペクトルの場合と同様に、価電子帯で最も低い結合エネルギーよりもおおよそ1.8〜3.6eV低い範囲内にて、相当の大きさの隆起構造として、存在を明確に確認することができる。なお、別の実験により、硬X線光電子分光でも同様にフェルミ面近傍の隆起構造が確認できた。
【0081】
なお、上記測定においては、光電子分光測定用のサンプルとして、図1に示す有機EL素子1の構造とは別に、導電性シリコン基板7の上に酸化タングステン層8を形成してなるサンプル1A(図7)を用いた。これは単に、測定中のチャージアップを防ぐための措置であり、本発明の有機EL素子の構造を当該構成に限定するものではない。
本願発明者が行った別の実験によれば、図1に示す有機EL素子1の構成(基板10の片面にITOからなる陽極2、および酸化タングステンからなるホール注入層3を、順次形成した構成)を有するサンプルを用い、UPS、XPS測定を行った場合は、測定中にチャージアップが発生した。
【0082】
しかしながら、チャージアップをキャンセルする中和銃を併用すれば、ホール注入層3の各占有準位の示す結合エネルギーの絶対値(例えば、光電子分光装置自体のフェルミ面を原点とするときの結合エネルギーの値)は、サンプル1Aの酸化タングステン層8のものとは異なることがあるものの、少なくともバンドギャップから価電子帯で最も低い結合エネルギーに至る範囲においては、サンプル1Aと同様の形状のスペクトルが得られている。
(ホール注入効率に関する考察)
酸化タングステンからなるホール注入層において、UPSスペクトル等でフェルミ面近傍の隆起構造として確認できるフェルミ面近傍の占有準位が、ホール注入効率に作用する原理は、以下のように考えることができる。
【0083】
酸化タングステンの薄膜や結晶に見られる、前記フェルミ面近傍の占有準位は、酸素欠陥やその類似の構造に由来することが、実験および第一原理計算の結果から多数報告されている。
具体的には、酸素原子の欠乏により形成される隣接したタングステン原子の5d軌道同士の結合軌道や、酸素原子に終端されることなく膜表面や膜内に存在するタングステン原子単体の5d軌道に由来するものと推測されている。これらの5d軌道は、半占あるいは非占状態であれば、有機分子と接触したとき、相互のエネルギー安定化のために、有機分子の最高被占軌道から電子を引き抜くことが可能であると推測される。
【0084】
実際、酸化タングステンと、触媒作用やエレクトロクロミズム、フォトクロミズムなど、多くの共通した物性を持つ酸化モリブデンにおいては、その薄膜上に有機低分子のα−NPDを積層すると、α−NPD分子から酸化モリブデン薄膜に電子が移動するとの報告がある(非特許文献2参照)。
なお、本願発明者は、酸化タングステンにおいては、隣接したタングステン原子の5d軌道同士の結合軌道よりも結合エネルギーが低い、タングステン原子単体の半占5d軌道あるいはそれに類似した構造が、フェルミ面近傍の占有準位に該当するものと考える。
【0085】
図13は、本発明のフェルミ面近傍の占有準位を持つ酸化タングステン層と、α−NPD層との界面における、エネルギーダイアグラムである。
図13中では、まず、当該酸化タングステン層(ホール注入層に該当する)における、価電子帯で最も低い結合エネルギー(図中「価電子帯上端」と表記した)と、フェルミ面近傍の占有準位の立ち上がり位置の結合エネルギー(図中「in−gap state上端」と表記した)を示している。UPSスペクトルにおいては、価電子帯上端は図8の点(iii)に該当し、in−gap state上端は図9の点(iv)に該当する。
【0086】
そして、さらに当該酸化タングステン層の上に、α−NPD(機能層に該当する)を積層したときの、α−NPD層の厚さと、α−NPDの最高被占軌道の結合エネルギー、また真空準位との関係も示している。ここで、α−NPDの最高被占軌道の結合エネルギーとは、UPSスペクトルにおける、当該最高被占軌道によるピークの立ち上がり位置の結合エネルギーである。
【0087】
具体的には、ITO基板上に成膜した当該酸化タングステン層を、光電子分光装置と当該装置に連結された超高真空蒸着装置との間で基板を往復させながら、UPS測定とα−NPDの超高真空蒸着とを繰り返すことで、図13のエネルギーダイアグラムを得た。UPS測定中にチャージアップは確認されなかったので、図13では、縦軸の結合エネルギーをITO基板のフェルミ面を原点とした絶対値表記にしている。
【0088】
図13から、α−NPD層の厚さが少なくとも0〜0.3nmの範囲、つまり当該酸化タングステン層とα−NPD層との界面付近においては、当該酸化タングステン層のin−gap state上端と、α−NPDの最高被占軌道の結合エネルギーは、ほぼ等しくなっていることがわかる(以降、これを界面準位接続と称す)。なお、ここで言う「等しい」とは、実際上多少の差を含んでおり、具体的には±0.3eV以内の範囲を指す。
【0089】
さらに、図13は、前記界面準位接続が、偶然によるものではなく、酸化タングステンとα−NPDとの相互作用により実現しているものであることを示している。
例えば、界面における真空準位の変化(真空準位シフト)は、その変化の向きから、界面に電気二重層が、酸化タングステン層側を負、α−NPD層側を正として形成されていることを示す。また、その真空準位シフトの大きさが2eV近くと非常に大きく、したがって、電気二重層は化学結合に類する作用により形成されたと考えるのが妥当である。すなわち、前記界面準位接続は、酸化タングステンとα−NPDとの相互作用により実現していると考えるべきである。
【0090】
本願発明者は、具体的な相互作用として、以下のメカニズムを推察している。
まず、フェルミ面近傍の占有準位は、上述のとおり、タングステン原子の5d軌道に由来するものである。これを、以下「隆起構造のW5d軌道」と称する。
当該酸化タングステン層の表面において、隆起構造のW5d軌道に、α−NPD分子の最高被占軌道が近づくと、相互のエネルギー安定化のために、α−NPD分子の最高被占軌道から、隆起構造のW5d軌道に電子が移動する。これにより、界面に電気二重層が形成され、真空準位シフト、界面準位接続が起こる。
【0091】
さらに具体的には、α−NPD分子の最高被占軌道は、その確率密度がアミン構造の窒素原子に偏って分布しており、当該窒素原子の非共有電子対を主成分として構成されていることが、第一原理計算による結果として多数報告されている。このことから、当該酸化タングステン層と、アミン系有機分子の層との界面においては、アミン構造の窒素原子の非共有電子対から、隆起構造のW5d軌道に電子が移動すると推察される。
【0092】
上記の推察を支持するものとしては、前述のように酸化タングステンと共通の物性を持つ酸化モリブデンの蒸着膜と、アミン系有機分子であるNPB、α−NPD、F8BTとの各界面において、図13で示した酸化タングステン層とα−NPD層の界面準位接続と同様の界面準位接続の報告がある(非特許文献3、4、5参照)。
本発明の有機EL素子のホール注入層が持つ、優れたホール注入効率は、以上の界面準位接続により説明することができる。すなわち、フェルミ面近傍の占有準位を持つ酸化タングステンからなるホール注入層と、隣接した機能層との間で、界面準位接続が起こり、フェルミ面近傍の占有準位の立ち上がり位置の結合エネルギーと、機能層の最高被占軌道の結合エネルギーがほぼ等しくなる。ホール注入は、この接続された準位間で起こる。したがって、機能層の最高被占軌道にホール注入するときのホール注入障壁は、ほぼ無に等しい。
【0093】
しかしながら、フェルミ面近傍の占有準位を形成する要因である酸素欠陥やその類似の構造がまったく無い酸化タングステンというものが、現実に存在するとは考えにくい。例えば、前述のサンプルB、C等、光電子分光スペクトルにおけるフェルミ面近傍の隆起構造がない酸化タングステンにおいても、酸素欠陥やその類似の構造が、極めてわずかにでも存在はしていると考えるのが妥当である。
【0094】
これに対し、先の実験が示すように、サンプルAの酸化タングステン層8に該当するホール注入層3を持つホールオンリー素子HOD−Aおよび有機EL素子BPD−Aが優れたホール注入効率を示す理由を、図14を用いて説明する。
酸化タングステン層に機能層を積層するとき、機能層を構成する有機分子の最高被占軌道と、酸化タングステン層のフェルミ面近傍の占有準位とが相互作用するには、界面において、有機分子において最高被占軌道の確率密度が高い部位(例えば、アミン系有機分子におけるアミン構造の窒素原子。図中「注入サイト(イ)」で示す)と、酸化タングステン層の酸素欠陥やその類似の構造(図中「注入サイト(ア)」で示す)が、相互作用する距離まで接近(接触)する必要がある。
【0095】
しかし、図14(b)に示すように、前述のサンプルB、C等、フェルミ面近傍の隆起構造が存在しない酸化タングステン層には、注入サイト(ア)が存在するとしても、その数密度は、UPSスペクトルにおいてフェルミ面近傍の隆起構造を発現するまでに至らないほど小さい。したがって、注入サイト(イ)が注入サイト(ア)と接触する可能性が非常に低い。注入サイト(ア)と注入サイト(イ)が接触するところにおいてホールが注入されるのであるから、サンプルB、Cはその効率が極めて悪いことがわかる。
【0096】
これに対し、図14(a)に示すように、前述のサンプルA等、フェルミ面近傍の隆起構造を持つ酸化タングステン層には、注入サイト(イ)が豊富に存在する。したがって、注入サイト(イ)が注入サイト(ア)と接触する可能性が高く、ホール注入効率が高いことがわかる。
以上をまとめると、本発明の有機EL素子が優れたホール注入効率を持つことは、次のように説明できる。
【0097】
まず、酸化タングステンからなるホール注入層が、その光電子分光スペクトルにおいてフェルミ面近傍の隆起構造を持つ。これは、酸素欠陥やその類似の構造が、その表面に少なからず存在することを意味する。
そして、フェルミ面近傍の占有準位自体は、隣接する機能層を構成する有機分子から電子を奪うことで、有機分子の最高被占軌道と界面準位接続する作用を持つ。
【0098】
したがって、ホール注入層の表面に、少なからず酸素欠陥やその類似の構造がすれば、フェルミ面近傍の占有準位と、有機分子の最高被占軌道の確率密度が高い部位とが接触する確率が高く、界面準位接続作用が効率的に起こり、優れたホール注入効率が発現することになる。
(その他の事項)
本明細書において言及する占有準位とは、少なくとも1つの電子によって占められた電子軌道による電子準位、いわゆる半占軌道の準位を内含するものとする。
【0099】
本発明の有機EL素子は、素子単独で用いる構成に限定されない。複数の有機EL素子を画素として基板上に集積することにより有機ELパネルを構成することもできる。このような有機ELディスプレイは、各々の素子における各層の膜厚を適切に設定することにより実施可能である。
上記説明においては、有機EL素子をいわゆるボトムエミッション型として構成する例を示したが、本発明はこれに限定されない。したがって、トップエミッション型の有機EL素子に適用してもよい。
【産業上の利用可能性】
【0100】
本発明の有機EL素子は、携帯電話用のディスプレイやテレビなどの表示素子、各種光源などに利用可能である。いずれの用途においても、低輝度から光源用途等の高輝度まで幅広い輝度範囲で低電圧駆動される有機EL素子として適用できる。このような高性能により、家庭用もしくは公共施設、あるいは業務用の各種ディスプレイ装置、テレビジョン装置、携帯型電子機器用ディスプレイ、照明光源等として、幅広い利用が可能である。
【符号の説明】
【0101】
1 有機EL素子
1A 光電子分光測定用サンプル
1B ホールオンリー素子
2 陽極
3 ホール注入層(酸化タングステン層)
4 バッファ層
5 発光層
6 陰極
6a バリウム層
6b アルミニウム層
7 導電性シリコン基板
8 酸化タングステン層
9 陰極(金層)
10 基板
11 直流電源
12 バンク
【特許請求の範囲】
【請求項1】
陽極と、有機材料を含んでなる機能層との間に、前記機能層にホールを注入するためのホール注入層が介設された有機EL素子であって、前記ホール注入層は、酸化タングステンを含んで構成され、かつ、その電子状態において、価電子帯で最も低い結合エネルギーより1.8〜3.6eV低い結合エネルギー領域内に占有準位を有していることを特徴とする有機EL素子。
【請求項2】
前記占有準位の存在によって、前記ホール注入層と前記機能層との積層界面において、前記機能層の最高被占軌道の結合エネルギーが前記占有準位の結合エネルギーの近傍に位置づけられていることを特徴とする、請求項1に記載の有機EL素子。
【請求項3】
前記ホール注入層と前記機能層との積層界面において、前記占有準位の結合エネルギーと前記機能層の最高被占軌道の結合エネルギーの差が±0.3eV以内であることを特徴とする、請求項1に記載の有機EL素子。
【請求項4】
前記ホール注入層は、結合エネルギーと光電子強度あるいはその規格化強度との関係を表すUPSスペクトルにおいて、価電子帯で最も低い結合エネルギーより1.8〜3.6eV低い結合エネルギー領域内に、隆起した形状を有することを特徴とする、請求項1〜3のいずれかに記載の有機EL素子。
【請求項5】
前記ホール注入層は、結合エネルギーと光電子強度あるいはその規格化強度との関係を表すXPSスペクトルにおいて、価電子帯で最も低い結合エネルギーより1.8〜3.6eV低い結合エネルギー領域内に、隆起した形状を有することを特徴とする、請求項1〜4のいずれかに記載の有機EL素子。
【請求項6】
前記ホール注入層は、結合エネルギーと光電子強度あるいはその規格化強度との関係を表すUPSスペクトルの微分スペクトルにおいて、価電子帯で最も低い結合エネルギーより2.0〜3.2eV低い結合エネルギー領域に渡り、指数関数とは異なる関数として表される形状を有することを特徴とする、請求項1〜5のいずれかに記載の有機EL素子。
【請求項7】
前記機能層は、アミン系材料を含んでいることを特徴とする、請求項1〜6のいずれかに記載の有機EL素子。
【請求項8】
前記機能層は、ホールを輸送するホール輸送層、注入されたホールと電子とが再結合することにより発光する発光層、光学特性の調整または電子ブロックの用途に用いられるバッファ層の少なくともいずれかであることを特徴とする、請求項1〜7のいずれかに記載の有機EL素子。
【請求項9】
前記ホール注入層における前記占有準位は、価電子帯で最も低い結合エネルギーより2.0〜3.2eV低い結合エネルギー領域内に存在していることを特徴とする、請求項1〜8のいずれかに記載の有機EL素子。
【請求項10】
請求項1〜9のいずれかに記載の有機EL素子を備える表示装置。
【請求項1】
陽極と、有機材料を含んでなる機能層との間に、前記機能層にホールを注入するためのホール注入層が介設された有機EL素子であって、前記ホール注入層は、酸化タングステンを含んで構成され、かつ、その電子状態において、価電子帯で最も低い結合エネルギーより1.8〜3.6eV低い結合エネルギー領域内に占有準位を有していることを特徴とする有機EL素子。
【請求項2】
前記占有準位の存在によって、前記ホール注入層と前記機能層との積層界面において、前記機能層の最高被占軌道の結合エネルギーが前記占有準位の結合エネルギーの近傍に位置づけられていることを特徴とする、請求項1に記載の有機EL素子。
【請求項3】
前記ホール注入層と前記機能層との積層界面において、前記占有準位の結合エネルギーと前記機能層の最高被占軌道の結合エネルギーの差が±0.3eV以内であることを特徴とする、請求項1に記載の有機EL素子。
【請求項4】
前記ホール注入層は、結合エネルギーと光電子強度あるいはその規格化強度との関係を表すUPSスペクトルにおいて、価電子帯で最も低い結合エネルギーより1.8〜3.6eV低い結合エネルギー領域内に、隆起した形状を有することを特徴とする、請求項1〜3のいずれかに記載の有機EL素子。
【請求項5】
前記ホール注入層は、結合エネルギーと光電子強度あるいはその規格化強度との関係を表すXPSスペクトルにおいて、価電子帯で最も低い結合エネルギーより1.8〜3.6eV低い結合エネルギー領域内に、隆起した形状を有することを特徴とする、請求項1〜4のいずれかに記載の有機EL素子。
【請求項6】
前記ホール注入層は、結合エネルギーと光電子強度あるいはその規格化強度との関係を表すUPSスペクトルの微分スペクトルにおいて、価電子帯で最も低い結合エネルギーより2.0〜3.2eV低い結合エネルギー領域に渡り、指数関数とは異なる関数として表される形状を有することを特徴とする、請求項1〜5のいずれかに記載の有機EL素子。
【請求項7】
前記機能層は、アミン系材料を含んでいることを特徴とする、請求項1〜6のいずれかに記載の有機EL素子。
【請求項8】
前記機能層は、ホールを輸送するホール輸送層、注入されたホールと電子とが再結合することにより発光する発光層、光学特性の調整または電子ブロックの用途に用いられるバッファ層の少なくともいずれかであることを特徴とする、請求項1〜7のいずれかに記載の有機EL素子。
【請求項9】
前記ホール注入層における前記占有準位は、価電子帯で最も低い結合エネルギーより2.0〜3.2eV低い結合エネルギー領域内に存在していることを特徴とする、請求項1〜8のいずれかに記載の有機EL素子。
【請求項10】
請求項1〜9のいずれかに記載の有機EL素子を備える表示装置。
【図1】
【図2】
【図3】
【図4】
【図5】
【図6】
【図7】
【図8】
【図9】
【図10】
【図11】
【図12】
【図13】
【図14】
【図2】
【図3】
【図4】
【図5】
【図6】
【図7】
【図8】
【図9】
【図10】
【図11】
【図12】
【図13】
【図14】
【公開番号】特開2011−44445(P2011−44445A)
【公開日】平成23年3月3日(2011.3.3)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−189658(P2009−189658)
【出願日】平成21年8月19日(2009.8.19)
【出願人】(000005821)パナソニック株式会社 (73,050)
【Fターム(参考)】
【公開日】平成23年3月3日(2011.3.3)
【国際特許分類】
【出願日】平成21年8月19日(2009.8.19)
【出願人】(000005821)パナソニック株式会社 (73,050)
【Fターム(参考)】
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