説明

質量分析システム

【課題】 複数のペプチドに由来する同位体ピーク群が重なり合っている場合でも、各ペプチドのアミノ酸配列を高い精度で同定することのできる質量分析システムを提供する。
【解決手段】 ペプチド混合物のMS測定によって得られた同位体ピーク群から、一部のピークを選択してMS/MS測定を行う質量分析部と、該質量分析部の制御及びデータ解析を行う制御/処理部を設ける。ペプチド混合物のMS/MS測定(S3)で得られた同位体ピーク群を、各同位体ピーク群を構成するピークの数に応じてクラス分けし(S5)、各クラス毎にピークリストを作成する(S6)。このようにクラス分けされたピークリストを用いることで、異なるペプチドに由来する同位体ピーク群が重なり合っている場合であっても、個々のペプチド由来のプロダクトイオンを区別することができ、高精度なアミノ酸配列の同定を行うことができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、ペプチド混合物を含む試料を質量分析し、得られたデータを基に各ペプチドのアミノ酸配列を同定するための質量分析システムに関する。
【背景技術】
【0002】
近年、ポストゲノム研究としてタンパク質の構造や機能の解析が急速に進められている。このようなタンパク質の構造・機能解析手法の一つとして、質量分析装置を用いたタンパク質の発現解析や一次構造解析が広く行われるようになってきており、四重極型イオントラップ(Quadrupole Ion Trap;QIT)や衝突誘起分解(Collision Induced Dissociation ;CID)などによって特定のピークの捕捉と開裂を行う、いわゆるMS/MS分析(又はMS分析)が威力を発揮している。一般にMS/MS分析では、まず、分析対象物から特定の質量電荷比(m/z)を有するイオンをプリカーサイオンとして選別し、該プリカーサイオンをCIDによって開裂させる。その後、開裂によって生成したイオン(プロダクトイオン)を質量分析することによって、目的とするイオンの質量や化学構造についての情報を取得することができる。
【0003】
上記のようなMS/MS(又はMS)によってタンパク質のアミノ酸配列の同定を行う場合には、まず、タンパク質を適当な酵素で消化してペプチド断片の混合物としてから、該ペプチド混合物を質量分析に供する。このとき、各ペプチドを構成する元素には質量の異なる安定同位体が存在するため、同一のアミノ酸配列から成るペプチドであっても、その同位体組成の違いによって質量電荷比の異なる複数のピークを生じる(図5)。該複数のピークは、天然存在比が最大の同位体のみで構成されたイオン(主イオン)のピークと、それ以外の同位体を含むイオン(同位体イオン)のピークから成り、これらは1Da間隔で並んだ複数本のピークから成るピーク群を形成する(本発明ではこれを同位体ピーク群と呼ぶ)。
【0004】
続いて、上記のようなペプチド混合物の質量分析データ(MSデータ)の中から、単一のペプチドに由来する一組の同位体ピーク群をプリカーサイオンとして選択し、該プリカーサイオンを開裂させて得られたイオン(プロダクトイオン)の質量分析(MS/MS分析)を行う。
【0005】
以上のようにして得られたプロダクトイオンのスペクトルパターンや、上記プリカーサイオンのスペクトルパターンをデータベース検索に供することによって、被検ペプチドのアミノ酸配列を同定することができる。また、これらのスペクトルパターンをコンピュータソフトウェアを用いて数理的に解析することで、各ペプチドのアミノ酸配列を推定する(DeNovoシーケンス)こともできる。
【0006】
従来、上記のような手法によるアミノ酸配列の同定を行う際に、MSデータ上で異なるペプチドに由来する同位体ピーク群が近接していた場合には、所望のペプチド由来のピークと共に、該ピークに近接した他のペプチド由来のピークがプリカーサイオンとして選択されてしまい、正確な同定を行うことができなかった。しかし、近年の高分離能イオントラップ技術の発展に伴い、1Da間隔で現れる同位体ピーク群の中から単一のピークを選択してプリカーサイオンとすることが可能となったため、異なるペプチド由来の同位体ピーク群の一部が重なり合っているような場合であっても、その中から各ペプチドに由来するピークを個別に選択してMS/MSを行うことで、各ペプチドの分離・同定を行うことができるようになった(非特許文献1)。
【0007】
【非特許文献1】ハイペップ研究所沖縄ラボ設立記念コンファレンス配付資料、2005年2月19日、島津製作所
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
しかし、異なるペプチド由来の同位体ピーク群の重なりが大きい場合には、上述のように同位体ピーク群の中から単一ピークを選択してMS/MS分析を行っても、該単一ピークには複数種類のペプチドに由来するイオンが混在した状態となっているため、MS/MSデータの解釈が複雑になり、正確なアミノ酸配列の同定を行うことができなかった。
【0009】
すなわち、本発明が解決しようとする課題は、複数のペプチドに由来する同位体ピーク群が重なり合っている場合であっても、各ペプチドのアミノ酸配列を高い精度で同定又は推定することのできる質量分析システムを提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0010】
上記課題を解決するために成された本発明に係る質量分析システムは、被検試料中のペプチド混合物のアミノ酸配列を同定するための質量分析システムであって、
a)上記ペプチド混合物のMS測定によって得られた同位体ピーク群の中から、一部のピークを選択してMS/MS測定を行う質量分析手段と、
b)前記質量分析手段によるMS/MS測定によって得られた同位体ピーク群を、各同位体ピーク群を構成するピークの数に応じてクラス分けし、各クラス毎にピークリストを作成するピークリスト作成手段と、
c)前記ピークリスト作成手段によって作成された各ピークリストを基にアミノ酸配列を同定又は推定する配列同定手段と、
を有することを特徴とする。
【0011】
ここで、上記質量分析手段は、四重極イオントラップを備えた質量分析装置から成るものとすることが望ましい。
【0012】
なお、本発明において「MS/MS測定」とは、所定のプリカーサイオンを開裂させ、得られたイオン(プロダクトイオン)を質量電荷比に基づいて分離・検出することを指し、1回の開裂を行うMS/MS分析のみならず、目的分子を複数回開裂させる、いわゆるMS分析を含むものとする。
【0013】
また、上記「一部のピーク」としては、複数本のピークを選択するようにしてもよいが、データの解析を容易にするため、単一のピークを選択してMS/MS測定を行うようにすることが望ましい。更に、該単一のピークとしてはMS測定で得られた同位体ピーク群の中でイオン強度が最大のものを選択することが望ましい。
【発明の効果】
【0014】
上記構成を有する本発明の質量分析システムによれば、ペプチド混合物のMSデータにおいて、異なるペプチドに由来する同位体ピーク群が重なり合っている場合であっても、個々のペプチドのアミノ酸配列を高い精度で同定又は推定することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0015】
本発明の質量分析システムに係る質量分析手段としては、高い分離能でプリカーサイオンを選択してMS/MS分析(又はMS分析)を行うことが可能な質量分析装置を使用する。このような質量分析装置としては、例えば、四重極型イオントラップを備えた飛行時間型質量分析装置等を好適に用いることができる。また、該質量分析装置はマトリックス支援レーザー脱離イオン化(Matrix Assisted Laser Desorption/Ionization;MALDI)法による試料のイオン化を行うものとすることが望ましい。但し、本発明の質量分析システムにおける質量分析手段の構成はこれに限定されるものではなく、その他の手段によるプリカーサイオンの選択・開裂や、試料のイオン化、質量分離を行うものとしてもよい。
【0016】
また、本発明の質量分析システムにおける、ピークリスト作成手段は、上記質量分析手段によるMS/MSデータ上に現れる複数の同位体ピーク群を、各ピーク群を構成するピークの本数に基づいてクラス分けし、各クラス毎にピークリストを作成するものである。上記質量分析手段による同位体ピーク群の一部のみをプリカーサイオンとしたMS/MS測定では、該プリカーサイオンの開裂によって生じたプロダクトイオンの同位体ピーク群を構成するピークの本数は、該プリカーサイオンに含まれていた同位体数の最大値によって制限される(詳細は後述する)。従って、異なるペプチドに由来するピークが重なり合ったピークをプリカーサイオンとして選択し、該プリカーサイオン中の同位体数の最大値が各ペプチドで異なっていた場合、MS/MSデータ上の各同位体ピーク群を構成するピークの本数に基づいて、異なるペプチドに由来する同位体ピーク群を互いに区別することができる。
【0017】
また、配列同定手段は、上記ピークリスト作成手段によって作成されたピークリストに基づいて、それらのピークが由来するペプチドのアミノ酸配列を同定するものである。該ピークリストからアミノ酸配列を同定する方法としては、例えば、該ピークリストをデータベースと照会することで、スペクトルパターンの一致する既知ペプチドを検索する方法や、各ピークリストを数理的に解析することで、そのアミノ酸配列を推定する方法などを用いることができる。
【実施例】
【0018】
図1に本実施例に係る質量分析システムの概略構成を示す。本実施例の質量分析システムは、大きく分けて質量分析部10と制御/処理部20から成る。質量分析部10は、MALDI法によってペプチド混合物を含む試料をイオン化するイオン化部11と、所定の質量電荷比を有するイオンをプリカーサイオンとして選択すると共に、該プリカーサイオンを開裂させてプロダクトイオンを生成する四重極イオントラップ部12と、イオンを質量電荷比に基づいて分離・検出する飛行時間型質量分離部13とを備えている。
【0019】
制御/処理部20は、質量分析部10の各部を制御する制御部21と、質量分離部13に設けられたイオン検出器14からの信号を処理してマススペクトル(MSデータ、MS/MSデータ)を作成すると共に、プリカーサイオンの選択や、後述のピークリストの作成、アミノ酸配列の同定等の所定の解析を行うデータ処理部22から成る。制御/処理部20はインターネットに接続され、MASCOT(Matrix Science社製)等の検索エンジンを利用して、公共のゲノムデータベースやタンパク質データベース30等の検索を行うことができる。なお、制御/処理部20の機能は、パーソナルコンピュータに所定のソフトウェアを搭載することで実現することができる。
【0020】
以下、本実施例の質量分析システムを用いてペプチド混合物のアミノ酸配列を同定する際の手順について、図2のフロー図に基づいて説明する。
【0021】
1.MS測定
まず、ペプチド混合物を含む被検試料を用いてMS測定を行う(S1)。このとき、図3に示すように、得られたMSデータ上において、以下のような配列を有するペプチドA由来の同位体ピーク群と、ペプチドB由来の同位体ピーク群とが重なり合っているとする。
ペプチドA(4000.00Da);IADHHYALVPVGGLTPGTATEYEVLLDGTGVWPPPDSR
ペプチドB(4001.00Da);SGTLTYEAVHQLSEAGVGQSTAVGIGGDPVNGTNFIDVLK
【0022】
2.プリカーサイオンの選択
図3の同位体ピーク群の中から最も強度が大きいピーク(4003Da)をプリカーサイオンとして選択する(S2)。該ピークはペプチドAの4番目のピークと、ペプチドBの3番目のピークが重なり合ったものである。
【0023】
3.MS/MS測定
上記プリカーサイオンは、イオントラップ部12によって選択・開裂され、該プリカーサイオンの開裂によって生じたプロダクトイオンが質量分離部13で分離・検出される(S3)。ここで、プリカーサイオンとして選択された上記MSデータ上のピーク(4003Da)は、ペプチドAの主イオンのピーク(4000Da)よりもm/zが3大きいものであるため、該ピークに含まれるペプチドAの同位体イオンには、主同位体以外の同位体(以下、単に同位体と呼ぶ)が最大で3つ含まれていることになる。同様に該ピークはペプチドBの主イオンのピーク(4001Da)よりもm/zが2大きいものであるため、該ピークに含まれるペプチドBの同位体イオンには、同位体が最大で2つ含まれることになる。従って、該ピークの開裂によって生じるペプチドA由来のプロダクトイオンには、それぞれ0〜3個の同位体が含まれることになるため、ペプチドA由来のプロダクトイオンは、MS/MSデータ上において4本のピークから成る同位体ピーク群(四連ピーク)を形成する。同様に、ペプチドB由来のプロダクトイオンには、それぞれ0〜2個の同位体が含まれることになるため、ペプチドB由来のプロダクトイオンは、3本のピークから成る同位体ピーク群(三連ピーク)を形成する。
【0024】
4.同位体ピーク群の抽出
次に、上記MS/MSデータにおいて、所定値以上の強度を持つピークを含み、1Da毎にピークが現れるピーク群を抽出する(S4)。
【0025】
5.同位体ピーク本数によるクラス分け
抽出したピーク群を同位体ピーク群を構成するピークの本数に基づいてクラス分けする(S5)。ここで、ペプチドAとペプチドBに由来するプロダクトイオン(b10、b20、b30、b37)の同位体ピーク群は、ピーク本数が4本のものを集めたクラスAと、ピーク本数が3本のものを集めたクラスBとにそれぞれ分類される(図4)。
【0026】
なお、通常の分析においては、プリカーサイオンとして選択したピークが、異なるペプチド由来のピークが重なり合ったものであったとしても、該ピークが各ペプチドの何番目のピークに相当するものであるかを知ることはできないため、MS/MSデータ上に現れる各同位体ピーク群のピーク本数を事前に予測することはできない。しかし、該プリカーサイオンに含まれる同位体の最大数が各ペプチド間で異なってさえいれば、該プリカーサイオンから生じるプロダクトイオンは、MS/MSデータ上でペプチド毎にピーク数が異なる同位体ピーク群を形成する。従って、ピーク本数の違いに基づいてMS/MSデータ上の同位体ピーク群をクラス分けすれば、各クラスには、それぞれ同一ペプチドに由来するプロダクトイオンの同位体ピーク群のみが含まれることになる。
【0027】
6.クラス毎のピークリスト作成
各クラスのMS/MSデータにおいて、所定のアルゴリズムに従って同位体ピーク群内のモノアイソトピックピーク(天然存在比が最大の同位体から構成されるイオンのピーク)を決定し、その質量電荷比等を記載したピークリストを作成する(S6)。
【0028】
7.ピークリスト毎のアミノ酸配列同定
以上により、ペプチドAに関するピークリストAと、ペプチドBに関するピークリストBが得られるので、各ピークリストについてデータベースの検索、又はMS/MSデータの数理的解析によるDeNovoシーケンス等を行うことにより、ペプチドA及びペプチドBのアミノ酸配列を同定又は推定する(S7)。
【0029】
以上のように、本発明の質量分析システムによれば、異なるペプチドに由来する同位体ピーク群が重なり合っている場合であっても、該ピーク群から一部のピークをプリカーサイオンとして選択し、そのMS/MSデータ上の同位体ピーク群をピーク本数に基づいてクラス分けすることで、異なるペプチドに由来する同位体ピーク群を容易に区別することができるため、個々のペプチド由来のピークのみが記載されたピークリストを用いてアミノ酸配列の同定を行うことができるようになる。従って、従来のように複数のペプチド由来のピークが混在したピークリストで同定を行う場合に比べて、擬陽性を低減させることができ、高精度な同定結果を得ることができる。
【図面の簡単な説明】
【0030】
【図1】本発明の質量分析システムの一実施例を示す概略構成図。
【図2】同実施例の質量分析システムを用いたアミノ酸配列同定の手順を示すフロー図。
【図3】同実施例の質量分析システムにおけるMSデータを示す図。
【図4】同実施例の質量分析システムにおけるMS/MSデータのクラス分け結果を示す図。
【図5】ペプチド混合物のMSデータの一例を示す図。
【符号の説明】
【0031】
10…質量分析部
11…イオン化部
12…イオントラップ部
13…質量分離部
14…イオン検出器
20…制御/処理部
21…制御部
22…データ処理部
30…データベース
【配列表フリーテキスト】
【0032】
配列番号1:ペプチドAのアミノ酸配列
配列番号2:ペプチドBのアミノ酸配列

【特許請求の範囲】
【請求項1】
被検試料中のペプチド混合物のアミノ酸配列を同定するための質量分析システムであって、
a)上記ペプチド混合物のMS測定によって得られた同位体ピーク群の中から、一部のピークを選択してMS/MS測定を行う質量分析手段と、
b)前記質量分析手段によるMS/MS測定によって得られた同位体ピーク群を、各同位体ピーク群を構成するピークの数に応じてクラス分けし、各クラス毎にピークリストを作成するピークリスト作成手段と、
c)前記ピークリスト作成手段によって作成された各ピークリストを基にアミノ酸配列を同定又は推定する配列同定手段と、
を有することを特徴とする質量分析システム。
【請求項2】
上記質量分析手段が、ペプチド混合物のMS測定によって得られた同位体ピーク群の中から、単一のピークを選択してMS/MS測定を行うことを特徴とする請求項1に記載の質量分析システム。
【請求項3】
上記単一のピークとして、ペプチド混合物のMS測定によって得られた同位体ピーク群の中で最大のイオン強度を有するピークを選択することを特徴とする請求項2に記載の質量分析システム。
【請求項4】
上記質量分析手段が、四重極イオントラップを備えた質量分析装置から成ることを特徴とする請求項1〜3のいずれかに記載の質量分析システム。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【公開番号】特開2006−284509(P2006−284509A)
【公開日】平成18年10月19日(2006.10.19)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2005−108042(P2005−108042)
【出願日】平成17年4月4日(2005.4.4)
【出願人】(000001993)株式会社島津製作所 (3,708)
【Fターム(参考)】