説明

燃料電池用通電部材およびその製造方法

【課題】接触抵抗の低減効果に優れ、かつ酸性環境での金属イオンの溶出抑制効果に優れる燃料電池用のステンレス鋼製通電部材を提供する。
【解決手段】質量%で、C:0.1%以下、Si:1%以下、Mn:2%以下、Cr:15〜35%、Mo:0.5〜3%、必要に応じてさらにNi:2%以下、Cu:1%以下、Al:3%以下、Nb:0.8%以下、Ti:0.8%以下の1種以上を含有し、残部Feおよび不可避的不純物の組成を有する鋼板からなり、平均面粗さSPaが0.1〜2.0μmである粗面化表面を有し、当該粗面化表面の表層部は有機酸との接触によりFe濃度をFe/(Cr+Fe)原子比が0.25以下となるように減じてなる改質層で構成されている低温作動タイプの燃料電池用通電部材。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、固体高分子型燃料電池、リン酸型燃料電池など、作動温度が250℃以下である低温作動タイプの燃料電池に使用される通電部材であって、特にセパレータなどの集電体として好適な通電部材、およびその製造方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
低温作動タイプの燃料電池の中でも固体高分子型の燃料電池は、100℃以下での低温作動が可能であること、短時間で起動すること、各部材が固体からなる構造であるためメンテナンスが容易であること、振動や衝撃に強いこと、燃料効率が高く騒音が小さいことなど、数々の長所を備えており、既に一部では実用化が始まっている。
【0003】
燃料電池は一般的に、各セルを直列につなぐことによって実用的な電力を取り出す構造になっている。例えば固体高分子型燃料電池の場合、イオン交換膜(固体高分子膜)の両面にカーボンペーパーなどからなる電極を配置し、一方の電極が水素等の燃料に、他方の電極が空気等の酸化性ガスにそれぞれ曝されるようにして、両電極をセパレータで挟むことにより1セルが構成され、このようなセルを積層することによって1つの燃料電池が構築される。最近では燃料のメタノールを電極上で直接反応させるタイプの「ダイレクトメタノール型燃料電池」も開発されている。
【0004】
セパレータは各セルを分離するとともに、電極と接触してセル間の通電を担う部材である。最近ではセパレータとしてステンレス鋼を使用し、電極としてカーボンペーパーを使用するタイプの固体高分子型燃料電池の実用化が盛んに検討されている。このようなタイプの固体高分子型燃料電池では、ステンレス鋼とカーボンペーパーとの間の接触抵抗を低減させることが大きな課題となっている。ステンレス鋼は導電性の低い不動態皮膜で覆われていることから、単にステンレス鋼表面とカーボンペーパー表面とを押圧した状態で接触させても、良好な導電性を確保することは難しい。そこで、従来から、ステンレス鋼表面を不動態皮膜のない貴金属でコーティングする手法や、粗面化する手法などにより、異種材料との間の接触抵抗を低減させることが各種試みられている(例えば特許文献1〜3)。しかし、貴金属をコーティングする手法はコストが増大し、固体高分子型燃料電池を広く普及させる上では採用し難い。また、一般的な粗面化手法ではカーボンペーパーとの間の接触抵抗を満足できるレベルに低減させることは必ずしも容易ではない。
【0005】
また、イオン交換膜としてフッ素樹脂を用いた一般的な固体高分子型燃料電池の場合、稼働条件によってはイオン交換膜の分解が生じて酸性物質が発生し、セパレータが酸性環境に曝されることが想定される。その場合、セパレータのステンレス鋼表面から金属イオンが溶出しやすくなる。溶出した金属イオンがイオン交換膜に侵入するとイオン伝導性の低下につながり、さらには、イオン交換膜の分解を促進させる要因となる。したがって、燃料電池用の通電部材としては、酸性環境に曝された場合に、できるだけ金属イオンの溶出が防止される性質を備えたステンレス鋼を適用することが望まれる。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【特許文献1】特開平11−297338号公報
【特許文献2】特開2003−223904号公報
【特許文献3】特開2001−6713
【特許文献4】特開2008−91225号公報
【特許文献5】特開2000−345363号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
ステンレス鋼とカーボンペーパーとの間の接触抵抗を低減させる手法として、本出願人は特許文献4において、マイクロピットを形成させる粗面化処理と、Cr濃度を高める不動態化処理を組み合わせる手法を開示した。この手法は、ステンレス鋼表面に、カーボンペーパーを構成する炭素繊維の表面凹凸にマッチングするような微細な粗面化表面を形成することにより、ステンレス鋼とカーボンペーパーの馴染みが改善される効果(特許文献4の段落0017、図1(C)参照)、および不動態皮膜中のCr濃度を増大させることにより接触抵抗の増大が抑制される効果(同段落0019参照)を利用したものである。この粗面化処理には塩酸等の非酸化性酸に浸漬する方法が採用され、不動態化処理には硝酸に浸漬する手法が採用される。
【0008】
しかし、特許文献4の技術は、接触抵抗を減少させる手法として「表面凹凸のマッチング」を利用していることから、特定のカーボンペーパーに対しては良好な接触抵抗低減効果が得られるが、それ以外の電極材に対しては十分な効果が期待できないことがあり、汎用性に劣る。また、粗面化処理には、塩酸等の非酸化性酸の水溶液に例えば3分(180秒)以上浸漬する必要があり(特許文献4の表1参照)、必ずしも生産性が良好であるとは言えない。不動態化処理には硝酸を必要とし、作業面、環境面、コスト面での負荷が大きい。さらに、固体高分子型燃料電池の酸性環境において金属イオンの溶出を抑制することについても、特段の配慮はなされていない。したがって、特許文献4の技術には更なる改善が望まれる。
【0009】
本発明は、接触抵抗の低減効果に優れ、かつ酸性環境での金属イオンの溶出抑制効果に優れる燃料電池用のステンレス鋼製通電部材であって、接触相手材(例えば電極材)の凹凸形態に対する汎用性を向上させたものを提供すること、およびそのような通電部材を比較的簡便な手法で製造する技術を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0010】
上記目的は、質量%で、C:0.1%以下、Si:1%以下、Mn:2%以下、Cr:15〜35%、Mo:0.5〜3%、必要に応じてさらにNi:2%以下、Cu:1%以下、Al:3%以下、Nb:0.8%以下、Ti:0.8%以下の1種以上を含有し、残部Feおよび不可避的不純物の組成を有する鋼板からなり、平均面粗さSPaが0.1〜2.0μmである粗面化表面を有し、当該粗面化表面の表層部は有機酸との接触によりFe濃度をFe/(Cr+Fe)原子比が0.25以下となるように減じてなる改質層で構成されている低温作動タイプの燃料電池用通電部材によって達成される。
【0011】
ここで、「面粗さSPa」は、JIS B0601−2001に規定される断面曲線の算術平均高さPaを一定面積の表面領域について測定し、その平均値をとったものである。具体的には、SPaは走査型共焦点レーザー顕微鏡により測定される三次元表面プロファイルのデータを解析することにより求まる面粗さパラメータの1つであり、断面曲面の平均面に対する断面曲面の標高の絶対値の平均値を意味する。三次元表面プロファイルを測定する表面領域は、一辺が20〜120μmの矩形の表面領域とすればよい。走査型共焦点レーザー顕微鏡の深さ方向分解能は0.01μm以下とすることが望ましい。
【0012】
粗面化表面の表層部に形成されている改質層のFe/(Cr+Fe)原子比は、XPS(X線光電子分光分析)による最表面からの分析で求まる化合物状態のFeおよびCrの原子%に基づいて算出することができる。
【0013】
前記粗面化表面は、隣り合う凹部同士が接している部分にエッジ状境界を有するものであることが極めて効果的である。そのような粗面化表面は、非酸化性の無機酸と塩化第二鉄の混合水溶液中でのエッチングにより形成することができる。
【0014】
本発明の燃料電池用通電部材の具体的な製造方法として、上記化学組成を有する鋼板を、FeCl3(塩化第二鉄)濃度:5〜30質量%、HCl濃度:2〜20質量%、HCl/FeCl3モル比:0.3〜20、温度:35〜70℃の塩酸+塩化第二鉄水溶液に、3〜120秒の範囲内の条件で浸漬することにより、平均面粗さSPaが0.1〜2.0μmである粗面化表面を形成する工程、
前記粗面化表面を有機酸の水溶液に接触させることにより表層部のFeを優先的に溶解させ、粗面化表面の表層部にFe/(Cr+Fe)原子比が0.25以下である改質層を形成する工程、
を有する製造方法を挙げることができる。
前記有機酸としては、たとえばクエン酸、マレイン酸、酒石酸、乳酸、リンゴ酸、コハク酸の1種または2種以上を使用することが好適である。
【発明の効果】
【0015】
本発明によれば、後述のように粗面化表面の塑性変形を利用して接触相手材との接触抵抗が低減され、かつ酸性環境での金属イオンの抑制効果にも優れる燃料電池用のステンレス鋼製通電部材が実現できる。この材料は相手材(例えば電極材)の凹凸形態に対する汎用性が高いので、ダイレクトメタノール型燃料電池をはじめとする各種固体高分子型燃料電池の集電材料として好適である。
【図面の簡単な説明】
【0016】
【図1】マイクロピットを形成した従来の燃料電池セパレータ用ステンレス鋼板における表面付近の断面形態を模式的に示した図。
【図2】本発明の通電部材における表面付近の断面形態を模式的に示した図。
【発明を実施するための形態】
【0017】
図1に、例えば特許文献4に開示されるようなマイクロピットを形成した従来の燃料電池セパレータ用ステンレス鋼板における表面付近の断面形態を模式的に示す。ステンレス鋼素地1の表面には、非酸化性酸(塩酸、硫酸など)によるエッチングと、酸化性酸(硝酸)による不動態化処理によって凹部2が多数形成されている。隣接する凹部2の境界部分もエッチング作用を受け、比較的なだらかな断面形態の凹部境界3が形成される。特許文献4の手法によれば、このような凹凸のピッチが、カーボンペーパー繊維表面の凹凸形態と良好なマッチングを呈し(特許文献4の図1(c)参照)、それによって接触抵抗が効果的に低減されるという。ただし、この場合は不動態化処理も接触抵抗を低減させる上で重要な役割を担っている。すなわち、単にマッチングの良い凹凸ピッチを得るだけでは不十分であり、不動態化処理を施すことによってはじめて、カーボンペーパーとの接触抵抗は顕著に低減する(引用文献4の表5における比較例と実施例の対比を参照)。
【0018】
図2に、本発明の平均面粗さSPaが0.1〜2.0μmに調整された通電部材における表面付近の断面形態を模式的に示す。ステンレス鋼素地1の表面には、例えば塩化第二鉄を添加した無機酸の水溶液でエッチングすることにより形成される凹部2が多数存在している。そのような水溶液を用いると、鋼板表面に生じたピットの内壁がエッチングされていき、開口径のわりには深さの深い凹部2が形成される。ピットの成長に伴って隣り合うピットの壁面同士がぶつかり、その結果、凹部境界3はエッジ状となる。また、有機酸による表面改質においては凹凸形態を大きく変えるようなエッチングが生じないので、改質層を形成する工程を経た後もエッジ状境界が存在する。
【0019】
このような粗面化ステンレス鋼板からなる通電部材と接触相手材との間に面圧を付与した状態で燃料電池スタックを構築した際、粗面化ステンレス鋼板のエッジ状境界は、接触相手材から受ける応力によって塑性変形し、接触相手材との接触面積が増大する。また、塑性変形によってステンレス鋼素地の不動態皮膜には亀裂等の欠陥が導入される。これらの作用が相俟って顕著な接触抵抗低減効果がもたらされるのである。その接触抵抗低減効果は、接触相手材のミクロ構造とのマッチングに依存したものではないので、相手材に対する汎用性も高い。
以下、本発明を特定する事項について説明する。
【0020】
〔ステンレス鋼板の化学組成〕
本発明では、オーステナイト系鋼種に比べて熱膨張係数が小さいフェライト系ステンレス鋼種を採用する。以下、鋼組成における「%」は特に断らない限り「質量%」を意味する。
Cは、多量に含有するとステンレス鋼の加工性、低温脆性に悪影響を及ぼす場合があるが、本発明では0.1%までのC含有が許容される。0.05%以下とすることがより好ましい。
【0021】
Siは、多量に含有すると鋼を硬質化して加工性を阻害するので、1%以下に制限され0.5%以下とすることがより好ましい。
【0022】
Mnは、多量に含有すると加工性低下、耐食性低下、接触抵抗の増大を招くので、2%以下に制限され、1.5%以下とすることがより好ましい。
【0023】
Crは、ステンレス鋼の耐食性を確保するために重要な元素である。固体高分子型燃料電池のセル内環境を考慮すると15%以上のCr含有量を確保する必要がある。ただし、多量のCr含有は加工性の低下を招くので、Cr含有量は35%以下に制限され、30%以下とすることがより好ましい。25%以下に管理しても構わない。
【0024】
Moは、Crとの共存によりステンレス鋼の耐食性を向上させる元素である。本発明ではセル内環境に曝されたときに優れた耐久性を呈するように、Mo含有量が0.5%以上の鋼種を採用する。ただし、多量のMo含有はステンレス鋼を硬質化させ加工性劣化を招き、またコスト的にも不利となるので、Mo含有量の上限は3%に制限される。2%以下に管理しても構わない。
【0025】
Ni、Cuは、酸性雰囲気での耐全面腐食性を改善し、またフェライト系ステンレス鋼の低温靭性を改善する作用があるため、必要に応じてこれらの1種以上を添加することができる。上記作用を十分に発揮させるには、Niの場合は0.15%以上、Cuの場合は0.2%以上の含有量を確保することがより効果的である。ただし、燃料電池使用中にこれらの元素が溶出すると電池性能の低下を招く場合がある。種々検討の結果、Ni、Cuの1種以上を添加する場合は、Niは2%以下、Cuは1%以下の範囲で行う。
【0026】
Alは、鋼の脱酸剤として機能するとともに、Nの固定にも有用であることから、必要に応じて添加することができる。この場合、0.04%以上の含有量を確保することがより効果的である。ただし、Alを添加する場合は3%以下とすることが望ましく、1.5%以下がより好ましい。
【0027】
Ti、Nbは、C、Nを固定し加工性を改善する作用があり、必要に応じて添加される。そのためにはTi:0.03%以上、Nb:0.03%以上の1種以上を添加することがより効果的である。ただし、Ti、Nbの1種以上を添加する場合は、Ti、Nbとも0.8%以下の含有量とする必要があり、0.5%以下がより好ましい。
【0028】
〔平均面粗さSPa〕
発明者らは詳細な検討の結果、後述の粗面化手法により平均面粗さSPaが0.1μm以上となる粗面化表面を形成したとき、隣り合う凹部同士が接している部分に塑性変形が容易なエッジ状境界を有する粗面化形態を実現させることができ、接触相手材に押圧されたときの塑性変形に起因する顕著な接触抵抗低減効果を得ることができる。SPaが0.1μm未満の場合はピットの成長が不十分であり、鋭い角度のエッジ状境界が形成されにくいので顕著な接触抵抗低減効果を安定して得ることが難しくなる。一方、SPaが2.0μmを超えるような粗面化表面では、ピットが過剰に成長し、ピット同士の「食い合い」によって鋭い角度のエッジ状境界の量が減少している状態となっている場合が多い。そうなると接触抵抗の低減効果は小さくなってしまう。したがって、本発明では平均面粗さSPaが0.1〜2.0μmに調整されたステンレス鋼板を対象とする。特に好ましいSPaの範囲は0.1〜1.0μmである。
【0029】
〔改質層〕
本発明では、低温作動タイプの燃料電池のセル内環境で金属イオンの溶出を抑止するための手段として、上記の粗面化表面の表層部に、有機酸との接触により、化合物として存在するFeおよびCrの濃度において、Fe濃度をFe/(Cr+Fe)原子比が0.25以下となるように低減させた改質層を形成させる。発明者らの検討によれば、セル内環境でステンレス鋼からの溶出量が最も多くなる金属元素は、ステンレス鋼素地の構成元素として最も多く含有されるFeである。表層部のFe濃度を予め減少させておくことにより、セル内の酸性環境におけるFeの溶出量を大幅に低減できることがわかった。一方、耐食性を確保し、Fe以外の鋼成分元素(特に不動態皮膜中に濃化しやすいMo)を含めたトータル的な金属元素の溶出量を低減させる上で、表層部に存在する不動態皮膜中のCr濃度を高めることが極めて有効である。詳細な検討の結果、XPSによる最表面からの分析により化合物状態でのFe/(Cr+Fe)原子比が0.25以下となるような改質層を形成させたとき、酸性環境での金属イオン溶出量が大幅に減少することがわかった。鋼種により基本的な耐食性レベルは相違するが、同一鋼種で対比した場合、本発明で規定する組成範囲のフェライト系ステンレス鋼であれば、いずれの鋼種においても化合物状態でのFe/(Cr+Fe)原子比を0.25以下とすることにより、金属イオンの溶出量の顕著な低減効果が認められる。このFe/(Cr+Fe)原子比が0.20以下に調整されているものが特に好適である。
【0030】
〔粗面化処理〕
上述の粗面化表面を形成させる手法として、ステンレス鋼板を「非酸化性の無機酸(例えば塩酸)」と「塩化第二鉄」の混合水溶液中でエッチングする方法が極めて有効である。具体的には、FeCl3(塩化第二鉄)濃度:5〜30質量%、HCl濃度:2〜20質量%、HCl/FeCl3モル比:0.3〜20、温度:35〜70℃、浸漬時間:3〜120秒という条件範囲内において、平均面粗さSPaが0.1〜2.0μmである粗面化表面が得られる条件を見出すことができる。このとき、隣り合う凹部同士が接している部分にエッジ状境界を有する粗面化形態(図2参照)が得られる。鋼種により、上記条件範囲内における最適条件は多少変動する。
【0031】
塩化第二鉄はステンレス鋼表面に孔食を発生させる作用を有し、塩酸はステンレス鋼表面を全面的に溶解させる作用を有する。これら2種類の物質を混合した水溶液中にフェライト系ステンレス鋼を浸漬する手法は、エッジ状境界を有する粗面化形態を得るうえで特に好適である。
【0032】
〔有機酸処理〕
上記の粗面化処理を施したのち、その粗面化表面を有機酸と接触させることによりFe/(Cr+Fe)原子比が0.25以下である改質層を形成することができる。前記有機酸としては、たとえばクエン酸、マレイン酸、酒石酸、乳酸、リンゴ酸、コハク酸の1種または2種以上を使用することが好適である。有機酸を用いたステンレス鋼表面の改質技術は例えば特許文献5に開示されている。有機酸はステンレス鋼表層部のFeをキレート化して奪い取る作用を有するものと考えられる。不動態皮膜の主要構成元素の一つであるCrはキレート化しないことから、有機酸との接触により表層部のFeが優先的に除去される。これによって、セル内環境に曝されたときには、溶出しやすいFeが既に表層付近に少なくなっているために、Feの新たな溶出が顕著に軽減される。また、表層部にはCrが濃化することから、耐食性向上により、Fe以外の金属イオンの溶出防止効果も向上する。さらに、有機酸による処理によれば、無機酸(塩酸、硫酸、硝酸等)を用いた処理とは異なり、既に形成されている粗面化形態を維持することが可能であることがわかった。したがって、上述の塩化第二鉄を用いた粗面化処理との組み合わせにより、エッジ状境界を有する粗面化表面において、Fe濃度を減じた改質層を形成させることが可能となる。
【実施例1】
【0033】
表1に示す組成を有する板厚0.2mmのステンレス鋼板(No.2D仕上げ材)を用意した。
【0034】
【表1】

【0035】
各ステンレス鋼板から試験片を切り出し、粗面化処理を施し、次いで有機酸処理を施すことにより供試材とした。一部、粗面化処理、有機酸処理の一方または双方を施していない供試材も用意した。
【0036】
粗面化処理は、処理液として下記濃度の塩酸+塩化第二鉄水溶液を用い、各ステンレス鋼板をこの液に浸漬する方法で行った。処理温度および浸漬時間は表2−1、表2−2に記載の条件とした。
(粗面化処理液)
FeCl3(塩化第二鉄)濃度:19質量%、HCl濃度:5質量%、HCl/FeCl3モル比:1.17
【0037】
有機酸処理は、処理液として200ppmクエン酸水溶液を用い、処理温度60℃、浸漬時間1hの共通条件とした。
【0038】
上記処理後の各供試材の表面について、以下の試験を行った。なお、各供試材は両面とも同様の表面状態となるように調製したものである。
〔平均面粗さSPaの測定〕
走査型共焦点レーザー顕微鏡(オリンパス社製;OLS1200)により倍率5000倍で粗面化表面を観察し、50μm×50μmの矩形領域の表面プロファイルを深さ方向の分解能0.01μmで取り込み、画像処理として孤立点除去1回および画像輝度平均化1回を行った後、平均面粗さSPaを算出させた。
【0039】
〔表層部のFe/(Cr+Fe)原子比の測定〕
XPS(AXIS−NOVA)を用いて供試材の表面分析を行った。測定面積は0.3mm×0.7mmとし、AlKα(単色化)の励起線を使用し、光電子取り出し角を90°に設定し、供試材表面をスパッタなしで分析した。この分析では表面から約5nm深さまでの情報が得られる。FeとCrの定量値から化合物状態のFe/(Cr+Fe)原子比を算出した。
【0040】
〔接触抵抗の測定〕
供試材から採取した試料の両面にそれぞれ直径15mmのカーボンペーパー(東レ社製;TGP−H−120)を面圧1MPaの均等な圧力で接触させ、接触面での電流密度Iが1A/cm2(電流値1.77A)となるように両面のカーボンペーパー間に直流電圧Eを印加し、電圧Eを四端子法にて測定して、接触抵抗R(mΩ・cm2)=E/Iを求めた。
【0041】
〔金属イオン溶出量の測定〕
pH=2.0に調整した希硫酸水溶液300mL中に、供試材から切り出した80mm×40mmの試験片を浸漬し、80℃で168h保持した後、試験片を取り出し、試験液中に溶出した金属イオン量をICP−AESを用いて測定した。金属イオンの定量は、Fe、Cr、Moで行い、これらの和を溶出量とした。
試験結果を表2−1、表2−2に示す。なお、別途表面観察により、本発明例の粗面化表面には隣り合う凹部同士が接している部分にエッジ状境界が形成されていることを確認している。
【0042】
【表2−1】

【0043】
【表2−2】

【0044】
表2−1、表2−2に見られるように、各鋼種とも、平均面粗さSPaを1.0μm以上に調整したものは、それよりSPaが小さいものと比べ、接触抵抗が顕著に低減されていることがわかる。また、有機酸処理を行うことにより表層部のFe/(Cr+Fe)原子比を大幅に低減させることが可能である。各鋼種とも、有機酸処理を施した本発明例のものは、粗面化処理により表面積が増大しているにもかかわらず、粗面化処理および有機酸処理を施していないもの(元のステンレス鋼板)と比べ、金属イオンの溶出量が顕著に低減されていることがわかる。鋼種GはMo無添加であるため基本的な耐食性が不足し、金属イオン溶出量が非常に多い。
【実施例2】
【0045】
表2−1、表2−2に示した供試材のいくつかをセパレータ材に使用して、以下の2種類の電池試験を行った。
【0046】
〔電池試験1〕
フッ素系固体高分子膜の両面にそれぞれ、白金微粒子を担持したカーボンブラックをコーティングしたのちカーボンペーパー(東レ社製;TGP−H−120)を加熱圧着し、膜−電極接合体(MEA)を作製した。一方、表2−1、表2−2に示した供試材のステンレス鋼板をプレス成形することにより、アノード側およびカソード側のセパレータ(集電体)を作製した。MEAとセパレータを組み合わせて、単セルからなる燃料電池を作製した。各燃料電池とも、両側のセパレータには同種の供試材を適用した。単セルのアノード側に純水素、カソード側に空気を流して、MEAを通過する電流の電流密度を0.3A/cm2、温度を70℃に維持した状態とし、連続100hの放電試験を行った。そして、100h経過時点のセル電圧を測定した。結果を表2−1、表2−2中に示す。
【0047】
〔電池試験2〕
電池試験1と同様に単セルからなる燃料電池を作製した。ここでは、単セルのアノード側に3Mメタノールを注入し、カソード側に空気を流して、ダイレクトメタノール型燃料電池を稼働させた。MEAを通過する電流の電流密度を0.1A/cm2、温度を30℃に維持した状態とし、連続100hの放電試験を行った。そして、100h経過時点のセル電圧を測定した。結果を表2−1、表2−2中に示す。
【0048】
電池試験1、2とも、粗面化処理と有機酸処理を施した本発明例の供試材を適用した燃料電池においては、粗面化処理、有機酸処理の少なくとも一方を施していない比較例の供試材を適用したものと比べ、100h後のセル電圧は高い値を示した。
【符号の説明】
【0049】
1 ステンレス鋼素地
2 凹部
3 凹部境界

【特許請求の範囲】
【請求項1】
質量%で、C:0.1%以下、Si:1%以下、Mn:2%以下、Cr:15〜35%、Mo:0.5〜3%、残部Feおよび不可避的不純物の組成を有する鋼板からなり、平均面粗さSPaが0.1〜2.0μmである粗面化表面を有し、当該粗面化表面の表層部は有機酸との接触によりFe濃度をFe/(Cr+Fe)原子比が0.25以下となるように減じてなる改質層で構成されている低温作動タイプの燃料電池用通電部材。
【請求項2】
鋼板の組成が、質量%で、C:0.1%以下、Si:1%以下、Mn:2%以下、Cr:15〜35%、Mo:0.5〜3%であり、さらにNi:2%以下、Cu:1%以下、Al:3%以下、Nb:0.8%以下、Ti:0.8%以下の1種以上を含有し、残部Feおよび不可避的不純物である請求項1に記載の通電部材。
【請求項3】
前記粗面化表面は、隣り合う凹部同士が接している部分にエッジ状境界を有するものである請求項1または2に記載の通電部材。
【請求項4】
前記粗面化表面は、非酸化性の無機酸と塩化第二鉄の混合水溶液中でのエッチングにより形成されるものである請求項1〜3のいずれかに記載の通電部材。
【請求項5】
質量%で、C:0.1%以下、Si:1%以下、Mn:2%以下、Cr:15〜35%、Mo:0.5〜3%、残部Feおよび不可避的不純の組成を有する鋼板を、FeCl3(塩化第二鉄)濃度:5〜30質量%、HCl濃度:2〜20質量%、HCl/FeCl3モル比:0.3〜20、温度:35〜70℃の塩酸+塩化第二鉄水溶液に、3〜120秒の範囲内の条件で浸漬することにより、平均面粗さSPaが0.1〜2.0μmである粗面化表面を形成する工程、
前記粗面化表面を有機酸の水溶液に接触させることにより、粗面化表面の表層部にFe/(Cr+Fe)原子比が0.25以下である改質層を形成する工程、
を有する低温作動タイプの燃料電池用通電部材の製造方法。
【請求項6】
鋼板の組成が、質量%で、C:0.1%以下、Si:1%以下、Mn:2%以下、Cr:15〜35%、Mo:0.5〜3%であり、さらにNi:2%以下、Cu:1%以下、Al:3%以下、Nb:0.8%以下、Ti:0.8%以下の1種以上を含有し、残部Feおよび不可避的不純物である請求項5に記載の通電部材の製造方法。
【請求項7】
前記有機酸として、クエン酸、マレイン酸、酒石酸、乳酸、リンゴ酸、コハク酸の1種または2種以上を使用する請求項5または6に記載の通電部材の製造方法。

【図1】
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【図2】
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【公開番号】特開2011−38166(P2011−38166A)
【公開日】平成23年2月24日(2011.2.24)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−187764(P2009−187764)
【出願日】平成21年8月13日(2009.8.13)
【出願人】(000004581)日新製鋼株式会社 (1,178)
【Fターム(参考)】