説明

質量分析を用いたinsitu検出方法

【課題】質量分析を用いた標的分子の高感度なin situ検出法の提供。
【解決手段】以下の工程:
(1)組織もしくは細胞を支持体表面に接触させて、該組織もしくは細胞に含まれる分子を該支持体表面上に転写する;
(2)該支持体を質量分析に供する;および
(3)質量分析の結果に基づいて、標的分子を検出する
を含む、組織もしくは細胞に存在する標的分子をin situに検出する方法。上記工程(3)において、画像処理により標的分子を染色することをさらに含む方法。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、組織や細胞に存在する標的分子を、質量分析を用いてin situに検出する新規方法に関する。
【背景技術】
【0002】
組織中に含まれる特定の分子の存在位置を同定するための方法として、例えば、組織化学的染色法や免疫染色法などが知られている。しかしながら、組織化学的染色法では、比較される組織間での染色度合いの違い、色分布の違いを観察するのみで、単一分子の正確な分布の確認は不明のままであった。他方、免疫染色法は、被染色タンパク質(即ち、標的タンパク質)が既知で、あらかじめ対応する抗体が存在する場合のみに適応され、標的タンパク質が選択的スプライシングや翻訳後修飾を受けたバリアントである場合、その識別は困難であった。また、標的タンパク質が受容体である場合のリガンド染色法でも、免疫染色法と全く同様の問題点が指摘されていた。
【0003】
上記の問題点を解決する手段の1つとして、質量分析法を利用した組織イメージング(以下、「MSイメージング」ともいう)が提唱されている(非特許文献1〜4を参照)。しかしながら、従来のMSイメージングでは、生物の組織片を質量分析用プレートに載せた後、該組織を乾燥させ、その上にマトリックスを塗布して、MALDI型質量分析を実施するため、標的タンパク質の定量的な比較(differential analysis)に様々な困難を伴う。例えば、(1) 乾燥組織表面の凹凸の出来方によりレーザ照射時のタンパク質のイオン化が不均一になる、(2) 組織が異なれば、そこに含まれる細胞、タンパク質、脂質、糖、低分子化合物その他成分がことごとく異なるため、それらの成分比の違いがマトリックスの結晶化に深刻な影響を及ぼす等の理由により、結果として多くのタンパク質の検出が不能になったり、定量値の振れが大きく定量的検討が出来なかったりした。
【0004】
さらに、従来法では、組織片を組織染色後にプレートに載せる場合、染料分子がタンパク質と混在するため、タンパク質のピーク強度を低下させたり、大量・多種類の染色分子によるノイズが発生し、データの解析を著しく困難にするといった欠点もあった。
【0005】
本発明者らは、これまでに、膜蛋白質(例えば、受容体)と、それと相互作用可能な化合物(例えば、可溶性リガンド)とを各々グループ化し、質量分析法を利用して両者を一括分析することが可能なプロテオーム解析法を提唱しており(特許文献1)、さらに、その実施に適した質量分析用プレートを記載している(特許文献2)。当該方法では、好ましくは、生体試料の可溶性画分中に含まれる分子は、ゲル電気泳動により分離され、当該ゲルを直接質量分析用プレートに接触させることにより、該プレート上に転写される。
しかしながら、当該方法のMSイメージングへの応用については示唆されていない。
【特許文献1】国際出願公開第02/56026号パンフレット
【特許文献2】国際出願公開第2004/031759号パンフレット
【非特許文献1】Shimma, S., & Setoh, M., J. Mass Spectrom. Soc. Jpn., 53: 230 (2005)
【非特許文献2】Karasawa, K., Komatsu, M., & Yamazaki, T., J. Mass Spectrom. Soc. Jpn., 53: 284 (2005)
【非特許文献3】Stoeckli M., Chaurand P., Hallahan D.E. & Caprioli R.M., Nat. Med., 7: 493-6 (2001)
【非特許文献4】Chaurand P, Schwartz SA, Billheimer D, Xu BJ, Crecelius A, Caprioli R.M., Anal. Chem., 76(4): 1145-55 (2004)
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
本発明の目的は、従来法の欠点を克服した新規MSイメージング技術を提供することであり、以って組織中に含まれる特定の分子の存在位置およびその量を明らかにする手段を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明者らは、上記の目的を達成すべく鋭意研究を重ねた結果、組織や細胞を破砕して標的タンパク質を含むフラクションを抽出・分離することなく、単に組織や細胞を直接質量分析用プレートに接触させることにより、意外にも効率よく、該組織・細胞に含まれるあらゆる分子を該プレート上に転写することができ、したがって、該プレート上に該組織・細胞を保持することなく質量分析を行うことができることを見出した。また、実際に様々な生物の組織片を接触させてタンパク質をプレートに転写した時に、比較される組織の同一性を問題にすることなく、異なる組織間でも標的タンパク質の定量的な比較(differential analysis)が精度よく実施できることを明らかにした。
本発明者らは、これらの知見に基づいてさらに検討を重ねた結果、本発明を完成するに至った。
【0008】
すなわち、本発明は、
組織もしくは細胞に存在する標的分子をin situに検出する方法であって、
(1)組織もしくは細胞を支持体表面に接触させて、該組織もしくは細胞に含まれる分子を該支持体表面上に転写する工程;
(2)該支持体を質量分析に供する工程;および
(3)質量分析の結果に基づいて、標的分子を検出する工程
を含む方法などを提供する。当該方法は、上記工程(3)において、画像処理により標的分子を染色することを含むこともできる。あるいは、上記工程(3)において、質量分析の結果に基づいて、組織もしくは細胞をプロファイリングすること、さらに2以上の異なる組織もしくは細胞におけるプロファイルを示差的(differential)に分析することを含むこともできる。
【発明の効果】
【0009】
本発明の方法は、組織片に直接マトリックスを塗布するのではなく、組織に分布するタンパク質を一旦質量分析用プレートに転写させた後にマトリックスを塗布するので、表面の凹凸によるレーザ照射時のタンパク質のイオン化の不均一性や、組織の成分比の違いによるマトリックスの結晶化への影響等の問題が解消され、より多くのタンパク質を検出すること、および定量的検討が可能である。さらに、被験組織を質量分析用プレートに転写させた後、該組織をプレートから剥がして組織染色できるので、染料分子の混在に起因するトラブルが発生しない。
【発明を実施するための最良の形態】
【0010】
本発明の方法において試料として用いられ得る組織もしくは細胞は、いかなるものであってもよく、任意の動植物の細胞[例えば、肝細胞、脾細胞、神経細胞、グリア細胞、膵臓β細胞、骨髄細胞、メサンギウム細胞、ランゲルハンス細胞、表皮細胞、上皮細胞、杯細胞、内皮細胞、平滑筋細胞、繊維芽細胞、繊維細胞、筋細胞、脂肪細胞、免疫細胞(例:マクロファージ、T細胞、B細胞、ナチュラルキラー細胞、肥満細胞、好中球、好塩基球、好酸球、単球)、巨核球、滑膜細胞、軟骨細胞、骨細胞、骨芽細胞、破骨細胞、乳腺細胞もしくは間質細胞、またはこれら細胞の前駆細胞、幹細胞もしくは癌細胞など]もしくは組織[例えば、脳、脳の各部位(例、嗅球、扁桃核、大脳基底球、海馬、視床、視床下部、大脳皮質、延髄、小脳)、脊髄、下垂体、胃、膵臓、腎臓、肝臓、生殖腺、甲状腺、胆嚢、骨髄、副腎、皮膚、肺、消化管(例:大腸、小腸)、血管、心臓、胸腺、脾臓、顎下腺、末梢血、前立腺、睾丸、卵巣、胎盤、子宮、骨、関節、脂肪組織(例:褐色脂肪組織、白色脂肪組織)、筋肉など]またはその切片について実施可能である。好ましくは、組織の横断切片のような薄片化された組織サンプルが挙げられるが、それらに限定されない。横断切片としては、例えば、約0.1μm〜約10mm幅のものが挙げられる。横断切片の調製法としては、上記非特許文献1〜4に記載された方法などを、必要に応じて適宜改変して、用いることができる。
【0011】
本発明の方法において検出対象となる標的分子は、試料として用いる組織もしくは細胞中に存在する分子であればいかなるものであってもよく、例えば、タンパク質(例:酵素、転写因子(糖タンパク質、リポタンパク質等の複合タンパク質を含む))、ペプチド、核酸(例:ポリヌクレオチド、オリゴヌクレオチド)、糖(例:多糖、オリゴ糖)、脂質(例:糖脂質、リン脂質、コレステロール、中性脂肪)、遊離脂肪酸、毒素、ウイルスエピトープ、ホルモン、酵素の基質もしくはインヒビター、コファクター、薬物、レクチンおよび抗体等が挙げられるが、それらに限定されない。好ましくは、標的分子はタンパク質である。
【0012】
本発明の方法における標的分子の数に特に制限はない。即ち、本発明の方法は、標的分子の検出に質量分析を用いることから、1もしくは数種の標的分子を検出するのに用いられ得ることはいうまでもないが、さらに多種(例えば、10種以上、100種以上など)の分子を網羅的に検出するのにも用いることができる。
したがって、本発明はまた、組織もしくは細胞中に含まれる分子を質量分析によって網羅的に検出して該組織もしくは細胞のプロファイリングを行う方法を提供する。当該方法を、2以上の異なる組織もしくは細胞(例えば、癌などの病変組織と正常組織、薬剤投与および非投与患者から採取された細胞など)に適用し、それらのプロファイルを相互に比較することにより、特定の被験組織もしくは細胞において顕著に発現が変動している分子を発見・同定することができ、例えば、腫瘍マーカーなどの疾患マーカー、リン脂質症などの毒性マーカーの探索等に有用である。このような比較分析は、2以上のプロファイルを目視にて比較して行うこともできるが、目的組織もしくは細胞の質量分析データから、対照組織もしくは細胞における同一質量数のピークを差引いた示差的発現のプロファイルをコンピュータ処理によりデータ出力することにより行うことが好ましい。
【0013】
本発明の方法は、従来のMSイメージング法とは異なり、細胞もしくは組織片を質量分析用プレート(支持体)に載せた状態で、その上にマトリックスを塗布して質量分析供するのではなく、組織もしくは細胞を支持体表面に接触させて、該組織もしくは細胞に含まれる分子を該支持体表面上に転写した後、該組織もしくは細胞を取り除いた状態で、該支持体にマトリックスを塗布して質量分析に供することを特徴とする。
【0014】
質量分析用プレートとして用いられる支持体は、組織もしくは細胞に含まれる分子を効率よく吸着し得る表面構造を有している限り、いかなるものであってもよい。そのような表面構造としては、例えば、官能基付加ガラス、Si、Ge、GaAs、GaP、SiO2、SiN4、改質シリコン、広範囲のゲル又はポリマー(例えば、(ポリ)テトラフルオロエチレン、(ポリ)ビニリデンジフロリド、ポリスチレン、ポリカーボネート、又はこれらの組合せなど)によるコーティングが挙げられる。複数のモノマー又はポリマー配列を有する表面構造としては、例えば、核酸の直鎖状及び環状ポリマー、ポリサッカライド、脂質、α−、β−又はω−アミノ酸を有するペプチド、クロマトグラフィーで使用されるゲル表面の担体(陰イオン性/陽イオン性化合物、炭素鎖1〜18からなる疎水性化合物、親水性化合物(例えば、シリカ、ニトロセルロース、セルロースアセテート、アガロース等)と架橋した担体など)、人工ホモポリマー(例えば、ポリウレタン、ポリエステル、ポリカーボネート、ポリウレア、ポリアミド、ポリエチレンイミン、ポリアリーレンスルフィド、ポリシロキサン、ポリイミド、ポリアセテート等)、上記化合物のいずれかに既知の薬物又は天然化合物が結合(共有及び非共有結合)したヘテロポリマー等によるコーティングが挙げられる。
【0015】
好ましい実施態様においては、質量分析用プレートとして用いられる支持体は、ポリビニリデンジフロリド(PVDF)、ニトロセルロースまたはシリカゲル、特に好ましくはPVDFで薄層コーティングされた基材[通常、質量分析用プレートにおいて使用されているものであれば、特に限定されず、例えば、絶縁体(ガラス、セラミクス、プラスチック・樹脂等)、金属(アルミニウム、ステンレス・スチール等)、導電性ポリマー、それらの複合体などが挙げられるが、好ましくはアルミニウムプレートが用いられる]である。支持体の形状は、例えばマルチタイタープレート様の形状や、使用する質量分析装置の、特に試料導入口に適合するような形状に適宜考案され得る。
【0016】
好ましくは、コーティングは、メンブレンのように予め成型された構造体を支持体上に重層するのではなく、コーティング分子が分散した状態で支持体上に堆積されて形成される薄層をいう。コーティング分子が堆積される態様は特に制限されないが、後述の質量分析用プレートの調製方法において例示される手段が好ましく用いられる。
薄層の厚さは、組織もしくは細胞に含まれる分子の転写効率および質量分析の測定感度等に好ましくない影響を与えない範囲で適宜選択することができるが、例えば、約0.001〜約100μm、好ましくは約0.01〜約30μmである。
【0017】
質量分析用プレート(支持体)は自体公知の方法により調製することができるが、例えば、上記の好ましい質量分析用プレートは、PVDF等のコーティング分子で支持体表面を薄層コーティングすることにより調製される。コーティングの手段としては、塗布、噴霧、蒸着、浸漬、印刷(プリント)、スパッタリングなどが好ましく例示される。
「塗布」する場合、コーティング分子を、適当な溶媒、例えば、ジメチルホルムアミド(dimethyl formamide;DMF)などの有機溶媒に適当な濃度(例えば、約1〜約100mg/mL程度)で溶解したもの(コーティング分子含有溶液)を、刷毛などの適当な道具を用いて基材に塗布することができる。
「噴霧」する場合、上記と同様にして調製したコーティング分子含有溶液を噴霧器に入れ、基材上に均一にPVDFが堆積されるように噴霧すればよい。
「蒸着」する場合、通常の有機薄膜作製用真空蒸着装置を用い、基材を入れた真空槽中でコーティング分子(固体でも溶液でもよい)を加熱・気化させることにより、基材表面上に該分子の薄層を形成させることができる。
「浸漬」させる場合、上記と同様にして調製したコーティング分子含有溶液中に基材を浸漬させればよい。
「印刷(プリント)」する場合は、基材の材質に応じて通常使用され得る各種印刷技術を適宜選択して利用することができ、例えば、スクリーン印刷などが好ましく用いられる。
「スパッタリング」する場合は、例えば、真空中に不活性ガス(例、Arガス等)を導入しながら基材とコーティング分子間に直流高電圧を印加し、イオン化したガスを該分子に衝突させて、はじき飛ばされたコーティング分子を基材上に堆積させて薄層を形成させることができる。
コーティングは基材全面に施してもよいし、質量分析に供される一面のみに施してもよい。
【0018】
コーティング分子は、コーティング手段に応じて適宜好ましい形態で使用することができ、例えば、コーティング分子含有溶液、コーティング分子含有蒸気、固体コーティング分子などの形態で基材にアプライされ得るが、コーティング分子含有溶液の形態でアプライすることが好ましい。「アプライする」とは、接触後にコーティング分子が支持体上に残留・堆積されるように支持体に接触させることをいう。アプライ量は特に制限はないが、コーティング分子量として、例えば、約10〜約100,000μg/cm2、好ましくは約50〜約5,000μg/cm2挙げられる。アプライ後に溶媒は自然乾燥、真空乾燥などにより除去する。
【0019】
質量分析用プレートにおける基材は、コーティング分子でコーティングする前に予め適当な物理的、化学的手法により、その表面を修飾(加工)しておいてもよい。具体的には、プレート表面を磨く、傷を付ける、酸処理、アルカリ処理、ガラス処理(テトラメトキシシランなど)等の手法が例示される。
【0020】
組織もしくは細胞に含まれる分子の質量分析用プレート(支持体)への転写は、該組織もしくは細胞を該支持体表面に接触させることにより達成され得る。標的分子を含めて、該組織もしくは細胞に存在する分子は、拡散により支持体表面に移行する。組織もしくは細胞を支持体表面に接触させておく時間は、少なくとも標的分子が支持体表面に移行するのに十分である限り、特に制限はないが、例えば、約1秒〜約180分である。また、転写温度も特に制限はないが、例えば、約−80〜約60℃、好ましくは、約4〜約37℃で行うことができる。
【0021】
また、当該転写後に、後の質量分析(MALDI法による)に有利なように、レーザー光を吸収し、エネルギー移動を通じて分析対象物分子のイオン化を促進するためにマトリックスと呼ばれる試薬を添加することもできる。当該マトリックスとしては、質量分析において公知のものを用いることができる。例えば、シナピン酸(sinapinic acid;SPA (=3,5-dimethoxy-4-hydoroxycinammic acid))、インドールアクリル酸(indoleacrylic acid;IAA)、2,5−ジヒドロキシ安息香酸(2,5-dihydroxybenzoic acid;DHB)、α−シアノ−4−ヒドロキシ桂皮酸(α-cyano-4-hydroxycinammic acid;CHCA)等が挙げられるが、これらに限定されない。好ましくは、DHBまたはCHCAである。
【0022】
上記の方法により支持体表面上に転写された被験組織もしくは細胞由来の分子を質量分析することにより、分子量に関する情報から、標的分子の存在位置および量を同定することができる。
質量分析装置は、ガス状の試料をイオン化した後、その分子や分子断片を電磁場に投入し、その移動状況から質量数/電荷数によって分離し、物質のスペクトルを求めることにより、物質の分子量を測定・検出する装置である。試料とレーザー光を吸収するマトリックスを混合、乾燥させて結晶化し、マトリックスからのエネルギー移動によるイオン化とレーザー照射による瞬間加熱により、イオン化した分析対象物を真空中に導くマトリックス支援レーザー脱イオン化(MALDI)と、初期加速による試料分子イオンの飛行時間差で質量数を分析する飛行時間型質量分析(TOFMS)とをあわせて用いるMALDI-TOFMS法、1分析対象物を1液滴にのせて液体から直接電気的にイオン化する方法、試料溶液を電気的に大気中にスプレーして、個々の分析対象物多価イオンをunfoldの状態で気相に導くナノエレクトロスプレー質量分析(nano-ESMS)法等の原理に基づく質量分析装置を使用することができる。
質量分析用プレート上の分子を質量分析する方法自体は公知である。例えば、上記特許文献1および2並びに非特許文献1〜4のいずれかに記載の方法を、必要に応じて適宜改変して、使用することができる。
【0023】
質量分析の結果から、標的分子の分子量情報に基づいて、被験組織もしくは細胞における標的分子の存在の有無、存在位置およびその量が同定され得る。この工程において、質量分析装置からの情報を、任意のプログラムを用いて画像処理を施すことにより、特定の標的分子のピーク情報が染色され、あたかも組織化学的染色像を観察するのと同様に、標的分子の染色像を得ることも可能である。そのような画像処理のプログラムは公知であり、例えば、Caprioliら(上記非特許文献3および4)に記載のものなどが挙げられるが、それらに限定されない。当業者は、公知の情報処理技術を用いて、特定の組織もしくは細胞、あるいは特定の標的分子に適合するように、容易にプログラムを構築もしくは改変することができることが理解されよう。
【0024】
本発明はまた、上記のようにして質量分析用プレート上に転写された組織もしくは細胞に存在する分子と、相互作用し得る分子の検出・同定にも使用することができる。すなわち、上記特許文献1に記載される、相互作用し得る分子の一括同定法において、サンプルを電気泳動した後のゲルから転写された質量分析用プレートの代わりに、上述の組織もしくは細胞と接触することにより該組織もしくは細胞に含まれる分子が転写された質量分析用プレートを用いることにより、該分子と、それと相互作用し得る分子とを、質量分析によって一括検出・一括同定することができる。組織もしくは細胞に含まれる分子と相互作用し得る分子を含む試料は、そのような分子を含有するか、含有することが期待されるものであれば、いかなるものであってもよく、例えば、同一、同種もしくは異種個体における、該組織もしくは細胞と同種類の組織もしくは細胞由来のもの(例えば、粗抽出液、可溶性画分、膜画分、細胞内小器官の画分など)、同一、同種もしくは異種個体における、該組織もしくは細胞とは異なる組織もしくは細胞由来のもの、人工の化合物ライブラリーやランダムペプチドライブラリーなどが挙げられるが、これらに限定されない。
【実施例】
【0025】
以下に実施例を挙げて本発明をより具体的に説明するが、これらは単なる例示であって本発明を何ら限定するものではない。
【0026】
実施例1 マウスの肝臓と脳の組織切片転写物の質量分析
マウスの肝臓を1mm幅でスライスし、マウス脳を2mm幅でスライスした後、PVDFコーティングした質量分析用プレート(上記特許文献2の実施例1に記載の方法に準じて作製)に、室温で5分間積層後、ピンセットで組織片を除き、さらにプレート表面をPBSで洗浄し、完全に組織片を除去した。その後、プレート表面に2種類のマトリックス(CHCA, SPA)を塗布後、MALDI-TOF(Bruker社製 Ultraflex II)で質量分析を行なった。
その結果を図1〜4に示す。Richard M. Caprioliらによるマウス脳および肝臓のデータ[上記非特許文献3および4を参照。彼らは、まず凍結切片を質量分析用担体(磁性ガラス、金コーティングプレート)に積層し、その上にマトリックスをかけ、切片に直接レーザ照射を行っている]と比較すると、本発明の方法は、検出されるピーク数、ピーク強度とも従来法よりも優れていることが判明した[図1および2参照;Caprioliらの方法により得られたピーク(矢印で示す)は本発明の方法によってもすべて検出され、ピーク強度も大きかった。さらに多数のピーク(質量数を記載)が本発明の方法においてのみ検出された]。
【産業上の利用可能性】
【0027】
本発明の方法によれば、従来のMSイメージングにおける低感度・非定量的といった欠点が解消されるので、標的となる分子が既知、未知を問わず、正確にその分子の持つ分子量(M/z)で識別、染色が可能となり、選択的スプライシングや翻訳後修飾を受けたバリアントをも正確に検出できるという質量分析法本来の利点を活かすことができる。また、異なる組織間でも標的タンパク質の定量的な比較が可能なので、ディファレンシャル解析を精度よく実施することができる。したがって、組織化学的染色法や免疫染色法に代わるより高精度・高感度な分析法として、きわめて有用である。
【図面の簡単な説明】
【0028】
【図1】マウス肝臓切片からPVDFコーティングした質量分析用プレートに転写された分子群の質量分析結果(マトリックス:CHCA)を示す図である。縦軸は相対強度を示し、横軸は質量数(M/z値)を示す。矢印は、Caprioliらの方法でも検出されたピークを示す。
【図2】マウス脳切片からPVDFコーティングした質量分析用プレートに転写された分子群の質量分析結果(マトリックス:CHCA)を示す図である。縦軸は相対強度を示し、横軸は質量数(M/z値)を示す。矢印は、Caprioliらの方法でも検出されたピークを示す。
【図3】マウス肝臓切片からPVDFコーティングした質量分析用プレートに転写された分子群の質量分析結果(マトリックス:SPA)を示す図である。縦軸は相対強度を示し、横軸は質量数(M/z値)を示す。
【図4】マウス脳切片からPVDFコーティングした質量分析用プレートに転写された分子群の質量分析結果(マトリックス:SPA)を示す図である。縦軸は相対強度を示し、横軸は質量数(M/z値)を示す。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
組織もしくは細胞に存在する標的分子をin situに検出する方法であって、
(1)組織もしくは細胞を支持体表面に接触させて、該組織もしくは細胞に含まれる分子を該支持体表面上に転写する工程;
(2)該支持体を質量分析に供する工程;および
(3)質量分析の結果に基づいて、標的分子を検出する工程
を含む方法。
【請求項2】
工程(1)と(2)の間に、標的分子と相互作用し得る分子を含む試料を該支持体表面と接触させる工程を含み、工程(3)において、標的分子およびそれと相互作用し得る分子を一括検出することを含む、請求項1記載の方法。
【請求項3】
工程(3)において、画像処理により標的分子を染色することを含む、請求項1または2記載の方法。
【請求項4】
標的分子がタンパク質である、請求項1〜3のいずれかに記載の方法。
【請求項5】
工程(3)において、質量分析の結果に基づいて、組織もしくは細胞をプロファイリングすることを含む、請求項1記載の方法。
【請求項6】
異なる2以上の組織もしくは細胞におけるプロファイルを示差的に分析することを含む、請求項5記載の方法。
【請求項7】
プロファイリング結果を画像処理して表示することを含む、請求項5または6記載の方法。
【請求項8】
支持体表面が、ポリビニリデンジフロリド、ニトロセルロースまたはシリカゲルでコーティングされている、請求項1〜7のいずれかに記載の方法。
【請求項9】
支持体表面が、ポリビニリデンジフロリドでコーティングされている、請求項8記載の方法。
【請求項10】
コーティング手段が塗布、噴霧、蒸着、浸漬、印刷またはスパッタリングである、請求項8または9記載の方法。

【図1】
image rotate

【図2】
image rotate

【図3】
image rotate

【図4】
image rotate


【公開番号】特開2007−170870(P2007−170870A)
【公開日】平成19年7月5日(2007.7.5)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2005−365547(P2005−365547)
【出願日】平成17年12月19日(2005.12.19)
【出願人】(504150782)株式会社プロトセラ (8)
【Fターム(参考)】