説明

炭素繊維前駆体アクリル繊維束およびその製造方法

【課題】耐炎化工程における単繊維間の融着を抑制でき、かつシリコーン由来の紡糸工程、焼成工程でのスケールの堆積を抑制し、工程通過性を改善することができる炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造方法を提供する。
【解決手段】アクリル繊維束を、油剤成分が水に分散している油剤処理液に接触させる工程と、その後、前記アクリル繊維束を乾燥緻密化する工程とを有する炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造方法であって、
アクリル繊維束に前記油剤処理液を接触させてから乾燥するまでの時間が5〜60秒である炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造方法により、炭素繊維前駆体アクリル繊維束を製造する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、炭素繊維束の製造過程において、炭素繊維前駆体アクリル繊維束(以下、単に前駆体繊維束とも表記する)を耐炎化繊維束に転換する耐炎化工程で、単繊維間に融着が発生することを防止する目的で用いられる炭素繊維前駆体アクリル繊維用油剤(以下、単に油剤とも表記する)を繊維表面に均一に付与する工程を有する炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造方法に関する。加えて、本発明の製造方法により、繊維表面に均一に油剤が付与され、それを焼成した際に高品位な均質である炭素繊維束を得ることができる炭素繊維前駆体アクリル繊維束に関する。
【背景技術】
【0002】
従来、炭素繊維束の製造方法として、アクリル繊維束を200〜400℃の酸素存在雰囲気下で加熱処理することにより耐炎化繊維束に転換し、引き続いて1000℃以上の不活性雰囲気下で炭素化して炭素繊維束を得る方法が知られている。この方法で得られた炭素繊維束は、優れた機械的物性により、特に複合材料用の強化繊維として工業的に広く利用されている。
【0003】
しかし、炭素繊維束の製造方法において、前駆体繊維束を耐炎化繊維束に転換する耐炎化工程で、単繊維間に融着が発生し、耐炎化工程およびそれに続く炭素化工程(以下、耐炎化工程と炭素化工程を総合して焼成工程とも表記する)において、毛羽や束切れといった工程障害が発生する場合がある。この融着を回避するためには、アクリル繊維束に付着させる油剤の選択が重要であることが知られており、多くの油剤組成物が検討されてきた。
【0004】
その中で、耐炎化工程における融着を防止する効果が良好であるシリコーンを含有するシリコーン系油剤が最も一般的に用いられている。しかしながら、シリコーン系油剤は、加熱により架橋反応が進行して高粘度化し、その粘着物が前駆体繊維束の製造工程や、耐炎化工程の繊維搬送ローラーやガイドなどの表面に堆積して、繊維束が巻き付いたり引っかかったりして断糸するなどの操業性低下を引き起こす原因になることがある。また、シリコーンを含有する油剤組成物は、焼成工程において、酸化ケイ素や炭化ケイ素、窒化ケイ素などのケイ素化合物を生成し、これらのスケールが工程安定性、製品の品質を低下させるという問題を有している。
【0005】
このため、前駆体繊維束に付与する油剤のシリコーン化合物、ひいてはケイ素含有量を低減する油剤技術がいくつか提案されている。例えば、多環芳香族化合物からなる乳化剤を40〜100wt%含有させ、シリコーン含有量を低減させた油剤組成物(特許文献1参照)が提案されている。しかしながら、シリコーン含有量を低減した油剤組成物を付与した前駆体繊維束の集束性は悪く、高い生産効率で製造するには適していない上、機械的物性に優れた炭素繊維束が得られないという問題があった。
【0006】
また、均一付着を目的として、油剤を繊維束に付与するための装置がいくつか提案されている。例えば、油剤付与ノズル(特許文献2参照)、油剤付与ガイド(特許文献3参照)、油剤付与ローラー(特許文献4参照)などが提案されている。しかし、これらの装置は繊維束中に油剤処理液を行き渡らせる思想に基づいたもので、油剤成分を繊維束中の単繊維表面に斑なく付与するには至らないため、油剤付着量を必要最低限に抑えることはできず、上述した焼成工程における操業性の低下を解決できるものではなかった。
【0007】
さらに、油剤を付与乾燥後の前駆体繊維束を界面活性剤が含有する洗浄液に通すことで、付与した油剤の一部を除去する方法(特許文献5参照)が提案されている。しかし、この方法では、乾燥定着した余分な油剤成分のみを除去することはできず、全体的に油剤付与量が低下するのみで、均一な油剤付与状態の前駆体繊維束を得ることはできなかった。
【特許文献1】特開2005−264384号公報
【特許文献2】特開平10−280224号公報
【特許文献3】特開2004−300582号公報
【特許文献4】特開2001−98410号公報
【特許文献5】特開2007−113141号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
以上のように従来技術によるシリコーン含有量を低減した油剤組成物、あるいは装置や前駆体繊維束の製造方法では、単繊維視点での均一な油剤付与はできず、工程安定性、炭素繊維束の機械的物性の発現において、その両者を満足できるものを得ることはできない。
【0009】
つまり、得られる炭素繊維の機械的物性を低下させず、シリコーンを主成分とした油剤組成物に端を発する焼成工程でのケイ素化合物生成による操業性低下の問題を解決するためには、油剤を前駆体繊維束に、均一に必要最低限付与する技術が必要不可欠である。
【0010】
本発明の目的は、耐炎化工程における単繊維間の融着を抑制でき、かつシリコーン由来の紡糸工程、焼成工程でのスケールの堆積を抑制し、工程通過性を改善することができる炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造方法を提供することを目的とする。また、該製造方法によって製造した、均一に油剤が付着した高生産性、高品質炭素繊維用の前駆体繊維束を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0011】
本発明は上記の問題を解決する手段として、次のような手法により、前駆体繊維束に均一に油剤成分を付与することにより、余分な油剤成分が低減されることによって、紡糸工程、焼成工程の工程通過性を向上し、かつ斑の低い高品質な炭素繊維を得ることができる炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造方法、並びにその製造方法により得られた高生産性、高品質炭素繊維製造用の前駆体繊維束を提供するものである。
【0012】
本発明の炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造方法は、アクリル繊維束を、油剤成分が水に分散している油剤処理液に接触させる工程と、
その後、前記アクリル繊維束を乾燥緻密化する工程と
を有する炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造方法であって、
アクリル繊維束に前記油剤処理液を接触させてから乾燥するまでの時間が5〜60秒である炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造方法である。
【0013】
前記油剤処理液において、平均粒子径0.01μm以上0.5μm以下のミセルが形成されていることが好ましい。
【0014】
本発明の炭素繊維前駆体アクリル繊維束は、上述の製造方法により製造された前駆体繊維束である。
【発明の効果】
【0015】
本発明によれば、シリコーン系油剤を前駆体繊維束に均一に付与できるため、耐炎化工程での単繊維間融着を抑制でき、高品質かつ高性能な炭素繊維を製造することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0016】
本発明者は、生産性に優れた高品位な炭素繊維製造用の前駆体繊維束、およびその製造方法を鋭意探索した結果、油剤成分と繊維の相互作用を利用することにより、必要十分な量のシリコーン系油剤を、均一に前駆体繊維束に付与できることを見出すに至った。すなわち、本発明の炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造方法は、焼成工程の操業性と得られる炭素繊維の品質を同時に向上することを可能にしたものである。
【0017】
本発明では、まず、アクリル繊維束を、油剤成分が水に分散している油剤処理液に接触させる。アクリル繊維束としては、公知技術により紡糸されたアクリル繊維束を用いることができる。水膨潤状態のアクリル繊維束が好ましい。
【0018】
より好ましいアクリル繊維束の例として、アクリロニトリル系重合体を紡糸して得られるアクリル繊維束が挙げられる。
【0019】
アクリロニトリル系重合体は、アクリロニトリルを主な単量体とし、これを重合して得られる重合体である。アクリロニトリル系重合体は、アクリロニトリルのみから得られるホモポリマーだけでなく、主成分であるアクリロニトリルに加えて他の単量体をも用いることで得られるアクリロニトリル系共重合体であっても差し支えない。
【0020】
アクリロニトリル系共重合体におけるアクリロニトリル単位の含有量は、96.0〜98.5wt%であることが、焼成工程での繊維の熱融着防止、共重合体の耐熱性、紡糸原液の安定性および炭素繊維にした時の品質の観点でより好ましい。アクリロニトリル単位が96wt%以上の場合は、炭素繊維に転換する際の焼成工程で繊維の熱融着を招くことなく、炭素繊維の優れた品質および性能を維持できるので好ましい。また、共重合体自体の耐熱性が低くなることもなく、前駆体繊維を紡糸する際、繊維の乾燥あるいは加熱ローラーや加圧水蒸気による延伸のような工程において、単繊維間の接着を回避できる。一方、アクリロニトリル単位が98.5wt%以下の場合には、溶剤への溶解性が低下することもなく、紡糸原液の安定性を維持できると共に共重合体の析出凝固性が高くならず、前駆体繊維の安定した製造が可能となるので好ましい。
【0021】
共重合体を得る際に用いるアクリロニトリル以外の単量体としては、アクリロニトリルと共重合可能なビニル系単量体から適宣選択することができ、耐炎化反応を促進する作用を有するアクリル酸、メタクリル酸、イタコン酸、または、これらのアルカリ金属塩もしくはアンモニウム塩、アクリルアミド等の単量体から選択すると、耐炎化を促進できるので好ましい。アクリロニトリルと共重合可能なビニル系単量体としては、アクリル酸、メタクリル酸、イタコン酸等のカルボキシル基含有ビニル系単量体がより好ましい。アクリロニトリル系共重合体における他の単量体単位の含有量は0.5〜2.0wt%が好ましい。用いる他の単量体は、1種でも2種以上でもよい。
【0022】
アクリロニトリル系重合体の紡糸の際には、アクリロニトリル系重合体を、溶剤に溶解し紡糸原液とする。このときの溶剤には、ジメチルアセトアミド、ジメチルスルホキシド、ジメチルホルムアミド等の有機溶剤、または塩化亜鉛やチオシアン酸ナトリウム等の無機化合物水溶液等、公知のものから適宜選択して使用することができる。生産性向上の観点から、凝固速度が早いジメチルアセトアミド、ジメチルスルホキシドまたはジメチルホルムアミドが好ましく、ジメチルアセトアミドがより好ましい。
【0023】
またこの際、緻密な凝固糸を得るためには、紡糸原液の重合体濃度がある程度以上になるように紡糸原液を調製することが好ましい。具体的には、紡糸原液中のアクリロニトリル系重合体の濃度が、好ましくは17wt%以上、より好ましくは19wt%以上である。さらに、紡糸原液は適正な粘度・流動性を必要とし、アクリロニトリル系重合体の濃度は25wt%を超えない範囲が好ましい。
【0024】
紡糸方法は、上記の紡糸原液を直接凝固浴中に紡出する湿式紡糸法、空気中で凝固する乾式紡糸法、および一旦空気中に紡出した後に浴中凝固させる乾湿式紡糸法など公知の紡糸方法を適宜採用できるが、より高い性能を有する炭素繊維束を得るには湿式紡糸法または乾湿式紡糸法が好ましい。
【0025】
湿式紡糸法または乾湿式紡糸法による紡糸賦形は、上記の紡糸原液を円形断面の孔を有するノズルより凝固浴中に紡出することで行うことができる。凝固浴としては、上記の紡糸原液に用いられる溶剤を含む水溶液を用いるのが溶剤回収の容易さの観点から好ましい。
【0026】
凝固浴として溶剤を含む水溶液を用いる場合、水溶液中の溶剤の濃度は、ボイドがなく緻密な構造を形成させ高性能な炭素繊維束を得られ、かつ延伸性が確保でき生産性に優れる等の理由から、50〜85wt%、凝固浴の温度は10〜60℃が好ましい。
【0027】
重合体または共重合体を溶剤に溶解し紡糸原液として凝固浴中に吐出して繊維化した後に、凝固糸を凝固浴中または延伸浴中で延伸する浴中延伸を行うことができる。あるいは、一部空中延伸した後に、浴中延伸してもよく、延伸の前後あるいは延伸と同時に水洗を行って、水膨潤状態にあるアクリル繊維束を得ることができる。浴中延伸は通常50〜98℃の水浴中で1回あるいは2回以上の多段に分割するなどして行い、空中延伸と浴中延伸の合計倍率が2〜10倍になるように延伸することが、得られる炭素繊維束の性能の点から好ましい。
【0028】
本発明において、アクリル繊維束に油剤成分を付与する方法としては、前述のアクリル繊維束を、油剤成分が水に分散した油剤処理液(以下、エマルションとも表記する)に接触させることにより行うことができる。浴中延伸の後に洗浄を行う場合は、浴中延伸および洗浄を行ったアクリル繊維束を、油剤成分のエマルションに接触させることもできる。エマルションはイオン交換水を加えて所定の濃度に希釈して用いる。
【0029】
油剤処理液をアクリル繊維束に接触させる方法としては、ローラーの下部を油剤処理液に浸漬させ、そのローラーの上部にアクリル繊維束を接触させるローラー付着法、ポンプで一定量の油剤処理液をガイドから吐出し、そのガイド表面にアクリル繊維束を接触させるガイド付着法、ノズルから一定量の油剤処理液をアクリル繊維束に噴射するスプレー付着法、油剤処理液の中にアクリル繊維束を浸漬するディップ付着法等の公知の方法を用いることができる。
【0030】
均一付着の観点から、アクリル繊維束内に十分に油剤処理液を行き渡らせることに好適なディップ付着法である。より好ましくは油剤処理液槽内で、ノズルから油剤処理液をアクリル繊維束に当て、アクリル繊維束内に油剤処理液を入れ込むディップ−噴射付着方法である。
【0031】
単繊維表面に均一に油剤成分を付与するためには、油剤処理液とアクリル繊維束が接触した状態で、油剤成分相互作用によりアクリル繊維束に定着する機構が好ましく、このためには、アクリル繊維束に前記油剤処理液を接触させてから乾燥するまでの時間が5〜60秒であることが好ましく、より好ましくは20〜60秒である。5秒以上であれば、油剤成分が単繊維表面に定着する前に乾燥し、油剤成分が単繊維表面に偏在する状態で析出し、部分的に付着が不十分である部位が存在することが発生しにくい。60秒以下であれば、単繊維表面に相互作用により定着した油剤成分の上に、さらにミセルが壊れて析出する油剤成分の層が厚くなり、ひいては単繊維間の隙間にも油剤成分が析出し、付着斑が発生することがない。また、必要量以上に油剤成分が付与されているため、シリコーン系油剤においては焼成工程におけるSi飛散量が多く操業性を低下させることがない。
【0032】
この間、油剤処理液にアクリル繊維束が浸かった状態であっても、室温のロールを用いて空中を搬送する工程であっても構わない。
【0033】
上記の油剤成分を相互作用によってアクリル繊維束に定着させる工程においては、温度が低いとエマルションが安定化する一方で、ミセルのアクリル繊維束への吸着性は高くなる。また、温度が高いとエマルションの安定性は低下するが、油剤成分とアクリル繊維束の相互作用が化学反応である場合においては定着性が良くなる場合がある。したがって、この工程を行う温度は、好ましくは0〜50℃で、より好ましくは10〜40℃である。
【0034】
0℃以下では油剤成分の拡散が制限される場合があり、50℃を超えると乳化が不安定になる場合がある。一般的な工程においては、特に温度調整をする必要はなく、室温の処理液、装置で差し支えない。
【0035】
本発明においては、油剤処理液が、アミノ変性シリコーンを含有していることが好ましい。アミノ変性シリコーンは、アミノ基を有することにより、アクリル繊維との親和性が良く、相互作用定着を用いてアクリル繊維束に油剤成分を均一に付与する方法において好ましい。より好ましくは、側鎖一級アミノ変性シリコーンである。
【0036】
本発明においては、油剤処理液が、非イオン系乳化剤を含有していることが好ましく、プロピレンオキサイド(PO)ユニットとエチレンオキサイド(EO)ユニットからなる共重合型ポリエーテルを含有していることがより好ましい。この乳化剤を用いたエマルションの場合、繊維への油剤成分の定着性が向上し、より均一な付与ができる。
【0037】
本発明においては、油剤成分の付着量は、後述する乾燥緻密化された後の前駆体繊維束において、その乾燥繊維質量に対して0.1〜2.0wt%であることが好ましく、0.1〜1.0wt%であることがさらに好ましい。油剤成分の付着量が0.1wt%より低い場合、油剤成分の本来の機能を十分に発現させることが困難になる。一方、油剤成分の付着量が2.0wt%より高い場合、余分に付着した油剤成分が、焼成工程において高分子化して単繊維間の接着の誘因となるほか、搬送ロールに堆積するなどして操業性を低下させる場合がある。
【0038】
また、油剤処理液において、平均粒子径0.01μm以上0.5μm以下のミセルが形成されていることが好ましい。こうすることで、アクリル繊維素束中に均一にミセルを分散させることが可能となる。なお、上記の水系エマルションに存在するミセルの平均粒子径は、レーザ回折/散乱式粒度分布測定装置(商品名:LA−910、株式会社堀場製作所製)を用いて測定することができる。
【0039】
本発明において、上記の油剤付与方法によって油剤成分が付着されたアクリル繊維束は、続く乾燥工程で乾燥緻密化される。乾燥緻密化の温度は、繊維のガラス転移温度を超えた温度で行う必要があるが、実質的には含水状態から乾燥状態によって異なることもあり、温度は100〜200℃程度の加熱ローラーによる方法が好ましい。このとき加熱ローラーの個数は、1個でも複数個でもよい。
【0040】
乾燥後、続いて加圧水蒸気延伸を行うことが、得られる炭素繊維束の緻密性や配向度をさらに高めることができ好ましい。加圧水蒸気延伸とは、加圧水蒸気雰囲気中で延伸を行う方法であって、高倍率の延伸が可能であることから、より高速で安定な紡糸が行えると同時に、得られる炭素繊維束の緻密性や配向度向上にも寄与する。
【0041】
本発明では、この加圧水蒸気延伸において、加圧水蒸気延伸装置直前の加熱ローラーの温度を120〜190℃、加圧水蒸気延伸における水蒸気圧力の変動率を0.5%以下に制御することが好ましい。このようにすることにより、前駆体繊維束になされる延伸倍率の変動およびそれによって発生するトウ繊度の変動を抑制することができる。加熱ローラーの温度が120℃未満では前駆体繊維束の温度が十分に上がらず延伸性が低下する。
【0042】
加圧水蒸気延伸における水蒸気の圧力は、加熱ローラーによる延伸の抑制や加圧水蒸気延伸法の特徴が明確に現れるようにするため、200kPa・g(ゲージ圧、以下同じ。)以上が好ましい。この水蒸気圧は、処理時間との兼ね合いで適宜調節することが好ましいが、高圧にすると水蒸気の漏れが増大したりする場合があるので、工業的には600kPa・g程度以下が好ましい。
【0043】
乾燥緻密化を経て得られた前駆体繊維束は、室温のロールを通し、常温の状態まで冷却した後にワインダーでボビンに巻き取られる。あるいは、ケンスに振込まれて収納され、焼成工程に移される。そして、前駆体繊維束を焼成することで、炭素繊維束を得ることができる。
【0044】
以上で説明した本発明の炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造方法により製造された前駆体繊維束は、紡糸工程、焼成工程での融着を抑制でき、かつ均質および物性の優れた炭素繊維束を製造するために有用である。また、油剤付与の工程においてアクリル繊維束に随伴する余分な油剤成分を水洗除去することにより、前駆体繊維束へのシリコーンの付着量を抑えることができる。その結果、焼成工程でのシリコーン分解物の飛散および、ケイ素化合物の生成量を抑制でき、操業性、工程通過性が著しく改善される。このような炭素繊維前駆体アクリル繊維束により得られる炭素繊維束は、様々な構造材料に用いられる繊維強化樹脂複合材料に用いる強化繊維として好適である。
【実施例】
【0045】
以下に本発明を実施例によりさらに具体的に説明するが、本発明の前駆体繊維束の製造方法、およびそれにより得られた前駆体繊維束は、実施例により限定されるものではない。なお、前駆体繊維束の油剤付着量、油剤付着状態評価、および前駆体繊維束を焼成して得られた炭素繊維束の単繊維間融着数、ストランド強度、また焼成工程のシリコーン由来ケイ素化合物飛散評価は、以下の方法により実施した。
【0046】
[油剤付着量]
前駆体繊維束を105℃で1時間乾燥させた後、90℃のメチルエチルケトンに8時間浸漬して付着した油剤成分を溶媒抽出した。油剤付着量は、この抽出前後の前駆体繊維束の質量を精秤し、この差から求めた。
【0047】
[油剤付着状態評価]
前駆体繊維束の単繊維表面に付着した油剤成分をルテニウム酸で蒸着、染色した後、光学顕微鏡で表面観察し、次の基準で評価した。
○:表面に均一に油剤成分が付着しており良好。
△:多量に付着している部位があるなど、付着斑が多少あり。
×:付着不足の部位や、付着斑が多数あり不良。
【0048】
[単繊維間融着数(融着数)]
炭素化した炭素繊維束を3mm長に切断し、アセトン中に分散させ、10分間攪拌した後の全単繊維数と融着数を計数し、単繊維100本当たりの融着数を算出して評価した。評価基準は下記の通りである。
○:融着数(個/100本)≦1
×:融着数(個/100本)>1
【0049】
[ストランド強度(CF強度)]
JIS−R−7608に規定されているエポキシ樹脂含浸ストランド法に準じて測定した。なお、測定回数は30回とし、その平均値を評価の対象とした。30回分の測定の変動係数を均質性の指標として用いた。
【0050】
[シリコーン由来ケイ素化合物飛散評価]
耐炎化工程におけるシリコーン由来のケイ素化合物飛散量は、前駆体繊維束と、それを耐炎化した耐炎化繊維束のSi元素含有量を蛍光X線分析装置にて測定し、それらの差異により耐炎化工程で飛散したSi量を算出し、評価の指標とした。
(Si飛散量)=
(前駆体繊維束のSi含有量)−(耐炎化繊維束のSi含有量) [mg/kg]
蛍光X線分析装置には、理学電機工業株式会社製ZSX100e(商品名)を用いた。測定サンプルは、縦20mm、横40mm、幅5mmのアクリル樹脂製板に繊維束を隙間のないように均一に巻いて装置にセットした。このとき、測定に付す繊維束の巻き長は同一とすることが重要である。その後、通常の蛍光X線分析方法によりSiの蛍光X線強度を測定した。得られた前駆体繊維束および耐炎化繊維束のSiの蛍光X線強度から、検量線を用い、それぞれの繊維束のSi含有量を求めた。測定数はn=10とし、評価にはそれらの平均値を用いた。
【0051】
<実施例1>
油剤組成物のエマルションを次の方法で調製した。動粘度が1700mm/s(25℃)、アミノ当量が3800g/molであるアミノ変性シリコ−ン(信越化学工業製、品名:KF−864)と、プロピレンオキサイド(PO)とエチレンオキサイド(EO)からなるブロック共重合型ポリエーテル(株式会社アデカ製、商品名:F−68)と、酸化防止剤(チバ・ジャパン株式会社製、商品名:IRGANOX1010)とを90:9:1(アミノ変性シリコーン:ブロック共重合型ポリエーテル:酸化防止剤)の質量比で混合したものに、油剤組成物の濃度が30wt%となるようにイオン交換水を加え、ホモミキサーで乳化した。この状態ではミセル粒子径の平均が2μm程度であるため、さらに高圧ホモジナイザーによって0.2μm以下の粒子径まで分散した。このエマルションを油剤原液として以下の工程で用いた。
【0052】
油剤組成物を付着させるアクリル繊維束は、次の方法で調製した。アクリロニトリル系共重合体(組成比:アクリロニトリル/アクリルアミド/メタクリル酸=96/3/1(質量比))をジメチルアセトアミドに溶解し、紡糸原液を調製し、ジメチルアセトアミド水溶液を満たした凝固浴中に孔径(直径)75μm、孔数6000の紡糸ノズルより吐出し凝固糸とした。凝固糸は水洗槽中で脱溶媒するとともに5倍に延伸して水膨潤状態のアクリル繊維束とした。
【0053】
上記の水膨潤状態にあるアクリル繊維束を、上記油剤原液をイオン交換水で希釈した処理液が入った油剤処理槽に導き、上述の油剤組成物を付着させた後、表面温度180℃のロールにて乾燥した。繊維束に随伴した余分な油剤処理液を除去するために、乾燥ロールの直前にてガイドバーでニップした。油剤処理槽にて、水膨潤状態にあるアクリル繊維束と油剤処理液が接触してから、乾燥ロールに触れるまでの時間を5秒となるように搬送速度、油剤処理槽と乾燥ロールまでの距離を調節した。
【0054】
続いて、圧力0.2MPaの水蒸気中で3倍延伸を施した後、一旦ボビンに巻き取り、炭素繊維前駆体アクリル繊維束を採取した。
【0055】
前駆体繊維束の単繊維表面への油剤の付着状態を先述の方法で観察した結果を表1に示した。油剤付与の工程で、前駆体繊維束に随伴する余分な油剤処理液が、乾燥ロール前のニップでは完全に除去できないため、若干油剤組成物の付着量が高い部分が見られたが、概ね均一に付着していた。
【0056】
この炭素繊維前駆体アクリル繊維束を、220〜260℃の温度勾配を有する耐炎化炉に通し、さらに窒素雰囲気中で400〜1300℃の温度勾配を有する炭素化炉で焼成して炭素繊維束とした。
【0057】
ここで得られた炭素繊維束の融着数および炭素繊維束ストランド強度(以下、CF強度とも記載する)、耐炎化工程におけるシリコーン由来ケイ素化合物飛散評価結果を表1に合わせて示した。融着は無く良好で、CF強度も高くバラツキも小さかった。
【0058】
<実施例2〜4>
油剤処理槽にてアクリル繊維束と油剤処理液が接触してから洗浄水槽にアクリル繊維束が入るまでの時間を、それぞれ15、30、60としたこと以外は、実施例1と同じ方法で実施例2〜4を行い、前駆体繊維束を採取した。これらの油剤付与条件を表1に纏めて示した。
【0059】
採取した前駆体繊維束の油剤付着状態の評価結果を表1に併せて示した。いずれの場合も単繊維表面への油剤成分の付着状態は均一で良好であった。
【0060】
得られた前駆体繊維束を実施例1と同様の手法で焼成し、炭素繊維束とした。得られた炭素繊維束の融着数およびCF強度、耐炎化工程におけるシリコーン由来ケイ素化合物飛散評価結果を表1に合わせて示した。いずれの場合も融着はなく、CF強度が高く、バラツキも小さく良好であった。油剤付与工程で、アクリル繊維束と油剤処理液を接触させてから水槽にアクリル繊維束が入るまでの時間を長くするほど、油剤成分の付着量が増え、耐炎化工程でのシリコーン由来ケイ素化合物飛散量が多くなる傾向にあるが、いずれの場合も焼成工程で障害となる量ではなかった。
【0061】
CF強度のバラツキが小さく、より均質な炭素繊維束が得られたのは、油剤処理槽にて、水膨潤状態にあるアクリル繊維束と油剤処理液が接触してから、洗浄水槽にアクリル繊維束が入るまでの時間を30秒に調整した実施例3であった。
【0062】
<比較例1、2>
油剤処理槽にてアクリル繊維束と油剤処理液が接触してからアクリル繊維束が乾燥ロールに接触するまでの時間を、それぞれ3、90秒としたこと以外は、実施例1と同じ方法で比較例1および2を行い、前駆体繊維束を採取した。これらの油剤付与条件を表1に纏めて示した。
【0063】
比較例1,2については、CF強度の変動係数が大きくなる傾向にあった。
【0064】
【表1】


【特許請求の範囲】
【請求項1】
アクリル繊維束を、油剤成分が水に分散している油剤処理液に接触させる工程と、
その後、前記アクリル繊維束を乾燥緻密化する工程と
を有する炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造方法であって、
アクリル繊維束に前記油剤処理液を接触させてから乾燥するまでの時間が5〜60秒である炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造方法。
【請求項2】
前記油剤処理液に、平均粒子径0.01μm以上0.5μm以下のミセルが形成されている請求項1に記載の炭素繊維前駆体アクリル繊維束の製造方法。
【請求項3】
請求項1又は2に記載の製造方法により製造された炭素繊維前駆体アクリル繊維束。

【公開番号】特開2009−215664(P2009−215664A)
【公開日】平成21年9月24日(2009.9.24)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−58140(P2008−58140)
【出願日】平成20年3月7日(2008.3.7)
【出願人】(000006035)三菱レイヨン株式会社 (2,875)
【Fターム(参考)】