説明

組織標本からの細胞の調製方法

【課題】組織標本からの細胞の分離調製方法の提供。
【解決手段】下記工程1)〜3)を含むことを特徴とする、組織標本からの細胞の調製方法:
1) 組織標本を、クエン酸溶液中で60〜80℃にて加熱処理する工程、
2) 加熱処理した前記標本を、タンパク質分解酵素で処理する工程、及び
3) 酵素処理した前記標本中の細胞を界面活性剤溶液中に分散させる工程。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、組織標本からの細胞の調製方法に関する。
【背景技術】
【0002】
全世界に無数に存在しているパラフィン包埋組織標本や凍結組織標本、また種々のヒトや動物由来の細胞などの多数の貴重な検体を利用して、遺伝学的、生化学的実験等により癌等の病態解明、臨床研究、治療法開発研究がなされてきている。一般的には、組織標本中の細胞が分離されずに異なる種類の細胞が混合したままの状態の組織ブロック片や切片を実験材料として、そこから各種細胞融解剤等によりDNA、RNA等の核酸試料やタンパク質試料等を抽出・調製し、それを用いた遺伝的解析、生化学的解析等が広く行われてきている。しかし、多くの異なる種類の細胞や組織が混在したままの材料から抽出した試料には、様々な細胞由来の成分が混在してしまい、正確なデータが得られないし、特定の細胞に異常が現われるような病態の解明は成し得ない。最近では、病理検体や組織内でも、各種の細胞各々の病態を区別して解析しなければならないことが広く提唱されており、そのため細胞を単離する方法の開発が必要となっている(非特許文献1及び2)。
【0003】
そこで近年、研究対象の組織標本の各種染色処理した組織や細胞塊から、顕微鏡観察下で、目的の細胞を選択し分離採取する方法が検討されている。組織標本から目的の細胞や細胞塊を変形や破壊なしに採取できることは、目的の細胞が選択的に取得できたかどうかを確認するために重要である。また、破壊されずに形態を維持したままの状態で細胞を分離できれば、細胞内への異物のコンタミネーションの危険性を排除でき、また破損した細胞膜等からの細胞内容物の流出もないことから、例えば細胞の持つ核酸やタンパク質等の成分やその割合をより正確に測定することができる(非特許文献1〜3)。
【0004】
そのような細胞の分離採取方法の一つに、顕微鏡観察下で、組織から目的の細胞のみをニードル等で掻爬する方法がある。しかし、ミクロサイズの目的の細胞を手作業でピンポイントに掻爬するのはかなり困難であり、細胞分離の成否は実験者の判断や力量に依存するところが大きい。一般的には、この方法では別の細胞や組織の混入が生じやすく、その結果、実験研究そのものの正確性に大きな問題を生じる可能性もあると言える。また、採取された細胞も掻爬の際に掛けた力で変形、破損していることが多いこと、得られた細胞の種類の同定も大抵は困難であることから、研究の精度が証明されにくいことも問題である(非特許文献1及び非特許文献4)。
【0005】
もう一つは、レーザー顕微鏡を使用したレーザーマイクロダイセクション法で細胞を選別する方法である。これは、組織標本や細胞標本中の目的とする組織や細胞をモニター上に映し出し、その画像上で範囲を選択し、レーザー光線による切り出しによって、目的の細胞や組織を選択採取するものである。この方法では、少なくとも顕微鏡のほかに、レーザー光線装置、レーザー光線装置をコントロールする装置、顕微鏡を機械的に操作する装置、デジタルカメラ機器、モニター画面、これらの機能を制御する精密なコンピューター機器が必要であるため、細胞の選択採取に要する費用は莫大な額になる。また、この方法では、標本の乾燥の度合いやスライドガラスの種類等の各種条件における設定許容範囲が狭く、使用する機種が要求する条件に厳密に適合しない標本からの組織・細胞の採取はしばしば正確に行われないという問題がある。このため、この方法を適用可能な組織標本は限定されており、多様な標本に対して広く使用することができない(非特許文献1及び4)。
【0006】
さらにこの方法では、二次元画像のモニター画像上で切り出す選択域を設定するため、三次元的に細胞が重なりあっている状態を判別することができず、他の細胞も一緒に採取されてコンタミネーションを生じる可能性がある。また突起を持つ細胞や不整形の細胞、脈管構造などのネットワーク構造を持つ細胞等を採取する場合は、その細胞の境界を画面上で正確に把握しにくいため、正確に細胞全体を単離することは困難である。そのためそれらの細胞の全体的な機能解析には使用しにくい(非特許文献2)。
【0007】
またレーザーマイクロダイセクション法では、目的の細胞を採取するときに切り離し部分を飛ばす過程があり、採取したい部分も飛ばしてしまうことや、細胞の変質も問題となっている。それに対処するための方法にしても、細胞を何段階もスライドガラスや基板から剥離と貼り付けを繰り返したりする試みがなされるなど、手技も煩雑化し、検体を浪費する問題点がある(非特許文献5及び特許文献1)。
【0008】
一方、パラフィン包埋組織標本や凍結組織標本から核酸試料やタンパク質試料を直接抽出する方法も知られている。例えば、パラフィン包埋組織標本を脱パラフィン処理した後、界面活性剤とタンパク質分解酵素を含む溶液中で室温〜50℃にて4〜48時間処理して組織及び細胞を破壊し、次いでフェノールやクロロホルムなどの有機溶媒を加えて混和し、核酸を含む水相と変性タンパク質等を含む有機相とに分離させた後、その水相を採取し、さらにその水相からアルコール沈殿法により核酸を取得するという方法がある(非特許文献6)。しかしこの方法は、タンパク質分解酵素を使用することから細胞の破壊処理を比較的温和な条件で行うので、十分な核酸回収率を得るにはその処理を長時間行わなくてはいけないという問題がある。これに対し、脱パラフィン処理したパラフィン包埋組織標本を、界面活性剤の存在下で沸点近くの高温で加熱することにより細胞を短時間で破壊し、続いてタンパク質加水分解酵素で処理し、さらに有機溶剤でタンパク質を変性させ、次いで核酸を沈殿させることにより核酸試料を得る方法(特許文献2)もある。しかしこの方法は、細胞を短時間で効率よく破壊する技法を用いているため、細胞自体を単離することはできない。
【0009】
ところで、ホルマリン固定パラフィン包埋組織標本などの組織解析には、免疫組織染色法がよく使用される。免疫組織染色法では、一次抗体によって検出すべき組織・細胞上の抗原が、固定処理やパラフィン包埋等の過程で変性・架橋した組織由来成分によってマスキングされることにより、一次抗体との反応が減少し検出シグナルが弱くなる現象が頻繁に認められる。この問題を解決するため、組織標本をクエン酸緩衝液に入れてオートクレーブやマイクロウエーブでおよそ100℃以上という高温で加熱することにより、抗原性を賦活化する方法が知られている(非特許文献7)。しかしこの方法では、高温により細胞の変性及び核酸の損傷が起こってしまう。
【0010】
このように、上記のような組織標本から細胞を無傷で単離するのに適した方法の開発は今なお成功を収めていない。
【0011】
【特許文献1】特許第3820227号公報
【特許文献2】特開平8−70892号公報
【非特許文献1】Simone N. L. et al., Trends in Genetics, (1998) 14: p.272-276
【非特許文献2】Hunt, J. L. and Finkelstein, S. D., Archives Pathology & Laboratory Medicine (2004) 128: p.1372-1378
【非特許文献3】Emmer-Buck et al., Science (1996) 274: p.998-1001
【非特許文献4】Curran,S. et al., J Clinical Pathology-Molecular Pathology (2000) 53: p.64-68
【非特許文献5】Banks, R.E. et al., Electrophoresis (1999) 20, p.689-700
【非特許文献6】実験医学、羊土社、(1990) Vol.8, No.9, 84-88頁
【非特許文献7】Shi,S-R. et al., J Histochemistry & Cytochemistry (1991) 39: p.741-748
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0012】
本発明は、組織標本から細胞を単離可能な状態で調製する方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0013】
本発明者らは、上記課題を解決するため鋭意検討を重ねた結果、組織標本に、好適な温度範囲のクエン酸溶液とタンパク質分解酵素を2段階で作用させ、さらにその標本に含まれる細胞を界面活性剤溶液中に分散させることにより、組織標本中の細胞間結合を温和に分解して、細胞が他の種類の細胞からよく分離された状態でその形態も良好に保たれたまま分散されている細胞分散液を調製することができることを見出し、本発明を完成するに至った。
【0014】
すなわち、本発明は以下を包含する。
[1] 下記工程 1)〜3)を含むことを特徴とする、組織標本からの細胞の調製方法:
1) 組織標本を、クエン酸溶液中で60〜80℃にて加熱処理する工程、
2) 加熱処理した前記標本を、タンパク質分解酵素で処理する工程、及び
3) 酵素処理した前記標本中の細胞を界面活性剤溶液中に分散させる工程。
【0015】
またこの方法では、クエン酸溶液中での前記加熱処理を5〜30分間行うことがより好ましい。
好ましくは、この方法では前記標本を組織染色することをさらに含む。
組織標本は、固定処理されたものであってもよい。
クエン酸溶液の好適な例としては、クエン酸緩衝液が挙げられる。
【0016】
タンパク質分解酵素は、トリプシン、コラゲナーゼ、ディスパーゼ、パパイン、エラスターゼ、ヒアルロニダーゼ、キモトリプシン、及びプロナーゼからなる群より選択される少なくとも1つであることが好ましい。
この方法では、タンパク質分解酵素と共にEDTAを用いて前記標本を処理することも好ましい。
【0017】
界面活性剤は、Tween20、Tween80、Triton X-100、Triton X-114、NP-40、Brij 35、オクタグリコシド、プルロニック、及びスクロースモノラウレートからなる群より選択される少なくとも1つであることが好ましい。
【0018】
[2] 上記[1]の方法により組織標本から細胞分散液を調製し、そこから細胞を採取して、解析に用いることを特徴とする、組織標本中の細胞の解析方法。
【0019】
[3] クエン酸溶液、タンパク質分解酵素、及び界面活性剤溶液を含む、組織標本からの細胞調製用キット。
【発明の効果】
【0020】
本発明の細胞調製法は、簡便な手法により、細胞に与えるダメージを最小限に抑えつつ、組織標本から多くの細胞をよく分離された状態で調製することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0021】
以下、本発明を詳細に説明する。
本発明は、生体試料から作製した組織標本に、好適な温度範囲のクエン酸溶液、その後タンパク質分解酵素と2段階で作用させ、次いでその標本中に含まれる細胞を界面活性剤溶液中に分散させることにより、細胞へのダメージを最小限に抑えつつ細胞を良好な分散状態で調製することができる方法を提供する。この方法では、例えば倒立顕微鏡観察下で分散状態の細胞を確認しながら、目的の細胞又は細胞塊を選択的に分離採取することができる。
【0022】
本発明において「組織標本」とは、採取された器官、組織又は細胞集団などの細胞を含む生体試料に、生物学や組織学等の分野で使用される任意の保存処置を施したものを指す。
【0023】
本発明に係る組織標本は、任意の生体試料から作製したものであってよい。例えば、この組織標本は、ヒトの病理診断や細胞診のために採取された組織又は細胞塊、マウス等の動物の組織又は細胞塊、ヒト若しくは他の動物由来の培養細胞の細胞塊、培養細胞から分化した組織又は細胞塊を標本にしたもの等から作製されたものでもよい。組織標本は、任意の動物に由来するものであってよく、例えば、ヒト、ゴリラ、マントヒヒ、ニホンザル等の霊長類、イヌ、ネコ等の愛玩動物、ウマ、ウシ、ヒツジなどの家畜、マウス、ラット、モルモット、ハムスター等のげっ歯動物を始めとする哺乳動物、コイ、マグロ、サケ等の魚類、ニワトリ、ブンチョウ、カモなどの鳥類、ヘビ、トカゲなどの爬虫類などが挙げられるが、これらに限定されるものではない。組織標本は、例えば、リンパ節、脳、肺、胸腺、腎臓、膀胱、胃、筋肉、腸、粘膜、胚性組織などの正常組織から作製したものでもよいし、それらの組織を起源とする腫瘍組織又は癌化組織から作製したものでもよい。あるいは組織標本は、血液、リンパ液、精液、粘液、喀痰、尿、腹水、胸水、膿瘍、婦人科臓器や気管支からの擦過スメア標本等でもよい。組織標本は、正常細胞の他、腫瘍細胞、癌化細胞又は病原体感染細胞(ウイルス感染細胞、細菌感染細胞等)を含んでいてもよい。
【0024】
本発明に係る組織標本は、組織学分野で通常使用されるような任意の固定処理を施したものであることがより好ましい。組織学分野における固定とは、生物体の全体又は一部(器官、組織、細胞、細胞内分子構造など)に対し、その破損、自己分解、腐敗等を抑制し、外形、内部構造、物質組成などができるだけ生きているときの状態に近い形で保存されるように、生物において通常生じる動的な変化を停止させることを言う。その固定処理は、一般的には、水分凍結処理又はタンパク質変性処理によって行われる。水分の凍結による固定は、一般的には急激な冷却又は凍結乾燥等によって行うことができる。またタンパク質変性処理による固定は、加熱又は固定剤を用いた処理によって行うことができる。組織固定用の固定剤は、生物学や組織学の分野では周知であり、通常はタンパク質凝固剤やタンパク質架橋剤として知られる薬剤が用いられる。固定剤は、一般的には固定剤を含む溶液(固定液)、例えば、固定剤の他に適宜、pH調節剤、浸透圧調節剤、粘度調節剤(スクロースなど)等の他の成分を含む溶液の形態で適用される。固定液の例としては、例えばホルマリン(例えば中性緩衝ホルマリン)液、グルタール・アルデヒド液、ホルマリン・アルコール混液、アルコール(エタノール、メタノール)、ホルムアルデヒド液、パラホルムアルデヒド液、ピクリン酸溶液、Bouin液、Zenker液、Hely液、オスミウム液、又はカルノア液等が挙げられる。本発明の組織標本は、固定した後、脱水したものでもよい。本発明の範囲には、固定した又は固定していない組織標本のいずれを用いる場合も含まれる。
【0025】
本発明の組織標本は、さらに、包埋剤(パラフィン、メタクリル酸樹脂等の樹脂等)によって包埋したものであってよいし(包埋組織標本)、凍結したものであってもよいし(凍結組織標本)、又はスメア標本であってもよい。本発明の組織標本は、例えば、パラフィン包埋組織標本であってよいし、特に、ホルマリン等で固定されたパラフィン包埋組織標本であってもよい。包埋組織標本の場合、予め包埋剤をある程度除去してから本発明の方法に用いることが好ましい。例えばパラフィン包埋組織標本は脱パラフィン処理してから本発明の方法を適用することが好ましい。脱パラフィン処理は、パラフィンを溶解することができる非水性有機溶媒などの溶媒(キシレン、D-リモネン、オクタンなど)にパラフィン包埋組織標本を浸漬し、その溶媒を何度か新しいものに交換する方法などの常法によって行うことができる。その溶媒の使用量は、通常はその組織標本が十分浸漬しうる量であればよい。なお、脱パラフィン処理後の組織標本については、好ましくは、エタノールの水希釈系列に順次浸漬する方法などにより親水化処理を行うのがよい。
【0026】
本発明の方法において、組織標本は、0.1〜100μm、より一般的には1〜50μm、典型的には1〜10μm程度の厚さの切片、ブロック等に切断して用いることが好ましい。また組織標本は、限定するものではないが、観察上便利なように、支持担体にマウント又は収容した状態でクエン酸溶液処理及びタンパク質分解酵素処理等に供することが好ましい。支持担体としては、様々な形状や材質の基板、容器、基材等を用いることができるが、顕微鏡観察が可能な透明性のあるものが好ましく、また耐熱性(好ましくは60℃〜90℃又はそれ以上の温度に対する耐熱性)があるものが好ましい。支持担体は、限定するものではないが、例えばガラス製、プラスチック製、樹脂製であってもよい。支持担体の具体例としては、ガラス板、例えばスライドガラス等のスライドやカバーガラス、チップ基板、シャーレ、試験管などが挙げられる。組織及び細胞の剥離を防止するため、これらの支持担体には、細胞剥離防止コーティング、例えばシランコーティングを施したものを用いることがより好ましい。支持担体上へのマウントについては、例えば、脱パラフィン処理(パラフィン除去)したパラフィン包埋切片等の組織切片は、スライドガラス等の支持担体上に置き、進展及び乾燥により貼り付けてから、クエン酸溶液中での加熱処理に供することが好ましい。凍結組織切片やスメア標本等でスライドガラス上に貼り付けられているものは、そのままの状態でクエン酸溶液中での加熱処理に供することができる。
【0027】
本発明の方法では、上記のような組織標本を、クエン酸溶液中で60〜80℃、より好ましくは65℃〜80℃、さらに好ましくは75℃前後(73〜77℃)にて加熱処理する。具体的には、この加熱処理は、上記加熱温度、例えば60〜80℃に保持したクエン酸溶液中に組織標本を浸漬することによって行うことができる。
【0028】
ここで使用するクエン酸溶液は、クエン酸を含有する任意の水性溶液であってよく、例えばクエン酸水溶液、クエン酸を添加した塩類含有水溶液、クエン酸緩衝液等を用いることができる。好適なクエン酸溶液は、例えば0.1mM〜100mM、より好ましくは1〜30mM、典型的には10mMのクエン酸を含有する。本発明に係るクエン酸溶液は、酸性度(pH)や浸透圧を細胞や組織に傷害を与えない程度に調節したものを用いることが好ましい。この点でクエン酸緩衝液は、本発明の方法において特に好適に用いることができる。本発明で用いるクエン酸溶液のpHは、組織標本の状態に応じてpH2〜12の範囲で変動させることができるが、好ましくはpH5〜8、より好ましくはpH6〜7である。例えば、本発明において使用するクエン酸緩衝液は、クエン酸水溶液とクエン酸塩(クエン酸ナトリウム、クエン酸カリウム等)とを混合して調製することもできるし、クエン酸を水(精製水、純水等)に溶解したクエン酸水溶液にpH調整のために水酸化物(NaOH、KOH等)を加えることにより調製することもできるが、これらに限定されず、当業者であれば適宜の処方で調製することができる。本発明に係るこのようなクエン酸溶液は、温和なタンパク質分解作用を有する。
【0029】
組織標本をクエン酸溶液中で加熱処理する時間は、クエン酸溶液の濃度や組織標本の状態に応じてある程度変動しうるが、通常は5分〜30分間、好ましくは10分〜20分間、典型的には15分間でありうる。
【0030】
このようにして、組織標本をクエン酸溶液中で100℃を下回る温度で加熱処理することにより、細胞内の核酸やタンパク質の変性を抑制し、細胞の破壊を防止しながら、組織標本中に含まれる細胞間の結合を顕著に弱めることができる。
【0031】
本発明の方法では、上記のようなクエン酸溶液中での加熱処理を施した組織標本を、さらにタンパク質分解酵素で処理する。クエン酸溶液中での加熱処理で細胞間結合が弱められた組織標本にタンパク質分解酵素を作用させることによって、細胞間結合の分解を促進する。
【0032】
ここで用いるタンパク質分解酵素は、細胞間結合を分解しつつ細胞膜等を極力消化しない温和な作用の酵素であることが好ましい。そのようなタンパク質分解酵素としては、細胞分散剤に使用される酵素として当業者には公知のものを使用することができる。好適なタンパク質分解酵素としては、限定するものではないが、例えば、トリプシン、コラゲナーゼ、ディスパーゼ、パパイン、エラスターゼ、ヒアルロニダーゼ、キモトリプシン、プロナーゼ等が挙げられる。これらの酵素はinvitrogen社等によって製造されており、市販品として入手することができる。
【0033】
上記のようなタンパク質分解酵素は、水、緩衝液又は塩類含有溶液等の水性溶液に含有させたタンパク質分解酵素含有溶液として、組織標本に適用することが好ましい。緩衝液としては、リン酸緩衝液(例えば、PBS)、トリス(ヒドロキシメチル)アミノメタン(Tris)緩衝液、グリシン緩衝液、グット緩衝液等を用いることができる。タンパク質分解酵素含有溶液中のリン酸等の緩衝剤の濃度は、1〜100mMであることが好ましい。また塩類含有溶液としては、限定するものではないが、塩化ナトリウム、塩化カルシウム、塩化マグネシウム、塩化リチウム等の任意の塩類を含有する水溶液、例えば、生理食塩水、リンゲル液、タイロード液等の生理塩類溶液を用いることができる。タンパク質分解酵素含有溶液中の塩類の濃度は、1〜500mMであることが好ましい。そのようなタンパク質分解酵素含有溶液は、溶液全量に対して好ましくは0.01%〜10%(質量%)、より好ましくは0.1〜1.0%(質量%)のタンパク質分解酵素を含有するものであってよいが、これらに限定はされない。なおタンパク質分解酵素含有溶液のpHは、pH2〜12の間でタンパク質分解酵素の作用pH範囲その他の条件に応じて適宜調整することができるが、好ましくはpH5〜8である。
【0034】
上記のタンパク質分解酵素含有溶液に、核酸分解を防止するためのヌクレアーゼ阻害剤又はRNAaseインヒビターや、イオン結合やタンパク質間結合の解離を促進するキレート剤等の追加成分をさらに含有させることにより、タンパク質分解酵素と共にその追加成分を用いて組織標本を処理してもよい。ヌクレアーゼ阻害剤としては、エチレンジアミン四酢酸(EDTA)、グリコールエーテルジアミン四酢酸(EGTA)、それらの塩等が挙げられる。上記追加成分として、EDTAはとりわけ好適である。EDTAは、例えばEDTAのナトリウム塩としてタンパク質分解酵素含有溶液に加えてもよい。EDTAはヌクレアーゼ阻害剤として機能するだけでなく、キレート剤としても機能し、細胞間又は細胞と他の共存物質との間に存在するイオン結合やタンパク質間結合の解離を促進することができる。EDTA等の追加成分は、適当な濃度となるようにタンパク質分解酵素含有溶液に含有させればよい。例えば、タンパク質分解酵素含有溶液中のEDTA濃度は、通常は0.005〜200mM、好ましくは0.01〜10mM、より好ましくは0.1〜5mMである。
【0035】
本発明に係るタンパク質分解酵素含有溶液の好適な具体例としては、トリプシンとEDTAとを含有する溶液、例えば、0.25% トリプシン-1mM EDTA・4Na液(これは水溶液であっても生理食塩水溶液であってもよいが、これらに限定されない)が挙げられる。
【0036】
上記のようなタンパク質分解酵素含有溶液は、自己消化による失活を防ぐため、-5〜-20℃で保存しておき、使用直前に解凍したものを用いることが好ましい。これにより、活性を保った状態でタンパク質分解酵素含有溶液を使用することができる。
【0037】
組織標本のタンパク質分解酵素処理は、限定するものではないが、例えば、上記のようなタンパク質分解酵素含有溶液をクエン酸溶液中で加熱処理した組織標本に添加(上層)するか、又はタンパク質分解酵素含有溶液中にその組織標本を浸漬して、そのタンパク質分解酵素の作用温度(好ましくは至適温度)でインキュベートすることにより行うことができる。そのタンパク質分解酵素処理の温度は、当業者であれば用いる酵素に応じて適宜設定することができるが、通常は30〜40℃、典型的には37℃とすることができる。酵素処理の時間も、用いる酵素に応じて適宜設定すればよいが、好ましくは20分〜120分、より好ましくは40分〜90分とすることができる。
【0038】
このタンパク質分解酵素処理により、組織標本中の細胞間結合の分解はさらに進み、組織標本から細胞が容易に分離される状態になる。特に、異なる組織、器官又は細胞型の細胞間の結合は、同一の器官、組織又は細胞型の細胞間の結合より弱いことからより優先的に良好に分解される。しかしながら、組織標本に対して余計な外力を加えない限りは、そのタンパク質分解酵素処理後の組織標本は、クエン酸溶液処理及びタンパク質分解酵素処理以前の組織構造をなお維持できることから、顕微鏡(例えば、倒立顕微鏡などの光学顕微鏡)下で観察することにより、組織標本中の各種生物学的構造(例えば、血管壁など)を構成する細胞を識別することが可能である。
【0039】
本発明の方法では、次に、このようにしてクエン酸溶液処理及びタンパク質分解酵素処理し、そこに含まれる細胞が容易に分離される状態となった組織標本中の細胞を、界面活性剤溶液中に分散させる。例えば、組織標本に界面活性剤溶液を添加(上層)し、その溶液中で組織標本をニードル等で掻爬することにより、細胞間の分離が進んでいる細胞又は細胞塊を容易に溶液中に浮遊させることができる。あるいは、ニードル等で組織標本から掻き取った細胞又は細胞塊を、界面活性剤溶液中に加えてもよい。このとき、顕微鏡下で観察しながら、組織標本から目的の細胞が多く含まれる部位を取り出して界面活性剤溶液中に分散させることも好ましい。そのようにして得られる細胞又は細胞塊を含む界面活性剤溶液を、必要に応じて採取し、例えばピペッティング等により穏やかに混合すると、非常にもろくなっていた細胞間の結合がさらに解離し、細胞が個々に単離されるか又は小細胞塊として溶液中に遊離する結果、界面活性剤中に細胞を分散させることができる。このようにして調製される細胞分散液中には、単離された細胞や同じ細胞型の細胞により構成された小細胞塊が良好な分散状態で多量に存在する。
【0040】
ここで界面活性剤としては、タンパク質変性作用が少なく温和な作用を示す、非イオン性界面活性剤又は両イオン性界面活性剤を用いることが好ましい。そのような界面活性剤の例としては、限定するものではないが、Tween20(ポリオキシエチレン(20)ソルビタンモノラウレート)、Tween80(ポリオキシエチレン(20)ソルビタンモノオレエート)、Triton X-100(ポリオキシエチレン(10)オクチルフェニルエーテル)、Triton X-114(ポリオキシエチレン(8)オクチルフェニルエーテル)、NP-40(ポリオキシエチレン(9)オクチルフェニルエーテル)、Brij 35(ポリオキシエチレン(23)ラウリルエーテル)、オクタグリコシド(例えば、オクチルグルコピラノシド、オクチルチオグルコピラノシドなど)、プルロニック(Pluronic(R);ポリオキシエチレン-ポリオキシプロピレンブロックコポリマー。例えば、プルロニックF127、プルロニックF68、プルロニックP105など)、スクロースモノラウレートが挙げられる。
【0041】
本発明で用いる界面活性剤溶液は、上記のような界面活性剤を、緩衝液又は塩類含有溶液等の水性溶液に含有させたものが好ましい。緩衝液としては、リン酸緩衝液(例えば、PBS)、トリス(ヒドロキシメチル)アミノメタン(Tris)緩衝液、グリシン緩衝液、グット緩衝液等を用いることができる。界面活性剤溶液中のリン酸等の緩衝剤の濃度は、1〜100mMであることが好ましい。また塩類含有溶液としては、限定するものではないが、塩化ナトリウム、塩化カルシウム、塩化マグネシウム、塩化リチウム等の任意の塩類を含有する水溶液、例えば、生理食塩水、リンゲル液、タイロード液等の生理塩類溶液を用いることができる。界面活性剤溶液中の塩類の濃度は、1〜500mMであることが好ましい。そのような界面活性剤溶液は、溶液全量に対して好ましくは0.001%〜0.1%(質量%)、より好ましくは0.01〜0.05%(質量%)の界面活性剤を含有するものであってよいが、これらに限定はされない。なお界面活性剤溶液のpHは、pH2〜12の間で適宜調整することができるが、好ましくはpH5〜8である。この界面活性剤溶液の好適な例としては、Tween20含有緩衝液、例えば、0.02% Tween20を含有するリン酸緩衝液(0.02% Tween20/PBS;組成:0.02% Tween20、10mM PBS、pH 7.4)が挙げられる。ここで用いるPBSは、当業者であれば容易に調製することができるが、例えば、NaCl 8g、Na2HPO4 1.1g、KCL 0.2g、KH2PO40.2gを精製水に混合し、計1Lになるよう調製する方法も好ましい。
【0042】
上記界面活性剤溶液に、核酸分解を防止するためのヌクレアーゼ阻害剤又はRNAaseインヒビターや、イオン結合やタンパク質間結合の解離を促進するキレート剤等の追加成分をさらに含有させることも好ましい。ヌクレアーゼ阻害剤としては、エチレンジアミン四酢酸(EDTA)、グリコールエーテルジアミン四酢酸(EGTA)、それらの塩等が挙げられる。
【0043】
上記で処理した組織標本由来の細胞を界面活性剤溶液中に分散させることにより、細胞が容器や採取機材に付着したり溶液中で不安定に浮遊したりすることを防ぎ、分散状態が良好に維持される安定な細胞分散液を得ることができる。
【0044】
以上のような本発明の細胞の調製方法では、上記のクエン酸溶液処理工程及びタンパク質分解酵素処理工程の前後、及び界面活性剤溶液に細胞を分散させる工程の前に、組織標本を、緩衝液又は塩類含有溶液等で洗浄又は浸透化してもよい。ここで用いる緩衝液としては、限定するものではないが、リン酸緩衝液(例えば、PBS)、トリス(ヒドロキシメチル)アミノメタン(Tris)緩衝液、グリシン緩衝液、グット緩衝液等が挙げられるが、リン酸緩衝液が好ましく、リン酸緩衝生理食塩水(PBS)がより好ましく、10mM PBS(pH 7.4)(例えば、NaCl 8g, Na2HPO41.1g, KCL 0.2g, KH2PO4 0.2g+精製水 計1Lに調製したもの)がさらに好ましい。塩類含有溶液としては、限定するものではないが、塩化ナトリウム、塩化カルシウム、塩化マグネシウム、塩化リチウム等の任意の塩類を含有する水溶液、例えば、生理食塩水、リンゲル液、タイロード液等の生理塩類溶液を用いることができる。
【0045】
本発明の細胞の調製方法では、さらに、細胞の観察を容易にするため、組織標本を組織染色することも好ましい。本発明において「組織染色」とは、組織学等の分野で使用されるような染色法を使用して、細胞又は組織の特定の部位や構造を染色することを意味する。組織染色は、任意の組織学的染色法、例えば、ヘマトキシリン・エオジン染色、パパニコロウ染色、ギムザ染色、メイ・ギムザ染色、PAS染色、アルシアンブルー染色、ムチカルミン染色、メチルグリーン・ピロニン染色、ズダンIII染色、グリメリウス染色、グラム染色、グロコット染色、免疫染色(ABC法、PAP法、LAB法、LSAB法)等によって行うことができる。ヘマトキシリン・エオジン染色では、ヘマトキシリン色素により、負に荷電している生体部位が紫色〜淡赤色に染色され、例えば細胞核は紫色〜青紫色、石灰部、軟骨組織、粘液等は紅色から淡赤色に染色されるが、一方、エオジン色素により、負に荷電している細胞質、細胞間質、各種線維、赤血球、角化細胞等は赤〜濃赤色に染色される。このヘマトキシリン・エオジン染色により、顕微鏡観察下で組織構造の全体像を明らかにし、組織を構成する個々の構造やそこに含まれる細胞も識別することができるようになる。また、免疫染色では、例えば特定の細胞が有している細胞表面マーカーに対する抗体(例えば、血管内皮細胞が有する細胞表面マーカーCD34に特異的に結合する抗体)を一次抗体として用いて、組織標本中の特定の細胞に一次抗体を結合させ、さらにその一次抗体に対する抗体(二次抗体)を用いて一次抗体を捕捉し、常法によりその結合反応を検出することにより、特定の細胞の存在を識別することができるようになる。この免疫染色の際、例えばヘマトキシリン染色等の一般的な染色法を併用することにより、その特定の細胞と組織中の他の細胞を見分けることも可能になる。上記のような各種組織染色法についての詳細は、例えば「新・染色法のすべて [Medical Technology] 別冊」(医歯薬出版、1999.4発行)を参照することができる。
【0046】
組織染色の工程は、上記の組織標本からの細胞の調製方法における任意の時点で行うことができる。例えば、ヘマトキシリン・エオジン染色やヘマトキシリン染色(細胞核染色)は、限定するものではないが、タンパク質分解酵素処理の後であって界面活性剤溶液への細胞分散の前に行うことができる。また免疫染色は、限定するものではないが、クエン酸溶液処理の後であってタンパク質分解酵素処理の前に行うことが好ましい。これは、クエン酸溶液での加熱処理により、抗原賦活化の効果も得られるためである。
【0047】
本発明では、上記のような組織標本からの細胞の調製方法により得られた細胞分散液を用いて、目的の細胞を容易に分離採取することができる。細胞分散液は、上記の界面活性剤溶液を添加することにより、細胞密度を適宜調節してもよい。そのような細胞分散液を好ましくは倒立顕微鏡などの顕微鏡下で観察することにより、目的の細胞を、上記のような組織染色に基づいて又は細胞形態等に基づいて、細胞毎に単離された状態又は同一の細胞型の細胞から構成される小細胞塊として見出すことができる。見出された目的の細胞は、細胞分散液から、マイクロニードルや毛細管等を使用した吸引操作などにより、選択的に分離採取することができる。あるいは、細胞分散液中に目的の細胞以外の不要な細胞が少量混在している場合には、その不要な細胞を選択的に採取して除去することにより、目的の細胞のみを採集することができる。目的の細胞は、組織標本に含まれうる任意の細胞であってよい。限定するものではないが、例えば、血管内皮細胞、ホジキン細胞、リンパ腫細胞、腺上皮細胞、腺房細胞、筋細胞、線維細胞、神経細胞、腺癌細胞、肉腫細胞、メラノーマ細胞、マクロファージ、リンパ球等を目的の細胞として本発明の方法により組織標本から好適に分離採取することができる。
【0048】
本発明の方法では、細胞間の結合を分解し、細胞を個別に又は小細胞塊として溶液中に分散させた状態で、かつ細胞像を顕微鏡で確認しながら、細胞を個別に採取できるため、例えば突起がある細胞や不定形細胞等を採取する場合でも、周囲の細胞から確実に分離した状態で採取することができる。
【0049】
本発明の方法により選択的に分離採取された目的の細胞は、細胞を用いる任意の解析、例えば細胞学的、分子生物学的、遺伝学的、生化学的、又は微生物学的解析等に用いることができる。より具体的には、例えば、分離採取された目的の細胞から常法により核酸やタンパク質を抽出し、それを解析することにより、その細胞の遺伝学的特性や生化学的特性等の任意の性質を解析することができる。あるいは、その細胞が細菌、ウイルス等の病原体に感染している細胞の場合には、その細胞から病原体を抽出し、それを解析することもできる。このような細胞の解析(細胞学的、分子生物学的、遺伝学的、生化学的、又は微生物学的解析等を含む)により、組織標本中に存在していた細胞の特性を詳細に調べることができることから、例えば特定の癌患者の組織標本に含まれる癌細胞について詳細な解析を行うことも可能になる。本発明は、上記のような組織標本からの細胞の調製方法を利用して細胞を分離採取し、それを解析に用いることによる細胞の解析方法も提供する。このような細胞の解析方法は、細胞学的、分子生物学的、遺伝子学的、微生物学、生化学的解析等に手軽に広く利用することができ、多くの検体や症例を容易に解析できることから、例えば、大規模で詳細な病態解析をより容易に実施することを可能にすることができる。
【0050】
本発明の方法により、組織標本から細胞を分離状態で調製し、さらに目的の細胞を分離採取する方法の具体的な実験手順の例を下記に2つ挙げる。しかし本発明はこれらの例に限定されるものではない。
1)免疫染色(ABC法)の場合(ヒト組織標本)
1. パラフィン包埋切片を5μmの厚さで、シランコートされたスライドガラスに貼り付ける。
2. キシレン、エタノールで脱パラフィン処理する。
3. 水洗、PBSに浸透させる。
4. 75℃の10mMクエン酸緩衝液(PH 6.0)に15分間浸透させる。
5. PBS洗浄、5分3回
6. 必要に応じて、ブロッキング処理を行う。Dako Penで組織の周りをガードする。
7. 一次抗体反応
8. PBS洗浄、5分3回
9. 二次抗体(ビオチン標識)反応
10. PBS洗浄、5分3回
11. ペルオキシダーゼ標識ストレプトアビジン反応
12. PBS洗浄、5分3回
13. DAB発色
14. 水洗、PBSに浸透させる。
15. 解凍直後の活性を保った0.25%トリプシン-1mM EDTA・4Na液を組織の上に十分量のせ、37℃にセットしたホットプレート上にのせ、60分置く。この際、乾燥を防ぐため、湿らせた紙などと一緒にカバーを置く。インキュベーター内で60分置くのでも良い。
16. PBS洗浄、5分3回
17. ヘマトキシリン核染色
18. 水洗、PBSに浸透させる
19. 0.02%Tween20/PBSを組織上にのせる。
20. 倒立顕微鏡の観察下で、目的の染色された細胞が多く含まれる部位をニードルの先端で大まかに掻いていき、上澄みの0.02%Tween20/PBSに浮遊させる。
21. この細胞が入っている0.02%Tween20/PBSをピペットで吸い取り、チップ内で何回か泡立てないようにピペッティング後、シャーレに移す。
22. 倒立顕微鏡の観察下で、27G以下のニードル付きシリンジで細胞を吸い取りやすい程度の密度に0.02%Tween20/PBSで薄める。
23. 細胞が底に沈み、観察及び採取しやすくなるのを待ち、27G以下のニードル付きシリンジで吸引採取していく。
24. 別の細胞が混入した場合、別のシャーレに移し、0.02%Tween20/PBSで薄めて、さらに選択吸引する。あるいは、不要な細胞を吸引し、破棄してもよい。
25. 採取細胞数は、用いる既製のDNAまたはRNA抽出用キット等が推奨する細胞数を参考にする。
【0051】
2)ヘマトキシリン・エオジン染色の場合(ヒト組織標本)
1. パラフィン包埋切片を5μmの厚さで、シランコートされたスライドガラスに貼り付ける。
2. キシレン、エタノールで脱パラフィン処理する。
3. 水洗、リン酸緩衝液(以下PBS)に浸透させる。
4. 75℃の10mMクエン酸緩衝液(PH 6.0)に15分間浸透させる。
5. PBS洗浄、5分3回
6. 次の工程7で溶液がスライドガラスからこぼれないように、Dako Penで組織の周りをガードする。
7. 解凍直後の活性を保った0.25%トリプシン-1mM EDTA・4Na液を組織の上に十分量のせ、37℃にセットしたホットプレート上にのせ、60分置く。この際、乾燥を防ぐため、湿らせた紙などと一緒にカバーを置く。インキュベーター内で60分置いてもよい。
8. PBS洗浄、5分3回
9. ヘマトキシリン・エオジン染色する。濃い目に染色したほうが、工程15まで細胞が観察しやすくなる。
10. 水洗の後、PBSに浸透させる。
11. 0.02%Tween20/PBSを組織上にのせる。
12. 倒立顕微鏡下で、目的の細胞が多く含まれる部位をニードルの先端で大まかに掻爬していき、上澄みの0.02%Tween20/PBSに浮遊させる。
13. この細胞が入っている0.02%Tween20/PBSをピペットで吸い取り、チップ内で何回か泡立てないようにピペッティング後シャーレに移す。ピペットチップやシャーレ、マイクロニードルは、細胞の付着を軽減するため、予め0.02%Tween20/PBSを流しておくことが好ましい。
14. 倒立顕微鏡観察下で、細胞を27G以下のマイクロニードル付きシリンジで吸い取りやすい密度にするため、0.02%Tween20/PBSで薄め、細胞の間隔を適度にあける。
15. 細胞が底に沈み、観察採取しやすくなるのを待ち、27G以下のニードル付きシリンジで吸引採取していく。
16. 別の細胞が混入した場合、別のシャーレに移し、0.02%Tween20/PBSで薄めて、さらに選択吸引する。あるいは、不要な細胞を吸引し、破棄してもよい。
【0052】
さらに本発明は、上記に記載したクエン酸溶液、タンパク質分解酵素、及び界面活性剤溶液を含む、組織標本からの細胞調製用キットも提供する。
【0053】
クエン酸溶液、タンパク質分解酵素、界面活性剤溶液は、好ましくは、純化精製処理、滅菌処理、ヌクレアーゼ除去した状態で密封したものであってよい。簡便化や汚染防止のために、それらの試薬は予め所定の量に分注して包装されていてもよい。このような本発明のキットは、さらに、細胞の分離採取のためのマイクロニードル等の必要器具等を含んでもよい。このようなキットを用いれば、一連の実験を簡便、迅速かつ精密に行うことができる。このキットは、組織標本からの細胞分離に従来使用されてきたレーザーマイクロダイセクション装置の価格と比較して、格段に安価で、格段に簡便、手軽に利用できる。
【0054】
本発明を用いれば、組織標本から、特殊精密機器等を使用せずに顕微鏡観察下で、安価で簡便な処理により、目的の細胞以外の細胞や組織を混入させることなく、目的の細胞を選択的に分離採取することができる。
【実施例】
【0055】
以下、実施例を用いて本発明をさらに具体的に説明する。但し、本発明の技術的範囲はこれら実施例に限定されるものではない。
[実施例1] 組織標本からの細胞分離1−免疫染色(ABC法)の利用
本実施例では、ヒトリンパ腫患者から切除したリンパ節のホルマリン固定パラフィン包埋標本から、血管内皮細胞(抗CD34抗体で検出可能、不定形)、及びホジキン細胞(単核で大型核小体を有する大型球形細胞であり、抗VEGF抗体で検出可能)をそれぞれ選択的に分離採取した。図1には、例示的に、細胞の解離が進む様子を血管内皮細胞について観察した結果を示した。
【0056】
まず、上記標本から得た5μm厚のパラフィン包埋切片をシランコートスライドガラス(マツナミ製)上に載せ、常法により乾燥させて貼り付けた。次にこのパラフィン包埋切片が付着したスライドガラスをキシレン(約150μl)中に入れ、室温で15分間浸し、キシレンを交換して3分間2回浸すことにより、脱パラフィン処理を行った。続いて脱パラフィン処理したサンプルを100%エタノール中に3分間2回、95%エタノール(精製水で希釈)中に3分間2回浸し、親水化処理を行った。親水化処理後、サンプルを精製水で洗浄し、さらにPBS(リン酸緩衝生理食塩液;ここでは10mM PBS(pH 7.4)[NaCl 8g, Na2HPO4 1.1g, KCL 0.2g, KH2PO40.2g+精製水 計1Lに調製したもの];以下同様)中で室温にて5分間インキュベートすることにより浸透化した。浸透化処理後のサンプルを、75℃で保持した10mMクエン酸緩衝液(組成:10mMクエン酸ナトリウム緩衝液、pH 6.0)中で15分間インキュベートすることにより浸透化した。なおこの10mMクエン酸緩衝液は、予めクエン酸一水和物(C6H8O7・H2O)0.38g、クエン酸三ナトリウム二水和物(C6H5O7Na3・2H2O)2.41g、及び精製水で計1Lに調製した。次いでサンプルをPBSで5分間×3回洗浄した。洗浄後、サンプルを3%過酸化水素加メタノール10分、PBSで5分間3回洗浄後、次いで10%ヤギ正常血清で10分処理することにより、ブロッキング処理を行った。さらに、以降の工程で添加する溶液がスライドガラスからこぼれないようにするため、Dako Pen(DAKO)を使用してスライドガラス上の組織切片の周りを囲った。
【0057】
次いで、一次抗体として血管内皮細胞については抗CD34抗体((株)ニチレイ)、ホジキン細胞については抗VEGF抗体(Santa Cruz Biotechnology, Inc.)を使用し、それぞれ別個のサンプルを用いて、免疫染色の一次抗体反応を行った。
【0058】
具体的には、上記のヤギ正常血清を用いたブロッキング反応(10分)後のサンプルから液を捨て、切片の周囲をろ紙でふき取り、一次抗体の抗CD34抗体(マウスモノクローナル抗体;ニチレイ社)を切片上に載せて、4℃で一晩反応させた。使用した抗CD34抗体は即時使用可能な濃度調整済みのものである。
【0059】
一方、抗VEGF抗体(ウサギポリクローナル抗体;Santa Cruz Biotechnology, Inc.)は、PBSで400倍に希釈調整して使用した。上記のヤギ正常血清を用いたブロッキング反応(10分)後のサンプルから液を捨て、切片の周囲をろ紙でふき取り、調整した一次抗体の抗VEGF抗体(Santa Cruz Biotechnology, Inc.)を切片上に載せて、室温で3時間反応させた。
【0060】
次いで一次抗体反応後のサンプルをPBSで5分間×3回洗浄した後、さらに二次抗体反応を行った。具体的には、二次抗体としてビオチン標識した抗マウスIgG+抗ウサギIgG抗体(ヤギ抗体;濃度調整済;ニチレイ)を添加し、室温で10分、反応させた。
【0061】
二次抗体反応後のサンプルは、PBSで5分間×3回洗浄した後、ペルオキシダーゼ標識ストレプトアビジン反応に供した。まずペルオキシダーゼ標識ストレプトアビジン(濃度調整済み;ニチレイ)をサンプルに添加し、室温で5分間反応させた。得られたサンプルをPBSで5分間×3回洗浄した後、ペルオキシダーゼ基質キット(ニチレイ)を使用してDAB発色反応を行った。精製水1mlに発色基質(試薬A)と基質緩衝液(試薬B)を1dずつ混合し、発色試薬(試薬C)1dを加え混合した溶液を組織切片の上にのせた。発色の度合いを確認しながら、10分前後の反応時間とした。
【0062】
次いで、得られたサンプルを精製水で洗浄した後、PBS中で室温にて3分間インキュベートすることにより浸透化した。浸透化後、サンプルの組織切片の上に、解凍直後の活性を保った0.25% トリプシン-1mM EDTA・4Na液(水溶液)を十分量(組織切片の大きさに応じて約200〜300μl程度)載せ、それを37℃に加温したホットプレート上にのせて乾燥を防ぐため湿らせた紙などと一緒にカバーを置いて60分置いた。あるいはそれを、37℃に保温したインキュベーター内で60分置いた。
【0063】
反応後、サンプルをPBSで5分間×3回洗浄し、次いで精製水で洗浄した後、切片がついたスライドガラスをNew ヘマトキシリン液((株)武藤化学)約150mlに30秒ゆらしながら浸透することによりヘマトキシリン核染色を行った。
【0064】
こうして免疫染色(DAB発色により茶褐色に染色)とヘマトキシリン核染色(紫色に染色)とを行った後の血管内皮細胞の染色像が図1Aに示されている。図1Aに示されるように、ほぼ血管内壁のみが茶褐色に免疫染色されていることから、血管内皮細胞が抗CD34抗体で特異的に染色されたことが示された。またこの組織切片においては、他のリンパ腫細胞等から、血管内皮細胞が分離され、良好な解離状態であった。同様にホジキン細胞についても、他のリンパ球等からホジキン細胞が単離し、解離状態は良好であることが示された。
【0065】
次いで、上記のように免疫染色及びヘマトキシリン核染色を行ったサンプルを精製水で洗浄し、PBS中で室温にて3分間にわたりインキュベートして浸透化した後、組織切片の上に0.02% Tween20を含むPBS溶液(以下、0.02% Tween20/PBS)を組織切片の大きさに応じて約200〜300μl載せた。
【0066】
倒立顕微鏡下でこのサンプルの染色像を観察しながら、組織切片上の免疫染色された細胞(それぞれ血管内皮細胞又はホジキン細胞)が多く含まれる部位をニードルの先端で大まかに掻くことにより、上層した0.02% Tween20/PBS中にその部位の細胞を解離させ、浮遊させた。倒立顕微鏡下で観察すると、0.02% Tween20/PBS中には細胞及び小細胞塊が細胞単独又は細胞種毎によく解離した状態で含まれていた。0.02% Tween20/PBS中に浮遊させた血管内皮細胞の細胞塊の写真を図1Bに例示する。
【0067】
この細胞を含む0.02% Tween20/PBSを、ピペットで吸い取り、チップ内で泡立てないように何回かピペッティングして細胞の分散を促進した後、シャーレに移した。シャーレ中の細胞含有0.02% Tween20/PBS溶液(細胞分散液)を、0.02% Tween20/PBSを適宜加えることにより希釈し、続いて細胞を観察及び採取しやすいように、細胞がシャーレの底に沈むまで静置した。その後、倒立顕微鏡下で観察したところ、溶液中の細胞の分散状態は良好であった。図1C及びDには、このようにして溶液中に分散した血管内皮細胞の写真を示した。
【0068】
次いでそのシャーレ中の溶液から、倒立顕微鏡下、27ゲージ(G)以下のニードル付きシリンジを使用して、免疫染色された目的の細胞(血管内皮細胞又はホジキン細胞)を吸引採取した。血管内皮細胞又はホジキン細胞であるかどうかは、その形態学的特徴からも判断した。なお目的の細胞とは異なる細胞が混入した場合には、採取液を別のシャーレに移して0.02% Tween20/PBSを加えて希釈し、そこから再度、目的の細胞を選択吸引した。
【0069】
以上のようにして収集した血管内皮細胞及びホジキン細胞のそれぞれの吸引液には、倒立顕微鏡下で再度観察したところ、目的の細胞以外の細胞はほぼ含まれていなかった。
【0070】
血管内皮細胞は、不定形で、組織標本において周囲の細胞の隙間やその裏側などにネットワーク構造を形成しているため、隣接する細胞から分離させることが難しい。例えばレーザーマイクロダイセクション法で血管内皮細胞を分離する場合、他の細胞が混入しやすいと思われる。またホジキン細胞も、組織中に孤立してバラバラに存在するため、周囲の組織からうまく分離採取することが困難な細胞である。上記実施例により、そのような血管内皮細胞とホジキン細胞をそれぞれ良好に他の組織から解離させ、単離することができたことから、本発明の方法を細胞の分離調製のために有利に使用できることが示された。
【0071】
[実施例2] 組織標本からの細胞分離2−ヘマトキシリン・エオジン染色の利用
本実施例では、免疫染色の代わりにヘマトキシリン・エオジン染色を用いること以外は実施例1と同様の細胞分離法を用いて、マウスの腸管組織のホルマリン固定パラフィン包埋標本から、粘膜上皮細胞を選択的に分離採取した。
【0072】
まず、上記標本から得た5μm厚のパラフィン包埋切片をシランコートスライドガラス(マツナミ製)上に載せ、常法により乾燥させて貼り付けた。次にこのパラフィン包埋切片が付着したスライドガラス(サンプル)をキシレン(150μl)中に入れ、室温で10分間静置し、キシレンを交換してこの静置ステップをさらに2回繰り返すことにより、脱パラフィン処理を行った。続いて脱パラフィン処理したサンプルを100%エタノール中に3分間2回、95%エタノール(精製水で希釈)中に3分間2回浸すことにより親水化処理を行った。親水化処理後、サンプルを精製水で洗浄し、さらにPBS中で室温にて5分間インキュベートすることにより浸透化した。浸透化したサンプルを、75℃に保持した10mMクエン酸緩衝液(組成:10mMクエン酸ナトリウム緩衝液、pH 6.0)中で15分間インキュベートすることにより浸透化した。次いでサンプルをPBSで5分間×3回洗浄した。洗浄後、Dako Pen(DAKO)を使用してサンプルのスライドガラス上の組織切片の周りを囲った。
【0073】
次いで、サンプルの組織切片の上に、解凍直後の、活性を保った0.25%トリプシン-1mM EDTA・4Na液(水溶液)を十分量(組織切片の大きさによって約200〜300μl程度)載せ、それを37℃に加温したホットプレート上にのせて、乾燥を防ぐため湿らせた紙などと一緒にカバーを置き、60分置いた。あるいはそれを、37℃に保温したインキュベーター内で60分置いた。
【0074】
反応後、サンプルをPBSで5分間×3回洗浄し、次いで、ヘマトキシリン・エオジン染色を行った。サンプルを、添加したヘマトキシリン液((株)武藤化学)と15分反応させ、軽く水洗し、1%塩酸70%エタノールをさっとのせて、すぐに水洗し、エオジン液(武藤化学)に5分浸透させた。このヘマトキシリン・エオジン染色により、細胞核が紫色に染色され、細胞質や間質は赤色に染色される。
【0075】
ヘマトキシリン・エオジン染色したサンプルを精製水で洗浄し、さらにPBS中で室温にて3分間インキュベートして浸透化した後、その組織切片の上に0.02% Tween20/PBSを、組織切片の大きさに応じて約200〜300μl載せた。
【0076】
倒立顕微鏡下でこのサンプルの染色像を観察したところ、組織切片において腸管の筋層、粘膜下層、粘膜上皮細胞が互いによく解離している様子が認められた。そこで次に、組織切片上の粘膜上皮細胞が多く含まれる部位をニードルの先端で大まかに掻爬することにより、上層した0.02% Tween20/PBS中にその部位の細胞を解離させ、浮遊させた。倒立顕微鏡下で観察すると、0.02% Tween20/PBS中には細胞及び小細胞塊が細胞単独又は細胞種毎によく解離した状態で含まれていた。
【0077】
この細胞を含む0.02% Tween20/PBSを、ピペットで吸い取り、チップ内で泡立てないように何回かピペッティングして細胞の分散を促進した後、シャーレに移した。シャーレ中の細胞含有0.02% Tween20/PBS溶液(細胞分散液)を、0.02% Tween20/PBSを適宜加えることにより希釈し、続いて細胞を観察及び採取しやすいように、細胞がシャーレの底に沈むまで静置した。その後、倒立顕微鏡下で観察したところ、溶液中の細胞の分散状態は良好であった。
【0078】
次いでそのシャーレ中の溶液から、倒立顕微鏡下、27ゲージ(G)以下のニードル付きシリンジを使用して、粘膜上皮細胞を吸引採取した。なお粘膜上皮細胞とは異なる細胞が混入した場合には、採取液を別のシャーレに移して0.02% Tween20/PBSを加えて希釈し、そこから再度、粘膜上皮細胞を選択吸引した。
【0079】
以上のようにして収集した吸引液には、倒立顕微鏡下で再度観察したところ、粘膜上皮細胞以外の細胞はほぼ含まれていなかった。
【0080】
[実施例3] 各種反応条件の検討
本実施例では、上記実施例に記載した各種反応条件についてさらなる検討を行った。
まず10mM クエン酸緩衝液(pH6.0)の代わりに10mM クエン酸緩衝液(pH7.0)を使用して、実施例1と同様の実験を行った。その結果、10mM クエン酸緩衝液(pH7.0)を使用した場合でも、トリプシン処理後の組織切片の染色像において、細胞同士の良好な解離が確認された。ただし、10mM クエン酸緩衝液(pH6.0)を使用する場合の方が解離はより進行することが示された。
【0081】
一方、10mM クエン酸緩衝液(pH6.0)の保持温度を、75℃の代わりに65℃又は室温(約20℃)とすること以外は実施例1と同様にして実験を行った。その結果、室温で実験した場合には、トリプシン処理後の組織切片における細胞の解離はほとんど認められなかった。一方、65℃で実験した場合、組織切片において細胞の良好な解離が認められたが、75℃の方がより良好な解離が得られることも示された。
【0082】
さらに、10mM クエン酸緩衝液(pH6.0)の代わりに2×SSC(食塩クエン酸緩衝液;クエン酸ナトリウム二水和物8.8g、NaCl 17.5g、H2Oを混合し、計1Lに調製したもの(pH 7.0))を用いること以外は実施例1と同様の実験を行ったところ、トリプシン処理後の組織切片において、解離レベルはより弱く、軽度の細胞萎縮が認められたものの、解離自体は認められることが示された。
【0083】
また、0.25% トリプシン-1mM EDTA・4Na液による処理時間を、60分から変更して行うこと以外は実施例1と同様にして実験を行った。その結果、反応時間が60分を大幅に超える場合(100分)で処理した場合には、トリプシン処理後の組織切片において細胞の解離は認められたが、細胞や核の変形が認められる場合があった。
【0084】
さらに、1)10mM クエン酸緩衝液(pH6.0)での処理は行うが0.25% トリプシン-1mM EDTA・4Na液による処理は行わない場合、及び2)10mM クエン酸緩衝液(pH6.0)での処理を行わず0.25% トリプシン-1mM EDTA・4Na液による処理を行う場合について、それぞれ、実施例1と同様の実験を行った。具体的には、実験1)については、0.25% トリプシン-1mM EDTA・4Na液との反応工程及びその後のPBSで5分間×3回の洗浄工程を除く実施例1に記載の実験を行い、染色した組織切片をニードルで掻爬して倒立顕微鏡下で低倍率にて観察したところ、細胞の解離はほとんど認められなかった(図2A)。同様に、実験2)について、75℃の10mM クエン酸緩衝液(pH6.0)での浸透化工程とそれに続くPBSで5分間×3回の洗浄工程を除く実施例1に記載の実験を行い、染色した組織切片をニードルで掻爬して倒立顕微鏡下で低倍率にて観察したところ、やはり細胞の解離はほとんど認められなかった(図2B)。これらの結果からは、クエン酸溶液処理とトリプシン溶液処理のそれぞれ一方だけでは、組織切片における細胞の解離はほとんど認められず、溶液中に細胞を良好に分散させることも困難であるため、細胞を分離最終可能な状態にはならないことが示された。
【0085】
また0.02% Tween20/PBSの代わりに、PBS、及び各種濃度のTween20を含むPBS(0.01%〜0.1%Tween20/PBS)をそれぞれ使用して、実施例1と同様の実験を行った。その結果、PBSを使用した場合には、器具への細胞の付着が著しいこと、採取した細胞を遠心分離する際にうまく上清と分離できないこと、液中で細胞が安定しないことから細胞分散液からの細胞の分離採取が困難であることなどの問題が生じた。0.01%〜0.1%(質量%)Tween20/PBSを用いて細胞採取が可能であったが、低濃度では、器具への付着がみられ、高濃度では溶液が泡立ちやすい点で、0.02% Tween20/PBSが細胞採取に最も適した濃度であることが示された。
【0086】
[実施例4] 分離採取した細胞からのDNAの抽出及び解析
単にPBS浸透のみ行った組織標本と比較して、クエン酸緩衝液、トリプシン、EDTA、Tween20による処理が組織標本から分離される細胞中のDNAに損傷を与えないかどうかを確認する目的で、パラフィン包埋組織標本から、以下のようにして細胞を分離採取し、採取した細胞からDNAを抽出し、さらにそのDNA解析を行った。
【0087】
まずヒト悪性リンパ腫由来細胞株の培養細胞(Raji細胞(東北大学細胞センターより提供)をRPMI(Roswell Park Memorial Institude)-1640(加10%FBS)培地でのホルマリン固定パラフィン包埋標本をシランコートスライドガラス(マツナミ)上に貼り付けたサンプルを3つ用意し、それぞれ実施例1と同様にして脱パラフィン処理及び親水化処理を行った。得られた各サンプルについて、次の1)〜3)の各条件以外は基本的に実施例1と同様の実験を行い、悪性リンパ腫細胞を採取した。
【0088】
1) PBS中、室温での浸透化を行った後、10mMクエン酸緩衝液(PH6.0)での浸透化・PBS洗浄工程及び0.25%トリプシン-1mM EDTA・4Na液処理・PBS洗浄工程をいずれも行わずに免疫染色し、標本切片から悪性リンパ腫細胞を採取。(対照実験)
2) 10mMクエン酸緩衝液(PH6.0)での浸透化(65℃、15分)、0.25%トリプシン-1mM EDTA・4Na液処理(37℃、60分)、その後、0.02% Tween20/PBS中に浮遊させた細胞の採取を行う。
3) 10mMクエン酸緩衝液(PH6.0)での浸透化(75℃、15分)、0.25%トリプシン-1mM EDTA・4Na液処理(37℃、60分)、その後の0.02% Tween20/PBS中に浮遊させた細胞の採取を行う。
【0089】
次いで、採取した細胞のうちそれぞれ約2×106個から、常法によりゲノムDNAを抽出し、それを鋳型として、GAPDH遺伝子を増幅するPCRを行った。このPCRに用いたプライマーは以下の通りである。
フォワードプライマー:5'-GAAGGTGAAGGTCGGAGT-3'(配列番号1)
リバースプライマー:5'-GAAGATGGTGATGGGATTTC-3'(配列番号2)
【0090】
PCR反応は以下の条件で行った:94℃で30秒、60℃で30秒、72℃で30秒を30サイクル。
【0091】
得られたPCR産物を2%アガロースゲルで電気泳動したところ、上記3条件由来のサンプルではいずれも明瞭なバンドが検出された。すなわち、上記2)及び3)の方法で得られた細胞に含まれるDNAを鋳型とした場合でも、PCR反応の阻害は認められず、また3条件のバンド間での差異も認められなかった。
【0092】
この結果から、本発明の細胞調製法によって組織標本から分離採取された細胞から抽出されるDNAは、DNA解析に利用可能な品質を保持していることが示された。
【産業上の利用可能性】
【0093】
本発明の細胞調製法は、細胞に与えるダメージを最小限に抑えつつ、細胞間結合を良好に分解し、組織を構成する細胞同士の解離を促進することができる。この方法を用いれば、組織標本から目的の細胞を破壊せずに選択的に分離採取することができる。この方法では溶液中に細胞を良好に分散させることができるので、通常は他の細胞や組織から分離採取しにくい形状や構造の細胞も容易に分離採取することができる。しかも本発明の方法は、単純な技法のみを使用し、高額な機器や試薬も使用しないため、簡便かつ経済的である。また本発明のキットは、例えば、病理組織学的検査用キットとして、細胞調製用に有利に使用することができる。
【図面の簡単な説明】
【0094】
【図1】図1は、本発明の方法において組織からの血管内皮細胞の解離が進行する様子を示す写真である。Aはクエン酸溶液及びトリプシン処理後の組織切片、Bはクエン酸溶液及びトリプシン処理後の組織切片由来の血管内皮細胞を含む細胞塊、C及びDは0.02% Tween20/PBS中に分散させた血管内皮細胞(C及びDは顕微鏡下の別視野である)の染色像を示す。
【図2】図2は、10mM クエン酸緩衝液(pH6.0)処理と0.25% トリプシン-1mM EDTA・4Na液処理のいずれかのみを行った場合の細胞の解離状態を示す写真である。Aは10mM クエン酸緩衝液(pH6.0)処理のみ行った組織切片由来の掻爬断片、Bは0.25% トリプシン-1mM EDTA・4Na液処理のみ行った組織切片由来の掻爬断片の染色像を示す。
【配列表フリーテキスト】
【0095】
配列番号1及び2の配列は、プライマーである。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
下記工程1)〜3)を含むことを特徴とする、組織標本からの細胞の調製方法。
1) 組織標本を、クエン酸溶液中で60〜80℃にて加熱処理する工程、
2) 加熱処理した前記標本を、タンパク質分解酵素で処理する工程、及び
3) 酵素処理した前記標本中の細胞を界面活性剤溶液中に分散させる工程
【請求項2】
クエン酸溶液中での前記加熱処理を5〜30分間行う、請求項1に記載の方法。
【請求項3】
前記標本を組織染色することをさらに含む、請求項1又は2に記載の方法。
【請求項4】
組織標本が、固定処理されたものである、請求項1〜3のいずれか1項に記載の方法。
【請求項5】
クエン酸溶液がクエン酸緩衝液である、請求項1〜4のいずれか1項に記載の方法。
【請求項6】
タンパク質分解酵素が、トリプシン、コラゲナーゼ、ディスパーゼ、パパイン、エラスターゼ、ヒアルロニダーゼ、キモトリプシン、及びプロナーゼからなる群より選択される少なくとも1つである、請求項1〜5のいずれか1項に記載の方法。
【請求項7】
タンパク質分解酵素と共にEDTAを用いて前記標本を処理する、請求項1〜6のいずれか1項に記載の方法。
【請求項8】
界面活性剤が、Tween20、Tween80、Triton X-100、Triton X-114、NP-40、Brij 35、オクタグリコシド、プルロニック、及びスクロースモノラウレートからなる群より選択される少なくとも1つである、請求項1〜7のいずれか1項に記載の方法。
【請求項9】
請求項1〜8のいずれか1項に記載の方法により組織標本から細胞分散液を調製し、そこから細胞を採取して、解析に用いることを特徴とする、組織標本中の細胞の解析方法。
【請求項10】
クエン酸溶液、タンパク質分解酵素、及び界面活性剤溶液を含む、組織標本からの細胞調製用キット。

【図1】
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【図2】
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【公開番号】特開2008−249543(P2008−249543A)
【公開日】平成20年10月16日(2008.10.16)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−92264(P2007−92264)
【出願日】平成19年3月30日(2007.3.30)
【出願人】(504157024)国立大学法人東北大学 (2,297)
【Fターム(参考)】