説明

機械式時計用調速装置

【課題】機械駆動式時計の調速装置は、ひげゼンマイの片錘、およびラジアル荷重の影響を受け、振動周期の変動を生じる。
【解決手段】テン真に対して、ほぼ同一形状で、テン真を軸とした回転対称の位置にあり、同一方向に巻き回された複数のひげゼンマイ5,5’を同一平面上に取り付ける。同一平面かつ回転対称の位置にある複数のひげゼンマイ5,5’によって、ひげゼンマイ5,5’の片錘によって発生するトルク、およびひげゼンマイ5,5’の発生するラジアル荷重を打ち消し、これらが時計の精度に与える影響を最小限に抑えることができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、機械駆動式時計の調速装置に関するものである。
【背景技術】
【0002】
機械駆動式時計の調速装置は、テン輪およびひげゼンマイを有した構造によりなっている。ひげゼンマイはいわゆる渦巻きばねであり、内端はテン真に、外端はひげ持ちに固定される。
【0003】
一般的にひげゼンマイは長方形断面の板状の材料を数1で表されるアルキメデス曲線状に巻き回した形状であり、テン輪を主とした回転体が系の均衡位置から回転すると、これを均衡位置に戻すようにトルクを発生し、回転体はこのトルクを受けて回転振動を行う。なお、数1においてrは曲線の開始点からの距離、θは巻き回し角、aはアルキメデス曲線のピッチを決定する定数である。
【0004】
【数1】

【0005】
ひげゼンマイは通常、10回から16回程度巻き回され、その発生するトルクは近似的に均衡位置からの回転角度に比例した式で与えられる。回転体がこのトルクのみを受けて回転振動をする場合、回転振動の周期Tは回転振動の振幅や時計の姿勢に依存せず、回転体の慣性モーメントをI、ひげゼンマイの発生するトルクの比例定数をkとすると、数2で表される。
【0006】
【数2】

【0007】
ここで、回転体は前記トルクのほかに、回転体の片錘、テン真と受け石との摩擦、空気の流体抵抗、後述のひげゼンマイの片錘によって発生するトルクを受けるため、回転振動の振幅、時計の姿勢により周期の変動を生ずることになる。
【0008】
これらの変動要因のうち、ひげゼンマイの片錘について説明する。アルキメデス曲線の重心点はその開始点には存在せず、従って回転中心をその開始点としたアルキメデス曲線状であるひげゼンマイの重心点も回転中心には存在しない。このため、ひげゼンマイの設置平面が重力に対して垂直でない限り、重力によってトルクが生ずることになる。本稿では、このひげゼンマイの重心が回転中心とは異なる位置に存在している事象をひげゼンマイの片錘と記述する。
【0009】
ひげゼンマイの片錘によって発生するトルクの大きさと方向は、ひげゼンマイに対して重力が働く方向によって決まるため、時計の姿勢によって回転体に働くトルクが大きく変化することになる。このトルクの変化が、時計の姿勢による振動周期の変化、いわゆる姿勢差の一因となり、性能に大きな影響を与えることになる。
【0010】
ひげゼンマイの片錘による影響を避けるためにひげゼンマイを回転対称となる形で二本取り付けた構造が提案されている(特許文献1)。
【0011】
図7を用いて特許文献1に記載された構造を説明する。
【0012】
図7の調速装置は、前述の調速装置の構成において、ひげゼンマイを一本とせず、二本のひげゼンマイを段違いに、テン真を中心とした回転対称となる位置関係で取り付けた構造となっている。
【0013】
各々のひげゼンマイの重心位置は回転中心に存在していないが、二本のひげゼンマイを回転対称なる位置関係で取り付けることにより、各々のひげゼンマイの片錘に伴うトルクを打ち消すことが可能となる。しかし、この方法ではひげゼンマイを二段に取り付けるために設置スペースが大きくなるという問題がある。
【0014】
また、ひげゼンマイは回転体の均衡位置からの回転角に依存したラジアル方向の荷重も発生しており、このラジアル荷重に起因した、テン真にかかる摩擦力が姿勢差および振幅による振動周期の変化に大きな影響を与えている。
【0015】
図8は図7の調速装置においてそれぞれのひげゼンマイ15および15’がラジアル荷重を発生した場合の、ラジアル荷重の関係を示した図である。図7に示した構造では、ひげゼンマイ15および15’の取り付け位置が異なるため、図8に示すように、ひげゼンマイ15および15’により発生するラジアル荷重f12およびf12’の軸が異なり、このラジアル荷重を打ち消すことができず、テン真に対して図8で時計回り方向のトルクが発生する。この結果、テン真の両端がテン真を支える部位に押し付けられる形となり、摩擦力が発生し、外乱となってしまう。
【0016】
さらに、二段にして取り付けることで取り付け後のひげゼンマイの調整が難しくなるという問題も発生する。
【0017】
通常、ひげゼンマイは巻き回しの外径数ミリメートルに対して誤差数10ミクロン程度で作成され、一方で巻き回しピッチは100ミクロン程度であるため、二本のひげゼンマイを同一平面内に配置すると、外径付近でのひげゼンマイ同士の距離がほぼゼロとなる可能性がある。この状態にあって、さらに回転による変形が加わった場合、ひげゼンマイ同士の接触が比較的容易に発生し得る。
【0018】
よって、通常よりもひげゼンマイの巻き回しピッチを広げるか、従来例に示したように、二本のひげゼンマイを段違いに配置するなどして、ひげゼンマイ同士の接触を避ける必要がある。
ここで、ひげゼンマイの巻き回しピッチを広げることは概ねひげゼンマイのバネとしての性能を低下させる方向に働くことになり、良い選択肢とはいえない。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0019】
【特許文献1】特開昭55−101884号
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0020】
本発明の目的は、ひげゼンマイの片錘、およびひげゼンマイによるラジアル荷重を打ち消すことで、振幅および姿勢の変化による振動周期の変動を抑え、また、ひげゼンマイの調整を必要としない、すぐれた機械式時計の調速装置を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0021】
前記課題を解決するために、本発明の機械式時計用調速装置は、以下のような構成としている。
【0022】
機械駆動式時計の調速装置であって、複数のひげゼンマイを有しており、このひげゼンマイは、いずれもほぼ同一形状であって、テン真を同一軸とした回転対称となる位置関係をもって、同一方向に巻き回されており、いずれも同一平面内に配置しているとともに、前記テン真への取り付けに利用する部位と一体化していることを特徴としている。
【0023】
ひげゼンマイは、フォトリソグラフィ、エレクトロフォーミングのいずれかの技術によって加工されていることが好ましい。
【発明の効果】
【0024】
同一平面かつ回転対称に配置されたひげゼンマイにより、各々の片錘に伴って発生するトルクを打ち消し、また、ひげゼンマイが発生するラジアル荷重を打ち消し合うことで、ラジアル荷重の変動に起因するテン真に働く摩擦力の変動を抑えることが可能となる。結果として、姿勢および振幅の変動に伴う調速装置の振動周期の変動が低下して安定化するため、時計の精度を向上することができる。
【0025】
また、ひげゼンマイとヒゲ玉が一体化した構造とすることで、ヒゲ玉にひげゼンマイを取り付ける工程を省き、さらに従来作業者によって調整されていたひげゼンマイの内端および外端の形状を巻き回し部分と同時に、かつ正確に加工することが可能となる。このため、作業者による調整が不要となり、個体差を抑え、時計の性能を向上させることができる。
【0026】
さらに、フォトリソグラフィ等の技術を用いることで、より小さい誤差でひげゼンマイの加工を行うことが可能となり、片錘によるトルクの打ち消し効果の向上、ラジアル荷重の打ち消し効果、個体差の低下を得ることができる。
【図面の簡単な説明】
【0027】
【図1】本発明による調速装置の概略図。
【図2】従来のひげ持ちの概略図。
【図3】本発明による調速装置の実施例におけるひげ持ちの概略図。
【図4】本発明による調速装置のひげ玉と一体化したひげゼンマイの形状図。
【図5】本発明による調速装置のひげゼンマイの片錘によるトルクの打ち消し構造概略図。
【図6】本発明による調速装置のひげゼンマイのラジアル荷重打ち消し構造概略図。
【図7】従来技術の調速装置の例を示す図。
【図8】従来技術の調速装置におけるラジアル荷重の概略図。
【発明を実施するための形態】
【0028】
以下、図面に基づいて本発明にかかる調速装置の実施形態を説明する。
【0029】
図1は本発明による機械式時計用調速装置の概略図である。図1に示すように、本発明の機械式時計用調速装置1は、テン真2と、このテン真2に取り付けられるテン輪3と、ひげ玉4と、ひげ玉4と一体化して回転対称の位置関係でテン真2に取り付けられる2つのひげゼンマイ5および5’と、ひげゼンマイ5および5’の外端を支えるひげ持ち6および6’を備えて構成される。ひげゼンマイ5および5’の詳細については後述する。テン真の両端は受け石7によって自由な回転が可能な形で支持される。なお、本例では、ゼ
ンマイの数は2として説明するが、3以上とすることも可能である。
【0030】
テン輪3とテン真2は、系の均衡位置からの回転角にほぼ比例したトルクをひげゼンマイ5および5’から受けて回転振動を行い、機械式時計はこの振動周期を機械的に取り出して時刻表示を行う。ひげ持ち6および6’と緩急針8および8’は系の均衡位置の調整と振動周期の調整のために用いられる。
【0031】
ひげ持ちは一般的にテン真と同一の回転軸で回転することが可能であるように取り付けられるが、本発明においてはひげゼンマイが回転対称の位置関係をなすために、ひげ持ち6と6’も回転対称の位置関係を維持するように構成することが望ましい。
【0032】
図2は従来のひげ持ちの概略図、図3は本発明による機械式時計用調速装置に用いたひげ持ちの概略図である。通常、ひげ持ちは図2に図示するように輪10から棒11が伸び、棒11の先端付近にひげを固定するためのひげ保持具12を備えた形状をしている。同様の形状のひげ持ちを複数備えることでも装置の構成は可能であるが、図3に図示するように一つの輪10に対して棒11および11’を対称に作成し、各々の位置関係を維持して回転するようにしておくことが望ましい。
【0033】
調速装置1は回転振動の周期を調節するための緩急針8および8’を備えている。緩急針8および8’についても、ひげ持ち6および6’と同様に回転対称の位置関係を維持して回転させることができるように作成されることが望ましい。なお、緩急針8および8’は省略可能である。
【0034】
通常、ひげゼンマイはテン真に圧入等によって取り付けられたヒゲ玉に、溶接、ひげくさび、かしめといった手段で固定され、その後に作業者による調整を経て所定の形状を得る。この方法、特に調整に関しては人の手によるためにゼンマイ形状のばらつきが大きくなる。
【0035】
図4は、本発明の調速装置に用いるひげゼンマイの形状を表した図面である。ひげ玉4とひげゼンマイ5および5’が一体化し、ひげゼンマイ5および5’の内端も所定の形状に加工されている。なお、本実施例ではひげゼンマイの内端形状を一般的な内端形状の一つに倣った形状としたが、必ずしもこの形状である必要はない。
【0036】
また、本発明の調速装置においては複数のひげゼンマイを設置することからひげゼンマイ間の空間が狭くなり、またひげゼンマイ同士は各々の形状誤差によって異なる変形挙動を示すため、変形によるゼンマイ同士の接触が起こり易い。ここでは、ひげゼンマイの接触を避けるための主な手段としては加工精度の向上を選択した。具体的には、サブミクロン精度での加工が可能なフォトリソグラフィ、またはエレクトロフォーミングの技術を用いてひげゼンマイの加工を行うものである。なお、加工精度を向上することは概ね性能を向上させる方向に働くので良い選択といえる。
【0037】
図5に本実施例におけるひげゼンマイの片錘によるトルクの打ち消し効果の概略を示す。
回転体が均衡位置にあるとき、ひげゼンマイ5および5’の重心点g1およびg1’は近似的に巻き終わりの位置から90度戻った方向で中心からの距離がa / pなる位置に存在する。図5ではゼンマイの巻き終わりの位置を図示していないが、図示した範囲の端点の方向にあるとして作図を行う。
【0038】
重力は紙面に沿って下向きに作用しているとする。ひげゼンマイ5および5’にかかる重力による荷重f1およびf1’は大きさが等しく、かつ回転中心に対しての腕の長さも
等しいため、それぞれのひげゼンマイの片錘によるトルクは互いに大きさが等しく、逆向きとなり、打ち消しあうことになる。なお、回転体が回転した場合、それぞれの重心点g1およびg1’は回転に伴って移動するが、この移動は対称に発生するため、打ち消し構造は変化しない。
【0039】
また、図6に本実施例におけるひげゼンマイのラジアル荷重の打ち消し効果の概略を示す。ひげゼンマイ5および5’は回転体の回転角に応じて同様の変形をするため、図6に示すように対称なラジアル荷重f2およびf2’を発生する。従って、それぞれのひげゼンマイ5および5’の発生するラジアル荷重f2およびf2’は互いに打ち消しあうことになる。なお、ひげゼンマイの発生するラジアル荷重は回転体の回転に伴って変化するが、ラジアル荷重の対称性は維持されるため、打ち消し構造は変化しない。
【0040】
ここで、ひげゼンマイ5と5’の形状は、接触を避ける上でも片錘によるトルクおよびラジアル荷重を打ち消す上でもほぼ同一である必要があるが、最終的に時計の性能が向上するのであれば、入爪による衝動と出爪による衝動の差異を平均化するなどの目的で、一部分の厚みを違える、内端および外端の形状を違えるなど、若干の形状の違いを設けても構わない。
【0041】
以上、説明したように本発明の機械式時計用調速装置においては、テン真2に対して回転対称の位置に二本のひげゼンマイ5および5’を設置することで、ひげゼンマイ5および5’の片錘による荷重f1およびf1’に伴うトルク、ひげゼンマイ5および5’によるラジアル荷重f2およびf2’が互いに打ち消しあう方向に発生するため、姿勢および振幅の変動に伴う振動周期の変動を低下させることが可能となる。
【0042】
加えて、対称に作成したひげ持ち6および6’を用いることで、ひげゼンマイ5と5’の間のバランスを失うことなく回転振動の均衡位置を調整する事ができる。
【0043】
また、ヒゲ玉4とひげゼンマイ5および5’を一体化することでヒゲ玉4にひげゼンマイ5および5’を取り付ける工程を省き、さらに作業者による調整が不要となるため、形状誤差が抑えられ、形状誤差に伴う擾乱や個体差を低減し、時計の性能を向上することができる。
【0044】
さらに、ひげゼンマイの加工にフォトリソグラフィ、またはエレクトロフォーミングの技術を用いることで、より高い精度でひげゼンマイの加工を行うことが可能となり、ひげゼンマイの片錘打ち消し効果の向上、ラジアル荷重打ち消し効果、個体差の低下を得られる。
【符号の説明】
【0045】
1 機械式時計用調速装置
2 テン真
3 テン輪
4 ひげ玉
5、5’、15、15’ ひげゼンマイ
6、6’ ひげ持ち
7 受け石
8、8’ 緩急針
9 テン受け
g1、g1’ ひげゼンマイ5および5’の重心位置
f1、f1’ ひげゼンマイ5および5’の片錘による荷重
f2、f2’ ひげゼンマイ5および5’が発するラジアル荷重
f12、f12’ ひげゼンマイ15および15’が発するラジアル荷重

【特許請求の範囲】
【請求項1】
機械駆動式時計の調速装置であって、複数のひげゼンマイを有しており、該ひげゼンマイは、いずれもほぼ同一形状であって、テン真を同一軸とした回転対称となる位置関係をもって、同一方向に巻き回されており、いずれも同一平面内に配置しているとともに、前記テン真への取り付けに利用する部位と一体化していることを特徴とする機械式時計用調速装置。
【請求項2】
前記ひげゼンマイは、フォトリソグラフィ、エレクトロフォーミングのいずれかの技術によって加工されたことを特徴とする請求項1に記載の機械式時計用調速装置。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【公開番号】特開2010−230384(P2010−230384A)
【公開日】平成22年10月14日(2010.10.14)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−76458(P2009−76458)
【出願日】平成21年3月26日(2009.3.26)
【出願人】(000001960)シチズンホールディングス株式会社 (1,939)
【Fターム(参考)】