説明

浸炭処理方法

【課題】鋼部材の表面組織に対する炭素浸炭量を制御する方法を提供をする。
【解決手段】鋼製ワーク10を浸炭用溶液中Sに浸漬し、当該鋼製ワークを高周波誘導加熱し4、当該鋼製ワークの表面の結晶組織に浸炭処理を行う浸炭処理方法であって、高周波誘導加熱法4を用いて、当該鋼製ワークの浸炭対象表面を浸炭用溶液の沸点以上の温度に急速加熱し、浸炭用溶液が熱分解して活性炭素を含む状態でガス化した浸炭用ガスが、薄い浸炭用ガス層となり当該鋼製ワークの表面を覆う状態とし、不活性ガスバブリング20を用いて、当該浸炭用ガス層を破壊して、その浸炭用ガス層内の活性炭素濃度を変化させ、当該鋼製ワークの表面に形成する浸炭層の炭素侵入量の制御を行う鋼製ワークの浸炭処理方法。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本件発明は、浸炭処理方法に関する。更に詳しくは、鋼製のワークをアルコール又はアルコール水溶液中に浸漬させた状態で、高周波誘導加熱により所定温度に加熱して、当該ワーク表面に浸炭処理を行う方法に関する。
【背景技術】
【0002】
浸炭処理は、鋼部材の部材表面から炭素を侵入させ、当該炭素を部材の結晶組織内に内部拡散させ、その後焼入れ処理を行う事によって、当該部材の内部組織には、部材を構成する鋼材が本来持つ靭性、伸び等の物理的特性を維持しつつ、当該部材の表層部のみを炭素を侵入させることで、硬化させ表層組織を硬くして、表層の耐摩耗性・耐傷性を向上させる手法として知られている。この浸炭処理を施した鋼部材は、表面の耐磨耗性に優れ、耐疲労特性を向上させたものとなるため、機械部品や工具等の材料として幅広く採用されている。
【0003】
この浸炭処理を行う方法としては、固体浸炭法、液体浸炭法、ガス浸炭法等が採用されている。ここで言う固体浸炭法は、部材を固体浸炭剤と共に浸炭箱に納めて密閉して行う処理である。また、液体浸炭法は、シアン化ナトリウム(NaCN)を主成分とする溶融塩浴中に部材を浸漬して行う処理である。また、ガス浸炭法は、CO等の炭素化合物を主成分とする浸炭性ガス中で部材を加熱して行う処理である。
【0004】
上述の各浸炭処理方法の場合、いずれにも利点と欠点とがある。例えば、固体浸炭法は、大物部品の処理が可能で、設備コストが低い利点を有するものの、部材表面の炭素濃度や浸炭深さの正確な調節が困難で浸炭が過剰に進行する傾向があり、作業環境が悪く、作業人員を多く必要とする欠点を有する。また、液体浸炭法は、設備コストが比較的低く、浸炭速度が速い利点を有するものの、溶融塩浴の組成が時間と共に変動し易いので部材表面への炭素浸入量の精密な制御が困難で、用いるシアン化合物が猛毒であるため排気及び公害対策用の装置が必須とされる欠点を有する。そして、ガス浸炭法は、部材表面の炭素濃度の調節が可能であり且つ浸炭が均一に行われ、作業環境も比較的良好で、自動化と品質管理の実施がし易い等の利点を有するものの、設備コストが高く、作業に専門的な知識を必要とし、酸素と浸炭性ガスとの混合による爆発の危険性がある欠点を有する。
【0005】
そして、浸炭処理は、原理こそ同じであるが、各工程を1回の装入部材毎に行なうバッチ式と、各工程を連続的に行なう連続式とにスタイルが大別される。このバッチ式は、連続式に比べて生産性が劣るものの、各部材毎の最適熱処理条件の設定が容易であり、処理品の品質に優れている。そのため、浸炭処理を行うに際し、処理品の品質が良好でありながらも生産性に優れたものにするために、バッチ式を採用し、且つ、熱処理温度や保持時間等をコンピュータで制御してインライン化にする試みがされている。このようなインライン化の問題を解決するためには、浸炭処理を行うに際し、浸炭処理に要する時間を短縮を行わなければ、浸炭処理工程が律速工程となり、製品製造ライン内で円滑な製品製造が困難となり、製造ラインの作業効率が低下するという問題があった。
【0006】
この問題点を解消するため、次のような方法が提案されてきた。特許文献1には、炭素供給源にアルコールを使用する浸炭処理方法として、アルコール中に被処理部材及び当該部材を加熱するための誘導加熱手段を浸漬し、当該誘導加熱手段によって加熱された部材表面に接触するアルコールが気化・熱分解することによって生じる活性炭素を部材の表面組織に拡散させる方法が開示されている。即ち、特許文献1に開示の浸炭処理方法は、概念上、液体浸炭法に属する方法であるが、炭素供給源として、従来のような猛毒のシアン化合物を使用するものではないため、作業環境の公害対策や水処理のための大規模な装置、及び、高額な排水処理装置を必要としない点でも有用な浸炭方法である。
【0007】
そして、特許文献1に開示の浸炭方法は、液体浸炭法は、固体浸炭法やガス浸炭法と比較して浸炭速度が速いため、バッチ式を採用し、且つインライン化を実現するのに好適である。特に、特許文献1の浸炭焼入れ方法のような、アルコール中にて高周波誘導加熱を用いた液体浸炭法によれば、急速加熱・急冷が可能になり、鋼材の浸炭処理を行うための処理時間の短縮が可能であり、浸炭処理後の部材の効率の良い逐次処理が可能となる。また、特許文献1に開示の浸炭焼入れ方法は、炭素供給源にアルコールを用いることで、他の有機溶剤を用いる場合に比べて、鋼材に適した浸炭速度が得られるため、鋼材の表面層に均質な浸炭層を形成することが出来るようになった。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0008】
【特許文献1】特許第1793874号
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
しかしながら、鋼部材の浸炭処理に求められる要件として、浸炭処理における、鋼部材表層への炭素侵入量(CP:カーボンポテンシャル)を制御することが求められていた。当該炭素侵入量が低くなり過ぎると、浸炭処理鋼部材の表面に要求するレベルの硬度を付与することが出来なくなるからである。一方、当該炭素侵入量が過剰に高くなれば、過剰浸炭により結晶組織の結晶粒形状が変形して、浸炭処理鋼部材の表面が脆化して、剥離脱落等しやすくなるためである。
【0010】
このような観点から、浸炭処理速度が速く、生産効率に優れ、均質な浸炭層を得ることが可能な液体浸炭法を用いる場合において、鋼部材の表面組織に対する炭素浸炭量を制御できる方法が望まれてきた。
【0011】
以上のことから、本件発明は、液体浸炭法において、浸炭処理時間の短縮を図ることが可能であり、鋼部材の表面組織への炭素侵入量の制御を行うことの可能な浸炭処理方法の提供を目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0012】
そこで、本件発明者等は、鋭意研究を行った結果、アルコール溶液を用いた液体浸炭処理方法において、以下の方法を採用することで、上記目的を達成するに到った。
【0013】
鋼製ワークの浸炭処理方法: 本件出願に係る鋼製ワークの浸炭処理方法は、当該鋼製ワークを浸炭用溶液中に浸漬し、当該鋼製ワークを高周波誘導加熱し、当該鋼製ワークの表面の結晶組織に浸炭処理を行う浸炭処理方法において、当該浸炭用溶液が含有する浸炭成分濃度を変更することにより、当該鋼製ワークの表面に形成する浸炭層の表面炭素濃度を制御することを特徴とする。
【0014】
本件出願に係る鋼製ワークの浸炭処理方法は、高周波誘導加熱で当該鋼製ワークの浸炭対象表面を浸炭用溶液の沸点以上の温度に急速加熱し、浸炭用溶液の浸炭成分が熱分解して活性炭素を含む状態でガス化した浸炭用ガスが、薄い浸炭用ガス層となり当該鋼製ワークの表面を覆う状態とし、不活性ガスバブリングを用いて、当該浸炭用ガス層を破壊して、その浸炭用ガス層内の活性炭素濃度を変化させ、当該鋼製ワークの表面に形成する浸炭層の炭素侵入量の制御を行うことも好ましい。
【0015】
本件出願に係る鋼製ワークの浸炭処理方法は、前記浸炭用溶液中に浸漬した鋼製ワークの浸炭対象表面の面積1cmあたり、0.050L/分〜0.300L/分の流量の不活性ガスを衝突させ前記浸炭用ガス層を破壊して、浸炭用ガス層内の活性炭素濃度を安定化させることが好ましい。
【0016】
本件出願に係る鋼製ワークの浸炭処理方法は、前記鋼製ワークを高周波誘導加熱する間、鋼製ワークの近傍の浸炭用溶液を除き、浸炭用溶液の全体を15℃〜30℃に冷却することが好ましい。
【0017】
本件出願に係る鋼製ワークの浸炭処理方法は、前記浸炭用溶液は、濃度70質量%以上のメタノール溶液を用いることが好ましい。
【0018】
本件出願に係る鋼製ワークの浸炭処理方法は、前記高周波誘導加熱により鋼製ワークを加熱し、浸炭処理する際の当該鋼製ワーク表面の温度を930℃〜1040℃とすることが好ましい。
【0019】
本件出願に係る鋼製ワークの浸炭処理方法は、前記不活性ガスとして、窒素ガスを用いることが好ましい。
【0020】
浸炭処理装置: 本件出願に係る鋼製ワークの浸炭処理装置は、上述に記載の鋼製ワークの浸炭処理方法を行うための浸炭処理装置であり、浸炭用溶液が入る浸炭処理槽と、この浸炭処理槽内に配する、鋼製ワークの保持手段、鋼製ワークの周囲に配する高周波誘導加熱手段、浸炭用溶液攪拌手段、不活性ガスバブリング手段とを備え、不活性ガスバブリングを用いて、当該鋼製ワークの周囲を覆う浸炭用ガス層を破壊して、その層内に対する浸炭用ガスの供給を促進することで浸炭用ガス層内の活性炭素濃度を安定化させ、当該鋼製ワークの表面に形成する浸炭層の炭素侵入量の制御を行うことを特徴とするものである。
【0021】
本件出願に係る鋼製ワークの浸炭処理装置においては、前記不活性ガスバブリング手段のガス排出口を、前記鋼製ワークの保持手段で保持した鋼製ワークの下部に配して、当該ガス排出口より排出される不活性ガスバブルを、当該鋼製ワークの周囲を覆う浸炭用ガス層に衝突させるものとすることが好ましい。
【0022】
本件出願に係る鋼製ワークの浸炭処理装置においては、前記浸炭処理槽内に、鋼製ワークの近傍の浸炭用溶液を除き、浸炭用溶液の全体を冷却するための溶液冷却手段を設けることが好ましい。
【0023】
本件出願に係る鋼製ワークの浸炭処理装置においては、前記鋼製ワークの保持手段は、高周波誘導加熱して浸炭処理を行っている間、鋼製ワークを回転させ、鋼製ワークの周囲を覆う浸炭用ガス層と、前記不活性ガスバブリング手段のガス排出口より排出される不活性ガスバブルとが、均一に接触するようにすることが好ましい。
【発明の効果】
【0024】
本件発明に係る浸炭処理方法を採用することで、鋼製ワーク表面への炭素侵入量の制御が可能となる。しかも、浸炭処理時の鋼製ワークの加熱には、高周波誘導加熱を採用しているため、浸炭処理に要する時間の短縮化が図れる。従って、鋼製ワークの用途に応じ求められる適正な炭素侵入量を備える浸炭層を形成することが可能であるため、製品毎の要求に応じた表面改質が可能となる。しかも、本件発明に係る浸炭処理装置は、本件発明に係る浸炭処理方法を容易に実施できると共に、従来の設備を使用することが可能であり、新たな設備投資を招かないため、従前の設備の有効利用が可能である。
【図面の簡単な説明】
【0025】
【図1】本件発明に係る浸炭処理方法を説明するための浸炭処理装置概略図である。
【図2】窒素バブリングが炭素濃度プロフィールに及ぼす影響を示したグラフである。
【図3】液中浸炭とガス浸炭の炭素濃度プロフィールの比較を示したグラフである。
【図4】純メタノール中での浸炭持の時間に対する炭素侵入量の推移を示したグラフである。
【図5】メタノール(CHOH)濃度が炭素濃度プロフィールに及ぼす影響を示したグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0026】
以下、本件発明に係る鋼製ワークの浸炭処理方法及び浸炭処理装置の実施の形態について説明する。
【0027】
<鋼製ワークの浸炭処理方法>
本件出願に係る鋼製ワークの浸炭処理方法は、当該鋼製ワークを浸炭用溶液中に浸漬し、当該鋼製ワークを高周波誘導加熱し、当該鋼製ワークの表面の結晶組織に浸炭処理を行う浸炭処理方法である。そして、本件出願に係る鋼製ワークの浸炭処理方法は、当該鋼製ワークを浸炭用溶液中に浸漬し、当該鋼製ワークを高周波誘導加熱し、当該鋼製ワークの表面の結晶組織に浸炭処理を行う浸炭処理方法において、当該浸炭用溶液が含有する浸炭成分濃度を、濃度50質量%以上の範囲で変更することにより、当該鋼製ワークの表面に形成する浸炭層の表面炭素濃度を0.8mass%〜1.4mass%の範囲に制御することを特徴としている。ここで、「浸炭用溶液が含有する浸炭成分濃度を、濃度50質量%以上の範囲で変更」としているように、浸炭用溶液が含有する浸炭成分濃度が濃度50質量%未満であれば、濃度変更をしても、鋼製ワークの表面に形成する浸炭層の表面炭素濃度を大きく変化させることが出来ないからである。また、当該浸炭用溶液を用いると、結果として、鋼製ワークの表面に形成する浸炭層の表面炭素濃度は0.8mass%〜1.4mass%の範囲で制御することが出来る。
【0028】
最初に当該鋼製ワークを高周波誘導加熱法を用いて、当該鋼製ワークの浸炭対象表面を浸炭用溶液の沸点以上の温度に急速加熱する。すると、当該鋼製ワークの周囲にある浸炭用溶液が熱分解して、活性炭素を含む状態でガス化した浸炭用ガスとなり、薄い浸炭用ガス層となり当該鋼製ワークの外周を覆う状態となる。このときのガス化してCOガス、Hガスを含む浸炭用ガス中の活性炭素が、当該鋼製ワークの表面から結晶組織内に侵入し、結晶格子に歪みを与えることで、当該鋼製ワークの表面に炭化層を形成し、表面改質が行われる。
【0029】
このとき、浸炭用溶液が熱分解して、活性炭素を含む状態でガス化した浸炭用ガスが、当該鋼製ワークの周囲に浸炭用ガス層を形成する。この浸炭用ガス層の内部には、高周波誘導法での該鋼製ワークの加熱により、浸炭用溶液が熱分解してガス化した浸炭用ガスが、常時供給されていく。ところが、この該鋼製ワークの加熱温度に依存した浸炭用ガス供給では、該鋼製ワークでの沸騰現象により、その表面近傍で浸炭に寄与する活性炭素量が笛続ける傾向があるため、浸炭層の炭素侵入量が直ぐに飽和する傾向があり、当該炭素侵入量の制御を行うことが困難である。
【0030】
そこで、不活性ガスバブリングを用いて、当該浸炭用ガス層を破壊して、その層内における浸炭に寄与する活性炭素量の制御を行うことに想到した。このようにすることで、該鋼製ワークの周囲に周囲にある浸炭用ガス層内の活性炭素濃度を変化させることが可能となり、当該鋼製ワークの表面に形成する浸炭層の炭素侵入量の制御を行うことが可能となる。以下に、ここまで述べてきた鋼製ワークの浸炭処理方法において使用した用語に関して説明する。
【0031】
鋼製ワーク: この鋼製ワークの形状・サイズに関しては、特段の限定は無く、円筒形状、ロッド形状、角柱形状、直方体形状等の種々の形状の鋼製品を対象とすることが出来る。また、鋼製ワークの材質という観点からみても、特段の限定は無い。一般的に浸炭処理の施される鋼材であれば、どのような材質のものでも使用可能である。
【0032】
浸炭用溶液: ここで言う「浸炭用溶液」とは、鋼製ワークの炭素供給源となりうる溶液状態のものであれば、使用することが可能である。しかしながら、浸炭に寄与する活性炭素を効率よく発生させることの可能な有機溶剤を用いることが好ましい。中でも、鋼製ワーク表面への炭素侵入量の安定化を図ることの出来るとの観点からみれば、炭素供給源である浸炭用溶液の浸炭成分として、アルコール又はアルコール水溶液(以下、単に「アルコール系浸炭用溶液」と称する。)を用いることが好ましい。ここで、「アルコール水溶液」とは、アルコール成分と水との混合溶媒を意味する。このアルコール系浸炭用溶液を用いることで、浸炭成分として使用可能なアセトン、メチルエチルケトン等のその他の有機溶剤に比べて、浸炭の進行速度が過剰にならないため、鋼製ワーク表面への均一な浸単層の形成が可能で、その浸炭層の炭素侵入量及び浸炭深さの制御が容易になるからである。
【0033】
更に、ここで言う「アルコール」は、炭化水素基と水酸基とが結合した構造を備えるものであり、種々の種類が存在する。しかし、本件発明においては、鋼製ワークが極めて短時間の加熱を受けて加温されている間に、当該鋼製ワークの表面から、アルコール系浸炭用溶液中のアルコール成分に起因した活性炭素を侵入させなければならない。この観点から見れば、本件発明の浸炭処理に用いるアルコール系浸炭用溶液に含ませるアルコールは、粘性が低く、流動性に富み、且つ、沸点が比較的低い性質のものを選択的に用いることが好ましい。更に、この浸炭処理で炭素供給源として用いるアルコール成分の場合は、揮発性に優れすぎていても、炭素供給源としての安定性に欠けるため、好ましくない。
【0034】
以上のような要件を満たすアルコール成分として、メタノール(CH−OH)、エタノール(CH−CH−OH)又はプロパノール(CH−(CH−OH)の1種又は2種以上の混合溶媒として用いることが好ましい。しかしながら、メタノールを使用することが、より好ましい。メタノールは、市場において、安価で、且つ、入手が容易である。しかも、メタノールは、人体に与える影響も少ないため、作業者の身体に深刻な影響を与える薬品ではなく、廃棄の時の環境負荷も抑制できるためである。
【0035】
更に、本件発明のアルコール系浸炭用溶液として用いるメタノール溶液は、濃度50質量%以上のメタノール水溶液、より好ましくは濃度70質量%以上であればよい。当該メタノール溶液が濃度50質量%以上であれば、浸炭処理により鋼製ワークの表面に形成される浸炭層の炭素侵入量の制御が可能となるからである。当該メタノール溶液が濃度50質量%未満の場合には、浸炭に寄与する活性炭素の生成量が不足して、均一な浸炭層の形成が出来ず、浸炭層への炭素侵入量の制御が困難となるため好ましくない。
【0036】
ここで、メタノール溶液の濃度を変動させた場合のメタノール濃度と、鋼製ワークの表面に形成した浸炭層の表面炭素濃度との関係に関して述べておく。ここでは、鋼製ワークの加熱温度930℃、浸炭処理時間20分として、メタノール濃度を100質量%、70質量%、60質量%、50質量%の4種類を用いて浸炭処理を行った。その結果、メタノール濃度を100質量%とした場合の浸炭層の表面炭素濃度は1.30mass%、メタノール濃度を70質量%とした場合の浸炭層の表面炭素濃度は1.14mass%、メタノール濃度を60質量%とした場合の浸炭層の表面炭素濃度は0.95mass%、メタノール濃度を50質量%とした場合の浸炭層の表面炭素濃度は0.85mass%であった。なお、本件発明に係る浸炭処理法で、メタノール(CHOH)を用いる場合には、加熱された鋼製ワークの熱により気化したメタノールが熱分解され、生じた浸炭性ガスのCOと還元性ガスのHに変化し、このCOがFeと反応することにより浸炭反応(Fe+CO+H→Fe[C]+HO)が進行する。
【0037】
そして、本件発明のアルコール系浸炭用溶液に用いるメタノール溶液に、濃度70質量%以上のメタノール水溶液を用いれば、純メタノールを用いた場合と同等の品質の浸炭層を鋼製ワークの表面に形成することが出来る。即ち、濃度70質量%以上のメタノール水溶液を用いて、浸炭処理を行うに際の加熱時問及び加熱温度を一定の範囲に保つことで、形成される浸炭層の厚さ、及び、その浸炭層への炭素侵入量が、純メタノールを用いた場合と同レベルに制御することが可能となる。以下の説明においては、代表的にメタノールを用いて説明する。
【0038】
以上に述べてきた浸炭用溶液は、前記鋼製ワークを高周波誘導加熱する間、鋼製ワークの近傍の浸炭用溶液を除き、浸炭用溶液の全体を15℃〜30℃に冷却することが好ましい。ここで、「鋼製ワークの近傍の浸炭用溶液を除き、」としたのは、高温に加熱された鋼製ワークの表面には浸炭用ガス層が存在し、その周囲の浸炭用溶液も気化する温度に達しているためである。そして、熱の発生源となる鋼製ワークが、浸炭用溶液中に浸漬した状態で存在するため、浸炭処理を連続的に行えば、浸炭用溶液の全体的温度も上昇し、浸炭処理に変動をもたらす要因となる。また、浸炭処理の終了後に、浸炭処理した鋼製ワークを、浸炭用溶液中で溶液冷却して、焼入れ効果を得ようとしたときに、浸炭用溶液の全体的温度が上昇していると好ましくない。浸炭用溶液の全体温度を15℃未満としても、浸炭処理した鋼製ワークを、浸炭用溶液中で溶液冷却して得られる焼入れ効果は、飽和して向上しない。浸炭用溶液の全体温度が30℃を超えるようになると、1回の浸炭処理によって、浸炭用溶液の全体的温度の反動が大きくなり、浸炭処理の連続的操業が困難となり、浸炭処理した鋼製ワークを、浸炭用溶液中で溶液冷却して得られる焼入れ効果が得られなくなる。以上に述べてきた浸炭用溶液の適正な温度制御範囲は、鋼製ワークの体積をA(cm)としたとき、浸炭用溶液の量は10000A〜15000A(cm)を基準としている。
【0039】
高周波誘導加熱法: 本件発明に係る浸炭処理方法において、浸炭用溶液中に浸漬した鋼製ワークの浸炭を予定した部位の加熱には、所謂、高周波誘導加熱を採用する。高周波誘導加熱は、公知の急速加熱手段であり、浸炭処理を行う所望温度まで、鋼製ワークの表面を秒単位の短時間で昇温することが可能である。よって、単時間の内に、浸炭処理を行わせることが可能となる。しかし、鋼製ワークの表面を、単に所望温度まで短時間に昇温させたとしても、鋼製ワークの表面に形成する浸炭層の炭素侵入量を十分なレベルと出来ず、後に焼入れ処理をしても、十分な硬度を備える浸炭層を形成し得ない。
【0040】
本件出願に係る鋼製ワークの浸炭処理方法において、前記高周波誘導加熱により鋼製ワークの浸炭箇所を加熱し、浸炭処理する際の当該鋼製ワーク表面の温度は、930℃〜1150℃とすることが好ましい。当該鋼製ワークの表面の加熱温度が930℃未満であれば、浸炭現象が起こりにくく、浸炭処理時間の短縮を図ることが困難となる。また、当該鋼製ワークの表面の加熱温度が1150℃を超えると、鋼製ワークの母材組織のオーステナイト結晶粒の粗大化を防止することが困難となる。
【0041】
よって、この鋼製ワークの表面を高周波誘導加熱法で加熱するときの加熱時間に関しては、浸炭処理の途中で起こる挙動及び加熱による母材材質の変化等を考慮して、以下のように考えるべきである。即ち、十分な炭素侵入量の浸炭層を備える鋼製ワークを得るためには、鋼製ワークの表面が浸炭用溶液(例えば、メタノール、エタノール等)の沸点以上の温度に昇温し、この昇温した表面に接触しているアルコールが熱分解して活性炭素を生じ、この活性炭素が昇温した鋼製ワークの表層に十分浸透拡散し得るだけの時間が必要である。一方で、鋼製ワークの浸炭層の炭素侵入量が過剰になると、当該鋼製ワークの表面が硬化し過ぎて、脆い浸炭層となり、この浸炭層を備える面を摩擦摺動面として用いると、浸炭層が剥離して、脱落しやすくなるため好ましくない。更に、鋼製ワークを長時間加熱すると、オーステナイト結晶粒の粗大化が引き起こされるため、鋼製ワークの母材の物性変化を引き起こし、表面における肌荒れの発生を誘発する場合があることを考慮する必要がある。
【0042】
そこで、本件発明に係る浸炭処理方法のように、高周波誘導加熱法を採用すれば、鋼製ワークの表面を高周波誘導加熱するための加熱コイルの電源出力の制御が可能であり、昇温速度、加熱時間、加熱温度等の諸条件を任意に調節することが容易であり、上述の考慮すべき要点を全て解決できる。よって、昇温速度、加熱時間、加熱温度等の高周波誘導加熱の諸条件は、製品に求められる仕様(浸炭層の硬度、浸炭深さ、浸炭層への炭素侵入量、浸炭材としての物性等)を考慮して、任意に設定可能であり、特段の限定は無い。一例を挙げれば、本件発明においては、後述する不活性ガスバブリングによる浸炭用ガス層への活性炭素供給が活発であるため、鋼製ワークの表面を加熱する時問として、60秒以内の時間を採用しても、実用上、十分な品質を備える浸炭層を形成することが可能であり、単時間での浸炭処理を行うことも可能である。また、鋼製ワークの表面に浸炭深さが50μm〜60μmの浸炭層を形成する場合には、1100℃以上の加熱温度、加熱時間40秒以内であれば、本件発明においては、後述する不活性ガスバブリングによる鋼材ワークへの強制冷却効果が働くため、鋼製ワークの母材組織のオーステナイト結晶粒の粗大化を防止することができる。
【0043】
不活性ガスバブリング: 本件発明に係る鋼製ワークの浸炭処理方法において、不活性ガスバブリングを行うことが必須である。この不活性ガスバブリングは、当該鋼製ワークの周囲に形成している浸炭用ガス層を破壊し、この浸炭用ガス層内の活性炭素濃度を変化させるために用いる。また、この不活性ガスバブリングを用いることで、浸炭用溶液として用いるアルコール等の有機溶媒が分解して生じる水素と酸素とが混合することにより発生する可能性のある水素爆発を未然に防止する効果も得られる。
【0044】
この不活性ガスバブリングを用いることで、一定の浸炭処理条件の下で、浸炭層の炭素侵入量を調整することができ、当該鋼製ワークの表面に形成する浸炭層の炭素侵入量の制御を行うことが可能となる。ここで用いる不活性ガスとしては、窒素ガス、アルゴンガス、ヘリウムガスのいずれかを用いることが好ましい。他の成分との反応性に乏しく、浸炭用溶液の変質を招かず、浸炭用ガス層を効率的に破壊出来るからである。
【0045】
上述の不活性ガスの中でも、窒素ガスは、アルゴン等の他の希ガスに比べると安価であり、窒化処理コストの増加を抑制出来る。また、本件発明に係る浸炭処理方法において、不活性ガスとして窒素を用いると、前記窒化用ガス層の中に、炭素と窒素とを共存させることが可能で、これらを鋼材ワークの表面に拡散浸透させると、浸炭窒化層を形成することもでき、耐疲労強度特性、焼入れ特性等を、より向上させることが可能となる。
【0046】
そして、本件出願に係る鋼製ワークの浸炭処理方法において、前記浸炭用溶液中に浸漬した鋼製ワークの浸炭対象表面の面積1cmあたり、0.050L/分〜0.300L/分の流量(以下、「不活性ガス流量」と称する。)の不活性ガスを衝突させ前記浸炭用ガス層を破壊して、浸炭用ガス層内の活性炭素を変化させることが好ましい。当該不活性ガス流量が0.050L/分未満の場合には、当該鋼製ワークの周囲に形成している浸炭用ガス層の破壊が困難となり、浸炭用ガス層内の活性炭素濃度を変化させることが出来なくなり、浸炭層中の炭素侵入量の制御が困難となる。一方、当該不活性ガス流量が0.300L/分を超える場合には、当該鋼製ワークの周囲に形成している浸炭用ガス層の過剰な破壊が起こり、浸炭用ガス層内の活性炭素濃度が低下しすぎて、むしろ良好な浸炭処理が行えなくなるため好ましくない。
【0047】
<浸炭処理装置の形態>
本件出願に係る鋼製ワークの浸炭処理装置は、上述に記載の鋼製ワークの浸炭処理方法を実施するためのものである。この浸炭処理装置1の概念図を示したのが図1である。従って、この浸炭処理装置1は、「浸炭用溶液Sが入る浸炭処理槽2」と、この浸炭処理槽2の内部に収容する状態で配する、「鋼製ワークの保持手段3」、「鋼製ワークの周囲に配する高周波誘導加熱手段4」、「浸炭用溶液攪拌手段5」、「不活性ガスバブリング手段6」とを、必須の構成要素として備えている。
【0048】
本件出願に係る鋼製ワークの浸炭処理装置は、前記不活性ガスバブリング手段6のガス排出口7より排出される不活性ガスバブル20を、当該鋼製ワーク10の周囲を覆う浸炭用ガス層に衝突させるようにレイアウトする。従って、本件出願に係る鋼製ワークの浸炭処理装置が、上述のような構成要素を備えていれば、前記不活性ガスバブリング手段6のガス排出口7を、前記鋼製ワークの保持手段3で保持した鋼製ワーク10の下部に配して、当該ガス排出口7より排出される不活性ガスバブル20を、当該鋼製ワーク10の周囲を覆う浸炭用ガス層に衝突させるものとすることが、最も簡便なレイアウトであると言える。
【0049】
そして、本件出願に係る鋼製ワークの浸炭処理装置1においては、前記浸炭処理槽2の内部に、鋼製ワークの近傍の浸炭用溶液を除き、浸炭用溶液Sの全体を冷却するための溶液冷却手段30を設けることが好ましい。図1には、この溶液冷却手段30として、浸炭用溶液の中に冷却体31を浸漬するように示しているが、浸炭用溶液Sを循環させてクーリングタワーで冷却して、浸炭処理槽2に戻す方法等の採用が可能である。
【0050】
そして、図1に示すように、本件出願に係る鋼製ワークの浸炭処理装置1においては、前記鋼製ワークの保持手段は、高周波誘導加熱して浸炭処理を行っている間、鋼製ワーク10を、矢印Rで示すように回転させることも好ましい。鋼製ワーク10の周囲を覆う浸炭用ガス層と、前記不活性ガスバブリング手段6のガス排出口7より排出される不活性ガスバブルとが、均一に接触するように出来るからである。
【実施例】
【0051】
本件発明者は本件発明の効果を実証するための試験をいくつか行った。なお、本件発明の効果を確認した実施例について、図1の浸炭処理装置を参照して、以下に説明するが、本件発明はこれに限定されるものではない。
【0052】
この実施例では、図1に示す構成の浸炭処理装置1を用いた。この浸炭処理装置1は、「125.8Lの浸炭用溶液が入る浸炭処理槽2」、「鋼製ワークの保持手段3」、「コイル状に巻回した内径1.9mmの高周波誘導加熱手段4(以下、「高周波誘導コイル4」と称する。)」、「浸炭用溶液攪拌手段5としてモータMで回転する攪拌翼15」、「不活性ガスバブリング手段6」、とを備えている。そして、このときの炭素供給源である浸炭用溶液Sには、メタノール又はメタノール水溶液を用いた。
【0053】
そして、試料としては、クロムモリブデン鋼製(SCM420)で、直径10mm、長さ80mmの円柱状のものを用いた。浸炭処理層2内で、浸炭用溶液Sに浸漬した状態で、当該試料10を高周波誘導コイル4の内部に挿入した状態で、浸炭用溶液攪拌手段5である2つの撹拌翼15と、試料10との、それぞれモータMで回転させ、浸炭用溶液Sを撹拌しながら、当該高周波誘導コイル4に通電して、試料10を高周波誘導法で加熱して、浸炭処理を行った。また、この実施例では、浸炭用溶液Sの温度測定は、当該高周波誘導コイル4の横に熱電対を固定して行った。また、試料10の温度測定は、当該試料10に温度測定用の穴を設けて、当該穴内部に熱電対を挿入配置して測定した。そして、これら熱電対50に接続したデータロガーで取得したデータを、コンピュータに送信して、データ解析を行った。
【0054】
<不活性ガスバブリングが浸炭層の炭素侵入量に及ぼす影響>
ここでは、実施試料を用いて、浸炭処理中での不活性ガスバブリングの必要性に関して述べる。この実施例では、不活性ガス(N)を、試料の下方よりバブリングして浸炭処理を行っている。そして、不活性ガスバブリング無しで浸炭処理した場合とを比較した。不活性ガスバブリングを行う場合の不活性ガス流量は、5L/min(試料の浸炭対象表面の面積1cmあたり0.099L/分に相当)と10L/min(試料の浸炭対象表面の面積1cmあたり0.200L/分に相当)の2条件の流量を採用した。このときの不活性ガスバブリングは、図1に示すように、ボンベ内に圧縮して収容した不活性ガス(N)を、試料10の下方に配置した不活性ガスバブリング手段6のガス排出口7より不活性ガスバブル20として排出し、この不活性ガスバブル20を試料10に衝突させた。この不活性ガスバブリングの影響を調べるための浸炭処理においては、炭素供給源として濃度が80質量%のメタノール水溶液を用い、処理温度1030℃で20分間浸炭処理を行った。
【0055】
図2に、不活性ガスバブリングの有無が、浸炭層の深さ方向の炭素濃度プロフィールに及ぼす影響を示した。この図2より、不活性ガスバブリングが無い場合には、不活性ガスバブリングを行った場合に比べて、試料表面に形成した浸炭層中の炭素濃度が高くなっており、浸炭層の侵入炭素量が多いことが分かる。即ち、不活性ガスバブリングを行うと、試料周囲にある浸炭用ガス層を破壊し、この浸炭用ガス層内の活性炭素濃度を低下させるため、試料表面に形成した浸炭層中の炭素濃度が低くなり、浸炭層の侵入炭素量が少なくなってきていると考えられる。
【0056】
このように本件出願に係る浸炭処理方法は、不活性ガスバブリングを用いることで、鋼材ワークの表面に形成した浸炭層の侵入炭素量を制御できる。よって、この浸炭処理方法を実施する浸炭処理装置を連続生産ラインの中に組み込めば、同一のラインの中で、不活性ガスバブリングのON・OFF操作、不活性ガスバブリング量の変化を行うのみで、炭素侵入量の異なる浸炭層を備える製品の製造が可能となる。
【0057】
<実施例で得られた浸炭層の深さ方向の炭素濃度プロフィール>
本件発明に係る浸炭処理方法を適用した実施試料は、純メタノール中にワークを浸漬し、処理温度を1030℃、処理時間を21分間として浸炭処理を行った。そして、従来のガス浸炭処理を行った時の浸炭深さに関する炭素濃度分布のシミュレーション結果との比較を行った。なお、ガス浸炭処理においては、ガス浸炭の処理温度を、通常行われる930℃と、実施試料と同じ条件の1030℃とのシミュレーション結果を用いた。ここで、ガス浸炭処理における浸炭層の深さ方向の炭素濃度プロフィールのシミュレーションは、解析ソフトウェアを用いて算出したものである。なお、この解析ソフトウェアは、Fickの第二法則から拡散方程式を求め、各温度における拡散係数を代入することによって計算を行った。なお、拡散係数は、「日本金属学会誌,50,982(1986)」に記載の値を用いた。
【0058】
図3は、実施試料と、ガス浸炭との、深さ方向の炭素濃度プロフィールの比較を示したグラフである。図3には、この実施試料の炭素濃度分布と、1030℃、930℃の温度でガス浸炭したときの炭素濃度分布のシミュレーション結果とを併せて示している。この図3から理解できるように、実施例の炭素濃度プロフィールは、ガス浸炭を行った場合のシュミレーション結果(処理温度:1030℃)とほぼ同等の結果が得られている。
【0059】
このことから、本件発明に係る浸炭処理方法を採用すれば、鋼材表面へ形成する浸炭層への炭素浸入量を、ガス浸炭と同様のレベルに制御することが出来ることが理解できる。一般的に、液体浸炭法による浸炭処理は、ガス浸炭法と比較して、浸炭層中の炭素侵入量が少なくなる傾向にあるが、本件発明に係る浸炭処理方法を採用することで、炭素侵入量に関してもガス浸炭処理法とほぼ同等レベルまで向上させられることが理解できる。
【0060】
<実施例で得られた浸炭層の表面炭素濃度>
上述のことから、本件発明に係る浸炭処理方法を採用すれば、ガス浸炭処理法を用いた場合と、浸炭層の深さ方向において、同等レベルの炭素濃度分布を得ることが出来ることが分かる。そこで、以下に本件発明の浸炭処理法を用いた場合における表面炭素濃度の飽和に要する時間について、浸炭処理時間に対する炭素侵入量の変化より確認する。
【0061】
図4は、本件発明に係る浸炭処理方法を用いて、浸炭処理液としての純メタノール中に試料を浸漬して、試料の処理温度930℃と1030℃との2種類の条件で、浸炭処理したときの浸炭処理時間に対する炭素侵入量の推移を示したグラフである。この図4に示す炭素侵入量の推移は、浸炭処理時間の経過に伴う試料表面の炭素濃度の変化であり、試料表面の炭素濃度は、EPMA(Electron Probe MicroAnalyser)分析により測定した。
【0062】
図4より、処理温度が1030℃での浸炭処理は、処理時間が1分における試料表面の炭素濃度が1.34mass%を示し、その後も試料表面の炭素濃度に大きな変化が見られなかった。このことから、処理温度が1030℃での浸炭処理は、処理時間が1分でも既に炭素侵入量が飽和していると理解できる。これに対し、処理時間が930℃での浸炭処理は、処理時間が1分から3分にかけて表面炭素濃度が上昇しており、処理時間が3分以降より試料表面の炭素濃度に大きな変化が見られなくなっている。よって、処理温度が930℃の場合の浸炭処理は、処理時間が3分までは炭素侵入量が飽和しないと考えることができる。また、処理温度が1030℃と処理温度が930℃とを対比すれば、処理温度が930℃の場合に処理時間を長くしたとしても、処理温度が1030℃での浸炭処理に比べて、形成する浸炭層内に対する高い炭素侵入量が得られないことが分かる。
【0063】
以上のことを纏めると、「炭素侵入量が飽和するまでに要する時間は、浸炭処理する際に加熱した試料の処理温度の影響を受けることが明確であり、この処理温度が高い方が、浸炭に要する処理時間を短縮化できる。」、「本件発明に係る浸炭処理方法を採用した場合、処理温度が高いほど、浸炭層に対する炭素侵入量が増加させることができる傾向があり、処理温度を変化させることで浸炭層中の炭素侵入量の制御が可能となる。」という事が言える。
【0064】
<浸炭処理液濃度が浸炭層の炭素侵入量に与える影響>
ここでは、浸炭用溶液として、「メタノール濃度が100質量%の純メタノール」、「濃度70質量%のメタノール水溶液」、「濃度50質量%のメタノール水溶液」を用いた場合の、実施試料の表面から深さ方向の炭素濃度プロフィールを対比してみる。このときの浸炭を行う際の処理温度は、930℃とし、浸炭処理の処理時間は20分を採用した。その結果を図5に示す。
【0065】
この図5からは、メタノール(CHOH)濃度が、浸炭層の深さ方向の炭素濃度プロフィールに及ぼす影響を理解することが出来る。図5において、浸炭用溶液として「メタノール濃度が100質量%の純メタノール」及び「濃度70質量%のメタノール水溶液」を用いた場合の、浸炭層の深さ方向の炭素濃度プロフィールには、殆ど差異が生じない事が理解できる。ところが、浸炭用溶液として「濃度50質量%のメタノール水溶液」を用いた場合には、「メタノール濃度が100質量%の純メタノール」及び「濃度70質量%のメタノール水溶液」を用いた場合に比べ、各測定面における炭素濃度が低くなっており、浸炭層に対する侵入炭素濃度が低くなることが理解できる。しかも、浸炭用溶液として「濃度50質量%のメタノール水溶液」を用いた場合には、「メタノール濃度が100質量%の純メタノール」及び「濃度70質量%のメタノール水溶液」を用いた場合に比べ、炭素の侵入距離が短く、浸炭時間が同じである限り、浸炭層の厚さも薄いと考えられる。
【0066】
以上のことから、本件発明に係る浸炭処理方法において、浸炭用溶液は炭素供給源となる成分を高濃度に含有していることが、浸炭層内の侵入炭素量を増加させるためには好ましい。そして、この炭素供給源としてメタノールを用いる場合には、濃度70質量%以上の高濃度でメタノールを含んだメタノール水溶液を用いれば、純メタノールを用いる場合と同等の浸炭効果を得ることが可能であると理解できる。そして、一見すれば、浸炭用溶液として「濃度50質量%のメタノール水溶液」は、浸炭層への炭素侵入量が少なく、飽和炭素量に到ることが出来ないように思えるが、製品の要求品質によっては、十分な強度の浸炭層となる場合がある。即ち、浸炭溶液は炭素供給源となる成分濃度を適宜調節することにより、鋼材の表面に形成する浸炭層中への侵入炭素量を調整できると解釈することが出来る。
【0067】
<総合的見解>
以上のことから理解できるように、本件発明に係る浸炭処理方法における、不活性ガスバブリングは、鋼製ワークに形成する浸炭層中の侵入炭素量を制御することが出来る。そして、不活性ガスバブリングと組みあわせて、「浸炭用溶液の濃度」、「浸炭処理に用いる鋼製ワークの加熱温度」、「浸炭処理時間」を適宜調整することで、目的とする品質に合わせた炭素侵入量を備える浸炭層を備える鋼材ワークの提供が可能となる。
【産業上の利用可能性】
【0068】
本件発明に係る浸炭処理方法は、不活性ガスバブリングの採用を前提として、鋼製ワークの表面に形成する浸炭層の炭素侵入量の制御を容易に行える。よって、製品としての要求品質に応じ、浸炭層の含有する炭素量を任意に変更した表面改質鋼材の提供が可能となる。このような表面改質鋼材は、靭性を良好な状態に維持しながらも耐磨耗性や耐疲労特性を向上させた優れた性質を有するようになり、切削工具や機械部品等様々な用途に好適に用いることが出来る。また、本件出願に係る浸炭処理装置は、従来の設備の使用が可能で、新たな設備投資を招かないため、有効に既存の社会資本の活用ができる。
【符号の説明】
【0069】
1 浸炭処理装置
2 浸炭処理槽
3 保持手段
4 高周波誘導加熱手段
5 浸炭用溶液攪拌手段
6 不活性ガスバブリング手段
7 ガス排出口
10 鋼製ワーク(試料)
15 攪拌翼
20 不活性ガスバブル
30 溶液冷却手段
31 冷却体
50 熱電対
S 浸炭用溶液
M モータ

【特許請求の範囲】
【請求項1】
鋼製ワークを浸炭用溶液中に浸漬し、当該鋼製ワークを高周波誘導加熱し、当該鋼製ワークの表面の結晶組織に浸炭処理を行う浸炭処理方法において、
当該浸炭用溶液が含有する浸炭成分濃度を変更することにより、当該鋼製ワークの表面に形成する浸炭層の表面炭素濃度を制御することを特徴とする鋼製ワークの浸炭処理方法。
【請求項2】
高周波誘導加熱で当該鋼製ワークの浸炭対象表面を浸炭用溶液の沸点以上の温度に急速加熱し、浸炭用溶液の浸炭成分が熱分解して活性炭素を含む状態でガス化した浸炭用ガスが、薄い浸炭用ガス層となり当該鋼製ワークの表面を覆う状態とし、
不活性ガスバブリングを用いて、当該浸炭用ガス層を破壊して、その浸炭用ガス層内の活性炭素濃度を変化させ、当該鋼製ワークの表面に形成する浸炭層の炭素侵入量の制御を行うことを特徴とする請求項1に記載の鋼製ワークの浸炭処理方法。
【請求項3】
前記浸炭用溶液中に浸漬した鋼製ワークの浸炭対象表面の面積1cmあたり、0.050L/分〜0.300L/分の流量の不活性ガスを衝突させ前記浸炭用ガス層を破壊して、浸炭用ガス層内の活性炭素濃度を安定化させる請求項2に記載の鋼製ワークの浸炭処理方法。
【請求項4】
前記鋼製ワークを高周波誘導加熱する間、鋼製ワークの近傍の浸炭用溶液を除き、浸炭用溶液の全体を15℃〜30℃に冷却する請求項1〜請求項3のいずれかに記載の鋼製ワークの浸炭処理方法。
【請求項5】
前記浸炭用溶液は、濃度70質量%以上のメタノール溶液を用いる請求項1〜請求項4のいずれかに記載の鋼製ワークの浸炭処理方法。
【請求項6】
前記高周波誘導加熱により鋼製ワークを加熱し、浸炭処理する際の当該鋼製ワーク表面の温度は、930℃〜1040℃とする請求項1〜請求項5のいずれかに記載の鋼製ワークの浸炭処理方法。
【請求項7】
前記不活性ガスとして、窒素ガスを用いる請求項1〜請求項6のいずれかに記載の鋼製ワークの浸炭処理方法。
【請求項8】
請求項1〜請求項7のいずれかに記載の鋼製ワークの浸炭処理方法を行うための浸炭処理装置であり、
浸炭用溶液が入る浸炭処理槽と、
この浸炭処理槽内に配する、鋼製ワークの保持手段、鋼製ワークの周囲に配する高周波誘導加熱手段、浸炭用溶液攪拌手段、不活性ガスバブリング手段とを備え、
不活性ガスバブリングを用いて、当該鋼製ワークの周囲を覆う浸炭用ガス層を破壊して、その層内に対する浸炭用ガスの供給を促進することで浸炭用ガス層内の活性炭素濃度を安定化させ、当該鋼製ワークの表面に形成する浸炭層の炭素侵入量の制御を行うことを特徴とする鋼製ワークの浸炭処理装置。
【請求項9】
前記不活性ガスバブリング手段のガス排出口を、前記鋼製ワークの保持手段で保持した鋼製ワークの下部に配して、当該ガス排出口より排出される不活性ガスバブルを、当該鋼製ワークの周囲を覆う浸炭用ガス層に衝突させるものとした請求項8に記載の鋼製ワークの浸炭処理装置。
【請求項10】
前記浸炭処理槽内に、鋼製ワークの近傍の浸炭用溶液を除き、浸炭用溶液の全体を冷却するための溶液冷却手段を設けた請求項8又は請求項9に記載の鋼製ワークの浸炭処理装置。
【請求項11】
前記鋼製ワークの保持手段は、高周波誘導加熱して浸炭処理を行っている間、鋼製ワークを回転させ、鋼製ワークの周囲を覆う浸炭用ガス層と、前記不活性ガスバブリング手段のガス排出口より排出される不活性ガスバブルとが、均一に接触するようにした請求項8〜請求項10のいずれかに記載の鋼製ワークの浸炭処理装置。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【公開番号】特開2013−112877(P2013−112877A)
【公開日】平成25年6月10日(2013.6.10)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−262203(P2011−262203)
【出願日】平成23年11月30日(2011.11.30)
【出願人】(390029089)高周波熱錬株式会社 (288)
【Fターム(参考)】