説明

イオンビーム発生装置及び方法

【課題】イオン液体を含有する溶液をエレクトロスプレー法により気相中に放出させることを用いるイオンビーム発生装置において、イオン液体は蒸気圧がほとんど無いため、真空中でも揮発せず、真空容器中にイオン液体が蓄積してしまうという課題があり、また、二次イオン質量分析(SIMS)用の一次イオンビーム源として応用する場合には、二次イオンの生成量の増大が課題となっており、前記課題を解決できる装置及び方法を提供する。
【解決手段】不揮発性であるイオン液体とは別に、揮発性を有する別の液体をも、エレクトロスプレー用細管(キャピラリー)に供給し、両成分からなるイオンビームを生成することにより、真空容器中に蓄積するイオン液体の総量を低下させることができ、また、二次イオン生成量も増大できる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本願発明は、多原子からなる巨大イオン(いわゆるクラスターイオン)ビームを生成させる方法および装置に関するものである。特に、イオンビーム発生にイオン液体を利用してエレクトロスプレー法を用いたイオンビーム発生方法および装置に関する。
【背景技術】
【0002】
多原子から構成されるクラスターイオンを電界により加速することにより、クラスターイオンビームを生成することができる。クラスターイオンビームは、従来から多く使用されているアルゴンイオン(Ar)のような単原子イオンビームや酸素分子イオン(O)のような2原子分子イオンビームと比べて、優れた特徴を有することが知られている(例えば、非特許文献1を参照)。
特に、クラスターイオンビームは、二次イオン質量分析法(SIMS)における一次イオンビームとして非常に有用であり、国内外を問わず近年活発に研究されている。実際、C60、Au、Biなどの多原子からなるクラスターイオンビームが実用化され、二次イオン質量分析法(SIMS)の一次イオンビームとして、極めて有効であることが報告されている(例えば、非特許文献2を参照)。
しかし、一般的なSIMS分析においては、イオン種がほぼそれら3種類(C60、Au、Bi)に限定されているのが現状であり、より大きな分子量を有するイオン種を生成できるクラスターイオンビーム源が求められている。
そこで、本発明者等は、先に、それらの課題を解決するため、「イオン液体」を含有する溶液をエレクトロスプレー法により気相中に放出させることを用いるイオンビーム発生方法ならびに発生装置を発案した(特許文献1、特許文献2参照)。
【0003】
なお、「イオン液体(ionic liquid)」とは、room temperature molten salt とも呼ばれるもので、室温においても液体状態である塩(えん)の総称である。イオン液体は、プラスイオンとマイナスイオンから構成されている液体状の物質であり、高い導電性を持ち、蒸気圧がほとんどなく、熱的に安定であること等の特徴から、ここ数年、注目を集めている物質である。(なお、室温条件では液体状態であるもものの、温度を低下させた場合には凝固することは言うまでもない。)
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【特許文献1】特願2007−253002号(特開2009−87594号公報)
【特許文献2】特願2009−254721号
【非特許文献】
【0005】
【非特許文献1】I.Yamada,J.Matsuo,N.Toyoda and A.Kirkpatrick:“Materials processing by gas cluster ion beams”,Mater.Sci.Eng.R34(2001) p231
【非特許文献2】N.Winograd,“The Magic of Cluster SIMS”,Analytical Chemistry,April 1(2005) p143 A.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
一方、上記の本発明者等が発案した「イオン液体」を含有する溶液(イオン液体の濃度が100%の場合も含む)をエレクトロスプレー法により気相中に放出させることを用いるイオンビーム発生方法ならびに発生装置においては、以下のような課題が存在することがわかった。
(1)イオン液体は蒸気圧がほとんど無いため、真空中でも揮発しない。このため、真空容器中に蓄積してしまう。特に、イオン液体の濃度が100%に近い条件の場合には、イオン液体の蓄積がより大きな問題となりうる。
(2)イオン液体は、蒸気圧がほとんど無く、かつイオン導電性を持つため、真空中であっても安定なエレクトロスプレーが可能である。一方、水溶液等の蒸気圧が無視できない溶液の場合には、溶液の蒸発や凍結が問題となるため真空中での安定なエレクトロスプレーは困難である。このため、イオン液体に揮発性の液体を混合させた溶液を真空中でエレクトロスプレーさせる場合には、イオン液体が揮発性の溶液を包み込むような状態(=層分離)、つまり外側の真空に接する部分はイオン液体が保護層となり、内側には揮発性の溶液が存在するような条件にする必要がある。
(3)二次イオン質量分析(SIMS)においては、二次イオンの生成量が多いことが重要である。特に、有機物や生体関連分子が分析試料の場合には、試料表面から分子構造を保持した状態で真空中に脱離させるだけでなく、電荷を有する状態(=イオン)となっていることが必要となる。なお、有機分子等をソフトにイオン化するためには、プロトン(H)等を有機分子に付加するプロセスが有効であることが知られている。従って、二次イオン質量分析(SIMS)への応用の観点からは、イオンビーム中にプロトン(H)等を多く含有させることが課題となる。
【課題を解決するための手段】
【0007】
上記(1)の課題を解決するために、本発明においては、不揮発性のイオン液体とは別に、揮発性を有する別の液体を同時に供給し、両成分からなるイオンビームを生成する。これにより、イオンビーム中におけるイオン液体の分量が低下することになる。結果として、真空中に蓄積するイオン液体の総量を低下させることができる。
次に、上記(2)の課題を解決するために、本発明においては、イオン液体に揮発性の溶液を混合させた溶液を真空中でエレクトロスプレーをさせる場合には、イオン液体が揮発性の溶液を包み込むような状態とし、外側にイオン液体、内側に揮発性の溶液が存在するような条件となる必要がある。そこで、エレクトロスプレー部となる細管(キャピラリー)を環状流路を有するものとし、「イオン液体を含有する溶液」は環状流路の外側から供給し、“揮発性を有する別の液体”は内側の流路を通して供給するようにする。また、それぞれの供給流量も重要なパラメーターとなるため、供給流量を制御可能な構造とし、最適な条件でそれぞれの液体を供給する。さらに、“揮発性を有する別の液体”としては、イオン液体とは物性的に混合しにくい液体を用いる。
次に、上記(3)の課題を解決するために、本発明においては、“揮発性を有する別の液体”に、プロトン(H)やナトリウムイオン(Na)等のイオンを含有させることで、エレクトロスプレーによって生成されるイオンビーム中にイオン付加反応に利用されうるプロトン(H)やナトリウムイオン(Na)等のイオンを含有させることができ、二次イオン質量分析(SIMS)中における試料分子のイオン化効率を高める。
【発明の効果】
【0008】
本発明により、以下のような効果が得られる。
(1)イオンビーム中の「イオン液体」の含有量が低下し、これにより真空装置内部に蓄積する「イオン液体」の量を低減できる。
(2)真空中であっても、イオン液体が保護層となって安定なエレクトロスプレーが可能となる。これにより、差動排気用の真空ポンプが不要となる。真空中でのエレクトロスプレーは、テーラーコーン先端からイオンビームを生成可能なため、集束性の良いイオンビームが生成可能となる。
(3)二次イオン質量分析(SIMS)用の一次イオンビームとして利用する場合、イオンビームがプロトン(H)等を多量に内在することは大きな利点となる。なぜなら、分析試料表面にイオンビームが照射した際に、プロトン付加反応等のソフトなイオン化過程によってイオン化が促進されるため、結果として二次イオン量が増大するためである。
【図面の簡単な説明】
【0009】
【図1】「イオン液体を含有する溶液(イオン液体の濃度が100%の場合も含む)」および「揮発性を有する別の液体」を用いたイオンビーム発生装置の概略図。
【図2】エレクトロスプレー部となる細管(キャピラリー)は環状流路を有し、「イオン液体を含有する溶液」は環状流路の外側から供給され、「揮発性を有する別の液体」は内側の流路を通して供給される方式のイオンビーム発生装置の概略図。
【図3】各溶液供給ラインに流量制御機構を備えたイオンビーム発生装置の概略図。
【発明を実施するための形態】
【0010】
以下、図面を参照して、本発明の実施形態となるイオンビーム発生装置の構成について説明する。
【実施例】
【0011】
(実施例1)
図1は、本発明の一実施例の概略図である。図1において、一方の溶液供給ラインからは「イオン液体を含有する溶液(イオン液体の濃度が100%の場合も含む)」が供給される。また、もう一方の溶液供給ラインからは、揮発性を有する別の液体が供給される。それらの液体は、金属細管の先端からエレクトロスプレー現象によって、両成分からなるイオンや帯電液滴として気相中(真空中を含む)に放出され、各種電極を通ることで加速されて高エネルギーのイオンビームが生成される。
金属細管としては、例えば、材質はステンレス製で内径は30μm〜100μm程度のものである。溶液供給ラインは、内径100μm程度のチューブであり、例えば、PEEKチューブである。溶液供給ラインには、図示しない溶液供給機構(例えば、マイクロシリンジ等)を有しており、それぞれの溶液を連続的に金属細管に供給する。
なお、図1では、電源のプラス極性を金属細管に接続しており、正イオンビームを生成可能な構成となっているが、電圧の極性を逆にし、マイナス極性を金属細管に接続することで負イオンビームを生成することが可能となる。
【0012】
(実施例2)
図2は、本発明の他の実施例の概略図である。エレクトロスプレー部となる細管(キャピラリー)は環状流路を有し、「イオン液体を含有する溶液」は環状流路の外側から供給され、“揮発性を有する別の液体”は内側の流路を通して供給される。供給された液体は、金属細管の先端からエレクトロスプレー現象によって帯電液滴として気相中(真空中を含む)に放出され、各種電極を通ることで加速されて高エネルギーのイオンビームが生成される。
環状流路を有する細管は、例えば、材質はステンレス製であり、内側の細管は内径30μm程度、外径200〜300μm程度、一方、外側の細管は内径500〜1000μm程度、外径1000〜2000μm程度のものである。環状流路の内側と外側の細管は、電気的に接続されており、電源から電圧が等しく印加される構造となっている。また、それぞれの流路に対する溶液供給ラインは、内径100μm程度のチューブであり、例えば、PEEKチューブである。溶液供給ラインには、図示しない溶液供給機構(例えば、マイクロシリンジ等)を有しており、それぞれの溶液を連続的に金属細管に供給する。
なお、環状流路を有する細管の材質としては、ステンレスや白金などの金属以外に、ガラス製の細管を用いても良い。ただし、ガラス等の電気絶縁性の細管を用いる場合には、金(ゴールド)等のコーティングが表面に施され、電気導電性を有するものを使用する必要がある。
【0013】
(実施例3)
図3は、本発明のさらに他の実施例の概略図である。基本的に、図2の実施例2と同じであるが、それぞれの溶液供給ラインには流量制御機構が設けてあり、連続およびパルス的にそれぞれの液体を供給可能となっている。
流量制御機構として、例えば、0.01〜10μL/min程度の速度で安定的に液体を供給できる送液ポンプが各溶液供給ラインに接続されている。各送液ポンプは、イオン源の運転状況に応じて調節される。特に、環状流路の内側流路用の送液ポンプは、連続的な送液だけでなく、パルス的な送液も可能なポンプを用いる。内側流路への送液をパルス的にすることにより、外側流路から供給されるイオン液体が内側から供給される揮発性の液体を効率的に包み込むことが可能となる。結果として、真空中においてエレクトロスプレーを実施する場合でも安定なイオンビームが生成される。
【0014】
上記実施例1〜3における、“揮発性を有する別の液体”としては、水(HO)あるいは塩化ナトリウム(NaCl)や酢酸(CHCOOH)等の電解質を溶解させた水溶液を用いることができる。そうすることにより、“揮発性を有する別の液体”中に、プロトン(H)やナトリウムイオン(Na)等のイオンを含有させれば、エレクトロスプレーによって生成されるイオンビーム中にイオン付加反応に利用されうるプロトン(H)やナトリウムイオン(Na)等のイオンを含有させることができ、二次イオン質量分析(SIMS)中における試料分子のイオン化効率を高める効果が得られる。
【産業上の利用可能性】
【0015】
本発明によれば、正イオンのみならず、マイナスの電荷を有する負イオンも含めて、多種多様なクラスターイオンビームを連続的かつ効率良く生成可能なイオンビーム発生装置を提供することが可能となる。
なお、本発明は、既存の二次イオン質量分析(SIMS)装置に容易に応用することが可能である。SIMSは、鉄鋼や半導体などのナノテクノロジー計測技術分野において、欠くことのできない重要な分析技術である。さらに、最近ではライフサイエンス分野におけるイメージング質量分析技術等としても、その重要性が広く認識されるようになってきている。本イオンビーム発生装置を、二次イオン質量分析法(SIMS)に用いることで、非常に高い精度の分析が可能となり、SIMSの高度化と一層の発展にも貢献するものと考えられる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
イオン液体を含有する溶液をエレクトロスプレー法により気相中又は真空中に放出させることを用いるイオンビーム発生方法において、
エレクトロスプレー部となる細管に、前記イオン液体を含有する溶液に加えて、揮発性を有する別の液体をも供給し、両成分に起因するイオンや帯電液体を前記細管から放出することを特徴とするイオンビーム発生方法。
【請求項2】
前記細管は環状流路と環状流路の内側の流路とを備え、イオン液体を含有する溶液は環状流路から放出されるとともに、揮発性を有する別の液体は環状流路の内側の流路から放出するようにしたことを特徴とする請求項1記載のイオンビーム発生方法。
【請求項3】
前記イオン液体を含有する溶液、ならびに、前記揮発性を有する別の液体の供給流量をそれぞれ独立して制御することを特徴とする請求項1または2記載のイオンビーム発生方法。
【請求項4】
前記揮発性を有する別の液体としては、前記イオン液体を含有する溶液に対して溶解性が低く、層分離しやすい液体を用いることを特徴とする請求項1〜3のいずれか1項記載のイオンビーム発生方法。
【請求項5】
前記揮発性を有する別の液体としては、前記イオン液体を含有する溶液よりも表面張力が大きい液体を用いることを特徴とする請求項1〜3のいずれか1項記載のイオンビーム発生方法。
【請求項6】
前記揮発性を有する別の液体としては、酸性度の高い水溶液を用いることを特徴とする請求項1〜3のいずれか1項記載のイオンビーム発生方法。
【請求項7】
前記揮発性を有する別の液体としては、塩化ナトリウム、酢酸等の電解質を溶解させた溶液を用いることを特徴とする請求項1〜3のいずれか1項記載のイオンビーム発生方法。
【請求項8】
イオン液体を含有する溶液をエレクトロスプレー法により気相中又は真空中に放出させることを用いるイオンビーム発生装置において、
エレクトロスプレー部となる細管に、前記イオン液体を含有する溶液を供給する供給手段と、揮発性を有する別の液体をも供給する供給手段とを備え、両成分に起因するイオンや帯電液体を前記細管から放出する機構を備えたことを特徴とするイオンビーム発生装置。
【請求項9】
前記細管は環状流路と、環状流路の内側の流路と備え、イオン液体を含有する溶液は細管の環状流路から放出されるとともに、揮発性を有する別の液体は内側の流路から放出することを特徴とする請求項8記載のイオンビーム発生装置。
【請求項10】
前記イオン液体を含有する溶液、ならびに、前記揮発性を有する別の液体の供給流量をそれぞれ独立して制御することを特徴とする請求項8または9記載のイオンビーム発生装置。
【請求項11】
前記揮発性を有する別の液体としては、前記イオン液体を含有する溶液に対して溶解性が低く、層分離しやすい液体を用いることを特徴とする請求項8〜10のいずれか1項記載のイオンビーム発生装置。
【請求項12】
前記揮発性を有する別の液体としては、前記イオン液体を含有する溶液よりも表面張力が大きい液体を用いることを特徴とする請求項8〜10のいずれか1項記載のイオンビーム発生装置。
【請求項13】
前記揮発性を有する別の液体としては、酸性度の高い水溶液を用いることを特徴とする請求項8〜10のいずれか1項記載のイオンビーム発生装置。
【請求項14】
前記揮発性を有する別の液体としては、塩化ナトリウム、酢酸等の電解質を溶解させた溶液を用いることを特徴とする請求項8〜10のいずれか1項記載のイオンビーム発生装置。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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