転動部材およびその製造方法
【課題】 耐ピッチング強度、耐スポーリング強度、歯元曲げ強度に優れた転動部材およびその製造方法を提供する。
【解決手段】 本発明に係る転動部材は、表面層に形成され、0.35〜0.8重量%の濃度で炭素が固溶されたマルテンサイト相を母相とする第1焼入れ硬化層1と、前記第1焼入れ硬化層1より深い層に形成され、0.07〜0.3重量%の濃度で炭素が固溶されたマルテンサイト相およびベイナイト相の少なくとも一方が母相とされ、セメンタイトが2〜20体積%分散された第2焼入れ硬化層2と、を具備することを特徴とする。
【解決手段】 本発明に係る転動部材は、表面層に形成され、0.35〜0.8重量%の濃度で炭素が固溶されたマルテンサイト相を母相とする第1焼入れ硬化層1と、前記第1焼入れ硬化層1より深い層に形成され、0.07〜0.3重量%の濃度で炭素が固溶されたマルテンサイト相およびベイナイト相の少なくとも一方が母相とされ、セメンタイトが2〜20体積%分散された第2焼入れ硬化層2と、を具備することを特徴とする。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、建設機械などにおいて耐摩耗性、耐面圧強度、高疲労強度が必要とされる歯車部材、ベアリング部材、カムシャフト部材等に使用される転動部材およびその製造方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
鋼に適用される高周波焼入れ方法は、通常、1〜400kHzの周波数の電流によって適用部品の表面層に誘導される電流で加熱した後に冷却して、表面層に硬質なマルテンサイト相を形成させるものであり、極めて汎用的に利用される表面焼入れ技術である。この方法は、歯車、軸物、クランクシャフト、カムシャフト等、摺動性、耐摩耗性、高強度性等の特性を必要とする部品を製造するのに利用されている。
【0003】
図25には代表的な歯車の高周波焼入れ方式が示されている(非特許文献1、P258参照)。このうち、生産性の観点からは、(a)の全歯一発焼入れが多く実施されている。また、図26(a)(b)に示されるような、歯形に沿った入熱によって焼入れ硬化層を形成する高周波焼入れ方法としては二周波高周波焼入れ方法(非特許文献1、P258参照)や大電力を瞬間的に与えて急速加熱する方法が検討され、利用されている。
【0004】
【非特許文献1】日本鉄鋼協会編、「鋼の熱処理」、(株)丸善、昭和60年3月15日発行
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
前記図25の(a)に示される全歯一発高周波焼入れ方式が施された歯車においては、焼入れ硬化層が歯部全体に及ぶ(スルーハード化する)ことによって、歯面に引張残留応力が顕著に発生し、焼割れや歯の折損の危険性が高く、より高負荷の歯車に利用できないという問題点がある。
【0006】
また、従来の高周波焼入れ部材においては、0.32〜0.55重量%のCを含有する炭素鋼を主体にした焼入れ技術が利用されている。Ni,Cr,Mo等の合金元素をさらに含有する低合金鋼においては、高周波焼入れ時の焼割れ性が高まることから、より低炭素濃度の鋼材を用いているために、浸炭焼入れした歯車に比べて表面硬さが十分でなく、例えば耐面圧性、耐摩耗性、耐焼付き性、高強度化に対する要求に十分に応えられないという問題点がある(非特許文献1、P110、表2・38、表2・39参照)。
【0007】
さらに、前記図26に示されるような歯形に沿った焼入れ硬化層を形成する場合においては、焼入れ硬化層の深部(例えば熱影響部)が焼入れ前組織になっており、その組織は、機械加工に適した軟質な(フェライト+セメンタイト)組織(通常、ビッカース硬さHv160〜260)であって、浸炭焼入れ歯車部材の浸炭鋼硬化層の深部における硬さ(Hv260〜500)に比べて十分な硬さが得られない。このことから、ピッチング強度(耐面圧性)、耐スポーリング性が十分でない問題があり、また、歯部の端面に軟質な素地部が露出していることによって、強度的に問題がある。
【0008】
また、高周波焼入れ硬化層と素地部との境界部においては顕著な引張り残留応力が発生することから、歯面の耐スポーリング強度が十分でないという問題がある。
【0009】
本発明は上記のような事情を考慮してなされたものであり、その目的は、耐ピッチング強度、耐スポーリング強度、歯元曲げ強度に優れた転動部材およびその製造方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0010】
上記課題を解決するため、本発明に係る転動部材は、少なくともC:0.4〜1.5重量%を含有する鋼材を用い、表面層から内部中心に向かって二種以上の焼入れ処理によって形成される硬化層とその内の1種以上の焼入れ処理によって形成される硬化層において2体積%以上のセメンタイトが分散されている組織を有することを特徴とする。
また、本発明に係る転動部材は、表面層に形成され、0.35〜0.8重量%の濃度で炭素が固溶されたオーステナイト相を急冷して形成されるマルテンサイト相を母相とする第1焼入れ硬化層と、
前記第1焼入れ硬化層より深い層に形成され、第1焼入れ硬化層の母相より固溶炭素濃度が少ないオーステナイト相を急冷して形成される(例えば0.07〜0.5重量%C)マルテンサイト相およびベイナイト相の少なくとも一方を含有する母相中に、セメンタイトが2〜20体積%分散された第2焼入れ硬化層と、
を具備することを特徴とする。
【0011】
本発明に係る転動部材の製造方法は、0.4〜1.5重量%のCと2重量%以下のCrを含有する鋼材であって、前記鋼材中のセメンタイト中の合金元素の濃度に等しい合金組成のオーステナイトと平衡するセメンタイトの固溶度の炭素活量が、前記鋼材のオーステナイトの炭素活量より低くなるようにセメンタイト中の合金組成を調整した鋼材を用意する工程と、
Ac1温度〜1150℃の温度範囲またはAc3温度〜1150℃の温度範囲において、二種以上の加熱温度に前記鋼材を表面層から誘導加熱した後に急冷する焼入れ工程と、
を具備することを特徴とする。
【0012】
また、本発明に係る転動部材の製造方法において、前記鋼材を用意する工程は、0.4〜1.5重量%のCおよび0.3〜2重量%のCrを含有する鋼材を、前記鋼材中のセメンタイト中にCrが3.5〜12重量%含有されるように熱処理する工程を有し、
前記焼入れ工程は、前記鋼材の表面層を900〜1150℃の高温域に加熱することと、前記鋼材における前記表面層より深部をAc1温度〜950℃の低温域またはAc3温度〜950℃の低温域に加熱することの二種類の誘導加熱を行った後に急冷する工程であることも可能である。
【0013】
また、本発明に係る転動部材の製造方法において、前記焼入れ工程は、前記鋼材の表面層を900〜1150℃に加熱した後に、その加熱温度より低い温度であってAc1温度〜950℃の範囲の温度またはAc3温度〜950℃の範囲の温度に冷却し、前記温度に保持して前記鋼材を前記表面層より深部まで加熱した後に急冷する工程、もしくは、前記鋼材をAc1温度〜950℃の範囲の温度またはAc3温度〜950℃の範囲の温度に加熱した後に、前記温度に保持して前記鋼材を表面層より深部まで加熱し、加熱温度より高い温度であって900〜1150℃の温度に前記鋼材の表面層を加熱した後に急冷する工程であることも可能である。
【0014】
また、本発明に係る転動部材の製造方法において、前記鋼材を用意する工程は、前記鋼材中のセメンタイト中にCrが4〜11重量%含有されるように熱処理する工程を有し、
前記焼入れ工程は、前記鋼材に、Ac1温度〜950℃の範囲の温度で2〜1000秒間の誘導加熱、および900〜1150℃の範囲で0.1〜5秒間の誘導加熱を行った後に急冷することも可能である。
【発明の効果】
【0015】
以上説明したように本発明によれば、耐ピッチング強度、耐スポーリング強度、歯元曲げ強度に優れた転動部材およびその製造方法を提供することができる。
【発明を実施するための形態】
【0016】
本実施の形態は、表面層から深部に向かって固溶する炭素の濃度が異なるマルテンサイト相およびベイナイト相の少なくとも一方を母相とする二種以上の焼入れ硬化層を形成するものである。これによって、耐ピッチング強度、耐スポーリング強度、歯元曲げ強度に優れた歯車部材等の転動部材を提供することができる。
【0017】
本実施の形態による転動部材は、少なくとも0.4〜1.5重量%のCと、それぞれ2重量%以下のCr,Mn,V,Mo,Wのうち一種以上の合金元素とを含有する鋼材が用いられ、高周波焼入れにて前記鋼材に二種以上の焼入れ処理によって硬化層が形成されたものである。この転動部材は、少なくとも表面層に第1焼入れ硬化層が形成され、この第1焼入れ硬化層より深い層に第2焼入れ硬化層が形成され、前記第1焼入れ硬化層と前記第2焼入れ硬化層との間に中間層が形成され、前記第2焼入れ硬化層が芯部組織、もしくは、前記第2焼入れ硬化層より深い層に焼入れ前組織が残留されてなるものである。前記第1焼入れ硬化層は、0.35〜0.8重量%の濃度で炭素が固溶されたマルテンサイトが母相とされる。前記第2焼入れ硬化層の母相は、第1焼入れ硬化層の母相中の炭素濃度よりも少ない炭素濃度からなり、0.07〜0.45重量%の濃度で炭素が固溶されたマルテンサイトおよびベイナイト相の少なくとも一方を含有し、さらに、その第2焼入れ硬化層には未固溶のセメンタイトが2〜20体積%分散されているものとするが、その母相中の上限炭素濃度を0.3重量%として、マルテンサイト組織が主体となるようにすることがより好ましい。前記中間層は、第1焼入れ硬化層と第2焼入れ硬化層の中間的硬さを有している。前記焼入れ前組織は、フェライト中にセメンタイトが分散した組織である。
【0018】
また、本実施の形態においては、前記鋼材にはCrが0.3〜2重量%含有され、その鋼材中のセメンタイト中に、少なくともCrが3〜12重量%含有するように濃縮されているのが好ましい。尚、前記鋼材には、0.1〜2重量%のMn、0.05〜1.5重量%の(Si+Al)、0.7重量%以下のMo、1.4重量%以下のW、2重量%以下のV、1重量%以下のAl、3重量%以下のNi、0.01重量%以下のB、1重量%以下の(Ti+Nb+Zr)のうち一種以上が含有されていても良い。
【0019】
また、前記転動部材には、少なくとも0.5〜1.5重量%Cおよび0.5〜2重量%のCrを含有する鋼材を用いて、前記第1焼入れ硬化層にはセメンタイトが2〜17体積%分散され、前記第2焼入れ硬化層にはセメンタイトが4〜20体積%分散されているのが好適であり、より耐摩耗性を高めるためには、0.7〜1.5重量%Cおよび0.7〜2重量%Crを含有する鋼材を利用し、前記第1焼入れ硬化層には5〜17体積%のセメンタイトを分散させることがより好ましい。
【0020】
また、前記第1焼入れ硬化層中には、10〜50体積%の残留オーステナイトが分散されているのが好ましい。
【0021】
さらに、前記第1焼入れ硬化層中には、V4C3,TiC,NbC,ZrCのうち一種以上が分散されているのが好ましい。
【0022】
また、前記鋼材には0.5〜1.5重量%の(Si+Al)を含有し、さらに、0.1〜2重量%のMn、0.05〜0.7重量%のMo、0.2〜1重量%のV、0.1〜0.5重量%の(Ti+Nb+Zr)のうち一種以上が含有されているのが好ましい。
【0023】
本実施の形態の転動部材を歯車部材に適用する場合には、前記歯車部材の歯部ピッチ円位置での前記第1焼入れ硬化層の深さが歯車モジュール(m(mm):ピッチ円直径÷歯数)の0.15〜0.6倍の範囲にあり、この第1焼入れ硬化層より深い層もしくは前記歯車部材の歯部中心位置に、焼入れ前組織よりも硬質なビッカース硬さHv260〜500の前記第2焼入れ処理によって形成される硬化層が形成されているのが好ましい。
【0024】
また、本実施の形態の転動部材をベアリング部材もしくはカムシャフト部材に適用する場合には、少なくとも部材表面層に前記第1焼入れ硬化層が形成され、この第1焼入れ硬化層より深い層に前記第2焼入れ硬化層が形成されるのが好ましい。
【0025】
さらに、前記転動部材においては、第1焼入れ硬化層もしくは第1焼入れ硬化層と第2焼入れ硬化層が100〜350℃の焼戻し処理されているのが好ましい。
【0026】
さらにまた、前記転動部材においては、第1焼入れ硬化層の表面部にショットピーニングなどの加工処理が施され、前記第1焼入れ硬化層の表面部には50kgf/mm2以上の圧縮残留応力が付加されているのが好ましい。
【0027】
次に、本実施の形態による転動部材の製造方法について説明する。
まず、少なくとも0.4〜1.5重量%のCと、それぞれ2重量%以下のCr,Mn,V,Mo,Wのうち一種以上の合金元素を含有する鋼材であって、この鋼材中のセメンタイト中の合金元素の濃度に等しい合金組成のオーステナイトと平衡するセメンタイトの固溶度の炭素活量が、その鋼材のオーステナイトの炭素活量より低くなるようにセメンタイト中の合金組成を調整した鋼材を用意する。次いで、Ac1温度(共析変態温度)〜1150℃の温度範囲またはAc3温度〜1150℃の温度範囲において、二種以上の加熱温度に前記鋼材を表面層から誘導加熱調整した後に急冷する。これにより、少なくとも前記鋼材の表面層に、0.35〜0.8重量%の濃度で炭素が固溶されたマルテンサイト母相からなる第1焼入れ硬化層を形成し、その第1の焼入れ硬化層より深い層に0.07〜0.5重量%の濃度で炭素が固溶されたマルテンサイト相およびベイナイト相の少なくとも一方を含有する母相中に、未固溶のセメンタイトが2〜20体積%分散された第2焼入れ硬化層を形成することができる。
【0028】
前記転動部材の製造方法においては、少なくとも0.4〜1.5重量%のCおよび0.3〜2重量%のCrが含有された鋼材を、この鋼材中のセメンタイト中に少なくともCrが3.5〜12重量%含有されるように熱処理する工程をさらに具備しても良い。また、前記鋼材を用いた転動部材の表面層を900〜1150℃の高温域に加熱することと、その高温域に加熱する表面層のより深部をAc1温度(共析変態温度)〜950℃の低温域またはAc3温度〜950℃の低温域に加熱することの二種以上の急速誘導加熱を行った後に焼入れることを行っても良い。これによって、前記第1焼入れ硬化層および第2焼入れ硬化層の母相中の炭素濃度を調整することができる。
尚、前記鋼材は、0.1〜2重量%のMn、0.05〜1.5重量%の(Si+Al)、0.7重量%以下のMo、1.4重量%以下のW、2重量%以下のV、1重量%以下のAl、3重量%以下のNi、0.01重量%以下のB、1重量%以下の(Ti+Nb+Zr)のうち一種以上を含有するものであっても良い。
【0029】
ここで、前記二種以上の加熱温度への誘導加熱調整および急冷の詳細について説明する。前記第1焼入れ硬化層を形成するために前記鋼材の表面層を900〜1150℃に急速加熱した後に、前記第2焼入れ硬化層を形成するために前記急速加熱した際の温度より低い温度であってAc1温度(共析変態温度)〜950℃の範囲の温度またはAc3温度〜950℃の範囲の温度に冷却し、前記温度に保持して、前記鋼材をより深部まで加熱した後に急冷する方法を採用することも好ましい。もしくは、前記第2焼入れ硬化層を形成するために、前記鋼材をAc1温度〜950℃の範囲の温度またはAc3温度〜950℃の範囲の温度に加熱した後に、前記温度に保持して前記鋼材をより深部まで加熱し、次に、前記鋼材の表面層に前記第1焼入れ硬化層を形成するために、前記加熱温度より高い温度であって900〜1150℃の温度に前記鋼材の表面層を加熱した後に急冷する方法を採用することも好ましい。
【0030】
また、本実施の形態において、前記鋼材には、少なくとも0.5〜1.5重量%のCおよび0.5〜2重量%のCrが含有されており、前記第1焼入れ硬化層にはセメンタイトが2〜17体積%分散され、前記第2焼入れ硬化層にはセメンタイトが4〜20体積%分散されているのが好ましいが、耐摩耗性をより高めるためには、0.7〜1.5重量%Cおよび0.7〜2重量%Crを含有する鋼材を利用し、前記第1焼入れ硬化層には5〜17体積%のセメンタイトを分散させることがより好ましい。
【0031】
また、本実施の形態において、前記誘導加熱によって焼入れを行う際、Ac1温度またはAc3温度から焼入れ温度T(℃)に到達するまでの時間t(sec)が、下記式(1)を満足するように調整されるのが好ましい。
t≦(1350/(T+273))28 ・・・(1)
【0032】
本実施の形態においては、前記セメンタイト中の合金元素として少なくともCrが4〜11重量%含有されるように熱処理された鋼を、Ac1温度〜950℃の範囲の温度で2〜1000秒間、および900〜1150℃の範囲の温度で0.1〜5秒間の急速誘導加熱を行った後に焼入れることによって前記第1焼入れ硬化層および第2焼入れ硬化層を形成することも可能である。
【0033】
さらに、前記第1焼入れ硬化層および第2焼入れ硬化層においては、100〜350℃の焼戻し処理が施されているのが好ましい。
【0034】
さらにまた、前記第1焼入れ硬化層の表面部においては、ショットピーニング等の加工処理が施され、圧縮残留応力が付与されているのが好ましい。
【0035】
上記実施の形態によれば、転動部材の表面層から深部に向かって炭素濃度の異なる二種以上のマルテンサイト相を母相とする焼入れ硬化層が形成され、最表面層における第1焼入れ硬化層は、0.35〜0.8重量%の濃度の炭素が固溶されたマルテンサイトを母相とするビッカース硬さHv550以上の最も硬質な焼入れ層とされている。従って、耐面圧強度(耐ピッチング性、耐スポーリング性)、曲げ疲労強度、耐摩耗性等を改善することができる。
また、第1焼入れ硬化層より深部には、0.07〜0.3重量%の濃度の炭素が固溶されたマルテンサイト相およびベイナイト相の少なくとも一方を含有する母相中に、未固溶セメンタイトが2〜20体積%分散された第2焼入れ硬化層が深く形成されている。従って、従来技術では前記第1焼入れ硬化層との境界部に発生しやすい引張り残留応力を低減させ、素地部強度を改善することができ、スポーリングなどの内部から破壊や捩じり曲げ応力に対する強度改善を図ることができるとともに、第1焼入れ硬化層の機能を十分発現させるための基礎強度の改善を図ることができる。また、前記第1焼入れ硬化層に2〜17体積%の硬質なセメンタイトを分散させることによって、より優れた耐摩耗性と耐焼付き性の改善を図ることができる。
【0036】
次に、本発明による転動部材およびその製造方法の具体的な実施の形態について、図面を参照しつつ説明する。
【0037】
本実施の形態による転動部材においては、少なくともCを0.4〜1.5重量%含有し、焼入れ前組織中のセメンタイトにCr,Mn,Mo,Vなどの合金元素を定量的に濃縮させた鋼材を用意し、迅速な加熱に適する誘導加熱法によって、Ac1(共析変態温度)温度〜1150℃の温度範囲またはAc3温度〜1150℃の温度範囲で二種以上のオーステナイト化加熱温度に前記鋼材を表面層から深部に加熱した後に急速冷却する。これにより、転動部材の転動表面層から深部に向かって炭素濃度の異なる二種以上のマルテンサイト相を母相とする焼入れ硬化層を形成し、これによって機械加工性に優れた軟質な鋼材(通常Hv160〜260)よりなる歯車部材に、優れた耐面圧強度(耐ピッチング性、耐スポーリング性)と耐摩耗性、耐焼付き性を付加することができる。
【0038】
より詳細には、前記鋼材の最表面層における第1焼入れ硬化層を、0.35〜0.8重量%の濃度で炭素が固溶されたマルテンサイトを母相とするビッカース硬さHv550以上の最も硬質な焼入れ層とする。この第1焼入れ硬化層に前記耐面圧強度、曲げ疲労強度、耐摩耗性等の改善を図る役割を持たせる。また、その第1焼入れ硬化層より深部に、0.07〜0.3重量%の濃度で炭素が固溶されたマルテンサイト相およびベイナイト相の少なくとも一方が母相とされ、かつ未固溶のセメンタイトが2〜20体積%分散された第2焼入れ硬化層を深く形成する。これにより、従来技術では第1焼入れ硬化層との境界部に発生しやすい引張り残留応力の低減に対して、素地部強度を改善でき、その結果、スポーリングなどの内部から破壊や捩じり曲げ応力に対する強度改善を図ることができ、さらには、前記第1焼入れ硬化層の機能を十分に発現させるための基礎強度の改善を図ることができる。
【0039】
なお、第1焼入れ硬化層の硬さは、従来の歯車部材の転動面層の硬さがビッカース硬さHv550以上に調整されることを参考にして決められるので、この第1焼入れ硬化層中のマルテンサイトに固溶する炭素の濃度は0.35重量%以上であることが好ましく、またその固溶炭素濃度は0.4重量%以上とするのがより好ましい。
【0040】
また、第1焼入れ硬化層中のマルテンサイトに固溶する炭素の上限濃度は焼入れ時の焼割れ性を考慮して、かつ浸炭焼入れ歯車部材の炭素濃度を参考にして、0.9重量%と設定されるが、0.8重量%とするのがより靭性に富むことから好ましい。
【0041】
また、第1焼入れ硬化層と第2焼入れ硬化層との間には、それら各焼入れ硬化層の中間層が形成される。また、強度的な付加の少ない第2焼入れ硬化層より深部においてはフェライト中にセメンタイトが分散した焼入れ前組織が残留しても良い。
【0042】
また、前記鋼材に添加される合金元素としては、セメンタイトへ顕著に濃縮しやすく、かつ、オーステナイト化されたオーステナイト中の炭素活量を低減する作用(オーステナイト中における炭素と合金元素が引き合う性質)が強いCr,Mn,Mo,V,Wのうちの一種以上が含有されているのが好ましい。この作用が最も効果的であり、より経済的なCrを不可避的な合金元素として利用する鋼材においては、少なくとも0.4〜1.5重量%のCおよび0.3〜2重量%のCrを含有し、さらに、0.1〜2重量%のMn、0.05〜1.5重量%の(Si+Al)、0.7重量%以下のMo、2重量%以下のV、1重量%以下のAl、3重量%以下のNi、0.01重量%以下のB、1重量%以下の(Ti+Nb+Zr)のうち一種以上を含有し、その鋼材中のセメンタイト中に、少なくともCrが3〜12重量%に濃縮されているものが好ましい。このような鋼材を用いることにより、高周波焼入れ時の誘導加熱温度を調整することによって形成されるマルテンサイト中に固溶する炭素の濃度を調整できるようにしている。
【0043】
さらに、歯車部材のように滑りを伴う転動部材の転動面においては、セメンタイトのような硬質炭化物を少量分散させることによって、滑り時の局部焼き付き防止のための耐焼付き性と耐摩耗性が改善される。このことから、本実施の形態においては、第1焼入れ硬化層中にセメンタイトを2〜17体積%分散させ、滑りを伴う転動面における耐摩耗性と耐焼付き性を改善するものとした。また、この際の鋼材としては、セメンタイトの分散量とマルテンサイト相中の炭素濃度を換算して0.5〜1.5重量%のC、0.4〜2重量%のCrを含有させることが好ましい。また、これと同様の作用を示す硬質な特殊炭化物として、V4C3,TiC,NbC,ZrCなども効果的である。このことから、本実施の形態においては、Vが2重量%未満、(Ti+Nb+Zr)が0.5重量%未満の範囲で添加されても良いが、より経済的にはVが0.2〜1重量%、(Ti+Nb+Zr)が0.1〜0.5重量%の範囲で添加されることが好ましい。
【0044】
また、前記セメンタイト粒子や特殊炭化物を残留させることは、誘導加熱によるオーステナイト化状態でのオーステナイト結晶粒と、焼入れで形成されるマルテンサイト葉の微細化に有効である。なお、高周波焼入れ用炭素鋼において、このオーステナイト結晶粒は875℃以上では容易にASTMNo.7以下に粗大化するのに対して、本実施の形態においてはASTMNo.9以上に微細化されている。
【0045】
さらに、高周波焼入れ部材が歯車部材である場合には、歯面や歯元にかかる応力分布に応じた歯部における硬さ分布が必要とされることから、浸炭焼入れ歯車部材の例を参考にして、本実施の形態においては、歯部ピッチ円位置での第1焼入れ硬化層の深さが歯車モジュールの0.15〜0.6倍の範囲にあるものとし、第1焼入れ硬化層より深部もしくは歯車部材の歯部中心位置においては、ビッカース硬さHv260〜500の第2焼入れ硬化層が形成されていることとし、第2焼入れ硬化層中のマルテンサイトおよびベイナイト相のいずれか一方を含有する母相中の炭素濃度を0.07〜0.5重量%に調整することとしたが、前記炭素濃度が0.07〜0.3重量に調整されたマルテンサイトを主体とする母相がより好ましいこととした。
【0046】
なお、高面圧下で使用される転動部材においては、その転動面の硬さがより硬質であるほど優れたピッチング強度を示すが、この場合においては、転動面に介入するコンタミネーションや転動部材間の馴染み性不良によるピッチングの発生が問題となり、この問題解決として残留オーステナイトを適量分散させることが有効である。このことから、本実施の形態においては、第1焼入れ硬化層に、残留オーステナイトが10〜50体積%分散することが好ましい。なお、残留オーステナイト量の上限値を50体積%に設定する理由は、この上限値を越えると転動面の硬さが低下し、耐摩耗性が劣化するからである。
【0047】
また、高面圧、高応力化で使用される歯車部材では、歯元曲げ強度や耐面圧強度、さらに軸部の捩じり強度を改善する観点からは、焼入れ硬化層の表面部にショットピーニングなどの加工処理を施して、その表面部に大きな圧縮残留応力を付加させることが好ましい。従って、本実施の形態の転動部材においてもショットピーニングなどの加工処理が施されることは好ましい。
【0048】
なお、歯元曲げ疲労強度に対する圧縮残留応力の改善効果は、圧縮残留応力の1/2と推定されていることから、本実施の形態の転動部材においては、50kgf/mm2以上の圧縮残留応力が付加されることが好ましい。
【0049】
なお、本実施の形態は、前述のように二種以上の加熱温度による急速な誘導加熱によってオーステナイト相を出現させ、焼入れ前組織中にあらかじめ分散させておいたセメンタイトがオーステナイト中へ固溶する量を正確に調整すると同時に、残留させるセメンタイト(未固溶セメンタイト)を調整することによって、第1焼入れ硬化層および第2焼入れ硬化層を形成するものである。その制御方法を検討した結果、所定のオーステナイト化加熱温度における鋼中のセメンタイトの合金元素濃度に等しい組成のオーステナイト相の炭素活量(オーステナイトへのセメンタイトの固溶度線上における炭素活量(例えば後述する図1中のK点))が、その鋼材組成のオーステナイト相の炭素活量(例えば後述する図1中のH点)より低くなる時点からセメンタイトの固溶が顕著に遅れ、短時間のオーステナイト化条件では合金元素を含んだセメンタイトのオーステナイトへの固溶度分のセメンタイトが固溶し、その分の炭素が、その固溶度に等しいオーステナイト中の等炭素活量線(例えば後述する図1中のK点とL点を通る等炭素活量線)上に沿ってオーステナイト中に急速に拡散する。これによって、そのオーステナイト化温度とセメンタイト中の合金元素濃度から焼入れ層におけるマルテンサイト母相中の炭素濃度が正確に決定付けられる。
【0050】
したがって、本実施の形態では、鋼材中のセメンタイト合金組成をあらかじめ調整した鋼材を用い、その転動面をAc1温度(鋼の共析変態温度)〜1150℃の温度範囲またはAc3温度〜1150℃の温度範囲の二種の所定の温度でのオーステナイト化条件、例えば、転動表面層を1000℃に加熱した後に、冷却しながらさらに800℃で深部にまで誘導加熱する場合のように二種以上の加熱温度でのオーステナイト化を行うことが好ましい。これによって、転動表面層の第1焼入れ硬化層中のマルテンサイトに固溶する炭素の濃度が第2焼入れ硬化層中のマルテンサイトに固溶する炭素の濃度より高濃度となり、より硬質な第1焼入れ硬化層が得られるとともに、その深部においては低炭素で高靭性な第2焼入れ硬化層が形成され、この結果、浸炭焼入れ硬化層に類似の硬度分布をもつ歯車部材を高周波焼入れ法によって製造することができる。
【0051】
以下において、前記セメンタイトのオーステナイトへの固溶機構(速度)について詳しく検討する。なお、前記セメンタイトの固溶を遅らせることによって、マルテンサイトに固溶する炭素の濃度を調整する(セメンタイトの残留量を調整する)ための合金元素としては、(フェライト+セメンタイト)および(オーステナイト+セメンタイト)の少なくとも一方の二相領域での加熱によって、セメンタイト中に顕著に濃縮し、かつ、オーステナイト相中での炭素の活量を低減する作用を有するCr,Mn,V,Mo,Wのうち一種以上が添加されることが必要であり、とりわけCrの添加が好ましいので、以下においては、CrもしくはCrと同様の作用を示す合金元素の添加による制御方法について詳述する。
【0052】
例えば、700℃で十分加熱した場合の(フェライト+セメンタイト)二相領域におけるセメンタイト中のCr濃度は、フェライト中のCr濃度の28倍に濃縮される(600℃加熱では約52倍)。このCrもしくはCrと類似する合金元素Mの濃縮したセメンタイトが急速加熱を伴う焼入れ処理における、加熱中のオーステナイトへ固溶する際のセメンタイトの固溶機構(速度)は、図1に示される加熱温度におけるFe−C−M(M:合金元素)三元系状態図とその図中に示される炭素の等活量線図(等炭素活量線図)の関係から説明することができる。
【0053】
図1は、炭素との親和力の強いCrもしくはCrと類似の合金元素(例えば、Cr,Mn,Mo,V,W等)を添加したFe−C−M三元系合金の前記誘導加熱温度における状態図を模式的に示したものである。尚、図1中の細線は等炭素活量線である。この図1のA点で示す鋼材組成のオーステナイト相(γ相)中の炭素活量と等しい炭素活量は図中のA点を通る細線のように、M元素添加によって炭素活量が低下することから炭素等活量線は右肩上がりに推移し、セメンタイトの固溶度線と交わり、その交点(B点)と平衡するM元素を含有したセメンタイト組成点(C点)と直線的に結ばれるものである。
【0054】
図1中のその他の等活量線(細線)は、各炭素活量に応じて計算され、炭素濃度が高くなるほど炭素活量は大きくなるが、Fe−C軸(Fe−C二元系)での黒鉛の固溶度(D点)が炭素活量Ac=1と定義される。
【0055】
前記図1中に使用する鋼材組成A点における、焼入れ前組織におけるフェライトとセメンタイトの組成はE,F点に与えられ、焼入れ加熱温度に急速に加熱された温度におけるF点組成のセメンタイトが合金元素Mをその場に残して極めて拡散性の大きい炭素だけが急速にオーステナイト中に固溶する場合のセメンタイト界面と局所平衡するオーステナイト界面組成G点の炭素活量が鋼材組成のA点の炭素活量より大きい。このことから、炭素の化学ポテンシャルの勾配によって急速に拡散し、セメンタイトが固溶した位置と元フェライトであった位置において、まず、図中のA,B点を通る等活量線に沿って炭素が均質化した後に(←、→印)、合金元素が均質化することがわかる。
【0056】
まず、前述のように合金元素を含有するセメンタイトが急速に固溶していく際の炭素、合金元素の拡散過程を検討するが、この検討は、組成の異なる球状体の単純な拡散過程として近似して扱うことができる。
【0057】
図2は、合金元素濃度cp,半径R0の球状体が合金元素を含まない無限固体母相中に存在する時の均質化過程について半径方向の距離rにおける合金元素濃度cを計算したものである。この計算結果をオーステナイト相へ固溶していくセメンタイトの炭素と合金元素Mの均質化過程に当てはめると、炭素C,合金元素Mがほぼ完全に均質化に要する加熱時間tC,tMは、その加熱温度による炭素Cと合金元素Mのオーステナイト相中の拡散係数DγC,DγMで計算される拡散距離((DγC×tC)1/2、(DγM×tM)1/2)と球状セメンタイトの粒子半径Rが等しくなる時間から近似的に推測される(図2中の△印)ので、例えば、900℃では粒子半径0.2μmのセメンタイトは0.1秒以内で固溶しながらその炭素はほぼ均質化するのに対して、合金元素の均質化には約50分(2835秒)の時間を要することがわかる。また、前記合金元素の拡散距離が粒子半径の1/4の場合(900℃、177秒間の加熱条件)には図2中の◆印で示すように、合金元素はその拡散性が小さいことから、元のセメンタイトの固溶跡周辺に十分限定されて存在することがわかる。
【0058】
さらに、同じように合金元素の拡散が元のセメンタイト位置に限定される加熱条件(図2中の◆印)に相当する各加熱温度での加熱時間を求め、その結果を図3中の太い実線で示したが、この太い実線範囲内で加熱した後に急冷される場合には、セメンタイトがすばやく固溶した後においても、前記セメンタイトに濃縮した合金元素がすばやく均質化できずにセメンタイト周辺に局在化するため、例えば、鋼の焼入れ性を高めるMn,Cr,Moが固溶したセメンタイト跡に局在化した場合には、この状態からの鋼の焼入れ性が極めて減少されることがわかる。また、セメンタイト粒子半径が0.1μmに小さくなると、図3中に示されるようにその加熱条件範囲がより狭くなり、焼入れ温度への急速な加熱が必要になる。
【0059】
なお、粒子半径0.1μmの不均質1の実線は、 tM=(1350/(273+T))28、粒子半径0.2μmの不均質2の太い実線は tM=(1415/(273+T))28 で近似的に数式化され、さらに、前記不均質時間tM(sec)は加熱温度T(℃)と粒子半径R(μm)を変数として次式によって近似される。
tM=((98.794×Ln(R)+1576.6)/(273+T))28
【0060】
また、前述のように、炭素はその拡散性が非常に高く、900℃では加熱時間が0.1秒でほぼ均質化することから、Ac1またはAc3温度〜1150℃の加熱条件範囲では、粒子半径1μmのセメンタイトであっても、ほぼ2秒間の加熱によって、前記図1のA,B点を通る等炭素活量線に沿ってすばやく拡散し、マルテンサイト母相中に未固溶セメンタイトを残留させる作用がなく、その際のマルテンサイト相中に固溶する炭素の濃度がE点の合金組成でのA、B点を通る等炭素活量の炭素濃度で与えられ、この場合の多くはほぼ鋼材の炭素濃度に等しいことがわかる。
【0061】
さらに、図1にしたがって、セメンタイトの固溶機構を検討すると、鋼中への合金元素添加量がより多く添加され(H点)、セメンタイト中により多くの合金元素が濃縮する(J点)場合においては、前記炭素の拡散律速機構でセメンタイトが合金元素Mをその場に残して、オーステナイト相に急速に固溶しながらJ点の合金元素量を含んだオーステナイト中のK点に到達し、K点を通る等炭素活量線に沿って炭素はL点濃度まで迅速に拡散するが、K点は元のH点組成の炭素活量より低くなることから、それ以上のセメンタイトの固溶が進行し、セメンタイトが完全に固溶する間にはK点からセメンタイトの固溶度線に沿ってのB点への合金元素の拡散なしにセメンタイトが固溶出来ないことがわかり、セメンタイトの固溶が合金元素Mの拡散に律速されながら顕著に遅くなることがわかる。
【0062】
したがって、セメンタイトが完全に固溶するための時間は、交点Bで示すM元素濃度以上にセメンタイト中のM元素濃度が大きくなるほど遅くなることは明らかであるが、前記のように炭素が極めて短時間で等炭素活量線に沿って拡散することから、この短時間範囲の加熱後に急冷したマルテンサイト相中の固溶炭素濃度が、前記K点を通る等炭素活量線上のL点の炭素濃度で与えられ、その固溶炭素濃度に等しいセメンタイトが固溶し、鋼材中の炭素濃度と固溶炭素濃度との差に等しい炭素量のセメンタイトを未固溶状態で分散する焼入れ硬化層が得られる。したがって、マルテンサイト中の炭素濃度を調整するには、焼入れ温度(オーステナイト化温度)とその温度におけるFe−C−M系状態図のセメンタイト中のM濃度(J点)を管理し、炭素が十分拡散しながら、セメンタイトが残留する加熱条件で高周波焼入れ操作を施せば良い。
【0063】
また、未固溶状態で分散するセメンタイトの周辺のセメンタイト固溶部位における組成は、ほぼ図中のK点組成となり、この部位での合金元素濃度はL点、H点と較べても顕著に高く、炭素濃度も高くなることから、この部位でのマルテンサイト開始温度Ms点はより低温度化し、未固溶セメンタイト周辺に高靭性で馴染み性に優れた残留オーステナイト相が形成されやすく、このことが強靭性の発現に好ましい。
【0064】
さらに、図1のマルテンサイト相のM合金元素濃度(E点,I点)については、(フェライト+セメンタイト)二相領域で加熱処理した場合の合金元素濃度には次式の関係が成立するので、セメンタイト中の合金元素濃度[M重量%]をあらかじめ求めておくと、鋼材のM元素の添加濃度M重量%からフェライト中の合金元素濃度<M重量%>を算出することができる。
M重量%=(1−f)×<M重量%>+f×[M重量%]
f=C重量%/6.67
(ここで、fはセメンタイトの分散量(体積%)であり、フェライト中の炭素固溶度が無視され得るほど小さいと近似して求めたものである。)
【0065】
また、(セメンタイト+フェライト)の二相組織状態で十分長時間の加熱処理を施した場合における各合金元素のセメンタイト中の合金元素濃度[M重量%]とフェライト中の合金元素濃度<M重量%>の比(分配係数:αKM)は合金元素に固有で、温度に依存する一定の値を採ることが知られているので、各種合金元素の分配係数を使うことによって、鋼材組成(と分配処理温度)からフェライト中の合金元素濃度を次式から正確に算出することができる。
αKM=[M重量%]/<M重量%>
【0066】
したがって、鋼材に含有されるすべての合金元素についてのフェライト中の合金元素濃度が算出されると、前記焼入れ加熱時のオーステナイト化温度におけるオーステナイト中の炭素濃度が計算されて焼入れ性(DI値)が計算されることになり、少なくとも図1中の鋼材中のM合金濃度(A点、H点)に相当するDI値に比べ、そのDI値が低減することがわかる。
【0067】
また、前記セメンタイトがオーステナイト中へ迅速に固溶する場合においても、オーステナイト中の炭素濃度が鋼材炭素濃度にほぼ等しくなるが、セメンタイト固溶跡周辺に合金元素が局在化し、その際のオーステナイト中の合金元素濃度が焼入れ前組織中のフェライトの合金元素濃度に近似されることから、そのDI値が計算され、この場合においても、焼入れ性が顕著に低減することがわかる。
【0068】
さらに、未固溶セメンタイトを残留させたオーステナイトの焼入れ性を扱う場合には、オーステナイト中の炭素濃度が鋼材炭素濃度に比べて低濃度であることから、そのDI値が元の鋼材のDI値より低減しやすい。
【0069】
またさらに、本実施の形態のように、セメンタイト中の合金元素濃度を調整した鋼材を使い、二種以上のオーステナイト化温度を選ぶことによって、オーステナイト中の二種類以上の炭素濃度と前記合金元素濃度を調整することによって、前記第1焼入れ硬化層と第2焼入れ硬化層の焼入れ性を調整することができ、大型歯車においても、歯部のより深部に形成される第2焼入れ硬化層をマルテンサイトもしくはベイナイト相を母相とするための所定のDI値にあらかじめ調整しておくことは重要である。また、このDI値を調整する方法としては、比較的セメンタイトへの濃縮傾向の弱い、Mn,Mo,Wなどの合金元素を複合添加する方法であってもよいが、後述するように、セメンタイトから排出され、フェライト中に濃縮するSi,Al,Ni,Coを添加して焼入れ性を高めることがより好ましい。
【0070】
前述のセメンタイトの固溶機構をより具体的に検討するために、図4に示されるFe−C−Cr三元系等炭素活量線図(at1000℃)を使って1000℃にすばやく加熱して焼入れ処理を行う高周波焼入れの場合について以下に検討する。
【0071】
(1)急速にセメンタイトが固溶する場合(セメンタイト中のCr濃度が低い場合)
図4中のA点(0.8重量%C,0.4重量%Cr)で示す鋼を(セメンタイト+フェライト)共存領域の700℃で十分加熱するとB点(セメンタイト、2.6重量%Cr)とC点(フェライト、0.09重量%Cr)の組成になり、この組成状態で、高周波加熱によってオーステナイト状態になる1000℃に瞬間的に急速加熱すると、B点,C点は矢印の方向に沿ってA点に向かって均質化していくことになる。前述のように、B点のセメンタイト中の合金元素がオーステナイト中をほとんど拡散しない間に炭素がフェライト組成を持っていたオーステナイト(C点)に図中D点を経由しながら↑↓印のように急速に拡散し、セメンタイトを固溶した後、A点を通る炭素の等活量線でCrの拡散を伴いながら、緩やかにCr元素がA点に向かって均質化する。より急速な高周波加熱によるセメンタイトの固溶を達成する時点では、マルテンサイト母相の炭素濃度はほぼA点と同じ炭素濃度となって、より高硬度なマルテンサイトが得られることがわかる。また、本実施の形態のマルテンサイト相中に固溶する炭素の濃度が0.8重量%となる時のセメンタイト中のCr濃度がほぼ4.5重量%であり、少なくとも、セメンタイト中のCrを4.5重量%以下に制御することによって、未固溶セメンタイトが残留しないことがわかる。また、その時のオーステナイトの焼入れ性(DI値)はFe−0.8重量%C−0.09重量%Crの合金組成から計算され、鋼材(Fe−0.8重量%C−0.4重量%Cr)のDI値と比べて顕著に低減されることがわかる。
【0072】
(2)セメンタイトの固溶が大きく遅延される場合1
図4中のE点(0.8重量%C,1重量%Cr)で示す鋼をフェライトとセメンタイト共存領域の700℃で十分加熱するとG点(フェライト、0.24重量%Cr)とF点(セメンタイト、6.61重量%Cr)の組成になり、前記のように高周波加熱によって1000℃に瞬間的に加熱した場合には、まず、フェライトはオーステナイト状態になるとともに、前述の例のごとくF点のCr濃度が同じH点を通る等炭素活量線に沿ってセメンタイトの一部が炭素拡散律速機構で急速に固溶しながら、炭素が拡散することがわかる。この時の炭素が前記等炭素活量線に沿ってオーステナイト相中に拡散する時間は、前記900℃での粒子半径0.2μmのセメンタイトの均質化拡散時間が0.1秒程度であること、図3に示される合金元素の不均質化時間を考慮すると、少なくとも900℃以上の加熱温度においては1秒以内に炭素の均質化が完了し、この状態で冷却した場合のマルテンサイト中の炭素濃度はセメンタイト中のCr濃度によって決められることから、焼入れ後のマルテンサイト相中の炭素濃度は約0.5重量%(7.5体積%のセメンタイトが炭素拡散律速で固溶することに相当する)となり、非常に硬質なマルテンサイト中に約5体積%のセメンタイトが未固溶状態で分散することがわかる。また、この高周波焼入れによるオーステナイトの焼入れ性(DI値)はFe−0.5重量%C−0.24重量%Crの組成から計算され、均質化した鋼材(Fe−0.8重量%C−1.0重量%Cr)のDI値よりも顕著に低下していることがわかる。
【0073】
また、後述するSUJ3(セメンタイト中のCr濃度約6.8重量%)を1000℃/secで1000℃に急速加熱し、急冷した焼入れ硬化層における残留オーステナイト相中の炭素濃度が0.97重量%であり、この炭素濃度がSUJ3の1000℃におけるH点組成と良く一致することから、前記炭素拡散律速によるセメンタイトの固溶機構が正しいことがわかる。さらに、後述する図16に示されるように、10〜45体積%の残留オーステナイト相が900℃から1100℃の焼入れ温度範囲で形成されることからも、セメンタイトの固溶機構が正しいことがわかる。
【0074】
図5は、加熱温度を750〜1150℃にしたときのセメンタイト中のCr濃度とマルテンサイト相中に固溶する炭素の濃度との関係を示したものである。このグラフから、加熱温度を調整することによってもマルテンサイト相中に固溶する炭素の濃度が調整され、その結果として分散されるセメンタイト量が正確に調整されることがわかる。また、例えば歯車部材の転動表面層を一旦1000℃に短時間加熱した後、800℃でより深部まで高周波加熱し、その後に焼入れした場合においては、1000℃での加熱によって決まる高炭素濃度なマルテンサイトを母相とする第1焼入れ硬化層とその深部に800℃での加熱によって決まる低炭素濃度のマルテンサイトを母相とする第2焼入れ硬化層が形成されることがわかる。
【0075】
なお、図5の0.1〜0.8重量%C,0.5〜15重量%Crの組成範囲のセメンタイト中のCr濃度XCrΘ(重量%Cr)とマルテンサイトの固溶炭素濃度XCM(重量%)の関係は、ほぼ次式で記述され、図中の細線で記載される。
XCM=Aexp(B・XCrΘ)
A=0.0041(T+273)−3.3809
B=0.000188(T+273)−0.426
ここで、加熱温度T℃であり、そのXCM(重量%)の推定誤差は±0.05重量%C程度と考えられる。
【0076】
また、図5中に示す上部破線枠は、Ac1温度(725℃)〜1150℃の加熱温度範囲で短時間加熱後に焼入れて得られる第1焼入れ硬化層中のマルテンサイト相の固溶炭素濃度が0.35〜0.8重量%範囲になる時の、セメンタイト中のCr濃度範囲の関係を示したものであって、前記マルテンサイト相中の炭素濃度を0.35〜0.8重量%に調整するためのセメンタイト中のCr濃度範囲が約3〜12.5重量%と読み取れる。さらに、加熱温度を変えて、焼入れ加熱温度をAc1温度〜1125℃に調整することによって、マルテンサイト相の固溶炭素濃度が0.07〜0.3重量%の第2焼入れ硬化層と第1焼入れ硬化層が得られるセメンタイト中のCr濃度3.5〜12重量%が得られることがわかる。より好ましくは、第2焼入れ硬化層のマルテンサイト炭素濃度範囲を0.07〜0.2重量%、第1焼入れ硬化層のマルテンサイト炭素濃度範囲を0.4〜0.8重量%に設定した場合においては、セメンタイト中のCr濃度は4〜11重量%の範囲に設定される。さらに、第2焼入れ硬化層を形成させる温度が高すぎた場合においては、歯車部材の変形、焼割れ感受性を高めることから、その第2焼入れ硬化層の上限加熱温度を950℃と設定しておくことが好ましい。また、第1焼入れ硬化層の上限加熱温度を1100℃と設定する場合には、セメンタイト中の上限Cr濃度を10重量%にすることが好ましい。また、第2焼入れ硬化層の下限の加熱温度を750℃とする場合においては、セメンタイトのCrの下限濃度を4重量%とすることが好ましく、焼入れ作業性を考慮した場合においてはセメンタイトのCr濃度を4〜10重量%の範囲に設定し、第2焼入れ硬化層の形成に対しては750〜950℃、第1焼入れ硬化層の形成に対しては900〜1100℃の加熱温度を選定することが好ましい。
【0077】
なおさらに、前記炭素拡散律速のセメンタイトの固溶(約7.5体積%のセメンタイト)が終了した後においては、図4中のH点(セメンタイトが固溶する場合のセメンタイトと等炭素活量の関係に有るオーステナイト界面)での炭素活量が元のE点の炭素活量よりも低いために、セメンタイト/オーステナイト界面のγ相組成(H点)がセメンタイトの固溶度線に沿ってE点と等活量の関係にあるセメンタイトの固溶度線上のI点へCrの拡散を伴いながら残り5体積%のセメンタイトが固溶し、かつ、マルテンサイトの固溶炭素濃度が高められることがわかる。
【0078】
(3)セメンタイトの固溶が大きく遅延される場合2
前記(2)のセメンタイトの炭素拡散律速機構によってマルテンサイト中の固溶炭素濃度が決まることは同じであるが、(2)における残りのセメンタイトが合金元素の拡散によって固溶する機構としては、H点がセメンタイトと異なるCr7C3炭化物とγ相が平衡域に位置するが、固溶過程においては、非平衡なセメンタイトとγ相の二相平衡がセメンタイトの固溶過程において成り立つと単純に仮定している。この仮定は、このセメンタイトの固溶過程において、セメンタイト消失前に新たにCr7C3炭化物が形成されるような複雑な拡散過程を経て、自由エネルギーを必要とする反応が起こらないとの考えに基づくものである。この場合においても、Cr7C3炭化物の新たな形成を必要としないセメンタイトの合金拡散律速による固溶機構を検討するものであって、セメンタイト/γ相界面のγ相組成は、すくなくともCr7C3炭化物が析出しなくても良い(γ相+セメンタイト+Cr7C3)三相共存領域のK点組成になる組成的拘束条件が加わるためにセメンタイトの固溶がより遅延される場合が考えられる。
【0079】
なお、前記(3)の固溶機構にしたがうと、セメンタイトの顕著な固溶遅延が発生する限界点は、1000℃の加熱条件ではセメンタイト中のCr濃度が約3.5重量%以上に濃縮する場合であるが、900℃の加熱では約2.5重量%であるので、例えば、0.4重量%のCおよび0.3重量%のCrを含有する鋼を700℃で加熱する場合のセメンタイト中の[Cr濃度]=αKCr×鋼中のCr濃度/(1−(鋼中の炭素濃度/6.67)×(1−αKCr))は3.2重量%と算出されることから、Crの下限添加量はほぼ0.3重量%であり、好ましくは0.5重量%以上である。
【0080】
また、前記炭素拡散律速で未固溶セメンタイトを安定して分散させるために必要なセメンタイト中のCr濃度としては3.5〜12重量%が適性であり、好ましくは4〜10重量%であることがわかる。さらに、1.5重量%Cを含有する鋼におけるCr添加量が約3重量%となるが、経済性を考慮してその上限添加量を2重量%とすることが好ましい。図5を参考にして、少なくともCrが3.5〜12重量%含有されたセメンタイトを含有する鋼材を、750〜1150℃の温度範囲において、二種以上のオーステナイト化加熱温度にその転動表面層から誘導加熱によって急速加熱後に焼入れることによって、表面層から深部に向かって、二種以上のマルテンサイト相が母相となる焼入れ硬化層を形成することができる。また、隣接する焼入れ硬化層間には遷移的な中間層が形成される。
【0081】
図6は、前記(2)、図7は前記(3)の固溶モデルに従って、Cr添加量を1重量%Crとして、炭素添加量を0.4重量%C、0.8重量%C、1.0重量%Cと変えて、700℃で十分加熱してセメンタイト中のCr濃度を11重量%、7、5重量%に調整した鋼を各焼入れ温度で加熱した時の、粒子径0.4μmのセメンタイトが完全に固溶する加熱時間を計算によって求めた結果とSUJ2(加熱速度:6℃/sec)とSUJ3(加熱速度:150℃/sec、1000℃/sec)の加熱実験結果を示したものである。図中の矢印は多量のセメンタイトが残留し、固溶させるためにはより長時間加熱が必要であることを示したものである。
【0082】
まず、図6と図7の計算結果を比較すると、全般的に図6の機構によるセメンタイトの固溶速度の方が幾分速く、150℃/sec以下の加熱速度での実験結果とも良く一致していることがわかる。図6の計算結果では1050℃での加熱によっては、セメンタイト中のCr濃度が約10重量%以上でない場合には,セメンタイトが急速に固溶する結果となるのに対して、例えば1秒で1100℃に加熱したSUJ3においては、顕著にセメンタイトが残留しており、図7の計算結果と良く一致しており、少なくとも150℃/sec以上の急速加熱条件においては図7(モデル(3))の固溶機構を採ることがわかり、このような急速加熱を前提とした高周波焼入れ法においては、よりセメンタイトが残留しやすいことがわかる。
【0083】
したがって、前記結果より、マルテンサイト中に固溶する炭素の濃度を調整し、マルテンサイト中にセメンタイトを残留させるための適正な加熱条件(加熱時間、加熱温度)としては、図7中の実線(t(sec)=(1400/(T(℃)+273))28)で記述した時間内の急速加熱処理(850〜1100℃の温度範囲)を施すこととした。前記炭素が拡散律速でオーステナイト中へ拡散する速さと較べると、その上限の加熱時間は十分長すぎることがわかり、図7中の破線で示した加熱時間t(sec)=(1360/(T(℃)+273))28以内の条件で焼入れ処理することによっても、マルテンサイト中の固溶炭素濃度とセメンタイト量を正確に調整することができる。
【0084】
さらに、図7の結果から、前記第1焼入れ硬化層を形成するために、例えば歯車部材の歯形に沿って入熱する場合においては、表面層をAc1温度またはAc3温度から900〜1100℃の所定のオーステナイト化温度に急速加熱する際の加熱時間は2秒以内が好ましく、第2焼入れ硬化層を第1焼入れ硬化層のより深部まで形成するための、Ac1温度またはAc3温度〜950℃への加熱時間は2〜1000秒間が好ましい。
【0085】
また、150℃/sec以上の急速加熱を実施する場合においては、焼入れ前組織のフェライトがマッシブ的な逆変態(フェライト→オーステナイト相への変態)によって急速にオーステナイト化させる必要性から、焼入れ温度をA3温度(約900℃)以上に設定しておくことが好ましく、第1焼入れ硬化層を形成させるためのオーステナイト化加熱温度を900〜1150℃と設定することとした。
【0086】
実際の熱処理工程における加熱時間は、Ac1またはAc3温度から焼入れ温度までの昇温時間と冷却開始までの保持時間の合計時間に合金元素が拡散した距離がt(sec)=(1400/(T(℃)+273))28、もしくはt(sec)=(1360/(T(℃)+273))28で与えられる加熱時間の合金元素の拡散距離内に入るように管理されるべきであるが、前述のように簡略化することができる。
【0087】
また、図6および図7の結果および先の図3で示した不均質な拡散時間の結果(粒子半径0.2μmのセメンタイトが固溶した場合)から、例えば950℃:10秒、850℃:100秒、750℃:1000秒の長時間加熱を施した場合においても、セメンタイトが十分残留し、顕著な不均質化が持続される。図5の結果を参考にして、例えばSUJ2のセメンタイト中のCr濃度を8.5重量%に調整した鋼材を850℃で100秒間、表面層から十分深い位置まで加熱した後に、さらに、表面層を1100℃まで1秒間で加熱した後に焼入れした場合や逆に表面層を1100℃加熱した後に冷却しながら800℃で加熱した後に焼入れした場合においては、炭素濃度が約0.55重量%のマルテンサイト相中に7体積%のセメンタイトが分散した第1焼入れ硬化層と、さらに、その深部に炭素濃度が約0.2重量%のマルテンサイト相およびベイナイト相の少なくとも一方の中に12体積%のセメンタイトが分散した第2焼入れ硬化層が形成され、さらに第2焼入れ硬化層の深部に焼入れ前組織が存在する高周波焼入れ部材を製造することができる。
【0088】
このような二種のオーステナイト化温度での加熱を焼入れ部材の表面からの深さを変えることによって得られる転動部材としては、前記歯車部材だけでなく、軸部を持つ歯車部材やベアリングなどの転動部材、さらにはカム、カムシャフト等の転動部材があり、耐面圧性、耐スポーリング性、捩じりおよび曲げ応力に対する強化のために好ましい。なお、前記オーステナイト化温度としては二種以上であっても良い。
【0089】
なお、前記第2焼入れ硬化層のマルテンサイト相中の炭素濃度としては、浸炭歯車部材の例を参照して0.1〜0.3重量%が好ましいが、0.1〜0.25重量%がより好ましい。また、生産性を高める観点から、第2焼入れ硬化層を形成させるためのオーステナイト化温度を800〜900℃と設定し、セメンタイト中のCr濃度を6〜12重量%とすることがより好ましい。
【0090】
機械構造用鋼中に良く含有されているCr,Mn,Mo,V,W,Ni,Si,Alは、いずれも焼入れ性を高める元素であるが、前記Crと同様にMn,Mo,V,Wはセメンタイト中に濃縮し、Ni,Si,Alはセメンタイトから排出される合金元素であって、700℃でのセメンタイトとフェライトの合金元素Mの分配係数αKM(=セメンタイト中のM重量%/フェライト中のM重量%)は、αKCr:28、αKMn:10.5、αKV:9、αKMo:7.5、αKW:2、αKNi:0.34、αKCo:0.23、αKSi&αKAl:0であり、また850℃でのセメンタイトとオーステナイトの合金元素Mの分配係数γKMは、γKCr:7、γKMn:2.1、γKV:12、γKMo:3.8、γKCo:0.42、γKNi:0.2、γKSi&γKAl:0である。したがって、セメンタイトとフェライトの二相領域およびセメンタイトとオーステナイトの二相領域の少なくとも一方の二相領域でセメンタイト中のCr濃度を調整した場合、共存するMn,Mo,V,Wはセメンタイトに濃縮するので、セメンタイトを未固溶状態で焼入れ処理するときの焼入れ性は顕著に低下する。さらに、このCr添加による未固溶セメンタイトを分散させることによって、オーステナイトに固溶する炭素の濃度と合金元素濃度を低く調整し、オーステナイト結晶粒を微細化して焼入れ性を炭素鋼よりも低下させることができる。
【0091】
次に、各元素の添加の意義について個別に説明する。
【0092】
Cr:
Crは、(フェライト+セメンタイト)二相領域においてセメンタイト中に最も顕著に濃縮し、(オーステナイト+セメンタイト)二相領域においても前記のようにセメンタイト中に濃縮するとともにセメンタイト中に約35重量%まで多量に固溶できる元素であって、前述のようにオーステナイト中の炭素との親和力が強いことによって、セメンタイトのオーステナイト相中への固溶を遅らせる作用を顕著に示す元素である。固溶炭素濃度が0.35〜0.8重量%のマルテンサイト相中に、少なくとも2体積%以上のセメンタイトを分散させるために、0.4〜1.5重量%Cを含有する鋼材に対して0.3〜2重量%Crを添加し、セメンタイト中のCr濃度を3.5〜12重量%に調整することが好ましいが、前記予加熱による第2焼入れ硬化層を形成させる観点からはセメンタイト中のCr濃度を4〜12重量%に調整することがより好ましい。
【0093】
Mn:
Mnは、硫化物形成元素として顕著に作用するとともにオーステナイト相中に固溶することによって顕著に焼入れ性を高める元素である。また、Mnは、V,Moよりも(フェライト+セメンタイト)二相領域においてセメンタイト中に顕著に濃縮する元素であるが、通常の鋼材添加の範囲においては、オーステナイト状態での特殊炭化物の存在が無く、かつ、オーステナイト中の炭素活量を下げるMnの作用がCrの約1/2以下で、セメンタイト中へ8重量%程度固溶しても、前記Crのようなセメンタイトの固溶遅延作用を示さないが、Crと共存することによって、Crによるセメンタイトの固溶遅延作用をより促進する作用を示し、また、前記メカニズムによる残留オーステナイト相の生成と焼入れ性の向上に大きく寄与するので、通常の鋼材添加の範囲(0.1〜2.0重量%)で適時調整されることが好ましい。
【0094】
また、モジュールが4以下の歯部を高周波加熱によって全体加熱する歯車部材(とりわけリングギヤ)においては、加熱後の急冷(焼入れ処理)によってスルーハード化し、焼き割れが発生しやすく、また、焼入れ硬化層に顕著な引張残留応力が発生し、その部材強度に悪い影響を与えることが多い。従って、このスルーハード化することを避ける観点からは、前記従来の高周波焼入れ用炭素鋼や低合金鋼に含有されるMn量が低めに設定された入手性の悪い鋼材を使用することが必要である。本実施の形態においては、前記低炭素濃度なマルテンサイト相を母相とする第2焼入れ硬化層をその深部に形成させることによって前記スルーハード化を避けることができること、また、セメンタイト中にMnを濃縮させて、前記DI値を低減することができるので、鋼材に添加するMnの上限添加量を2.0重量%まで高めることができて、鋼材の入手性を改善することができる。また、Mnはオーステナイト相を顕著に安定化する元素であることから、Si,Al等のフェライト相を安定化する合金元素が添加される場合においては、1重量%以上のMnを添加することが好ましいことである。さらに、MnはA1温度をより低温度化する元素であり、本発明の前記第2焼入れ硬化層を形成させる下限温度を下げる観点からも積極的に添加されることが好ましい。
【0095】
Mo、W:
Moは、Crと同様にセメンタイトに濃縮する元素であって、かつ焼入れ性を高めるとともに、焼入れ鋼材の強靭性を高める元素であるので、本実施の形態においても利用されるが、とりわけ、微量のMo添加(0.05重量%)によってパーライト変態を顕著に遅延化し、マルテンサイトおよびベイナイト組織を得られやすくする作用を示す合金元素であることから、前記歯車部材の歯部芯部にパーライトが析出することを防止する作用がある。また、Moはセメンタイトへの最大固溶度が2重量%であって、それ以上に添加した場合にはFe3Mo3C等の特殊炭化物として析出するので、例えば0.55重量%Cと1.5重量%Cを含有する鋼においては、0.4重量%Mo、0.7重量%Mo以上の添加によってFe3Mo3Cが析出するので、Mo上限添加量を0.7重量%とすることが好ましい。このことは先のセメンタイトの固溶機構(3)のCrと同様の遅延作用が0.4重量%以上の添加によって発現するので、その経済性を考慮した場合においては0.4重量%以下であることが好ましい。
【0096】
また、Wは、Moとほぼ同様の作用を示すので、本実施の形態においては(Mo+W)の上限添加量を0.7重量%とする。これは、比重の違いや経済性などを考慮することにより前記Mo上限添加量を採用するものである。(例えば、Moの比重はWの比重の約1/2であり、前記Mo上限添加量をWについて換算すると約1.4重量%となるが、これではMoに比べてWが非常に少ない場合、Mo添加量が多くなりすぎてしまう。)
【0097】
V:
Vは、セメンタイトに顕著に濃縮する元素であるが、セメンタイトへの最大固溶限度が0.6重量%と極めて小さいことから、0.55重量%C、1.5重量%Cを含有する鋼においては、0.12重量%V、0.2重量%V以上の添加によってV4C3炭化物が析出し、前記高周波焼入れ処理によってマルテンサイト相中にはVがほとんど固溶せず、またセメンタイトの固溶速度を顕著に遅滞させる。また、焼入れ性に対するVの影響は極めて小さいが、歯車転動面の耐摩耗性および耐焼付き性を高めるために、V4C3炭化物を析出させることは好ましく、工具鋼のV添加量を参考にしてその上限値を2重量%とすることとしたが、機械加工の経済性から、0.2〜1.0重量%とすることがより好ましい。
【0098】
さらに、V4C3炭化物の析出によって焼入れ処理による旧オーステナイト結晶粒の微細化が起こり、強靭性の改善と焼入性の低減に作用することから、Vはより積極的に添加されることが好ましい元素である。
【0099】
なお、高周波焼入れ用炭素鋼を誘導加熱する際には、加熱温度875℃で数秒の短時間加熱された場合においても、旧オーステナイト結晶粒がASTM7番にまで粗大化するために、本実施の形態においては0.1〜2重量%のVを添加し、ASTM9番以上、より好ましくはASTM10番以上に微細化することが、歯車部材においては耐摩耗性、耐焼付き性、耐面圧強度の向上、焼入性の抑制による小モジュールの高周波一発焼入れの実施を容易にする。
【0100】
Nb,Ti,Zr等:
さらに、前記高周波焼入れによる結晶粒の微細化を促進する合金元素として、Nb,Ti,Zrの一種以上が0.01〜0.5重量%の範囲で添加されることが好ましい。
【0101】
B:
Bは、0.0003〜0.01重量%が添加されると、パーライト変態が顕著に遅延化されて、焼入性が顕著に高くなり、また、前記表面層からより深部に形成される低炭素濃度のマルテンサイト相を母相とする第2焼入れ硬化層の形成に極めて好ましい元素であって、かつ、Moと同様にパーライトが析出することを防止するとともに、微量のMoと共存することによって、高靭性なベイナイト組織化する作用があるので、本実施の形態の高周波焼入れ処理する鋼材には好ましい元素である。
【0102】
Si,Al,Ni,Co:
Si,Al,Ni,Coはセメンタイトから排出され、マルテンサイト中に濃縮するが、Crとは逆に炭素活量を高める合金元素である。とりわけ、Siはオーステナイト中の炭素の活量を顕著に高める元素であって、前記マルテンサイト相に固溶する炭素の濃度を低減する作用(例えば、△C=0.1重量%C/重量%Si)を有することから、結果的には焼入性を高める作用は軽微である。
【0103】
また、Si,Alは100〜400℃の低温側での焼戻し軟化抵抗性を顕著に高める元素であるから、各種歯車やベアリング等の転動部材、耐摩耗部材や耐摩耗摺動部材には積極的に添加されて好ましい合金元素であり、0.05〜2重量%添加されるが、多量の添加はフェライトを顕著に安定化し、前記Ac1温度またはAc3温度〜950℃の第2焼入れ硬化層を形成させるためのオーステナイト化処理温度がより高温化し、フェライト相が混在しやすくなることから、(Si+Al)の上限添加量を2.0重量%とした。また、セメンタイト中へのMn,Cr,Mo,V等を濃縮させた本実施の形態の高周波焼入れ歯車部材では、転動面のマルテンサイト相の焼戻し軟化抵抗性を改善するCr,Mo,Vの作用が極めて小さいために、(Si+Al)を0.5重量%以上添加することが好ましい。さらに、AlはSiよりもよりフェライト安定化元素であることから、その上限添加量を1.0重量%と設定したが、同時にオーステナイトを安定化するNi、Mn、Cuを共存するように添加しておくことは好ましい。
【0104】
また、Niは焼入れ性を高める元素であるとともに強靭性を高める元素である。セメンタイト中へMn,Cr,Mo,V等を濃縮させた本実施の形態の高周波焼入れ歯車部材では、大型になるほど第2焼入れ硬化層をより深部まで形成させるために焼入れ性を高める必要性があることから、Niをより積極的に添加することとするが、Niの上限添加量としては3重量%とするのが好ましい。これは前記高周波焼入れ処理によって形成される残留オーステナイトが形成されすぎることと経済性を考慮して設定したものである。なお、前記Al、Siと共存させることによって、より焼戻し軟化抵抗性が高まるとともに、顕著に靭性が改善される。
【0105】
Coは焼入性を低減する合金元素であるが、Cr,Mn,Mo等の合金元素のαKMを増大させる機能を有し、かつマルテンサイトの焼戻し軟化抵抗性を顕著に改善する有効な元素であるが、極めて高価であることから、本実施の形態においては、3重量%以内で添加されることが好ましい。
【0106】
Cuはオーステナイトを安定化するとともに、耐候性を高める元素であることから、素材鍛造時の赤熱脆性の発生しやすさを考慮して、1重量%以下であることが好ましい。
【0107】
なお、N,P,S,Oはそれぞれ0.05重量%以下の通常範囲で不純物元素として含有されるが、Ti,Nb,Zr,V,Alなどの合金元素が添加される場合においては、これらの合金元素を主体とする窒化物を分散させることを考慮して、N濃度は0.3重量%以下で調整され、また、快削鋼としてSを添加する場合においては、S濃度が0.5重量%以下で調整されることが好ましい。
【0108】
次に、図8に示される歯部焼入れ後組織の模式図を用いて、本発明の第1の実施の形態について説明する。なお、図8(a)(b)は本実施の形態に係る歯車部材の高周波焼入れ後組織の模式図、図8(c)は従来の歯形に沿った高周波焼入れ(輪郭焼入れ)組織の模式図である。
【0109】
本実施の形態の歯車部材は、セメンタイト中のCr濃度を3.5〜12重量%に調整した鋼材を利用し、ビッカース硬さHv600以上に硬化された、セメンタイトの残留しないマルテンサイト相を母相とする第1焼入れ硬化層1と、Hv300〜500に硬化された第2焼入れ硬化層2とにより構成される。第2焼入れ硬化層2は、マルテンサイト相およびベイナイト相の少なくとも一方を母相とし、焼入れ前組織中のセメンタイトが残留しているものである。また、第2焼入れ硬化層2の深部においては焼入れ前組織3としての(フェライト+セメンタイト)二相組織部が残留している。
【0110】
また、その歯車モジュール(m)に対して前記マルテンサイト相中の炭素濃度と合金元素濃度、および、旧オーステナイト結晶粒度の関係から計算される第2焼入れ硬化層2の焼入れ性(DI値(in.))が、式
DI≧0.12×m+0.2
を満たすようにDI値を制御することによって、ピッチ円位置の歯部中心位置5において、マルテンサイト相およびベイナイト相の少なくとも一方を含有する母相とする第2焼入れ硬化層2が形成されるようにすることが好ましい。
【0111】
なお、前記第1焼入れ硬化層1におけるマルテンサイト相中に固溶する炭素の濃度は0.4〜0.8重量%に調整されることが好ましい。また、前記第2焼入れ硬化層2のマルテンサイト相およびベイナイト相の少なくとも一方の中に固溶する炭素の濃度は0.07〜0.5重量%、好ましくは0.07〜0.3重量%であり、未固溶のセメンタイトは平均粒径が1μm以下の粒状セメンタイトである。また、焼入れ後においては、100〜350℃での適正な焼戻し処理が施されていることが好ましい。
【0112】
本実施の形態の歯車装置の製造に際しては、セメンタイトの粒状化処理や焼入れ焼戻し処理によって(フェライト+セメンタイト)二相領域でセメンタイト中にCrを濃縮させた鋼材(鋼材硬さ:Hv160〜260)を用い、歯車加工した素材に、図9に示される代表的な熱処理パターンもしくはその原理的類似性を持つ熱処理パターンにしたがった処理がなされる。図9に示される(a)型は、歯部の表面層に第1焼入れ硬化層1を形成させるオーステナイト化温度(1)にまで歯形に沿って表面層を加熱した後に冷却させながら、第1焼入れ硬化層1の深部に第2焼入れ硬化層2を形成させるためのオーステナイト化温度(2)により深部まで加熱した後に急冷する方法である。また、(b)型は(a)型とは逆に、第2焼入れ硬化層2を形成させるためのオーステナイト化温度(2)により深部まで加熱した後に、歯部の表面層に第1焼入れ硬化層1を形成させるオーステナイト化温度(1)にまで歯形に沿って表面層を急速加熱した後に急冷する方法である。また、(c)型は、(a)型に予備加熱工程を設けたものである。このような予備加熱工程を設けることは、歯型に沿っての入熱性を高める上で好ましく、その加熱温度は、Ac1温度以下の温度域であることが好ましい。また、(C−3)型は、オーステナイト化温度(1)への加熱・冷却後に、別工程でオーステナイト化温度(2)への加熱と急冷処理を施すことによっても、本発明の主旨に沿った熱処理が可能であることを示唆しており、また、オーステナイト化温度(2)への加熱手段が前記誘導加熱にこだわるものでなく、例えば塩浴炉などの加熱手段を用いることができる。
【0113】
また、(a)型のオーステナイト化温度(1)からオーステナイト化温度(2)への冷却速度を適正にするか、もしくは、(d)型のように第1焼入れ硬化層1と第2焼入れ硬化層2の境界部の硬さ変化をスムーズ化するように3種以上の焼入れ硬化層を形成させることは、浸炭焼入れ歯車の硬化パターンに近づけられることから好ましい。
【0114】
なお、オーステナイト化温度(1)は900〜1150℃であり、オーステナイト温度(2)はAc1温度またはAc3温度〜950℃の範囲であることが好ましいことは前述のとおりであるが、本実施の形態において、オーステナイト化温度(1)としては、焼入れ前組織中のセメンタイトのほぼ全量がオーステナイト(残留セメンタイト量:2体積%未満)に固溶する温度が選定される。
【0115】
また、歯形の沿った入熱方式としては、前記二周波高周波焼入れや大電力を瞬間的に投入する高周波焼入れ方法が実施できる。
【0116】
また、本実施の形態においては、第1焼入れ硬化層1の耐摩耗性と耐焼付き性を改善する観点からV4C3,TiC等の特殊炭化物が適量分散されることが好ましい。
【0117】
さらに、本実施の形態においては、第1焼入れ硬化層1にセメンタイトがほとんど残留しないようにするために、0.4〜0.8重量%のC、0.1〜2重量%のMn、0.3〜2重量%のCrを含有し、さらに、0.05〜1.5重量%の(Si+Al)、0.01〜1重量%のAl、3.0重量%以下のNi、0.01重量%以下のB、2重量%以下のV、0.7重量%以下の(Mo+W)、0.2重量%以下の(Ti+Nb+Zr)のうち一種以上を含有するのが好ましい。
【0118】
また、本実施の形態における歯車部材は、ピッチ円4上の第1焼入れ硬化層1の表面部分の硬さがHv:600以上で、その硬化層1(Hv513以上)の深さが(0.2〜0.6)×m(モジュール)であり、歯元部の第1焼入れ硬化層1の表面部分の硬さがHv:600以上で、その硬化層1(Hv513以上)の深さが(0.15〜0.6)×m(モジュール)であり、第2焼入れ硬化層2の硬さがHv300〜500で、ピッチ円中心位置5は第2焼入れ硬化層2に形成されているのが好ましい。
【0119】
また、歯元曲げ疲労強度や耐面圧強度、さらに軸部の捩じり強度を改善する観点から、第1焼入れ硬化層1の表面部にショットピーニング等の加工処理を施して、その表面部に50kgf/mm2以上の大きな圧縮残留応力を付加することが好ましい。
【0120】
次に、第2の実施の形態について説明する。
この第2の実施の形態の歯車部材においては、前記第1の実施の形態における第1焼入れ硬化層1中に焼入れ前組織3中に分散させたセメンタイトを2〜17体積%残留、分散させることによって、歯車のピッチング強度および耐摩耗性を改善した歯車部材を提供するものである。また、第1焼入れ硬化層1の深部において形成させる第2焼入れ硬化層2においても3〜20体積%のセメンタイトを残留、分散させたものである。この歯車部材は、第1の実施の形態と同様、焼入れ後に100〜350℃の適正な焼戻し処理が施され、ピッチ円4上の第1焼入れ硬化層1の表面部分の硬さがHv:600以上で、その硬化層1(Hv513以上)の深さが(0.2〜0.6)×m(モジュール)であり、歯元部の第1焼入れ硬化層1の表面部分の硬さがHv:600以上で、その硬化層1(Hv513以上)の深さが(0.15〜0.6)×m(モジュール)であり、第2焼入れ硬化層の硬さがHv300〜500で、ピッチ円中心位置5は第2焼入れ硬化層2に形成されているのが好ましい。
【0121】
また、使用する鋼材としては、0.55〜1.5重量%のC、0.1〜2重量%のMn、0.3〜2重量%のCrを含有し、さらに、0.05〜1.5重量%の(Si+Al)、0.01〜1重量%のAl、3.0重量%以下のNi、0.01重量%以下のB、2重量%以下のV、0.7重量%以下の(Mo+W)、0.2重量%以下の(Ti+Nb+Zr)のうち一種以上を含有するのが好ましい。
【0122】
さらに、第1焼入れ硬化層1中に残留オーステナイトを10〜50体積%形成させることによって、靭性を付加するとともに、耐摩耗性、耐焼付き性、耐面圧性を改善することが好ましい。なお、残留オーステナイト量が50体積%を越えると、焼入れ硬化層に軟化傾向がみられ、耐摩耗性や耐面圧強度が劣化する。
【0123】
なお、前記マルテンサイト中に固溶する炭素の濃度と合金元素濃度、および、旧オーステナイト結晶粒度の関係から計算される、第2焼入れ硬化層2の焼入れ性(DI値(in.))が、式
DI≧0.12×m+0.2
を満たすようにDI値を制御することによって、前記ピッチ円上の中心位置5がマルテンサイト相およびベイナイト相の少なくとも一方を母相とする第2焼入れ硬化層2に形成されるようにするのが好ましい。
【0124】
本実施の形態の歯車部材は、前記第1の実施の形態と同様の熱処理パターンの高周波熱処理によって製造されるが、第1焼入れ硬化層1を形成させるオーステナイト化温度(1)に加熱する状態で2体積%以上のセメンタイトが残留するようにされている。また、前記V4C3,TiC等の特殊炭化物が適量分散されてよいのは第1の実施の形態と同様である。
【0125】
また、図10(a)(b)に示されるような軸部6,7を持つ歯車部材(ピニオンギヤ類)では、トルク伝達する際にかかる捩じり応力や曲げ応力に対して十分な強度を有する必要があるが、前記第1,2の実施の形態に示された方法をそれら軸部6,7の高周波焼入れに適用することによって、より深い焼入れ強化層を形成することができる。このように前記第1、第2の実施の形態の高周波焼入れ方法は、これらの軸付きギヤ部材の高周波焼入れ方法としても好適である。なお、図10において、符号8,9は歯部、符号10はスプラインをそれぞれ示す。
【0126】
また、歯元曲げ疲労強度や耐面圧強度、さらに軸部の捩じり強度を改善する観点から、第1焼入れ硬化層1の表面部にショットピーニング等の加工処理を施して、その表面部に50kgf/mm2以上の大きな圧縮残留応力を付加することが好ましい。
【0127】
続いて、第3の実施の形態について説明する。
この第3の実施の形態は、前記第1、第2の実施の形態の歯車部材における製造技術を、図11(a)に示されるベアリング部材11、減速機キャリヤピンのような軸部材12および歯車部材13や、図11(b)に示されるカム14,15およびカムシャフト部材16に適用したものである。
【0128】
ここで、歯車、ベアリング、ベアリングケース、シャフト等の高い焼戻し軟化抵抗性が必要とされる高周波焼入れ部材においては、Si,Alのうちの一種以上が0.5〜1.5重量%の範囲で含有されているのが好ましい。また、使用条件において滑りを伴う部材においては、V,Tiのうちの一種以上が0.1〜2.0重量%含有され、V,Tiを主体とする特殊炭化物がわずかに分散されているのが好ましい。
【0129】
本実施の形態においては、焼入れ硬化層のマルテンサイト相中に固溶する炭素の濃度を目的に応じて0.35〜0.8重量%の範囲に調整したマルテンサイト相中に2〜20体積%のセメンタイトを分散させることが好ましい。また、10〜50体積%の残留オーステナイトを形成させることによって、耐摩耗性、耐焼付き性、耐面圧性の改善を目的とした高周波焼入れ部材を製造することがより好ましい。なお、残留オーステナイト量が50体積%を越えると、焼入れ硬化層に軟化傾向がみられ、耐摩耗性や耐面圧強度が劣化する。
【0130】
滑り時のヒートクラック性を重要視するカム等に適用する場合においては、滑り面における焼入れ硬化層中のマルテンサイト相に固溶する炭素の濃度を0.35〜0.55重量%の範囲に調整し、セメンタイトを5〜20体積%分散させることが好ましく、さらに耐摩耗性と耐焼付き性改善するために、0.1〜2.0重量%のVを添加してV4C3炭化物をあらかじめ分散させておくことが好ましい。
【0131】
また、歯車部材の耐面圧強度、耐摩耗性、耐焼付き性を改善する観点からも、歯面焼入れ硬化層においては0.4〜0.8重量%の炭素が固溶したマルテンサイト母相中に5〜20体積%のセメンタイトとV4C3、TiC等の硬質な特殊炭化物を5体積%未満の範囲で分散させることが好ましい。なお、5体積%以上の特殊炭化物が存在する場合においては、相手材料に対するアタック性が顕著になる危険性がある。
【実施例】
【0132】
[実施例1;ピッチング強度(予備試験)]
本実施例では、歯車の歯面における滑りを伴う転動疲労強度を調べるために、図12に示される試験片を用いてローラピッチング試験を実施し、各種の焼入れ焼戻し炭素鋼および浸炭焼入れ肌焼き鋼のピッチング強度を調べた。表1は本実施例に用いた各種炭素鋼、肌焼き鋼の化学成分を示したものであり、各種鋼材は図12(a)に示される小ローラ試験片17の形状に加工した後、No.1、2、4は820℃で30分加熱後に水焼入れし160℃で3hr焼戻し処理を施して、試験に供した。また、No.3とNo.4は素材調質処理後に転動面を40kHz、200kWの高周波電源を用いて950℃に加熱した後に焼入れ硬化し、前述と同様の焼戻し処理を施した。さらに、No.5は930℃で5hrの浸炭処理(炭素ポテンシャル0.8)を施した後850℃に冷却し、850℃で30分保持した後に60℃の焼入れ油に焼入れ、その後、前述と同様の焼戻し処理を施した。
【0133】
【表1】
【0134】
なお、No.4の球状化処理したSUJ2を高周波加熱によって800℃以上の温度域において6℃/secで比較的遅く昇温し、所定の加熱温度で約5秒間保持した後に水焼入れし、その時の焼き入れ層の硬さとX線解析によるマルテンサイト相中の炭素濃度と未溶解のセメンタイト量の関係を調査した結果を図13(a),(b),(c)に示した。この結果から明らかにCrのセメンタイトへの濃縮(約7.8重量%Cr)によって、オーステナイトへのセメンタイトの固溶が遅延しており、浸炭焼入れ硬化層と同等な十分な硬さ(Hv650以上)のマルテンサイト(固溶炭素濃度0.35重量%)を得るためには、少なくとも、900℃以上に加熱温度を設定することが必要であり、1000℃に加熱温度を高めた場合においても8体積%のセメンタイトが未固溶状態で残留することがわかる。なお、No.3、No.4の高周波焼入れ温度を950〜980℃となるように焼入れ処理を施した後160℃で3hr焼戻したところ、残留するセメンタイト量は試験片No.3が2体積%であり、試験片No.4が10体積%であった。
【0135】
図12(b)に示される大ローラ試験片18はNo.4のSUJ2材を820℃で30分加熱後に水焼入れし160℃で3hr焼戻したものを使用する。
【0136】
ローラピッチング試験は、平行な2つの回転軸を持つ試験機に、小ローラ試験片17および大ローラ試験片18を、中心軸21,22がその2つの回転軸の中心に一致するように固定し、それぞれの試験面19,20を所定の面圧がかかるように接触させ、試験面19,20が接触する部分で同じ方向へ進行するように中心軸21,22についてそれぞれ所定の回転数で回転させて実施する。ここでは、70℃の#30エンジンオイルで潤滑しながら、回転数を小ローラが1050rpm、大ローラ(負荷ローラ)が292rpmとして40%の滑り率を与え、面圧を375〜220kgf/mm2の種々の条件で与えてローラピッチング試験を実施した。
【0137】
図14は各種面圧でピッチングが発生した繰り返し回数(小ローラ1回転を1回とする)をまとめて示したものであり、横軸をピッチングが発生した繰り返し回数、縦軸をその試験時の面圧としている。まず、基準とする浸炭肌焼き鋼(No.5)における各面圧における最小繰り返し回数をつないだ寿命線を図中に示した。ピッチングが発生した繰り返し回数が107回となる時の面圧を転動面疲労強度(ピッチング強度)と定義した場合、そのピッチング強度は約210kgf/mm2となることがわかった。また、同様の整理の仕方で検討すると、No.1:175kgf/mm2、No.2:240kgf/mm2、No.3(高周波焼入れ):260kgf/mm2、No.4:270kgf/mm2およびNo.4(高周波焼入れ):290kgf/mm2となり、高周波焼入れによって、セメンタイト粒子を約2体積%、約10体積%を分散させたNo.3,No.4の転動面疲労強度が顕著に改善されていることがわかる。さらに、浸炭肌焼き鋼はバラツキが多少大きく、この原因が転動面での浸炭時の粒界酸化や不完全焼き入れ層の存在や残留オーステナイト量が多いこと等によるもので、平均的なピッチング発生回数で比較した場合には、No.2のピッチング強度と変わらないことがわかる。
【0138】
また、ピッチングを発生した転動面のマルテンサイト相のX線半価幅を調査した結果、No.1:3.6〜4.0°、No.2:4〜4.2°、No.3:4.2〜4.4°、No.4:4.3〜4.6°、No.5:4〜4.2°であった。
【0139】
さらに、前記熱処理を施したNo.1〜5の試験片を250〜350℃で各3hr焼戻した時のX線半価幅を調査した結果、前記ピッチング発生転動面の半価幅はほぼ300℃で焼戻した半価幅と合致し、公知文献(例えば「材料」、第26巻、280号、P26)で報告されている各種炭素濃度の炭素鋼の焼戻し硬さと半価幅の関係ともほぼ合致することがわかる。
【0140】
また前述の結果から、固溶炭素濃度0.4重量%以上のマルテンサイト母相中にセメンタイト粒子を2体積%以上、好ましくは6体積%以上分散させた焼入れ硬化層が優れた耐面圧強度を有し、ベアリング、ベアリングリテーナ、ベアリングと転動しあうシャフト部および歯車部材へのセメンタイト粒子を残留させる高周波焼入れ方法が好ましいことがわかる。
【0141】
[実施例2;高周波加熱条件の確認]
実施例1の図13(a),(b),(c)は、表2中のNo.1鋼材(表1のNo.4のSUJ2相当材)を810℃に2hr加熱し、600℃まで徐冷するセメンタイトの粒状化処理(徐冷法)を施した後、高周波加熱によって6℃/secの加熱速度で800〜1050℃の各温度に加熱した後に水焼入れし、その焼入れ層硬さとX線解析によるマルテンサイト中の炭素濃度およびそれから算出される未固溶セメンタイト量の関係を調査した結果を示したものである。この図から、Crのセメンタイトへの濃縮(約7.8重量%Cr)によって、前記転動部材や歯車部材として必要な十分な硬さのマルテンサイトを得るためには、前述のように、少なくとも900〜1100℃の範囲に加熱温度を設定することが好ましいこと、その時のマルテンサイト中の炭素濃度が約0.35〜0.8重量%であり、2〜10体積%の硬質なセメンタイト粒子が分散していることが必要である。歯車部材などの転動面のピッチング強度を高めるためには、転動面のマルテンサイト中の炭素濃度を0.4〜0.8重量%と設定することがより好ましい。浸炭歯車部材よりもピッチング強度の優れた本実施の形態の歯車部材を製造するに際しては、100〜350℃の低温焼戻し処理後の転動面硬さをHv650以上に調整することが好ましいことがわかる。
【0142】
【表2】
【0143】
また、図13(b)中の破線は、前記図5に示される関係から求めたマルテンサイト相中に固溶する炭素の濃度を示したものであり、950℃以下の実測データと極めてよく一致する。また、これ以上のオーステナイト化温度においては実測されたマルテンサイト相中に固溶する炭素の濃度がより多いことがわかる。これは本実施例の加熱速度が遅く、前記合金拡散律速によるセメンタイトの固溶が進行したことによるものであって、950℃以上、好ましくは900℃以上でオーステナイト化して形成させるマルテンサイト相中の炭素濃度をより正確に制御するためには、Ac1温度またはAc3温度から900〜1150℃の所定のオーステナイト化温度までの昇温時間と冷却開始までの保持時間の総時間が5秒以内であることが好ましく、さらに、前記第1焼入れ硬化層を歯形に沿って形成させるためには、2秒以内で実施されることが好ましいことがわかる。
【0144】
さらに、Cr添加量を低減した表2中のNo.2供試鋼(SUJ3相当材、セメンタイト中のCr:約6.5重量%)を、前記球状化処理(徐冷法)したものと、820℃で1.5hr保持した後に放冷し、パーライト状セメンタイトと粒状セメンタイトを分散させたものを準備し、通常の高周波加熱速度よりも極めて速い加熱速度1000℃/secで900〜1100℃の各温度に加熱した後に焼き入れた摺動面の組織を調査した。
【0145】
図15は前記球状化処理(徐冷法)したものの1000℃のオーステナイト化温度から焼き入れた組織を示したものであり、粒状セメンタイトが極めて多量に分散しており、図16に示されるようにその焼入れ層中における硬さ(1000℃)は、残留オーステナイトが30〜45体積%を含有するにもかかわらず、最大Hv880にまで顕著に硬化されていることがわかる。また、オーステナイト化温度を1100℃とした場合においても、50体積%の残留オーステナイトを含有してもHv830に硬化し、耐摩耗性に問題なく利用できることがわかる。
【0146】
また、図17は、前記パーライト状セメンタイト(3.9重量%Cr)と粒状セメンタイトを分散させたものを1000℃に加熱した後に焼き入れた摺動面の組織を示したものである。この図から明らかに、マルテンサイト母相中にパーライト組織状の板状セメンタイトが分散しており、またその焼入れ硬化層の硬さは、図5の関係から明らかなように、マルテンサイト相中に固溶する炭素の濃度が顕著に高まり(0.87重量%C)、図15の焼入れ硬化層の硬さ(Hv880)より顕著(Hv940)に硬化していることがわかる。
【0147】
また、パーライト前組織を含む表2のNo.2鋼材を使って、パーライト状セメンタイトが分散する加熱速度と加熱温度の関係を調査した結果、加熱速度150℃/sec、加熱温度900℃の焼入れ組織でもパーライト状セメンタイトが分散し、その時の焼入れ硬化層の硬さはHv945にまで顕著に硬化することがわかり、少なくとも約4重量%Crのパーライト状セメンタイトを安定して分散させるためには、850℃を加熱温度の下限とした場合には、加熱速度が100℃/sec以上、900℃を加熱温度の下限とした場合には、加熱速度が150℃/sec以上であることが好ましいことがわかる。
【0148】
図18は、表2のNo.3鋼材を950℃×1hr均質化後油焼入れし、700℃で2hr焼戻した後(セメンタイト中のCr濃度9.8重量%)、前述したのと同じ1000℃と1100℃に1000℃/secで高周波加熱・焼入れし、160℃で1hr焼戻した試験片の硬さ分布を示したものである。前記図5を参照すると、1000℃からの焼入れではマルテンサイトに固溶する炭素の濃度が約0.23重量%不足して十分に硬化しないが、1100℃ではマルテンサイト相中に固溶する炭素の濃度が約0.35重量%に高まり、十分な硬さが得られることがわかる。
【0149】
また、実施例1と同様のローラピッチング試験の結果は、1000℃焼入れ品のピッチング強度が約200kgf/mm2、1100℃焼入れ品のピッチング強度が約240kgf/mm2(図14参照)となり、マルテンサイト相中にセメンタイト粒が分散する組織のマルテンサイト相の固溶炭素濃度が0.35重量%以上、より好ましく0.4重量%以上であることが必要である。
【0150】
さらにまた、急速加熱焼入れしたNo.1鋼材(球状化処理SUJ2)のマルテンサイト相の格子定数測定から求めたマルテンサイト相中の炭素濃度は約0.48重量%であり、図5のセメンタイト中のCr濃度(7.8重量%)から求まるマルテンサイト相中に固溶する炭素の濃度(0.46重量%)と良く一致することから、前記急速加熱焼入れによってマルテンサイト相中に固溶する炭素の濃度が精度良く調整できることがわかる。同じことは、No.4の球状化処理したSUJ3(セメンタイト中のCr濃度は約6.5重量%)についても確認され、また、残留オーステナイト相中の炭素濃度が0.97重量%と求まり、この結果が図4中のセメンタイトのCr濃度と同じ組成のオーステナイト相中の炭素濃度にほぼ等しいことも確認される。このことから、マルテンサイト相中に固溶する炭素の濃度を調整する高周波誘導加熱条件としては、前記加熱温度:850〜1100℃、加熱速度:100℃/sec以上が好ましいことがわかる。また、より精度良くその固溶炭素濃度を調整するためには、下限加熱温度を900℃(ほぼFeのA3変態温度)として、150℃/sec以上、もしくは、900℃〜1150焼入れ温度の間を2秒以内に加熱して、焼入れることがより好ましい。
【0151】
また、前記約950℃以下の焼入れ温度においては合金元素Crの拡散が遅いために、加熱速度の影響が小さくなり、穏やかな高周波誘導加熱によってもマルテンサイト相の固溶炭素濃度、未固溶セメンタイトの分散、焼入れ性の抑制、旧オーステナイト結晶粒の微細化の調整が容易に行える。
【0152】
したがって、前記第1焼入れ硬化層と第2焼入れ硬化層を形成させた歯車部材などの転動部材が、Ac1温度またはAc3温度〜950℃間の所定のオーステナイト化加熱(2)と900〜1150℃間の所定のオーステナイト化加熱(1)を組み合わせて実施した後に、急冷処理することにより製造されることがわかる。例えば、
タイプA:歯形に沿って表面層をオーステナイト化温度(1)にすばやく誘導加熱した後に、誘導電力を落としてオーステナイト化温度(2)に降温させ、急冷するか、もしくは
タイプB:歯部内部までオーステナイト化温度(2)に加熱した後に、歯形に沿って表面層をオーステナイト化温度(1)にすばやく誘導加熱して急冷することによって製造することができる。
【0153】
なお、前記タイプAにおいては、オーステナイト化温度(1)からオーステナイト化温度(2)への降温速度を調整することによって、前記第1焼入れ硬化層から第2焼入れ硬化層への中間層中のマルテンサイト相中の炭素濃度がより連続的に調整され、さらに、オーステナイト化温度(2)の深さ方向への温度分布によって第2焼入れ硬化層中のマルテンサイト相およびベイナイト相の少なくとも一方の中の炭素濃度が調整される。
【0154】
また、前記タイプBにおいては、オーステナイト化温度(1)に加熱する際にオーステナイト化温度(2)との中間位置に形成される温度分布によって中間層中に前記マルテンサイト相が形成される。
【0155】
また、第1焼入れ硬化層を歯形に沿って形成させるには、誘導電流の浸透深さが浅いフェライトに急速な誘導加熱を施すことが好ましいので、タイプAとタイプBの各熱処理方法を比較した場合、タイプAがより好ましい。さらに、タイプBのオーステナイト化温度(2)に加熱した後に一旦A1温度以下に冷却し、フェライトを析出させた後に歯形に沿ってオーステナイト化温度(1)にすばやく誘導加熱する方法が考えられるが、この場合には第1焼入れ硬化層の深部に明確な第2焼入れ硬化層が形成されず、第1焼入れ硬化層と素地硬さの境界部において顕著な引張残留応力が発生し、前記面圧強度(スポーリング強度)の低下につながることから、好ましい焼入れ方法ではない。
【0156】
またさらに、前記誘導加熱周波数としては、歯底から歯先にわたってほぼ同時加熱できる適正周波数を用いる場合や前記二重周波のように1〜10kHzと100〜1000kHzの周波数を用いることができる。
【0157】
また、前記製造方法において、オーステナイト化温度(2)の加熱方式としては、前記誘導加熱に限るものではなく、塩浴炉を用いた加熱方式も有用であって、例えば、オーステナイト化温度(1)に急速に誘導加熱した後に、すばやく、塩浴炉浸漬してオーステナイト化温度(2)に加熱するか、もしくは塩浴炉で加熱した後にオーステナイト化温度(1)に表面層をすばやく誘導加熱して利用できる。しかし、誘導加熱方式で一貫して製造する方式が最も生産性の観点から好ましい。
【0158】
[実施例3;焼戻し軟化抵抗性の確認]
表3は本実施例で使用した合金組成を示したものであり、熱処理は950℃で焼ならし処理後に810〜870℃で30分加熱後水冷し、250、300、350℃で3hr焼戻しした試験片のロックウェル硬さHRCを調査し、さらに、これらの硬さに対する各合金元素添加量の影響を解析した。
【0159】
【表3】
【0160】
なお、予備実験として、0.1〜1.0重量%の炭素と0.3〜0.9重量%のMnを含有する炭素鋼についても調査し、前記合金元素の影響の解析のベースデータとした。その結果、
250℃では HRC=34×√C(重量%)+26.5
300℃では HRC=36×√C(重量%)+20.9
350℃では HRC=38×√C(重量%)+15.3
の近似式で記述されることがわかった。
【0161】
また、これらの炭素鋼の硬さをベースに合金元素の影響を解析した結果、焼戻し軟化抵抗△HRCは、例えば300℃で、次式で記述できることがわかった。
△HRC=4.3×Si(重量%)+7.3×Al(重量%)+1.2×Cr(重量%)×(0.45÷C(重量%))+1.5×Mo(重量%)+3.1×V(重量%)
【0162】
この結果から、AlはSiの1.7倍の焼戻し軟化抵抗性を発現することがわかり、転動面圧強度の改善元素として極めて効果的であることがわかった。
【0163】
図19は、前記解析結果から求まる焼戻し硬さと実測した焼戻し硬さの合致性を示したものであり,そのバラツキ幅がHRC±1の範囲で精度良く予測できることがわかる。また、実施例1のSCM420(No.5)の浸炭層(0.8重量%炭素)の300℃焼戻し硬さについても図19の☆印で示しており、計算値と良く合致していることがわかる。
【0164】
[実施例4;高周波焼入れ性の確認]
表4は本実施例で使用する鋼材の合金成分を示したものである。950℃で焼ならし処理を施した後に、直径30mm長さ100mmの円柱状試験片に機械加工し、850〜900℃で1hr加熱した後に水冷したものと、水冷した後に650℃で5hr焼戻し処理を施したものを、3kHzの高周波加熱設備を使い、15秒間で870℃にほぼ均一加熱状態にした後水冷したものの焼入れ硬化深さを求めた。さらに、表4の化学成分からもとまるDI値1と前記650℃の焼戻し処理から計算されるマルテンサイトの化学組成から計算されるDI値2と焼入れ硬化層深さの関係を図20に示したが、明らかに、高周波焼入れ前組織のセメンタイト中に合金元素を濃縮させることによって高周波焼入れ時の焼入れ性が顕著に低減され、かつ正確に制御されていることがわかる。なお、同図中のNo.P6がとりわけ、図中の直線性から大きくずれているが、これは、焼入れ前組織中のセメンタイトが約10体積%未固溶状態で残留し、そのセメンタイト中に多くの合金元素を含有し、かつ、マルテンサイト中の炭素濃度が少なくなることによってDI値2が小さくなるためであり、さらに、結晶粒の微細化による焼入れ性がより低下していることがわかる。
【0165】
【表4】
【0166】
図21は、モジュールm=3.25の歯車を900℃に全体加熱した後、水スプレー冷却に相当する冷却能(4in−1)で冷却した時の歯底(◇印)、ピッチ円上の歯面(□印)、歯元(△印)、歯先(○印)位置での焼入れ硬化深さと鋼材のDI値(in)との関係の計算結果を示したものであり、(1)ピッチ円上歯面ではDI=0.6(in)以上においてはスルーハード化する、(2)スルーハード化するまでは、歯元部と歯先部の焼入れ硬化深さは、それぞれピッチ円上の焼入れ硬化深さの約30%、約200%以上であって、歯先部およびピッチ円上の焼入れ硬化層深さに対して歯元部の焼入れ硬化深さの浅い特有の焼入れ硬化層分布を持ち、かつ、歯先硬化層深さがモジュールm以上により深なるにしたがって、歯先に近い歯面から、歯元部近傍までの歯面に引張り残留応力が発生するが、歯元、歯底部表面においては大きな圧縮残留応力が発生することがわかった。
【0167】
また、ピッチ円位置がスルーハード化する鋼材の焼入れ性(DI値)は、前記計算をモジュールmが2〜15(mm)の歯車について検討した結果から、ほぼ、DI≧0.12×m+0.2の条件を満足することが必要であることがわかった。
【0168】
図22はm=3.5歯車のピッチ円上の位置に240kgf/mm2のヘルツ面圧が作用したときのその内部位置における剪断応力とその応力のスポーリング強度に耐えるビッカース硬さ分布(Hv=10.9×剪断応力)を示したものである。また、図23は同じ歯車の歯元表面に100kgf/mm2の曲げ応力が作用したときのその内部位置における応力分布とその応力の疲労強度に耐えるビッカース硬さ分布(Hv=6×曲げ応力)を参考例として示したものである。これらの図中にはSCM420材の浸炭焼入れ歯車の硬さ分布および球状化処理したSUJ3材(Hv=210)の歯形に沿って高周波焼入れした歯車部材(図24参照)の硬さ分布を合わせて示してある。
【0169】
まず図22に基づいてスポーリング強度について検討すると、前記SUJ3高周波焼入れ歯車は浸炭焼入れ歯車に比べ、その素地(焼入れ前組織)の硬さが低いことによって耐スポーリング強度が弱いことが明らかである。浸炭焼入れ歯車と同等のスポーリング強度を得るためには、(1)その焼入れ硬化層深さを3〜3.5mm(モジュール相当)まで深くする、(2)素地硬さを例えばHv350程度にまで硬くすることが必要であることがわかる。前記のように焼入れ硬化層深さをより深くする場合には、歯面において引張残留応力が発生すること、素地をより硬くする場合には、歯車部材の加工コストの点で経済的でない問題があるので、前記第1焼入れ硬化層の深部に、図中の破線もしくは一点鎖線で示すような硬質な第2焼入れ硬化層を形成させることによって、これらの問題点を解決することが非常に好ましいことがわかる。なお、一点鎖線で示す第2焼入れ硬化層はベイナイトとパーライト組織を主体とし、破線はマルテンサイトおよびベイナイトの少なくとも一方の組織を主体とするものであって、第2焼入れ硬化層が浸炭焼入れ歯車と同様に、マルテンサイト相およびベイナイト相の少なくとも一方が主体となることがより好ましく、またこの第2焼入れ硬化層が十分に形成されるように、前記第2焼入れ硬化層のDI値がDI≧0.12×m+0.2を満足するように調整されることが好ましい。また、より大型の歯車部材においてはセメンタイト中に濃縮しない、Si,Al,Ni,Coの添加によって調整されることがより好ましい。
【0170】
また、前記SUJ3の高周波焼入れ歯車では歯面に40kgf/mm2の圧縮残留応力が発生しているが、焼入れ硬化層と素地部の境界部においては20〜30kgf/mm2の引張残留応力が発生するために、スポーリング強度がさらに浸炭焼入れ歯車に比べて低下することが危惧される。第1焼入れ硬化層と第2焼入れ硬化層を形成させる本実施例の歯車部材においては、この引張り残留応力の発生を低減できることから、よりスポーリング強度を高めることができる。
【0171】
また、第1焼入れ硬化層の硬さとその深さは、従来の浸炭焼入れ硬化層の基準(Hv:600〜850、硬化層深さ:(0.20〜0.6)×m)に準じて規定されることが好ましい。
【0172】
次に、図23に基づいて歯車部材の歯元曲げ強度について検討すると、前記スポーリング強度で検討した結果とほぼ同じことがあてはまり、第1焼入れ硬化層の硬さとその深さが、前記浸炭焼入れ歯車の焼入れ硬化層の基準(Hv:600〜850、硬化層深さ:(0.15〜0.6)×m)で、第2焼入れ硬化層の硬さがHv300〜500となることが好ましいことがわかる。
【0173】
[実施例5;耐摩耗性の改善]
通常、高周波焼入れした転動部材の耐摩耗性が十分でないことから、本実施例においては、その耐摩耗性に対するセメンタイト分散の影響を前記実施例のローラピッチング試験を用いて評価した。ローラピッチング試験方法は前述のとおりであって、摩耗量は面圧250kgf/mm2の条件で2×106回の試験後の小ローラの摩耗深さ(μm)で評価した。使用した供試鋼は表5に示すとおりであって、高周波焼入れした後、セメンタイト量、残留オーステナイト量および摩耗量を表5に合わせて示したが、明らかにセメンタイトの分散によって顕著に耐摩耗性が改善されていることがわかる。また、No.W3では粒状セメンタイトよりもパーライト組織状に板状セメンタイトが分散した場合の方が耐摩耗性に優れているが、これは滑りを伴う転動面でのオイルポケットの形成によって潤滑状況が改善されたことによるものであり、この組織形態は歯車部材に限らず、ベアリングなどの転がり部材にも好適であることがわかる。
【0174】
【表5】
【図面の簡単な説明】
【0175】
【図1】Fe−C−M状態図と等炭素活量線図を使ったγ相へのセメンタイトの固溶機構図。
【図2】合金元素濃度の異なる球状体が無限固体母相中に存在する時の均質化過程を示すグラフ。
【図3】固溶した球状セメンタイト中の合金元素の均質化を示すグラフ。
【図4】Fe−C−Cr三元系等炭素活量線図(at1000℃)。
【図5】加熱温度を750〜1150℃にしたときのセメンタイト中のCr濃度とマルテンサイト相中の固溶炭素濃度の関係を示すグラフ。
【図6】1重量%Cr鋼中のセメンタイトの固溶条件(1)を示すグラフ。
【図7】1重量%Cr鋼中のセメンタイトの固溶条件(2)を示すグラフ。
【図8】(a),(b)は第1の実施の形態に係る歯車部材の高周波焼入れ後組織の模式図であり、(c)は従来の歯形に沿った高周波焼入れ(輪郭焼入れ)組織の模式図。
【図9】第1の実施の形態における代表的な高周波焼入れパターンを示す図。
【図10】(a),(b)は軸付きギヤ部材の例を示す断面図。
【図11】(a),(b)は歯車部材以外への適用例を示す図。
【図12】ローラピッチング試験用試験片を示すものであり、(a)は小ローラ試験片を示す図であり、(b)は大ローラ試験片を示す図。
【図13】(a)は高周波加熱温度と焼入れ硬さとの関係を示すグラフであり、(b)は高周波加熱温度とマルテンサイトC濃度(6℃/sec)との関係を示すグラフであり、(c)は高周波加熱温度とθ相体積%との関係を示すグラフ。
【図14】ローラピッチング強度の予備試験結果を示すグラフ。
【図15】球状化処理No.4材料の急速高周波焼入れ組織を示す写真。
【図16】(a)は加熱温度と焼入れ硬さとの関係を示すグラフであり、(b)は加熱温度と残留オーステナイト量との関係を示すグラフ。
【図17】パーライト状セメンタイトと粒状セメンタイトを分散させたNo.4試料の急速高周波焼入れ組織を示す写真。
【図18】No.3鋼材の高周波焼入れ硬さ分布を示すグラフ。
【図19】焼戻し硬さの実測値と計算値の比較(300℃)を示すグラフ。
【図20】DI値と焼入れ硬化層深さの関係を示すグラフ。
【図21】モジュール3.25の歯車の焼入れ深さを示すグラフ。
【図22】歯車部材の耐スポーリング強度に必要な硬さ分布を示すグラフ。
【図23】耐歯元曲げ応力の硬さ分布(m=3.5)を示すグラフ。
【図24】高周波焼入れ歯車の硬化パターンを示す図。
【図25】非特許文献1に示された代表的な歯車の高周波焼入れ方式を示す図。
【図26】歯部二重周波加熱の効果を示す図。
【符号の説明】
【0176】
1 第1焼入れ硬化層
2 第2焼入れ硬化層
3 焼入れ前組織
4 ピッチ円
5 ピッチ円中心位置
6,7 軸部
8,9 歯部
10 スプライン
11 ベアリング部材
12 軸部材
13 歯車部材
14,15 カム
16 カムシャフト部材
【技術分野】
【0001】
本発明は、建設機械などにおいて耐摩耗性、耐面圧強度、高疲労強度が必要とされる歯車部材、ベアリング部材、カムシャフト部材等に使用される転動部材およびその製造方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
鋼に適用される高周波焼入れ方法は、通常、1〜400kHzの周波数の電流によって適用部品の表面層に誘導される電流で加熱した後に冷却して、表面層に硬質なマルテンサイト相を形成させるものであり、極めて汎用的に利用される表面焼入れ技術である。この方法は、歯車、軸物、クランクシャフト、カムシャフト等、摺動性、耐摩耗性、高強度性等の特性を必要とする部品を製造するのに利用されている。
【0003】
図25には代表的な歯車の高周波焼入れ方式が示されている(非特許文献1、P258参照)。このうち、生産性の観点からは、(a)の全歯一発焼入れが多く実施されている。また、図26(a)(b)に示されるような、歯形に沿った入熱によって焼入れ硬化層を形成する高周波焼入れ方法としては二周波高周波焼入れ方法(非特許文献1、P258参照)や大電力を瞬間的に与えて急速加熱する方法が検討され、利用されている。
【0004】
【非特許文献1】日本鉄鋼協会編、「鋼の熱処理」、(株)丸善、昭和60年3月15日発行
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
前記図25の(a)に示される全歯一発高周波焼入れ方式が施された歯車においては、焼入れ硬化層が歯部全体に及ぶ(スルーハード化する)ことによって、歯面に引張残留応力が顕著に発生し、焼割れや歯の折損の危険性が高く、より高負荷の歯車に利用できないという問題点がある。
【0006】
また、従来の高周波焼入れ部材においては、0.32〜0.55重量%のCを含有する炭素鋼を主体にした焼入れ技術が利用されている。Ni,Cr,Mo等の合金元素をさらに含有する低合金鋼においては、高周波焼入れ時の焼割れ性が高まることから、より低炭素濃度の鋼材を用いているために、浸炭焼入れした歯車に比べて表面硬さが十分でなく、例えば耐面圧性、耐摩耗性、耐焼付き性、高強度化に対する要求に十分に応えられないという問題点がある(非特許文献1、P110、表2・38、表2・39参照)。
【0007】
さらに、前記図26に示されるような歯形に沿った焼入れ硬化層を形成する場合においては、焼入れ硬化層の深部(例えば熱影響部)が焼入れ前組織になっており、その組織は、機械加工に適した軟質な(フェライト+セメンタイト)組織(通常、ビッカース硬さHv160〜260)であって、浸炭焼入れ歯車部材の浸炭鋼硬化層の深部における硬さ(Hv260〜500)に比べて十分な硬さが得られない。このことから、ピッチング強度(耐面圧性)、耐スポーリング性が十分でない問題があり、また、歯部の端面に軟質な素地部が露出していることによって、強度的に問題がある。
【0008】
また、高周波焼入れ硬化層と素地部との境界部においては顕著な引張り残留応力が発生することから、歯面の耐スポーリング強度が十分でないという問題がある。
【0009】
本発明は上記のような事情を考慮してなされたものであり、その目的は、耐ピッチング強度、耐スポーリング強度、歯元曲げ強度に優れた転動部材およびその製造方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0010】
上記課題を解決するため、本発明に係る転動部材は、少なくともC:0.4〜1.5重量%を含有する鋼材を用い、表面層から内部中心に向かって二種以上の焼入れ処理によって形成される硬化層とその内の1種以上の焼入れ処理によって形成される硬化層において2体積%以上のセメンタイトが分散されている組織を有することを特徴とする。
また、本発明に係る転動部材は、表面層に形成され、0.35〜0.8重量%の濃度で炭素が固溶されたオーステナイト相を急冷して形成されるマルテンサイト相を母相とする第1焼入れ硬化層と、
前記第1焼入れ硬化層より深い層に形成され、第1焼入れ硬化層の母相より固溶炭素濃度が少ないオーステナイト相を急冷して形成される(例えば0.07〜0.5重量%C)マルテンサイト相およびベイナイト相の少なくとも一方を含有する母相中に、セメンタイトが2〜20体積%分散された第2焼入れ硬化層と、
を具備することを特徴とする。
【0011】
本発明に係る転動部材の製造方法は、0.4〜1.5重量%のCと2重量%以下のCrを含有する鋼材であって、前記鋼材中のセメンタイト中の合金元素の濃度に等しい合金組成のオーステナイトと平衡するセメンタイトの固溶度の炭素活量が、前記鋼材のオーステナイトの炭素活量より低くなるようにセメンタイト中の合金組成を調整した鋼材を用意する工程と、
Ac1温度〜1150℃の温度範囲またはAc3温度〜1150℃の温度範囲において、二種以上の加熱温度に前記鋼材を表面層から誘導加熱した後に急冷する焼入れ工程と、
を具備することを特徴とする。
【0012】
また、本発明に係る転動部材の製造方法において、前記鋼材を用意する工程は、0.4〜1.5重量%のCおよび0.3〜2重量%のCrを含有する鋼材を、前記鋼材中のセメンタイト中にCrが3.5〜12重量%含有されるように熱処理する工程を有し、
前記焼入れ工程は、前記鋼材の表面層を900〜1150℃の高温域に加熱することと、前記鋼材における前記表面層より深部をAc1温度〜950℃の低温域またはAc3温度〜950℃の低温域に加熱することの二種類の誘導加熱を行った後に急冷する工程であることも可能である。
【0013】
また、本発明に係る転動部材の製造方法において、前記焼入れ工程は、前記鋼材の表面層を900〜1150℃に加熱した後に、その加熱温度より低い温度であってAc1温度〜950℃の範囲の温度またはAc3温度〜950℃の範囲の温度に冷却し、前記温度に保持して前記鋼材を前記表面層より深部まで加熱した後に急冷する工程、もしくは、前記鋼材をAc1温度〜950℃の範囲の温度またはAc3温度〜950℃の範囲の温度に加熱した後に、前記温度に保持して前記鋼材を表面層より深部まで加熱し、加熱温度より高い温度であって900〜1150℃の温度に前記鋼材の表面層を加熱した後に急冷する工程であることも可能である。
【0014】
また、本発明に係る転動部材の製造方法において、前記鋼材を用意する工程は、前記鋼材中のセメンタイト中にCrが4〜11重量%含有されるように熱処理する工程を有し、
前記焼入れ工程は、前記鋼材に、Ac1温度〜950℃の範囲の温度で2〜1000秒間の誘導加熱、および900〜1150℃の範囲で0.1〜5秒間の誘導加熱を行った後に急冷することも可能である。
【発明の効果】
【0015】
以上説明したように本発明によれば、耐ピッチング強度、耐スポーリング強度、歯元曲げ強度に優れた転動部材およびその製造方法を提供することができる。
【発明を実施するための形態】
【0016】
本実施の形態は、表面層から深部に向かって固溶する炭素の濃度が異なるマルテンサイト相およびベイナイト相の少なくとも一方を母相とする二種以上の焼入れ硬化層を形成するものである。これによって、耐ピッチング強度、耐スポーリング強度、歯元曲げ強度に優れた歯車部材等の転動部材を提供することができる。
【0017】
本実施の形態による転動部材は、少なくとも0.4〜1.5重量%のCと、それぞれ2重量%以下のCr,Mn,V,Mo,Wのうち一種以上の合金元素とを含有する鋼材が用いられ、高周波焼入れにて前記鋼材に二種以上の焼入れ処理によって硬化層が形成されたものである。この転動部材は、少なくとも表面層に第1焼入れ硬化層が形成され、この第1焼入れ硬化層より深い層に第2焼入れ硬化層が形成され、前記第1焼入れ硬化層と前記第2焼入れ硬化層との間に中間層が形成され、前記第2焼入れ硬化層が芯部組織、もしくは、前記第2焼入れ硬化層より深い層に焼入れ前組織が残留されてなるものである。前記第1焼入れ硬化層は、0.35〜0.8重量%の濃度で炭素が固溶されたマルテンサイトが母相とされる。前記第2焼入れ硬化層の母相は、第1焼入れ硬化層の母相中の炭素濃度よりも少ない炭素濃度からなり、0.07〜0.45重量%の濃度で炭素が固溶されたマルテンサイトおよびベイナイト相の少なくとも一方を含有し、さらに、その第2焼入れ硬化層には未固溶のセメンタイトが2〜20体積%分散されているものとするが、その母相中の上限炭素濃度を0.3重量%として、マルテンサイト組織が主体となるようにすることがより好ましい。前記中間層は、第1焼入れ硬化層と第2焼入れ硬化層の中間的硬さを有している。前記焼入れ前組織は、フェライト中にセメンタイトが分散した組織である。
【0018】
また、本実施の形態においては、前記鋼材にはCrが0.3〜2重量%含有され、その鋼材中のセメンタイト中に、少なくともCrが3〜12重量%含有するように濃縮されているのが好ましい。尚、前記鋼材には、0.1〜2重量%のMn、0.05〜1.5重量%の(Si+Al)、0.7重量%以下のMo、1.4重量%以下のW、2重量%以下のV、1重量%以下のAl、3重量%以下のNi、0.01重量%以下のB、1重量%以下の(Ti+Nb+Zr)のうち一種以上が含有されていても良い。
【0019】
また、前記転動部材には、少なくとも0.5〜1.5重量%Cおよび0.5〜2重量%のCrを含有する鋼材を用いて、前記第1焼入れ硬化層にはセメンタイトが2〜17体積%分散され、前記第2焼入れ硬化層にはセメンタイトが4〜20体積%分散されているのが好適であり、より耐摩耗性を高めるためには、0.7〜1.5重量%Cおよび0.7〜2重量%Crを含有する鋼材を利用し、前記第1焼入れ硬化層には5〜17体積%のセメンタイトを分散させることがより好ましい。
【0020】
また、前記第1焼入れ硬化層中には、10〜50体積%の残留オーステナイトが分散されているのが好ましい。
【0021】
さらに、前記第1焼入れ硬化層中には、V4C3,TiC,NbC,ZrCのうち一種以上が分散されているのが好ましい。
【0022】
また、前記鋼材には0.5〜1.5重量%の(Si+Al)を含有し、さらに、0.1〜2重量%のMn、0.05〜0.7重量%のMo、0.2〜1重量%のV、0.1〜0.5重量%の(Ti+Nb+Zr)のうち一種以上が含有されているのが好ましい。
【0023】
本実施の形態の転動部材を歯車部材に適用する場合には、前記歯車部材の歯部ピッチ円位置での前記第1焼入れ硬化層の深さが歯車モジュール(m(mm):ピッチ円直径÷歯数)の0.15〜0.6倍の範囲にあり、この第1焼入れ硬化層より深い層もしくは前記歯車部材の歯部中心位置に、焼入れ前組織よりも硬質なビッカース硬さHv260〜500の前記第2焼入れ処理によって形成される硬化層が形成されているのが好ましい。
【0024】
また、本実施の形態の転動部材をベアリング部材もしくはカムシャフト部材に適用する場合には、少なくとも部材表面層に前記第1焼入れ硬化層が形成され、この第1焼入れ硬化層より深い層に前記第2焼入れ硬化層が形成されるのが好ましい。
【0025】
さらに、前記転動部材においては、第1焼入れ硬化層もしくは第1焼入れ硬化層と第2焼入れ硬化層が100〜350℃の焼戻し処理されているのが好ましい。
【0026】
さらにまた、前記転動部材においては、第1焼入れ硬化層の表面部にショットピーニングなどの加工処理が施され、前記第1焼入れ硬化層の表面部には50kgf/mm2以上の圧縮残留応力が付加されているのが好ましい。
【0027】
次に、本実施の形態による転動部材の製造方法について説明する。
まず、少なくとも0.4〜1.5重量%のCと、それぞれ2重量%以下のCr,Mn,V,Mo,Wのうち一種以上の合金元素を含有する鋼材であって、この鋼材中のセメンタイト中の合金元素の濃度に等しい合金組成のオーステナイトと平衡するセメンタイトの固溶度の炭素活量が、その鋼材のオーステナイトの炭素活量より低くなるようにセメンタイト中の合金組成を調整した鋼材を用意する。次いで、Ac1温度(共析変態温度)〜1150℃の温度範囲またはAc3温度〜1150℃の温度範囲において、二種以上の加熱温度に前記鋼材を表面層から誘導加熱調整した後に急冷する。これにより、少なくとも前記鋼材の表面層に、0.35〜0.8重量%の濃度で炭素が固溶されたマルテンサイト母相からなる第1焼入れ硬化層を形成し、その第1の焼入れ硬化層より深い層に0.07〜0.5重量%の濃度で炭素が固溶されたマルテンサイト相およびベイナイト相の少なくとも一方を含有する母相中に、未固溶のセメンタイトが2〜20体積%分散された第2焼入れ硬化層を形成することができる。
【0028】
前記転動部材の製造方法においては、少なくとも0.4〜1.5重量%のCおよび0.3〜2重量%のCrが含有された鋼材を、この鋼材中のセメンタイト中に少なくともCrが3.5〜12重量%含有されるように熱処理する工程をさらに具備しても良い。また、前記鋼材を用いた転動部材の表面層を900〜1150℃の高温域に加熱することと、その高温域に加熱する表面層のより深部をAc1温度(共析変態温度)〜950℃の低温域またはAc3温度〜950℃の低温域に加熱することの二種以上の急速誘導加熱を行った後に焼入れることを行っても良い。これによって、前記第1焼入れ硬化層および第2焼入れ硬化層の母相中の炭素濃度を調整することができる。
尚、前記鋼材は、0.1〜2重量%のMn、0.05〜1.5重量%の(Si+Al)、0.7重量%以下のMo、1.4重量%以下のW、2重量%以下のV、1重量%以下のAl、3重量%以下のNi、0.01重量%以下のB、1重量%以下の(Ti+Nb+Zr)のうち一種以上を含有するものであっても良い。
【0029】
ここで、前記二種以上の加熱温度への誘導加熱調整および急冷の詳細について説明する。前記第1焼入れ硬化層を形成するために前記鋼材の表面層を900〜1150℃に急速加熱した後に、前記第2焼入れ硬化層を形成するために前記急速加熱した際の温度より低い温度であってAc1温度(共析変態温度)〜950℃の範囲の温度またはAc3温度〜950℃の範囲の温度に冷却し、前記温度に保持して、前記鋼材をより深部まで加熱した後に急冷する方法を採用することも好ましい。もしくは、前記第2焼入れ硬化層を形成するために、前記鋼材をAc1温度〜950℃の範囲の温度またはAc3温度〜950℃の範囲の温度に加熱した後に、前記温度に保持して前記鋼材をより深部まで加熱し、次に、前記鋼材の表面層に前記第1焼入れ硬化層を形成するために、前記加熱温度より高い温度であって900〜1150℃の温度に前記鋼材の表面層を加熱した後に急冷する方法を採用することも好ましい。
【0030】
また、本実施の形態において、前記鋼材には、少なくとも0.5〜1.5重量%のCおよび0.5〜2重量%のCrが含有されており、前記第1焼入れ硬化層にはセメンタイトが2〜17体積%分散され、前記第2焼入れ硬化層にはセメンタイトが4〜20体積%分散されているのが好ましいが、耐摩耗性をより高めるためには、0.7〜1.5重量%Cおよび0.7〜2重量%Crを含有する鋼材を利用し、前記第1焼入れ硬化層には5〜17体積%のセメンタイトを分散させることがより好ましい。
【0031】
また、本実施の形態において、前記誘導加熱によって焼入れを行う際、Ac1温度またはAc3温度から焼入れ温度T(℃)に到達するまでの時間t(sec)が、下記式(1)を満足するように調整されるのが好ましい。
t≦(1350/(T+273))28 ・・・(1)
【0032】
本実施の形態においては、前記セメンタイト中の合金元素として少なくともCrが4〜11重量%含有されるように熱処理された鋼を、Ac1温度〜950℃の範囲の温度で2〜1000秒間、および900〜1150℃の範囲の温度で0.1〜5秒間の急速誘導加熱を行った後に焼入れることによって前記第1焼入れ硬化層および第2焼入れ硬化層を形成することも可能である。
【0033】
さらに、前記第1焼入れ硬化層および第2焼入れ硬化層においては、100〜350℃の焼戻し処理が施されているのが好ましい。
【0034】
さらにまた、前記第1焼入れ硬化層の表面部においては、ショットピーニング等の加工処理が施され、圧縮残留応力が付与されているのが好ましい。
【0035】
上記実施の形態によれば、転動部材の表面層から深部に向かって炭素濃度の異なる二種以上のマルテンサイト相を母相とする焼入れ硬化層が形成され、最表面層における第1焼入れ硬化層は、0.35〜0.8重量%の濃度の炭素が固溶されたマルテンサイトを母相とするビッカース硬さHv550以上の最も硬質な焼入れ層とされている。従って、耐面圧強度(耐ピッチング性、耐スポーリング性)、曲げ疲労強度、耐摩耗性等を改善することができる。
また、第1焼入れ硬化層より深部には、0.07〜0.3重量%の濃度の炭素が固溶されたマルテンサイト相およびベイナイト相の少なくとも一方を含有する母相中に、未固溶セメンタイトが2〜20体積%分散された第2焼入れ硬化層が深く形成されている。従って、従来技術では前記第1焼入れ硬化層との境界部に発生しやすい引張り残留応力を低減させ、素地部強度を改善することができ、スポーリングなどの内部から破壊や捩じり曲げ応力に対する強度改善を図ることができるとともに、第1焼入れ硬化層の機能を十分発現させるための基礎強度の改善を図ることができる。また、前記第1焼入れ硬化層に2〜17体積%の硬質なセメンタイトを分散させることによって、より優れた耐摩耗性と耐焼付き性の改善を図ることができる。
【0036】
次に、本発明による転動部材およびその製造方法の具体的な実施の形態について、図面を参照しつつ説明する。
【0037】
本実施の形態による転動部材においては、少なくともCを0.4〜1.5重量%含有し、焼入れ前組織中のセメンタイトにCr,Mn,Mo,Vなどの合金元素を定量的に濃縮させた鋼材を用意し、迅速な加熱に適する誘導加熱法によって、Ac1(共析変態温度)温度〜1150℃の温度範囲またはAc3温度〜1150℃の温度範囲で二種以上のオーステナイト化加熱温度に前記鋼材を表面層から深部に加熱した後に急速冷却する。これにより、転動部材の転動表面層から深部に向かって炭素濃度の異なる二種以上のマルテンサイト相を母相とする焼入れ硬化層を形成し、これによって機械加工性に優れた軟質な鋼材(通常Hv160〜260)よりなる歯車部材に、優れた耐面圧強度(耐ピッチング性、耐スポーリング性)と耐摩耗性、耐焼付き性を付加することができる。
【0038】
より詳細には、前記鋼材の最表面層における第1焼入れ硬化層を、0.35〜0.8重量%の濃度で炭素が固溶されたマルテンサイトを母相とするビッカース硬さHv550以上の最も硬質な焼入れ層とする。この第1焼入れ硬化層に前記耐面圧強度、曲げ疲労強度、耐摩耗性等の改善を図る役割を持たせる。また、その第1焼入れ硬化層より深部に、0.07〜0.3重量%の濃度で炭素が固溶されたマルテンサイト相およびベイナイト相の少なくとも一方が母相とされ、かつ未固溶のセメンタイトが2〜20体積%分散された第2焼入れ硬化層を深く形成する。これにより、従来技術では第1焼入れ硬化層との境界部に発生しやすい引張り残留応力の低減に対して、素地部強度を改善でき、その結果、スポーリングなどの内部から破壊や捩じり曲げ応力に対する強度改善を図ることができ、さらには、前記第1焼入れ硬化層の機能を十分に発現させるための基礎強度の改善を図ることができる。
【0039】
なお、第1焼入れ硬化層の硬さは、従来の歯車部材の転動面層の硬さがビッカース硬さHv550以上に調整されることを参考にして決められるので、この第1焼入れ硬化層中のマルテンサイトに固溶する炭素の濃度は0.35重量%以上であることが好ましく、またその固溶炭素濃度は0.4重量%以上とするのがより好ましい。
【0040】
また、第1焼入れ硬化層中のマルテンサイトに固溶する炭素の上限濃度は焼入れ時の焼割れ性を考慮して、かつ浸炭焼入れ歯車部材の炭素濃度を参考にして、0.9重量%と設定されるが、0.8重量%とするのがより靭性に富むことから好ましい。
【0041】
また、第1焼入れ硬化層と第2焼入れ硬化層との間には、それら各焼入れ硬化層の中間層が形成される。また、強度的な付加の少ない第2焼入れ硬化層より深部においてはフェライト中にセメンタイトが分散した焼入れ前組織が残留しても良い。
【0042】
また、前記鋼材に添加される合金元素としては、セメンタイトへ顕著に濃縮しやすく、かつ、オーステナイト化されたオーステナイト中の炭素活量を低減する作用(オーステナイト中における炭素と合金元素が引き合う性質)が強いCr,Mn,Mo,V,Wのうちの一種以上が含有されているのが好ましい。この作用が最も効果的であり、より経済的なCrを不可避的な合金元素として利用する鋼材においては、少なくとも0.4〜1.5重量%のCおよび0.3〜2重量%のCrを含有し、さらに、0.1〜2重量%のMn、0.05〜1.5重量%の(Si+Al)、0.7重量%以下のMo、2重量%以下のV、1重量%以下のAl、3重量%以下のNi、0.01重量%以下のB、1重量%以下の(Ti+Nb+Zr)のうち一種以上を含有し、その鋼材中のセメンタイト中に、少なくともCrが3〜12重量%に濃縮されているものが好ましい。このような鋼材を用いることにより、高周波焼入れ時の誘導加熱温度を調整することによって形成されるマルテンサイト中に固溶する炭素の濃度を調整できるようにしている。
【0043】
さらに、歯車部材のように滑りを伴う転動部材の転動面においては、セメンタイトのような硬質炭化物を少量分散させることによって、滑り時の局部焼き付き防止のための耐焼付き性と耐摩耗性が改善される。このことから、本実施の形態においては、第1焼入れ硬化層中にセメンタイトを2〜17体積%分散させ、滑りを伴う転動面における耐摩耗性と耐焼付き性を改善するものとした。また、この際の鋼材としては、セメンタイトの分散量とマルテンサイト相中の炭素濃度を換算して0.5〜1.5重量%のC、0.4〜2重量%のCrを含有させることが好ましい。また、これと同様の作用を示す硬質な特殊炭化物として、V4C3,TiC,NbC,ZrCなども効果的である。このことから、本実施の形態においては、Vが2重量%未満、(Ti+Nb+Zr)が0.5重量%未満の範囲で添加されても良いが、より経済的にはVが0.2〜1重量%、(Ti+Nb+Zr)が0.1〜0.5重量%の範囲で添加されることが好ましい。
【0044】
また、前記セメンタイト粒子や特殊炭化物を残留させることは、誘導加熱によるオーステナイト化状態でのオーステナイト結晶粒と、焼入れで形成されるマルテンサイト葉の微細化に有効である。なお、高周波焼入れ用炭素鋼において、このオーステナイト結晶粒は875℃以上では容易にASTMNo.7以下に粗大化するのに対して、本実施の形態においてはASTMNo.9以上に微細化されている。
【0045】
さらに、高周波焼入れ部材が歯車部材である場合には、歯面や歯元にかかる応力分布に応じた歯部における硬さ分布が必要とされることから、浸炭焼入れ歯車部材の例を参考にして、本実施の形態においては、歯部ピッチ円位置での第1焼入れ硬化層の深さが歯車モジュールの0.15〜0.6倍の範囲にあるものとし、第1焼入れ硬化層より深部もしくは歯車部材の歯部中心位置においては、ビッカース硬さHv260〜500の第2焼入れ硬化層が形成されていることとし、第2焼入れ硬化層中のマルテンサイトおよびベイナイト相のいずれか一方を含有する母相中の炭素濃度を0.07〜0.5重量%に調整することとしたが、前記炭素濃度が0.07〜0.3重量に調整されたマルテンサイトを主体とする母相がより好ましいこととした。
【0046】
なお、高面圧下で使用される転動部材においては、その転動面の硬さがより硬質であるほど優れたピッチング強度を示すが、この場合においては、転動面に介入するコンタミネーションや転動部材間の馴染み性不良によるピッチングの発生が問題となり、この問題解決として残留オーステナイトを適量分散させることが有効である。このことから、本実施の形態においては、第1焼入れ硬化層に、残留オーステナイトが10〜50体積%分散することが好ましい。なお、残留オーステナイト量の上限値を50体積%に設定する理由は、この上限値を越えると転動面の硬さが低下し、耐摩耗性が劣化するからである。
【0047】
また、高面圧、高応力化で使用される歯車部材では、歯元曲げ強度や耐面圧強度、さらに軸部の捩じり強度を改善する観点からは、焼入れ硬化層の表面部にショットピーニングなどの加工処理を施して、その表面部に大きな圧縮残留応力を付加させることが好ましい。従って、本実施の形態の転動部材においてもショットピーニングなどの加工処理が施されることは好ましい。
【0048】
なお、歯元曲げ疲労強度に対する圧縮残留応力の改善効果は、圧縮残留応力の1/2と推定されていることから、本実施の形態の転動部材においては、50kgf/mm2以上の圧縮残留応力が付加されることが好ましい。
【0049】
なお、本実施の形態は、前述のように二種以上の加熱温度による急速な誘導加熱によってオーステナイト相を出現させ、焼入れ前組織中にあらかじめ分散させておいたセメンタイトがオーステナイト中へ固溶する量を正確に調整すると同時に、残留させるセメンタイト(未固溶セメンタイト)を調整することによって、第1焼入れ硬化層および第2焼入れ硬化層を形成するものである。その制御方法を検討した結果、所定のオーステナイト化加熱温度における鋼中のセメンタイトの合金元素濃度に等しい組成のオーステナイト相の炭素活量(オーステナイトへのセメンタイトの固溶度線上における炭素活量(例えば後述する図1中のK点))が、その鋼材組成のオーステナイト相の炭素活量(例えば後述する図1中のH点)より低くなる時点からセメンタイトの固溶が顕著に遅れ、短時間のオーステナイト化条件では合金元素を含んだセメンタイトのオーステナイトへの固溶度分のセメンタイトが固溶し、その分の炭素が、その固溶度に等しいオーステナイト中の等炭素活量線(例えば後述する図1中のK点とL点を通る等炭素活量線)上に沿ってオーステナイト中に急速に拡散する。これによって、そのオーステナイト化温度とセメンタイト中の合金元素濃度から焼入れ層におけるマルテンサイト母相中の炭素濃度が正確に決定付けられる。
【0050】
したがって、本実施の形態では、鋼材中のセメンタイト合金組成をあらかじめ調整した鋼材を用い、その転動面をAc1温度(鋼の共析変態温度)〜1150℃の温度範囲またはAc3温度〜1150℃の温度範囲の二種の所定の温度でのオーステナイト化条件、例えば、転動表面層を1000℃に加熱した後に、冷却しながらさらに800℃で深部にまで誘導加熱する場合のように二種以上の加熱温度でのオーステナイト化を行うことが好ましい。これによって、転動表面層の第1焼入れ硬化層中のマルテンサイトに固溶する炭素の濃度が第2焼入れ硬化層中のマルテンサイトに固溶する炭素の濃度より高濃度となり、より硬質な第1焼入れ硬化層が得られるとともに、その深部においては低炭素で高靭性な第2焼入れ硬化層が形成され、この結果、浸炭焼入れ硬化層に類似の硬度分布をもつ歯車部材を高周波焼入れ法によって製造することができる。
【0051】
以下において、前記セメンタイトのオーステナイトへの固溶機構(速度)について詳しく検討する。なお、前記セメンタイトの固溶を遅らせることによって、マルテンサイトに固溶する炭素の濃度を調整する(セメンタイトの残留量を調整する)ための合金元素としては、(フェライト+セメンタイト)および(オーステナイト+セメンタイト)の少なくとも一方の二相領域での加熱によって、セメンタイト中に顕著に濃縮し、かつ、オーステナイト相中での炭素の活量を低減する作用を有するCr,Mn,V,Mo,Wのうち一種以上が添加されることが必要であり、とりわけCrの添加が好ましいので、以下においては、CrもしくはCrと同様の作用を示す合金元素の添加による制御方法について詳述する。
【0052】
例えば、700℃で十分加熱した場合の(フェライト+セメンタイト)二相領域におけるセメンタイト中のCr濃度は、フェライト中のCr濃度の28倍に濃縮される(600℃加熱では約52倍)。このCrもしくはCrと類似する合金元素Mの濃縮したセメンタイトが急速加熱を伴う焼入れ処理における、加熱中のオーステナイトへ固溶する際のセメンタイトの固溶機構(速度)は、図1に示される加熱温度におけるFe−C−M(M:合金元素)三元系状態図とその図中に示される炭素の等活量線図(等炭素活量線図)の関係から説明することができる。
【0053】
図1は、炭素との親和力の強いCrもしくはCrと類似の合金元素(例えば、Cr,Mn,Mo,V,W等)を添加したFe−C−M三元系合金の前記誘導加熱温度における状態図を模式的に示したものである。尚、図1中の細線は等炭素活量線である。この図1のA点で示す鋼材組成のオーステナイト相(γ相)中の炭素活量と等しい炭素活量は図中のA点を通る細線のように、M元素添加によって炭素活量が低下することから炭素等活量線は右肩上がりに推移し、セメンタイトの固溶度線と交わり、その交点(B点)と平衡するM元素を含有したセメンタイト組成点(C点)と直線的に結ばれるものである。
【0054】
図1中のその他の等活量線(細線)は、各炭素活量に応じて計算され、炭素濃度が高くなるほど炭素活量は大きくなるが、Fe−C軸(Fe−C二元系)での黒鉛の固溶度(D点)が炭素活量Ac=1と定義される。
【0055】
前記図1中に使用する鋼材組成A点における、焼入れ前組織におけるフェライトとセメンタイトの組成はE,F点に与えられ、焼入れ加熱温度に急速に加熱された温度におけるF点組成のセメンタイトが合金元素Mをその場に残して極めて拡散性の大きい炭素だけが急速にオーステナイト中に固溶する場合のセメンタイト界面と局所平衡するオーステナイト界面組成G点の炭素活量が鋼材組成のA点の炭素活量より大きい。このことから、炭素の化学ポテンシャルの勾配によって急速に拡散し、セメンタイトが固溶した位置と元フェライトであった位置において、まず、図中のA,B点を通る等活量線に沿って炭素が均質化した後に(←、→印)、合金元素が均質化することがわかる。
【0056】
まず、前述のように合金元素を含有するセメンタイトが急速に固溶していく際の炭素、合金元素の拡散過程を検討するが、この検討は、組成の異なる球状体の単純な拡散過程として近似して扱うことができる。
【0057】
図2は、合金元素濃度cp,半径R0の球状体が合金元素を含まない無限固体母相中に存在する時の均質化過程について半径方向の距離rにおける合金元素濃度cを計算したものである。この計算結果をオーステナイト相へ固溶していくセメンタイトの炭素と合金元素Mの均質化過程に当てはめると、炭素C,合金元素Mがほぼ完全に均質化に要する加熱時間tC,tMは、その加熱温度による炭素Cと合金元素Mのオーステナイト相中の拡散係数DγC,DγMで計算される拡散距離((DγC×tC)1/2、(DγM×tM)1/2)と球状セメンタイトの粒子半径Rが等しくなる時間から近似的に推測される(図2中の△印)ので、例えば、900℃では粒子半径0.2μmのセメンタイトは0.1秒以内で固溶しながらその炭素はほぼ均質化するのに対して、合金元素の均質化には約50分(2835秒)の時間を要することがわかる。また、前記合金元素の拡散距離が粒子半径の1/4の場合(900℃、177秒間の加熱条件)には図2中の◆印で示すように、合金元素はその拡散性が小さいことから、元のセメンタイトの固溶跡周辺に十分限定されて存在することがわかる。
【0058】
さらに、同じように合金元素の拡散が元のセメンタイト位置に限定される加熱条件(図2中の◆印)に相当する各加熱温度での加熱時間を求め、その結果を図3中の太い実線で示したが、この太い実線範囲内で加熱した後に急冷される場合には、セメンタイトがすばやく固溶した後においても、前記セメンタイトに濃縮した合金元素がすばやく均質化できずにセメンタイト周辺に局在化するため、例えば、鋼の焼入れ性を高めるMn,Cr,Moが固溶したセメンタイト跡に局在化した場合には、この状態からの鋼の焼入れ性が極めて減少されることがわかる。また、セメンタイト粒子半径が0.1μmに小さくなると、図3中に示されるようにその加熱条件範囲がより狭くなり、焼入れ温度への急速な加熱が必要になる。
【0059】
なお、粒子半径0.1μmの不均質1の実線は、 tM=(1350/(273+T))28、粒子半径0.2μmの不均質2の太い実線は tM=(1415/(273+T))28 で近似的に数式化され、さらに、前記不均質時間tM(sec)は加熱温度T(℃)と粒子半径R(μm)を変数として次式によって近似される。
tM=((98.794×Ln(R)+1576.6)/(273+T))28
【0060】
また、前述のように、炭素はその拡散性が非常に高く、900℃では加熱時間が0.1秒でほぼ均質化することから、Ac1またはAc3温度〜1150℃の加熱条件範囲では、粒子半径1μmのセメンタイトであっても、ほぼ2秒間の加熱によって、前記図1のA,B点を通る等炭素活量線に沿ってすばやく拡散し、マルテンサイト母相中に未固溶セメンタイトを残留させる作用がなく、その際のマルテンサイト相中に固溶する炭素の濃度がE点の合金組成でのA、B点を通る等炭素活量の炭素濃度で与えられ、この場合の多くはほぼ鋼材の炭素濃度に等しいことがわかる。
【0061】
さらに、図1にしたがって、セメンタイトの固溶機構を検討すると、鋼中への合金元素添加量がより多く添加され(H点)、セメンタイト中により多くの合金元素が濃縮する(J点)場合においては、前記炭素の拡散律速機構でセメンタイトが合金元素Mをその場に残して、オーステナイト相に急速に固溶しながらJ点の合金元素量を含んだオーステナイト中のK点に到達し、K点を通る等炭素活量線に沿って炭素はL点濃度まで迅速に拡散するが、K点は元のH点組成の炭素活量より低くなることから、それ以上のセメンタイトの固溶が進行し、セメンタイトが完全に固溶する間にはK点からセメンタイトの固溶度線に沿ってのB点への合金元素の拡散なしにセメンタイトが固溶出来ないことがわかり、セメンタイトの固溶が合金元素Mの拡散に律速されながら顕著に遅くなることがわかる。
【0062】
したがって、セメンタイトが完全に固溶するための時間は、交点Bで示すM元素濃度以上にセメンタイト中のM元素濃度が大きくなるほど遅くなることは明らかであるが、前記のように炭素が極めて短時間で等炭素活量線に沿って拡散することから、この短時間範囲の加熱後に急冷したマルテンサイト相中の固溶炭素濃度が、前記K点を通る等炭素活量線上のL点の炭素濃度で与えられ、その固溶炭素濃度に等しいセメンタイトが固溶し、鋼材中の炭素濃度と固溶炭素濃度との差に等しい炭素量のセメンタイトを未固溶状態で分散する焼入れ硬化層が得られる。したがって、マルテンサイト中の炭素濃度を調整するには、焼入れ温度(オーステナイト化温度)とその温度におけるFe−C−M系状態図のセメンタイト中のM濃度(J点)を管理し、炭素が十分拡散しながら、セメンタイトが残留する加熱条件で高周波焼入れ操作を施せば良い。
【0063】
また、未固溶状態で分散するセメンタイトの周辺のセメンタイト固溶部位における組成は、ほぼ図中のK点組成となり、この部位での合金元素濃度はL点、H点と較べても顕著に高く、炭素濃度も高くなることから、この部位でのマルテンサイト開始温度Ms点はより低温度化し、未固溶セメンタイト周辺に高靭性で馴染み性に優れた残留オーステナイト相が形成されやすく、このことが強靭性の発現に好ましい。
【0064】
さらに、図1のマルテンサイト相のM合金元素濃度(E点,I点)については、(フェライト+セメンタイト)二相領域で加熱処理した場合の合金元素濃度には次式の関係が成立するので、セメンタイト中の合金元素濃度[M重量%]をあらかじめ求めておくと、鋼材のM元素の添加濃度M重量%からフェライト中の合金元素濃度<M重量%>を算出することができる。
M重量%=(1−f)×<M重量%>+f×[M重量%]
f=C重量%/6.67
(ここで、fはセメンタイトの分散量(体積%)であり、フェライト中の炭素固溶度が無視され得るほど小さいと近似して求めたものである。)
【0065】
また、(セメンタイト+フェライト)の二相組織状態で十分長時間の加熱処理を施した場合における各合金元素のセメンタイト中の合金元素濃度[M重量%]とフェライト中の合金元素濃度<M重量%>の比(分配係数:αKM)は合金元素に固有で、温度に依存する一定の値を採ることが知られているので、各種合金元素の分配係数を使うことによって、鋼材組成(と分配処理温度)からフェライト中の合金元素濃度を次式から正確に算出することができる。
αKM=[M重量%]/<M重量%>
【0066】
したがって、鋼材に含有されるすべての合金元素についてのフェライト中の合金元素濃度が算出されると、前記焼入れ加熱時のオーステナイト化温度におけるオーステナイト中の炭素濃度が計算されて焼入れ性(DI値)が計算されることになり、少なくとも図1中の鋼材中のM合金濃度(A点、H点)に相当するDI値に比べ、そのDI値が低減することがわかる。
【0067】
また、前記セメンタイトがオーステナイト中へ迅速に固溶する場合においても、オーステナイト中の炭素濃度が鋼材炭素濃度にほぼ等しくなるが、セメンタイト固溶跡周辺に合金元素が局在化し、その際のオーステナイト中の合金元素濃度が焼入れ前組織中のフェライトの合金元素濃度に近似されることから、そのDI値が計算され、この場合においても、焼入れ性が顕著に低減することがわかる。
【0068】
さらに、未固溶セメンタイトを残留させたオーステナイトの焼入れ性を扱う場合には、オーステナイト中の炭素濃度が鋼材炭素濃度に比べて低濃度であることから、そのDI値が元の鋼材のDI値より低減しやすい。
【0069】
またさらに、本実施の形態のように、セメンタイト中の合金元素濃度を調整した鋼材を使い、二種以上のオーステナイト化温度を選ぶことによって、オーステナイト中の二種類以上の炭素濃度と前記合金元素濃度を調整することによって、前記第1焼入れ硬化層と第2焼入れ硬化層の焼入れ性を調整することができ、大型歯車においても、歯部のより深部に形成される第2焼入れ硬化層をマルテンサイトもしくはベイナイト相を母相とするための所定のDI値にあらかじめ調整しておくことは重要である。また、このDI値を調整する方法としては、比較的セメンタイトへの濃縮傾向の弱い、Mn,Mo,Wなどの合金元素を複合添加する方法であってもよいが、後述するように、セメンタイトから排出され、フェライト中に濃縮するSi,Al,Ni,Coを添加して焼入れ性を高めることがより好ましい。
【0070】
前述のセメンタイトの固溶機構をより具体的に検討するために、図4に示されるFe−C−Cr三元系等炭素活量線図(at1000℃)を使って1000℃にすばやく加熱して焼入れ処理を行う高周波焼入れの場合について以下に検討する。
【0071】
(1)急速にセメンタイトが固溶する場合(セメンタイト中のCr濃度が低い場合)
図4中のA点(0.8重量%C,0.4重量%Cr)で示す鋼を(セメンタイト+フェライト)共存領域の700℃で十分加熱するとB点(セメンタイト、2.6重量%Cr)とC点(フェライト、0.09重量%Cr)の組成になり、この組成状態で、高周波加熱によってオーステナイト状態になる1000℃に瞬間的に急速加熱すると、B点,C点は矢印の方向に沿ってA点に向かって均質化していくことになる。前述のように、B点のセメンタイト中の合金元素がオーステナイト中をほとんど拡散しない間に炭素がフェライト組成を持っていたオーステナイト(C点)に図中D点を経由しながら↑↓印のように急速に拡散し、セメンタイトを固溶した後、A点を通る炭素の等活量線でCrの拡散を伴いながら、緩やかにCr元素がA点に向かって均質化する。より急速な高周波加熱によるセメンタイトの固溶を達成する時点では、マルテンサイト母相の炭素濃度はほぼA点と同じ炭素濃度となって、より高硬度なマルテンサイトが得られることがわかる。また、本実施の形態のマルテンサイト相中に固溶する炭素の濃度が0.8重量%となる時のセメンタイト中のCr濃度がほぼ4.5重量%であり、少なくとも、セメンタイト中のCrを4.5重量%以下に制御することによって、未固溶セメンタイトが残留しないことがわかる。また、その時のオーステナイトの焼入れ性(DI値)はFe−0.8重量%C−0.09重量%Crの合金組成から計算され、鋼材(Fe−0.8重量%C−0.4重量%Cr)のDI値と比べて顕著に低減されることがわかる。
【0072】
(2)セメンタイトの固溶が大きく遅延される場合1
図4中のE点(0.8重量%C,1重量%Cr)で示す鋼をフェライトとセメンタイト共存領域の700℃で十分加熱するとG点(フェライト、0.24重量%Cr)とF点(セメンタイト、6.61重量%Cr)の組成になり、前記のように高周波加熱によって1000℃に瞬間的に加熱した場合には、まず、フェライトはオーステナイト状態になるとともに、前述の例のごとくF点のCr濃度が同じH点を通る等炭素活量線に沿ってセメンタイトの一部が炭素拡散律速機構で急速に固溶しながら、炭素が拡散することがわかる。この時の炭素が前記等炭素活量線に沿ってオーステナイト相中に拡散する時間は、前記900℃での粒子半径0.2μmのセメンタイトの均質化拡散時間が0.1秒程度であること、図3に示される合金元素の不均質化時間を考慮すると、少なくとも900℃以上の加熱温度においては1秒以内に炭素の均質化が完了し、この状態で冷却した場合のマルテンサイト中の炭素濃度はセメンタイト中のCr濃度によって決められることから、焼入れ後のマルテンサイト相中の炭素濃度は約0.5重量%(7.5体積%のセメンタイトが炭素拡散律速で固溶することに相当する)となり、非常に硬質なマルテンサイト中に約5体積%のセメンタイトが未固溶状態で分散することがわかる。また、この高周波焼入れによるオーステナイトの焼入れ性(DI値)はFe−0.5重量%C−0.24重量%Crの組成から計算され、均質化した鋼材(Fe−0.8重量%C−1.0重量%Cr)のDI値よりも顕著に低下していることがわかる。
【0073】
また、後述するSUJ3(セメンタイト中のCr濃度約6.8重量%)を1000℃/secで1000℃に急速加熱し、急冷した焼入れ硬化層における残留オーステナイト相中の炭素濃度が0.97重量%であり、この炭素濃度がSUJ3の1000℃におけるH点組成と良く一致することから、前記炭素拡散律速によるセメンタイトの固溶機構が正しいことがわかる。さらに、後述する図16に示されるように、10〜45体積%の残留オーステナイト相が900℃から1100℃の焼入れ温度範囲で形成されることからも、セメンタイトの固溶機構が正しいことがわかる。
【0074】
図5は、加熱温度を750〜1150℃にしたときのセメンタイト中のCr濃度とマルテンサイト相中に固溶する炭素の濃度との関係を示したものである。このグラフから、加熱温度を調整することによってもマルテンサイト相中に固溶する炭素の濃度が調整され、その結果として分散されるセメンタイト量が正確に調整されることがわかる。また、例えば歯車部材の転動表面層を一旦1000℃に短時間加熱した後、800℃でより深部まで高周波加熱し、その後に焼入れした場合においては、1000℃での加熱によって決まる高炭素濃度なマルテンサイトを母相とする第1焼入れ硬化層とその深部に800℃での加熱によって決まる低炭素濃度のマルテンサイトを母相とする第2焼入れ硬化層が形成されることがわかる。
【0075】
なお、図5の0.1〜0.8重量%C,0.5〜15重量%Crの組成範囲のセメンタイト中のCr濃度XCrΘ(重量%Cr)とマルテンサイトの固溶炭素濃度XCM(重量%)の関係は、ほぼ次式で記述され、図中の細線で記載される。
XCM=Aexp(B・XCrΘ)
A=0.0041(T+273)−3.3809
B=0.000188(T+273)−0.426
ここで、加熱温度T℃であり、そのXCM(重量%)の推定誤差は±0.05重量%C程度と考えられる。
【0076】
また、図5中に示す上部破線枠は、Ac1温度(725℃)〜1150℃の加熱温度範囲で短時間加熱後に焼入れて得られる第1焼入れ硬化層中のマルテンサイト相の固溶炭素濃度が0.35〜0.8重量%範囲になる時の、セメンタイト中のCr濃度範囲の関係を示したものであって、前記マルテンサイト相中の炭素濃度を0.35〜0.8重量%に調整するためのセメンタイト中のCr濃度範囲が約3〜12.5重量%と読み取れる。さらに、加熱温度を変えて、焼入れ加熱温度をAc1温度〜1125℃に調整することによって、マルテンサイト相の固溶炭素濃度が0.07〜0.3重量%の第2焼入れ硬化層と第1焼入れ硬化層が得られるセメンタイト中のCr濃度3.5〜12重量%が得られることがわかる。より好ましくは、第2焼入れ硬化層のマルテンサイト炭素濃度範囲を0.07〜0.2重量%、第1焼入れ硬化層のマルテンサイト炭素濃度範囲を0.4〜0.8重量%に設定した場合においては、セメンタイト中のCr濃度は4〜11重量%の範囲に設定される。さらに、第2焼入れ硬化層を形成させる温度が高すぎた場合においては、歯車部材の変形、焼割れ感受性を高めることから、その第2焼入れ硬化層の上限加熱温度を950℃と設定しておくことが好ましい。また、第1焼入れ硬化層の上限加熱温度を1100℃と設定する場合には、セメンタイト中の上限Cr濃度を10重量%にすることが好ましい。また、第2焼入れ硬化層の下限の加熱温度を750℃とする場合においては、セメンタイトのCrの下限濃度を4重量%とすることが好ましく、焼入れ作業性を考慮した場合においてはセメンタイトのCr濃度を4〜10重量%の範囲に設定し、第2焼入れ硬化層の形成に対しては750〜950℃、第1焼入れ硬化層の形成に対しては900〜1100℃の加熱温度を選定することが好ましい。
【0077】
なおさらに、前記炭素拡散律速のセメンタイトの固溶(約7.5体積%のセメンタイト)が終了した後においては、図4中のH点(セメンタイトが固溶する場合のセメンタイトと等炭素活量の関係に有るオーステナイト界面)での炭素活量が元のE点の炭素活量よりも低いために、セメンタイト/オーステナイト界面のγ相組成(H点)がセメンタイトの固溶度線に沿ってE点と等活量の関係にあるセメンタイトの固溶度線上のI点へCrの拡散を伴いながら残り5体積%のセメンタイトが固溶し、かつ、マルテンサイトの固溶炭素濃度が高められることがわかる。
【0078】
(3)セメンタイトの固溶が大きく遅延される場合2
前記(2)のセメンタイトの炭素拡散律速機構によってマルテンサイト中の固溶炭素濃度が決まることは同じであるが、(2)における残りのセメンタイトが合金元素の拡散によって固溶する機構としては、H点がセメンタイトと異なるCr7C3炭化物とγ相が平衡域に位置するが、固溶過程においては、非平衡なセメンタイトとγ相の二相平衡がセメンタイトの固溶過程において成り立つと単純に仮定している。この仮定は、このセメンタイトの固溶過程において、セメンタイト消失前に新たにCr7C3炭化物が形成されるような複雑な拡散過程を経て、自由エネルギーを必要とする反応が起こらないとの考えに基づくものである。この場合においても、Cr7C3炭化物の新たな形成を必要としないセメンタイトの合金拡散律速による固溶機構を検討するものであって、セメンタイト/γ相界面のγ相組成は、すくなくともCr7C3炭化物が析出しなくても良い(γ相+セメンタイト+Cr7C3)三相共存領域のK点組成になる組成的拘束条件が加わるためにセメンタイトの固溶がより遅延される場合が考えられる。
【0079】
なお、前記(3)の固溶機構にしたがうと、セメンタイトの顕著な固溶遅延が発生する限界点は、1000℃の加熱条件ではセメンタイト中のCr濃度が約3.5重量%以上に濃縮する場合であるが、900℃の加熱では約2.5重量%であるので、例えば、0.4重量%のCおよび0.3重量%のCrを含有する鋼を700℃で加熱する場合のセメンタイト中の[Cr濃度]=αKCr×鋼中のCr濃度/(1−(鋼中の炭素濃度/6.67)×(1−αKCr))は3.2重量%と算出されることから、Crの下限添加量はほぼ0.3重量%であり、好ましくは0.5重量%以上である。
【0080】
また、前記炭素拡散律速で未固溶セメンタイトを安定して分散させるために必要なセメンタイト中のCr濃度としては3.5〜12重量%が適性であり、好ましくは4〜10重量%であることがわかる。さらに、1.5重量%Cを含有する鋼におけるCr添加量が約3重量%となるが、経済性を考慮してその上限添加量を2重量%とすることが好ましい。図5を参考にして、少なくともCrが3.5〜12重量%含有されたセメンタイトを含有する鋼材を、750〜1150℃の温度範囲において、二種以上のオーステナイト化加熱温度にその転動表面層から誘導加熱によって急速加熱後に焼入れることによって、表面層から深部に向かって、二種以上のマルテンサイト相が母相となる焼入れ硬化層を形成することができる。また、隣接する焼入れ硬化層間には遷移的な中間層が形成される。
【0081】
図6は、前記(2)、図7は前記(3)の固溶モデルに従って、Cr添加量を1重量%Crとして、炭素添加量を0.4重量%C、0.8重量%C、1.0重量%Cと変えて、700℃で十分加熱してセメンタイト中のCr濃度を11重量%、7、5重量%に調整した鋼を各焼入れ温度で加熱した時の、粒子径0.4μmのセメンタイトが完全に固溶する加熱時間を計算によって求めた結果とSUJ2(加熱速度:6℃/sec)とSUJ3(加熱速度:150℃/sec、1000℃/sec)の加熱実験結果を示したものである。図中の矢印は多量のセメンタイトが残留し、固溶させるためにはより長時間加熱が必要であることを示したものである。
【0082】
まず、図6と図7の計算結果を比較すると、全般的に図6の機構によるセメンタイトの固溶速度の方が幾分速く、150℃/sec以下の加熱速度での実験結果とも良く一致していることがわかる。図6の計算結果では1050℃での加熱によっては、セメンタイト中のCr濃度が約10重量%以上でない場合には,セメンタイトが急速に固溶する結果となるのに対して、例えば1秒で1100℃に加熱したSUJ3においては、顕著にセメンタイトが残留しており、図7の計算結果と良く一致しており、少なくとも150℃/sec以上の急速加熱条件においては図7(モデル(3))の固溶機構を採ることがわかり、このような急速加熱を前提とした高周波焼入れ法においては、よりセメンタイトが残留しやすいことがわかる。
【0083】
したがって、前記結果より、マルテンサイト中に固溶する炭素の濃度を調整し、マルテンサイト中にセメンタイトを残留させるための適正な加熱条件(加熱時間、加熱温度)としては、図7中の実線(t(sec)=(1400/(T(℃)+273))28)で記述した時間内の急速加熱処理(850〜1100℃の温度範囲)を施すこととした。前記炭素が拡散律速でオーステナイト中へ拡散する速さと較べると、その上限の加熱時間は十分長すぎることがわかり、図7中の破線で示した加熱時間t(sec)=(1360/(T(℃)+273))28以内の条件で焼入れ処理することによっても、マルテンサイト中の固溶炭素濃度とセメンタイト量を正確に調整することができる。
【0084】
さらに、図7の結果から、前記第1焼入れ硬化層を形成するために、例えば歯車部材の歯形に沿って入熱する場合においては、表面層をAc1温度またはAc3温度から900〜1100℃の所定のオーステナイト化温度に急速加熱する際の加熱時間は2秒以内が好ましく、第2焼入れ硬化層を第1焼入れ硬化層のより深部まで形成するための、Ac1温度またはAc3温度〜950℃への加熱時間は2〜1000秒間が好ましい。
【0085】
また、150℃/sec以上の急速加熱を実施する場合においては、焼入れ前組織のフェライトがマッシブ的な逆変態(フェライト→オーステナイト相への変態)によって急速にオーステナイト化させる必要性から、焼入れ温度をA3温度(約900℃)以上に設定しておくことが好ましく、第1焼入れ硬化層を形成させるためのオーステナイト化加熱温度を900〜1150℃と設定することとした。
【0086】
実際の熱処理工程における加熱時間は、Ac1またはAc3温度から焼入れ温度までの昇温時間と冷却開始までの保持時間の合計時間に合金元素が拡散した距離がt(sec)=(1400/(T(℃)+273))28、もしくはt(sec)=(1360/(T(℃)+273))28で与えられる加熱時間の合金元素の拡散距離内に入るように管理されるべきであるが、前述のように簡略化することができる。
【0087】
また、図6および図7の結果および先の図3で示した不均質な拡散時間の結果(粒子半径0.2μmのセメンタイトが固溶した場合)から、例えば950℃:10秒、850℃:100秒、750℃:1000秒の長時間加熱を施した場合においても、セメンタイトが十分残留し、顕著な不均質化が持続される。図5の結果を参考にして、例えばSUJ2のセメンタイト中のCr濃度を8.5重量%に調整した鋼材を850℃で100秒間、表面層から十分深い位置まで加熱した後に、さらに、表面層を1100℃まで1秒間で加熱した後に焼入れした場合や逆に表面層を1100℃加熱した後に冷却しながら800℃で加熱した後に焼入れした場合においては、炭素濃度が約0.55重量%のマルテンサイト相中に7体積%のセメンタイトが分散した第1焼入れ硬化層と、さらに、その深部に炭素濃度が約0.2重量%のマルテンサイト相およびベイナイト相の少なくとも一方の中に12体積%のセメンタイトが分散した第2焼入れ硬化層が形成され、さらに第2焼入れ硬化層の深部に焼入れ前組織が存在する高周波焼入れ部材を製造することができる。
【0088】
このような二種のオーステナイト化温度での加熱を焼入れ部材の表面からの深さを変えることによって得られる転動部材としては、前記歯車部材だけでなく、軸部を持つ歯車部材やベアリングなどの転動部材、さらにはカム、カムシャフト等の転動部材があり、耐面圧性、耐スポーリング性、捩じりおよび曲げ応力に対する強化のために好ましい。なお、前記オーステナイト化温度としては二種以上であっても良い。
【0089】
なお、前記第2焼入れ硬化層のマルテンサイト相中の炭素濃度としては、浸炭歯車部材の例を参照して0.1〜0.3重量%が好ましいが、0.1〜0.25重量%がより好ましい。また、生産性を高める観点から、第2焼入れ硬化層を形成させるためのオーステナイト化温度を800〜900℃と設定し、セメンタイト中のCr濃度を6〜12重量%とすることがより好ましい。
【0090】
機械構造用鋼中に良く含有されているCr,Mn,Mo,V,W,Ni,Si,Alは、いずれも焼入れ性を高める元素であるが、前記Crと同様にMn,Mo,V,Wはセメンタイト中に濃縮し、Ni,Si,Alはセメンタイトから排出される合金元素であって、700℃でのセメンタイトとフェライトの合金元素Mの分配係数αKM(=セメンタイト中のM重量%/フェライト中のM重量%)は、αKCr:28、αKMn:10.5、αKV:9、αKMo:7.5、αKW:2、αKNi:0.34、αKCo:0.23、αKSi&αKAl:0であり、また850℃でのセメンタイトとオーステナイトの合金元素Mの分配係数γKMは、γKCr:7、γKMn:2.1、γKV:12、γKMo:3.8、γKCo:0.42、γKNi:0.2、γKSi&γKAl:0である。したがって、セメンタイトとフェライトの二相領域およびセメンタイトとオーステナイトの二相領域の少なくとも一方の二相領域でセメンタイト中のCr濃度を調整した場合、共存するMn,Mo,V,Wはセメンタイトに濃縮するので、セメンタイトを未固溶状態で焼入れ処理するときの焼入れ性は顕著に低下する。さらに、このCr添加による未固溶セメンタイトを分散させることによって、オーステナイトに固溶する炭素の濃度と合金元素濃度を低く調整し、オーステナイト結晶粒を微細化して焼入れ性を炭素鋼よりも低下させることができる。
【0091】
次に、各元素の添加の意義について個別に説明する。
【0092】
Cr:
Crは、(フェライト+セメンタイト)二相領域においてセメンタイト中に最も顕著に濃縮し、(オーステナイト+セメンタイト)二相領域においても前記のようにセメンタイト中に濃縮するとともにセメンタイト中に約35重量%まで多量に固溶できる元素であって、前述のようにオーステナイト中の炭素との親和力が強いことによって、セメンタイトのオーステナイト相中への固溶を遅らせる作用を顕著に示す元素である。固溶炭素濃度が0.35〜0.8重量%のマルテンサイト相中に、少なくとも2体積%以上のセメンタイトを分散させるために、0.4〜1.5重量%Cを含有する鋼材に対して0.3〜2重量%Crを添加し、セメンタイト中のCr濃度を3.5〜12重量%に調整することが好ましいが、前記予加熱による第2焼入れ硬化層を形成させる観点からはセメンタイト中のCr濃度を4〜12重量%に調整することがより好ましい。
【0093】
Mn:
Mnは、硫化物形成元素として顕著に作用するとともにオーステナイト相中に固溶することによって顕著に焼入れ性を高める元素である。また、Mnは、V,Moよりも(フェライト+セメンタイト)二相領域においてセメンタイト中に顕著に濃縮する元素であるが、通常の鋼材添加の範囲においては、オーステナイト状態での特殊炭化物の存在が無く、かつ、オーステナイト中の炭素活量を下げるMnの作用がCrの約1/2以下で、セメンタイト中へ8重量%程度固溶しても、前記Crのようなセメンタイトの固溶遅延作用を示さないが、Crと共存することによって、Crによるセメンタイトの固溶遅延作用をより促進する作用を示し、また、前記メカニズムによる残留オーステナイト相の生成と焼入れ性の向上に大きく寄与するので、通常の鋼材添加の範囲(0.1〜2.0重量%)で適時調整されることが好ましい。
【0094】
また、モジュールが4以下の歯部を高周波加熱によって全体加熱する歯車部材(とりわけリングギヤ)においては、加熱後の急冷(焼入れ処理)によってスルーハード化し、焼き割れが発生しやすく、また、焼入れ硬化層に顕著な引張残留応力が発生し、その部材強度に悪い影響を与えることが多い。従って、このスルーハード化することを避ける観点からは、前記従来の高周波焼入れ用炭素鋼や低合金鋼に含有されるMn量が低めに設定された入手性の悪い鋼材を使用することが必要である。本実施の形態においては、前記低炭素濃度なマルテンサイト相を母相とする第2焼入れ硬化層をその深部に形成させることによって前記スルーハード化を避けることができること、また、セメンタイト中にMnを濃縮させて、前記DI値を低減することができるので、鋼材に添加するMnの上限添加量を2.0重量%まで高めることができて、鋼材の入手性を改善することができる。また、Mnはオーステナイト相を顕著に安定化する元素であることから、Si,Al等のフェライト相を安定化する合金元素が添加される場合においては、1重量%以上のMnを添加することが好ましいことである。さらに、MnはA1温度をより低温度化する元素であり、本発明の前記第2焼入れ硬化層を形成させる下限温度を下げる観点からも積極的に添加されることが好ましい。
【0095】
Mo、W:
Moは、Crと同様にセメンタイトに濃縮する元素であって、かつ焼入れ性を高めるとともに、焼入れ鋼材の強靭性を高める元素であるので、本実施の形態においても利用されるが、とりわけ、微量のMo添加(0.05重量%)によってパーライト変態を顕著に遅延化し、マルテンサイトおよびベイナイト組織を得られやすくする作用を示す合金元素であることから、前記歯車部材の歯部芯部にパーライトが析出することを防止する作用がある。また、Moはセメンタイトへの最大固溶度が2重量%であって、それ以上に添加した場合にはFe3Mo3C等の特殊炭化物として析出するので、例えば0.55重量%Cと1.5重量%Cを含有する鋼においては、0.4重量%Mo、0.7重量%Mo以上の添加によってFe3Mo3Cが析出するので、Mo上限添加量を0.7重量%とすることが好ましい。このことは先のセメンタイトの固溶機構(3)のCrと同様の遅延作用が0.4重量%以上の添加によって発現するので、その経済性を考慮した場合においては0.4重量%以下であることが好ましい。
【0096】
また、Wは、Moとほぼ同様の作用を示すので、本実施の形態においては(Mo+W)の上限添加量を0.7重量%とする。これは、比重の違いや経済性などを考慮することにより前記Mo上限添加量を採用するものである。(例えば、Moの比重はWの比重の約1/2であり、前記Mo上限添加量をWについて換算すると約1.4重量%となるが、これではMoに比べてWが非常に少ない場合、Mo添加量が多くなりすぎてしまう。)
【0097】
V:
Vは、セメンタイトに顕著に濃縮する元素であるが、セメンタイトへの最大固溶限度が0.6重量%と極めて小さいことから、0.55重量%C、1.5重量%Cを含有する鋼においては、0.12重量%V、0.2重量%V以上の添加によってV4C3炭化物が析出し、前記高周波焼入れ処理によってマルテンサイト相中にはVがほとんど固溶せず、またセメンタイトの固溶速度を顕著に遅滞させる。また、焼入れ性に対するVの影響は極めて小さいが、歯車転動面の耐摩耗性および耐焼付き性を高めるために、V4C3炭化物を析出させることは好ましく、工具鋼のV添加量を参考にしてその上限値を2重量%とすることとしたが、機械加工の経済性から、0.2〜1.0重量%とすることがより好ましい。
【0098】
さらに、V4C3炭化物の析出によって焼入れ処理による旧オーステナイト結晶粒の微細化が起こり、強靭性の改善と焼入性の低減に作用することから、Vはより積極的に添加されることが好ましい元素である。
【0099】
なお、高周波焼入れ用炭素鋼を誘導加熱する際には、加熱温度875℃で数秒の短時間加熱された場合においても、旧オーステナイト結晶粒がASTM7番にまで粗大化するために、本実施の形態においては0.1〜2重量%のVを添加し、ASTM9番以上、より好ましくはASTM10番以上に微細化することが、歯車部材においては耐摩耗性、耐焼付き性、耐面圧強度の向上、焼入性の抑制による小モジュールの高周波一発焼入れの実施を容易にする。
【0100】
Nb,Ti,Zr等:
さらに、前記高周波焼入れによる結晶粒の微細化を促進する合金元素として、Nb,Ti,Zrの一種以上が0.01〜0.5重量%の範囲で添加されることが好ましい。
【0101】
B:
Bは、0.0003〜0.01重量%が添加されると、パーライト変態が顕著に遅延化されて、焼入性が顕著に高くなり、また、前記表面層からより深部に形成される低炭素濃度のマルテンサイト相を母相とする第2焼入れ硬化層の形成に極めて好ましい元素であって、かつ、Moと同様にパーライトが析出することを防止するとともに、微量のMoと共存することによって、高靭性なベイナイト組織化する作用があるので、本実施の形態の高周波焼入れ処理する鋼材には好ましい元素である。
【0102】
Si,Al,Ni,Co:
Si,Al,Ni,Coはセメンタイトから排出され、マルテンサイト中に濃縮するが、Crとは逆に炭素活量を高める合金元素である。とりわけ、Siはオーステナイト中の炭素の活量を顕著に高める元素であって、前記マルテンサイト相に固溶する炭素の濃度を低減する作用(例えば、△C=0.1重量%C/重量%Si)を有することから、結果的には焼入性を高める作用は軽微である。
【0103】
また、Si,Alは100〜400℃の低温側での焼戻し軟化抵抗性を顕著に高める元素であるから、各種歯車やベアリング等の転動部材、耐摩耗部材や耐摩耗摺動部材には積極的に添加されて好ましい合金元素であり、0.05〜2重量%添加されるが、多量の添加はフェライトを顕著に安定化し、前記Ac1温度またはAc3温度〜950℃の第2焼入れ硬化層を形成させるためのオーステナイト化処理温度がより高温化し、フェライト相が混在しやすくなることから、(Si+Al)の上限添加量を2.0重量%とした。また、セメンタイト中へのMn,Cr,Mo,V等を濃縮させた本実施の形態の高周波焼入れ歯車部材では、転動面のマルテンサイト相の焼戻し軟化抵抗性を改善するCr,Mo,Vの作用が極めて小さいために、(Si+Al)を0.5重量%以上添加することが好ましい。さらに、AlはSiよりもよりフェライト安定化元素であることから、その上限添加量を1.0重量%と設定したが、同時にオーステナイトを安定化するNi、Mn、Cuを共存するように添加しておくことは好ましい。
【0104】
また、Niは焼入れ性を高める元素であるとともに強靭性を高める元素である。セメンタイト中へMn,Cr,Mo,V等を濃縮させた本実施の形態の高周波焼入れ歯車部材では、大型になるほど第2焼入れ硬化層をより深部まで形成させるために焼入れ性を高める必要性があることから、Niをより積極的に添加することとするが、Niの上限添加量としては3重量%とするのが好ましい。これは前記高周波焼入れ処理によって形成される残留オーステナイトが形成されすぎることと経済性を考慮して設定したものである。なお、前記Al、Siと共存させることによって、より焼戻し軟化抵抗性が高まるとともに、顕著に靭性が改善される。
【0105】
Coは焼入性を低減する合金元素であるが、Cr,Mn,Mo等の合金元素のαKMを増大させる機能を有し、かつマルテンサイトの焼戻し軟化抵抗性を顕著に改善する有効な元素であるが、極めて高価であることから、本実施の形態においては、3重量%以内で添加されることが好ましい。
【0106】
Cuはオーステナイトを安定化するとともに、耐候性を高める元素であることから、素材鍛造時の赤熱脆性の発生しやすさを考慮して、1重量%以下であることが好ましい。
【0107】
なお、N,P,S,Oはそれぞれ0.05重量%以下の通常範囲で不純物元素として含有されるが、Ti,Nb,Zr,V,Alなどの合金元素が添加される場合においては、これらの合金元素を主体とする窒化物を分散させることを考慮して、N濃度は0.3重量%以下で調整され、また、快削鋼としてSを添加する場合においては、S濃度が0.5重量%以下で調整されることが好ましい。
【0108】
次に、図8に示される歯部焼入れ後組織の模式図を用いて、本発明の第1の実施の形態について説明する。なお、図8(a)(b)は本実施の形態に係る歯車部材の高周波焼入れ後組織の模式図、図8(c)は従来の歯形に沿った高周波焼入れ(輪郭焼入れ)組織の模式図である。
【0109】
本実施の形態の歯車部材は、セメンタイト中のCr濃度を3.5〜12重量%に調整した鋼材を利用し、ビッカース硬さHv600以上に硬化された、セメンタイトの残留しないマルテンサイト相を母相とする第1焼入れ硬化層1と、Hv300〜500に硬化された第2焼入れ硬化層2とにより構成される。第2焼入れ硬化層2は、マルテンサイト相およびベイナイト相の少なくとも一方を母相とし、焼入れ前組織中のセメンタイトが残留しているものである。また、第2焼入れ硬化層2の深部においては焼入れ前組織3としての(フェライト+セメンタイト)二相組織部が残留している。
【0110】
また、その歯車モジュール(m)に対して前記マルテンサイト相中の炭素濃度と合金元素濃度、および、旧オーステナイト結晶粒度の関係から計算される第2焼入れ硬化層2の焼入れ性(DI値(in.))が、式
DI≧0.12×m+0.2
を満たすようにDI値を制御することによって、ピッチ円位置の歯部中心位置5において、マルテンサイト相およびベイナイト相の少なくとも一方を含有する母相とする第2焼入れ硬化層2が形成されるようにすることが好ましい。
【0111】
なお、前記第1焼入れ硬化層1におけるマルテンサイト相中に固溶する炭素の濃度は0.4〜0.8重量%に調整されることが好ましい。また、前記第2焼入れ硬化層2のマルテンサイト相およびベイナイト相の少なくとも一方の中に固溶する炭素の濃度は0.07〜0.5重量%、好ましくは0.07〜0.3重量%であり、未固溶のセメンタイトは平均粒径が1μm以下の粒状セメンタイトである。また、焼入れ後においては、100〜350℃での適正な焼戻し処理が施されていることが好ましい。
【0112】
本実施の形態の歯車装置の製造に際しては、セメンタイトの粒状化処理や焼入れ焼戻し処理によって(フェライト+セメンタイト)二相領域でセメンタイト中にCrを濃縮させた鋼材(鋼材硬さ:Hv160〜260)を用い、歯車加工した素材に、図9に示される代表的な熱処理パターンもしくはその原理的類似性を持つ熱処理パターンにしたがった処理がなされる。図9に示される(a)型は、歯部の表面層に第1焼入れ硬化層1を形成させるオーステナイト化温度(1)にまで歯形に沿って表面層を加熱した後に冷却させながら、第1焼入れ硬化層1の深部に第2焼入れ硬化層2を形成させるためのオーステナイト化温度(2)により深部まで加熱した後に急冷する方法である。また、(b)型は(a)型とは逆に、第2焼入れ硬化層2を形成させるためのオーステナイト化温度(2)により深部まで加熱した後に、歯部の表面層に第1焼入れ硬化層1を形成させるオーステナイト化温度(1)にまで歯形に沿って表面層を急速加熱した後に急冷する方法である。また、(c)型は、(a)型に予備加熱工程を設けたものである。このような予備加熱工程を設けることは、歯型に沿っての入熱性を高める上で好ましく、その加熱温度は、Ac1温度以下の温度域であることが好ましい。また、(C−3)型は、オーステナイト化温度(1)への加熱・冷却後に、別工程でオーステナイト化温度(2)への加熱と急冷処理を施すことによっても、本発明の主旨に沿った熱処理が可能であることを示唆しており、また、オーステナイト化温度(2)への加熱手段が前記誘導加熱にこだわるものでなく、例えば塩浴炉などの加熱手段を用いることができる。
【0113】
また、(a)型のオーステナイト化温度(1)からオーステナイト化温度(2)への冷却速度を適正にするか、もしくは、(d)型のように第1焼入れ硬化層1と第2焼入れ硬化層2の境界部の硬さ変化をスムーズ化するように3種以上の焼入れ硬化層を形成させることは、浸炭焼入れ歯車の硬化パターンに近づけられることから好ましい。
【0114】
なお、オーステナイト化温度(1)は900〜1150℃であり、オーステナイト温度(2)はAc1温度またはAc3温度〜950℃の範囲であることが好ましいことは前述のとおりであるが、本実施の形態において、オーステナイト化温度(1)としては、焼入れ前組織中のセメンタイトのほぼ全量がオーステナイト(残留セメンタイト量:2体積%未満)に固溶する温度が選定される。
【0115】
また、歯形の沿った入熱方式としては、前記二周波高周波焼入れや大電力を瞬間的に投入する高周波焼入れ方法が実施できる。
【0116】
また、本実施の形態においては、第1焼入れ硬化層1の耐摩耗性と耐焼付き性を改善する観点からV4C3,TiC等の特殊炭化物が適量分散されることが好ましい。
【0117】
さらに、本実施の形態においては、第1焼入れ硬化層1にセメンタイトがほとんど残留しないようにするために、0.4〜0.8重量%のC、0.1〜2重量%のMn、0.3〜2重量%のCrを含有し、さらに、0.05〜1.5重量%の(Si+Al)、0.01〜1重量%のAl、3.0重量%以下のNi、0.01重量%以下のB、2重量%以下のV、0.7重量%以下の(Mo+W)、0.2重量%以下の(Ti+Nb+Zr)のうち一種以上を含有するのが好ましい。
【0118】
また、本実施の形態における歯車部材は、ピッチ円4上の第1焼入れ硬化層1の表面部分の硬さがHv:600以上で、その硬化層1(Hv513以上)の深さが(0.2〜0.6)×m(モジュール)であり、歯元部の第1焼入れ硬化層1の表面部分の硬さがHv:600以上で、その硬化層1(Hv513以上)の深さが(0.15〜0.6)×m(モジュール)であり、第2焼入れ硬化層2の硬さがHv300〜500で、ピッチ円中心位置5は第2焼入れ硬化層2に形成されているのが好ましい。
【0119】
また、歯元曲げ疲労強度や耐面圧強度、さらに軸部の捩じり強度を改善する観点から、第1焼入れ硬化層1の表面部にショットピーニング等の加工処理を施して、その表面部に50kgf/mm2以上の大きな圧縮残留応力を付加することが好ましい。
【0120】
次に、第2の実施の形態について説明する。
この第2の実施の形態の歯車部材においては、前記第1の実施の形態における第1焼入れ硬化層1中に焼入れ前組織3中に分散させたセメンタイトを2〜17体積%残留、分散させることによって、歯車のピッチング強度および耐摩耗性を改善した歯車部材を提供するものである。また、第1焼入れ硬化層1の深部において形成させる第2焼入れ硬化層2においても3〜20体積%のセメンタイトを残留、分散させたものである。この歯車部材は、第1の実施の形態と同様、焼入れ後に100〜350℃の適正な焼戻し処理が施され、ピッチ円4上の第1焼入れ硬化層1の表面部分の硬さがHv:600以上で、その硬化層1(Hv513以上)の深さが(0.2〜0.6)×m(モジュール)であり、歯元部の第1焼入れ硬化層1の表面部分の硬さがHv:600以上で、その硬化層1(Hv513以上)の深さが(0.15〜0.6)×m(モジュール)であり、第2焼入れ硬化層の硬さがHv300〜500で、ピッチ円中心位置5は第2焼入れ硬化層2に形成されているのが好ましい。
【0121】
また、使用する鋼材としては、0.55〜1.5重量%のC、0.1〜2重量%のMn、0.3〜2重量%のCrを含有し、さらに、0.05〜1.5重量%の(Si+Al)、0.01〜1重量%のAl、3.0重量%以下のNi、0.01重量%以下のB、2重量%以下のV、0.7重量%以下の(Mo+W)、0.2重量%以下の(Ti+Nb+Zr)のうち一種以上を含有するのが好ましい。
【0122】
さらに、第1焼入れ硬化層1中に残留オーステナイトを10〜50体積%形成させることによって、靭性を付加するとともに、耐摩耗性、耐焼付き性、耐面圧性を改善することが好ましい。なお、残留オーステナイト量が50体積%を越えると、焼入れ硬化層に軟化傾向がみられ、耐摩耗性や耐面圧強度が劣化する。
【0123】
なお、前記マルテンサイト中に固溶する炭素の濃度と合金元素濃度、および、旧オーステナイト結晶粒度の関係から計算される、第2焼入れ硬化層2の焼入れ性(DI値(in.))が、式
DI≧0.12×m+0.2
を満たすようにDI値を制御することによって、前記ピッチ円上の中心位置5がマルテンサイト相およびベイナイト相の少なくとも一方を母相とする第2焼入れ硬化層2に形成されるようにするのが好ましい。
【0124】
本実施の形態の歯車部材は、前記第1の実施の形態と同様の熱処理パターンの高周波熱処理によって製造されるが、第1焼入れ硬化層1を形成させるオーステナイト化温度(1)に加熱する状態で2体積%以上のセメンタイトが残留するようにされている。また、前記V4C3,TiC等の特殊炭化物が適量分散されてよいのは第1の実施の形態と同様である。
【0125】
また、図10(a)(b)に示されるような軸部6,7を持つ歯車部材(ピニオンギヤ類)では、トルク伝達する際にかかる捩じり応力や曲げ応力に対して十分な強度を有する必要があるが、前記第1,2の実施の形態に示された方法をそれら軸部6,7の高周波焼入れに適用することによって、より深い焼入れ強化層を形成することができる。このように前記第1、第2の実施の形態の高周波焼入れ方法は、これらの軸付きギヤ部材の高周波焼入れ方法としても好適である。なお、図10において、符号8,9は歯部、符号10はスプラインをそれぞれ示す。
【0126】
また、歯元曲げ疲労強度や耐面圧強度、さらに軸部の捩じり強度を改善する観点から、第1焼入れ硬化層1の表面部にショットピーニング等の加工処理を施して、その表面部に50kgf/mm2以上の大きな圧縮残留応力を付加することが好ましい。
【0127】
続いて、第3の実施の形態について説明する。
この第3の実施の形態は、前記第1、第2の実施の形態の歯車部材における製造技術を、図11(a)に示されるベアリング部材11、減速機キャリヤピンのような軸部材12および歯車部材13や、図11(b)に示されるカム14,15およびカムシャフト部材16に適用したものである。
【0128】
ここで、歯車、ベアリング、ベアリングケース、シャフト等の高い焼戻し軟化抵抗性が必要とされる高周波焼入れ部材においては、Si,Alのうちの一種以上が0.5〜1.5重量%の範囲で含有されているのが好ましい。また、使用条件において滑りを伴う部材においては、V,Tiのうちの一種以上が0.1〜2.0重量%含有され、V,Tiを主体とする特殊炭化物がわずかに分散されているのが好ましい。
【0129】
本実施の形態においては、焼入れ硬化層のマルテンサイト相中に固溶する炭素の濃度を目的に応じて0.35〜0.8重量%の範囲に調整したマルテンサイト相中に2〜20体積%のセメンタイトを分散させることが好ましい。また、10〜50体積%の残留オーステナイトを形成させることによって、耐摩耗性、耐焼付き性、耐面圧性の改善を目的とした高周波焼入れ部材を製造することがより好ましい。なお、残留オーステナイト量が50体積%を越えると、焼入れ硬化層に軟化傾向がみられ、耐摩耗性や耐面圧強度が劣化する。
【0130】
滑り時のヒートクラック性を重要視するカム等に適用する場合においては、滑り面における焼入れ硬化層中のマルテンサイト相に固溶する炭素の濃度を0.35〜0.55重量%の範囲に調整し、セメンタイトを5〜20体積%分散させることが好ましく、さらに耐摩耗性と耐焼付き性改善するために、0.1〜2.0重量%のVを添加してV4C3炭化物をあらかじめ分散させておくことが好ましい。
【0131】
また、歯車部材の耐面圧強度、耐摩耗性、耐焼付き性を改善する観点からも、歯面焼入れ硬化層においては0.4〜0.8重量%の炭素が固溶したマルテンサイト母相中に5〜20体積%のセメンタイトとV4C3、TiC等の硬質な特殊炭化物を5体積%未満の範囲で分散させることが好ましい。なお、5体積%以上の特殊炭化物が存在する場合においては、相手材料に対するアタック性が顕著になる危険性がある。
【実施例】
【0132】
[実施例1;ピッチング強度(予備試験)]
本実施例では、歯車の歯面における滑りを伴う転動疲労強度を調べるために、図12に示される試験片を用いてローラピッチング試験を実施し、各種の焼入れ焼戻し炭素鋼および浸炭焼入れ肌焼き鋼のピッチング強度を調べた。表1は本実施例に用いた各種炭素鋼、肌焼き鋼の化学成分を示したものであり、各種鋼材は図12(a)に示される小ローラ試験片17の形状に加工した後、No.1、2、4は820℃で30分加熱後に水焼入れし160℃で3hr焼戻し処理を施して、試験に供した。また、No.3とNo.4は素材調質処理後に転動面を40kHz、200kWの高周波電源を用いて950℃に加熱した後に焼入れ硬化し、前述と同様の焼戻し処理を施した。さらに、No.5は930℃で5hrの浸炭処理(炭素ポテンシャル0.8)を施した後850℃に冷却し、850℃で30分保持した後に60℃の焼入れ油に焼入れ、その後、前述と同様の焼戻し処理を施した。
【0133】
【表1】
【0134】
なお、No.4の球状化処理したSUJ2を高周波加熱によって800℃以上の温度域において6℃/secで比較的遅く昇温し、所定の加熱温度で約5秒間保持した後に水焼入れし、その時の焼き入れ層の硬さとX線解析によるマルテンサイト相中の炭素濃度と未溶解のセメンタイト量の関係を調査した結果を図13(a),(b),(c)に示した。この結果から明らかにCrのセメンタイトへの濃縮(約7.8重量%Cr)によって、オーステナイトへのセメンタイトの固溶が遅延しており、浸炭焼入れ硬化層と同等な十分な硬さ(Hv650以上)のマルテンサイト(固溶炭素濃度0.35重量%)を得るためには、少なくとも、900℃以上に加熱温度を設定することが必要であり、1000℃に加熱温度を高めた場合においても8体積%のセメンタイトが未固溶状態で残留することがわかる。なお、No.3、No.4の高周波焼入れ温度を950〜980℃となるように焼入れ処理を施した後160℃で3hr焼戻したところ、残留するセメンタイト量は試験片No.3が2体積%であり、試験片No.4が10体積%であった。
【0135】
図12(b)に示される大ローラ試験片18はNo.4のSUJ2材を820℃で30分加熱後に水焼入れし160℃で3hr焼戻したものを使用する。
【0136】
ローラピッチング試験は、平行な2つの回転軸を持つ試験機に、小ローラ試験片17および大ローラ試験片18を、中心軸21,22がその2つの回転軸の中心に一致するように固定し、それぞれの試験面19,20を所定の面圧がかかるように接触させ、試験面19,20が接触する部分で同じ方向へ進行するように中心軸21,22についてそれぞれ所定の回転数で回転させて実施する。ここでは、70℃の#30エンジンオイルで潤滑しながら、回転数を小ローラが1050rpm、大ローラ(負荷ローラ)が292rpmとして40%の滑り率を与え、面圧を375〜220kgf/mm2の種々の条件で与えてローラピッチング試験を実施した。
【0137】
図14は各種面圧でピッチングが発生した繰り返し回数(小ローラ1回転を1回とする)をまとめて示したものであり、横軸をピッチングが発生した繰り返し回数、縦軸をその試験時の面圧としている。まず、基準とする浸炭肌焼き鋼(No.5)における各面圧における最小繰り返し回数をつないだ寿命線を図中に示した。ピッチングが発生した繰り返し回数が107回となる時の面圧を転動面疲労強度(ピッチング強度)と定義した場合、そのピッチング強度は約210kgf/mm2となることがわかった。また、同様の整理の仕方で検討すると、No.1:175kgf/mm2、No.2:240kgf/mm2、No.3(高周波焼入れ):260kgf/mm2、No.4:270kgf/mm2およびNo.4(高周波焼入れ):290kgf/mm2となり、高周波焼入れによって、セメンタイト粒子を約2体積%、約10体積%を分散させたNo.3,No.4の転動面疲労強度が顕著に改善されていることがわかる。さらに、浸炭肌焼き鋼はバラツキが多少大きく、この原因が転動面での浸炭時の粒界酸化や不完全焼き入れ層の存在や残留オーステナイト量が多いこと等によるもので、平均的なピッチング発生回数で比較した場合には、No.2のピッチング強度と変わらないことがわかる。
【0138】
また、ピッチングを発生した転動面のマルテンサイト相のX線半価幅を調査した結果、No.1:3.6〜4.0°、No.2:4〜4.2°、No.3:4.2〜4.4°、No.4:4.3〜4.6°、No.5:4〜4.2°であった。
【0139】
さらに、前記熱処理を施したNo.1〜5の試験片を250〜350℃で各3hr焼戻した時のX線半価幅を調査した結果、前記ピッチング発生転動面の半価幅はほぼ300℃で焼戻した半価幅と合致し、公知文献(例えば「材料」、第26巻、280号、P26)で報告されている各種炭素濃度の炭素鋼の焼戻し硬さと半価幅の関係ともほぼ合致することがわかる。
【0140】
また前述の結果から、固溶炭素濃度0.4重量%以上のマルテンサイト母相中にセメンタイト粒子を2体積%以上、好ましくは6体積%以上分散させた焼入れ硬化層が優れた耐面圧強度を有し、ベアリング、ベアリングリテーナ、ベアリングと転動しあうシャフト部および歯車部材へのセメンタイト粒子を残留させる高周波焼入れ方法が好ましいことがわかる。
【0141】
[実施例2;高周波加熱条件の確認]
実施例1の図13(a),(b),(c)は、表2中のNo.1鋼材(表1のNo.4のSUJ2相当材)を810℃に2hr加熱し、600℃まで徐冷するセメンタイトの粒状化処理(徐冷法)を施した後、高周波加熱によって6℃/secの加熱速度で800〜1050℃の各温度に加熱した後に水焼入れし、その焼入れ層硬さとX線解析によるマルテンサイト中の炭素濃度およびそれから算出される未固溶セメンタイト量の関係を調査した結果を示したものである。この図から、Crのセメンタイトへの濃縮(約7.8重量%Cr)によって、前記転動部材や歯車部材として必要な十分な硬さのマルテンサイトを得るためには、前述のように、少なくとも900〜1100℃の範囲に加熱温度を設定することが好ましいこと、その時のマルテンサイト中の炭素濃度が約0.35〜0.8重量%であり、2〜10体積%の硬質なセメンタイト粒子が分散していることが必要である。歯車部材などの転動面のピッチング強度を高めるためには、転動面のマルテンサイト中の炭素濃度を0.4〜0.8重量%と設定することがより好ましい。浸炭歯車部材よりもピッチング強度の優れた本実施の形態の歯車部材を製造するに際しては、100〜350℃の低温焼戻し処理後の転動面硬さをHv650以上に調整することが好ましいことがわかる。
【0142】
【表2】
【0143】
また、図13(b)中の破線は、前記図5に示される関係から求めたマルテンサイト相中に固溶する炭素の濃度を示したものであり、950℃以下の実測データと極めてよく一致する。また、これ以上のオーステナイト化温度においては実測されたマルテンサイト相中に固溶する炭素の濃度がより多いことがわかる。これは本実施例の加熱速度が遅く、前記合金拡散律速によるセメンタイトの固溶が進行したことによるものであって、950℃以上、好ましくは900℃以上でオーステナイト化して形成させるマルテンサイト相中の炭素濃度をより正確に制御するためには、Ac1温度またはAc3温度から900〜1150℃の所定のオーステナイト化温度までの昇温時間と冷却開始までの保持時間の総時間が5秒以内であることが好ましく、さらに、前記第1焼入れ硬化層を歯形に沿って形成させるためには、2秒以内で実施されることが好ましいことがわかる。
【0144】
さらに、Cr添加量を低減した表2中のNo.2供試鋼(SUJ3相当材、セメンタイト中のCr:約6.5重量%)を、前記球状化処理(徐冷法)したものと、820℃で1.5hr保持した後に放冷し、パーライト状セメンタイトと粒状セメンタイトを分散させたものを準備し、通常の高周波加熱速度よりも極めて速い加熱速度1000℃/secで900〜1100℃の各温度に加熱した後に焼き入れた摺動面の組織を調査した。
【0145】
図15は前記球状化処理(徐冷法)したものの1000℃のオーステナイト化温度から焼き入れた組織を示したものであり、粒状セメンタイトが極めて多量に分散しており、図16に示されるようにその焼入れ層中における硬さ(1000℃)は、残留オーステナイトが30〜45体積%を含有するにもかかわらず、最大Hv880にまで顕著に硬化されていることがわかる。また、オーステナイト化温度を1100℃とした場合においても、50体積%の残留オーステナイトを含有してもHv830に硬化し、耐摩耗性に問題なく利用できることがわかる。
【0146】
また、図17は、前記パーライト状セメンタイト(3.9重量%Cr)と粒状セメンタイトを分散させたものを1000℃に加熱した後に焼き入れた摺動面の組織を示したものである。この図から明らかに、マルテンサイト母相中にパーライト組織状の板状セメンタイトが分散しており、またその焼入れ硬化層の硬さは、図5の関係から明らかなように、マルテンサイト相中に固溶する炭素の濃度が顕著に高まり(0.87重量%C)、図15の焼入れ硬化層の硬さ(Hv880)より顕著(Hv940)に硬化していることがわかる。
【0147】
また、パーライト前組織を含む表2のNo.2鋼材を使って、パーライト状セメンタイトが分散する加熱速度と加熱温度の関係を調査した結果、加熱速度150℃/sec、加熱温度900℃の焼入れ組織でもパーライト状セメンタイトが分散し、その時の焼入れ硬化層の硬さはHv945にまで顕著に硬化することがわかり、少なくとも約4重量%Crのパーライト状セメンタイトを安定して分散させるためには、850℃を加熱温度の下限とした場合には、加熱速度が100℃/sec以上、900℃を加熱温度の下限とした場合には、加熱速度が150℃/sec以上であることが好ましいことがわかる。
【0148】
図18は、表2のNo.3鋼材を950℃×1hr均質化後油焼入れし、700℃で2hr焼戻した後(セメンタイト中のCr濃度9.8重量%)、前述したのと同じ1000℃と1100℃に1000℃/secで高周波加熱・焼入れし、160℃で1hr焼戻した試験片の硬さ分布を示したものである。前記図5を参照すると、1000℃からの焼入れではマルテンサイトに固溶する炭素の濃度が約0.23重量%不足して十分に硬化しないが、1100℃ではマルテンサイト相中に固溶する炭素の濃度が約0.35重量%に高まり、十分な硬さが得られることがわかる。
【0149】
また、実施例1と同様のローラピッチング試験の結果は、1000℃焼入れ品のピッチング強度が約200kgf/mm2、1100℃焼入れ品のピッチング強度が約240kgf/mm2(図14参照)となり、マルテンサイト相中にセメンタイト粒が分散する組織のマルテンサイト相の固溶炭素濃度が0.35重量%以上、より好ましく0.4重量%以上であることが必要である。
【0150】
さらにまた、急速加熱焼入れしたNo.1鋼材(球状化処理SUJ2)のマルテンサイト相の格子定数測定から求めたマルテンサイト相中の炭素濃度は約0.48重量%であり、図5のセメンタイト中のCr濃度(7.8重量%)から求まるマルテンサイト相中に固溶する炭素の濃度(0.46重量%)と良く一致することから、前記急速加熱焼入れによってマルテンサイト相中に固溶する炭素の濃度が精度良く調整できることがわかる。同じことは、No.4の球状化処理したSUJ3(セメンタイト中のCr濃度は約6.5重量%)についても確認され、また、残留オーステナイト相中の炭素濃度が0.97重量%と求まり、この結果が図4中のセメンタイトのCr濃度と同じ組成のオーステナイト相中の炭素濃度にほぼ等しいことも確認される。このことから、マルテンサイト相中に固溶する炭素の濃度を調整する高周波誘導加熱条件としては、前記加熱温度:850〜1100℃、加熱速度:100℃/sec以上が好ましいことがわかる。また、より精度良くその固溶炭素濃度を調整するためには、下限加熱温度を900℃(ほぼFeのA3変態温度)として、150℃/sec以上、もしくは、900℃〜1150焼入れ温度の間を2秒以内に加熱して、焼入れることがより好ましい。
【0151】
また、前記約950℃以下の焼入れ温度においては合金元素Crの拡散が遅いために、加熱速度の影響が小さくなり、穏やかな高周波誘導加熱によってもマルテンサイト相の固溶炭素濃度、未固溶セメンタイトの分散、焼入れ性の抑制、旧オーステナイト結晶粒の微細化の調整が容易に行える。
【0152】
したがって、前記第1焼入れ硬化層と第2焼入れ硬化層を形成させた歯車部材などの転動部材が、Ac1温度またはAc3温度〜950℃間の所定のオーステナイト化加熱(2)と900〜1150℃間の所定のオーステナイト化加熱(1)を組み合わせて実施した後に、急冷処理することにより製造されることがわかる。例えば、
タイプA:歯形に沿って表面層をオーステナイト化温度(1)にすばやく誘導加熱した後に、誘導電力を落としてオーステナイト化温度(2)に降温させ、急冷するか、もしくは
タイプB:歯部内部までオーステナイト化温度(2)に加熱した後に、歯形に沿って表面層をオーステナイト化温度(1)にすばやく誘導加熱して急冷することによって製造することができる。
【0153】
なお、前記タイプAにおいては、オーステナイト化温度(1)からオーステナイト化温度(2)への降温速度を調整することによって、前記第1焼入れ硬化層から第2焼入れ硬化層への中間層中のマルテンサイト相中の炭素濃度がより連続的に調整され、さらに、オーステナイト化温度(2)の深さ方向への温度分布によって第2焼入れ硬化層中のマルテンサイト相およびベイナイト相の少なくとも一方の中の炭素濃度が調整される。
【0154】
また、前記タイプBにおいては、オーステナイト化温度(1)に加熱する際にオーステナイト化温度(2)との中間位置に形成される温度分布によって中間層中に前記マルテンサイト相が形成される。
【0155】
また、第1焼入れ硬化層を歯形に沿って形成させるには、誘導電流の浸透深さが浅いフェライトに急速な誘導加熱を施すことが好ましいので、タイプAとタイプBの各熱処理方法を比較した場合、タイプAがより好ましい。さらに、タイプBのオーステナイト化温度(2)に加熱した後に一旦A1温度以下に冷却し、フェライトを析出させた後に歯形に沿ってオーステナイト化温度(1)にすばやく誘導加熱する方法が考えられるが、この場合には第1焼入れ硬化層の深部に明確な第2焼入れ硬化層が形成されず、第1焼入れ硬化層と素地硬さの境界部において顕著な引張残留応力が発生し、前記面圧強度(スポーリング強度)の低下につながることから、好ましい焼入れ方法ではない。
【0156】
またさらに、前記誘導加熱周波数としては、歯底から歯先にわたってほぼ同時加熱できる適正周波数を用いる場合や前記二重周波のように1〜10kHzと100〜1000kHzの周波数を用いることができる。
【0157】
また、前記製造方法において、オーステナイト化温度(2)の加熱方式としては、前記誘導加熱に限るものではなく、塩浴炉を用いた加熱方式も有用であって、例えば、オーステナイト化温度(1)に急速に誘導加熱した後に、すばやく、塩浴炉浸漬してオーステナイト化温度(2)に加熱するか、もしくは塩浴炉で加熱した後にオーステナイト化温度(1)に表面層をすばやく誘導加熱して利用できる。しかし、誘導加熱方式で一貫して製造する方式が最も生産性の観点から好ましい。
【0158】
[実施例3;焼戻し軟化抵抗性の確認]
表3は本実施例で使用した合金組成を示したものであり、熱処理は950℃で焼ならし処理後に810〜870℃で30分加熱後水冷し、250、300、350℃で3hr焼戻しした試験片のロックウェル硬さHRCを調査し、さらに、これらの硬さに対する各合金元素添加量の影響を解析した。
【0159】
【表3】
【0160】
なお、予備実験として、0.1〜1.0重量%の炭素と0.3〜0.9重量%のMnを含有する炭素鋼についても調査し、前記合金元素の影響の解析のベースデータとした。その結果、
250℃では HRC=34×√C(重量%)+26.5
300℃では HRC=36×√C(重量%)+20.9
350℃では HRC=38×√C(重量%)+15.3
の近似式で記述されることがわかった。
【0161】
また、これらの炭素鋼の硬さをベースに合金元素の影響を解析した結果、焼戻し軟化抵抗△HRCは、例えば300℃で、次式で記述できることがわかった。
△HRC=4.3×Si(重量%)+7.3×Al(重量%)+1.2×Cr(重量%)×(0.45÷C(重量%))+1.5×Mo(重量%)+3.1×V(重量%)
【0162】
この結果から、AlはSiの1.7倍の焼戻し軟化抵抗性を発現することがわかり、転動面圧強度の改善元素として極めて効果的であることがわかった。
【0163】
図19は、前記解析結果から求まる焼戻し硬さと実測した焼戻し硬さの合致性を示したものであり,そのバラツキ幅がHRC±1の範囲で精度良く予測できることがわかる。また、実施例1のSCM420(No.5)の浸炭層(0.8重量%炭素)の300℃焼戻し硬さについても図19の☆印で示しており、計算値と良く合致していることがわかる。
【0164】
[実施例4;高周波焼入れ性の確認]
表4は本実施例で使用する鋼材の合金成分を示したものである。950℃で焼ならし処理を施した後に、直径30mm長さ100mmの円柱状試験片に機械加工し、850〜900℃で1hr加熱した後に水冷したものと、水冷した後に650℃で5hr焼戻し処理を施したものを、3kHzの高周波加熱設備を使い、15秒間で870℃にほぼ均一加熱状態にした後水冷したものの焼入れ硬化深さを求めた。さらに、表4の化学成分からもとまるDI値1と前記650℃の焼戻し処理から計算されるマルテンサイトの化学組成から計算されるDI値2と焼入れ硬化層深さの関係を図20に示したが、明らかに、高周波焼入れ前組織のセメンタイト中に合金元素を濃縮させることによって高周波焼入れ時の焼入れ性が顕著に低減され、かつ正確に制御されていることがわかる。なお、同図中のNo.P6がとりわけ、図中の直線性から大きくずれているが、これは、焼入れ前組織中のセメンタイトが約10体積%未固溶状態で残留し、そのセメンタイト中に多くの合金元素を含有し、かつ、マルテンサイト中の炭素濃度が少なくなることによってDI値2が小さくなるためであり、さらに、結晶粒の微細化による焼入れ性がより低下していることがわかる。
【0165】
【表4】
【0166】
図21は、モジュールm=3.25の歯車を900℃に全体加熱した後、水スプレー冷却に相当する冷却能(4in−1)で冷却した時の歯底(◇印)、ピッチ円上の歯面(□印)、歯元(△印)、歯先(○印)位置での焼入れ硬化深さと鋼材のDI値(in)との関係の計算結果を示したものであり、(1)ピッチ円上歯面ではDI=0.6(in)以上においてはスルーハード化する、(2)スルーハード化するまでは、歯元部と歯先部の焼入れ硬化深さは、それぞれピッチ円上の焼入れ硬化深さの約30%、約200%以上であって、歯先部およびピッチ円上の焼入れ硬化層深さに対して歯元部の焼入れ硬化深さの浅い特有の焼入れ硬化層分布を持ち、かつ、歯先硬化層深さがモジュールm以上により深なるにしたがって、歯先に近い歯面から、歯元部近傍までの歯面に引張り残留応力が発生するが、歯元、歯底部表面においては大きな圧縮残留応力が発生することがわかった。
【0167】
また、ピッチ円位置がスルーハード化する鋼材の焼入れ性(DI値)は、前記計算をモジュールmが2〜15(mm)の歯車について検討した結果から、ほぼ、DI≧0.12×m+0.2の条件を満足することが必要であることがわかった。
【0168】
図22はm=3.5歯車のピッチ円上の位置に240kgf/mm2のヘルツ面圧が作用したときのその内部位置における剪断応力とその応力のスポーリング強度に耐えるビッカース硬さ分布(Hv=10.9×剪断応力)を示したものである。また、図23は同じ歯車の歯元表面に100kgf/mm2の曲げ応力が作用したときのその内部位置における応力分布とその応力の疲労強度に耐えるビッカース硬さ分布(Hv=6×曲げ応力)を参考例として示したものである。これらの図中にはSCM420材の浸炭焼入れ歯車の硬さ分布および球状化処理したSUJ3材(Hv=210)の歯形に沿って高周波焼入れした歯車部材(図24参照)の硬さ分布を合わせて示してある。
【0169】
まず図22に基づいてスポーリング強度について検討すると、前記SUJ3高周波焼入れ歯車は浸炭焼入れ歯車に比べ、その素地(焼入れ前組織)の硬さが低いことによって耐スポーリング強度が弱いことが明らかである。浸炭焼入れ歯車と同等のスポーリング強度を得るためには、(1)その焼入れ硬化層深さを3〜3.5mm(モジュール相当)まで深くする、(2)素地硬さを例えばHv350程度にまで硬くすることが必要であることがわかる。前記のように焼入れ硬化層深さをより深くする場合には、歯面において引張残留応力が発生すること、素地をより硬くする場合には、歯車部材の加工コストの点で経済的でない問題があるので、前記第1焼入れ硬化層の深部に、図中の破線もしくは一点鎖線で示すような硬質な第2焼入れ硬化層を形成させることによって、これらの問題点を解決することが非常に好ましいことがわかる。なお、一点鎖線で示す第2焼入れ硬化層はベイナイトとパーライト組織を主体とし、破線はマルテンサイトおよびベイナイトの少なくとも一方の組織を主体とするものであって、第2焼入れ硬化層が浸炭焼入れ歯車と同様に、マルテンサイト相およびベイナイト相の少なくとも一方が主体となることがより好ましく、またこの第2焼入れ硬化層が十分に形成されるように、前記第2焼入れ硬化層のDI値がDI≧0.12×m+0.2を満足するように調整されることが好ましい。また、より大型の歯車部材においてはセメンタイト中に濃縮しない、Si,Al,Ni,Coの添加によって調整されることがより好ましい。
【0170】
また、前記SUJ3の高周波焼入れ歯車では歯面に40kgf/mm2の圧縮残留応力が発生しているが、焼入れ硬化層と素地部の境界部においては20〜30kgf/mm2の引張残留応力が発生するために、スポーリング強度がさらに浸炭焼入れ歯車に比べて低下することが危惧される。第1焼入れ硬化層と第2焼入れ硬化層を形成させる本実施例の歯車部材においては、この引張り残留応力の発生を低減できることから、よりスポーリング強度を高めることができる。
【0171】
また、第1焼入れ硬化層の硬さとその深さは、従来の浸炭焼入れ硬化層の基準(Hv:600〜850、硬化層深さ:(0.20〜0.6)×m)に準じて規定されることが好ましい。
【0172】
次に、図23に基づいて歯車部材の歯元曲げ強度について検討すると、前記スポーリング強度で検討した結果とほぼ同じことがあてはまり、第1焼入れ硬化層の硬さとその深さが、前記浸炭焼入れ歯車の焼入れ硬化層の基準(Hv:600〜850、硬化層深さ:(0.15〜0.6)×m)で、第2焼入れ硬化層の硬さがHv300〜500となることが好ましいことがわかる。
【0173】
[実施例5;耐摩耗性の改善]
通常、高周波焼入れした転動部材の耐摩耗性が十分でないことから、本実施例においては、その耐摩耗性に対するセメンタイト分散の影響を前記実施例のローラピッチング試験を用いて評価した。ローラピッチング試験方法は前述のとおりであって、摩耗量は面圧250kgf/mm2の条件で2×106回の試験後の小ローラの摩耗深さ(μm)で評価した。使用した供試鋼は表5に示すとおりであって、高周波焼入れした後、セメンタイト量、残留オーステナイト量および摩耗量を表5に合わせて示したが、明らかにセメンタイトの分散によって顕著に耐摩耗性が改善されていることがわかる。また、No.W3では粒状セメンタイトよりもパーライト組織状に板状セメンタイトが分散した場合の方が耐摩耗性に優れているが、これは滑りを伴う転動面でのオイルポケットの形成によって潤滑状況が改善されたことによるものであり、この組織形態は歯車部材に限らず、ベアリングなどの転がり部材にも好適であることがわかる。
【0174】
【表5】
【図面の簡単な説明】
【0175】
【図1】Fe−C−M状態図と等炭素活量線図を使ったγ相へのセメンタイトの固溶機構図。
【図2】合金元素濃度の異なる球状体が無限固体母相中に存在する時の均質化過程を示すグラフ。
【図3】固溶した球状セメンタイト中の合金元素の均質化を示すグラフ。
【図4】Fe−C−Cr三元系等炭素活量線図(at1000℃)。
【図5】加熱温度を750〜1150℃にしたときのセメンタイト中のCr濃度とマルテンサイト相中の固溶炭素濃度の関係を示すグラフ。
【図6】1重量%Cr鋼中のセメンタイトの固溶条件(1)を示すグラフ。
【図7】1重量%Cr鋼中のセメンタイトの固溶条件(2)を示すグラフ。
【図8】(a),(b)は第1の実施の形態に係る歯車部材の高周波焼入れ後組織の模式図であり、(c)は従来の歯形に沿った高周波焼入れ(輪郭焼入れ)組織の模式図。
【図9】第1の実施の形態における代表的な高周波焼入れパターンを示す図。
【図10】(a),(b)は軸付きギヤ部材の例を示す断面図。
【図11】(a),(b)は歯車部材以外への適用例を示す図。
【図12】ローラピッチング試験用試験片を示すものであり、(a)は小ローラ試験片を示す図であり、(b)は大ローラ試験片を示す図。
【図13】(a)は高周波加熱温度と焼入れ硬さとの関係を示すグラフであり、(b)は高周波加熱温度とマルテンサイトC濃度(6℃/sec)との関係を示すグラフであり、(c)は高周波加熱温度とθ相体積%との関係を示すグラフ。
【図14】ローラピッチング強度の予備試験結果を示すグラフ。
【図15】球状化処理No.4材料の急速高周波焼入れ組織を示す写真。
【図16】(a)は加熱温度と焼入れ硬さとの関係を示すグラフであり、(b)は加熱温度と残留オーステナイト量との関係を示すグラフ。
【図17】パーライト状セメンタイトと粒状セメンタイトを分散させたNo.4試料の急速高周波焼入れ組織を示す写真。
【図18】No.3鋼材の高周波焼入れ硬さ分布を示すグラフ。
【図19】焼戻し硬さの実測値と計算値の比較(300℃)を示すグラフ。
【図20】DI値と焼入れ硬化層深さの関係を示すグラフ。
【図21】モジュール3.25の歯車の焼入れ深さを示すグラフ。
【図22】歯車部材の耐スポーリング強度に必要な硬さ分布を示すグラフ。
【図23】耐歯元曲げ応力の硬さ分布(m=3.5)を示すグラフ。
【図24】高周波焼入れ歯車の硬化パターンを示す図。
【図25】非特許文献1に示された代表的な歯車の高周波焼入れ方式を示す図。
【図26】歯部二重周波加熱の効果を示す図。
【符号の説明】
【0176】
1 第1焼入れ硬化層
2 第2焼入れ硬化層
3 焼入れ前組織
4 ピッチ円
5 ピッチ円中心位置
6,7 軸部
8,9 歯部
10 スプライン
11 ベアリング部材
12 軸部材
13 歯車部材
14,15 カム
16 カムシャフト部材
【特許請求の範囲】
【請求項1】
少なくとも0.4〜1.5重量%のCを含有する鋼材を用い、表面層から内部中心に向かって二種以上の焼入れ処理によって形成される硬化層とその内の1種以上の焼入れ処理によって形成される硬化層において2体積%以上のセメンタイトが分散されている組織を有することを特徴とする転動部材。
【請求項2】
表面層に形成され、0.35〜0.8重量%の濃度で炭素が固溶されたマルテンサイト相を母相とする第1焼入れ硬化層と、
前記第1焼入れ硬化層より深い層に形成され、0.07〜0.3重量%の濃度で炭素が固溶されたマルテンサイト相およびベイナイト相の少なくとも一方を含有する母相中に、セメンタイトが2〜20体積%分散された第2焼入れ硬化層と、
を具備することを特徴とする転動部材。
【請求項3】
請求項2において、前記第2焼入れ硬化層より深い層に残留され、フェライト中にセメンタイトが分散された焼入れ前組織をさらに具備することを特徴とする転動部材。
【請求項4】
請求項2において、前記第1焼入れ硬化層と第2焼入れ硬化層との間に形成された中間層をさらに具備し、前記中間層は第1焼入れ硬化層と第2焼入れ硬化層の中間的硬さを有することを特徴とする転動部材。
【請求項5】
請求項2乃至4のいずれか一項において、前記第1焼入れ硬化層および前記第2焼入れ硬化層は高周波焼入れによって形成されたものであることを特徴とする転動部材。
【請求項6】
請求項2乃至5のいずれか一項において、前記転動部材は、0.4〜1.5重量%のCと2重量%以下のCrを含有する鋼材からなることを特徴とする転動部材。
【請求項7】
請求項6において、前記鋼材は、0.1〜2重量%のMn、0.05〜1.5重量%の(Si+Al)、0.7重量%以下のMo、1.4重量%以下のW、2重量%以下のV、1重量%以下のAl、3重量%以下のNi、0.01重量%以下のB、1重量%以下の(Ti+Nb+Zr)のうち一種以上が含有されていることを特徴とする転動部材。
【請求項8】
請求項6又は7において、前記鋼材にはCrが0.3〜2重量%含有され、前記鋼材中のセメンタイト中にCrが3〜12重量%含有されていることを特徴とする転動部材。
【請求項9】
請求項2乃至8のいずれか一項において、前記転動部材には、0.5〜1.5重量%のCおよび0.5〜2重量%のCrを含有する鋼材が用いられ、前記第1焼入れ硬化層にはセメンタイトが2〜17体積%分散され、前記第2焼入れ硬化層にはセメンタイトが4〜20体積%分散されていることを特徴とする記載の転動部材。
【請求項10】
請求項2乃至9のいずれか一項において、前記第1焼入れ硬化層中には、10〜50体積%の残留オーステナイトが分散されていることを特徴とする転動部材。
【請求項11】
請求項2乃至10のいずれか一項において、前記第1焼入れ硬化層中には、V4C3、TiC、NbCおよびZrCのうち一種以上が分散されていることを特徴とする転動部材。
【請求項12】
請求項6乃至10のいずれか一項において、前記鋼材には0.5〜1.5重量%の(Si+Al)を含有し、さらに、0.1〜2重量%のMn、3重量%以下のNi、0.05〜0.7重量%のMo、0.2〜1重量%のV、0.1〜0.5重量%の(Ti+Nb+Zr)のうち一種以上が含有されていることを特徴とする転動部材。
【請求項13】
請求項2乃至12のいずれか一項において、前記転動部材は歯車部材に適用され、前記歯車部材の歯部ピッチ円位置での前記第1焼入れ硬化層の深さが歯車モジュールの0.15〜0.6倍の範囲にあり、前記第1焼入れ硬化層より深い層もしくは前記歯車部材の歯部中心位置に、ビッカース硬さHv260〜500の前記第2焼入れ硬化層が形成されていることを特徴とする転動部材。
【請求項14】
請求項2乃至12のいずれか一項において、前記転動部材はベアリング部材もしくはカムシャフト部材に適用されることを特徴とする転動部材。
【請求項15】
請求項2乃至14のいずれか一項において、前記第1焼入れ硬化層もしくは第1焼入れ硬化層と第2焼入れ硬化層が100〜350℃の焼戻し処理されていることを特徴とする転動部材。
【請求項16】
請求項2乃至15のいずれか一項において、前記第1焼入れ硬化層の表面部に加工処理が施され、前記第1焼入れ硬化層の表面部には50kgf/mm2以上の圧縮残留応力が付加されていることを特徴とする転動部材。
【請求項17】
0.4〜1.5重量%のCと2重量%以下のCrを含有する鋼材であって、前記鋼材中のセメンタイト中の合金元素の濃度に等しい合金組成のオーステナイトと平衡するセメンタイトの固溶度の炭素活量が、前記鋼材のオーステナイトの炭素活量より低くなるようにセメンタイト中の合金組成を調整した鋼材を用意する工程と、
Ac1温度〜1150℃の温度範囲またはAc3温度〜1150℃の温度範囲において、二種以上の加熱温度に前記鋼材を表面層から誘導加熱した後に急冷する焼入れ工程と、
を具備することを特徴とする転動部材の製造方法。
【請求項18】
請求項17において、前記鋼材は、それぞれ2重量%以下のMn,V,Mo,Wのうち一種以上の合金元素が含有されていることを特徴とする転動部材の製造方法。
【請求項19】
請求項17又は18において、前記鋼材を用意する工程は、0.4〜1.5重量%のCおよび0.3〜2重量%のCrを含有する鋼材を、前記鋼材中のセメンタイト中にCrが3.5〜12重量%含有されるように熱処理する工程を有し、
前記焼入れ工程は、前記鋼材の表面層を900〜1150℃の高温域に加熱することと、前記鋼材における前記表面層より深部をAc1温度〜950℃の低温域またはAc3温度〜950℃の低温域に加熱することの二種類の誘導加熱を行った後に急冷する工程であることを特徴とする転動部材の製造方法。
【請求項20】
請求項17乃至19のいずれか一項において、前記焼入れ工程は、前記鋼材の表面層を900〜1150℃に加熱した後に、冷却しながら、その加熱温度より低い温度であってAc1温度〜950℃の範囲の温度またはAc3温度〜950℃の範囲の温度に加熱もしくは保持して前記鋼材を前記表面層より深部まで加熱した後に急冷する工程、もしくは、前記鋼材をAc1温度〜950℃の範囲の温度またはAc3温度〜950℃の範囲の温度に加熱した後に、前記温度に保持して前記鋼材を表面層より深部まで加熱し、加熱温度より高い温度であって900〜1150℃の温度に前記鋼材の表面層を加熱した後に急冷する工程であることを特徴とする転動部材の製造方法。
【請求項21】
請求項17乃至20のいずれか一項において、前記焼入れ工程におけるAc1温度またはAc3温度から焼入れ温度T(℃)に到達し、冷却するまでの時間t(sec)が、下記式を満足することを特徴とする転動部材の製造方法。
t≦(1350/(T+273))28
【請求項22】
請求項17又は18において、前記鋼材を用意する工程は、前記鋼材中のセメンタイト中にCrが4〜11重量%含有されるように熱処理する工程を有し、
前記焼入れ工程は、前記鋼材に、Ac1温度〜950℃の範囲の温度で2〜1000秒間の誘導加熱、および900〜1150℃の範囲で0.1〜5秒間の誘導加熱を行った後に急冷することを特徴とする転動部材の製造方法。
【請求項23】
請求項17乃至22のいずれか一項において、前記焼入れ工程により、前記鋼材の表面層に、0.35〜0.8重量%の濃度で炭素が固溶されたマルテンサイト相を母相とする第1焼入れ硬化層が形成されるとともに、前記鋼材の前記第1焼入れ硬化層より深い層に、0.07〜0.3重量%の濃度で炭素が固溶されたマルテンサイト相およびベイナイト相の少なくとも一方が母相とされ、セメンタイトが2〜20体積%分散された第2焼入れ硬化層が形成されることを特徴とする転動部材の製造方法。
【請求項24】
請求項23において、前記鋼材には0.5〜1.5重量%のCおよび0.5〜2重量%のCrが含有されており、前記第1焼入れ硬化層にはセメンタイトが2〜17体積%分散され、前記第2焼入れ硬化層にはセメンタイトが4〜20体積%分散されていることを特徴とする転動部材の製造方法。
【請求項25】
請求項23又は24において、前記焼入れ工程の後に、前記第1焼入れ硬化層および前記第2焼入れ硬化層に100〜350℃の温度で焼戻し処理を施す工程をさらに具備することを特徴とする転動部材の製造方法。
【請求項26】
請求項17乃至25のいずれか一項において、前記焼入れ工程の後に、前記第1焼入れ硬化層の表面部に加工処理を施すことにより、前記表面部に圧縮残留応力を付与する工程をさらに具備することを特徴とする転動部材の製造方法。
【請求項1】
少なくとも0.4〜1.5重量%のCを含有する鋼材を用い、表面層から内部中心に向かって二種以上の焼入れ処理によって形成される硬化層とその内の1種以上の焼入れ処理によって形成される硬化層において2体積%以上のセメンタイトが分散されている組織を有することを特徴とする転動部材。
【請求項2】
表面層に形成され、0.35〜0.8重量%の濃度で炭素が固溶されたマルテンサイト相を母相とする第1焼入れ硬化層と、
前記第1焼入れ硬化層より深い層に形成され、0.07〜0.3重量%の濃度で炭素が固溶されたマルテンサイト相およびベイナイト相の少なくとも一方を含有する母相中に、セメンタイトが2〜20体積%分散された第2焼入れ硬化層と、
を具備することを特徴とする転動部材。
【請求項3】
請求項2において、前記第2焼入れ硬化層より深い層に残留され、フェライト中にセメンタイトが分散された焼入れ前組織をさらに具備することを特徴とする転動部材。
【請求項4】
請求項2において、前記第1焼入れ硬化層と第2焼入れ硬化層との間に形成された中間層をさらに具備し、前記中間層は第1焼入れ硬化層と第2焼入れ硬化層の中間的硬さを有することを特徴とする転動部材。
【請求項5】
請求項2乃至4のいずれか一項において、前記第1焼入れ硬化層および前記第2焼入れ硬化層は高周波焼入れによって形成されたものであることを特徴とする転動部材。
【請求項6】
請求項2乃至5のいずれか一項において、前記転動部材は、0.4〜1.5重量%のCと2重量%以下のCrを含有する鋼材からなることを特徴とする転動部材。
【請求項7】
請求項6において、前記鋼材は、0.1〜2重量%のMn、0.05〜1.5重量%の(Si+Al)、0.7重量%以下のMo、1.4重量%以下のW、2重量%以下のV、1重量%以下のAl、3重量%以下のNi、0.01重量%以下のB、1重量%以下の(Ti+Nb+Zr)のうち一種以上が含有されていることを特徴とする転動部材。
【請求項8】
請求項6又は7において、前記鋼材にはCrが0.3〜2重量%含有され、前記鋼材中のセメンタイト中にCrが3〜12重量%含有されていることを特徴とする転動部材。
【請求項9】
請求項2乃至8のいずれか一項において、前記転動部材には、0.5〜1.5重量%のCおよび0.5〜2重量%のCrを含有する鋼材が用いられ、前記第1焼入れ硬化層にはセメンタイトが2〜17体積%分散され、前記第2焼入れ硬化層にはセメンタイトが4〜20体積%分散されていることを特徴とする記載の転動部材。
【請求項10】
請求項2乃至9のいずれか一項において、前記第1焼入れ硬化層中には、10〜50体積%の残留オーステナイトが分散されていることを特徴とする転動部材。
【請求項11】
請求項2乃至10のいずれか一項において、前記第1焼入れ硬化層中には、V4C3、TiC、NbCおよびZrCのうち一種以上が分散されていることを特徴とする転動部材。
【請求項12】
請求項6乃至10のいずれか一項において、前記鋼材には0.5〜1.5重量%の(Si+Al)を含有し、さらに、0.1〜2重量%のMn、3重量%以下のNi、0.05〜0.7重量%のMo、0.2〜1重量%のV、0.1〜0.5重量%の(Ti+Nb+Zr)のうち一種以上が含有されていることを特徴とする転動部材。
【請求項13】
請求項2乃至12のいずれか一項において、前記転動部材は歯車部材に適用され、前記歯車部材の歯部ピッチ円位置での前記第1焼入れ硬化層の深さが歯車モジュールの0.15〜0.6倍の範囲にあり、前記第1焼入れ硬化層より深い層もしくは前記歯車部材の歯部中心位置に、ビッカース硬さHv260〜500の前記第2焼入れ硬化層が形成されていることを特徴とする転動部材。
【請求項14】
請求項2乃至12のいずれか一項において、前記転動部材はベアリング部材もしくはカムシャフト部材に適用されることを特徴とする転動部材。
【請求項15】
請求項2乃至14のいずれか一項において、前記第1焼入れ硬化層もしくは第1焼入れ硬化層と第2焼入れ硬化層が100〜350℃の焼戻し処理されていることを特徴とする転動部材。
【請求項16】
請求項2乃至15のいずれか一項において、前記第1焼入れ硬化層の表面部に加工処理が施され、前記第1焼入れ硬化層の表面部には50kgf/mm2以上の圧縮残留応力が付加されていることを特徴とする転動部材。
【請求項17】
0.4〜1.5重量%のCと2重量%以下のCrを含有する鋼材であって、前記鋼材中のセメンタイト中の合金元素の濃度に等しい合金組成のオーステナイトと平衡するセメンタイトの固溶度の炭素活量が、前記鋼材のオーステナイトの炭素活量より低くなるようにセメンタイト中の合金組成を調整した鋼材を用意する工程と、
Ac1温度〜1150℃の温度範囲またはAc3温度〜1150℃の温度範囲において、二種以上の加熱温度に前記鋼材を表面層から誘導加熱した後に急冷する焼入れ工程と、
を具備することを特徴とする転動部材の製造方法。
【請求項18】
請求項17において、前記鋼材は、それぞれ2重量%以下のMn,V,Mo,Wのうち一種以上の合金元素が含有されていることを特徴とする転動部材の製造方法。
【請求項19】
請求項17又は18において、前記鋼材を用意する工程は、0.4〜1.5重量%のCおよび0.3〜2重量%のCrを含有する鋼材を、前記鋼材中のセメンタイト中にCrが3.5〜12重量%含有されるように熱処理する工程を有し、
前記焼入れ工程は、前記鋼材の表面層を900〜1150℃の高温域に加熱することと、前記鋼材における前記表面層より深部をAc1温度〜950℃の低温域またはAc3温度〜950℃の低温域に加熱することの二種類の誘導加熱を行った後に急冷する工程であることを特徴とする転動部材の製造方法。
【請求項20】
請求項17乃至19のいずれか一項において、前記焼入れ工程は、前記鋼材の表面層を900〜1150℃に加熱した後に、冷却しながら、その加熱温度より低い温度であってAc1温度〜950℃の範囲の温度またはAc3温度〜950℃の範囲の温度に加熱もしくは保持して前記鋼材を前記表面層より深部まで加熱した後に急冷する工程、もしくは、前記鋼材をAc1温度〜950℃の範囲の温度またはAc3温度〜950℃の範囲の温度に加熱した後に、前記温度に保持して前記鋼材を表面層より深部まで加熱し、加熱温度より高い温度であって900〜1150℃の温度に前記鋼材の表面層を加熱した後に急冷する工程であることを特徴とする転動部材の製造方法。
【請求項21】
請求項17乃至20のいずれか一項において、前記焼入れ工程におけるAc1温度またはAc3温度から焼入れ温度T(℃)に到達し、冷却するまでの時間t(sec)が、下記式を満足することを特徴とする転動部材の製造方法。
t≦(1350/(T+273))28
【請求項22】
請求項17又は18において、前記鋼材を用意する工程は、前記鋼材中のセメンタイト中にCrが4〜11重量%含有されるように熱処理する工程を有し、
前記焼入れ工程は、前記鋼材に、Ac1温度〜950℃の範囲の温度で2〜1000秒間の誘導加熱、および900〜1150℃の範囲で0.1〜5秒間の誘導加熱を行った後に急冷することを特徴とする転動部材の製造方法。
【請求項23】
請求項17乃至22のいずれか一項において、前記焼入れ工程により、前記鋼材の表面層に、0.35〜0.8重量%の濃度で炭素が固溶されたマルテンサイト相を母相とする第1焼入れ硬化層が形成されるとともに、前記鋼材の前記第1焼入れ硬化層より深い層に、0.07〜0.3重量%の濃度で炭素が固溶されたマルテンサイト相およびベイナイト相の少なくとも一方が母相とされ、セメンタイトが2〜20体積%分散された第2焼入れ硬化層が形成されることを特徴とする転動部材の製造方法。
【請求項24】
請求項23において、前記鋼材には0.5〜1.5重量%のCおよび0.5〜2重量%のCrが含有されており、前記第1焼入れ硬化層にはセメンタイトが2〜17体積%分散され、前記第2焼入れ硬化層にはセメンタイトが4〜20体積%分散されていることを特徴とする転動部材の製造方法。
【請求項25】
請求項23又は24において、前記焼入れ工程の後に、前記第1焼入れ硬化層および前記第2焼入れ硬化層に100〜350℃の温度で焼戻し処理を施す工程をさらに具備することを特徴とする転動部材の製造方法。
【請求項26】
請求項17乃至25のいずれか一項において、前記焼入れ工程の後に、前記第1焼入れ硬化層の表面部に加工処理を施すことにより、前記表面部に圧縮残留応力を付与する工程をさらに具備することを特徴とする転動部材の製造方法。
【図1】
【図2】
【図3】
【図4】
【図5】
【図6】
【図7】
【図8】
【図9】
【図10】
【図11】
【図12】
【図13】
【図14】
【図15】
【図16】
【図17】
【図18】
【図19】
【図20】
【図21】
【図22】
【図23】
【図24】
【図25】
【図26】
【図2】
【図3】
【図4】
【図5】
【図6】
【図7】
【図8】
【図9】
【図10】
【図11】
【図12】
【図13】
【図14】
【図15】
【図16】
【図17】
【図18】
【図19】
【図20】
【図21】
【図22】
【図23】
【図24】
【図25】
【図26】
【公開番号】特開2006−9145(P2006−9145A)
【公開日】平成18年1月12日(2006.1.12)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2005−131605(P2005−131605)
【出願日】平成17年4月28日(2005.4.28)
【出願人】(000001236)株式会社小松製作所 (1,686)
【Fターム(参考)】
【公開日】平成18年1月12日(2006.1.12)
【国際特許分類】
【出願日】平成17年4月28日(2005.4.28)
【出願人】(000001236)株式会社小松製作所 (1,686)
【Fターム(参考)】
[ Back to top ]