説明

情報取得方法

【課題】分析対象物からの情報取得方法に関し、TOF−SIMSにより、分析対象物の種類ごとに空間分解能の高い二次元分布像を得る方法、更には前記対象物の組成分析方法を提供すること。
【解決手段】以下の工程により、分析対象物を構成する構成物の質量に関する情報を、飛行時間型質量分析計を用いて取得し、取得した質量情報に基づいて前記構成物の分布状態に関する情報を得る。
(1)基体上の前記分析対象物に前記構成物のイオン化を促進するために自己反応性の物質を付与する工程。
(2) 前記自己反応性の物質の存在下で、前記分析対象物に一次ビームを照射して該構成物をイオン化して飛翔させる工程。
(3) 前記飛翔したイオンの質量に関する情報を、飛行時間型質量分析計を用いて取得する工程。
(4) 前記質量に関する情報に基づいて、前記構成物の前記基体上での分布状態に関する情報を得る工程。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、分析対象物の情報を、飛行時間型質量分析計を用いて情報取得する方法に関し、分析対象物を構成する構成物、特にタンパク質などの有機物を種類ごとにイメージング検出する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
近年のゲノム解析の進展により、生体内に存在する遺伝子産物であるタンパク質の解析、特にタンパク質チップや生体組織に見られるような分布状態をもったタンパク質の可視化技術が重要となっている。
【0003】
従来から、タンパク質の発現及び機能解析の重要性が指摘されており、その解析手法の開発が進められている。これらの手法は基本的に
(1)二次元電気泳動や高速液体クロマトグラフ(HPLC)による分離精製と、
(2)放射線分析、光学的分析、質量分析等の検出系と、
の組み合わせにより行われてきた。
【0004】
タンパク質解析技術の展開としては、その基盤ともいえるプロテオーム解析(細胞内タンパク質の網羅的解析)によるデータベース構築と、そこで得られたデータベースに基づく診断デバイスや創薬(薬剤候補スクリーニング)デバイスに大別される。しかしながら、従来方法においては、分析時間、スループット、感度、分解能及び柔軟性において、なお課題を有する場合が多い。いずれの応用形態に対してもこのような課題のある従来方法とは異なった、小型化、高速化、自動化に適したデバイスが求められてきている。これらの要求を満たす手法としてタンパク質を高密度に集積したいわゆるタンパク質チップの開発が注目されている。このタンパク質チップの形成方法は基板表面にプローブとなるタンパク質を固定し、その周りに非特異吸着を防止する有機膜を設置して行われる。そこにターゲットとなる薬剤候補が含まれた溶液を流し、抗原抗体反応等による吸着量の評価により診断やスクリーニングに適用される。
【0005】
しかしながら、このタンパク質チップが正しく形成されているかの解析手段としては、現段階での技術では微細領域内でのタンパク質の二次元分布を得ることが難しく、適確な評価を行えていなかった。
【0006】
タンパク質の質量分析(MS)法においては、高感度な質量分析手段あるいは表面分析手段として近年、飛行時間型二次イオン質量分析法が使われるようになってきた。飛行時間型二次イオン質量分析法(Time of Flight Secondary Ion Mass Spectrometry)を以下TOF-SIMSと記載する。
【0007】
TOF-SIMSとは、固体試料の最表面にどのような原子または分子が存在するかを調べるための分析方法であり、以下のような特徴を持つ。
(1)109atoms/cm2(最表面1原子層の1/105に相当する量)の極微量成分の検出能がある。
(2)有機物、無機物のどちらにも適用できること、表面に存在するすべての元素や化合物を測定できる。
(3)試料表面に存在する物質からの二次イオンのイメージングが可能である。
【0008】
以下、この方法の原理を簡単に説明する。
【0009】
高真空中で、高速のパルスイオンビーム(一次イオン)を固体試料表面に照射すると、スパッタリング現象によって表面の構成成分が真空中に放出される。このとき発生する正または負の電荷を帯びたイオン(二次イオン)を電場によって一方向に収束し、一定距離だけ離れた位置で検出する。一次イオンをパルス状に固体表面に照射すると、試料表面の組成に応じて様々な質量をもった二次イオンが発生する。その際、軽いイオンほど速く、反対に重いイオンほど遅い速度で飛行するため、二次イオンが発生してから検出されるまでの時間(飛行時間)を測定することで、発生した二次イオンの質量を分析することができる。一次イオンが照射されると固体試料表面の最も外側で発生した二次イオンのみが、真空中へ放出されるので、試料の最表面(深さ数Å程度)の情報を得ることができる。TOF-SIMSでは一次イオン照射量が著しく少ないため、有機化合物は化学構造を保った状態でイオン化され、質量スペクトルから有機化合物の構造を知ることができる。ただし、ポリエチレンやポリエステルなどの人工高分子、タンパク質などの生体高分子などを通常の条件でTOF-SIMS分析した場合は、小さな分解フラグメントイオンとなってしまい、元の構造を知ることが一般的には難しい。また、固体試料が絶縁物の場合には、パルスで照射される一次イオンの間隙に電子線をパルスで照射することにより、固体表面に蓄積する正の電荷を中和できるため絶縁物を分析することも可能である。加えて、TOF-SIMSでは、一次イオンビームを走査することによって、試料表面のイオン像(マッピング)を測定することもできる。
【0010】
TOF-SIMSでタンパク質を分析した例としては、MALDI法と同様の前処理の適用、すなわちタンパク質をマトリックス物質と混合することにより、分子量の大きなタンパク質親分子を検出する方法がある(非特許文献1)。また、特定のタンパク質の一部分を15Nなどでアイソトープラベル化し、当該タンパク質をC15-のような二次イオンを用いてイメージング検出する方法がある(非特許文献2)。更に、アミノ酸残基に対応するフラグメントイオン(二次イオン)の種類やその相対強度からタンパク質の種類を推定する方法(非特許文献3)や、各種基板上に吸着させたタンパク質についてのTOF-SIMS検出限界を調べる方法(非特許文献4)がある。
【0011】
また、タンパク質を対象としたこの他の質量分析法として、電界放出を利用したものがある(特許文献1)。この方法は、金属電極上に前記タンパク質を、印加エネルギーに応じて分裂可能な開放基を介して共有結合または配位結合させ、強電界を印加することで前記タンパク質を質量分析計へ導くというものである。
【非特許文献1】Kuang Jen Wu et al., Anal. Chem., 68, 873 (1996)
【非特許文献2】A. M. Belu et al., Anal. Chem., 73, 143 (2001).
【非特許文献3】D. S. Mantus et al., Anal. Chem., 65, 1431 (1993).
【非特許文献4】M. S. Wagner el. Al., J. Biomater. Sci. Polymer Edn., 13, 407 (2002).
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0012】
上述したように、分布状態を持つ複数のタンパク質が存在する分析対象物について、該タンパク質の分布状態を分析する方法として質量分析法を応用したものは種々提案されている。しかしながら、従来の質量分析法は対象物そのものを分析するものではなく、生体組織やタンパクチップから適当な溶媒を使用して溶出させたタンパク質などを分析対象としているため、試料の元の分布情報を得るには制限がある。また、この方式で質量分析する場合は、プローブとなるタンパク質の分布状態を知ることが困難なため、チップ表面への非特異吸着を直接評価できなかった。
【0013】
また、MALDI法や、その改良型であるSELDI法は、現在知られている中で最もソフトなイオン化法であり、分子量が大きく壊れ易いタンパク質をそのままイオン化し、親イオン若しくはそれに準じるイオンを検出できるという優れた特長を有する。現在ではタンパク質の質量を分析する際の標準的なイオン化法の一つとなっている。一方、これらの方法をタンパク質チップの質量分析に応用する場合にはマトリクス物質の存在により、高い空間分解能を持ったタンパク質の二次元分布像(質量情報を用いたイメージング)は得られ難い。すなわち、励起源であるレーザー光自体は1〜2μm径程度に容易に集光できるが、このような微小スポットでのレーザー照射においても、分析対象のタンパク質の周辺に存在するマトリクス物質の蒸発、イオン化は避けられない場合がある。このような場合、上記の方法でタンパク質の二次元分布像を計測する際の空間分解能は一般的には100μm程度となってしまう。また、集光させたレーザーを走査するには、レンズやミラーを複雑に動作させる必要がある。つまり、上記の方法でタンパク質の二次元分布像を計測する場合、レーザー光を走査させることは一般的には難しく、被分析試料を載せた試料ステージを動かす方式に限られる。空間分解能を高くして、タンパク質の二次元分布像を得ようとする場合、試料ステージを動かす方式は一般的には好ましくない。
【0014】
さらに、従来の方法では、上記のように空間分解能を高くしてタンパク質の二次元分布像を得る上での問題に加えて、金属電極上に対象物を固定する必要があるなど、対象試料の形態に制限がある。
【0015】
上記の方法に比べ、TOF−SIMS法は一次イオンを使用するため、これを容易に収束かつ走査させることができるため、高空間分解能の二次イオン像(二次元分布像)を得るために好適な方法である。TOF−SIMS法では、1μm程度の空間分解能を得ることも可能である。しかしながら、分析対象物がタンパク質や有機化合物である場合は、通常の条件でTOF−SIMS測定を行うと、先に述べたように、生成する二次イオンは小さな分解フラグメントイオンがほとんどで、元の構造を知ることは一般的には難しい。そのため、複数のタンパク質が基板上に配置されたタンパク質チップのような試料に対し、当該タンパク質の種類を判別できる高空間分解能の二次イオン像(二次元分布像)を得るには何らかの工夫が必要となる。Kuang Jen Wuらの方法は、分子量の大きなタンパク質でも一次イオン照射による分解を抑制し、元の質量を保持したまま親分子を検出できる方法である。しかし、該方法ではタンパク質とマトリックス物質とを混合したものを測定試料とするため、前記タンパク質チップのような試料の場合には、元の二次元分布情報を取得することができない。また、A. M. Beluらの方法は特定のタンパク質の一部分をアイソトープラベル化するもので、TOF−SIMSの持つ高空間分解能を十分生かせる方法である。その反面、特定のタンパク質を毎回、アイソトープラベル化する必要がある。また、D. S. Mantusらが示したアミノ酸残基に対応するフラグメントイオン(二次イオン)の種類やその相対強度からタンパク質の種類を推定する方法は、アミノ酸の構成が似たタンパク質が混在する場合は判別が難しくなる場合がある。
【0016】
また、生体組織中の例えば、タンパク質分子に対して、TOF−SIMS法を応用する際、タンパク質分子を構成するペプチド鎖が「holdingされた状態」のままでは、二次イオン種の生成効率が大幅に低下する。また、TOF−SIMS法を用いる測定では、高真空中において一次イオン照射を行うため、測定対象試料には予め乾燥処理が施される。その乾燥処理の際、生体組織中に存在している、タンパク質分子と他の生体物質との間で、相互作用を起こし、分子間結合によって凝集化を起こすと、二次イオン種の生成効率がなお一層低下する。
【0017】
生体組織中の特定タンパク質分子の存在量を、高い検出感度、ならびに高い定量性で分析し、生体組織の切断面上における特定タンパク質分子の存在量分布に関する二次元的なイメージングを行うには、タンパク質分子のホールディングの問題の解決が重要である。要するに、生体組織中では、「holdingされた状態」となっているタンパク質分子を、一次イオン照射によるイオン・スパッタリングにおいて、ソフトに「holdingされた状態」をほどきながら効率良く飛翔させることが重要である。このような飛翔状態を得ることで、有効な親分子の二次イオン種の生成を高く導くことにつながる。
【0018】
しかしながら、従来開示されているものについては、これらの点で必ずしも十分なものではなかった。
【0019】
本発明は前記の課題を解決するもので、本発明の目的は、分析対象物からの情報取得方法に関し、TOF−SIMSにより、分析対象物の種類ごとに空間分解能の高い二次元分布像を得る方法を提供することにある。また本発明の他の目的は、前記対象物の組成分析方法をも提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0020】
本発明者らは、上記の課題について鋭意検討した結果、本発明に至った。すなわち本発明は分析対象物を構成する構成物の質量に関する情報を、飛行時間型質量分析計を用いて取得し、取得した質量情報に基づいて前記構成物の分布状態に関する情報を得る情報取得方法であって、
基体上の前記分析対象物に前記構成物のイオン化を促進するために自己反応性の物質を付与する工程と、
前記自己反応性の物質の存在下で、前記分析対象物に一次ビームを照射して該構成物をイオン化して飛翔させる工程と、
前記飛翔したイオンの質量に関する情報を、飛行時間型質量分析計を用いて取得する工程と、
前記質量に関する情報に基づいて、前記構成物の前記基体上での分布状態に関する情報を得る工程と、
を備えることを特徴とする情報取得方法である。
【発明の効果】
【0021】
本発明によれば、分析対象物に対して自己反応性の物質を付与する処理により、TOF−SIMS分析において分析対象物を構成する構成物の親分子イオンを効率良く生成させることができる。更に、構成物の二次元分布状態を保持したままイメージング検出することが可能となる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0022】
本発明の情報取得方法は、分析対象物を構成する構成物の質量に関する情報を、飛行時間型質量分析計を用いて取得し、取得した質量情報に基づいて前記構成物の分布状態に関する情報を得る情報取得方法である。本発明の情報取得方法は、少なくとも以下の工程を備える。
(1)基体上の分析対象物にその構成物のイオン化を促進するために自己反応性の物質を付与する工程。
(2)自己反応性の物質の存在下で、分析対象物に一次ビームを照射して構成物をイオン化して飛翔させる工程。
(3)飛翔したイオンの質量に関する情報を、飛行時間型質量分析計を用いて取得する工程。
(4)上記(3)の工程で得られた質量に関する情報に基づいて、基体上での構成物の分布状態に関する情報を得る工程。
【0023】
以下、図1を参照して本発明にかかる情報取得方法の一例を説明する。図1には、基体としての基板6の表面にタンパク質5が分析対象物として配置された状態が模式的断面図として示されている。図1に示すように、まず、基板上6に堆積配置されたタンパク質を主とする分析対象物の構成物としてのタンパク質5のイオン化を促進するために自己反応性の物質3を付与し、分析対象物5中に自己反応性の物質3を分散させる。次に、一次ビーム1を用い、自己反応性の物質3への衝撃を与えることにより極局所的な爆発4を誘発し、それにより構成物5のソフトな飛翔を可能とする。すなわち、前記課題として挙げたTOF−SIMSでのフラグメントイオンの生成を抑え、「holdingされた状態」のタンパク質をほどき、効率良く飛翔させる効果を生じさせ、イオン化を促す。このイオン化により生じたイオン2の質量に関する情報を、飛行時間型質量分析計を用いて取得し、得られた情報に基づいて、分析した質量を有する構成物の分布状態に関する情報を更に得る。
【0024】
本発明の方法における情報取得対象である分析対象物は、その構成物から質量分析可能なイオンを生じるものである。本発明の方法では、自己反応性の物質の存在下での一次ビームの照射を採用したことで、感度の向上を図ることができ、構成物がタンパク質や有機化合物である場合に好適である。なお、分析対象物が単一の構成物からなる場合は、分析対象物と構成物は同一物質となる。また、分析対象物がタンパク質またはその複合体であり、構成物がその断片である場合も本発明の分析対象とすることができる。更に、細胞や生体組織など、1種以上のタンパク質からなるものも分析対象とすることができ、この場合、細胞や生体組織中でのタンパク質の分布に関する二次元情報を得ることも可能である。
【0025】
本発明の方法においては、分析対象物への自己反応性の物質の付与は、基体上の分析対象物の分布に影響を与えないように行われる。その一例としては、基体での構成物(分析対象物)の分布状態を保持可能とする、自己反応性の物質を含む液体の基体上の分析対象物への単回付与を挙げることができる。この自己反応性の物質の付与には、自己反応性の物質を含む液体を、マイクロピペッターまたはインクジェットプリンターより微小液滴として分析対象物へ付与する方法が好適に利用できる。
【0026】
自己反応性の物質は、同一分子内に可燃性部分と酸素供給部分が共存する物質(化合物を含む)であり、外部刺激の付与により急激な酸化反応(例えば爆発)を生じる物質である。このような自己反応性の物質には、有機過酸化物、硝酸エステル類、ニトロ化合物、ニトロソ化合物、アゾ化合物、ジアゾ化合物及びヒドラジン誘導体を挙げることができ、これらから選択した少なくとも1種を用いることができる。これらの自己反応性の物質としては以下の具体例を更に挙げることができる。
・有機過酸化物
過酸化ベンゾイル及びメチルケトンバーオキサイド
・硝酸エステル類
硝酸メチル、硝酸エチル、ニトログリセリン及びニトロセルロース
・ニトロ化合物、ニトロソ化合物
ピクリン酸、トリニトロトルエン及びジニトロペンタメチレンテトラミン
・アゾ化合物、ジアゾ化合物
アゾビスイソブチロニトリル及びジザゾニトロフェノール
・ヒドラジン誘導体
硝酸ヒドラジン、硝酸グアニジン及びアジ化ナトリウム
これらの中では少なくともニトロセルロースを用いることが好ましい。
【0027】
上記の自己反応性の物質を液体として分析対象物に付与するには、これらの物質を含む溶液として用いることが好ましい。その場合の溶媒は、用いる自己反応性の物質の種類に応じて選択でき、例えば、ニトロセルロースの場合には、アセトン、クロロフォルム、トルエンなどの揮発性有機溶媒が好ましく利用できる。また、溶媒を揮発性とすることで、溶液の付与後に溶媒を飛散させて、溶媒の分析への影響を低減できる効果がある。
【0028】
本発明において取得される構成物の質量に関する情報には、以下のものの少なくとも1つが含まれる。
(1)前記構成物そのものの質量(親分子の質量)に、水素、炭素、窒素、酸素の各元素の中から選ばれる1から10のいずれかの数の原子(複数元素の組み合わせを含む)が付加した質量数に相当するイオン。
(2)前記構成物そのものの質量(親分子の質量)に、Ag、Auなどの金属元素、並びに、Na、Kなどのアルカリ金属元素の中の少なくとも一つが付加し、これに、水素、炭素、窒素、酸素の各元素の中から選ばれる1から10のいずれかの数の原子(複数元素の組み合わせを含む)が付加した質量数に相当するイオン。
(3)前記構成物そのものの質量(親分子の質量)に、水素、炭素、窒素、酸素の各元素の中から選ばれる1から10のいずれかの数の原子(複数元素の組み合わせを含む)が脱離した質量数に相当するイオン。
(4)前記構成物そのものの質量(親分子の質量)に、Ag、Auなどの金属元素、並びに、Na、Kなどのアルカリ金属元素の中の少なくとも一つが付加し、これに、水素、炭素、窒素、酸素の各元素の中から選ばれる1から10のいずれかの数の原子(複数元素の組み合わせを含む)が脱離した質量数に相当するイオン。
【0029】
一次ビームとしては、
(A)分析対象物を保持する基体表面で集束し、パルス化し、かつ走査可能なイオン、中性粒子及び電子、並びに、
(B)分析対象物を保持する基体表面で集光し、パルス化し、かつ走査可能なレーザー光
の中から選択することができる。
【0030】
一次ビームの照射により得られるイオンを利用して得られた質量に関する情報に基づいて、すなわち、飛翔したイオンの検出結果に基づき、質量が特定された構成物の基体上での分布に関する二次元分布状態の情報を取得することが可能となる。
【0031】
以下に、本発明をより更に、詳細に説明する。
【0032】
本発明では、対象物のイオン化を促進するため、予め対象物の周囲に自己反応性物質分子を適度な間隔で配置し、一次ビームを照射して自己反応性物質分子への衝撃を与えることによる局所的な爆発を誘発する。その爆発の力で局所領域内および周辺に存在する前記対象物を飛翔させる。この爆発による飛翔方法は、前記MALDI法のマトリックス物質を用いた光励起による蒸散による物質飛翔方法と類似である。このことから、分析対象物をソフトにイオン化し正確な識別を可能にする大きな分子の状態での二次イオンの質量に関する情報を得ることができる。さらには、前記MALDI法の光励起熱伝播による蒸散方法とは異なり、本発明の方法では、ビーム径数nm〜数百nmに集束した電子、荷電粒子、レーザー光などの一次ビームを用いて、適度な間隔で配置された添加分子への衝撃を与える。このことにより爆発的な反応を微小域で誘発し、少ない添加量で十分な構成物からのイオンの飛翔効果をもたらす。その結果、熱伝播による衝撃連鎖反応を抑え、飛翔の範囲をビーム程度の微細な空間分解能による分析対象物の二次元分布状態を検出(イメージング)することができる。以上の観点より、質量分析の対象としての構成物をイオン化し、得られたイオンを飛翔させるために用いられる一次ビームとしては、先に挙げたものを好適に利用可能である。
【0033】
また、本発明の構成物のイオン化を促進する物質(増感物質)としての自己反応性の物質の分析対象物への付与方法としては、以下の方法の少なくとも1つを利用することができる。
(1)基体上に分析対象物を配置した後に付与する方法。
(2)基体上に配置される前の分析対象物の特定の一種類または複数に対し、予め付与する方法。
(3)基体上に分析対象物が配置される前に、予め基体表面に付与する方法。
【0034】
これらのうち、上記(1)の方法はあらゆる形態の対象物の解析に応用できる、即ち汎用性が高い方式である。一方で、基体上に二次元的に分布している分析対象物に対し、イオン化を促進する物質の付与を行う際は、同処理により対象物を拡散させないことに注意する必要がある。物質付与処理で分析対象物の二次元分布状態が変化してしまっては、本発明の目的を達成できないからである。分析対象物の二次元分布状態が変化したかどうかは、例えば、同処理を行わないタンパク質チップに対するTOF−SIMS分析の結果との比較などから判断できる。
【0035】
次に、上記(2)の方式は、予め特定の分析対象物に、構成物のイオン化を促進しTOF−SIMS分析で感度が上昇する物質(増感物質)を付与するものだが、この方式は特定の対象物の二次元分布状態を選択的にかつ高感度で検出できるという利点を持つ。一方で、対象物ごとに予め付与処理などを行わなければならず、操作がやや煩雑になるという短所がある。
【0036】
さらに、上記(3)の方式は、構成物のイオン化を促進し、TOF−SIMS分析で感度が上昇する物質(増感物質)を予め基体表面に形成しておくものである。この方式では増感物質の存在により新たな非特異吸着の問題が発生しないかどうかを十分調べておくことが重要である。この増感物質は基体の最表面に形成させることが好ましいが、非特異吸着を防止するため、増感物質の上に単分子膜程度の別の物質を配置することも可能である。
【0037】
本発明の付与処理とは、上記のように、TOF−SIMS分析で二次イオンを発生させる過程で、構成物(たとえばタンパク質)のイオン化効率を高める効果があり、構成物の二次元分布状態を変化させない処理であれば特に制限はない。
【0038】
また、基体上に二次元的に分布しているタンパク質に対し、二次元分布状態を変化させることなく前記処理を利用する場合は、タンパク質を拡散させないよう注意を払う必要がある。基体上にタンパク質が配置された部位に、自己反応性の物質を含む液体を静かに滴下することによって一回の処理工程で簡便にタンパク質の二次元分布状態を変化させることなく増感物質を付与することができる。しかしながら、増感物質付与処理の方法は上記に限られず、TOF−SIMS分析における対象物の二次イオン化効率を高める効果があり、該対象物の二次元分布状態を変化させない処理であればいかなる方法を用いてもよい。
【0039】
本発明において分析対象物を配置する基体としては、金基板もしくは金の膜を基板表面に付した基板が好ましいが、特に限定する物ではない。構成物がタンパク質である場合においては、タンパク質の質量情報を得ることを妨げるような質量の二次イオンを発する物質でなければ、シリコン基板等の導電性基板および有機ポリマー、ガラスといった絶縁性基板のタンパク質チップに対しても適用し得る。さらに分析対象となるタンパク質を配置するための基体としては基板の形態に限定される物ではなく、粉末状、粒状等あらゆる形態の固体物質を用いることができる。粉末状、粒状の凹凸のある物質を基体として用いた場合でも、1次ビームを照射することが可能であれば、問題なく構成物のイオン化を行うことができる。
【0040】
本発明における対象物の二次元分布状態の検出(イメージング)は、構成物を識別できる二次イオンを用いることを特徴としている。この二次イオンは質量/電荷比が500以上のイオンであることが好ましく、質量/電荷比が1000以上のイオンであることが特に好ましい。
【0041】
また、一次イオン種としては、イオン化効率、質量分解能等の観点からガリウムイオン、セシウムイオン、また、場合によっては金(Au)イオン、ビスマス(Bi)イオン、カーボンフラーレン(C60)等が、好適に用いられる。なお、Auイオン、Biイオン、C60イオンを用いると、極めて高感度の分析が可能となる点で好ましい。その際、Auイオン、Biイオンのみならず、金、ビスマスの多原子イオンである、Au2イオン、Au3イオン、Bi2イオン、Bi3イオンを用いることができる。この順で感度の上昇が図られる場合も多く、金、ビスマスの多原子イオンの利用は、さらに好ましい形態となる。
【0042】
さらに、一次イオンビームパルス周波数は、1kHz〜50kHzの範囲であることが望ましく、また、一次イオンビームエネルギーは、12keV〜25keVの範囲であることが好ましい。さらには、一次イオンビームパルス幅は、0.5ns〜10nsの範囲であることが望ましい。
【0043】
また、本発明では、定量精度を向上させるために、高い質量分解能を保持し、比較的短時間で測定を完了させる必要があることから(一測定が数10秒から数10分のオーダー)、一次イオンビーム径は多少犠牲にして測定することが好ましい。具体的には、一次イオンビーム径をサブミクロンオーダーまで絞らずに、1μmから10μmの範囲に設定することが好ましい。
【0044】
以下に、実施例を挙げて、本発明をより具体的に説明する。以下に示す具体例は、本発明にかかる最良の実施形態の一例ではあるが、本発明はかかる具体的形態に限定されるものではない。
【実施例】
【0045】
(実施例1)
(Au/Si基板へのタンパク質のスポッティングおよびニトロセルロース処理と、TOF−SIMS分析)
自己反応性物質として用いたニトロセルロースによるイオン化増感効果を検証すべく、ペプチド試料への溶液滴下を行いTOF-SIMSでの測定を次の操作により行った。
【0046】
最初に、試料作成について述べる。基板としては不純物を含まないシリコン基板をアセトンおよび脱イオン水の順番で洗浄し、Auを100nm成膜させたものを用いた。SIGMA社より購入したMethionine Enkephalinamide(C27H36N6O6S (平均分子量:572.7)、以下ではEnkephalinと記載)の10μM水溶液を、脱イオン水を用いて調製した。この水溶液を、マイクロピペッターを用いて、前記Au付きシリコン基板上にスポッティングし(スポット径約10mm)、自然乾燥して基板上にEnkephalinの薄膜を作成した。この薄膜位置に重ねて0.1%のニトロセルロースを溶解させたアセトン溶液2μlを、マイクロピペッターを用いてスポッティングした(スポット径約5mm)。この基板を自然乾燥した後、TOF−SIMS分析に用いた。この時、ニトロ化合物の特性で白い膜が表面を覆うため試料は白濁するが、これは測定には好適である。逆に、MALDIのマトリックス剤などは結晶化や凝集を起こしやすく、1次ビームが試料に到達できず2次イオンが生成されないなどの問題が多く発生する。また、比較対照のサンプルとして、ニトロセルロースを含まないアセトン溶液を用意して、上記と同様にEnkephalin薄膜上にスポッティングした試料を作成した。また、溶媒のアセトンは、ニトロセルロースを用意に溶かすことが可能といった理由によりこの実験で用いた。
【0047】
続いて、測定条件について述べる。TOF−SIMS分析では、ION TOF社製TOF−SIMS IV型装置を用いた。測定条件を以下に要約する。
【0048】
一次イオン:25kV Ga+、2.4pA(パルス電流値)、sawtoothスキャンモード
一次イオンのパルス周波数:3.3kHz(300μs/shot)
一次イオンパルス幅:約0.8ns
一次イオンビーム直径:約3μm
測定領域:300μm×300μm
二次イオン像のpixel数:128×128
積算時間:約400秒
このような条件で正および負の二次イオン質量スペクトルを測定した。
【0049】
その結果、正の二次イオン質量スペクトルにおいて、ニトロセルロースを付与した試料から、Enkephalinの親分子にナトリウム(Na)が付加した質量に相当する二次イオンを、高強度で件検出することができた。ニトロセルロースを付与した試料からの検出対象に対応する二次イオンの検出強度は、ニトロセルロースを付与しない比較試料と比べて10倍近い強度であった。それぞれの実測スペクトルを図2に示す。(a)セルロースを含まないアセトン溶液処理の試料から得られた実測スペクトル。(b)セルロース加えたアセトン溶液処理の試料から得られた実測スペクトル。両者とも、スペクトル図内部にNa付加の親分子イオンピーク領域での拡大図を示している。また、(c)同位体存在比を基に算出したEnkephalin+Naの理論スペクトルを示す。それらのm/z値は、[(Enkephalin)+(Na)]の理論スペクトル形状、ピーク位置がほぼ一致した。更に、Enkephalinの親イオンに準じるこれらの二次イオンを用いることで、該Enkephalinの二次元分布状態を反映した二次元イメージ像を得ることができた。ちなみに、Naはペプチド試料中に不純物として若干に含まれていたものである。
【0050】
(実施例2)
(微細なイメージング)
(ニトログリセリン処理によるTOF−SIMS分析での空間分解能検証)
自己反応性が高く、またニトロセルロースよりも分散性が高いため、より微細なイメージングに適しているニトログリセリンを用いて、微細イメージングの効果を検証すべく、実施例1と同様の方法で試料作成と測定をおこなった。まず、ニトログリセリンをアセトン溶解させて0.1%の溶液を作成した。実施例1と同様のEnkephalin薄膜試料を用い、ニトログリセリン溶液の滴下あり/なしの両試料での微細なイメージング検出を試みた。試料内の微細な構造を持つ箇所について高空間分解能モードでのTOF−SIMS測定をおこなった。得られた結果を図3に示す。(a)左側図が比較用として、ニトロセルロースなしのアセトン溶液だけで処理をしたもの、(b)左側図がニトロセルロースを混合させたアセトン溶液で処理した試料のそれぞれから得られたイオンイメージングである。イメージより、空間分解能がサブミクロンの高空間分解能でのイオンイメージが得られた。これは、光励起熱伝播による蒸散方法を用いるMALDIのイオン化手法では到達できないほどの高空間分解能イメージを、本発明の手法を適用することにより、容易に得られることを示している。
【図面の簡単な説明】
【0051】
【図1】本発明における情報取得の様子を表した概念図を示す図である。
【図2】実施例1における正の二次イオン質量スペクトルの比較図を示す図である。
【0052】
(a)比較用として、アセトン溶液だけで処理したペプチド膜の実測スペクトル。内部に[(Enkephalin)+(Na)]+近傍の拡大スペクトル図を示す。
【0053】
(b)ニトロセルロースを溶かしたアセトン溶液で処理したペプチド膜の実測スペクトル。内部に[(Enkephalin)+(Na)]+近傍の拡大スペクトル図を示す。
【0054】
(c)[(Enkephalin)+(Na)]イオンの理論スペクトル。
【図3】実施例2における、高空間分解能モードでの正の2次イオンイメージの比較図を示す図である。
【0055】
(a)左側図が、比較用としてアセトン溶液だけで処理したペプチド膜での[(Enkephalin)+(Na)]+イオンイメージ。右側図は、同じ測定で得られたトータルイオンのイメージを示している。
【0056】
(b)左側図が、ニトログリセリンを溶かしたアセトン溶液で処理したペプチド膜での同様のイオンイメージ。こちらからは、ミクロンレベルの空間分解能で[(Enkephalin)+(Na)]+イオンイメージを検出できている。右側図は、同じ測定で得られたトータルイオンのイメージを示している。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
分析対象物を構成する構成物の質量に関する情報を、飛行時間型質量分析計を用いて取得し、取得した質量情報に基づいて前記構成物の分布状態に関する情報を得る情報取得方法であって、
基体上の前記分析対象物に前記構成物のイオン化を促進するために自己反応性の物質を付与する工程と、
前記自己反応性の物質の存在下で、前記分析対象物に一次ビームを照射して該構成物をイオン化して飛翔させる工程と、
前記飛翔したイオンの質量に関する情報を、飛行時間型質量分析計を用いて取得する工程と、
前記質量に関する情報に基づいて、前記構成物の前記基体上での分布状態に関する情報を得る工程と、
を備えることを特徴とする情報取得方法。
【請求項2】
前記一次ビームが、前記分析対象物の表面において集束し、パルス化し、かつ走査可能な、イオン、中性粒子及び電子、並びに、前記分析対象物の表面において集光し、パルス化し、かつ走査可能なレーザー光からなる群から選択される請求項1に記載の情報取得方法。
【請求項3】
前記一次ビームが、イオンビームである請求項2に記載の情報取得方法。
【請求項4】
前記構成物がタンパク質である請求項1ないし3のいずれかに記載の情報取得方法。
【請求項5】
前記自己反応性の物質の付与が、前記基体での前記構成物の分布状態を保持可能とする、前記分析対象物への前記自己反応性の物質を含む液体の単回付与により行われる請求項1ないし4のいずれかに記載の情報取得方法。
【請求項6】
前記自己反応性の物質を含む液体を付与が、マイクロピペッターまたはインクジェットプリンターにより行われる請求項5に記載の情報取得方法。
【請求項7】
前記自己反応性の物質を含む液体が、自己反応性の物質としての、有機過酸化物、硝酸エステル類、ニトロ化合物、ニトロソ化合物、アゾ化合物、ジアゾ化合物及びヒドラジン誘導体から選択される少なくとも1種を含む溶液である請求項5に記載の情報取得方法。
【請求項8】
前記自己反応性の物質が、過酸化ベンゾイル、メチルケトンバーオキサイド、硝酸メチル、硝酸エチル、ニトログリセリン、ニトロセルロース、ピクリン酸、トリニトロトルエン、ジニトロペンタメチレンテトラミン、アゾビスイソブチロニトリル、ジザゾニトロフェノール、硝酸ヒドラジン、硝酸グアニジン及びアジ化ナトリウムから選択された少なくとも1種である請求項7に記載の情報取得装置。
【請求項9】
前記の構成物の質量に関する情報が、
(1)前記構成物そのものの質量(親分子の質量)に、水素、炭素、窒素及び酸素の各元素の中から選ばれる1から10のいずれかの数の原子(複数元素の組み合わせを含む)が付加した質量数に相当するイオン、
(2)前記構成物そのものの質量(親分子の質量)に、金属元素及びアルカリ金属元素の中の少なくとも一つが付加し、これに、水素、炭素、窒素及び酸素の各元素の中から選ばれる1から10のいずれかの数の原子(複数元素の組み合わせを含む)が付加した質量数に相当するイオン、
(3)前記構成物そのものの質量(親分子の質量)に、水素、炭素、窒素及び酸素の各元素の中から選ばれる1から10のいずれかの数の原子(複数元素の組み合わせを含む)が脱離した質量数に相当するイオン、
(4)前記構成物そのものの質量(親分子の質量)に、金属元素及びアルカリ金属元素の中の少なくとも一つが付加し、これに、水素、炭素、窒素、酸素の各元素の中から選ばれる1から10のいずれかの数の原子(複数元素の組み合わせを含む)が脱離した質量数に相当するイオン、
のいずれかの質量に関する情報である請求項1から8のいずれかに記載の情報取得方法。
【請求項10】
前記飛翔したイオンの検出結果に基づき、一次ビームの走査により得られる前記構成物の二次元分布状態の情報を取得する請求項1から9のいずれかに記載の情報取得方法。

【図2】
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【図1】
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【図3】
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