説明

イオントラップ質量分析方法および装置

【課題】
イオン選択の分解能と質量数精度を向上する。
【解決手段】
イオン源部と、イオンをトラップするイオントラップ部と、当該イオントラップ部に主高周波電圧を印加する主高周波電源と、前記イオントラップ部に補助高周波電圧を印加する補助高周波電源と、イオンを検出する検出部と、前記イオン源からのイオンを前記イオントラップ部に蓄積し、前記蓄積されたイオンから目的イオンを残し、他のイオンをイオントラップ部から排出し、前記目的イオンを検出のために排出するように、前記イオントラップ部に対して制御を行う制御部と、質量対電荷比と主高周波電圧の相関が示されたキャリブレーションテーブルとを備える質量分析装置であって、前記制御部は、前記蓄積されたイオンから目的イオンを残し、他のイオンをイオントラップ部から排出する際に、前記キャリブレーションテーブルを用いて印加する前記主高周波電圧の値を決定する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明はイオントラップ質量分析装置に関する。
【背景技術】
【0002】
質量分析装置は、試料分子に電荷を付加してイオン化を行い、生成したイオンを電場または磁場により質量対電荷比に分離し、その量を検出器にて電流値として計測する機器である。質量分析装置は高感度であり、また、従来の分析装置に比べ、定量性および同定能力に優れている。近年、ライフサイエンス分野ではゲノム解析に代わるペプチド解析が注目され、高感度で同定能力の優れた質量分析装置の有効性が再評価されてきた。
【0003】
質量分析装置にて試料を測定すると、質量対電荷比単位の電流値が得られる。これをマススペクトルと呼ぶ。このマススペクトルは測定する試料の構造によって異なり、そのマススペクトルのパターンから試料の構造の情報を得ることができる。しかし、試料中の構成成分が複雑であったり、得られたマススペクトルが成分の特定に不十分な情報である場合がある。特に質量分析装置では質量対電荷比により分子イオンを分離するため、異なる構造であったとしても質量対電荷比が同一の場合、分子イオンを区別するのが困難になる。これを解決するため、MSn 分析が考案された。
【0004】
MSn 分析とは分子イオンを質量分析装置に取り込み、特定質量数以外のイオンを排除し、選択した分子イオンと中性分子との衝突を起こすことにより、分子イオンの一部の結合を破壊し、結合の切れたイオンを測定する方法である。この中性分子と衝突させ選択した分子イオンの結合を切ることを衝突誘起解離(CID)と呼び、イオン捕捉,イオン選択,衝突誘起解離の一連の操作の繰返し回数によって、MS2 やMS3 などと呼ぶ。分子中の原子間の結合はその構造や結合の種類によって結合エネルギーが異なるため、結合エネルギーが低い箇所ほど衝突誘起解離によって切断される。分子イオンと中性分子との衝突時に、結合を切断するのに必要な運動エネルギーを分子イオンに与えることにより、特有のフラグメントイオンが生成し、分子イオンの構造を知ることができる。さらに、MSn 分析の繰返し回数が多くなれば、より多くの構造情報を得ることができる。
【0005】
質量分析装置はイオンを分離する操作および構成により多様な種類が挙げられるが、
MSn 分析を行うのに適した構成のひとつにイオントラップ質量分析装置が挙げられる。イオントラップ質量分析装置は、特定の質量対電荷比のイオンがイオントラップ内に滞在するような四重極電界を形成し、四重極電界を変化させることによりイオン選択および衝突誘起解離を行うことができる。衝突誘起解離を行った後、イオンを検出器に誘導することなく、衝突誘起解離によって生成されたイオンを再度イオン選択および衝突誘起解離を行えば、複数回のMSn 分析を行うことが可能となる。
【0006】
MSn 分析を行う上で、イオントラップの操作は主に4つの操作に分けられる。
【0007】
(1)リング電極に主高周波電圧を印加し、イオントラップ内部に四重極電界を形成する。外部または内部により生成されたイオンは電荷をもっているため、イオンが四重極電界内に導入されると、図1に示す安定領域図において斜線部分の領域内にあるa値およびq値に相当する質量対電荷比のイオンが、イオントラップ内にて安定した軌道を描き、捕捉される。このa値およびq値は、主高周波電圧V,主直流電圧U,リング電極内径r0 ,主高周波電圧の角周波数Ωおよびイオンの質量対電荷比m/zによって、式(1)により決定される。
【0008】
【数1】

【0009】
このようにイオンをイオントラップに捕捉する操作を、イオン捕捉操作と呼ぶ。イオン捕捉操作では、主直流電圧(U)を印加しないa=0の条件で操作を行うため、捕捉されるイオンはその質量対電荷比に従い、安定領域図のa=0上で一意的に決定される。そのq値は0〜0.908 の範囲であり、それに相当する質量対電荷比のイオンがイオントラップに捕捉される。
【0010】
(2)捕捉されたイオンはイオントラップ内部でその質量対電荷比に従い、各固有の周波数にて安定した軌道を描いている。その周波数ω0 は、図1の安定領域図に示すβz値と式(2)より、概算することができる。
【0011】
【数2】

【0012】
この周波数に相当する補助交流電圧をエンドキャップ電極に印加すると、イオントラップ内部に生成された補助交流電界により、イオンは共鳴し、イオントラップから排出される。この操作を、構造解析を行わない、つまり、衝突誘起解離を行わない不要イオンに対して行えば、イオンはイオントラップから排出され、目的のイオンのみがイオントラップに捕捉されることになる。これを、イオン選択操作と呼ぶ。
【0013】
(3)そして、衝突誘起解離を行う目的のイオンに共鳴する周波数を目的のイオンが排出されない程度にエンドキャップ電極に印加すると、イオンは補助交流電界によりポテンシャルを得、内部の中性分子との衝突を繰り返すことにより、イオン内部の結合が切断され、フラグメントイオンが生成する。これを衝突誘起解離操作と呼ぶ。
【0014】
(4)このイオン選択操作と衝突誘起解離操作を繰り返すことによってMSn 分析が可能となり、構造情報を得るに値するフラグメントイオンがイオントラップ内部に捕捉されたのち、リング電極とエンドキャップ電極を操作することで、イオンは質量対電荷比に従い検知器に到達し、質量対電荷比に対するイオン量が電流値として検出される。
【0015】
このようなイオントラップの動作が示される例として、特表平9−501536号公報(特許文献1),特開2002−184348号公報(特許文献2),特開2002−
313276号公報(特許文献3)などがある。
【0016】
【特許文献1】特表平9−501536号公報
【特許文献2】特開2002−184348号公報
【特許文献3】特開2002−313276号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0017】
通常、MSn 分析の際の不要なイオンを排出する操作は、不要なイオンの質量対電荷比に相当する運動周波数の補助高周波電圧を、広帯域周波数の合成波にて、エンドキャップ電極に印加して操作を行う。この操作の利点として、一度に広い質量対電荷比のイオンを排出することができることが挙げられる。しかし、この操作には次に示す問題がある。
【0018】
(1)イオントラップはイオン源より生成したイオンを、一度イオントラップ内部の四重極電界内に捕捉することから、イオンが集中するイオントラップ内の中心付近において、電荷密度が増加することにより、同じ電荷同士のイオンは反発力を得、その軌道は理論上の軌道と必ずしも一致しない。特に、イオントラップに導入するイオンの量は分析の最中に変化するため、そのイオンの運動周波数を完全に予測するのは困難である。つまり、イオン選択操作において、不要イオンに相当する質量対電荷比のイオンを選択的に共鳴,排出するのはイオントラップに導入したイオン量に大きく影響を受けるため、イオン選択操作の分解能や質量数精度を悪くする問題を生ずる。
【0019】
(2)広帯域周波数の補助高周波電圧にてイオンを排出する方法は、目的イオンの質量対電荷比が高くなるほど、主高周波電圧を高くする必要があり、捕捉ポテンシャルが大きくなるため、不要なイオンを排出するのに高い補助高周波電圧が必要となる問題が挙げられる。主高周波電圧を低くすることで、必要な補助高周波電圧を低くくすることが可能であるが、目的のイオンのq値が低くなることで、イオン選択の分解能が悪くなる。
【0020】
(3)広帯域周波数の補助高周波電圧にてイオンを排出する方法は、目的イオンの質量対電荷比近傍のイオンとq値の低い高質量数側のイオンとではその排出電圧が異なるため、不要イオンを完全に排出するために高い補助高周波電圧を出力すると、目的イオンの質量対電荷比近傍のイオンには電圧過剰となり、イオン選択の分解能が悪くなる。
【0021】
(4)広帯域周波数の補助高周波電圧にてイオンを排出する方法は、そのイオン選択の分解能がサイン波の生成間隔により決定される。その間隔が小さいほどイオン選択の分解能を向上できるが、その分必要なサイン波の数が増えることで、必要な補助高周波電圧が比例して大きくなるため、補助高周波電圧の制限によりイオン選択の分解能を向上することはできない。
【0022】
これらの課題を解決するための本発明の目的は、先に示したイオントラップ質量分析装置のイオン選択操作の欠点を克服し、イオン選択の分解能と質量数精度を向上したイオントラップ質量分析装置を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0023】
上記課題を解決するための本発明の特徴は、試料をイオン化するイオン源部と、当該イオン源にて生成されたイオンをトラップするイオントラップ部と、当該イオントラップ部に主高周波電圧を印加する主高周波電源と、前記イオントラップ部に補助高周波電圧を印加する補助高周波電源と、前記イオントラップから排出されたイオンを検出する検出部と、前記イオン源からのイオンを前記イオントラップ部に蓄積し、前記蓄積されたイオンから目的イオンを残し、他のイオンをイオントラップ部から排出し、前記目的イオンを検出のために排出するように、前記イオントラップ部に対して制御を行う制御部と、質量対電荷比と主高周波電圧の相関が示されたキャリブレーションテーブルとを備える質量分析装置であって、前記制御部は、前記蓄積されたイオンから目的イオンを残し、他のイオンをイオントラップ部から排出する際に、前記キャリブレーションテーブルを用いて印加する前記主高周波電圧の値を決定することである。
【0024】
また更に、前記キャリブレーションテーブルは、少なくとも2以上の質量対電荷比が既知の試料について分析を行って、主高周波電圧とイオン強度比の関係を得て、各試料の主高周波電圧とイオン強度比の関係をフェルミ関数を用いて近似式を算出し、当該得られた各近似式から作成される。
【発明の効果】
【0025】
本発明により、イオントラップのイオン選択操作において、イオン選択の分解能と質量数精度を向上できる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0026】
以下、本発明の実施形態について添付する図面を元に説明する。
【0027】
図2に本実施例の概略構成図を示す。イオン源101は、直流電源102より数kVの電圧を印加することで試料をイオン化する。イオントラップは、1つのドーナツ状のリング電極103とそれを挟む2つの御椀形のエンドキャップ電極104から構成される。各電極には高周波電源が接続される。主高周波電源105は、イオントラップ内部に四重極電界を形成することを目的とし、イオンをイオントラップ内に閉じ込める命令をデータ収集・処理用コンピュータ106及び制御用コンピュータ107より受けて、リング電極
103に主高周波電圧を印加する。また、補助高周波電源108は、イオン選択および衝突誘起解離を行うための補助高周波電界を形成することを目的とし、排出する不要イオンまたは衝突誘起解離を行う目的のイオン、さらに質量分離を行うイオンの質量対電荷比に相当する周波数の補助高周波電圧をエンドキャップ電極104に印加する。これも主高周波電源105と同様にデータ収集・処理用コンピュータ106及び制御用コンピュータ
107より制御可能とする。さらに、イオントラップ前段と後段にゲート電極109及びイオンストップ電極110を配置し、直流電源102より直流電圧を印加する。これらの電極は、イオンをイオントラップに導入または排出する際にイオンを効率よく誘導するように、データ収集・処理用コンピュータ106及び制御用コンピュータ107より制御可能とする。イオンストップ電極110の後段にはイオンの量を検知し、電流値に変換する検出器111と、その電流値を増幅する直流増幅器112を備え、データ収集・処理用コンピュータ106にて、その値を全イオン量またはマススペクトルとして表示する。
【0028】
次に、イオントラップの制御方法について説明する。図3に、イオントラップの各電極に印加される電圧のタイムチャートを示す。横軸を時間とし、縦軸を電位の高さとして表示しており、イオントラップにてMS/MS分析を行う際の各電極に印加する電位グラフを模式的に記述したものである。各電圧は図中上段から、リング電極103に印加する主高周波電圧、エンドキャップ電極104に印加する補助高周波電圧、ゲート電極109に印加するゲート電圧、イオンストップ電極110に印加するイオンストップ電圧である。主高周波電圧はイオントラップ形状や捕捉するイオンの最大質量対電荷比範囲により決定する周波数の交流電圧である。補助高周波電圧は広帯域の周波数電圧を出力することを可能とし、イオンの排出や衝突誘起解離のイオンの質量対電荷比に相当する周波数を目的に応じて出力する。ゲート電圧及びイオンストップ電圧は直流電圧であり、イオン電荷の極性やイオン軌道の誘導操作に応じて正電圧,負電圧を切り替える。
【0029】
ここで、イオン源にて生成したm/z 558.31のニューロテンシン3価イオンを分析する場合の制御方法について説明する。イオントラップの操作は主にイオン捕捉操作
201,イオン選択操作202,衝突誘起解離操作206,質量分離操作207の4段階に大別することができる。
【0030】
イオン捕捉操作201では、ゲート電圧に−70Vを印加し、イオンをイオントラップに誘導する。この際、主高周波電圧を約500Vの電圧で出力することにより、イオントラップ内に四重極電界を形成し、イオンを捕捉する。
【0031】
次に、イオン選択操作202は、本実施例では3つの操作に区分される。
【0032】
第1の操作203は、質量対電荷比が高いため、高い補助高周波電圧を必要とする不要イオン、およびイオントラップ内に多く存在する不要イオンを排出することを目的とする。即ち、空間電荷による弊害を解決する段階である。
【0033】
実際の操作としては、目的のイオンのq値がおよそ0.3 位になるように主高周波電圧を印加し、イオンを捕捉する。この主高周波電圧は、従来の広帯域周波数によるイオン選択操作の主高周波電圧に比べ電圧が低い。従来のイオン選択では、不要イオンの排出と同時に目的イオンのイオン選択を行っていたため、イオン選択の分解能が高くなるように、高いq値で操作する必要があった。しかし、本実施例では、第1の操作203において、目的イオンの質量対電荷比近傍以外の不要なイオンを排出することだけを目的としているため、イオン選択の分解能を気にすることなく主高周波電圧を低くすることができ、捕捉ポテンシャルを小さくすることで容易にイオンを排出することができる。さらに、イオントラップ内に多く存在する不要イオンを短時間で排出できる。補助高周波電圧に関しては、不要イオンを排出するために必要な電圧を出力し、目的のイオンが排出しないようにノッチを広げ広帯域信号を出力する。本操作により、目的のイオンの質量対電荷比近傍を除く、すべての不要イオンをイオントラップから排出することができる。
【0034】
そして、第2の操作204は、目的イオンの質量対電荷比近傍のイオンを排出する。即ち、分解能を高めたイオン選択を行う段階である。
【0035】
この操作は補助高周波電圧の周波数を固定し、主高周波電圧を走査することで、順次共鳴するイオンを排出する。補助高周波電圧の周波数は固定されているため、共鳴するイオンの質量対電荷比は主高周波電圧の電圧値および補助高周波電圧の電圧値によって決定される。そのため、補助高周波電圧を主高周波電圧に追従するように制御し、主高周波電圧を操作すれば、それに対応する質量対電荷比のイオンが排出される。この操作をおよそ数amu離れた質量対電荷比のイオンを排出するように主高周波電圧を印加し、排出するイオンの質量対電荷比を目的のイオンの質量対電荷比に近づけるように操作することで、目的イオンの質量対電荷比近傍のイオンを順次排出することができる。実際の操作として、目的イオンの質量対電荷比の両側の質量数範囲で操作を行うため、図3に示す実施例では、初めに高質量数側のイオンを排出し、次に低質量数側のイオンを順に排出するように操作を行っている。
【0036】
また、第2の操作204において排出するイオンの質量数範囲は、範囲が広くなるほど排出時間が長くなる問題があるため、目的のイオンから±5〜10amu程度とするのが良い。したがって、上記第1の操作203では、目的のイオンから±5〜10amu程度を残し、それ以外の範囲のイオンを排出するように設定される。
【0037】
最後に、第3の操作205として、第1の操作203と第2の操作204で排出できなかった、イオントラップに残存する質量対電荷比の不要イオンの排出を行う。即ち、その他の不要イオンを排出する段階である。
【0038】
この操作は、主高周波電圧を第1の操作203よりも高くし、イオン排出の分解能を高めた条件で、補助高周波電圧を排出するイオンの質量対電荷比に相当する広帯域周波数で出力する。主高周波電圧を高くする理由として、第3の操作205にて排出するイオンの質量対電荷比範囲が、第1の操作203よりも目的のイオンに近いことから、補助高周波電圧の印加により目的のイオンが排出されてしまうのを防ぐためである。
【0039】
これらの操作により、イオン排出の分解能を高めることで、目的のイオンを排出することなく、残存する不要イオンを排出し、目的のイオンをイオントラップ内に残すことができる。
【0040】
次に、衝突誘起解離操作206を行う。衝突誘起解離操作206では、イオン選択操作202の第1操作203および第3操作204と同様に、目的イオンに相当する広帯域周波数の補助高周波電圧を印加する。ただし、イオン選択操作202とその電圧の大きさが異なり、イオンがイオントラップから排出されない程度に抑える。これにより、イオンは補助高周波電圧によるポテンシャルを得ることができ、イオントラップ内部に充填する
HeやArなどの中性分子と衝突し、そのエネルギーが分子の結合エネルギーを超えることで、分子結合が切断され、フラグメントイオンが生成する。このとき、主高周波電圧は生成したフラグメントイオンがイオントラップ内に捕捉されるように調整された電圧を維持する。
【0041】
最後に、質量分離操作207を行う。質量分離操作207では、イオン選択の第2の操作204と同様に、補助高周波電圧をある周波数に固定し、主高周波電圧を操作することで、それに相当する質量対電荷比のイオンを順次質量分離しながらイオントラップから排出する。このとき、イオンストップ電極は正電荷のイオンを効率良く検出器に誘導するため、負電圧に印加する。
【0042】
これらの制御を通して、本実施例は従来以上に狭い質量数範囲のイオンをイオントラップ内に選択的に捕捉でき、目的のイオンの構造情報を正確に得ることができる。
【0043】
さらに本実施例では、よりイオン選択の質量数精度を高めるため、前述した分析の前に、イオン選択の第2の操作204におけるキャリブレーションを行うにあたり、フェルミ関数を用いる。
【0044】
キャリブレーションの手順として、まず少なくとも2つ以上の質量対電荷比が既知の試料をイオン化して、イオントラップに導入する。この質量対電荷比が既知のイオンをキャリブレーションイオンと呼ぶ。そして、前述のイオン選択の第1の操作203までを行い、キャリブレーションイオンの質量対電荷比近傍(キャリブレーションイオンから±5〜10amu程度)を除く、すべての不要イオンをイオントラップから排出する。この操作を行っておくことで、空間電荷の影響による排出イオンの質量対電荷比のずれを抑えることができる。
【0045】
次に、主高周波電圧を第2の操作204と同様に、キャリブレーションイオンの質量対電荷比近傍から順次イオンを排出する。ただし、キャリブレーションイオンは排出しないように調整する。そして、質量分離操作207を行い、排出したイオンのマススペクトルを取得する。
【0046】
続いて、主高周波電圧を操作して、キャリブレーションイオンが共鳴する方向に近づけて、再度マススペクトルを得る。これらの操作をキャリブレーションイオンが完全に排出するまで少しずつ排出範囲を変えながら繰り返し、主高周波電圧とキャリブレーションイオンの強度との相関を求める。そして、キャリブレーションイオンの強度変化を、キャリブレーションイオンが排出されないときのイオン強度で規格化したイオン強度比で表わす。本実施例では、この相関を求めるのに、フェルミ曲線を用いる。フェルミ曲線の特徴として、最大強度の50%付近で急激に強度が落ちる(イオンが排出される)傾向があり、イオン排出と主高周波電圧の相関を近似式で表すことができる。この近似式を用いることで、最適な主高周波電圧を精度良く決定することができる。
【0047】
一例として、m/z 466.26 AngiotensinIII 2価イオンをキャリブレーションイオンとしたときの結果を、図4(a)に示す。横軸は主高周波電圧の電圧値であり、縦軸はキャリブレーションイオンのイオン強度比である。このグラフの各プロットから、次の(3)式のフェルミ関数を用いて回帰分析を行い、近似曲線を描く。
【0048】
【数3】

【0049】
I :キャリブレーションイオンのイオン強度
0 :キャリブレーションイオンがイオントラップから全く排出されていないときの
イオン強度
V :主高周波電圧の電圧値
0 :イオン強度比が50%のときの主高周波電圧の電圧値
ΔV:主高周波電圧で表示したイオン排出の分解能
【0050】
主高周波電圧とイオン強度比のデータから回帰分析を行うことで、イオン強度が50%のときの主高周波電圧の電圧値V0 と、主高周波電圧で表示したイオン排出の分解能ΔVを得ることができる。このイオン排出の分解能は近似曲線の形状に相関があり、例えば、主高周波電圧の広い範囲で、キャリブレーションイオンのイオン強度が下がり続ければ、イオン排出の分解能が悪いことを示す。
【0051】
図4(a)のデータより、m/z 466.26 AngiotensinIII 2価イオンにおけるフェルミ関数は、(4)式で表すことができる。
【0052】
【数4】

【0053】
この式を2つ以上の質量対電荷比が既知のイオンについて作成すれば、質量電荷比と最適な主高周波電圧の相関を得ることができ、質量対電荷比が未知のイオンにおいても主高周波電圧を決定できる。一例として、m/z 931.52 AngiotensinIII 1価イオン及びm/z 1375 [Tyr34]−Parathyroid Hormone 3価イオンをキャリブレーションイオンとし、図4(b),図4(c)にその結果を示す。AngiotensinIII 2価イオンの場合と同様に回帰分析を行い、(5)及び(6)式を得る。
【0054】
【数5】

【0055】
【数6】

【0056】
仮に、イオンの排出基準を、排出前のイオン強度の95%を排出すると定義した場合、5%のイオンがイオントラップ内に残ると言い換えられることから、(4),(5),
(6)式を用いて強度比が0.05 に相当する主高周波電圧を、各々算出する。算出された主高周波電圧とその質量対電荷比より回帰分析を行い、図5に示す1次または多次の近似曲線を算出すれば、未知試料の質量対電荷比から、最適な主高周波電圧を得ることができる。上記のように、(4),(5),(6)式を用いて強度比が0.05 に相当する主高周波電圧を求めた場合、下記の(7)式が得られる。
【0057】
(主高周波電圧)=7.2242×(質量対電荷比)−78.4774 …(7)
この近似曲線または式をイオン排出のキャリブレーションテーブルと呼ぶ。このイオン排出のキャリブレーションテーブルを用いて、目的イオン近傍のイオンの質量対電荷比に相当する主高周波電圧を算出し、リング電極に印荷することで、近傍のイオンはイオントラップから排出され、目的のイオンのみが選択的に残ることになる。
【0058】
本発明により、観測するイオン強度や装置の感度,測定者の主観による誤差を抑え、より正確なキャリブレーションを行うことができる。
【0059】
また、本発明は三次元四重極電界を形成した本実施例中のイオントラップだけでなく、四重極電界をXY平面の2次元で形成し、それをZ方向に延長したリニアイオントラップのような四重極電界を形成する手法においてもイオン選択の性能を向上できる。
【0060】
さらに、イオントラップ後段に飛行時間型質量分析計やフーリエ変換イオンサイクロトン共鳴質量分析計を配置すれば、本発明の性能向上と共に、タンパク質の構造解析を行う上で必要となる正確で高次のMSn 分析と高い質量数分解能を達成することができる。
【図面の簡単な説明】
【0061】
【図1】イオントラップの安定領域図である。
【図2】本実施例の概略構成図である。
【図3】イオントラップ操作のタイムチャートである。
【図4(a)】m/z 466.26 AngiotensinIII 2価イオンをキャリブレーションイオンとしたときのキャリブレーション結果をフェルミ関数の近似曲線で示したグラフである。
【図4(b)】m/z 931.52 AngiotensinIII 1価イオンをキャリブレーションイオンとしたときのキャリブレーション結果をフェルミ関数の近似曲線で示したグラフである。
【図4(c)】m/z 1375 [Tyr34]−Parathyroid Hormone 3価イオンをキャリブレーションイオンとしたときのキャリブレーション結果をフェルミ関数の近似曲線で示したグラフである。
【図5】(4),(5),(6)式を用いて得られたキャリブレーションテーブルである。
【符号の説明】
【0062】
101…イオン源、102…直流電源、103…リング電極、104…エンドキャップ電極、105…主高周波電源、106…データ収集・処理用コンピュータ、107…制御用コンピュータ、108…補助高周波電源、109…ゲート電極、110…イオンストップ電極、111…検出器、112…直流増幅器、201…イオン捕捉操作、202…イオン選択操作、206…衝突誘起解離操作、207…質量分離操作。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
試料をイオン化するイオン源部と、当該イオン源にて生成されたイオンをトラップするイオントラップ部と、当該イオントラップ部に主高周波電圧を印加する主高周波電源と、前記イオントラップ部に補助高周波電圧を印加する補助高周波電源と、前記イオントラップから排出されたイオンを検出する検出部とを備える質量分析装置を用いる質量分析方法において、
イオンを前記イオントラップ部に蓄積する蓄積ステップと、
前記蓄積されたイオンから目的イオンを残し、他のイオンをイオントラップ部から排出する不要イオン除去ステップと、
前記目的イオンを排出し、前記検出器において検出する排出ステップを有し、
前記不要イオン除去ステップは、更に、
前記目的イオンの質量対電荷比近傍に所定の質量範囲を設け、その質量範囲以外の質量対電荷比のイオンを排出する第1ステップと、
前記質量範囲内の前記目的イオン以外のイオンを排出する第2ステップとを有することを特徴とする質量分析方法。
【請求項2】
請求項1において、
前記第1ステップの質量範囲は、前記目的イオンから±5〜10amuの範囲とすることを特徴とする質量分析方法。
【請求項3】
請求項1において、
前記第2ステップは、補助高周波電圧の周波数を固定し、主高周波電圧を走査することを特徴とする質量分析方法。
【請求項4】
請求項3において、
前記質量分析装置は、質量対電荷比と主高周波電圧の相関が示されたキャリブレーションテーブルを備え、
前記第2のステップで印加される主高周波電圧は、前記キャリブレーションテーブルを用いて決定されることを特徴とする質量分析方法。
【請求項5】
請求項4において、
前記キャリブレーションテーブルは、
少なくとも2以上の質量対電荷比が既知の試料について分析を行って、主高周波電圧とイオン強度比の関係を得て、各試料の主高周波電圧とイオン強度比の関係をフェルミ関数を用いて近似式を算出し、当該得られた各近似式から作成することを特徴とする質量分析方法。
【請求項6】
試料をイオン化するイオン源部と、当該イオン源にて生成されたイオンをトラップするイオントラップ部と、当該イオントラップ部に主高周波電圧を印加する主高周波電源と、前記イオントラップ部に補助高周波電圧を印加する補助高周波電源と、前記イオントラップから排出されたイオンを検出する検出部と、前記イオン源からのイオンを前記イオントラップ部に蓄積し、前記蓄積されたイオンから目的イオンを残し、他のイオンをイオントラップ部から排出し、前記目的イオンを検出のために排出するように、前記イオントラップ部に対して制御を行う制御部と、質量対電荷比と主高周波電圧の相関が示されたキャリブレーションテーブルとを備える質量分析装置であって、
前記制御部は、前記蓄積されたイオンから目的イオンを残し、他のイオンをイオントラップ部から排出する際に、前記キャリブレーションテーブルを用いて印加する前記主高周波電圧の値を決定することを特徴とする質量分析装置。
【請求項7】
請求項6において、
前記キャリブレーションテーブルは、
少なくとも2以上の質量対電荷比が既知の試料について分析を行って、主高周波電圧とイオン強度比の関係を得て、各試料の主高周波電圧とイオン強度比の関係をフェルミ関数を用いて近似式を算出し、当該得られた各近似式から作成されることを特徴とする質量分析装置。


【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4(a)】
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【図4(b)】
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【図4(c)】
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【図5】
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