説明

ホスホリパーゼCεを分子標的とした新規抗炎症薬のスクリーニング方法、および尋常性乾癬様の慢性皮膚炎モデル動物

【課題】新規抗炎症剤のスクリーニング方法を提供すること、および、尋常性乾癬様の症状を呈する新たな慢性皮膚炎モデル動物を提供すること。
【解決手段】ホスホリパーゼCε(PLCε)の機能を欠損させたノックアウトマウス、および、PLCεを角化細胞で過剰発現させたトランスジェニックマウスを用いた実験によって、PLCεが炎症応答に関与することを個体レベルで明らかにした。これらの結果から、PLCεの機能阻害剤は抗炎症剤として有望であり、本発明は、新規抗炎症剤のスクリーニング方法として、PLCεの酵素活性阻害剤の検索、および、PLCεとRas蛋白との結合阻害剤の検索の2つの方法を提供する。また、本発明の慢性皮膚炎モデル動物は、角化細胞でホスホリパーゼCεを過剰発現し、ヒト尋常性乾癬様の症状を呈することを特徴とする。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、ホスホリパーゼCε(以下、「PLCε」と略して表記する場合がある。)を分子標的とした新規抗炎症剤のスクリーニング方法、および、PLCεを角化細胞で過剰発現させることにより得られる尋常性乾癬様の慢性皮膚炎モデル動物に関するものであり、新規抗炎症剤の開発および乾癬の治療法・治療薬の開発等に有用な発明である。
【背景技術】
【0002】
癌遺伝子として知られるras遺伝子には、これまで3種類の遺伝子(Ha-ras, Ki-ras, N-ras)の存在が報告されている。そして、これらの翻訳産物である蛋白質Ha-Ras, Ki-Ras, N-Rasは、いずれも低分子量GTP結合蛋白質であり、ほぼ同じ働きを有していると考えられている(以下では、これらras遺伝子によってコードされるRas蛋白質を単に「Ras」という)。
【0003】
Rasの標的蛋白質(エフェクター)の1つとして、酵素ホスホリパーゼCεが知られている。このホスホリパーゼCεは、最初に線虫において、Rasに結合する新規なホスホリパーゼCとして本発明者によって発見され、その全構造が決定された。また本発明者は、ヒトにおいてホスホリパーゼCεを発見し、その全構造を決定すると共に、Rasとの結合による同酵素の活性調節について明らかにした。
【0004】
上記ホスホリパーゼCεについて更に研究解析を進めた結果、本発明者は、(1)ヒト・ホスホリパーゼCεと低分子量GTP結合蛋白質Rap1との相互作用、ならびに細胞増殖因子刺激に伴うRasおよびRap1を介したホスホリパーゼCεの活性化、(2)マウス・ホスホリパーゼCεの全構造の決定と神経細胞の分化に伴う発現誘導についても明らかにした。
【0005】
その他に、本発明者は、PLCεが、Rasの標的蛋白質の中で細胞の癌化に重要な役割を果たしていることを見出し、PLCεを分子標的とした新規抗がん剤のスクリーニング方法を提案している(下記の特許文献1)。
【0006】
しかし、PLCεが、炎症応答に関与していることを明示する報告はこれまでなかった。ホスホリパーゼC(PLC)の他の分子種であるPLCγについては、PLCγ阻害物質を抗炎症薬に利用できるとする文献(下記の特許文献2・3)、また、PLCの分子種を特定せずにPLC阻害物質が抗炎症薬として有用であるとする文献(下記の特許文献4)、さらに、PLCの他の分子種であるPLCδ1の欠損が、皮膚の炎症を誘発する旨の報告(下記の非特許文献1)は存在したが、PLCεが炎症応答に関与する旨の報告はなかった。なお、本発明者は、2006年6月に開催された下記の学会等において、PLCεが、角化細胞でKC,IL−1α,COX−2といったサイトカインの発現調節に関与していることを発表している。
Crucial Role of Phospholipase Cε in Phorbol Ester-induced Gene Expression in Keratinocytes. 20th IUBMB international congress of biochemistry and molecular biology and 11th FAOBMB congress(京都、2006年6月)
【0007】
【特許文献1】特開2005−23763号公報
【特許文献2】特表2007−507438号公報
【特許文献3】特表2000−501729号公報
【特許文献4】特表平9−505033号公報
【非特許文献1】Biochem Biophys Res Commun. 356(4):912-8. 2007
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
本発明の第1の課題は、新規抗炎症剤のスクリーニング方法を提供することである。現在、臨床で広く用いられている抗炎症薬は、ステロイド系と非ステロイド系とに大別される。ステロイド系抗炎症薬の主な作用点は、種々の炎症性サイトカインの産生抑制、および、アラキドン酸代謝経路に関与する酵素の発現抑制によるプロスタグランジンの産生抑制であると言われている。また、それ以外の作用点の存在の報告もある。副作用としては、電解質代謝異常による低カリウム血症、副腎の機能低下などによるホルモン異常、骨粗しょう症、免疫系の抑制による感染症の誘発、うつなどの精神障害の誘発、さらにはステロイド剤使用停止による症状の増悪(リバウンド)が知られている。一方、非ステロイド系では、プロスタグランジン産生に関わるシクロオキシゲナーゼ(COX)の活性を阻害するものが多い。COXにはCOX−1とCOX−2の2種があり、広く使われている非ステロイド系抗炎症薬はこの両者を阻害するために、COX−1阻害による消化性潰瘍や止血障害に繋がる副作用がある。他の副作用としては、喘息が挙げられる。そこで、こうした従来の抗炎症薬にみられる副作用がない新規抗炎症薬の開発のため、上記アラキドン酸代謝経路等とは異なる細胞内シグナル伝達系で機能している分子を標的とした新たなスクリーニング方法の提供が、本発明の第1の課題である。
【0009】
本発明の第2の課題は、尋常性乾癬様の慢性皮膚炎モデル動物を提供することである。尋常性乾癬は、白色人種の1〜2%が罹患しているといわれる比較的多く見られる病気である。また、本邦では、日本乾癬学会登録集計(2003年)による累積症例数が3万人余りである(文献 佐野栄紀,MB Derma, 126, 1-8, 2007 参照)。根本的な治療法はいまだなく、治療薬開発のため従来より疾患モデル動物の開発が望まれていた。既に、後述のSTAT3トランスジェニックマウス(Nat Med. 11(1):43-9. 2005)など、いくつかの尋常性乾癬モデルマウスが報告されているが、これらとは異なる方法で作出される新たな慢性皮膚炎モデル動物の提供が、本発明の第2の課題である。
【課題を解決するための手段】
【0010】
本発明者は、研究解析を進めた結果、ホスホリパーゼCε(PLCε)に関して下記の事項を含む新知見を見出し、本発明を完成させるに至った。
(1)PLCεの機能を欠損させたPLCεノックアウトマウスは、デキストラン硫酸ナトリウム誘発性大腸炎や、ジニトロフルオロベンゼン誘発性接触性皮膚炎に対して、いずれも抵抗性を示した。反対に、皮膚角化細胞でPLCεを過剰発現するマウスは、尋常性乾癬様の慢性皮膚炎の症状を示した。これらの結果から、PLCεは、炎症応答に関与することが個体レベルで初めて明らかにされた。
(2)したがって、PLCεを阻害する物質は、新規抗炎症薬としての利用が期待できる。また、PLCεノックアウトマウスでは、従来の抗炎症薬の副作用である胃腸障害、止血障害、骨の異常などは見つかっていないことから、PLCεを分子標的としたスクリーニング法により、これらの副作用のない新規抗炎症薬の開発が期待できる。
(3)また、上述のようにPLCεを角化細胞で過剰発現するトランスジェニックマウスを作出したところ、外観上、乾癬に見られる鱗屑(かさぶた)が認められ、ヒト尋常性乾癬に酷似した慢性皮膚炎の症状を示したほか、組織観察の結果からも表皮過形成、不全角化などの病理学的症状を示した。このマウスにステロイド軟膏を投与すると炎症は治癒したが、投与をやめると皮膚炎が再発した。これらの結果から、PLCεを皮膚で過剰発現するマウス等は、尋常性乾癬様の慢性皮膚炎モデル動物として有用と考えられた。
【0011】
本発明は、以上の知見に基づくものであり、産業上有用な発明として、下記A)〜L)の発明を含むものである。
A) ホスホリパーゼCεの酵素活性を阻害する物質を検索することを特徴とする新規抗炎症剤のスクリーニング方法。
B) 試験管内または細胞内にて、被検物質投与に対するホスホリパーゼCεの酵素活性を測定することを特徴とする上記A)記載の新規抗炎症剤のスクリーニング方法。
C) ホスホリパーゼCεの全長蛋白質、または酵素活性領域を含む部分蛋白質を発現させ、その酵素活性を測定することを特徴とする上記B)記載の新規抗炎症剤のスクリーニング方法。
D) ホスホリパーゼCεまたはその酵素活性領域の高次構造の情報を用いることを特徴とする上記A)〜C)のいずれかに記載の新規抗炎症剤のスクリーニング方法。
E) ホスホリパーゼCεとRas蛋白質との結合を阻害する物質を検索することを特徴とする新規抗炎症剤のスクリーニング方法。
F) 試験管内または細胞内にて、被検物質投与に対するホスホリパーゼCεとRas蛋白質との結合阻害の有無を測定することを特徴とする上記E)記載の新規抗炎症剤のスクリーニング方法。
G) ホスホリパーゼCεの全長蛋白質、またはそのRas結合領域を含む部分蛋白質を発現させ、Ras蛋白質との結合阻害の有無を測定することを特徴とする上記F)記載の新規抗炎症剤のスクリーニング方法。
H) ホスホリパーゼCεもしくはそのRas結合領域の高次構造の情報、又は、ホスホリパーゼCεとRas蛋白質との複合体の高次構造の情報を用いることを特徴とする上記E)〜G)のいずれかに記載の新規抗炎症剤のスクリーニング方法。
I) 上記A)〜G)のいずれかに記載のスクリーニング方法を用いて得られた抗炎症剤。
J) 角化細胞でホスホリパーゼCεを過剰発現し、ヒト尋常性乾癬様の症状を呈することを特徴とする、慢性皮膚炎モデル動物。
K) 上記J)記載の慢性皮膚炎モデル動物を用いることを特徴とする、抗炎症薬のスクリーニング方法。
L) 上記J)記載の慢性皮膚炎モデル動物を用いることを特徴とする、抗炎症薬の薬効評価方法。
【発明の効果】
【0012】
本発明の第1は、PLCεを分子標的として新規抗炎症剤をスクリーニングする方法である。PLCεは、従来の抗炎症薬が作用するアラキドン酸代謝経路等とは異なる細胞内シグナル伝達系で機能している分子と考えられ、また、PLCεノックアウトマウスでは、従来の抗炎症薬の副作用である胃腸障害、止血障害、骨の異常などは見つかっていないことから、本発明のスクリーニング法により、これらの副作用のない新規抗炎症薬の開発が期待できる。例えば、本スクリーニングにより得られた分子は、潰瘍性腸疾患、接触性皮膚炎、慢性皮膚炎などに対する新規抗炎症薬として、あるいはそのリード化合物として有望である。
【0013】
本発明の第2は、PLCεを角化細胞で過剰発現させることにより、ヒト尋常性乾癬様の症状を呈する慢性皮膚炎モデル動物である。従来の尋常性乾癬モデルマウスは、主として、炎症性サイトカインや血管新生因子、あるいはそれらの受容体からのシグナル伝達に関わる転写因子STAT3を直接操作することで乾癬様の表現型を誘導したものである(後記の表1参照)。しかし、本発明のモデル動物はそれらをまったく改変することなく乾癬に酷似の表現型を誘導しているので、従来のモデルマウスが反映し得ないヒト乾癬の発症機構により表現型が誘導されている可能性があり、新規のモデル動物として、尋常性乾癬の発症機構の解明や、それに基づく治療薬の開発、およびその薬効の生体レベルでの評価等に利用することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0014】
以下、本発明の具体的態様について説明する。
図1に、PLCεの概略的構造が示される。本発明者は、以前、図2に示す遺伝子ターゲッティング法により、このPLCεのリパーゼ活性を全身で欠損しているノックアウトマウスを作出した。このPLCεノックアウトマウスは、体重増加や生殖能などに異常は認められなかったが、化学発癌剤による皮膚腫瘍[初期の良性腫瘍(パピローマ)ならびにそれが進展した悪性腫瘍(扁平上皮癌)の両方]の発生に強い抵抗性を示した(前記特許文献1、およびMol. Cell. Biol., 25, 2191-2199, 2005参照)。
【0015】
さらに、上記PLCεノックアウトマウスに対して、今回、デキストラン硫酸ナトリウム(DSS)誘発性大腸炎(潰瘍性大腸炎のモデルとして広く用いられている)の実験を行ったところ、PLCεノックアウトマウスでは、野生型と比べて大腸炎症状が抑制されており(図3・4)、サイトカインなどの炎症関連分子の発現も抑制されていた(図5)。また、上記PLCεノックアウトマウスは、ジニトロフルオロベンゼン(DNFB)誘発性接触性皮膚炎(金属アレルギー等のモデル系とされている)に対しても、同様に野生型と比べて炎症症状が抑制されていた(図6)。
【0016】
さらに、後述の方法で、角化細胞特異的にPLCεを過剰発現するトランスジェニックマウス(K5PLCεTgマウス)を作出したところ、このマウスは、炎症関連分子の異常な発現上昇を伴う慢性皮膚炎の表現型を示した(図9以下)。尚、実験の詳細は、後述の実施例において説明する。
【0017】
上記実験結果は、PLCεが炎症応答に関与することを個体レベルで初めて明らかにしたものであり、本発明は、これらの結果に基づき、PLCεに対して抑制的に作用する物質群の中から新規抗炎症薬をスクリーニングする方法を提供するものである。具体的には後述のように、PLCεの酵素活性を阻害する物質、または、PLCεとその活性化因子であるRas蛋白質との結合を阻害する物質群の中から、新規抗炎症薬をスクリーニングする方法を提供する。
【0018】
ところで、ホスホリパーゼCは、その基質phosphatidylinositol 4,5-bisphosphate (PIP2)を加水分解し、重要な細胞内二次メッセンジャーであるinositol 3,4,5-trisphosphate (IP3)とdiacylglycerol (DAG) を産生する酵素である。このホスホリパーゼCには、β,γ,δ,ε,ζ,ηの6分子種が知られており、上記ホスホリパーゼCε(PLCε)もその中の1つである。ホスホリパーゼCの活性阻害剤については、いくつか報告されているが、分子種特異的なものはなく、あまり良いものは発見されていない。一番有名な阻害剤は、U73122であるが、分子種特異的ではなく作用機構も不明である。さらに、文献的には、ホスホリパーゼC酵素活性阻害剤としてSC-alpha alpha delta(Mol. Cancer Ther. 1, 885-892, 2002)などが報告されているが、分子種特異的ではなく、他の作用も有している。
【0019】
このように、ホスホリパーゼCの分子種特異的な阻害剤は未だ良いものが見つかっておらず、ホスホリパーゼCεの選択的阻害剤も未だ発見されていない。本発明は、新規抗炎症剤として有望なホスホリパーゼCεの選択的阻害剤のスクリーニング方法を提供するものである。具体的には、(1)ホスホリパーゼCεの酵素活性阻害剤の検索と、(2)ホスホリパーゼCεとRasとの結合の阻害剤の検索との2つのスクリーニング方法に大別される。
【0020】
(1)ホスホリパーゼCεの酵素活性阻害剤の検索
まず、試験管内活性測定系(cell-free system)でのスクリーニング方法を挙げることができる。例えば、本発明者は、ヒトおよびマウスのホスホリパーゼCεをバキュロウイルスベクターを用いて昆虫細胞にて発現して精製する系を開発し、精製したホスホリパーゼCεを用いて酵素活性を測定できる試験管内系を開発している(ヒト・ホスホリパーゼCεについては、J. Biol. Chem. 276, 2752-2757, 2001参照)。この系を用いて、様々の有機化合物のホスホリパーゼCε酵素活性阻害作用を測定することが可能である。
【0021】
上記文献記載のホスホリパーゼCε酵素活性測定方法は、放射性同位元素標識された基質PIP2を用いる一般的方法であるが、多数の有機化合物のマススクリーニングのためには、例えば蛍光標識された基質が加水分解された時のみ蛍光を発生する活性測定系を用いることが好ましい。このような方法として、例えば文献Rukavishnikov, A. et al. Bioorganic & Medicinal Chem. Lett. 9, 1133-1136, 1999に記載の方法を挙げることができる。
【0022】
他のホスホリパーゼC分子種であるβ,γ,δ,ζ,ηの活性阻害も全く同様の方法で並行して測定し、ホスホリパーゼCεを選択的に阻害するものを選び出すことができる。このとき、仮にホスホリパーゼ分子種に対して選択性を持たない阻害剤しか上記スクリーニングで発見できない場合でも、その物質をホスホリパーゼCε選択的阻害剤を分子設計により作り出すリード化合物として用いることができる。この分子設計の過程で、ホスホリパーゼCεとりわけその酵素活性領域(触媒部分)の高次構造の情報が非常に有用である。このような情報は、例えばホスホリパーゼCεの酵素活性領域のみを遺伝子組換え技術を用いて大量発現して精製し、結晶化の後、X線回折により高次構造を決定することで取得可能である。
【0023】
尚、ここで酵素活性領域とは、ホスホリパーゼCεのXドメイン、Yドメイン、およびC2ドメインを含む領域をいい(図1参照)、例えばヒト・ホスホリパーゼCεの場合、そのアミノ酸配列中、少なくとも1392〜1944番目のアミノ酸配列を含む領域をいう。
【0024】
勿論、本発明のスクリーニング方法は、上記例示の方法に限定されるものではなく、これとは異なる公知の種々の酵素活性測定方法が適用可能である。例えば、ホスホリパーゼCεの上記酵素活性領域を含む部分蛋白質を大腸菌等により発現させ、その酵素活性を測定するものであってもよい。
【0025】
また、上記の方法は、試験管内反応系(cell-free system)でのスクリーニング方法であったが、培養細胞等を用いて細胞内で酵素活性を測定することによりスクリーニングを行ってもよい。細胞レベルでホスホリパーゼCの活性を測定する方法としては、例えば細胞を細胞増殖因子やホルモンなどで刺激し、活性化されたホスホリパーゼCが生成するIP3が小胞体から遊離させるカルシウムイオンの濃度上昇を蛍光標識カルシウム指示薬 (Fura-2やFluo-3等)を用いて検出する方法を挙げることができる。もっとも、この方法の場合、細胞内にはホスホリパーゼCε以外の種類のホスホリパーゼCも存在するので、それらも一緒に活性化されるといった問題が生ずる。そこで、ホスホリパーゼCεの活性のみを測定できる系を開発することが望ましい。例えば文献Oncogene 21, 8105-8113, 2002に記載されるように、ホスホリパーゼCγの活性化に必要な領域を欠損した細胞増殖因子受容体 (PDGF受容体) を発現する細胞などを用いることによって、ヒト・ホスホリパーゼCεの活性のみを測定できる系を開発することができる。さらに、このような細胞を用いることによって、ホスホリパーゼCε阻害剤をマススクリーニングする系を確立することができる。また、マウス真皮線維芽細胞をホルボールエステルで刺激した際に観察されるカルシウムイオンの濃度上昇がホスホリパーゼCε依存的であること(Ikuta et al., 論文投稿中)を利用し、ホルボールエステル誘導性のカルシウムイオンの濃度上昇を阻害する化合物のスクリーニングによりホスホリパーゼCε阻害剤をマススクリーニングする系の確立が可能である。
【0026】
(2)ホスホリパーゼCεとRasとの結合の阻害剤の検索
この場合のスクリーニング方法としては、物質間の結合の有無や解離の有無を調べる従来公知の種々の方法を適用することができ、特に限定されるものではない。例えば、本発明者は、ヒト・ホスホリパーゼCεのRas結合ドメイン(RAドメイン:図1参照)を大腸菌内で大量に発現して精製し、試験管内でRasとの結合を検出する系を確立しており(J. Biol. Chem. 276, 2752-2757, 2001参照)、この系を用いてホスホリパーゼCεとRasとの結合阻害を測定することができる。
【0027】
上記文献記載の結合測定系においては、結合したRasの定量にウエスタンブロット法を用いているが、阻害剤のマススクリーニングに向けて98 wellまたは384 wellのマイクロタイタープレート等にヒト・ホスホリパーゼCεのRAドメインを固定し、それに結合したRasを酵素、蛍光色素あるいは放射性同位元素で標識した抗体によって検出する系を確立することも可能である。
【0028】
さらに同様の方法により、Rafなどの他の標的蛋白質とRasとの結合阻害も調べ、ヒト・ホスホリパーゼCεのRAドメインとRasとの結合のみを選択的に阻害する物質を検索することは好ましい。
【0029】
ホスホリパーゼCεとりわけそのRAドメインの高次構造の情報、並びに、ホスホリパーゼCεのRAドメインとRasとの複合体の高次構造の情報は、ホスホリパーゼCεとRasとの結合を特異的に阻害する阻害剤の分子設計に有用であるので、このような情報を利用するものであってもよい。
【0030】
さらに、酵母two-hybrid法を用いて、ヒト・ホスホリパーゼCεのRAドメインとRasとの結合を検出することも可能であり、この系により酵母細胞を使って結合阻害剤をスクリーニングすることができる。この場合、Raf−1とRasとの結合阻害剤の発見に用いられたように、酵母の有機物質透過性を上昇させた株を用いることが好ましい(Kato-Stankiewicz, J. et al, Proc. Natl. Acad. Sci. USA 99, 14398-14403, 2002参照)。
【0031】
そのほか、(1)ホスホリパーゼCεのRAドメインをカラムに固定してこれと結合する物質を検索する方法や、(2)免疫沈降―免疫ブロット法を用いてホスホリパーゼCεとRasとの結合を阻害する物質を検索する方法など、物質間の結合の有無や解離の有無を調べる従来公知の種々の方法を本発明のスクリーニング方法に適用可能である。
【0032】
ホスホリパーゼCεとRasとの結合阻害剤をスクリーニングする方法の場合、使用するホスホリパーゼCεは全長蛋白質であってもよいが、上述のようにRas結合領域(RAドメイン)を含む部分蛋白質であっても勿論よい。同様に、この場合に使用するRasは全長蛋白質であってもよいし、部分蛋白質であってもよい。
【0033】
尚、Ras結合領域(RAドメイン)は、例えばヒト・ホスホリパーゼCεの場合、そのアミノ酸配列中、2135〜2238番目の領域に相当する。
【0034】
ホスホリパーゼCε、Rasなどの各蛋白質について、ヒト以外のもの、例えば、マウスホモログやラットホモログ、その他の生物の各ホモログを用いて本発明のスクリーニングを行ってもよい。また、常法にしたがってこれら野生型蛋白質の一部アミノ酸を置換または欠失させ、あるいはリン酸化を施したり、別のアミノ酸配列を付加する等して改変した蛋白質を使用してもよい。
【0035】
(3)本発明の慢性皮膚炎モデル動物
本発明の慢性皮膚炎モデル動物は、角化細胞でPLCεを過剰発現し、ヒト尋常性乾癬様の症状を呈するものであればよい。
【0036】
表1は、従来報告されている各ヒト乾癬モデルマウスとヒト乾癬にみられる各病理学的症状との類似性をまとめたもので、文献J Invest Dermatol. 127(6):1292-1308. 2007に記載の表を一部改変したものである。
【0037】
【表1】


(表中、「Y」はYes(該当する)を、「N」はNo(該当せず)を、「?」は未決定であることを示す。)
【0038】
このように、ヒト乾癬(Human psoriasis)にみられる病理学的症状としては、表皮の変化として(1)肥厚あり(2)分化異常あり(3)延長突起あり(4)乳頭腫症なし、(5)毛細血管の拡張あり、炎症性の変化として(6)表皮へのT細胞浸潤あり(7)表皮内微小膿瘍あり、(8)ケブナー現象あり、および(9)免疫応答活性化依存性あり、を挙げることができる。本発明の慢性皮膚炎モデル動物は、これらすべての病理学的症状に合致している必要はないが、上記9つの病理学的症状のうち5以上の病理学的症状に合致していることが好ましく、6以上の病理学的症状に合致していることがより好ましい。
【0039】
後述の実施例で詳述するように、本発明者は、PLCεを角化細胞特異的に過剰発現する遺伝子改変マウス(トランスジェニックマウス)を作出するために、まず図7に示すトランスジーン (pCAG-XstopX-mPLCε-IRES-NLLacZ) を構築した。そして、このトランスジーンを、網膜双極細胞と小脳プルキンエ細胞特異的なL7プロモーター支配下でCreリコンビナーゼを発現するL7-Creマウス由来の受精卵核へ注入し、組換え体マウスを得た。さらに、このマウスと、角化細胞特異的なケラチン5(K5)プロモーター支配下でCreリコンビナーゼを発現するK5-Creマウスとを交配させることで、PLCεを角化細胞特異的に過剰発現するK5PLCεTgマウスを作出した(図8)。
【0040】
このK5PLCεTgマウスは、外観上、乾癬に見られる鱗屑(かさぶた)が認められ(図9)、組織観察の結果からも表皮過形成、不全角化など慢性皮膚炎の症状を示した(図10)。このK5PLCεTgマウスにステロイド軟膏を投与すると炎症は治癒したが、投与をやめると皮膚炎が再発した(図11〜13)。
【0041】
このように、K5PLCεTgマウスは、ヒト尋常性乾癬に酷似した慢性皮膚炎の症状を示した。下記の表2は、K5PLCεTgマウスでみられた慢性皮膚炎の表現型と、ヒト乾癬でみられる病理学的症状との類似性を示したものである。
【0042】
【表2】


(ヒト乾癬のデータは、文献J Invest Dermatol. 127(6):1292-1308. 2007に基づく。表2中、「Y」はYes(該当する)を、「N」はNo(該当せず)を表す。また、「Y?」は該当する可能性があることを、「?」は現在解析中であることを示す。)
【0043】
上記K5PLCεTgマウスは、PLCεを角化細胞特異的に過剰発現させるために、K5-Creマウスとの交配を実施して作出された。さらに、角化細胞を含む全身でCreリコンビナーゼを発現するCAG-Creマウスとの交配によって全身でPLCεを過剰発現するトランスジェニックマウスを作出したが、このマウスでも、K5PLCεTgマウスと同様の表現型が得られ、尋常性乾癬様の慢性皮膚炎の症状を示した。したがって、少なくとも角化細胞でPLCεを過剰発現することで(即ち、角化細胞でのPLCεの発現量を野生型よりも高くすることで)、尋常性乾癬様の慢性皮膚炎モデル動物を作出可能と考えられる。
【0044】
以上説明した方法は、Creリコンビナーゼを発現するマウスとの交配により角化細胞でPLCεを過剰発現するトランスジェニック動物を作出するものであったが、角化細胞でPLCεを過剰発現する動物を作出する方法はこれに限定されるものではなく、公知の種々の方法(例えば、「遺伝子工学キーワードブック 改訂第2版」(羊土社、2000年1月1日発行)の283−284頁に記載の方法、「実験医学別冊 新訂 新遺伝子工学ハンドブック 改訂第3版」(羊土社、1999年9月10日発行)の234−238頁に記載の方法など)が適用可能である。例えば、目的遺伝子を過剰発現するトランスジェニック動物を作出する一般的な方法として、PLCε遺伝子を所望のプロモーターの制御下に配置した組換えDNAを構築し、この組換えDNAをマウスの受精卵、初期胚または胚性幹細胞などの分化全能性をもつ細胞に導入し、得られた細胞を偽妊娠マウスに移植し、生まれた仔マウスから前記組換えDNAを有する仔マウスを選別するステップを含む作出方法を挙げることができる。この方法の場合は外来PLCε遺伝子が染色体に組み込まれたマウスを作出することになるため、Creリコンビナーゼを発現するマウスとの交配によらなくとも、角化細胞でPLCεを過剰発現するトランスジェニック動物を作出可能である。
【0045】
本発明のモデル動物の動物種については特に限定されるものではないが、ウシ、ブタ、ヒツジ、ヤギ、ウサギ、イヌ、ネコ、モルモット、ハムスター、マウス、ラットなどの哺乳動物が例示される。これらのうち、実験動物として用いるには、ウサギ、イヌ、ネコ、モルモット、ハムスター、マウス、ラットが好ましく、なかでも齧歯目がさらに好ましく、近交系が多数作出されており、受精卵の培養、体外受精等の技術が整っているマウスが、特に好ましい。
【0046】
本発明のモデル動物は、慢性皮膚炎、とりわけ尋常性乾癬の研究解析に利用することができる。尋常性乾癬は、白色人種では全人口の1〜2%が罹患している比較的多く見られる病気であり、根本的な治療法はいまだなく、本発明のモデル動物は、その発症メカニズムや病態解明、治療薬開発などに利用可能である。
【0047】
また、本発明のモデル動物は、図11から13に示すように既存の抗炎症剤であるステロイド軟膏によりその炎症症状が緩和されることから、抗炎症薬の薬効評価などに利用可能である。例えば、候補物質(リード化合物など)の投与により炎症症状が緩和するかどうかを調べる方法等によって、抗炎症薬のスクリーニング方法に利用することができる。さらに、本発明のモデル動物は、炎症症状が緩和するかどうかを調べる方法等によって、既存の抗炎症薬を含めた抗炎症薬の薬効評価方法に利用することができる。
【実施例】
【0048】
以下、本発明の基礎をなす、PLCεの機能を欠損させたPLCεノックアウトマウス、および、角化細胞特異的にPLCεを過剰発現させたトランスジェニックマウス(K5PLCεTgマウス)を用いた実験結果について、図面を参照しながら説明する。
【0049】
[1]実験材料と方法
[1-1]遺伝子組換え実験
通常の方法で、制限酵素によるDNA分子の配列依存的切断と、それにより得られたDNA断片のT4 DNAリガーゼによる結合を行い、プラスミドを構築した。得られた産物で大腸菌を形質転換し、形質転換体の選抜の後、プラスミドの精製を行い、一連の実験に供した。
【0050】
[1-2]PLCεノックアウトマウスの作出
PLCεノックアウトマウスを、前記特許文献1に記載の遺伝子ターゲッティング法により作出した。図2に示すように、この遺伝子ターゲッティング法では、PLCεの触媒部分に相当するXドメインをコードするエクソンをneo遺伝子で置換したPLCεノックアウトマウスを作出した。
【0051】
[1-3]角化細胞特異的にPLCεを過剰発現するマウス(K5PLCεTgマウス)の作出
まず、pCAG-XstopX-polyA(Biochem Biophys Res Commun. 331:1216-1221. 2005)に、配列内リボソーム進入部位(IRES)と核移行シグナル付加βガラクトシダーゼ(NL-LacZ)とを挿入したコンストラクトpCAG-XstopX-IRES-NLLacZ(Oncogene 26:4714-4719. 2007)に、マウス・ホスホリパーゼCεをコードするcDNA(Eur J Neurosci. 17:1571-1580. 2003)を挿入して、図7に示すトランスジーン(pCAG-XstopX-mPLCε-IRES-NLLacZ)を構築した。
【0052】
上記トランスジーンを通常の方法(Manipulating the Mouse Embryo: A Laboratory Manual, 2nd edn. Cold Spring Harbor Press: New York 1994)に従って、網膜双極細胞と小脳プルキンエ細胞特異的なL7プロモーター支配下でCreリコンビナーゼを発現するL7-Cre(Biochem Biophys Res Commun. 331:1216-1221. 2005)マウス由来の受精卵核へ注入し、組換え体マウスを得た。トランスジーンの染色体への挿入の有無は、サザンブロッティング、およびポリメラーゼ連鎖反応(PCR)法により解析した。さらにトランスジーンの活性化について、得られたマウスを安楽死させた後に得た網膜におけるLacZ活性を、X-galを基質とした酵素反応による染色法で確認した。このマウスと、角化細胞特異的なケラチン5(K5)プロモーター支配下でCreを発現するK5-Creマウス(Proc Natl Acad Sci U S A 94:7400-7405. 1997)との交配により、K5PLCεTgマウスを作出した。
【0053】
[1-4]デキストラン硫酸ナトリウム(DSS)による大腸炎の誘導と解析
大腸炎の誘導は、文献(Am J Physiol Gastrointest Liver Physiol 288:G1328-1338. 2005)で用いられた方法に、若干の改変を加えて行った。滅菌済み飲料水に終濃度3%でDSS(和光純薬製)を添加し、8から9週令に達したオスの野生型(以下、「PLCε+/+マウス」という。)、およびPLCεをホモに欠損するマウス(以下、「PLCε-/-マウス」という。)に自由飲水させた。投与開始後5日まで毎日、体重を測定した。病理解析のために、0、1、3、5日に1匹ずつ安楽死後解剖を行い、大腸を採取し写真撮影した後、ホルマリン固定後、パラフィン切片の作製に供した。パラフィン切片は、ヘマトキシリン・エオシン(HE)染色を行った。また、一部は、全RNAの抽出(キアゲン社RNeasy Miniキット使用)に供した。
【0054】
[1-5]ジニトロフルオロベンゼン(DNFB)による接触性皮膚炎の誘導
マウスの感作と皮膚炎の誘導は、文献(Nat Immunol 7:507-516. 2006)で用いられた方法に、若干の改変を加えて実施した。前日に剃毛した8週令に達したマウスの背部の皮膚に、0.4% DNFB(Sigma社製)のアセトン溶液(25μl)を塗りつけ、マウスを感作した。5日後に、両耳介の厚さをデジタルノギス(ミツトヨ製、MDC-25M)で測定した後、感作したマウスの片方の耳の裏側に0.2% DNFBのアセトン溶液(20μl)を、もう片方にはDNFBを含まないアセトン(20μl)を塗りつけ、接触性皮膚炎を誘導した。再刺激後3、6、12、24、36、48、72時間に耳介の厚さを測り、以下の式に基づいて、DNFB依存的な耳介の肥厚を算出した。
耳介の肥厚={(DNFB再刺激後の耳介の厚さ)−(DNFB再刺激前の耳介の厚さ)}−{(アセトン刺激後の耳介の厚さ)−(アセトン刺激前の耳介の厚さ)}
有意差検定は、Student t-testにて行い、P<0.05であれば統計的有意差があると判断した。
【0055】
[1-6]免疫染色
免疫染色は、通常の方法で行った。
【0056】
[1-7]逆転写ポリメラーゼ連鎖反応(RT−PCR)法によるmRNA発現解析
RT−PCRは通常の方法で行った。RT反応には、MMLV由来組換え体逆転写酵素(Invitrogen社製、SuperScript III)を用いた。PCRは好熱菌由来Taq DNAポリメラーゼを用いる標準的な方法で行った。
【0057】
[1-8]ステロイド軟膏などによる炎症への影響の解析
ステロイド軟膏(三菱ウェルファーマ製)、またはワセリンを耳介に一日一回、最長6日間塗り続け、その効果を観察した。また、ステロイド軟膏の処置を停止後、3日間の変化を観察した。
【0058】
[2]実験結果
[2-1]PLCεノックアウトマウスを用いた実験結果
[2-1-1]デキストラン硫酸ナトリウム(DSS)誘発性潰瘍性大腸炎の抑制
PLCε+/+(野生型対照)マウスと、PLCε-/-(ノックアウト)マウスとに、3% DSSを含む飲料水を与え、大腸炎を誘発させた。その結果、図3に示すように、体重変化(同図(a))、腸管の長さの変化(同図(b))ともに、野生型に比べてノックアウトマウスでは変化の程度が抑制されていた。これは、PLCεノックアウトマウスにおいて、DSS誘発性潰瘍性大腸炎が抑制されたことを示すものである。
【0059】
図4は、DSS飲水開始後5日の大腸組織の病理切片(HE染色)を示す。弱拡大図に見られるように、糜爛の形成がノックアウトマウスでは抑制されており、顆粒球(主に、好中球)浸潤も抑制されていた。さらに、ノックアウトマウスでは、図5に示すように、DSS大腸炎誘導実験で、サイトカインなど炎症関連分子の発現が野生型に比べて抑制されていた。
【0060】
[2-1-2]接触性皮膚炎の抑制
ジニトロフルオロベンゼン(DNFB)でマウスを感作させ、5日後にDNFBで再刺激することで、接触性皮膚炎を誘発させた。炎症の程度を耳介の肥厚、および組織切片解析で評価した。図6の(a)はオス、メスに分けて耳介の肥厚を経時的に算出した結果であり、○は野生型、●はノックアウトマウス(PLCε-/-)を示す。オス、メスとも、再刺激後12時間から野生型マウス・ノックアウトマウス間の肥厚に有意差(P<0.05)が認められた。同図(b)に示すように、組織切片解析の結果からも、ノックアウトマウスでは耳介の肥厚の抑制が観察された。
【0061】
[2-2]K5PLCεTgマウスを用いた実験結果
上記[1-3]で説明した方法により、角化細胞特異的にPLCεを過剰発現するマウス(K5PLCεTgマウス)を作出した。このK5PLCεTgマウスにおけるPLCεの過剰発現の様子を図8に示す。
【0062】
同図(a)は、抗PLCε抗体を用いた免疫染色の結果を示す。実験は、それぞれのマウスの尾より作製した組織切片を用いて行った。抗原・抗体反応によるシグナルは、同図において濃い目の灰色として検出され、K5PLCεTgマウス切片では、表皮(両矢印で図示)が濃く染色されている。同図(b)は、RT-PCRによる確認を、それぞれのマウスの尾より調製したmRNAから作製したcDNAを鋳型にした半定量的RT-PCR法(相対鋳型量1, 10, 100)にて解析した結果である。これらの結果に示すように、K5PLCεTgマウスでは、皮膚角化細胞において、外来性PLCε遺伝子発現の活性化が観察された。
【0063】
図9は、K5PLCεTgマウスの外観を、野生型(対照)マウスと比較して示す図であり、(a)は全体の外観を、(b)は尾、前足、後ろ足、および耳の拡大写真を示す。K5PLCεTgマウスでは鱗屑が観察された。
【0064】
図10は、K5PLCεTgマウスにおける表皮過形成と不全角化を示す図である。図中、点線は表皮層と真皮層との境界面を示し、それより上部が表皮層である。K5PLCεTgマウスでは、不完全な脱核を特徴とする不全角化が顕著に認められた(図中矢印)。
【0065】
図11は、上記K5PLCεTgマウスに対する、ステロイド軟膏処置による皮膚炎の治癒の結果を示す。K5PLCεTgマウスの耳を、ステロイド軟膏で処理(上段)、および未処理(下段)し、その後の経過を観察した。ステロイド処理開始3日後から顕著に皮膚炎の治癒が認められた。対照的に、K5PLCεTgマウスをステロイド軟膏の基剤であるワセリンで処置した場合には、皮膚炎の治癒は認められなかった(図12)。また、K5PLCεTgマウスに対してステロイド軟膏処置を停止すると、炎症が再発した(図13)。
【0066】
上記K5PLCεTgマウスでは、図14に示すように、表皮層へのMPO(ミエロペルオキシダーゼ)陽性細胞(主に好酸球、図中矢印)の浸潤が観察された。さらに、免疫染色による実験の結果、K5PLCεTgマウスにおいて以下の病理学的症状が観察された。
(1)抗リン酸化型STAT3抗体による免疫染色を行い、活性型(リン酸化型)の核移行を検討した。その結果、K5PLCεTgマウスでは角化細胞の細胞核が染色された(図15の矢印)。
(2)血管内皮細胞マーカーであるCD31(別名PECAM-1)に対する抗体による免疫染色で血管を可視化した。その結果、K5PLCεTgマウスでは皮膚における血管新生の亢進が観察された(図16の矢印)。
(3)末梢血リンパ球サブセット(ヘルパーT細胞)の表面抗原であるCD4に対する抗体での免疫染色によって、K5PLCεTgマウスでは、真皮層へのT細胞浸潤(図17)、および表皮層へのT細胞浸潤(図18)が観察された。
【0067】
さらに、K5PLCεTgマウスにおける種々の炎症性サイトカイン、炎症性分子および血管新生因子の発現の変化を検討した。実験では、各炎症性サイトカイン、炎症性分子、血管新生因子をコードするmRNAの量を、それぞれのマウスの尾より調製したmRNAから作製したcDNAを鋳型にした半定量的RT-PCR法(相対鋳型量1, 10, 100)にて解析した。
【0068】
その結果を図19に示す。野生型マウスとK5PLCεTgマウスとの間での差が顕著であるものについては、図中の各遺伝子名に下線を付した。同図に示すように、K5PLCεTgマウスでは、多数の炎症性サイトカインなどの発現上昇が認められた。
【産業上の利用可能性】
【0069】
以上のように、本発明は、ホスホリパーゼCε(PLCε)を分子標的とした新規抗炎症剤のスクリーニング方法、および、PLCεを角化細胞で過剰発現させることにより得られる尋常性乾癬様の慢性皮膚炎モデル動物に関するものであり、新規抗炎症剤の開発および乾癬の治療法・治療薬の開発等に利用できるものである。
【図面の簡単な説明】
【0070】
【図1】PLCεの構造を概略的に説明する図である。図中、「CDC25」はCDC25類似ドメイン(グアニンヌクレオチド交換因子ドメイン)、「PH」はプレクストリン相同性ドメイン、「EF」はEFハンド、「X」はXドメイン、「Y」はYドメイン、「C2」はC2ドメイン、「RA」はRas/Rap結合ドメインを示す。
【図2】遺伝子ターゲッティング法による、PLCεノックアウトマウスの作出を説明する図である。
【図3】(a)(b)は、PLCεノックアウトマウスにおいて、デキストラン硫酸ナトリウム(DSS)誘発性潰瘍性大腸炎が抑制されたことを示す図である。実験では、PLCε+/+(野生型対照)マウスと、PLCε-/-(ノックアウト)マウスとに、3% DSSを含む飲料水を与え、大腸炎を誘発させた。体重変化(a)、腸管の長さの変化(b)ともに、ノックアウトマウスでは抑制されていた。体重はそれぞれ3匹のマウスの0日目の値を100%とした相対値で、平均±標準誤差で示している。
【図4】PLCεノックアウトマウスにおいて、デキストラン硫酸ナトリウム(DSS)誘発性潰瘍性大腸炎が抑制されたことを示す図(大腸組織のHE染色)である。DSS飲水開始後5日の大腸の病理切片を示す。弱拡大図に見られるように、糜爛の形成がノックアウトマウスでは抑制されており、顆粒球(主に、好中球)浸潤も抑制されていた。
【図5】PLCεノックアウトマウスにおいて、デキストラン硫酸ナトリウム(DSS)誘発性潰瘍性大腸炎が抑制されたことを示す図(炎症関連分子の発現の抑制)である。
【図6】(a)(b)は、PLCεノックアウトマウスにおいて、接触性皮膚炎が抑制されたことを示す図である。ジニトロフルオロベンゼン(DNFB)でマウスを感作させ、5日後にDNFBで再刺激する事で、接触性皮膚炎を誘発させた。炎症の程度を耳介の肥厚(a)、および組織切片解析(b)で評価した。(a)の○は野生型、●はノックアウトマウス(PLCε-/-)を示す。データは、それぞれのマウス4匹(♀の野生型のみ3匹)から得られた平均値±標準偏差で示している。オス、メスとも、再刺激後12時間から野生型マウス・ノックアウトマウス間の肥厚に有意差(P<0.05)が認められた。
【図7】K5-Creマウスとの交配による、PLCεを角化細胞特異的に過剰発現するトランスジェニックマウス(K5PLCεTgマウス)の作出を説明する図である。図中、「pCAG」はCAGプロモーター配列(ヒト・サイトメガロウィルス・エンハンサーとトリ・βアクチンプロモーターとのハイブリッド)、「loxP」はCreリコンビナーゼ依存的組換え部位、「STOP+pA」は翻訳-転写終止カセット、「PLCε」はPLCε cDNA、「IRES」は配列内リボソーム進入部位、「NL-LacZ」は核移行シグナル付加βガラクトシダーゼ cDNA、「pA」はポリアデニル化配列(転写終止シグナル)、「phK5」はヒト5型ケラチン遺伝子プロモーター配列、「Cre」はCreリコンビナーゼ cDNAを示す。
【図8】(a)(b)は、K5PLCεTgマウスにおけるPLCεの過剰発現の様子を示す図である。(a)抗PLCε抗体を用いた免疫染色による確認を、それぞれのマウスの尾より作製した組織切片を用いて行った。抗原・抗体反応によるシグナルは、濃い目の灰色として検出され、K5PLCεTgマウス切片では、表皮(両矢印で図示)が濃く染色されている。図中スケールバーは100μmを示す。(b)RT-PCRによる確認を、それぞれのマウスの尾より調製したmRNAから作製したcDNAを鋳型にした半定量的RT-PCR法(相対鋳型量1, 10, 100)にて解析した。
【図9】(a)(b)は、K5PLCεTgマウスの外観を、野生型と比較して示す図である。(a)は外観を、(b)は尾、前足、後ろ足、耳の拡大写真を示す。K5PLCεTgマウスでは鱗屑が見える。
【図10】K5PLCεTgマウスにおける表皮過形成と不全角化を示す図である。図中、点線は表皮層と真皮層との境界面を示し、それより上部が表皮層である。K5PLCεTgマウスでは、不完全な脱核を特徴とする不全角化が顕著に認められた(図中、矢印)。スケールバーは、いずれも100μm。
【図11】K5PLCεTgマウスへのステロイド軟膏処置による皮膚炎の治癒を示す図である。K5PLCεTgマウスの耳を、ステロイド軟膏で処理(上段)、および未処理(下段)し、その後の経過を観察した。ステロイド処理開始3日後から顕著に皮膚炎の治癒が認められた。
【図12】ワセリン(ステロイド軟膏の基剤)処置の対照実験の結果を示す図であり、図11と同様に、K5PLCεTgマウスをワセリン(ステロイド軟膏の基剤)で処理(上段)、および未処理(下段)し、その後の経過を観察した。
【図13】K5PLCεTgマウスへのステロイド軟膏処置停止による炎症の再発を示す図である。図11で行ったステロイド軟膏処置を停止した場合に再発する炎症の経過を観察した。
【図14】K5PLCεTgマウスにおいて、表皮層へのMPO(ミエロペルオキシダーゼ)陽性細胞(主に好酸球、図中矢印)の浸潤が観察されたことを示す図である。(MPO染色により好酸球を検出した。)
【図15】抗リン酸化型STAT3抗体による免疫染色を行い、活性型(リン酸化型)STAT3の核移行を調べた結果を示す図である。K5PLCεTgマウスでは角化細胞の細胞核が染色(図中矢印)された。
【図16】K5PLCεTgマウスの皮膚における血管新生の亢進を示す図である。血管内皮細胞マーカーであるCD31(別名PECAM-1)に対する抗体による免疫染色で血管を可視化(図中矢印)した。
【図17】K5PLCεTgマウスの真皮層へのCD4陽性T細胞の浸潤を示す図である。
【図18】K5PLCεTgマウスの表皮層へのCD4陽性T細胞の浸潤を示す図である。
【図19】K5PLCεTgマウスにおける、炎症性サイトカイン、炎症性分子、および血管新生因子の発現の変化を調べた結果を示す図である。炎症性サイトカイン、炎症性分子、血管新生因子をコードするmRNAの量を、それぞれのマウスの尾より調製したmRNAから作製したcDNAを鋳型にした半定量的RT-PCR法(相対鋳型量1, 10, 100)にて解析した。野生型とK5PLCεTgとの間での差が顕著であるものについては、各遺伝子名に下線を付した。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
ホスホリパーゼCεの酵素活性を阻害する物質を検索することを特徴とする新規抗炎症剤のスクリーニング方法。
【請求項2】
試験管内または細胞内にて、被検物質投与に対するホスホリパーゼCεの酵素活性を測定することを特徴とする請求項1記載の新規抗炎症剤のスクリーニング方法。
【請求項3】
ホスホリパーゼCεの全長蛋白質、または酵素活性領域を含む部分蛋白質を発現させ、その酵素活性を測定することを特徴とする請求項2記載の新規抗炎症剤のスクリーニング方法。
【請求項4】
ホスホリパーゼCεまたはその酵素活性領域の高次構造の情報を用いることを特徴とする請求項1〜3のいずれか1項に記載の新規抗炎症剤のスクリーニング方法。
【請求項5】
ホスホリパーゼCεとRas蛋白質との結合を阻害する物質を検索することを特徴とする新規抗炎症剤のスクリーニング方法。
【請求項6】
試験管内または細胞内にて、被検物質投与に対するホスホリパーゼCεとRas蛋白質との結合阻害の有無を測定することを特徴とする請求項5記載の新規抗炎症剤のスクリーニング方法。
【請求項7】
ホスホリパーゼCεの全長蛋白質、またはそのRas結合領域を含む部分蛋白質を発現させ、Ras蛋白質との結合阻害の有無を測定することを特徴とする請求項6記載の新規抗炎症剤のスクリーニング方法。
【請求項8】
ホスホリパーゼCεもしくはそのRas結合領域の高次構造の情報、又は、ホスホリパーゼCεとRas蛋白質との複合体の高次構造の情報を用いることを特徴とする請求項5〜7のいずれか1項に記載の新規抗炎症剤のスクリーニング方法。
【請求項9】
請求項1〜8のいずれか1項に記載のスクリーニング方法を用いて得られた抗炎症剤。
【請求項10】
角化細胞でホスホリパーゼCεを過剰発現し、ヒト尋常性乾癬様の症状を呈することを特徴とする、慢性皮膚炎モデル動物。
【請求項11】
請求項10記載の慢性皮膚炎モデル動物を用いることを特徴とする、抗炎症薬のスクリーニング方法。
【請求項12】
請求項10記載の慢性皮膚炎モデル動物を用いることを特徴とする、抗炎症薬の薬効評価方法。

【図1】
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【図2】
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【図7】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図8】
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【図9】
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【図10】
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【図11】
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【図12】
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【図13】
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【図14】
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【図15】
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【図16】
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【図17】
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【図18】
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【図19】
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【公開番号】特開2009−112203(P2009−112203A)
【公開日】平成21年5月28日(2009.5.28)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−285792(P2007−285792)
【出願日】平成19年11月2日(2007.11.2)
【出願人】(504150450)国立大学法人神戸大学 (421)
【Fターム(参考)】