説明

マススペクトロメトリーにより特に未知物質を同定するための方法

本発明の課題は、マススペクトロメトリー分析と同時に、主観的評価を入れず、最短時間で、自動化可能で、高精度で、更に対象物質と同一のフラグメンテーションパターン及び/又は定義された比較基準又は同定基準を必要とせずに、物質の構造及び/又は物質クラス及び/又は化学的性質を決定できるようにすることにある。本発明によれば、前記物質の1以上のマススペクトルフラグメンテーションスペクトルからフラグメンテーションチャートを作出し、このチャートのデータは好ましくは電子的データベースに保存された参照データと比較される。本発明は、特に検出された未知物質の構造及び/又は物質クラス及び/又は化学的性質を決定するために生物学、薬学及び化学に適用される。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、好ましくは未知物質の構造及び/又は物質クラス及び/又は化学的性質を決定するために、マススペクトロメトリーによって同物質を同定する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
マススペクトロメトリーは、好ましくは未知物質を分析するための現在最も広範に利用されている一手法である(例えばJ.H.グロス:マススペクトロメトリー:教科書、ベルリン・シュプリンガー出版社、2004年)。
【0003】
マススペクトロメトリーによれば、被験物質の分子量を正確に決定することができる。更に、マススペクトロメーター内の物質を1回又は複数回フラグメント化(即ちその化学的結合を開裂する)することが可能である。このようにして発生したフラグメントの質量を更に測定すれば、1以上のフラグメンテーションスペクトル(娘イオンスペクトルとも呼ばれる)が得られる。
【0004】
しかしながら、マススペクトロメトリーは質量のみを決定する手法であるから、特に未知化合物の構造及び/又は物質クラス及び/又は化学的性質の特定化には問題がある。
【0005】
医薬品や工業、研究で使用される化学物質には生物由来のものも多いが、これらは生物から偶然発見されたり、非常に手間のかかる探索によって発見されたりしたものである。生物由来の物質の殆どは未だ完全には解明されていない。
【0006】
本発明が提供する方法によれば、例えばある生体試料に存在する低分子物質(1500Da未満)の物質クラスを同定することによって、潜在的な有効物質の体系的な探索を著しく簡略化することができる。従って、応用分野に関連する物質クラスに属する化合物だけをより正確に調べればよい。
【0007】
医薬品及び天然物は医学、製薬研究及び生物学研究との関連が深いため、これら物質の同定は特に興味が持たれる。天然物とは、生物由来及び無生物由来の自然物質、特に植物及び動物や例えば化石鉱床に見いだされる全ての物質を意味する。それらの中には、例えば化学反応又は酵素反応によって生成した全ての代謝生成物や、医薬品又は環境排出物等、人工的に自然界にもたらされた物質も含まれる。天然物は本発明の主要な応用分野ではあるが、本発明によって提供される方法はこれに限定されない。化学以外の分野、例えば材料科学の分野にも応用可能である。
【0008】
天然物は通常混合物(例えば細胞抽出物、環境試料)として存在するので、マススペクトロメトリーを行う前に分離プロセスに付し、マススペクトロメトリー分析で同定しようとする物質を分離する。この分離プロセスは通常ガスクロマトグラフィー、液体クロマトグラフィー又はキャピラリー電気泳動で行われる(例えばU.レスナー、C.ワーグナー、J.コプカ、R.トレスウェイ及びL.ウィルミッツァー:技術的進歩:ガスクロマトグラフィー・マススペクトロメトリーによるジャガイモ塊茎中の代謝物の同時分析、プラントJ、2000年、23号、131〜142ページ)。
【0009】
マススペクトロメトリー分析によって得られるフラグメンテーションパターンを、参照データから手作業で得られた理想化パターン、いわゆる「基準」と比較することが知られている(例えばR.ミストリク:Xキャリバー・ハイケム:マス・フロンティア・ソフトウェア、ハイケム/サーモフィニガン、マニュアル2001年)。このような比較は基本的に自動化が可能であるが、被験物質に対応する基準が作成されていることが前提とされるので、未知物質には決して応用することができない。その上、これらの基準に基づく手法ではエラーを含むデータは処理できず、実用には不向きである(K.クラコウ、F.ブレン、M.ハリソン、A.オーガン、A.ファース及びG.J.ラングレイ:非ペプチド性組合せ化合物のエレクトロスプレイ・タンデム質量分析の自動化された解釈及び予測に向けた試み、Rapid Commun Mass Spectrom、2003年、17号、1163〜1168ページ)。
【0010】
ある測定条件下で得られたフラグメンテーションスペクトルと同一のものが既に参照データベースに存在するという特殊なケースにおいては、計算による比較を利用して参照データベースのスペクトルをサーチすることにより被験物質を検出し、同定することが可能であろう(L.フォークト、T.グレーガー及びR.ツィンマーマン:総合的二次元ガスクロマトグラフィー飛行時間型マススペクトロメトリーを用いた大気エアロゾル試料分離のための自動化された化合物分類、J.Chromatogr.A、2007年、1150号、2〜12ページ;DE10358366B4、US6624408Bl、US20030236636Al、US6747272B2)。
【0011】
この方法は、物質の参照スペクトルを必須とするため、未知物質に対しては有効ではない。更に、フラグメンテーションスペクトルは部分的に外的パラメーターに大きく依存するので、実験室毎に異なる。このような場合、スペクトル間で直接比較することには信頼性がない。従って、同一の参照スペクトルと比較できるような条件下でサーチできる応用例は極めて少ない。
【0012】
この最後に挙げた問題点を回避するために、定義されたフラグメンテーションパターンが保存されているデータベースのフラグメントイオンをサーチすることも知られている(US7197402B2)。これらのイオンは一定の既知構造を有していることもあるが、そうでない場合はマススペクトロメトリーを追加的に行うことによりイオンのフラグメンテーションスペクトルを測定しなければならない。これら多重フラグメンテーションによって発生したスペクトル(MS)は、前述の「単純な」フラグメンテーションスペクトルに比べてより高度の比較を可能とすると考えられる。
【0013】
しかしながらこの方法も、既知の(且つデータ技術により確定した)物質の同定方法と同様の制限を受ける。また、多重フラグメンテーションはかなり特殊なタイプのマススペクトロメーターでのみ可能であり、このことは更なるコスト上昇をもたらす。
【0014】
ある物質について参照データ、比較基準又は同定基準が存在しない場合、或いはそれらが存在したとしても完全ではない物質を同定する場合は、小分子のフラグメンテーションパターンに基づいて判定しなければならないこともある。即ち、物質クラス、化学的性質、更には分子構造の決定を可能とするような、少なくともそれをサポートし得るような、既知の構造と比較可能な類似性がどの程度見いだされるかを手間を掛けて調べなければならない(P.シ、Q.ヘ、Y.ソン、H.ク及びY.チェン:イオントラップ質量分析及び飛行時間型質量分析による負エレクトロスプレイオン化におけるミカン属からのフラボノイド配糖体の特性化及び同定、Anal.Chim.Acta、2007年、598号、110〜118ページ)。しかしながらこの判定は主観的であり、時間がかかり、分析者の直感に基づいているため、客観的で迅速な物質同定方法ではなく、むしろこの分野における専門家の高度な知識と広範な経験を前提としている。それにもかかわらず実用における精度は、小分子に対してもあまり高くはない。この方法は上述した理由から自動化も可能ではなく、大分子に対しては、特に分析者に対する要求が高く、また精度が低いことが予想されることから、事実上使用されていない。
【0015】
2008年にベッカーとラッシェは、フラグメンテーションパターンコンセプトの数学的定式化を導入した(S.ベッカー及びF.ラッシェ:タンデムマススペクトルによる代謝物のデノボ同定に向けて、バイオインフォマティクス、2008年、24号、149〜155ページ)。この数学的定式化においては、物質のフラグメンテーションパターンを表現するためのチャートを用いる。ここでチャートとは、通常ノードと呼ばれる所定の数のオブジェクトと、通常エッジと呼ばれる同数の要素からなる組合せである。エッジはオブジェクト間の相互の関係を表す。この場合、物質のフラグメントはノードとして表現され、フラグメンテーション反応はエッジとして表現される。被験物質の構造が未知である場合、ノードはフラグメントの組成式で表わされ、エッジは脱離中性種の組成式で表わされる。これらのフラグメンテーションチャートは、未知物質の組成式を決定するために利用される。しかし組成式自体は物質を同定するのに十分ではなく、被験物質の物質クラスを推定することもできない。提案されたフラグメンテーションパターンチャートを、特に未知物質の同定に、或いは物質クラス及び/又は化学的性質の決定に使用することは当業界では知られていない。
【0016】
更に、生物学や医学における特殊分野でツリーのアライメントは、ツリーとRNA構造の比較として知られている(T.チャン、L.ワン及びK.ツァン:ツリーのアライメント:ツリー編集の代替案、Theor.Comput.Sci.、エルゼビア・サイエンス・パブリッシャーズ社、1995年、143号、137〜148ページ)。この場合、比較すべきツリーに表わされたノードは、表現の差異ができるだけ小さくなるように重ね合わせる。ツリーは構造的に等しくなければならず、必要な場合にツリー表現の枝にいわゆるギャップノードを挿入することのみが許容される。この方法を、特に物質のマススペクトロメトリー分析に応用して物質を同定すること、或いはそれらの物質クラス及び/又は化学的性質を決定することも知られていない。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0017】
【特許文献1】DE10358366B4
【特許文献2】US6624408Bl
【特許文献3】US20030236636Al
【特許文献4】US6747272B2
【特許文献5】US7197402B2
【特許文献6】DE102005025499B4
【特許文献7】DE10358366B4
【非特許文献】
【0018】
【非特許文献1】U.レスナー、C.ワーグナー、J.コプカ、R.トレスウェイ及びL.ウィルミッツァー:技術的進歩:ガスクロマトグラフィー・マススペクトロメトリーによるジャガイモ塊茎中の代謝物の同時分析、プラントJ、2000年、23号、131〜142ページ
【非特許文献2】R.ミストリク:Xキャリバー・ハイケム:マス・フロンティア・ソフトウェア、ハイケム/サーモフィニガン、マニュアル2001年
【非特許文献3】K.クラコウ、F.ブレン、M.ハリソン、A.オーガン、A.ファース及びG.J.ラングレイ:非ペプチド性組合せ化合物のエレクトロスプレイ・タンデム質量分析の自動化された解釈及び予測に向けた試み、Rapid Commun Mass Spectrom、2003年、17号、1163〜1168ページ
【非特許文献4】L.フォークト、T.グレーガー及びR.ツィンマーマン:総合的二次元ガスクロマトグラフィー飛行時間型マススペクトロメトリーを用いた大気エアロゾル試料分離のための自動化された化合物分類、J.Chromatogr.A、2007年、1150号、2〜12ページ
【非特許文献5】P.シ、Q.ヘ、Y.ソン、H.ク及びY.チェン:イオントラップ質量分析及び飛行時間型質量分析による負エレクトロスプレイオン化におけるミカン属からのフラボノイド配糖体の特性化及び同定、Anal.Chim.Acta、2007年、598号、110〜118ページ
【非特許文献6】S.ベッカー及びF.ラッシェ:タンデムマススペクトルによる代謝物のデノボ同定に向けて、バイオインフォマティクス、2008年、24号、149〜155ページ
【非特許文献7】T.チャン、L.ワン及びK.ツァン:ツリーのアライメント:ツリー編集の代替案、Theor.Comput.Sci.、エルゼビア・サイエンス・パブリッシャーズ社、1995年、143号、137〜148ページ
【非特許文献8】S.ベッカー及びF.ラッシェ:タンデムマススペクトル分析による代謝物のデノボ同定に向けて、バイオインフォマティクス、2008年、24号、159〜155ページ
【非特許文献9】ケルテス、T.M.、ホール、L.H.、ヒル、D.W.及びグラント、D.F.CE50:小分子の特性化と同定のための衝突誘起脱離エネルギーの定量化、J.Am.Soc.Mass Spectrom.、2009年、20号、1759−1767ページ
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0019】
本発明の課題は、マススペクトロメトリー分析と同時に、主観的評価を入れず、最短時間で、自動化可能で、できる限り高精度で、更に同一のフラグメンテーションパターン及び/又は定義された比較基準又は同定の基準を必要とせずに、特に未知化学物質の構造及び/又は物質クラス及び/又は化学的性質を決定できるようにすることにある。
【課題を解決するための手段】
【0020】
本発明に従えば、前述の課題を解決するために、マススペクトロメトリー分析において分析対象物質から1以上のマススペクトロメトリー・フラグメンテーションスペクトル(娘イオンスペクトル)を取得し、このスペクトルから従来から物質の組成式(未知物質については仮説組成式)を決定するために知られているフラグメンテーションチャートを作成する。フラグメンテーションチャートは1以上のマススペクトロメトリー・フラグメンテーションスペクトルのオブジェクトとリンクとにより、例えばオブジェクト(物質のフラグメント)であるノードとエッジ(リンクであるフラグメンテーション反応)により表される。しかしながら前述のオブジェクトとリンクを実現するためのフラグメンテーションチャートの表現は、ノードとエッジによる典型的な表現とは異なる数学的表現、例えば半順序、関係、階層の表現によって作成することもできる。
【0021】
このフラグメンテーションチャートのデータは、既知物質のフラグメンテーションチャートの既存の参照データと比較されるが、この比較は好ましくは計算によって行われる。そのためにマススペクトロメトリー分析用装置が計算機と接続されており、計算機が電子的データベースにアクセスすると、既知のフラグメンテーションチャートの前述の参照データが比較のために用意される。このようにしてフラグメンテーションチャートのデータ比較は、分析対象物質又は同定対象物質のマススペクトロメトリー解析と同時に且つ自動的に並行して行うことができる。フラグメンテーションチャートのデータ比較において、同一又は少なくとも類似の部分チャート、即ちノードとエッジの部分量を求める。これらの既知のフラグメンテーションチャート又は部分チャートに従って、物質構造及び/又は物質クラス及び/又は化学的物性に基づいて被験物質をマススペクトロメトリーにより決定する。
【0022】
計算によるデータ比較を利用すれば、多数の既知のフラグメンテーションチャートを利用する方法に比べて短時間での自動的物質同定が可能となる。同定対象物質の完全なフラグメンテーションチャート及び/又は参照として比較するための所定の比較基準又は同定基準は必ずしも必要でない。これは、この比較が全フラグメンテーションスペクトルではなく、前述のフラグメンテーションチャートの部分構造の分析を含むからである。
【0023】
従来の自動化可能で実用的な方法は、分析対象物質が既知であり、既に一度マススペクトロメトリーによって分析されて完全なフラグメンテーションパターンとして参照用に存在していることが前提となる。これら公知の方法(冒頭に記載した)とは異なり、本発明が提供する方法においては、同定対象の物質自体が参照データ内に存在する必要はなく、比較のために利用されるデータが、同定対象物質のフラグメンテーションチャートに対して、フラグメンテーションチャート(全体又は一部)の少なくとも部分領域で類似性を有していれば十分である。
【0024】
従って、本発明に係る方法によれば、従来手作業によってのみ可能であった全くの未知物質の自動的な同定が初めて可能となる。本発明の方法によれば、時間のかかる手作業による分析とは異なり、主観的な要件にかかわりなく、スペクトルをリアルタイムで、即ち測定自体と同様に速く(ひいては同時に)実施できる。これにより数百の物質の典型的なマススペクトロメトリーによる一連の測定結果をほぼ同時に分析することが可能である。更に本方法では、同定は分析者の直感ではなく客観的基準に基づいているため精度が高い。
【0025】
しかもフラグメントスペクトルの測定及び分析を自動化するための他の方法(例えばDE102005025499B4及びDE10358366B4)と組み合わせれば、全く利用者が介入することなくこの種の一連の測定を完全に自動的に実施及び分析することが可能であろう。
【0026】
従属請求項には方法の有利な実施ステップが記載されている。
【0027】
分析対象物質のフラグメンテーションチャートは手作業で、或いは自動的に作成できる。
【0028】
フラグメンテーションチャートのデータ比較は、例えばペアワイズ・アライメント又はマルチプル・アライメントにより局所的又は全体的に行われる。
【0029】
フラグメンテーションチャートを作成するためのフラグメンテーションスペクトルは、例えばタンデムマススペクトロメーター又は多重フラグメンテーション(MS)で取得することできる。この場合、フラグメンテーションは衝突誘起脱離(CID)、電子移動脱離(ETD)、電子捕獲脱離(ECD)、赤外多光子吸収脱離(IRMPD)、黒体赤外放射脱離(BIRD)、高エネルギーCトラップ脱離(HCD)、インソースフラグメンテーション又はポストソース分解(PSD)によって行うことができる。
【0030】
フラグメンテーションスペクトルを取得する前に、液体クロマトグラフィー、ガスクロマトグラフィー又はキャピラリー電気泳動によって物質分離を行うと有利である。
【0031】
その上、本発明に従うフラグメンテーションチャートのデータ比較に加えて別の基準、例えば特にクロマトグラフィー保持時間及び/又は電気泳動時間及び/又は紫外線吸収スペクトルを物質同定のために利用することが目的に適うであろう。
【0032】
本発明に従う方法の応用可能性の特別な一例は、分析対象物質のクラスターである。このために3以上の、更に原則としてより多数の物質でフラグメンテーションスペクトルを測定し、フラグメンテーションチャートを、例えばベッカーとラッシェの方法で算出する(S.ベッカー及びF.ラッシェ:タンデムマススペクトル分析による代謝物のデノボ同定に向けて、バイオインフォマティクス、2008年、24号、159〜155ページ)。この場合、未知物質、既知物質或いは既知物質と未知物質の組み合わせのいずれでもよい。これらのフラグメンテーションチャートに対して、上述の方法を用いてペア類似性を計算し、ここからペア類似性のマトリックスが得られる。次にこのような類似性マトリックスにクラスター分析の方法を適用できる。この場合、クラスター内の全てのオブジェクトは互いに類似しているが、クラスター外のオブジェクトと類似性はわずかである。クラスター分析は原則として自動化された方法で行われるが、手作業で実施することもできる。クラスター分析に対してグラフ理論、階層、区分化、最適化又その他の方法、例えば凝集クラスタリング(例えばUPGMA)、κ平均法又はκ最近傍法を使用できる。例えば未知物質が1以上の既知物質と共にクラスター化されるときは、計算されたクラスターから被験物質を推定することができる。
【0033】
本発明に係る方法の他の応用可能性は、フラグメンテーションチャートの比較によって決定された類似性を更に他の(測定又は予測された)物性と組み合わせることである。これはクラスタリングに対しても、次に記載する他の全ての応用可能性や用途に対しても行うことができる。他の既知物性としては、例えば両物質の質量、物質間の質量差、組成式による質量差の可能な説明、測定された質量スペクトル中のピークの数、物質の組成式(仮定又は検証済み)、反応時間、電気泳動経過時間、紫外線吸収スペクトル、物質のCE50値(ケルテス、T.M.、ホール、L.H.、ヒル、D.W.及びグラント、D.F.CE50:小分子の特性化と同定のための衝突誘起脱離エネルギーの定量化、J.Am.Soc.Mass Spectrom.、2009年、20号、1759−1767ページ)が挙げられる。
【0034】
類似性はこれらのうち一物性と、複数の物性と、又は全物性と組合わせることができる。
【0035】
更に別の応用可能性は、フラグメンテーションチャートの類似性を、物質の構造類似性の予測に利用することである。物質の構造類似性は、例えばタニモト係数やジャッカール指数によって測定できる。この構造類似性の予測はとりわけ監視された機械学習の方法(例えばサポートベクターマシンSVM、神経回路網、決定木、ランダムフォレスト、ナイーブベイズ)によって行うことができる。この場合物質は、フラグメンテーションチャート及びその他の既知の物性の類似性に基づき、例えば90%以上(或いは80%、95%又はその他の値)の構造類似性が成立するように分類され得る。
【0036】
更に、フラグメンテーション類似性と他の物性を共に物質類似性の直接予測(例えばタニモト係数やジャッカール指数)に利用できる。このために機械学習の方法、例えば線形回帰法や回帰SVM(SVR)、ν‐サポートベクター回帰(ν−SVR)、ローカルリニアマップを使用できる。
【0037】
本発明は、フラグメンテーションチャートの比較によって未知物質の構造の全部又は一部を解明するために有利に応用できる。この目的のために、構造既知であって、同定対象物質と高い類似性(局所的又は全体的)を有する参照物質のフラグメンテーションチャートを使用することができる。このように、同定対象物質についての仮定を立てることができ、次にこの仮定を、例えば他の実験的技術(多段階フラグメンテーション・マススペクトロメトリー又はNMR分光法)を用いて評価できる。また、同定対象物質について他の実験的技術によって得られた構造に関する仮定を、フラグメンテーションチャートの比較によって評価及び検証することができる。
【0038】
本発明の用途には、潜在的な生物学的作用物質を追及する目的で未知物質をスクリーニングすることもある(バイオプロスペクティング)。この場合、作用物質について類似又は同一の既知作用を有する物質が探索される(例えばジェネリック)。更に、改善された作用を有するか、或いは作用物質が有する1以上の望ましくない副作用を有さない物質が探索される。これは、例えば副作用の重度が作用物質の望ましい効果を上回るためにヒトの医療には使用できない、或いは医療に適していない作用物質についても探すことができる。スクリーニングにおいては、例えばこれらの生体、特に植物、真菌類及びバクテリアの二次代謝物を調べることができる。スクリーニングは種々の外的条件下で、種々の発達段階において、また種々の組織タイプ、例えば植物の種、根及び葉で行うことができる。フラグメンテーションマススペクトルは自動プロセスで作成でき、断片化される物質は、例えば試料中に存在する物質に関する知識がなくても自動的に決定される。本応用例はヒトを対象とする医薬品や作用物質に限定されない。
【0039】
本発明は医薬品の分解生成物の分析にも有利である。ヒトの物質代謝において、作用物質やその他の物質は徐々に分解又は化学変化を受ける。同様に医薬品は外的影響(例えば不適切な保管、過度の高温下等)によって分解又は化学変化を受ける可能性がある。ここで分解過程においてどのような物質が生成するか、そしてこれらの物質からどのような作用や副作用が生じ得るかという問題が起こる。
【0040】
本発明に係る方法は、検出用物質、例えばバイオマーカーを同定するためにも応用することができる。生物系の代謝は環境による影響や異物によって変化することがある。例えば、感染において生成される物質を同定できる。実験室においては血液検査によって、そのような物質が患者の血液中に見られ、場合によってはその物質が炎症因子がどうか推定することも可能である。
【0041】
本発明に係る方法の別の用途としては、未知の薬物を同定することである。この場合、未知物質をマススペクトロメトリーによって調べ、そのフラグメンテーションチャートを上述したように既知の合法的な又は非合法的な薬物のフラグメンテーションチャートと比較する。これにより、未知物質の薬物としての作用に関する情報を得ることもできる。
【0042】
同様に能力向上物質(ドーピング物質)の同定も可能である。新たな能力向上物質は常に開発されており、公知の能力向上物質も常に改良が行われている。そのような新規又は改良された物質は、既知の能力向上物質のフラグメンテーションチャートとの比較により同定することができる。
【0043】
メッセージ物質(シグナリング分子)の同定も可能である。この種のメッセージ物質は細胞内、種々異なる組織間、或いは1種以上の生体に生成し得る。このメッセージ物質によって生体内の細胞の相互作用が制御される。植物においては、このメッセージ物質は、例えば植物に寄生した害虫に対する捕食者を誘引する働きをする。また、メッセージ物質は害虫のダメージも誘発することができる(アロモン)。メッセージ物質の同定は、例えば農薬の開発や、新しい植物種の栽培に利用することができる。
【0044】
更に、飲料水や河水、その他の水に含まれている物質を同定することも可能である。高い水質を保証する目的で水中に含まれている物質を同定して、これにより、例えばヒトや動物、植物の危険を排除することができる。このような物質は、例えば人的にもたらされた物質(例えばホルモン、農薬)の分解生成物、微生物によって産生された物質又は代謝物質であることができる。
【0045】
更に、本発明に係る方法の一般的用途としては、科学的或いは商業的目的で(未知の)代謝物を同定することが挙げられる。
【0046】
以下、図面を参照して、構造類似性の決定及び物質の分類のための本発明の実施形態を詳細に説明する。
【図面の簡単な説明】
【0047】
【図1】ドーパミンの構造式。
【図2】ノードはタンデム・マススペクトロメトリーで測定されたフラグメントに対応し、エッジは脱離中性種に対応している、ドーパミンの仮定フラグメンテーションチャート。
【図3】半順序として示されたドーパミンのフラグメンテーションチャート。
【図4】チラミンの構造式である。
【図5】ノード(フラグメント)とエッジ(脱離中性種)によって示されたチラミンの仮定フラグメンテーションチャート。
【図6】ドーパミン(左)とチラミン(右)のフラグメンテーションチャートの最適な局所的アライメントを示すチャート。
【図7】ドーパミンとチラミンのフラグメンテーションチャートのアライメントの評価に関する概観図。
【図8】ヒスチジンの仮定フラグメンテーションチャートとのアライメントの評価に関する概観図。
【図9】4−ヘキソシロキシベンゾイルコリンの仮定フラグメンテーションチャートとのアライメントの評価に関する概観図。
【発明を実施するための形態】
【0048】
a)構造類似性の決定
2種以上の物質の構造類似性の決定手順を、次のドーパミンとチラミンを用いた例で説明する。両物質とも生体アミンに属し、非常に類似した構造を有する(図1、4参照)。
【0049】
典型的な応用例においては、両構造のうち一方は未知である。この方法に基づいて未知物質の構造に関する仮定をすることができる。ここに紹介する例は、この手順を明らかにするものである。
【0050】
ドーパミンもチラミンもタンデム・マススペクトロメトリーを用いて調べた。フラグメンテーションは自体公知の衝突誘起脱離(CID)によって行った。しかしMS等他のマススペクトロメトリー法、或いは他のフラグメンテーション法を利用することもできる。
【0051】
両物質についてそれぞれ複数のフラグメンテーションスペクトル(娘イオンスペクトル)を測定し、そこから仮定フラグメンテーションパターンを計算する。それ以降の分析の基礎として、手作業で作出されたフラグメンテーションパターンももちろん使用できる。両フラグメンテーションの仮定経過を示すフラグメンテーションチャートが、図2(ドーパミン)及び図5(チラミン)に、物質のフラグメントであるノードとフラグメンテーション反応(脱離中性種)であるエッジを用いて表現されている。他の可能な表現は、例えば半順序(図3参照)、関係及び階層である。
【0052】
更に進むと両フラグメンテーションチャートが比較のために準備される。この例に関連する情報はフラグメンテーションの際に発生する脱離中性種である(それぞれチャートのエッジに示す)。次に2個のチャートのノードを整列させるためのアルゴリズムが適用され、これらの情報はそれぞれその下に位置するノードに伝えられる。これに対して、フラグメントと脱離中性種の双方、或いはフラグメントのみが比較のために考慮される場合、又はエッジを整列させるためのアルゴリズムが使用される場合は、このステップは省略することができるが、フラグメンテーションチャートを別途準備することが合理的であり、更には必要である。
【0053】
ドーパミンとチラミンの準備された両フラグメンテーションチャートが続いて局所的に整列された。従って両チャートの最大の局所的類似性を有する領域が決定された。この例ではフラグメンテーションチャートはツリーなので、整列にはT.チャン、L.ワン及びK.ツァンのツリー・アライメント・アルゴリズム(ツリーのアライメント:ツリー編集の代替案、Theor.Comput.Sci.、エルゼビア・サイエンス・パブリッシャーズ社、1995年、143号、137〜148ページ)が適用された。その際、ノード対の評価は次のように選択された。同一ノード(即ち同一の組成式を有するノード)は非常に肯定的に評価され、脱離中性種の大きさも評価において考慮された。組成式における相違が化学的に説明可能なノード対はやや肯定的に評価された。そして種々異なるノードの対、及びノードとギャップからなる対は否定的に評価された。最後に、ノード対の全ての個別評価の総和からアライメントの総合評価が計算された。
【0054】
ノード対の評価については、この例で選択した方法の他にも、例えば「対数オッズ」(「チャンス」の対数)若しくは「対数尤度」(確率の対数)を計算するなど種々の可能性がある。更に、機械学習又は進化的アルゴリズムを用いて最適な評価関数を決定することができる。
【0055】
アライメントは(この例のように)局所的にも、全体的にも行うことができる他、同時に複数のチャートを相互に比較することもできる(マルチプル・アライメント)。
【0056】
図6に局所的アライメントの結果を示す(左:ドーパミン、右:チラミン)。ノード表記はインデクス、脱離中性種の組成式、更にアライメントにおいてペアに対応する文字から構成されている。グレートーンはこの相関性を表している。左のツリーにおけるノード3は右のツリーに対応するものがないため着色されていない。従ってギャップと整列された。薄く囲まれたノードは最適な局所的アライメントの構成部分を意味しない。
【0057】
図7に、ドーパミンとチラミンの作成されたフラグメンテーションチャートの整列されたノードに関する評価を示す。角括弧内にはそれぞれ整列された脱離中性種の組成式が示されている。その下にはそれぞれのノードアライメントの評価が示されている。この評価の総和から総合評価を求める。
【0058】
両チャートの広い領域が互いに対応しているので、アライメントの結果に両物質の構造類似性が反映していることが見られる。更にドーパミンにおいては、ギャップと整列されたノード「CO」が追加されていることから、ドーパミンは追加のヒドロキシル基を有していることもわかる。これにより炭素原子の脱離において転位も生じ、酸素原子の脱離だけでなくCOの更なる脱離も生じる。
【0059】
両構造の一方が未知である典型的な応用に関して、計算されたアライメントから、被験物質が参照物質に構造的に非常に類似していること、そして酸素含有基の相違があることも推定される。
【0060】
b)物質の分類
次に、物質の分類手順をヒスチジンと4−ヘキソシロキシベンゾイルコリンを用いた例で説明する。比較として他の35種類の物質の仮定フラグメンテーションチャートを使用した。
【0061】
第1の応用例(構造類似性の決定)と同様に、両物質のフラグメンテーションスペクトルを測定し、仮定フラグメンテーションチャートを計算及び準備した。
【0062】
続いて両フラグメンテーションチャートをそれぞれ全ての参照チャートと局所的に整列させてアライメントを評価した(評価が高いほど決定される類似性は大きい)。この場合、2個のフラグメンテーションチャートの比較は例1の説明のように行った。
【0063】
ここで局所的アライメントを適用するのは単に一つの可能性に過ぎず、フラグメンテーションチャートを比較するために他の方法、即ち局所的方法も全体的方法も適用することができる。
【0064】
比較の結果を図8(ヒスチジン)と図9(4−ヘキソシロキシベンゾイルコリン)に表形式で示す。これより4−ヘキソシロキシベンゾイルコリンのフラグメンテーションチャートは他のコリンと非常に高い局所的類似性を有することが分かる(得点上位13件はコリンである)。
【0065】
同様のことはヒスチジンについても言え、得点上位10件中8件はアミノ酸であり、他の2件はアミンである。これは、本方法を適用することにより、分析された両物質をアミノ酸とコリンとにクラス分けできることをよく示している。更に注目すべきは、この例でそれぞれ得点上位の物質は被験物質と最大の構造類似性も有することである。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
特に未知物質をマススペクトロメトリーにより同定するための方法であって、次の各段階:
a)同定対象の物質の1以上のマススペクトロメトリー・フラグメンテーションスペクトル(娘イオンスペクトル)を取得することと、
b)前記1以上のマススペクトロメトリー・フラグメンテーションスペクトルから前記物質のフラグメンテーションチャートを作出することと、ここにおいて前記1以上のフラグメンテーションスペクトルによって測定されて前記フラグメンテーションチャート中に示される物質フラグメントは、オブジェクトとリンクによるフラグメンテーション反応とによって表されるものであり、
c)物質の構造及び/又は物質クラス及び/又は化学的性質に基づいて該物質を同定する目的で、前記フラグメンテーションチャート全体又は一部のデータを参照データと比較することと、を含む方法。
【請求項2】
前記フラグメンテーションチャートは、典型的には物質フラグメントとしてのノードとフラグメンテーション反応(リンク)としてのエッジとによって表されることを特徴とする、請求項1に記載の方法。
【請求項3】
前記フラグメンテーションチャートは、ノードとエッジを有する典型的表現とは異なる数学的表現、例えば半順序、関係、又は階層を用いて表されることを特徴とする、請求項1に記載の方法。
【請求項4】
前記フラグメンテーションチャートは自動的に作出されることを特徴とする、請求項2又は3に記載の方法。
【請求項5】
前記フラグメンテーションチャートと前記参照データとの比較が局所的に行われ、前記フラグメンテーションチャートのオブジェクトとリンクの全てではなく、比較法において目的に適うように自動的に選択された部分のみが比較に用いられることを特徴とする、請求項1に記載の方法。
【請求項6】
前記比較は、ペアワイズ・アライメントによって行われることを特徴とする、請求項1及び5に記載の方法。
【請求項7】
前記比較は、マルチプル・アライメントによって行われることを特徴とする、請求項1及び5に記載の方法。
【請求項8】
前記比較は計算によって行われることを特徴とする、請求項1及び5〜7の一項以上に記載の方法。
【請求項9】
前記フラグメンテーションチャートのデータは、電子的データベースに保存された参照データと比較されることを特徴とする、請求項8に記載の方法。
【請求項10】
前記比較は、前記フラグメンテーションチャートのデータを創出するマススペクトロメトリー分析装置により行われ、該装置は電子的データベースを包含した計算ユニットと連結されていることを特徴とする、請求項9に記載の方法。
【請求項11】
前記1以上のマススペクトロメトリー・フラグメンテーションスペクトルがタンデムマススペクトロメーターによって作成されることを特徴とする、請求項1に記載の方法。
【請求項12】
前記1以上のマススペクトロメトリー・フラグメンテーションスペクトルが多重フラグメンテーション(MS)によって作成されることを特徴とする、請求項1に記載の方法。
【請求項13】
前記フラグメンテーションは衝突誘起脱離(CID)によって行われることを特徴とする、請求項1に記載の方法。
【請求項14】
前記1以上のマススペクトロメトリー・フラグメンテーションスペクトルを取得する前に、例えば液体クロマトグラフィー、ガスクロマトグラフィー又はキャピラリー毛細管電気泳動によって物質分離が行われることを特徴とする、請求項1に記載の方法。
【請求項15】
フラグメンテーションチャートのデータを参照データと比較することに加えて、被験物質のクロマトグラフィー反応時間及び/又は電気泳動経過時間及び/又は紫外線吸収スペクトルを該物質の同定のために他の比較基準として利用されることを特徴とする、請求項1に記載の方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【公表番号】特表2012−515902(P2012−515902A)
【公表日】平成24年7月12日(2012.7.12)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−546588(P2011−546588)
【出願日】平成22年1月15日(2010.1.15)
【国際出願番号】PCT/DE2010/000054
【国際公開番号】WO2010/083811
【国際公開日】平成22年7月29日(2010.7.29)
【出願人】(511176023)
【Fターム(参考)】