説明

電子染色剤、染色液および電子染色方法

【課題】透過型電子顕微鏡で生体試料を観察するための高性能かつ、安全で、容易に取り扱うことができる電子染色剤、染色液および電子染色方法を提供する。
【解決手段】透過型電子顕微鏡で観察される生体試料の画像に濃淡をつける電子染色剤において、サマリウムまたはガドリニウムを含む塩であることを特徴とする。前記塩は酢酸サマリウム、または酢酸ガドリニウムである。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、電子染色剤、染色液および電子染色方法に関し、特に透過型電子顕微鏡を用いて観察される生体試料に好適なものに関する。
【背景技術】
【0002】
生体試料は炭素、酸素、窒素、および水素などの軽元素で構成される。このため、透過型電子顕微鏡を用いて生体試料の構造を観察するには、通常、電子線を散乱する物質を結合させる電子染色が必要である。このような電子染色に用いられる酢酸ウラニルは性能、使用頻度ともに最も高い。
【0003】
ところが、酢酸ウラニルは「核燃料」であるため、とりわけ我が国においては、その入手や搬送法、使用法、廃棄法に至るまでさまざまな形で規制が成されてきた。近年の世界情勢に鑑み規制はさらに厳しく強化される方向にあるので、一般の研究者が必要な時に必要な量の酢酸ウラニルを自由に用いることは、よりいっそう困難となる。
【0004】
この問題を解決するため、酢酸ウラニルの代替品としてアリザリンや、シスプラチンを基本とする白金ブルーなどが提案され、一部で市販もされている(例えば、特許文献1)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【特許文献1】特開2006−38660号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
上記酢酸ウラニルの代替品は主に樹脂包埋切片の電子染色剤として用いられるが、安定性に乏しいため使用前の調製が必要である上、その操作も面倒で使い勝手が好いとは言い難い。また、ネガティブ染色用の電子染色剤としては燐タングステン酸ナトリウムなども使用されるが固定作用は弱く、染色や固定など酢酸ウラニルの全ての使途を代替できる電子染色剤は、未だ見出されていない。
【0007】
そこで本発明は、透過型電子顕微鏡で生体試料を観察するための高性能かつ、安全で、容易に取り扱うことができる電子染色剤、染色液および電子染色方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明の請求項1に係る発明は、透過型電子顕微鏡で観察される生体試料の画像に濃淡をつけるための電子染色剤において、サマリウムまたはガドリニウムを含む塩であることを特徴とする。
【0009】
本発明の請求項2に係る発明は、前記塩が酢酸サマリウムまたは酢酸ガドリニウムであることを特徴とする。
【0010】
本発明の請求項3に係る発明は、前記塩が酢酸塩または塩化塩であることを特徴とする。
【0011】
本発明の請求項4に係る発明は、透過型電子顕微鏡で観察される生体試料の画像に濃淡をつけるための電子染色剤を含有する染色液において、前記電子染色剤がサマリウムまたはガドリニウムを含む塩であることを特徴とする。
【0012】
本発明の請求項5に係る発明は、前記電子染色剤が酢酸サマリウムまたは酢酸ガドリニウムであって、前記電子染色剤を1質量%以上10質量%以下含有する水溶液であることを特徴とする。
【0013】
本発明の請求項6に係る発明は、電子染色剤を含有する染色液に生体試料を接触させ、透過型電子顕微鏡で観察される前記生体試料の画像に濃淡をつける電子染色方法において、前記電子染色剤がサマリウムまたはガドリニウムを含む塩であることを特徴とする。
【0014】
本発明の請求項7に係る発明は、前記電子染色剤が酢酸サマリウムまたは酢酸ガドリニウムであって、前記染色液が前記電子染色剤を1質量%以上10質量%以下含有する水溶液であることを特徴とする。
【発明の効果】
【0015】
本発明によれば、酢酸ウラニルとほぼ同等の染色および固定効果を得ることができ、酢酸ウラニルと比較して極めて安全で、容易に取り扱うことができる。
【図面の簡単な説明】
【0016】
【図1】実施例1に係る透過型電子顕微鏡画像である。
【図2】実施例2に係る透過型電子顕微鏡画像である。
【図3】実施例3に係る透過型電子顕微鏡画像である。
【図4】実施例4に係る透過型電子顕微鏡画像である。
【図5】実施例5に係る透過型電子顕微鏡画像である。
【図6】実施例6に係る透過型電子顕微鏡画像である。
【図7】実施例7に係る透過型電子顕微鏡画像である。
【図8】比較例1に係る透過型電子顕微鏡画像である。
【図9】比較例2に係る透過型電子顕微鏡画像である。
【発明を実施するための形態】
【0017】
本発明に係る染色液は、電子染色剤を含有する水溶液からなる。電子染色剤は、ランタノイド元素を含む化合物で構成される。前記化合物は、酢酸サマリウム、または酢酸ガドリニウムを選択することができる。本実施形態の場合、染色液は、電子染色剤を1質量%以上10質量%以下含有することが好ましい。
【0018】
この電子染色剤は、生体試料を透過電子顕微鏡で観察するための前処理として、生体試料の固定および染色に用いられ、当該生体試料のネガティブ染色用の電子染色剤として、従来の酢酸ウラニルとほぼ同等の染色および固定効果を得ることができる。
【0019】
また、本発明に係る染色液は、酢酸サマリウム、または酢酸ガドリニウムを含有する水溶液で構成されているので、酢酸ウラニルと比較して極めて安全で、容易に取り扱うことができる。
【0020】
因みに、従来、樹脂包埋した組織・細胞試料の切片に対して行う電子染色は、酢酸ウラニルとクエン酸鉛(佐藤氏鉛液など)による2重染色が行われる。
【0021】
これに対し、本発明に係る電子染色剤は、単独で十分な染色効果を示し、クエン酸鉛による処理を省略することができる。これにより極めて簡易に電子染色を行うことができる。
【0022】
また、本発明に係る電子染色剤は、蛋白質複合体の固定効果を利用して回転シャドウィング・レプリカ法の前処理剤としても用いることができる。回転シャドウィング・レプリカ法とは、対象分子を回転しながらその表面に重金属微粒子を蒸着して、そのカーボン・レプリカを電子顕微鏡観察する方法である。
【0023】
次に、本発明に係る電子染色剤を用いたネガティブ染色法の概要を説明する。なお、染色方法は対象とする生体試料の種類などにより多様であり、以下の記載に限定されるものではない。
【0024】
まず、生体試料を含有する試料溶液をグリッド上の支持膜に載せ、所定時間静置して吸着させた後、試料溶液とほぼ同量の本発明に係る染色液に接触させるか、あるいは数滴の染色液を直接滴下する。接触時間は、1〜40秒が好ましい。次いで、余剰の染色液を濾紙で吸収してから自然乾燥させると、電子染色剤が蛋白質複合体などの試料の間隙や周囲に残留する。そのように処理された生体試料(以下、「観察試料」という)を透過型電子顕微鏡で観察すると、電子染色剤が残留した部分では電子線が強く散乱され、観察試料の凸部は電子線が透過するため、対象は縁取りされた輪郭中に明るく浮き上がって見える(ネガティブ染色)。電子染色剤はこのように、生体試料の凹凸に応じた濃淡画像を呈することができる。
【0025】
また、本発明に係る電子染色剤は、上記の染色方法の他、樹脂包埋の後に薄切した組織の染色、並びに蛋白質試料の固定などにも用いることができる。
(実施例)
(実施例1)
支持膜としてフォルムバールを張った銅グリッド上に、試料溶液としてアミロイドβ42線維溶液を30秒間静置後、過剰溶液を濾紙で除去した。次いで、染色液として5μlの2.5%酢酸サマリウム水溶液を加えて10秒間静置後、水分を濾紙にて除去し、室温で乾燥してから透過電子顕微鏡を用いて像を観察した。その結果を図1に示す。後述する比較例1と比較して、酢酸サマリウムは、酢酸ウラニルとほぼ同等の染色および固定効果が得られることを確認した。
(実施例2)
支持膜としてフォルムバールを張った銅グリッド上に、試料溶液としてアミロイドβ42線維溶液を30秒間静置後、過剰溶液を濾紙で除去した。次いで、染色液として5μlの2.5%酢酸ガドリニウム水溶液を加えて10秒間静置後、水分を濾紙にて除去し、室温で乾燥してから透過電子顕微鏡を用いて像を観察した。その結果を図2に示す。後述する比較例1と比較して、酢酸ガドリニウムは、酢酸ウラニルとほぼ同等の染色および固定効果が得られることを確認した。
(実施例3)
支持膜としてフォルムバールを張った銅グリッド上に、試料溶液としてアミロイドβ42線維溶液を30秒間静置後、過剰溶液を濾紙で除去した。次いで、染色液として5μlの2.5%塩化ガドリニウム水溶液を加えて10秒間静置後、水分を濾紙にて除去し、室温で乾燥してから透過電子顕微鏡を用いて像を観察した。その結果を図3に示す。後述する比較例1と比較して、塩化ガドリニウムは、酢酸ウラニルとほぼ同等の染色および固定効果が得られることを確認した。
(実施例4)
生体試料として2%グルタルアルデヒドと2%オスミウムで化学固定したマウス肝臓をエポキシ樹脂に包埋後、ウルトラミクロトームで80nmに薄切してグリッドに載せた。パラフィルム上に染色液として10% 酢酸サマリウム 10μlの水滴を置き、グリッドの切片側を接触させて20分間染色した。次いで、同様にパラフィルムに載せた蒸留水50μlの水滴で10秒間洗浄した。同一操作を3回繰り返した後、乾燥して電子顕微鏡観察を行った。その結果を図4に示す。後述する比較例2と比較して、酢酸サマリウムは、酢酸ウラニルと同様に、樹脂包埋の後に薄切した組織の染色に使用できることを確認した。
(実施例5)
生体試料として2%グルタルアルデヒドと2%オスミウムで化学固定したマウス肝臓をエポキシ樹脂に包埋後、ウルトラミクロトームで80nmに薄切してグリッドに載せた。パラフィルム上に染色液として10% 酢酸ガドリニウム 10μlの水滴を置き、グリッドの切片側を接触させて20分間染色した。次いで、同様にパラフィルムに載せた蒸留水50μlの水滴で10秒間洗浄した。同一操作を3回繰り返した後、乾燥して電子顕微鏡観察を行った。その結果を図5に示す。後述する比較例2と比較して、酢酸ガドリニウムは、酢酸ウラニルと同様に、樹脂包埋の後に薄切した組織の染色に使用できることを確認した。
(実施例6 回転シャドイウィング・レプリカ法)
試料溶液としてアミロイドβ40線維水溶液200μlを雲母板に載せ、40秒間静置後、蒸留水500μlで洗浄した。雲母板を 0.1M 酢酸アンモニウム・30%グリセロール 500μlで2回、さらに酢酸サマリウム200mg、蒸留水 3.5ml、グリセロール 1.5mlの混液に接触させ、染色液として酢酸サマリウム200mg、蒸留水 3.5ml、グリセロール 1.5mlの混液で 40秒間固定してから、0.1M 酢酸アンモニウム、30%グリセロール混液 500μlにより3回洗浄した。次いで、同一形状の雲母板を試料吸着面に強く圧着して残留溶液を除去した。その雲母板を真空中に設置して白金・カーボンを回転蒸着後、カーボン膜で補強した。蒸留水の表面張力で雲母板から外したレプリカ膜を銅グリッドに載せ、透過電子顕微鏡により観察した。その結果を図6に示す。酢酸サマリウムは、蛋白質複合体の固定効果を利用して回転シャドウィング・レプリカ法の前処理剤としても使用できることを確認した。
(実施例7 回転シャドイウィング・レプリカ法)
5mM 塩化マグネシウム、10mM 塩化カリウム、10 mM [2-[4-(2-ヒドロキシエチル)-1-ピペラジニル]エタンスルホン酸・水酸化ナトリウム緩衝液(pH8)中で重合させた試料溶液としてのアクチン繊維溶液 50μlを雲母板に載せ、40秒間静置後、0.1%グルタールアルデヒドを添加した 10 mM M-[2-[4-(2-ヒドロキシエチル)-1-ピペラジニル]エタンスルホン酸・水酸化ナトリウム緩衝液(pH8)500μlに接触させ、0.1M 酢酸アンモニム、30%グリセロール溶液 500μlで2回、染色液として酢酸サマリウム250mg蒸留水3.5ml、グリセロール1.5mlを含有する 30%グリセロール混液 500μlで3回洗浄した。次いで、同一形状の雲母板を強く圧着して残留溶液を除去した。雲母板を真空中に設置して白金・カーボンを回転蒸着後、カーボン膜で補強した。蒸留水の表面張力で雲母板から外したレプリカ膜を銅グリッドに載せ、透過電子顕微鏡により観察した。その結果を図7に示す。酢酸サマリウムは、蛋白質複合体の固定効果を利用して回転シャドウィング・レプリカ法の前処理剤としても使用できることを確認した。
(比較例1)
支持膜としてフォルムバールを張った銅グリッド上にアミロイドβ42線維溶液を30秒間静置後、過剰溶液を濾紙で除去した。次いで、5μlの 4%酢酸ウラニル水溶液を加えて10秒間静放置後、水分を濾紙にて除去し、室温で乾燥してから透過電子顕微鏡を用いて像を観察した(図8)。
(比較例2)
2%グルタルアルデヒドと2%オスミウムで化学固定したマウス肝臓をエポキシ樹脂に包埋後、ウルトラミクロトームで80nmに薄切してグリッドに載せた。パラフィルム上に 4%酢酸ウラニル 10μlの水滴を置き、グリッドの切片側を接触させて20分間、さらに佐藤氏鉛溶液で10分間の後染色を施した。次いで、同様にパラフィルムに載せた蒸留水50μlの水滴で10秒間洗浄した。同一操作を3回繰り返した後、乾燥して電子顕微鏡観察を行った(図9)。
(変形例)
本発明は上記実施形態に限定されるものではなく、本発明の趣旨の範囲内で適宜変更することが可能である。例えば、電子染色は、生体試料を電子染色剤に所定時間、浸漬することによるブロック染色にて行ってもよい。
【産業上の利用可能性】
【0026】
酢酸サマリウムおよび酢酸ガドリニウムの強い毒性は報告されていない。酢酸サマリウムの濃厚溶液に皮膚が触れて軽度な炎症を起こした例はあるが、酢酸ガドリニウムでは、濃厚溶液でもそれさえ起こさず、強い毒性を示す酢酸ウラニルと比較して極めて安全性の高い物質である。そのため入手にも取り扱いにも制限がなく、溶液状態で安定であり保存も容易である。酢酸サマリウム水溶液は、その優れた特性により酢酸ウラニルの問題点を解消するとともに、それに代わる電子染色剤として、広範な使途が期待できる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
透過型電子顕微鏡で観察される生体試料の画像に濃淡をつけるための電子染色剤において、サマリウムまたはガドリニウムを含む塩であることを特徴とする電子染色剤。
【請求項2】
前記塩が酢酸サマリウムまたは酢酸ガドリニウムであることを特徴とする請求項1記載の電子染色剤。
【請求項3】
前記塩が酢酸塩または塩化塩であることを特徴とする請求項1記載の電子染色剤。
【請求項4】
透過型電子顕微鏡で観察される生体試料の画像に濃淡をつけるための電子染色剤を含有する染色液において、
前記電子染色剤がサマリウムまたはガドリニウムを含む塩であることを特徴とする染色液。
【請求項5】
前記電子染色剤が酢酸サマリウムまたは酢酸ガドリニウムであって、
前記電子染色剤を1質量%以上10質量%以下含有する水溶液であることを特徴とする請求項4記載の染色液。
【請求項6】
電子染色剤を含有する染色液に生体試料を接触させ、透過型電子顕微鏡で観察される前記生体試料の画像に濃淡をつける電子染色方法において、
前記電子染色剤がサマリウムまたはガドリニウムを含む塩であることを特徴とする電子染色方法。
【請求項7】
前記電子染色剤が酢酸サマリウムまたは酢酸ガドリニウムであって、
前記染色液が前記電子染色剤を1質量%以上10質量%以下含有する水溶液であることを特徴とする請求項6記載の電子染色方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【公開番号】特開2011−112468(P2011−112468A)
【公開日】平成23年6月9日(2011.6.9)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−268197(P2009−268197)
【出願日】平成21年11月26日(2009.11.26)
【出願人】(504137912)国立大学法人 東京大学 (1,942)
【Fターム(参考)】