説明

遺伝子破壊白癬菌

【課題】高頻度での相同組換え(標的遺伝子破壊)が可能な新規白癬菌株を提供する。
【解決手段】白癬菌Trichophyton mentagrophytes TIMM2789株のku80遺伝子ホモログであるTmku80遺伝子を相同組換えによって破壊したTmku80破壊白癬菌#49株(FERM AP-21532)。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本願発明は、Tmku80遺伝子を破壊した新規の白癬菌株#49株に関するものである。さらに詳しくは、本願発明は、任意の遺伝子を対象とした相同組換えによる遺伝子破壊を容易かつ確実に行うことを可能とする白癬菌#49株と、この白癬菌#49株を用いた白癬菌の病原因子探索手段に関するものである。
【背景技術】
【0002】
白癬菌による皮膚疾患としては、手足の指の間や裏にできる手白癬、足白癬が良く知られているが、その他にも、白癬菌が頭部に寄生した頭部白癬、内股に寄生した股部白癬、爪に寄生した爪白癬、それ以外の顔から足の甲までの、いわゆる身体に寄生した体部白癬が存在する。白癬菌は皮膚角質層を分解する酵素を分泌し、その分解産物を栄養源として皮膚角質層内で増殖するが、この増殖に対する生体防御として炎症応答が惹起され、浸潤、発赤、かゆみなどの症状が起こる。
【0003】
これらの白癬に対しては、多くの治療薬や症状緩和手段が提案されているが、皮膚角質層に寄生した白癬菌を根絶させることは困難であり、根本的は治療方法の確立には至っていない。
【0004】
白癬菌以外の多くの病原性真菌では、病原性への関与が示唆される因子(病原因子)の解析を行う際に、しばしばその因子をコードする遺伝子を人為的に欠損させた変異株(遺伝子破壊株)を作成し、野生株との比較解析が行われている。しかしながら、白癬菌ではこのような遺伝子破壊株を作成することが容易ではないため、病原性が実験的に示された因子は報告されておらず、病因因子の特定がなされていないことが根本的な治療方法が確立されない大きな原因となっている。
【0005】
白癬菌において遺伝子破壊が困難な理由は、遺伝子破壊用ベクターの導入効率(形質転換効率)が低いこと、さらには標的とする遺伝子とベクターとの間で生じる相同組換え頻度が低いこと(形質転換体当たり平均2%以下)にある。
【0006】
一方、真核細胞では、二本鎖DNAの切断が修復される過程で働く非相同末端結合(non-homologous end-joining; NHEJ)機構にKu70-Ku80ヘテロダイマーが関与していることが知られている。Neurospora crassa(非特許文献1)、Aspergillus fumigatus(非特許文献2)、A. oryzae(非特許文献3)などの糸状菌において、Ku70-Ku80ヘテロダイマーをコードする遺伝子(ku70、ku80)の破壊株が高頻度で相同組み換え(遺伝子破壊)を引き起こすことが報告されている。
【非特許文献1】Ninomiya Y, Suzuki K, Ishii C, Inoue H. Highly efficient gene replacements in Neurospora strains deficient for nonhomologous end-joining. Proc Natl Acad Sci USA 2004; 101: 12248-12253.
【非特許文献2】da Silva Ferreira ME, Kress MRVZ, Savoldi M, et al. The akuKU80mutant deficient for nonhomologous end joining is a powerful tool for analyzing pathogenicity in Aspergillus fumigatus. Eukaryotic Cells 2006; 5: 207-211.
【非特許文献3】Takahashi T, Masuda T, Koyama Y. Enhanced gene targeting frequency in ku70 and ku80 disruption mutants of Aspergillus sojae and Aspergillus oryzae. Mol Gen Genomics 2006; 275: 460-470.
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
前記のとおり、白癬の根本的な治療手段の開発には白癬菌の病原因子の特定が不可欠であり、そのためには白癬菌において簡便かつ確実な遺伝子破壊実験を可能とする手段が望まれている。しかしながら、実際には、形質転換効率および相同組換え頻度の低さによって、白癬菌における効率的な遺伝子破壊実験は極めて困難な状態である。
【0008】
一方、真核細胞ではKu70遺伝子やKu80遺伝子を相同組換えによって破壊した細胞において高い相同組換え頻度が報告されている。白癬菌においてもKu70遺伝子やKu80遺伝子に相当する遺伝子(ホモログ遺伝子)を破壊することによって、相同組換えによる任意遺伝子の破壊実験を効率良く実施できるものと期待される。しかしながら、そもそも白癬菌における形質転換効率および相同組換え頻度の低さから、Ku70やKu80のホモログ遺伝子の破壊そのものが極めて困難であると考えられていた。
【0009】
このような状況において、本願発明者らは、白癬菌Trichophyton mentagrophytes TIMM2789株のku80遺伝子ホモログである新規遺伝子Tmku80遺伝子をクローニングするとともに、このTmku80遺伝子の相同組換え用ベクターを開発して、白癬菌Trichophyton mentagrophytes TIMM2789株に対する数多くの相同組換え実験を繰り返すことにより、Tmku80遺伝子が破壊された、そして高頻度での相同組換えが可能な新規白癬菌株の作出に成功した。
【0010】
本願発明は、この新規なTmku80破壊白癬菌株と、この白癬菌株を用いて白癬菌の病原因子を探索する方法を提供することを課題としている。
【課題を解決するための手段】
【0011】
本願発明は、前記の課題を解決するための手段として、白癬菌Trichophyton mentagrophytes TIMM2789株のku80遺伝子ホモログであるTmku80遺伝子を相同組換えによって破壊したTmku80破壊白癬菌#49株(FERM AP-21532)を提供する。
【0012】
また本願発明は、白癬菌の病原因子を探索する方法であって、前記のTmku80破壊白癬菌#49株(FERM AP-21532)の任意の標的遺伝子を相同組換えによりさらに破壊し、この標的遺伝子破壊白癬菌と野生型白癬菌とを比較して、標的遺伝子破壊白癬菌の病原性が消失または低下した場合に、標的遺伝子がコードするタンパク質を病原因子として特定することを特徴とする方法を提供する。
【発明の効果】
【0013】
本願発明が提供するTmku80破壊白癬菌#49株(FERM AP-21532)は、後記実施例に示したように、標的遺伝子の破壊(相同組換え)を効率良く行うことを可能とする。これによって、従来は不可能であった白癬菌における遺伝子破壊実験を確実かつ容易に行うことが可能となり、白癬菌の病原因子の特定と、それに伴う白癬の根本治療に大きく貢献する。
【発明を実施するための最良の形態】
【0014】
本願発明のTmku80破壊白癬菌#49株(FERM AP-21532)は、白癬菌Trichophyton mentagrophytes TIMM2789株の新規遺伝子Tmku80遺伝子を、公知の相同組換え法によって破壊した形質転換菌株である。白癬菌における相同組換えは、ベクターの導入効率の低さと相同組換え頻度の極端な低さによって容易に実施することはできない。本願発明のTmku80破壊白癬菌#49株は極めて特殊な菌株であり、平成20年3月6日付けで独立行政法人産業技術総合研究所特許生物寄託センターに寄託することによって(受領番号FERM AP-21532)、本願発明の実施可能性を確保している。
【0015】
本願発明の白癬菌の病原因子探索方法は、前記のTmku80破壊白癬菌#49株(FERM AP-21532)任意の標的遺伝子を相同組換えによりさらに破壊し、この標的遺伝子破壊白癬菌と野生型白癬菌の機能を比較する。この場合の機能とは、白癬菌の病原性に関係すると考えられる機能であり、例えば、皮膚角質層を分解する酵素の分泌能や、分解産物の取り込み、皮膚角質層内での増殖能等である。これらの機能の変化は、培養条件下で行うことができる(in vitro試験)。
【0016】
また、標的遺伝子破壊白癬菌と野生型白癬菌の機能比較は、動物実験系において実施することもできる(in vivo試験)。すなわち、本願発明のTmku80破壊白癬菌#49株(FERM AP-21532)の起源であるTrichophyton mentagrophytesはヒト好性であるとともに、実験用動物にも良好に感染する動物好性であり、in vivo試験にも好適である。例えば、モルモット白癬菌感染モデルは薬物等の抗真菌作用を評価する実験モデル動物として公知であり、文献(Antimicrob. Agents. Chemother. 42: 967-970, 1997)記載の方法等によってモルモットに標的遺伝子破壊白癬菌と野生型白癬菌とをそれぞれ感染させ、感染部位における菌の増殖や、皮膚の変性等と比較することによって、白癬菌の病原因子を個体レベルで探索することができる。さらに、特開2002-257825号公報にはモルモットにTrichophyton mentagrophytesを感染させた系において、モルモットの痒み行動を評価する方法を開示しており、この方法に準じて標的遺伝子破壊白癬菌の痒みに対する機能を評価することもできる。
【0017】
以下、実施例として、Tmku80破壊白癬菌#49株(FERM AP-21532)の作出と、この菌株における標的遺伝子の相同組換え例を示して本願発明をさらに詳細かつ具体的に説明する。ただし、相同組換えの対象となる標的遺伝子は以下の例に限定されるものではない。
【実施例】
【0018】
1.白癬菌株
帝京大学医真菌研究センターに保存されているTrichophyton mentagrophytes TIMM2789株を使用した。この白癬菌株は、無性世代名(anamorph)はT. mentagrophytesであるが、形態学的解析ならびに分子生物学的解析(遺伝子同定)の結果、有性世代名(teleomorph)Arthroderma vanbreuseghemiiを有することが明らかにされている。
2.Tmku80遺伝子の単離
T. mentagrophytesにおけるku80遺伝子のホモログであるTmku80の単離はPCR(Polymerase Chain Reaction)法に基づき実施した(図1参照)。Aspergillus fumigatus、A. oryzae、N. crassa、Coccidioides immitisを含む合計8種類の真菌から単離されたku80ホモログについて、コードされているポリペプチド鎖のアミノ酸配列を比較し、高度に保存された2つの領域(ポリペプチド鎖のアミノ末端付近および中央付近)を利用してforwardおよびreverseのディジェネレートプライマー(Tmku80-F1 & Tmku80-R1)を設計した。本プライマーセットならびにT. mentagrophytes TIMM2789株の菌糸から抽出したtotal DNAを鋳型に用いてPCRを行った(図1、ステップ1)。得られた増幅産物(フラグメント1、約1.4kb)の塩基配列を解析し、目的とするフラグメントであることを確認した後、明らかになった塩基配列を利用してforwardプライマー(Tmku80-F2)を設計した。また、Tmku80-R1プライマーの設計に利用したKu80ポリペプチド鎖内の保存領域よりもカルボキシル末端側に存在する保存領域を利用してreverseのディジェネレートプライマー(Tmku80-R2)を設計した。Tmku80-F2 & Tmku80-R2ならびに先のtotal DNAを鋳型に用いてPCRを行った(図1、ステップ2)。得られた増幅産物(フラグメント2、約1.1kb)の塩基配列を解析し、目的とするDNAフラグメントであることを確認した。フラグメント1および2の解析を通じて、Tmku80の5'および3'末端領域を除く塩基配列が明らかになった。
【0019】
Tmku80の3'末端領域の増幅は3'RACE(3' Rapid Amplification of cDNA Ends)法およびInverse PCR法を用いて行った。先のフラグメント2の塩基配列を利用して3'RACE用forwardプライマー(3'RACE1)を設計し、本プライマーならびにT. mentagrophytes TIMM2789株の菌糸から抽出したtotal RNAを用いて3'RACEを行った(図1、ステップ3)。得られた増幅産物(フラグメント3、約1.5kb)の塩基配列を解析し、目的とするcDNAフラグメントであることを確認した。その後、Inverse PCR法を用いて3'末端領域の解析をさらに進めた。フラグメント3の塩基配列を利用して2本のInverse PCR用プライマー(3'IPCR-F1 & 3'IPCR-R1)を設計した。本プライマーセットならびに制限酵素、EcoRI消化後、T4DNAリガーゼ処理によって環状化(セルフライゲーション)したtotal DNAを鋳型に用いてPCRを行った(図1、ステップ4)。得られた増幅産物(フラグメント4、約1.3kb)の塩基配列を解析し、フラグメント3の解析結果と合わせて終止コドンの下流、約0.8kbまでの塩基配列が明らかになった。
【0020】
Tmku80の5'末端領域の増幅はInverse PCR法を用いて行った。フラグメント1の塩基配列を利用して2本のInverse PCR用プライマー(5'IPCR-F1 & 5'IPCR-R1)を設計した。本プライマーセットならびに制限酵素、EcoRI消化後、T4 DNAリガーゼ処理によって環状化(セルフライゲーション)したtotal DNAを鋳型に用いてPCRを行った(図1、ステップ5)。得られた増幅産物(フラグメント5、約1.2kb)の塩基配列を解析し、開始コドンの上流、約0.6kbまでの塩基配列が明らかになった。
【0021】
その後、3'RACE 法によって増幅したcDNAフラグメントに相当するゲノムDNAフラグメントの塩基配列を解析し、Inverse PCRの結果と合わせて2778bpのオープンリーディングフレーム(ORF)を含むTmku80遺伝子座、約4.1kbの塩基配列が明らかになった。
3.遺伝子破壊用ベクターpAg1-Tmku80/Tの構築
相同組み換えを利用してTmku80遺伝子座を破壊するためのバイナリーベクターpAg1-Tmku80/T(図3)を構築した(バイナリーベクターは土壌細菌であるAgrobacterium tumefaciensを介した高等植物などの形質転換の際に使用するプラスミドベクターである)。
【0022】
Dr. Z. An(Merck Research Laboratories, West Point, PA, USA)より分譲されたバイナリーベクターpAg1にハイグロマイシンB耐性遺伝子であるハイグロマイシンBホスホトランスフェラーゼ遺伝子(hph)のカセットを挿入した(pAg1-hph)(図2)。Tmku80 ORFの開始コドン(ATG)のAを1塩基目としたとき、-550-1444bpの領域をPCR増幅した。PCRプライマーとして、制限酵素SpeIの認識配列を付加したforwardプライマーおよびApaIの認識配列を付加したreverseプライマーを用いた。得られた増幅産物(相同フラグメント1、約2.0kb)をSpeI/ApaI消化後、同一酵素で消化したベクターpAg1-hphに挿入した。その後、Tmku80の1533-3553bpの領域をPCR増幅した。PCRプライマーとしては、制限酵素BamHIの認識配列を付加したforwardプライマーおよびKpnIの認識配列を付加したreverseプライマーを用いた。得られた増幅産物(相同フラグメント2、約2.0kb)をBamHI/KpnI消化後、同一酵素で消化した相同フラグメント1を含むベクターpAg1-hphに挿入し、遺伝子破壊用ベクターpAg1-Tmku80/Tとした。構築したpAg1-Tmku80/TはエレクトロポレーションによってA. tumefaciens EHA105株に導入し、T. mentagrophytesへの遺伝子導入(形質転換)に使用した。
4.T. mentagrophytesへのベクターpAg1-Tmku80/Tの導入(形質転換)
T. mentagrophytes TIMM2789株へのベクターpAg1-Tmku80/Tの導入(形質転換)は、アグロバクテリウム法を用いて行った。ベクターpAg1-Tmku80/Tを有する A. tumefaciens EHA105株とT. mentagrophytes TIMM2789株の小分生子の混合液をフェノール性化合物の一つであるアセトシリンゴンを含むアグロバクテリウム最少寒天培地(アグロバクテリウム誘導培地)に敷いたナイロンメンブレン上に接種し、28℃、48時間インキュベーションした。その後、メンブレンフィルターをハイグロマイシンBを含む選択培地(サブローデキストロース寒天培地)に移し、ハイグロマイシンBに耐性を示すコロニーからtotal DNAを抽出した。分子生物学的方法(PCRおよびサザンハイブリダイゼーション)を用いてTmku80遺伝子座における相同組み換え(Tmku80遺伝子座の破壊)の有無を解析した結果、一つのコロニー(#49株)でTmku80遺伝子座の破壊を示す結果が得られた(その他の遺伝子座へのベクターの挿入は見られなかった)(図4)。これらのコロニーと遺伝子導入のホストとして用いたTIMM2789株の間に、明確な形態学的相違(生育速度、菌糸形態、小分生子形成能など)は見られなかった。また、化学変異原であるメタンスルホン酸メチル(0.1% [w/v])に対する感受性の明確な相違も見られなかった。
【0023】
Tmku80遺伝子座が破壊された#49株(Tmku80Δ49株)を平成20年3月6日付けで独立行政法人産業技術総合研究所特許生物寄託センターに寄託し、受領番号FERM AP-21532を得た。
5.遺伝子破壊例(1)
Tmku80Δ49株における相同組み換え(遺伝子破壊、targeted gene disruption)効率の解析ターゲットとして、本願発明者らがTIMM2789株から単離したareA/nit-2ホモログ(tnr, Trichophyton nitrogen regulator, Accession No. AB364680)を選択した。areA(nit-2はN. crassaから単離されたareAのホモログ)はAspergillus nidulansから単離された調節タンパク質(転写因子)の一つで、窒素化合物の吸収・代謝に関わる多様な分子(酵素など)をコードする遺伝子群の発現制御に関与している。tnr遺伝子座の破壊に用いるバイナリーベクターpAg1-tnr/T(図5)は以下の方法で構築した。tnr ORFの開始コドン(ATG)のAを1塩基目としたとき、-340-1,339bpの領域をPCR増幅した。PCRプライマーは、制限酵素SpeIの認識配列を付加したforwardプライマーとBglIIの認識配列を付加したreverseプライマーセットを用いた。得られた増幅産物(相同フラグメント1、約1.7kb)をSpeI/BglII消化した後、同一の酵素で消化したベクターpAg1-hphに挿入した。その後、tnrの2,101-3,519bpの領域をPCR増幅した。プライマーは、制限酵素BamHIの認識配列を付加したforwardプライマーとKpnIの認識配列を付加したreverseプライマーセットを用いた。得られた増幅産物(相同フラグメント2、約1.4kb)をBamHI/KpnI消化した後、同一の酵素で消化した相同フラグメント1を含むpAg1-hphに挿入した。さらに、hphカセットをジェネティシン耐性遺伝子であるネオマイシンホスホトランスフェラーゼII遺伝子(nptII)のカセットに交換し、遺伝子破壊用ベクターpAg1-tnr/Tを構築した。
【0024】
構築したベクターpAg1-tnr/Tは上記のアグロバクテリウム法を用いてTmku80Δ49株へ導入した。ジェネティシンを含む選択培地に形成されたコロニーの中から10個を無作為にピックアップしてtotal DNAを抽出した。分子生物学的方法(PCRおよびサザンハイブリダイゼーション)を用いてtnr遺伝子座における相同組み換え(遺伝子破壊)の有無を解析した結果、すべてのコロニーでtnr遺伝子座における相同組み換えを示唆する結果が得られた(その他の遺伝子座へのベクター成分の挿入は見られなかった)(図6)。その後、各種窒素化合物を唯一の窒素源として添加した寒天培地を用いて、これらのコロニーの中から無作為に選んだ2コロニー(クローン#23および#24)、遺伝子導入のホスト株に使用したTmku80Δ49株ならびにTIMM2789株の生育度を比較した。その結果、Tmku80Δ49株とTIMM2789株は使用したすべての培地でほぼ同一の生育度を示したのに対し、クローン#23および#24は、幾つかの培地で生育度の(著しいまたは若干の)低下が認められた(表1)。A. nidulansのareA変異株を用いた同様の解析では、表2のようにアンモニウムイオン、グルタミン、尿素を除く窒素化合物を含む培地で生育度の著しい低下が認められることから、実験結果がやや異なる。しかし、動物好性白癬菌であるMicrosporum canisのareA/nit-2ホモログ(dnr1)破壊株ではクローン#23および#24に類似する結果が得られていることから(Yamada T, Makimura K, Abe S. Isolation, characterization, and disruption of dnr1, the areA/nit-2-like nitrogen regulatory gene of the zoophilic dermatophyte, Microsporum canis. Med Mycol 2006; 44: 243-252)、窒素化合物の利用(吸収・代謝)に関するこのような特徴は白癬菌に共通の特徴と考えられる。したがって、クローン#23および#24を含め、本実験で得られた10クローンの形質転換体はすべてtnr破壊株であると考えられる。その後、相同組み換えを介したtnr破壊株の作出実験を再び行った。本実験では、12コロニーを選択培地から無作為にピックアップしてtotal DNAを抽出し、分子生物学的方法(PCRおよびサザンハイブリダイゼーション)を用いて解析を行った結果、6コロニーでtnr遺伝子座における相同組み換えを示唆する結果が得られた(サザンハイブリダイゼーションによる解析で、先のクローン#23、#24などと同様のシグナルパターンが得られた)。
【0025】
以上、合計2回の実験結果から、Tmku80Δ49株のtnr遺伝子座における相同組み換えは50%以上の効率で起こるものと予想された。
【0026】
【表1】

【0027】
【表2】

【0028】
6.遺伝子破壊例(2)
分泌型プロテアーゼをコードする遺伝子と予想されているTri m4について、Tmku80Δ49株における相同組み換え(遺伝子破壊)の効率を解析した。別のT. mentagrophytes(teleomorph: Arthroderma benhamiae)から単離されたTri m4遺伝子(Accession No. AY929335)の塩基配列を利用してTIMM2789株のTri m4 ORF約2.5kbをPCRで増幅し、塩基配列を解析した。その後、Tri m4遺伝子座の破壊に用いるバイナリーベクターpAg1-Trim4/T(図7)を以下の方法で構築した。Tri m4 ORFの開始コドン(ATG)から約1.1kbの領域を、制限酵素SpeI認識配列を付加したforwardプライマーとBglII認識配列を付加したreverseプライマーセットを用いてPCRで増幅した。得られた増幅産物(相同フラグメント1)をSpeI/BglII消化した後、同一の酵素で消化したpAg1-tnr/Tに挿入した(tnrの相同フラグメント1と交換した)。その後、Tri m4 ORFの3'末端領域約1.1kbを、制限酵素BamHI認識配列を付加したforwardプライマーとKpnI認識配列を付加したreverseプライマーセットを用いてPCRで増幅した。得られた増幅産物(相同フラグメント2)をBamHI/KpnI消化した後、同一の酵素で消化した相同フラグメント1を含むpAg1-tnr/Tに挿入し(tnrの相同フラグメント2と交換した)、遺伝子破壊用ベクターpAg1-Trim4/Tを構築した。
【0029】
構築したpAg1-Trim4/Tは上記のアグロバクテリウム法を用いてTmku80Δ49株へ導入した。ジェネティシンを含む選択培地に形成された多数のコロニーの中から12個を無作為にピックアップしてtotal DNAを抽出した。分子生物学的解析(PCRおよびサザンハイブリダイゼーション)の結果、8コロニーでTri m4遺伝子座における相同組み換えを示唆する結果が得られた(その他の遺伝子座へのベクターの挿入は見られなかった)(図8)。本実験において、Tmku80Δ49株のTri m4遺伝子座における相同組み換えの効率は約67%と予想された。
【図面の簡単な説明】
【0030】
【図1】Trichophyton mentagrophytes TIMM2789株のku80遺伝子ホモログであるTmku80遺伝子の単離工程である。
【図2】バイナリーベクターpAg1にハイグロマイシンBホスホトランスフェラーゼ遺伝子(hph)のカセットを挿入したベクターpAg1-hphの物理地図である。
【図3】相同組換え用ベクターpAg1-Tmku80/Tの物理地図と、Tmku80遺伝子の相同組換えの工程である。PchはC. heterostrophusのプロモーター1(Accession No. M17304)、hphは大腸菌E. coliのhph遺伝子、TtrpCはA. nidulansトリプトファンC遺伝子(Accession No. X02390)のターミネーター配列、ApはApaI切断部位、BaはBamHI切断部位、BgはBglII切断部位、CはClaI切断部位、EはEcoRI切断部位、KはKpnI切断部位、PはPstI切断部位、SはSpeI切断部位、XbはXbaI切断部位、XhはXhoI切断部位である。
【図4】Tmku80破壊株のサザンハイブリダイゼーションの結果である。レーン1は親株(Trichophyton mentagrophytes TIMM2789株)からのDNAサンプルであり、レーン2はTmku80破壊白癬菌#49株からのDNAサンプルである。それぞれのDNAサンプルは制限酵素XhoIで消化後、アガロースゲル電気泳動を行い、メンブレンフィルターにトランスファーした。
【図5】相同組換え用ベクターpAg1-tnr/Tの物理地図と、tnr遺伝子の相同組換えの工程である。PchはC. heterostrophusのプロモーター1、nptIIは大腸菌E. coliのnptII遺伝子、TtrpCはA. nidulansトリプトファンC遺伝子のターミネーター配列、ApはApaI切断部位、BaはBamHI切断部位、BgはBglII切断部位、CはClaI切断部位、EはEcoRI切断部位、KはKpnI切断部位、PはPstI切断部位、SはSpeI切断部位、XbはXbaI切断部位、XhはXhoI切断部位である。
【図6】tnr破壊株のサザンハイブリダイゼーションの結果である。レーン1はTmku80破壊白癬菌#49株からのDNAサンプルであり、レーン2−11は、ぞれぞれtnr破壊白癬菌からのDNAサンプルである。それぞれのDNAサンプルは制限酵素XhoIで消化後、アガロースゲル電気泳動を行い、メンブレンフィルターにトランスファーした。
【図7】相同組換え用ベクターpAg1-Trim4/Tの物理地図と、Trim-4遺伝子の相同組換えの工程である。PchはC. heterostrophusのプロモーター1、nptIIは大腸菌E. coliのnptII遺伝子、TtrpCはA. nidulansトリプトファンC遺伝子のターミネーター配列、ApはApaI切断部位、BaはBamHI切断部位、BgはBglII切断部位、CはClaI切断部位、EはEcoRI切断部位、KはKpnI切断部位、PはPstI切断部位、SはSpeI切断部位、XbはXbaI切断部位、XhはXhoI切断部位である。
【図8】Trim-4破壊株のサザンハイブリダイゼーションの結果である。レーン1はTmku80破壊白癬菌#49株からのDNAサンプルであり、レーン2−9は、ぞれぞれTrim-4破壊白癬菌からのDNAサンプルである。それぞれのDNAサンプルは制限酵素BamHIで消化後、アガロースゲル電気泳動を行い、メンブレンフィルターにトランスファーした。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
白癬菌Trichophyton mentagrophytes TIMM2789株のku80遺伝子ホモログであるTmku80遺伝子を相同組換えによって破壊したTmku80破壊白癬菌#49株(FERM AP-21532)。
【請求項2】
白癬菌の病原因子を探索する方法であって、請求項1に記載のTmku80破壊白癬菌#49株(FERM AP-21532)の任意の標的遺伝子を相同組換えによりさらに破壊し、この標的遺伝子破壊白癬菌と野生型白癬菌とを比較して、標的遺伝子破壊白癬菌の病原性が消失または低下した場合に、標的遺伝子がコードするタンパク質を病原因子として特定することを特徴とする方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【公開番号】特開2009−261255(P2009−261255A)
【公開日】平成21年11月12日(2009.11.12)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−111432(P2008−111432)
【出願日】平成20年4月22日(2008.4.22)
【出願人】(399086263)学校法人帝京大学 (21)
【Fターム(参考)】