説明

荷電粒子エネルギー分析装置及び該装置を用いた粒子反応解析装置

【課題】多重周回可能な周回軌道を利用してイオン等の荷電粒子の運動エネルギーを高い分解能で以て測定する。
【解決手段】複数のトロイダル電場E1、E2を用いてイオンが2周回する毎に、イオンの初期位置及び初期角度について時間的に収束する一方、イオンが持つ運動エネルギーについて時間的に収束しない周回軌道を形成する。また、周回軌道を含む水平面内でイオンを初期位置、初期角度及び初期運動エネルギーに拘わらず2周回毎に空間収束させるとともに、垂直面内でも発散しない軌道とすることにより高いイオン透過率を達成する。これにより、飛行時間は運動エネルギーにのみ依存し、周期軌道を周回させるほどエネルギー分解能を高めることができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、イオン等の荷電粒子が持つ運動エネルギーを高い精度で以て分析する荷電粒子エネルギー分析装置、及び該装置を利用した粒子反応解析装置に関する。
【背景技術】
【0002】
原子や分子の衝突により生じる反応の反応素過程に関する知見を得るためには、反応により生じる生成物が持つ運動エネルギーや質量を高い精度で以て測定する必要がある。生成物がイオン等の荷電粒子である場合、静電型のエネルギー分析装置、磁場又は高周波電場を利用した質量分析装置、或いは飛行時間型質量分析装置などを使用することで、荷電粒子の持つ運動エネルギーや質量を測定することが可能である(例えば特許文献1など参照)。
【0003】
飛行時間型分析器の基本原理は、荷電粒子が或る定まった距離Lを有する飛行空間を飛行する場合の所要時間(飛行時間)tを測定するものであり、距離Lと飛行時間tとから粒子の速度vを決定することができる。荷電粒子の速度vは該粒子の質量mと運動エネルギーEとに依存するから、荷電粒子の質量mが既知であれば運動エネルギーEを求めることができるし、荷電粒子の運動エネルギーEが既知であれば質量mを求めることができる。このとき、時間分解能t/Δtとエネルギー分解能E/ΔE又は質量分解能m/Δmとの間には、t/Δt=2(E/ΔE)=2(m/Δm)なる関係がある。但し、Δtは分析対象である粒子の入射時や検出時の時間的ばらつきである。したがって、エネルギー分解能や質量分解能を向上させるには時間分解能を向上させる必要がある。
【0004】
時間分解能を向上させるためには、飛行時間tを大きくするかΔtを小さくすればよい。Δtを小さくするために従来より飛行空間に粒子を入射するシャッタ機構の改良などが試みられているが、検出回路系の応答速度の限界などのために数ナノ秒程度が限界である。一方、飛行時間tを大きくするには、荷電粒子に付与する運動エネルギーを低くするか飛行距離Lを長くすればよい。運動エネルギーを低くすると荷電粒子の軌道が撹乱され易くなる等の悪影響があるため、飛行距離を伸ばすのが現実的で最も容易に実行可能な方法である。
【0005】
しかしながら、単に直線的に飛行距離を伸ばすと荷電粒子の透過率が低下する等の問題があるため、荷電粒子を空間的に収束させる必要がある。飛行時間型質量分析装置としては、静電界ミラー(リフレクトロン)や扇形電場を用いて空間的収束及び時間的収束を行いつつ飛行距離を伸ばすことにより、高い質量分解能を得ることができる装置が実用化されている。しかしながら、こうした装置では、直線的な飛行を行うものに比べれば飛行距離を伸ばせるものの、装置のサイズの制約により飛行距離を伸ばすには限界がある。
【0006】
こうした問題を解決するために、従来、多重周回型の飛行時間型質量分析装置が開発されている(例えば特許文献2、非特許文献1など参照)。こうした多重周回飛行時間型質量分析装置では、2乃至4個の扇形電場を用いて8の字状の閉じた周回軌道を形成し、この軌道に沿ってイオンを多数回繰り返し周回させることで飛行距離を実効的に長くしている。この構成では、飛行距離は装置サイズの制約を受けず、周回数を増す毎に質量分解能が向上することが示されている。
【0007】
上述したような多重周回飛行時間型質量分析装置では、同一質量数を持つイオンが周回中に時間的及び空間的に広がることで感度や分解能が低下しないように、質量数の相違による飛行時間の相違以外については、周回前と周回後とでイオンの位置や方向(角度)などが全く同一とするべく完全収束条件を満たすようなイオン光学系が採用されている。これにより、イオンの初期エネルギーが相違する場合でも質量数が同一でありさえすれば飛行時間は同一になり、高い質量分解能を達成することができる。
【0008】
換言すれば、上記のような従来の多重周回飛行時間型質量分析装置では、異なる運動エネルギーを持って周回軌道に導入された同一質量数のイオンは何回周回しても時間的に分離されないため、エネルギー分析には利用できない。
【0009】
【特許文献1】特開平11−195398号公報
【特許文献2】特開平10−21872号公報
【非特許文献1】豊田岐聡ほか3名、「マルチターン・タイムオブフライト・マス・スペクトロメーターズ・ウィズ・エレクトロスタティック・セクターズ(Multi-turn time-of-flight mass spectrometers with electrostatic sectors)」、ジャーナル・オブ・マス・スペクトロメトリー(Journal of Mass Spectrometry)、2003, 38, p.1125-1142
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
本発明はかかる点に鑑みて成されたものであり、その目的とするところは、多重周回飛行時間型分析器を利用することでイオン等の荷電粒子が有する運動エネルギーを高い分解能で以て分析することができる荷電粒子エネルギー分析装置、及び該装置を利用した粒子反応解析装置を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0011】
上記課題を解決するために成された本発明は、荷電粒子が持つ運動エネルギーを分析する荷電粒子エネルギー分析装置であって、
a)複数の扇形電場を含む電場により荷電粒子を繰り返し飛行させるための周回軌道を形成する軌道形成手段と、
b)分析対象の荷電粒子をパルス化された状態で以て前記周回軌道に導入するための導入手段と、
c)前記周回軌道を所定周回数飛行した荷電粒子を該周回軌道から取り出すための取り出し手段と、
d)その取り出された荷電粒子を検出する検出手段と、
e)該検出手段による検出信号に基づき荷電粒子の飛行時間を求めて該飛行時間から該荷電粒子が持つ運動エネルギーを算出する処理手段と、
を備え、前記軌道形成手段は、荷電粒子が1乃至複数の規定周回数だけ周回する毎に、該荷電粒子の初期位置及び初期入射角度について時間的に収束する一方、荷電粒子が持つ運動エネルギーについて時間的に収束しないような周回軌道を形成することを特徴としている。
【0012】
ここで荷電粒子とは典型的には正又は負のイオンである。
【0013】
本発明に係る荷電粒子エネルギー分析装置では、特定の質量を有する又は運動エネルギーの相違(ばらつき)の範囲に比べて十分に小さな程度に質量範囲が限定された荷電粒子が導入手段により周回軌道に導入される。多数の荷電粒子が予めパルス化、即ち、多数の荷電粒子がほぼ同時に粒子出発点を発したものとみなせる程度の短い時間幅に集中化されている場合には導入手段はそのまま荷電粒子群を周回軌道に乗せればよいが、予めパルス化されていない場合には、導入手段により荷電粒子群をパルス化した後に周回軌道に乗せるようにする。これにより、荷電粒子の飛行時間の計測開始のタイミングを決めることができ、分析対象である多数の荷電粒子の飛行開始のタイミングを揃えることができる。
【0014】
周回軌道に導入された荷電粒子は複数の扇形電場を含む電場の作用を受けて該周回軌道に沿って飛行を行うが、従来の多重周回飛行時間型の質量分析装置であれば、荷電粒子が持つ運動エネルギーが相違していてもその影響が飛行時間に現れないように時間的収束がなされてしまう。それに対し、本発明の構成では、荷電粒子が持つ運動エネルギーについての時間的収束性はないため、運動エネルギーの相違は飛行時間の相違に反映され、周回を繰り返す毎にその飛行時間の差は拡大する。一方、荷電粒子の初期位置及び初期入射角度については規定周回数毎に時間的収束性があるため、周回軌道に導入される際の位置にばらつきがあっても或いは入射角度(方向)にばらつきがあっても、荷電粒子が規定周回数周回する毎の飛行時間はそうしたばらつきの影響を受けない。したがって、規定周回数毎に各荷電粒子の飛行時間は運動エネルギーのみを反映したものとなる。
【0015】
なお、荷電粒子の速度は質量にも依存するが、周回軌道に導入される前に荷電粒子の質量が揃えられていれば質量についての飛行時間の相違を考慮する必要はない。また、運動エネルギーの相違の範囲に比べて質量範囲が十分に小さければ、質量の相違による飛行時間の相違は存在するものの運動エネルギーを計算する上では実質的に無視できる。
【0016】
取り出し手段は荷電粒子が規定周回数周回する毎のいずれかのタイミングで、つまり例えば規定周回数が2であれば、2の倍数の周回数毎のいずれかのタイミングで以て荷電粒子を周回軌道から離脱させ検出手段に導入し、検出手段は到達した荷電粒子による検出信号を出力する。処理手段は検出信号により荷電粒子が検出器に到達したことを認識し、荷電粒子の出発時点からの飛行時間を求める。上述したようにこのときに得られる飛行時間は荷電粒子が持つ運動エネルギーにのみ依存しているとみなせるから、所定の計算式に基づき飛行時間から運動エネルギーを算出することができる。
【発明の効果】
【0017】
本発明に係る荷電粒子エネルギー分析装置によれば、荷電粒子の飛行時間について荷電粒子の初期位置や初期角度のばらつきの影響を受けず、周回軌道に沿った周回数を増やすほど運動エネルギーの差による飛行時間差が拡大するから、非常に高いエネルギー分解能で以て荷電粒子の運動エネルギーを分析することができる。また、そうした高エネルギー分解能を達成する際に装置のサイズの制約を受けることもない。
【0018】
また本発明に係る荷電粒子エネルギー分析装置において、前記周回軌道は、荷電粒子が規定周回数周回する毎に、該荷電粒子の初期位置、初期入射角度及び運動エネルギーについて、該周回軌道を含む水平面内における空間的な収束性を有する構成とすることが好ましい。
【0019】
さらにまた、前記周回軌道は、荷電粒子の初期位置及び初期入射角度について、前記水平面に直交する方向における空間的な収束性を有する構成とするとより好ましい。
【0020】
こうした構成によれば、荷電粒子は周回軌道を含む水平面内及びその垂直面内で空間的に発散しないので、周回数を増やしても途中で荷電粒子数が減少することを回避できる。即ち、周回軌道における荷電粒子の透過率を良好に維持することができ、高い検出感度を確保することができる。
【0021】
また本発明に係る荷電粒子エネルギー分析装置の一実施態様として、前記複数の扇形電場は前記水平面に直交する方向において荷電粒子の収束に寄与する同一のトロイダル電場である構成とすることができる。この構成では、トロイダル電場の数、半径、角度、c値(=r0/R0 、r0:荷電粒子光軸の半径、R0:中間等電位面の曲率半径)、隣接する電場間の自由空間長、などを適宜に定めることにより上記のような時間的収束及び空間的収束条件を満たすことが可能である。
【0022】
また本発明に係る荷電粒子エネルギー分析装置の別の実施態様として、前記複数の扇形電場はそれぞれが円筒電場であり、これに加えて前記水平面に直交する方向において荷電粒子の空間的な収束に寄与する別の電場を設ける構成とすることもできる。トロイダル電場と異なり円筒電場では垂直面内の空間的収束性を持たせることができないが、例えば四重極電場などの他の電場を付加することで垂直面内の空間的収束性を持たせることが可能である。
【0023】
また本発明に係る荷電粒子エネルギー分析装置では、上述したように飛行時間から運動エネルギーを算出する際に無視できないほどの質量数依存性があると正確な算出ができなくなる。そこで、質量が揃っていない又は質量範囲が広すぎる荷電粒子が生成される場合には、分析対象である荷電粒子の質量を選択する又は質量範囲を限定する選択手段を前記導入手段の前段に備える構成とするとよい。
【0024】
また本発明に係る粒子反応解析装置は、上記発明に係る荷電粒子エネルギー分析装置を利用したものであって、荷電粒子を生成する生成手段と、生成された荷電粒子の中で特定の質量又は運動エネルギーを持つ荷電粒子を選択する選択手段と、該選択手段により選択された荷電粒子を対象物に衝突させることにより反応を生じさせる反応室と、を備え、
該反応室での反応により運動エネルギーが変化した前記荷電粒子又は該反応室での反応により新たに生成された荷電粒子を前記導入手段により前記周回軌道に導入し、その荷電粒子の運動エネルギーに基づいて前記反応室での反応についての情報を得ることを特徴としている。
【0025】
この構成によれば、反応室における反応によって運動エネルギーが変化した荷電粒子又は反応の過程で特異な運動エネルギーを持って生成された荷電粒子の運動エネルギーを、上述したように非常に高いエネルギー分解能で以て分析することができる。それにより、そうして求めた運動エネルギーから反応室内での原子や分子の衝突により生じる反応の反応素過程に関する的確な知見を得ることが可能となる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0026】
本発明に係る荷電粒子エネルギー分析装置とこれを利用した粒子反応解析装置の具体的な実施例について以下に説明する。以下の説明では、荷電粒子がイオンである場合について述べる。
【0027】
まず、以降の説明に使用するイオンの軌道の表現法について説明する。いま、イオンが入射面から入射し、扇形電場などを含む任意のイオン光学系により輸送されて出射面から出射する場合を想定する。また、中心軌道を通る特定エネルギーを有し特定質量数を持つイオンを特定イオンとして定めて基準とする。位置、飛行方向(角度)及び運動エネルギーに関し、この特定イオンからずれた初期値を有して入射面を出発したイオンが、出射面において中心軌道を進んだイオンに対して持つ空間及び時間のずれは、周知のイオン光学系の理論より次のような一次近似式で表される。
X=(x|x)x+(x|a)a+(x|d)d …(1)
A=(a|x)x+(a|a)a+(a|d)d …(2)
T=(t|x)x+(t|a)a+(t|d)d …(3)
ここで、Xは出射位置における軌道平面内での中心軌道に直交する方向の位置のずれ、Aは出射位置における飛行方向(角度)のずれ、Tは出射位置における時間のずれ、xは入射位置における軌道平面(軌道を含む水平面)内での中心軌道に直交する方向の位置のずれの初期値、aはその方向における角度のずれの初期値、tは入射位置における時間のずれの初期値、dは入射位置における運動エネルギーのずれの初期値をそれぞれ表す。なお、軌道平面に垂直な面での軌道も重要であるが、この軌道は水平面内の軌道に比べれば重要性が低いので省略する。また(x|x)、…、(t|d)は、このイオン光学系において()内の記号の要素に依存する常数である。
【0028】
上記(1),(2),(3)式はイオン光学的マトリクスを用いて次の(4)式のように表すことができる。
【数1】

上記(4)式のマトリクス中の9個の要素の値がイオンの空間的収束性及び時間的収束性を主として左右するパラメータである。
【0029】
ここで、ポシェンリエデールが提案しているような閉曲線の軌道(以下、閉軌道という)を持つ飛行時間型質量分析装置におけるイオン光学系について考えてみる(ポシェンリエデール(W. P. Poshenrieder)、「マルチプル-フォーカシング・タイム-オブ-フライト・マス・スペクトロメーターズ パートII TOFMS・ウィズ・イコール・エネルギー・アクセラレーション(Multiple-Focusing Time-Of-Flight Mass Spectrometers Part II TOFMS With Equal Energy Acceleration)」、インターナショナル・ジャーナル・オブ・マス・スペクトロメトリー・アンド・イオン・フィジックス(Int. J. Mass. Spectrom. Ion Phys.)、9(1972)、p.357参照)。
【0030】
このようなイオン光学系では、理想的には入射点から出発したイオンは上記閉軌道を飛行した後、再びこの入射点に戻って来る。こうした閉軌道を持つイオン光学系が有すべき特性は、空間的には、
(x|x)=±1 且つ (x|a)=(x|d)=0 …(5)
で与えられる。一方、時間的には、
(t|x)=(t|a)=(t|d)=0 …(6)
で与えられることになる。(5)式は空間における角度及び運動エネルギーの収束(空間的二重収束)条件を表し、(6)式は時間に関する位置、角度及び運動エネルギーの収束(時間的三重収束)条件を表している。こうした条件が満たされれば、上記閉軌道を飛行するイオンの飛行時間は位置、角度及び運動エネルギーの影響を受けず、イオンの質量のみに依存したものとなる。これが、多重周回飛行時間型質量分析装置の理想的な収束条件である。
【0031】
次に、本発明に係る荷電粒子エネルギー分析装置の一実施例(第1実施例)であるイオンエネルギー分析装置の飛行軌道について上記表現法を用いて説明する。
【0032】
図2はこの第1実施例のイオンエネルギー分析装置の多重周回軌道の飛行空間10の上面図である。この軌道は半径:100mm、角度:180°、一次のc値(C1):0.242である2個の同一のトロイダル電場E1、E2により形成される略楕円状軌道である。トロイダル電場E1は、外側電極11a、内側電極11bを組とする第1電極11により形成され、トロイダル電場E2は、外側電極12a、内側電極12bを組とする第2電極12により形成される。また、両トロイダル電場E1、E2の離間距離、即ち両電場の影響を受けないイオンの飛行上の自由空間長Sは105.4mmに設定されている。なお、図2におけるx、y、z軸について、z軸はイオンの進行方向であり、x軸は周回軌道を含む面内でz軸に直交する方向、y軸はz軸及びx軸に共に直交する方向である。
【0033】
上記構成の2周回後のイオン光学的マトリクスの各要素を計算により求めた結果は次のようになっている。
(x|x)=0.9997、(x|a)=-0.00003、(x|d)=0.00000、(a|x)=0.00318、(a|a)=0.99997、(a|d)=-0.00018、(t|x)=-0.00035、(t|a)=0.00000、(t|d)=0.62120
【0034】
即ち、時間的には(t|x)、(t|a)≒0であり、これは2周回後のイオンの飛行時間がイオンの初期位置及び初期角度(入射方向)の相違に依存しないことを意味している。これは(6)式と同じである。これに対し(t|d)は0でないから、これは2周回後のイオンの飛行時間がイオンの初期運動エネルギーの相違に依存することを意味している。つまり、質量が同じであって運動エネルギーが異なる2個のイオンが周回軌道に導入されたときに、2周回後には一方が他方よりも先行した状態となり、そこから2周回後には両イオンの差はさらに拡大していることを意味している。
【0035】
一方、空間的には(x|x)、(a|a)≒1、(x|a)、(x|d)、(a|x)、(a|d)≒0であるから、これは軌道を含む水平面内において2周回後のイオンの位置及び角度が初期位置及び初期角度と等しくなる、つまり空間的に収束していて発散しないことを意味している。したがって、周回軌道を飛行している途中でのイオンの損失は少なく、この周回軌道に導入されたイオンを2周回単位で飛行させた後に取り出した場合に効率良くイオンの取り出しが可能である。
【0036】
なお、空間的にイオンを発散させないという点では、水平方向のみならず垂直方向のイオンの挙動も重要である。上記表現法では記載していないが、後の説明で明らかなように初期位置や初期角度のばらつきによる垂直方向へのイオンの振動は2周回毎ではないものの完結しており空間的な収束性は確保されている。したがって、周回数を増やしていっても飛行途中でイオンが垂直方向にも発散してしまうことはなく、水平、垂直の両方向においてイオンの透過率を高くすることが可能である。
【0037】
図3、図4は上記実施例の周回軌道において2周回期間中のx軸方向とy軸方向のイオンの軌道をシミュレーション計算したものであり、x軸方向については初期位置、初期角度、及び初期運動エネルギーの変動を与え、y軸方向については初期位置及び初期角度の変動を与えている。初期位置、初期角度及び初期運動エネルギーの変動はいずれも±0.01としてある。図3を見れば分かるように、2周回終了時点では初期位置、初期角度及び初期運動エネルギーの変動に依存せずにほぼ元の位置に戻っている。即ち、x軸方向、つまりは水平面内では2周回毎に、空間的に初期位置、初期角度及び初期運動エネルギーの収束性が確保されていると言える。
【0038】
一方、図4を見れば分かるように、y軸方向では2周回終了時点で初期位置及び初期角度の変動によるイオンの軌道は収束していないものの、イオンの軌道の振動は周期的な略正弦波状となっていることが分かる。これは周回数を増やしてもイオン軌道は正弦波状に続くだけであって発散しないことを意味している。したがって、途中でイオンが損失することはなく、y軸方向にイオン軌道が或る程度広がった状態でもそれをまとめて周回軌道から外側に取り出せるようにしておきさえすればイオン透過率を損なうことはない。
【0039】
図5は上記実施例の周回軌道において2周回期間中のイオン経路長の変動のシミュレーション結果であり、(a)は初期位置及び初期角度の変動によるもの、(b)は初期運動エネルギーの変動によるものを示す。図中のイオン経路長の進みは相対的に先行してイオンが進行する、つまり飛行時間が短くなることを意味し、遅れは相対的にイオンが遅れる、つまり飛行時間が長くなることを意味する。
【0040】
図5(a)に示すように、初期位置の変動はイオン経路長の進み、遅れに影響を与えず、初期角度の変動は影響を与えるものの2周回終了時点では進み、遅れがなくなるため、飛行時間に差が生じない。これに対し、図5(b)に示すように、初期運動エネルギーの変動によるイオン経路長の進み、遅れはイオンが進むに伴って拡大してゆく一方であるから、2周回終了時点では飛行時間に大きな差が生じる。これが、上記イオン光学的マトリクスの(t|d)が0でないことの影響である。このように初期位置や初期角度の相違は飛行時間の相違に反映されず、初期運動エネルギーの相違のみが飛行時間の相違に反映されるため、飛行時間に基づいてイオンの運動エネルギーを求めることが可能となる。
【0041】
続いて、他の実施例(第2実施例)であるイオンエネルギー分析装置の飛行軌道について上記表現法を用いて説明する。
【0042】
図6はこの第2実施例のイオンエネルギー分析装置の多重周回軌道の飛行空間20の上面図である。この軌道は半径:100mm、角度:266.2°、一次のc値(C1):0.013である2個の同一のトロイダル電場E1、E2により形成される略8字状軌道である。トロイダル電場E1は、外側電極21a、内側電極21bを組とする第1電極21により形成され、トロイダル電場E2は、外側電極22a、内側電極22bを組とする第2電極22により形成される。また、両トロイダル電場E1、E2の離間距離、即ち両電場の影響を受けないイオンの飛行上の自由空間長Sは213.6mmに設定されている。
【0043】
上記構成の4周回後のイオン光学的マトリクスの各要素を計算により求めた結果は次のようになっている。
(x|x)=-0.99992、(x|a)=0.00065、(x|d)=0.00007、(a|x)=-0.00826、(a|a)=-0.99992、(a|d)=0.00001、(t|x)=0.00002、(t|a)=0.00014、(t|d)=0.84090
【0044】
即ち、この第2実施例の構成では、2周回と4周回の違いはあるものの第1実施例と同様に時間的には(t|x)、(t|a)≒0であり、これは4周回後のイオンの飛行時間がイオンの初期位置及び初期角度の相違に依存しないことを意味している。これに対し(t|d)は0でないから、これは4周回後のイオンの飛行時間がイオンの初期運動エネルギーに相違に依存することを意味している。つまり、質量が同じであって運動エネルギーが異なる2個のイオンが周回軌道に導入されたときに、4周回後には一方が他方よりも先行した状態となり、そこから4周回後には両イオンの差はさらに拡大していることを意味している。
【0045】
また、これも第1実施例と同様に、空間的には(x|x)、(a|a)≒1、(x|a)、(x|d)、(a|x)、(a|d)≒0であるから、これは軌道を含む水平面内において4周回後のイオンの位置及び角度が初期位置及び初期角度と等しくなる、つまり空間的に収束していて発散しないことを意味している。また、初期位置や初期角度のばらつきによる垂直方向へのイオンの振動は4周回毎ではないものの完結しており空間的な収束性は確保されている。したがって、イオンは水平方向、垂直方向のいずれにも発散してしまうことはなくイオンの透過率を高くすることが可能である。
【0046】
図3、図4と同様に、第2実施例の周回軌道において4周回期間中のx軸方向とy軸方向のイオンの軌道をシミュレーション計算した結果を示すのが図7、図8である。但し、初期位置及び初期運動エネルギーの変動は±0.01としてあるが、初期角度については変動を±0.003としてある。図7を見れば分かるように、4周回終了時点では初期位置、初期角度及び初期運動エネルギーの変動に依存せずにほぼ元の位置に戻っているから、x軸方向、つまりは水平面内では4周回毎に、空間的に初期位置、初期角度及び初期運動エネルギーの収束性が確保されていると言える。また、図8を見れば分かるように、y軸方向では4周回終了時点で初期位置及び初期角度の変動によるイオンの軌道は収束していないものの、イオンの軌道の振動は周期的な略正弦波状となっていることが分かるから、周回数を増やしてもイオンが発散しないことが分かる。
【0047】
図9は第2実施例の周回軌道において初期運動エネルギーの変動を与えたときの4周回期間中のイオン経路長の変動のシミュレーション結果である。この場合には、第1実施例とは異なり、イオン経路長の変動はイオンの進行に伴って単調に変化はしないものの、4周回終了時点では初期運動エネルギーの相違に依存して差がついており、飛行時間が相違することが分かる。一方、ここでは図を省略しているが、初期位置や初期角度の相違は4周回毎の飛行時間の相違には反映されない。したがって、この第2実施例の構成によっても、飛行時間に基づいてイオンの運動エネルギーを求めることが可能となる。
【0048】
なお、上述したように空間的に初期位置、初期角度、初期運動エネルギーの相違に拘わらず1乃至複数の周回毎に収束が達成され、且つ初期位置及び初期角度の相違に拘わらず時間的な収束も達成され、初期運動エネルギーの相違に対してのみ収束しないような条件を満たすイオン光学系は上記記載のものに限らない。トロイダル電場を用いることで水平方向のみならず垂直方向の空間的収束も容易に行えるから、複数のトロイダル電場の組み合わせが特に有用である。一方、円筒電場の場合には水平方向の空間的収束性は有するものの垂直方向の空間的収束性がないため、垂直方向の収束性を達成し得る別の電場、例えば四重極電場などを追加的に設けることで上記条件を満たすようにすることができる。
【0049】
次に、上記第1実施例の多重周回軌道を有するエネルギー分析装置を利用した粒子反応解析装置の一例を説明する。図1はこの粒子反応解析装置の全体構成図である。
【0050】
図1において、イオン源1では様々な質量数を持つイオンが生成され、このイオン群は質量分離部2に導入され特定の質量数を持つイオン(例えばヘリウムイオン)のみが選択される。イオン源1は例え質量分離部2としては種々の構成のものが利用できるが、質量選択性が高いことが望ましく、例えば四重極質量フィルタを用いたものを利用することができる。質量分離部2で選択された特定の質量数を持つイオンは反応室3に導入され、ここで衝突ガスや反応ガスなどとの衝突により特定の化学反応を生じさせる。その反応による生成物、例えば上記反応により特定の運動エネルギーを付与されたイオンがパルス化部4に導入され、ここで分析対象のイオンの飛行開始時点が揃うようにパルス化される。パルス化部4では各イオンが持つ運動エネルギーが変化しないようにする必要があるから、例えば機械的なシャッタなどが有用である。なお、前段の質量分離部2等でイオンがパルス化される場合には、パルス化部4を設ける必要はない。
【0051】
パルス化された、つまりほぼ同時とみなせる時刻に出発したイオンは上述した2個のトロイダル電場E1、E2により形成される周回軌道Pに導入される。この例では、外側電極12aの所定箇所にイオン入射孔13が形成されており、トロイダル電場E2を形成するべく第2電極12に電圧を印加する電圧発生部6の印加電圧を一時的にゼロにする又はイオン引き込みに適した電圧にすることにより、パルス化部4から到来したイオンをイオン入射孔13を通して周回軌道Pに導入し、導入後にトロイダル電場E2を発生させるようにするとよい。そのほか、偏向電場や小型の扇形電場を用いてイオンの軌道を曲げることにより例えば自由空間における軌道Pにイオンを導入する、等の別のイオン導入方法も考えられる。
【0052】
周回軌道Pに導入されたイオンは上述したようにトロイダル電場E1、E2により、2の倍数である規定周回数だけ繰り返し周回される。この規定周回数を大きくするほどエネルギー分解能は向上するが、異なるエネルギーを持つイオンが混在している場合には、最も先行するイオンが最も遅いイオンに追いついてしまうと両イオンが混在して分離ができなくなるから、こうしたことを考慮して規定周回数を決めるとよい。イオンが規定周回数だけ周回する間にイオンはその運動エネルギーに応じた速度で以て飛行し、規定周回数だけ周回すると、入射時と同様に今度はトロイダル電場E1が無くなることでイオンは周回軌道Pを離れ、第1電極11の外側電極11aに設けられたイオン出射孔14を通して外側に取り出される。そして、その後は検出器5に向かって進み、検出器5に到達すると到達したイオン量に応じた検出信号が出力される。
【0053】
上記のようなイオンの一連の挙動は制御部7により制御されており、データ処理部8は制御部7からの制御信号によりイオンの出発時点を認識し、検出器5による検出信号により検出器5へのイオンの到着時点を認識する。これにより、イオンの飛行時間を測定する。この飛行時間には、イオンがパルス化部4を出てから周回軌道Pに入るまで、及び周回軌道Pを離脱してから検出器5に到達するまでのイオンの飛行経路の通過時間も含むが、これらの飛行経路の長さは既知であり、周回軌道P上の周回時の距離も既知であるから、データ処理部8では、測定した飛行時間に基づいてイオンの運動エネルギーを計算することができる。
【0054】
反応室3での反応の態様によって反応室3から出射するイオンが持つ運動エネルギーが相違するため、上述したように検出器5に到達したイオンの運動エネルギーを正確に算出することにより、その運動エネルギーから反応の態様を推定することができ、分子や原子の反応の解析に有用である。
【0055】
なお、上記実施例はいずれも本発明の一実施例であるから、本発明の趣旨の範囲で適宜に修正、変更、追加などを行っても本願特許請求の範囲に包含されることは明らかである。
【図面の簡単な説明】
【0056】
【図1】本発明の一実施例によるイオンエネルギー分析装置を利用した粒子反応解析装置の全体構成図。
【図2】本発明の一実施例(第1実施例)のイオンエネルギー分析装置の多重周回軌道の飛行空間の上面図。
【図3】第1実施例の周回軌道において2周回期間中のx軸方向のイオンの軌道をシミュレーション計算した結果を示す図。
【図4】第1実施例の周回軌道において2周回期間中のy軸方向のイオンの軌道をシミュレーション計算した結果を示す図。
【図5】第1実施例の周回軌道において2周回期間中のイオン経路長の変動のシミュレーション結果を示す図。
【図6】本発明の他の実施例(第2実施例)のイオンエネルギー分析装置の多重周回軌道の飛行空間の上面図。
【図7】第2実施例の周回軌道において4周回期間中のx軸方向のイオンの軌道をシミュレーション計算した結果を示す図。
【図8】第2実施例の周回軌道において4周回期間中のy軸方向のイオンの軌道をシミュレーション計算した結果を示す図。
【図9】第2実施例の周回軌道において4周回期間中のイオン経路長の変動のシミュレーション結果を示す図。
【符号の説明】
【0057】
1…イオン源
E1、E2…トロイダル電場
10、20…飛行空間
11、21…第1電極
11a、12a、21a、22a…外側電極
11b、12b、21b、22b、…内側電極
12、22…第2電極
13…イオン入射孔
14…イオン出射孔
2…質量分離部
3…反応室
4…パルス化部
5…検出器
6…電圧発生部
7…制御部
8…データ処理部
P…周回軌道



【特許請求の範囲】
【請求項1】
荷電粒子が持つ運動エネルギーを分析する荷電粒子エネルギー分析装置であって、
a)複数の扇形電場を含む電場により荷電粒子を繰り返し飛行させるための周回軌道を形成する軌道形成手段と、
b)分析対象の荷電粒子をパルス化された状態で以て前記周回軌道に導入するための導入手段と、
c)前記周回軌道を所定周回数飛行した荷電粒子を該周回軌道から取り出すための取り出し手段と、
d)その取り出された荷電粒子を検出する検出手段と、
e)該検出手段による検出信号に基づき荷電粒子の飛行時間を求めて該飛行時間から該荷電粒子が持つ運動エネルギーを算出する処理手段と、
を備え、前記軌道形成手段は、荷電粒子が1乃至複数の規定周回数だけ周回する毎に、該荷電粒子の初期位置及び初期入射角度について時間的に収束する一方、荷電粒子が持つ運動エネルギーについて時間的に収束しないような周回軌道を形成することを特徴とする荷電粒子エネルギー分析装置。
【請求項2】
前記周回軌道は、荷電粒子が規定周回数周回する毎に、該荷電粒子の初期位置、初期入射角度及び運動エネルギーについて、該周回軌道を含む水平面内における空間的な収束性を有することを特徴とする請求項1に記載の荷電粒子エネルギー分析装置。
【請求項3】
前記周回軌道は、荷電粒子の初期位置及び初期入射角度について、前記水平面に直交する方向における空間的な収束性を有することを特徴とする請求項2に記載の荷電粒子エネルギー分析装置。
【請求項4】
前記複数の扇形電場は前記水平面に直交する方向において荷電粒子の収束に寄与する同一のトロイダル電場であることを特徴とする請求項3に記載の荷電粒子エネルギー分析装置。
【請求項5】
前記複数の扇形電場はそれぞれが円筒電場であり、これに加えて前記水平面に直交する方向において荷電粒子の空間的な収束に寄与する別の電場を設けることを特徴とする請求項3に記載の荷電粒子エネルギー分析装置。
【請求項6】
分析対象である荷電粒子の質量を選択する又は質量範囲を限定する選択手段を前記導入手段の前段に備えることを特徴とする請求項1〜5のいずれかに記載の荷電粒子エネルギー分析装置。
【請求項7】
請求項1〜5のいずれかに記載の荷電粒子エネルギー分析装置を利用した粒子反応解析装置であって、
荷電粒子を生成する生成手段と、生成された荷電粒子の中で特定の質量又は運動エネルギーを持つ荷電粒子を選択する選択手段と、該選択手段により選択された荷電粒子を対象物に衝突させることにより反応を生じさせる反応室と、を備え、
該反応室での反応により運動エネルギーが変化した前記荷電粒子又は該反応室での反応により新たに生成された荷電粒子を前記導入手段により前記周回軌道に導入し、その荷電粒子の運動エネルギーに基づいて前記反応室での反応についての情報を得ることを特徴とする粒子反応解析装置。



【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【公開番号】特開2007−207696(P2007−207696A)
【公開日】平成19年8月16日(2007.8.16)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−27998(P2006−27998)
【出願日】平成18年2月6日(2006.2.6)
【出願人】(504176911)国立大学法人大阪大学 (1,536)
【出願人】(505127721)公立大学法人大阪府立大学 (688)
【出願人】(000001993)株式会社島津製作所 (3,708)
【Fターム(参考)】